作品投稿掲示板 - B-REVIEW

白目巳之三郎


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「愛で人は語れますか/夢に人は溺れますか/それは、世界を二つに分けた時の些細な誤差」 とか 「精神的なものが飛躍してるわけではなく/身体的なものが遅れているだけ」 など、解釈しようとすると手からこぼれ落ちていくような言葉の数々がとても印象的な詩でした。非常に深さを感じます。 「青」の連続もいいですね。とても、深みを感じます。 最後の 「知らない男に手を引かれ対岸についた私は、多分怒鳴られていると感じながらせっかく着てきた白いワンピースがそのままであることを確認して、また、歩き出す」 がなんとも。僕は主体を男性で読んでいたので、その驚きと同時に、解釈からこぼれ落ちる言葉の繰り返しに心打たれました。 (パレード)

2020-09-07

ふじりゅうさん コメントありがとうございます。ベースとして七五調の中に、異物が入ってくるイメージでしょうか、個人的にはやはり、音の美しさとしては七五調に勝てないと思っていまして、それを自由詩の中でどのように拡大していけばよいのだろう、と時折思います。「にやりと笑う」というのは気に入っているフレーズで映像的に非人間的な、奇怪な笑みが浮かべばいいなといつも思っている一節です。 繰り返しも、まだまだ、難しいところです。どのように用いたら効果的になるか、深堀が必要なところです。 (爛れた大地の片隅で)

2020-09-07

戸ヶ崎朝子さん コメントありがとうございます。羅生門ですか!今度見てみます! (爛れた大地の片隅で)

2020-09-07

全体として、一つの風景を結ぶとか、何か物語になっているとか、そういう詩ではないのですが、何故か心打つものがある詩でした。繰り返される体言止めの面白さ、結びついているイメージの面白さ、光黄体の謎(光黄体というのは造語という解釈であってますでしょうか)、それらが絡み合って一つのそこはかとなさを生み出しているなあと、感じました。 (光黄体)

2020-09-04

沙一さん コメントありがとうございます。なるほど!完全に自分の中では散文風に書くしかないと思って書いた、ご指摘いただいているように実験的な詩の一つなのですが、改行して書きなおしてみたところ、だいぶ、印象が変わりました!いや、面白いですね。大変助かりました。少しこの線の詩については改行を考えながら書きたいと思います。ありがとうございます! (爛れた大地の片隅で)

2020-09-04

独特の哀感がある詩だと思いました。ところどころに使われている擬音語的な言葉がなかなかに詩全体に聞いていて、諦観と共に救いを感じる詩でした。 (Allegro Tempestoso)

2020-09-03

何故か、読み返してしまう詩でした。何と言ったらよいのでしょうか、ここまで自己に正直につづった文章というのも珍しい、と言ったらよいのでしょうか。(もし、書かれている内容が全て創作でしたら、それはもう、僕は天才と呼ばせていただきます笑) 特に面白かったのは、主体の揺れ動きです。悪く言うと、主体に一貫性がないのですが、しかし、そのために非常に人間味あふれる文章になっているのを感じました。 例えば、 『妻/は最近、一度なかばやけになったように、その気がないのに決然と/して今晩しようと言った。私はたまらなく辛い気持ちになった。』 などというように、ある時は、優しく良識的な夫としての自己像を語るのですが(悪く言えば自分を優しく良識的な夫だと見て欲しい主体と言ってもよいかもしれませんが)、ある時は 『この目はよく見たことがあ/る。人が均質な集団の中に危険な異分子を発見するときの目だ。』 と少々攻撃的で才気がかった風の粋がりだと考えてもよい思想を表明し、それでいてある時は、 『自分が誰の奴隷にもならず、誰も自分の/奴隷にしないためだ。/これが二〇代後半からの私の信条だ。』 と少年のような理想主義を掲げる、この一貫性のなさが絶妙でした。 しかもそれが、流れで読んでいくと一貫しているように見えるというのが、これまた面白く、個々を分解した場合明らかに一貫性がない部分がありつつも、それらがつながっているように見える(それゆえに人間味を感じると僕は思ったのですが)、その面白さを感じた詩でした。 少々長くなりました。もし、揚げ足取りのようなコメントに感じたらすみません。しかしながら、久しぶりに長い詩なのにも関わらず、何度も読み返した、深みのある詩に出会ったと個人的には思っています。 (『ふたたび殺戮の時代』のためのスケッチIII)

2020-09-02

箴言としては完璧な感じがします。確かにその通りですね。大いに納得しました。 これを元ネタにして詩的に拡張していったら面白い感じになるのではと思いました。 (練習と試合)

2020-08-25

蛇を自分の身に取り込むというイメージは僕自身も持っていたイメージだったので、とても面白く読みました。その時はあまり他人から与えられたものというイメージではなく、自分一人で取り込むというイメージだったので、この詩で語られている誰かから受け取った蛇、というイメージは面白いものでした。 (蛇を呑む)

2020-08-24

いわゆる日本的な叙情的な短歌というより、より思想的な背景に通底された即物的な短歌、面白く読みました。「哀しみ」というより「悲しみ」を感じ、海外的なエッセンスを取り込もうとした挑戦的な短歌だなあと感じた次第です。 (暗中讃歌(短歌))

2020-08-23

狂人が書いた詩と芸術家の書いた詩の狭間にあるようなギリギリな詩でした。 一歩間違えば完全に犯罪者の書いた絵のようなところへ落ちていくのを踏みとどまっているという印象です。 それゆえにとても刺激的でした。普通に面白かったです。 ミステリー小説か何かで、異常者が残した手記として使いたくなるような一節でした。 (悪い意味で言っているわけではありません。悪しからず。) (┣文字描き┳月夜乃海花┫は死んだ)

2020-08-22

パパの妄想という仕掛けで歴史を夢想していく流れに酔いしれてしまいました。 その中に過激な思想を織り込んでいるところも、どこか丹念に織られた長大な織物を見ているような気分になって、とても感服した次第です。 素晴らしい詩でした。 (パパの日曜日)

2020-08-21

読者がイメージを結びきれない絶妙なバランス感、それがとても心地よい詩でした。 即物的な言葉の使い方にとてもセンスを感じました。 (一定再見)

2020-08-21

具体から超現実へと移行していく詩の流れ、とても好みでした。 「空になった部屋の中に/サイコロの目が六 3つ」という部分は一見すると確かに唐突ではあるのですが、現実感が僕としてはあって、とてもいいなあと思いました。 どこかマグリットの絵のような、そんな詩でした。 (気のせい)

2020-08-21

「敢えてわたしを無機的に喩えるなら、ちょうど音のようだと思うのです」この一節に密かな詩人の自負を感じるとても好みな詩でした。「蛍光灯の明滅でもないと思ふのです」や「コリャコリャ」あたりには宮澤賢治的ななにかを個人的には感じました。 最後の「ひとを詰るのではないのです/畢竟わたしがそのほとんどなのです/この詩もさしてはとどかないのです」という部分から感じる諦観は深いものがあって、そこはかとなさを感じました。自分の中の何かがはがされていく詩的体験を、久しぶりにさせていただきました。 (わたしの無機的介錯)

