B-REVIEWユーザーの皆様、平素お世話になっております。
8月の月間B-REVIEW大賞ならびに選考委員個人賞が決定したため、ここに発表いたします。なお、8月の選考委員は 、

ゴロ(本物)

鈴木歯車(5月大賞受賞者)

墨野みどり

帆場 蔵人

が務めました。

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目次

・大賞並びに個人賞発表
・選評
・月間最多投票数作品ならびに投票作品発表
・雑感

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・大賞並びに個人賞発表

月間B-REVIEW大賞

atsuchan69 「パパの日曜日

個人賞

ゴロ(本物)賞
ガラ、シャ」しゃくやく

鈴木歯車賞
オベリスク」AB

墨野みどり賞
犯人は だれだ。」はたもり

帆場 蔵人賞
Allegro Tempestoso 」中貝勇一

・選評
大賞

パパの日曜日」 atsuchan69

 パパの日曜日、タイトルから漂う随所にちらばめている宗教観、電脳世界観、個人的性癖、趣味。普通だと読者を置いて行ってしまうイメージのズレがスレスレで繋がっているのは各パートの間にある『』で文章をリセットさせているからだと思う。単語を散らばらせて意識のズレを狙っている手法を使う詩は沢山あるが、この詩は独りよがりの文にはならずに読者のイメージの揺さぶりに成功している。その理由は各パートに仕掛けている単語の繋げ方が直列ではなく何層にも重ねた並列であるからだろう。そのイメージは東西南北にひろがりオリエンタルからルネッサンスから近くの大衆食堂まで広がる。そのイメージの世界に読者を運ぶ乗り物はジェットコースターというよりは上から下に落ちていくるフリーフォールに近い。しかも一気に落ちるのでは無く時に止まったりゆっくりになったりとして落ちる様に工夫をしている。それが先程書いたカギカッコである。選考の中で作品に読まされた。とあったがそれは正に遊園地の乗り物に近い感覚だったのではないのか?インターネットでのエンターテインメントとしてこの作品は自分は成功していると感じたのはその部分、読まされた感覚を読者に与えた事である。ただ、設定としてパパは娘や妻には会ってない。全てはパパの妄想癖の一日なのかもしれないと考えるとネットで作品を投稿する行為が虚しいものであると考えたりもしてついついおやつに買っていたポッキーをまとめて頬張ってしまい、妻にポロポロと床に落とさないでと叱られてしまった日曜日でした。選評終わり。
(選評:ゴロ(本物))

・個人賞

ゴロ(本物)賞

しゃくやく「ガラ、シャ

ガラ、シャ、作品自体はまだまだ荒いけどね、個人的にしゃくやくさんが気になる。多分才能はあるけど飽き性だと思うんだよな。だから褒めたら光るかもしれないから賞あげる。ネット詩は作品だけじゃなく作者も含めてネット詩だと俺は思っているから捨てハンでいくら良い詩を書いても意味ないんだよ。だからもっと自分を売る様な個性が必要だと思うね。
 細川ガラシャも不幸な人だからその役をやったせいで不幸になったのかもしれないし、ガラシャとは恩恵という意味だからね。負の恩恵をもらったのかもしれない。ホラーだね。ジャンルでいったらウィキペ詩かな?以上。
(選評:ゴロ(本物))

鈴木歯車賞
オベリスク」AB

 抒情に満ちた5つの小品から成る作品。どれも語同士がわりとつながっているが、そのうえで純な詩情を持っている。この技術はヘタを打つと、途端にTwitterに蔓延る「詩もどき」のようになってしまうので、まず

「どのような印象をもたせたいか」

「どういうふうに『飛ばす』か」

などを(ボンヤリとでもいい)考えておきたいところだ。

 語のつながり度だけでカテゴリ分けするなら、これは「詩」というよりも、「詩情のある文章」を、適切な箇所で改行したものに近いだろう。それでも詩情をもつことは明らかなので、詩と呼ぶことにする。

 代表例として、一番上の作品「砂漠」を丸ごと取り上げる。

 まず第1行目~第2行目。

>  飽和湿度に近い街で
>  渇いた自分を見ている

 「雨が降りそうな街」という解釈もできるが、とにかく「飽和湿度」と「渇いた自分」が対になる。自分を見ているとはどういうことだ?と思うが、次の第3行目で「店のガラス」が出てくる。

