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「ネグレクト」   

桐ヶ谷忍 
作成日時 2017-11-01
コメント日時 2017-11-16

 

買い求めた時と違い どれだけ手をかけても葉しかつけない 嫌気がさして放置気味にしたクチナシが 今年になって一気に五輪も花を咲かせた 匂いが好きだった どんな菓子も及ばないあの甘い匂いが 喜んだのも束の間 花は咲いても匂いがほとんどしない ただ真白い花びらが 見る間に茶色に染まり萎んでゆく そうだ 私は知っていたはずではないか こうなる事を クチナシは死期を悟ったのだ だから花をつけた 水も肥料もほぼやらなかった 幼い頃の私のように 愛情のない生育は 張りぼてのように花を咲かす 中身のない証拠の無臭 内実を伴わない笑顔を張り付けた私と どこが違う いつ死んでも良いように 精一杯の力で咲かせたのであろう その体温のない無言の花びらを撫でた 見捨てられても 泣き声も悲鳴もあげられない なんという事を私は うつくしい匂いに殊更惹かれたのに 受けた過ちをクチナシにも繰り返した まだ間に合うだろうか 私はじょうろに水をいっぱい汲んだ


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夏生夏生 (2017-11-01):

桐ヶ谷忍 さん 御作にコメントさせて頂きます。 タイトルを読んで、育児放棄のことが描かれた作品かと思いましたが、 クチナシの花について、その開花と匂いのない理由からタイトルの意味に戻っていく。 かなしい、切ない、苦しい、重い、といった感覚よりもなぜ、クチナシの花が香らないのか、の理由に辿りついたときの 凍結された心が割れていくような、溶けるのではなく、割れるような感じがあって。そこから崩れるのではなく、じょうろに水をいっぱいに汲んで 花に注ごうとするある種の「再起」が印象的でした。

花緒 (2017-11-01):

重層的というよりは、トリックが効いている作品のように思いました。初読の折は、下記の二行が、明るさや希望を感じさせる締めのように感じたのですが、2回目読んでみて、要するに水をいっぱい汲むと、花が咲かなくなるじゃん!ということに気付かされた次第でして、捻られたダークさがあるなと!穿った読み方なのかもしれませんが、ハッとさせられました。 まだ間に合うだろうか 私はじょうろに水をいっぱい汲んだ

まりも (2017-11-03):

自身を打擲していくような、重い、ぶれない詩行が続きますね。痛めつける「打擲」ではなく、粘土の塑像を叩き固めていくような、そんな「やわい思考」を打ち固めていく手つきを感じました。 感情が突出するところ・・・〈なんという事を私は〉この一行を入れるか、いれないか、入れるとしたら、一行アケにして、独立させる、という入れ方もあるかもしれない、などなど、この一行を巡って、しばし考えました。 花緒さんの思考回路、ひねり過ぎでは?と思いますね・・・花なんか咲かせなくていい、生き返ってくれ、という願いと読むのか・・・間に合わない、でも、自分の気が済まないから、と「諦めつつ」水をやる、のか・・・私は、本来の匂いを馥郁と漂わせる、くちなしらしい咲き方で再生してくれますように、という願いであり、自身への「水遣り」であるのかな、という気持ちで読みました。

桐ヶ谷忍 (2017-11-03):

夏生様 コメント頂きありがとうございます。 >花に注ごうとするある種の「再起」が印象的でした。 再起! そうですね、一言でいうならこの詩は再起を掲げていたように思えます。 私はいつもちゃんと自分が何を言いたくて詩を書いているのか分からないので、 このように端的に仰って頂くと、嬉しさと感謝でいっぱいになります。 どうもありがとうございました。

桐ヶ谷忍 (2017-11-03):

花緒様 コメント頂きありがとうございます。 私も「明るさや希望を感じる締め」だと思っていましたが、 >花が咲かなくなるじゃん! 確かに笑 少なくとも花緒さんよりは読み返していたつもりなのですが、頂いたコメントでそうなるのか! とびっくりしてしまいました。 どうも私は、全くの明るい詩というものが書けないでいるようです。 どうもありがとうございました。

桐ヶ谷忍 (2017-11-03):

まりも様 コメント頂きありがとうございます。 >自身を打擲していくような、重い、ぶれない詩行が続きますね。 いつものように降ってきた詩を書き留めたものではなく、一から考えて作り出した詩なので このお言葉はとても嬉しいです。 >〈なんという事を私は〉この一行を入れるか、いれないか、 詩誌に投稿する用に書いたもので規定枚数きっちり書いたため、自動的に一行あけられる余地がなかったのですが こちらに投稿する際は制限がないのだから、もっとよく考えてみれば良かったと思いました。 >花なんか咲かせなくていい、生き返ってくれ、という願いと読むのか 私としてはこのような思いを込めて書いたのですが、いや、やはり花も付けてほしいし匂いもさせてくれと欲張ったりもしましたし でも花緒さんに指摘して頂いたように、手を掛けたらまた花が咲かなくなるのかと思って言葉にならなくなったりしました笑 どうもありがとうございました。

