武田地球「まいご」鑑賞 - B-REVIEW
新規登録
ログイン
PICK UP - REVIEW

書かざる言わざる、雄弁に水銀を

黙って笑ってろ、沈黙は金

これを見ているあなた、恥ずかしくはないんですか? 答えられないのですか。 なんでですか。 理由があるという訳でもないのですか? ああ、そうか。 全部、冗談だというのですね。

鳴海幸子

夏は夜。月のころはさらなり

田舎の夜道は暗くとも、恋は華やかで明るい——

沙一

あなたとどんぐりとハナミズ……

悪意のないホローポイント弾

ここには○○の残酷さが描かれている。 ○○が何なのかは、読めばわかる… …かもしれないし、わからないかもしれない。 感じ方は「人それぞれ」だから。

R

祖父の痕跡

黙想を貫いた彼が最後にみたものは…

祖父の遺物が並んだ「私」だけの世界… 彼の深層に踏み込むべく「私」は宝物箱に触れてしまうのか…祖父とは一体何なのか…

つつみ

直列つなぎ-うんこ!!(……

青春の現代詩

青春はいつも、エロくて汗臭い。そして切ないけど優しいところもあり、美しい瞬間もあるけど、昆虫たちも僕らも命を捨てて夫婦になることを受け入れる。それが生きるということだから。個人的には、僕は飯田華子さんの紙芝居を観に行きたい。

蛾兆ボルカ

ちがう星

ピッチャーとキャッチャーみたいだね

それから時々 おなじ星

のいえられこーず

いつまでもあいさつをしてゆ……

伝説の流行語はここから始まった

「かきかきたぶんしない」は伝説になった。わからない人には永遠にミューズは来ない。

のいえられこーず

粘土

こんにゃろっというやり場のない怒れる者よ

ほの暗い系男子がたどり着いた極北のモノローグがきみにはわかるまい

のいえられこーず

菊の花

2020年10月の裏番長/裏大賞

これの良さがわかるまで詩を書くんじゃない

のいえられこーず

死んだベテルギウス

地球は退屈な諦念に埋め尽くされてる

重力に支配された地球人にはわかるまい

のいえられこーず

風吹き抜ける青

残酷なロマンティズムがきみにはわかるまい

そのまま生き地獄で野垂れ死にするといいという孤高の美

のいえられこーず

ぢんせぃ

その喪失感は夢かうつつか

ネットとリアルがボーダーレスな、デジタルネイティブ世代の感性──

沙一

潮風

潮の香りにのまれるように

不思議な気配が手招きをしている

帆場 蔵人@⚰

空の下

大自然という舞台への出奔

二人が走り出す。広大な大自然という舞台へ。

羽田恭

明るい朝の歌

明るい朝のうらには、暗い夜があった

外をみつめることが、内をみつめることにつながっている──

沙一

震え 揺れ 回る

一気に詩情が注ぎ込まれていく。 それが 震え 揺れ 回る。 詩を詠み終えても、止まらない。

羽田恭

生きるためにパイを焼く

どうしようもなく生きていくということ

ただパイを焼く。それだけなのだけれど、衒いも奇抜さもなく心にぶつかってきて揺さぶられる。

帆場 蔵人@⚰

別れ

靴の哀しみ

歩くための存在でありながら、誰かが履いてくれないと歩き出せない存在が、絶望して待機してる

蛾兆ボルカ

パパの日曜日

しがない日常に飽きてしまったすべての人へ

ごく平凡な日曜日のパパが、壮大で絢爛豪華な世界へ旅立つ——

沙一

「中央公園より」

わかりあえなくたっていい

人種、国籍、性別、年齢、人間同士のわかりあえないディスタンス、そんなことよりも、おたがいに笑っていよう、ここはみんなの公園だから——

沙一

わたしの髪は生きているのか……

心を亡くしてしまいそうなときに

ささやかなお洒落をたのしむ、それは自分が自分であることをわすれないために、ひつようだったのかもしれない——

沙一

angel coffee?……

一瞬と、永遠

幸せなコーヒーと、降りやまない雨、好きな人といるとき、あなたならどちらを選びたいですか?

