右肩ヒサシ

右肩ヒサシ

投稿作品数: 18 コメント数: 181

投稿作品

未来の私

2017-02-23

私はトカゲ

2017-03-12

橋の春

2017-04-13

飛込み

2017-07-01

マリア

2017-11-23

みんな

2018-03-17

探せ。

2018-08-18

余呉

2018-11-18

コメント

桐ヶ谷忍さん、こんにちは。 僕は他人というのはみんな自分の似姿の人形だと思っています。毎日毎日、自分以外の人たちが凄まじい数で亡くなっていきます。他人が死んで自分が生きている、ということが既に自分の身代わりのような気がします。無関心や鈍感というナイフで、僕らは日々刻々と誰かの「掛け替えのない死」を踏みにじり切り刻んでいるとも言えます。そして僕自身もいつかそういう他人の似姿となって、一方であまりにも重い自分の死を引き受けていくのですね。恐ろしいことだけれど、当たり前のことでもあり、僕たちは宗教とは別の次元で自分なりの祈りと謝罪を何処かに持っているはずです。 覚悟を決めて生き切る。そういう不条理をきちんと受け止めきれば、総ての人形が微笑みかけてくれるかも知れない。せめてそんな夢想をしてみます。 (「弔い人形」)

2017-02-24

 こんにちは。僕も鳥が好きで、よく鳥のこと、書きます。 年がバレるようでいやなんですが、最初の「教官」、風間杜夫を思い出しました。「どじでのろまな亀」の堀ちえみ。いや、そうじゃなくて、問題は鳥なんですけど。  ここでは最後まで鳥の実体が登場しませんね。箱の中の消えた鳥、僕はそれを実体だと思いたいのですが、いかがでしょうか? 教官も男も、机上に並べられた口もすべて実体。幻視であっても、幻視としての実体。そう考えるのは、詩の内容に作者が制御する喩というものが不要ではないかと考えているからです。 言葉が語るものは、すべて実体に由来する幻視であって、言葉が実体そのものを語るなんて荒唐無稽な矛盾に過ぎない、と僕は常々思っています。 その荒唐無稽な矛盾に取り組むのが「詩」なのだ、といつの頃からか考えるようになりました。これは極個人的な着想であり、他の誰かにとっての詩に言及するものではありませんが。 しかし、そう考えてみると詩世界は個人が発したものながら、発せられた瞬間に個人から独立する幻想であり、そんな幻想に対する言葉の取り組みであるように思えるのです。  最初、箱の中からばたばたと鳥の翼が壁を打つ音が聞こえ、鶏小屋と同じにおいが隙間から漏れてきます。開かれた箱には鳥はいませんが、点々と糞のあとが残っているし、男の上着には味噌汁のシミがついている。どうしようもない実存在があって、それが幻想に転化していくのです。鳥は放つまでもなく不在で、最初から「君のもの」ではなく、決して見つからない次元で血流を巡らせているわけです。口の「唇」はどれもやや荒れていて、口紅の下に糊塗された皺や罅、不均一な色素の沈着があり、非常に微かに生臭い。確かに誰かのものでありながら、持ち主は永遠の謎でしかないようです。  こんな読み方は作者には失礼なのかな。 (私の鳥)

2017-02-10

日野啓三も鄭義も検索してみるまで知りませんでしたので、そういう知識を前提として書かれた詩にコメントする資格はないのですが、抱えている葛藤の質には親近感を覚えます。小林秀雄の「モーツァルト」の冒頭のような、魂のさすらう気配。「卵を産む鶏の蠕動運動のような魂の呼吸」、既に触れられた方もおられますが、僕にも印象的な詩句でした。ただ、直喩にすると肉体的な生々しさが多少弱まってしまいませんか?実際身体の中で熱量を持った塊をじわじわと推し動かす感覚を読み取ると、実に魅力的です。しかもそれが魂という非肉体的な次元に帰結する語の流れを持つのですからね。 絵文字に関しては、僕にはその必要性が感じられませんでした。乱気流のように咲き乱れるライラックの花の豊穣なイメージが(僕にとっては)貧相な視覚的記号に置き換えられるのは残念です。試み自体を批判するつもりはありません。作品にして表現してみないと、そういう見方との間の齟齬も明らかにならないからです。僕の感覚が古いだけかもしれない。応援しています。どんどん挑戦してみて下さいね。或る日突然見方が変わって、この試みの真価が分かったとしたらそれはそれで僕にとっての新たな幸せです。 (映画🎞ワイルド・スタイル)

2017-02-11

 こんにちは。お久しぶりです。 実はこれ、投稿して没になった作品にちょっと手を入れたものです。割と気に入っているのですが、書きたいものを総て出せたとは思えません。 内容は割と破壊的で、いわゆる「詩」的ではない過激さがあると自分では思っています。うまく伝わっていないかもしれませんが。  ええと、僕がやっているのは短歌ではなく俳句です。どうも創作の中で一番適性が無い分野を選んじゃったかな、と反省し続けながら早や十年です。 絵文字はほとんど使ったことがないので、よくわからないというのが本音です。文字との不整合なバランスがいいんですかね? 俳句や短歌に絵文字を入れる、そういう発想はありませんでした。うーん、ちょっとできそうもないですね……。 (この世は終らないそうだ)

2017-02-11

もとこさん、コメントありがとうございます。お久しぶりですね。旧女子高生の方でしたねw。 ご指摘の通り、「最期」は「最後」の変換ミスでした!恥ずかしいです。できたら訂正したいのですけど、今のシステムでは難しそうですね。 さて、幻想と現実。言葉の世界では同格な存在かもしれませんが、「その材料となった現実」は必ずあるはずです。ただし、「現実」は常に主観的であって「真実」とは異なると思うのです。 「真実」には絶対触れられない、そういうことを表現するために、仮構された「あたかも物語のような進行」の中で、絶えず自己否定を重ねていく性質を持っているのが本作です。いや、そうはなっていないかもしれないけれど、そのつもりでいます。 「真実」は人とは離れているので、「真実」を意識してものを見ると、生きている人間も死体であり、人の手になるものもすべて無意味である。と、そうなるわけです。 (この世は終らないそうだ)

2017-02-11

もとこさん、今気がついたのですが、以前女子高生ということでコメントのあった方は全然別人でした! 変にからかったみたいになって申し訳ありません!とり急ぎ訂正とお詫びを。 (この世は終らないそうだ)

2017-02-11

花緒さん、コメントありがとうございます。 そうなんですよ、これは天才詩人さんがおっしゃっているように、アキラであり、エヴァであり、ゴジラであり、まどかマギカであり……、というように多くの終末的イメージをことさらベタに書きました。キュクロプス(これ、実はルドンのそれのイメージです)はあらかじめ幻視と断って、主体の心理の反映でしかないことを浅薄に言い表しています。実際の幻覚に苦しんでいる人からするとそれは違うとなるのでしょうが、申し訳ないけれどそういう設定なのです。 しかし、どうも災害や、迫り来る死は作品中の現実らしいと。死んだ友だちが登場しますが、これが直近の未来の主人公です。死んでいるという事実だけがあって、思考も感情も言葉も、もちろん肉体もありません。目前の事態に何らかの影響を及ぼすこともありません。そうやって作品自体が常に否定的に前進していく(或いは停滞していく)のです。 この作品の「主題」は最後の1行にあります。 (この世は終らないそうだ)

2017-02-12

三浦さん、コメントありがとうございます。 はい、死体は書くものの中で僕が繰り返し登場させているモチーフです。実は言語的な存在としての死体であって、死体の持ついくつかの特性しかカヴァーしていないのですが。この歳になると親しい方、それほど親しくない方の遺体を幾体か見ている訳ですが、そういう遺体の見え方というのはまたいつもの作品中のものとは異なります。 (この世は終らないそうだ)

2017-02-12

天才詩人さん、コメントありがとうございます。 自分の書いたものを客観的に見ることはできないと思うのですが、僕の作品は僕の思うような読み方で読んで行けば、かなり面白いと常々思っています。どんな書き手にとっても言えることかも知れませんが。天才詩人さんはその意味で僕の勝手に想像する理想の読み手に近いのかも知れません。 ソンタグの『反解釈』はアマゾンのほしいものリストに入れながら、高いし訳もよさそうではないし読み通せなさそうだし、で買っていません……。 さておっしゃる通り、この作品に何らかの保証できるものがあるとしたら言葉のバランス、或いはアンバランスの良さです。中身は問題ではない、というかそもそもありません。 (この世は終らないそうだ)

2017-02-12

まりもさん、コメント有り難うございます。 実は長い返信を書いたのですが、アクシデントでみんな消えてしまいました……。気力が無くなったので、また今度詳しくお返事をします。   力の入ったコメントを有り難うございました。とても参考になります。 (この世は終らないそうだ)

2017-02-14

 まりもさん、お返事遅くなっており申し訳ありません。  僕が考える詩と小説の違い、それは言葉が手段として存在するのか、それ自体が目的となっているか、ということ。小説では言葉が物語に奉仕するのに対して、詩では物語が言葉に奉仕する、と。これでどうでしょうか?一般的には語句に韻律があるかどうか、ってことではないですかね。行分け、聯分けのなされた詩には勿論、散文詩にも内的な韻律があって、それが詩を結末へと進行させるにあたっての原動力になるのだと思います。  それなのに僕の作品が書かれた物語に筆者の立場から判断や内省を与えているのはおかしいと思われるかもしれません。かつて文極で、ある詩人の方から「右肩さんは書きたいことがないのだ」と言われたことがあります。実はその通りで、僕の判断や内省は僕自身のもの、表出すべき自我、というより物語の一構成要素のつもりです。たとえ、それが僕自身の感覚や体験に直接由来していたとしても、それが作品で訴えたいことではありません。完全な客観、神の視点をもった作品、は完全な客観などあり得ないという矛盾を内包しているはずです。表現する主体の様態があらわになるべきだ、というのが僕の見解ですから、どんなに客観を装った叙述でも主体と切り離せないということを、作品そのものに語らせたかったのでした。  架空の災害の様子を主観抜きで描出しても、全能を詐称して世界を描く隠れた主体が、背後に透けて見えては台無しです。事態そのものがある人物の主観を通して語られているのだ、ということを示唆したかったのです。僕の詩には「僕」という主体と「君」とか「あなた」という対話相手が頻出するんだけど、たいていは実在の僕でも君でもなくて作品の構成要素の一部です。  もちろんどんなふうに読まれても読み手次第なのですが、読み方の一つの提案としてお受け取り下さい。 (この世は終らないそうだ)

2017-02-17

hyakkinnさん、コメントありがとうございました。  何とか早くコメントを返さなければ、と思いながら遅くなってしまいました。自分で意図したことと、思ってもみなかったことが程よく?ミックスされた評を頂けてとてもうれしかったです。 この作品の意図が「意地悪」であるというのはその通り。ただし、何に対して意地悪なのかというと、この作品自体、もしくは作者である僕自身、そして物語世界を叙述するという態度に対してのものです。誤解の無いように言うと、僕は物語の創造者が特権的位置に立つことに対して否定的です。言葉は徹底して主観的表出です。どんなに読者という他者への伝達を念頭に置こうと、他者という概念が既に主観の中にしか存在しないからです。しかし、主体としての僕らが外的存在の関係性の結節のようなものだとすれば(僕はそう思っています)、関係性の以前に存在の核のようなものがあるはずです。それには主観の主体である自分自身と、誰かにとっての客体である言葉による逆説的なアプローチでしか迫ることはできないと思っています。自分を形作る自分以外のものは、自分という幻想の感情的な揺らぎの中から予感されるしかないと思うのですね。「自分以外のもの」とは、すなわち主観の停止した死の向こう側にあるものです。  単純に考えれば滅亡も死も、他人のそれは主観の停止とは別次元の出来事であるけれども、そのヒントとして主観を揺さぶる力は持っているはずです。だったら、揺れてみるしかないはずです。僕にとっての詩はこの「揺れ」、ダンスを見せることですね。それが他の人にとって詩といえるかどうかには大きな関心はありません。  まりもさんの言ではないのですが、僕は登場人物や作品に描かれた状況、そして物語を小手先で作り出した何かのためのパーツだとは思っていません。僕自身と、作品の外の世界と、同じ質量を持つものとして扱いながら、全身でその虚構性を暴こうとさせています。そうしているつもりです。世界の終りも地球史的に見れば現実だし、キュクロプスも「幻想」としては実在します。七人の自警団は地域の避難訓練でであった住人たちだし、死んだ友人には現実のモデルがいます。作品世界の主体も含め、すべての内容に対しての愛情と敬意は忘れてはいけないですね。彼らは僕の意図には決してつながらない自由な存在です。読み手が作者としての僕からの軛を、それぞれの鑑賞の中で解き放ってくれたら素晴らしいことです。それらは確実に僕という主体を構成する「実在する何か」の一局面であるはずだからです。その遙かな予感への陶酔がこの作品のテーマかもしれません。 >この場のすべての実在と幻想の存在はその言葉を聞いているだろうか。 という最後のフレーズは、僕と僕を取り巻く総てのものを揺らすために、戦略的に書いた詩的な(あるいはまったく詩的でないかもしれない)麻薬成分だと考えて下さったら、hiyakkinnさんの解釈へのお答えに、多少なりとも、なるでしょうか?  頂いたコメントが長いので、僕の頭の中でまとまらないところもあり、遅くなった割に十分ではないお返事になりました。ごめんなさい。 (この世は終らないそうだ)

2017-02-20

Kolyaさん、コメントありがとうございます。 折角きちんと書いてくださったので、ちゃんと返信を、と思っているうちにずるずると遅くなりました。 いつも不義理ばかりでごめんなさい。 言葉の世界というのは、主体の自己認識が意識化された途端に成立するもので、限りなく主観に基いていながら客体化されているという摩訶不思議な存在です。言葉の上では幻想も実在も等価で、言霊という概念はそこのところの気味悪さを言い当てていますよね。この作品は言葉を通して言葉の外側を夢想しています。天の裂け目の向こう側、という身もふたもない存在がそれですね。かなり戯画化されていますが、そうするより他思いつかないのです。色々なアプローチで言葉の外側の単純な「モノの同質性」に迫りたいのです。 取り急ぎそれだけ。 (この世は終らないそうだ)

2017-03-02

きらるびさん、コメントありがとうございました。 朗読について。コメントを読んで面白そうだと思ったので今まで試していましたが、難しいものですね。やってみると、声優という職業の人がいかに凄いかということがよくわかります。 レコーディングして聞いてみると、自分の声というものはいつも聞いているものとはまったく違うので恥ずかしいものです。 どうやって発表したらいいのかわからないけれど、折角録音したので、機会があったらどなたかに聞いてほしいなとは思っています。 (この世は終らないそうだ)

2017-03-02

三浦さん、こんにちは。  僕はこの作品をエロチックな現場を描いた詩であると解釈してしまったのですが、どうなんでしょうか?積み上げてきている社会的な関係性みたいなものが、脳内の快感物質の爆発的な分泌でふっと無化されてしまう瞬間が描かれているのです。  ただ、それはインド人によって開発された怪しげなジェネリック(ジェネリック薬品はオリジナルに対する後発薬品で、オリジナルから開示された薬効成分をもとに作られていると理解しているのですが、だとすると「開発された」というのではなく「模倣された」のでは?)によってもたらされたキッチュな快楽であるということが、詩自体の記述から自認されているのです。浅薄さを自覚しつつ陶酔を許容する、というニヒリズムがこの詩の主体にあるのだとしたら、そういうのは割と好みなんですよね。愛の実相なんて言うのは所詮わからないもので、カッコで囲んで取りあえずあるものとした上で、セックスや作詩が行われているに過ぎないのですから。キッチュな快楽に身を委ねる、その無力な有様がはかなく、脆く、醜いからこそ、逆説的に美しい、そう僕は思います。  この詩の主体をじっと見ているのは、性のピークにいるその主体が関係性の現実的ニュアンスを剥奪している相手の「君」かもしれません。だとしたら、「君」は作者の一方的な絶頂から距離を置く、最も辛辣な観察者となっているわけです。  もし「君」が自分の切り離された自意識の一部であるとすれば、世界を設定する傲慢な詩人としての作者のゴーストということになりますし、読者だとしたら我々は露出的なプレイの目撃者の立場に立たされて戸惑い続けるわけですね。こうやって、作品のよって立つ表現基盤そのものがぐらぐらと揺すられるのもまた、作品そのもののはかなさであり、脆さであり、醜さであるのだ、と僕は思っています。ゆえに、本作の属性は「美」なのだ、と考えます。  もう少し言葉に過剰な修飾があったなら、もっとよかったですね。 (渚鳥を回転させる調教)