2020-08-20

妙な入れ子感がとても印象的で引き込まれる詩でした。「順番に人がやってきて /彼らと待ち合わせていたことを知った」、彼らって誰?「夢の中で出会う人々は見つめるほど」夢の中で出会う人々なのかなあ、などと言うような、この後出しジャンケン感が僕は好きでした。 「私が/語らなくても/書かなくても/痛みを追いかけなくてもいいという冷たい水を/与えてもらえるのを待って/部屋の隅でじっとしている枯れそうな鉢植え」この辺も同じような印象です。 テーマ的に非常に繊細な(という言葉が適切か分かりませんが)ものを扱っているように思えて、それが最期まで繊細に扱われているのがとても、すごいなあと思いました。下手をすると青臭い中二病的な、メンヘラ的な内容になりかねないのを、ギリギリのところで踏みとどまり、詩にしているのがとても心地よかったです。 (夢の中の風船)

2020-08-20

とても完成度が高いことを前提にしてコメントします。 少し抽象的になってしまうのですが、「ぼくが、一歩だけ、あぜ道をあるくと。/田んぼが、一歩だけ、後ろにあるく。」という空間把握、つまり田んぼなどの風景もまた人称化されるような空間把握が、とても印象的な詩だと思いました。ただ、この空間把握が詩の後半になると消えているような気がして、個人的には同じような空間把握のシーンか、もしくは亡くなったおばあちゃん(という解釈でよいでしょうか)との何かしらの対応関係を立体的に浮き彫りにするとより説得力のある詩になるのではないかと、邪推しました。 しかしながら、詩全体に広がるなんとも言えない風合いがとても心打たれる詩でした。 (あぜ道)

2020-08-19

短い詩ですが、なかなかに憎めないところがありました。相田みつを的な何かを感じます。 (心 贈ります)

2020-08-19

当たり前のことを言っているのですが、とても心に響く詩でした。 少し気になったのは最後の一行です。それまでの「わたし」は詩人個人というよりは広い意味での「わたし」であったの対し、微妙なところですが最後の一行(その前の一行を含めてもいいかもしれませんが)で述べられている「わたし」(直接は書かれていませんが語っている対象として)は詩人個人の「わたし」な気がして、もしかしたら最後の一行なしで「わたしはわたしがきらいだ」で切ってしまった方がきりが良いような気もしました。もちろん、僕個人の印象なのであしからず。 とはいえ、個人的には詩全体に敷衍している言い切りのよさはとても魅力的に感じました。 (わたしにうそ)

2020-08-19

最後の一節がいいですね。「綺麗」という言葉の深みを感じさせるます。誰しもが持ってる叫びのように聞きました。 (提灯)

2020-08-16

最後の一節がとても印象的でした。呪われた太陽がどのようなものか、非常に気になりました。 (教室)

2020-08-16

夢落ちはあまり好きではないのですが、この感じの夢落ちはとても好みです。絶望的な雰囲気は感じましたが、同時にとても客観的な目線も感じる一節でした。 (furu)

2020-07-24

疾走感があって、とてもいい作品でした。小説の終わりあたりに書かれていたら、おおと思ってしまいそうな一節でした。これで完成なのだとは思いますが、ぜひ長い文章にして完成してもらいたいと、一読者として思った感じです。 (八月某日。)

2020-07-24

トマス・ピンチョン的なニュアンスを感じた詩でした。アメリカのちょっと気の狂った小説の一節のような。この文体で物語を紡いでいって小説を作ったら、とっても面白いものになるのではないかと、思った次第です。 個人的には落ちそうで落ちない感じと言ったらよいのでしょうか、とても好みでした。 (あるいは、愛のこととか)

2020-07-24

嫌いじゃないです。詩なのか、と言われると首をかしげるところがありますが、最後の『ゆっくりでいい。荷物をまとめて。』はグッとくるものがありました。 この詩の中にリズムなのか音楽的なものが入るとよりいい感じになるのでは、と勝手ながら思った次第です。 (ここではないところ)

2020-07-24

好きなテイストの詩でした!『仕事行くのに可愛いので武装しないと負けちゃいそうになるし』は完全に気持ちは理解できないのですが、「はーそうなのかあ」とため息をいい意味でつける感じがありました。 あと終わりの「梅雨だし幸せ感じづらいけど」というのがなかなか渋い締め方で、日本的な感じもして、とてもよかったです。 (君と梅雨)

2020-07-20

重ね重ねのコメントありがとうございます。 丁寧に説明していただいて、前のコメントの意味が分かった気がしました。 かなり意図的に主語を重ねている部分は確かにあって、日本語の中にいかにして西洋的な主体性を持ち込むかを考えていたら、かなり主語を強調するような詩になっていたのだと思います。 日本語で表現するならば、確かに主語の操作はある程度必要なのかもしれません。 もう少し創意工夫を重ねてみます。 本当に丁寧なご指摘で、ありがとうございます。助かります。 (詩を作るということについての一省察)

2020-07-18

ご指摘ありがとうございます。 なるほど、、主語の問題はありそうですね。 そこら辺は意識的にやってみます。非常にためになります。 ありがとうございます。 (詩を作るということについての一省察)

2020-07-18

コメントありがとうございます。古風であるというのは確かに問題です。正直を申せば、現代の言葉の中に僕は詩を見いだせなかった、というのがあります。ある意味で、好きだった海外の翻訳の詩の言葉の中に逃げている、そう言われていたしかたがない部分があります。 誰かが現代の言葉の中に詩を見出して欲しい、そう願わずにはおれないところです。現代の日本のヒップホップなどはかなりいい線をいっている気がするのですが、詩単独でどこまでいけているのか、正直、はかりかねている、という部分があります。 鋭い指摘ありがとうございます。自分の詩のことについて振り返る意味でもありがたかったです。 (詩を作るということについての一省察)

2020-07-17

コメントありがとうございます。『詩を書く事に迷いやためらいはもうないのかもしれない』は少々持ち上げ過ぎです(笑)うれしいことではあります。 徐々に確度をあげていって、はっきりと言葉を掴んでいきたいところではあります。 (詩を作るということについての一省察)

2020-07-17

色々な部分に示唆を感じる詩でした。具体性と『人間は生まれたら堕ちるだけだから仕方ない』のような哲学的(?)な部分とがいい感じで絡み合っていて面白いなあと思うところではありました。『韓国製のウォッカと/無料のモンスターを割り/白米と共にいただく』この辺も好きでした。 ただ最後の『真実も嘘に代わる 変わる』は「真実も嘘に変わる」だけでいいような気もしました。愛と嘘は不思議な関係性があると僕自身も思うので、言っているニュアンスは分かるのですが、『真実も嘘に代わる 変わる』という部分を補完する具体的な事例がそれ以前のどの部分にあるのか僕にはどれか分からなくて(抽象的な概念が突然現れてきてしまった感じがして)、それであれば繰り返しで強調せずに「真実も嘘に変わる」だけで突っ張ってしまった方が分かりやすいのでは、と思った次第です。個人的には、という感じなので悪しからず。 とはいえ、日本の都会とか街の風景が読んでいるだけで浮かんできた、心にささる詩でした。 (シャッターアイランド)