>  店のガラスだけではなく
>  道行く人々の顔にも
>  同じような表情が広がって

 彼は店の窓をミラー代わりに、自身を見ている。

 第5行目に「同じような表情」とあるが、あえて具体的な表情を書かないことで、読者に想像の余地をゆだねている。

 この表情は、飽和湿度のように湿っているのか?それとも、湿った町と渇いた自分との対比から生まれる、疎外感や諦念だろうか。

>  だから
>  ときどき
>  父や母の顔を思い浮かべる
>  のだろう

 上のカタマリで、父母も同じような表情をしていることが分かる。表情が上に述べたどちらであったにせよ、少し陰鬱な印象を与えるが、いわゆる「エモい」という表現に含まれるだろう。詩情を出すために必要十分な数の語彙で詩を作れば、自然と字数は少なくなる。これらはそんな小品のあつまりだと思う。
(選評:鈴木歯車)

墨野みどり賞
犯人は だれだ。」はたもり

 きつい言葉で目を引いたタイトルに連なる文章を興味本位で覗き込めば、途端にぐいぐいと引き摺り込まれる。そんな感覚に陥る詩だと感じた。

 紫陽花、という言葉に向けられた、グロテスク、という形容。それが、あの淡く雨に溶けるような、目に染みる緑の中にあって儚さすら感じさせる花に向かっているのだと理解するまでに、いくらか時間がかかった。しかしなるほど、その後に続く文言から想像した、色彩を失った紫陽花は、周囲に広がる万緑にあって、確かにその通り、グロテスクであろう。

 紫陽花をグロテスクにした、その紫色を奪った、その〈犯人〉として挙げられたのは〈賊〉。

 〈道路に空を落書いた〉、きっと雨の名残に残る水溜りが映し出す空。ここで問われた〈犯人〉とは、それを描いた画家。

 〈雲の宿雷様とどんちゃら騒ぐ〉のは〈演者〉…。

 ここまで、タイトルにある〈犯人〉という言葉は使わずに、しかし、厳しい言葉で〈だれだ〉と問い続けるその連なりに、この言葉の主は、その〈犯人〉に、酷く逢いたがっているように思えてくる。勿論、作者の意図がどこにあるのかは私には推し量りようもないけれど。

 〈カエルを狂わす。アメンボ踊らす。セミ起こす〉。そんなことを散々やらかしてくれたそのひとに、逢って、一言文句を言ってから、肩を組んでどこかへ遊びに行こうと誘い出したいような、そんな印象を受けた。

 梅雨から一気に駆け抜ける、鮮烈な夏の色彩、夏を満たす騒がしい音の数々、それが全て、先頭を駆ける〈犯人〉に収斂し、そして凄まじい速さで拡散する。私の前にそんな情景を広げてくれたこの詩に、ささやかな言葉と、個人賞を捧げて御礼に代えたいと思う。
(選評:墨野みどり)

帆場 蔵人賞
Allegro Tempestoso 」中貝勇一

 眠れない夜は周囲の物音、車のエンジンの振動や時計の音、肌にものが触れる感覚ですら足早で自分を苛むように感じることがあります。そんな感覚を思い出します。一連目で肉と骨ときたのであれ、血はどこだ、などと思っていると真っ青な俺が現れます。真っ青というと血の気がひいた存在は、いまの自分でないという事は過去の後悔の記憶でしょうか。真っ青はそのまま電子機器の光やまっさかさまの音につながっていくようで、非常に工夫されています

 四連目からは惑星や目玉の回転、無いはずの時計の針の音、これらもイメージが引っ張られてあれよあれよ、と読まされます。地獄の惑星とか、もうしっちゃかめっちゃかに眠れそうで眠れない悶える心と肉体が地球の回転にまで乱されているようです。

 自然のなかにある自分が意識されるのだけど、物凄い異物感というかノイズみたいな自分のちっぽけさに悶える自分自身の眠れぬ夜が引き出されてくるようで追体験という意味で詩だと感じました。

