対話不足による緩やかな死 - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

猛犬

硬派な作品

萩原朔太郎や中原中也のエッセンスを感じます。

千治

体験記『呆気ない宣告』

それはあなたの現実かもしれない。

大概のことは呆気なくドラマティックではない。そうした現実の丁寧な模写が作品に厚みを増している。

ほば

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わかるということ

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ほば

ふたつの鐘がなるころは

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詩を愛するすべての方へ

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沙一

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シンプルに好き

あっす

パパの日曜日

パパの日曜日

いい

明林

終着点

生きる、その先に死地はない!

美しくさわやか、そして深い意味が込められたシーン、均衡の取れた心情と思想、強い意志で最終連へと迫る引き締まった展開、我が胸にこの詩文を抱いて!

yasu.na

九月の終わりを生きる

呼び覚ます声

夏の名残の暑さが去ろうとする頃、九月の終わりになると必ずこの作品のことを思い出す。

afterglow

こっちにおいで

たれかある

たそがれに たれかある さくらのかおりがする

るる

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奇妙な味わい

時の名前、おもしろい発想です。黒髪ワールド炸裂です。

yamabito

声明 流木から

詩人の生きざま

言葉と詩に、導かれ救われ、時に誤りながらも、糧にしていく。 赤裸々に描写した生きざまは、素晴らしいとしか言いようがない。

羽田恭

喘息の少年の世界

酔おう。この言葉に。

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羽田恭

魔法はある 犬ver

うまいと感じました(内容は15禁)

レスが少ない順から眺めていったんですが、埋もれてましたので掘り出しました。

yamabito

誰かがドアをノックしたから

久しぶりにビーレビ来たんだけどさ

この作品、私はとても良いと思うんだけど、まさかの無反応で勿体ない。文にスピードとパワーがある。押してくる感じが良いね。そしてコミカル。面白いってそうそう出来ないじゃん。この画面見てるおまえとか、そこんとこ足りないから読んどけ。

カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

最高です^ ^ありがとうございます!

この詩は心に響きました。とても美しく清らかな作品ですね。素晴らしいと思いました。心から感謝申し上げます。これからも良い詩を書いて下さい。私も良い詩が書ける様に頑張りたいと思います。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

これ大好き♡

読み込むと味が出ます。素晴らしいと思います。

きょこち(久遠恭子)

初恋

輝き

海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

アオゾラの約束

憧れ

こんなに良い詩を書いているのに、気付かなくてごめんね。北斗七星は君だよ。いつも見守ってくれてありがとう。

きょこち(久遠恭子)

藤の花

紫の香り

少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

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暖かくて、心から感謝申し上げます。 この詩は誰にでも開かれています。読んでいるあなたにも、ほら、あなたにも、 そうして、私自身にも。 素晴らしいと思います。 ありがとうございます。みんなに読んでもらいたいです。

きょこち(久遠恭子)

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カッパは黄色いのだから

良く目立ちます。 尻尾だけ見えているという事ですが、カッパには手足を出す穴がありますよね。 フードは、普通は顔が見えなくなるのであまり被せません。 それを見て、僕はきっと嬉しかったのでしょう。健気な可愛い姿に。ありがとうございました。

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あなたのために

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あなたには「十月」が足りていますか?

もし、あなたが「今年は、十月が足りてない」と お感じでしたら、それは『十月の質』が原因です。 詩の中に身を置くことで『短時間で十分な十月』を得ることができます。この十月の主成分は、百パーセント自然由

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sorano

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対話不足による緩やかな死    

 栄養が偏ると、緩やかに死んでしまうと言ってもいいかと思います。様々な方々の研究や教育、その内容の発信のお陰もあってか、サラダや野菜ジュースは安定的に売れていると考えてもいいかも知れません。  では対話はどうでしょう?対話不足による緩やかな死というものがあると思いますか?私は、あるように思います。インターネット上の世界、現実社会を問わずそれはあるように思うのです。  ここまで書いて面白いなと思いました。と言うのも、インターネット上の世界の対として現実社会と書きましたが、考え方によってはインターネット上も現実社会であったりもしますよね。この場合、私がこの文章の中で、ある言葉Aをどんなニュアンスで、どんな関係性の下に使いたかったのかということが大きく作用していると思いました。言葉の辞書的な意味だけで語るなら、インターネット上も現実社会だと思います。  このようにある方が述べられている話の中で、どんな言葉が使われ、その言葉にはどんな意味が与えられ、あるいはどんな関係性が用いられているのか等々、私たちが相手の方にまず聴くという姿勢を持たなければ、積み重ねてゆけないものがあるのかも知れません。  ここでは、それぞれを以下のように仮定したいと思います。 討論:勝敗を決める為のもの。 議論:最も良い答えを出す為のもの。 対話:勝ち負けを決めたり答えを出すことを目的にせず、互いの違いについてより知り合う為のもの。  以上です。  さて、何だか偉そうな口ぶりに聞こえるかも知れませんが、どうか温かな眼差しで接していただくと共に皆様の胸を借りさせていただけたら幸いです。自身、この取り組みを始めることに不安を覚えますし、何より恐れを抱いています。そしてそれを意義深い痛みであるとも考えています。チャレンジです。  B-REVIEWの仕組みの事情から、来月3月末までコメント機能の使用が可能となっています。これから2ヶ月弱という期間限定の対話、皆様と有意義なものに出来れば嬉しいです。それでは何卒よろしくお願い致します。  追伸  対話の期間が僅か2ヶ月弱というのは長くないと考えています。個人的には、生涯を賭けても相手に対してわからないことがあるという者同士の、ある意味では不快感すら伴う関係が、切れずに維持され続けることがもっとあっても良いと考えるからです。その為対話に時間制限を設けること自体がコミュニケーションに含まれる暴力性と良い付き合い方が出来ていないことは認めつつも、まずは何事もチャレンジという気持ちで始めています。


作成日時 2023-02-10
コメント日時 2023-03-16

対話不足による緩やかな死 ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 69
P V 数 : 3677.2
お気に入り数: 0
投票数   : 7
ポイント数 : 8
項目全期間(2023/06/02現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
可読性55
エンタメ33
技巧00
音韻00
構成00
総合ポイント88
 平均値  中央値 
叙情性00
前衛性00
可読性55
 エンタメ33
技巧00
音韻00
構成00
総合88
閲覧指数:3677.2
2023/06/02 03時45分48秒現在
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    作品に書かれた推薦文

対話不足による緩やかな死 コメントセクション

コメント数(69)
いすき
作品へ
(2023-02-10)

なんのはなしをしようかな

4
いすき
作品へ
(2023-02-11)

問題意識について

2
いすき
作品へ
(2023-02-11)

いや違うかな。クヮンさんはなにについて話したいのかな

2
柳煙?
作品へ
(2023-02-11)

このかた、本を全く読まないらしいけれど、ビーレビないで、いちばん聡明なきがする。権威主義に染められたわたし

4
三浦果実
作品へ
(2023-02-11)

個人的な意見として私は今のフォーラムを使う気はさらさらなくて、イージーな使い方の質問とかには気がついたら答えるにせよ。 で、この作品はとても好意的に受けています。概ね1年定期で運営者の交代をすることが望ましく、これについて、三浦が口出しすると話がややこしいので言いたくない。けれども、やはり誰かがけしかけないと、誰も挙手しない。これは現運営への批判ではなく当たり前なこととして言うけれども同じ人が一年以上やると必ず腐りかけてくる。こっちはボランティアでやってるんだと言いたくなる。これは常にあることで誰かが悪いわけではない。仮に悪い人がいるとしたら、傍観者。ユウさんといすきさんには次期運営をぜひやって欲しい。もう一度、ビーレビに情熱を持ち込んでください。一年定期というのは腐る防止云々の一方で「たった一年間だったら誰でもやれる」という良さがあります。一年間、対話によるノーカード、全員詩人を訴えて燃え尽きてください。ぜひ、三浦にその屍をみせてください。理屈なんていつまで経っても練習試合でしかありません。早く本番を始めてください。フルオープンの場で運営に名乗りを上げ、現運営にオファーを入れ、それから、誰も来ないかもしれない会場で衝撃的なデビューを飾って下さい。期待しています。直ちにやりなさい。

7
クヮン・アイ・ユウ
いすきさんへ
(2023-02-11)

>問題意識について いすきさん、コメントを下さりありがとうございます。三つ目のコメントで >いや違うかな。 と述べられているのですが、それでもやはりいすきさんから初めに出て来た言葉について興味を抱いたので辞書で調べてみました。 以下引用内容 「ある事態などに対し、その重要性を見抜いて、主体的にかかわり合おうとする心の持ち方。また、その内容。「問題意識に欠ける」」 以上 引用元 https://kotobank.jp/word/%E5%95%8F%E9%A1%8C%E6%84%8F%E8%AD%98-647262 いすきさんの述べられた言葉の意味は、概ね上記の内容で良かったでしょうか?そう仮定して書き進めます。「事態」とは「物事の状態、成り行き」を意味するそうです(こちらも同様の引用元からの引用ですが詳細な説明を省きます)。 ここでは、いすきさんがどのような「ある事態」について心を向けているのだろうということに関心を抱いたので、お返事を書かせていただきました。

0
クヮン・アイ・ユウ
いすきさんへ
(2023-02-11)

いすきさん、コメントをくださりありがとうございます。本コメントは先ほど投稿したつもりだったのですが、誤って消してしまったようです。その為順番にお返事をと考えていたのですが順番が前後してしまいました。ごめんなさい。もう一度書きたいなと思います! >なんのはなしをしようかな いい響きの言葉ですね。私が心の中で(なんのはなしをしようかな)と考える時は、話題に困った時か、楽しくて仕方がないという時です。今はもちろん後者です!さて、なんのはなしをしまししょうか!

