平素よりB-REVIEWへの投稿・コメント活動にご参加いただきありがとうございます。2023年3月の月間B-REVIEW大賞が決定いたしましたので発表いたします。

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目次

・月間B-REVIEW大賞
・投票作品
・雑観 by 仁川路 朱鳥/永扇
・活動報告 – 基本理念に立ち返る by 沙一
・【寄稿】フィラデルフィアシリーズの書き方 by 羽田恭

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・月間B-REVIEW大賞

 A・O・I ( ID:1679
繭に成る。それが、だ 』6票

 田中恭平 new ( ID:2186 )
ディストピアにあっても 』6票

・投票作品

 最終得票数が3票以上の作品を発表します。

キーワード志向 5票
約束 5票
私の愛が31字に収まるとでも? 4票
かめれおん@でいず 4票
ほえほえほえー 4票
春よ来い 4票
美ヶ原 4票
error code:721 4票
だきしめたい 3票
岩躑躅 いはつつじ 3票
全然理解できない瞬間とその意味 3票
ONE 3票

※『キーワード志向』へのコメント重複エラーによる1票は無効として集計されています。

・雑観 by 仁川路 朱鳥/永扇

 お世話になっております。運営の仁川路です。
 私は精神科で異常が見つからなかっただけで、一応メンタルヘルス自体は異常だと思っています。たまに文章の乱れがあると(閲覧した方が)見受けられる場合、大体そういう期間です。

・現状見つかっているサイトの問題点について

 本項の結論としては、「YouTube」を紹介したいなら自由記入のリンク欄を使ってくれ、ということです。

 ユーザープロフィール画面から、YouTubeのチャンネルを紹介したくて、チャンネルのURLを書き込んでみたところ、「お探しのページは見つかりませんでした」と言われたんですね。
 それで、運営となった今、(誰ひとりとして声をあげていなかった問題ではあるが)調査のためにプロフィール編集画面に目を通したところ、「ユーザー」と「チャンネル」の選択ができるボタンがあると思いますが、それが機能しておらず、どちらを選んでもユーザーの方のURLに飛んでしまいます。おそらく、サイトリニューアル時にプロフィール編集画面を書かれた方としては、ボタンを設置することで「ユーザー」は「user」、「チャンネル」は「channel」の文字列変数にしておいて効率化を図ろうとしたのでしょう。そしてなぜそれで通っているかと言うのが、当時の運営のプログラマーさんが所有していた YouTube アカウントのURLが「user」の方だったから、と考えられます。
  YouTube は登録時期によってURLの詳細が変わっており、今だと「ハンドル」という@から始まる文字列を入力すればOK、というものになっていますが、それより以前が「チャンネル」(ちなみに私が YouTube に登録したのが2015年9月なのですが、その頃から「チャンネル」という名称でした)、さらに以前が「ユーザー」となっております。私はここに「ハンドル」というボタンを加えたり、データベース側に書き込ませることは可能です。出力ができないんです!
 ここまでわかったなら直せるんじゃないのか? と思う方もいらっしゃるでしょうが、実を言うとその文字列変数がどこに書かれているかがわからないため、まだ直せない、となっております。わりと単純に、誤字か何かだと思われますが……もし「やってみようかな」と思われたプログラミングに明るい方、ぜひ運営に参加していただけるとありがたいです。ちなみにB-REVIEWの掲示板のプログラミング言語はphpです。
 私が手柄を取る前に、あなたがお手柄を取ってみませんか?

