平素お世話になっております。ビーレビ運営の帆場です。遅くなりましたが7月大賞作品選考のチャットをこちらで公開します。この熱気にあふれた合評の空気が読んで頂いて伝われば、選考をやった甲斐もあるというものなので是非お読みください。ただ、長いですので覚悟してお読みください (笑)
※日程の調整等の必要のないレスを覗いて投票終了後からのログをすべて掲載しています。

藤 一紀 2020/07/25
毎月いい作品を投稿しているのにコメントがつかないというのはかなりショックだし、腹立たしくもありますな。田辺さんはビーレビ内では一級の詩人さんの一人だと思う。『 頭の炭でだけ 』
https://www.breview.org/keijiban/?id=5761

Hoba 2020/07/25
4月か5月に投稿された、魚になって、の方ですよね。コメントする機会逃してしまってました。うまい、読ませるなぁ。ちょっとじっくり読んでみます。

藤 一紀 2020/07/25
冒頭から入っていくうちに行毎のまたぎ方というか、飛躍の仕方が素晴らしくて意味解釈をさせないところや行末の言葉の用い方が絶妙で、言葉で何を伝達しようとしているのかはわからないのだけど、解釈を飛び越えて感情に直接入ってくるような作品だと思います。「どうしてかわからないけど」鼻がつーんとなって泣きたくなるようなそういう世界が言葉で作られているよいに思います。一級品じゃないかなあ。

服部 剛 2020/07/26
田邊容さんの作品、かなりクオリティ高く、優れていると思います。

その反面、ある詩の雑誌の編集者が言っていた「 詩は、詩人に読んでもらう為に書くか? それとも、まだ詩を知らない読者にも伝わるように書くか? 」という言葉を思い出しています。田邊容さんのこの詩は、前者と思います。

藤 一紀 2020/07/26
@服部 剛  そこはたしかにあると思います。まだ詩を知らない読者には受け止めようがないところがある。ただ自身の経験からだと詩を知っているかいないかにかかわらず感情に触れてきて揺さぶる作品というものが、詩を知らない読み手を詩の世界に引きこむということもあるんじゃないかと思うんですね。だから決して多くはないかもしれないかもしれないけど、まだ詩を知らない読み手を詩の世界に連れ込む可能性はもっているんじゃないかと思います。伝える・伝わる、ということの難しさではあるのだけど。

Hoba 2020/07/26
意味解釈にとらわれない音学のように味わう側面もあると思うんですよね。まぁ、音楽も絵画も能動的に知識をつけないと味わいつくせない物もありますが。

ただわからなくてもダイレクトにぶちあたってくるような感覚の詩もある。それが詩の面白さでもあるような。

服部 剛 2020/07/26
レスポンスをありがとうございます。このような対話から『詩とは何か?』を見出したいと同時に、いろいろな詩の価値観を尊重したく思います。

音楽のような、感覚でゆさぶる詩、この詩で更に読者を引き込む可能性も追求し得るのではと、 個人的には 思いました。 ただ、それは僕でなく作者が決めることと思います。

服部 剛 2020/07/26
具体的にいうと、これは正解ではないのですが、この詩の16~26行辺りを 数行 に言い換えて〈えんじんおん~〉以降の描写に繋げると、その前後の優れた描写がより生きて、伝わると思います。

藤 一紀 2020/07/26
@服部 剛  なるほどですね。ぼくは言い換えることを考えていなかったですね。というか、その十行の展開のしかたも味があると感じていました。一行の区切り方、たとえば「先にあってね」の「ね」で区切ったり「仲立ち」で区切ったり、微妙な変化をつけて単調になることを避けているところの巧さ、配慮というのかな、それも含めて気持ちよく感じたんですね。もともと田辺さんの作品は暴力的というか一般的な言葉の論理的意味的つながり方を捩じ曲げたり、歪めたり、あらぬ方へ飛ばしたりするのが特徴的で、それがぼくには言葉と言葉のつながりがもたらす快さを与えてくれると思ってきたので、その十行もそういう必然性のもとに書かれていると思った。ですから、そういう意味で服部さんの指摘は新鮮です。こういう是非について色んなユーザーのコメントが入ればどんなにいいかと悔やまれます。

服部 剛 2020/07/26
ありがとうございます。「1篇の詩には、こんな可能性もある」ことを、敢えて提示したかったので、耳を傾けて下さり、感謝いたします。 

自分自身の詩作を思うと、大幅なカットは勇気のいる難しいことですが、そうすることで、1篇の詩が違う顔を見せたことがあったので。または長めの詩を、2篇の詩にする可能性もあります。有意義な対話を、感謝いたします。

Hoba 2020/07/30
早い、もう七月が終わろうとしていますね。僕は個人賞の目処が立ってないです……うーむ。

服部 剛 2020/07/30
@Hoba 1篇を選ぶのは、なかなか難しいですね。 最終的には、各委員の皆様それぞれに、自分の信じる詩に近い作品を選ぶということですね。

白目巳之三郎  2020/08/01
みなさま、少々忙しい日々が続いておりましてコメント出来ずすみません。もう少々たてば落ち着くと思いますのでまた議論に参加させていただきます。

Hoba 2020/08/02
@白目巳之三郎
お忙しい中ありがとうございます。ご無理のないように。

藤 一紀 2020/08/02
こんにちは。とりあえずあげときますね。コメントついてないけど面白い作品のひとつ。一応個人賞候補のひとつです。
https://www.breview.org/keijiban/?id=5772
『シロナガス プロパンが』
意味わかんないですが、田辺さんのとは別のタイプですね。もはや意味なんて放り投げてるんじゃないかという感じで、まあ、作者は「詩は永遠の喃語」というくらいだから作者っぽいんですが繰り返し読んだり見たりしているうちに愉快になります。

服部 剛 2020/08/02
@藤 一紀 超おりじなるな詩で、この人でないと生まれない言葉です。 作者は意味を放り投げても、この詩からは「明るい呪文」の波動が伝わりますね。

藤 一紀2020/08/03
@服部 剛  ありがとうございます。そうですね。まさに「呪文」という感じで。ぼくは初めて授業で詩を習った時、詩ってなんてわけがわからないものなんだろうと思った記憶があって、そんなモノを書いている詩人てアホくさいと思った。後になって読むようになったけど、例えば谷川俊太郎の「芝生」とか吉増剛造の「朝狂う」にしても当たり前の日本語表現としてはおかしいわけですよね。理解するのは難しいし、何いってんだこいつ?って思う。でも読んでいて身体で感じる凄さみたいなのがある。七月投稿作でも上手いひとは上手いんですよね。読ませる作りになっている。でも、そこは「わけがわかっている人が書くうまさ」かなとこの作品を読んで感じました。言い方は悪いけど技巧寄りの上手さかなと。詩はもっとわけがわからないものだったということを思いださせてくれたし、それでいて身体が面白いと反応するんです。技巧を施した上手さに対して、それを感じさせないところ(というのはこの方も書ける方だから)の巧さというか、上手く書くことを投げ出して遠ざかっていくような運動も感じる。技巧寄りの上手さや、上手く表現しようとする作品が多いなかでは、巧さの外というか言語操作の外にでようとしているかのような作品はやはり目につきます。「明るい呪文の波動」、まさにそんな感じです。

服部 剛 2020/08/03
@藤 一紀 詩における言語表現の自由を思うと、あえて文法等を崩すことで意味以上に感覚が伝わることがありますね。
なかなかそのように書けない自分も、徐々に試みたいです。僕の主観では、漢字多めの2連は少し削って3行にするかもしれません。

Hoba 2020/08/05
https://www.breview.org/keijiban/?id=5878
とりあえず個人賞候補はエイクピア氏のこの作品を考えてます。
『連れて』

藤 一紀 2020/08/05
エイクピアさんも独特の詩風を持ってる方ですね。何書いてんだろう?から謎解きしたくなる作品を提出してきます。ぼくはたいてい謎解きに失敗する(笑)。でも不思議とクセになるんですよねえ。

Hoba 2020/08/05
@藤 一紀
ですね。僕もようわからんがよかった、で謎は解けないんですよね。でも、面白いだけでなくちゃんと何かを物語っている。シュールなんだけど構成はちゃんとされています。意外と個人賞に選ばれてないですが、いいんですよね。

Hoba 2020/08/05
さて、投票最終日ですが。後、どれぐらい票が入るか。

藤 一紀 2020/08/05
いま投票は何名くらいですか?