0
クヮン・アイ・ユウ
いすきさんへ
(2023-02-11)

いすきさんコメントありがとうございます。 >いや違うかな。クヮンさんはなにについて話したいのかな いすきさんや他の方々(まだ出逢っていない人も含め)と話したいことはたくさんあります。ただ本作を投稿した私の問題意識は、やはり対話不足に向けられているのだと思います。 これはあくまで私が個人的に感じていることなのですが、私より10、20年上の方々の中には、ある意味では言葉のやり取りこそ乱暴でありながら、そしてお互いに不快感を抱きながら、それでも長期的に相手と繋がり続ける力がある方が多いような気がしています。ツイッターだと、すぐにブロックすることと、ミュートにしつつも時々ツイート内容を見に行くことの違いみたいな。あと、プロレス的なものの美しさがわかるかどうかとか、いろいろ考えます。あまりいい例えではないかも知れませんが。年齢の話は主観的なものでデータもないので一番言いたいことではないのですが、年齢問わず前述の力の有無はとても重要なものじゃないのかなと思っています。 いすきさん、語らせていただき、ありがとうございます。

0
ほば
作品へ
(2023-02-11)

今の社会では対話ですら、というかあらゆる他者への行為が時に暴力となることがあると思います。そして言葉に敏感です。文脈や含意を込めても伝わらずに、切り抜くように言葉がやり取りされがちだと思います。 良く言われますがTwitterなどのSNSでは文字だけでやり取りするために、その相手の仕草や表情は見えません。クヮンさんが 10、20年上の方々の中には、ある意味では言葉のやり取りこそ乱暴でありながら、そしてお互いに不快感を抱きながら、それでも長期的に相手と繋がり続ける力がある方が多いような気がしています。 書かれたことは僕も感じていて、文字情報に偏りがちなSNSコミュニケーションが過剰にある時代に育ったかそうでないかも関係しているように思います。 ただ、そうなるとそれぞれの世代間でのみ通じるものに、なってしまい。時にその差異がハラスメント(もちろん間違いなくハラスメントである場合もありますが)になってしまうのかな、と思います。 ちょっと話がズレました。ん、で文字のみで対話するからこそ言葉を尽くす必要があります。 例外としてわかってる同士の罵倒のような短い対話もあるけど、なかなかそこは共有できんよね。 この場では作者も読者もいるけど、作品がまずあり作品と対話(読むこと、読解すること、批評すること…)しますよね。まずはそこから楽しんで、次に作品を囲んで対話したいですよね。 ん〜、色々、まとまんないけど、とりあえずはそんなことを思いました。現実的に対話をするなら傾聴して、相手を知ってからでないと難しい。ただそれがその人の詩を深く読むことと繋がっている気もします。 わけわかんないよね。またた来ます。

2
クヮン・アイ・ユウ
柳煙?さんへ
(2023-02-11)

柳煙さんこんにちは。コメントを下さりありがとうございます。 「このかた」って私のことでしょうか。「聡明」について辞書を引きました。相応しい人間であるかはわかりませんが、言葉をかけて下さりありがとうございます。 私はどうでしょう。聡明には「理解力が早いこと」という意味の記載もありました。そこに来て今度は「早い」と「速い」の違いを調べていました。理解するまでに必要とする時間が短いという意味として受け取ったのですが、どうなんでしょう。私は早いも速いも縁遠い人間だと個人的には思っています。「聡明」には他に「賢いこと」という意味もあり、賢いって何だろうと考え、また辞書を引いていました。複数ある「賢い」の意味の中で、要領は良くないなぁと苦笑いをしました。他に「知能にすぐれている」ともあり、知能についても調べていました。すみません。こんな感じでやはりはやさとは無縁な人間です。 言葉をかけて下さり嬉しいです。ありがとうございます。 >権威主義に染められたわたし 「権威主義」についても調べました。権威は支配し服従させる威力であり、ある分野で優れていると信頼されていることを指すようですね。 「わたし」って柳煙さんのことですか?そうなんですか?どのような理由からそのように語られるのかはわからないのですが、「染められた」という表現からはどこか不本意な結果に対する想いを感じます。

1
クヮン・アイ・ユウ
三浦果実さんへ
(2023-02-11)

三浦さんコメントありがとうございます。フォーラムの件、以前にも書かせていただいたのですが、もしかしたらあの機能は、コミュニケーションを行う際に人間性を頼りにしたり、信頼を積み重ねたりすることと連動出来ないものかも知れないなと考えています。逆に人間性や信頼とは離れた地点で、情報の数や質を高めること(集合知的なもの)に適性があるのかも知れません。 その考えから、記名制のもとにやり取りが行える投稿作品ページのコメント欄で、人間性を頼りとしたり信頼を積み重ねたりしていくコミュニケーションがいつか行えたらいいなと考えていました。 三浦さんのお考えを受けて、私の受け止め方をお返します。それはつまり、ある種の権威は一年という時間経過の中でその新陳代謝を要するという趣旨でよろしかったでしょうか? 私はB-REVIEWのサービス開始初期から利用させていただいているので、今日までのこの奇跡とも呼べる運営の方々のリレー、バトンパスを見て来ました。ただ、その全てにおいて、どのようにパスがされて来たのかを細かく知っているわけではありません(例えばAさんからBさんへお誘いがあった等々)。ですが、確か存続の危機に立ち上がった方が居たお陰でサービスが継続されたこともまたあったことを知っているつもりです。 >仮に悪い人がいるとしたら、傍観者。 これはより具体的に言うとどんな人のことを指すのでしょうか。例えば水の流れが停滞しているということを認識するタイミングは、人によって異なると私は思います。それは状況をどう受け止めるかが人によって異なることとも関係が深いのではないかと考えます。 ここで初めて私は自身の考えを述べますが、運営の方々に対して感謝はあってもそれ以外のネガティブな想いはないのです。より正確に言うのであれば、感謝する心を上塗りするだけの他の想いがないということです。能動的な想いで取り組まれている方々を信じていると言うと少し奇麗過ぎる表現かも知れません。ですが今はそういう想いがあります。 難しいですね。書いていて自分でもうまく頭がまとまらないところがありました。 少し話の視点が変わりますが、営利活動でなく、それこそボランティア活動って継承されていく道にはどんなものがあるのだろうと考えました。1.(公募も含め)現メンバーが外部の人を誘う。2.グループ内からリーダーを選出する。3.存続の危機を知った人が名乗り出て引き継ぐ。あまり頭が働かず複数思いつきませんでした。B-REVEWはどういった道を歩んで来たのでしょう。 >次期運営をぜひやって欲しい。 お声がけ下さり、ありがとうございます。あくまで一利用者としての三浦さんからのお言葉だと認識していますが、お言葉をかけてもらえること自体の有難さと共に恐縮しています。 >「たった一年間だったら誰でもやれる」という良さがあります。 そうですね。この考え方は今後の継承課題に対面する際にも活きるものだと思います。 三浦さん、自身の有限な命と言うと大袈裟ですが、それをどこにどう注ぎ込むかというのは重要なことですね。皆さん日々その選択をされている。私も今回の投稿はチャレンジでした。三浦さんからすれば「練習試合」に見えるものでも、私には本番、試合だったりもします。それはもしかしたら、互いにどこから何を見ているのかが異なることで生じる違いなのかも知れません。私は、対話不足は多くの人間が死んでしまうことに(今のところは)緩やかであっても、確かに影響してしまうことだと考えています。B-REVIEWには言葉による表現に情熱を注いでいる方が多くいらっしゃるので、胸を借りたい、もっと偉そうに言うなら、種まきと醸成を行いたいと思っているんです。やはり少しでも世界を良くしたいと夢見てしまうので。

3
AB
作品へ
(2023-02-11)

ユウさんはじめ、コメントされてるみなさんすごいなと、同時に耳が痛いなという気持ちになりました。 多分、多くの方が、そう感じるのではないかと勝手に思っています。 間の悪いコメントですみません。討論、議論、対話の定義、それだけでも感動します。

2
クヮン・アイ・ユウ
ほばさんへ
(2023-02-11)

ほばさんコメントを下さりありがとうございます。ほばさんを含め皆さんとこうしてお話が出来て嬉しいです。 >あらゆる他者への行為が時に暴力となることがあると思います。 そうですね。相手からの言動を受け止める側の声が重視されている状況が今の社会にはあるように思います。もしかしたら、これまでは行為者と被行為者それぞれの声の届き方が今とは逆だったのかも知れません。安易に今が良いとも昔が良いとも言えないのですが、引き続きよく考えていきたいなと思っています。 関連して思うことを書かせて下さい。Aggressivenessという言葉には、肯定的な意味である積極性と否定的な意味である攻撃性という意味があるようです。私はこの言葉の存在を自身が生きていくうえで大切なものであると考えています。発信行為にはどうしてもどうしても積極性が必要ですから。つまり生きていく以上、誰しも自身が存在することから切り離せない攻撃性を請け負っていかなければならない、宿命のようなものと関わっていかなければならないのかも知れません。対話も、相手が拒絶した時点で成り立たないんですよね。わかりあえなくても、嫌な思いをすることがあっても、それでも互いに対する敬意さえあれば続けられるものがあるということを知ること、そこにかけがえのない意義深いものがあるかも知れないと期待すること。拒絶はその後に選択されてもいいのかな等と考えてしまいます。 >文字情報に偏りがちなSNSコミュニケーションが過剰にある時代に育ったかそうでないかも関係しているように思います。 書いて下さりありがとうございます。たぶん、それらの間を繋ぐ回路の存在があるといいのかな等と考えました。乱暴な、ある意味での川原での殴り合いのような「やるな」、「お前もな」というような関係は、もはや承継困難なものかも知れません。一方で、少しの不快感を抱いた時点で「はいブロック」、心地よさを感じる相手とだけ繋がり、その代償として多角的なものの見方を差し出すというような人間関係の持ち方に、明るい未来があるとはも思えないのです。両方を知る者同士の、自省的で積極的な学習意欲が、熱意が、前述の回路を作るのかも知れません。 >この場では作者も読者もいるけど、作品がまずあり作品と対話(読むこと、読解すること、批評すること…)しますよね。まずはそこから楽しんで、次に作品を囲んで対話したいですよね。 「この場」というのは、今現在やり取りをさせていただいている投稿作品内のことを指されていますか?その場合、作者は私で、読者はほぼさんやコメントを下さった方々、そして投稿作品をご覧いただいた方々のことでしょうか。上記の投稿作品自体は作品という認識でよろしかったでしょうか。もしそうである場合、私としては今まさしく作品を囲んで対話の機会をいただいているという認識でおりました。確かに、今作は自身のこれまでの詩や詩のようなものに比べて明らかに異なることは自覚しています。ほばさん、すみません。諸々きちんとほぼさんの趣旨をくみ取れていなかったら申し訳ないです。以上が私の理解です。またぜひ教えて下さい。ほぼさん、ありがとうございます。

0
クヮン・アイ・ユウ
ABさんへ
(2023-02-11)

ABさん、こんばんは。コメントをくださり、ありがとうございます。間が悪いなんてとんでもないです!とても嬉しいです。 討論、議論、対話の件、ありがとうございます。長年それぞれのやり取りが看板もない場所で突然行われ苦しみを感じることがあり、一方で私もまた他者に強いていたのではないかという反省から思考し、現在地におります。これからも勉強していきたいです。「感動」と表現して下さりありがとうございます。 ABさん、よろしければ「耳が痛い」とおっしゃられていた部分についてもう少しうかがえたら嬉しいです。無理なお願いをしてすみません。ABさんの想いやお考えについて知りたく思いました。

0
三浦果実
クヮン・アイ・ユウさんへ
(2023-02-11)

