B-REVIEWユーザーの皆様、平素お世話になっております。
6月の月間B-REVIEW大賞ならびに選考委員個人賞が決定したため、ここに発表いたします。なお、6月の選考委員は

が務めました。

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目次

・大賞並びに個人賞発表
・選評
・月間最多投票数作品ならびに投票作品発表
・雑感

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・大賞並びに個人賞発表

月間B-REVIEW大賞

排除」 &

個人賞

アキラ賞   「猫のまどべ」  多宇加世

こうだたけみ賞  「ぷろてすとたん」 ウトイ

齋藤純二賞  「排除」  &

千才森万葉賞  「5 – a view」  湯煙

帆場 蔵人賞  「ヴァギナ・デンタータ  」  ガムのくつべら

・選評

大賞

排除」 &

 ゴキブリを叩けないピースフルな「わたし」。ですます調で強気に相手を正そうとするが、すぐに怯んでしまい「なんかすいません」と、自己防衛しつつアイロニーな言葉が続く。右手で白旗を振りながら、背に隠した左手の指は立てているような表裏が表現され、日常にあるだろう心理を楽しむことのできる佳作である。 いつのまにか「わたしたち」という表現を使い、ゴキブリと仲間になっているのも面白い。世間から排除されている「わたし」と、摘んで外に出した(排除)「ゴキブリ」を絡ませて話が展開する構成もよく読みやすい。見事だ。 そして、玄関から部屋に戻ろう(帰ろう)とするゴキブリが死んでいる。もぞもぞと死んだだろうゴキブリへの哀愁を感じさせ、たまらなくいい。 頂点を突かぬ低めのヘルツが波打ち、「排除」の小さく儚いストーリーが密かに滲む、&さんのワールドに乗る。

(選評:齋藤純二)

・個人賞

アキラ賞  
猫のまどべ」  多宇加世

 不思議さと共感が、同時に沁みてくる詩であると思った。まず私は一読を終えないうちから感じてしまったのだ。「ああこの感覚は知っているなぁ」と… 本作に書かれている内容は一種のデジャヴではないだろうか。単なるデジャヴではなく、本作主人公は本人も知らず知らずのうちにその既視感を自身で演出しているのではないか。作者の意図は分からないが、私はそう読んだ。繰り返しになるが、この詩には不思議さと、思わず共感してしまうほどの繊細な心情が共存しているのだ。 まどべから見える猫について、本作の主人公は思考を巡らせる。その情景はファンタジーを思わせるような不可思議なもので、その世界観をそのまま楽しむのが正しい読み方なのかもしれない。しかし私は、本作はデジャヴを体験、もとい自ら無意識にそれを演出した時の、これもまた不思議な感覚の中にある思考を見事に詩として綴っている作品に思えてならなかった。 形は違うが私もこの詩と似たような感覚を感じたことがある。不可思議でありえない現象や、本作と同じように自分の中でパターン化すらされているデジャヴ、嗚呼またかと当たり前のような振りをして、発動条件はこうだと考えてみる。なんなら意図的に考案する。その現象の核心に迫る過程で思考を重ね、連想が飛躍していく。 本作では、同級生が飼っていた猫、同級生の自宅があった跡地にある自動販売機、と連想は続いていき、自分にまどべから猫を見せる『オートな仕組み』と『自販機』が次第に混ざり合い混濁していく。ここら辺から、詩の構成でいうところの7連目以降から、主人公の心理の深いところを垣間見ることができる。まどべから猫を見る条件として、決まった枚数の紙が風で飛ぶ必要があることを確信しながら、その枚数は把握していない。ということは元から条件などというものはあってないようなものだったのだろう。いや、主人公自身の中で条件はあったのだ。まどべに立ち、カーテンが風で持ち上がり、ほどいた髪が揺れて、そして紙が舞う。舞う紙の枚数以外の全ての条件は、自身の意思によってある程度のコントロールが可能ということである。 ここに来て猫との距離感が変わる。まどべからは眺めていたものは自身の人生から遠いところにあるということを主人公はやはり自覚しているのだ。最終連では、同級生とその飼い猫の存在感が重く感じられる。主人公は自身が何故まどべから猫が見えるのか、本当は理解しているのだろう。ただ恐らく分かりたくないと思える事情がある。 本作のタイトルは『まどべの猫』ではなく、『猫のまどべ』である。元よりも主題は一貫して猫ではない。まどべから遠くを見ている主 主人公自身の心理こそが本作で通して描かれているものなのだ。

  批評とはかけ離れた個人的な感想かもしれないが、全体としての思考の流れ、混濁、矛盾を理解しながらも分かりたくない心情、すべてがいちいち共感できて無視することができなかった。 詩文としても素晴らしいと思う。リズム感があり、声に出して読むと心地良くて自然と感情まで込めて読んでしまう。 とにかく本作『猫のまどべ』が私が6月で最も琴線に触れた作品だった 。