2020-07-16

『もはやひとりとして、自然なままに、わたしは愛することをしないでしょう。自然と愛するということにも、作為があると、気づいてしまつた。』 この辺りは深いなあと思わされました。 『に、わたくしは、かの女を、所有しようと欲したのだ。舞うことこそが、かの女の、本懐』 この辺りは「嫌いじゃないなあ」というところでした。いい意味で、女の人をめちゃくちゃにまつり上げている感じがあって、気持ちはかなり理解できます(笑) 『蝉が鳴き、夏は盛りに、亡者となつたわたしには、この夏が、とわにまわると思われた。』 と繰り返されている部分も、語感的にかなり味わい深かったです。 ただ、これは詩なのか、と問われると、「うーん」と悩んでしまうところがありました。かなり個人的で特殊な感情な気もしていて、これを多くの人に理解できる地平に落してきて初めて詩なのではないかなあ、と思う僕もいた感じです。 とはいえ、このニュアンスは好みです。この雰囲気を極めきった先を見てみたいと思った詩でした。 (うつろな夏)

2020-07-16

聖書の話を詩にしたと邪推しました。あまり詳しいわけではないので、幾つか分からない象徴もありましたが(『森洗』これは何と読むのですか?「もりあらい」?ですか)、『今日**絶えた』『かの故郷』というつながりがなんとも個人的に気に入ってしまいました。 もし意図したものではなかったら申し訳ないのですが、『妄りが来る』からの『今日**絶えた』『祉有りし』(これも何と読むのですか?「しありし」もしくは「さいわいありし」ですか?)『かの故郷』、それからも一度『今日**絶えた』『妻逃げよ/かの故郷』と重ねられると、どこかギャクのように響いてしまい、塩の柱の話は悲劇的な話ですが(もし聖書の話が元ネタというのが合っているなら)、この詩は喜劇的な風合いがあって、それがなんともよかったです。 (塩二帰ス)

2020-07-14

何度もすみませんね。 一応こちらとしても丁寧に感想は書いていただいた方が分かりやすいというのはあるので、決して運営の方の対応はとりあえずの対処として間違っていないとは思いますよ。いちいちどう思っているか投稿者側に聞くのも面倒ですしね。 まあ、かどを立てずにというところで(笑) (詩を作るということについての一省察)

2020-07-14

コメントありがとうございます。 どうしても理想を語るうえで閉鎖的な風合いが出てしまいがちなので、あか抜けたというべきか、開放的な雰囲気は出したいなと思って書いたつもりでした。聴覚的な部分や視覚的な部分は意識して書ききれているわけではなかったので、ご指摘のおかげで逆にはっとさせられた感じがありました。 いつも社会の中の垢にまみれた人間が、何かに憑りつかれたせいか、街全体を見渡せるような場所にあるお墓に行ってふと気づいた、というシチュエーションを詩全体のイメージとして想定していたので、詩の中の主体は実は世間的に見れば超俗的な存在ではない、というところはあります(描ききれているかは分かりませんが笑)。そんなことをコメントを見て思いました。 引用までしていただいて、丁寧な感想、ありがとうございます。 (詩を作るということについての一省察)

2020-07-14

ブレイクの詩を見たら僕も訳したくなったので、訳してしまいました(笑) やはり、英詩を訳して詩にするのは難しい……。 でも、久しぶりにブレイクの詩を読みましたが、いいですねブレイク。 彼の神秘思想的な部分に深く感じ入る所がありました。 虎よ虎! 夜の森にて 燃え上がり 光満たるかの炎  いかなる不死の手と目とが  恐れのみちる和なるもの 作り出したというのだろう?  君の目の 火の燃えあがるは  どれほどの 遠き地にある海なのか 否、空なのか?  どんな翼で大胆に 天空なるもの彼翔けたのか? どんな手が かくなる炎を大胆に 掴むものだというのだろう? しかしてだ いかなる肩とそして業(わざ) 君の心の胆力を より合わせたというのだろう? しかしてだ 君の心の打ちはじめ まさにその時 恐ろしき 君のその手はいかなるもの? 恐ろしき 君のその足いかなるもの? いかなる槌か?いかなる鎖か? どのような かまどであるというのだろう? 君の脳髄 ある場所は いかなる鉄床(かなどこ)? 恐ろしき いなかる握力 死に至る かの恐怖をも大胆に 掴んだものだというのだろう? 星々が己の槍を投げつけて 己の涙で天国を 潤したる時 自らで つくりしものを見て彼は 笑ったものか? 子羊をつくりし彼が 君もまた 作り上げたというのだろう? 虎よ虎! 夜の森にて 燃え上がり 光満たるかの炎  いかなる不死の手と目とが  恐れのみちる和なるもの 作り出したというのだろう?    (The Tyger.)

2020-07-12

詩の中に具体的な場所や名称が一切ないのですが、なぜか具体的な風景が浮かんでくる不思議な詩でした。 書き方や雰囲気は違いますが、どこか宮沢賢治を読んでて思い出しました。どこか似たエレジーの感じがあるのかもしれません。 一つ思ったのは、「氷室に横たわる銀鱗でもないそれ/は、地平で赫く ひ だ」はこれほど分節化しなくてもよいような気はしました。僕の価値観になってしまうのかもしれませんが、少なくとも「それ」と「は」は行またぎしなくてもよいのではと思いました。 とても神秘的で不思議な世界に誘ってくれる詩でした。(特に最後の「くすぶる凍える火」が個人的にはオチとしても好みです。) (ふゆのひ)

2020-07-12

「気持ち悪い」というのが僕の最初に読んだ時の印象でした。この目線で見れる作者の異常性が僕は好きでした。 「たわわに実った無口な老人になった頭を/やはり含蓄深い顔の老人が刈り取るだろう」というような古典文学に書かれそうな一節がありながら、「黄身と醤油でぐちゃぐちゃにして食べる/栄養満点」というちょっとお茶目なシーンが入っているというのもなかなか渋さを感じました。 「気持ち悪い」のですが、ちゃんと愛がある風合いがあって、そこがなんとも、よい感じでした。 (田園)

2020-07-12

すでにコメントされている事ですが、僕も詩というより小説の一節のような感慨を受けながら読ませていただきました。 最初の一節の環境の変化と共に変わっていく友人たちに対する批判的な、でいて世間的に見れば、おそらく別に普通のことである友人たちの行いに対するまなざしを、友人たちを批判せずに批判したというところに非常にうならされた作品でした。 しかも、最初の一節以降の情景はともすればあまりにも純情になりかねない主題だと思うのですが、ちゃんと影があり、ただの澄み切った青春の一風景ではないというのが、なんともすごいとしか言いようのないところです。 いつか、長い小説の一節か何かで使ってほしいなどと、一読者として思ってしまった作品でした。 (夏の制服、純白の黒髪。)

