平素よりB-REVIEWへの投稿・コメント活動にご参加いただきありがとうございます。2022年7月の月間B-REVIEW大賞が決定いたしましたので発表いたします。

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目次

・月間B-REVIEW大賞
・投票作品
・概観 by yasu.na
・雑観 by 仁川路朱鳥
・思うこと – 開花 by 沙一

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・月間B-REVIEW大賞

 ほば(ID:342
旅する為の雑記帳 』8票

 深尾貞一郎(ID:278
虫送り』8票

・投票作品

 最終得票数が3票以上の作品を発表します。

インフォメーション・アナトミー 5票
水犀 4票
中宮寺 弥勒菩薩あるいは如意輪観音 様 3票
熱帯夜 3票
君の姿を見ない猫 3票
ザザザ 3票
薬罐 3票

・概観 by yasu.na

・概観 by yasu.na

【イントロダクション】
 ここに一問だけの記述式試験がある。それにはこう書かれてある。「2022年7月中にビーレビに投稿された作品群から妥当と考えられる数だけ作品を選んで話を書きなさい。ただし、得票数の多かった作品を二、三必ず扱うこと。」と。下に掲げるのは私yasu.naが試みた一つの解答案である。

【解答案】
 前回、私は「君」「あなた」「君たち」「あなたたち」という二人称代名詞の単数と複数を両方「you」と英語であらわしましたが、或る識見ある方から、二人称複数は「you all」と言うのが適切であるとの御指摘をいただきました。実際的にその通りだとうなずける御指摘でした。ありがとうございました。さて、今回の概観のテーマはどんなものにしましょうか。私の頭の中には実は長いこと、思い出のように、いや、思い出として、「社会学」というワードが熾火のように居座っています。大学時代のこと、私の頭に最も深い印象を刻んだのは専門外の一般教養科目「社会学」でした。この「社会学」の教授のどこか時代を追っていないような雰囲気が好きでした。もちろん現在という時間における社会について何も考えていないわけはなかったとは思いますが、言ってみれば超俗的な世界を自分の中に持っているのが感じられる人でした。講義の教科書には『文明論之概略』(福沢諭吉)、『アメリカのデモクラシー』(トクヴィル)、『職業としての政治』『職業としての学問』(両マックス・ヴェーバー)が用いられました。教授はこれらの書物を読んでおくことは常識であると言いました。文学が好きだった私も、夏休みにはこれらの「社会学」の古典を読むことに少し時間を取りました。あの頃は19歳で、頭も良くなくて、これらの書物はほとんど理解できませんでしたが、いちおうページはすべてめくりました。怠け者の私としては熱心だったと思います。この教授には従ってみようと心の内奥で思っていたのだと思います。文学青年にとっての「社会学」、これは無駄なものではありません。無駄な経験など誰にとっても何一つないとは思いますが、話を文学青年にとっての「社会学」経験ということに絞りましょう。話を拡げると考えは散漫になり、伝わりにくいものになるので、こうするのです。「文学」と「社会学」、この二つを同時に語ることができる作品、これが今回私が考えた、取り上げてみたいビーレビ投稿作品の選択基準です。「社会学」とは何かについては、かの教授から、そしてまたあれらの教科書から、確実に漂ってきた雰囲気から習うところが大きく、私には未だに言葉で説明することができないのですが、私の感性を信じて基準に据えたいと思います。それに、「文学」とは何かについても、安易に解答することはできない問題です。ただ雰囲気、これはばかにならないものです。感性を信じて、さあ、始めましょう。