沙一

食べ物と死ぬ人

目が付いているうちに読みたまえ諸君

傑作。 目が付いているうちに読みたまえ、諸君。他に言うべきことはない。

石村利勝

別れ

余りにも挑戦的、だがそれがいい

数ある一行詩の中でも、想像力/表現力がとても高い作品。最初は(え、これだけ?)と感じることだろう。しかし、これだけ?からの作中世界の広がり方は、これだけ?発言が恥ずかしくなるほど広すぎるのだ。

ふじりゅう

ママンへ

散り際にも見えるママンの後ろ姿

無駄なくそつなく、それでいて大胆にママンに語りかける。「ママンへ」あなたはこの書き出しで何を思い、連ねますか?

stereotype2085

この作品は読んだことがありません。


批評対象
作品を読む

武田地球「まいご」鑑賞    

<批評対象作品>
まいご


 わたしは書物や考え事をする時によく散歩する。かつて赤羽に住んでいたことがあった。  急な坂の上にあるアパートからお気に入りのナイキを履いて、よく歩いたものだ。  赤羽は新興住宅地ゆえか、道が複雑に入り組んでおり、慣れないうちはよく道に迷った。  考え事をしながらだからなおさら迷う。そんな時、急に目の前に現れた墓地に幾度となく驚かされた。東京に住んでいた時分のことだ。  さて道に迷った。どうしよう。背後には夜の帳に包まれた墓が黒ぐろとそびえ立ち、どんどん心細くなってくる。わたしは考える。そうしてもと来た道を探すため、知っている場所の痕跡を探すため、目を凝らす。  この作品の話者もおなじく目を凝らす。 「住宅街にも墓がある」 「片方だけの手袋」  住宅街にも墓がある、という記述はもちろん住宅地以外「にも」墓があることを示唆する。  話者がやってきた道のり、あるいは住居の側「にも」墓があったのかも知れない。  片方だけの手袋とはまた寂しそうではないか。本来右手左手と揃っている手袋が片方だけ、ぽつねんと落ちている様は、所属する場所や地位を失った不安定感を表している。見知らぬ土地についてしまった所在なさを、手袋に仮託しているのかもしれない。  話者の凝視はまだ続く。 「坂道をくだる自転車は速くなる」  必死に標を探す話者に飛び込んできた動体。話者が坂の上にいるのか下にいるのか、それとも中腹にいるのかは分からないが、ともかく「坂道をくだる自転車」が見えた。その速度はもしかすると、不安に跳ね上がる話者の心拍の速度の上昇を表しているかも知れない。  また「坂道をくだる」に対して穿った読み方をすれば、それは状況がどんどん悪くなっていることを示唆しているようにも思える。探しても帰り道がわからない。焦りがどんどんひどくなり高まる鼓動。  そうして話者は諦めてしまう。 「わたしは急に、ふかい空をみてしまう」  完全にお手上げだ。ここがどこか分からない。Where am I ?の心境だ。  ふかい、は普通は深いと読むことが出来る。深いと通常言う時、人の目線は下を向く。しかし話者は空を見ている。空は常に上にある。普通はそうだ。しかし、その空を深いという。  考えられるのは2つだ。一つは空よりも上の視点から空を見た場合。つまりは宇宙からの俯瞰での視点。もう一つは、立脚点から地球の反対側の空を見た場合。アルゼンチンに広がる空はきっと足下にある。この2点において、空を上から見ることが出来る。  いずれも無理がある。なので、この「ふかい」という形容詞は例えば(色などが)ふかいという用法に近いと思われる。そうすれば慣用的な「闇深く」の用法と類似し、「深い色に染まった空」と類推でき、夕刻が近いというふうに読解できる。  「みてしまう」の「しまう」にも注目しよう。しまう、という補助動詞は自己が望まぬのにも関わらず実現してしまう事象を表す時に用いる。この場合は「{みるつもりはなかったのに}みてしまう」という省略を含んでおり、この動作が意図的でないことを表している。  さらにその前「それに」に注目しよう。  「それに」は、継続したなにかにさらに要素が追加された時に使う。  話者は凝視していた。「墓」「手袋」「自転車」それらに加えて、こんどは「空」を見てしまう。  「空」はどこにあっても「空」であるはずだ。自分のいる座標が変わってもそれが地上である限り「空」は変わらない。空を構成する要素の一つである雲や光は、時間や場所によって変化するかも知れないが、話者の置かれている迷っているというシチュエーションにおいては、空は自分の座標を特定する手段にならない。ならないのを分かっていても「みてしまう」。  完全にお手上げだ。帰れるのだろうか。それともこのまま、さまよえるオランダ人のように漂い朽ちてしまうのか。そうして諦めの境地へ至る。 「もう何も知らないことにする」  結局知らない道なんだから知らないということを受け入れたらいい。見たことのある「墓」見たことのある「手袋」みたことのある「自転車」そうしてみたことのある「空」。  