2020-07-12

運営の方からのご指摘等ありましたが、僕個人としてはさほど傷ついたとか、ひどいコメントだ、とかは思わなかったので、これからも鋭い批判をいただければなと思っています。なかなかコンプライアンスというやつは難しいところ(規則は規則だという概念は様々な価値観を持つ人たちをまとめる上で必要であると思います)だとは思いますが(笑)、よろしくお願いいたします。 (詩を作るということについての一省察)

2020-07-12

いや、ありがとうございます。そう言ってもらえると救いになりますわ(笑) まあ、でも、それは僕も賛成です。貴族的(?)と言われそうなところですが、だれが何と言おうとこうなんだという言葉を持っておくの大事ですね。 (詩を作るということについての一省察)

2020-07-08

確かに、そうなのかもしれないです。ご指摘、手痛いところではあります。 個人的にはある種のヴィジョンを書くのが詩人だと思っていて(昔の宗教者の恍惚状態のイメージみたいなもの)、現実と乖離すればするほど(もちろん現実感は必要だと思います。)、良い詩だと思ってしまう傾向があるので、その面が出てしまったのかもしれません。 もちろん、もっと土臭い人々に現実に寄り添った詩というのも必要とは思います。 ただ、理想を臆面も羞恥もなく、つらつらと、馬鹿げた感じで書けるのも詩人の一つの楽しみではないかなと思ってしまう今日この頃です。一つのジョークとしてこの詩を受けとってもらえるとありがたい限りです。 (詩を作るということについての一省察)

2020-07-07

否定的な事柄をいかに甘美に書くかというのが、個人的には最近のテーマでもあるので、そう言っていただけると嬉しいところです。 コメント、ありがとうございます。 (詩を作るということについての一省察)

2020-07-07

言葉ならび的には世間から見るとかなり混沌としているかなと思う面もあったので、自負心と言ってもらえると少々照れてしまうところです(笑)。 コメントありがとうございます。 (詩を作るということについての一省察)

2020-07-07

とても不思議な詩であり、個人的に好みの詩でした。生活の風景と、カンブリア紀の海(?)、原始の海というものが混ざり合って、夢か現か分からなくさせるような効能がある詩だなと思いました。それでいて、現実に戻ってきても、夢の、想像力の世界が確かに依然として存在しているということが、最後の2連あたりで感じられ、それもさらにこの詩の味わいを深くしているなと感じました。 (卓上の海)

2020-07-06

なぜか魅力的でした。なぜ魅力的なのか分からないのですが、とても心惹かれる詩です。「打てば腫れる肌なのに、/吸えば湿る唇なのに。」この2行の語感が絶妙で、内容以上に肉感的に聞こえると言ったらよいのでしょうか。4行の短い詩の中にすべてをいれこむその技巧なのか感性なのか、感服してしまいます。 (女子高生)

2020-07-06

とても面白い詩でした。ただ、僕的には最後のオチがあんまりしっくりきませんでした。最終連手前の「黒い身体の静かに/静かに死んだものでした」というのは「おお」とかなり迫ってくる死の表象だったのですが、それに対する感動が題名の通りの『排除』になっている感じがして、逆にそこを裏切ってほしいと思ってしまった一読者としての自分がいました。つまり、排除は仕方ないことだけれども、それを越える瞬間が実はあるのだ、という詩人の気づきを表明してもらいたかったと、おこがましくも自分の価値観を押しつけてしまうような詩でした。 とはいえ、とても、感動的であったのは確かです。ありがとうございました。 (排除)

2020-07-03

とても個人的にはいい詩でした。青年的な疾走感とでも言うのでしょうか、そういうものが表されていると同時に、「太陽の鐘が鳴っている」という部分が非常に効いていて、どこかその中にある影を暗示させていると思いました。しかし最後は「君のもとへ」という一節ですべてが肯定されている感じがまた若々しく良かったです。 一つ思ったのは、「また 孤独」がそれまでの「また」のくりかえしが動詞で締めくくられていたのに対して、名詞で終わっているので、もちろん、これによってリズムを変化させるという意味では面白いとは思ったのですが、その後の「森は」「石は」「月は」あたりがすべて動詞につながっている事を考えると、この部分だけ体言止めのような形にしていることに疑問を感じました。。 以上のことは価値観の問題なので、聞き流してください。とにもかくにも、疾走感が、僕にはとても心地よい詩でした。ありがとうございます。 (太陽の鐘)

2020-07-03

内容として非常に直球でしたが、なぜかとても刺さる詩でした。「ならば/幸せで/ならば 何事もありませんように」などの部分はリズム的にも内容的にも深さを感じました。全体的にも、ここで語られている何者かの気配が伝わってくるようで、鳥肌が立つような、いい意味で怨念じみた何かを感じました。 以下、些細なことの指摘なので、軽く読み飛ばしてください。 「数多く起きる/災厄が」と「真夜中の窓に/人影が映る」の二行は両方とも、個人的には一行にまとめてもよいような気がしました。 以上です。とても面白く読ませていただきました。ありがとうございます。 (街並み)

2020-06-28

こんにちわ。作品とても面白く読ませていただきました。 これは個人的な好みの問題になってしまうかもしれませんが、重い主題(僕としてはとても重い主題のように感じたのですが)をあつかえば扱うほど、ギャグの要素が大切だと思っています。(伊丹十三の『お葬式』のようにと言ったらよいのでしょうか)読み手がギャクだと思わなくとも、そのような要素がある、ということが大事なのではと思います。それゆえに、読んで「ああ、そうだよなあ」と感じ入る部分がありながらも、「これを書いてて楽しいのかなー」と思ってしまう頓狂なわたくしもいて、なかなかなかなか難しいなあと思わされてしまいました。 ただ、『人がそればかりを思いふけるこの夜に』などは含蓄があって、はっとさせられた部分も多々あります。上記に書いたことどのように思われているのか、少し気になった詩でした。とてもいい詩でありながら、僕個人とは価値観が違う方向性を持っているではないかと思った次第です。 (〈安閑夜話〉 雨の橋 )

2020-06-28

横山はもさん、こんにちわ。 感想ありがとうございます<(_ _)> 世界を、なんと言ったらよいのでしょう、総体的にとらえる、善悪を丸め込んだ、太陰太極図のようなものを想像していただければよろしいのですが、そのような視点を取り入れるべく私自身も日々修練、といったところです。 新しい見方のきっかけにこの詩がなってくれたとするならば、個人的にはありがたい限りです。 非常にうれしく思います! ある種、私個人としては今のところ、突き放すような書き方しか出来ないところもありますので、もし今後、何かひっかかるところがありましたら、指摘していただけるとありがたいです。 感想ありがとうございます。 (病の花)

2020-06-28

僕自身はあまりゲームをやる方ではないので、よくよくは分かりませんが、なるほど、そういうとらえ方があるのか、と目からうろこの詩でした。一つあるとしたら、ゲームで感じる感情が、僕らが例えば恋愛とかスポーツとか、そういう一般的な事柄で感じる感情と同じなのだと、もっと詩から感じることが出来たら、めちゃめちゃ面白い詩になるのでは、と思いました。個人的にはこのような発想はできないタイプのものなので、とても面白く読ませていただきました。ありがとうございます。 (気配)

