作品投稿掲示板 - B-REVIEW

雪月統


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1986年生まれ。北九州在住。引越しのゴタゴタようやく落ち着きました(汗)

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 何者でもない愛の感覚、というフレーズ、なんだかとても哀しいですね。でも、ぼやけても輝いている思い出というものを上手く形容して余す所がないと思いました。哀しいけれど、やはりそれこそが語り手の本音なのでしょう。  それにしても、思い出がぼやけてもなお輝いているという感覚、痛いほどに分かる気がします。たとえば最高の女性だったと思っていたとして、その女性との記憶が薄れたとしても、「(自分にとって)最高の女性だった」という認識は忘れようがないですし、それは思い出補正云々という話でなしに端的な事実ですから、論理的に言っても消えるはずがない。  そんなことを思っていた私にとって、この詩を読み、なんだか同士を得たような心地がいたしました(笑)。みんな本当に、ちょっとあまりにも忘れるのが早すぎやしないかと。2年経っても忘れられません。一生忘れないかもしれないと思っています。 (感覚)

2024-02-11

 彼女を見るたび僕は自分が、あたかも奈良の都にいるかのような錯覚に陥る。美人というのとはちょっと違うけれども仏像のような、そんな気品ある顔立ちをしていて、僕はそれこそもう何百回と、その慈愛に溢れたお顔を―不謹慎にも―盗み見していることになるはずだ。  でもね、わざわざ奈良化なんてしなくたって、実は僕の町は松坂という、いわゆる"もののあはれ"を論じた本居宣長さんが生きていた、そんなすでに風流な町だったりするんだ。ただ少し込み入った事情はあって、というのは、宣長さんは仏教というものに対して、大陸から来た不純なものだという否定的な認識を持っていたらしくて、そうするとつまり僕のしていることというのは、本来相容れないはずのものを一緒くたにするという誤ったことなのかもしれない。  けれど実際の感覚的なところとしては僕にとり、―宣長さんが強く支持していた―神道も仏教も。等しく「風流」という語の下に仲良く並べられるものであり、それゆえ僕は彼女を通して松坂と、奈良の都を二重写しのようにして見ているのだし、まさしく奈良や平安の時代からの"風"が"流"れるというその、時空を越えた壮麗なたおやかさのさなか佇んでいるとなんだか、一枚の梅の花の周りを巡り続けるような儚さの、そのさなかに彼女が波のように浮かび上がっては消えるような、そんな切ないイメージビデオのただなかへと、比類なき切実さでもって胸を投げ出したいような気持ちに駆られちゃったりするんだ。  友達には笑われてる―「お前は姉貴がいないから、年上の先輩を過度に理想化しちゃうんだよ」ってさ。先輩、先ぱい、せんぱい…いや正直に言うとさ僕はもう、その「せんぱい」って言葉の響きだけでご飯何杯も食べられますって程度には彼女に、鈴原あずさ先輩にときめいちゃってて(汗)  ねえ、1個上ってだけでどうして、あ、あんなに身体がいやらしく見ちゃったり、するのかな?(笑)誤解のないように付け加えるけれど、それはもちろん、たとえば胸が大きいとか腰がくびれているだとか、そんなハッキリ目に見える事物について言ってるわけじゃあないんだよ?それなら同級生にもグラビアアイドルみたいなのが幾人かいるし、それに彼女、胸はふつうに小さいんだ、ここだけの話(笑)僕が言ってるのはつまるところ、そこはかとなくその身体全体から漂ってくる色香のことさ。  あっ、でもあずさ先輩、脚はめちゃくちゃ綺麗だな。うん、そこは否定はしない(笑)彼女があの、寸分の隙もないようなしとやかさで近づいてくる折の胸の高鳴りを、ほんとうに君も体感することができたらいいのにと思う。けれど!なんということでしょう、あずさ先輩には男が、それもひ弱な僕なんかとは比べ物にならないくらいに逞し〜い彼氏がいてたり、するんだ。いやこれ、本当の話。   ここでもう1回、さきの話に戻ろうと思う。つまり彼女のその歩くという所作が、あまりにも完璧だって話に。でも完璧なのは脚の運びだけじゃないんだな。あれは牡丹雪がしんしんと降る冬の昼休みだった。僕は部の用事でたまたま、当時2年だったいまの3年の教室へと向かっていた。するとそこにあずさ先輩がその、ロシアのバレエ団の女優さんでも不可能ってくらいに優美に歩いてきていたところだったんだけど、少し遅れて、つまりあまりにも白磁のような太ももが美しくって遅れるしかなかったんだけど(笑)、そうして目に留まったのは彼女のその、両の手で抱きかかえるようにしてノートを持っているそのニュアンスだった。   胸が締め付けられるような切なさの稲妻に僕はもう、脳天がかち割れてしまったのかと思ったくらいだった。特段優しい顔をしていたわけじゃない。むしろ涼しげだったくらいで。でも、だからこそそこには、たとえようもなく高貴ななにかへの予感に満ちていた。それこそ仏の心へと至り得る、そんな風な。  その少し前の日に彼女が、くだんの逞しい彼氏といるところを見ていた僕には、しかしまだ驚く余地が残っていた。もっというと僕はほとんどもう必然的に、さきの高貴と、そして性という、一見相容れない2つを結びつけざるを得ない状況にいたことになる。  そんな"体験"は初めてだった。雪はすでに止んでいたけれど、大地には表皮のような雪が残っていた。斜めに足跡が続いている―まるで異界から使者が訪れたかのような、そんな規則正しさで。月光の下、それらは明かされて在りながら、この世界に存在しているいかなる影よりも妖しいのだと、僕は思った。  ひとえに雪に調律されたかのような、あたかも荘厳な葉擦れとでもいうべきザラつきに、僕の耳は浸されていた。顔を上げると、果たして彼女の2本の脚があった。雪より白いはずなどない。しかしその仄かな、仄かな紅はこの胸を、梅の花のその、無限に小さき紅の明滅へと誘っていた。その夢幻のさなかから、無防備な彼女の太ももがぬっと前へと投げ出された。目眩のままに僕は立った。荒波のさなかに、2人は泡沫のごとく溶け去った。 (私ほんとうに、旅立てない(泣))

2024-02-08

 「あっ、あのさ…」と震える声で、彼は僕に声をかけてきた―「鈴原さんって、か、可愛いよね?」「ああ、可愛いとも。この校舎の女の子みんなを足し合わせたって、彼女の足元にも及ばないくらいにね」―と、ほとんど反射的に言ったのだけどきっとそれは、普段文芸部でひたすら洒落た表現について思いを巡らせているからで、しかし僕は彼女のことを、可愛いというよりは美しいと形容したくって仕方のない男で、とはいえそれはまぁ、この後一緒に帰ることになるだろう帰り道で、ほどよい頃合いでそれとなく明かせばよいだろうと思ったのだけど、しかしそう思い始めるや胸のウキウキが止まらなくなってしまう有り様だった。  沖田はこの校舎に2人の友人しかいなかった。ほとんどの時間を1人本を読んで過ごしていた。だから彼から声をかけられたということそれは、僕(ら)と彼とのあいだにそれとなく、しかしそのじつ比類なき強度で存在し続けていた透明な壁が、しかしその声をかけられるという出来事にいざ呑まれてしまった後ではもう、たしかに壁が存在していたということは分かるもののしかし、"それほどの"強度であったという事実は泡沫となって消え去り 、それはもうこのさき決してこの地上に戻ってくることはないのだという直観を伴うものだった。  幸福ながら、そんな風に不思議な寂しさのようなものがあり、そしてやはり気恥ずかしくもあるような情感を抱かえながら、そうして僕は、初めて彼と帰途を共にしたのだった。  今日は部の活動はなく、時刻はまだ4時過ぎだった。まだそれほど深まってはいない穏やかな秋の、夕刻と名付けることの憚られるような夕刻の青空の下を、僕ら2人は歩調を合わせゆっくりと歩いていった。  長い長い孤独の日々に、幾万もの言葉が彼の内面を象ってきた。僕もまた文芸部で、絶え間なく己の言の葉を豊かに繁らせるべく、日々というものを歩んできた。両者の内面は―言葉の森―は、このいままさに交わる一歩手前にあるのだという認識が、ふいに、しかしごく自然な滑らかさで、僕をいわば打ち包んでいた。しかし僕はそれをひとえに、僕個人のドラマとしてこの胸にぎゅっと仕舞った。このいま僕らはあくまで、ひとえに鈴原あずさという1人の女性の、美しい1人の女性の、その周縁をともに辿ることにおいて繋がらねばならない。  対人不安の気でもあるのかな?とすら思ってしまうようなその、生真面目に張りつめたトーンのさなかから、そのこわごわと開けられた唇の合間から、可憐で清らかな花のようなあずさが飛び出してきた―「ひ、瞳のなかに、星がある、みたい」「妖精みたいに、森のなかを風に髪をなびかせながら歩いているのが、見えるよう」…「あっ!」とその声が大きくなる―「でもとにかく、とにかくいつでも、彼女は制服を、それもネクタイのついた僕らの学校の制服を、着ていなくっちゃならないんだ」   "ふぅ〜"と息をつく音が聞こえてきた。この胸のさなかで、彼女の像がのっぴきらない変化を蒙り始めた。彼女の髪はあっという間にショートに切り揃えられた。彼女は色とりどりの花々の咲き誇る庭を、淡い淡い朝の風光に儚くその、首すじにかかろうかという亜麻色の毛先を、細やかに煌めかせながら佇んでいた。  後ろから彼女へと近づいていく。彼女は切なげに振り返る。一寸、あたかも冷涼な光線が放たれたかのようだった。その顔は、ほかでもない少年のそれだった― (私ほんとうに、旅立てない(泣))