2017-02-19

まりもさん、hyakkinさん、コメントがおくれてすみません。寝落ちしています。他にもコメントしたい作品がたくさんあるのにね。自分の中でハードルを上げてしまっているのかも。migikataのくせにね。 (《雑談/議論/自己紹介スペース》)

2017-02-16

もとこさん、こんにちは。 僕はこの詩からつげ義春の「紅い花」を思い出しました。感覚的な作品なんだけれど、ちょっと理に走り過ぎた感じもあるように思います。現実の女性の感覚とでは、僕ら男のそれは微妙にズレてしまうのかもしれません。理詰めになっちゃうんですよね、どこか。 (フラワー・オブ・ロマンス)

2017-02-22

もとこさん、お返事ありがとうございます。 そういう事情があったんですね。そうとは思いも寄りませんでした。僕も想像で女性の立場で書くこともあるのですが、まったく想像の域を出ていません。或いは中身は男のままであることを自覚しています。 自分を中心にしてちょっと安易に人のことを推しはかり過ぎたかな、と反省しています。僕にとって理詰めに思える部分も、もとこさんにとっては感覚的な真実なのかもしれませんね。詩の読み方は、よほど気をつけないといつの間にか自分の立場に引きずられて偏ってしまっているものです……。 (フラワー・オブ・ロマンス)

2017-02-22

きるらびさん、こんにちは。 いいですね、この詩。 夢、屍、恋、幻、夜、月の砂漠。泪、唇、血、罪、宇宙、人魚。 甘い詩語がこれだけ出てきて、恋人たちの官能的なひと時を語っているのです。普通なら鼻もちならない「ポエム」になるはずなのに、そうはなりません。それはちゃんとした中身があるからではありません。この詩には徹底して何もない、と僕は思います。きらびやかな空虚がゆったりとしたリズムで語られ、一切余計な深化というものを見せないまま終わっています。しかしながら、その単調な快楽こそが恋の本質なのでしょうね。 恋人と抱き合う時人間は、ごく短い間ながら、何もない単純な肉体を互いに認め合うのかもしれません。 非常に逆説的な物言いになってしまいましたが、本当に僕もこういうものが描きたいのです。 (なみだもろい愛をこめて)

2017-02-21

ごめんなさい、きらるびさんでした。 訂正させて下さい。 (なみだもろい愛をこめて)

2017-02-21

グエン・グエンさん、こんにちは。 >多分なんにも考えていない足が >妹の性器に触れる >多分なにも考えていない足が >弟の性器に触れる ここが好きです。何も考えていない胎児の時、羊水の中で三つ子四つ子の弟や妹の体に足が当たるような、そんな感覚。自意識以前の自分が自意識の中にいるのですね。子どもの頃、時々小学校の帰り道、死というものについて考えました。父に「死んだらどうなるの?」と聞いたら、「何にも感じていないし、考えていないな。寝ているときと同じだな。」と答えて貰ったことがあって、じゃあ死んだときと同じように何にも考えるのをやめよう、と何回も実験してみました。当時から僕は頭の中のラジオが他愛もないことを隙間無くしゃべり続けている人間なのだけど、一所懸命に意識をカラにしてみると確かに「あ、今何も考えていなかった!」と思えることがあるのです。でもすぐに「あ、今何も考えていなかった!」と考えていたことに気づいて、そのたびガッカリしていました。なんだったんだろうな。当時はまだ言葉のない胎児の時のことを覚えていて、実はそれを懐かしんでこんな実験をしていたのかもしれない、とこの部分を読んで思いました。 >なにも考えていない瞳が捉えたのは >ただそこにあるだけの空 >その、紛れもない名前 このまとめ、結論に当たる部分はちょっと違和感があります。「ただそこにあるだけの空」は「ただそこにあるだけだ」と思った瞬間に、「ただそこにあるだけだと自分に思われた空」になってしまうし、「その、紛れもない名前」がひとつでも頭に浮かんだら、必然的に「何かの文脈に紛れた、関係性の中の名前」になってしまうからです。 ものの本質は結局ノスタルジーか、鏡像として意識の中で予感されるものでしかないと思います。 言葉という鏡の中の世界であるにせよ、ものがものとして放り出されるスタイルの俳句にはある種の凄味があるのですが、僕の知る現代の詩はどうしてもものを文脈や論理の中で変形させてしまうのですね。 (sense。)

2017-02-23

もとこさん、コメントありがとうございます。 そう、その通りなんですけど。「あなたすてきよ。いいかんじよ」は「海辺の叙景」ですね?森田童子の「雨のクロール」ってのもありましたね! 書いたときには思いもよりませんでしたが、そういわれてみればこの系列の末端に連なっているような気もしないではありません。 (未来の私)

2017-02-24

三浦さん、コメントありがとうございます。 黄泉の国の昏い快楽とはそういうものなんですよ。自分が何を考えているか、まるでわからないのです。池の中のポセイドンもそう言っています。ロプロスは空を飛び、ロデムは変身地を駆けるのです。三つの僕っていうとナウイけど、桃太郎とどう違うのか?選ぶところはない、ってヤツですね。 人間はしょせん最期は1人で鬼の征伐に行き、未だ帰ったものはいないわけです。 (未来の私)

2017-02-24

花緒さん、コメントありがとうございます。 実は行わけのものもたくさん書いています。宜しかったら文極でご覧下さい。 行分けにするとリフレインが多くなりますね。好きなんです、単純な音楽性。リズム音痴なので音楽といえば反復と変奏だ、という実に単純な思い込みがあるのかもしれません。 文中では「死の国」なのですが、日本神話に描かれる黄泉の国も気に入っています。暗くて臭いだけで、何もない汚れた世界。いいじゃないですか、それで。 (未来の私)

2017-02-26

クヮン・アイ・ユウさん、コメントありがとうございます。 「生々しいにおいを感じる」と書いて頂いたこと。嬉しかったです。 実際にあるお寺で見た池が、この作品の発想の元になっています。 「目の前のもの」自体というのは言葉よりも魅力的ですね。ものがものの強度を保ったまま言葉の中に入り込んでくるような作品を書いてみたいと思っています。 「気持ちいいけど、気持ちいい」これは諦観というものです。 (未来の私)

2017-02-26

hyakkinnさん、コメントありがとうございます。 おっしゃるとおり、「死の国」というのは、死んだものの主観で見た同じ目前の世界のことです。死んだものの主観というものは論理的に存在しませんから、脱自我という虚構が投影されるということになります。言い換えればそれは限りなく甘美な幻想です。でも投影される世界には必ず我々の存在から独立した実在という核があり、必ず主観を裏切ることになります。 この作品は「未来に滅ぶ肉体」と等価の「客体」が語る主体なき未来と 、「主体なき」と語り得る主体の欺瞞を告発することからなります。 と言ってみたけど、本当かな?精神的なポルノと、その自省と言っても同じかも知れませんね。 (未来の私)

2017-03-05

まりもさん、コメントありがとうございます。 返信遅くなり申し訳ありません。 宇宙、ここでないところ。感知不可能だけれども実在するところ。考えているのとは全く別の何かで、考えたら考えるそばからことごとく否定されなければならない。そういう何処かについて考えることは愚かなことです。その愚かさを、愛しさと読み換えるための手段として辛うじて言語は有効かな、と思っています。 知性と技術から入って単純無知無能な凄みに抜けられたらいいな、と思ってやっています。 (未来の私)

2017-03-11

天才詩人さん、こんにちは。 都市の中をすさまじい速度で転がる魂の鉄球が、接地面に火花を散らしているのを見るような。きしむ金属音を聞くような。そんな詩でした。 もともとフレームだけの物語が、さらに粉砕され鉄粉となって舞い散っているので、「お母さん」を描いた一節のはっきりとしたメロディラインは不要のようにさえ思るのです。 ただ、その中でも1945年の広島は重いですね。焼亡して影になり、人類の歴史にその整序を越えて染みついている広島だけは、どんな巨大な鉄球でも、もうこれ以上砕くことができません。 (THE COLD WAR)

2017-03-03

もとこさん、こんにちは。 わかりやすさ、とても大事だと思います。一語一語は決してわかりやすくないのに、わかったつもりになってしまうところはうまく作者の術中に嵌っている気もしますが。 僕は、地下鉄の中で半睡半覚の状態でいる少女を思い浮かべました。無責任で目が笑っていないイケメンにだまされて頬をぶたれた後、着の身着のままで彼氏のアパートだかマンションを抜け出して帰って行く。かつては望んでいた妊娠に、今は不安として苛まれながら。少女のことだから、自分と世界が混同されてしまっているのですが、目覚めたら壊れるのは彼女にとっての世界ですね。座席での心地よい刹那の眠りを永遠のものとしたい、という欲求が黄泉国の食(じき)であるパンとなって少女の内なる霊体の食欲を満たしていくわけです。 ディラックの海、僕も漫画で読みましたよ!なんだったか、オリハルコンで作った天球儀のようなフレームの向こうに阿修羅一人が逃れていくんでしたっけね。この世界の存廃も大きな反応炉の中にあって、それを外から制御しようとしている研究者のような声が聞こえてきて終わるんでしたっけ?少女の夢としてはとてつもなく大きなスケールですね。 (Tangerine Dream)

2017-03-03

きらるびさん、コメントありがとうございました。 散文に見えるけれど、実は韻文ですね。イメージとリズム、そして音韻が割合とゆったりした波に乗って流れています。美しい太極拳をみているような。 エロチックだけれど、肉体的ではないですね。転がっていく物語も、起承転結の構造体ではなく、採譜できない謎の旋律のようです。 > その瞬間、カタツムリのようにジメジメとした想いで、ちいさくなってゆく自分の姿にも、やっと気づいた。 というこの部分はちょっとありがちなオチになってしまっているように思えます。律儀に話を落とさなくてもいいのではないかな、と思います。 (まいまいつむりのまいこちゃん)

2017-03-02

花緒さん、こんにちは。 とても良い詩です。実は何度も読ませて頂いているのですが、どうにも気になりますね。感想はもとこさんとほぼ同じ。自分の中の不愉快さにきちんとした距離が取れないのでコメントをつけられないというのがありました。 物語を造型する力が非常に強いですね。言葉が言葉を呼ぶのではなく、事が事を呼ぶように詩が流れていくように思います。僕にはない資質です。ただし、そちらが勝るぶん言葉やモノの質感が低いようにも思えます。この詩に感じる、テーマの重さと裏腹などうにもやりきれない空々しい軽さは、作中の「ネット」という素材の性質とともに、ここに起因しているかも知れませんね。もっとも空々しさはこの詩の魅力のひとつでもあるし、作者の意図するところでもあるのでしょうが。こんな事を言うのは僕が俳句をやっているからでしょうね。(もっとも僕の俳句は残念ながら下手です。これはヒミツですw) 最後に小学生レベルの感想を付け加えると、「この詩の主人公のような人とは関わりたくありません」となっちゃうのかな、結局。苦手なんですね、こういう人。 (ルウさんちの写真館)

2017-03-09

クヮン・アイ・ユウさん、こんにちは。 見当違いだったら申し訳ないのですが、これは在日外国人の方の苦悩を描いた作品なのでしょうか?表面的には友好的に接してくれている日本社会と、表面的には溶け込んで暮らしているように装っている外国人と、その二者の関係に内在する恐ろしい不安について書いてあるように僕には読めてしまったのですが、いかがでしょうか? アキレスは亀という「切迫しない不安」に脅かされている。頑張って歩けば歩くほど、亀に追いつく時が早くやって来る。つまり、いつか不安が現実化し、嵐のような憎悪と差別にさらされる時が来てしまうかもしれない。そうなるとアキレスはアキレス腱を切って二度と立ち上がれなくなるでしょう。今はそれに怯えて、絶望を頭の中でシュミレートし、予行練習しています。 新しい世代の、祖国を知らない移民の新世代が日本人と一緒に幼稚園バスに乗っているのを複雑な目で見る主人公の内面が描かれていると読むのは穿ち過ぎでしょうか?ヘイトは既に見えないところで膨れ上がり、常態化し、ネット上や街路ではマンネリ化した暴言が溢れている。もはやコミュニケーションによる和解は幻想でしかないので、移民は鈍感で何も知らないフリをしながら、表面の静謐さに甘んじているのです。 我ながら嫌な読みですが、見当違いであってほしいですね。ちなみに僕自身は人の好悪は個人それぞれを対象にしてあるもので、日本人だろうが外国人だろうが良い人もいれば悪い人もいると思っています。個人を偏見で一括りにまとめて語ろうとする人は信用できません。 ただし、僕自身にも内なる差別意識はあるかも知れない、という不安や警戒感は持っています。 (好き)

2017-03-05

YUU_PSYCHEDELICさん、こんにちは。 青くて深い海に向かって思いっきり石を放るような詩ですね。投げるフォームが美しいと思います。 純色の群青と 生クリームのような白の コントラスト ここ、転ですよね?残念ながらちょっと弱いかな、と感じます。今までの流れが一挙に逆転するための説得力が語句に宿っていないのでは?ということです。 ここを表現するにはどうしても技巧的な成熟が必要ですよね。でもそんなものを身につけてしまうとピュアな良さが消えちゃいそうな……。ご存知ないかもしれませんが、田中宏輔さんならその辺を苦もなく越えて書いていらっしゃると思います。なかなかできないことだけど。 (雲)

2017-03-06

桐ヶ谷さん、こんにちは。 僕はちゃんとした大人ではないので、たいていの少女からは見下されてしまっています。だからかどうか、少女の身勝手さとか、臆病さとか、抑圧された性が歪んでいるところとか、あまり好きにはなれません。もちろん人によりけりですが。 この作品では、かつて少女だった自分が無意識の奥底に埋められていて、その純粋さに告発される自分、というものが描かれているのですね。僕は少年時代、叱られてばかりの変人だったのでいい思い出はありません。小学校を卒業して中学校に入ったとき、こんなにいい場所があるんだ、と嬉しくてたまりませんでした。より厨二 病の変人に磨きがかかったんですが、変人の友だちとしか付き合わなかったので気にならなかったんですね。今はだいぶ改善されたと思っていますが。 少女が大人になるのを桐ヶ谷さんは何かを切り捨てること、と捉えているのようです。僕は平凡ですが、獲得していくことだと思っています。獲得するものはどれも重くて、その重さに時には耐えられなくて、人はノスタルジーに走るのでしょうか?少女が大人になるのは処女喪失の時かな、と男の立場からは思うのですが、明るく笑いながら子どもの世話をやいている既婚の女性を見ていると、この人たちみんなにそういう重い体験が何処かであったのだと不思議な気がします。一線を越えて自分を人に委ねるってすごい勇気ですよね、しかもあの身勝手で傲慢で臆病だった少女がそういう場面に直面するわけですから。素晴らしいことでもあるんだけど、そりゃあ人形の一つも埋めなきゃやってられない怖さもあるんでしょう。 男が安易に口を挟める領域ではないのかも知れません。 (「薔薇の下」)

2017-03-17

kolyaさん、こんにちは。 この詩、良いですね。寂しくて明るくて静かで、柔らかくて口溶けがよく、何も残らないし残させない。神様のことを言っているようでもあるし、水商売の女性のことを言っているようでもあるし。 僕の理解ではこれは眠りの呪文です。呪者が「安心しておやすみなさい。あなたがぐっすり眠っている間に世界は滅び、あなたの死骸は崩れて海に流れます。何も恐れることはありません。」と言ったあと、数十万人の群衆の口から徐ろに唱和されるのです。 呪文というにはちょっとそのまま言い過ぎている部分もあるようですが、分かち書きがうまく作用して全体を適度に霞ませています。 (呪文)