 そう言えば最初に血はどこだろうと書いたのだけれど最終連に至って脈拍が朝とともにカッ飛んでくるのは嵐のような夜、過去が去り、散々、苦しんでも朝が来て血がめぐり確かに脈打つ振動。そんな振動があり、自分は確かにそこにあるのに変えられないものがあるという諦観の独白が一連目に呼応してとても響きました。非常に掴まれた詩です。ありがとうございました。
(選評:帆場 蔵人)

・月間最多投票数作品ならびに投票作品発表

なお、月間最多投票数作品並びに投票作品一覧は以下の通りです。

月期最大投票数作品 
パパの日曜日(atsuchan69 ) 5票

○投票作品一覧

パパの日曜日5票
にじいろ、もぐもぐ4票
半径五メートルでしか生きられない3票
ガラ、シャ3票
人生はゲームではない2票
カーテン2票
飛行2票
一定再見2票
判断する たましいよ2票
塵芥は赤であれ2票
ある夏の道すがら2票
犯人 はだれだ。2票
ダクトテープでふさげないものを愛して。2票
蛇を呑む2票
『ふたたび殺戮の時代』のためのスケッチIII2票
夢の中の風船2票
オベリスク2票
まくらに歯2票
好き好き 大好き 愛してる2票
東横線が多摩川を渡る1票
みとれる1票
紫陽花1票
自由律俳句 202008-11票
禁忌の日1票
ニャンコでいいよ1票
あぜ道1票
練習と試合1票
金魚の系譜1票
今は昔。昔は昔。1票
糞便1票
┣文字描き┳月夜乃海花┫は死んだ1票
出発1票
暇な時にでも読めよ1票
風の死1票
直列つなぎ-┣うんこ!!┳うんこ!!┫-奥さんに会いに行くの変だよ。1票
八朔の未来1票
アリスイントーキョー1票
ミトラは今日も牡牛を屠る1票
杞憂1票
死ねないから1票
約束1票
「レイバン割る幽霊女」1票
もったいない1票
モノ・クラゲ1票
Allegro Tempestoso1票
雨(猛暑)1票
手首1票
悪神(幻聴)と戦闘中1票
こんなもの1票
事実無根の、幸福でした。1票
フィラデルフィアの夜に XⅥ1票

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・雑感

 来月には新しい選考システムが動き始めるなかで、現行の選考で自分が参加する最後の選考なのだと今更ながら考えている。(当初、宮永文目氏が選考委員に入られていたが学業との兼ね合いもあり、残念ながら途中辞退となった)
 今回も投票で2位以上の作品から2作品、投票された作品のなかから1作品まで選べる形式で各選者が1~3作品を選び、そこからさらに大賞を選ぶ方式を採った。以下が各委員が選んだ作品とその評である。

5or6
1位 パパの日曜日 
 先に書いた通りイメージの厚みがあり、王道の油絵のような作品として自分はパパの日曜日ですね。最初の一文の掴み方からオチまでの深層心理と現実の波も心地よい感じで読み手を振り落とさない表現で良かったです。

帆場
1位 ダクトテープでふさげないものを愛して
 ダクトテープでふさげないものを愛して、これこの言葉のインパクトが半端ない。かといってこの言葉が詩のなかで浮いてしまっているわけでもない。私たち以外と生きてるね、に続く二連の

>コンクリートの隙間を縫って生きてきました
>手を伸ばして体を捻じ曲げて這ってきました

などは生々しい首を絞められているような息苦しさが迫ってくる。生きているからには働かなくてはいけないから面接も受けるがお断りも当然にある。恋愛にしたって同じだ。この並べ方は上手いと思う。「ダクトテープでふさげないものを愛して」という言葉が最終的に母親の言葉であると解るのだけれど、様々な体験をしてその言葉を実感したとき「」が外れて自分の生の言葉に変化したのでないか。途中のフローリングを這うアリについての描写が正しすぎる、厳しすぎるでうまく生きられない自分とは対照的に描かれているようで印象的です。
2位 にじいろ、もぐもぐ
 8月、終戦、なんていうと食傷気味だと感じる方もいるかもしれないが、僕としては特にそこを気にする必要はないと思う。キリスト教を擬人化して語らせている作品で、にじいろもぐもぐ、というタイトルも目を引く。

