作品投稿掲示板 - B-REVIEW

鈴木夜道


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     エイクピア さま  ご賢察のお言葉くださいまして  ありがとうございます。    このような作りにつきましての  ある文章があります。  我は     ──序にかえて  我はかつて詩人たりしか  ひそかに今も尚 我は詩人なりと思へるなり  詩人は常に文字以て詩を書かざるべからざるか  我は今 詩情を絵画に託す  あな哀れ 我が詩情は詩とならずして  絵画となるなり           川上澄生『我が詩篇』より  川上澄生は  幼少から詩歌にしたしみ  青年期は俳句・短歌・詩・散文などに  旺盛な創作にはげみつつ  木版画による表現にもつとめ  同時代に生きる  萩原朔太郎や北原白秋とも交歓した  詩人・版画家であります。  詩歌の作品自体は  お世辞にも傑出したものでなく  新奇さや高雅さや巧緻さに欠けるような  凡庸な作風のようですが  詩歌の天才にかこまれた我がみを  知ってか知らずか  この序文の詩に感じる  「哀れにも詩だけでは詩たり得ない我が詩情は  絵画に託してしか振り向いてはもらえまい…」  と嘆くようなその心持ちは  いまありありと胸に去来し  同感してやまないのであります。  ことほどさように  詩歌、俳句に絵画や写真を添える手法は  大正・昭和初期にも流行するほど  日本人の詩ごころによくなじむ  表現だったようであります   (〈安閑夜話〉 さようなら胃袋)

2021-04-24

     拝啓 貴音さま  ご返答せぬまま  なしのつぶてでありましたこと  ご容赦ください  心づくしの鼓舞  やさしき激励のお言葉  ありがたさ身にしみましたこと  衷心より感謝もうしあげます  おり悪く  苛烈な生業の多事にかまけて  逃げも隠れもできぬまま  眠らずの戦場にて  タバコの煙霧のなか  コーヒーの大海に沈みかけ  すべなくビタミン剤の小石を投げるがごとき  朽ちた幽霊船の心身をかかえ  潮も時も流れ過ぎてしまい  たいへんご無礼いたしました  すみません    トシばかり重ねてから  おっとり刀で  詩作を思索してみようと  はじめてはみましたが  「クロウトはだし」どころか  いっちょかみの素人が  はだしで逃げるがごとく  自分語り、自己宣伝の  「現代詩のタブー」の邪道を  ころげまわっておりましたら  ふいに  黄色い漆塗りの高下駄を履く  光栄に浴しまして  おどろきよろこびつつも  「この下駄じゃあ  もう詩から走って逃げられない…」と観念し  冥府魔道をゆく覚悟であります  申し遅れましたが  ひとこと献上いたします  #詩の良さを教えてください        詩は   小さい希望です   (ショートホープ)  10年前のあの震災の当日  都内の交通機関はおおかたストップし  都心から郊外の自宅へと移動する  帰宅者と車の大行列で混乱する夕方  喫煙者ゆえに真っ先に  タバコのまとめ買いの必要を感じ  ごったがえすコンビニで  ショートホープを2カートン買いこみ  胸の前にかかえて人波に逆行して歩けば  行き過ぎる人々が  困惑した目を投げたり  さっと目を見開くような顔をして  手元を見ています  パッケージには大きな文字で  HOPE = 希望 と書かれていました    ではごきげんよう (さようなら胃袋の推薦文)

2021-04-24

三?<中野の弥生町の公園に     その老人いましたよ (壁打ち)

2021-04-02

 AB さま  お言葉いただけまして  ありがとうございます。  たわいのない一杯の茶に  塩むすびのひとつに  おもわぬ動揺などして  息が詰まるようなとき  歳を重ねてきたことは  無駄じゃあなかったと  思えますよね。  沙一 さま  この一枚に  立ち止まっていただけましたこと  うれしく思います。  人けのない踊り場に  まるでしつらえたように  並んで立っていた「彼」らの  あまりにもセツセツと訴えるその気配に  中判フィルムを入れた  60年も前のマミヤ6を構えながら  戦慄すらおぼえたのでした。  ペロッと一枚物としてあっても  わずかばかりのメランコリーをふくめた  写真ではありましたが  無作法ではあっても  彼らの声を直に貼りつけたいがために  前段の行数を使ったとさえ言えます。  福まる さま  ありがとうございます。  「もっと生きてるうちにオヤジと  いろいろ話しとけばよかった…」  とうそぶきながら  存命中はけっして話しなどはずまない  父子ばかりという世のならいにもれず  わたしも泉下の人となってようやく  父と語り合えるようになりました。  komochi さま  幼き自分のこころ踊らせた  古びれたデパート  大食堂、カレーライスなど  そんな絵にかいたような舞台設定に  自分が出くわすとは  思いもしなかったのですが  まみれてしまえば  さながら「時の旅人」を気取って  詠嘆してもしつくせないたかぶりようが  恥ずかしくもあります。  〽︎ 写真では伝わらない〜    言葉でも伝えられない〜  と誰かが唄っていたようないないような  そんな息急いた感情のままに作った  「写真絵本」のようなものでした。  ありがとうございます。  てんま鱗子 さま  すこしでも  お楽しみいただけたら幸いです。  削り出したきらびやかな言葉たちを  高度で精緻で巧妙なバランスで  組み上げるような  文芸の域など望むべくもない  凡夫でありますから  ささやかな虫のねのようなメッセージが  そのお耳に届きますよう。  なかたつ さま  ていねいな詳述いただけまして  ありがとうございます。  実を言いますと  詩作のまねごとをしはじめる前に  写真表現への興味が先にありまして  その難解さ不可解さ曖昧さや  含みもったテクストの支持体としての  ふところの深さなど  詩歌と並ぶような表現だと思っていました。  しかし、撮れども写せども  無意識に写真に含まれた様々なテクストに  着目して感応してもらうには  どうにも「言葉足らず」な  表現にとどまってしまい  隘路に行き詰るようになりました。  詩句だけで、写真だけで表現せねば…と  六畳間のような中途半端な視界から  オモテに出てみようとしました。  世界は思った以上に広くて大きくて  つかみきれないほどの  事象にあふれていました。  neue Ära records さま  毎度のごひいきにあずかりまして  ありがとうございます。  その個人の氏素性や  来歴を隠すものはやましく  匿名の本来の無名人でいることが難しくなり  個人性を細大漏らさず社会に広く布告でき  他者との円滑で効率的に  コミュニケートできてこそ  正しき社会人のありかたのようですから  人は何らかの「個人広告」を掲げて  生きていかざるをえないようですよね。  ならば少しはキャッチーで  のみこみやすい広告を  おずおずとでも掲げてみたいものです。  ただ、さして良い売り文句  セールスポイントも載せられない  来歴の自分には広告は広告でも  “自分で自分の行方を  見失ってしまった男”の  行方不明者捜索ポスターを  自分で持って立ち尽くしてるようです。  誰かが私という実存を  見つけてくれる日まで。  羽田恭 さま  お言葉いただけまして  ありがとうございます。  幸いにも  いまだ肉体を臓物を切り裂いても  命をつなぐ局面にはいたっておりませんが  生き物はこんなにも精密で  多機能な「機械」を  身のうちにかかえて生きているのだと  日に日に感じてきております。  「機械」であるかぎり  かならず目詰まりして壊れて  動かなくなる時の  「異音」が鳴りだしてきました。  ryinx さま  わかりやすい「切なさ」のコード進行にも  耳を傾けていただき感謝いたします。  「切なさ」には  ある種の快楽性を含んでいますよね。  余談ですが   産まれてから3歳すぎまで暮らした  マンションから  引っ越し作業を終えた部屋から退出して  2階のその部屋を見上げながら  「じゃあ最後にお部屋にバイバイして」と  娘にうながすと手を振りながら言いました。  「なんだかね、涙でそうになっちゃった…」  おそらく産まれて初めて嗅いだ  「切なさ」の匂いを吸い込む  子供を見て生じた  珍味な「切なさ」を狂楽して喜ぶオレは  だめな父親だなと思ったものでした。 (〈安閑夜話〉 さようなら胃袋)

2021-04-01

 背筋がぞくぞくとするような  興味のつきない  創作の根源にかかわる諸問題ですよね。  生きてゆくうえで  創作めいたふるまいをしてしまうのは  誰の 何のためなのか。  おそらく たぶんですよ  それらの創作の営為は  ひとのため 他者に提示するために  あるのではないでしょうか。  おのれが自分のために創るのが正道だと言い   ひとの目を気にし  他者におもねり 愛想ふりまくような創作は  ゲスの下 下賤の下と断ずるまえに  その「自分」は おのれの中に  本当にあるのか いるのか  自己と思うものは  たがわず自分なのか  わたしの中には  自分はいません  ありませんでした。  「自分」は  よそのひとのなかに  他者の鏡にうつるすがたでしか  知ることはできませんでした。    見も知らぬ他者へ届けと  わたしは つたなくも  手をつくして  そのメッセージを送ることでしか  「自分」を定められないのではないか  そう思うのです。   (書くのは誰の為、己は何処へ私は僕で僕は誰?)