こうだたけみ賞  
ぷろてすとたん」 ウトイ

 ひらがなだけで書かれている、ぱっと見では意味の取れない言葉。そんな言葉を目にしたとき私の脳内では以下のようなことが起こります。まず、ひらがなを一文字ずつ順に拾い上げて音に変換し、一度全部を平板に鳴らしてみる。次に意味の通る単語に切り分けられる場所を手探りしてゆく。そして掴む。  
 本作のタイトルはまさにそのような、すぐには意味の取れないひらがなの集合体であり、私の頭の中で「ぷ・ろ・て・す・と・た・ん」と平たく鳴らされた後に「ぷろてすと」と「たん」に切り分けられました。  
 ここで私は最初のミスを犯します。私は言葉遊びを主とする人間なのですが、言葉遊び詩では“同音異義語を持つ単語がひらがなやカタカナにわざわざ変換されている場合、そこがダブルミーニングになっている”ことがよくあります。そのルールが、本作にも適用されると思い込んでしまったのです。
 私は本作のタイトルを「プロテスト譚」だと考えました。そして、protest(抗議する)とプロ・テスト(プロ野球におけるそれ)のダブルミーニングではないかと仮定したのです。  本文を読んでいきます。〈フォーク〉とは球種のこと? 〈スピーカー〉からは「バッター、四番……」と選手の名前を読み上げる声、〈窓越して放る〉のは野球ボールと試合終了時の野球帽、〈グラウンド〉は球場、〈林立する足〉は選手たちあるいは大勢の観客たちのそれ、球は〈のびていかず〉ホームランならず、〈踏み込みひとつ、滑って〉今のスライディングはセーフ? アウト? 〈抗議する〉審判へ、〈まだ曲げるには諦めるには早く〉どうか「スローカーブを、もう一球」(山際 淳司の甲子園を描いた小説のタイトル)! 〈早く、でもクイックにできない〉。
 本作のよさは第一に心地よいリズムと音です。私は、朗読してみると作者がどんなふうに言葉を選んでいるかがわかるように思っていて、例えば、よく意味を調べもせず響きや見た目がかっこいいという理由だけで配置されたであろう言葉からは、「こんなかっこいい言葉を使える自分イケてる」という自己陶酔を感じてしまって躓いてスムーズに読み上げることができないのです。
 本作は、そのような引っ掛かりもなくスムーズに読み上げることができました。きっと作者であるウトイさん自身に馴染んだ言葉で書かれているのだなと、大変好もしく感じました。さて、ここで描かれているのは野球の試合風景でしょうか。だとしたらウトイさんは野球に詳しい方? けれども私は野球の基本ルールすらわかっていない(グーグル先生お世話になります)。それに少しひっかかりもあります。〈突き刺しも切りもできない フォーク、反乱たった一本〉これは明らかに食事に使うフォーク。そこにフォークボールをかけている。本当に?  まったく自信の持てなかった私は、コメント推奨というビーレビの特性を生かして直接ウトイさんに尋ねてみることにしました。するとどうでしょう。

フォークは、ナイフとフォークのフォーク、それからフォークミュージックのフォーク、から来ていました。

マジか、盛大に読み外した! 笑。

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それではもう一度本文に当たってみます。〈強情っ張り電柱〉みたいな話者、〈居丈高な 突き刺しも切りもできない フォーク、反乱たった一本〉刃物など鋭利な武器には遠く及ばないが話者にとってはたった一つの武器である“フォーク”、〈たった一本、通り過ぎて 封鎖されて〉電柱一本通り過ぎた先のライブハウスは封鎖されていて、〈スピーカー 窓越して放るたとえ曇天でも、デリバリー淡いで 淡いで稼ぐ密度、少しく〉スピーカーは窓越しに音を伝える。三密を避けたPCのウィンドウ越しのライブ配信。ステージに立つこともできずUber Eatsのバイトでギリギリ食いつなぐ。淡い稼ぎ。〈グラウンド〉グラウンドポーズ? あるいはグラウンドベース? とにかく音楽用語。〈林立する足 また、足〉の観客たちは幻か。〈のびていかず 踏み込みひとつ、滑って 滑って尚、アップライト〉伸びない客足、伸びのない音。アップライトは、ジャズならピアノかベースだろうけどフォークだとなんだろうか。アップライト=直立する。立ち上がりノっている観客の姿。そこに重なる、自粛要請下でなすすべもなく立ち尽くす話者と音楽関係者たちの姿。〈早く、抗議する〉ライブハウスと音楽の救済を求めて〈まだ曲げるには諦めるには早く 早く、でもクイックにできない〉。
 まるでドミノで作った絵を倒したときのように、ウトイさんに意図を聞く前と聞いた後とで私の中での作品の見え方が変わったのがおわかりいただけたでしょうか。単なる勘違いが招いたことではありますが、私はこれにとても感動しました。  私は、ポエジーとは“飛躍”に宿るものだと思っています。詩文そのものの中にイメージや意味の飛躍を見つけたり、その詩を読んだことで私の中で意識の飛躍が起こる場合に、詩的だなと感じるのです。  本作「ぷろてすとたん」では、コメント欄でのウトイさんとの対話を通じて異なる二つの風景を見ることができました。それはまさに詩的体験です。その体験に、こうだたけみ個人賞を贈りたいと思います。