返信ありがとうございます。傍観者についてのご意見、わかります。人それぞれいろんな状況がありますよね。運営をやりたい気持ちが強くあっても例えば病症を持っている、例えば自身が高齢である、そういった事情があるわけで。誰よりもビーレビに愛着があっても運営として貢献することの出来ない方々がいて、そのような人を傍観者と非難はもちろんするつもりはありません。三浦のコメントの趣旨はユウさんに、次期運営をやって欲しいという、あくまでも一参加者としての願いごとで、勢い余って傍観者云々を書いてしまいました。この傍観者云々についてのやり取りでも判明しますが、他者と対話する前提に共有しなければ齟齬になる言葉の定義付けがありますよね。これらをひとつひとつ丁寧にやり取りをすることはとても労力がいることで、その労力を軽減させる目的がルールマナーガイドラインの役目の一つなのでしょう。だからといってルール縛りによって削がれてしまう変人をも含めた人間の多様さを、限界まで共存しあえませんか、というのがユウさんが本作品で示されているエッセンスではないかと、私はとらえております。重ねて申しますが、ぜひ運営を引き受けてください。この提示に普段の三浦ではあり得ない数の賛同する声がビーレビに愛着ある参加者から多く、陰ながら三浦に寄せられていますことをお伝えします。

1
鷹枕可
作品へ
(2023-02-11)

書くべき事と申しましては、告白及び贖罪、しか思い浮かばないのでございますが。 思う処をつらつらと(略半月の緘黙を経てよりのコミュニュケーションのリハビリも兼ねまして)既述させて頂きたいと存じます。 振返りまするに、昨年の11月後半辺りより、当サイトを再び利用させて頂いたと記憶を致して居ります。 私自身は、略、詩を書けない人間でございますから、皆様の歴々たる詩に目移りを致して仕舞ったのです。 結果、簡単に、矢継早に称賛とポイントの付与を行って仕舞いまして。それが投稿作の質、ハードルの低下の一助を担ってしまったのではないか、 と猛省を致して居ります次第でございます。 実力も、審美眼も、表現力も皆無な一一般参加者が、サイトシステム上の孔、脆弱性を利用し、恰も一批評家であるかのように振る舞いました、その反動が、 自身の精神状況も含めましての「緩やかな死滅」の起因となっているのでは、と半ば妄想を致して居ります。 此れから当サイトと如何に関って行くのか、そして何より、当サイトには自分の様な無能なレッサーが必要なのか、自問を致したいと思う所存でございます。 そして素直に申しますなら、全投稿作を読み、称讃を記述する、その行為に於きましては力尽きました側面もございますことも付記させて頂きたく存じます。 屹度、始めより方法が間違っていたのでしょう。 以上、贖罪からは凡そ逸脱しました、独白めいた、独り善がりな言訳を陳べさせて頂きました。 此の様な場所を起草、提起してくださりましたクヮン・アイ・ユウ様への甚大なる感謝と、尊敬の念を以て、跋文とさせて頂きたく存じ上げます。 是非、愚昧な参加者である私等を、導いて遣ってくださいませ。

2
つつみ
作品へ
(2023-02-12)

対話不足による緩やかな死というものがあると思いますか? あると思います。しかも、インターネット上の会話ではいくら対話してもダメだと思っています。ネットを通じての声だけでもダメだと思います。直接会って、相手の表情、声、が空気を通してお互いの耳から入り、脳に伝わり、またお互いへの言葉が生まれることによる対話が必要と思います。逆にネット上でのやりとりでは緩やかどころか急速な死もあり得ると思います。このコメント欄でも私が何をいいたいのかは、クヮン・アイ・ユウさんにはほぼ伝わらないと思っています。文章にしたとたんに、私の本当に伝えたいことが表現されていないように思うからです。

3
クヮン・アイ・ユウ
三浦果実さんへ
(2023-02-12)

三浦さんお返事ありがとうございます。おっしゃられた貢献することが出来ない苦しみについて想像しています。運営の話に限らず、大切な人に対して、今必要なことをしてあげられない苦しみについて痛感したことがあり、そこから想像を働かせています。 改めて趣旨を伝えて下さりありがとうございます。また、コメント末尾での重ねてのご意見を下さりありがとうございます。本件について何とお返しさせていただいたらいいのか、一つ前に既に返信させていただいた内容を踏まえて考えています。 >限界まで共存しあえませんか ありがとうございます。私の想いや考えは概ねおっしゃる通りです。 今回本作で示したところにも重なるのですが、本音を言うと、僅か2か月弱の期間限定の対話が出来なくてどうするんだという想いがあります。それは世界に対して、そして何より自らに対しても思うのです。相手の方が拒絶を示された場合には仕方がないところはあると思うのですが、やはり自身の姿勢としては忍耐強く向かっていかなければならないと考えています。他者と話すことって(例えば「今日は昨日より少し寒いね」という気軽な天気の話ではなくて)、もっと深く、重い話や難しい話をすることって、それにより互いに無傷でいられることなんてあるのかなとさえ思うところがあります。それは、受けた言葉に傷つくこと、伝わらないことに傷つくこと、時間・体力・精神力を賭けて報われても報われなくてもどちらにしても疲弊すること等、広い意味でそういうことがあると考えています。これから相手と話すことに、私は覚悟を持てているだろうか、そうやって始める前に自問します。

1
クヮン・アイ・ユウ
鷹枕可さんへ
(2023-02-12)

鷹枕可さん、おはようございます。コメントを書いて下さりありがとうございます。 >思う処をつらつらと(略半月の緘黙を経てよりのコミュニュケーションのリハビリも兼ねまして)既述させて頂きたいと存じます。 どのようなご事情があったのかわかりませんが、そのような状態、状況を経てこうして再開の場にこちらを選んで下さり嬉しいです。ありがとうございます。 >投稿作の質、ハードルの低下の一助を担ってしまったのではないか、 この箇所から、鷹枕可さんの現状に対する危機感と創作に対する真剣な想いの一部に触れさせていただいたような想いでいます。 >実力も、審美眼も、表現力も皆無な一一般参加者 というように私は全く思わないのですが、事実として「反動」を受けられたとのことで、そのことは前述されていた「緘黙」にも関係があるのだろうかと想像しています。 >此れから当サイトと如何に関って行くのか、そして何より、当サイトには自分の様な無能なレッサーが必要なのか、自問を致したいと思う所存でございます。 こちらでも私は「無能」等とは決して思いませんが、鷹枕可さんとして自問してゆかれるとのことで、微力ではありますが応援したいような想いを抱きました。偉そうな言い方になってないかと不安ですが、ご健闘を心より願っています。 「独り善がりな言訳」とは思いません。「独白」大歓迎です。こうして書いて下さり、とてもありがたいです。 自身、本作を投稿してよかったと思えるのは皆様のお陰です。鷹枕可さん、ありがとうございます。これからもよろしくお願い致します。

1
クヮン・アイ・ユウ
つつみさんへ
(2023-02-12)

つつみさん、こんにちは。コメントを下さりありがとうございます。 >直接会って、相手の表情、声、が空気を通してお互いの耳から入り、脳に伝わり、またお互いへの言葉が生まれることによる対話が必要と思います。 つつみさんの対話についてのお考えの一部を教えていただけて嬉しいです。ありがとうございます。 学校を卒業し社会人になってからは、対面で人とじっくり話すことが特に減りました。近年の私のコミュニケーション(ここでは特に深いテーマについてやり取りすることを指したいと思います)の多くは、インターネット上で行われて来たように思います。ここにコメントを下さった方に対してもそうでしたが、どうしても相手の方の価値観や言動について理解が出来ず、苦しくて仕方がないという時間を長く過ごしました。でも関係を切らずに不快感や苦しみと付き合って来ました。その長い時間の先で変わったことがあり、変わらなかったことがありました。今はその方とは一段階高次元の関係になれたと実感していたりします。そのことはご本人にも伝えました。 これらの内容はもちろんつつみさんのお考えを否定するものではなく、私に起きた事実としてお話させていただきました。直接会って話すことの圧倒的な効果や働きを理解しているつもりです。ですが私は人生のステージの変更と共に人との関わり方もまた変更せざるを得ませんでした。コロナウイルスの感染流行があってもなくても、私はきっと今のようなコミュニケーション活動をしていたように思います。とは言え、感染流行がなくなり、お金の都合もつけられたら、色んな方々に会いに行きたいなと夢を抱いています。昔、B-REVIEWのイベントに関わらせていただいたことがあり、その時自分は相変わらずあまり話せなかったんですが、少し離れたところから皆さんが話される姿などを拝見して幸せな気持ちになったことを今でもありありと感じられます。 「急速な死」については同じ考えです。そしてオンオフ問わずその危険性は常にあり、対面には対面の性質、ネット上には独自の性質がそれぞれにあり、それらが発せられた言葉と悪い掛け算的に威力を発することに恐れ、不安を抱いています。 >このコメント欄でも私が何をいいたいのかは、クヮン・アイ・ユウさんにはほぼ伝わらないと思っています。文章にしたとたんに、私の本当に伝えたいことが表現されていないように思うからです。 私は現時点でこう受け取りましたということをお返しして、それとは別に自身の考えや想いを発信する。このキャッチボールの繰り返しに尽きるのかなと考えています。そしてそのことに希望を捨てていません。つつみさんがこうして伝えて下さったことが無意味とは思えず、互いの間の「わからない」をそのままに、やり取りを継続していくことが出来たらいいなと思っています。互いにどう受け取ったかを返し合って、そうではなくこういうつもりで伝えたと言い合うことを続けられたらいいなと思ってしまいます。 一方で、どれだけ言葉を尽くしても「文章にしたとたんに、私の本当に伝えたいことが表現されていないように思う」というつつみさんの想いもまた尊重したいと考えています。 つつみさん、お話をして下さりありがとうございます。

1
柳煙?
作品へ
(2023-02-13)

よく考えたら、このかた、は、以来、ともよめ、紛らわしいですね。辞書というものは調べ出したらきりがないです。聡明とか、白っぽくて、趙雲みたい印象があるのですが、くゎんさんもそれに類似するかなと、思いましてね。

0
クヮン・アイ・ユウ
柳煙?さんへ
(2023-02-13)

柳煙さんこんばんは。コメントありがとうございます。嬉しいです。 確かに「以来」とも読めますね! そうですよね。辞書を引いた先でまた新たな言葉が出て来たりで。でも私はそれがまた楽しくて、ついついそんな旅を続けてしまいます。 趙雲も調べました。昔の中国の将軍なんですね。柳煙さんが聡明に白という色(のことで良かったですか)をイメージされていると知れて何だか嬉しいです。私はどうだろう。何となく水色の薄い色なんかが浮かんで来ましたが、人によって違うのが面白いですね。 ありがたい言葉をかけてくださりありがとうございます!