2017-03-10

からむくろまさん、こんにちは。 これは間違いのない傑作ですね。といっても、僕にはっきりわかるのはそこまで。非常に綺麗な文法でクリアに描かれているにも関わらず、きちんとした受容ができないのは僕の未熟でしょう。 その未熟な読解では、これは言葉と世界、あるいは実体との関係を示したもの、その解説書のように読めましたが、いかがでしょうか。 一見ばらばらな三つの部分と、[(ref)line]と題された(「refrain」と「line」の複合された造語?)第一連と関連する最終連の記述から成っていますが、どれもイメージが言葉と実体との間を往き来しているように思うのです。そのフォームが既に美しいのですが、単純な言語的陶酔に留まらず、言葉が実体との関係に持つ明確な虚偽と幻想性にもきちんと目を配っているように思えます。 雨乞いのスタイルは色々あるのでしょうが、女性(巫女)の肉体を通過した呪言によることが多いというイメージがあります。当たり前のことですけれど、雨乞いは単なる科学的誤りではありません。合理性の枠外で、社会的仕組みとして機能し続けてきました。言葉が現実の降雨とシンクロすることもあれば、降雨の幻想を呼んで人々の脳裏に雨を降らせることもあるはずです。幽霊との会話の体験や写真の中での狩猟と同じですね。作者はこれを詩として作品の中に蘇らせ、追体験させようとしているのではないかと思いました。 最終連は、ちょっと前に呼んだ吉増剛造の初期の詩篇(題名を忘れたのが残念ですが)を思い起こさせました。自然現象と人の生理が分かちがたく結びついた詩でした。 見当外れだったらごめんなさい。また語句に十分即した上での全部分の読解もできませんでした。でも、面白かった。他の方の読解を待ちたいものです。 (phosphorescence)

2017-03-12

すみません。旧作です。ひょっとしたら覚えてる方もあるかもしれません。 (私はトカゲ)

2017-03-12

まりもさん、こんにちは。 前半、もたついていますね。繰り返し同じ言葉を使っています。 これ、リズムが欲しかったのと、世界にそれなりの密度を与えたかったからです。「散文」ではなく、 どうしても「詩」にしたかったんでしょう。 もちろんどなたからどんな読解を受けても良いし、意外な解釈も面白いのですが、まりもさんの読解については我が意を得たかのように思われます。「薬剤=言葉」と考えてもらえたら読みやすいと思います。僕自身、薬物なんか使ったことないですし、そうしたいとも思わないので。「詩を生み出していく過程」という解釈、明確にそう考えていたわけでもないのですが、まさにそれだよな、と首肯しました。 今更この古いのを出したのは、新作を書く参考にと、ちょっと文学極道で自分の書いたものを読み直していて、これ面白いかも、と思ったからです、書いたことも忘れていたので。 M学園とは関係ないつもりです。しかし太くて長いシッポですね、あれも。 (私はトカゲ)

2017-03-13

澤さん、コメントありがとうございます。 本当に期待していた以上の評でした。 わくわくしました。 花緒さん、コメントありがとうございました。 楽しく読んで頂けたようで嬉しいです。 臨死体験というのは結構な多幸感があるようですね。 (私はトカゲ)

2017-03-17

葛西佑也さん、コメントありがとうございました。 以前から読んで頂いていると言うだけでうれしいですね。 「図形」ですか……、 http://bungoku.jp/ebbs/pastlog/457.html#20160111_152_8559p ですね。 オダさんからコメント頂いているのに返事も書いていません!そのうちに、と思っているうちに忘れたのでしょうか?ありゃ~。あまり評判もよくなかったようです。 「鳩が咥えてきた指」 http://bungoku.jp/ebbs/pastlog/404.html#20140731_427_7575p の発展形のつもりだったけど、十分伝わらなかったのか、主題が陳腐と判断されたのか……。 余計なことですが、「戦争」や「若者の在り方」という社会性を抜いて考えると、「 LED(或いは「雪の砂漠」 http://bungoku.jp/ebbs/pastlog/357.html#20130211_485_6689p の方ができがよいと思います。お読みでなかったらご一読下さい。 (私はトカゲ)

2017-03-25

hyakkinnさん、返信めちゃくちゃ遅れてごめんなさい。 色々考えているうちにちょっと返事を書けなくなってなっていました。 簡単にいかせてください。 脳の機能の一部が壊れると、自他の区別をつけることができなくなって、自分というものがどこまでも広がっていく、例えば床や壁が自分の一部のように 思えてしまうのだ、と養老孟司が書いていました。それ、どんなものかな と思ったことがあります。死の直前の世界ってそうかな、と。八重ちゃんはそこから戻ってきたんですね、きっと。 山崎さん、八重ちゃんという 名前、古めかしくって何処か土俗的でしょ?キラキラネームのアスファルトを剥がすと、渋谷の古い地層としての人間が見えてくるのです。ブラタモリか、とノリ突っ込みしつつもそういうことなんです。二人は少女だけど、平成の人間ではないかも知れません。 (私はトカゲ)

2017-04-11

三浦さん、一気に借金を返します。古いものを上げてごめんなさい。 渋谷だけでなくて、土地というものは何処も実は魔界特性を持っていますよね。人も含めて、生命が生まれ、死んでゆく場ですから。つまらないベッドタウンに家を建てるときだって、地鎮祭は必らずやらなきゃ。それぞれの土地がそれぞれ特異という意味で、やっぱり渋谷は特異です。だから、そこで八重たんの、じゃなかった八重ちゃんの魂は国産みをする神となり、トカゲという地霊となり、再び人に戻るという冒険をするのです。ラノベ的に読めば、そういう女子高生のセカイ系冒険譚ですし、もう少し穿った見方をすれば、自意識からの解放と回帰ということになるのでしょうか?専門に勉強された澤さんに見られるかも知れないのにわかったふりをしてそんなことを言うのは汗顔の至りってやつですが。ただ三浦さんが看破しているように、この物語を書いた作者自身も登場人物の一人として関係に組み込まれています。作者は八重ちゃんの主観から世界を記述していますもんね。でも作者であって決して八重ちゃん自身ではではないから、そこに分裂した人格があるわけです。自意識を抜けた人格の統合としての物語が、分裂の現実から成立している、という面白おかしい事実に目を向けると、この面白くもない作品も面白おかしく読めるかも知れません。いや、そうあって欲しいなあ。ないのが当然だとは知りつつ、ですね。 (私はトカゲ)

2017-04-11

みいとかろさん、こんにちは。 おひさまが『よつばと』のよつばみたいでした。最後に木靴をとんとんする部分ではあづまきよひこの絵が浮かんできました。愛らしいですね。内容は理科の本に載っていた、命の循環を表す図、というより挿絵のようなものに似ています。死と再生の寓話として読みました。壮大な寓話が日常生活の中にちゃっかり可愛く居ついているのがこの詩の魅力でしょうか? 冷蔵庫やクジラの登場への違和感が消えなかったのですが、みいかとろさんのコメントを拝見して納得できました。僕だったら歯を剥いて死んでいる猫の死骸にしてしまうと思います。死骸が好きということは決してないのですが、九相観図を知ってから子どもの頃空き家の裏庭で見てしまった猫の死骸のトラウマが表に現れてくるのですね。クジラの解体写真も、僕が小学生の頃には学校の掲示板に貼られた写真ニュースの捕鯨船紹介の記事などで良く見ました。 (雨ということで)

2017-03-25

kaz.さん、こんにちは。 中身よりも【1】から【4】までの副題が主張であり、要旨なんですね。そしてそれは並んだ言葉に対する装飾でしかないのです。たとえばから【1】では「無垢の果実」という主題があってはじめてたどたどしく綴られた言葉の連なりの中から「水子」とか「お腹」という受胎を表す言葉が浮かんでくるのだけど、それも実は他の語を意味的連なりというロープによって意識の表面に引き上げる役割を担っているに過ぎないと思わされる。恋、性交、妊娠、堕胎、痴話喧嘩。喜び、怒り、優しさ、思いやり、嫌悪。そういったコトや感情が明滅してきます。きっとそれは無垢の胎児が感じ取った親たちの生きる世界の知覚に近いものなのでしょう。 以上が最初の部分の読みなのですが、ここが一番好きでした。(誤読にしても、ですw)【2】【3】はわかりやすいぶん感傷的に過ぎます。それがねらいなのでしょうが、 >人の目を追い抜く鳥たちよ この映像的なテイストが並べば僕にはもっとよかった。 【4】では例の「北条」なのですが、誤変換をそのまま活かして、表現を作者の手から離す 、という試みは面白いですね。意図と意図の外とが組紐のように縒り合わされる上に、意図の外の部分はAIのロジックが紡ぎ出した集団的無意識が反映されているのですから。ただ、「文体の悪魔の怜悧なるさま」という大仰な物言いはそういう興奮に水を差しますね。悪魔なんて👿でしょ?せっかくの北条、高嶋政伸が粥を啜りながら怒りますよ。もちろん個人の感想なので、こんな奴もいるんだな、と思ってくれるだけでいいです。 この部分でいいのは、 >町から滝の音が聞こえた ここ。美しい。 >優れた死は意味から逃げようとする。 ここ。「死」が「詩」になったら目もあてられないですけれど、「死」である限りは最高です! 僕も別の読み手の解釈が聞きたいですね。楽しく読みました。 (声のみの声――起草)

2017-03-19

花緒さん、こんにちは。 これ、「白やぎさんからお手紙ついた」の世界ですね。メロディーもリズムもない(言葉のりずむは別として)、でも音楽ですよね。 中身のなさがいい感じです。もっともっと中身は軽くなると思いますよ。言葉と物語のカタチだけ残して、詩の中身は逆さに振って全部捨てたいですね。 (ゆめであえたら・・・ (B-REVIEW EDITION))

2017-03-25

花緒さん、こんにちは。 最近読んだ詩の中では、ひょっとしたら一番肌に合うかもしれません。 詩として優れているかどうかではなく、感情を揺さぶられるかどうかではなく、論理的に正しいかどうかではなく、正しく詩の外に立った文という気がします。 詩の外にある詩が好きです。 人間の将来がAIに依拠するかどうかは別として、近いうちにAIは誰もが息を飲むような詩を作ると思います。囲碁のソフトと同じように、動機(意図)から作り上げられるのではなく、表現の現象を効果的に組み合わせながら、新たな作品を作り上げていくのでしょうね。それはもう実現目前ではないでしょうか。コンピューターに人間の感情はわからない、とよく言われますが、感情とは別のところから出発して、感情を揺さぶるものを作ればいいのです。 感動というものも、ハリウッドの製作システムの中ではある意味資本の手で解析され、現在の映画の一部だって市場効果をもたらすためには同質化されているんでしょうね。 (プレーン・ライティング)

2017-04-13

葛西さん、こんにちは。 古文の和文脈と口語文の融合は、とても面白い試みで、冒頭の部分の完成度は特に高いと思います。ただ全体的には詰めきれていない部分があるように思いました。一例を挙げると「それは酷な世界であった」は口語としてこなれていないし、「思い出とは反比例して」という表現は意味がとれません。詩の構成としては、少女と私との生々しい会話語のやり取りは(作者としては狙ったものかもしれませんが)全体の調子にそぐわないと思います。葛西さんとの感覚の違いもあるのでしょうが、こういうものはとにかく時間をかけて推敲し磨き上げてようやくそれらしい形になるもののように思います。語句の問題とは別に、感傷に走りすぎて均整を欠いた部分もありませんか?まだ荒削りな印象が拭えません。 失礼なものいいになってしまったかもしれませんが、着想も好きですし、ぴたっと決まっている部分は、僕の目で見ても非常に美しいのです。一連と二連の繋がりにはぞくっとさせられました。それだけにまだ見ぬ完成形を求めてしまうのです。10年かかっても美しく仕上げてもらいたいですね。工芸品のような詩、好きです。 (あさぼらけ)

2017-04-11

なかたつさん、こんにちは。 最初の部分を読むと、ともに生きてきた父からの独立と死別を書いたものかな、と思いました。不味い食べ残しを父に上げ、父はそれを受け入れる、というエピソードが厳しい父権が老いによって崩れ、逆に父が子からの理不尽な振る舞いを甘んじて受ける側に回ったことを表すのだ、と。子がそれに後ろめたさと、一抹の寂しさを感じているうちに父は亡くなり、今歩く道には、父の灰色の骨粉が混じって、自分の未来を暗く予感させる。田舎の何気ない景色にも父の生涯は投影されるし、その支配の範囲で「ぼく」の人生は迷走し、そこからはみ出せることはない、恋愛感情すらも。「ぼく」は新たな父となり、祖先や血縁が見守る中で、血脈は受け継がれるのだ、と解釈してみました。最後の「きみ」は「ぼく」の伴侶であるが、性的プライバシーでもあって、それが血脈に連なるものから露わにされようとしているわけです。「きみ」の裸を見るのが父母でなく唐突に登場した祖父母というのも、血の因縁の時間的な奥行きを示すものだと思って読みました。 図式的過ぎる読みかもしれませんね。 「きみ」の唐突な登場のみならず、前半と後半で詩句のリズムというか呼吸が違ってしまっているような違和感はありますが、自分の亡父のことなどをしみじみ思い出しながら読みました。 (道なり)

2017-04-10

桐ヶ谷さん、こんにちは。 これは詩を書いている桐ヶ谷さん御自身の暗喩でしょうか?表現することの焦燥感、高揚とそれが去った後のやり切れなさが音楽のような流れの中で表現されているように思えました。 ただちょっと、「暗喩」というものについては思うことがあります。もう何年も前のことですが、夏の暑い盛りに長い距離を歩いて消耗しきって興福寺の宝物館に入ったことがあります。すると、そこに並んでいる国宝級の仏像が、仏としてではなく、木や乾漆といった剥き出しの素材として見えてきたのです。その何の救いもないモノとしての姿に大変心打たれました。同時に仏を作る人間の仕事と、その思想との因果が繋がっても見えました。この「螺旋階段」も実在があり、人と離れたところから人に繋がる様々な道すじを持っていると思えるのです。それが作中のどこかで示唆されると、また新しい次元が開けてくるような気がします。 (「螺旋 表/裏」)

2017-04-11

霜田さんこんにちは。 もう許されていることに気付くべきです。決して許されないことにも気付くべきです。 目の前にある物を何でもいいから見て、言葉にしてみることをお勧めします。 そうすれば詩以前に留まってはいられないはずです。 (詩以前)

2017-04-11

ええと、誤解されないように言いますと貶しているのではなく、次があると言いたいのです。詩以前というのは霜田さん自身の認識でもあります。これは詩ですが、作者が詩以前としている時点で、ここに留まるか否かという問題を自分に突きつけることになっているのですね。高いところから見下ろすような言い方になったことに気がついて恥ずかしいのですが、僕自身にも切実にある問題です。これは詩ではない、と何度も指摘されて、ならそれでいいや、と思う反面、詩を書くにはどうしたらいいんだろう、と考えさせられたりもしています。「いました」、じゃなくて! (詩以前)

2017-04-11

もとこさん、こんにちは。 とても良い詩ですね。世界と社会と私たちと私、それぞれの次元での境界線が、詩の中で重層的に語られ、お互いに融合していくようです。これも眩惑のうちでしょうか。 アナタの肩を求めて アタシは永遠に傾き続ける それは天国なのか あるいは地獄なのか 今のアタシには 分からないけれど このあたりの流れが官能的で僕の好みです。 肩のあたりから、暖かくて良い匂いがしました。 (Lean On)

2017-04-17

祝儀敷さん、コメントありがとうございます。 一連、どうですか?自分でもちょっと気に入っています。 「レスをするかもしれないが」なんていけず言わないで、お願いしますw BLか〜!三浦さん、コメントありがとうございます。 そうか、そう読めないこともないですね!敬服しました。僕はそうじゃないけど、この部分だけ取るとピッタリですね。驚きです。一番センチメンタルな部分ですが、確かにここに思い入れはあります。ホンモノの人類は1999年8月にとうに滅んでいるんですよね、きっと。影に過ぎない僕ら。パタンと軽く倒れて何も残さないのも当たり前です。 (橋の春)