2024-02-07

夢から覚めた彼女は朝日のなかにいた。その懐かしくも新鮮なトーンがあたかも、朝と夕刻の垣根を超えてあの「陽だまりの丘」への切実さを思わせたので、彼女は"いま"を引き延ばそうと、上体だけ起こしたままに「愛」―と呼ぶほかないもの―を抱いていた。        ただ、じんとした温かみがあった。いまでは乾いていることすらもが奇跡のように感ぜられた。というより乾いていることこそが奇跡なのだと彼女は、かつてウミウシの研究をしていた父の、それでいて実にさばけたトーンをありありと思い出していた。その人に、しなやかに寄りかかるようなところのほぼない父の、その瞳に映じていた軟体動物のセクシャルな消息を想った。しなやかでいながら儚かっただろうことのその色香の、その父へと伝えられたろう残り香の精の、その奔流の末に私という陸上生物が胎胚したのだという直観は、彼女を幼き日のケアンズの浜辺へと運んでいった。  ただ「輝ける青」という茫漠たるビジョンさえあればよかった。そして広々とした砂浜があり、暖かな風がすべてを吹き払っているようだった。何かが吹き払われていたわけではないけれど、それはとにかく「吹き払う」と表現しないことには収まらない、いわば大空の司る力の現れであり、その下で彼女は、家族といたにもかかわらず世界というものにただ1人対して、そうしてオーストラリアンサイズの大きなオレンジジュースをぐいと飲み干したのだった。  カエルなどいる気配もなかったなと彼女はその、生命史の中間項がごっそり吹き払われたかのような怒濤に目眩しただ、乾いていることにおいて抱かえているその実存が、髪が、皮膚が、サラサラしていることのただなかへの沈潜が、かつてのしめやかな生たちへの黙祷を通して自分を、いまや新たなる愛への渇望へと導いていることを、その胸の奥深くでしかと感じた。  「この渇きをこそ、私はずっとずっと待ってたんだわ」―皮膚が新しくなるように、私の心はちょうどいま生まれ変わったのだと、彼女は思った。 (私ほんとうに、旅立てない(泣))

2024-02-06

 美しい女性について描写するとなるとまずは、ごく自然に背は高くもなく低くもなくと平均を強調したくなるものだけど、こと鈴原あずさに関して言えばむしろ逆に、僕は彼女のその背丈の、物哀しい至らなさについてこそ語ることになるだろう。  背の低いことを「物哀しい」と形容するのは失礼だろうけれど、でもたとえば彼女のあの、小さな背丈で遠く空を見やる折の健気な感じだとか、あの背丈にもかかわらず大きく見える折の凛とした気高さだとか、喩えるなら水の鏡越しにでも見つめているかのような、そんな澄明なトーンの最中に仄かに湛えられているだろう、いわばやるせなさのような情感から、僕は決して目を逸らすことはできないのだ。  鈴原あずさは美しい。可愛いというよりは、やはり美しいと思う。僕は中学の頃一家で引越しをしてこの町にやってきたのだけど、その引越しの折の業者さんの女性のことを、いまでも昨日のことのように思い出す。彼女の作業は速くて正確で、それこそ1ミリの隙だってないくらいだった。  けれど、部屋にそのダンボールを開いたりガムテープを貼ったりする作業音が絶え間なく響き続けるのを聴いているうちに、僕はなんだか哀しくなってきてしまった。それも、とてつもなく。仕事ってやつがどういうものなのか分かってなかったこともあるのだろうけれど、僕は彼女が、あたかもなにか巨大な哀しみを振り払いたい一心で、怒濤の作業に邁進しているように思えたのだ。  そんな彼女を、僕はなんて可愛い女(ひと)なんだろうと思った。けれどあずさは美しい。もしもあずさが引越し業者に就職したとしても、彼女は絶対に、あんな風に憑かれたように作業することはないだろう。彼女は急ぐことはあっても決して急がされることはなく、そしてその自立心こそは、ほかでもなくあの仄かなやるせなさに支えられているのだと思うのであり、つまり彼女は、いわば高貴に自分というものを飼い慣らしていることになる。鈴原あずさが美しいというのは、つまるところそういうことだ。  彼女は背丈こそ150cmとだいぶと低いところに位置しているけれど、にもかかわらず、その事実を生きることにおいてあるやるせなさにおいて彼女は、それがまさしく「秘められた」と形容するにふさわしい按配を、いわばつねに実現しているかのようなのだ。  それはいわば張りつめた一本の弦である。か細くも力感に満ちた、ひとえに―やはり―高貴な男の手により弾かれることだけを夢見る、いわば高慢でもあるような弦である。  分かっている、僕などには、決して届かないと。あの切ない瞳で見上げられるとき、僕はもちろん暗に見下されているのだろう。しかし、それを彼女はどこまで意識しているのだろう?見下していることをうんと意識してほしい、つまるところうんと見下してほしいと感じる僕はおかしいのだろうか?   いや、さきの表現は正確でないかもしれない。というのは、彼女が僕を見下していることを僅かに自覚している状態から、ハッキリと僕を見下す、つまりそれこそもう、見下している自分をもう1人の自分が眺めるなんていう余裕もないくらいにあけすけに見下すという、そんな極へと彼女が移行しうるのだという事実に、僕はこのいま打たれているのだ。  そんな最中にあの、彼女のあの澄んだ瞳から、一抹の憐憫の雫が滴る瞬間に立ち会えるというのなら、僕はもう、己のすべてを投げ売ってもいいとさえ思う。 (私ほんとうに、旅立てない(泣))

