平素よりB-REVIEWへの投稿・コメント活動にご参加いただきありがとうございます。2022年6月の月間B-REVIEW大賞が決定いたしましたので発表いたします。

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目次

・月間B-REVIEW大賞
・投票作品
・概観 by yasu.na
・雑観 by 仁川路朱鳥
・活動報告 – 意志と行動 by 沙一

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・月間B-REVIEW大賞

 てんま鱗子(揶白)(ID:1047
消えてほしい 』6票

・投票作品

 最終得票数が3票以上の作品を発表します。

ドブンヌ 3票
ペン士、募集 3票
〈安閑夜話〉 血走りの風 3票
日影の日 3票
ナイフは決して器用じゃない 3票
わたしが天才少年だったころ 3票
タロットにおける「THE LOVERS」と「THE DEVIL」の構図の相似について 3票

・概観 by yasu.na

【イントロダクション】
 ここに一問だけの記述式試験がある。それにはこう書かれてある。「2022年6月中にビーレビに投稿された作品群から妥当と考えられる数だけ作品を選んで話を書きなさい。ただし、得票数の多かった作品を二、三必ず扱うこと。」と。下に掲げるのは私yasu naが試みた一つの解答案である。

【解答案】
 少なからぬ機会に私は次のような疑念を言ってきました。すなわち、歌詞や詩の中で「君」とか「あなた」という語を使用するのはどこかまだ甘いのではないか、軽くはないか、本当にそれは内容のある「君」「あなた」なのか、人間はもっとどうしようもなく孤独ではないか、それか反対に人間と人間の間にある間隙はもっと小さいのではないか、というような疑念です。そんなことは分かっているよ、分かりきっているんだよ、十分承知の上でやっているんだよ、などと言われそうです。私も分かっています。でも時折やっぱりこんな疑念が私の心をよぎるのを否定できないのです。まあしかしここでいったん遊びというか休憩も兼ねて、英語の人称代名詞・指示代名詞・不定代名詞・疑問代名詞の主格を列挙して俯瞰できるようにしてみましょう。「I, you, he, she, it, we, you, they, this, these, that, those, such, one, ones, no one, none, some, any, all, each, both, either, neither, the other, another, the others, others, who, what, which」。 (参照 山口俊治.コンプリート高校総合英語.東京,桐原書店,1989,p.468-482.)。 こんなところでしょうか。数えられないわけではなさそうですが、なかなかたくさんあります。そしてこれらは代名詞なのだから、本当はこれらすべてに数え切れない数の名前が当て嵌まるということになります。言葉は自由であると感じます。数え上げることができるほどに代名詞には限りがあっても、私たちはそんな限りある代名詞の世界のうちで自由に生きる(話す)ことができているとも言えそうです。選択肢は物言う人間にとって十分広いです。話を「君」とか「君たち」「あなた」「あなたたち」、すなわち「you」のことに戻しましょう。簡単に言います、私がこれから以下に成したいのは、このような英語で言うところの「you」をめぐる小さな評論です。よって、「you」という語が使用されている6月作品を取り上げて見ていくことになります。どんな「you」に出会うでしょうか。では始めましょう。

 尾崎ちょこれーとさんの『アンダードッグ』。「痛み入ります」という句が七回使われていて、この作品中で最も重要な言葉であると思います。「痛み」は「あなた」(一箇所「アナタ」と表記されています)との関係において「わたし」が受け取っているものであると読み取ることができます。この作品中では「わたし」と「あなた」との距離は一見してすぐにかなり近いように感じられます。しかしもうちょっと読み込むと、事はそんなに単純ではなさそうなのです。そもそも何が「わたし」にとってそんなに痛いのでしょうか? それは結論から言うと、「わたし」が「あなた」との関係において全く痛みを感じないことがかえって痛いのです。次のような箇所からそういうことが判読されると思います、すなわち「実際、あなたと/わたしとは/交わりも/すれ違いも/しないのですよ」「噛まれたはずの手は/痛まないのです/まったくもって/かなしいほどですね」。これくらい極度に遠くて、同時に、極度に近い距離が「わたし」と「あなた」との間にあるのです。距離の問題などなく、二者はほぼ同一であると思われるくらいです。この作品は、異なっている、けれど同じ、という人間の存在の不思議を巧みに書き遂げた秀作だと思います。