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三浦果実
クヮン・アイ・ユウさんへ
(2023-02-14)

このスレッドも本番だと決意されていらっしゃること。本番って何が違うかといいますとね、そこに「本物の他者」が存在するということなんですよね。運営になるということはビーレビが掲げる「ルールマナーガイドライン」を背負う人間になるということなんです。「違う意見をいう本物の他者」を前にして自分を殺さなくてはいけない。自分の個人的意見を言ってはならないんです。黙って裁かなきゃいけない人間。例えばこちらのスレッドでユウさんに酷いことを言い続ける人が現れても、その人を裁かなくていいんです。対話は続けられるでしょう。でも運営者はそうはいかないです。「こんな酷いことを言い続けるこの人はルールマナーガイドラインに違反していますよ。裁いてください」と突きつけるまた別の他者が現れる。このスレッドはそういう意味では本番じゃない。そうではないですか。自己の熱量で、どうかルールマナーガイドラインを破らないでください、どうか他人を監視しないでくださいと、そうすることってかなりしんどいです。そのしんどいことを一人で背負ってしまうのはキツい。ユウさんだけでなく、ユウさんが労苦を共に引き受ける仲間を糾合し、ぜひそのしんどき苦役を引き受けていただきたいです。よろしくお願い申し上げます。

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AB
クヮン・アイ・ユウさんへ
(2023-02-14)

ユウさん すみません。この返信を返すのをどうしようかとしゅんじゅんする気持ちを持ってる自体が申し訳ないようた気持ちです。もう、なんだよってぐらいのおじさんの年齢なんで、いろいろブレーキかけながらコメントしてます。 そのこと自体が、もっとはっきり提示するべきなんでしょうけと。というところで、 すみません。ちゃんと言えなくて。でも、ユウさんのこの投稿文に、感銘したのは確実です。

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クヮン・アイ・ユウ
三浦果実さんへ
(2023-02-15)

三浦さんお返事ありがとうございます。対話というものについて考えたときにオープンダイアローグというものを思い出します。参加メンバーは患者、家族、医師、看護師、セラピスト等で構成されるようです。 三浦さんがおっしゃる構成メンバー(つまり運営・ユーザーA,B,C...・見学者)だと確かに対話は相当難しいです。なぜなら、審判的な立場を運営が担わなければならないからです。本作中にも書かせていただきましたが、自身の考える対話では誰かが何か決定を下したり、答えを出すことを目的にしていません。本サイトの運営が決定を下したり答えを出すことの目的の一つには、私が想像するに荒らし行為等によってユーザーが不利益を被り続けることを出来るだけ早期に止めることがあると考えています。 話は飛躍しますが、個人的に日本の更生保護は遅れているなと思います。更生保護に関連する従業員側の待遇や株式会社の数等から見てもわかるように、予算も付きません。人はこの為に頑張ってるんだな!とわかりやすく理解を示せるものにはエールを送りますが、なんでこんな人にお金を出すんだというようなものに対しては手助けし難いところがあるのだと思います。更生保護の問題と同列に語るわけではなく、あくまでAとBという関係性の位置付けのみを比喩的に語る為に言いますが、こちらのサイトでもペナルティにより居なくなった方々がおり、私などは日頃Twitterでも書いていますが、そういう方々はみんな今頃どこでどうしているのだろうということを考えるのです。 このように書くと、傷ついた人はどうするんだという声がすぐに聞こえて来そうに思いますが、私はその声をきちんと受けて話し合っていこうという考えでおります。やれることをやれる人がやるというのが、人がたくさん居る意味や意義深いところの一つではないかと考えます。 三浦さん、これで全てのお返事になっているとは当然思っていません。すみませんが後ほどまたお返事させてください。まずは対話に関する自身の想いや考えを書かせていただきました。

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クヮン・アイ・ユウ
三浦果実さんへ
(2023-02-15)

三浦さんこんにちは。以下は先ほどの続きになります。 「本番」についてのご説明ありがとうございます。少し難しかったので一日程度寝かして更に思考を続けました。お陰様で三浦さんが語る意味での「本番」についての理解が深まりました。書いて下さりありがとうございます。 考えてみたのですが、運営という立場からは、少なくとも私が本作の中で示した意味でいうところの対話は出来ないのではないかと考えています。 >黙って裁かなきゃいけない人間。 という言葉からも、やはり私が語らせてもらった対話とは相性が悪いように思います。 分割となり申し訳ないですが、また続きを後ほど書かせてください。ありがとうございます。

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いすき
作品へ
(2023-02-15)

すみません、どうしたらいいかわからず、回答に時間がかかってしまいました。正直、今もまだよくわかってません。 はじめ「運営にはなりません。ユーザーとしてできることをやります」と答えようかと思ったのですが、なんだろう、その回答はあまりにもつまらないというか 正解は何なんだろう、という。 高校生の頃、私はみんなに好かれようとして、場を盛り上げるために色々なことをやりました。それ自体の評価はよくわかりませんが、今でも仲良くしてくれる人がいるということは、全然だめとかではなかったのだと考えています。でも、じつは私はあまり楽しくなかった。いわゆる本来の自分とはかけ離れたことをしているというふうに感じることも増えていき、だから熱中できず、だから、みんながたとえ笑顔だったとしてもお世辞に見えた。だから人をあまり信じるつもりになれなかったし、孤独を感じて個人的には面白くないと思えることも経験した。だから私は卒業後はほぼ別人に、自分に正直になった。 が、その道も間違いだった。それが現在のステータスです。 すみません、あまり関係ない話かもしれませんが、最近、ボランティアで土日に作った資料を会社に提出したら上司にめちゃくちゃ厳しく指摘されてキレてしまうということがありました。私はとにかく、このキレるのをどうにかしないといけないです。「その指摘は意味が不明です」とか言って自分でもこれはやばいなと。前は「そんなに言うんだったら俺と勝負してくださいよ」とか言って、正直これは絶対に辞めないとダメです。 ただ、キレてしまったというにも関わらずなぜか仕事は簡単だという認識があり、なぜならどこまでいってもしょせんはただやればいいだけだし、どんなに忙しくても日付変わる前に家に帰れる生活だからで、こんなのでほんとに成長(成長って嫌いな言葉ですが)できるのか、いやできない、などと(なぜか)と考えています。 すみません、とりあえず、頭の中がとても混乱しています。

2
N
N
作品へ
(2023-02-15)

私もちょうど今から1年ほど前に、対話を目的とした作品をこの場に載せました。 https://www.breview.org/keijiban/?id=9041 私は人を怒らせるのが好きです。 思考は口の中で作られる。 いかに論理的に振る舞おうとも、それは所詮外面を取り繕った見栄えばかりの創造物でしかないと私は思います。 相手の本当の姿・思考、つまるところ相手の本音を窺うには、相手を感情的にさせるのが1番です。 こんな経験はありませんか?もしくはどこかで見た事がありませんか? 二人で喧嘩の言い合いをしている間に、つい口走った一言が事の確信を突き、相手を傷つけ、自分でも言い過ぎてしまった反省する場面を。 しかし、その一言が事態に終止符を打つことからもわかる通り、人は感情的になり、口走って言い放つ言葉こそ自身の本音、事の本質を突くのだと思います。 まあ、私は自分の方から対話に飽きて、コメントを放り去ってしまいましたが。 ということで、それから1年経ってわかることは、人は対話などなくても死にはしないということですね。 簡単に言い争うことができるのがインターネットの良いところだと思います。 別に明日からもどこかで顔を合わせるわけではないですから。

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ハツ
ハツ
作品へ
(2023-02-15)

> 追伸  対話の期間が僅か2ヶ月弱というのは長くないと考えています。個人的には、生涯を賭けても相手に対してわからないことがあるという者同士の、ある意味では不快感すら伴う関係が、切れずに維持され続けることがもっとあっても良いと考えるからです。その為対話に時間制限を設けること自体がコミュニケーションに含まれる暴力性と良い付き合い方が出来ていないことは認めつつも、まずは何事もチャレンジという気持ちで始めています。 追伸が本題じゃん!と思いましたが、マジでかっこいいと思います。まだ他のコメント等も読めていない状態ですが、あなたの心の炎を消したくないです。何か火をくべられたらとコメントしました。

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いすき
クヮン・アイ・ユウさんへ
(2023-02-16)

クヮンさん、すみません、とりあえずさっき帰ったんですけども、ちょっと遅くなったのですが返信です。 クヮンさんの問題意識は対話不足だから、だから、対話すれば解決できるということであってますかね。私はなんというか、ほんとにそれであってる気があまりしないんです。対話不足について対話すると対話不足じゃなくなって問題が解決する?っていう、そう考えると、ちょっと疲れた頭では混乱して理解できないというか。笑 つまり、かんたんに関係を断ち切ってしまうようでは、将来問題がきっと起こるに決まってる。だからそれは問題だということでしょうか。それとも、今現在対話が行われていないということが、それ自体が現実の問題なのでしょうか。つまり「問題」という言葉が意味してるものは、タコ足配線なのか、それともめのまえの火事のことなのか。 私は自分がもっと大きな力を持っていなければならないと思っていて、でも、実際にはそうなってないから、それが問題だと思ってるんです。これはタコ足配線です。すみません。

2
ハツ
ハツ
三浦果実さんへ
(2023-02-16)

三浦さんのコメント >そこに「本物の他者」が存在するということなんですよね。運営になるということはビーレビが掲げる「ルールマナーガイドライン」を背負う人間になるということなんです。「違う意見をいう本物の他者」を前にして自分を殺さなくてはいけない。自分の個人的意見を言ってはならないんです。黙って裁かなきゃいけない人間。例えばこちらのスレッドでユウさんに酷いことを言い続ける人が現れても、その人を裁かなくていいんです。対話は続けられるでしょう。でも運営者はそうはいかないです。「こんな酷いことを言い続けるこの人はルールマナーガイドラインに違反していますよ。裁いてください」と突きつけるまた別の他者が現れる。このスレッドはそういう意味では本番じゃない。そうではないですか を読んで、私は運営と参加者の間に線を引けていなかったことに気づきました。(そうか、フォーラムに書いたこと、的外れすぎたな。それでも自分がネット上に意見を放流した責任があるしな、己の的外れに耐えるのも仕方なしと思っています。) 三浦さんのコメントを読んで、"他者の他者性"というものを思いました。クヮンさんがおっしゃる対話もまた、"他者の他者性"を念頭に置かれたものだと思います。こういうものを考えていける人が複数いる場は強いです。 クヮンさんのこの作品とコメント欄を対話の試みとして是非記録したいです。まとまらないので、また来ます。

