二〇〇二年 横浜 伊勢佐木町
私はその土地に不案内で
お目当てのソープランドを 見つけられずに焦っていた
セックスにありつけないだけで 死にたくなるような男だった
すると 片側二車線の道路を渡ろうとした
岡持を手にした作務衣の男が
クラクションを鳴らした軽トラックに はねられた
爆発にも似た 鼓膜にこびり付くような衝撃音
数メートル飛んだ 作務衣の男と 岡持と ぶちまけられた丼の蕎麦
酔っ払いが ありゃ死んだな と高らかに笑う
サラリーマンは 道端に屈み 書類を繰りながら
振り返ることなく 携帯電話をかけ続けていた
軽トラックは再び走り始めた
誰も 助けに行くことは無かった
私も 目を逸らして駆け足になっていた
その頃の私は まだ カステラプリンを知らない
あの日から 今日 カステラプリンを食べるまで
沢山の人が死に 葬儀が繰り返され
私も死を望み 入退院を繰り返した
顔も名前も知らない ひとりのパティシエが
この世界に カステラプリンを生み出した
私は皿の上のそれを フォークでひと掬いして
ゆっくりと ゆっくりと 噛みしめている
scroll
作成日時 2021-05-02
コメント日時 2021-06-19
作品データ
コメント数 : 19
P V 数 : 1761.5
お気に入り数: 1
投票数 : 5
ポイント数 : 7
#縦書き
項目 | 全期間(2023/02/09現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 3 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 2 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 7 | 3 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 1.5 | 1.5 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0.5 | 0.5 |
エンタメ | 0.5 | 0.5 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 3.5 | 3.5 |
閲覧指数:1761.5
2023/02/09 08時31分24秒現在
※ポイントを入れるにはログインが必要です
※自作品にはポイントを入れられません。
これ傑作じゃないですか? 最後まで読ませる。カステラプリンの甘さ、恐らく人生の緊張を緩和する甘さ、緩さの象徴であろうそれを軸にして、無関心で薄情な人々が記憶の向こうに遠のいたり死んだり消えていった様が描かれている。カステラプリンを食べることまたその甘さを知ることで人生を俯瞰する余裕が出来、あの時自分はある意味狂っていた、そして人々もというところまで描いている。詩情も余韻も凄い。文句なしの一票です。構成も満点ですね。
0『ゆっくりとゆっくりと噛みしめている』 そこまでの流れから最後のこの文にやられました。 カステラプリンを噛みしめながら、今まで見過ごしてきた、生死に向き合っている姿をイメージしました。とても良かったです!
0読ませていただきました。 誰も作務衣の男に関心がない。でも、語り手はそれを覚えていて、今カステラプリンを噛み締めている。過去と現在のバランスがすごいい作品だと思いました。簡単に死にたくなる人(語り手)がいて、簡単に死んでしまう人(作務衣の男)がいて、それらがカステラプリンを噛み締めることで浮き彫りにされている。見事でした。
0僕はコメントをなさっている方とは逆に、「精神的に弱そうな語り手は、本当に生死に向かいあい、人の世界を俯瞰しているのか?」という疑問が浮かびました。 「精神的に弱そうな語り手」というのは、以下のふたつの箇所から判断しました。 > お目当てのソープランドを 見つけられずに焦っていた セックスにありつけないだけで 死にたくなるような男だった > あの日から 今日 カステラプリンを食べるまで 沢山の人が死に 葬儀が繰り返され 私も死を望み 入退院を繰り返した このように語られていることから、精神的な障害または依存症的なものを抱える語り手の姿が推察されます。 ゆえに、まず僕の読みの前提としては、どうしても「信用出来ない語り手」の枠組みで読んでしまいます。 そうして語り手のことばに対して疑いをもって読んでみると、作務衣の男が死んだかどうかは確認できてないのですよね、実際。目を逸らして駆け足で去ってもいます。 またなぜ、「ゆっくりと 噛み締め」る必要があったのでしょうか。 