 てんま鱗子(揶白)さんの『消えてほしい』。一読して、何かが書かれているのは分かります。なぜなら、読んで、心に強弱をもって刺激が来るのが感じられるから。でもそれ以上に進まない、つまり何が書かれているのか分からないのです。この段階では、たとえるなら、この作品はレコードであり、私はプレーヤーが再生する通りの音を聴くことができるだけです。そして単純に、良いなあと思っているわけです。別にそれで全然問題はないのですが、喜ぶべきか悲しむべきか、作中に「俺」とか「君」とか「お前」とか「どれ」という代名詞が出てくるので、今回の『概観』で取り上げて、頭をよじって何らかの議論を述べなければならないというわけです。多くを語る自信はありません。詩文が晦渋です。落ち着いて、書き出しを見ると、「詩人の言及は、」と始まるから、この作品は詩や詩人について書こうとしているのだと推察されます。そういうことなら珍しいことではないので、何が書かれているかには実は私は関心がありません。一つだけ私がすごいと思ったところを挙げておきます。それは作品の最後から三番目の文のかたまりにある「君(どれ)」というところです。「君」と「どれ」とを並置して同じものと見なす大胆な発想に心を打たれました。

 鈴木夜道さんの『〈安閑夜話〉 血走りの風』。五枚のうまい、美しい写真の間ごとに詩語が配置されています。命令形の多い、勢いの強い詩文です。その中に「君ら」「きみら」という代名詞が出てきます。この詩文の中に出てくるそういう「you」は、読む側にとっては、自分たちのことを指していると感じられると思います。おそらくそれで正しいでしょう。「you」の、原初的な姿だと思います。

 西富山さんの『明日』。「わたしたち」「あなた」「わたし」「私たち」「きみ」「僕」「君」「僕ら」「彼」「私」と、作中に人称代名詞がふんだんに使われています。ここまで多いと解読が苦しいものになります。解読を簡単にするために勘で二つの対を取り出しましょう。つまり、①「わたし」と「あなた」、②「僕」と「君」、です。①の場合、「わたし」は女性、「あなた」は男性だと考えられます。②の場合、「僕」は男性、「君」は女性だと考えられます。この作品はおそらくは①の対になっている人物間の交流と、②の対になっている人物間の交流を、一つの作品の中に封じ込めたものだと私には読めました。①の「わたし」が主体となっている心の物語と、②の「僕」が主体となっている心の物語が、一つの作品中に封じ込められているのです。このような構成をわきまえておいて、あとは作中の情趣ある言葉たちを味わうのがよいのではないでしょうか。多くの人称代名詞を巧妙に操って、そのそれぞれが空疎になっていない、上手な作品だと思います。

 さて、ここまでで四作品を見てきましたが、私はここまでで文を閉じようと思います。他にも「you」が登場する作品はあったのですが、それらの「you」はこれら四作品の「you」の中に包摂されているように感じるのです。なのでそれらの作品を取り上げるのは控えさせていただきます。
 簡潔にこの解答案に結論を与えましょう。冒頭に述べた「you」についての私の疑念は、実作品四篇を見た限り、要らないものであったようです。どの作品も甘さはなく、軽くもなく、充実した内容を持った「you」を扱っていました。とりあえずは私は「you」のあり方について疑う必要はなく、むしろ「you」という語の表現可能性に思考を向けることができそうです。

【試験を終えて】
 今回は僅か四篇の作品を取り上げて私は解答案を作成した。すべて6月の作品である。文章は約4,000字の量である。
 ビーレビの運営の人員の中で、私は作品の得票数のカウントと『概観』の作成という役目を主に担っている。ユーザーが投票した票数によって毎月大賞が選ばれるという独特な選考方法を持ったビーレビ杯、その月次選考結果発表というものがあるということはビーレビの特徴であり、また看板でもあるから、運営の他の方々と等しく重要な役目を分け持っているのである。(ただし、運営にもいろいろな仕事があり、私のこの役目などは易しい)。
 単に得票数をカウントして高得票順に並べて示すだけのことなら機械に任せればいい。しかしそんなことが毎月続いては何の面白さもない。ビーレビは、この世の中に無数にある人間的な活動の中のささやかな活動の一つである。私は、人間の力でできることをしたい。
『概観』は誰が書いてもいいと思う。ただこの『概観』というものを発案した、そして書きたいと思ったのがたまたま私だったので、私が書いているのである。名称はどうであれ、そして私が運営から退いたとしても、このような文章は月次選考結果の中にあり続けて欲しいと勝手に思っている。
『概観』は「選評」ではない。私はこの文章のイントロダクションの中で「話を書きなさい」と言っている。そう表現することで、ユーザーによる直接投票で大賞を選ぶというプロセス、および、カウントされた得票数の多い順に作品を並べて示す機械的作業との区別を言いたかったのである。ユーザーによる直接投票で大賞を選ぶということは、ユーザーが「選評」を書くということである。運営が「選評」を書くのではない。
 ところで、疑わないで欲しいことがある。私が『概観』を書くのは、ユーザーによる直接投票で選ばれた作品群に異論があるからではない。ユーザーによる直接投票に信を置くことができなければ、運営失格であるか、もしくはこの投票システムに欠陥があるかのどちらかである。私はこの投票システムを信頼している。その上で、「こんな作品もあったんだよ?」と、皆様に向けて話すのが『概観』なのである。
 さて、私という一人の人間がビーレビに投稿された作品群から限られた数だけ作品を選び出して「話を書く」、このことの中に公正さや妥当性はあるだろうか? 何を基準に選ぶのか? こういうように問うことを忘れないことがそもそも大切である。
 今回の「解答案」においても、前回までと同じように、文章を貫く或る一つの大雑把なテーマを最初に決めて、そのテーマに合う作品を選んで書き進めた。そのテーマは、「you」をめぐる私の問題意識をぶつけてみるに値する、「you」を扱った作品ということであった。取り上げた作品数は非常に少ないという結果になったが、どれも深みのある作品であった。この短い概観が、少しでも意味のあるものになっているならばと願うばかりである。