Hoba 2020/08/05
プログラムの関係で投票人数は見れないですが、票数は40なので最低でも8人ですね。現在は3票の作品が最多得票です。
服部 剛 2020/08/05
@Hoba# 投票についての質問です。選考過程になれてなくてすみません。投票数が出た後、8/25までに選考委員で討議ということで、選考委員は投票はしなくてよいのですよね。

Hoba 2020/08/05
@服部 剛
8月6日以降でご都合の合う日にこのチャット枠かボイスチャットで大賞作品を決定します。それにあたって各選考委員が大賞推薦作品を3つ選び短評を書いて頂きます。投票については今のところ各委員にお任せしております。投票にはユーザー登録が必要になるのでよろしくお願いします。

羽田恭 2020/08/05
https://www.breview.org/keijiban/?id=5803 桐ケ谷忍さんのこの作品を個人賞にしようと思っています。 『 田園』

命を食べるをテーマにした詩はあるのでしょうけど、こういった形にしたのに感動を覚えてしまったので。

藤 一紀 2020/08/05
@羽田恭  ぼくはこの作品にコメントしたのだけどちょっと反省もしています。見た風景を言語的に表現している、という読み方をしていたんじゃないかと。しかし、語り手が見たままの風景として(つまり幻視として)そのまま語っているとしたら強烈だなあと今さらながら感じます。

Hoba 2020/08/06

とりあえず、投票結果です。
基本は上位票で二位までを大賞の候補として三作選び(3作以下でもよい)ます。しかし、1票作品のなかでも、これはどうしても見逃せない、という作品がありましたら仰ってください。検討の対象に加えます。

個人賞の評が出そろっていないので、とりあえず段取りだけ書きました。出来れば11日ぐらいには大賞候補の短評をしめたいところです。最終、選考ですが文字チャットかボイスチャットかどちらがよろしいでしょう?

藤 一紀 2020/08/06
お疲れさまです。投票した作品や目をつけていた作品が上位に入っているので、これまた難航しそうな予感(汗 意見が割れて詰めたいとなればボイチャでもよいかと思います。

 
服部 剛 2020/08/06
ありがとうございます。あと数日で全作品読了次第、お伝えします。
服部 剛 2020/08/06
チャットについては、お任せいたします。
白目巳之三郎 2020/08/06
僕もチャットはどちらでもかまいません。
羽田恭 2020/08/06
どちらかと言うと、文字の方がやりやすいです。ボイスでも大丈夫ですが。
Hoba 2020/08/06
かしこまりました。とりあえず文字チャットで考えておきます。

服部 剛 2020/08/08
明日か明後日(9日)までには3篇選び短評を書き、個人賞をお伝えします。 お待たせしてすみません。 短評を書く3篇のうち1篇は0票の詩なのですが、やはり1票は入ってる詩でないとだめでしたら他の詩にしますので、教えていただけると、ありがたいです。

Hoba 2020/08/08
最低一票を獲得してる作品でお願いします。
服部 剛 2020/08/08
了解いたしました。ありがとうございます。


Hoba 2020/08/08
明後日までは個人賞ですので、個人賞は0票作品でも構いませんが。
大賞候補の短評3作品については先だって書いたコメントをご確認ください。そちらは11日までに提出頂ければいいので。

白目巳之三郎2020/08/08
個人賞は横山はもさんの『あるいは、愛のこととか』という詩でいこうと思っています。賛否はあるかもしれませんが、この尻軽な感じの文体(いい意味で)が気に入っています。
明日までに論評を添えて送ります。
https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=5845
『あるいは、愛のこととか』

服部 剛 2020/08/08
お待たせいたしました。 数日いただき、心から感謝いたします。 個人賞を決めました。斉藤木馬さんの「落雁」で、考えています。

Hoba2020/08/08
https://www.breview.org/keijiban/?id=5853
『落雁(音声版)』二月にテクスト版が投稿された作品ですね。

Hoba 2020/08/08
@服部 剛
リーディング素人としては服部さんの書かれる評が楽しみな作品です!
服部 剛2020/08/08
ありがとうございます。今回はこの詩のテキストにフォーカスして、すでに評を書きましたが、彼の朗読についてもふれた方が宜しければ加筆しますが、どうしましょうか。彼は朗読も優れていますが、本音としては、この作品、僕は朗読よりもテキストに惹かれて選びました(^^)

藤 一紀 2020/08/09
ビーレビ参加者にはリーディングをしている方もいますが本格的なリーディングに関する評は少ないので意義があるかと思います。
服部 剛 2020/08/09
了解いたしました。リーディングについて加筆します。
Hoba 2020/08/09
@服部 剛 ご無理を言いまして申し訳ありません。ありがとうございます
服部 剛2020/08/09
いえいえ、書いてみます。 (^^)

白目巳之三郎 2020/08/09
この詩の尻軽さがなんとも心地よい。気持ち悪いはずの言葉がなぜか心地いい——
『きみだけはキスだけの関係でいたいんだ』——最悪。一生で一度も言いたくない、聞きたくない言葉の一つ。
『最近は、いくら書いてもひたすら文字を拾っているみたいにしか書けなかった。』——最悪。詩人としてそんなことをあけすけに書くなんて信じられない。殺したくなってくる。
作者の現実感がチープ過ぎて深みがない。
このチープさがなかなかなかなかに麻薬的なのだ、困ったことに——『ちょっと違う。今度は大きく違う』——作者の気持ちの悪い現実感と超現実感がこの詩にはいれこになって出てきている。
『最近は、いくら書いてもひたすら文字を拾っているみたいにしか書けなかった。』のあとに、自分の由来をお母さんが食べたミートパイだとかお父さんが打ったパチンコ玉の輝きとかハリケーン・ジョニーとかに求めているのが面白い。『きみだけはキスだけの関係でいたいんだ』という彼氏は『とくべつな免疫ウイルスを持っている』男だというのが面白い。そして弟は作者の意志とは関係なくわけわかんないことをしているわけで。フロリダを出産する物語って(笑)この非現実感。『プリーズプリーズ・ミー』によって『人生で口にする言葉がおおむね決められている』女なんて現実で会いたくもない。
どこかアメリカの現代文学を思わせる乾いた文体は日本語というものが持つ湿潤さという枠組みを拡張することの一つの足掛かりを感じさせる。いわばこの詩はメンヘラ女子のたわごとなわけだが、そのたわごとをこの文体に載せると内在的にメンヘラ女子的宣誓が普遍性を持ってくる。気持ち悪い。
自分の後ろに続く布って、「かぐや姫の物語」って言いたいんかそれ。
「あるいは、愛のこととか」:横山はも著
とりあえず、総評です。もし何か変えた方がいい部分等ありましたら、ご指摘お願いします。