2024-02-05

もしも君が もしも君が、彼女のことを蓮の花だなんて言ったりしたら 私はもう、地球の果てまで笑い転がってやるんだからっ!―  彼女がそう、ずっと二股をされていた元彼に送った散文詩のなかで書き記してから数日後の夜、彼女は哀しい哀しい夢を見た。彼女はダンゴムシのように丸まって、身体の後ろにはハリネズミのそれのようなトゲトゲの皮をつけ、クルルルルと、ただひたすらに夜の砂漠を転がり続けていた。涙さえ出なかったけれど胸はマグマのように熱かった。月光に輝く大地のその砂粒の、妖しいまでの気配は彼女の、その内なる炎に比類なき力を焚べ続けた。  私、光ってるわ。身体の内から発して丸い身体をすっぽりと覆うそんな、まばゆい光球に、なっている…「可愛いそうや。ホンマに、可愛いそうや」とおばあちゃんの声。丸まるしかなかったんやな、丸まるしか。ええよ、まあるいのはええことぞ。お花さんも味方してくれはる。その傍らにちょこんと眠っとったらええばい。あなたは蛍よりも光る飛べない、蛍。発光しとるなあ実に、のおみかんよ、夜の砂漠の眠り心地は、どうじゃ?サボテンはんの花だけやない。お月さんもいはる。星のみんなも見守っとる、みーんなお前さんに愛(し)たいんよ?  ねぇ―と私はおばあちゃんの話を遮って―、「みかん」って誰よ?わたしはあずさだよ?ほっほっほっ、昔こうとったポメラニアンでのぅ…と、草原が目の前に広がっていた。おばあちゃんは母さんくらいの歳になっていた。1匹のポメラニアンが真昼の草原を駆けていき、そしてふと立ち止まる。首を左に傾け私を見ると、シロツメグサの小さな白に彩られた彼女は凛としていた。  おばあちゃん、彼女?は元気玉(元気の塊)みたいだけど?なあに―おばあちゃんはあっという間におばあちゃんに戻って―、75年生きてきたわしからすれば、しょぼくれたお前さんも元気印やったみかんもそない変わらへん、どっちも可愛いらしい命の塊じゃて―相変わらず「ほっほっほっ」と笑うおばあちゃんを見ていると、なんだか誤魔化されたような感じはあっという間に和らいでいて、気がつくと自分がみかんになっているようでなんだか、このいま自分に降りかかっている悔しい哀しみとて、というよりその悔しさ哀しさこそが、ほかでもなくこの真昼の天から降り注いでいる祝福であるかのように感じられてきた。  気づくと身体の後ろを覆っていたハリの皮は消え、私は人間に戻っていた。みかんはその務めを果たしたかのように大気のさなかへと、その小さな身体に目一杯の儚さを湛えながら消えていった。なんだか寂しい心地になった。おばあちゃんは哀しげだった。私は、みかんなんだ。私が懸命に生きて、今度は私がおばあちゃんを勇気づけなくちゃならないんだと、今度はそう胸の炎を燃やしたのだけど、おばあちゃんと二人向かい合うと、真昼の陽光の下おばあちゃんの顔の皺がくっきりと浮かび上がっていることにいまさらながら気づく。おばあちゃんの明日は私のそれとは真逆の影なのだという認識が、私を打った。仄暗い道を1人寂しく歩いていくのが見えるようで、まるで景色は夕刻になったかのようだった。幾万もの稲穂が物哀しく風にしなだれていた。駆けたくないと、私は思った。  どないしたんや!?とのおばあちゃんの声は耳を抜けゆき顔は右向き、そうして私は、未来でも過去でもないような丘へと―しいて言うなら永遠の今とでもいうような陽だまりの丘へと―、まるでさきの語らいを永遠のものにするかのように、おばあちゃんの温もりを、消えていったみかんの儚さを、そして哀しく砂漠を1人転がり続けていた私自身を、そんなみなを抱きしめながら、歩いていったのだ。  ―あそこには"切実ないま"がずーっと揺蕩っている―ええそれだけは分かるのと私は、丘へゆるりと登ってゆく。見とれるほどに、丘は懐かしくありながら新鮮だった。だから私は、スーッと私へと歩いてきていた(美)少年に気づかなかった―ハッとするとその、儚げな睫毛が動いたところで―  こんなところに、どうして?私、生きることに怖じ気づいちゃったの。僕には、あなたは不安よりも優しさに呑まれているように見えます―"優しさに呑まれる"という表現は稲妻となってこの胸を直撃したけれど私は、平静を装って「あなたこそ、こんなところをどうして?」と問いかけるや、物哀しく翳る少年の面、いきなり左手を(右手で)とられた私は心が少女になった少年はリアルに青年になっていて、きゅ〜っと胸が切なくなってもう、なにされてもいいって思って。  僕は―と少年に戻って手も離されていて―あなたみたいな人に逢いたくって「陽だまりの丘」からちょうど今、未来に向けて歩き出したところだったんです、どこまでも優しくって損ばかりして、それでときには自分の人生に立ち向かうことさえ忘れてしまうような、そんなセクシーな女性にね。あなたこそ、とても優しくって、それでその―と私は半ば無意識に半ば自覚的にもじもじとしてから―、なんというか、カッコいい男の子に見えちゃってたり、するんだよ?案外サラリとかわされた。でもその、サラリとかわす彼の視線に現れていた、丘から吹き下ってくる心地よいそよ風のようなトーンは少し遅れて、この胸をそこはかとない郷愁で満たしていた。私もかつて少女だった頃、オトナの視線をやはりませたようにかわしていたのだろうか。  さあ、戻りましょう。あなたが息をするべき大地へと―今度は私から彼の右手を掴んでいた。ぎゅっとぎゅっと掴んでいた。彼の胸なかに燃えさかっているだろう憧憬の焔に、明日の日々に幾万ものささやきを焚べてゆくことを、夢見ながら。 (私ほんとうに、旅立てない(泣))

2024-02-04

ゆらるらと、っていう表現、初めて拝見しました。日本語にしか出せない情感を最後に持ってくるのは、上手いですね。 それにしても、時の輪とは…なんだか不可思議な趣の作品です。いや、というか僕の理解力では分からなかったというのが正直なところで(汗)でも、"手を固く組み合わせ"と"仄かに光る"の対は、厳粛な気配を醸し出して余すところがないですね。 (命の森)

2024-02-02

先月辞めた職場での私が、まさにそんな感じでした(苦笑) >右にならえで >左を向き >左にならえで >右を向くのは >逃げだから 個人的には、ここがこの詩の肝かなあと。普通ならーという言い方は失礼かもしれませんがーこれ、自らの意志の作用だと思うところだと思うんです。そこで、単に逃げてるだけだと思ってしまう… それだけ、意志というものを抑えなくちゃならないくらいの、かなりしんどい苦境にあるということが伝わってくる、そんな重みのある作品でですね。 (怖いから)

2024-02-02

 「これは」ではなく「これらは」と表現されたところからすると、私の一連の"推薦文"をお読みになった上でのコメントかと察します。  A・O・Iさんの仰るように、筋道の立った明確で(おそらくは)論理的でもあるような、そんな批評文(推薦文)がB-REVIEW的に理想であることは事実だと思います。  とはいえ、色んなタイプの文章があった方が多様性があるとは言えると思うし、そしてまた、面白いのではないでしょうか。  もちろん、そこには一筋縄ではいかない問題はありそうです。ある程度の縛り(規範)を個々が意識して書くからこそ、いうなれば秩序は保たれるのであり、たとえば、批評と称しての感情の垂れ流しのようなことが許されるのであれば、実質「批評」と銘打たれている意味がなくなるかと思います。  おそらくA・O・Iさんは、私がそんな暗黙の規範から逸脱していると考えられているのかと存じます。しかし私は、少なくともこの作品に関しては、たしかに感想文的ではあるものの、その感想は詩作品の1つの核を成すテーマである「街」の周りをまわっているし、個人的な感慨が作品の内容を踏み越えておらず、そのかぎりにおいて、たとえば作品を踏み台にして私的なエッセイを書いている―などとは言えないと、そう思うのです。ただこの点については、「自分の魅力」なんかは、いま振り返ると相当に危ういと思いますが(苦笑)  本文の短かさ―言葉足らずな感じ―についてですが、実は私はまさに、サラリと書いて後は想像に任せる―そんなクールな(と、私は思うのですが笑)読後感を持つプチ批評的な文章(もっと上手い言い方がありそうです)が、なんというか1つの理想だったりするのです。ただこれも考えようによっては難しく、いわば軽く書き飛ばしたような推薦文を皆が書くようになったとき、B-REVIEWの風紀(?)はどうなるのか?という問題が出てこないともかぎらないかもしれません。ただ、そこのところは結局、運営の方々がどう判断されるかということになるのではないでしょうか。  長くなってしまいましたが、今回ご指摘いただいたことで、自分がけっこう危ういゾーンにいるということが自覚できました。ただ繰り返しになりますが、私としては、根本的に改めるというよりは、いわば記述の按配の調整をしていくというような心づもりでいたいと、今のところそう思っている次第です。ご指摘のほど、感謝いたします。 (街中の愛)

2024-01-27

批評で投票するにチェックを入れたら、5も投票したことになってしまった!(笑)花澤さん、驚かせてしまったら申し訳ないです(汗)まさかそんな仕組みだとは知らなかったもので…そもそもコメントにて投票していたからには、批評で投票にチェックすること自体がおかしかったのだと、そう反省している次第です。 (断絶の向こうへと)

2024-01-26

最初にプレゼントを欲しいという願いを表現しておいて、それを否定しての「あい」の希求。上手だなと思いました。 " つみみたいな あいだけは 捧げつづけたい夢だ " 何度も読み返したくなる表現ですね。もっと言うと、女性関係に悩んでいる僕は、実人生への勇気を貰った気がいたします(笑) (よるのくりすます)

2024-01-19

「僕」と「みんな」が鋭角的に対立している、そんな中2な感じが最高です♪そこから自然に彼女への想いへと繋がっていくところには、音楽的な美しさを感じました。それにしても、全体として筆致が自然で衒いがないですね。花澤さん、こんな詩も書かれるんだ…と、瑞々しい気持ちがいたしました。 (蛇雲)

2024-01-18

訂正です。やっぱり「本当の気持ち」という感覚は、絶対に必要だと思う。概ね本心だけどちょっと演技入ってるな、なんて、そんな捉え方は、やはりぬるい。少なくとも、なんであれ切実な表現をしようと思うなら、やはり本物感は不可欠。 (本当の自分)

2023-12-06

自分で書いたこの文章を、もうすぐ3週間になるいま振り返る。「甘え」と「祈り」という2つは相容れないのではないか。真摯に 祈るかぎりにおいて、甘えは排されるはず。そんな詩をこそ、書いていきたい。 (裸の自分)

2023-12-06

"あなたに似合う、心を持ちたい"という表現に、いたく共感いたしました。僕は恋愛の成就は叶いませんでしたが、切られてしまった彼女のような心を持ちたいと願う一心から、口ぶりまで彼女に似てきてしまう有り様です(汗)互いに高め合う愛。憧れます。 (涙のブレスレット)

2023-11-18

40歳になったら投票に行こうと思っていた自分が恥ずかしくなる、そんな真っ直ぐな作品でした。 それにしても、"せこいけどソファにかばんを置く"から政治の話に飛ぶところ、何度読んでも面白いです。繋がっていないようで繋がっている、といって、どう繋がっているかと問われれば答えられない、みたいな。絶妙なバランス感覚の下に書かれた作品だなと感じました。 (言いたいこと)