・水の要素──「感情への共感、湧き上がる思い」に勝る表現はあるのか(偏見と独断で投稿作品をレビューしていく謎のコーナー)

 改めまして、永扇です。
 前回の「土の要素」については、特に反響はありませんでした。しかし続けていれば何かがある。そう掴めたから、今回もまたつらつらと個人の意見を書いていくことにします。すっごく細かいんですがわたしの場合「個人」ではなく「一つの意識」という計算になるんですよね。
 土の要素は基礎であり、絵画におけるデッサンのようなもので、作品を作り上げる際に最も重要な点で、それこそが単なる黒墨の染みた紙でなく、ひとつの作品に仕立てあげるものです。では、水の要素とは、その黒墨の中にあるもの……線のストロークや文字列からの印象を、印象ではなくれっきとした評価点として列挙できる要素です。そして、水の要素は感情と紐付けられており、水星座としてカテゴライズされている蟹座・蠍座・魚座もまた、ウェットな人たちであり、その激情は特に「さそり座の女」という楽曲が有名ですが、過激性があります。
 はじめに断っておきますが、わたしは感情的になりがちな人を蔑視してしまう傾向があります。それは実生活でも言え、個人の『不快感』を押し出して不当だ、と声を荒げる人がいれば、わたしとしては「あなたが不快感によって失った利益は物質化されていますか?」としか思えないんですよ。つまり、不快を証明することによって金や特定された利益(名声など)に化けるのであれば、別にそれでもいいんですが、ただ単に騒ぎたいだけの人や、損得勘定をせず声を荒げる人に対しては、わたしは厳しくなりがちです。申し訳ありません。
 上記のように、社会的には感情は切り捨てるべきであり、基本的に持っていない方が楽なものです(わたしが神であるならば、人間に感情を実装しません)が、場所が変われば必要になる。食事の場では、ただ単に栄養を摂取できるだけよりは、「おいしい」という感情が優先されるように。服飾の場では、ただ単に局部を隠すだけの布があるよりは、「かわいい」「かっこいい」「綺麗」を追求するように。芸術の場では、時に「感情の揺れ動きが評価点になる」ことがあります。もしくは過去の文学界、絵画界などにおいても、個人の感情で評価を押し上げられた作品などもあるかもしれませんし。現実世界の運営である神、もしくは遺伝子によってもたらされたバグたる「感情」を──堪能していってくださいませ。こんな書き方をしていると「アレキシサイミアではないのか」と言われそうな気もしますが、別にそのような診断は下っていません。既往症で低血糖、気管支喘息、現状で斜視(単眼視)、過眠症、低LDLコレステロール……

 なお、紹介するに当たって、以下の内容をご了承ください。
 ・2023年4月25日現在において推薦文が書かれていない、もしくは、2023年3月投稿作品内で投票数が2票以下の詩を主に取り上げます(ビーレビ杯不参加の詩作品である場合、「不参加」の意図を汲み取るため「基本的には」取り上げません)
 ・別に「取り上げてほしい」という声から取り上げているわけではありません
 ・カード発行されたことがあるユーザーさんの詩は取り上げません
 ・手っ取り早く表現するなら「B-REVIEWといえばこの詩、このユーザーさん」といった個人的な感想となりますので、これを機にさまざまな方の詩に触れていただけると何よりも嬉しいです

墨野みどりさん「頭痛の種、あるいは羨望
 この作品の中での「現代詩」と、わたしの指す「感情」は、おそらくとても近い位置にあると思うのです。何かきっかけがあったから書かれる詩と、何かきっかけがあったから溢れ出す感情。時折見える「ぎらッ」とした光の正体とは、もしかすると──普段の生活で抑え込んでいる水源、感情のことかもしれません。
 論理は感情で覆すことができますが、感情を覆すことはできません。他人の思想や感想を聞くことでのみ、他の検討ができるのです。

エイクピアさん「神社
 ジンジャーエールを提供されると言うことは、それなりに大きな神社であり、また未成年もよく参拝するような場所であることが予測されます(味の好みを聞いたりしないんですかね)。
 チューブ怪人がなんなのかは一切言及されていませんでしたが、おそらく祀られている神のことではないかなとは思うのですが。答えが見えないのもまた詩ですし、正体がわかったとしても、言及してはならないことは世の中にたくさんあります。お守りの中身とか。

敷島 隹さん「透明な魚類の快楽
 勝手な推測なのですが、おそらくこれは魚座の特徴も混ざっているのかもしれません。個であること、自分が自分であることを強く宣言する牡羊座より前。原初の海、ティアマトのように、混ざりあいたい、境界線なんていらない、というような。「僕」という一人称には、どことなく透明さとぼんやりとした存在感があり、とてもこの詩にマッチしているなと感じました。「俺」を使っていたなら、絶対に噛み合わないでしょう。なんで日本人には大量の一人称があるんですかね?