齋藤純二賞  「排除」  &  (大賞選評参照)

千才森万葉賞  
5 – a view」  湯煙

 個人賞の選考基準をどこに設けるかで、まずは悩みました。最初は好みの作品を選ぼうかと思ったのですが、好みの作品って自分で書いちゃうんですよね。わたしも書き手ですし。
 よって、選考基準は、どの項目でも良いのでわたしの感性に強く触れるかどうか、この点に設けました。個人的な候補に挙げたのは、

・<安閑夜話> 雨の橋 心を突く思いの強さに惹かれる。
・しゅっせき  吹き抜けていくような作風で淡く考えさせる手法が好み。
・初夏のある日  どう読めば(読まなければ)良いのかをアニメーションが示している好例。
・2020年-詩人追放 読み進めさせる超強力な手法が好み。
・優しくなれたら 一点集中型の強みが表れている作品。
・私だけがいない町 寂しさの種類がツボ。
・ほどよい加減にさよならを 絶妙なほどよさが好み。

 そして、並み居る作品に中から突き抜けて感性を刺激されたのが、湯煙さんの『5 – a view』です。
 この作品の特徴は、脊髄反射で想像力をかき立てられること。短すぎる作品は、往々にして伝えたいことを読み取りにくい、もしくは、イメージがわかない作品が多く、特に読解力の乏しいわたしは「なんのこっちゃ?」となってしまう場合が多いです。
 しかし、この作品は短いながらも伝えたい景色を明確に捉えていて、時間を置いてからイメージの広がりを見せていく。時間差で浸透度合いが変化する作品ってなかなかお目にかかれません。そして、わたしがわかるぐらいなのですから、幅広い層に受けるだろうなと思いました。
 作者と読者の描く景色に相違は無いのか? 作品は発表された時点で作者の手を離れて、誰かが読んだ瞬間その人の手の内に宿るものだと思っているわたしにとって、心の中で浮かんだものが作者さんの考えていたことと同じかどうかは、この際重要ではないかな、と考えます。

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作者さんには作者さんの楽しみ方があり、読者には読者それぞれの楽しみ方がある。詩作品の強みは、作品が読者の心の有り様に合わせて染み入り、揺り動かすことが出来ることにあると考えます。定められた形を持たない故の強み。(小説などはシナリオという形が強固に定まっているので、感情移入できる人と出来ない人で評価が大きく変わってしまいます。)
 詩よりも小説の方が好みのわたしは←ヲイ コメントでも書いたように長い作品への昇華を望みました。ただ、気がついてしまったのです。仮に、作者さんがこの作品を元に普通のサイズに書き直したところで、わたし好みの作品にならないだろうということに。むしろ、自分で書いた方がわたしにとって面白い作品に仕上がるだろうと。ならば、この書き方は、創作者に向けて書くのであれば、理に適っている形なのではないだろうか。作者さんの観察眼と読者(創作者)の想像力の、時空も時間も超越したコラボレーションを可能にする作品であるのだと。 そして、人間は皆、生きている限り創作者なのです。
 この作品には5つの景色が入っていますが、特異な比喩描写や、大胆な文章の削り出しにより極限まで圧縮されていて、素直に読んだだけでは何を書いているのかがわからない。と言うよりも、何を伝えたいのかが掴みきれない。でも、わからないけれど、きっとみんなは想像できるんですよね。しかも、一人一人違う形で。
 描写は、その言葉達が最終的に対象となるものの本質へと繋がるかどうかが鍵になると思っています。もし、繋がらない言葉で例えてしまえば、どれだけ綺麗な言葉を用いたとしても、言葉だけが空虚な彼方へと飛んでいってしまう。滑ってしまう。それは言葉の長さに関わらず、全てに当てはまると思います。
 逆に、対象物からどれだけ掛け離れた言葉を使ったとしても、細い繋がりさえあれば、言葉が浮き上がることは無いでしょう。また、面白いことに、読めなくても繋がっているのであれば直感的にわかるものです。言葉による描写表現においては、この繋がりこそが「わからないけど、良い作品」という感想を引き出せる要素なのではないでしょうか。こういう浮き上がらない言葉の選び方は詩人の強みの一つと考えますし、比喩表現の肝になる技術だと考えます。
 夕暮れに駆けていく人、開けた缶詰、ぷりんの可愛さ、猫の身体能力、日暮れ。それぞれの特徴を感覚で捉えて描写し、リアルな景色を浮かび上がらせながらも、いや、リアルだからこそ情感の込めていない視界に物足りなさを覚え、ついつい読者が情景を夢想してしまう。その点、俳句にも似ている気がします。  直感と想像力をかき立てられる作品でした。