・雑観 by 仁川路朱鳥

 いつもお世話になっております。仁川路です。
 B-REVIEWは、必要なときに出てきます。
 私の方は、『運営参加のお知らせ』にもあるように、色名での統計を行なっていました。統計は作品投稿掲示板にある文章を元にし、とっているため、コメントの方は拾っていません。
 ただ、2022年6月のお題詩企画については、コメント欄から統計をとっています。
 さて、2022年6月投稿作品中、多かった色名の表現は、
1位:白(117.5点)
2位:赤(103.5点)
3位:黒(84.5点)
 でした。原始社会の色が頻出しています。私がこの活動を始めてはや半年、あまり状況が変わっていないように感じていますが、それでもいいのかもしれません。結局、この3色が人類にとって大事な色なんだってことを再認識できたので。
 紙の色と絵の具の白は別の色であることが多く、厳格に修正しようとすれば全てを修正する必要があります。ただ、その中でも「どこを残し、どこを塗りつぶすか」の選択はできますし、もっと言えば「薄く塗るか、濃く塗るか」も選べますよね。統計範囲がこのサイトのみに限る(+そこまで考えて使っていない可能性がある)ため、あまり一般化して発言することはできませんが、要するに『可能性を愛する人たちが多い』と捉えてもいいのかもしれません。

 白の連想語としては「可能性」のほかにも「真理」「理知的」「威厳」「放心状態」などが挙げられます(日本色彩研究所、1965より)。また、セフィロトの樹において、白に対応する事物はケテル(思考や創造を司る)であり、それは真っ直ぐに、物質的世界を意味するマルクトへと繋がっています。そこまでの過程において、(隠された)知識、美学、基礎を通る。もしかしたらあなたの手元にある本の文章は、著者が本当にイメージして描きたかったこととかけ離れていっているかもしれない。プロであるならばそこの乖離は少ない方がいいのかもしれません。あまり先入観に囚われずに、例えば「紫色の血液」(ヘムエリスリン)を表すときに、血液とはどのようなものなのか、どのような役割を持った臓器なのか、そう言ったところから詰めていくのもアリだなと思っています。ときにはそのまま書いた方がよかったりするので、一概には言えませんが。
 ちなみに、青色の血液の元であるヘモシアニンは血球の中に入っているわけではありません。夏休みの自由研究のネタに、スルメイカの解剖はいかがでしょうか?

・好きなものにも欠点はあるが、それを補えるようになるために

 どんなに神ゲーともてはやされているゲームにも、プレイしていて「こんな機能あったらいいのにな」と思う瞬間は誰でもあると思います。それがフリーゲームだったら作者に要望を伝えるか、n次創作でその機能を搭載してみるかと考えると思いますが、コンシューマーつまり据え置きの場合だと、要望が通るかどうかわからないし、二次創作禁止のものもあったりなど、開発規模によってそのあたりの難易度は変わってきます。
 一番確実なのは「それ(=自分が実装したいものを作る)ができるスキルを持つこと」です。手に職をつけることができますし、なんだったらそれで食っていけるぐらいに突き詰めていけたら。ただ、あまり多くを求めることはできないでしょう。私だって、ちょっとスクリプト組めるだけであってプログラミング言語についてはまだわからないことの方が多いと感じています(そのため、あまり改修ができない)。なので、もしやりたいことがあるのであれば、運営に参加してみる、というのも手だと思っています。問題は、そこになければ無いです。
 私が小学生の頃、生徒会委員を投票で決めるイベントがありまして、その前日に先生から言われたことが強く印象に残っています。「不信任投票をするというならば、あなたはその候補の代わりになれるのか」と。