静かな視界静かな視界 (2017-11-03):

切り口から中盤を経、しっかりと締めています。 文体の流れを作る巧さというものを感じました。 やはり、詩は技術も大切ですが、読みやすいというのも大切な要素であると思いました、この作品を読んで。

桐ヶ谷忍 (2017-11-04):

桐ヶ谷忍 (2017-11-04):

静かな視界様 コメント頂きありがとうございます。 >読みやすいというのも大切な要素であると思いました ありがとうございます、詩を書く上で多分2番目くらいに「読みやすい」というのを気を付けているので このコメントはとても嬉しかったです。 どうもありがとうございました。

fiorina (2017-11-05):

もしかしたら、気づかないわけでも愛情がないわけでもないのに、まるで目の端で見殺しにしてしまうというようなことがありますね。 そうされたとき、された側は長い時をかけその証を現してくる、すぐに泣き叫べばいいのに。 うちに秘めこらえてしまうその時間が、取り返しのつかないものとして突きつけられてきます。 香りのないという花は、そのときも無音で痛ましさが迫ってきました。 加害被害を逆転させ、自身に重ねたことにあざとさがなく、成功していると感じました。 花の無音と白さを読者の目に見せるために、少し言葉を削り余白も活かしたほうが、と思いましたが、 私自身、詩も書き方もさっぱりわからなくなっているさなかですので、野暮な感想かも…。

桐ヶ谷忍 (2017-11-06):

fiorina様 コメント頂きありがとうございます。 >うちに秘めこらえてしまうその時間が、取り返しのつかないものとして突きつけられてきます。 この詩の前提として、多分私はこういう事が言いたかったのだな、と気づかされました。 掬い取ってくれてありがとうございます。 >花の無音と白さを読者の目に見せるために、少し言葉を削り余白も活かしたほうが、と思いましたが、 このお言葉を昨夜から考えていたのですが…。 どこをどう直したら良いのか、いまだに考え込んでおります。 もしfiorinaさんだったこう書くというものがあったら、是非お聞きしたいなと 図々しく思いつつ。詩の書き方になにやら悩んでいるご様子なので、お聞きする事は叶わないかと ちょっと残念です。 どうもありがとうございました。

fiorina (2017-11-06):

桐ヶ谷忍さま >クチナシは死期を悟ったのだ >だから花をつけた >水も肥料もほぼやらなかった >幼い頃の私のように >愛情のない生育は >張りぼてのように花を咲かす >中身のない証拠の無臭 >内実を伴わない笑顔を張り付けた私と >どこが違う >いつ死んでも良いように >精一杯の力で咲かせたのであろう >その体温のない無言の花びらを撫でた >見捨てられても >泣き声も悲鳴もあげられない >なんという事を私は 上記引用部分は秀逸だと思います。 作者の個性である、心情を思い切り書き込むこれらの連を際だたせるためにも、 1,2連はより短くし、余白にゆだねた方がいいのではと感じました。 たとえば一連は、 クチナシが 今年になって一気に五輪も花を咲かせた これだけにすると、その後の展開がよりスリリングになり、 白いクチナシがまず読み手の目に映るかと思いました。 あくまで迷い中の私の印象です・・。

桐ヶ谷忍 (2017-11-07):

fiorina様 再度のコメントありがとうございます。 >クチナシが >今年になって一気に五輪も花を咲かせた なるほどーこうやってカットするんですか。 タイトルの「ネグレクト」と呼応するような文を少しだけまぶして、スッパリとカットしてしまうのも 確かに一つの手ですねえ。 私よく文章がくどいって言われるのですが、このカットの仕方を教えて頂き、どうくどいのかが 少し分かった気がします。 どうもありがとうございました。

るるりら (2017-11-09):