2021-03-19

   あぁ…目にしていただき  ありがとうございます先生。  たしかにどうしても詩から逃げてしまう自分に  恥じ入るばかりです。  どうすればいいのでしょうか…   (〈安閑夜話〉 さようなら胃袋)

2021-03-05

   仕事で眠ることが許されない夜ごと  意識を刺激しないとスイッチが切れてしまう  経年劣化した脳をかかえて  子供じぶんに観ていた80年代90年代の  CMクリップ集をYouTubeで流すたび思うのです。  その企業の意思を意見を提案を  真正面から断言する  言葉と絵と音。    足を踏まれたやら 涙が止まらないやら  他者のなりふりばかり気にさわってしまい  発言の行間しか読まない今のわたしたちには  何を言っても 何を書いても   無自覚な差別者だと断じられてしまう今のわたしたちには  断言してしまうこと  断言することによって  断じられることから自由になるすべを  おのおのが略取するときなんだということを。  白々しいほど 良く  芝居がかった口跡ほど 良い。  ある世代までの人間たちが  自由に夢を時間にたくせた日常を  この詩文の言葉たちは思い出させてくれる。       (詩小説クリップ!さわがないでわめいて)

2021-02-19

   この詩が  アメリカ合衆国新大統領就任式で  日系アメリカ人が絶唱する光景となって  聞こえてくるようだった    就任式に詩を詠む国民たちと  新聞全面広告に  わずかに暗示的なコピーが載っただけで  「わかりずらい悪文!   ポエム気取りかよ」と  せせらわらう国民たち (苦しみで叫んでいた)

2021-01-21

 のいえられこーず(みうらさん)さん  羽田 さん  こんばんは。  正月の目をいたわる  ちょっとした箸休めにでも  していただければ幸いです。   (みうらさん)が  別所にてコメントされておりました  “表現活動に妥協を許さぬ” 某氏いわく 「本気で他人に自分の詩を   読んで欲しいと考えたら   僕だったらその辺りの   通りへ出て行って   見知らぬ人を前にして   詩集を配り朗読を始める」  とありました。  詩表現はその定義もあやふやに見え  政治クラスタが理解不能な政治家答弁を 「ポエムかよwww」と痛罵し揶揄する  言葉に堕し、おとしめられるほど  どこかの誰かの耳目を集めるだけの  その膂力・魅力に  欠けているのやもしれません。  上述の「表現者」が  屋外で理解不能な繰言を高歌放吟し  だれかれかまわず詩のzineでも  配り歩こうものなら  どうなるかは明らかでしょう。    日本の詩然記念物  谷の字の御大がおっしゃいました。 「もうわたしたちは  十数行の文字配列だけでは  ものたりない体にできあがってる  詩自体にはなんら情報は無くてもいい  何かを伝える必要もない  美しければいい、といっても  耳目をひいて読んでもらわなければ  存在すら無くなってしまう  道から3メートル離れた  雑草のようなもの  だから読み手を意識し続けよ」  この道端に埋もれる雑草に  紅でも黄でも色を差し  草丈を伸ばし葉をひろげ  誘いこむ芳香をただよわせ  詩文の詩心の伝達/繁殖の助けに  ひいては  “詩が金になる世界線を実現する”  端緒に触れることが  できるのではないか。 (その意思は希薄ではありますが…)  その “十数行の文字配列” に  添加するべきは何なのか。  動画疲れしている当世人には  3秒でフックされない動画では  洟も引っ掛けてもらえないでしょう。  ならば  宣伝広告的な静止したヴィジュアルに  小憎らしく軽佻浮薄な  駄コピーライトめいた  字句を配するなんて  旧弊の悪しき商業主義の  すたれつつある手法だと唾棄せず  いま再び見直してみてはどうか。  そんなものとっくに  コスり終わっている手法で  何ができると言われたとて  自らを灯りとして暗闇を歩む  自灯明のかまえで遅々と進むしか  ないようなていたらくにあります。  画像を添えることの功罪は  多々あることでしょう。  写真単体においては  意味明快・簡潔でバエる画像や  シアトリカリティ(劇場性)に富んだ  迫真に鮮烈な情報量多めな  画像であればいざ知らず  なぜ撮ったか何を言いたいのか  手がかりにとぼしい画像は  意図を「読んで」もらえず  キャプションや  作家自身のステイトメントや  評論の解読がなくては  詩文よりも、それ以上に  目がすべり耳に届かない  憂き目にあっています。   「研究の体温」につきまして  コメントされましたように 『併せて書かれてある詩句が   どうも不要に思え、写真が発している  物語性を殺しているような   逆効果になっている印象』  というご指摘は確かに  正鵠を射たものであります。  あの研ぎ師の画像はたしかに  劇場的示唆的に情報の多い 「うるさい」写真であり  文章を添えるなど  いささかクドクドしいなと  わかりながらのうっちゃりで  伝達はどう逆転・展開するか…  そこがわずかながらの意図と呼べる  ものであります。  続けてのコメントにあります 『死んでる写真であれば   詩句を併せた作品は  活きるのですが──』  におきましては  憂鬱・鬱屈・倦怠を示唆し  多くの共感や  私的に慰撫を与えてくれる  優秀な表現たちは  さきんじて世の中を  充分に満たしております。 『生きている写真と詩句の併せは  そこにあるであろうイメージの   解像度を上げ過ぎてしまい──』    とのコメントも的確ではあるのですが  天下の往来から3メートルも  10メートルも離れた茂みで  ヒソヒソと褒めたり難じたりするよりも  生きた画像と  生きた詩句とが  解像が崩れるまで主張する  意図のつばぜりあい、斬りつけあいで  天下の往来にその血しぶき散らし  悲鳴と戦慄の一声でもあげさせよう、と。  羽田さんのお言葉のように  ところにより写真と詩句の連関が  噛み合って情景がそこにともれば  なによりであります。 (もっとも詩文がすでに   死んでいることがままあるので   それは……堪忍やで) (〈安閑夜話〉闌のきみ)

2021-01-04

   一読して  これは初孫に贈るほほえましき  じいじのつぶやきとは思えぬくらいの  まがまがしくも禍々しい  放心ともほうけともつかぬ表情で  そらんじられる「悪魔の手毬唄」が  聴こえくるのです。  ゆがみ うねり 腰の座らぬ  いびつだった我が人生の  幾重に折れ曲がった時間のオリで  無垢で生木のような頑是無い赤子の  すべらかな肌に汚損がおよばぬように  セツに願う愛慕と  それでも繰り返されるであろう  苦痛も多きこの子の行く末まで見てしまう  透徹した目を  しばたたかせながら。     (コロナ禍で 生まれて一度も顔を合わせない孫に 木のおもちゃを送る)

2020-11-29

 はるかな距離から  望見するように私淑している  「あくびする詩人」尾形亀之助を  評する言葉に   “私たちが意味をめぐる虚栄に   疲れているとき   亀之助の吹きおこす風は   柔らかな空白の微笑のようなもので   私たちを解放する”  とあるのですが  ホワイトボードにそっけなく  書いただけのような  この詩によって  それは示されているのでは  ないでしょうか。  いたいけで強がりで悲嘆がちだけど強い少女も  小憎らしくまでに愛されるがままの猫も  泰然としたポーズで死をもてあそぶまねも  堕落しきれてはいない自堕落をこねくる自分も  ここには何もありません。  やわらかい解放があるだけ。  これは私にはできません。書けません。  ゆえに気になるのでしょうか。   (教室)

2020-11-22

 羽田さま  エイクピアさま  遅ればせまして御礼もうしあげます。  変詩ちょうだいいたしまして  ありがとうございました。  斬新な試みと過分なお言葉  ありがとうございました。  日々  YouTubeでおのれのチャンネルに  いかに耳目を引きつけるか  わがアカウントに  いかにBUZZれる名言至言を  繰り出せるか  意識的か無意識かにかかわらず  過当競争に血道をあげる  わたくしたちですから  太古の時代から残る  旧来的伝達メディアの「詩」表現にも  動画や画像の添付を  ヨコシマな手法とするよりも  こんなにもおのれの手淫に近しい表現  読まれて見ていただいてなんぼだという  露出の興奮を白状するしか  手はないのです。      昼のコツクさん   白いコツクさん   コロツケが 一つ   床に水をまきすぎた   コツクさん   エプロンかけて   街は雨あがり   床屋の鏡のコツクさん   昼ちよつと前だ   コツクさん     尾形亀之助『色ガラスの街』より  そもそもが  この白湯のように無味で  『弱っちい感じ』の詩への  変詩的な衝動により  つらねた言葉だったのですが  「昼間の詩人」たる尾形の  白い世界には似つかず  我が身の  いささか剣呑で  物騒な気質が混じり気となって  血の鉄臭さが残る  文章となってしまいました。  尾形の詩を一見して  「童心」とも  「無為・無気力」ともとれる  透明で明るくて軽い表現とは真逆な  嗜虐の天邪鬼として生き育った  我が身にも  とるにたらない白湯のうまさが  わかるくらい  時は過ぎ去っていきました。  流れるように。 (〈安閑夜話〉 研究の体温 )

2020-11-20

   たったいまの  極私的な心情だけでキーボードを叩かせていただきたい  一週間は続いている仕事の緊張の連続  まともな睡眠も取れなかった仕事に区切りがついた今夜  スライス生姜みそをあてに  スーパーであがなった  「ふなぐち 菊水 一番しぼり 元祖生原酒   アルコール19度 500ml缶 685円(謎に高価)」  をスイスイ一缶呑み込んだ我が身のぼんやりとする聴覚に  この言葉と音楽が  至高に嗜好の思考に指向させてくれる  装置になりましたよという  無言の叫びとして記します  上記せし菊水商品は  合法なるドラッグと言って過言でなく  どんな詩句ですら  至言のタマとなって  この身に銃痕つけること  確実であります  諸君、お試しあれ  ひと缶でもふた缶でも  そしてこの『昼寝もう一度』をループさせたときの  酔い心地を (昼寝もう一度)

2020-11-19

   この詩行の海に沈むものは  Tom Waits の「自室の海」でかなでられる "Picture in a Frame"  https://www.youtube.com/watch?v=RO-MpoBL7CA  であると感じます。  部屋の海は潮の匂いがしない。  コーヒーとウィスキとタバコの匂いしかしない海だ。 (部屋の海)