2023-11-18

末尾の表現は、改稿時に閃き、上手くまとめれた感じだなと思った表現なので、含意を汲み取ってくださりうれしいです。 本当にm.tasakiさんの仰るとおりで、少なくとも僕の場合、ずっと1人でいても、絶えずみなと交わっていても、ともに自分が何か惨めになってしまうんです。だからこそ、自分にとって最適なバランスを見つけなくちゃならない。 無関心という名の冷を、ある程度意識的に涼(≒放っておいてもらえることの心地よさ)としつつ、適宜暖を取りに行く(語らいに行く)必要がある。しかしまさにそのバランスが難しい。 "ひっそりと住まう"に僕は、孤独を基調とするそんな在り方において、まさしく孤独にふさわしい「自然な静けさ≒和やかさ」を保っていられるようにという、そんな願いを込めました。 (孤独に居直る(プチエッセイ))

2023-10-03

僕も1人好きなので、いたく共感させていただきました。なんというか、基本1人でいたいからいつも一緒は嫌だけれど、定期的に濃密な時間を人と過ごさなきゃやだ、寂しくっと仕方がなくなる、だから月1でガッツリ遊んでくれ、みたいな、ちょっと都合のいい感じですね、僕は(笑) 僕の作品群を肯定してくださり、嬉しいです。実は最近、「詩人たちの小部屋」にて書いてきた、いまは非公開の過去作を見直し、そしてそれらを(ほとんどが)「深掘りしているようでこじらせているだけの」作品群と総括して、もう自意識系の詩作からは離れよう―そう半ば決意したところだったんです。 でもそんな延長上で書いてきたここの作品群を改めて評価していただき、こじらせたものでも誰かに確かに届き得るのだ、ということに、しみじみと感じ入っている次第です。 今後は、やはり軽い作風を志向しつつも、書かざるを得ないほどの切迫を感じた折には、自意識にしかと向き合って掘っていく―そんな按配の下、詩作を続けていければと思います。 (孤独に居直る(プチエッセイ))

2023-10-03

ありがとうございます。僕はポエム的なものを書くことも多いですが、この作品はガチな詩として(やや肩肘張って)書いたものです。詩と見ていただき、うれしいです。 (少年の旅立ち 贈る言葉)

2023-10-02

1年ほど前に「詩人たちの小部屋」に投稿したものを改稿しました。 (孤独に居直る(プチエッセイ))

2023-10-02

う~ん……僕なんかは、演技こそが人間の本質だと思っているので、そもそも本当の自分/偽りの自分という対立が起きないですね。もしかしたらしふぉんさんは、大げさに演技してしまうのかもと、そんなことを思いました。淡々と演技している自分≒本当の自分。強いて言えば、そんな感じでしょうか。 ラストの表現は上手いなあと。しかしそれだけに哀しみがひしひしと伝わってくるようです。しふぉんさんが自然な自分を取り戻されること、祈らせていただきます。 (偽りピエロ)

2023-10-02

今回は、アップテンポな軽めの作風を目指したので、歌詞みたいと感じていただけてうれしいです。こんな作品を、また書いてみたいと思っています。 (静かに始まった僕らのroad)

2023-10-02

m.tasakiさんへの返信に書かせていただいたように、"Love"は本当に、この言葉を最後に置くためにすべてを書いてきたっていうくらい思い入れのある表現だったので、認めていただき本当うれしいです! 一気に書いたようなポエム(と表現するのがふさわしいでしょう笑)でありつつも、そのじつ小さな工夫を重ねながら書いた作品だったので、そこを評価していただいたき、労をねぎらっていただいたような気持ちになりました。 (静かに始まった僕らのroad)

2023-10-02

いやぁ、ちょっとなんかひっくり返りそうになったりしました(笑)っていうのはm.tasakiさんにご指摘いただいた3箇所すべて、ここは譲れないって魂込めて表現を選んだところだったから。 とくに"Love"は、最後にこの言葉を飾るためにすべてを書いてきたっていうくらい、いわば決めに行っている表現なので、あれれ?と(苦笑) 玉虫のようは、たしかにイメージが湧きにくい比喩な気もしましたが、雪に喩えるのなんかはありきたりだし、なにより、とにかく輝いている!ということを大げさに表現したかった。ベージュのところは、彼女のしとやかさと(臭いから連想される)色気の混ざり合った、そんな秋の豊かさを表現したつもりです。 でも、自分が会心の表現だと思っていても―あるいはそう思うほどに力を入れた表現だからこそ、かえって―人から見ればズレていると思われることがある―そのことを知る良い機会だったと思います。率直なご感想、感謝いたします。 (静かに始まった僕らのroad)

2023-10-02

「詩人たちの小部屋」に"はちみつ"名義で投稿した作品です。 (静かに始まった僕らのroad)

2023-10-01

僕はおそらく、ビーレビの中ではもっとも読書経験が少ない部類の人間だと思うのですが、その数少ない読書体験の多くを占めているのは、たしかにアメリカ文学だったりします。 そうして読んできた中で印象的なものの1つに、簡潔ながらも瑞々しく広がりのある風景描写があります。そこに僕は、大げさかもしれませんが、音楽的なものと絵画的(あるいは映像的)なものの融合を思い、文章というものの1つの理想を見た思いがしたのです。 ちょうどそうした小説を読み直していた時期に書いたこの自作を、いま振り返ると、しかし、簡潔にまとめるということに関してはかなり巧くできている(もしかしたら今はもうこんな詩は書けないかも)ものの、瑞々しさも広がりも、全然足りていないように思います。 でも"私も外に出たくなりました!"と田中さんにおっしゃっていただき、瑞々しさや広がりの、その一端を伝えることはできたろう。だとしたら、やはりここに発表したことは良かったのだ―そんな風に、いま僕は思っているところです。 (少年の旅立ち 贈る言葉)

2023-09-28

深く含意を読み込んでいただき、感謝いたします。この作品を書いたのは一年半ほど前ということになりますが、今回ここに投稿するにあたって、書いている折のことを昨日のことのように思い出しました。 m.tasakiさんがおっしゃられるように、僕の胸には一貫して、輝きに満ちた旅立ちという日すらも歳月の中に埋もれていってしまい、思い出されることすらなくなってしまう―そんな現実に対する寂しさ―もっと言えば哀しさ―がありました。 だからこそ、"でも忘れないでほしい"と、この先の人生において折に触れて思い出すことを勧めるという、やや説教臭くもある内容になったのだと思います。 そうして思い出すことによって、大きくなった少年は、旅立ち当時の"ざらつき≒希望や緊張がひしめき合っている気持ち"を思い出し、そしてまた、そうして歩んできた日々がもはや過去のものでしかない哀しみに打たれる。しかしそうして切実な過去と、自分と再会するからこそ、また新たに人生を再開したいと思う―この作品で僕はそんな、けして戻ることのできない切実な過去に触発されることの、その哀しみゆえの希望を描き出そうと思ったのです。 (少年の旅立ち 贈る言葉)

2023-09-27

2022年2月13日に「詩人たちの小部屋」に投稿したもの(いまは非公開)を、一部改稿。 (少年の旅立ち 贈る言葉)

2023-09-26

"大事な想意を 伝えたいけど"―から、"みんなには"への転換から、れさんの諦念がしみじみと伝わってくるようです。 れさん自身が上手く行っていないからこそ、その大切さが身に染みるということでしょう。 意中の人に想いを伝えたくて、叶わない―そんな哀しみをオブラートに包んだ詩と、僕は読ませていただきました。 (れ)

2023-09-26

贅沢・無責任ですいません―から始まる計3行の"〜すいません"に、胸が痛みます。 そんなに謝ることないのに、と思うのですが、それはしかし第三者だからで、そんな風に謝り倒さずにはいられないほどの後悔がヒノネリホさんにはあるのだろうと、そのことが、何があったと書かれていないだけに、かえって伝わってきます。 生きるって結局、絶え間ない舵取りのようなものだと思うんですが、その技術というか勘所みたいなものがパッと掴める、そんな時期があるように思います。 ヒノネリホさんはもしかすると、いまを乗り越えることができたならばその後はグッとスムーズに航海してゆける―そんな大切な学びの時期にいらっしゃるのかもしれません。 "本当はもっと笑えるんです"以後の5行に、希望の光がほの見えています。 (不適合な私)

2023-09-26

久方ぶりに焼きそば、食べたくなりました!(笑)お母さまの作られる焼きそば、貧相と謙遜されていますが、健康のためめっきり味気ないものばかり食べている僕からすれば豪華に映りました―"ソース色の麺"、"深緑のアオサ"、"油にまみれてウスターソースを弾いていた"、"マヨネーズは細く網目状に描いて"… コップ一杯の水が どんなに美味かったことか このラストもいいですね。考えてみれば、焼きそばほど水が合う料理って、あとはカレーくらいじゃないかな。焼きそばと水はカップルのように相性が良い…意識すらしていなかったことを思い出させていただきました。 (焼きそば)

2023-09-26

草原に雨ざらし技ありのあやかしにまやかし ここが1番好きです! 僕の力量では正直理解し切れなかったのですが、詩の音楽的側面が存分に発揮された詩だと思いましたし、自分も一層意識して詩を書いていきたいと、そう思いました。 (雨乞い集)

2023-09-25

私の気持ちがわがままなのかな―この表現に、胸を掴まれました。 そのラストまで、平易な表現で一気に持っていくスピード感。電光石火のようです。 (想い人)