白目巳之三郎 2020/08/09
読み返してみて、多少攻撃的なところもあるので、もう少し丁寧に書いた方がよければ、そのように書くことも出来ます


Hoba2020/08/09
※ B―REVIEW 7月投稿作品より、3篇の詩について ※

  〇 『落雁』 著:斉藤木馬 (服部 剛個人賞)  
 海辺の風景を通して、理屈ではない生の感覚が伝わる詩です。「私」が海の風景と対話するような深い感覚は、読者をも海と語らう世界へと誘(いざな)います。読めば読むほど潮の匂いと共に、詩の中にいる「私」の胸に秘める決意がじわじわ…届きます。
 海に近い宿?で飯を食う場面も、「私」の過ごす時間の静寂と緊張感がイメージできます。また、優れた詩はときに映画の断片のように思えますが、まさにこの詩は凝縮されたいくつかのシーンが視えます。
 1点だけ、読者の視点でぜいたくな要望をお伝えすると、この詩は妥協のない作者の確立された詩世界であり、節々の言葉も動かしようのない完成度です。もし、優れた詩人である斉藤さんが、この詩世界にひとさじの大衆性を入れたら(明らかにほっとさせるというより、密かに潤滑油をさしたら)どうなるか?も、見てみたい気がしました。
     * * *
 また、この詩は7月の詩の中で、唯一朗読の動画として投稿されています。斉藤さんはクオリティのある詩を書くと同時に、優れた朗読詩人でもあります。ときにテキストが映画の断片ならば、この朗読からは舞台の雰囲気も伝わります。
 斉藤さんはテキストを妥協なく仕上げるのと同じく、朗読の表現にも妥協がありません。詩の箇所により、リズムと抑揚のある読み方で、声質も含め、プロの朗読です。詩は根本的に活字であることは大事ですが、この動画をみると、朗読の声の表情だからこそ、伝わるものがあることに気づきます。
 私が今迄出逢った多くのポエトリーリーディング(朗読)の詩人の中で、テキストと朗読のクオリティを両立し、魅力のある詩人が幾人も思い浮かびます。詩の言葉を伝える手段として、この動画で効果的な海の風景を含め、詩人の肉声による朗読のライブで伝える可能性があるということ。そこには魅力ある人間の生の詩の言葉が存在しています。今回の選考で、私は純粋にテキストの良さで『落雁』を選びましたが、同時に、斉藤さんはテキストと朗読を両立している詩人だと、改めて思いました。
  〇 『拝啓、イタズラ好きの君へ』 著:入間ちかa.k.a なぞみん
 この手紙スタイルの詩を読んだ後、何ともいえない爽やかな風が私の胸に吹きました。読ませる力のある書き手であり、構成力もあり、魅力ある世界観です。
 手紙で語られる「君」は肉眼では見えない存在のようで、具体的には書いていませんが、私はかけがえのない死者を想起しました(読者により想像は自由です)。変わらぬ想いが届いても届かなくても、明るく「君」に語る「私」の人柄がよく伝わります。
 手紙形式で書いているためか、入間さんは意図的に詩的な描写を抑えている気がします。他の作品では人に伝わる優れた詩の言語を書く人だと思うので、今後が楽しみな詩人です。
  〇 『つぎつぎに潤う』 著:真清水るるさん
 この詩で優れている点は、「植物のもつ治癒力」を示唆しているところです。とくに〈モウセンゴケも~中略~少女といっしょにうずくまり/内側から光るのを 待っている〉というのは、とても深い感覚だと思います。真清水さんは独自のよい感性をもっているので、誰もが想起する日々の風景を融合して詩作したら、より説得力のある詩になるのではないでしょうか。

Hoba 2020/08/09
@白目巳之三郎
評文ありがとうございます。
基本的には問題はないかと。僕は楽しく読めました。横山さんの散文は好きですね。一点、『作者の気持ち悪い現実感』などは自分なら特になんとも思わないのですが、人によっては作中の主体の現実感であって自分ではないと言う主張が作者から入る可能性はありますかね。なんにしろそれが持ち味になり得ているので修正するほどでもないですかね。


白目巳之三郎 2020/08/09
あ、そうですね。
作中の主体の、という表現に変えたほうがいいかもしれません。
ちょい考えて訂正するのであれば、今日中に送ります!
ありがとうございます!助かります。

では自分から。「田園」は個人賞と兼ねる形でお願いします。
「し」 著:真清水るる

漫画「あっかんべぇ一休」で一休が長くつぎはぎした紙に太い筆で一気に長―い直線を書き、最後の最後で返し、「し」の文字を書いたシーンがあった。
「いろは歌の“あさきゆめみし”の“し”だ。死にも通じる」と言っていた。
 この詩でもそれに近い「し」の意味があるのだろう。
そしてもちろん「詩」の意味も。

 「し」は詩、死、屍、私、史、視、使、詞、資、至、思にも繋がる。
>し は、
>どちらでも いい し と、いう顔をしていたが

 とは言いつつ「し」は善い方向を指し示していそうだ。
 「し」その分だけ、この詩も広がっていく。
恐れ忘れ尋ね、飛沫上げ飛び上がる。
その人にとっていい「し」であるかのように。

「梅雨も明ければ」 著:AB

 まず一連目の六月二十三日について言う必要がある。
この日が沖縄戦の慰霊の日だ。
つまりこの詩の寂しさはここからやってくるのだ。
 何分生まれも育ちも労働も北海道なので知らない単語が出てくる。
壺屋、久茂地も沖縄の地名。
射干はアヤメ科の花。右下の特徴的な花がそれだった。北海道には生えていない。
また斫るとは石やコンクリートを砕く事らしい。

一連目。
沖縄戦を前提にすると見え方が少し変わる。
金属が湿っているのは沖縄の熱帯からくる湿気によっていたのか。
なのに舌が乾くのは、水を飲めなかった戦死者か。
信号の点滅はそんな彼らからの通信か。

二連目。
となると、蛍は魂か。
沖縄の焼野原になった久茂地にも被害が少なかった壺屋にも各所に回り、そんな日は酒を飲む気がしない。
蛍袋に主は今日いない。

三連目
そんな沖縄戦の生き残りだったかもしれない祖父。蛍袋と同じくその家は今日から主がいなくなる。シャガの花が家守のように。

四連目
そして喧騒は国際通りか。それぞれ日常を過ごしながら忘れている。月がその顔に切りつける。
ニャー。これは鎮魂だったのかもしれない
Hoba 2020/08/09
@羽田恭
ありがとうございます。
藤 一紀2020/08/09
こんばんは。個人賞は多宇加世さんの『シロナガス プロパンが』でいきます。
服部 剛2020/08/09
『 連れて』 著:エイクピア について。(帆場蔵人個人賞)

① 自在な世界で、僕はアニメの映画のスクリーンを想像して、この詩の場面を思い浮かべて、楽しみました。

② 意味が分からないようで、不思議と〈 場面日々の流れ 〉が見えます。

③ 「起」が無い詩という捉え方は面白く、「起承転結」のどれかを抜いた構成の詩等、いろいろな手法が考えられます。

※ 例えば帆場さんが表記した「起承転結」のように空行をつくり4連の詩にしたら読みやすくないか?