ともすると、フラッシュバックする、誰かが死んだかもしれないのを見過ごした記憶を、なだめるための行為こそ、カステラプリンをゆっくり味わうことだとも解釈することができそうです。 「カステラプリン」でなくても、気を紛らわすような「何か」があればこのシチュエーションは成立するな、と初読の感想として思いました。だから、初め、カステラプリンそのものにメタファー性をそこまで感じていませんでした。(しかし、stereotype2085さんの「甘さの象徴」という読みも頷けますし、カステラとプリンというものを組み合わせたものが、生死の組み合わせである人生に重なるなんて考える人もいるかもなぁとも後から思いました。) そうなると、この作品の肝をどこに見出したかというと、生き死について吐露している割には、過去の事故についての反省とか省察ははっきりとしていないという、何とも言えない語り手のポーズです。 思い出だけでなく、そうした語り手のポーズも含めて、死から気をそらす人間のあり方が、読者にじわりと感じられるようになっているのが、この作品の妙なのではないかと考えています。
1コメントありがとうございます。 主観的記憶をほぼそのまま書き記したものなので、手放しに褒められてしまいますと、なんだか照れますね。本当に何も考えないで、カステラプリンおいしいなあ、と思いながら書いたんで申し訳ないくらいです。でも、自然に書けた作品がそれだけの評価に耐えうるものを持っていたとしたら、やはりとても嬉しいので、改めてありがとうございます。
0コメントありがとうございます。 最後の一行だけは、すこしだけ推敲したので、それが結果的に良い方向に行ったのは良かったです。カステラプリンは私の過去を癒してくれています。改めてお褒めの言葉ありがとうございます。
1コメントありがとうございます。 あらためて、過去と現在、生と死、とカステラプリンは、何なんでしょうね。よく分からなくなってきました。対比は描けたと思いますが、その対比が何を描いているのかと考えると、そこまで意味深いものは無いのだと思います。ただ、過去と現在や生と死と、カステラプリンの対比の輪郭を描きたかったのかもしれません。ですがそれが入間さんの心に印象的に残ったのだとしたら、改めて、お褒めの言葉をありがとうございます。
0コメントありがとうございます。 >「精神的に弱そうな語り手は、本当に生死に向かいあい、人の世界を俯瞰しているのか?」という疑問が浮かびました。 >精神的な障害または依存症的なものを抱える語り手の姿が推察されます。 >ゆえに、まず僕の読みの前提としては、どうしても「信用出来ない語り手」の枠組みで読んでしまいます。 これらの問いに関してはノーコメントでお願いします。私は精神障碍者の代表ではないので。 >そうして語り手のことばに対して疑いをもって読んでみると、作務衣の男が死んだかどうかは確認できてないのですよね、実際。目を逸らして駆け足で去ってもいます。 >またなぜ、「ゆっくりと 噛み締め」る必要があったのでしょうか。 >ともすると、フラッシュバックする、誰かが死んだかもしれないのを見過ごした記憶を、なだめるための行為こそ、カステラプリンをゆっくり味わうことだとも解釈することができそうです。 たしかに、こうした過程からカステラプリンを味わうことは、詩の語り手のエゴなのかもしれませんね。 >「カステラプリン」でなくても、気を紛らわすような「何か」があればこのシチュエーションは成立するな、と初読の感想として思いました。だから、初め、カステラプリンそのものにメタファー性をそこまで感じていませんでした。 仰る通りで、この作品において「カステラプリン」である必要性はないのですが、たとえば、貴方の初恋の人は、別の誰かでよかったでしょうか。そういうことです。 >この作品の肝をどこに見出したかというと、生き死について吐露している割には、過去の事故についての反省とか省察ははっきりとしていないという、何とも言えない語り手のポーズです。 >思い出だけでなく、そうした語り手のポーズも含めて、死から気をそらす人間のあり方が、読者にじわりと感じられるようになっているのが、この作品の妙なのではないかと考えています。 この作品の語り手は、ほぼ私と相似なのですが、やはり、こんな作品書いてるようでは人として駄目だなと痛感させられます。もっと善良に、健康に生きなければならない。中貝さんのご指摘を受けて、そう思いました。
0あと、僕は小林さんと「詩の語り手」とを全く切り離して見ているので、その辺は誤解なきようよろしくお願い致します。 この「詩の語り手」が、人としてダメだということを感じたのではなく、僕はこの語り手も含めた人間全てのどうしようもなさを感じました。