如月さん「サルスの書 概要22番 AJ・レスカテの提言
 わたしは先にコメント欄を見る癖があります(面白い作品にはたいがい面白い批評がある、という説があるため)。そうでなくともサムネイル形式でざっと読んで、長めのものであれば掲示板パトロールのために個別ページまで飛んでチェックするのですが、コメント欄を見る前は「哲学書のサンプリングか?」と思ってました。ところが、作者さん本人が言及することには、なんと現在のフォーラムに掲げてある金言「汝の意志することを為せ」の元となる『法の書』、ひいてはアレイスタークロウリーさん(ひいては彼の聖守護天使であるエイワスさん)に影響されたと知り、こちらとしては「Oh」という声しか出ませんでした。そんなこと……ある……?

Kayさん「border
 自他の境界がなく、秘密も公然もないままに、全てがあり、ただそこにいる。感情は自分だけが持つものとして考えられがちですが、感情は群れ──人間関係の奥底を支配し、時折その間の境界線をぐずぐずに溶かすか、強固にする。その境界線が崩れる行為というのが、友愛もしくは恋愛であり、これ以上は未成年も閲覧可能な場所で言及するのはよろしくないのですが、まあそういうことに発展しがちなんですよね。
 ……言葉で解体するには、なんらかの切り取り線が必要となってくるのですが、この詩は迫力が凄まじくて、一つ一つのセンテンスに対して解説の線を引っ張ること自体は簡単です。しかし、それを惜しむような気持ちが、「けして理性で分解できるようなものでない」と思わせてしまう魅力。一行開けが若干気になりもしますが、必要な距離感なのかもしれません。マーブリングで垂らしたインクがやがて一色に収斂するように、いつの日か誰の心にも実装されるような、そんな詩かもしれないと感じました。

 感情について言及しようとすると、どうしても境界線の話に推移してしまいます。水星座だってそうです、蟹座は身内と外界との線引きをし、蠍座は自身と相手だけの世界にし、魚座は境界線を取っ払ってしまう。ところでキリスト教徒が互いを同じ信仰をしているという証明のために、ふたりで魚のマークを土に描いた、というエピソードがあります。このマークは「イクトゥス」と呼ばれ、また、この魚のマークとキリスト教の説話が混ざり合って、魚座=キリストの象徴、とみなされることも多いです。
 甘いものが好きな人と、辛いものが好きな人。どちらも栄養素が足りるのであれば、どんな食事でも構わないとは言えません。それぞれ、「甘いものが好きな人同士」と「辛いものが好きな人同士」で過ごしたい、と考えていることでしょう。食生活の一致、味覚の一致は集団生活において重要性が高く、味覚がコミュニティを作り出している、と考えることもできます。わたしたちは感情を持つことによって、その時々に応じたコミュニティに属して、生存への興味関心に繋げることができた。感情にばかり身を任せているのではよろしくないのは確かですが、それでもこのような側面に出会えた時、感情に生かされていると感じた時。わたしは、時折感情に感謝したくもなるのです。アレキシサイミアのような状態であったとしても、わたしは生きた感情まで否定したくはない。ミニマリズム思想が生命に浸透したならば、行き着く先はゲヘナでしかない。
 過ぎたるは及ばざるがごとし、ではありますが、感情が無さすぎるのもそれはそれでなんというか悲しくなるものですよね。そういったセンサーにもなるので、皆さんも自身の感情を大事にしてください。ひいてはそれが、誰かに伝播しますので。母よ、感謝しております。