知っているようなものを追いかけ続けるとそれが違った時に迷いは決定的になる。それならばいっそ、何も知らないことにすれば、新たな発見を得られるのではないか。  それでも、探してしまうのが人の情である。だって帰りたいのだもの。  そうして見つけた。手がかりを。 「枯れたいちごをみる」  そう。道すがらこのいちごを見た。やっと見つけた道標だ。この枯れるは墓に通じる喩として読むことも出来る。でも今は語らない。 そうして「まだ思い出すことがある」  必死に道を思い出そうとしている。  「もっともっと足音をたてずに歩く」のは、雑音でその記憶が途切れてしまうのを恐れるからだ。 しかし思うように思い出せない。自暴自棄になる。 「朝も夜もきらいだ」  朝と夜の違いはなにか問えば、明るさ、という答えが比較的容易にみつかるだろう。  初聯、2聯と目を凝らしていた話者なので、光の加減にも当然敏感であろう。  これは想像に過ぎないが、朝、何かを目的として出発し道を失い、そうして現在夜に至る。やるせなさのゲージはすでに振り切っており、その条件下では朝と夜を同等に嫌うことに衒いはない。自分が迷っていること、そのことへの苛立ちを自然現象、環境にぶつけてしまう。遣る瀬無さの極北にいる。  そうしていると不意に 「あんたはなにをいうとるんや」という声がする。  この声は父親だという。「墓」や「手袋」「枯れたいちご」など地理編められた死の象徴をみるに、もしかすると父親はは此岸にはいないのかもしれない。彼岸より声が聞こえたか。実際に聞こえた訳ではないだろう。記憶を探る過程で、その人より日常的に言われた言葉が思い出された。もしかするといままでで一番印象に残っている言葉なのかもしれない。  ここで、初聯の墓、2聯の枯れたいちご、が存在感を放つ。そうなると読みそのものを改めなければならないだろう。  住宅街にある墓は此岸と彼岸を結びつけるいわば道標のようなもの。日常の中にも死へのアクセスポイントは潜んでいる。私達は墓や仏壇に入れた位牌を通じて故人に語りかけることがある。これはきっと日本人なら誰でも経験のあるだろう文化的な行動だ。彼岸への中継地点を通過して、死そのもののいちごに出会う。もしかすると枯れた草がいちごと理解できたのは話者がかつて過去にいちごを枯らした事があるからかも知れない。過去から現れたいちご。  話者は「しらない道」に迷っている。それは喩として「しらない道」なのである。  死とは未来に確実に起こる現象であると同時に、過去に経てきたものである。人間が動物である限り肉体の消滅、死は避けられない。しかし死は本人の認識の消滅でもあるのでほんとうの意味で我々は死を認識することは出来ない。 我々が死を認識するのは、自分以外のつまりは他者の死だ。他者の肉体と認識が消滅するその現象を死として理解する。  話者はなんらかの契機によって彼岸と此岸の間に身を置いてしまう。もちろんそれは病気や死といった深刻な状況かもしれないし、それとも生きづらさや遣る瀬無さなのかもしれない。「片方だけの手袋」のように本来持っているはずの機能を失ったり「自転車」に乗っているような、例えば地に足がついていないその迷いの中で急に死へ向かう速度があがるような、遣る瀬無さの極北に到達した話者は、そこでもっとも印象に残った言葉を思い出す。 「あんたはなにをいうとるんや」  この言葉を受けて話者は「日曜日」がはじまったことを知る。  日曜日とはなにか。一見、キリスト教における主日、すなわちイエスが受難後復活した日として捉えがちであるが、新約聖書には日曜日にイエスが復活した記述はない。なので安易に彼岸からの復活の日、再生の象徴として捉えるのは難しい。  しかし、日曜日がなんであれ、それがはじまったことに、確実に気づいたのだ。ただ闇雲にさまよう道筋から、日曜日、そして月曜日、火曜日と続く日常のリズムに。彼岸に時間が存在するかは分からない。しかし此岸には確実に時間は物理現象と共に存在し、その認識こそが私たちを私たちあらしめる一つのきっかけとなっている。本来性といっては過言だろうか。話者はそこで自己の実存と対峙する。  「一人では見つからなかった」。父親(かつて存在した大切な存在、あるいは話者の対存在)から呼びかけられたその言葉はいわば本来性からの問いかけである。その事によって非-存から実-存へと話者は移行する。これこそがこの作品の主題なのではないだろうか。  さて話者にとって日曜日ははじまった。しかしそれによって「まいご」が解消されたとは、記述されていない。もしかすると話者はいまだ「まいご」なのかも知れない。しかし過去は気づかせてくれた。その気づいた「日曜日」をもとにやがて迷いから抜け出そうとするその行為が、もしかすると作者にとって詩を書くということなのかも、しれない。