 かずやさんの『中宮寺 弥勒菩薩あるいは如意輪観音 様』。中宮寺とは、弥勒菩薩とは、如意輪観音とは、それぞれリンク先が参考になるかと思います。作品本文を見てみると、「あなた」とはタイトル通り「中宮寺 弥勒菩薩あるいは如意輪観音 様」であり、「私」は「私」でしょう。「私」は「あなた」に話しかけます。作品全体からは「私」が抱いている「あなた」への憧れ、畏敬、信仰の気持ちが伝わってきますが、「社会学」的にターゲッティングするなら作品の第三、第四連が特に摘出して見るべき箇所だと思われます。簡単に言えば、「私」は「合理主義」に限界を感じ、それよりは「宗教」に縋ってみたいと感じています。「自分」や「人間」に重点を置いてこの世について言説を繰り広げるよりも、「神様」や「仏様」に縋って物事を考える方が強いのではないか、こういう提案を自分に対してしているわけです。構図としては一見分かりやすいと思います。しかし「合理主義」と「宗教」は明確に対立するものなのかどうか、ちょっと腑に落ちない感じがします。作品全体からも、「私」はそう簡単には「合理主義」を捨てようとは思っていないような印象を受けます。まだ遠くから「あなた」をうかがっているような感じがします。現代人にとって「宗教」無き「合理主義」、あるいは「合理主義」無き「宗教」は成立するのか、「合理主義」と「宗教」の二つはどこでも交わるところがないのか、疑わしいところです。現代人のこういうポジションを書いた作品であると素朴に感じました。「宗教」が「合理主義」を育んだという見方や、「合理主義」が今日の「宗教」のあり方を決めてきたという見方もできるでしょう。と、ここまで書いてきて今さらですが、「合理主義」について私自身まったく勉強していないことは本当です。おそらく短期間でマスターするのは難しいと感じられますし、なにごとも一夜にしてならず、時間をかけるべきでしょう。

 stereotype2085さんの『七月の風』。読む人の「社会学」的な目が捉えるのは、この作品の第五連だと思います。「2042年7月」という未来の時間における世界の様子が描かれています。要約すると、この未来においてはネット上でのコミュニケーションが政府による規制のために衰え、生身の体と生身の言葉によるコミュニケーションが奨励され、人々は街頭に出るなどしてそのように行動するようになり、しかもそういう社会を望ましいものとして受容している、ということが書かれています。この第五連の意義は、他の七つの連との関係で考えてみると、ここに描かれた社会が現在のネット駆使型の社会と比較して良い社会ではないかと、少し軽く問題提起していることであると感じられます。たとえ私のこの捉え方が誤っているとしても、この第五連は作品の中で異彩を出しています。ネット上ではなく「生身の体で、生身の言葉で表現する」「身体性に溢れる、躍動」する社会、私はどこかソクラテスたちが街中で対話しているさまを空想してしまう、言うなれば、未来的ではなく昔の社会を空想してしまいます。こういう社会を社会の未来像として提示していることが、まずはおもしろいところです。それから人間の「身体性」を取り返すことを志向しているのが感じられるのもおもしろいです。「身体性」ですか、確かに私たちは「脳の中に住んで」いるように感じられる瞬間を多く体験するような気がします。今も私は「自宅でタイピングしている」のですが、「身体性」を感じているかと訊かれると、否です。

 哉さんの『安楽死』。私は本を読むばかりではなく、たまにテレビを見ます。そして偶然『NHKスペシャル 彼女は安楽死を選んだ』という番組を見たことがあります。どういう内容だったかというと、難病を患い自殺未遂を繰り返していた日本人女性がスイスに行って安楽死するその最期の医師による死亡確認の瞬間までを映像に記録したものでした。え、これ、いいの? スイスでは安楽死ができるの? と思って、一人静かに衝撃を受けました。命とは何ですか? 命は誰のものですか? 「命」という語を「生きる」と言い換えてもいいでしょう。「死ぬ」とは私にはすぐには言い換えることができません。人は生きている、そして生きた限り、程度の差はあれ、「社会性」を身にまといます。一人で完結している「生きる」ということなど考えられないからです。あの番組で安楽死した女性も一人で生きたわけではなく、一つには、姉妹という関係の中で生きました。あの女性の命は彼女一人のものではなかったはずです。難病を患っていたにせよ、彼女もまた「社会性」をまとっていました。この「社会性」というものを追うと、これは「死」によっても消えないものであると思います。投稿作品『安楽死』の内容に、人間の「社会性」というものを注入してみて、それでも自分の命が自分だけのものであるという権利を主張できるかどうか、考えることは多いと思います。たとえば自殺がなくならないという事象を思ってみれば、人間という存在は「社会性」という語を振り回すだけでは成立してゆかない難解なものであると考えさせられます。

