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星の誕生日   

なかたつ 
作成日時 2017-08-20
コメント日時 2017-08-24

 

きみたちはぼくがいなくても、きっと幸せになるだろう 今日もどこかで体を売る人がいて、お金が落ちる音がする、ちゃりーんとね、そのお金を拾う人もいて、またお金が落ちる音がする、ちゃりーんと、それで幸せが得られるのであるならば、どのような労働であろうと文句を言われる筋合いはないから、ぼくは今日も、偉そうなおじいさんのありがたい話を聞き、統合失調症のおばあさんのわけわからない話を聞き、お金を稼ぐ、お金が落ちる音は聞こえないが、耳の中で聞こえてくる、あの音が、ちゃりーん、ちゃりーんと、そしてぼくはお金を落とす、体を売る人や音を奏でる人や機械を操る人や鼻ほじる人や将棋を指す人やトラクターに乗る人や筆を動かす人に、ちゃりーん、ちゃりーん、ちゃりーんと、この音はあなたに聞こえますか。 あなたの詩が好きだったから、仙台に来た。仙台の街を流れる天の川を見たくて、定禅寺通と広瀬通を結ぶ国分町を歩いた。その国分町で体を売る人の宣材写真を撮っていたというあなたを山奥から呼び出した。あなたの詩が読みたいのに、それが読めなくなってしまったから話したかった。行くあてもなく、二人で歩いてチェーン店の居酒屋に入った。ぼくはKENTを吸い、あなたはSEVEN STARを吸い、枝豆とサラダとビール2杯ぐらいしか頼まなかったあの不慣れな感じがよかった。何の話をしたか忘れたけれど、あなたに会えてよかった、それだけだった。その後、ホテルに戻ってお腹が減ってカップ焼きそばを食べた。そうしたら教授に呼び出されて、「Note」というお洒落な居酒屋に行った。教授は「授業なんて雑談大会なんですよ、不満があれば授業料を全部返してあげるよ、だからこうやってまあ学生と飲みに行くんですけどね」と屈託のない笑顔で話した。これもまた、ちゃりーん、だ。僕は教授に頭を下げて感謝をした、その時、地面に天の川は流れていなかった。明日になったら、あなたは山奥で釣りをしているのだろうか。空にあった七つ星はどこかに消えた。きっとあなたが吸ってしまったからだろう。 今日もどこかで体を売る人がいて、それを買う人がいる。 (お前は、二人目だったから、とにかく痛かった) 体がより売られるように努力をする人がいる。 (それは夏のとても暑い日だった) そして、子が産めるように努力をしながら詩を書く人がいる。 (買ってきたよ、おめでとう、ありがとう) その詩が読みたくて仙台に行く人がいる。 (お前はお兄ちゃんに大切に育てられたんだよ) そんな詩がネットの海で眠らないように思い出す人がいる。 (そういえば、この間、あいつがお前のこと心配してたよ) 「お父さん、お母さん、ありがとう、お兄さんもね」 (誰もが誰かの子である、とあなたはブログで、誰かの小説のフレーズとして紹介していましたね、この言葉がずっとこれからも忘れられません きみたちは、ぼくがいなくても、誰かと結ばれて、幸せになれるから、ぼくはこの場を去ろうと思う、それでいいんだ、地面を流れる天の川は、数多の笑い声の残骸で、まるで金平糖の滓なのだが、そんな美しい世界があればいいと願うだけで、その川に向かって、懺悔の思いとして、淡い期待をしてしまったきみたちとの時間を投げ捨て、新たなきみを探すために、今日も歩く、ひたすら歩く、仙台に行った時、定禅寺通、広瀬通、青葉通を何往復もしてくたくたになって、教授と国分町を笑いながら歩いたように、美しい天の川に乗って、できるだけお金を落とす、ちゃりーんと、天の川を彩るために硬貨を落とす、そのために、今日も明日もおじいさんとおばあさんの話を聞く、ちゃりーん、ちゃりーんと、でも、天の川の美しさに誘われて、あなたの詩を、読みたい。 きみたちはぼくがいたから、きっと幸せになるだろう


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花緒 (2017-08-20):

ちゃりーん、ちゃりーん、というワードが、うまくリズムを生み出し、柔らかい叙述が心地いい一作だった。ちゃりーん、ちゃりーん、という言葉が示唆する通り、経済活動や、その前提となる社会は、矛盾を孕んでいる。<今日もどこかで体を売る人がいて、それを買う人がいる>から始まる連が、端的に、社会の孕む矛盾や割り切れなさを描いている。社会は<僕>が居なくても回る。システムは巨大で個人が介入できるものでもなく、影響を与えられるものでもないという諦念と割り切れなさの中から、叙情性を染み出させることに成功していると思う。 わたしは本作は優れた一作だと思うが、どれほど優れているかという議論においては、一行目と最終行が上手く反転している、と取るか、予定調和的に終わらせてしまっており、後半の飛びが足りない、と取るか、で意見が分かれそうな気がする。

まりも (2017-08-21):