作成日時 2021-01-24
コメント日時 2021-02-04

武田地球「まいご」鑑賞 ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 5
P V 数 : 840.6
お気に入り数: 3
投票数   : 1

武田地球「まいご」鑑賞 コメントセクション

コメント数(5)
武田地球
作品へ
(2021-01-24)

もなかさん、こんばんは。 丁寧な読解でたくさんのことを教えてくださって、ありがとうございます。 以前もお伝えしたかもしれませんが、 わたしが1000の詩を書いても辿りつけないところに、たった1つの読解が連れて行ってくれることがありました。 そんな経験をしてから、詩を書くことがもっと楽しくなりました。 目に留めて頂き、こんなに丁寧に読んで頂くこと、そうしてこんな風に書いて頂くこと。 わたしが詩を書いていく中で、何度あることでしょうか。 とても貴重でとてもありがたい経験だと思って、感謝しかありません。 それから、 わたしのような詩にもきちんと目線をあわせてくれること、もなかさんの詩への愛や、詩に向き合う姿勢を心から尊敬しています。 読解はこれからも、何度も何度も読ませて頂きますね。 自分をふりかえって勉強をしながら、絶対にもっとよい詩を書いて行きたいです。 本当にうれしかったです。ありがとうございました。

2
鈴木 海飛
作品へ
(2021-01-27)

【ポップで、ふかく地(球)味。】 もなかさんの日曜日に対する解釈が 私の想像と似ていたことに喜びを感じ、謎がとけた。目が開いた。そういうとき自分に詩が溶け込んでくる。 そんな時は実に気分が良い。 評と詩でほろ酔いにままに書き出してゆくことをお許しください。酔わせたの詩とあなたなのですから。 告白しますと 私はこの詩を読んであまり興味が注がれなかったのですが、評を読み、だんだんと美味しそうな匂いがしてきました。 興味が引かれなかった理由は 「日曜日の感触と概念」と「主人公の経験(レアケース)」 それらが私の感動する糸にとっては縁遠く、自分と結ぶものが薄いということ。 しかし、この理由は最初から気づいていたわけではなく、多くの人の感想、そしてもなかさんの「評」によるものでした。 日曜日の概念は休日。解放。休息です。 しかし私にとっては日曜日が労働日なので、そういう習慣やポピュラーさがなかったため、自分の価値観を詩に押しつけすぎていたのです。 主人公の経験はかなり稀少なものだけどよくよく考えれば、気づければ誰にでもあること。 そういう風に私のカンはとらえています。 そのへんは後述をテキトーにのべてゆくことで私のカンを言葉で近づけ展開できらとおもいます。 気づけば、誰にでもあること。 (最初の景色、一般的で、少し不気味な情景を並べたのはこれから起きる超経験に引きこむための下地、手段のようにも思えます。) ーーーーーーーーーーーー まいごはまいごでも本気のまいご。 24時間という首輪外しました。 朝と夜と季節を忘れました。 嫌いという感情だけは忘れにくかった すべて知らないことは自分にとっては防御で冒険で 忘れられることは、他人とっては自傷にみえたかもしええません。 「あんた、なにいうとんのや。(お前何いってんだよ。)」 この言葉いいですよね。 この言葉を言われた時は大抵、脳みそが痺れてなんか言葉につまる。 ハンマーでぶっ叩くみたいな言葉じゃないですか。 ある日、主人公はお菓子を食べていたのかも、情報番組のテレビを見てたのかも、いや日曜日知らないことにして、働かなくてもいいのに 働くことに頭を回していたのかも あくびすら忘れてね。 もしかしたら日曜日も働いていた。 日曜日に働くことも普通で正しいことだと、休みなしで働くことは悪いことではない。と そんなときに父親のツッコミ。 「あんたなにいうとんのや」 それは至近距離の除夜の鐘 親父のゲンコツに似た言葉。 それが日曜日を気づかせてくれた。 日曜日に気づく、日曜日を迎えるって瞬間ってなんか嬉しい。 ちょっと人間らしくなる感じがしますよね? そういえば、主人公のような経験。すべて知らないことにするのはレアケースだと思っていましたが 意外と自分も知らないことにしているようです。特に季節や時間をお祝い事などいつも思い出させてくれるのは、家族や友人の部分が大きいなとおもいます。 彼らがいなければ飯くって、スマホして寝て働くだけの生活でしょうね。 そうやって感じれば、 「まいご」という作品は誰でも見るような景色と言葉で作られていて、 ずいぶんいろんな人この詩を持ち合わせることができるポップさがあるなと思いました。