帆場 蔵人賞  
ヴァギナ・デンタータ  」  ガムのくつべら

 ぞくり、とした。一読して背筋を撫でるものがありました。これは民話や神話を題材にしたものが好きな僕を夢中にさせてくれる作品であるだけでなく、この端的でありながら雄弁な詩を是非、読んで欲しいと思うのです。今作のタイトルであり『歯を持つ膣』、ヴァギナ・デンタータという存在は世界中の民話・神話にひろく登場します。江戸時代の怪奇談の読み物にもよく似た話があったかと思います。

『ある美しい娘と婚礼が整った男たちがことごとく怪死するのだが、実は娘の女性器には歯があって男性器を食いちぎられるという。そこである男が男性器を黒銅で固め、娘との初夜にその黒銅を挿入すると、歯はことごとく砕けちり、以降娘は普通の女になった。』

 これらの話に示されているのは「去勢されることへの恐怖」、言い換えれば男性という性を失うことへの恐怖です。ですからこれらの民話はほとんどが男目線で語られるものだったかと思います。

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しかし、この作品の創造的なところはそれを逆転させて下記の引用のように、

ことの間
ずっと深海のことを考えている
裸に
血の口紅
浜へ帰る航路を引いて

女性の視点で実感のある描写がされていることです。男性の無意識的な恐怖や強姦への戒めの説話、あるいはモンスターのようなイメージではないヴァギナ・デンタータが肉体を持ち、そこにはひとりの人が描かれていきます。それが悦楽や快楽を感じない淡々とした行為への虚無感からアイロニーすら漂うもの悲しさを醸しだし、

おんな
すりつぶすもの
平時、海底にあり
その硬い歯でサンゴを囓る
ぐねぐね
縦に横に
ごりごり
自由に愉悦的で
破滅的な咀嚼

 開放的に生きる平時の描写をより躍動的に感じさせます。それがゆえにもの悲しさは増して行き、幾度となく繰り返された、あるいは繰り返されるのであろう性や性別が生み出す苦悩を僕は反芻するようにこの詩を読み返しました。今月の詩のなかで一番、心うたれたのはこの詩です。(個人的にはこの詩には諸星大二郎の絵で想像して読んで欲しい、とてつもなくこの詩の妖艶さが際立つだろう)そんなヴァギナ・デンタータを現代に出現させたこの詩に今回の個人賞を贈りたい。

・月間最多投票数作品ならびに投票作品発表

なお、月間最多投票数作品並びに投票作品一覧は以下の通りです。

6月期最大投票数作品
(動画投稿)Maximum_Fucking_Poets #1」  花緒

投票作品一覧

(動画投稿)Maximum_Fucking_Poets #14票
雨の色(随筆)3票
ママンへ(音声版)3票
ほどよい加減にさよならを3票
ヴァギナ・デンタータ2票
「中央公園より」2票
以上でも、以下でもない2票
病の花2票
うちで踊ろう2票
〈安閑夜話〉 二枚のとりもも2票
化鳥のうた2票
排除2票
angel coffee? eternal rain?1票
わたしの髪は生きているのかもしれない1票
乾いた砂浜1票
2020年-詩人追放1票
隠し隠して持ってきたのは、誰しも1度は書く視覚詩で1票
初夏礼賛1票
在処1票
5 – a view1票
私だけがいない町1票
あとごふいおん1票
おとずれ1票
化生1票
┣ちんちん!!┳ちんちん!!┫1票
迅奈良と幣 (じんなら と ぬさ)1票
木箱1票
あなた1票
今日の天気は雨1票
風が吹いた。1票
1票
逆説的な届出のあれこれ1票
〈安閑夜話〉 雨の橋1票
緑の石橋1票
ハーメルンの斑な笛吹き The Pied Piper of Hamelin1票
夕暮1票

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・雑感

 5月は180作品を越えた投稿も6月は130作品と随分と投稿数は減少した。 新型コロナウィルスによる緊急事態宣言 などでよどんでいた生活が、状況こそ変わりが見えないものの段々と動き出した結果かもしれない。良くも悪くも止まってはいられない。それはビーレビも同じなのではあるが。

 さて、今回は投票上位3作品から 選者間でベスト3を選び、そこからさらに大賞を選ぶ方式を採った。以下が各委員のベスト3と評文である。

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アキラ

1位 ママンへ(音声版)
走馬灯、感情の爆発、死の間際に達する境地を追体験させられるような作品。およそ一分半の朗読を聞くうちに惹き込まれ、語り部と同じ場所にいるように息遣いを感じる。ママンへ、と語りかけていることで、この独白の向かう対象は聞き手によって解釈の余地が残されている。それはつまり母親や母なる自然に限らずに、聞き手それぞれの「ママン」が広がるということ。動画の夕焼けを見ながら、幾人いくつもの「ママン」が頭を過ったのは私だけだろうか。