2020-11-04

   あなたは母の死を向かえて  知ることができたのでしょうね  我が子があなたの死を向かえて  あなたを想って温かい涙をながすであろうことを  それが子孫続くかぎり  繰り返される未来のことも  母はあなたを残し  そして続く次世代を残したことに  たとえようのない充足を得て  昇って行きましたね (寝顔)

2020-10-30

 疲弊と厭世の生活詩や  政治に塗れたプロレタリア詩でなく  トツトツとオッチャンは  土着のことばで世界の普遍を説き  締めの三行で  われわれ読み手のネジを締めてくれる  力のこもる手をしている   (ネジ締めたろか)

2020-10-22

 ディープフェイクによって  著名人を裸にする 「ディープヌード」が目立ちはじめ  実相と仮想の価値紊乱が  社会で危険視されはじめたいま  人工知能に  架空の人生のログ情報を入れ  父親の死を主要のプロットにし  エモーショナル値を最大に設定した  人口知能が詠んだ詩文として  このような文章が提示される日は  遠くはないことでしょう  機械が詠もうと  人間が詠もうと  感情を波立たせる詩の価値は  変わらないのでしょうか  この『菊の花』は  おそらくは実人生からにじみ出た  現実の苦汁と放心として読めますし  不朽の情感として共有されうるべきものだと  素直に胸打たれる詩ですが  これがまったくの創作されたプロットで  巧みに選択・配置された言葉の集積  だったとしたら───  そんな思考の変換を起こす力を包摂した  鈍く底光りする詩です (菊の花)

2020-10-17

 「出世」する僕は  出征したのちに  肉体はムクロとなっても  衆生救済する者となって  帰還する…ということだろうか  日本語詩は難しい (戦争やめろ!)

2020-08-29

 物質の最小単位をしめす  深宇宙からの言づてのようだ  こんなオレでも  愛してくれますか…    (好き好き 大好き 愛してる)

2020-08-28

   かずや さま    卑俗な写真と  説教じみたくりごとに  お言葉いただけまして  ありがとうございます  この写真の雰囲気を  あえて言葉にするとしましたら  恥じ入りながらも  この有名な文章をイメージするのです  ぼくらは ぼくらの旗を立てる  ぼくらの旗は 借りてきた旗ではない  ぼくらの旗のいろは  赤ではない 黒ではない もちろん  白ではない 黄でも緑でも青でもない  ぼくらの旗は こじき旗だ  ぼろ布端布をつなぎ合せた 暮しの旗だ  ぼくらは 家ごとに その旗を  物干し台や屋根に立てる  見よ  世界ではじめての ぼくら庶民の旗だ  ぼくら こんどは後へひかない     (花森安治『一銭五厘の旗』部分)  「戦争反対 戦争はいけない」  このお題目が繰り返されすぎて   語源や効力が見えなくなってきつつあるいま  退屈で褪色した悲話・説教・物語のなかで  花森の言葉は鮮度をたもち  美しいまま  ひるがえります     (〈安閑夜話〉 耳の心 )

2020-08-14

   (テケテン テケ テケテケテン   ちゃかぽこ ちゃかぽこ   ちゃかちゃかちゃかぽこ)  〽 あぁ───あ    豆木魚と琵琶か三味線のぉ    阿呆陀羅経の戯うたがぁ    聴こえてきたが摩訶不思議ィ    何べん聴いてもわからない   (ちゃかぽこ ちゃかぽこ)    わからないけどいやじゃないぃ    阿呆のふりして阿呆でなしぃ    かしこのつもりでかしこでない   (ちゃかぽこ ちゃかぽこ)    まぶたを降ろせばまなこは閉じるが    瞳孔そのもにゃ閉じきれない    けさもけさとて目ん玉濁すは    ネバネバ目クソで目が開かない   (ちゃかぽこ ちゃかぽこ)    なくて七癖あって四十八癖    もひとつおまけで詩(うた)詠み心    詠んでも呼んでも銭はこぬ    瞳が濁りゃぁそりゃ病気だよ    医者へ行くにも時間がない   (ちゃかぽこ ちゃかぽこ)    濁る瞳は目クソのせいかぁ かかる世情の眼圧かぁ なみだなみだで洗い流すも 転がる目玉の濁りはとれない きょうも転がる何処へやら   (ちゃかぽこ ちゃかぽこ    ちゃかちゃかちゃかぽこ……)   阿呆陀羅経で ご無礼いたしました  本作はまったき現代の阿呆陀羅詩として  リーディングされるべき魅力があると思います      (ああ濁る瞳)

2020-07-30

かずや さま お言葉いただけましてから 日は過ぎてしまいましてすみません。 弱くかすかで 目の細かくなよやかで 肌触りにやさしく 散りのあった 鏡面ガラスのつややかさが 言葉になければ 居場所がない時代ですよね。 一枚の「写真」がもつ力が 1/1000枚から 1/100000000枚と 膨大な点数の分母に割りきられてしまい ゼロに近づいてるいま。 「癒される写真」以外の価値は認めず 「癒される言葉」以外の価値は求めず。 非力な一点画像にも 浅慮な一万語くらいあわせれば なにかの鈍痛ともなう表現になればと 俗に言う「匂いづけ」として 亡父の死化粧直後の写真を添えました。 安楽死を認めるは 生の優劣、死の取捨選択の鬼畜道。 優生思想だナチスだヒトラーだと あいもかわらぬ「お題目」だけで 現実に直面する当事者らの苦悩から 決めつけの逃げをうつばかり。 人間様のお眼鏡にかなった畜生様 犬猫小動物らは猫可愛がり こにくらしくも 獰猛危険不潔毒害不快およぼす畜生たちは 苦虫を噛み潰すように叩き殺し 根絶までさせようとす。 決めつけるなといいながら 決めつけることに血眼の我ら。 堤玲子「わが闘争」をあげていただけましたが 恥ずかしながら未読でしたので 絶版で中古文庫を入手しひもときますれば 地域差別 女性差別 職業差別 不具者差別 梅毒業病の遺伝の血統差別 駐留軍のニガー差別 などなどなど これでは復刊されたのがせいぜい70年代末までで それ以降、どんなに文学的価値をかかげても 必ずどこかで炎上必至の全文差別語のこの作品が 世に出ることはまずありえない作品ですね。 このほど無頼を張れるような 血と脂と泥と哀しみにまみれた人生にはほど遠く フツーの団塊ジュニアの フツーの日本人に生き暮らしてきた 我が人生にこのほどの力はありませんので なにより過ぎたるお言葉でありました。 作品より、梅毒の遺伝で頭が弱く 色気違いの姉 秋野が好んで歌い踊る猥歌をあげて お返事といたします。ありがとうございました。   うちの母ちゃん 洗濯好きよ    夜の夜中に竿さがす 竿さがす   嬶(かかあ)の腰巻と便所の戸ォは    あけてくさいけど      せにゃならぬ せにゃならぬぅ (〈安閑夜話〉 雨の橋 )

2020-07-24

   自由律の詩句は自由なだけあって  何をどのようにつぶやこうと  何を好むと好まざると自由ではあります。  そこでの優劣を求める手がかりになるのは  「完全に近い自由」を求道できているか──  につきるのではないでしょうか。  親兄弟妻子・血族からの自由  可処分所得の獲得からの自由  秩序・良俗・道徳からの自由  定住のしばりからの自由  そして  生と死どちらにもとらわれない自由    作者は何とすれば山頭火の境涯に近づけるかと  問いかけますが  ありていに言ってしまえば  その山頭火からも自由になること  そこに行き着くしかないのでしょう。  それらを想って首々をめぐれば    庭の横に小さな白い花が咲いている  この白眉の一首にたどりつくしかありません。   (なにを犠牲にすれば、山頭火になれるのか?)

2020-07-02

 白目巳之三郎さま  どうもこんばんは  面白くご覧いただけまして  亡父も喜んでいるかとぞんじます。  おっしゃいますように  死という最重量級な主題におきまして  その存在の不在・亡失の悲しみを  最大限に引き出すためには  対位法的ともいえる  軽妙かつ軽佻浮薄なギャグ要素や  適度なペーソスをまじえてこそ……  ではあるのですが  ここにおきましての「死」は  わざわざ“虹の橋”などと  死別他界を美麗で安寧な境地だと称揚もせず  「死」へのみちゆきは  降りかかる雨で濡れかかる体に  軽い憂鬱といらだちの傘をさしながら  川面も見ずに渡りきってしまうような  嬉しくも悲しくもない  あっけない“雨の橋”として  生と死の境界は無く  生と死は「同じ」ではなかろうか……  という愚にもつかない妄想の断章でありました。  「これを書いてて楽しいのかなー」  という述懐をいただけましたが  当初、愛玩される特権をもった  愛らしい小動物のみが  家族だ権利だ尊厳だと称揚され  順当にくたばったその死にざまを  「天使になってお空の虹の橋を渡ったの……泣」  などという欺瞞に辟易として書きはじめたものの  あの粘着シートにへばりついたドブネズミや  薬剤にひっくりかえるハサミムシや  悪魔よりも忌み嫌われるカメムシたち害虫が  そぼふる雨のなかを  桁の低い沈下橋のように  濁流がすぐそばに流れる道を  淡々と渡ってゆく姿を見つけるにいたり  結局は虹の橋も雨の橋も目的地は同じであり  生という場所も死という場所も  実は同じ敷地であり  ひいては目的地すら「無い」のではないか──  という狂想に遊ぶことができ  楽しい時間だったことは確かなのであります。  ただ  害虫は数あれど  害虫界の首領 ゴキブリだけは許しがたいのです。  何しろわたしはゴキブリに  「食べられた」ことがあるのですから。  足をむき出しのショートパンツで  スマホのゲームに熱中していたある夏の夜  毛ずねに一瞬チクリと  刺すような痛みが走ったものの瞬時に  「蚊か何かの小虫かな?」と思うだけで  画面の中の殺し合いに夢中だったその0.5秒後  ブスリ…メリリッ…!  差し込まれる激しい痛みに驚き脚を見ると  丸々黒々大きなゴキブリがわがすねを噛んでいる  いや食うているではありませんか。  声を出すより何より脚を振っても離れてくれず  中指でバシと弾き飛ばして  食事は中断できましたが  こんなことってあるのでしょうか。 (〈安閑夜話〉 雨の橋 )