 今後の「偏見と独断で投稿作品をレビューしていく謎のコーナー」の予定としては、
 ・火の要素──筆もしくはキーボードへ降り注ぐ「熱量」の計算方法
 ・風の要素──アイテールに風穴開ける勢いで世界樹をはっ倒せ
 ・全芸術と呪術の関係性について──詩、小説、音楽、絵画、漫画、アニメ、動画、陶芸、手芸、裁縫、生花、料理、写真、声優、Vtuber、演劇、ゲーム制作のすべてに通じる「大いなる作業」
 軟酥の法を試しながら日々お過ごしください。(予定が変更になることももちろんあります)また、今回は記事の特性上、取り上げることのできなかった詩もありますが、今後取り上げる機会があると思われますので、ご了承のほど、よろしくお願いいたします。

 わたしからは以上です。

・活動報告 – 基本理念に立ち返る by 沙一

 フォーラムへの一般投稿が、2023年3月18日を以って閉鎖されました。詳細は『【重要】フォーラムの一般投稿閉鎖のお知らせ』をご確認ください。

 さて、B-REVIEWは基本的には、作品投稿とそれに対する合評のための場です。よって、合評から逸脱した常識外の行為は認められません。そのような基本理念を、初期には参加者のほぼ全員が弁えていたということを、B-REVIEWが創設された2017年からユーザーとして参加している私は証言できます。
 ところが時は流れ、運営も代替わりしていくものですから、それに伴い、合評から逸れるようなコメントであってもある程度は許容される風潮になっていったという感触があります。しかしそれをいいことに、一部の参加者による悪ノリもだんだんと目立ってくるようになり、とくに匿名投稿可能なフォーラムにおいては、冷やかしや悪戯、暴言や中傷も甚だしくなっていました。それは先述した「合評から逸れるようなコメントであってもある程度は許容される風潮」になってしまったことと必ずしも無縁ではないと私は考えています。つまりは、作品投稿と合評のための建設的な場であるというB-REVIEWの基本理念を疎かにしてしまい、楽しければそれでいいと言わんばかりの悪ノリが横行するようになってしまったのではないでしょうか。その一つの帰結として、フォーラムへの一般投稿を閉鎖せざるを得ない事態に至ったとも考えられます。
 この機会に今一度、B-REVIEWの基本理念に立ち返る必要があります。それにより以前に比べて運営の管理が厳格になったと感じられる方もおられるかもしれませんが、そうであればこそ、むしろそれは基本理念をいままで疎かにしてしまっていたという証左ではないでしょうか。

 B-REVIEWに参加される際には、マナーガイドライン&ルールを精読していただき、合意していただくことが条件となります。あらためて、B-REVIEWの基本理念を遵守していただきますよう、よろしくお願いいたします。

・【寄稿】フィラデルフィアシリーズの書き方 by 羽田恭

笑いを取るのは簡単さ。いつもと少し違う事をすればいい。
チャーリー・チャップリン

 「フィラデルフィアの夜に」というフィラデルフィア・ワイヤーマンと仮に呼ばれている人物(1982年に作品群がフィラデルフィアのゴミ捨て場から発見されたものの、一体誰なのかは不明のまま)の作品を元に、アイヌの昔話にカムイユカラ、山の怪談、ポリネシア神話、金枝篇、バーニングマンフェスタ、杉浦日向子の漫画「百物語」、ネット記事なんかも話によっては取り入れしつつ気が付いたら合計66作品、ビーレビューに投稿してあるだけでも40作品にもなっていました。
 ここまで気づいたら連作を続けてしまう奴も珍しいと思うので、フィラデルフィアシリーズの書き方をここに残しておきます。
これが何かの刺激になるのなら、幸いです。