2017-04-13

もとこさん、コメントありがとうございます。 「上手すぎる」と言われるのは嬉しい反面、手馴れたやり方で済ませてしまっていないか、という反省にもつながりますね。自戒しますね。晩年のピカソじゃないけれど、即興で書いた子どものような言葉がそのまま詩になるように書くのが理想でしょうか? 「側溝の橋の上」としたのは石造りの立派な橋や、情緒溢れる木橋では困るからです。コンクリートで作られた、文化や叙情というものへの憎悪が剥き出しになったような、醜い小橋がいいですね。 (橋の春)

2017-04-15

霜田さん、コメントありがとうございます。 そこの部分は計算したわけではないのですが、普通の流れとして書きました。1行あけたのは、逆に「切れ」を作りたかったからかも知れません。いいと言っていただけて嬉しく思います。 (橋の春)

2017-04-15

まりもさん、コメントありがとうございます。 作者も惚れ惚れとするコメントでしたw 何度も読み返して、もちろん指で隠すのもやって見ました。なるほど。 最後の行の1行空けにしないところ、当然そうすべきなのですが、「整いすぎ」からくる胡散臭さを誤魔化すためにわざとそうしませんでした。 そう、この作品には強いパッションが ないので、終始胡散臭さがつきまとうんです。それから「君」の存在が希薄すぎるんで、多少バランスが悪いんですよね。その「君」を「詩」に読み替えてくれるなんて、素敵です。本当にありがとう。 (橋の春)

2017-04-17

hyakkinnさん、コメントありがとうございました。 惚れ惚れしてくれて有り難うございます。何かを誰かに届けることが出来たら、書かれたものにとって本望だと思います。 作者は作者。最も作品を分かっていない人の一人という立場で十分です。 ひいらぎさん、コメントありがとうございました。 オヌシ、もしや”ふ”の者であるかw やべぇっす。 ちょっと適当すぎる出来ですけど、三浦さんの作品に”ふ”の返詩をつけましたのでよろしかったらご覧下さい。 いや、まさか自分がそんなものを書くとは思わなかったんですが、ノリで……。 想定されていない読まれ方、とても嬉しいです。 (橋の春)

2017-05-05

BL返詩を書きました。三浦様、ご賞味下さい。    心理構造ツァー 是非ご検討下さい 密林の寺院で、いじましい見習い僧を石壁に追い詰め そこに両手を突いて逃げ場を奪いながら 愛とはなんぞや と問い詰めることができます ぐっと顔を近づければ、怯えて涙ぐんだ少年の瞳の中に お客様のサディステックな笑顔を映すこともできます 上空を旋回するヘリコプターが午後の傾いた陽光にキラキラ光り ローターの音が響いてお二人から軽佻な言葉を奪うでしょう さあ、お客様 言葉のない唇を奪うのは容易いことです 椰子の葉の影のように、ざわつく胸の予感の中から 潜水士が今命をかけて探しているものの 同じ光りを拾い上げて下さい 旅に迷いはつきもの 12万トンの客船の航跡も 青い波の上にゆったりと大きく謎の弧を描いております お客様、愛とは何でございますか 宗教に破戒はつきもの お二人でお迷い下さい 是非 果肉は腐りかけが一番おいしゅうございます はい 本当のことであります (世界構造プール)

2017-05-05

クヮン・アイ・ユウさん、こんにちは。 この詩の問題点は、逆に届きすぎてしまうことにあるのかもしれません。 詩世界がすべて解釈から成り立っているので、言葉が言葉そのものの持つ世界を、読み手の文脈に合わせて右から左へ移動させているような。自立したモノ自体の存在感に欠けてしまっているのだと思います。気持ちの強さは充分よくわかるのですが。 (食べて下さい)

2017-05-16

北さん、こんにちは。 死んでるのも生きてるのも一緒やん! 同感です。生者は未来の死者の記憶として生きているのだと思います。 靖子がどきどきする は上手いこと言い過ぎているかも知れません。前の部分を置き去りにして総て持っていってしまう気がします。 (蒼ざめし)

2017-06-05

頭が取れたアシナガバチ 蜘蛛の糸くらいの細い線だけが胴体とくっついていた状態で ここまではとてもよかったのに。こういうものには感想も解釈もいらないんじゃないかな。 言葉によらず直接に自分を成り立たせている情報、というものはあると思います。 そこに言葉で触れるのは並大抵のことではありませんね。 (なきむし)

2017-06-03

ある種の若い女性には、僕にも表層的にしか捉えられないけれど、ざらっとした感触の壁を撫でているような感じを受けますね。子どもっぽい自己中心的な自我がそのまま身の回りの常識と混じり合ったまま固着して大人の自我を形成してしまった感じ。それがある層で共有されているから始末が悪いように思えます。それはそれで別にいいけれど、僕はあまり関わりたくありません。 (把握していない真相な新装の深層である心理)

2017-06-03

こころんさん、こんにちは。 僕は靖国神社の桜を思い出しました。今年も見に行ったんですが、かつてはここで会おうなどと言い交わし、遠い異国で死んで行った兵士たちが大勢いたんですね。 御国のためと言い聞かされて行ったんだろうけど、彼らの本当の価値はただ生きて特定の誰かの身体の中に存在の痕跡を残し続けることにあったのだと思います。 人は決して大義のためなどで命を落としてはならないのだ、ということをこの詩を読んで改めて思いました。 (death)

2017-05-17

塚本さん、こんにちは。 皆さんと違うけれど、僕は第一連がとても好きで、ここでこの詩は終わっていると思うのです。意味も物語もないところに、その核だけがころんと転がる景色というものを、誰もが見ているはずです。ここにはその景色があって、それをとてもきれいだと僕は感じています。 (外灯)

2017-05-15

三浦さん、コメントありがとうございます。 エロティックが僕の本質なんでしょうかね?残念ながらストイックな生活を送ることを余儀なくされていますw 一回でいいから「愛欲に爛れた生活」っていうのを送ってみたいのですが。 よく読むとこれは「反エロティシズム」の旗を高々と掲げた新時代の理性主義文学、とならないでしょうか?ならないですよね。 (さざんくろす)

2017-05-16

花緒さん、コメントありがとうございます。 まだまだ、お前らには負けんぞ、ゴラ! って映画だと、この後グキッとか腰をやられて、「オヤジさん、あんまり無理するんじゃねぇよ」とか若い人から労られるパターンですね。 どうせなら若い女の人から優しく労られたいです、反エロティシズムだけど。 文学的なコメントじゃなくてすみません‼️ (さざんくろす)

2017-05-16

朝顔さん、コメントありがとうございます。 真実の愛は色々あってバタバタとお忙しなんですね。スナックで食べたおつまみのさきイカの一片が奥歯に挟まっていて、キスの前に何とか取り除こうと洗面所で必死に爪楊枝を使ったりもしてたんだろうな。白いスリッパにポツンとついた黄色いシミも気になるのだろうし。ご苦労なことです。 ちんすこうりなさん、一度読んでみたいです。しかし買いにくい書名だなあ。 (さざんくろす)

2017-05-17

5or6さん、こんにちは。 これはリボンというよりもチョーカーが合うように思いますが、いかがでしょうか? どことなく登場人物はバルテュスの少女を思わせますね。正しく背徳的です。 捏ね上げる両手?ってなんだろう (リボン)

2017-05-17

口三 さん、こんにちは。 良い詩ですね。  >とてもとても/ 大切な、/ 血をこぼさないことだけが大切な/ 夜たちが/ 大切にしていること。 ここ。生活するということは、肉体に満々とたたえられた血を零さないように明日へと運んでいくことのように、僕も痛切に思っています。 僕の中でしっくりこないのは「夜たち」という表現。語り手がいくつも過ごしてきた夜のことなのか、それとも同一の夜に生きている人々の「夜の意識」が複数形で表されているのか。 僕は前者でとっているのですが、いかがでしょうか?  >ただ/ それだけに気をつけて/ いってらっしゃい。 というところを読むと、語り手がこの世の人々すべてに言っているような気もしますね。 「足」は官能的です。どろんとした官能の喜びが、人のいる夜という時間を誘っているようにも読めます。人は官能に飼い慣らされて夜を生きる存在なのかもしれません。 (足)

2017-06-25

祝儀敷さん、コメントありがとうございます。ちょっと言い訳すると、意味は無いけれど中身はあります。これはこういうもんだ、と片付けられても仕方ありません。細部を読んで貰いたいというのはやはり贅沢な望みなんだと納得しています。 (み・か・ん・賣・り・の・言)

2017-06-05

5or6さん、コメントありがとうございます。 長すぎますよね、やっぱり。僕が読み手に回ったらとても読み通せないと思います。ただ、今回はたまたま書き手の立場にいるんですよね。 (み・か・ん・賣・り・の・言)

2017-06-05

hyakkinnさん、コメントありがとうございました。 この作品のために、とても真摯に苦労してくれて感謝しています。 >その方法自体に内容が宿るというよりは方法によって内容が拡張する ここまで言って貰えたなら本望です。どうやらこの作品も成仏できそうです! 一気呵成に転がす、ということをしたかったのですが、ただ転がすだけでは面白くないと思って仕掛けすぎましたね。読めないじゃん……。 さすがに、ツイキャスのなかたつさんも引っかかってましたね!そりゃそうだ。やってみたけど、作者も全然ダメでした。 読みにくいとおっしゃっていたところ、「部品部品」ではなく「部品部分品」です。わざとやってます。「まれながら」は「まれる→まる=万葉語の排泄する」ではなくて、「稀ながら」のつもりでした。「我ながら」を滑らせ、変形させたとしてはどうでしょうか?でも「まる」も、この後「万葉集」「古事記」へ飛んでいるので、面白い解釈ですね。そちらの方がいいのかも。 枕詞のいくつかは意味不明のようですが、もとは古代朝鮮語からきていたりするようですね。僕も詳しくはありませんが。呪禁なのかな? 実はこれ、笑いながら書いたんですが、声に出してみたらもう一度笑えました。誰も笑えないものを一緒に笑って貰えてうれしかったです。 言葉のゴーカートが暴走している感じがわかって貰えたらいいですね。 」 (み・か・ん・賣・り・の・言)

2017-06-29

村田麻衣子さん、コメントありがとうございました。 本当に楽しんで頂けていたならこんな嬉しいことはないんですが。何だかガールズバーのお姉さんのちょっと甘い褒め言葉ににやにやしてしまっているおじさんみたいですね。ガールズバー、行ったことはないんですけど、たぶん。 こういうものを書くのって、真剣に詩を書く人を傷つけていたりするのかな、と思うことがあります。なんかいやな傲慢さが見え隠れしたら最悪ですよね。僕には人を傷つけて自己確認をするような変な趣味はありません、いや、ないつもりですけど。 「精巧なエレクトロ」という言葉を頂いて、ちらっとそんなことも考えました。「エレクトロ」ってテクノ音楽の前身のことらしいけど、語感としては固くて尖ったカドがたくさんありそうですよね。 (み・か・ん・賣・り・の・言)

2017-06-29

湯煙さん、こんにちは。 あるとき感じた風景の美しさ、というものは、本当に考えれば考えるほどに、そのとき限りの特殊な状況で、ピュアに言葉にすることは難しいですね。 どうしても、何らかの形で一般化してしまうことになります。そこをどう特殊なままに、どうしようもなく私的な感性のままに、他人に開いていくか。例えば俳句なんかの永遠の課題だろうと思うのです。  >風を巻き込む、無限の白い帆、  >蝶たちが縫っていく、 ここは、既成の詩語とぎりぎりのところで渡り合って、なんとか気持ちよさがダイレクトに伝わってくるところですね。僕の一番好きな部分です。  >けして触れえない、 古い人間だからでしょうか(健さんみたいにカッコよくはないですが)、「けっして」にしてもらいたいです。  >鮮やかな緑と艶やかさ、  >好きな植物のひとつ、 ここも、もう一工夫ないと僕には不安です。そのままではあまりにも芸がないというか、厚みに欠けるように思えてしまうのですね。  >ぼくにはわからない、  >詩や幸せについて  >答えることができない。 共感しますね。僕はいつもこのことがいいたくて詩のようなものを書いています。結論はここ。ここに持って行くための物語を、無への過程として、どうやって構成しようか、いつも考えているような気がします。 (ある詩)

2017-06-18

花緒さん、コメントありがとうございました。 そんなに難解ではないと思います。言葉が多少こんがらがっているだけです。「笑う人」は、兄の愛人を指しているつもりでしたが、勿論語り手の自己言及と捉えて下さっても結構です。 世界の実在と自己との関係、その確かさと不確かさ、「あわい」という語り手の立ち位置。丁寧な読解をして頂きました。 養老孟司さんの『「自分」の壁』という本の冒頭に、脳障害を起こした医者の自己観察が紹介されていましたが、自分と世界の区切り目が曖昧になって、倒れたときの浴室の壁が自分の肉体の延長のように認識された、とありました。変性意識状態で花緒さんが体験されたものも、そういう生物的なシステムとしての意識の枠組みの緩みかもしれませんね。 世界は実在しているけれど、我々が認知しているのは世界そのものではなく、それに対応した意識の枠組み、システムでしかないと思います。その先は信仰とか、詩情で語るしかない、「予覚」の世界だと思っています。 (故郷の河・東京・兄の内妻)

2017-06-25

まりもさん、コメントありがとうございました。 読解、非常に緻密で正確ですね。分析するとその通りなのですが、僕は作品を隠喩として仕上げているつもりはないのです。 俳句が最後に体言止めで終り、そこに対象としてのモノが置かれるように、抗し得ないかたちで先行して存在する「場所」や「状況」へと詩情が収束されていったらいいな、と思いながら書いています。このストーリーはフィクションですが、書いてある風景は実際のもので、そこから逆に展開させた情感を文字にしようと試みていたのでした。  これ、別名義で「日本現代詩人会」に投稿したけれど、落選でした。もっと直接的な主題への言及がないとダメみたいですね。あるいは散文の範疇に捉えられて撥ねられたか。 その前に僕の作品で入選したものはみな行分したものでした。まあ、別に落選してもいいんだけど。 (故郷の河・東京・兄の内妻)

2017-06-25

まりもさん、こんにちは。 僕には『銀河鉄道の夜』のジョバンニのモノローグを聞いているように思えました。物語の少年が躍動しています。 どんなに日常的な描写があっても、いい意味で地に足がついていない。地面からの浮遊に成功していると思います。 80年代の良質な少女漫画の幻想のようでした。 (グラスハープ)

2017-06-30

村田麻衣子さん、こんにちは。 冒頭の抽象的な言葉遊びのような書き出しが、すぐに「アパートの生活感」に繋がるとは思いませんでした。 >    わたしには >  肉体だけがありませんでした。 と書きながら、徹頭徹尾肉体の詩なんですね。言葉が衛星のように詩中の肉体を回っているように思うのです。 ブレスレットで傷つけたことを詫びたくてロボットになってやって来ても、ブリキの肉体はタンパク質の複合体よりも、もっと突出して「体」です。 どこまでも「おてんば」な振る舞いをして、「体」とその付属物としての「心」の駆動範囲を確認しているように思えるのです。 この詩はそのレポートとして存在しているのかな?そんなふうに思います。 素直に読めば「あなた」の喪失の詩なのですが、「あなた」の存在は希薄で、「わたし」の肉体だけが一方的に輝きを放っているのです。 僕はいつの女性の詩のほうに、男性のそれにはない魅力を感じるのですが、それには詩における肉体の存在感が関係しているのかもしれませんね。 何か、とても甘い詩でした。 (砂糖菓子とブレスレット)

2017-06-29

ごめんなさい。勘違いしていたようです。大変失礼しました。 (飛込み)

2017-07-01

みいかとろさん、こんにちは。 カメラの中では、被写体を材料として、被写体ではないものが、まるでフランケンシュタインのように再創造されるのですね。 生身の「私」がカカトで脛を掻く動作が可愛らしい。 夕立ちがやむのは、人のではなく神の仕種なのだ、と思いました。 (被写体)

2017-08-15

こんにちは。 カート・ヴォネガットをご存知でしょうか?彼はドイツ軍の捕虜としてドレスデンに抑留中、連合軍の無差別爆撃を受けています。その体験から『スローターハウス5』という小説を書いています。その小説に描かれている、混沌とした、しかし比類のない美しさを思い出しました。街の美しさ以上に、破壊し尽くされてなお失われない、人の生きる営みの核のような部分が切なく迫ってきました。 この作品の作者も恐らくタグマさんを通してそれを感じたんだと思いました。 (ダグマ Ⅲ)

