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死体の山
僕の死体 撫でても冷たくない 陰鬱な夏の土瀝青に火照った まだ柔らかな肌 土の香り仄かに 君の肢体 したいことはないのだけれど 軽やかに弛む腿の感触を想う 制服に揺れる聖の気配 指先が示した青い空 僕の死体 僕の死体 泣いたって味気ない 禁欲的愛の彫刻みたいだね 爪の中の汚れ 溶けた飴僅かに 君の肢体 君の肢体 なだらかな丘のようで熱がある 重なり合って優しさに 汗に塗れて憂う黒髪 その輪郭だけ捕まえて 僕の死体 僕の死体 僕の死体 痩せこけた犬のように美しい 轍の跡に曲がりくねった腕 鳥は鳴いて肉をつついた 太陽はまだ真上にある
死体の山 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 679.1
お気に入り数: 1
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2025-10-03
コメント日時 2025-10-19
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
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| 前衛性 | 0 | 0 |
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| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
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| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


我々は日々記憶している。 脳という物質を介して。 脳とはその動き(聴覚)によって心の動きを具体的に実現する役割でもある。 生涯にわたり「耳」という彫像を制作し続けた彫刻家三木富雄をご存じだろうか。 仮にここに書かれてある死体が「耳」として表されてあるならばどう解釈しようか。 何故「耳」ばかりを制作し続けるのか?と ある者が制作者三木富雄に尋ねた。 すると彼は「意味はない。耳がわたしを選んだ」と言った。 耳がわたしを選んだ。とはどういう意味なのか、 本人曰く意味はない。というのだから、これは憶測するしかない。 知覚する「耳」とは音波を脳に伝える機能を働かせる。 その「耳」を介して我々は様々な音を記憶する。 音とは直接形には残らない波動である。 それを残すためには機器を通して我々は録音しなければならない。 大昔まだ機器のない時代。 音を記憶するための「耳」とは神聖なモノだった。 人間が呪術師が発生させる音声としての記憶。 それは現代でいうところの「詩」でもあった。 そんな形無き神聖な声としての記憶を、 彫刻家三木富雄は表現したかったのではないだろうか。 それはまさしく「純粋な記憶」 今日でいうところの「詩」でもある。 ピュアメモリー「純粋記憶」 自我を意識として構成する成り立ちから発生、そして影響を受ける記憶として、 脳という物質は機能を働かせる。 哲学者ベルクソンは著者「物質と記憶」において 「純粋記憶]と「習慣記憶」に分けて思考する。 「習慣記憶」とは反復する学習や経験の記憶から、 脳という物質を通して現在意識に想起される我々人間。 生きるために知識や技術を習得し維持するためには必要不可欠な記憶なのだ。 それに対して「純粋記憶」とは 過去の出来事に於ける経験そのものが普遍的に存在し続ける形だという概念。 脳とは、これらの記憶を純粋に保持するためのモノで、 記憶とは脳が働かなくても存在しうる過去の経験そのもので、 過去とは経験の中で持続し影響を及ぼす時空を漂う記憶。 脳内の記憶とはこれら経験をハンガーのように引っ掛けておく装置に過ぎないというのだ。 ここに書かれてある死体が「耳」であるならば、 この死体はまさしく脳内に漂う「純粋な記憶」 「詩」の象徴そのもので、 眺め見た、経験したそのものが物理的な痕跡としてではなく、 純粋な事実としていまも時間の中で持続し存在続けている記憶なのだ。
1上で小馬鹿者が「耳」などと聴覚に聴いた記憶を小難しく解説しておられるが、それこそ視点という立場から考えてみれば詩の目的から大きく逸脱した批評ではないか。 この詩で重要なのは僕の死体ときみの肢体という物理的な脳内に記憶された経験で このことを客観的な視点を通して語らせている。ということなのだ。 これは日常起こり得る習慣記憶を永続的た心の動きとしての純粋な記憶として移し換えた。というだけなのだ。 複雑な解説は必要ない。 僕は混乱させて、申し訳ない、と思え。
1追加のコメントもありがとうございます。 この作品から色々思い感じてもらえたようで、大変嬉しく思います。 死体と肢体を、白けた心で、窓の外から覗き見るような冷酷さ、所謂客観性というものを持たせています。 その場に転がる死体の山を見た時に、私たちは何ができるのでしょうか。 君の肢体の影に消えていく無様な有様を、無力感たっぷりで傍観することの美しさは、見知らぬ誰かに爽やかな風を吹かせるでしょう。きっと多分
0鳥は鳴いて肉をつついた、というところがいい文だと思いました。死体、自分の死体、というものを描くことで、新しい詩の世界を、切り開いている感じはします。有効な試みだと思いました。
1コメントありがとうございます。 そして死体を重ねることで山を作っていくのです。
1死体がモチーフなのにとても美しいイメージが浮かびました
1聖書の事であろうかと思いました、タイトルは。頻繁に出て来る僕の死体。まだ真上に有る太陽。陰鬱な夏のアスファルトは印象的で、この詩を締めていると思いました。
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