2023-09-25

固まってしまうので、少なくとも飛んでいる爽快感はないのではと思いました。 そんな僕も小さい時分は、空中で止まれるんじゃないかと、ジャンプしては手をばたつかせることを繰り返していたことがありますが(苦笑) (無題)

2023-09-25

彼氏さんは、おそらくマイペースな方なんだと、そう思いました。極端な話、四六時中、相手の一挙手一投足に反応してたら身は持たないと思うのです。彼氏さんはもしかすると、相手に合わせる時間をそこまで多く持てない人なのかもしれません。人により、愛のカタチは変わる―そんなことを思わせていただきました。 (想い人2)

2023-09-25

引っかかる事もある 沈む事もある しかしその船は揺蕩えども沈まず やがて目指す海に着く この箇所がとくに良かったです。どんな旅路になれども、結局行き着くべきところに行き着くのだ、という、力強い信念が、簡潔に喩えられている。上手いなぁと思いました。 似たような内容を、角度を少しずつ変えるように書く技法も、なんだか重ね塗りみたいで面白かったです。 (川)

2023-09-25

自分が相手を想うほどに、相手は自分を想ってくれない… 自分が近い状況にいるので、しみじみと感じるものがありました。 靴の確認から話を拡げていく語り方、上手いなぁと思います。 (黄春)

2023-09-25

絶望や嫉妬すらも栄養にしてしまえるのはすごいなと、素直に思います。僕は嫌なニュースが目に飛び込んでくるのが嫌で、世間で何が起こっているのかさっぱり分からない有り様です(苦笑)岸田首相の就任を知らず母に笑われたことをきっかけに、政治ニュースだけは見るようになりましたが。 (グットモーニング)

2023-09-25

ドロドロした感情の沼に足を取られることのないライカさんだからこそ、人を真っ直ぐに見つめることができる―そんな側面があるのではないでしょうか。 僕は女流に恋愛感情は抱きますが、若いときは人格よりも見た目にどうしても引きずられてしまっていました。37にもなって、ようやく最近、なにより人格を尊ぶという癖を身につけつつあるなと思っている有り様です。 ライカさんの歳はご存知ありませんが、ライカさんのような方は、若い時分から純粋に人を見抜く訓練を続けているようなもの。そこに羨ましさを感じましたね。 (恋とは)

2023-09-25

錆取りスプレー、粗目のサンドペーパーという乾いた道具立てから、しとやかさの極みのような"愛の灯"に繋ぐ構成、憎いなぁと思いました。 あなたの跡だけが僕の心に刻まれる、というラストは、何か哀しい余韻がありますね。 (愛の鋳造)

2023-09-25

めっちゃ切なかった… 笑い声も仕草も忘れてしまったけど 君と過ごした場所には記憶としての霊が住んでいるんだ…なかなか出てこない表現だと思います。一票! (地縛霊)

2023-09-25

夜に浮かぶ月の窓からこの世界を抜け出してやるんだ… いいですね、裏をかきつつも堂々として華麗な、この感じ。 最後に、…そんな青臭い夢を見ていられる〜と、突き放した客観視をすることで、作品全体が引き締まっているように思います。 (金魚鉢にて)

2023-09-25

大河の一滴という喩えが効いていますね。川の流れという他力がなければ生きることはできないし、みなと一緒に海へと向かうところも、作品全体の主張と合致している。見事な集約だと思いました。 (生きる)

2023-09-25

個人的な告白から世界や戦争の話に繋がっていく、その流れがとてもスムーズで、あっ、こんな繋げ方あったんだと、目から鱗でした。 文章も、実直な人柄が伝わってきて良かった。福まるさん、に素敵な恋人ができますように! (40歳)

2023-09-25

少し分かりにくいラストシーンになってしまいましたが、"夜空へと静かに昇ってゆくことさえ、分かるなら"という箇所は、つまりはみなの幸福を願っているのだととっていただきたいです。 だからこそ、反照的に、(彼女のいない)自らの孤独、さみしさが、そっとこの身に染みる―そんな感じです。 しかしそれはあくまで幸福の中でのさみしさなので、あの日の彼女「厳かな哀しみを纏った孤独」とはほど遠いのです。 (あの日のイエローガーデン)

2023-09-24

各々の想像のあいだに論理的な繋がりはないように見えるのに、しかしそれらが集まることで、たしかな1つのトーンが現れている―そんな印象を持ちました。不思議ながらも胸にじんわり染みてくる、そんな作品でした。 (想像)

2023-09-24

誤解のないように付け加えさせていただきます。田中さんへの返信で、〈僕〉には彼女に対する申し訳なさがあると書きましたが、少し言葉足らずでした。 これは詩中で、執拗に彼女の哀しみの正体を見極めようとする、そんな不可解な衝動に取り憑かれた〈僕〉の胸中に、いわば(感情の)論理必然的に、憧憬と同時に、彼女に対する申し訳なさ―仄かな憐れみと言ってもいい―の存在もまた要請される―そんな意味合いのつもりでした。つまり、憧れと申し訳なさは、どちらがより根本かと特定はできないと感じるので、根本動機という表現は誤りでした。申し訳なかったです。 それにしても、田中さんに申し訳なさという観点を示唆していただいたおかげで、自作がより陰影豊かなものに見えてきました。心より感謝いたします。 (あの日のイエローガーデン)

2023-09-19

深いところまで読み解いてくださり、ありがとうございます。 恥ずかしながら、田中さんに言われて初めて気づいたのですが、たしかに〈僕〉の中には、彼女に対してどこか申し訳ないという感情があるような気がします。 僕は〈僕〉の、彼女の高貴な哀しみに手を伸ばしても届かない、その悔しさにこそフォーカスしましたが、その根本動機は?と探ってゆくと、彼女を差し置いて自分だけが幸福だった「あの日」の〈僕〉の胸中に兆していたであろう、「どこか申し訳ないという気持ち」に行き当たるだろうことに、気づくことができました。 その申し訳なさを背負いながら、〈僕〉はこれからも生きていくのでしょうが、それはやがて、彼女1人だけの問題ではなくなってくるのではないか。つまり、申し訳なさが、あまたの人々へと拡充されるのではないか。 人は特定の人との関わりを通してこそ、いわば人類規模の視座へと開かれる―そんな尊い逆説に、思いを馳せています。 (あの日のイエローガーデン)

2023-09-19

精神科医の斎藤環さんが、佐藤優さんとの対談本で、人には「満たされない欲望を持ちたいという欲望」があるのだと、そうおっしゃっていました。 それはつまるところ、ときに生ぬるいようでもある(詩中では"微睡み"と表現しました)幸福に、満足し切ってたまるものかという、そんな反骨心のような心情を指しているのだと、そう僕は理解したのですが、それは僕にはこのうえなく身に染みる心情で、自分のことを言ってくださっていると思ったものです。この作品には、そんな僕の「満たされなさ」のありったけをぶつけたつもりです。 たしかに幸福の最中でも、ふとした折に哀しみを感じるたことはあるでしょう。しかしそれは「ホンモノの哀しみ」なのか。そうではないという認識の下、この作品を書いたわけですが、単純な真偽の対立に押し込めているという批判もあり得るところでしょう。だからこそ、"水と油のような気がしてこの詩を引き締めている"とのエイクピアさんの感想は、とても励みになるものでした。 (あの日のイエローガーデン)

2023-09-19

この詩は本当に、自分にとって思い入れのある作品になりました。それだけに、m.tasakiさんから心のこもった感想をいただき、心よりうれしく思います。 否定を重ねる表現については、そうとしか表現できないというような、いわば超越的な存在感を出すために採択したつもりです。考えてみれば、仏教にも超越が関わっていますよね。 詩中ではもちろん、女流詩人が超越的存在なわけですが、この女流詩人には、そのものズバリ女流詩人のモデルさんがいます(笑)アマチュアの方ですが、僕は彼女の描く詩の世界の抒情性に惹かれつつも、その感性にけして届くことはないだろうという諦念も、また抱いています。そんな彼女への憧れと諦念を、1つの詩として結晶させたいと願い、僕はこの作品を書きました。僕なりにやれることはやった―いまは、そんな達成感を覚えているところです。 しかし、m.tasakiさんも提案してくださっているように、面白みのある想像的な描写を挿入するといったことは、今回はできませんでした。切実なものと遊び心を融合させたような、そんな闊達な詩的世界を描けるよう、頑張りたいと思います。 (あの日のイエローガーデン)

2023-09-18

そう言っていただき嬉しいです。 ただ僕としては、ちょっと安易な構成に逃げてしまったかな?という思いもあったり(汗) 奇をてらうのも、安直なのも、なにか違うということになる。結局はバランスということになるのでしょうか。しかし、まさにそれこそが難しい… 構成という部分に、これからも意識を向け続けたいと思います。 (《夢の情景》)