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クヮン・アイ・ユウ
三浦果実さんへ
(2023-02-16)

三浦さんおはようございます。前回の続きを書かせていただきます。こちらの都合でお返事の内容が分割したものになり申し訳ありません。 何度もお声がけ下さりありがとうございます。こうして僅かながらであっても、三浦さんと少しずつ言葉のやり取りを重ねさせてもらう中で、お陰で互いの差異についてや自身の想いや考えについての整理が進み、熟考することが出来ています。 今回改めてB-REVIEWの沿革を拝見しました。その中で今特に響いたのが、「オルタナティブを志向する」という旨が記載された箇所でした。Aに対してのB。私は文学極道についてよく知らないのですが、同沿革内の記載内容から、当時のネット掲示板の荒れた状況(A)に対してのBという位置付けの部分があるのだろうと受け取りました。その先に競技における審判をこちらにも配置することがあったのだろうと考えています。 私は審判になりたいとは思っていません。私はインターネットの世界に限らず、この世界で対話をしてゆきたいと考えています。私は対話不足による痛みを数々体験して来ました。多分その痛みと無縁な方など果たして居るのだろうかとも思います。仲間はずれ・時間切れと伝えられること・意見を求められないこと・無能と初めから数に入れられていないこと等々。私は、出来るだけ色んな方の想いや考えに触れたいと願っています。申し訳ないです。お返事になったかわからないのですが、今のところこのように考えています。 三浦さん、ありがとうございます。もし叶うなら、まだまだこれからも三浦さんのお考えをうかがいたいです。よろしくお願いします。

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三浦果実
クヮン・アイ・ユウさんへ
(2023-02-16)

ユウさん、返信ありがとうございます。ユウさんは良い意味でも悪い意味でも頑固者なので運営になってくださいとお願いすればするほど、絶対にならない方向へ行くのだろうなと残念な気持ちが片隅にあります。今風の人権やらなんやらを考えますと他人を強制的に苦役につけるなどあり得ないことだともわかっております。ご自身の生き様として、スタイルとして対話を志向され、その自由さでエンジョイされることが良いのでしょう。ただ、私だったらやります。勧められた言葉の百万倍の気持ちで出てゆきます。先日、キャスで少し紹介しましたが、設立者の天才詩人さんが掲示板をスタートするにあたり、「自分の審美眼を信じてくれ」と投稿作の選考への決意を我々発起人に語られた時のことは今でも忘れません。この場に居合わせただけでこのプロジェクトに参加してよかったと当時思いました。 ユウさん、やれるもんならやってみればいい。一生くすぶって仄暗くお終いになってもいいけれども。

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クヮン・アイ・ユウ
ABさんへ
(2023-02-16)

ABさんこんにちは!色々な想いやお考えを経てまたこうしてコメントして下さり、ありがとうございます。とても嬉しいです。 「はい、色々ありました。」と言って少し照れくさそうに申し訳なさそうに語る方に、これまで何度か出逢いました。私はそういう方のことが大好きなんです。きっといざその方が語り出せば、私の想像の及ばない苦労あるいは感動、人生の物語があるのだと想像します。ですがそういう方ほどある意味では控えめで、そしてだからこそなのかとても美しいなと憧れます。すみません、突然こんな話をして。なんだか、「色々ありました」とこれまで数々聴かせてもらって来た言葉が胸の中で鳴るのを感じました。 ABさん、コメントありがとうございます!

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クヮン・アイ・ユウ
いすきさんへ
(2023-02-16)

>すみません、どうしたらいいかわからず、回答に時間がかかってしまいました。正直、今もまだよくわかってません。 私がどのコメントを指して話しているのかを示す為に上記のように部分引用をさせていただいています。 もしかしてこちらのコメントの全文は三浦さんに対するいすきさんからのお返事でしたでしょうか?もしそうでしたらそもそも私がお返事するのは少し変なのかも知れませんが、せっかくなのでどちらにしても少し続けさせていただきますね。 >みんなに好かれようとして やったことは >じつは私はあまり楽しくなかった とのこと。 >だから私は卒業後はほぼ別人に、自分に正直になった。 が、その道も間違いだった。それが現在のステータスです。 とのこと。 いすきさん、色々と語って下さりありがとうございます。お陰でいすきさんという人について僅かにでも触れられたようで嬉しく感じています。このように人様から語っていただけることは当たり前ではありませんから。 いすきさん、私は自らをアダルトチルドレンではないか、その中でもケアテイカーという分類の性質・傾向があるのではないかと考えています。その真偽はさておき、そのように主観的に自らを仮定すること自体が随分年齢を重ねてから行うこととなりました。ですから、荒れました。不良ってやつです。相手の欲しいものがわかる(これも主観ですが)ので、人を言わばコントロールしましたし、その癖自身は最も冷めているという孤独を知っているつもりです。かと思えば、一方では徹底的にわがままな言動で相手の自らへの本心を推し量りました。クズです。両極端に走り人を傷つけることに甘えて心のバランスを知りました。過去の行いは消えないので、そのことと繋がりながら少しでもマシな人間になりたいと考えています。 すみません、私こそ何を書いているのだろうという感じですが、書かせていただきました。 >どんなに忙しくても日付変わる前に家に帰れる生活だから 私の個人的な考えですが、その暮らしは大変だと思うんです。胸の中で少年が叫ぶならそれが本心と私は考えています。生意気な言い方をして申し訳ないです。いすきさん、どうかいすきさんを労ってあげて下さいね。今夜も寒いですね。私は今仕事帰りで歩いています。お疲れ様です。

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クヮン・アイ・ユウ
Nさんへ
(2023-02-16)

Nさんこんばんは。コメントをくださり、ありがとうございます。またNさんの作品もご紹介くださりありがとうございます。拝読しました。コメント欄も盛り上がっていて素晴らしいですね。 Nさんが人を怒らせるのは手段で、目的は相手の本音を窺うことであると受け取りました。 >しかし、その一言が事態に終止符を打つことからもわかる通り、 確かにNさんがおっしゃるように終止符を打つことがあると思います。あまりいい思い出ではないという意味で実体験としても思い出されます。ただどうでしょうか。私は個人的にそこには博打的な要素もまたはらんでいるように思われるのです。人との関係に一か八かのような要素を入れるより、じっくりと時間や労力をかけて関わってみたいと願ってしまいます。もちろんNさんのお考えを否定するものではありません。互いの差異がこうして少しでも明らかになるだけでも意義深いと感じています。 対話に飽きられたのですね。何か理由あったのでしょうか。 >それから1年経ってわかることは、人は対話などなくても死にはしないということ Nさんはそのように思われるのですね。確かに一年という時間は、ある方にとって、またある場面においては何かの答えを見定めるのに十分な時間とも言えるのかも知れません。本作にも書かせていただいたのですが、私個人としては対話不足による影響力についてはもう少し時間をかけて見つめていきたいと思っています。なぜなら今回本作を書く原動力となった問題意識は、私の数年数十年をかけて感じて来たことであるからです。 >簡単に言い争うことができるのがインターネットの良いところだと思います。 別に明日からもどこかで顔を合わせるわけではないですから。 そうですね。確かに職場や学校、家庭等との関わりとは異なるところがありますね。ちなみにオフラインの世界でも、本音を窺う為に怒らせる手段をオンライン上と同程度の頻度でとられますか。 Nさん、たくさんお考えを書いてくださり、ありがとうございます。

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クヮン・アイ・ユウ
ハツさんへ
(2023-02-16)

ハツさんこんばんは。 >あなたの心の炎を消したくないです。何か火をくべられたらとコメントしました。 エールをお送りくださりありがとうございます。「心の炎を消したくない」なんて初めて人様から言っていただきました。とても嬉しいです。 この世界を、なんとか現状より悪くならないように保っているのは、例えばハツさんのような方の想いや言葉、そして存在のお陰ではないかと折に触れて感じています。ありがとうございます。私もそのような存在になれたらいいなー。なれなくてもお手伝いが出来れば。

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クヮン・アイ・ユウ
いすきさんへ
(2023-02-16)

いすきさんこんばんは。コメントありがとうございます。 >タコ足配線なのか、それともめのまえの火事のこと いすきさんのたとえがとてもわかりやすかったです。ありがとうございます。 いすきさんは自身が大きな力を持てていないことが未来の火事に繋がっているとお考えなんですね。大きな力ってどんな力でしょう。 コメントの順番が前後逆になりすみません。質問の答えを考えてみましたが、両方だなと思いました。既にずっと火災は起きていて、これからもこのままではあちらこちらで火災が起こるように思っています。 対話不足自体について対話するよりは、こちらで既に起こっているように各人がテーマを持ち寄って丁寧に話していくことが大切だと思っています。 簡単に関係を断ち切って来たから方々で燃えているし、それを続けていくのは危険だという感じでしょうか。

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クヮン・アイ・ユウ
ハツさんへ
(2023-02-17)

ハツさんおはようございます。コメントありがとうございます。 >己の的外れに耐えるのも仕方なし このお言葉と姿勢に美しさを感じると共に、私も同様の状況に置かれた時にはハツさんのように美しく在りたいと思いました。 この場を大切に想っていただきありがとうございます。 教えていただいた「他者の他者性」という言葉についても初めて見知ったので学んでみたいと思います。ありがとうございます!