 この作品群を読むと、よくここまで針金だけで書き続けたな、と感じる事でしょう。
最近思い返してると、この限られているのがかえって良かったみたいです。
 フィラデルフィアシリーズの展開として最初に「フィラデルフィアの夜に~」で始まり、
割と日常の風景が描かれた後に、何かが起こっています。(基本丁寧な言い回しをしている作品ですが、この何かが起こっている最中は基本的に口調が変わっています)
不可思議だったり非日常だったり、明らかな異常だったり。
それでもそれは終息していく。
街中が知ったのか、誰か一人が気づいているのか、全く気づきもされなかったのか。
それはその夜次第。
 こういう構成になっています。
つまりパッケージになっているんです。
 俳句・俳諧は江戸時代から無数といえる人々の手により読まれ続けていますが、五七五が基本構造で自由詩程の逸脱ができないのにも関わらず新作が産まれ続けています。
場合によっては初心者にはかえってやりやすい場合もあるでしょう。
 つまり制限があるという事はパッケージ化になりえるのです。

 単一の作者による週刊漫画連載の最長連載記録は「こちら亀有区公園前派出所」なのは有名ですが、時事ネタなどから主人公の両津が何かを企みやらかす、部長に怒られてオチとなる、
みたいなパターンがあります。
(異論はあるかもしれないですが、作者がどこかのインタビュー記事にそんな事を言っていた覚えがあったのです)
日本昔話にしても「昔々あるところに」から始まり、鬼や妖怪が関わっての最後は「めでたしめでたし」で終わるパターンがあります。
(とんでもない悲劇的なのを見た覚えがありますが)
 となると連作をするにあたっては、適度に制限をかけるようなパッケージ化した構成を作るのが良さそうです。
 具体的に言うと

1 始めをある程度パターン化してしまう。
2 起承転結の起はこれとして、日常や状況を描く承、いかに上手く逸脱できるかが勝負の転に力を入れれるか。
3 結として場合よってはこれもパターン化してしまう。

 という事になるでしょうか。

https://ncode.syosetu.com/n1401fp/
余談ながらこういうパッケージ化はライトノベルでもやっているんですよね。
主人公三人が新たな異世界に移動してきて、その世界特有の事態や人に遭遇しつつ、異形と呼んでいる正体不明と戦って、その世界から去って行くという形の。
よかったらどうぞ。

 そしてどう話を転がすか。
様々なものからネタを仕入れてはいますが、自分にとって想定外な展開のエッセンスを得ているのであってそのままでは使えません。
自分自身の想像、方向性がある程度保っていないと作品に仕上がらなくなっていきます。
もしかしたら当初は自分が思いついた話で書き上げていった方が上手くいく可能性すらあります。
 では、そんな話をどう良くしていくのか。
「いつもと少し違う事をすればいい」。
典型的な話があるとします。流行だったり、古典だったり。それはストライクゾーンのど真ん中です。
これはこれで楽しめる人もいるけれども、飽きが来る。てか書いていて楽しくない。
だからといって大暴投したら何が何だか訳が分からなくなる。
書いていても最初は良くても、頭がおかしくなる気がしてきて止めてしまう。
なのでいつもと少し違う、みんなと少し違う、よくある常識とも何かが違う、ストライクゾーンギリギリを攻めていく。
どこの何がボールとストライクの狭間にあるのか?
自分の性癖と狂気と常識と知識と信仰から割り出していく。
ここに面白さが、多分あります。

 これはもうしつこく書き続けて七転八倒しつつ、体力と気力と頭の疲労の隙間を見つけながらやり続けるしかないのですが。

 しかもここに落とし穴が。
人間、口先だけで一切何もやらなくなるのです。
自分も人の事は言えないのですが、学生時代に小説を書くと言っていた友人たちが結局ロクに文章を書かずに終わっていきました。
 原因として作品に納得がいかなかった、というのがあるでしょう。
一旦書き始めたら意地糞になってでも、クソな駄作を作ってでも終わらせましょう。
クソは肥料になるのです。
農家だって規格外の売れない作物は、肥料にします。
 書いて終わらせないと、始まりません。
良い物は結実しません。・