2017-08-01

こんにちは。 作品の輪郭がきちんと定まり、事の顛末がわかりやすく叙述されているところにシンパシーを感じて読みました。作品に描かれた場面が二人の関係の過去と未来にどう関わり合いを持つのか、は読み手に委ねられています。これが言葉の外の世界を保証し、僕のように自我表出を表現とすることについてアレルギーを持つ読者にもやや安心感を与えてくれるようです。 ただ、登場人物としての「俺」と語り手との距離の取り方が曖昧で、行為の前後の「君」の捉え方が単純に図式化され、より生々しく複雑な読み方への障害となってしまっていることが残念でした。 (氷の女王)

2017-08-01

僕はこの詩が好きです。言葉を選ぶセンスと、その選んだ言葉を動かす運動神経が圧倒的にいいのですね。だから主題を批評しようとは思えません。なんて例えようかな、不愉快にさせたら申し訳ないのですが、アイドルのグラビア写真をみているような感じ。微笑んでみたり、ちょっと拗ねてみたり、こちらを睨んでみたり、小犬を抱きかかえてみたり。ひたすらキュートなところがいいのであって、ポーズの意味を考察することに意味はないような気がします。作者が若い女性であることを知っているのでセクハラめいたバイアスがかかった解釈だと取られると困るのですが……。自分としてはそれはないと思います。 ただひょっとしたらこういう女性的な、優れた言語感覚というものだと、この時だけの花として突如消えてしまうのではないか、という不安は感じます。男女問わず、アイドルの魅力が永遠ではないように。その何処か頼りない不安定さも魅力のうちですね。 >蒸し暑いほどの夏の蜜のなかで彼女は今も誰かに瓶詰めされているのでしょうか こういう耽美的な表現、いいですね。ひたすら甘くて既視感もあるけれど、それでも読ませてしまうところが才能ですね。この部分の全体の中での配置の具合もいいと思います。 (小夜瑠璃物語)

2017-08-22

こんにちは。 すごく端折った言い方をすると、kaz.さんはあと10年20年書き続けたらとてもいい詩人になられる方だと思います。 よく学び、また表現に苦闘なさっているのがわかります。御自身の方法を貫いて下さい! (門)

2017-08-15

葛西さん、こんにちは。 君の弟が私なら、幼い頃の私は君=お姉さんに護られていて、そのお姉さんが今、大人としての苦難に晒されている。それは大人になった僕も同じで、今はお姉さんには連帯感を持っているのでしょうか? 僕の読み方では、これは姉への思慕を詠った詩ですね。 (ある雨の日、君の弟は。)

2017-08-27

桐ヶ谷さん、こんにちは。 知り合いの女性に蜘蛛恐怖症の方がいて、対象は蝉ではありませんが、この詩とほぼ同じことを言っていましたよ。 部屋に蜘蛛がいるとパニックを起こして倒れてしまうそうです。ゴキブリなんかだと冷静に対処できるようなのですが。 因みに僕はゴキブリがダメです。平凡ですみません。ダメになったのは、潰したゴキブリの腹から白いタマゴがうにゃっとはみ出たのを見たあとからです。あの瞬間、明るい未来のうちの30%くらいを失った気がします。 因みに死んだと思った蝉がいきなり跳ね上がるのを「セミファイナル」と言うのだ、と誰だったかが教えてくれました。うまいこと言うな、と。 ええと、詩としての感想ですが。作品上ではまだまだ自己の揺らぎ方に余裕があるように読めました。語り手、記述者までも揺らいでくれたら、この蝉もセカイを揺るがす蝉となったのになぁ、と思っています。 (「七階のセミ」)

2017-08-10

まりもさん、コメントありがとうございます。 フィクションを訓み解く方法は様々あります。僕自身が気がつかなかったことを教えて頂けて嬉しかったです。 ただ、「理屈」の形をとっているんですが、言っていることは全く論理的ではないと思います。議論をしていてもこういう「論法」で人を煙に巻く人もよくいますw。 作者と作中人物と、作品と読者と、それぞれの関係にある「詩情」の断絶を楽しむというやり方もあるのではないでしょうか? あまりうまく言えませんが。 (スポンジでものを洗う)

2017-08-10

kazさん、ありがとうございます。 返詩 文末の鰭が動き、詩は断末魔の苦痛のうちにある 自立語と付属語の連なるその脊髄を 裁断する刃がある。木の柄を握る手がある (スポンジでものを洗う)

2017-08-13

まりもさん、返信ありがとうございます。 僕は読みやすいものを書いているつもりだったのに 、どうも読みにくくなってしまうようですね。比喩だとか、難解な論理は実はありません。砂の造形の材料がただの砂しかないというのと同じでしょうか。 ここでもよくやる失敗をしています。「ダンクレオステウス」の化石は国立科学博物館にあって(模造品のようですが)、何回か見てさわっている僕にとっては非常に身近な実在だったのですが、知らない人にとっては思わせぶりな詩語でしかないことに気がつきませんでした。この程度の描写では読者とイメージの共有ができるはずもないですね。 よろしかったらネットの画像検索をかけて見てください。 (スポンジでものを洗う)

2017-08-13

水星さん、コメントありがとうございました。 仰って下さるほどにうまく書けているかどうかはわかりませんが、生きものとそうでないものとを取り巻く変成の歴史を可視化するという意図はありました。 現在の自分のありようを越えた何かを夢想すると、気味の悪さや怖さが湧いてくるのは当然だと思います。 (スポンジでものを洗う)

2017-08-15

hyakkinnさん、いつも丁寧なコメントをありがとうございます。 長い輪廻の中では人間を構成している物質が元は何か別のものだったということ、今後別のものになるということは自明の現実ですが、それを現在の自分が感知するには幻想による他はありません。実を認識する手段が虚しか無い時、「非在の妻」という明らかな幻想が現実と同じ重さで存在してしまいます。その幻想に「殺す」というアクションを仕掛ける主体も幻想の一部となっていきます。 ところが現実世界では、幻想はたちまち蜘蛛という実在に転移して、八本の脚という具体性を持たされてしまうわけです。幻想は現実によって呪われた存在なのですね。幻想のなかに参入した「俺」という主体も同じ。「皿を洗う男」という現実の肉体、正当な文脈に取り込まれ「直立する」という具体性によって拘束されます。 その突き放された無機的な映像として叙述されている肉体が、幻想となることで「永遠」を感知してしまった精神を、意識の世界から疎外するのです。主題はその疎外の悲しみと苦しみということになります……。 こんな解釈はどうでしょうかね?一つの楽しみ方の提案として。 (スポンジでものを洗う)

2017-08-21

シリューさん、コメントありがとうございます。 家族が憎くなったり、うんざりしたりすることはよくあって、機嫌の悪い時には怒鳴り散らしたりすることもありますが、ぶっ殺してみたくなったことはありませんね。 この作品でも「非在の妻」という架空の存在に深く取り込まれた状況を書きたかったような気がします。なるほど確かに主人公がそういう怒りを持っているという読み方もできます。殺すという言葉は、僕の勝手な想定以上に強いのですね。 (スポンジでものを洗う)

2017-09-02

ハァモニィベルさん、コメントありがとうございます。 率直な感想、大いに参考になりました。作品が読者に感興を催させる閾値の設定というものはどうしても自分が中心となってしまいます。僕には大きな物語を描けるだけの力がないのか、或いは「大きな物語」という小さくて凡庸な定型にはまることを過度に恐れているのか、その両方なのかはわかりませんが、どうでもいいことしか書けないのですね。自分は社会の本当に重要な部分からはオミットされている、と思っています。 そんな資格もないように思えるので、こういうものには他人の核に食い込むような鋭い主張は一切ありません。 僕は文を書くことで 、自分は本当に自分なのか、という問いかけそのものへの共感を求めているのだと思います。 (スポンジでものを洗う)

2017-09-02

中程さん、コメントありがとうございます。 自分としては、最後から二行目の「泡の球面の七色の……」の部分でスポンジに戻ったつもりでした!ちゃんとスポンジという語をを入れればよかったです。 (スポンジでものを洗う)

2017-09-02

りさん、コメントありがとうございます。 おっしゃる通り、「離人感」というのは僕の書くものの昔からのテーマです。僕自身は「離人症」になったことはありませんし、そういう症状に苦しんでいる方もいらっしゃるので、あくまでも文学上の想定にとどまっていると断らなければならないのですが。 「現実」や「自我」の圧迫からの逃避といえばそうですし、自分の亡き後の世界への冒険といえばそういうことになるかもしれません。 それから、自分ではわかりやすく「かっこいいもの」を書こうとしているのですが、そう感じてくれるかどうかは読み手の方次第ですね。文章技法的な癖というものは自覚しているので、その気になって書こうと思えばたいていの人に書ける程度の「うまさ」ではないでしょうか? (スポンジでものを洗う)

2017-09-02

りさん、仲程さん、コメントありがとうございました。 より良い読みはあっても正解と言えるような読みはないし、考える余地を残す読みはあっても、よくない読みはないと思います。読みの成否はただ自分についてだけ厳しく問われるものであって、作者の自解を含めて他人の読みはその参考に過ぎません。僕はそう信じています。 (スポンジでものを洗う)

2017-09-03

りさん、こんにちは。 オードリー・ヘップバーンの古い映画のデートシーンを見ているようでした。 オシャレな良い詩です。 天国にマクドナルドがあったなら、現世のそれより1万倍楽しそうです。 ついでにあの気詰まりな丸善も爆破してください、ってそりゃもうとっくに誰かやってますよね! (マックシェイク飲む、いつも。)

2017-08-20

まりもさん、こんにちは。 非常に真っ当な詩論だと思います。 修行僧のように言葉と向かい合い、人生と向かい合う方がいる。 生活の中で自己を見つめ、社会を見つめ、思索の深淵を言葉で表現する詩が書かれている。 書かれるべき内容にふさわしい語があり、より高い表現効果を目指す修辞法が探求されている。 詩には歴史があり、学ぶべき先人の軌跡がある。 当たり前のことですよね。僕は一切の当たり前のことができないままきてしまった感じがします。 自己不信、他者不信、社会不信に取り憑かれているのです。僕は自分のことは書きたくないし、自分が考えていることも書きたくありません。此処のこと、此処にあるものに対する理解も書きたくないのです。 自分には絶対わからないこと、自分にはとてもたどり着けない場所について書いてみたいと思っています。だから僕の書くものは詩ではないと言われるのですね。 まりもさんのこの詩論を読んで、そこのところが再確認できたように思えます。 (I・・・に教わったこと あるいは批評について)

2017-09-03

青春の気分が伝わってきました。好きな詩です。自分とは何か、を真剣に考える作中女性の姿勢が魅力的に浮かんできます。 推敲が足りない、という花緒さんのご意見はその通りだと思います。誤字脱字が数カ所あることと、第一聯がその後の展開の中で完全にズレてしまっているところが気になりました。それから、作中女性の視点が少女時代にあるのか、成人後にあるのか、が不明確です。意識的に不明確にしているのかもしれませんが、そうするという意図もはっきり伝わらないのです。これは文の書き方ひとつでどうにでもなるところではないでしょうか。 (世界)

2017-08-21

四年前、文学極道に投稿したものです。 ( 夢の中で何度も繰り返しながらその都度忘れてしまう「僕」の体験)

2017-08-27

三浦果実さん、コメントありがとうございます。 この旧作を投稿したのは、これを書いた時が小説的な世界を最も意識していたからです。いかにもおどろおどろしくて、ちょっと横溝正史が入っているように思えませんか?そのつもりで書いたんですが……。 そういう方向でここまで作り込んだのは後にも先にもこれだけなので、皆さんの感想をうかがってみたかったのでした。 そうか、カタルシスがないですね!まりもさんの評にもそういうニュアンスがあるので気がつきました。僕自身も小説を読む時には歯切れのいいカタルシスを求めています。そこのところ、今度は考えてみますね。 ( 夢の中で何度も繰り返しながらその都度忘れてしまう「僕」の体験)

2017-09-02

まりもさん、コメントありがとうございます。 本当にいつも丁寧なコメントを頂けて感謝しています。僕のに限らず、これだけきちんと読み込んで文章にするのは非常に力がいることですね。作中の一言一言に真摯に向き合って決してそこから文脈を外さない、というのはなかなかでくることではないと思います。題名の「体験」という語の読解の正確さには驚きました。主題と主観が追いかけ合いながら、逃げ水のように読み手の理解から遠ざかっていく構成を意識していました。 〈僕もまた不信という……〉の部分はちょっと安易でしたか?少年マンガの「戦いはこれからだエンド」みたいですねw。当然あるべき、因習の場から逃れるという選択肢を否定的に出してみたつもりでした。意識と無意識と、事実と虚構とから成り立つ自分というものからの旅立ちも、厳しく見れば予定調和的自我のありようの一局面に過ぎないのだと思います。これも有り体な物言いですが。 最後になりましたが、ご質問の回答です。打ち間違いでした!ご指摘通り「誰であってもよさそうな」が書きたかったものです。すみませんでした。 ( 夢の中で何度も繰り返しながらその都度忘れてしまう「僕」の体験)

2017-09-02

白島真さん、こんにちは。 最終聯、最終行の >あやしくふるえて光るもの がいいですね。ここに詩情の核を感じました。体言で止めるというのは和歌、俳句の伝統的短詩のスタイルの多用する修辞ですが、この詩全体が実は短詩の情趣を持っているように思えます。 だとすると >村一番の美少女 など、過剰に散文的な説明は削れるように思うのですが……。 (「おくわ」伝説)

2017-10-01

りさん、こんにちは。 僕の解釈ではですね、これは去年亡くなった「きみ」へのレクイエムですね。去年の蝉、今年の蝉というのは古代エジプトのスカラベと同じで輪廻転生の象徴なのです。去年の夏三回会った「きみ」は今は死んでいて、森羅万象の理に従い六道を経巡っている。源信の「往生要集」で描かれた地獄図のなかにいるのかもしれません。「往生要集」では地獄の滞在期間は気が遠くなるほどの長さになるのですが、そこでの「無限」とは意識の持つ感覚であって、「きみ」の転生の外側に立つこの詩の書き手にとってみたら、待ったなしの速さで奔流のごとく流れる生命が早くもこの世に「きみ」を押し出そうとしているようです。自然の時間的流れというものが個人の死別体験にシンクロすると、こんな感覚を得ることができるということでしょうか? (森羅万象、待ったなし)

2017-09-02

りさん、こんにちは。 三浦さんのいう80年代っぽさって確かに何処か漂ってますね。「シティポップス」というか「シティハンター」(漫画版)を思い出してしまうんですが。 あの頃は浮かれたもの勝ちな時代で、最初は70年代の挫折感の圧力から解き放たれた清々しさがあったのに、その開放感がだんだん自重によって自ら閉塞していくようなところがありましたね。田中康夫がパロディではなく本気で「なんとなくクリスタル」を書いてしまったことと、その悲しいほどの馬鹿馬鹿しさに、僕らの上の世代は気がついていませんでしたが。 この詩の最終連のやさぐれた絶望はまさに今の時代の感覚かな。こんな時代に住むしかないけれど、こんな時代に朝焼けなんてあるはずがない。たとえ目の前にそれらしきものがあっても、少しも信じる気にはなれませんね。 (中央特快)

2017-09-26

渚鳥 sさん、こんにちは。 お風呂に水を差していくところの描写がとても綺麗でした。それだけで満足できました。全体を括ってしまう題名も、最終連のよく出来た詩的飛躍も、或いは不要かもしれませんね。 (小さな実験)