 角田 寿星さんの『ウー(ウルトラマン)』。作品タイトルと作品内容を解釈する上で、ウィキペディアの記事『ウー (ウルトラ怪獣)』が助けになるかもしれません。私は初め、いつもの習いで、作品本文だけを頼りに読んでいました。何の補助も必要ないほどよく書かれていると思います。自然、時代、人為、伝説といったものが織り込まれている作品で、「社会学」的なアプローチに応じてくれる作品だと思います。私の目には特に、高度成長期やバブル期に自然に手を加えた人間がその自然を管理する能力を持ち得ずに時代が経つとそれを見放して荒れるがままにしてしまうようになるプロセスが「雪ん子」の無表情的な去り方と相俟って鮮やかに映りました。「不可逆」、「けしてもとどおりにはならない」、「誰からも忘れ去られ/存在すら なかったことになる生涯」といった言葉が書き込まれていて、この人世を管理するということの難しさを確かめることができると思います。

 Thukinikoさんの『先割れスプーン』。子ども時代と大人になってからのこと、学校に通っていた頃と社会人になってからのこと、コンビニが少なかった時代と多くなった時代、人間と犬、これらのような対比が先割れスプーンを媒体として描かれています。先割れスプーンを扱いながら反抗心を含んだ詩文を展開しています。畢竟、人間は犬か、違うだろ? というような声が聞こえてくるようです。「社会学」的に読み解こうとするまでもなく、独自性のある構図と批判を有した「社会学」そのものが書かれた論文のような作品だと思いました。

 室町礼さんの『にっぽんのバカ』。まずはこういうものを書いて胸を張って発表できる筆者の力に敬意を。私も含め、他の誰にできるでしょうか。考えが浅く勇気も小さい私がここでこの作品について書けるのは、痛快さを感じた部分についてだけです。すなわち「じゃあ貧困差別はどうなるのだ」という行から「官僚の半分は中卒にしろ」という行までの部分です。「貧困差別」「美醜差別」「知能差別」という三つの差別のことが書かれています。これらのどの差別に対する筆者の反発もうなずけます。まず「貧困差別」について思うと、この社会は貧困に苦しむ人と富裕を謳歌する人とが確実にいて、さらに、貧困層の人は貧困から脱却し難く、富裕層の人はますます富裕になる確率が非常に高いです。互いの間にある実生活上の、それから心情的な溝は深くて埋め難いと思われます。この溝を生む要因は何でしょう。自由? 確かに自由は死守しなければならないとは思います。しかし恐ろしいものだとも感じます。社会が自由であるだけでは、話が飛んでしまいますが、富裕層が貧困層に住宅や食べ物を与えることは稀だと思います。「美醜差別」について思うと、確かに筆者がここに書いていることにうなずけます。映画・ドラマのヒロインや歌手には美しさが求められます。醜さが求められることは稀でしょう。そして醜い人はチャンスの分配とでも言うべきものに与ることができにくいと思われます。「知能差別」について思うと、これは「貧困差別」に似ていて、富める者は知能の面でも富んでおり、貧しい者は知能の面でも貧しいという状況になる確率が高いです。知は、この自由な社会にあって平等に分配されているでしょうか。良い大学には二世学生、三世学生が多いと言っていた教授を私は知っています。社会を導くのは富める者であるとも言いたくなります。

 尾崎ちょこれーとさんの『ザザザ』。センスあるタイトルだと思います。読むと、何か事件が起きたようです。でも具体的には何が起きたのか書かれていません。本当に「ザザザ」といった感じで読まされる、迂遠でありながらダイレクトに伝わってくるもののある、抽出されたものを書いた作品だと思います。社会と人間はここに書かれたような「ザザザ」というような様相で交わるものであると思わせます。