2位 雨の色(随筆)
小学生のころの絵を描く授業。人それぞれで表現する雨の色が違うということを児童たちに気付かせ、考えさせてくれた先生。印象的な体験というものは時間が経っても忘れることはなく、むしろ時間が経てば経つほどその印象は色濃く心に残り続けるものだと思う。本作の場合、書き手の記憶に色濃く残っているのは先生の満足そうな笑顔。久方ぶりに再会した先生は姿形が記憶と変わっていても、その笑顔と柔軟な考え方はかつての印象と変わっていないことが分かる。書き手の中で、また新たな雨の色が思い出に添えられたその体験は、尊く、そして美しく思えた。

3位 排除
人間関係の中で疎外感を感じている書き手は、ドアの外に放り出したゴキブリにどこか自分を重ねている。『あなた』に対して『わたしたち』として自分とゴキブリを同じ括りにしている。そんなゴキブリが、自分が放り出したせいでドアの前で死んでいる。その姿に書き手は自身の行く末を案じると同時に、実は自分の方が排除する側の人間だったのではないかと静かに自覚しているように感じた。排除という題名にどこか退廃的な内容、個人的にはツボを突かれた一作だった。

こうだたけみ

1位 排除
最終連の文章の区切り方が好みです。 ですます調の丁寧な物言いの詩文の中で、五連目の、周囲の人間から浴びせられたであろう〈あなたはわたしたちと違って……〉という言葉の畳み掛けが効いています。 ひたすら物静かな居住まいで、排除されることを甘んじて受け入れているように見える話者。その話者が、自分の部屋から追い出したことで死んでしまったゴキブリの死骸へ自分の姿を重ねている。僕はまるでこのゴキブリのようだ。僕は害虫だろうか。僕だって本当はみんなと一緒にいたいのに。きっと〈小さく弱い〉のは話者自身なのでしょう。 もしかしたらゴキブリではなくて、コガネムシとかクモとか外に出したら本当に死んでいそうな虫のほうがより共感しやすかったかもしれないとは思います。Gはしぶとい虫の代表みたいなものだし、いわれなく嫌われているのとはちょっと違うし(ネズミと同じ衛生面の問題)。 けれども、人間に比べれば確かに〈小さく弱い〉いきもの。〈殺すのも忍びない〉と思える人間の目から見れば、一般的には嫌われもののGでさえ〈小さく弱い〉いきものなのだろうなと思いました(俯瞰的な視点)。 そして読後には、私は他人の立場に立って考えてみることができていただろうか、と自身を静かに振り返りたい気持ちになりました。

2位 ママンへ(音声版)
よく通る声と、自己陶酔にギリギリならないくらいの感情移入が心地よい朗読。具体的な状況はわからないけれども、社会の底辺を這いずり回る者であろう話者。その底辺から叫ばれるいきもの賛歌。生の肯定。 コメント欄で作者の朗読観を聞けたのがよかったです。オープンマイクなど詩の朗読を聴きにくる場ではなく、娯楽を求めて足を運ぶ場所・演芸場での飛び入りパフォーマンスをライフワークにする作者。それは、普段詩を読まない人々に受け入れてもらうこと、朗読を聴いてもらうことへの挑戦。〈第一声から掴み、間で座らせ、そして聴かせる〉エンターテインメントであることを目指す姿勢には学ぶところが多いです。作者はたった一人で戦っているけれど、応援したいし、私も負けじとがんばりたいと思える。コメント欄と併せて、とても前向きになれる作品です。

3位 (動画投稿)Maximum_Fucking_Poets #1
生活の中に溶け込んでいる詩の代表格である絵本、童話、童謡などに類する作品「うしのはんすうし」がディスり対象であることに違和感があります。あの詩を絵本の形にして渡していたらおそらく反応は違ったと思うので、ど〜も納得がいかない。笑。それと花緒さんの炎上商法には食傷気味だったり。 テキストも動画も詩を否定するばかりで、この作品の観賞後に「よーし、何か新しい詩の表現方法を生み出すぞ!」みたいな前向きな気持ちにはなれなかったです。作者がこの作品こそ新しい形だと提示しているのであれば、申し訳ないけれど特段の新しさは感じませんでした。 千才森さんが集まったコメントについて「普段詩を読まない受け取り手(動画の女の子)の立場からの意見がない」というような指摘をされているのにはなるほどなーと思いました。この作品自体、そういった受け取り手のことを考えられているかは疑問です。内輪ウケすぎますから。 ともあれ、ビーレビでの話題性という一点においては群を抜いて高評価なのは事実。もし本作を大賞に選ぶなら、ビーレビ後ろ向きすぎるだろ、とは言いたいけれど。

齋藤純二

1位 ママンへ(音声版)
最初に拝聴した時には「スクリーミングパンダ」と発せられた急上する声に惹かれる。二度目は「ママンへ」の出だしの愛しい感じが、なんとも切なく聞こえた。次は「遣わされていたのね」の「ね」が今までの勢いを消すかのように、着地が沁み込む安定を感じた。結局、一気に五回ほど聴く。死にぎわの夕焼け景色(朗読)が良く繰り返し聴ける奇抜な作品だ。「よそ者」の帰るところはやなり自然の中、スクリーミングパンダと一緒なのか……。ご自身も楽しいだろう朗読をされている。なんか、聴いてしまう。