2020-07-02

 羽田さま    こんばんは  こちら東京  雨の真夜中  害獣たち害虫たちがつらなって  今夜も“雨の橋”を  渡ってゆきます。  アイヌの人々はイオマンテの儀式にて  ヒグマの魂を神の世界に返す  という「名分」において屠殺し  皮と肉をいただきものにして  生をつないでいました。  かたや現代の養鶏牧畜の現場においても  大切に育てた鶏や牛馬や豚や羊に  神々の世界にお帰りいただくための  「儀礼」の心は  そのやり方はちがえども  つくされていたことでしょう。    虹は雨気があってこそ生じて輝きます。  雨の橋のむこうは  きっと晴れた空です。   (〈安閑夜話〉 雨の橋 )

2020-07-02

   エイクピアさま  胸の悪くなるような写真と  陰々滅々の文章におつきあいいただけまして  ありがとうございます。  猫は猫 虫は虫 男は男 女は女 黒人は黒人  他者は他者 自己は自己 皇帝の物は皇帝に──  混沌の世界にいまわたしたちが   《服従と義務》についての  何度目かの教訓をえようとしていることは  確かではないかと思えるのです。 (〈安閑夜話〉 雨の橋 )

2020-07-02

   NHKエデュケーション番組  「にほんごであそぼ」が  ぱっと念頭されて  語感のふしぎを駆使してみる  クリエイティビティへの誘いがつまった  品ですね。  すこし性急さのあるビートと  語数の切迫さと  ヴィジュアルとの齟齬が  すぐに「粗(あら)」として  目についてしまうようだと  舌の肥えた目の肥えた  いっぱしの消費者きどりで  語り出しがちなわたしたちです。  あの番組であつかわれる  「ことばあそび」には  できるようでできない  容易なようで容易でない  手だれの技がふるわれているさまが  大人であればすぐに察知できます。  しかし  ここに躍りしめされた  創造の喜びは  そんな技術の出来うんぬん  完成度の域かんぬんで  断ずることがいかに不明であり  場違いなことであるか  気がつかされるのです。  最近は  宮澤賢治などもってのほか  谷川俊太郎でさえ高踏的に思え  まど・みちおの  あのひらがなだらけの  一見こどもじみた  “教条的”で  退屈だった詩文を  よくよく読んでみますと  そこにしめされた「普遍」の強さに  いまさら感じ入っております。     (初夏のある日)

2020-07-01

   千才森 万葉 さん  読んでいただけてありがとうございます。  晩冬や初春に  よく日暮れて風が強く吹く晩が  多かったでしょう。  厳密に言えば米が炊き上がる時ではなく  炊き始めにごふごふお釜がいってるわけですが  その音を窓サッシのスキマに通る強風の音に  素で勘違いした益体もない男の  日常なわけです。    “若いうちこそ他者に多く語りかければ  自分が何かを知る手がかりになる”  “年をとったら自分に多く語りかければ  他者との無言の語らいができ  心の奥でつながる楽しみとなる”  とは誰かが言った言葉ですが  ならって自分にばかり語りかけているうち  ふいにとりもも肉の声まで  聞こえてくるのでした。    「牛や豚はまだいい…   牛舎豚舎でちょっとでも歩き回れるだけさ。   おれを見ろ。うまれて出荷されるまで   あの狭苦しい囲いに入れっぱなしで   ひよこのときならいざ知らず   このたくましく太いもも肉を使って   ただの3メートルも歩けなかったんだ…   この地面をだぞ。仲間もみんなそうだった。   何ひとつ物語れることがない。   あるとすればベルトコンベアにはさまって   首切りカッターに流れるまでの   あの恐慌すら新鮮だったことぐらい…   だから、おれのこの身がもも肉が   醤油や酒やみりんや塩や砂糖やハチミツの   つけ汁に浸ったときの痛みや冷感の刺激や   ぬめりですら   おれには得難い感覚の喜びなんだ。   だから焼くまでもうちょっとだけ   我慢してほしいだけさ…」  そうか、とばかりに  無言でさらに振りかけてあげましたよ。  キムチペースト、マスタード  ケチャップ、マヨネーズ、刻みニンニク  おろししょうが etc..  写真の弁当屋も  いまや様変わりしてしまいましたが  弁当屋はけしてとりもも肉に  同情などしたりしないでしょうね。  あるのは同士としての紐帯と矜持でしょうか。    (〈安閑夜話〉 二枚のとりもも)

2020-06-26

   中央公園   中国人がいっぱい   コロナ後の最近はどうなのか知らないけど  いっそ  中国人も黒人のクソガキも  精神病のおっさんもばばあも  筋トレの兄ちゃんも引き連れて  初台のデニーズでビールで乾杯してみたい。  タバコ吸うふりして外に出て  さっさとトンズラこいて  店長がにがりきってるその顔の  哀しくもおかしいことといったら(爆笑) (「中央公園より」)

2020-06-26

   俺、という一人称や     地球が丸ぐっ、え、   月があ本物でえ、えむ。     ひ、へ、    こいつあ!TREXだべ!    などのスラップスティックに  加速する言語感覚が  往年の筒井康隆作品のリズムになっていて  無軌道のようでいて様式にのっとった  虚無に連れていってくれる(爆笑)     (「ビッグウンビッグウンwwwACDC(爆笑」)

2020-06-26

 結局ひとはひとり  自分をなぐさめている  長大な時間のあわいにただようことは  洋の東西、時代の新旧に  かかわらないのでしょうね。  標題の Ī のしめす長音の「いいぃ…」。  ひとりのわたし「 I 」は  どこで誰とどれくらい長くかかわったとしても  寝床に横たえる身のほとんどの時間  わたしひとりの「 I 」であり  その「 I 」が IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII と  長く連綿とつながる夜のくりかえしであります。  ときにため息と安堵を混じえて無意味に  「いいいいいいいいぃぃ…」と  ちいさくひとりごちたりなどして  眠りにつける夜の  ほのかなしあわせのうたでもあるでしょう。      (Ī)

2020-06-26

 AB さん  ありがとうございます。  つけ汁がしみましたなら  あとは多めの油でパリッと焼いてください。  醤油 酒 ハチミツ 塩  砂糖 みりん 共感 中傷 否定 孤独 愉悦  みながおのおののつけ汁にからまりつけこまれ  鉄板のうえで肉汁を出したり抑えたりしながら  焦燥の強火で焦がしてしまわぬよう  豊潤なきつね色の時間を  いただきます   (〈安閑夜話〉 二枚のとりもも)

2020-06-01

   “その名前は 日本”  その一文を目にしたとき  塙 興子さんの邸宅の天井に広がる  旭日旗様の太い梁がまず浮かびました。  女性性に相違する自己を持って生きている彼女は  近日、有名な建築物となったそのご実家を出て  新居に移るご様子。  まるで彼女=僕が詠んでいるようだなと  まずその印象が先にきました。  ただ  いまの世に猖獗する  おぞましいまでに加熱した  倒閣運動やリベラルなプロパガンダに  誘引されたような  「日本という大きな家の  『民主主義』という太い梁まで解体され  あとかたもなく消えようとしている」  ことを嘆くもののようにも読めてしまうことが  すこし残念な気がします。  世に言う正義を  直情径行に詠んでしまうことに  私たちはどこまでも自戒しなければならない  そうではないでしょうか。   (現代の)

2020-05-18

   この果実は  存在しないとも言われる  わたしたちの「時間」のことにちがいない。  時間のどん詰まりには  「死」が立っているのに  むせ込み涙を浮かべながら  今も口いっぱいに果実をほおばってる   (果実)

2020-05-01

 さらりと素読みすれば  ずん太の年齢がカギと察せられますが  十分大人になったずん太の  父母や幼い自分への追慕の情だけではない  何か別の気配が連れだっている気がします。  ずん太(アカ名)32歳、九州出身の女29歳。  女の居室で初めて風呂に入るふたり。  洗い場で化粧を落としている女を見ながら  たわむれにちゃぷちゃぷと波を立て  女の肋骨あたりに指を走らせるずん太。  女が洗い流すシャワーの音を聴き  入れ替わり女の細指で洗髪され  指の股まで洗われるのがすこし恥ずかしい。  たがいに洗いあって湯船につかるふたりには  50を数えるあいださえ我慢ができない。  ずん太はあのころから好きだった風呂の時間に  男と女の時間がもてるよろこびがあることと  父と母ふたりの風呂場での時間を  ぽけぽけと思いながら  女の乳房に静かに流れた水滴を見ていた。    これは  ひとくせ、ふたくせもある良作だと思います。   (ずん太とお風呂)

2020-04-30

 ワォワォ  うまい酒の酔い心地!  わざとステイしないで飲み始めた  大きめのグラスで  たっぷりと層をなした割ものを  ゆっくりノドに流しこめば  その底に甘露な原液がとろけていた。  夜はグラスの中にあるのか。  だけど酒のやりすぎはカラダを壊すから  タバコを吸ったほうがいいと思う (マイヤーズラム オリジナルダーク)