2017-09-26

弓巠さん、こんにちは。 僕は数字は人に対しての悪ではないと思います。人間の主観がある型の中で成立していて、その型の本質が数字ではないかと思っているからです。どんなにあがいても、主観は数字という形で表されてしまう人間の枠組みからは逃れられない定めです。悲しいけれど主観の理不尽は通らない。大人はそれを数字を飲み込ませるという愛に溢れた暴力で子どもに教えていかなければならないのです。むしろ夢や愛という言葉をむやみに振り回して、人を絶望に追いやる連中が危険です。 飲んだ数字は飲んだ人よりも早く空っぽの浄土に帰っていく、無理筋かもしれませんが、僕はそう読んで「ココロ無き」数字を擁護したいのです。浄土には善もなければ悪もない、喜びもなければ悲しみもない。実質のない枠組みだけがあって、それが美しいのです。 (いいこ)

2017-09-26

YUU_PSYCHEDELICさん、こんにちは。 すさまじく甘い大量生産のお菓子のよう。でも、それを今本気で信じていられるのなら、その今を大切にするべきだと思います。誰にも否定はできません。 僕はこの三角形の丁寧な造形に本気、というか真摯な気持ちを感じたのですが、どうでしょうか? (一生愛したい)

2017-09-26

田中修子さん、こんにちは。 これはとても良い詩ですね。久しぶりに読んでいてわくわくしました。「おくわ」の伝説がちっとも過去と結びつかず、ひたすら現代の現象であること、「私」と不即不離であることが楽しかった。 ただ着想に文章力が追いつかないでいるようにも思えます。 >友人が、たのしい地獄、と名付けた都会を歩いている。 って、いわゆる「出落ち」ではないのでしょうか。都会は天国でも地獄でもなく、ただの人口の、或いは人造物の密集地帯でしかありません。 だからこそ、この詩で書かれたように簡単に何か別の場所になることもできるような気がしています。 (「おくわ団子」)

2017-10-01

エイクピアさん、こんにちは。 犬はいいですね。生きている犬はもちろん、死骸になった犬もいいです。 おそらくこの詩の中心は実在と言語の間に成立した「犬」です。 惜しいことに犬に体臭がありません。アーヴィングの『ホテル・ニューハンプシャー』に登場する「ソロー(悲しみ)」という犬はいつもおならをしているという設定でした。 言語は言語から離れようとすればするほど意味と物語に捕らえられますが、逆に言語の持つとされる現実への対応性を形作る、そのルールに一層忠実であることで、その拘束から逃れ得るのだと思います。 (祈った)

2017-09-30

エイクピアさん、コメントありがとうございました。 俗には堕していますw俗そのもの。でも、好意的に御覧になって頂けて嬉しいですね。 昨日、それこそ勢いに任せて三十分で書き上げたので、いわゆる突っ込みどころ満載状態です。 おそらく着想だけ残してリライトすると思います。 普段気を遣っていることができていませんね。 「境目のないネットワーク」があるわけではなく、「ネットワークに境目がない」という認識があるだけなのだから、既に不正確。安易な連体修飾の文節の使用は詩を俗情に堕させる大きな要因になっていると思います。 (人でないもの総てがつながる勢い)

2017-10-01

静かな視界さん、コメントありがとうございました。 脳内描写、というようなものではないのです。じゃぁ何かというと困ってしまうのですが、言葉から生まれた言葉の世界、というものかもしれません。 まりもさん、コメントありがとうございました。 同じ言葉を何回も繰り返すのは僕の書き癖です。一回だけ表れてさっと消えていくのでは、言葉が消費されているようで、どうも落ち着かないのです。何回も繰り返して読み手に刻み付けることで作品の中に定着させたい、という意図があります。 >多義的な空間は、複眼で捉えた空間に似ているのかもしれません。 この御指摘が僕の考えていることと同じでした。それが「正しい読み方」とは言えないと思いますが、同じように見て下さる方がいるというのは嬉しいですね。 具体性のまるでない描写で、よるべなく人の間をさまよう作品なのです。 (人でないもの総てがつながる勢い)

2017-10-03

白島真さん、コメントありがとうございました。 この具体性のまるでない、いかにも「現代詩っぽい?」スタイルは僕の中では異例なもので、これまでは散文的な、はっきりした文を書いていました。もっとも「言語明瞭、意味不鮮明」な内容ではありましたが。今回は言葉が言葉を呼んでぐるぐる飛び回るという、博覧会やテーマパークのパビリオンによくある抽象映像みたいなものを書いたんじゃないかと思います。理解不可能とおっしゃった部分は、作者にも理解不可能なのでご安心下さい。何も表現しようとはしていません。 沼尾奎介さん、コメントありがとうございました。 何をいいたいのかいまいち分からないのは、沼尾さんの読解力には関係なく、何をいいたいのかいまいち分からないまま書かれた文章だからです。読むのは疲れるかもしれませんね。 >「複眼で微分すると物語ではなく時間経過となる話」 ここは解釈の一例を示すことが可能です。つまり、物事を同時に多面的な方向から捉えることができる読み手にとっては、物語は脈絡のある事態の予測可能な進行ではなく、単に時間が経過しているとしかいえない。つまり統一を失ったバラバラの要素が、時間というフィールドにとりとめもなく散らかっている、というだけの単純な話になる、ということを書きたかったのです。 (人でないもの総てがつながる勢い)

2017-10-03

エイクピアさん、こんにちは。 古き良きモダニズムの匂いがしますね。10行目からの意味の断裂が受け入れられるかどうか。ここが問題かな。「ひたいの光るもの」が「時計」という文脈は、割と容易に解釈を許すように思えるのですが、敢えて解釈しない、という道もありますね。 イタリアというのは割と南北で語られるので、東西というのはちょっと意表を突かれました。今、地図を見ましたが、北部は別として、南東部というのは、寡聞にしてイメージが湧かないのです。修行が足りないな。何の修行かわかりませんけど。 (工事中)

2017-10-01

夏生さん、こんにちは。 >会いたい人に/会えた/ほんの一瞬 から受けた心の動揺を描く詩なのでしょうか。それが景物、或いは景物を表す言葉に転写されていくところは、「とぼけた明るさ」でやって来る今日に見合うさわやかさを感じました。誰しもありふれたただの愚痴の聞き手にはなりたくないはずです。 >濁点を含んだ/音が/胸の奥で/あわ立った ここが一番好き。文字と音と映像が互いにふくらみを持って伝わってきました。 逆に「途方もないような顔」とか「とんでもない角度」という表現は、僕も使いたくなるのですが、ちょっと立ち止まって考えた方がいいと思います。よほど回りを固めないと、街頭インタビューで何を聞かれても「すごいと思います」と答える人と同じになってしまいませんか?ここでは論理的思考を奪うほどの衝撃と心の空白を表すために採用した言葉だとは思いますが、何も衝撃を受けなくても対象の中身を程度だけで表したがる人が多いので、僕はどうも素直に読めません。 (吸いこまれて)

2017-10-01

まりもさん、こんにちは。   山枯れの始まっている湯呑かな  原田喬 という俳句を思い出しました。湯飲みというモノの実感が迫ってくるようだともっと良い作品になったのではないでしょうか。  本当はもっと長いコメントを書いたのですが誤って消してしまいました……。機会があれば、また後日。 (焼成)

2017-10-05

m.tasakiさん、こんにちは。 言葉が感情を誘いかけながら、少し距離を置いて逃げていく。そんな感触がありました。こういう詩は好きです。 >哀しみの大地に/常に己の内に抱えている/永遠に続く邂逅と離別故の震えを ここはちょっと感傷的ですけれど、結論にはなっていないので作品の味として読めるように思いました。 そもそも「哀しみの大地」という言葉は背景がないのなら、「哀しみ」とは別の何ものかでいられる可能性を持つものです。それは類型ではなく、自由な発想への起点となるのではないでしょうか。 (裸の水)

2017-11-09

田中修子さん、こんにちは。 上下とも面白く拝読しました。地獄絵巻ですね。高校生のとき書いたとは思えない筆力です。 性的な虐待などがでてきますが、何らかの現実が投影されてはいないことを祈ります。妄想だとすると、ちょっと類型的な描写だなと思える部分も、現実の反映だとするなら心底ぞっとします。 幕末から明治に書けての「無残絵」のようなものかな。月岡芳年などが有名なようです。昔、美術館で見ました。 (「三途川」 下)

2017-11-06

こんにちは。 感想じゃないかもしれないけれど、昔、「玉川児童百科事典」のコラムに書かれていた古代ローマの子どもの登校風景を思い出しました。夜明け前、暗い石畳の道をカンテラを照らしながら学校へ向かう、とあったんですよね。ローマへの道はそういうやるせなさ、現代の日常的な感覚にも繋がっているんですね。 この文章に表れた「開発途上国」の、どこか荒廃した街、行ったことはないけれど妙に懐かしさを感じます。 (ROME)

2017-11-06

再コメント、失礼します。 今思い出したけれど、このローマはデ・キリコのローマかもしれませんね。人のいないがらんとした空間が想像力を介して世界中の主体の核心に繋がっています。 ただ不満なのは「わたし」の言説に神秘性がないこと。僕の言う神秘性とは人間心理の幽明ではなくて、モノ自体の持つ明快な別側面のことです。 機会があったら、ネット上でもいいので、天才詩人さんに美術評論について教わってみたいです。 (ROME)

2017-11-23

花緒さん、こんにちは。 前回、即興で作って隙が多い作品だったので、改めて推敲してみました。やりたかったことは現実的具体性を一切持たないで書き切ることです。それもエネルギッシュに。難しかったですね。どんなに頑張っても面白くならないのかな? 良く分からないものを読ませてしまってすみません。そろそろ誰もが素直に泣いたり笑ったりしてくれるものを書きたくなりました。でも、僕にそんなものが書けるのか、まったく自信がありません。 (人でないもの総てがつながる勢い(改訂版))

2017-11-09

仲程さん、コメントありがとうございます。 ずれてはいません。盛り上がりだけを書いたつもりです。 音楽や美術のような、そんな感じで書いています。 言葉にならないものに、言葉になれない言葉で答えているのかも知れませんね。 (人でないもの総てがつながる勢い(改訂版))

2017-11-13

まりもさん、コメントありがとうございます。 というより、むしろごめんなさい。これはきちんと正面から向き合って批評されるようなものではないのです。 こんなものを書いていちゃダメだなって思いながら、ダメなところへ踏み込んでいく暗い欲望で書いています。自分のためにしか書いていないし、それなのにちっとも達成感のない領域ですね。 最近は頭がボケてはっきりしないので、あまり書くこともできなくなっています。何かが始まり続いていたということもないのだけれど、僕もそろそろものを書くことに関しては終わりなのかも知れませんね。 作品の主題はそういう気持ちそのものです。 (人でないもの総てがつながる勢い(改訂版))

2017-11-13

hyakkinnさん、コメントありがとうございました。 とても単純な作品です。ネット上の存在はすべからく「人でないもの」です。人から抽出された「魂」として言語化されています。ただそれだけのことです。そこで紡がれるネット空間全体のカタチは物語とはならず、よく見るとバラバラのまま時間だけが経過していくようです。僕らはそこで根拠なくただただ高揚しています。そんな印象を書いたつもりですが、勿論読まれる方の解釈が間違いだと言うことは一切ありません。意地悪なつもりはないのですが、もしそういう印象があるとすれば、書かれたことがすぐさま突き放されるように、その次が展開していくからでしょうか。いや、単に読みにくいからだけでしょうけど。 (人でないもの総てがつながる勢い(改訂版))

2017-11-20

花緒さん、こんにちは。 お気持ちはよくわかります。確かに、お爺さんのやるべきことは、目の前の芝を一本一本丁寧に刈ること。それだけ。批評家は自分に誠実に批評をすればいい訳です。 そういう営みは、この詩にも当てはまると思います。無理に寓話の形をとることもなかったのでは? (芝刈レビュー 〜あなたの芝刈り見せてください〜)

2017-11-13

tasakiさん、こんにちは。 抑制の効いた筆できちんと書いた作品ですね。主人公の抱えている「障害」についても客観的に、距離を置いて描ききっています。 ここで展開する思索には、ギリギリ深みを見せない程度にまとめられていますが、敢えてそこで留めておくことで、読み手の側にその深みを委ねているように思えます。計算されたマージンがとられているんですね。 いいなぁ、僕もちょっと前だったらこんなふうに書けていたかもしれません!一方的で申し訳ないですが、親近感を持ちました。 (逆さの象)

2017-11-13

花緒さん、こんにちは。 学校はもっとソフトに、おためごかしな笑顔で保護者に対するでしょうね。 むき出しに敵意をうかがわせたりはしません。有能な教員ならば。 「この子のためにも、もっとサポートの行き届く環境で教育を受けさせた方がよいように思うのですが、いかがでしょうか?」くらいかな。 たぶん、学校にとってこの子に価値がないように、この子にとっても学校に価値はありません。お互いに見捨てていると言うことは、お互いに見捨てられているということなのです。 とてもさびしい。 「おかあさん」の連呼も、この子にしか価値がありません。他人の立ち入る領域ではないのです。詩はあえてそこに立ち入るのですね。蛮行であり、尊い行為です。 僕にはできません。 (国語の授業)

2017-11-23

新染因循さん、こんにちは。 >わたしは茎を膣に突っ込んで、処女膜をなぐさめた。(そゆなものがあったっけ!) 仰け反って頭は天を仰いだ。静かに、雲が蟠っていた。 ここの部分がとても好きです。あとの部分はどこか定型的で、整いすぎているように読めてしまいました。 (雨に溶ける)

2017-11-23

花緒さん、コメントありがとうございます。 僕にも無条件で人の心を動かせるものが書けるのか?そういうものを書いてみたいと思いました。それで普段使わない語彙を使って見ました。 (マリア)

2017-11-25

まりもさん、コメントありがとうございます。 フランス映画ですか!だったら日本海ではなくてノルマンディーの海岸ですね。当然フィクションですが、作りものっぽさが目立ってしまっている、ということでしょうか?難しいですね。そういう雰囲気も込みで楽しんでいただけたら嬉しい のですが。 (マリア)

2017-11-25

百均さん、こんにちは。 みずいろの薔薇を簪にして 宝石にしてしまえばよかった は、正しい順番では、宝石にしてからそれで簪を作るんじゃないのかな、と思います。ここの順番をあえて変える理由がわかりませんでした 確かにありふれたフレーズを使っているようになってる思えますが、そもそも詩を書くということ自体がありふれたことなのかも。それが自覚できてなお書くことが大切なことだと最近思うのです。 (らふか)

2017-12-25

硝子さん、こんにちは。 各行独立した一行詩として見た場合、一番好きなのは三つ目。死に憧れる美少女が元気いっぱいで晴れ渡った空に叫んでいる詩句見たい。可愛らしくて切ないですね。 でも俳句とは違いますね。難しいですけれども、5・7・5にしない理由が見つからないからです。ここで描かれた情趣は有季定型俳句が描いてきたものの範囲に収まっていて、ちょっと頑張れば俳句になってしまうように思えるからです。ということは俳句と同質の叙情詩だけれど、なぜか俳句にしなかった作品、解いことになります。無理に俳句にする必要はないけれど、俳句を読むと楽しいですよ。 じゃんけんで負けて蛍に生まれたの 池田澄子 御作とは読んでいる内容は違うし、ご存知かもしれませんが。いいでしょ? (四季)

2017-12-27

地球さん、こんにちは。 今、事故で遅れが出た列車の中でこれを書いています。「人と列車の接触事故のため」とアナウンスがありましたが、これは間違いなく死亡事故の婉曲的な表現でしょう。死亡事故が1時間そこそこで片付いて、乗客がすし詰めになった列車が動き始める。生き残った我々群衆はまさに命の過呼吸状態に置かれているようです。クリスマスの冬空は綺麗に晴れています。亡くなった方は不本意だったでしょうが、僕もこんな日に空に帰りたい、と思います。 地球さんの詩は詩句の整合性には欠けています。おそらく整合性などということを全く考えさせない、何か大きな衝動に突き動かされているのでしょうね。それが読み手にも切実に伝わってきます。清々しい。幸せですね。僕ももちろんそうでしたが、誰にもそういう作品との蜜月があると思います。それが終わると力技に頼らないと書けなく なるようです。そこから先も楽しみなんですが、今は読者として作者ともどもこの幸せな詩句を楽しみたいと思います。 (ケーキと福音)