1
鈴木 海飛
作品へ
(2021-01-28)

酔いが覚め、大事なことを書き忘れていたことを思い出しました。 そうそう。日曜日のことを触れさせていただきます。 もなかさんは「まいご」をまいごとして精査し解読なさいました。 主人公は a lost childって感じ 評のなかでいちばんいいなーと思った文はここです。 『知っているようなものを追いかけ続けるとそれが違った時に迷いは決定的になる。それならばいっそ、何も知らないことにすれば、新たな発見を得られるのではないか。  それでも、探してしまうのが人の情である。だって帰りたいのだもの。  そうして見つけた。手がかりを』。 あくまでも主人公は帰ろうとしているスタンスですよね。 そして評の最後の方で 「あるいは話者の対存在)から呼びかけられたその言葉はいわば本来性からの問いかけである。その事によって非-存から実-存へと話者は移行す」 父からの言葉がトリガーになって lost man が現実にただいま。した感じ。 わたしは「まいご」をまいごでなく、すこし拡大解釈してある脱走として詩文をとらえていました。 escapeって感じね♪ 詩文の雰囲気に本当に帰りたいって気持ちをあんまり感じることがなく、 ところどころにコツンと帰ることに小骨を、抵抗を感じるのです。 (もちろん、ちょっとヤケになって、途方にくれた心情と汲む方が自然かもしれません。 。) あえて全部失うこと、白紙にして新しく始める。リセット願望みたいな感じですかね。 それを「主人公の経験(レアケース)」と表現しました。 そうして生死は不明ですが、 後ろからの父の声、言葉によって 日曜日に気づき人間性の回復や 人間性のリハビリといったものを見ました。 そうして、現実にただいま。 したと解釈しました。 私たちは主人公の心情にたいして もなかさん帰りたい↔️すずき帰りたくない という逆さまな読解とイメージをもちながらも 日曜日の頂上で現実への回帰 日曜日の頂上で現実への復帰 という景色をちょっと雲はかかっていますがお隣同士で見たような気がします。 だから嬉しくなって書いちゃいました。長くて冗長すみません。 お読みいただきありがとうございました。

1
もなか
武田地球さんへ
(2021-02-04)

武田地球さん 拙い鑑賞をお読みくださりありがとうございます。 この鑑賞はあくまで一つの読みの道筋を記したものであり、偏ったところもありますので、お声がけ頂きほっとしております。 わたしは地球さんがご覧になられていらっしゃる風景にとても興味があります。これからもご健筆でありますこと、お祈りしております。

2
もなか
作品へ
(2021-02-04)

鈴木海飛さん 拙鑑賞をお読みいただい、ご感想を頂きました事、ありがたく思います。共通する部分と相反する部分を含め、ご意見を頂き、わたしもこの作品の新たな魅力に気づく事ができました。重ねて御礼申し上げます。 わたしの感覚では、lostというよりはwonderingのイメージでした。 「帰りたい」という願望は当然、読者であるわたしが補完したものですが、「まいご」である状況が停滞しているという部分への焦りや不安といったものとして、別の表現をした方が良かったのかも知れません。もちろん、その点に関して本文では明記はされていませんので、色々な読みができると思いますが。 嬉しく思ったとのお言葉にわたしも嬉しくなりました。 どうもありがとうございます。

2

B-REVIEWに参加しよう!

新規登録
ログイン

作品をSNSで紹介しよう→

投稿作品数: 3