2位 ほどよい加減にさよならを
なんとなくの幸せ感がたまらなくホッコリする作品である。地味で素っ気ないカーテンだけど愛着があり、ともにこの六畳の暮らしを楽しくやってきた感じがほどよく伝わってくる。世間が何かと騒いでいても、この空間ではそこと「ほどよい加減にさよなら」して、豚の角煮を美味しくいただけるという、「幸せってなんだっけ?」と、聞かれた時の答がここにあるようだ。なんとなくの暮らしから、幸せを共感する楽しみがある。 ひとつ、後半の「その」「そんな」「それ」「これ」の抽象な言葉が多く、親しみとファジーな感じが出てはいるもの、場面の靄が強すぎたようだ。

3位 雨の色(随筆)
学校の授業では問いに対して答がひとつ、といった教科が多い。もし、雨の色は「水色」という答えのもとに「雨の町」を生徒が描いたのなら、その子らしさは奪われてしまうだろう。そこでこちらの随筆に登場する先生は、生徒全体に目を配り、雨の色はいろいろあることを紹介。雨の色について生徒同士での話し合いを促し、生徒に考えさせるという有意義な授業のストーリーが良い。優しく滑らかに語られているこちらの随筆は、すっと拝読でき読者も思わず微笑む内容になっている。また、詩作にも通じている内容とも感じた(例えば雨の風景を言葉で表現するならば、様々な個性で綴られる)。雨も爽やかに和んだ作品。

千才森万葉

1位(動画投稿)Maximum_Fucking_Poets #1
 まあ、あれだけコメントをしたので推さないわけには行かないかな。特筆するべきは、B-REVIEWサイトが打ち出している『詩がもっと読まれるものになって欲しい』というコンセプトを直撃するテーマ性と、詩を書く者にとって最大級に羞恥心を刺激される内容。このテーマ性が機能していたからこそのコメントの釣果。改めて考えさせられた人も多いのではないでしょうか。自身で多方面から読み手を連れてきている作品であることも評価したいです。 わたしの意見はコメントで書いてますので、そちらをお読み下さいな。  

2位〈安閑夜話〉 二枚のとりもも 
 光輝く加工済みの物たちと、それらを売る生身の人間を写した写真。添えられているのは、『毎日の繰り返し』が引き起こす催眠により、幻聴を聞いてしまう人の手記。  巧みな擬音語さばきや、内なる自分と彼我が逆転していく異様さ、そして、全体が醸す深い味付けに、作者の稀なる独自性を発揮させている作品でした。  

3位 排除 
 日常に転がっている風景と心境が、奇妙に共鳴したかのように錯覚する一幕を綴った作品。心にぽつんと置き去りにされた表現しがたい虚しさを、強く印象づける手法は上手だなと思いました。 静かな感覚を扱った作品は他にもありますが、軽い感傷を重たく変質させているため、印象に残りやすかったですね。  ただ、ゴキブリじゃない方が良かったかなと。玄関先でくたばるような奴じゃないですから。

帆場 蔵人

1位 ヴァギナ・デンタータ  
神話、民話での主たるものの視点を入れ替えて現代に即した作品に創りあげている。無駄なく引き締まった詩文であり、詩における着想も工夫がある。そこには様々な物語を読み手が感じる余地も存在しています。 詳しくは個人賞の選評を読んでください。着想は面白いが新規性とまでは言えないのが玉に瑕でしょうか。

2位 〈安閑夜話〉 二枚のとりもも  
日常の飯が炊ける音から自ずと自己の内と外が入り交じりながらくるくると入れ替わるかのような酩酊感をひきおこしている。そうした擬音の使い方が非常に見事だと思う。また弁当屋の写真の構図にあわせて斜めに傾いでいく詩文が視覚的にも印象を 強めながら、詩文のなかの物語となるつけ汁、という言葉とも引き合っています。売り手や買い手、そして商品であるものとの関係を覗わせるところに巧みさを感じる逸品です。画像に引きずられることなく画像を使っている点で候補にあげたい。

3位 (動画投稿)Maximum_Fucking_Poets #1 
主体の詩人が実は個人的な出来事ををこのサイトのコンセプトに繋げて、自分は違う、行動したのだ、と話を展開することで書き手であり読み手である詩人たちからも様々な反応を引き出したことについて評価できると思います。ただ上手い下手、新しさといったものとは別にこの文章を読解することやこの作者とコンタクトすることへの不毛さを予感させてしまうものもある。詰まるところよく知らない人は本気で書いてると勘違いしかねないものでもあるからです。それが今作の作りの巧みさでもあるのでジレンマです。作者が今作のような内輪的なノリを嫌っている事は承知した上で、「俺はわざとやってるんだよ」という事を気づいてくれるであろう読み手にもたれた作品とも言えます。 そういった側面を持つこともあり、今回は三位としました。
※#1とあるので2作目や今作の影響で投稿されたのであろういくつかの作品なども含めて今後、作品の位置づけが決まる気がします。それ故にアーカイブに大賞として単体で遺しても栄えないかと思います。