【試験を終えて】
 今回は七篇の作品を取り上げて私は解答案を作成した。すべて7月の作品である。
 ビーレビの運営の人員の中で、私は作品の得票数のカウントと『概観』の作成という役目を主に担っている。ユーザーが投票した票数によって毎月大賞が選ばれるという独特な選考方法を持ったビーレビ杯、その月次選考結果発表というものがあるということはビーレビの特徴であり、また看板でもあるから、運営の他の方々と等しく重要な役目を分け持っているのである。(ただし、運営にもいろいろな仕事があり、私のこの役目などは易しい)。
 単に得票数をカウントして高得票順に並べて示すだけのことなら機械に任せればいい。しかしそんなことが毎月続いては何の面白さもない。ビーレビは、この世の中に無数にある人間的な活動の中のささやかな活動の一つである。私は、人間の力でできることをしたい。
『概観』は誰が書いてもいいと思う。ただこの『概観』というものを発案した、そして書きたいと思ったのがたまたま私だったので、私が書いているのである。名称はどうであれ、そして私が運営から退いたとしても、このような文章は月次選考結果の中にあり続けて欲しいと勝手に思っている。
『概観』は「選評」ではない。私はこの文章のイントロダクションの中で「話を書きなさい」と言っている。そう表現することで、ユーザーによる直接投票で大賞を選ぶというプロセス、および、カウントされた得票数の多い順に作品を並べて示す機械的作業との区別を言いたかったのである。ユーザーによる直接投票で大賞を選ぶということは、ユーザーが「選評」を書くということである。運営が「選評」を書くのではない。
 ところで、疑わないで欲しいことがある。私が『概観』を書くのは、ユーザーによる直接投票で選ばれた作品群に異論があるからではない。ユーザーによる直接投票に信を置くことができなければ、運営失格であるか、もしくはこの投票システムに欠陥があるかのどちらかである。私はこの投票システムを信頼している。その上で、「こんな作品もあったんだよ?」と、皆様に向けて話すのが『概観』なのである。
 さて、私という一人の人間がビーレビに投稿された作品群から限られた数だけ作品を選び出して「話を書く」、このことの中に公正さや妥当性はあるだろうか? 何を基準に選ぶのか? こういうように問うことを忘れないことがそもそも大切である。
 今回の「解答案」においても、前回までと同じように、文章を貫く或る一つの大雑把なテーマを最初に決めて、そのテーマに合う作品を選んで書き進めた。そのテーマは、「文学」と「社会学」、この二つを同時に語ることができる作品ということであった。私がこの分かち難い二つの「学問」を説く資格を持っていないことは分かっているが、チャレンジングであることも大切である。この短い概観が、少しでも意味のあるものになっているならばと願うばかりである。

【運営退任予定 from yasu.na】
 2021年10月1日に私yasu.naがこのビーレビの運営に参加してからもうすぐ12か月、つまり1年が経ちます。この間、貴音さん、mmmさん、沙一さん、仁川路朱鳥さんをはじめとした、少なからぬ才人とともに働くことができました。このような経験は一生に二度あるかないかの貴重なものであると思います。しかしながら、いつまでもこの任に留まるのは、何よりもビーレビのためを思うとき、どれだけ考えても誤りであるという解に至ります。その最も大きな要因は、ビーレビという場を停滞させる可能性を免れないということです。安定は必要です。しかし停滞はいけません。安定しながら動かなければならないと思います。そのためには、私自体が変化することでは足りません。根本的に他なる人物と交替する必要があります。そこで近々、繁忙な時季を避けて私は運営を退くことを予定しています。あらかじめこう表明しておくのは、何事も準備期間を要するものだからです。誰か運営に適した、かつ覚悟のできた人物が現れた時、私はこの1年程度の運営在任に区切りをつけて退任します。自らの胸に志を抱いている方を待望しているとともに、現運営側からアプローチする可能性もあります。以上のこと、記して告知いたします。

