風車はまわる - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

着順は知らない

まるでショートフィルム

駆け抜ける風を感じて

ピム

伝記びりびり

言語と身体のきしみ

緘黙のぼくは祖父母の目の前で伝記を破ることにした。

r

明るい朝の歌

明るい朝のうらには、暗い夜があった

外をみつめることが、内をみつめることにつながっている──

沙一

犬のしっぽ

    遍界不曾藏  犬がしっぽを振る世界

湯煙

震え 揺れ 回る

一気に詩情が注ぎ込まれていく。 それが 震え 揺れ 回る。 詩を詠み終えても、止まらない。

羽田恭

生きるためにパイを焼く

どうしようもなく生きていくということ

ただパイを焼く。それだけなのだけれど、衒いも奇抜さもなく心にぶつかってきて揺さぶられる。

帆場 蔵人@⚰

別れ

靴の哀しみ

歩くための存在でありながら、誰かが履いてくれないと歩き出せない存在が、絶望して待機してる

蛾兆ボルカ

パパの日曜日

しがない日常に飽きてしまったすべての人へ

ごく平凡な日曜日のパパが、壮大で絢爛豪華な世界へ旅立つ——

沙一

「中央公園より」

わかりあえなくたっていい

人種、国籍、性別、年齢、人間同士のわかりあえないディスタンス、そんなことよりも、おたがいに笑っていよう、ここはみんなの公園だから——

沙一

わたしの髪は生きているのか……

心を亡くしてしまいそうなときに

ささやかなお洒落をたのしむ、それは自分が自分であることをわすれないために、ひつようだったのかもしれない——

沙一

angel coffee?……

一瞬と、永遠

幸せなコーヒーと、降りやまない雨、好きな人といるとき、あなたならどちらを選びたいですか?

沙一

食べ物と死ぬ人

目が付いているうちに読みたまえ諸君

傑作。 目が付いているうちに読みたまえ、諸君。他に言うべきことはない。

石村利勝

別れ

余りにも挑戦的、だがそれがいい

数ある一行詩の中でも、想像力/表現力がとても高い作品。最初は(え、これだけ?)と感じることだろう。しかし、これだけ?からの作中世界の広がり方は、これだけ?発言が恥ずかしくなるほど広すぎるのだ。

ふじりゅう

ママンへ

散り際にも見えるママンの後ろ姿

無駄なくそつなく、それでいて大胆にママンに語りかける。「ママンへ」あなたはこの書き出しで何を思い、連ねますか?

stereotype2085

名残の雪

美しいと思える作品だった

美しい空間を、踏む。踏むことで、汚す。踏むことで汚す、明示のされない寂しさ。本作にとって、雪を踏む行為、それだけが個の存在の証明なのだ。

ふじりゅう

例えば鳥の教え

色が付いたばかりの映画のように

情景の転調あるいは繋がりが「色彩」を基調にして、境界をあいまいにしながら広がる。

鈴木歯車

おかあさん

史上最強のタイトル回収

本文たったの6行、造作もなく読み切れ、詩人よ。 そして再度タイトルを見返し驚愕せよ、詩人よ。

name

空なんか見てんじゃないよ

淘汰

この詩はあるタイプの詩と詩人を淘汰するべく書かれている と言えば言い過ぎか。 要注目。

stereotype2085

はずしわすれた風鈴が鳴る

やさしくせつない短歌集

かたづけられない想い出、それでもめぐりくる季節——

沙一

春風に吹かれてる

だいじょうぶだあ

《なんてこたあ ないんだよ》 天国から呼びかける声が、聴こえる。

stereotype2085

永遠の反射

名作?それともただの習作?

ただの習作なのかもしれない。が、ここには作者当人も気付いていないかもしれない、天才がいる。俺の直観は当たるんだよ。人生で二回くらいは。

石村利勝

こんにちは まっさらな世界

「まっさら」の優れた表現

あなたの世界も「まっさら」ではないかな? 「まっさら」なのに、書けますか?

yasu.na

imagine

パンチング。

今からリーディング界隈を、ノックアウト。

stereotype2085

はっかといちご

詩における視覚要素の決定版

いわゆる視覚詩的なものは作ろうとするとパッと見の奇抜さで満足してしまい、それを行った理由に乏しくなってしまうことが往々にある。しかし「はっかといちご」はその域を超え、結晶の造形だからそこの効果を成せている。