0カステラプリンが出てくることで、なんらかの効果があったとは思えなかったです。
0>あと、僕は小林さんと「詩の語り手」とを全く切り離して見ているので、その辺は誤解なきようよろしくお願い致します。 >この「詩の語り手」が、人としてダメだということを感じたのではなく、僕はこの語り手も含めた人間全てのどうしようもなさを感じました。 承知しました。ただ、残念なことにB-REVIEWというサイトでそのようなテキスト論的な読解をするユーザーはかなり少ないと思われます。私もテキスト論的な批評を期待していた時期がありましたが、すでに諦めながら今作を投稿したもので、それが結果的に先のようなコメントになってしまい、誤解を生む原因になってしまったこと、誠に申し訳ありませんでした。
0コメントありがとうございます。 仰る通りで、この作品において「カステラプリン」である必要性に対しては他の方からも疑問点として指摘されています。見返して冷静に考えると自分でも「カステラプリン」を活かした作品にはなっていないと今は思います。どうもカステラプリンに熱を上げていたようです。恋は盲目です。
0初めまして、こんにちは。 皆さんのようにうまく感想を述べられませんが、ご愛嬌にて許してください(笑) ある男性の最期。目的を果たすことなく、無念に散った男心なのかなと。 魂から肉体を見ている様を私は感じました。 物騒な街で、欲を満たそうと出向いた先での不慮の死。やるせない気持ちが「カステラプリン」なのかな〜?? カラメルソースは一番下。苦くてほろ苦さを感じる甘さを表現したかったのかな、と私ならそう感じたからです。 人の人生がカラメルプリンの例えなら、美味しいと思いました。 拙くてスミマセン(。ノω\。)
0ぶつかることに主眼を置いて読みました。 道路上で車と人がぶつかったら死にもつながる不味い事故ですが、カステラとプリンがぶつかったら美味しいお菓子が生まれるのだなあと。その対照的でありながらもぶつかるという共通項を見出せるモチーフが作品内でさらにぶつかることで、強引なほどにビビッドなコントラストをえがいているように思われます。
1コメントありがとうございます。 >ある男性の最期。目的を果たすことなく、無念に散った男心なのかなと。 >魂から肉体を見ている様を私は感じました。 興味深い読み解きだなと思いました。そういえば詩の語り手と轢かれた男が別人であることは明示されてないですね。mimiさんの読みの可能性もありうると思います。 >物騒な街で、欲を満たそうと出向いた先での不慮の死。やるせない気持ちが「カステラプリン」なのかな〜?? >カラメルソースは一番下。苦くてほろ苦さを感じる甘さを表現したかったのかな、と私ならそう感じたからです。 >人の人生がカラメルプリンの例えなら、美味しいと思いました。 カステラプリンが何の象徴なのかは読み手にゆだねたいと思いますが、まずこれだけは譲れないのは「『カステラプリン』って字面見ただけ、美味しそうでしょう?」ということです。その字面の美味しさを感じてくださったなら、この詩の目的は達成されています。ありがとうございます。
1コメントありがとうございます。 沙一さんに「カステラプリンを美味しいと感じたこと」が伝わっているとしたら私はそれで満足です。美味しさに対する不味さをぶつけてコントラストをはっきりさせたことが、結果的に「カステラプリン」という、固有名詞でありながらローコンテクストなイメージ伝達が可能な単語の伝達力をより高める結果になったようで、嬉しいです。
0やはりタイトルのカステラプリンに興味を持ちました。どうしてもそれまでの、カステラプリン登場以前の内容から、人の死体の比喩的な置き換えではないかと勘繰ってしまいました。伊勢佐木町と言う地名からはJPOPのワンモアタイム的な曲を思い出してしまいますし、詩を望む人物ではないかと勘繰りました。
0コメントありがとうございます。 この作品は本当にただただカステラプリンを食べて「美味しいなあ」と思って書いたものなのですが、死体の比喩という指摘を受けて、ひょっとするとそういうイメージを自分でも無意識に抱きながらカステラプリンを美味しいと思っているかもしれないと気づかされました。伊勢佐木町で起こったことは自分の記憶違いの部分もあるかもしれませんがほぼほぼ事実です。J-POPの舞台にもなっていることはあまり気にしていませんでした。
0人の中にいながら、そこには人がいないかのような状況の描写。 そしてやっと出会った魂を救うようなお菓子。 オリジナリティというものは、ないのかもしれない。でもこれを書いた人の人らしさがあっていいなと思いました。
0