※ この作風で3から5行の短詩で詩集になったら頁を捲るのが面白い小詩集になるかもしれません。
② すみません、「場面々々の流れが見える」に訂正します。

Hoba 2020/08/09
そうですね。読み易さ、という面では改行もありですが詩の全体の流れは繋がっていた方があの詩にはいい気が。

エイクピア氏の詩集あったら読みたいです!
あ、白目さんが個人賞にされた横山さん、ハンドルネームが変わってたので発表のときは横山はも(パワフルらっこ)にしときますね

藤 一紀 2020/08/09
エイクピアさんの作品について思ったのですが、アニメに近いのだけどそのもとになる「戯画」的な性格がありますね。なにか歴史的現実的な事件をもとに語られているのだけど、語られている内容からはそれがよく理解できず、けれども描かれている様相に面白味を感じてしまうような。そういう二重構造をもちながらもとになっている方はうまく解読できないというのは、書かれたものの奥に「なにかがある」という秘密を読み手に感じさせるという点で魅力になっているのではないでしょうか。

服部 剛 2020/08/09
ありがとうございます。必ずしも空行をつくれば良いとは限りませんね。 その辺、自分ももう少し考えてみたいです。
服部 剛 2020/08/09
藤さんのように深く読みこんではいないのですが、戯画というのは、言えていますね。 そう考えると、続きを読みたくなる作品です。鍵になる人物は 石崎君 です。 (^^)

藤 一紀 2020/08/09
実は「石崎君」、前に出てきたんじゃないかと思うんですよね……。ついでといってはなんですが、エイクピアさんの作品は先に書いた意味で魅力があるのだけど通俗(大衆)性をもつかというと読み手を選ぶところはあるかもしれませんね。詩作品ですからエイクピア作品には限らないけど(^^;)

藤 一紀 2020/08/09
服部さんが選んだ入間さんの「拝啓~」、読ませる作品でしたね。良かった。個人的には冒頭のサクマ式ドロップスとヴェルタースオリジナル云々の箇所が上手いのだけど、上手いだけにちょっと鼻にかかった感じがありました。力が入っているというか技を見せている感じがしました。勿論それはいけないことでは全くありませんが(^^;)

Hoba 2020/08/09
『拝啓』の入間さんは最近、一推しの新しい書き手さんですね。安定したうまさがあります。たしかにもうすこし肩の力がぬけたら、さらに飛躍されそうです
服部 剛2020/08/09
確かにエイクピアさんの世界は、読者を選ぶとは思います。ただ先程少しふれたように、工夫して本にすれば、面白い詩集になる可能性は秘めている気がします。
藤 一紀 2020/08/09
前にコメントしたのだけど、ちょっとね、マザーグース的な面白く謎めいたものになりそうで楽しみであります(^^)
服部 剛2020/08/09
入間さんは、『 にんげんしかく』だったかな。あの詩も僕はいいと思いました。確かにあれで少し、力抜けたらどうなるのだろう、と思わせるものがあります。いろんな詩があってよいのですが、入間さんは読者をもち得る書き手、詩人になる素養のある人と思うので、楽しみです。

藤 一紀 2020/08/10
こうやって話しているなかで、例えば服部さんが作品を単体の詩作品としてだけでなく、それが一冊の詩集のなかに置かれるとしたらどうか、「詩集を構成する一つとしての詩作品」という視点に立って読まれているように感じられることは、詩を読みまた書く上で非常に勉強になります(^^)

服部 剛2020/08/10
一篇の詩として優れたものであるのは大事なことであると同時に、書き手・詩人として「誰かに作品を届けたい」と思うとき、執筆の道を充実したいと思うとき、如何に本・詩集をつくり、如何にその詩人の作品を生かし届けるかの工夫は大事になるのでしょう。

簡単ではないかもしれませんが、クラシックに各楽器の役割があるように、野球にポジションがあるように、それぞれの詩が一冊の本を構成する中のひとりであればと、思います。

上手く言えず、結論も出ませんが、エイクピアさんの詩をきっかけに、そんなことを思います。
では、続きは後日に。今回の選考を通して、詩の在りようを考え、共有したいですね。おやすみなさい。(^^)

服部 剛 2020/08/10
『 田園』 著 : 桐ヶ谷忍 について。 

① この詩は羽田さんの言うような、日々 動物のいのち を食す現実と共に、この世の残酷性と、自己の内包する 心の痛み という3つが渾然一体となり、描かれています。

② 3連と4(終)連は、その残酷な世界の日常は続く中での「諦念と、生きる意思」と「皮肉と、小さな優しさと」の両方がこめられているようです。

※ 桐ヶ谷さんの詩は以前から読んでおり、このサイトでも他の詩を読みましたが、それらは「痛みの告白」「回復の過程」「この世の病理」等を語っており、優れた詩人と思います。

※ この『 田園』は、確かにインパクトのある確立した世界を描いていますが、上記でお伝えした他の詩は、いずれも具体性をもって読者に伝わる作品であるのに対し、『 田園』はイメージの要素が強すぎて、詩人・桐ヶ谷忍の本領が発揮された作品ではないのでは、と思います。

※ 僕の主観としては、具体性も伝わる桐ヶ谷さんのいつもの詩なら、迷いなく大賞にノミネートされる実力のある詩人と思っています。

羽田恭 2020/008/10
「田園」はこのイメージがとても気に入ったので推しました。
個人的に好きなのは否めませんが。
「連れて」はエイクピアさんらしさが全力で出ていますね。
イメージの疾走感はなかなか。ただ正直エイクピアさんの作品はいまいち読み込めないんですよね。実は。どうも選ばれなかったかもしれません。

服部 剛 2020/08/10
羽田さん、レスポンスをありがとうございます。『 田園』は確かに完成度が高く、絵画が視えるようです。桐ヶ谷さんへの個人的な願いを述べてみました。
エイクピアさんの『 連れて』は、僕は読みこむというより、イメージの連鎖を楽しむような感覚で読みました。

Hoba 2020/08/10
田園、は悩みますね。服部さんが言われるように、これまでの桐ヶ谷さんの作品とは毛色が変わっていて、これまでの、らしさ、生や死などへの生々しいほどの筆者の具体性よりも語ることやイメージを反映させることに軸を傾けておられるように感じました。

そういう意味では試行錯誤されて新しいものを作ろうとされているのかもしれません。いずれにしても良い作品なので、候補がまだ絞り切れないですね
服部 剛 2020/08/10
そうなんですよ。すごい領域にふれているけれど、桐ヶ谷さんの確立された詩の世界ではない、模索の作と考えると、大賞に推すのは少し迷います。

藤 一紀 2020/08/11
桐ヶ谷さんの作風は降りてきたものを言語化するのだとご本人も言われていますが、「生首」をモチーフにしたい気持ちが強かったのかもしれません。たしか本作よりも前に生首を出している作品があったけど、そっちの方がよかった。これについては生首のでてくる粕谷栄市作品を紹介したのはぼくで反省もしています(^^;)
藤 一紀 2020/08/11
はもさんの作品なんですが、ぼくは『海老と夕方』の方が好きですね。
白目巳之三郎 2020/08/11
はもさんの作品ですが、僕はやはり好みというとこで、『あるいは、愛のこととか』に軍配あげちゃいますね
でも、今『海老と夕方』読んでみたら確かにこっちの方がなんか深みがある感じしますね。最後の方とかかなりかなり。

Hoba 2020/08/11
好み、だと僕も海老と夕方、ですかね
藤 一紀 2020/08/11
『海老と夕方』は嘔吐という生理現象が同時に作中主体の受け入れられない感情(文字通り「呑み込めない」心理状況)を語っているところからがミソですね。そこから語りが奇妙な方へずれていく。

白目巳之三郎 2020/08/11
あー、なるほど
僕は『海老と夕方』は海老がスーパーから厚木市、羽田空港からホーチミン市、的ないとも簡単に跳躍していっちゃうとこがかなり好みだったのですが、その跳躍を下支えしている部分は嘔吐という身近な生理現象から始まっているゆえだったのか、なぞと思いました。 確かにこの詩のミソはその辺にありそうです

藤 一紀 2020/08/11
@白目巳之三郎  ただ、全体としてはやっぱりちょっと粗いような気がします。どうでもよいことを書いているというのではなく、言葉の選び方という意味では推敲の余地がまだまだあるんじゃないでしょうか。
白目巳之三郎 2020/08/11
@藤 一紀  『海老と夕方』に関しては完全に藤さんの意見にアグリーですねー。ただ、『あるいは、愛のこととか』については個人的にはかなり評価しているといったところですかね、、
服部 剛 2020/08/11
僕も『 海老と七夕』を推します。

服部 剛 2020/08/11
『 海老と七夕』 著 : 横山はも について

① この作品が動き出す3連目。海老を食べてアレルギー反応を起こす「ぼく」に〈 大丈夫だよ、と彼女は言う。大丈夫ではないのだ 〉というところで、彼女とのすれ違いは明白になるようです。

