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夏の夢
第一章 1. 木蔭に佇んでいたというわけではなかったけれど、彼女は雨の中たしかに何か、なにかに護られつつ佇んでいるようだった。 クスッと笑みが浮かべられると黒い瞳が潤んだ気がして、降りゆく雨に海が浮かんだ— —「ねぇ僕は、君がなにかに護られているような、そんな心地がしてるんだ」 「神社とか、かしら?」 「その発想はなかったよ」と僕は笑った。 「わたし、自由に生きた〜いっ(笑)!!」 「いや、君らしいと思う。でも僕が言いたいのはね、そうして伸び伸びと羽を伸ばすように歩いていく、、いや、軽やかに飛び回っていくかな?…、っ」 「落ち着いて。聴いてるよ」 「ごめん、ありがとね。そうして飛び回っていく、軽やかに飛び回ってくための、たとえばそれこそ大元の浮力を、君はそのなにかからいつもいつも授かっている…、そんなイメージかなぁ」 「ごめんわたし、難しい話は分かんないや(苦笑)」 「あっ、、そっか…」 「あっでもいま思い出したんだけどね、たしか、オーストラリア先住民族のアボリジニだったと思うんだけど、彼らは神さまのことを、"サムシンググレート"って呼んでるって話を本で読んだことがあって、そのときわたし、なにかすこぶるおおらかな慈しみ、みたいなものを予感したんだ」 「水を差すようで悪いけどアレ?、サムシンググレートってふつうに英語、だよね?」 「あっ、言われてみれば!」 「今のアボリジニの人たちは英語を話していて、それでその、訳すると"偉大なる何か"という意味の、その元の、つまり昔白人たちが来る前に使ってたオリジナルの言語での"偉大なる何か"という表現を、今のアボリジニの人が英語に翻訳した、ということだろうか…」 「……」 「あっ、、またまた難しい、いやそれどころかなんだか、迷宮みたいな話になっちゃったね(苦笑)」 「ううん、いいの。晶生くんらしいよ(笑)」 2. 家に帰って自室に戻ると、なんだかドッと疲れが来た。急いで傘をも掻い潜ってきた雨に濡れたズボンを替えて、布団を敷いて横になった。微睡みの中で、愛果姉さんの瞳の海に幾百の星が煌めいた。しばらくカフェに行ってないな。だって恥ずかしいもの。好意に勘づかれたら、どうする。 美悠との会話を思い出していると、カットインするようにまたも愛果さんが現れたのだけど、その胸には緑の葉っぱ二枚がついてるだけだったから僕はぶったまげてしまった。アボリジニたちの森の奥から彼女が草を掻き分け歩いてくる—と思うやジャーン(!)とメリハリは控えめながらも、得も言えぬ気品漂う身体が目の前にあって僕は、そのとき初めて、彼女が肌色の腰巻に覆われていることに気づいたのだった。 ジャーン(!)とということの、その"ジャーン(!)"にいつの間にか連れ戻されクラクラした。けれどやがては、仄かに香り立つようなあの長い睫毛へと誘われていた。そこにははなから約束されていたかのような静かなる確信があった。そうだ愛果さんはそんな風に、これ見よがしに自らのボディを見せびらかすような人じゃあない。ひなびた町角が似合う女(ひと)なんだと僕は、いつもの夢へとやはり誘われていた。それはこの町に輪をかけて閑散とした故郷の町の、さらに郊外の中にある、ささやかなアクセントのような集落でのことで、秋口のうららかな光のなか二人は出逢うのだった。 それはまさに"ひょっこりと"という形容がふさわしい出逢いで、僕がノスタルジーに浸りながら町を、かつて通った小学校のある町の、その小さなロータリーをゆっくりと歩いていると愛果さんは、僕の右隣に後ろから歩いてきて、少し離れた距離を保ちながら(それは僕と彼女の距離感のようだ)も、溢れんばかりに親しみの込められた挨拶をしてくれる。そして僕はしゃちほこばってどもってしまう。それはもちろん恥ずかしいのだけど、同時にまた僕はどこかうれしかった。そこには、緊張してどもってしまうほどにあなたが好きですという、そんな暗黙のメッセージが、その瞬間、実は仄かに伝わったのではないかということへの身震いするような予感が、この胸のうちで、にもかかわらず静謐に燃えているように感じられることから来るのだろうと、僕は自分を分析した。