2017-12-25

最近、他の方の作品に中々コメントできなくて、この作品を投稿したなり何の書き込みもしていませんでした。ごめんなさい。ここで返信をした後、書き込みます。 ティコの灯台さん、コメント有難うございます。僕は人に優しくしたいと思いながらなかなか出来ていません。他人のことに真剣になれないのですね。せめて書きものの中くらいはちゃんと優しくしたい、と思っています。 三浦さん、コメントありがとうございます。 前に「骨の王」という作品で「世界は隈なく隅々まで恐ろしい」と、確かそんなことを書きました。二番煎じとか自己模倣にあたるような気もしたけど、まあ実際そうだから仕方がないか、と思って良しとしました。 (海辺で語るべきこと)

2017-12-25

花緒さん、コメントありがとうございます。 ここのところB-REVEWでは手垢のついた(と僕が考えている)言葉でいかに人に伝わるものを書くか、を試みています。それには「詩的真実」から降りて、日常にありふれた「当面の真実」に浸ること。実際に僕が苦境に置かれている少年少女の前に立った時、華麗な地獄図を詳細に描き出すというようなことはできません。カウンセリングの真似事をして上滑りした饒舌を披露したなら、それこそ舌を噛んで死んじゃいたくなると思います。 「元気を出して」という言葉は何かを言っているようで何も言っていません。出せる元気があればとっくに出してますよね。言葉にならない、ということを言葉にすると、そんなふうに言って笑って上げるということかな、と思うのです。僕の無力さをそのまま曝け出す言い方です。 凡庸であることを恐れない。ダメである自分の作品の自己疎外に耐える。それがここ最近の僕の書くもののテーマの一つになっています。 アラメルモさん、コメントありがとうございます。 元気でご活躍のようで何よりです。頑張って下さい。 (海辺で語るべきこと)

2017-12-26

百均さん、コメントありがとうございます。 作品のカタチとか意図とかでなく、中身そのものの相当深い部分へ直接触れて下さったコメントだと思います。ありがとう。 普通の大人が実生活で悩んでいる少年少女に言えることって、「元気を出して」くらいしかないんです。「世の中にはもっと楽しいことがあるよ」とか「僕を見ろよ、今はちゃんと責任ある大人として頑張っているだろ?」「俺がすべてを掛けてお前を守る」なんて言ったら大抵間違いです。実際自信ありげにそんなことを言ったり、一緒にすごいことをやろうぜ、と快活に誘い掛けてくる奴はマルチ商法の手先か、熱に浮かされて上の空になっているおバカさんのどちらかなので、お尻を蹴っ飛ばしてやりましょう!相手の性癖によっては喜ばれたりもします。 大部分の大人は振り払われた手を所在なさげにしながら、気弱に情けなく笑うだけです。あるいは唐突に口笛で古いポップスをふきはじめるかもしれない。 大人を許してやって下さい。寂しげに薄笑いするだけの無力な大人こそ、悩める若者の本当の味方です。 この作品の嘘はひとつ。破局が来ようが来まいが二人は別々に死にます。そして、恐らくは(というより「願わくば」になりますが)、先に死ぬのは大人です。 (海辺で語るべきこと)

2017-12-27

YUUさん、こんにちは。 たぶん、実際にお若い方ですね。ええと、大人は全く本当のことを言いません。「そのお醤油のビンを取って!」とかいうのは本当のことをかもしれませんが、どうでもいいことです。本当のことを無理して言おうとすると、見苦しいポエムを書いてしまうのですね、僕みたいに。何をしたって人生は孤独です。恋人も夫婦もある意味では厄介な敵ですし、ひどい場合は敵ですらなくもちろん味方でもないわけです。大人になることはありとあらゆる我慢をすることです。ただですね、これも僕を含めて多くの大人がまだ自分は大人になりきれていない、と思っているのですね。そして我慢ができない。これはとても見苦しいことです。僕のようになってはいけません。ただ少しだけ自己弁護させてもらえるなら、自信を持って自他ともに認める大人って、悲しくなるほどつまらないです。正しいものは大体つまらないからです。 (雨の聖夜)

2017-12-25

奇遇さん、こんにちは。 言葉によって虚実の隙間に入り込もうとする試みだと思って読みました。虚実の隙間、僕は好きなんですよ。何故だろう。ソファの下に猫がもぐりこむような……、習性なんですね。 ただ、この作品はちょっと言葉の背景が重すぎて、意味の方に引っ張られすぎますね。隙間が狭まってしまう。出雲阿国なんて特にそう。泉はたぶん黄泉だし。 勿論、僕の感性が作者とまるで違っている可能性は十分あることを自覚しながら言っています。単なる感想とお受け取りくださいね。 (透水文化学入門)

2018-01-04

こんにちは。 大抵のものは行方不明になって目の前から消えて行きます。それが雀の形を取らないと気づけないんですよね。面白かったです。 (スズメ)

2018-03-17

良い詩でした。生理的に書かれた詩ですが、モノから作者が離れないのが良いですね。モノとは作者ではない何か別のモノのことです。 こうださんの作品、僕には相性が良かったようですね。何年か後にこれを読んでニヤッとしている作者込みで、面白いと思えた作品でした。 (踏み止まるメザシ(千葉県産))

2018-03-17

三浦さん、コメントありがとうございます! 僕は底の浅い、つまらない人間なので、中身は知らぬが花ですw。 (みんな)

2018-03-20

筆を一本手にとって何か「浮かぶ詩」を描こうとするフォルムを写し取ったんですね。 「ひた」というのは擬態語で、筆の穂先を墨汁に浸すようなものかな? 僕は一を聞いて一がわからない人間なので、この詩の深淵はわからないんだけれど、読んでいると楽しさが感染してくるのですね。心にうつりゆくよしなしごと、というキワメテ抽象的なものがですね、マンガのフキダシのようなものが浮ついた金色で滲み出してくるように思えます。 (ひとつ)

2018-03-20

とほい空でぴすとるが鳴る。 と読んだあと もっと遠い空でぴすとるが鳴るのを感じた。 梅雨が明ける 鋳鉄の重い弾倉が回り 次弾は銃筒の根元へ運ばれているだろう 焼けるものが 遥か彼方から 焼けるものが遥か彼方の詩人の胸の中に そして僕の中に。 晴れやかに晴れ尽くすと 言葉の転倒したスペースに せいせいと風が吹く 咽喉のない空間を去来する声です 記憶にない懐かしさ もう いいから みんな もういいから と 書かれなかった詩が火災と洪水のあとで更地になっている (梅雨晴れ)

2018-07-08

僕は僕の知らないものでできている。 みんなもだ。 知らない言葉、知らない食べもの 肉体の 知らない仕組み、その由来。 眼の中の光は、もう 滅んでしまった星のもの。 まぶたの裏に残す光の 記憶を転写する言葉。 それを君に届ける。 僕じゃないものが僕を通過して 爆じゃない君の 君じゃない始原へと 回帰していく。 さようなら。かつて僕だったもの、 とても甘いもの。 (微細な)

2018-07-08

「爆」じゃなくて「僕」でした! (微細な)

2018-07-08

>ほどくなら頭の渦を >青波の髪に梳いてよ ここが好きです。 この部分に想像力を刺激されました。僕は隠喩というものが苦手で、読み解くより先に(詩的)実在として受け入れてしまうのです。 海と混交した母神が現れましたね。 ここにつながる男女の恋模様には、逆に強い関心が持てなかったし、事の顛末を充分捉える力も僕にはありませんでした。 (女性像/断片)

2018-08-11

孤独をつまらない、と判断している文脈とは違って、本当に「つまらない孤独」がそこにある、と感じさせてくれるところがいい。ツイッターで読ませていただいて気に入ったので来ました。 何故でしょうね、地球さんの自我表出は読み手に、少なくとも読み手の一人である僕には息苦しさを感じさせないのです。「蝉が嫌いだと言ったら」から始まる一文は、意図してかどうか、文法的に混乱していてよく伝わりません。主語が曖昧で、ひょっとしたら途中で複数回入れかわっているのでしょうか?でも、その混乱がなぜか腑に落ちる。ファンタジーの世界のようですね。 あえて言えば、最後の一文だけは僕の趣味に合いません。「狂した人の声」ってどうしてここまで来て今さらそんなことを書くのかな、とがっかりしました。 (摂氏37℃)

2018-07-26

花緒さんの指摘は正しいと思います。 地球さんの詩の魅力は、実在するものの描き方がちょっとずれた感じ。古いガラスの向こうの風景のように、詩的な感性によってずれた現実が、ずれたまま「現実」として再定着しているようなところがありますね。淀川の描写がそれ。主観的判断が散見されるけれども、それが主張にはならず、「そういうふうに判断されるもの」としての「現実」として詩に定着していくので、押しつけがましさがありません。 足元の定まらないふらふらした記述が、そのまま足元の定まらないふらふらした世界を作っていて、危うさが魅力的です。 (大阪のミャンマー)

2018-07-26

キメラなどが出てくると「詩」だなぁ、と思って読めなくなってしまうのですが、この作品は上手く楽しませてくれるので抵抗なく読めます。確かな言語感覚とわかりやすい音感を持っている方だな、と思いました。 >強要される応えなんて無視だ無視 この辺り、テンポが良くていい感じですね。。 (キメラの後ろ姿)

2018-08-07

山田風太郎の「人間臨終図鑑」 を思い出しました。 ふむふむと楽しく読めましたが、ちょっと普通すぎるところが詩としては弱いように僕には思えます。 普通に納得してしまっているんですよね。最後のフィクションも、なるほどなぁ、と腑に落ちてしまいました。 こんなことをいう資格があるかどうかわかりませんが、修辞というかケレン味の問題ですね。 (死去ノート)

2018-08-07

「丸煙管男爵」は著しく品位に欠けるHNで、作品内容もお粗末。センスなし。「ガンジー」時代からあの掲示板に出入りしていた僕も随分苛つかされました。某巨大掲示板では正体が色々推理されていましたが、まさか本当に詩誌の執筆者の一人だとは思いませんでした。 もっと驚いたことは、センテンスオータム誌上で暴かれた例のタックスヘイブンの小国が、爵位の売買を仲介していて、丸煙管氏が日本人で唯一の爵位購入者として挙げられていたことですね。訴訟リスクを考慮してか、名前は伏せられていましたが、「前衛詩で名を馳せた著名なネット詩人M氏」と書かれたら彼ですよね? HNは虚構だが爵位は実である、そしてその実は不正に近い手段で 売買されたものである、とそういうプロフィールに仕込まれた自己韜晦が彼の詩のナンセンスさを裏打ちしていた訳です。 この前、自分の詩集を売りつけるために闇の方の「ポエマート」に潜り込んだとき、酔っ払った爺さんが「丸煙管は仮釈放中に逃亡して偽造パスポートで火星行きのソユーズに乗り込んだんだ」と騒いでいるのを見ました。誰も聞いていませんでしたが、ここのやり取りでちょっと信憑性が上がりましたね!いや、ほんのちょっとだけですよ。 (ウォシュレット)

2018-08-14

こうだたけみさん、こんにちは。 最初はイメージの伝言ゲームのように進行していきますね。二羽→ハト→ハト麦茶→経口補水液→先生(医師) ここから先の展開は作者の個人的な体験からの連想になるようで、読者にはついていけなくなりますが。 とても軽やかでテンポのいい文章が続きます。句読点の省略も効果的でリズムに乗っていきますね。その中から「壊れている」などの語で、不十分ながら作者の心理の深淵を覗くきっかけも与えられます。 「その日」の記録として非常に有効性が高いのではないでしょうか。 ただ残念ながら、それ以上に巻き込んでこようとするエネルギーを感じることはありませんでした。それは作者も十分自覚していると思います。 やはり時間を掛けた推敲と、世界の造型が作品に魅力を与えるという面は少なからずあると僕は考えます。もちろん、これは個人的な感想で、一般化できるかどうかはわかりません。 (進化の過程¥崩壊)

2018-08-23

僕も色々考えましたが、「現代詩」の現代詩たる所以は、自由ということではないかと。 自由って徹底的に総てが等価ということですね。定義付けを許さず、書かれた途端にそれは表現の結果というよりも、一つの存在そのものになる。 一木一草、石木の個々に評価は無意味だけど、それを敢えてすることでフィクショナルな評価基準が出来上がり、詩と評価基準とが諸共にある特定の場で消費されていく。そんなものではないでしょうか。 ビーレビューも評者、作者、運営との間で概ね消費の一サイクルが終わったのかもしれません。寂しいけど。 詩のムーブメントを起こせるのはこの虚しい場に無尽のエネルギーを注げる人だけ。文月悠光さんの活動なんか見ているとそんなふうに思います。 (くたばれビーレビュー)

2018-08-07

よくわからないけど、確かに素敵な詩です。 水の中の生き物の生死が音ともいえぬ音となって、地上の人間の不可聴領域から魂を揺さぶるのですね。そして地上の光の、感情とも言えぬ感情へと。 こういう詩が好きです。 ([])

2018-08-08

stereotype2085さん、コメントありがとうございました。 最終連のこと、作者は世俗と聖性の対立として書いたわけではありませんが、「詩」の世界があるとすれば、そこは言葉にならないものからできているだろうな、という予感があります。求めて得られない、ものの実相の剥き出されたところに詩の核心はある、と僕は思うのです。 でも、それは世界の見方に過ぎず、まったく俗で下品な世界にも平然と存在しているはずです。ことさらな「詩語」の範疇では見落とされてしまう詩情を掬っていきたいし、逆に詩情の持つ身も蓋もない一面を告発し、かつ受け入れていきたいと思います。 (立ってから座っていた自分を振り返る)

2018-08-12

澤さん、コメントありがとうございました。 もとよりそんな立派なものではありません。意識していたのは、「詩」としての完結性がメタな視点から次々に乗り越えられていく、そうであって欲しいということです。 第一連は独立性を持った「詩」なので、 >と言ったら河原弥生先輩が ではなく、「という詩を読んで河原弥生先輩が」とするべきでした。ただ、同時にこれは現在の「僕」の目前の風景であってももらいたいのです。「先輩」という語はリアルな社会性を持っていますが、この二人の会話も正確な回想ではなくて、「僕」の現在に侵食された記憶の中にしかないものかもしれませんね。 あとは、ノアの洪水伝説の鳩が蝉に、月桂樹の葉が欅の葉にずれていく仕掛けがあるだけです。もちろん、「立つ」から「勃つ」への転換、「間に立つ」という言い方のもたらす疎外感、それらが文脈の中に捻れて織り込まれているところを楽しんで頂けたら幸いです。 そんなことはまったく考えないで、下品でしょうがないなぁ、と思ってくれても幸いです。下品で面白いなぁ、と思ってくれたらもっと幸いです。 (立ってから座っていた自分を振り返る)

2018-08-12

かるべまさひろさん、コメントありがとうございます。 癒やされてくれてありがとう!読んで頂けるだけで幸せというものです。 (立ってから座っていた自分を振り返る)

2018-08-12

ゼンメツさん、コメントありがとうございます。 人間は主観的にしか他者を見ることができません。しかし、主観を成り立たせる全ての要素は一つ残らず他者に由来します。 自意識は、自分の肉体も含めた他者の上に乗っかって存在しているに過ぎません。そういう自分自身の怪しさを楽しむことができるといいな、と思います。時間や他者との関わりの中で、しっかりと、明晰に、自我は揺らいでいくのです。 自我をぶっ倒し、他我をぶっ倒し、完全にピュアなものに向き合いたい。そのありえないものをありえないまま捉えるのが、僕にとっての「詩」だと思っています。 (立ってから座っていた自分を振り返る)

2018-08-12

ゼンメツさん、「静物の台座」はちょっと、本当の意味でポルノチックかな、と反省しています。確か浅井さんからコメントを頂いて、フェミニズム的な視点から読解されたのですが、踏み込めない部分に踏み込みすぎてしまった感があります。あの女性は所詮男性的な妄想かな、と。だから、本作ではわからないところを、作者が投影された主人公から思い切って引き離して記述しています。この作品で気をつけたのは、導入からどんどん生々しさを遠ざけていくことでした。 (立ってから座っていた自分を振り返る)