>おとうさん、私は懺悔します
>おとうさん、私は後悔します
>おとうさん、私は痛悔します

 出だしの3行が全体の構成を現わしているようだ。最終的に痛快するのだ。そこまでに語られた苦しみや痛みが消え去り笑い合えるのだ。もちろん、それは現実に起こっているというよりはまさに書き手の祈りなのだろう。書き手が現実に生きて受けた傷と戦争がもたらした傷、キリスト教自身がひろまったばっかりにそれらを招いたのだという苦悩がにじいろのくも、宗教や立場に変わりなく綺麗な空のにじいろを分け合うときに消えていく。支配でも約束でもなくただ等しくうつくしいにじいろを食べるときに。パパの日曜日は技巧や知識をこらした豪華絢爛な作品だったがこちらは丁寧に編まれた素朴だが真情のある素直な作品だと言える。衒いがない。
3位 パパの日曜日
 しがない父親の哀愁というか、ありふれた日常から妄想空想から愉快な絵巻物を織り上げてしまう作者の技量が目立ちます。口八丁手八丁、なんとも軽快に難解な例えを出したかとも思えば、自分にもちんぷんかんぷんだよと言わんばかりの語りが読み手を考えて書いてる人だと思える。熱核戦争の後のベルベル人を出してくる辺りはなんともやられた感があります。何を言っているかわからないものたち、だったかギリシャ語のバルバロイを語源にする辺り、この語りなんか信じないでね、でたらめやってんだよと笑いつつも同時に、多様な言語による隔絶みたいなものが妄想世界ではなくなり、妻と子のいる家に語り手はたどり着く。語られてきた様々な時代の葛藤などはそこではもうないのだ、というようなものを感じた。(この辺りで言語への書き手の考えなんかも拾ってこれる作品なのかもしれない)正直、僕の知識や読解力では読み切れないものが沢山あるのだろうけども、それをこえて読ませるものがあります。まぁ、要約するとパパは拗ねてるぞ、というだけなんだけどね。

墨野
1位 一定再見
  繰り返される一定のリズムの中にかぎかっこでくくられた言葉が、微妙にそのリズムを崩す。特に、「それこそ架空」は、第一声の《言葉の解像度を極限まで下げて》を伴って、貫かれた、と感じた。矢のように最後の《一切は空に消える》を、〈いっさいはくうにきえる〉(勿論読み方はそれ以外にもあって良いのだろうけども)と読んでしまってから、遅れて意味を理解する。恐らく昔から使われてきた定型のような詩文の、その中にあるぎらついた言葉の連なりが美しいと感じた。
2位 パパの日曜日
《パテル・パトルム—-即ち、パパだ》…いや、わからん。 なんという不勉強。詩の読みはいきなり頓挫しそうになった。一度調べに行って、なるほど、司祭様か、と、戻って来れば《二日酔い》。パパ…。 首を傾げながらも、怒涛の勢いで連なる詩句に引き寄せられて、次へ次へと進んでゆく。塗り重ね、折り重なるように繋がる言葉を読み進めれば、ヨーロッパまで飛ばされる。鮮やかなイタリアを堪能しようとしたら今度は大衆食堂を経由してイスラム、つまりここはどこ? 目眩がするほど踊らされて、砂漠にようやく落ち着けば、《私はもうパパなんかじゃない》ときた。パテル・パトルム、気は確か? でも、その後の《アビーと呼んでくれ》という言葉がこの詩の中で一番刺さった。アビー、アビゲイル。父の喜び、でも女性名。 このパパは、もう戻らないんじゃないかと、そう思っていたらその魂はどこかへ行ってしまった。 旅するだけ旅をして、いなくなってしまったパパに、妻と娘はどう思うのだろう。鮮烈な絵画を見た後に残る一抹の虚しさに似たものを残された、気がした。