すると、〈水色の焔を抱く男〉というフレーズが浮かんのだけど、"なんだかいかにも寂しいな"と、僕はそれこそなんだかしょんぼりとなってしまった。 3. サンサンとした陽光に緑たちが燃えている。あたかも我こそはと煌めき合戦をしているよう。"まるで5月に逆戻りしたような天気だな"と、近所の並木道を歩きながら僕は思う。行く場所は決まっていて、それは小ぶりのケーキたちの揃ったパティスリーだった。遠目に金色の取手が見えた—と思うやそれは今まさに開かれつつあった。出てきたのは果たして美悠だったから僕はまたまたぶったまげてしまった。何気に可愛らしいリボンのついた制服を着てて。 スーッと早送りするようにして僕はパティスリーに着いたのだけど、その途上で、やはり早送りのように美悠はスタスタ店内へと戻っていった。着く直前ほどに、どうしてだかシャインマスカットが浮かんで、あたかも、限りなく透明に近い黄緑の巨大シャインマスカットが店の上に成っているような錯覚を抱いた。 店内に入ると彼女が近づいてきた。やはり美悠だった。目を見開く彼女を見ながら"やっぱ美悠はボブカットが一番だな"と胸のなかニヤけていた。 「何よっ!?」 「えっ?あっ、、ご、ごめん。制服、可愛らしいね(笑)」 「こんなのが好きなのねぇ?」と悪戯っぽい笑みで。 そして僕は我ながら上手く矛先をクルッと変えた、つもりだった…— —「でもホント、その制服この店に合ってるよ。ほら、ここケーキが小さめでしょ?その黒リボンはその可愛いらしい象徴のようだ…、ハッ!」 「何度も可愛いらしいって言ってくれて、ありがとね?(笑)」 頬から火が吹くかと思った。 「ゆっくりしていってね」と言って美悠は奥へと戻っていった。その様子を見つめているとフワ〜っとしたものが彼女の背から逆行してくるようで、ややあってそれがタンポポなのだと気づいた。綿毛ではなくまあるい玉それ自体がゆらゆら仄揺れながら漂ってきた。そしてそれはただ一つだった。寂しそうだと思った。この山間の町で二人そっと手を繋いで、日々の水面に広がる波を、あるかなきかの薙のような揺らぎを、互いの胸に染み渡らせるように歩く明日を夢想しつつ、僕は思った。数多の厳粛な始発列車の運行や、遥かなる大陸への鉄の鳥の離陸が繰り返されるこの星で、ひっそりと、タンポポのひと玉を護り続けるように日々を織りなしていくことは、真夏の夜(よ)のビターチョコレートケーキのように重いのだと。 第二章 1. あと一歩というところで、扉はピシャリと閉じられバスは行ってしまった—たとえばそんな、キザな(?)語りでこの二章を始めたい気もしたのだけれど、やはりと僕は、ありふれたワンシーンから物語の—もとい、ささやかなお話の—、その端緒を開いてみたいと思い直した。その朝の空は鰯雲がいっぱいで、こんなにも空は伸びやかだったんだって、そうじんとしてると、気づいたときには胸のなかには瑞々しい草原が広がってたんだ。 今でも僕は、あの夏に、この身に起こったことは夢だったような気がしている。 たとえばとある蒸し暑い夜に、月灯りの下佇んでいる僕の背中を僕は見ている。月はもう少しでフルムーンになりそうだったけれど、しかしそれにはあと一押し、もとい二押しくらい足りなかった。 「ねぇわたし、白ウサギの目が赤いことを、この歳になって初めて知ったの」と愛果さんは言う—"言った"でなく〈このいま〉、あの甘やかで、ちょっぴりと演技じみてもいる声色が、どこからか漏れ聴こえてくるような気がする。 〈続いていく物語〉というフレーズが、豊かな胸の前に手を組み瞳を閉じた、草原を覆うほどに遠大な紺のシャツの女性とともに浮かんだ。僕は笑っていた。愛果さんはさながら波に、なってしまったようだったから。 2. 哀しいくらいのしとやかさで並木道の緑たちは連なっていた。そう思うのはあるいは、〈夏蔭〉なる僕の大好きな言葉のためかもしれなかった。 向かって左遠方に見えていたマッチ棒のようなそれは、徐々に近づいてきては黄の半袖シャツを着た女性になり、そうしてついには悩ましい臀部を、ピッチリとホットパンツに覆われた〈女〉になった。美悠のリボンが浮かんでは、ついでモンブランのてっぺんの栗が浮かんだ。