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 6月選考は花緒氏の(動画投稿)Maximum_Fucking_Poets #1 を抜きには語れない選考になった。最多得票作品でもあり多くの耳目を集めた今作は賛否両論ながら、詩を書いているなら思うことがなかった人はいなかったのではないだろうか。その作品が最多票を獲得して選考にあがってきたわけだが、上記の各人の評を読んで貰えれば解るが一定の評価と一石を投じた注目作であることを選考委員一同が認めながらも大賞(私の意見としては 今作の影響で投稿されたのであろういくつかの作品なども含めて今後、この作品の意義や位置づけがあらわれるのではないかと考えている)としては物足りないものがあると結論づけられた。各選考委員が査読した結果を基に3時間を越える選考が行われたが、最終的に&氏の「排除」と斉藤木馬氏の 「ママンへ(音声版) 」の2作品が大賞を争う形になった。 斎藤木馬氏は度々、大賞選考を賑わせ独特のリーディングで深い懐に聴く人を招きいれ、詩の世界を味わわせてくれる。私が選考に関わった2月には大賞は逃したものの2人の選考委員が、それぞれ斎藤木馬氏の作品を個人賞としている。実力確かなビーレビ初期からの常連ユーザーである。対する&氏は今年、一月から投稿の比較的新しいユーザーである。齋藤純二氏の「排除」の選評の締めを読んで貰うとわかるが、

もぞもぞと死んだだろうゴキブリへの哀愁を感じさせ、たまらなくいい。 頂点を突かぬ低めのヘルツが波打ち、「排除」の小さく儚いストーリーが密かに滲む、&さんのワールドに乗る。

 ワールドという言葉がある。実は以前に&氏が投稿した作品にも、ピックアップレビューで&ワールドと書かれていた。そう斎藤木馬氏にも言えることだが&氏も独自の文体で詩の世界を確立しているのだ。もちろん、これはあらゆる詩人に言えることだと思う。そして選考ではその詩人が世界をどう観ているかが、ぶつかりあう。今回は&氏と斉藤木馬氏の作品評価が拮抗してどちらが選ばれてもおかしくはなかった。結果を別けたのは、

・器用貧乏的なところあって、作品に隙がないと読者が入れないのですが その隙を意識して創作するが、凝りすぎて読者と距離を置いてしまう
・ 個人的にはもう少し寛容な作風であって欲しかったかなとも。2作品を比べると、深みのある『排除』の方が個人的なポイントは高い

「ママンへ(音声版)」の完成度の高さ、作者の作り込みが精緻であったが故に深く読者が入り込む余地が、「排除」に比べてなかったという所だった。確かにチャットでも「ママンへ(音声版)」についてはリーディングの巧みさや独特の用語への言及はあったものの作品世界へ分け入り、深く読み合うような話し合いにならなかったように思う。比較して「排除」では構成の良さ、音の良さ、ゴキブリというモチーフのインパクトというだけでなく詩のなかの、あなた、とは、私たち、とはそしてゴキブリの関係、

・あなたは世間の強いひと、私たちは弱ったゴキブリと私
・ (5連目)私は話者が浴びせられた言葉として読んだので、話者は「あなた」ですねえ。それで、五連目を受けての四連目だと思う
・ 四連、五連の流れだと「あなた」なんですが死んだものを観るとき自分は「私たち」でもある。これは視点が錯綜するようにつくっている

 などなど選考委員間での作品を通しての意見交換も非常に活発だった。最終的に満場一致で&氏の今後の活躍も期待して「排除」を大賞として選出した。新旧のユーザーの作品が大賞を争ったわけだが、勝負は水物、次はどうなるかわからない。

 最初にも書いたが作品投稿数が減少していた月であり、その推移は今後を見てみないと解らないのだが、その一方で&氏も含めて新規ユーザーの良作も多く投稿され始めている。こうしたユーザーが新しい風となり、ベテラン勢も奮起するならビーレビはまだまだ変わっていけるだろうと信じている。 100作を超える投稿作の中からただ1作を選ぶ作業は非常に大変である。だがその中で得られるものもまた大きなものがある。まだ選考委員を経験されていない方はぜひ名乗り出て、他者の作品をしっかり読み選んでいくという経験をしてみてほしい。

(雑感 文責 帆場 蔵人)

以上で6月選考の発表とする。

2020.7.26 B-REVIEW運営/B-REVIEW選考委員 一同


「【お知らせ】6月選考結果発表」に10件のコメントがあります
  1. 【こうだたけみ個人賞選評への付記】
     この度は選考委員という貴重な経験の場をいただけたことにとても感謝しています。選考委員同士のチャットはもちろんのこと、各作品のコメント欄でもとてもよいやりとりができたと思っています。非常に勉強になりました。