2020-04-30

 氏の詩は  深くわけいって  読みこんでも面白いのだろうけれど  一瞥しただけでも面白い  日本人の気質から  書くのも読むのも  詠嘆調やらペシミズムやらの出汁の味で  満足してしまいがちだけれど  翻訳風の香辛料が効いた言葉が  調理場から匂い立つよう (記憶)

2020-04-30

まりも さん お言葉いただけまして ありがとうございます。 めずらしく酔いの手なぐさみで メモ帳にいきおいで書きつけたものを 吐きだしてみたくなる夜の独り言でした。 詩題はただ、この混乱の世相を生き残っていたら 思い起こすためだけの日付です。 他者の「て」に不用意に触ることが なにより死の危険を招いてしまう今この時 人間の隠されていた暗愚な側面を毎日毎日見せつけられ マスクにさえぎられたひとびとの内心に鬱積するもを 吐き散らしたくなるのは、なにも詩人に限ることもなく とめどなく悪臭を散らす放屁のごとき言葉たちに 「脚韻」という外出自粛のしばりをかけるしかありませんでした。 しかし 「語尾を揃える、その効果が、うまく発揮できていない気がします」 という疑念はその通りでして この緊急事態宣言にもとづく外出自粛がもたらす「効果」よりも それがひきおこす「経済的損失」にばかり心が塗り固められ 安全と生命と財産の全てを人質に取られる不条理さや この外出禁止措置の、PCR検査の、意味と無意味のゆらぎのような 「脚韻」でしかありません (フフフ…これは後付けの屁理屈だってわかっちゃいますね) 絞り込めも、アクセントも器用につけるどころでなく ただ不安を垂れ流すように延々とボヤキつづける老人みたいに 言葉はまとまらず止まりません。 無意識に救いの「て=手」を求め続け 背負わせれる金銭負担という「に=荷」の多さに 最終行が終わりではなく この連呼があと何ヶ月続いてしまうのでしょうか…… (2020年4月26日1:09)

2020-04-27

詩は 公憤・義憤をさけんだり 訴えたりする声を代弁することがありますが やっぱり わたしだけに聴こえくる声としての 「機能」が すてがたい魅力だと思います。 わたしの四歳の息子は いまだに「トゥプーン」と言い 「わかりまちたー」と答える 幼児言葉を使います。 かわいい反面 心配のたねでもありますが 彼もまた 木のスプーンをくわえながら 台所をウロウロし 冷蔵庫をパタパタし お菓子の入った戸棚を開け閉めする毎日です。 その彼が歳を重ね 四十代の男の低く くぐもった声で 台所に立ちつくし この当時を述懐するとき そこでは かなしくて やりきれない 当惑、後悔、躊躇にぶつかる 人生の局面を見つめているのかもしれない。 老いはじめた親の いらぬおせっかいだと自嘲しつつも かならずや そんな日がくるだろうと 確信の声も聴こえくるのです。 わたしがそうだったように。 (台所)

2020-04-18

stereotype2085 さま 武田地球 さま せわぜわしく過ぎる不穏な日のうちに からだの倦怠もかさなり お返しのことばも無沙汰となりまして おゆるしください 病は口より入り禍は口より出ず (病気は飲食物への不注意から、  わざわいは不用意な言葉から生じる) そこまでとは誰も案じもしなかった 世界の病禍の惨景をまえにして 中国は三国時代の賢人の言葉は 今世になにを伝えうるのでしょう わざわいを「言葉」がもたらすものならば わざわいを鎮めるのもまた「言葉」なのでしょうか ともなれば 今の私たちが囚われる 狭い自室に 家庭に わずかひとことであっても 「檄文」をかかげましょう それが病禍に対する 直訴状となることを念じて (家庭の檄文)

2020-04-04

やや! これはクソ面白い まるで武田鉄矢が 坂本龍馬に出会ったときのように キング牧師や『イマジン』との 素直な邂逅を詠める そんな「善人」のサンプルのようないでたちに 軽やかな倒錯をおぼえます こんなに広大で遠大で無私的な 「人類のテーマ」に走りこもうとするあなたは まごうことなき「悪人」です なんで ロッカーやラッパーやツイッターが 愛と平和と友愛に溺れがちなのか なんで 平和のためなら暴力も辞さない その闘争心で 甘美な美辞麗句の鉄槌を 公然と振り回すのか 暴力のための暴力 闘いのいための闘い 自分のためだけの自分 それが「善人」の本懐です 「善人」とは まったく悪びれもしない 「悪人」のことです (imagine)

2020-03-24

(そうそう、  こういうのでいいんだよ…) (トマトの缶詰めについての詩)

2020-03-12

 あの子牛はオスだった  死にたいと言葉を弄ぶ人がいる中で  二年後には食肉になっている牛のために  真夜中に一人戦う奴もいる この言葉がずるりと産み落とされた音に 反感をいだく若き希死念慮者はいるのでしょうね。 死にたいとうそぶきながらも 生きたさあまりに 手首を二の腕を切り刻み ホッとしたそのあとに 加工された血肉を旺盛にはみ 眠ってしまう そしてまた朝は来る (午前二時~三時)

2020-03-10

この日本語表記が少し崩れて 漢字のそれぞれが日本漢字とは異なる 中文の書体で 消えかけるように載せられた字句は いっそいらなかったのかもしれませんね。 みんな大好きマーク・ロスコが 異字体のように提示された画面。 それだけで読むことができます。 (崩れる詩)

2020-03-08

クヮン・アイ・ユウさん 石村利勝さん ありがたいお言葉 たいへん痛み入ります。 この詩文は 言ってしまえば 「みんながあこがれた!  あの知的スノッブ! 軽妙洒脱!  伊丹十三 絶品エッセイでの  無名人語録的 聞き書き文のような味」 「平成生まれもここに帰ってきてしまう!  男はつらいよ 寅さんに  マドンナがはじめて愛慕の情をかいま見せた  その後に 上機嫌で知り合いの警官に  もっともらしく善良なる小市民を気取る  あの可笑しみ」 あれであります。 文面の逸話は全て実話でありますが 警備厳重な国会周辺を散歩したおり 出会い?を求めて職質されんと ジロジロ顔を見ながら会釈などして近づきたるも かえってそっぽ向かれて相手にしてもらえず…… そこだけはフィクションとなりました。 よっぽどカラみたくない厄介ものに見えたんでしょうか。 (あのね、おまわりさん)

2020-03-05

よお ベイトマン! 『裸のランチ』は詩だぜ! サイテーのな! ハッハッハッハッハッ! いいことを教えてやろう…… このファッキン観音をな スマホでピンチアウトしてちょっと拡大してな そっとキスすればな どんな疫病・病魔もみんな退散! すげえパワーだぜぇ! でもな…画面をアルコールで キレイに拭いてからじゃないとな…… 便器にキスするのと同じだぜ! ハッハッハッハッハッ! (観音菩薩にキスしたら)

2020-03-05

ふじりゅう さん お世話になっております ステートメントを読まないと さらにはそのステートメントを 噛み砕いて解説してもらわないと 意図がはかれない芸術にあふれていますが 「言葉はいらない、ただそのものを感じてほしい」 「野暮はよそう、秘するが花だ」との 鑑賞のたしなみから、昨今は 作品が創出された「連続的な文脈」を 的確に言葉で示すことがマストとされる ユーザビリティが求められている気がします。 詩はどうか。 読み手の自由裁量が最大化されているからこそ詩なのか。 つるつると手がかりのとぼしい 水桶のワナにはまり水底に沈むるのを恐れ 近づこうとしないドブネズミのように 詩を求めない民草ばかりなのか。 わかるものだけわかればいいのか。 死後にようやく読まれればいいのか。 三十年後にわかってもられればいいのか。 俳句や歌のように読み方を示してもらえばいいのか。 わかりません。 (観音菩薩にキスしたら)

2020-03-05

沙一さん ありがとうございます おっしゃいますように 陰茎の象徴に 女陰の隠語でもある 観音様が彫り込まれた 両性具有的な親指は このうえなく俗情のサムズアップでもあり 人間の根源をなす素朴な聖性も やどしていているようだと 誰にも語らない一人だけの信心でした。 ネット環境が整備され 世にあふれる ありとあらゆる背徳の実現を 目の当たりにしている私たちですが 観音菩薩像の唇を奪い その耳をねぶり 指を千本の手をしゃぶりあげ 眉間の白毫にしとどに射精する…… どれだけエグいムービー、描写にも 感覚が鈍磨してしまったこの時代のわたしたちに わずかに残された背徳のありかた、それが 観音菩薩にキスしたらのイメージです。 (観音菩薩にキスしたら)

2020-03-05

ただ々々 愉快 軽妙。 走りがちな青春のうそぶきのような詩句とは 別天地の滋味。 一行々々の練度・強度・密度ほどよく 我ら庶民のじりじりと貧する時局に 屁でも吹きかけてやれと 捨て鉢な笑いも誘い 「声に出せ 美しの  やがて哀しき 日本のうた」と うなずくばかり。 (屁が出るまで)