2020-06-25

 とても刺激的な投稿、ありがとうございます。僕はどちらかと言えば、千才森さんの言うところの「自己完結気味の詩人」タイプだと思いました。(以下投稿の意志に反して小難しく暗い話になります笑)  僕は詩に関しては自分の詩がまず、今までの詩の伝統、宮沢賢治や萩原朔太郎など(少々古典主義的なもので申し訳ありません)の詩人たちの末席に加われているかどうかを考えることが先になります。そしてまた、僕の100年後の子供たちや、友人の子供たち、そこまで遠くにならなくとも、地元の同級生たちがたまたま僕の詩を手に取った時、それが彼らの救いになるかどうか、それが自分の詩を見る際の判断材料になります。(偉そうなことを言っていますが、自分がそこに届いているとは思ってはいませんので、お気を悪くなさらないでください)  そしてこれは、僕の信仰に近いものなるのですが、ある程度そのラインまでいっている詩はかならず世間的に評価されると思っていて(現在の文壇に関して様々な意見があるとは思いますが、少なくとも一線にいる人たちを信じなければ始まらないと思っているところであります)、まず何かしらの方策で世間的に知名度のある状態に自らを置かなければ始まらないとも思っています。(ここに関してはやり方としては千才森さんと異なりますが、同意する部分かとも思っています)それから取りうる方法としてYoutubeやSNSの利用といったものが始まると私は考えています。(僕個人としてはYoutubeやSNSをさほど信頼していない、かつそれによって仮に広まったとしても果たして自分が広めているものがよいものかどうか、僕的には自分の中に確信を持ちきれないというのもあります)  やはり僕はまず自分ありきで考えますので、自分のやっていることに確信を持つ、そしてとりあえず世間的に評価が存在するとされている場所で評価される、それから、初めて拡散する立場になりうる、というこの順序の方が、少なくとも僕にとってはちょうどよく、自分に対する戒めも込めて、ふさわしいと考えています。(これは僕には当てはまっても他の人の当てはまるとは思いません)詩だけで評価される(今までの詩の伝統を考えたら)、ということがまず必要なのではないかと考えています。それゆえにかどうかは分かりませんが、僕は詩に関しては、現状であるならば、広まらなくてもよいと考え、つまりかつての詩人たちほど我々は詩を広められるほどの実力がないのだと、深く自分に信じ込ませ、その十字架の元、詩を広める、という態度がまず必要なのではないのかと考えるところではあります。  少々長くなりまして、申し訳ありません。あと、投稿本文とはだいぶコメントがずれてしまいましたことも、お詫びさせてもらいます。いろいろ考えさせていただいて、ありがとうございました。 (詩を知らない人になるべく批判されないよう強制的に読ませて考えさせ一緒に楽しむ1つの答え。金を積んで依頼する編。)

2020-06-24

少し厳しい意見になってしまうかもしれないのですが(私個人としても出来ているという訳ではないのですが)、「月暈に翳し選び出す」や「痣の黝色へ惹き付ける」といった言葉がはっきりと体感をもって理解して使っている言葉なのかどうなのか、疑問を感じてしまうところがありました。(記憶が正確ではないのですが)吉行淳之介が自分の彼女か女友達か忘れましたが、「からだ」という言葉を表現するのに「躯」という漢字を彼女が使っているのを見て(吉行淳之介は「からだ」と書く時にいつも「躯」と表現していたようなのですが)、それは使ってはならん、自分がそのように「からだ」を「躯」と表現するのには個人的に深い由縁があってのことで、それはお前が使っていいものではない、と言ったという逸話があるそうです。そんな感じの少々、肉体感覚から離れた言葉遣いが行われているような、そんなニュアンスをこの詩の言い回しからは感じました。(体感に近い言葉しか使わないように努力すべきだというのは私の価値観なのであしからず。) ただ、「裏山へ飼犬を埋めに行きました/そうして少女は人間を辞めたのです」とか「認識の魍魎」といった表現は非常に魅力的でした。比喩の結びつきがもっと強固になった詩を見てみたいと一読者として高望みしてしまうような詩であったのは確かです。 (doll)

2020-06-24

面白かったです。何が面白かったかと言われると悩んでしまう詩なのですが、どこか人情味があって、温かみのある感じがよいといったらいいのでしょうか。ああ、人間って生きてるなって思わさせてくれる詩でした。ありがとうございます。 (#LIVES)

2020-06-24

とても面白く読ませていただきました。幾つか質問等がありまして、コメントさせていただきます。 ①「一過性の罪悪に無機質な夜を一度だけ預け」なのですが、全体的な詩句としてはとても有機的な表現で構成されている気がして、「無機質」という言葉が少し場違いな感じを個人的には受けました。 ②「逃した鉄塊の尾を引く光芒が大脳を切り裂き」の意味が私には分からなかったです。何か、遊郭等にまつわるイメージなのか、魔界にまつわるイメージなのか、もし、由縁があったら教えて欲しいです! ③「連れて行かれる 振り向けば きっとそうね/まだ幼心の 現世は夢 夜の夢こそ真」の部分は幼いころに売り飛ばされた人物の話かと邪推しました。この少女なのか少年なのか分かりませんが、このイメージが他のどの部分と関連しているのか、教えていただけるとありがたいです。この少年少女が大人になってからの話という意味なのか、魔界の中の一風景として描いているのか、判断がつきかねたというところです。 ④「午前零時の通奏低音が顕現させる天使の利き手」のところで、素朴な質問なのですが、「天使の利き手」は左なのでしょうか右なのでしょうか??非常に個人的に気になったというところです。(これはあれなのでしょうか、女を買いに来ている男の利き手もしくは女の方の利き手という意味だったりしますか) ⑤「屠殺を待つ驢馬に似た愛嬌で兎の穴へ落下を続ける」という部分で、これも素朴な質問になってしまうのですが、「兎の穴」というのは不思議の国のアリス的イメージということであってますか??個人的に気になりました。 長くなってすみません。このような、難解で装飾的な詩は好きなので、ついついコメントが長くなりました。答えたくない部分はスルーしてもらって構いません。 (たのしい魔界)

2020-06-24

ご指摘ありがとうございます。個人的に、やはり、他人の表現でも素直でまっすぐな表現をいいじゃんと思ってしまう優しさというのでしょうか安直さというのでしょうか、そういう部分が捨てきれないところがあって、そこら辺が一には出てしまっているのかもしれません。それゆえに、表現が平たんになってしまっていることが多くあると思います。その辺は改善してくことを目指します。 また、確かに演出面もかなり課題だと思っています。俯瞰的に見ることが苦手なのでもう少し賢くなって客観的に自分の作品を見れるようになっていけば大分変ってくるのかもしれません。 ご意見ありがとうございます。ずばり言い当てられた感じがあるので、結構刺さりました(笑) どこまでエンタメ性を確保するか、自分なりに考えていきたいと思いました。 (病の花)