     さて、選考委員を引き受けるに当たって、私の6月の投稿作「鳶に油揚」のコメント欄にてご挨拶を述べました。どのくらいの方に見ていただけたかわかりませんが、私は朗読をするのが好きなので、個人賞に選んだ作品を朗読したいと書きました。
     6月は、個人賞に選んだ作品以外にも朗読してみたいと思う魅力的な作品が複数ありましたので、以下の方々に朗読許可をいただきたいです(個人賞対象作以外は投稿順、敬称略)。

    個人賞対象作
    ぷろてふとたん/ウトイ

    瞼に焼き付く光跡は君をかたどる/一足遅れた戦友
    ぬら 死の磨きたて/多宇加世
    マスクの中で溺れている/楽子
    僕の獏、獏の僕/AB
    木箱/みつき
    排除/&
    しゅっせき/なかたつ

     許可をいただけるのが二名くらいであれば録音したものをSoundCloudに上げます。もし複数の方に許可をいただけるなら、ツイキャスというのを自分でやってみようかなと考えています。ビーレビツイキャスに呼んでいただいた時にアプリを入れたのに、その後まったく活用されていないので。
     八名の方々、色よいお返事をいただけましたら幸いです。よろしくお願いします。

    P.S.選考のチャットでは斎藤木馬さんの「ママンへ」は木馬さんの朗読以外考えられないと述べたのですが、あの作品をあえて女性が読むのもおもしろいかもしれないと思い始めています。木馬さんにも朗読許可をいただけたらうれしいです。挑戦してみたいです。

  2. こんばんわ!皆様選考委員お疲れ様でした。
    大賞・個人賞どれも私も「いいなあ」と思っていた詩だったので、選考委員の皆様の気合の入ったレビューを見れてとても参考になりました。

    さてうといさん、改めて選考委員お疲れ様です。
    音読については、ぜひぜひお願いします!
    うといさんのさっぱりとしてリズミカルで軽快な、でもちゃんと心のある朗読が大好きです。

  3. 千才森 万葉さん。
    個人賞を頂きありがとうございます。御批評御感想も参考になりました。

  4. 楽子さんへ
    朗読のご許可をいただきありがとうございます。
    大切に読ませていただきます(読むのはこうだです)。

    今のところ楽子さんと、Twitter上で斎藤木馬さんとABさんが許可をくださってます。三名!
    ありがたや〜。

    しばらく他の方のお返事を待ってから詳細を決めたいと思います。
    決まり次第フォーラムにてお知らせいたします。
    よろしくお願いします。

    そうそう、楽子さんのお名前はなんと発音するのですか??

  5. 選考委員の皆様、ありがとうございました。今後もまた面白い詩文が浮かんだら投稿してみようと思います。

    こうだたけみ様

    朗読のお申し出、ありがとうございます。拙作、自由に読んでいただいてかまいません。

  6. 選考委員の皆様、お疲れさまでした。
    どの選評も興味深く読ませていただきました。

    こうだたけみさん
    朗読はもちろん、自由に読んでいただければと思います。
    ありがとうございます。

  7. &さんへ
    大賞受賞おめでとうございます。わー!
    そして朗読許可をいただきありがとうございます。
    &さんも、お名前はなんと発音するのでしょうか?
    アンドーさんなんじゃないかなと勝手に思っているのですが……。

    みつきさんへ
    朗読許可をいただきありがとうございます。
    みつきさんオリジナル古語なので、発音とか違っていたらごめんなさいね。
    私にできる精一杯の朗読をします。

    さて、Twitterでなかたつさんからも許可をいただけたので、あと三名。
    もしやフォーラム見に来てないかしら?
    どうしたら連絡が取れるかしら〜。

  8. こうださん
    やったー!楽しみにしております。

    ちなみに私の名前は「らっこ」と読みます。
    動物のらっこです。

  9. 楽子さんへ
    お、やっぱりらっこさんですか! かわいい。
    お気に入りの石を一つ、脇のポケットに大事にしまっては昆布を体に巻きつけて眠るんですね、すてきです(それは動物のラッコ)。

    さてさて、私は困っています。ウトイさん、多宇加世さん、一足遅れた戦友さんの三名と連絡が取れなくて。
    フォーラムってあんまり見ないですよねえ。どうしよう。ウトイさんが抜けると当初の目的がどこかへ行ってしまう〜。

  10. こうだたけみ様

    朗読の件ですが
    確認が遅くなり大変申し訳ありません。
    是非お願いいたします。
    作品がまた、違う形で昇華される事を楽しみにしています。

    ひとつ、こうだたけみ様がどのようなスタンスで朗読という活動に取り組んでいるのか、良く確認もしないままこういうことを言うのは失礼に当たるかもしれませんが、どうか、こうだたけみ様の作品として発表しただければと思います。当作品は少し説明くさいので難しいかもしれませんが、こうだたけみ様の解釈で朗読して頂ければ幸いに存じます。

    よろしくお願いいたします。

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