2020-02-29

真清水るる さん こんばんわ 「自灯明」のお言葉 身にしみ入ります。 胎の内において 左の親指に小さなナタで 円空上人に刻まれし 衆生救済、庶民救済の切願のしるし この観音菩薩の滋笑と 生き過ごしてまいりました。 仏陀が弟子に残した言葉「自灯明」 「自分自身を明かりとして頼りとし  暗闇のこの世を歩き行きなさい」 これに共鳴しうる言葉が最近も聴かれました。 「若い頃にいつも胸に刻み付けていたのは 『最も個人的なことこそが  最もクリエイティブなことだ』  というせりふだった。  これはマーティン・スコセッシの言葉だ」 映画『パラサイト』でアカデミー各賞を受賞した ポン・ジュノ監督のスピーチでした。 共感も共有もできない 極私的な思考・感情を軽んじ 「それあなたがそう思ってるだけだよね?」と 却下・排除してしまう暗闇の当世。 「私は他の誰もが作らなかった映画を作りたい」 そうも述べるポン・ジュノ監督にも 「誰も作らなかったのは  誰にも必要とされてないからだよ アホ!」 とコキおろされた時があったことでしょう。 その逆境のなか はからずも「自灯明」の教えのように 自分をたよりに作り続けた彼の姿勢には 強く敬服し、共振するところであります。 『最も個人的なこと…』のひとつとしまして このわたくしの親指の観音さまが 詩作に苦しむ人々 詩に大願をもって取り組まれる人々を 慈愛と救済の御心の笑みで 照らされますことを 願いお祈り申しあげます。 観自在菩薩行深般若波羅密多時 (観音菩薩にキスしたら)

2020-02-27

感情のアンコントローラブルを犯し 不倫にいたる男と女は 飼い主の感情にけなげに寄りそう 猫畜生にもおとる 非人間だと そしられた 肉体や感情などの 難しいコントロールよりも ヨガのように まずは呼吸をとらえなおす 感情のブレーキを踏みこむまま 呼吸を意識しだすと 頭には言葉になる以前の 「文字」が並んで躍り出す はしゃぐ「もじ」たちをなだめすかし こまかい律動を観察すれば 律動は連鎖し 「言葉」の波になって 頭蓋の壁に寄せては返し 感情の舟が揺らぎだしてしまう。 水よ凪げ 心よ凪げ 私よ凪げ 私は呼吸だ 呼吸が私だ 生と死に意味はない 呼吸に意味がある 人間としての尊厳は 他者に寄りそうことができてこそ できぬ者は人間ではないと断じる 窒息させるがごとき この世情のもろ手をはらいのけ ゆっくりと息をつくように詠まれた詩 他者によりそうことの強迫に疲れた人間は 非人間となって呼吸することから生き直す 枯れかかった深い深い井戸から 共感や承認の「言葉」を 汲み上げる毎日 それはわずかに口を湿らすほどしかない しかし「もじ」は 空気の中に充溢している 「もじ」を胸にとりこむように 詩は「もじ派」のフォーム《形式的要素》を 見せつつあるような気がしています (私は呼吸する。生きていくために。)

2020-01-31

(家族がいた)

2020-01-31

渡辺八畳 さん 当作をお取り上げくださいまして ありがとうございました。 そのご慧眼への心服 増すばかりであります。 心のアンバランス 精神の変調が日常にある人々が 極私的な営みから産み出すモノを 「表現」として他者がとらえなおした 『アウトサイダー・アート』は 広く認知されつつあります。 他者からの承認や 評価を得るための表現ではなく 心の自足と発散の手段としての表現。 しかし、 そのやむにやまれぬ情動すら透過しないで 偶然に産み出されてしまう「表現」が ありうるのではないか。 旧くは、路上観察者が見出した 『トマソン』として知られる 意図しない、もしくは 意図とは別次元に放射される エネルギーの産物などがありますが はたして詩の領域で そんな「観察」は可能なのか。 まるで弓道における奥義のごとく 当てたいという意思を無にして射ることで 暗闇のマトでもその正鵠を射る。 無心になって詩を詠まずにして詩を詠む…… そんな古武術・禅問答まがいは止めて レトリックぎらぎらの創作ラーメンみたいな詩や 武者小路実篤の詩のごとく 自由で平明でただの日記みたいな 恬淡とした境地への切磋琢磨ができればいいものを 俗欲まみれの陰茎をぶら下げた凡夫のまま 〽︎ カネがほしくて はたらいてぇぇ ねむるだけぇ… の日々が過ぎていきます。 しかし、自分と詩の接点がつかみきれてこない。 詩的にこの世界とどう接するのか。 虚構と自分という自然との折り合いの困難さ。 思いつめて鼻くそほじってるうちに かつて60年代末から70年代中ほどまで 日本美術界である位置を占めた 「もの派」という動きが気になってくる。 土を盛り上げただけ 木材・石・鉄片を並べただけ 組み上げただけ カンバスを塗っただけ… ミニマル・アートとも またちょっと違ったアプローチ。 ただの自動書記的でもなく シュルレアリスティックに書き並べるでもなく 詩という形式があってこその詩ではないかという まっとうなフォーマリズム《形式主義》は 否定せずに 詩ではないものからへの詩情の接続。 はたして吉と出るか凶と出るか。 もう今年の一月が終わってしまう。 (家族がいた)

2020-01-31

2019年の暖かい暮れに 煩悩の甘酸塩苦旨、五味に富んだ 好みの秀逸七席は 飄然と冬に立つ 尾形亀之助のまぼろし 一席  銀歯の多さでづぼらな奴と知る 二席  冷え固まった飯を味噌汁で解す 三席  この村には言い伝えすらない 四席  監視カメラを見続けてしまう 五席  悲しいも楽しいも同じ顔 六席  やかんが沸くまでそこに立つ 七席  アニメ画に変わる小説の表紙 (煩悩自由律108×2日+継ぎ足し)

2019-12-30

みなさま ありがとうございます 右肩ヒサシ さん どうもこんばんは。 写真作品の表現としまして 「ファウンド・フォト」を使った手法があります。 いわゆる無名の素人が、作品然として構えず 表現しようとせず、撮影者本人と その周辺者にしか知り得ない 被写物の背景や意図が不明確な写真。 それらのかえりみられない写真群を 他者が「発見・読解・再設定」することで 不価値/不可知だったものの可視化し同定する というこころみであります。 原型となりましたのは 70代のさる親族より届いた 一枚の集合写真をくるんでいた薄紙に 描き込まれたメモであります。 縁の遠い親族・係累たちの写真などよりも このメモ書きに強い衝撃と哀切をおぼえ フィルム写真におさめましたが 現物はとうにありません。 メモの示す集合者のなかに もちろん私は存在しませんが 血のつながりの薄い縁でしかない私に 見えなかった係累の縛りを認識させるとともに 今生で繋がった何かの縁を取り結ぼうとする その親族の心情が手書きの描線に染み込み 訴えるものがありました。 『中身のわからない感情』と おっしゃいますように その心情の中身がわかるようでわからず わかろうとすると、いささか うそ寒い気持ちにもなってしまう 奇妙な「詩」となって読めてしまうのです。 真清水るる さん ありがとうございます。 たしかになで肩のシルエットたちは 重なって系図の線のようですね。 これだけ個別の選択・遺志の自由が 敷衍しかけたような自由社会のふりをしながらも 我々は何かにとらわれることへの渇望が 何かのコンテンツに 死ぬまでとらわれつづけられたいあせりが そうでもしないと この長い人生をやり過ごせないという、おびえが いま我々を悩ませている気がしてなりません。 yamabito さん 怖いですよね。 いよいよ手書きの書画を見るだけで 何かのマガマガしさを感じてしまうほどの 時期になりましたよね。 今はまだキーボード入力ですが そのうちその指の動きすら 気味悪がられる時がくるのです。 声にも出さず 念じただけで詩がつむがれる時代を 歓迎しないのは老害者となるでしょうね…… メリークリスマス (家族がいた)

2019-12-24

つつみ さん ありがとうございます。 わかりにくい遠回しになってしまい恐縮です。 私が得た、きっかけ、経験、記憶そのものの 書き並べにすぎないわけなんですが その記憶に強く刻まれてもいいはずのことが なぜか切れ切れで、読み取れないのです。 その記憶に火を投じて焼き尽くし 灰だけしか残さなかったのは何故なのか。 焼却して消したかったものは何なのか。 そして付け火した者は誰だったのか…… (記憶焼失)

2019-12-18

  寺田心を声変わりホルモンでゴツくする   小田和正も徳永英明もゴツくする ここがとってもゴツくて素敵…… (Chaotic culture zone Eureka(貴音×cultureさん))

2019-12-17

なぜに人間だけが 牛という種別のちがう物の 母乳を死ぬまでうまうまと 飲み続けられるのでしょうね。 子牛をみるみるとたくましく育てるあの体液を 牛でもないのに。 人間の骨の髄まで沁み渡り 人間の一部分ともなる牛には 親しみや感謝からくる安らぎよりも 骨絡みにまで人間をとりこんでしまう 空恐ろしさまで思えます。 それは着物姿で全身から血と泪を流し 鳴き声をあげる牛娘『件』の伝承にもあるように じっと人間界を憂い、睥睨する存在であるかのように。 (牛の今)

2019-12-13

松本清張の 華美でも冗長でもない 的確で過不足の無い文体を思わせます。 不安を乗せた車のハンドルには その速度と行く先が制御不能となった男の 手の湿度があります。 なによりこの『県境』の二文字が 強烈に日本情緒を牽引し 何万字もの叙景文に比肩する 魅力があります。 (県境)

2019-12-02

今公開中の『アイリッシュマン』の前景たる 映画『グッドフェローズ』での 現金強奪の大仕事のあとで その成功とクリスマスの祝祭の空気に乗じて 禁じたのにもかかわらず 強奪メンバーたちが派手に買い物し 発覚を危ぶんだリーダーのデ・ニーロに 結局全員抹殺されてしまうという展開がありました。 そのデ・ニーロ演じたジミー・バークが 後年獄中でその当時の決意の夜を反芻しながら 読んだ詩…… そう思えてなりません。 Amazonプライムでご覧ください。 (十二月の街並みよ)