・雑観 by 仁川路朱鳥

 いつもお世話になっております。仁川路です。
 B-REVIEWは、あなたのおこないを見ています。
 私の方は、『運営参加のお知らせ』にもあるように、色名での統計を行なっていました。統計は作品投稿掲示板にある文章を元にし、とっているため、コメントの方は拾っていません。
 ただ、2022年7月のお題詩企画については、コメント欄から統計をとっています。
 さて、2022年7月投稿作品中、多かった色名の表現は、
1位:白(113点)
2位:赤(61.5点)
3位:黒(50点)
3位僅差:青(49.5点)
 でした。あとは茶色も多かった(4位:47点)です。ほとんどコーヒーでしたが。
 今回はお題詩のテーマ的に白色が多くなりかねないような月でしたが、だいたいその予想は当たっていました。というより、火を見るよりも明らかだったでしょう、ユーザーの皆さまにとっても。ただ、そのような中でも、お題詩の中で「いちご」や「血」など、別の色が使われていたりしていたのが、個人的には嬉しく思いますね。まあ乳なんて血の赤を抜いたものなんですけどね……「豆乳」という言葉が出てこなかったのが意外でした。あとはココナッツミルクとか。あまり生活になじみがない言葉は、そうそう口に出てくるものではないのでしょうね。
 ところで日本画の顔料みたいな色名を、詩の中に盛り込んでいるものがいくつか見受けられました。これは純粋にうれしいし、複雑な色の名前を、伝統的で美しいままに表現できていて非常によかったのですが、話者が現代人だったり、キャピキャピの若い世代(なおかつ、国語や日本史が苦手)の人間が語っていることを前提とするならば、あまり古風な言葉を使うよりも、まっすぐに色名を書いたほうがいいのかもしれませんね。それはそれとして「なぜこの日本史16点の女子高生が古めかしい言い回しをするのか」などのミステリーも書けそうですが。
 あと、宝石をたくさん詩の中に出しているものもありましたね。誕生月ごとの宝石は宝石業界が後付けで決めたとされていますが、言葉は嘘をつきません。宝石言葉などからも心情を読み解ける楽しみがありました。

・生育環境による、言葉の通じなさ

 私にとっては、四大元素説(五大とも)は当たり前のように生活に浸透していて、なおかつ日常の理解に支障はないのですが、世の中一般的な人々……というよりもファンタジーに興味も理解も示さなかった人は「中世では四大元素説を基に物事を解釈していた、そういった作品も多数残っている」という前提条件を知らないことが多かったです。万能照応表を丸暗記している人も少ないため、必然的に話の通じる人が少なくなり、そして同僚とは話を合わせるだけ……
 愚痴はさておき、どこのサイトでも「同世代が知っていると思い込んで話している」が「自分の環境が特殊だったため、知らない人が多い」言葉や、その逆の状況に陥っている人をよく見ます。私もその一人で、だからこそコメントや詩、他にはTwitterのちょっとしたツイートでも、知らない言葉や概念を見かけた時、ググれる状況であるならばすぐにググります。少し古めかしい言い方をするならば、本を読んでいて知らない表現に出会った時、辞書を開いて調べるように。
 この話は先月の選考結果発表でも書きましたが、利用者が多くなると確実に発生する事案でもありますし、なによりも時代ごとの多様性の生きているサイトですから、「知らないことがあれば調べよう」という、ただの(私にとっての)当たり前を言っているだけなんですよね。
 もちろん、このゴチャゴチャして車輪の再発明が横行している情報いっぱいのジェリードーナツのようなインターネットで調べ物をすると、知識は偏りがちです。RAWデータな知識、知恵を取り入れて行かないと、いずれヒトの知能はデッドロックに向かいます。
 年齢を無知の言い訳にしてはならない、と私は考えていて、そのために(自分の文章の意図が、書いている本人もわからなくなっていたとしても)私は今でも勉強はしていますし、それは単に受験とか、仕事、生活のための地盤を超えて、三角形の頂点に至るための、いわば自己実現のために、もしくは別の何かに自分の存在を委託するための行為と化しています。すなわち、私にとっては、私の作品は生前葬のようなもので、死後の復活を目論んで、歳若い頃から……今となっては確認できる手段もないのですが11歳の頃から、インターネットに作品を放流し続けている人生。みなさんがどのようなスタンスで、どのようなピラミッドを目指すのか、はたまたただ情熱のままに書いて、放流するだけなのか。私には感知するだけの視点も、技能も持ち合わせておりません。コールドリーディング的なことはできますが、それってあんまり嬉しくないですよね?