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クヮン・アイ・ユウ
三浦果実さんへ
(2023-02-18)

三浦さんこんばんは。三浦さん、何度も想いを込めたコメントを書いて下さり、本当にありがとうございます。 こちらでは、当時のネット掲示板の荒れた状況(A)に対してのBになるという理念を柱の一つとして掲げ掲示板の運営が開始され、具体的な方法としてカード発行(警告から出入り禁止措置)があるのだと思います。そして三浦さんは運営の役割を担われていた時代には、おっしゃられた内容の趣旨にもあるように私人ではなく公人として務めて来られたのだと思います。現在は一ユーザー(に限りになく近い立場)としてこちらでも活動されており、その三浦さんの私人として関心の深いものとして、「誰も追い出さない」という考え方があるように方々での言動から感じています。三浦さんはご自身の運営時代の在り方をどのように振り返っていますか。もしよろしければうかがいたいです。 私は今回の三浦さんからの有難いご提案とお願いについて、公人でありつつ私人でも居るという両立困難な在り方を期待されているように感じています。ここ数日本件(両立困難な物事)について考えることを非常に意義深いものであると感じています。貴重な機会を下さりありがとうございます。 こちらを出入り禁止になった方々は、今それぞれどう過ごされているのでしょう。私はこのことについてこちらを利用させてもらいながらよく考えます。当然ながら世界は掲示板の外にどこまでも広がっていて、複数の人の場所と場所が接触し合って存在しています。言葉による表現がツールであるとき、何を目的とするのか。私は人を追い出しても何も変わらない(とするのは言い過ぎで、変わる部分もあるのかも知れませんが)と考えています。これも当たり前なことですが、人は、変わろうと願い努力するから変われる可能性が出て来るのだと思います。罰が効果的に働いてそのきっかけを与えることがないとは言いませんが、それが効果をもたらさない時、引き続き同じ働きかけを行っても変わらず、むしろ悪化するように思います。相手の考えや想いを聴いて、聴いて、本当に私たちは話し合えないのだろうかと思うのです。 私が言葉に希望を持って表現を続けるのは、世界を良くしたいからです。その為には自分も人として良くなろうと努めなければならないと考えています。

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吸収
吸収
作品へ
(2023-02-21)

対話を目的としているのかも知れませんが、返信に対する応答だけで無く 返信がない時は、自分の方から構想みたいなものを徒然に述べても良いかと思いますよスレッドが上の方に無いと それこそ返信しづらい感じになると思います。 他の作品が流れてしまうと言うデメリットはありますが、それ以上にメリットがあると言う気概を持つしかないと思います。

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クヮン・アイ・ユウ
吸収さんへ
(2023-02-23)

吸収さんこんばんは。コメントをくださりありがとうございます。エールのように感じられて励まされました。ありがとうございます。吸収さんのおっしゃることも一理あると思います。私は作品をどのように受け止めていただけるかをご縁の中で読んで下さる方々に委ねさせていただきました。ですからこのようにそもそもお声がけ下さったことをとても嬉しく感じています。 吸収さんのコメントから思考の機会をいただいたのですが、もしかしたら皆様からのコメントを応答と捉える考え方もあるのかも知れません。ご意見いただいた本件についてはこちらの掲示板のガイドラインにも一部記載があり、そのことをどう捉えるのかもまた関係しそうだと考えました。私なりの解答は現状の姿勢をとることと考えています。 皆様のコメントが応答かも知れないと考えることに付け加えるとしたら、応答がないということもまた一つの反応なのかも知れないと考えています。すみません、バラバラとしたお返事となりました。 吸収さんありがとうございます。

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エイクピア
作品へ
(2023-03-02)

興味深い詩です。一見説明的にも見えますが、ポエジーが感じられます。そうですね、この詩のサイトでの2か月弱の期間限定の対話期間は途中から入ってきたルールですが、意義深く考える事が可能でしょう。詩単語詩フレーズ詩行そしてポエジー。詩の神が下って来る契機が語られて居る詩なのかもしれません。

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クヮン・アイ・ユウ
エイクピアさんへ
(2023-03-04)

エイクピアさんこんにちは。コメントをくださりありがとうございます。詩としてご覧いただけたとのことでご丁寧にお伝えくださりありがとうございます。本作は読者の方を信頼して発信したものでした。エイクピアさんに肯定的に捉えられたことが嬉しいという表現に更に正確性を持たせるなら、どの部分をどのように受け取ることも自由に選択出来る中で、エイクピアさんの生きる姿勢として積極的な想いで本作に接していただけたことを有難く感じています。ありがとうございます。

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柳煙?
クヮン・アイ・ユウさんへ
(2023-03-08)

対話って難しい、青白い肌では生きにくですわ。

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三浦果実
作品へ
(2023-03-08)

いや、たしかに、この対話って文学闘争だとおもう。

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クヮン・アイ・ユウ
柳煙?さんへ
(2023-03-08)

柳煙さんこんばんは。コメントを下さりありがとうございます。 >青白い肌 と聞くと、反射的に「萌やしっ子」という言葉やそのイメージを連想してしまいました。日焼けもあまりしていなさそうな感じがします。 その後に「青白い肌」を調べてみると、原因に貧血とありました。 ここまで書かせていただいたことと逆のイメージにあるものが柳煙さんが抱く対話へのイメージということでよろしかったでしょうか。 確かに、対話はエネルギーは要りそうです。

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クヮン・アイ・ユウ
三浦果実さんへ
(2023-03-08)

三浦さんこんばんは。コメントをくださりありがとうございます。 「文学闘争」について調べたのですが、プロレタリア文学などがヒットして何となくうまく行き当たらない感じがあり、「闘争」について調べていました。 その結果、相手に勝とうと争うことや、運動を通して権利や要求を得る為に争うこと等の意味が出て来ました。私が考える対話は既に示した通りやはり討論や議論とは異なるものとして、つまり争いや勝ち負けとは遠いものとして認識しているので、「闘争」という言葉のイメージとうまく結びつきませんでした。しかしながらここまで書いて、自己との闘いというイメージなら結構近いかもとは思われました。

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柳煙?
クヮン・アイ・ユウさんへ
(2023-03-08)

こういう返信のしかたであってますか。偽善の面を剥がし、素顔を見せてくださいな。対話より闘争のが完結しにくいけど、簡潔に起きます。ほんっと文章下手で申し訳ないな。くゎんさんみたいな文章力のある方でなければはたき落とされそう。偽善者は私の方でした。てんてこまいまい。

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三浦果実
クヮン・アイ・ユウさんへ
(2023-03-09)

言葉の意味なんか 調べたことないです 漢字読めないです 漢字読めないままに 詩は読める 幻冬社から詩集本出された 詩人の石村利勝 彼が言い切りました 漢字が読めないままに詩は読める みうら、お前のそれは 正しいと そうなんです 正しいし きっと小林秀雄さんも これを批評というでしょう わかりますか レビューと クリティカルレビューは ちがうくて また闘争と闘争も違う でも、同じなんです 同じだと、 あなたの闘争とわたしの闘争は きっと同じなんだと そう 思い切りする わかるかいベイビー 最初から勝てると踏んで 闘争を始めるやつと 最初から負けるとわかっていても 始める闘争はちがうんだ おれは後者だよ 永遠に後者 最初から負けることが わかっていて それでも やるしかない闘争 ベイビーやるしかないんだ 胸が熱い ドキがムネマキするね

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クヮン・アイ・ユウ
柳煙?さんへ
(2023-03-09)

柳煙さんおはようございます。お返事ありがとうございます。 >対話より闘争のが完結しにくいけど、簡潔に起きます。 この箇所興味深く読ませてもらいました。対話は闘争よりは完結しやすく、しかし簡潔には起きにくいとのこと。確かに対話は初期コストも多くかかりそうだなと思いました。 偽善についても考えまして、偽善的な行動について調べ考えていました。その中で他者を批判していながら自らこそがまた同じような行動をしていることとの記載もありました。私はなかなか他者を批判することって出来ないなと思います。これはあくまで相手に伝えるという意味で、日頃内心では数々批判をしているなとも思われました。ですから、伝えない批判をする私に出来ることは、黙って自省的に少しでも良い人間になれるよう努めて生きることかも知れないなとも思いました。

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クヮン・アイ・ユウ
三浦果実さんへ
(2023-03-09)

三浦さんおはようございます。 三浦さんのコメントを受けて考えていました。自分はより良く伝える為とより良く知る為一体どちらの為に言葉を調べているのだろうと。大前提として人と分かり合えないということを受け止めながら、それでも少しでも良く知りたいということがあるのだと思いました。相手の言葉が何を語っているのか、そこにはどんな想いや考えが込められているのか、感情はどうか。こういうことを私は何故かどうしてか強く知りたいと望んでいるのだと思います。 勝つ為に人と接する人、負けるとわかって接する人、勝ち負けではないところに重点を置いて接する人、様々だなと思います。三浦さんの姿勢がどれであるか良く伝わりました。ありがとうございます。私はどうかな。たぶんある方々の目線からすれば大抵負けていると思うのですが、それより何より勝つ為負ける為でなく、より良いものを選ぶ為でもなく、ただもっと人が人の話を真剣に聴こうとか、大切に向き合おうとすることが増えたらいいなと思っているのかも知れません。

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柳煙?
クヮン・アイ・ユウさんへ
(2023-03-09)

私なんかネガティブ思考なので、興味深いと言われて素直に喜べません。心の中で思うことは自由と、高校で教わったけれど、実際はそんなことないっすよね。

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クヮン・アイ・ユウ
柳煙?さんへ
(2023-03-09)

柳煙さんこんばんは。今日も一日お疲れ様です。 >私なんかネガティブ思考なので、興味深いと言われて素直に喜べません。 柳煙さん、こうやって書いてもらえること、当たり前のことではないので、そもそも書いて伝えていただけたこととても嬉しいです。だって書かなくても進んで行きますよね、日々なんて。そんなこと大人になると多くて。でもだからこそわざわざ書いてもらえて嬉しいです。だってそれを受けてまだ話を続けられるから。だから、本当にありがとうございます。 もちろんと言うと変ですが、全くネガティブな意味はありませんでした。私がそもそも対話自体に完結しにくいイメージを抱いていたからかも知れません。それに柳煙さんからコメントをもらうまでは、対話と闘争を並べて考えることもなかったんです。それでそういうことを考えられたことが刺激的であのように書かせてもらいました。 心の中で思うことが自由でもないという話を受けて思うことは、自由かも知れないけれどあんまり酷いこととかを考えたりしているとそれでもやっぱり自らの中の大切な部分が消耗して行ってしまうよなということです。だからそういうのを気にして、とどまって、頑張ってるところもあるかも知れないななんて思いました。 心の反応とそこから生まれる感情、それを言葉にすること、そして発すること。今の世界ではこの速度があまりにも速すぎるように感じられているところはあります。黙っていることの、体感時間がずいぶん長くなったのかも知れません。

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柳煙?
クヮン・アイ・ユウさんへ
(2023-03-10)

私は本なんて好きじゃないけど、少しは読むんです。あなたは辞書がお好きらしいけれど、飽きないんですか。

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クヮン・アイ・ユウ
柳煙?さんへ
(2023-03-10)

柳煙さんおはようございます! 辞書の活用頻度が高い(?)件、二つ理由があると考えています。 一つは自身日本人の両親のもとに生まれ、日本語だけと言ってもいいほどに使用していますが、未だにそれを使いこなせているという自覚も自信もなくて。それで他者とやり取りする際に、自らがある言葉Aにしている理解は本当に正しいのだろうかということが気になります。正しく理解することが手段なら、目的は相手の方とより良く話したいということが目的なのかも知れません。 二つ目は、辞書に記載のある意味と自らの言葉への理解を比べてその正しさを確認する一方で、前提として言葉はどうしたって不確かなものである考えていることに関係がありそうです。さもある程度理解出来ているように話してはいますが、お互いが別の星の住人同士であると考えると、やはり相手が使う言葉Aの意味を確認する必要があると思っています。辞書に記載のある意味として正しいかどうかは大切ではなくて、ただそれを足がかりにすることでそこからどれくらい離れているか、異なるかを相手とのやり取りから確認することが出来ると考えています。それで私は辞書を活用するのかも知れません(本ももっと読めればいいのですが...)。 相手を知りたいという気持ちに飽きを感じたことはありません。何度も挫折していますが。