2023-09-18

的確な論評に感謝いたします。うっすらとした哀しみに覆われた、そんな詩を目指して書いたので、まさにその部分を評価してくださり嬉しいです。 「明日の日々が広大な空間のように拡がってゆくその瞬間にこそ、祈りたい。」に関しましては、前者のつもりで書きましたが、m.tasakiさんにご指摘いただき、考えてみれば後者のようでもあるなと思ってきました(笑) 心理には、どちらが先でどちらが後なのか分からなくなることがよくありますが、これもそのような例の一つなのかなと。ただいずれにせよ、空間のように瑞々しく(と、付け足しても良かったかもしれない)拡がってゆくその感覚を強調し、以下の空、海の描写に繋げるという意図のものなので、あるいはどちらでも良いのかもしれないと、僕としては思いました。 それにしても、感傷的な詩は古臭いと思われる傾向にあるのだと、初めて知りました(笑)。 しかし僕が書きたいのはまさにそんな詩なので、変わることなく追求していければと思います。 (《夢の情景》)

2023-09-18

「旅先に晩夏は滴って鳴り 安全な車窓から少女となって心の網に あの永遠の憧れの綿菓子の雲を捕まえる遊びだ」 詩をしたためる際の遊び心が瑞々しく捉えられていると思いました。 車窓って本当に、色んな想念が溢れてくる感覚があり、いたく共感いたしました。考えてみれば詩作にこのうえなく向いてそうだと、気づかされました。 "晩夏が滴って鳴り"という表現が、特に胸に響きます。季節という大きなものが、小さく、しかしやはり存在感をもって迫って来るその様子が、美しく表現されていると感じました。おおらか且つ繊細な情、と言いますか。 そしてそれは湖湖さんの詩そのものにも言える、そんな気がいたします。 (京都行)

2023-09-18

詩として読んでいただけたこと、大変光栄に思います。ラスト部分では渾身の力を込めて(やや込めすぎたでしょうか笑)詩的な描写に注力したので、そこら辺がyamabitoさんに伝わったのかなと思います。 冒頭の部分の指摘、目から鱗でした。というのは僕、まったく逆に、ツカミだからこそ淡々としたなんでもないような表現でいいだろうと、はなから漠然とそう思っていたのです…冒頭だからこそ、むしろ研ぎ澄ましたような表現がふさわしい場合が多々あるだろうこと、そのことを肝に命じたいと思いましたし、他の方の作品を読む折も、そこに着目していくようにしたいですね。 「非常に繊細」、「やわらかい感情の起伏を、技巧的にあらわしている」との評価、飛び上がるくらいにうれしかったです!(笑)そこら辺に、すべてを賭けるようにして書き上げた作品なので… 少し掘り下げてしまうとのご指摘については、いま読み返していて、ほんとうその通りだよなぁと、半ばため息をつきながら頷いております。詩的なものをより鮮烈に浮かび上がらせるためにも、余分なものは排して、本質的な言葉だけを敷き詰める技術を、是が非でも獲得したいと願います。 そのための絶え間ぬ研鑽を、今日からまた新たな気持ちで始めようーそんな希望に満ちた早朝となりました。 (母と座禅と雨音と、好きだった彼女)

2023-08-21

「書いている思考」と言われ、なんだか目が覚めたような、そんな気がします(笑)。つまり僕は、彼女との幻想に浸り切っていて、それをただただ美的に表現できていると思い込んでいた。 もっと言うと、なんだかその部分(あらためて座り直す以降ラストまで)が浮いている。"待ってました、さあ、山場です!"ーそんな風に肩肘張っている感があって、どことなく不自然な感じがしてきた。 そして思ったのは、あっ、これは、もっと文量のあるしっかりとした小説のラストにこそ飾られるべき文章なんじゃないのかな、ということ。つまり最後のための、いわば「お膳立て」は、やはりこれだけのショートショートでは無理なのではないか… 考えさせられることの多いご指摘、心より感謝いたします。発想に筆力を伴わせることのできるよう、努力を続けていきますね。 (母と座禅と雨音と、好きだった彼女)

2023-08-20

「夢中人」、見させていただきました。なんというのでしょう、ごく狭い日常を色んな角度から執拗に追っついる感じが、まったりとしたーあるいはモヤモヤとしたー独自の雰囲気を出していると、そう思いました。ときどき入るぼかしも独特の効果を生み、日常こそが実は幻想的なものなのだと、そんな主張をしているようにも見えました。紙飛行機のシーン、良かった! ご覧の通り、厳しいご指摘が多い中で、手放しでお褒めいただいているかのようなatsuchan69さんのコメントはうれしかったですし、なにより勇気づけられましたね。 ドラマのような恋愛に時に人は憧れるものですが、何気ない些細なもの、それこそふとした仕草や声色のトーンだとか、そういったもののなかにこそ、恋愛というものの滋味は詰まっている―そう僕は考えています。 退屈に見えてそのじつ切実きわまりない、そういった者たちを掬うような、そんな、表現を追い求めていきたいですね。 (母と座禅と雨音と、好きだった彼女)

2023-08-20

文末の()の中を読んで、言われてしまった!と思いました(苦笑) 僕は作中で文末に、「"あくまでこの胸のうちに留めておかないとなぁ"と、僕は笑った」と書きました。これはつまり、自らの「危うさ」をメタ的に自覚していることの証左であり、それをもって、僕は作品を「ストーカー(的)小説」ではないと、当然のように見なしていたのですが…そのように意味深に?言われてしまったという事実は、しかし作品が思った以上に危うく、「きわどい」ラインに位置している、その傍証なのかもしれない。 女性への気持ちを綴り第三者に見せるということそのものの困難、みたいなことを思いました。まして今作は、拒絶された女性に対しているということで、尚更です。あるいは、そのことこそが決定的なのかもしれません。 相手への気持ちを美的に綴れば綴るほどに、そうした描写それ自体が、ほかでもない「僕」の危うさの証明にもなってしまうという、そんなどうしようもないジレンマがあるように思います。そこを回避するための鍵は、やはり技巧ということになるのでしょうか。僕としてはできることはやったので、致し方なかったというのが正直なところです。 いずれにせよ、恋愛感情というものを主題に添えるということの孕む、危うさ、あるいは滑稽さといったものについて、しっかりと考えていかないとなぁと、そう思わせていただいた次第です。 最後の文章お褒めいただき、本当にうれしいです。最後まで書き直し続け、当日閃いた文章だっただけに、まさにそこを褒めいただき、感無量です! (母と座禅と雨音と、好きだった彼女)

2023-08-20

いや〜、お恥ずかしい(苦笑)人気関係って…いや、これでも3回は見直したはずなんですけど…校正者適正、0ですな(笑) そうなんです、本当によくあるんです、そういうこと(欲求へと走ってしまうこと)!僕も毎朝1時間の瞑想を始めて、この8月でちょうど4年になります。ただ、雑念をまったく浮かべないようにするのではなく、あくまで流れるに任せている感じなので、座禅とは書きましたが、実質田中さんと同じくマインドフルネスだと思っています。諸々の対象と心理的距離を取りつつ、捉われないよう、ある程度意識的にどんどん対象を変えていく努力を、時間中絶えず続けている、そんな感じですね。 しかし!です。しかし、まさに田中さんの言われるように、そうした渦中に、思わず没入してしまい、そうして欲求に走ってしまう(そういう想像をしてしまう)ということがある。 それはなぜかと考えた折に、やはり瞑想中は神経が研ぎ澄まされるということが大きいように思うんです。特に僕の場合、女性関連のイメージが浮かぶとそれに捉えられ、浸り切ってしまうことが多いですね(笑)あるいは男のほとんどはそうかもしれないですが、それはやはり女性的なイメージがそれだけ切実だってことでしょう。 でも、僕はそんなときはそんなときで、その時間を大切にするようにしています。物思いと変わらないどころか欲望メラメラじゃないかと言われそうですが、僕に言わせれば、それはいわば「深い」体験だと思うんです。少なくとも普通の意識状態で、あの子いいな〜と漠然と思っているときなんかとは、明らかに感情の質が違っているのが分かる。 とはいえ、そんないわばプチ変性意識状態に拘ってしまうと、それこそ「僕」ではないですが、人生が変だったり危うかったりする方角へと向かっていってしまいそうなんで、ほどほどに、という感じですが(汗)。 すいません、瞑想の話、長くなりました。作品ですが、やはり散文詩とはいえないですよね(笑)ただ、「小説を縮める」ということをテーマとして掲げていた僕としては、細かい手入れを繰り返し4、5日かけて完成させた思い入れのある作品となりました。でもだからこそ、しばらくは小説はいいかなという気分でいます。 というわけで、次作こそは本腰を入れて散文詩にチャレンジしてみたいーそう思うのですがしかし、どうのこうので技巧を持たぬ僕はまた、いかにも小説的な作品を書いてしまうのではないかという思いもあり(笑)とりあえず、ポエジーということを、なによりの肝と考えて"作詩"してみたいと思っているので、温かく見守っていただければと思います。 いつもお読みいただき、ありがとうございます! (母と座禅と雨音と、好きだった彼女)

2023-08-20

ご指摘、ご丁寧にありがとうございます! 当方、ネットのシステム的なものには無知蒙昧も同然で、サーバートラブルがあったことも知っていた(現に何回もアクセスして入れなかった)にもかかわらず、ーなんということでしょうーサーバートラブルによってコメントが消えたかもしれないという、その可能性を、露とも疑っておりませんでした(汗) 学習させていただいたこと、感謝いたします。そして、運営の方々の悪評に繋がりかねない発言をしてしまったこと、大変申し訳なく思います。 (氷の少女)