 では実際にどうやってフィラデルフィアシリーズを書いたのか追いかけて見ましょう。
今回元にするのは張六郎の漫画「千年狐~捜神記より~」です。
中国の捜神記という古典を元にした漫画で、大変おすすめです。

元にするのは最新の五十一話。
ネタバレがあるのでご注意を


 このあらすじは「異変があったという小屋に調査に行った二人(と一本)がその小屋の中に羊の木彫りを多数見つける。それを掘った人物と出会い特に異常はないとしたももの、
再度訪ねると木彫りの羊も作者もいなくなっていた。周の時代の職人の話を思い起こしていると、木彫りの羊が走っていった。作者を載せて」というもの。
(神仙伝というのが元になっている様子)
フィラデルフィアシリーズ的にしていきましょう。
 単純に当てはめるなら、泥棒もしくは捜索で一室に入った人が針金の作品を見つけてその針金の作品と作者がどこかに行ってしまう、となる。
ただこれだと似たような話を書いており、そのまますぎる。
https://www.breview.org/keijiban/?id=855
https://www.breview.org/keijiban/?id=1475
 もう少しストライクゾーンギリギリを狙ってみたい。
葬式や埋葬のシーンから始めるのも考えたが、上手くいかない。
 何かないか。
「木彫りの羊が走っていった。作者を載せて」
パレード。
これはいい。
「木彫りの羊も作者もいなくなっていた」
この方向で。
フィラデルフィア・ワイヤーマンもいなくなったのだし。
世間から外れて、作品すら残らないところだったし。
 あとは異様さを出そう。
死んだ人。(こないだ世話していた子牛が死んだな。腹膜炎で)
動く腕。それと針金。
よし。

“ 夜、街の中で、一切の動きを止めました。

 その右腕だけは例外に。

 止まった呼吸を引き金に、右腕は動き始める。“

これから

“肩から肘は操られる様に、手首は周り、指先は目にも止まらない。
指先からは何かを紡ぎ出し、組み立て、捻じりひねり、生み出していく。
飛び込んでくる光は生み出した何かを照らす。
楽器、それらを持った人たち。
針金の体を持った、楽器を携え演奏する。“

これを繰り返す。仏典じゃよくある。;

“パレードは続いていく。
光が差し込まない闇へ向かって進んでいく。
闇に向かって飲み込まれていく。
闇に向かって沈んでいく。“

そろそろ結へ。

遺すか。何も遺さないか。
遺そう。
“ もう、パレードがあったとは誰も思いません。
ただ光が、あのパレードの余韻を刻みつけていました。
夜ごと夜ごと、差し込んでくる光。
差し込むたびに、七色があの街角を鮮やかに、色豊かに、彩っているのです。“

今回、こんな感じでやっていました。
https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=10719
完成形です。

 取り合えず自分が表すことのできる範囲では以上となります。
パッケージ化して連作をしていくという話は他の人はしていないと思うので、何かの参考になればと思います。
 あとは文章を書き倒してください。 倒しても倒しても立ち上がってくる代物ですので、楽しめますよ。

・【お知らせ】寄稿してみませんか

 選考結果発表に、皆様からの寄稿をお待ちしております。
 内容は、常識に反しない限りで自由。ただし、運営で不適切な内容であると判断された場合、掲載を見送る場合があります。
 毎月一人一編づつ掲載する予定です。
 なお、報酬は出ません。ご了承ください。

 寄稿に興味がありましたら、Twitterのビーレビ公式アカウントか、 breview.works@gmail.comまでご連絡をお願いいたします。

 以上で3月選考の発表とします。

 2023.4.30 B-REVIEW運営一同