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三浦果実
クヮン・アイ・ユウさんへ
(2023-03-10)

なんでしょうね もしかしたら こういう改行詩の文体が 相手への敬意に欠けていると そう読んでる人がいるかも でもね いいんだ そういうこと 誤解は誤解のままでいい 自分が伝えたかったことが 違うふうに受けとられた いいじゃないですか それで人との縁が切れる? 自分が切らなければ いいだけでしょう 相手が絶交を言うてきても きみが切らなければいい 最近の チャットGPTというやつ まったく興味が湧かないんだ なぜにみんな 答えを知りたがるの なぜに正解だけ求めるの なぜに共有しなきゃなんないの 偉大な質問になりたい 寺山修司さん すごいね 君はどう生きるべきだろうか 他人がどうあれ 君はどう生きるべきだろうか 他人と断絶する覚悟で 生きれないものか

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柳煙?
クヮン・アイ・ユウさんへ
(2023-03-10)

きょうからどうか、真剣に生きてくださいと、自分自身とまた、対話して、人間性についての問いかけとしたい。

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クヮン・アイ・ユウ
三浦果実さんへ
(2023-03-11)

三浦さんおはようございます。コメントありがとうございます。 こちらから切らなければいいというお話し、概ね同じ考えです。 わざわざ相手に誤解を与えようとは思いませんが、結局どれだけ言葉を尽くしても、例えば沢山の言葉を全て受け止めるのかどうかも相手に委ねられているのでそこはどうしようもありませんよね。 今の世の中、なのか前からなのかわかりませんが、とにかく今生きている中で感じるのは、見限るのが早いなぁということです。三浦さんも私もたぶん滅多に見限らないのだと思います(見限られることはあっても笑)。人を見限るって、真剣に相手を知ろうとしていたら、実はそんなに簡単には出来ないよなぁと思います。 >君はどう生きるべきだろうか 他人がどうあれ 君はどう生きるべきだろうか 他人と断絶する覚悟で 生きれないものか この問いを投げかけている人はすごいですね。私はせめて自問し続ける背中で少しでも世界にいい働きが与えられたらいいなと思います。

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クヮン・アイ・ユウ
柳煙?さんへ
(2023-03-11)

柳煙さんおはようございます。コメントありがとうございます。ここでのやり取りが、柳煙さんにとって何らか良い働きをもたらしたとしたら嬉しいです。私もこれからも自問を続けてゆきたいです。

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澤あづさ
作品へ
(2023-03-13)

こんな二次加害企画が2月の首位とは世も末だと思っていましたが、無事に顛落なさったようでなによりです。この泥舟サイトで陰湿ないびりを満喫するおめでたいみなさまにも、なんらかの自浄作用は働いているのですね。 わたしは(これはわたしひとりの考えであり、どなたといかなる示し合わせもしていませんので、下衆のくだらない勘繰りはご遠慮ください)蛾兆ボルカさんのアク禁中に流行したこの陰口大会に、現時点で明白な悪意を持っています。投票期間も終わりましたし憚る義理はないでしょうから、露骨に悪意を書き込みますが、 >私は人を追い出しても何も変わらない(とするのは言い過ぎで、変わる部分もあるのかも知れませんが)と考えています。これも当たり前なことですが、人は、変わろうと願い努力するから変われる可能性が出て来るのだと思います。罰が効果的に働いてそのきっかけを与えることがないとは言いませんが、それが効果をもたらさない時、引き続き同じ働きかけを行っても変わらず、むしろ悪化するように思います。相手の考えや想いを聴いて、聴いて、本当に私たちは話し合えないのだろうかと思うのです。 >このように書くと、傷ついた人はどうするんだという声がすぐに聞こえて来そうに思いますが、私はその声をきちんと受けて話し合っていこうという考えでおります。やれることをやれる人がやるというのが、人がたくさん居る意味や意義深いところの一つではないかと考えます。 これの戯言、本気なのですかね。DVの被害者にも、いじめで不登校になった子どもにも、加害者と話し合えと言うのですか? あるいはたとえば痴漢の常習犯とあなたが対話したら、問題が解決に向かうとでも思うのですか? 痴漢常習犯は被害者に責任を転嫁しますよ。痴漢されるのは被害者が悪いからだ、女は男を誘惑する魔物だから罰するべきだといった病的な他責を、あなたは理解してやるのですか、なんのために? それで被害者を致命的な二次被害に追い込んでも、加害者を増長させ加害を助長してもかまわないのですか、どんな理念のゆえに? 痴漢の被害者がその被害について、あなたとまともに対話してくれる可能性は、まずありません。(あなたの戯言にはこの事実、客観的に明白な事実が、完全に欠落しています。)あなたは痴漢とばかり対話し、その一方的な弁明への理解ばかり深めることになるでしょうが、その被洗脳の状態で世界にどう向き合いたいのでしょう。それともあなたには、どんな病的な言明にも絶対に洗脳されない自信がおありなんでしょうか。カルト宗教がこれだけ取りざたされている時世にあって、人間の理性なんてものを、なぜ信じていられるのですか?

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クヮン・アイ・ユウ
澤あづささんへ
(2023-03-14)

澤様 初めまして。この度はコメントをくださりありがとうございます。 私は投稿時に選んで競争に参加した立場であり、またその結果七名の方に投票していただく幸運に恵まれました。推して下さった方々の為にも澤様のお言葉をそのままありがたく受け止めることは出来ません。ですが、本結果についての澤様のお考えや想いについては受け止めさせていただきました。 はい、もちろん勘繰ったりなどは致しません。本作が投稿されるに至った経緯がどのような流れや背景を踏まえてのものであるかについては、現段階では引き続き読者の方の受け取り方にお任せしようと考えております。 >DVの被害者にも、いじめで不登校になった子どもにも、加害者と話し合えと言うのですか? このようには考えておりません。 >痴漢の常習犯とあなたが対話したら、問題が解決に向かうとでも思うのですか? こちらについては、解決に向かうと断言することは出来ません。その時の私の立場にもよるとは思いますが、例えば更生保護に関わる職員として働く際にはその使命を全うしたいと思います。 澤様の常習犯に対する考えについて拝読しました。ありがとうございます。私は、様々な犯罪歴があったり依存症を抱える方々とも接する機会をいただいているのですが、自身がより良くなりたいという内発的動機を持った方を応援しています。またそうなれるようにサポート出来ればとも日々考えて行動しております。そしてそれら動機がないままに、人を傷つける方に対しては現状の法律に従い、対処される必要があると考えております。ただ、その罰というものの限界も一方で感じております。 私は被害に遭われた方がその方の幸福実現の為になる方と出逢われていくことを願っています。 私は加害者の方とばかり話している立場には今ありません。 絶対に洗脳されないという自信などもございません。 人の理性と言うよりは、その向日性に期待したい想いはあります。人の弱さ狡さを幾らか知っているつもりです。ですから構造の改革は必要だとは考えております。 澤様お声がけをくださりありがとうございます。

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澤あづさ
クヮン・アイ・ユウさんへ
(2023-03-14)

>自身がより良くなりたいという内発的動機を持った方を応援しています。 痴漢常習犯やこのサイトの罵倒家は、それには当たりませんよね。恢復のための治療を受けているなら、その人はすでに痴漢常習犯ではありません。なぜそんな関係ない話を出して、わたしの主張を捻じ曲げるのです? >私は被害に遭われた方がその方の幸福実現の為になる方と出逢われていくことを願っています。 つまり、ご自分は被害者のためには一切なにもしない、勘案するつもりもないということでしょうか? 具体的には、このサイトで罵倒家とその擁護者による陰湿ないびりが起きた場合、被害者のほうが黙って出て行くべきであると。 痴漢常習の多くはただ「満員電車に乗らない」だけのことで恢復すると、依存症界隈(ってわれながらなんだろう)では広く知られています。この「痴漢常習」を「罵倒」に置き換えれば、罵倒家に罵倒できる環境を提供し続けることは、まがうかたなきイネイブリングであるとしか、わたしには考えられません。 わたしの立場からすると、あなたの言動は自分への追い出しにしか感じられないので、きっぱりはっきり具体的に対話してくださることを望みます。あなたにどんな追い出しをかけられようが、わたしはそれに黙って屈するほど良識的な人間ではありませんので、その点で良心の咎めを感じていただく必要なありません。

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クヮン・アイ・ユウ
澤あづささんへ
(2023-03-14)

澤様 お返事をくださりありがとうございます。 >痴漢常習犯やこのサイトの罵倒家は、それには当たりませんよね。 私個人の中では当たらないと言い切れないところがあると考えています。 >またそうなれるようにサポート出来ればとも日々考えて行動しております。そしてそれら動機がないままに、人を傷つける方に対しては現状の法律に従い、対処される必要があると考えております。ただ、その罰というものの限界も一方で感じております。 また、このように続けさせていただいたことにも意味がありまして、私は「困った人は困っている人」という言葉に同感するところがあります。しかし当然ながらこのことはルール違反者を野放しにしていいという考えとイコールではありません。 >痴漢常習犯やこのサイトの罵倒家は、それには当たりませんよね。 この箇所を拝読し、澤様が例えとして挙げられるものから私の作品がどのように受け止められているかの一部について触れられたように思います。作品について説明はしませんが、そのように思ったことをお伝えさせていただきたいと思います。 申し訳ありません。主張を捻じ曲げる気など全くございません。改めてここまでのやり取りを振り返り複数回拝読しています。私の返信に不足がありましたらお伝えいただけますと幸いです。現時点でそのように感じていらっしゃるとのことですので、その点については申し訳ありません。 いつの間にか限定的な場に関するお話になっていると思うのです。例えば痴漢被害の場面、本サイト内の罵倒の場面などです。ですがやはりこの話を詳しく語ることはイコール作品を説明することとなり現時点での私には限界を感じるものとなっています。 私はその場の中で決められているルールや法律は当然ながら守られるべきだと考えています。ですので、本サイトではルール違反した者にはペナルティがありますし、現実社会でも刑事罰があるのだと思います。 私には「病的な他責」を理解出来ません。医療的ケアか、場合によってやはり行政や警察の介入が必要になるのだと思います。 被害に遭われた方を二次被害に追い込むつもりなども全くありません。 >私は被害に遭われた方がその方の幸福実現の為になる方と出逢われていくことを願っています。 この箇所は、 >痴漢の被害者がその被害について、あなたとまともに対話してくれる可能性は、まずありません。(あなたの戯言にはこの事実、客観的に明白な事実が、完全に欠落しています。) という澤様のお言葉を受けての返信です。澤様から見て私がその立場にないということでしたら、私は被害に遭われた方の回復に最も効果を発揮することが出来る方がサポートすることが望ましいと考えました。 >具体的には、このサイトで罵倒家とその擁護者による陰湿ないびりが起きた場合、被害者のほうが黙って出て行くべきであると。 この点については全くそのように考えません。ルールのあるところでルールを守れない方が出て行かなければならないことに異論はありません。 >罵倒家に罵倒できる環境を提供し続けることは、まがうかたなきイネイブリングであるとしか、わたしには考えられません。 そのような環境が継続されないように日頃運営の方々が審判をされていると理解しています。 >わたしの立場からすると、あなたの言動は自分への追い出しにしか感じられないので、 こちらを拝読して驚きました。私にはそのような想いも考えも全くないからです。 何か誤解が起こっているように思うので、よろしければ追い出しに感じられた理由を教えていただけたら幸いです。 澤様、エネルギーを割いてこうして書いてくださり、ありがとうございます。私は勝ち負けを決めたり、より良い答えを出す為にこの場で皆様とお話をしておりません。互いの理解が深まれば嬉しいと思います。