2020-06-24

とても面白く読ませてもらいました。結構好みなのですが二点ほど少し気になった所がありました。一つは「舌が煙草の煙のように動いている」は僕の中であまりイメージを結びませんでした。(私は煙草を吸いはするのですが、このような風に思ったことがなくて)このようなイメージを描いた映画なり小説なり、なにか抗不安薬の効果なり、そういうものがあるのでしょうか、気になりました。あと、最後の「太陽を浴びる価値すら無いつまらない男の話であった。」は個人的には「太陽に祝福されたつまらない男の話であった」的なニュアンスの方が好みでした。最後にちゃぶ台返しをするものを私が好きだということもあるかもしれませんが、私の視点だと少々否定が強過ぎるなあと思った次第です。 ただ「豊島区の女が持ってくる質の悪い/抗不安薬をやると笑顔が止まらないんだ」という部分は私の大好物な感じの詩句でした。とても面白く読ませていただきました。ありがとうございます。 (スノーマンは溶けた)

2020-06-20

「いや、嫌いじゃないっすねえ」というところでしょうか、なかなか暴力的なのですが、とても、示唆的な感じがしました。「頭に糞が詰まっていたら/もう駄目だからねじ切って捨てろ」は自分が日頃思ってたいことを言い当てられている感じがして、どきりとしました。詩としていいのか悪いのかは分かりませんが、このニュアンスの思想はとても好きです。 (耳に水が詰まったら)

2020-06-20

海が腹を出しているだけの生物だという発想はなく、とても新鮮でした。それと似ているものとして出されている甘えた猫、ヴィーナス、カレイの開き(カレイの開きは面白くて本当にいいっすね)、死んだ真似、この組み合わせもどこか笑ってしまうような、おかしさがありました。発想としても例えば三連目の「いつ 他の生き物を ねじふせたのか/この大海の中でしか 住めないように」というある種の暴力性はとても好みでした。楽しんで読むことが出来ました。ありがとうございます。 (岬)

2020-06-20

これだけ長い詩の翻訳、お疲れ様です。よくやるわなとため息をもらしてしまいました。 この詩の不思議な所は、街の大人たちが最初に登場してから全く出てこなくなるところだと思って、そう考えると確かに、街の大人たちは旧勢力の人々であり、それの象徴として子供たちが出てきて、街から出ていくという流れになっていると思えなくないところがあるなあと感じました。 このお話がいまだにどこか人々を引き付ける部分があるのは、私は様々な物語の混成体であるというところに原因があるような風にも思っています。まず、私はこのお話を聞くと、理由があるという訳ではないのですが、『屋根の上のバイオリン弾き』の映画を思い出してしまい、どこかユダヤ的なエッセンスが組み込まれているようにも感じています。 また、久しぶりにこのお話を考えて思ったのは、ギリシャ神話のヘルメスとの関連です。ゲーテがこのお話を描く時にハーメルンの笛吹きの楽器を竪琴に変えたのはおそらくヘルメスとアポロンの物語の影響下に私はあると考えていて、その後ヘルメスはヘルメス・トリスメギストスと形を変えることを思えば、魔術的なニュアンスが物語の中に加えられていくのも個人的には合点がいくところです。かなり深い部分で、当時の魔術や錬金術の観念と結びついているはずだと邪推しています。 でも、やはり、このお話がなぜか私にとっては決して悪い話ではないような気がしてしまうのは不思議な所です。取り残される子供がいる、というのも面白く、彼らが身体的な障害を持っているというのも、今風な観念で短絡的に考えるとハーメルンの笛吹きから差別的な扱いを受けていると思えるところでもあるのですが、逆にそれでよかったのかもしれない、つまり、彼らは決して不幸だとは言い切れないと考える思考が心の片隅に残ります。 約束を破ると罰されるという神話は考えてみたらいわゆる見るなのタブーによくある神話な気もしていて(イザナギとイザナミの神話や聖書のロトの妻の話など)、なかでもオルフェウスの物語の見るなのタブー(ほぼイザナミとイザナミの物語と同じような話で)は面白いところであると思っています。オルフェウスはまず竪琴と関連づけられる人物であり、さらに彼の開いた宗教であるオルフェウス教の神話の中でザグレウスというゼウスを継ぐはずだった少年神のようなものが出て来ます。結局ザグレウスは殺されてしまい、人間がつくられる原因の一つとなるのですが、そのような流れを考えると、大枠ではハーメルンの笛吹きの物語はかつてギリシャ神話の中でゼウスを継ぐはずだったザグレウスの再生物語のようにも捉えられると、かなり曲解ですが妄想しました。そして残される子供たちはそれとは別に生きる人間の象徴、として現れている、つまり人間とは不完全で何か不具を抱えている、と言ったところでしょうか。 少々長くなりまして申しわけありません。いろいろと考える機会をいただけて、とても興味ぶかい内容でした。ありがとうございます。 (ハーメルンの斑な笛吹き The Pied Piper of Hamelin)

2020-06-20

様々な象徴性が輝いていてとても面白かったです。特に初めの方の「錆び付いた夜」「青のルビィ」「泡立った心臓にアルコールを垂らして」最後の方の「とろとろの自己犠牲」などは比喩表現凄いなと思わされました。 二点ほど引っかかったのが「泡立った心臓にアルコールを垂らして/誰も知らない化学反応/貼り付いた声に耳を閉ざして/ヒビの入ったステンドグラス」の四連は二連目と四連目が体言止めになっていて対照的な構造で書かれていると邪推したのですが、前者の「誰も知らない化学反応」に対して「ヒビの入ったステンドグラス」が具体的にパッとイメージを浮かべられる言葉で、この四連で追いかけられていた詩のイメージが私の中では断線してしまった感じがありました。そのせいなのかもしれませんが、終わりの「諸々の事情で/夜は咲かないらしい」という一節が『なにが咲かないの』と思ってしまい(そのまま‘夜が咲かない’ということだと思いますが)、最後に作者に放り投げられた感じがしてしまいました。(もちろんそれが狙いということもあるかと思います) とは言え、イメージの連関はとても魅力的でした。ありがとうございます。(ちなみに最後の「ぼろぼろの歯」というのは薬物的なイメージなのでしょうか、少し気になりました。) (夜の輪郭)

2020-06-19

読書の歓び(?)のようなものを十全に感じさせてくれる詩句でとても心ふるわせてもらいました。全く文句がないというのを前提にして、望んでしまったと言ったらよいのでしょうか、もうひとひねり何かを語ってほしかったと思ってしまいました(笑)「ただそれだけだ。/それだけの、そのかすかなみちしるべに、/こんなにも栞は踊るのだ。」この辺の裏側にあるもの、と言ったらよいのか、私自身も分かりませんが、とにかく、プラスアルファを望んでしまう、とても読んでいて心地よい詩でした。ありがとうございます。 (みすてり)

