別枠表示
詩学
さて、何を綴ろうか、といって、さくばんたいへんな「狂い」に襲われたから、そしてその「狂いの残滓」は今朝も家中に漂っているから、もう書く事をやめてしまっていた。冷水シャワーを浴びた身に、冷房は冷たすぎるし、ハイライトを喫う事、カフェインを摂取する事に手が開かず、ついに今日の午前中半日は、坐禅、瞑想に費やすことになった。 坐禅を、マインドフルに行うと、本当に自分というものの中身のなさに辿りつく。昔、面白い人間が書くからその詩は面白くなる、と仰った方がいたが、その面白さだってフェティッシュなものだ。本当に面白い人間が一体どれほどいる?それならば詩なんて読んでいないで、書いていないで、脳科学のテキストでも読んでいろ、と言われそうなところだが、ところがどっこい、自分自身が面白くない人間であると自覚しつつ、且つ面白い詩を書こうとするところに、そういうひねくれの中に、意図してすべての詩が宝石のように感じられる瞬間を見い出すことができるのだ。そこでは自分の詩、なんてものは全部失敗物であって、墜落した試験機だ。だからこんな散文だって書こうとする。 自然法則━摂理→至上命令━絶対者の順序で精神は成熟するとして、ここで私は第三番目、至上命令の内に物を書く事が出来る。 とにかく、生きているということは大したことだ、というメッセージは、すべての詩に内容されている。という錯覚の中でそれに飽きると、もうどんな不味い作品だって旨いような気がしてくる。その錯覚から覚めると、二、三か月はもう詩なんて読みたくはない、という自棄を起こし、杜甫なんて全然杜甫って感じじゃないんだけれど、大量の酒に対して少なすぎる詩群の、つまりは読み下す独り言の世界━唐詩の世界に逃避したくなってついに唐詩三昧となる。それで手元に遺るものは殆どなく、ああ、美味しかった、といってまた投影でも倒立でも前屈でもなんでもありの世界に戻るのである。そーゆー場、としての一サイト、でいいのだろうか?誰に聞いているんだろう。そう、これは僕の散文だし、僕以外登場人物はいやしない。 これは全然駄目な散文のお手本なんだけれど、本当に説明の省いたところに、間に、読み手の想像力━イマジネーションは炸裂する筈なのだし、一つ多くの詩に愚痴を書くとすれば、説明が詩ではない。 寧ろ、多くのものが本質的に目を逸らしたいもの、理智では到達できないもの、人工的であり、冷えているもの。人間と妖怪だったら妖怪。海と山ならば山。真夏と白夜ならば白夜を求めて僕らは日々、詩を紡ぐべきだ。 愛の不足を訴えられるのは、愛を知るものだけだ。その立場を僕らは明白にしておこう。 手慰めに書いたのでとっちらかってしまったが以上である。 こんな事を訴えても壁に卵を投げているのに変わりないが・・・。
詩学 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 368.2
お気に入り数: 1
投票数 : 3
ポイント数 : 0
作成日時 2025-08-01
コメント日時 2025-08-06
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 | |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


>寧ろ、多くのものが本質的に目を逸らしたいもの、理智では到達できないもの、人工的であり、冷えて >いるもの。人間と妖怪だったら妖怪。海と山ならば山。真夏と白夜ならば白夜を求めて僕らは日々、詩 >を紡ぐべきだ。 この観点は新しいと思います。田中恭平さんの誠実な詩への態度によって、壁に卵を投げつけるアート =アナーキズムがまた力をくれるように思いました。
0読み手を納得させないとまずいから説明的になり、面白味が半減することがあると思います。 なんでそんなことをやってしまったのか自分を顧みると、理屈を疎かにされることへの反動もあるかも知れないし、シャープさが理解されないことへ苛立ちもあるかも知れない。 「平和イデオロギー」という詩を書いた時は、これは読み手にわかるかな伝わるかなという不安もあった。 段々詩や頭の中に答えを求めることは難しくなって、朝になれば陽が出て帰って昼間の疲れで眠りにつくと言った外的なこと、もっと言えば生活の中に答えを見出すようになってきました。 文学も世界も物事も混沌を深め、混乱を鎮めるようなものを求めるのは難しくなってきたように思います。
0こんにちは、 哲学を感じますね。 >>さくばんたいへんな「狂い」に襲われたから、 という狂いの不穏さが好きです。
0人は一生悩むことから逃げられないので人なんだと思う。 石が磨かれて宝石になる。 石などに興味のない人間にはただの石だろう。 それでも磨かれたダイヤモンドの煌めきやルビーエメラルド/サファイアの神秘的な美しさに惹かれない人はいないだろう。 それでも屁理屈屋は言うよう じゃあ眼の見えない人間にその美しさがわかるのかい? きみは言葉で伝えようと必死に模索する。思考する。 きみのインスピレーションに煌めく言葉を聞いて盲人は想像する。 そうだ。 それが詩というものではないのかね。
1