高飛車そうな女だなと思ってるうちに左隣を過ぎ去ってしまった。 するとそれは訪れた。あの女性こそが胸の底から求めている女性なのだと、何かに撃たれたようになり振り返る。まるですべてを吸い込んでしまうような黒だとそのポニ—テールを見つめ続けた。 ツクツクボウシとともにケラケラと笑い合いながら美悠を目指した。黒リボンの美悠。同じ黒なのにどうしてああも違うのかと思う。下校路でおばあさんと肩を組んでしばらく歩くような美悠。偏見かもしれないけれどさっきの人にそんな経験はないだろう。 "カランカランカランカラーン!!"—こんなに大きなベルの音だったっけ?と驚く。スーッと美悠が向かってくる。すべてが無秩序なようで秩序立っていると感じていた。 「待ってたよ」と彼女ははにかむように笑う。 「待たせたね」と僕は目一杯の爽やかさで。 浜辺に小さな一つの、ヤドカリの貝殻が波に洗われる情景を見ていた。 「あっ、〈沖の小石〉ね」と、離れていた彼女が戻ってきた。 「これね、瀬戸内レモンを取り寄せて使ってるの。甘酸っぱくて、小さいけれどホントにおいしいんだから」 なだらかな斜面を覆い尽くすレモン畑を浮かべるや、すぐに、いやそれはみかん畑だったはずと思い直す。けれど似たような果物であることを思えばもちろん、果てしないレモン畑だってあるだろう。 「……ねえ、聞いてる?」 「あっ、ごめんよ。瀬戸内の広大なレモン畑を思い浮かべちゃってて」 「晶生くんって、ロマンチストでもあるのかな?」とやはり悪戯っぽく美悠は笑ったのだけど、その折りに初めて僕は、自分が人にはロマンチストに見られてはいないだろうことに思い当たったのだった。 どうしてだか夜の砂漠の孤城の上で、愛果さんが砂風に頬を痛めていた。やはり僕は笑っていた。愛果さんが彼女が今朝も淹れたに違いない、ありふれたコーヒーの湯気には〈寒〉の文字が描かれているような気がしてまた笑って。けれど愛果さんは30を過ぎながら、このいま彼氏がいないことは事実なのだよなと僕は思う。痛々しいことこの上ないと分かっていた。つもりだった。でもその心を押しとどめることはできなかった。 夢見るような雪原を降りていく心地だった。尻もちをついて、両手のひらで甘やかな冷気と戯れるように"歩いて"行った。もちろん僕は、どもりにどもってしまった。それでも彼女は、いやそれゆえにこそ彼女は、やさしく見つめ返してくれる—はずだった。 彼女の怯えたような表情の頬は、そんなはずはなかったのだけど蒼白く見える。薄緑色のカーテンを開けてみると、いつの間にか空はモクモクとした曇り空に変わっていた。その"モクモク"を感じられるかぎり、僕の心は水分を失うことはないのだと信じている。 そんな風に思うそばから僕はまた、砂漠に佇む愛果さんという情景に、気づけば目を閉じては吸い込まれている。 この青い星のなかでただ一人、星々の小さな小さなまたたきを抱き止める女(ひと)……煌びやかでありながら湖面のように静かな、亜麻色の瞳、だったから。たとえ幻想だとののしられようとも、僕は生涯その事実を抱いていく。
夏の夢 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 216.4
お気に入り数: 0
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ポイント数 : 0
作成日時 2025-10-26
コメント日時 2025-10-26
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 | |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


恋と言うよりは、愛、愛の重荷を徐々に軽くしようとした果てに生じた、恋愛劇なのかもしれません。あまり具体的に言及すると差しさわりが有るので、若干抽象的な言い方になりますが、愛の普遍性が恋の個別性を凌駕するまで、ラブを止めない、そんな決意が秘められていたような気がします、この詩を読むと。
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