2020-06-18

非常に個人的な感覚になりますが、最初の三行の結合の具合が微妙に何か欠けていると思ってしまいました。最後の締めくくりが「欲しいのはお前だ」というとても単純な言葉で(いい意味で用いています)、その言葉がその前の三行をまとめきれていないと、感じてしまったと言ったらよいのでしょうか。と言って、何を変えたらいいのか、というのも難しく、思いつきのままに書けば「持ちきれぬ」「待ちきれぬ」「断ちきれぬ」この辺の形容詞のどれかか全部かは分かりませんが、違う言葉にする、そのような作業で、よりまとまりのある雰囲気になるのかもしれないと私個人としては思いました。(もちろん、まとまりのある形にそもそもするべきかどうか、という議論はあるかと思います。)とは言え、「欲しいのはお前だ」というありきたりな感情をしめに用いることの面白さは十分に伝わってきて、短い詩の心地よさを改めて感じさせてもらえる詩でした。ありがとうございます。 (無題)

2020-06-18

コメントありがとうございます。「この作中主体は現在は悪に手を染めてしまっている」というのはその通りで、今、私個人としても‘悪’というものが何であるのかについて、非常に関心があるところであります。 ボードレールについてはこれを書いている時に意図していたわけではありません。ただ、書き終わってから、(もちろん、彼の詩句に私の詩句が届きうるなどとは、言うもはばかられますが)『このタイトル、明らかにボードレールを意識してるわ』、と個人的に思ったのは確かです。ボードレールの作品の中のどれか一作品と関連させられているわけではありませんが、彼の悪の(もしくは病の)観念に少なからず私が影響を受けてしまっているのは確かだと思います。 (病の花)

2020-06-18

ナイト・フライヤーという語感がとても小気味よく、個人的には好きそうな詩の部類ではあったのですが、「不思議だねナイト・フライヤー」以降が少々私にとっては難解で、イメージが一つに収束しませんでした。(それ以前の「ありがとうナイト・フライヤー」のところの「餞別」という単語も、個人的にはナイト・フライヤーという語感と整合性が取りづらかったです。)「ありがとう」「おやすみ」という流れで、一度眠ったはず(?)のナイト・フライヤーに対して、さらに語り続けるところが、私の中では繋がらなかったというところでしょうか。(ネットで調べたのですが原典としてジョージ・R・R・マーティンの『ナイト・フライヤー』もしくはネットフリックスでドラマ化された『ナイト・フライヤー』をもし念頭に置いておられたらすみません。私は両者とも読んだことも見たこともないので、正確な判断が出来ない詩かなとも思います。) ただ、ナイト・フライヤー、いや、いい語感、と思っています。新鮮な体験でした。ありがとうございます。 (夜行)

2020-06-16

「捨て猫を」「葡萄という」「損得で」「別れ雨」の四つが好きでした。 「捨て猫を」は内容としてはあたりまえでひねりなど一つもないのに、現実を知るということとと捨て猫を拾うという些細な善意との対比なのでしょうか、どこか心うつものがありました。 「葡萄という」は現代的で笑ってしまったというところです。正直申せば詩としての甲乙というより、川柳的に一本取られました。 「損得で」は私にとっては想像の余地を残してくれている短歌で面白かったです。一人で蛍を見に行っているのは、別れた後なのか、それとも誰かと付き合っている間のことなのか、それとも付き合っている相手に会いに行く途中なのか、それとも本命ではない誰かに会いに行く途中なのか、などなど、様々なイメージが出来て、余白がなかなかと思わされました。 「別れ雨」は紫陽花の駅が戦前くらいの中国大陸にある駅、と勝手に解釈しました。これも人によって想像する風景が違うであろう短歌で、とても余白がいい感じです。 少々長くなりましたが、短歌はいいものだなあと思わせてくれる歌の数々、ありがとうございました。 (若かりし眩しき夢を覚えたり『レモン哀歌』を読みて泣きぬる《短歌》)

2020-06-16

面白かったです。これは個人的なのですが、「はる」と言われる‘春’のことを私は一番最初に連想してしまい、それを表現するには舌足らずなのではないか、と思わされた詩です。ただ、「うすももいろのかぜとなるときはいつか」はすがすがしく、それ以前の詩句をすべて回収している感じがして、「すごい」とうならされた感じでもあります。短い詩の価値を改めて感じさせる詩でした。ありがとうございます。 (はる)

2020-06-15

面白い、と言いたいところでしたが、どうも引っかかってしまう詩でした。(もし間違っていたら申し訳ないのですが、)誌の内容としては、カエル本来の音が「かえるるるるる」で、それを人間が聞く時「ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ」と聞く、「あなたはどちらの音を聞きますか?」という読者への問いかけだと私は思ったのですが、この「かえるるるるる」という音自体にすでに人間的な視点が多分に入っていて(つまり「かえる」という人間がなずけた名前から連想された擬音語)、それが果たして現代に提示する詩としてありなのかなしなのか、と思ったところです。もちろん、人間的な感性を完全に剥奪することはできないと思いますので、ある種の昔あった「かえる」とのつながりを表す(このような意味で擬音語の意味があっていましたら)という点では「かえるるるるる」でもまったく問題はないのですが、、、非常に抽象的な表現になってしまいますが、人間の世俗性を「かえる」に押しつけていると私は感じてしまった、ということでしょうか。(世俗性自体を押しつけるのは全く問題がないと私は思うのですが、どこか悪い形で押しつけていると思ったのかもしれません。)長くなってしまいましたが、それでも擬音語を使った詩の面白さ新鮮さを感じさせてもらえる詩であり、そしてまたいろいろな事を考えさせてくれる詩でした。ありがとうございます。 (こぬかえる まつかえる きくわたし)

2020-06-15

時間軸が非常に奇妙な形から始まり、それから、一つに収束していくという流れが、実に心地よい詩でした。(「いつか」→「今日も」→「そういえば今日だった」→「引火もしてら」→「ここにいる全員の家族を車窓から覗いている」などなどこの辺の流れに時間のねじれと収束を感じました。)ただ、私個人の意見となりますが、最後の「その体液をさらしながら」以降、ねじれのすがすがしさと、収束していくすがすがしさが失われ、難解な、ある種衒学的な雰囲気をまとって終わっていると感じました。徹底的に難解にするか、それともさわやかさを貫くか、どちらかをしてほしかった、と思ったところです。ただ、とても、不思議な空間に誘ってくれる素晴らしい詩でした。ありがとうございます。 (死んだ目でのぞいている)

2020-06-15

「いや、めちゃめちゃ深いっす」というのが読んだ時の感情でした。正直何について述べているのか、判然としませんが、それでも、それだからこそと言った方がよいのかもしれませんが、深く刺さる何かがありました。とても、個人的には好みの詩(小説?)でした。ありがとうございます。なかなかにグッときました。 (骨組みだけ残して絶望が持っていく……その幸福について)

2020-06-15

いや、めちゃめちゃかっこいいっす。すり切れたリアルを感じたというか、個人的には好きでした。情景がすぐ浮かんできたのは、最近あまりそういう詩の経験がないので、真新しかったです。詩、としてどうなのか、という点については分かりませんが、でも、この線で新しい感じの詩を追及したら、かなり面白いのでは、と(僕はこの感じ書けないし書いたとしてもこんなにリアルにならないと思って)単純に尊敬した感じです。一つ言えるとしたら、もっと過激でもいい、と僕としては思いました。どちらにせよ、新鮮な雰囲気にはっとさせられました。ありがとうございます。 (「中央公園より」)

