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母音が絡んできます。 aとiとuとeとo この5つです。厄介です。 自ずから発信している分にはいいのですが、 どこかからこっちに向かってくる この5つは厄介です。 aがぶつかってきたり、 iが上の点をボールのようにノックの如く打ってきたり、 uは刺又のように追い込んできたり、 eは釣り針のように引っ掛けてきたり、 oが縄のように身体を縛ってきたり、 母音が絡んで来ることを避けることになるのです。 でも、 aが寄り添ってくれたり、 iが椅子とクッションのようになったり、 uが磁石のように悪いモノをよけてくれたり、 eがクレーンのように僕を連れ出したり、 oが僕が自分を傷つけないよう動きを制してくれたり、 僕を守ってくれることもあるのです。 いざ接してみないと母音の性質を 見極めることができません。 強くなりましょう。何が来ても平気なように そしてお互い守りあいましょう。 その連鎖の先にこわいものが無いような気がします。
作成日時 2017-06-21
コメント日時 2017-06-25
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作品データ
P V 数 : 565.0
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
項目 | 全期間(2023/03/22現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
初めまして。ランボーの母音(http://poesie.hix05.com/Rimbaud/21voyelles.html)を彷彿とさせるようなアイデアを核に書かれた一作なのでしょうね。しかし、ランボーの有名作とは異なり、a/i/u/e/oの差異が書き込まれている訳ではなさそうです。母音が全て擬人化されています。母音は、あ、い、う、え、お、といった一語一語とも異なる、あくまで音(a、i、u、e、o)にすぎません。その音が、自分から、世界から、剥がれて、対象として、立ち現れる。本来、この状況を表す<言葉>はもう無いはずですよね。言葉の中に潜む音が引き剥がされてしまったのですから。しかし、この作品の中では、その状況が書き込まれている。引き剥がされることと、描くことの、不思議な連鎖が書き込まれているような気がします。情報が、生のまま、言葉を介さずぶつかってくることと、その情報を言葉をクッションに介しつつ描くことの連鎖。ということでしょうか。気になる一作です。他の方の読みもみてみたいところであります。
0花緒様 初めまして。ふじみやこと申します。コメント誠にありがとうございます。 まだまだ勉強不足でランボーの母音を知らず先ほど目にいたしました。 そこで改めて感じましたのが、私の詩の核の1つ、それも細い軸として【とんち】があるのかなと思いました。
0はじめまして。私も「ランボーの母音」を連想したのですが・・・あるいは、踏まえての作品だと思ったのですが、自由連想で母音に至ったのですね。音や響き、あるいはイメージよりも、まず、目に飛び込んできた形から連想しているところが面白いと思いました。 日本語は、常に母音と切り離せない。思いがけず遭遇するものごとのモロモロ・・・〈母音が絡んで来ることを避けること〉はできないのと同様、切り離すことはできない様々な事柄への連想に誘われました。 最後の連は少し唐突な印象も受けましたが・・・切り離せないものであるからこそ、見方を変えてみたらどうだろう。考え方を変えてみたらどうだろう。そんな反転のメッセージを強く感じました。おっしゃるように、とんち、生きる知恵、のようなもの、なのかもしれません。
0まりも様 はじめまして。コメントありがとうございます。 ふじみやこと申します。 最後のところはわざと持って行ったと同時に唐突な印象を拭えない点は懸念しておりました。 違和感を残さない書き方を意識したいと思います。 ありがとうございます!
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