まっしろな便器を見つめ、彦星と織姫にいのる描写も、面白いです。

② この作品の読ませ所は明らかに4連の、吐き出された海老がぐんぐん過去へ遡る描写で、引き込まれます。

③ ラストの連で、今度は「ぼく」が自分の命を遡り、自然の一部の〈 降り注ぐ太陽の光 〉へ回帰する感覚は深いです。

空に星が見え、彼女がチャンネルを変えたかもしれないところに、兆候と優しさがみえた後に、作品の最初に心配そうに語られた、鳥の糞が具現化して作品は終わり、二人の生活は続いてゆく。

※ 「愛のすれ違い」「続いてゆく日常」「生命の円環」を描く横山さんの筆力を感じます。

※ 「海老」をたましいと、意図的に軽く書いていますが、個人的にはこの たましい を掘り下げて、伝えてほしい気もします。
Hoba2020/08/11
ちょっと出先なので評は夜に送りますが、エイクピア氏の、連れて、意外の二作品は、検閲アレキシサイミアと終始点の予定です。
個人賞まとめ
羽田 『田園』
藤『シロナガス プロパンが』
白目『あるいは、愛のことか』
服部 『落雁』
帆場 『連れて』

藤 一紀 2020/08/11
ひとまず大賞候補を挙げます。

「貝化石」(杜琴乃)
「頭の炭だけで」(田邊容)
「隅中の実存」(渡辺八畳)

Hoba 2020/08/11
「検閲アレキシサイミア」  著:みつき
冒頭の一行でPing(ピン)というプログラム用語を使いながらも何か詩的な空気が漂った所にそれを聴いてげらげら笑うときておやっ、と足場を避けられたような気分になるのが面白い。アレキシサイミアという言葉を学んだのは学生の頃だったので思い出せず調べてみると心身症の症状なんですね。失感情。

「自分の感情を表現する言葉を見つけるのが難しい」ということでした。そこから感情を言い表す言葉が欠けていること=失感情(言語化)症という概念が出てきたのです。

この詩のなかの言葉は意図的ですが支離滅裂とまではいかないものの文脈を捉えにくく構成されている。だけどちゃんと語りたいことがありそれを上手くズらしている。そこに上記の失感情的なものが絡んできているのだと思える。

>わかりません 勝つまでは
>炭で塗らない裏手のパトロール
>くだらないな これならとうります
>それはそれでだめ

でも、ズレているのに読み手をはなさないものがある。例えば欲しがりません、勝つまでは、をもじっていて読み手は全体の意味はともかく詩に入っていくに当たってうまい足がかりだと思う。一行目でつかまれた作品です。

「終始転」 著:白川山雨人

冒頭の3行はまるで大地に仰向けになり白樺が空へのびあがるさまを観ているかのようだ。そこから俯瞰して天地の狭間にある白樺と地に堆積される赤い葉が腐葉土となり白樺がさらに映えていく。視覚的にも色彩的にもくっきりとした流転し続ける世界の様が丁寧に描かれている。劇場とあるように最果ての結び目にたどり着くまでに、落葉のすべてに物語が秘められているようです。

「隅中の実在」 著:渡辺八畳
何気ない昼の情景のなか在る中に確かにない、ということが実感を持って語られている。言葉で、詩で、描くことの意味を考えさせられる逸品。日常、あまり誰も気にしないようなゆらぎ、誰も観るものがいないはずの部屋の情景、

>扉が閉まりきっておらず
>カーテンが弱く発光しながら
>微生物みたいな埃が膜を張っている

前半の描写がこの情景へと導いてくれる。読んでいるとその薄暗さのなかをじっと凝視してしまうようなものを感じます。
すみません、当初、個人賞のエイクピアさんの作品を大賞に入れようかと思案していたのですが、そういや隅中の実在の評を書いていたと思い出したのでこちらの三作品でお願いします。

白目巳之三郎
『卓上の海』帆場
『田園』 桐ヶ谷忍

卓上の海
(審査員に帆場さんがいるので問題かもしれませんが……)
ギャグなところがいい。『アミノ酸でも、足そうか/光合成しないと駄目なのか』というところでくすりと笑ってしまう。台所の風景から四十億年前の海に遡ってしまい、ただそれがマジじゃないのがいい。ある種の逃避行は、いわゆる現実逃避でなく、ギャグだ。しかもそのギャグから主体は真実を見つけてしまった——もう後戻りは出来はしないから/四〇億年前の海を窓から降らせた。
現代において自分の世界に逃げ込むことは往々にしてありがちであるし、それが批判されたりもするが、ある種自分の世界に逃げ込んだ先の希望を語っているところがなかなかに。詩が人々に寄り添いながら、人々を批判しながら、それでいて優しさを提示するものだとするならば、この詩は美しい。

田園

(すでにいろいろと議論になっていましたが、一応)
うまい!の一言に尽きる。稲穂の一生を人の一生に例えているその比喩は、現代的な気持ち悪さに貫徹されていて、現実感がある。(もはや普遍へと広がっているかもしれない。)『栄養満点/今日も元気におつとめします』という部分がかわいい。それでいて最後には『大きくおなりね、と/自転車のペダルを強く踏み込んだ』という大きな肯定感がある。ある意味お手本のような詩。ただ作者しか書けないオリジナリティーがある。詩の比喩という面と伝わりやすさという点から突出している。

おぼろ

作者が拾ってきた音があるなあと感じる。個人的には唯一口に出して読みたくなった詩。最近は黙読する事を目的として書かれた詩というのも多々あるのかもしれない。その中で音読することによってさらに趣深くなるのは、まれなのかもしれない。テーマを明確にしようとすると(言語化しようとすると)取りこぼしが出てしまう、そんな部分を感じる。不思議な風合いが漂っていてとても好きな感じ。

藤 一紀 2020/08/11
帆場さんの『卓上の海』については、番外編としてでもいいから、この場で──つまり選考委員という立場を負った者が集う場──で話したいと思っていたところです。ぼくが思うにあの作品はもっとよくなる可能性を充分にもっている。まあ、これは選考終了後のアフレコでながすのもありかと思います(^^)

白目巳之三郎 2020/08/11
確かにそれがよさそうですね
そのような場をもうけること、大賛成です

Hoba2020/08/11
@白目巳之三郎
ありがとうございます。これで候補が出揃いましたね。先程の書き込みに補足してピン止めします。
Hoba
さんがこのチャンネルに
メッセージ
をピン留めしました。
全てのピン留めを表示。
2020/08/11
藤 一紀2020/08/11
帆場さんの作品はぼくの読む限り、帆場さん自身の意図する領域でおさまっています。そこはすごいんだけどもったいなくもあるような気がする。

Hoba 2020/08/11
拙作についてお言葉が頂けるのはありがたい限りです。ある意味、壁に当たって延々と迷走しているので。田園と隅中の実在意外は候補が重なってないですね。
おぼろ、は読んでいて音がいい。耳の良さが目立ちます。
白目巳之三郎 2020/08/11
確かに、そう言われるとそのような部分があるのかもしれませんね。
作者の意図を越えたところの部分がないというのはなかなか手厳しいところですが(笑)解釈の余地という点でも一定におさまる部分とかはあるのかもしれません。それでも、好きではありますが、これ以上の改善、僕はぱっとは思いつかないところがあります。

>帆場さん
音に関してだけ言えば、かなり『おぼろ』は突出しているかなとは思いました。

大賞各選考委員が選んだ3篇の上位2篇ずつを選ぶか、各委員が順位にかかわらず選んだ3篇のうち2篇を再検討するかは、おまかせいたします。

Hoba2020/08/13
そうですねぇ。文字チャットでやるとして、まとめを二十日か二十日以降に設定して一作品ずつそれまでに時間がある時に書き込みしていく形式で、大賞候補に残すか保留かを考えてもいいかと。