2023-08-19

きみっていう時点で、当然のように女性を想像していた僕は、最後に"彼"と出てきて、男だったのか!と驚かされました(笑) 正直僕には難しく、この作品に込めれている含意を汲むことはできませんでしたが、密やかな落書きのようなものにこそ真実が宿るという感覚は、なんとなく分かる気がします。恋人に真実を探すという感覚は、もっと(笑) (マッキー)

2023-08-19

「美しく蒼い蝶が 羽ばたき出す」 という冒頭の表現が、何気ないようでいて、この作品の肝なのかなと思いました。恋は始まりを告げる鐘の音のようなものに促されて始まったのではなく、ほかでもなく2人の胸の、その密やかな静けさの 只中でこそ始まったのだということ、それがごく短く、美しく表現されているー僕はそう読みました。 ただ、それだけに、その後に続く表現には、少しありきたりなものを感じてしまったことも事実です。冒頭の神秘的なイメージを、もっと追求しても良かったのではと、そう思いました。 (ブルーモルフォ)

2023-08-19

ただただ美しいです。 「決して忘れてはならない 寂寥に埋もれた心の色」 という、最後にそっと置かれたような、静的で美しいイメージが、印象的な絵画のようにして、この胸に迫ってきます。 それにしても、 「ことばとは けっして言葉にできない思いが ここにあると指すものだと」 この箇所にはハッとさせられました。それくらい真摯に、語り手の思いに向き合っているか?と襟元を正されるような思いがいたします。これはまた、言葉を読むときだけの話ではなく、言葉を紡ぐときにも当てはまるのでしょう。しかしまずは、人の書いたものをしっかり読むということを、あらためて意識したいと、そう思いました。 (哀しみの眼で詩を読む)

2023-08-19

「いちいち大袈裟に振る舞えば自分が壊れる」 思わずうなずきながら読みました。これ、本当ですよね。いわゆる演技をした後なんか、なんだか自分が自分でなくなってしまうような、そんな気味悪さを感じます。1人になって落ち着いて、あのときのおれ、何だったんだ?と、呆気にとられること、多いです。 しかし、そんな事実から、はんなさんの主張とは逆の主張を導けるように思うのです。 はんなさんは、演技をしている陽キャこそが実は心の暗い陰キャなのだと、そう転覆を試みられるわけですが、僕は逆にこう思いました。 陽キャは、自分というものが簡単には壊れない(アイデンティティが拡散しない)からこそ、そんな風に演技し続けていくことができるのだ、と。 あんな風にノリノリで生きてよく疲れないよなと、心から感嘆している陰キャ(あまり自称したくはないですが)な僕です。 (陰キャとは何か。)

2023-08-19

退廃的な欲望をひしひしと感じました。こういう、いわゆる堕ちてゆく欲望っていうんでしょうか、ありますよね。過食なんかも近いとは思いますが、やはり性愛においてこそ純粋な?形で現れるという、不思議。 それにしても、「死にたいくらい愛おしいところが100あったら、殺したいくらい憎いところも100あるのが正しい愛の形」というセリフにはドキッとさせられました。ここには、"愛憎"という言葉を何気なく使っているみなが見て見ぬふりをしてしまっている、そんな真実の一端があるように思います。自分が相手を憎んでいることを自覚できていない状態は、けっこう危険な状態と言えるのではないか。その点、憎しみとは、親しいものとのあいだでこそ燃え上る、そのことを自覚している「僕」は、少なくとも彼女に対する振る舞いにおいては逆に常識的なのかなと、そんなことを思いました。 「蜜蜘蛛」という表現は初めて聞きましたが、そんな、けして"まっさらな愛"だけは駆動し得ない性愛というものの陰影を、上手く捉えていると感じました。 (蜜蜘蛛)

2023-08-19

ありがとうございます。そう言っていただけると、書いた甲斐があるというものです。 先にいるのに横にいるような、というのは鋭い指摘だなと思いました。先に先にと歩いていく彼女を見ている僕はしかし、そんな彼女をある意味で横にいるとき以上に身近に感じている。つまり遠のけば遠のくほどに、逆にかえって近くなってゆく…そうして意識していたわけではなかったのですが、ご指摘いただいたことで、結果として、そんな心の機微を書くことができたのかなと思えました。それがラストの、彼女が手を振る場面で極まるーそんな感じですね。 実際、遠くに行ってしまったいまこそ、彼女をひしひしと感じている僕です(笑) (過去に戻って桜坂を、あなたと)

2023-08-19

なるほど、そうお読みになったのですね。あくまでお姉ちゃんのような彼女、という感覚で書いたのですが、考えてみればコーリャさんのような読みも、普通にできる。 朗読したら映えそうとの評、うれしかったです。そこら辺が山場だと思って書いたので。彼女は実に、サバサバした姉御肌の女性でした。 (過去に戻って桜坂を、あなたと)

2023-08-19

「人が通り過ぎ訳の分からない笑みを浮かべ 僕も笑顔で返したけど 何かいつも道化になって」 この箇所、いたく共感いたしました。そうなんですよね、笑みってほんとう、訳わからないときが多い。笑顔をつくると言いますが、どうもほとんどの笑みは、意識的にではなくとも、ほとんど無意識にであれ、やはり作られたものだと僕は思うのです。そしてそこに過剰に反応してしまうと、それこそ道化になってしまうのでしょう。 だからこそ人と離れることで、人は自分を取り戻し得る。1人の時間を大切にし始めた「僕」は、もう半分自分を見つけたようなものなのかもしれないと、ふと思いました。 もちろん、そうして自分を見つめたら、また人々の方角へと歩いてゆかなければならないわけですが。 もしかすると、人生というのはその果てなき繰り返しなのかもしれないーそんなことを、この作品を読んで考えさせていただきました。 (深い森の中で)

2023-08-18

衒いなく書かれているだけに、胸に響くものがありました。 「少しずつで良いから」との助言は、理にかなっていると思います。逆に急激に良くなったりするのは、むしろ悪化の前触れのことが多いと聞いたことがあるので。 やはり、現実の女性について詠まれたのでしょうか?少しでも、彼女が元気になられますように。 (きみへの手紙)

2023-08-18

めっちゃ良かったです! 「露店のならぶ賑わいと傍らの闇」 というところ、着眼が鋭いと思いました。祭りって賑やかなだけに、逆に妙に暗いところが気になったりするんですよね。 そこからは映画のような展開で引き込まれ、こちらもドキドキしました(笑) しかしドキドキしたのはもっと理由があり、お姉ちゃんとそんなことやっちゃっていいの?と思ったからです。すいません僕が読めてないだけかもしれない(汗)あるいは姉のような彼女、ということなのでしょうか? 花火とともに露になるカラダというところが、最大の山場でしょうか。なんだか現実以上に現実的といいますか、軽く酔ったような感じになりました(笑) (野郎どもの夏)

2023-08-18

一流パティシエの作った気品ある一切れのケーキ…たとえるなら、そんな趣を、僕はこの作品に感じました。 あり余る情念のほとばしっているこの詩には、やはり濃厚なチョコレートケーキがふさわしいでしょうか。 「紺碧はわたしを蒼く染め、そして果てしない蘆の草原で」 「あなたとわたしははるかに続く欲望の浜辺にいた」 等、壮麗なものを感じる表現は素晴らしいと思いましたが、それだけに、 「冬の静寂があなたの息を白くしていた」 「空間の先に光はあなたの姿を肉体の影のように語る」 といった、消え入りそうに繊細な感覚の描写が、グッと胸に迫ってきます。 何度も読み返したい、完成された美しい詩だと、そう心から思いました。 (ダフネーの琥珀色の瞳)

2023-08-18

とても印象的な夢で、何かが始まる予感があります。しかしそれが予感のままで終わってしまっているところが、惜しいと思いました。 たとえば波音を拾い集めるといっても、現実的にはあっという間に溢れてしまいます。にもかかわらず一定時間集めつづけていたかのようなのには、何か夢特有の加工がなされていたのでしょうか?そういった部分を肉付けしていったら、しっかりとした作品になるのではないかと思いました。 (ある朝に見た夢)

2023-08-18

「街は綺麗なばかりではないけれど 欠片を繋げ 過去を象る」 この3行が印象的でした。 浮かび上がった街が、現在というよりは過去を表しているということ。それは見る者がある種の郷愁を抱いているからでしょうか。 街を彷徨うように生きていた20代の頃を思い出しました。 (バタフライブルー)

2023-08-18

「月日が経っても錆びないの」と言い切れるの、すごいと思いました。淡いものは儚く消え去ってゆくーそんな通念の逆を行く発想に、ハッとさせられました。 足跡はたしかに残ってゆく。"淡い心"をしかと抱きながら、私は歩いてゆくのだーそんな力強い決意が感じられます。勇気をもらいました。 (淡いの)