2018-08-14

まりもさん、コメントありがとうございます。 僕はいつもまりもさんが嫌がる書き方ばかりしていますね。「なま」な表現ですみません。本当にセクハラや変態性欲を人に押しつけるつもりではないのです。無理に読ませてしまって申し訳ないように思っています。 まりもさんは、いつも個々の語と、全体の構成と、表現意図について厳密に読解して下さっています。以前読ませて頂いた文章では、詩の教室で読解の方法を厳しく学んでいらっしゃった、とのこと。現代詩の詩論的な流れもきちんと踏まえた上でのアプローチだと思います。 僕はネットポエマーなので、そういう訓練や勉強を積んでいません。非常に個人的な感覚と、狭隘な思考経験から書き散らかしているだけだと思います。ただ、現代美術におけるアカデミズムと作品表現との関係のように、正統的な「表現」の様式というものに対する不信感を持ち、それらから解放された完全な「自由」を楽しんでいます。論理的構成、社会的公正に則った正しさ、というものから始めて、ただ言語が言語を呼ぶ自由な次元への離陸に至るまでの過程を楽しむことが、自分が「詩」を書く動機だと思っています。 たぶん、それは間違っています。僕はずっと単純なところで間違い続けていますから。ただあえて間違いを恐れず行動すること、間違う姿を見せること、が僕の存在意義です。自分だけが自分に厳しくなれるのが、僕の考える「詩」表現なので、これからもどんどん内側へと閉じていくのでしょうね。でも、閉じつつ開くために、秘密なく自分の書いたものについて語れるようにしたいと思っています。 だから、また少し置いて、まりもさんの解釈と、自分の解釈を比べてみるつもりです。 (立ってから座っていた自分を振り返る)

2018-08-14

鈴木海飛さん、コメントありがとうございます。 返信はなかなか思いつかないし、今更上げるのも何だか悪いし、テンション低いし、で。 大変遅くなり、失礼しました。 人間の脳は数%しか使われていないんじゃなくて、人間が数%しか役割を解明していないんじゃないかと僕は思います。 脳は肉体の器官の一つであってそれ以上でも以下でもないような気がするのです。人間の存在は脳ではなく、意識ではなく、肉体でもなく、人間には掴めないもの、掴める可能性も必要性もないモノのコア同士の関係性が顕現化した存在だと、今のところ考えています。 多分間違っているだろうな。僕は間違ってばかりだし、世の中に僕より遙かに頭のいい人は沢山いますから。僕があれこれ考えるのは完全に個人の趣味で、それを「詩」もどきに反映させて一人満足しているのも趣味のうちです。 人によっては気持ち悪いだろうな。でも、いいや。 この作品の三聯に出てくる、 >いつかどこかで って何時の何処だと思いますか?時制をぼやかしたんで、過去でも未来でもないんですね。 >小さな方舟を揺らすのだ ってなっているでしょ?つまり、過去に起きたことでもなく未来に起きることでもない、登場人物の無根拠な確信でしかないんです。 「無根拠な確信」の成立を、「無根拠な文脈」によって、それ自体が対象を持たない修辞として表現したのがこの作品なのです。 と言ったら信じますか?いや、僕は割合本気なのですが。気に入らなければ一笑に付すのが正しい態度だと思います。皮肉ではなくて、これは「割合」以上に本気で言っています。 作者は、孤独が宿命である作業をしていると自覚しているので、その部分に異論がなければ読者の方も孤独が宿命であると自覚しつつ感傷して頂ければ、この上なく幸せです。孤独を癒やすのは対置された孤独だけです、おそらく。 (立ってから座っていた自分を振り返る)

2018-09-16

まりもさん、こんにちは。 「うりずん」という題名。これは直接オオゴマダラのことを指すのではなく、この蝶を生む風土の感触を表したものです。沖縄という島の、手触りのようなものでしょうか? それがまず、案内者の沖縄人の口から出ることで、作者(作中主体)の異文化との出会いが演出されます。つまり、沖縄の肌に手を当てて、その体温や血流を感じた、ということ。用意されたリスト通りに決められた施設や景勝地で見せられたものにチェックを入れ、一つ一つに箇条書き風の短いコメントを残していくのは観光旅行。この詩はそれとは全く違う。訪れた場所は >黄金(きん)色の蛹を守るビニールハウス と描写されていますが、描写の本質は図鑑的な知識の確認ではなく、むしろ >朽葉の蒸れるにおいと樟脳のような香気 という、「うりずん」の生々しさです。それが陶酔で終わらないのは、その後でシャッター商店街のさびれようを見たり、かつて米軍の射撃演習で荒廃していた山を見たことから、現実への社会的な視界が引き合わされているからか。 沖縄の人の口からは百年古酒の話も出てきます。「胃袋にじわ~っとくる」という言い方はいいですね。沖縄の風土の中に、確かにこの人の肉体があって、お酒好きの人には腑に落ちる感覚なのでしょう。「耳かき一杯くらいなもんです」という言葉をしっかり拾い上げてくれているからリアルです。 これに対して、雨の「人肌」の感触から導き出される作中主体の五感。肌に触れる「沖縄」がクリムトのダナエと繋げられます。黄金の繭に包まれるように目を瞑り身体を丸めて眠る女性、ダナエ。この黄金は神話ではゼウスが変身した黄金の雨であり、ダナエと交わって英雄ペルセウスを生ませることになる。彼は後に翼のあるサンダルで大空を駆け、アンドロメダに襲いかかる海の怪物を倒します。沖縄の土着の物語が来訪者の感覚の中で昇華され、遠い神話にまでも繋がる普遍性を獲得する、その構図を思わせます。 しかし、描写は再び「うりずん」の沖縄の風土に戻り、季節の持つ官能的な美しさが描かれるのです。 >ほほにふれる黄金(きん)色の湿り。そっと舌先で受ける。百年の千年の雨。 時代を超え、場所を越え、普遍的な官能性が作中の主体の中で花開くのです。 そうして満を持してオオゴマダラ登場。沖縄の命の継承のシンボルがハウスの中で羽化する。この蝶がハウスの外に放たれ、自由を獲得すると言うことは、沖縄が再び自らの足で立ち上がって未来へ歩み続けることに他なりません。沖縄人と作者との共通の願いでもあるのでしょう。 (うりずん)

2018-08-12

こうだたけみさん、こんにちは。 一、二連の描写が素晴らしいですね。風景と解釈がこのように一体であると、確かな世界が現出するように思えます。 最近僕は、言葉は表現ではなく、世界の再現だと思うようになりました。 人間の本質はほぼ同じです。「青春の自我の叫び」みたいなものはコモデティ化した消費財になってしまっています。作者と読者が、静かで奥深く成立する光景を一緒に覗き込むような作品が読みたいと思っています。 (雨中遊泳)

2018-08-12

ゼンメツさん、こんにちは。 世の中を支配する(かのような)神と神の定理についてのちょっとした詩的コメントかな、と思って読みましたがどうでしょうか。 彼女はかりそめの神。「僕」はルソーの絵に出てくるようなエデンの被造物としての黒豹。舞台の一場面のようにありながら、その設定は長く安定してはいられないのですね。見るまに崩れる。 最後の「物語を台無しにするキス」はお洒落だけれど、無残な現実の端くれでもあります。 (きみのしおり)

2018-08-10

平和は戦争を妊娠する、と極平凡に解釈してみます。都市は闇の安逸に背を向け、ひたすら過去と未来の死へと凄まじい量のエネルギーで人を駆り立てます。生殖は破壊と死を産むための暗い欲望を衝動として営まれ、人の意識は認識されるべき世界をもそこから同時に産んで行く。 白い雲も、青い海も、人の心で爽やかに昂ぶる破滅へのプレリュードのように思えます。織田さんはそうした認知そのものをそっと我々の側に押しやってきます。 (向日葵)

2018-08-11

植草さん、こんにちは。 僕も蝉が好きです。もっとも蝉に愛情はありません。 理由は死骸が綺麗だから。大抵路上で乾燥して、ばらばらに解体して終わりになりますが、隠しもせず大量に死骸を晒すのに腐らない。臭ったり汚い血や内臓を晒すこともありません。知らないうちに消えていきます。人間はそうはいきませんね。自然死の場合は大抵だれかの手を煩わすことになります。 蝉の死骸の胴が割れて、空っぽの中身を除いたことがありますが、割とよい景色でした。詩に通じていましたね、僕にとっては。 人間が質量なく残せる遺物として、死骸や遺品に比べて言葉や文字は悪くないものです。 死んでしまえば、僕の墓だってアイスの棒でいいわけですが、生きている僕の立場だとちょっと迷惑かな。蝉はどうだろう? 僕だったら蝉の死を自分の死にしっかり紐付けして記述すると思います。言葉の根を深いところまで下ろしたいので。結構死骸の出てくる作品は書いていますが、そのつもりで書いてきました。死骸は僕自身。そう読んで貰えているかどうかはわからないのですが。 (戒名)

2018-08-13

四畳半学生さん、こんにちは。 日差しも短くなってきて、昨日からだいぶ涼しくなりました。 冷蔵庫の中の炭酸水の減りが遅い。 夏は瞬く間に終わってしまうし、終わったことの思い出だけが拭いきれず残る。 そういうものですね。そのこと、改めてよくわかりました。 (どうするの?)

2018-08-18

白犬さん、こんにちは。 昔のロマンポルノの映画を見ているような気がしました。天地真理の「魔性の香り」! すっかり粗筋は忘れちゃったけど、べとべとした堕落ものでした。 ちょっと理屈になるところもあるように思えますが、全体的に闇雲に走っていてやがて何もなくなる、というのがいいですね。 「残酷になっても良い、の?」というのは僕の解釈では、「残酷にして欲しい」ということと同義です。愛の解釈としてはちょっとありふれているけど、愛というもの自体がありふれていて、そしてありふれていていいものですからね。 (Nyx)

2018-08-18

湯煙さん、こんにちは。 これ、好きです。何年前だったか、iPad miniを最高買取価格で取ってもらったので、僕の中でじゃんぱらも評価高いですよ! お伽話によく見られるパターンを踏襲していますね。花咲爺さんとか。この現実的記述がぐにゅっと歪んでいく感じが心地よいです。 僕も使いこなした試しがないのに随分こういうガジェットにお金を使いました。 (じゃんぱら)

2018-08-18

tttttkjさん、こんにちは。 重陽の菊の節句に、一族で高いところに登って酒食を楽しむ習慣が唐代の中国にあったようです。なんだかそんなことを思い出しました。 あまり高すぎるビルではつまらないですね。ちょっとした丘の上や、駅前のホテルなんかから、のんびり人の営みを見るというのはこの上ない至福の経験だと思うのです。 >歩いている人もいれば、走っている人もいる。 この部分の無機的で意味の薄い書き方が僕は好きです。 (絶景)

2018-08-18

かるべまさひろさん、コメントありがとうございます。 う〜ん、オランジーナはお洒落すぎませんか?このコーラはコカコーラのイメージではないんです。どちらかというと、場末のサンガリアって感じですね。サンガリアにコーラがあるかどうかは知りませんが。 食レポとすると、蛭子さん以外には考えられませんね、主人公は女性だけど。 (探せ。)

2018-08-18

柿原 凛さん、コメントありがとうございます。 ご指摘下さった部分は、僕も気に入っている表現です。「銀」「目がギンギンに冴えている」などのイメージを借りて作ったオノマトペなのでした。 金属的な質感、重量感を視覚と聴覚、触覚から援用したものを統合したつもりでいます。 (探せ。)

2018-08-19

たくさんの方にコメントを頂けてうれしいです。昨日は返信の途中で疲れて寝てしまいました。 三浦⌘∂admin∂⌘果実 さんw、コメントありがとうございます。 >河原弥生先輩がまた後藤君をいじっている物語 とすると、多少齟齬が生じるかも知れません。ちょっとキャラが違うかな。ま、別人でもいいか。とにかく後藤は不幸なやつでよしよし、と思いながら書いていました。 ファン宣言、ありがとうございます。信用していませんがw(もちろん本当であって欲しい)。 それで、なぜコメント冒頭でどもるんでしょうね? (探せ。)

2018-08-19

帆場蔵人 さん、コメントありがとうございます。 何も考えなくても、何処か気になっていつの間にか読み直している、という中毒文学を作れたらいいですね。 彼ら、彼女ら、帆場さんの頭の中でぎゅんぎゅん唸らせてやって下さい。お願いします。 (探せ。)

2018-08-19

miyastoragemiyastorage さん、コメントありがとうございます。 甲子園、真っ盛りですね。テレビ画面を見るだけで暑くて。しかも凡戦だったりするとげんなりしますw。 おお、これは三人の心理ゲームでもあったわけですね。後藤だったら、酔った勢いでありもしないことを言い散らしてくだを巻きそうですから。 人の荒れ狂った心理を「詩」のかたちにまとめようとするのは確かに大変です。これを書いている「作者」も隠れた登場人物ですよね。 (探せ。)

2018-08-19

stereotype2085さん、コメントありがとうございます。 イラッとする、というのは本当に「褒め言葉」だととらせてもらいます。実際、人生の大半はイラッとする何かを無理矢理口に突っ込まれて戻しそうになるような経験で埋め尽くされていますから。それが伝わったということですね。「思い出せない」というのは実は嘘で、忘れられないことを「思い出せないこと」にしてしまいたいという絶望があるのだ、と。そういう解釈、いいですね。 音のところ。主観にかかわらず入ってくる、モノの素に近い何か、が主体と癒着していく状態を書いたつもりでした。力を入れた部分です。 (探せ。)

2018-08-19

澤あづささん、コメントありがとうございます。 返信、遅くなりました。 僕は女性の身体に対する知識はほぼないので、参考になりました。 「妊娠」は、書いた僕は比喩的な意味で用いていましたが、生々しい女性の現実として捉えると、また凄まじい解釈になりますね。面白いです。「明日の私」は「私」を託す子どものことだったのか。 コカコーラのボトルの形が女性のボディラインをモデルにしている、という話は良く聞きます。そのことは多少頭にありました。この作品は自己疎外がテーマになりうるでしょうか?自分が自分であろうとすればするほど、何かがずれていってどんどん自分が憎くなる。自我肥大した一般人の呻きを、身体を取り巻く外部の自覚の中に置いている。そういうつもりで書いています。自分というアイデンティティは昨日という時制の中で容易に見失われ、幻想と幻覚だけがのたうっていることをおおよそ自覚しながら生きている主人公です。 (探せ。)

2018-08-19

鷹枕可さん、こんにちは。 該博な知識と、驚くべき漢語の使い方に敬意を表したいと思っています。 でも、僕にはちょっとついて行けません。知識量の問題もありますけど、造語ぎりぎりの組み合わせによる漢字熟語もあって、そこを理解することも難しそうです。 社会主義、もしくはソ連初期のロシアアヴァンギャルドのイメージを漢字によって造型している立体作品のようにも思えました。そうだとすると、全体はイメージとして受け取るべきものなので、論理ではないですね。 乳母車は、映画「戦艦ポチョムキン」のオマージュでしょうか? (11月、転落する幌附乳母車)

2018-08-23

鬱海さん、こんにちは。 最後のどんでん返しには驚かされましたが、それよりも語り口、ディテールが魅力的な作品だと思いました。 初めのうち、作中の「私」が作者の投影された対象だろうと思ったのですが、読み通してみると実は絵描きの女性こそが作者ではないか、と考えるようになりました。或いは、分立した人格の一面として絵描きの自分が作者を無意識の層からコントロールしているとか。 端正で破綻のない物語を創造する作家は皆そうであるのかも知れませんが。端正ではないし、破綻もありますが、僕自身もそういう傾向があると思っています。それは良いことでもあるし、悪いことでもありますね。 「彼」も結局「私」にとって、手の届かない、自分自身のある部分を投影したものなのでしょうか。 楽しく読ませて頂きました。余計なことですけれど、ペンネームがちょっとすごいですねw (くだらない)

2018-11-18

*「B-REVIEW杯」不参加作品 いつもお世話になっています。あまり他の方にコメントができなくてすみません。 今回から「B-REVIEW杯」は不参加という形にさせて下さい。長くやっているというだけのことで、一部の方に気を使わせてしまっているような気がして申し訳ないからです。 頑張って書いたつもりですし、書いているときはとても楽しかったのですが、まったくダメな気もします。自分の書くものは自分にはわからないですね。 (余呉)

2018-11-18

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