服部さんに提案して頂いた作品を絞るかは各人に任せようかと。
藤 一紀2020/08/13
なかなか日が合いませんね(_;
Hoba 2020/08/13
僕自身が出した候補にあらためて優先順位をつけると隅中の実在が他の2作より抜けるので絞ってもいいのですが。
Hoba 2020/08/14
とりあえず、順に作品挙げますので検討していきますか。

※本来であればまとまった時間をとり最終選考の協議をしていたが今回は日程の都合上、時間を限らず候補作品をあげて検討していった。

https://www.breview.org/keijiban/?id=5806
『おぼろ』

羽田恭 2020/08/14
改めて読むと、いいんですよね。
白目巳之三郎さんが口に出して読みたい気持ちがわかります。

藤 一紀 2020/08/14
遅くなり大変申し訳ありません。渡辺八畳氏の『隅中の実存』について選評を書き終えました。参考にして下さるとありがたいです。

大賞候補1
『隅中の実存』渡辺八畳

(以下選評)
無感動に曇った午前には
雀の泣き声も軋みみたいなもので
奴らは散らばったねじだ

「雀の泣き声」が「軋み」ということはないし、そのように聞えるということもないのだけど、「軋みみたいなもので」と語られることによって「曇った午前」の空気という無形のものがまるで軋む音を立てるものであるかのように物質的に感じられてくる。また目には留まってもその存在を存在として明確には認識しにくい《雀》を《散らばったねじ》と無機的な物質に喩えることで、その存在感を明確にしている。こうした無形のもの、認識しがたいがために見過ごしにされている存在が、言葉を通して、あたかもモノのように手触りを感じられる形になって現れていく。

掃き捨てられるこの時刻には

とあるようにここでも《時刻》が《掃き捨てられる》モノとして扱われている(ぼくは《小数点以下のゆらぎ》がその時刻の存在に具体性を与えるのに一役買っていると思うのだけど)。生活のなかで認識されがたく意識されにくいものは多い。それが物質的に表されているのを読むことによって、日常に馴れすぎてしまったために多くの物事を見過ごしていることに気づく。ゆえに

社用車さえも通り過ぎるだけで

の《社用車》は《通り過ぎるだけ》なのだ。いや、通常《社用車》はだいたい《通り過ぎるだけ》なのだが、ここでは通常ぼくが気にも留めない車のひとつではなく「明らかに通り過ぎる《社用車》」としてはっきり見えてくる。それらは確かに在るのだ。ところがその存在をぼくが見過ごしてしまう。そのため、それらは存在しないかのように処理されてしまう。存在物が在ることによって自らの存在を語るとしても聞きとられなければ無いに等しい。それだけに

認識されないことでの沈黙

は重く、暗く響いてくる。というのは在りながら認識されないがために沈黙とされているものが在り、それらが一つの重量をもった塊(モノ)であるかのように感じられるからだ。これはまさしく《固化していく重さ》であろう。「認識されないがためにその実在を見過ごされてしまっているものたち=沈黙」はたしかに夜の沈黙と比べると重く感じる。それはぼくの意識のありように関わってくるからだと思う。

秒針が静止している その刹那に
家主が留守にしている部屋では
扉が閉まりきっておらず
カーテンが弱く発光しながら
微生物みたいな埃が膜を張っている

一連目が外の世界を流れる時間に焦点があてられているのに対して、二連では視線が部屋に向かう。しかもここでは時間は《秒針が静止している その刹那》である。それまでの時計の動き(時間の流れ)を止めることで、そこに映る光景を映し出す。カーテンにあたっている光、そのなかで立つ埃。人がいない時、部屋はもっとも部屋らしい、と思うことがぼくにはあるが、それを在るものを通して描き出している。

その 薄暗さの 中には
なにもいない

そこには《なにもいない》のだが、ぼくが居ながらにして見過ごしている多くのもの(存在)が沈黙として在るに違いない。見過ごしてしまいがちになってしまう物事の存在に質感を与えて明瞭にしていく言葉の置き方、構成、流れる時間と静止した時間の対比、これらとおよそ否定的消極的な語によって抑えられた語り口が重なり合っていて読む度に腹にずっしりとくるものを感じます。それでいてなぜか眩しい。
藤 一紀2020/08/14
一作ずつ見ていく流れをとめるつもりはありません。自分だけ評を出していなかったので出したまでです。念のため。
Hoba2020/08/14
@藤 一紀
ありがとうございます!丁寧な考察をされていて参考になります。
あ、この作品への短評も併せて出した方がいいですね。
おぼろ  白目氏の短評

 作者が拾ってきた音があるなあと感じる。個人的には唯一口に出して読みたくなった詩。最近は黙読する事を目的として書かれた詩というのも多々あるのかもしれない。その中で音読することによってさらに趣深くなるのは、まれなのかもしれない。テーマを明確にしようとすると(言語化しようとすると)取りこぼしが出てしまう、そんな部分を感じる。不思議な風合いが漂っていてとても好きな感じ。

服部 剛 2020/08/14
ABさんの『 おぼろ』について

白目さんのいうように、音がいい、感性もいい。

音読すると、より作者が自分自身に語りかける肯定感も心地よいです。

おしいのは詩のラストの終え方で、〈 おぼろ 〉の一言があることで、全体がぼやける気がします。

最初から心地よい流れできているからこそ、ラストは きゅっ と終えると、よりこの詩の優れたものが伝わると思います。

この詩の終え方は検討が必要ながら、僕はラストの〈 おぼろ 〉はカットしてよいと思います。その点をクリアしていれば大賞候補に迷わない、おしい詩だと思います。

服部 剛 2020/08/14
なお、僕の大賞候補は斉藤木馬さんの『 落雁』と、入間ちかakaなぞみんさんの『 拝啓、イタズラ好きの君へ』の2篇に絞ります。 宜しくお願いいたします。
藤 一紀 2020/08/14
ABさんはいつも音や音のつらなりでジンと沁みるような作品をつくりますね。ひらがな詩は解釈が重なって、そのずれがまたいいです。
Hoba 2020/08/14
@服部 剛
メモを修正しておきます。
Hoba 2020/08/14
やはり音がいいですね。ひらがなの詩は見た目も柔らかで、気が休まります。ただ僕もラストのおぼろ、がまとめ方としては勿体なかった気がします。あぁ、でもそれを毎朝、無意識に繰り返していて、ラスト一行で掴みきれずにおぼろになってタイトルを回収しているのかな?
でもタイトルと詩文が重複するのはちょっと言葉としては勿体ないような。そこだけ。いい作品ですが、大賞としては至らないかな。

藤 一紀 2020/08/14
もともと『おぼろ』な印象にしたかったんだろうなとは思います。だからひらがなをつかったのかな。内容的にも意図的かどうかわからないけどかなりぼかされてるし。池井昌樹的世界みたいな。最初の一行と同じく最後の一行も肝ですね。

Hoba 2020/08/14
ああ、おぼろなイメージが全体を覆うように平仮名で書いたわけですか。ぎしき、で終わっちゃうと逆に意味がはっきりと輪郭を持ってしまうから、おぼろ、でいいのかな。
藤 一紀 2020/08/14
まあ、とはいえ、大賞としては弱いのかな。作風として好きは好きというのはあるんだけど、全候補作品のなかに置いた場合、大賞として推すだけの根拠が見つけにくい口惜しさはあります。

白目巳之三郎 2020/08/14
確かに皆さんのご意見聞いていると大賞としては弱いかもしれないですね。
音だけではやはり作品の厚みとして不十分かもしれません。
藤さんのいうように根拠が見つけにくいというのは確かですね。
藤 一紀 2020/08/14
服部さんが前に言われたように、「一冊の詩集に入れる作品」として想像してみると、最後の一行はやはり抜くか変えたほうがよくなるかもしれません。
Hoba 2020/08/15
羽田さんがまだですが、大賞としては弱い、という意見が大勢ですかね。