鈴木歯車
1位:パパの日曜日
「パテル・パトルム」──古代ローマの宗教「ミトラス教」の最高司祭の名である。そこからCOBOL処理ののち××××を追い、イスラム教、中世イタリア。そして熱核戦争から現代の日本に至るまで、パパの魂が古今東西を縦横無尽に走ることで、高密度・高次元の詩的時間、詩的歴史を作り上げている。
2位:半径五メートルでしか生きられない
「遠雷に帽子をかぶせたい」という願いの繰り返しを、夏の終わりの情景描写が補強している。その補強というのが、「あの遠雷に帽子をかぶせたい」というキラー・フレーズの背中をただ押しているのではなく、歌声の中のギターリフのようにきちんと融合している。とくに中盤以降からシメへの流し方が秀逸であり、遠い野までの空白感を思わせる。
3位: 「にじいろ、もぐもぐ」
「わたしがあなたがたと立てるこの契約により、すべて肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼされることはなく、また地を滅ぼす洪水は、再び起らないであろう」。さらに神は言われた、「これはわたしと、あなたがた及びあなたがたと共にいるすべての生き物との間に代々かぎりなく、わたしが立てる契約のしるしである。すなわち、わたしは雲の中に、にじを置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる」(創世記9:11-13) ノアの洪水以後、神は上のように決断したとされる。虹はキリスト教において、神が人間に立てた契約のしるし、または平和のシンボルである。 これはキリスト教の「主」、そして戦争に対しての悲痛な作品である。読者は作中の「にじいろ」という語を、宗教的な意味をダイレクトに感じさせず、それでいて暗喩的な含みを持った、強大な力を持つものだと感じるだろう。最終連ではキリスト教と日本の縁日の描写、そして戦争の名残の描写が一気に描かれており、なんともいえない読後感をもたらす。しかし惜しいところもあって 「キリスト教の国が、日本のキリスト教徒を殺し、日本の教会を焼いた」 という直接的な文が無ければ、作品がより深淵なものになっていたとも思う。

 『パパの日曜日』、『にじいろ、もぐもぐ』、『一定再見』 、『ダクトテープでふさげないものを愛して 』、『 半径五メートルでしか生きられない 』の5作品が挙げられた。うち『パパの日曜日』は順位はともかく全選考委員が選んでいて最多投稿作品でもあったので、この時点で大賞に選出してもいいのではないかという意見もあった。とはいえ、せっかくの機会なのだからそれぞれの作品についての見解などを聴きながら再検討した。最終的に『パパの日曜日』の思わず読まされてしまう魅力にひきこまれるように、大賞が決定された。『パパの日曜日』は様々な宗教などを散りばめた豪華な絵巻物といった風情だったが、得票数二位の『にじいろ、もぐもぐ』はキリスト教の擬人化による語りと同じく宗教を題材にしながらもそれぞれの作品のベクトルは違っていたように思う。『パパの日曜日』は、

パパの日曜日、タイトルから漂う随所にちらばめている宗教観、電脳世界観、個人的性癖、趣味。普通だと読者を置いて行ってしまうイメージのズレがスレスレで繋がっているのは各パートの間にある『』で文章をリセットさせているからだと思う。単語を散らばらせて意識のズレを狙っている手法を使う詩は沢山あるが、この詩は独りよがりの文にはならずに読者のイメージの揺さぶりに成功している。

選考委員の意見より抜粋

 読み手を引き込む工夫が丁寧にされており、その詩の世界の拡がりが魅力的だったと思える。『にじいろ、もぐもぐ』は真摯な作品だがメッセージ性の強さで読み手を選ぶところはあったように思う。実際に選考委員の間でもその辺りで評価が分かれた作品でもある。
 5or6氏が最初に述べていた、風が吹いた作品を選ぶ、というのが個人的には印象的だった。詩を読むとき解る解らない、読める読めない、みたいな話を良く聞くが読めないからなんなのだろうか。もちろん、読解や分析的に読むことも楽しみであるだろうが、もっと素直にその詩から感じるものを受け取ってみても良いのではないだろうか。先月に引き続き、詩を読むこと、合評での新たな発見することなど、考えさせられるものがあった。
 最初にも書いたが現行の選考システムは9月が最後となる。だがこれでビーレビが終わるわけではなし、新しいステージに進んでいくのだ。この1年、選考委員を引き受けて頂いた皆様に感謝するとともに、交代で選考委員と司会を担ってくれた渡辺八畳氏にも感謝の意を述べたい。
(雑感 文責 帆場 蔵人)

以上で8月選考の発表とする。

2020.9.25 B-REVIEW運営/B-REVIEW選考委員 一同