〈またお金が落ちる音がする、ちゃりーんと、それで幸せが得られるのであるならば、どのような労働であろうと文句を言われる筋合いはないから、〉お金で体を売る、買われる、ということを、積極的に選択するのか、必然的に追い込まれていくのか、ということもあるし・・・その結果として、ある種の諦念を噛みしめながら、お金で買われるのは気持ちがいい、と自己肯定する・・・というような印象の詩集を、ちょうど読んだばかりなので、どうしてもその詩集の作者と重ねてしまうのですが(もちろん、仙台とは関係ないし、この作品中の作者とも関係ない、でしょうけれども)・・・〈僕は教授に頭を下げて感謝をした、その時、地面に天の川は流れていなかった。〉実社会に定着して、安定して労働の対価としての金銭を受け取ることのできる教授と接している時には、地上に天の川は流れていない。〈美しい天の川に乗って、できるだけお金を落とす、ちゃりーんと、天の川を彩るために硬貨を落とす、そのために、今日も明日もおじいさんとおばあさんの話を聞く、ちゃりーん、ちゃりーんと、でも、天の川の美しさに誘われて、あなたの詩を、読みたい。〉話を聞く、という行為に、本来は行き交うはずのないお金の音が聞こえる。労働対価としてのお金ではなく、誰かの話を聞いた時に、何かがキラキラ輝きながら、お互いの耳の奥にだけ響く音で、ちゃりーんと響く、ような・・・そのきらめきが、地上に流れる天の川として、幻視されている、ような・・・そんな不思議な感覚がありました。そう考えていくと、お金で体を買う、買われる、という関係性の中にも、その人の心の声を聞く、というような、そんな「ちゃりーん」に匹敵する気持ちの交感のようなものが、あった、あるいはあってほしい、ということなのかな・・・。ムーミン谷のスナフキンを、なんとなく語り手に重ねてしまいました。他者の幸せを願いながら、放浪を旨として生きる人。

渚鳥 (2017-08-21):

こんにちは。 (いまようやく二読目です。) ご自身が受け取った歴史を、読み手に繋げるバトンとしての役割を強く感じた作品でした 。 このように文脈が乱れることもなく長く書き上げられるためには、 全てのモチーフに対してよほど整然とした思考でのぞまなければならないのでしょうが、冒頭にいちばんの感想を持ってきたことにより、受けとる側の反応は二分するだろうな、と感じます。しかしながら、ためらいもなく語るからには、「君」という対象がよほど素晴らしいお方なのでしょう。そんな素直な感情が伝わりました。 (宮城県仙台市に行かれましたか、萩の月では、私はチョコレート味が好きです。)

なかたつ (2017-08-23):

花緒さん 「社会は<僕>が居なくても回る。システムは巨大で個人が介入できるものでもなく、影響を与えられるものでもないという諦念」 とありますが、前段はその通りだと思います。ただ、それは社会に還元するわけで書いたつもりではないんですね。 確かに書かれたことは一般論として通用すると思うのですが、書いた後でふと思ったのが、お金を使うということは、大きな社会の枠組みの中でも、それぞれ個人が選択するものです。 何にお金をかけるか、趣味や嗜好によって、お金の使い道は変わります。 教授は、僕なんかにおごってくれたわけで、それはそれで教授の選択なんだと思います。 そういう意味で、無意識的・日常的な浪費だって、個人の選択の結果であり、その一つ一つが尊いことなのではないかと。

なかたつ (2017-08-23):

まりもさん 「話を聞く、という行為に、本来は行き交うはずのないお金の音が聞こえる。労働対価としてのお金ではなく、誰かの話を聞いた時に、何かがキラキラ輝きながら、お互いの耳の奥にだけ響く音で、ちゃりーんと響く、ような・・・そのきらめきが、地上に流れる天の川として、幻視されている、ような」 話を聞くために本来は行き交うはずのないお金の音とありますが、話を聞くためにお金をかけてもいい、また、お金がかかるものだと僕は思っています。 雑誌のインタビュー記事しかり、読書全般だって、自分ではない誰かの話を聞く行為だと考えています。また、友達と喫茶店で過ごす時間も然り。 「お金で体を買う、買われる、という関係性の中にも、その人の心の声を聞く、というような、そんな「ちゃりーん」に匹敵する気持ちの交感のようなものが、あった、あるいはあってほしい、ということなのかな・・・。」 というように読んでいただけたのは、大変うれしかったです、自分の予想を越えていました。 そして、スナフキンをあまり知りませんが、そのように言って頂けたことも嬉しかったですね。そうなりたいですね。

なかたつ (2017-08-23):

渚鳥sさん 整然とした思考を持って書いていないです、というのも変ですが、ばらばらの出来事を何となく自分の頭の中で組み合わせて書いています。何か通底するものがあるはずだ、と。 最初と最後の行をどう読んだかは僕も気になるところです。「きみたち」が指す対象が何であるのか。最初と最後で同一人物なのか。作中の人物なのか、作外の人物なのか。 多分ですが、最後の行、僕が読んでも、ちょっとむかつくような気がします。 (仙台に行ったのは、4年前、某学会に行くために泊まりで行きました。歩くことが大事だと教わっていたので、旅先では基本的に歩き続けます。定禅寺通、広瀬通、青葉通をひたすら何往復もし、青葉城、あと松島も瑞巌寺も1日で10kmぐらい歩いたかもしれません。松島で食べたずんだもちがおいしかった思い出です。)

みうら (2017-08-24):

なかたつさんの作品を久しぶりに読んだけれども、随分、変化されたのですね。というか、こちらが本性だったのだろうか。大賞を受賞された縁よりも、今作『星の誕生日』の方が個人的には好みに思う。 「この音はあなたに聞こえますか。」このフレーズががーーんときた。

なかたつ (2017-08-24):

三浦果実さん 変化したんですかね。それよりも書くことを続けたことで、勘が戻ってきたような。 それにしても、いずれも本性で、いずれも思い入れのある作品です。 「あなた」に呼びかけていると同時に、自分への呼びかけで確かめているんだと思います。


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