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悲劇と諦観、そして時間への葛藤の末、永遠を希求する
あなたは優しくされたいと言うが、望みうる至上の優しさは、もしかしたら優生学によってもたらされるのではないか。ヨーロッパ人の優しさ、それは残忍な優生学の逆の方向での敗北の歴史なのだ。優生学もどうやら負けたらしい。そして優生学は人間に諦めという優しさを提供することで存在を存えた。人は諦観を共にした方が容易く生きられるのだろうか。悲劇を避けられるのなら自殺は遠のく。歴史上の多くの英雄は、決定的な敗北を受け入れ自死を選んだ。優しい諦観と共に生を長らえる道など選ばなかった。弱い者たちは来るべき歓喜の可能性を捨てさってでも生き延びようとする。そして自殺すらも生の延長のように、現代では無意識の内に捉えられている。いつか彼の地で私たちを捉えた永遠とも思える情熱。あれはどこに行ってしまったのだろう。世界は急速に凍える場所となっていった。一人一人の魂にとっては、という意味だが。 私は時間について考える。それが燃え立つ存在にとって最も肝心な要素だからだ。今朝、私は焦燥が精神にもたらす影響について考えていた。それが今はどうだろう。太陽の下を十分に歩き、真昼も近づく時刻となれば、時間による制約について考えている。青年期における多くのくだらない挑戦。私は人並みにそういうものをしてみた。その一つ一つの時間は短く、青春の終焉を迎えるまでに、どれほど積み重なろうとも、私たちを開放へと導かなかった。それが今の私をもたらしたのだから後悔はないが。そして私という一人の人間にとって時間という観念は以前とはまるで違っている。私はあなたたちに告げる。時間を恐れなさい。今や時間こそ思考の最高の対象である。共同事業の哲学すらも時間についての葛藤を要求する。その過程無くしては生にも死にも無抵抗なままで終わるだろう。世界は車窓から目に映る風景のように、この世界の乗客たちの気持ちをよそに流れ続け、生ある者たちも勝手に認識を変えていく。私たちが永遠の到来を待つのなら、一人一人が存在を運命づけられたその場所で、来るべきその時のために、時間による制約の形態について考えるべきなのだ。
悲劇と諦観、そして時間への葛藤の末、永遠を希求する ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 933.5
お気に入り数: 2
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2024-01-21
コメント日時 2024-01-24
項目 | 全期間(2024/12/10現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
劇烈な思想。延命治療的生存観の常態化に異論を唱えていらっしゃられ、甚く好感を懐きました。 われわれを制約するもの、制圧するものとしての「時間」つまり『生存‐死」の距離感覚に焦点を当てていらっしゃると。 現代版の「メメント・モリ」でございますね。死あらざれば世の何ぞかがよふ、と思いました次第でございます。 鮮やかに、堪能をさせていただきました。
0優生学は自然ではないから敗北したわけです。自然に逆らうことは、人間にはできない。 自殺、それは自然に逆らうこと。精神的な自殺をすることは、成長の上では避けられない。 心の中で殺し殺され、敗北し。 時間、時間とは人間的か自然的か。人間がいなくても自然はその悠久の時を過ごしている。 だが、人間のいない自然は一人ぼっちでかわいそう。ジャングルはまた違った摂理で存在する。 永遠は恐らくないと思いますが、人間の精神の高さに限界はなく、限界を設ける必要もない。
0私が上手く自作品を言語化できなかったことを言語化して頂き感謝します。
1そう。精神に限界はないが私の師匠の教えでした。
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