服部 剛 2020/08/15
前向きな討議を、ありがとうございます。この感じで皆さんと考えると 本当の大賞候補 が絞られてきそうですね。 

藤 一紀 2020/08/15
ABさんの作品については最後の一行が問題になりましたが、入間さんや渡辺さんの作品は書き出しがうまいですね。内容にスッと入っていると思います。
Hoba 2020/08/15
ではとりあえず、入間さんの話題が出たのでこちらを。
https://www.breview.org/keijiban/?id=5746
『拝啓、イタズラ好きの君へ』

羽田恭 2020/08/15
おぼろは大賞もありかな、と思ったりしましたが。
ちょっとパンチに欠けると言われると、そうなんですよね。おしい作品かもしれません。
藤 一紀 2020/08/15
@羽田恭  ABさんの作品世界は遠い方、遠い方へ読み手を誘うことが多くて、そこはすごく好きなんです。はっきり語るよりも仄めかしのなかで作品世界を構成している。だからパンチに関していうと衝撃力は弱いんですが、弱さにおいては他より大きいんですね。そこがぼくには魅力なんだけど、最終的に大賞に推すには弱いとぼくが考えたのは「一冊の詩集に入れた時の最後の一行はいかがなるものか」というところにあります。

羽田恭 2020/08/15
弱さにおいて他より大きい、とはいい表現ですね。
なるほど、そういう意味合いで弱いと。了解です。

藤 一紀 2020/08/15
@羽田恭  じわじわ沁みてきて気づくと余韻が残っている、というのかな。「みかた」のあとに「しまいかた」、もってくるって切ないんです。「片付ける」だけじゃなくて「終う」も連想させて人生を見晴らしているかのようななんとも言えない気持ちになる。書き手と作品の語り手とは分けて考えるのがぼくの一応の態度だけど、無関係とは思っていなくて、ABさんの作品にはその区別が明らかでないために読み手の感情を動かすポエジーがあると思っています。それだけに推しがたい口惜しさが残るのです。

羽田恭 2020/08/15
そこまで言語化して分析しますか。弱さというポエジーを表現する作風と。
ABさん独特の読後感はそういうことでしたか。
藤 一紀 2020/08/15
読むのは言語という体験で、自分がなにをどのように、どうして感じたか分け入ることでもあるので難しいですね(^^;)
羽田恭 2020/08/15
確かに。入間さんの作品をどう読み解くか困っています。汗

藤 一紀 2020/08/15
スッと入ってくる導入はうまいんです。ただなんというかサクマ式ドロップスとヴェルタースオリジナルは技巧的過ぎてどうなんだろうという気はします。詩の一行目は最終行と同じようにとても難しいのはわかる。だから上手いといえば上手い。でもなあ、と(^^;)

羽田恭 2020/08/15
レベルは高いと思います。
書きたいものを表現するのに技巧を使ったのでしょうけど。
藤 一紀 2020/08/15
そこは同感です。詩集に収めるにしても飽きさせない筆力とバリエーションをもっている書き手ではないでしょうか、
羽田恭 2020/08/15
最近投稿されたのは、短詩でしたし、よくできていました。バリエーションは豊富ですね。

Hoba 2020/08/15
サクマ式とヴェルタースオリジナルというみたいな固有名詞を多用すると言葉がくどく渋滞してしまいそうなんですが、そこを成立させているのは巧いです。ただ何というか飾り過ぎたものを感じてしまいます。
羽田恭 2020/08/15
これも入間さんの持ち味だと思います。でももう少しシンプルにしても良かったかもしれません。
Hoba 2020/08/15
詩文の流れを考えると新川和江さんの引用の辺りは名前を出すことで停滞したように思います。羽田さんが書かれたようにシンプルに、全体的に出来そうなところが見え隠れして、今回、候補から外しました。

あの短詩良かったですねぇ。

藤 一紀 2020/08/15
ただサクマドロップスもヴェルタースオリジナルにしても選び方がポップというか、うまいこと選んだな、という気持ちもあるんです。どちらもある程度認知度の高い共通のコードになっていて、ああ、アレね、とわかる。固有名詞が見たり食べたりした経験やCMにつながってそれを通して語り手の言葉を想像することができる。話しかけるような散文的な口調だからサラッと読めるんだけど、上のような意味でわかりやすいんです。ここは若い感性だな、と感心もする。ぼくなんかは最果タヒをちょっと思い出した。そのうまさを苦くも思うけど、見過ごすのはよくないなと(苦笑

羽田恭 2020/08/15
想像のしやすく、ある種の漢字を出すのにいい固有名詞を使うのはさすが。
雰囲気をよく出してます。
藤 一紀 2020/08/15
で、ヴェルタースオリジナルはおじいさんが孫に『特別な存在』と語りかける。それが、《きみ》が特別な存在であることとつながっていく。絶妙ですよ。
羽田恭 2020/08/15
そうでした! これは凄い。

服部 剛 2020/08/15
今晩は。 藤さんの言うように、「読者を飽きさせない筆力」これは候補として、大事なポイントでは、と思います。そして、確かに冒頭に 飾り を感じるようで、皆さんの対話を聞いていると、絶妙な肯定面も感じます。
僕個人の感想としては、候補に残す価値のある作品では、と思います。

羽田恭 2020/08/15
出来の良さは確か。でもちょっと装飾性は過ぎる気もするんですよね。

藤 一紀 2020/08/15
そうですね。多くの読み手を作れる書き手だと思います。質的にもビーレビの詩の幅を広げてくれるんじゃないかなと思います。面白いな。
羽田恭 2020/08/15
継続的に投稿してほしいですね。
服部 剛2020/08/15
はい。この人が残るのは、B-Review全体によい影響をもたらせ得るかもしれません。そんな可能性を予感させる書き手です。
Hoba2020/08/15
ヴェルタースオリジナルのCMについては見解はわかるんだけど、あのCMのあからさまな感じが肌に合わない 苦笑。 

入間さんは小説投稿サイトで書かれていて、ビーレビにきて欲しいと思い感想を入れてたので投稿続けて欲しいですね。 若干、気になるところはあるものの大賞候補に推せる良さはあります。

服部 剛2020/08/15
同感です。

白目巳之三郎2020/08/15
個人的な価値観になってしまいますが、『のんびりベランダで煙草を吸いました。』というあたりの煙草という単語の使い方が少々気に食わないところがありまして、そこがなければ大賞に推してもよいと思える作品です。
これも個人的には、というところなのですが、煙草という単語はどうも最近ちょっと影がある、というときに安易に使われている印象があり、例えば『君の名を』で旅行先で女の先輩が煙草を吸うシーンなど(笑)、そのような使い方には僕個人としては抵抗したいなと思っている節があります。
皆様がご指摘しているとおり、サクマドロップスやヴェルタースオリジナルなどの語感はあっぱれ感服といったところです。かなり個人的な理由で大賞候補から外れるので、大枠でみた場合、大賞にしても、構わないような気もしています。長くなりましたが、この詩についての意見はそのようなところです。

藤 一紀 2020/08/15
CM自体のあからさま感は同感です。もしかしたら、それが目に浮かびすぎるから導入が引っかかっているのかもしれない笑  
映像や音楽を含め他の領域からの引用は気をつけなければ笑

固有名詞にしても煙草の場合にしても、新川和江にしても(ここでは文章を引っ張って提示していますが)、馴染みあるものを言葉として持ってきて、且つ全体として新鮮な味わいのある作品をつくるというのは評価できますね。

Hoba 2020/08/16
とりあえず今作は候補に残す方向で話を進めます
藤 一紀2020/08/16
了解です(^^)
Hoba2020/08/16
今回、ちょくちょくと基準?としてあらわれている詩集に載せるならを聴いていて、ふと思い出したんですが。

