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「羽化」
土の中で生きてきた。 木の根の雫、暗澹の中、美味くもないそれを、ただひたすらに啜っていた。 私が何をしたというのだろうか。 ただ、生まれてきただけでは無いか。 なぜ、この様な、暗い暗い奥の淵。 惨めな思いを舐め啜り、生きていかねばならぬのか。 闇の揺蕩わぬ上の地は、今日も光が当たるだろう。 燦然と輝く日の元で、彼らは陽だまりを歌うだろう。 何故、私にそれをさせぬのか。 何故、私はそれができぬのか。 淀み、穢れた私が行けば、そこで私は朽ちるだろう。 余りの光の眩しさに、余りの光の温もりに、私は膝を屈すだろう。 どうせなら、初めからそこで生まれてきたかった。 そうすれば、光の幸福を、爛れることなく受け入れられた。 どうせなら、最後までそこを知りたくなかった。 そうすれば、自分が惨めなど、死ぬまで無知でいられたから。 ああ、泣きそうだ。崩れそうだ。 だが、この泣き声は誰の耳にも届かない。 底の私の哭く声は、誰の耳にも打ちはしない。 嘲りが聞こえる。 誰の声か? 決まっている。 己の声だ。 その場に俯く私を、私の心は嘲笑うのだ。 何も為さぬ私を、何も持たぬ私を、私の心は笑うのだ。 何と愚かな事だろう。 何と惨めな事だろう。 ならば、ここで私は終わるのか? 愚かな私は、弱き私は、悲劇の私は、ここで静かに幕を引くのか? それは無い。 ふざけるな。 このまま終わってたまるものか。 生まれは不完全かも知れぬ。 育ちも哀れやも知れぬ。 才覚も、運も、何もかも、私は持ち得ぬかも知れぬ。 だが、それがどうしたというのか。 何も持たざるならば、これから持ってゆけば良い。 胸から湧き出る怒りはそうだ。 幸福なものへの怒りでは無い。 惨めさに縋る私への怒りだ。 そうだ。 土を掘れ、闇を掘れ。 そこから抜け出すために。 そうだ。 壁を登れ、這い上がれ。 怒りの熱で殻を破れ。 背中に生えた歪な羽は、陽だまりで生きる者にはさぞ醜悪にうつるだろう。 闇の淵で泣いていた私の声は、耳を塞ぎたくなるほど悍ましいだろう。 だが、それでも生きるのだ。 他の誰でも無い、私のために。 針刺す眼差しが向けられようとも。 五月雨が指を差そうとも。 たとえそれでも生きるのだ。 もう、嗤いは聞こえない。 あるのは自らの羽ばたきだけだ。 どこまで飛べる羽だけだ。 淵にあった惨めさが、遥か下に澱んでいる。 ああ、あんなに小さな物だったのか。 私を掴んで離さなかった物は、あんなに僅かな物だったのか。 もう、私は縛られない。 もう、私は諦めない。 空は青く澄んでいる。 光が何処までも満ちている。 飛んで行こう、何処までも。 羽を広げて、何処までも。
「羽化」 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 437.1
お気に入り数: 1
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2025-07-22
コメント日時 2025-07-23
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 | |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


無上の幸福と解放へと至る、虫の闘いが、真摯に描かれていると思いました。誰かほかの個体を、 見つけることは出来るのでしょうか?
1おはようございます。 胸から湧き出る怒りはそうだ。 幸福なものへの怒りでは無い。 惨めさに縋る私への怒りだ。 というところがとても良いなと思いました。なんとなく、誰かのせいにする方が楽な気がするのですが、それをせず自らと向き合う力強さに胸打たれました
2ちょっと即興で返詩を。 水の中で生きていた。 血の香りがする水の中、うまくもない液体が口に鼻に入る。 何をしてきたと言うのか、一人暗くぐちゃぐちゃ何かの中にいる。 私は何者なのか。 「一切の生きとし生けるものは幸いであれ」 言葉が聞こえる。 押し出される圧迫と共に体が動き出す。 狭い空間はから出ようにも、管が細すぎ、出られない。 声が聞こえる。 別な、焦る声が。 鎖が足に巻かれ、、圧迫のタイミングに合わせ引っ張られる。 何度も何度も引っ張られる。 少し足が出始めた。 それでも体が、あまり進まない。 ギリギリ、と別な音が聞こえてくる。 少しずつ体は出始める。 そうして私は生まれた。 呼吸さえできず、地面に横たわって。 ならば、ここで私は終わるのか? 愚かな私は、弱き私は、悲劇の私は、ここで静かに幕を引くのか? 光の中、歩くことさえできず。 何故、私にそれをさせぬのか。 何故、私はそれができぬのか。 「一切の生きとし生けるものは幸いであれ」 迎え入れた。 光の中、馬の顔をした何者かが。 「一切の生きとし生けるものは幸いであれ」 その言葉と共に。 そして私はまた回りだす。 大いなるものが回す車輪の中に組み込まれ。 飛んで行こう、何処までも。
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