こんにちは。 わたしは、クチナシが好きです。なんども購入し、なんどもダメにしました。 クチナシの香といい姿といい素晴らしい花です。この詩を一読して、実体験をもとにした詩であると感じました。ほんとうに、どんな菓子も及ばない甘い匂いです。 私は、この花に魅入られた人、そしてダメにした人の話を たくさん聞いたことがあります。 購入してしばらくは、花をつけないと 口々に ぼやいておられました。 そんなに手間の必要な植物なのでしょうか?それにしては 適当な管理しかだれもしてないだろうと思えるような公園で たくさんの花をつけているのを見たことも あります。 また、この花の花後の姿は 正直、みすぼらしいです。この詩の写実は正確です。 うつくしく散る花ではないです。しかし、惹かれるのです。 ぼんやり かんがえていましたら、テレビから曲がながれてきました。 【雨上がりの庭で くちなしの香りの 【やさしさに包まれたなら きっと 【目に写る全てのことは メッセージ ユーミンの『やさしさに包まれたなら』です。ユーミンモマタ クチナシの花に やさしさを感じた人と言えるかもしれません。 クチナシは やさしさの象徴なのです。だからでしょうか、わたしも なんど 花をダメにしてきたも 購入するのです。 クチナシが、すぐに花をつけないのは、よくあることです。木の成長時期には 花をつけません。 花をつけたということは 花にとって青春の時期に入ったということだと思います。香が まだないのは この花は青春期に入ってはいるが、まだ 香らないということのような気が しますが、いかがでしようか? この詩の題名である『ネグレクト』といえぱ、先日テレビを観ておりましたら、成人しても かながなも 書けない現代人が今の日本にはいらっしゃるようです。さまざまな理由のひとつに、ネグレクトが あがっていました。 小学校にも 通わず ひらがなも書けないような子供も この日本にいるのだそうです。事情のひとつにネグレクトがあるとか。こどもが最初に出会う社会が親子だけの社会ですが、人を幸せにする力が言葉には あります。 言葉の力で 人は自由になる。 文字を知らない人は、きっと言葉を教える人に出会うと自由になることでしょう。 言葉が人を自由にしてくれます。 この『ネグレクト』という作品によって、わたしは ネグレクトに くちなしのイメージが 加わりました。 クチナシは 育てるのに時間の経過が必要です。ほんとうに、やさしさの象徴に ふさわしい花だと思います。やさしさという水を かけようとするとき、その人もまたすこし 自由になると感じました。

桐ヶ谷忍 (2017-11-10):

るるりら様 コメント頂きありがとうございます。 るるりらさんもクチナシお好きなんですね。 はい、実体験をもとに書きました。私もクチナシが好きなので。 >購入してしばらくは、花をつけないと 口々に ぼやいておられました。 鉢植えで買ったのですが、その時は満開で、あまーい匂いがしておりましたのに、それから3年経っても 花は咲きませんでした。 仰る通り、公園ですとか道路わきに植えられたクチナシなど、雨でしか水分とってないようなのに、元気に咲いてますね。 >クチナシが、すぐに花をつけないのは、よくあることです。 うわぁ、私は4年くらい手をかけてきたのですが、それでも花を付けない事がよくある事なら、この詩の前提が危機です! もっと調べてみたら良かったなあ。でも知っていたらこの詩が書けなかったし…悩ましい所です。 ひらがなすら書けない子達がいるとは…なんだか愕然としちゃいました。 ネグレクトって本当に恐ろしい。何の為に産んだのかと怒りが沸きます。 >やさしさの象徴に ふさわしい花だと思います。 素敵な結びつけをして下さり、嬉しいです。 どうもありがとうございました。

百均@B-REVIEW ON/ (2017-11-15):

ええですね。 花が咲くというのは僕ら人間にとっては基本的にいいことですよね。観賞用に育てる花なんだから綺麗に咲いてもらわないと困るわけで、だからきちんと世話していく。でもそうやって普通の手順で育つはずの花が咲かないと分かった瞬間に、放置してしまう語り手がいるわけで、そうしたら一気に花が咲く。 そのとき花も生き物なんだというところに気がつく訳ですね。花が死に際に花を咲かせる事を人間、語り手の思いに重ねていく。普通だったら子供を通じて書かれるであろう物語が、花を育てるという行為を通じて、より敷衍的に人の心の共通する意識に呼びかけていく。 子供をネグレクトした事がない人でも、育てた事がない人でも花を育てた事のある人には思いが通じるはずです。そして、僕は花を育てた事はありませんが、それでも心に来るものがあります。そこから僕はこの作品の意義を感じます。

桐ヶ谷忍 (2017-11-16):

hyakkinn様 コメント頂きありがとうございます。 >そのとき花も生き物なんだというところに気がつく訳ですね。 ああ、そうですねえ。 いや、知ってはいた筈なんですが、だからこの詩が書けたのですが 言葉にして意識した事がなかったので、なんだか妙に驚いてしまいました。 花を育てた事のないhyakkinnさんでも「心に来」させられて嬉しく思います。 ありがとうございました。


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