渡辺八畳

独言少女

いつも終電に間に合う人生生きてますか

少女の独言は胸に刺さる。というか萌える。条件があって、少女は本当に少女でなくてはならず独言は本当に独言でなくてはならない。なのでこの詩は刺さるし萌える。

石村利勝

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風車はまわる    

「じゃあ、あるのに見えないものというのは何なの?」 「それは……冥土よ、あの世よ。見えてでも、ほんとは無え……のが、この世での……見えねけんどもほんとはある……のがあの世さね」 ——寺山修司『恐山』より 三途の川にかけられた橋を渡ると、そこはあの世の光景。といっても、私はまだ死んだわけではない。旅の涯にたどりついたのは、霊場・恐山。硫黄の臭いが鼻をつき、ごつごつと積まれた石の山が、さながら賽の河原のよう。その先には、美しく澄んだ宇曽利湖がひろがっており、寂光に照らされている極楽を思わせた。浮世離れした神秘的な風景を眺めていると、現実を忘れてしまいそうだ—— 「そこの旅の者」 声をかけられて振り向くと、白髪を無造作にのばした、よぼよぼの婆さんが立っていた。その風貌はどこか鬼婆じみていて、一瞬気後れしたが、なぜ旅の者だとわかったのだろうか、私は訊き返した。 「おまえさんのハイカラな服装を見れば、都会の者だとわかるわい」 洞察力の鋭い婆さんだ。 「おまえさん、わしのことを醜いよぼよぼの婆さんだと見ているな・・・ それは、おまえさんの心が映し出しているのぢゃよ」 (ええっ!?) 「ここの風景を恐ろしいと思うか、それとも美しいと思うか、それは見る者の心に依る。同じように、地獄か極楽かどうかも、その者の心に依るのぢゃ」 老婆に初対面でいきなり説教されて、私は面食らってしまった。 「まあ、わしのことを、お世辞にも女優に見えるというは無理があろうがの。ぢゃが、わしにだって、若く、華やかなころはあった。いまとなっては、夢のようぢゃがのう」くしゃくしゃにまるめた折り紙みたいに、老婆はしわだらけの顔をほころばせた。鬼が笑った。 思えば、この旅ではさまざまな女性に会った。どんな妙齢の女性も、いずれは年老いてしまうのだろう・・・ 「若いもんは、おおいに働き、学び、遊び、楽しむがよかろう。人生、いつなにが起きるかなんて、誰にもわかりはせん。あたえられた命、たいせつにせんといかんぞ。・・・」 いつしか老婆の表情からは、さきほどまでの快活な様子がうしなわれていた。どこともなく、しかし、はてしないものを見つめるように、目を伏せている。 老婆は、そばにあったお地蔵さんのまえにしゃがみこむと、掌を合わせた。その周りには、たくさんの赤い風車かざぐるまがまわっている。これらちいさな風車は、おさなくして亡くなった、こどもたちの霊を慰めるために供えられたといわれる—— 風は目に見えないが、たしかに存在している現象だ。霊魂というものも、目には見えないが、やはり存在しているのだろうか。まわる風車は、そのことを示唆しているかのようだった。 老婆はお地蔵さんに掌を合わせたまま、石になってしまったかのようにじっとうごかない。その背をまるめたうしろ姿が、ちいさなこどものようであり、ゆりかごのなかにまるまって眠る、嬰児の姿をも思わせた。人は老いると体がちいさくなり、こどもに還っていくかのようだ。それはだんだんと、生まれてくるまえとおなじところに、戻っていこうとしているのかもしれない。そしていつか世を去り、再び、この世に生を享けることもあるだろうか。 ——旅のおわりは、新しい旅のはじまりでもある。 霊の息吹のような風に吹かれて、たくさんの風車がくるくるまわっている。くりかえす、輪廻のように。


作成日時 2019-12-30
コメント日時 2020-01-04

風車はまわる ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 2
P V 数 : 725.0
お気に入り数: 0
投票数   : 0
ポイント数 : 9
#テキスト
項目全期間(2020/11/24現在)投稿後10日間
叙情性33
前衛性00
可読性33
エンタメ22
技巧00
音韻00
構成11
総合ポイント99
 平均値  中央値 
叙情性33
前衛性00
可読性33
 エンタメ22
技巧00
音韻00
構成11
総合99
閲覧指数:725.0
2020/11/24 09時38分21秒現在
※ポイントを入れるにはログインが必要です
※自作品にはポイントを入れられません。

    作品に書かれた推薦文

風車はまわる コメントセクション

コメント数(2)
千才森 万葉
千才森 万葉
(2020-01-03)