・作風という舵を急転換することは難しい

 データベースを覗かなくとも、B-REVIEWを長く続けていれば、匿名の作品でも「お、これはあのユーザーさんの作品かな?」と思うことがあると思います。内心の自由は法で保護されていますので、それ自体は問題ありません(直感で作者がわかったとしても「誰の作品か」を度外視してコメントを書く必要はあると考えていますし、私もできるだけそうしています)。選語のセンスや、ひらがなと漢字の含有率、空行の入れ方など、特定する方法は多岐に渡ります。
 以前、私は「(キャラクター系の)創作者は自分の作品(絵)を『うちの子』と呼ぶが、詩人は自分の詩を『うちの子』とは呼んでいない(だけであって、実際は心の中にしまっている)」という話を、誰かとした覚えがあります。最近、「詩人においては作風がそのまま『うちの子』という扱いになるのでは?」と考え始めました。詩における作風とは、絵画におけるアートスタイルと同一。少女漫画風の、キラキラした目を描く人が、急に印象派やキュビズムに変わることは難しいように、ケテルからマルクトへの道……思考の現実化が、知識と美学と基礎に阻まれているように、作風を変えることは非常に難しいと考えます。それで一旦成功してしまうと、しがみついてしまうというのもありますからね。
 知識をつけるには本、と昔からよく言われていますが、あまりに多読をしすぎると周囲との隔壁を作ってしまいます。学校で「そんな言葉はありません」と先生に言われたり、クラスメイトから言われ、嗤われたり、その後の学生生活に支障が出たりなど(過去に、『蠱毒』を知らない編集者もいました)。今はスマートフォンを保育園児が持てるような時代なので、情報収集ならばやろうと思えばどこまでもできます。が、環境によって情報の格差ってどうしても出てきますよね。一般的な知識を集めるならば、もしくは自分の持っているものを相手も持っているのだろうと考えたいのであれば、もっとも楽で効率が良い方法は『雑談』です。そこに傍聴者がいればいちいち説明しなくてもよくなります。
 コメント、コメ返し、そういった返答の連続から、思考の現実化をより良くできたらいいですよね。そのためにも一定の秩序だけは保たなければなりません。

 6月分の色の統計で目立ったのが、恒例のコーヒー(お茶系よりも多い)だけではなく、緑色のものが「侵食するもの」として描かれている点です。街路樹の青々とした、生命力あふれるあのクロロフィルの集まりが、まるで空を侵犯していくように見えるような……暑くなってまいりましたが、みなさんの周りの植物は元気でしょうか? というか、水分補給はしっかりしていますか?
 地球温暖化が現代問題となって久しいですが、いまはそのことは気にしないで、エアコンと扇風機をつけるようにしましょう。夏が終わったら、ラディッシュとか、ほうれん草とかを育ててみましょう。植物育生は、情操教育にもよいです。
 あなたにとってのB-REVIEWは、どのような色でしょうか?

・活動報告 – 意志と行動 by 沙一

 2022年6月6日から、B-REVIEWに「画像・映像投稿規準」が適用されました。(詳しくは『【重要】画像・映像投稿規準』をご覧ください)
 この規準が適用される契機となった画像を投稿された方の別の作品が6月の大賞に選ばれており、露骨で過激な表現がなくても読者の心を動かすことは可能であることを見事に証明してくれました。
(「画像・映像投稿規準」について、運営の考えを5月8日の公式ツイキャスでも語っております)

 サイト内の管理や変更をする権限があるのは運営ですが、B-REVIEWの主体者はあくまでユーザーであると考えられます。運営もユーザーであることに変わりありません。
 B-REVIEWを形作っているのは、一人ひとりの意志と行動です。たとえばそこに真剣さが足りていないと感じたら、他でもなく自らが真剣に活動するべき。サイトに対して不満や改善したいことがあるなら、運営になって働くことだってできます。
 行動を起こさないで文句ばかり言うのは不毛です。

 汝の意志することを為せ
 ──アレイスター・クロウリー

 以上で6月選考の発表とします。

 2022.8.6 B-REVIEW運営一同