・水分不足と睡眠不足には気をつけろ!

 疲れている人にとっても強制的に読ませられるような、かつ口触りが優しくて滋養にいいような文章って、憧れますよね。かといって文章がやわらかいわけでもない。私の知っている範囲では、その文章を書く人は「衝動的に、自分を差し置いて人を助けたくなる性分だ」と明かしていました。自分がなにを書いているのか、そう言ったことを考えていないように見えて、実は無意識的に考えていて、そのためにタイピングの速度も速いように見える、頭の回転が優れている。ビーレビユーザーではない(というか、現代詩に興味を示していない)人の話ですが、そっと陽口(陰口の逆の言葉です)として書き残しておきます。
 先ほどの項で、「自分の文章の意図が、書いている本人もわからない」ということを書きました。実は仁川路、サプリメントを飲んでいるのですが(マルチビタミン、ビタミンC、D、E、B12、カルシウム・マグネシウム・亜鉛、DHA、ローヤルゼリー、ルテイン・ゼアキサンチン、スマートサプリに加え、CBD、テアニン。すべて日本国憲法において合法)、一般的には「絶対に症状でググるな」と言われていますが、ググっても出てこない病気だったので、「もしかしてサプリをサボっていたからか?」と思って、サプリを再開したのですが、そのサプリを飲むための水分がどうも不足していたらしく、サプリをすべて飲み終える頃には思考力は元に戻っていました。何らかの症状かもしれないという線は残しておきますが、病院になかなか行けないので、今はこのままで……
 創作をするにあたって、コーヒーをおともに添える人も多いですが、頭がぱやぱやケレパヤし出したり、「なんかおかしいけど、どうおかしいかわかんねえな」と思った場合、水分不足を起こしていることもあります。もちろん何らかの病気の可能性はありますが、それで治ったなら、そういうことにしておきましょう。応急処置として。

 ところで仁川路家のトマトは5つ収穫できました。プランター栽培だからかプチともプチでないとも言えない、市場よりは確実に小さいトマトとなりましたが、なにかを育てたい欲望って全人類共通なんだろうな、と感じています。おいしかったです(市販のトマトが青臭く感じるようになってしまった)。そして園芸のためには土に触る必要があるのですが、その時奇妙な落ち着きを感じたことを忘れられません。なんというか、宗教的な気分というのもありますが、恋人の、体に触れたような……土を見ると耕したい、土地を有効利用したいという思いに駆られるのは、おそらくホロスコープのグランドトライアングル(しかも地にカテゴライズされる星座)のせいだと思われますが。
 あなたにとってのB-REVIEWは、どのような色でしょうか?

・思うこと – 開花 by 沙一

 写真の花は「大賀ハス」。千葉市で発掘された推定2000年以上前の実から開花し、世界最古の花と云われています。開花に成功してから今年で70周年。

 泥の中に埋もれていた実が、永い年月を経て花を咲かせることがあるように、日々ネットに埋もれてゆくあまたの作品も、未来に再発見され、誰かの心を動かすことがあるかもしれません。

 B-REVIEWにロマンを感じるか感じないかは、あなた次第です。

 以上で7月選考の発表とします。

 2022.9.4 B-REVIEW運営一同