 ティアドロップは耳なし芳一でしたか。なるほど。そうなんですよ、わたしの知っている妖怪のようなものが登場しなかったので、操り人形的な妖怪かな~とか思ってましたね。そうですね、もう少しわかりやすく書いても良かったかなと、個人的には思いました。現実と幻想のぎりぎりですか。難しいですよね。  お邪魔します。輪廻は死後の世界での出来事なのでしょうけど、死に近づきつつある老婆を通して、現実世界にその片鱗を見る作品って感じがしました。テーマ性がはっきりしていた分、読みやすく解りやすかったです。そして、色々と試行錯誤しながら書かれているのが解って、作者の視点で見ても興味深い作品でした。  一年の終わりと言うことで、時期も合ってるんじゃないでしょうか。  沙一さんの作品で、引用を使ったのを読ませてもらうのは初めてではないですけども、冒頭に持ってきているのは初めてでしたっけ。なるほど、こんな感じになるのか~と。詩の世界では引用って賛否が割れたりするんでしょうか? 個人的には、オリジナルではない分、個人の力を示せていないので加点対象にはならないんですけども、そっくりそのまま言霊を移せるというのは、読んでいても伝わりやすいですし、便利だなって思いますね。  三途の川と風車、座る老婆は鬼か地蔵か。イメージがちょっと狙いすぎかな、とは思ったんですけども、風車と輪廻を掛けているのが効いていたために、新鮮さも感じられました。非現実感がありますけども、現実にある風景ですからね。  鬼のようなお婆さん、輪廻と風車。このテーマは個人的に好きですね。小説としては、多分色々な書き方があるんでしょうけど、これはこれで沙一さんらしさが出ている気がしますよ。  ここだけの話、御作は短編よりも短い掌編ってくくりになるかと思うのですが、小説って意外と短い方が難しかったりするんですよね。長編は根気があれば書けるんですけど(わたしは根気もないですけど)、短編や掌編って話を圧縮しなければいけないので、技術が問われるんですよ。わたしに技術があれば、どうのこうのとアドバイス等も出来たんでしょうけど。  詩としての良さを生かすなら、もっと比喩なんかでテーマをぼかしても良かったかなって気もするんですよ。でも、小説としてみるならあまり隠さない方がいいらしいです。この前、小説サイトのミニコンに『猫が書いた詩~』の中の、『かぐや姫壱夜』を投稿したんですよ。あれを持って行っても受賞なんかしないんですけども、公開されるので賑やかしになればなと思いまして。ちょうど、そのミニコンの回では、投稿された全作品に編集部からの寸評を付けるという企画をやっていまして、かぐや姫壱夜に付いたのが、こういうのは同人とかでやるならいいけど小説コンテストに持ってくるなら読者に理解を投げるのはお勧めしないといった感じの評を戴きました。まあ、あんな理解不能なのを投稿したわたしもわたしなんですけどね(笑)   とは言え、詩は読者によって読み方が変わるのが1つの良さかなって考えるので、詩と小説の垣根はまだまだ高いんだなって、わたしは感じました。  ああ、脱線してしまいました。  読みやすい、わかりやすいっていうのは、1つの良さなんじゃないかなって気がしているんですよ。そうそう、このシリーズは旅行記なんかのように、写真を付けても面白いかもしれませんね。  

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沙一
(2020-01-04)

千才森さんへ あくまで現実の範囲のなかで妖怪といった幻想をえがくこのシリーズも、今作で最後になります。どう落着させるかいろいろ考えましたが、東北地方ということもあり、この世でありながらあの世の光景がひろがる恐山は、ラストを飾るにはこの上なくふさわしい舞台であると思いました。 個人的に、恐山といえば寺山修司で、氏の作品中の台詞が今作と響きあうようにも感じ、勝手ながら引用させていただきました。ちなみに冒頭に引用をもってきた例は、去年の私の投稿作品に「古書店」と「つくよみ」があります。どちらも、短歌の引用になります。私の作品にも引用は賛否両論ありましたが、他者の言霊をそのままもってくるというのは、コラボレーションするみたいで、新鮮な感覚を覚えます。 試行錯誤は、しましたね。それまで千才森さんからもらった意見も取り入れつつ。輪廻と風車、気に入ってもらえてよかったです。今回はスピリチュアルな内容の文章が多いですが、最後ぐらいはちょっと思想的になってもいいかな、と思いました。仏教的なモチーフは、たしかに自分らしいです。鬼婆から鬼子母神(鬼神であったが自らの産んだ子を喪ったことをきっかけに仏に帰依した、子供と仏教の守護神)も表現しようかと思いましたが、お地蔵さんとの兼ね合いで焦点がぼやけてしまいそうなので、諦めました。 円環構造とまではいきませんが、「女優」という言葉をとおして、はじまりの『旅館』に出てきた女の子とのささやかな共通点をもたせてあります。 このシリーズはここでおしまいですが、主人公の旅はこれからもありそうな、終わりだけど静的ではなく、まさしく風車がまわるように、動的なラストにすることができたかなと思います。 実は、私自身は東北地方を旅行したことはなく、機会があればこのシリーズの舞台をめぐって旅してみたいなとも思いました。そうしたら、風景写真を撮って、旅行記みたいに作品に挿入したいですね。フィクションからはじまったリアルな旅も、おもしろいかもしれません。笑 千才森さんの『かぐや姫壱夜』は、古い時代のようでいて未来のSFであるような、判然としないところにおもしろみがあると思うのですが、千才森さんがもらった寸評からすると、小説ということであれば世界観などを仔細に表現し、読者への説得力をもたせる必要があるのかもしれませんね。詩は、反対に、いかに読者の想像力を刺激するかが大事になってきそうです。 小説と詩、どちらも文芸でありながら、方向性は大きく違いますね。だからこそ、その境を往き来することは、楽しいのかも。ちょうど、現実と幻想のはざまのように。 お返事が長くなってしまいましたが、それだけ思い入れのあるシリーズでした。書いていて楽しかったです。きっかけをあたえくれた千才森さんに、あらためて感謝します。ありがとうございます。

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