2020-06-11

とても素朴な詩で感動しました。少々思ったのが、「緑のカーテンに深く包まれている気分になる」というところが、全体のバランスを見ると、若干ですが、個人の感情が生のまま出ている感じがして(私としてはこの詩はかなり客観的に感じましたもので)、この詩風合いだともう少し抑えめに書いた方が全体としては釣り合いがとれるのではないか、と個人的には思いました。包まれてい‘る’気分にな‘る’と韻を踏んでいるせいで、他の部分の散文的な感じから浮いて見えたのかもしれません。 それはさておき、このような風合いはとても好きです。ああ、いいなあ、と思わせてくれる、どこか滝の近くで吹く冷風を感じるような詩でした。ありがとうございます。 (緑の石橋)

2020-06-11

 正しさの問題だなと思いました。私はAさんのおっしゃられていることについては賛同しますし、最もだと思います。(僕はマズローについて詳しくはないので、それについての正当性については分かりかねますが)ただ、(Aさんが親しい友人であれば別かもしれませんが)僕が例えばその就活講座にいて、Aさんの擁護をしたかと言えば、その可能性は限りなく低いです。  僕はたびたび(少しわき道にそれます)、自分が宗教者であるべきか、一人間であるべきか、どちらであるべきかを考えることがあります。正しさと心中が出来る人間(本物の殉教者や聖職者を考えていただければよいです)は魅力的で、本当に偉大で、憧れる面があります。ただ残念ながら、少なくとも僕自身を振り返った時に、正しさと心中できるほどにはできのいい人間ではないと感じています。そしてまた、人の愚かさと戯れるのもまた一興と思う悪に染まった僕もいます。  そういう僕にとってこのこのお話から、人は個として存立できるか、それとも集団として存立するものか、という問題を思いついたので綴ってみます。(あまり直接的に語れてはいません)  まず、おそらく、(分かっておられることかと思いますが)この就活講座に来ている大半の人は、21歳の杉川さんからAさんのおっしゃられているような「無償なる利他の精神」を求めてやってきているわけではないのではないのかもしれません。多くの人はたぶんですが、Aさんほど人生に対して真面目に生きているわけではない、この点が非常に当たり前だが重要な観点になると思っています。就活講座にとりあえず行って、情報を得るなり、自らの行く先を考えるなり、ともすれば自分の不安を慰める、そんなことのためにぼんやりと行っている、そんな人が大半なのではないでしょうか。  このこと自体決して悪い事ではないと私は思います。彼らの行動規範の根本には就職活動における『常識』というものを知ろうとしているに過ぎないといったところでしょうか。それゆえに「それって意味あるの?」という反応は最も至極であり、言い方に問題はあるにせよ、当たり前の反応だと考えます。  もちろん、ここにおける「それって意味あるの?」は完全に正しいことではないと思います。正しさに関しては個人的にはAさんに私は軍配をあげます。ただ、正しさはほとんどの場合、世間的に正しいか否かによって定まるものだと私は考えています。世間的な正しさから大きく外れ、それに対して反省の色が見えない場合は、社会から排除する、そのような機構がもともと集団には自己保全のために備わっているとなんとなしに思います。大学の反応もそのようなところからきているのではないかと愚考します。  真の正しさ(ここでAさんのおっしゃっていることを正しいとするならばですが)はあまりにも個人的過ぎる(もしくは特権的過ぎると言い換えてもいいかもしれません)ために、集団の中では立証することが出来ないと私は考えています。集団には様々な方がいて様々な価値判断で動いています。その中での正しさの証明は、どれほど論理的だとしても、ある種の陪審員制度のようにその理論が分からなければ、否とされるのが自然な流れだと思います。  僕はAさんを応援したいとは思いますが、この問題を社会的に問うのは諦めた方がいいという立場です。自分を含めて人はそこまで賢くはない、というのが僕の考えです。ブッダやイエスのような人が現れること待つしかないといった感じでしょうか。ただ、それゆえに、詩を書けるというところもあると思うので、この諦観はそれほど悪くはないと自分自身では考えています。(聖人ばかりの世界に詩は必要ないでしょう。)  長くなりましたが、以上になります。問題提起のおかげでいろいろと考えることが出来ました。ありがとうございます。 (突然失礼します、場にそぐわないかもしれませんが、宜しければお読み下さい。)

2020-06-10

面白かったです。同時に難しい問題だと思いました。書いている詩がよいか悪いかはなかなかに決めにくい。作者が生きている間に認められないこともあれば、生きている内から大絶賛を受ける場合もある、、家族や親しい友人に生きている間否定されながらも素晴らしい詩を書くこともある。もちろん、親しい人や家族に詩を見せられなくて何が詩人だ、という問いかけは示唆に富んだものでした。全くその通りだと思います。ただ、その問いは、究極まで行くと、詩のために死ぬか、それとも家族友人のために死ぬか、と言う引き裂かれるような問いになりかねません。この問いを詩を志す者は背負うべきだと思いますが、そうではない人までが背負うべき問いかどうかと言われると、いささか疑問が残ります。難しい問題ですが、私は前者の詩のために死ぬを選ぶべきだという問いかけ自体は非常に肯定します。一つあるとすれば、この問いは自ら背負うべき問題であり、他者においかぶせるべきかどうかは疑念が残りました。興味深い投稿、ありがとうございました。 ((動画投稿)Maximum_Fucking_Poets #1)

2020-06-09

どこか、聖書のアダムとイブの話を私は思い起こしました。禁断の果実がこの詩の中での果実のように私には響きました。私はキリスト教の中では異端に分類されるグノーシス主義の神話が好きで、その神話の中では、アダムとイブが楽園追放されたことをある種肯定的にとらえています。グノーシス主義の中では禁断の果実を食べたことは、人類は偽りの王国から脱出することが出来た、という解釈がされており、蛇はいわゆる悪ではないとされています。この詩の果実を食べるという行為に対するアンビバレンツな感情はどこか、正統派の聖書の話とグノーシス主義的な聖書の話の狭間における心の揺れ動きのように思われ、とても楽しく読ませていただきました。ありがとうございます。 (果実)

2020-06-08

非常に古風な雰囲気を感じましたが、個人的にはとても好きでした。最後の一行がそれまでの三行のある種の単調さ当たり前さを完全に回収していて、「おお」と読んでいて唸らされました。一つあるとしたら、題名と詩の内容が私にはあまり結びつきませんでした。確かに夜明けの光景を描いているということは分かったのですが、私にとっては夜明けはこれほどまでには単純ではない気がしてしまい(つまり夜明けにはこの詩に描かれている以外の要素もあるような気がしてしまい)、それゆえにそう思ったのだと思います。ただ、内容に関しては賛意を表明できる詩です。感動しました。ありがとうございます。 (夜明け)

2020-06-06