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澤あづさ
クヮン・アイ・ユウさんへ
(2023-03-14)

まずわたしの言及が作品に対するものではなく、コメント欄の展開に対するものであること、すなわち作品への誠意がまったくないことをお詫びします。この件に関しては悪意を隠し禍根を残すほうが不誠実だと思いましたので、せめて反論が容易なように露骨な悪意を書き込みましたが、そのようなコメントにも誠実に対応してくださったことに感謝します。 よく見たら引用に不足がありましたので、まず再引用します。 >こちらを出入り禁止になった方々は、今それぞれどう過ごされているのでしょう。 //中略// 私は人を追い出しても何も変わらない(とするのは言い過ぎで、変わる部分もあるのかも知れませんが)と考えています。これも当たり前なことですが、人は、変わろうと願い努力するから変われる可能性が出て来るのだと思います。罰が効果的に働いてそのきっかけを与えることがないとは言いませんが、それが効果をもたらさない時、引き続き同じ働きかけを行っても変わらず、むしろ悪化するように思います。相手の考えや想いを聴いて、聴いて、本当に私たちは話し合えないのだろうかと思うのです。 >こちらのサイトでもペナルティにより居なくなった方々がおり、私などは日頃Twitterでも書いていますが、そういう方々はみんな今頃どこでどうしているのだろうということを考えるのです。 >このように書くと、傷ついた人はどうするんだという声がすぐに聞こえて来そうに思いますが、私はその声をきちんと受けて話し合っていこうという考えでおります。やれることをやれる人がやるというのが、人がたくさん居る意味や意義深いところの一つではないかと考えます。 これらのお話が、わたしや蛾兆ボルカさんのように罵倒家との断交(話が錯綜して申し訳ありませんが、これはペナルティでなく「自発的な断交」の話です)を望んだ人への婉曲な批判であるように、わたしには見えました。もちろん、それが特定個人への批判であろうがなかろうが、あなた自身がそうお考えになりそれを成文化なさる行為には、なんの非も問題もありません。 わたしがこのような形でわざわざ苦情を申し立てた理由は、まずそれが蛾兆ボルカさんのアクセス禁止中に、かれに対話の機会を与えない形でおこなわれたこと。それよりなによりサイト内の「罵倒家との断交を悪徳とみなす潮流」に(この記事に関しては誤解であるとわかりましたので、ご言及は不要ですが、)三浦果実さんの煽動の影響があるように見受けられたことです。 罵倒家との断交が悪徳として糺弾されるような環境で、罵倒やその圧力に堪えられない者が取れる手段は、このサイトから去ることだけですので、追い出しをかけているのと同じだと考えました。あなたとはまったく関係のないことですが、事実三浦果実さんが随所でそのようなことを吹聴していますので、ここでの発言はほとんど八つ当たりです。その不誠実を改めてお詫びします。 * 三浦さんにはなにを言っても無駄ですし、だからといってあなたにその愚痴を聞いていただくのは筋が通りませんので、わたしの話はこれで切り上げたく思います。わたしは知人ですらない他者との対話を、むしろ危険なものと考えており、あなたにこれ以上の危害を加えたくありません。 わたしの疑問は解決しましたので、以後この件に関して、下衆の勘繰りに基づく事実無根の吹聴を、サイトの内外のどこにおいても一切しないことを約束します。最後に、おまえが言うなと自分でも思いますが、クヮン・アイ・ユウさんの以後のご活動が下衆に妨害されませんよう、心よりお祈り申し上げます。

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クヮン・アイ・ユウ
澤あづささんへ
(2023-03-15)

澤様 再引用を行ってまでご丁寧に伝えてくださりありがとうございます。澤様が今回何を発端にこちらにコメントをされたのかがごく一部ではありますが、お陰様で理解が深まりました。ありがとうございます。 私が日頃出逢う方々の中にはルール違反により場を去ることになった方々が多いです。社会では「あの人は困った人だ、不気味だ」と見た目や行動等からそう思われる方々も多いです。ルールを取り入れることで場が守られる仕組みの中において、それを守れないことで罰を受けたりそこに居続けられないということは当然であると思います。その方々が問題行動に至るまでの背景に目を向けて働きかけようとする方も多くはありませんが社会にはいらっしゃるように思います。犯罪を行った方についてはその罪を償ってからの話にはなりますが、更生というものがそれを指すのだと思います。私は現代社会において被害に遭われた方々へのサポートが十分だとは思いません。そういった方々へのサポートが手厚くなればいいなと心より願っておりますし、微力ではありますが労働を通してその参画も出来ればと日々努めております。一方で、いわゆる危なそうな人、怖そうな人、困った人(もちろん犯罪を犯した方についてはその償いをした後の方を指します)等に対してサポートする人は多くありません。私は社会に色んな人が居ることについて、各人が選択の上どう生きるか、そしてその中で例えば誰を支えることに注力するのかということが選べるということに意義を感じています。力を注ぐ場所は違っても、世の中を良くしようとすることにそれぞれがそれぞれの立場で尽力出来ればいいなと希望的過ぎるかも知れませんがそう願っています。 ありがたいことに既に澤様の方で把握していただいていると思うのですが、私は「自発的な断交」を望まれる方を批判するつもりは全くありません。 澤様が今回コメント欄でここまで述べられた点以外の部分のどの方向や点について私が本作にどのような想いや考えを込めたかをもしもお考えいただけるのでしたらこれ以上嬉しいことはございません。また今回のやり取りを通して自身の思念について言葉で表現することに一層精進してゆきたいと考えております。 澤様、ここまで本当にありがとうございました。

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クヮン・アイ・ユウ
作品へ
(2023-03-15)

皆さまこんばんは。クヮン・アイ・ユウです。 勇気を出してチャレンジの精神で2/10に投稿してから、コメント欄での対話に取り組んで来ました。本掲示板の仕組みの都合上、コメント欄の利用は3月末日までとなっています。タイミングによってコメント欄の閉鎖までにお返事が出来ないことが想定されますが、その後も自身のブログを使ってでも返信は行うつもりです。ブログは、こちらのクヮン・アイ・ユウのページに紐付けているTwitterアカウントのプロフィール欄にURLを記載しています。 皆様、ここまでコメントを下さり誠にありがとうございます。残り期間何卒よろしくお願い致します。

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澤あづさ
作品へ
(2023-03-15)

>澤様が今回コメント欄でここまで述べられた点以外の部分のどの方向や点について私が本作にどのような想いや考えを込めたかをもしもお考えいただけるのでしたらこれ以上嬉しいことはございません。 上のコメントで話を終えるつもりでしたが、作品への誠意を片鱗も見せないまま去っては恥の上塗りだと考え直しましたので、最後の最後に作品への言及を置かせてください。 >「ある方が述べられている話の中で、どんな言葉が使われ、その言葉にはどんな意味が与えられ、あるいはどんな関係性が用いられているのか等々、私たちが相手の方にまず聴くという姿勢を持たなければ、積み重ねてゆけないものがあるのかも知れません。」(作品より) このことですが、これまでに伺った「困った人は困っている人」へのサポートに関することに限っては、わたしとクヮンさんでは「対話」の定義が違うようだと感じました。 わたしはいちおう心理学部卒なので、「困った人は困っている人」については、おおむね理解できているだろうと思います。それを踏まえて以下に、わたしが思う「おそらくクヮンさんがなさっていること」のイメージを述べます。 * クヮンさんも依存症のかたと関わりがおありなら、断酒会などの自助グループをご存知であろうと思います。ああいった場でおこなわれている棚おろしは、厳密に言えば対話ではありません。根本的には、話し手が一方的に話すだけです、心理師のカウンセリングと似た形ですね。その一方的な話を聞く行為は、聴(き)くというより、聴(ゆる)すというほうが近いように感じています。 話し手はその場で擬似的にですが「あるがままの自分を許される」ということを経験します。その経験を糧に「自分を許す」という目標への、遠い遠い道のりを行くのだと思います。底つきを経験したような人が、世間の意にそえず承認されない自分自身を許してやるというのは、並大抵のことではありません。かれらが自分を罰したい衝動に駆られて死んでしまうまえに、他人が許しの手本を見せる必要があります。かれらは自分を許す方法を知らない、許せない自分から逃げるために依存してきたわけですから。 クヮンさんのわたしに対する対話は、この許しの手本としての聴(ゆる)しに近く感じられました。これには(わたしには以後もちろん不要ですが)需要がある、たしかに不足すれば死に至ると、父と祖父を自殺で失った経験から、わたしは確信しています。いずれクヮンさんに救われれる命があるだろうと思います。どうかそのまま、行くべき道を行かれますように。

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クヮン・アイ・ユウ
澤あづささんへ
(2023-03-16)

澤さんおはようございます。コメントを下さりありがとうございます。 >聴(き)くというより、聴(ゆる)すというほうが近いように感じています。 この箇所、自らの行動や姿勢に名前をもらうようで有難く拝読しました。言葉にして届けて下さり、ありがとうございます。私は言葉(名前)より意味や中身について触れていながら、後でその名を知ることが多く、だからこそ言葉の素晴らしさを教えていただいているように感謝の気持ちと共に感じています。それもこうした皆様との関わりを通して体験させていただくことが多いので感謝し切れない想いです。 確かに私は、今のこの世界で、いったい誰が人の話など聴いているのだろうということをやり切れない想いと共によく感じていました。 幸運にもこうしてエールをいただき、また一歩ずつ頑張ってゆこうという想いを新たにしました。澤さん、ご家族様の大切なお話と合わせてこうして伝えて下さり、本当にありがとうございます。

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