2019-12-02

MOROHA 調のリーディングって あらがえない魅力がありますよね。 ただ… あの切々と熱を持った詞が そのまま再演されているような 耳なじみだけが呼び起こされてしまって 《言い訳なしに一位とって  見せびらかすその時が来るまで》 が空念仏になっているようでもあります。 しかし、その音韻の力はやはりあなどれず ある詩景が速度をもって迫り来ます。 ── 雲間にいる月からも隠れるように    夜陰に乗じて 特攻機は単独に飛ぶ    青年の操縦桿は冷静に    ただ口だけはエンジンのようにとどろいて    あの詞を誦む 翔ぶように誦む    おのれに捧げる祝詞をあげる    俺は歩みを止めない。    俺は歩みを止めない。    俺は歩みを止めない。    俺は歩みを止めない。    俺は歩みを止めない。    俺は歩みを止めない。    俺は歩みを止めない。    俺は歩みを止めない。    雲海の間隙から敵艦ついに見ゆ   この空に俺と月だけ    月よ見ていろ    俺の一位を見ていろ……    俺は歩みを止めない。    俺は歩みを止めない。    俺は歩みを止めない。    俺は歩みを止めない。    俺は歩みを ──────── (太陰暦2019(ポエトリーリーディング))

2019-11-27

あ… 9秒って 彼女のオルガズムの最高値が保持される 体感時間なのかしら。 それから長くゆるやかに 快感は収束していく……のですよね? なにぶん男は2秒なもので。 魔法の謎は謎のままに。 (9秒の魔法)

2019-11-23

ワォ… baby making music の詞ですね。 《 チョコレート → チョコバー → 黒い益荒男 》 くつろげてセクシーに空気を温めて ベイビーを作るときにマッチするような ブラックミュージックなんですが 生活のあらゆる感情にいつも寄り添ってくれる 彼の《チョコレート》が 魔法のように日常を彩りサポートしてくれる── 彼女の甘くとろける感興と すこしの苦味で寄せる眉間のシワ── でも 9秒って…… 切ないですね。 (9秒の魔法)

2019-11-22

60年代末に 新宿フーテン族たちを ドキュメントした映画で 朴訥さをタバコと酒で塗りつぶした 冷笑と微笑みの使い分けがまだできない 田舎出の若い男の マイクにのせた声 ─── あるゼロメートル地区の 土曜の駅前 喫煙所の枠外にはみだして 車座にストゼロとタバコでキメる 地元のニーチャンたちに ヤバいセンパイっている? と声かけたら 「ツトムさんヤバいよね〜  すぐ殴るし殺しかけるし」 「マジでツトムさんこないだ殴ったら  そいつのアタマ花束になったとか  わけわからんこと言ってヤバすぎる」─── このふたつの詩景が マルチウィンドウで表示されました。 (暴力とその作用)

2019-11-13

私が 〈私〉という罪を特赦し あるがままを認める、という 大きな赦しが執拗にくり返されることで 私が〈他者〉を赦すことへの絶望的な拒絶 徹底的な反抗、そして独尊への表明が 反語を固めて作った 小さな爆弾のようにも思えます。 “私はあなたを あなたたちを 絶対に許さない” という鋭い金属片が埋め込まれています。 (赦す)

2019-11-11

エイクピア さん ありがとうございます。 七五調で日本語を並べると何を詠んでも 内省的な気配は吹き飛び お気楽、ご陽気、手拍子 節まわしがついてしまって 酔漢の高歌放吟で、ご容赦ください。 写真は靖國神社祭礼での逢いびきを撮るのに 目測でのピントあわせに失敗した写真でありまして かように詩句とは直接結びつかない図像を 俳句などに添える手法のことを 「匂いづけ」と称するようです。  「花」にまつわる俳句詩句       + 「花」そのもを主題にした写真       ↓ 明快だけれど刺激なく物足りなく   知覚の自動化による退屈 「花」にまつわる俳句詩句       +   まるで無関係な写真       ↓ 言葉に異質な匂いを加味して  異化効果で飽きさせない 内容が読み取れない俳句詩句       + 主題も意図も読み取れない写真       ↓ 一見、高尚で深謀のあるもの しかし乱用すれば危険もともなう 写俳句にもさまざまな流儀があるそうで お試しあれ。 (仕合わせ節)

2019-11-06

不吉にも 死死死死死死死死死死死死 と 唱えてみると やっぱりゲシュタルト崩壊してきて 死死死死死 死 死 シシシシシシシシ シシシッシッシッシッシィッシィッシィーッ!! 笑 ってバカバカしく笑えてくる 不思議な共鳴を呼ぶ装置のよう。 ただ、それをバッサリといって 最後の2行だけの短詩にする蛮勇も 見てみたいという嗜虐心もそそります。 (数え唄)

2019-11-01

ベタですが、枯れてしまった今ではない 若い頃のゴリゴリの上田正樹に 歌ってほしい詞ですね〜♪ …来週、遠縁の通夜に出ます。 (さがしもの)

2019-11-01

ごく普通に生活を詩う 歌詞になればと思ったら カビ臭いフォークソングか浪曲調に…… 俗謡でしかなくても歌は歌 河内音頭様に節をつけたらあな楽し。 混声合唱団の複雑なハーモニーと ご陽気な声色でご唱和ください。 この薄暗い時代に。 (仕合わせ節)

2019-11-01

(ああ…… 初冬の富士山頂からまさに今 滑落している自分に 聞こえてくるのこの音は 天啓か幻聴か) (レイ)

2019-10-29

牧草と泥土と牛糞の粉が逆巻き 扇風機が回り続ける牛舎から 静かな静かな、うめきとため息が 率直に届きました。 国連演説少女に罪はないのでしょう。 なのにどうして 我々の防毒マスクは 正義なる理想をこねくり回した 欺瞞の刺激臭を取り除けないのか。 フランスでの 黄色いベスト運動の時に喧伝された ある言葉を添えます。 「エリートが地球の終わりを語る時、  僕たちは月末(または毎週、あるいは毎日)に苦しんでいる」 (酪農)

2019-09-28

ありがちな青春の場面を ぜんぶ言っちゃって これは詩にあらず! って怒られないか心配。 でも、 ある作家の言葉を援用しながら思うに ……短きをよしとする和歌俳諧が   日本的な文化伝統として残るなかで   現代詩では   華麗で蕩尽的多弁を駆使しつつ   語らないほうへ語らないほうへと   自明性を避けてゆくことを   よしとしがちだけれど   世界は獄彩色と阿鼻叫喚   悲憤慷慨ばっかりで出来てはいないので   するすると滑ってゆく文章に身をまかせ   起伏なくたどらされるのは   本文の無い   あとがきだけの恋路だった…… と言えるような 自己陶酔から逃げおおせた 直接性だけでもない 清冽ささえ感じました。 いいですね。    (悔)

2019-09-24

渡辺八畳 さん み う ら さん Mr. stereotype2085 エイクピア さん どうもありがとうございます。 問いかける男は 酒気を混じえて 旧弊な《詩人たらしめる資格》を 突きつけてきたのです。 狭隘で摩滅した時間しか手にすることができない 凡夫でしかない自分には 人生を浪費するために支払う資力は無いし 心身欠落も無く 罹災者でもなく 虐待されず、虐待もせず 鬱屈をいだく異民族でもなく まして、女でもないし、ゲイでもないし 小児性愛も知らない。 無資格のヤミ医者なら無頼も気取れるけれど ほんとうに、只(ただ)の人に 詩は何をしてくれるんだろう。 詩に何ができるんだろう。 イタい詩人かぶれに すぐに興味も無くした男は 手元のスマホに指を走らせます。 暗い酒場にうがたれた、小さな矩形の窓になって そこは光があふれ 届かないシャバにからの風を集めるために 広げた手をかざしています。 ──おれは死刑囚で   これが独房の小窓だ。   ほんとうのシャバは   この窓の向こうにしかない。   あんたも、みんなも   この窓から外ばっかり見てる。 詩は何をしてくれるんだろう。 詩に何ができるんだろう。 今日、新型の「死刑囚の窓」が売りに出された。 (死刑囚の窓)

2019-09-11

血と脂と薬品と 供花と線香の香りに 長い長い年月を燻され 悔やみの振る舞いと 安らぎへの表情が身に染みついた 葬祭業の男の 誰にも語られることはなかった その矜持と死生観 今日も白手袋をたずさえて (剥き出し)

2019-09-11

stereotype2085 さん 楽子 さん 仲程 さん ありがとうございます。 うう……さすが見巧者の慧眼、 芯をズバリと射抜かれました。 まして 《個人的には静かな音楽、訥々と響くピアノの音、 あるいは切れかかったオルゴールの音…》 まで見抜かれるとは。 なんだかんだ言っても「共感のドーパミン」には 見苦しまで腰を振ってしまう己が恥ずかしい… ただ、そうであるがゆえに そこには誰しもかかえる 類型的な虚無に区分けされる 有り体なつぶやきの意味しかないのかもしれません。 しかし、ここに並べた言葉にかかる力は とても切実で重いのです。 過重な仕事と家庭の不安に板ばさみになる お定まりの中年男の逃げ道は 暗く危険で歩けたものじゃありません。 もう自分の言葉にしがみつくしかなかったのです。 題につけました「白き空」は 昨年末は大晦日の日暮れに ひとり見上げた実景なのです。 溶け残る雪に白く塗られた稲田に 点在する家々の見える 寄る辺ない道をひとり音楽と歩いたときの実感は 楽子さんもおっしゃいますように 思いが強いほど言葉になりませんでした。 仲程さんがおっしゃいますように 《詩はかっこいいもの》と 再認知される世になればと思います。 「はぁ? ポエムかよ…」 「宮澤賢治? メルヘンじゃん」 「俳句・短歌はなんかイケてるけど、詩は…」 と唾棄される時代がしばらく続いてきましたが 《詩はモテる》と低俗な道具に使われる時代こそ 歓待するべきだとすら考えます。 (白き空に)

