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センサイ   

弓巠 
作成日時 2017-08-16
コメント日時 2017-10-11

 

ただ弱さだけを尖らせて あの夏の光からあの雪の降る音から 綴いてきた ばらばらの自分も時間の流れも 何も与えはしなかった ただ弱さが育っていった 水晶のように刃のように 武器として 使えないほどに鋭く それで人を殺そうと思った日も確かにあって その破片がいまも駆り立てる、遠くまでも 思いたくもないことを思いながら 道端には浄められた血の 草草が生きていた 水を一つ所に留めて 名付けられることなく 風の音がした また、自由に歌わされる 僕が死んだ時には 弱さは世界に帰るだろうか 植物になって ありつづけるだろうか もしそうなら どんなに寂しいだろうか どんなに僕は無意味だろうか どんなに世界はいいだろうか


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まりも (2017-08-18):

一気に、二作、溢れるように投稿された、のでしょうか・・・ 合評を促進するため、一週間程度、間をあけることを推奨していますが・・・思わず出て来てしまった、そんな時は、そのまま勢いで「えいや!」と出すことも、また、有効なのかもしれません。 有効かもしれないけれど・・・こちらの作品の流れるような言葉を考え、こちらを先に作品として創作されていたのではないか。そして、そこから溢れた言葉を、一気に、もう一作の方に投下されたのではないか、という印象を持ちました。 作品の完成度としては、こちらの作品の方が吟味されていると思いましたが、最後のまとめ方が、急に意気消沈してしまった、というのか・・・ 水晶のような弱さ、弱いからこそ鋭利な刃物のような弱さ、それが、他者ではなく自身を傷つけ、その傷が、道端の草を育てている。そんなイメージを持ちましたが・・・〈弱さは世界に帰るだろうか/植物になって/ありつづけるだろうか〉ここを、もう一歩、詰めてほしい、と感じます。

弓巠 (2017-08-30):

まりもさん、コメントありがとうございます。 合評を促進させるためにわけて投稿するべきとのご指摘、ありがとうございます。次回以降参考にさせていただきます…… 最後に意気消沈してしまっている、というご指摘について、この詩においては、言葉をあえて投げやりに使う、大づかみに断定してしまうという試みを行いました。「いい」とか「世界」とかいう言葉ですね。 そういった言葉によって、逆に何か断定的ではないものを漂わせられないか、と考えました。ただ、まりもさんのおっしゃるように、やや戦略性が足りず、上手くいかなかったように思いますね……

なかたつ (2017-09-02):

 自らの「弱さ」を主題とした作品であって、弱さを見つめ、その形・行方をとらえようとした作品なのでしょう。それでも、そこだけに焦点が当てられているのではなく、「道端」から草草、留まった水といった転換もあります。これらのモチーフが一体どのような彩を与えているのかと言えば、自らの死後の世界を考えるヒントとして使っています。  弱さは僕の所有物でありますが、自らの内に秘めているものという当たり前を越えて、僕の死後、僕から離れていって、「植物になって/ありつづけるだろうか」という発想が挿入されています。つまり、弱さというのは僕が所有している種であると同時に、僕の内に秘めたものであって、僕が死なない限りは表に出ないものであるということなのでしょう。  僕が生きているうちは、僕の弱さは誰にも見られることがないが、僕の死後は植物となって、誰かの目に晒されてしまいます。そうやって一つの形を纏ってしまうことに対して、最後の三行が語られているのではないでしょうか。 「どんなに寂しいだろうか」  行くあてもなく、ただその地に根差すことしかできない植物への悲嘆。 「どんなに僕は無意味だろうか」  僕から離れて、僕とは無関係に育っていく植物=弱さ。 「どんなに世界はいいだろうか」  この一行だけ逆説的になっていて、僕とは無関係になった世界と植物=弱さがただただ自然に育っていくという摂理への希望なのでしょうか。

弓巠 (2017-10-11):

なかたつさん コメントありがとうございます。(返信が遅くて申し訳ございません) 抽象的な話になってしまうのですが、作中の「僕」の問題意識として、自らの死後に、「世界」というものがどのように変化するか、というものがあります。「僕」はその問題を紐解く上で、自らの弱さが「世界」に還元されていく、ということを重要に考えているのですね。生物を構成していた元素が、その生物の死後にも、消滅することなく、別の何かを構成しながらあり続ける、ということ、その意識が植物に仮託されています。 このような問題意識を、なかたつさんに読み取っていただき、また、新たな切り口を加えていただき幸いです。最後の三行に着目していただけたのもまた、嬉しく思います。僕はこの三行をを、あえて乱暴に書きました。というのも、「寂しい」「無意味」「世界」「いい」という言葉に対して、僕はその意味に暴力的なもの(あるいは、意味が信用しがたいとでもいいましょうか)を感じていて、むしろこのような暴力性こそが、先に挙げたような、生、死、世界、といった問題を取り上げる上では、そういった、ある種恣意的な物言いが必要だと、考えたからです。最後の「世界がいい」という表現に対しては、いかようにも捉えることができると思います。肯定的にも、投げやりにも取れる、そういう詩的な広がりを持たせたかったのです。


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