2023-08-18

「空の映し身を汲み」という表現が美しくて、いつまでも胸に残りそうです。広大な空と娘たちが等置されたような、対称的な美しさとでもいうべきものを感じました。 「女神の嫉妬に負けたのか」にも、クスッと笑わせてもらいました。物哀しい雰囲気の中、快いアクセントとして響いてきました。 (娘たちへ)

2023-08-18

月のように、神々しいまでの存在感をした女性に宛てた詩だと、僕は読ませてもらいました。 語り手にとっては、何百年も地球(世間)のことを見つめ悟っている風な、そんな神秘的なものを漂わせた女性、というわけです。 彼女は語り手のあたかも母のように、語り手に干渉してくるのでしょうか?ここではそうではなく、たとえばふとした折になぜか遭うとか、そんな関係性をイメージしました。 生きることに若干飽きたという語り手の心も、また見透かし、そして包み込むーそんな母性的な雰囲気がロマンチックです。 (ムーン Moon)

2023-08-18

長めの返信をさせていただいたのですが、今朝見ると削除されていました。もうお読みになられたなら申し訳ないのですが、あらためて、感謝の意を伝えさせていただきます。不快な思いをされながらも真摯にアドバイスまでしていただき、本当に感謝しております。 (氷の少女)

2023-08-18

常々、「詩的な小説」を引き写したかのような詩が書きたいと思っていましたが、「小説の劣化としての散文詩」というフレーズを見て、ハッとさせられました。僕はそれこそ、"そのまま"引き写そうとしていたのかもしれない。少なくとも、"小説にないもの"を加えようとしていたかというと、していなかったというほかない。 感覚としては、"縮めること"において技量―絵画的なものも映像的なものも含めて―というものは発揮されるのであり、そしてそうして文になった作品は(当然)一定の評価を受けるに値するだろう―そんな認識の上に、僕はそれこそ胡座をかいていたのかもしれない…… 考えさせられることの多いご指摘、感謝致します。しかしながら、制限がかかってしまい投稿できずにいる次作の(やはり)散文詩は、さらに飛躍が少なく、逆に丁寧さをガチガチに追求した固い作品になってしまっている僕です(笑) (氷の少女)

2023-08-16

そこら辺の文体は、いわば胸から自然に出てくるものという感じでしょうか。それこそ、ほとんど無意識に書いているというのが正直なところです。日常でもちょくちょく使うのですが、回りくどいなどと言われることがあり、また相手が焦れったそうにしているのが分かるので、かかる癖(というのが適当なのでしょう)には抑制をかけている日々です(笑) 「貧しいのね」というセリフは、優越感込みでしか女性を愛せない(かのような)「僕」への非難として「彼女」に語らせたものですが、それはしかし、最後の方にポツリと置かれることで、いわば意味深なメッセージとして機能してしまったようなところがあるように思います。実質はとくに大したものでないにも関わらず、です。その意味では、悪い意味で誘惑的であるとして退けられるべき表現だったのかもしれませんが、そこは僕の、普段から漠然と、感性における豊かさ(貧しさ)とは何かを考えている僕の、それこそ無意識的なものが出たのかなぁと、そう思う次第です。 それにしても奥さんに、「綺麗」「巧すぎる」とまで言っていただいたのですね。小躍りして悦んでいるとお伝えください(笑) (氷の少女)

2023-08-16

この作品は、ずーっとSでいきながら、その実Mだった!?と最後でひっくり返すところが肝だと、自分では思っています。SのようなMという。 ただ自分でも、正直病的だとは思っていて、実際彼女が付き合ってくれても上手く行かないという予感があるんです(笑)ベタな発想かもしれませんが、やはり対等に近い関係でないと、少なくとも長続きはしないでしょうね。 ただ、そんなある種の女性より上でいたいという感情も、自分というものを形作るたしかな特質の1つではあると思うので、それを表現できた(と思っています)ことについては良かったですし、満足していますね。 (氷の少女)

2023-08-16

いつかは詩的な短編小説を書きたいという夢があるのですが(いつになることやら笑)、僕はそれこそ筋を展開させるための技量を持っておらず、それゆえ内面で完結させるしかない、というのが正直なところなんです。 しかしその一方で、内面や、それこそ夢の世界に、明瞭な筋書きなどいらないだろうという開き直りもあります。そんな僕にとり、「これはこれで1つの作品」との評はうれしいものでした。 (氷の少女)

2023-08-16

ありがとうございます!ここに投稿を始めて以来、初めてポイントを入れていただいたことになります。 しかし、前衛が0という部分に着目しないわけにはいきません(笑)他が100が四つ、80が一つとすごい得点を入れていただいているだけに、尚更です。 もしかすると、何も新しいものはない、という評価なのかなと、そう思わせていただきました。僕自身、紋切り型を組み合わせることで作品を作ったという自覚があります。「斬新な表現」や「意外な着眼点」といった部分については、それこそ中学生にも負けてしまうほどの実力だと思っているので、そこら辺についても伸ばしていけるよう、精進したいですね。 (氷の少女)

2023-08-16

poemplay29さんの意図したところとは違うかもしれず、そうだとすれば申し訳ないのですが、僕はこの作品を読み、いい歳した大人が詩作に夢見ることの痛々しさが、そこはかとなく漂っている―そんな印象を抱きました。そもそもとして詩作というものには、ある種、自分の裸を見せること以上の恥ずかしさがあると、そう思っています。ではなぜそんな詩作という営為に、僕(たち)は興じるのかというと、やはりその根底に、他者に"限りなくほんとうの自分"を伝えたいという、そんな祈りにも似た願いがあるように思うのです。その何物にも代えがたい情熱を燃やすということの高揚もまた、この作品には詰まっている。その意味で両義的な作品だと、僕は思いました。 (〜make a dream come true〜)

2023-08-14

僕自身は、手厳しいコメントはむしろ歓迎なので、三浦さんからコメントいただけるのは嬉しいです!(本当ですよ?笑) それこそ、自分を知るいい機会だと思っているし、単純に面白いとうのもあります。 今回の作品は、自分のなかで会心の作!でしたが、そんな自分の感慨とは真逆のコメントがドーンと来る―この意外性が、不謹慎かもしれませんが、なんだか面白い(笑) もちろん、僕という人間に誠実に向き合ってくれた三浦さんには、感謝してもしきれません。 次作がどんなものになるかは分からないし、三浦さんに評価していただけるかなど、もちろん分かりません。それでも全力で書きたいと、それだけを思うのです。誠意ってそういうことだと思うので。 (氷の少女)

2023-08-12

追伸 アメリカ文学的と評していただいたのはうれしかったです。フィッツジェラルドの「冬の夢」を、何度読んだか分かりません。 (いつか世界を抱き止めるために)

2023-08-11

自分でも、ちょっと内面的すぎるというか、もっと言うと自己愛的な作品だと思っていたので、三浦さんのような感想が来ることも覚悟していました。 ただ自分的には、そんな自己愛に浸っている「僕」が、女流詩人の声で、再び乾いた現実へと踏み出す覚悟を―それとなく―決めるという、そんな流れが肝のつもりで、自己愛的な痛々しさは、ラストの少しおどけたトーンで緩和されているだろうと、そう思っていたことも事実ですが。 不愉快な思いをさせてしまったなら申し訳ないです。 (いつか世界を抱き止めるために)

2023-08-11

ありがとうございます。詰め込めるだけ詰め込んでしまえと、そんな心意気で書き出したがゆえの、湿ったタッチと分量なのかなと思います。 分量については、僕も読み返しつつ、弛緩気味なものを感じたのですが、といって削ろうにも削ることができなかったというのが、正直なところです。コンパクトに縮める技術、欲しいですね(笑) 共感していただいたこと、とてもうれしいです。ただその内実は、もしかすると、僕の技量というよりは、そもそもみなが悩みがちな素材を主題に据えていることから来る、そんな部分が大きいのかもしれないと思いもします。 いずれにせよ、みなが悩むような悩みをクソ真面目に悩んでいる自分は、ある意味幸福なのかもしれないなぁと、そんなことを思いました(苦笑) (いつか世界を抱き止めるために)

2023-08-11

>さよならや孤独が芳しいのは若い時分であるように と書きながら、しかしやはり悲しみに暮れかけるという流れに、ある種の凄みを感じました。 僕の理解力ではとても追いつかない作品ですが、諸々のフレーズに酔わせていただくように読みました。 >ため息が積乱雲となって雨を宿している >夏の蒼い朝の家の門構えの周りの打ち水のように このあたり、本当にうっとりさせていただきました。 (お盆のささめきの中で)

2023-08-11

暗夜の中を旅する事に酔いしれ、 己に回帰する一時の、 夢のような事で有ります。 との部分に、ドキっとさせられました(笑)諦めを知るといったことを、僕は美しいと思っていただけに、「誠に哀れ」との表現も、胸に刺さるものがありました。 しかし、「無垢な〜桜で有り給え」の二行には希望があります。いつまでも少年のように生きられたら素敵だと、心から思います。 「無垢な己れの知性を恥じる事はなし」―劣等感を抱きがちな僕にとり、心強い表現でした。 (青い鳥)

2022-10-02