2019-09-07

仲程 さん ふじりゅう さん エイクピア さん 藤 一紀 さん どうもありがとうございます。 掘りおこしてはみた着想のサトイモに 不器用なナタを押し当て皮むきするも 無様に小さな野菜クズに変りはてるが 詩らしきクズをヨイヤとこそぎ集めて 懐石膳にちんまり盛りつけ松葉も添え いつか建てたや見目美しの詩碑を墓に そういう感じです。 (炎夏のハモニカ)

2019-09-07

ああ、また玄関にあの人が来た 何やら華麗なる雅語のような言葉を 奏でるような無明の歌を 今夜も玄関先に巧みに並べ いずこともなく去ってゆく (灯籠流し)

2019-09-05

あれ…… 雨宿りして、葉っぱをめくると虫がいたっていう 歌? 詩? だかを最近何かで見たような気がするけど… 夢で見たのかな? なぜかのデジャブ… 何にせよ、短詩はいいですね。 (雨宿り)

2019-08-23

九段下の交差点で実際耳にしたハーモニカの音。 若くも老いてもいない風変わりな男が 滑らかに吹き鳴らすが、怪訝さを隠したまま通行人はやり過ごしている。 すこし声でもかけようかと迷うも、暑さとわずらわしさで 都市生活者の習いのように干渉せずに歩き過ぎてしまう。 そこには何もストーリーは生じなかった。 日陰を求めるように靖国神社の参道に入れば そこには「戦跡の石」の無造作な野外展示がある。 由来や経緯を示す細かな掲示文はなく さして南方の激戦の戦史にも壮烈なストーリーにも興味はなかったが 汗みどろの体を冷やすためにその前に立ち尽くした。 何気なくブーゲンビル島、ウェーキ島、グァム島、 レイテ島、コレヒドール島、硫黄島と 形態もさまざまな、溶岩そのもののような奇態な石たちを そっと撫でさすっていけば 熱をもっていたり異様に冷たかったり 同じように汗みどろで重い銃を杖にして密林をさまよい そのまま二度と祖国の地を踏めなかった 何万の日本人のストーリーが入り込んできた。噫! 恍惚と石を撫でさすっている横をカップルが通ってはたと我に帰る。 醒めてみれば、それらはやはりただの石だった。 野辺の古い墓地に並ぶ由来のわからない小さな墓石ように とるにたらない石たちだった。 それには何の銘も刻まれず 何のストーリーも読み取れず 涙も汗も流してはいなかった。 この詩はそんな無言の石たちと同じなのです。 ありがとうございました (炎夏のハモニカ)

2019-08-19

意識に深く沈潜するモダニズムも ケレン味過多なポストモダンも暮れきったような この、ごくごく平明な詩から、とある詩を想いました。 明治生まれの象徴派の詩人、梶浦正之の作です。 ※ ( )は原文ルビ、[ ]は私的なルビ    汝は詩人か夜盗か   梶浦正之    さわがしきは人波    はなやかな街の光    そを脱れて、われは    代々木原なる松林の窪地に    ただ独り腰を下ろしてありき。        とほき街の雑音(どよめき)……    松葉をすぐる風音……    うすき銀もうる色の天の川……    すべてはやさしくわれをとりまきぬ。    折あしく巡査(おまはり)の見つけるところとなり    厳しき詰問(なじり)を放たれぬ    ──かゝる夜陰を      人影なき叢[くさむら]にうづくまるは      詩人か、はた夜盗か──と。    われは黙して答へざりき。    かくて交番につれゆかれ    かなしき侮辱を浴びてかへりぬ。    その夜    独り床に眠らむとし、    ──われは、さびしく自らに問ひたりき。    ──汝(なれ)は詩人か、はた夜盗か──と。                (『春鶯』1931年 昭和6) この職務質問を受けた男は、独り寝床でくやしさに身悶えたことでしょう。 何より、わからずやで頑迷なあの巡査(おまわり)に こんな詩趣豊かな言葉で打擲されたことの衝撃にです。 前掲しました作品は、いささか大時代的な情景ですが 今でもまったく共感できうる孤独・孤絶な心情ではあります。 しかし、孤立をあらわすための、巡査のもってまわったような 芝居がかった詰問が、引き立ち過ぎるほどにポイントがしぼられ そこに他の様々な要素を配置した、この詩の構図は 現代の孤独を示すのにはそぐわないのかもしれません。 当作『夕暮れ』における 目立って美しくも、陰惨でも、哀切さも無い ポイントになるような言葉を構図に入れず 強い孤独の象徴すら去勢し、切り取ってしまったこの「欠落」こそが 人間はどこまでも「単独」でしか生きられないという習性を 浮かび上がらせることの証明なのではないだろうか。 (夕暮れ)

2019-07-29

Come on! シティポップ詩! 臆面もない気取りと 虚飾の見栄を競うような軟弱さが 毛嫌いされてしまう時代をくぐりぬけ いま、シティポップの清冽さ豊穣さ前進性が 再発見されています。 人のこころの裏は裏のままに 何のてらいもなく、今、言おう。 不安も批判もない Glory(栄光)ある朝に 再び生まれるんだ! (理想的な生まれ方)

2019-07-15

学校開放日に訪ねる小学校。 教室に貼られた この小さな詩文を見つける。 子どもたちの日々の情操に染み込ませるために 女教師が選り好んだ この謎かける隠喩の前を 父母たちは視線ひとつ乱さず 過ぎ去るが 喉の奥で微量の何かが 隠れて分泌されるのを共有する。 そして追懐する。 自らの子どもたちが育ちゆくこの部屋で。 体液がからむ音は流れ続け いつしかふたりの滑る腰は 固有の快感の律動を わずかな誤差で調和させることをおぼえた。 手をつないだ氷上のふたりのように 甘怠いしびれは合流し 腰は加速し疾走し 女は落ちてゆき 男は消失した。 男がぬぐい取る 腹に落ちた体液の めずらしい白さと たちまち体温を奪う液体の冷たさに 女は てるてるぼうずの叫びを想う てるてるぼうずは大きくなって いま クラスメイトと笑っている。 (雨粒)

2019-07-13

たしかに能の謡(うたい)のようでもあり チャカポコと阿呆陀羅経のようでもあり どちらも一聴一読では解釈しづらいものでありまして ただ、音として見る日本語の妙味を感じる。 不勉強不徳のいたすところでありますが 漢詩の書き下し文のような施しが欲しくなるものであります。  (歪熟れ面)

2019-07-10

玄関に立ち尽くすまま 決してその敷居をまたがぬ カドづけの芸人の思わぬ澄み切った謡のように 地獄の沙汰もなにゆえか、清涼さも感ぜられ 煮立った銅と糞尿じたての屎泥も 眼球入りの濃厚芳醇なスウプのトロミにさもにたり (腐葉土と血桜)

2019-07-10

添えました動画はオリジナルではありませんが この美しき音楽にて 点と点たちが結ばれることを願って (夜の点 黄泉の糸)

2019-07-03

追記 ただ最終行の << 強い草を育てたい だけが、なぜだか闖入者のように居心地が悪い… (強い草)

2019-06-29

アウトサイダー詩の手ざわりながら 彼らには出せない抑制と緊密な語句の配列が 読み手の興味に拍車をかけてくれる諸作品、楽しいですね。 何より、「きみ」「ぼく」が夢の中で乳くりあうような湿度・粘度が高い詩文や 自己を「憐憫レビュー」したコメントのような詩文が散見されるなか 屹立した言葉たちのフォーメーションが痛快。 (強い草)

2019-06-29

しょうこさん stereotype2085さん ありがとうございます。 長尺で「魂の絶唱」のような豊穣な詩も素敵ではありますが 飴玉のように口の放り込める、カリカリと削って丸めて小さくなった詩文を 手のひらに転がしているだけで、我が拙文でもたまらなく愛しくなりますね。 スマホやPCやデスクライトの直線の電光で、眼球が半熟になりそうな夜 コンビニから出て見上げたビルのあい間の、朧月の曖昧でトロけた曲線の光に導かれたわけです。 キリとモヤとカスミは、たまに無意味な夜のドライブに出るようですね。 彼らは夜を明け方まで駆け抜け、どこにそっと露を結ぶのでしょうか…… (霧と靄と霞…………キリとモヤとカスミ)

2019-06-25

神の座から真言を なぜに半狂人の繰り言だとして 険しい顔で彼は避けようとするのか…… あなたの瞳が完全な円を描いているのが怖いんだ (乱舞~孤独な太陽~)

2019-06-22

22

2020-02-16

作り方

2020-02-26

屁が出るまで

2020-02-28

不和

2020-02-29

無題

2020-02-29

幻聴

2020-02-29

恋の林檎

2020-03-02

幻聴2

2020-03-07

テスト

2020-03-20

愛とウイルス

2020-03-24

the father

2020-03-29

台所

2020-04-18

2020-04-28

Ī

2020-05-21

烏頭

2020-06-26

排除

2020-06-29

紫陽花

2020-07-03

郷愁

2020-07-11

ああ濁る瞳

2020-07-22

連れて

2020-07-31

わたしにうそ

2020-08-11

私の追憶

2020-08-11

菊の花

2020-10-12

教室

2020-11-15

昼寝もう一度

2020-11-18

新時代の今日

2020-11-08

たそがれ

2021-03-25

子牛 和牛

2021-04-12

2021-04-26

豆大福の日

2021-04-27