最果タヒの詩の話をしていた時に最果タヒの詩が10年、20年と読み継がれるものかという話題が出ました。最果の作品は夜空は最高密度辺りしか知らなかったので、読み継がれはしないと思う、と思ったんですね。

単純なそのときの良し悪し?だけでなく色々な見方があるなぁ、とふと、思い出しました。まぁ、それだけなんですが 笑
次は…田園はそれなりに話されているので先にこちらから。
https://www.breview.org/keijiban/?id=5774
『梅雨も明ければ』

服部 剛 2020/08/16
今日は。最果タヒさんの話は、考えさせられます。実力はありますが、僕も、現代の感覚にはウケても、ずっと残る詩かというと疑問はあります。

今回の選考も、候補作の中にもし「読み継がれ得る詩」があれば、それは素晴らしいと思います。捕捉として、桐ヶ谷忍さんの『 田園』は、この詩人の本領が発揮された詩ではないけれど、今回の候補作に入る世界観とクオリティをもつ作品とは思います。

( 言っていることが分かりづらくてすみません )
羽田恭 2020/08/16
「梅雨も明ければ」については、挿絵と詩の雰囲気がよかったので候補に上げました。
そして候補に上げる際、調べてみたら沖縄戦と絡んでいて驚いた次第です。
そういう背景を知らなくても評価でき、知っていたらまた別な読み方ができる点でも優れていると思います。

服部 剛 2020/08/16
僕もこの詩はいいと思います。この詩を4つの構成でみると「祖父、シャガの花」と〈 思い出すひとがいるから/咲くのだろう 〉という3つ目の詩は特にイメージが浮かびます。
2つ目とラストの短詩は、もう少し分かるように書いてほしい気がしますが、トータルで考えて、候補に残り得る詩と思います。

藤 一紀 2020/08/16
ちょっと横道に逸れるというか、ABさんの作品にはテーマが一貫していると思うんです。個別には沖縄や土地の風景、親しい人、家族といったものが挙げられるのだけど、大抵それらは失ってしまったものなんです。それを懐かしんだり、感傷にとどまったりするのでなく、先に挙げた例を「自分を培った象徴としての母との繋がり」であるとすると、そうした個人的な繋がりを超えてもっと大きな〈母〉に帰そうとする動きを感じるんですね。遠く遠く手が届かない彼方に目が向けられている。こういうのもあります。https://www.breview.org/keijiban/?id=4144 『 果て、より』
  はっきりとコメントするのはネタバレを避けるために控えたけど、行頭をつなげると和歌になる。「瓜食めば……」というこれも家族を思う歌で、それと感応するように作品をつくっています。それがやっぱり宇宙的な広がりにまで及んでいる。方言を使ったり、特定の地名や固有名詞を使ったりするからどうしても個人的な抒情に読まれがちなんだけど、そういうので終わらない作品だと思います。

羽田恭 2020/08/16
思った以上に凄い人かもしれません……
服部 剛 2020/08/16
藤さんの読み、深いですね。「大きな母、宇宙に還す」とは。ABさんが詩でふれる領域、興味深いです。 僕はこの詩はすぐに読み込めなかったけれど、先日の羽田さんの評を読み理解できました。読んでいてじわじわ伝わるところもありますね。
Hoba2020/08/16
アンファンタズマさんがコメ欄でわからないけどいい、という趣旨で書かれているんですがそういうテーマが素地に根付いているからなんでしょうね。

構成や画像との合わせ方などもはまっていてレベルがたかい……となってしまいます。後、この詩は五感に非常に訴えるものがありますね


藤 一紀 2020/08/16
羽田さんの評、勉強になります。ぼくが面白く感じたのは言葉の置き方、配置の方で、普通は乾いているのは金属で濡れているのが舌なんだけど、この作品では金属の方が濡れていて舌が渇いている。あれっ?て思った。でもなんでだろう?と状況を想像してみました。こういう言葉の使い方は意図してないと普通はしないと思うんですよ笑
詩をよく知らない人からしたら「おかしいでしょ、それ」ってなるから、襷掛けみたいな置き方はしない。ああ、根っからの詩人だな、と。この言葉の置き方が読み手の違和感と謎を目覚めさせる。詩作品の最初の一行ということを今回割りと言っているんだけど、つまり、どう書き始めるかということなんだけど、この作品はそれもうまいことクリアしてるんですね。読み手が気に掛かってしまう語の置き方、それでいて作為を感じさせないところ、さすがと言いたい。そこから日付まで提示しているのに慰霊までは考えがおよばず調べもしなかったのはぼくの怠慢でした。
《蛍袋と荒屋敷》も相似形のイメージだけでなく五七調になっていて鮮明。それから《梅雨のにおい》ですね。ぼくは梅雨のにおいというほど梅雨に特徴的な匂いがあるかわからないのだけど、そのあとの《シャガ》と《梅》が色の上で重なるんですね。これはいいです。

羽田恭 2020/08/16
北海道民なので梅雨はわからないのですが、梅雨の匂いとは比喩、もしくは雨が乾いた地面に落ちる際の特徴的な土臭いような匂いかと。(←わかりにくいですかね? 鼻は悪いですがそういうのを感じた事があるので)

藤 一紀 2020/08/16
北海道は湿気がないですからね(^^) たぶん湿っぽい中にこもった「感じ」なのでしょう。その湿っぽさには《祖父》にまつわる思い出も混じっている。だから《梅》と《シャガ》が印象的に重なってくるんだと思う。抽象的でありながら具象を導く装置としても働いてると感じます。
@Hoba そうですね。 ぼくは『おぼろ』よりはこちらの作品の方がいいと思う。
羽田恭2020/08/16
大賞にふさわしい重厚さがあるといいますか、こちらのほうが奥行きがありますね。

Hoba 2020/08/16
あぁ、藤さんの濡れているのは舌で乾いているのが金属というのを読んで、自分は違和感なく読んでたのに気がつきました。いかんなぁ。僕は金属が湿っている(これはもちろん付着した埃や触れる側の皮膚、天候とかによる)と思うし、舌が乾いている、のも仕事で使うからだろうか。もちろん金属と舌を並べると湿ってるを普段使いするのは舌なんですが。

藤 一紀 2020/08/16
@Hoba  すいません、渇いているのは唇でした(^^;)
それと《湿る金属の臭いと舌の先》って音・手触り・臭い・色・味という風に五感に働きかけるように構成されていますね。あと、《じんじん》なんだけどこれが繰り返されるあたり、読みすすめるごとに響いてきて、読み手のイメージを動かしているように思います。

羽田恭 2020/08/16
《じんじん》を繰り返した意味がわからなかったのですが、そういう効果がありましたか。
Hoba 2020/08/16
あはは:sweat_smile:ほんまや。
そうそう五感への働きかけるイメージの連なりとじんじんという滲み入るような痛むような皮膚感覚のひびきというか。

藤 一紀 2020/08/16
  @羽田恭  afterglowさんがコメント欄で《じんじん》は沖縄の方言で「蛍」を表すと書いていて、最初は「蛍」という意味を表しているのだと思うけど、繰り返されることによって意味から離れて作中主体になにかが「じんじん」沁みてきているような感覚になってきます。そういう変化を加えている。帆場さんの言うように皮膚感覚のひびきですね。

Hoba 2020/08/16
http://rca.open.ed.jp/city-2002/song/song_03.html
これ、なんかそうですね。童謡か。
羽田恭 2020/08/16
二重の意味がありましたか……

藤 一紀 2020/08/16
白目さんも『おぼろ』評で書いてましたが、音の使い手の一人であることは間違いないですね。
それにしても相変わらず、いろんな下地を用意しているABさんだな。
ひとつ不満を言うと安定したうまさ、よさが感じられるというところでしょうか。どれをとってもたいがい読ませるし、沁みるところがある。詩集があったら買うでしょう。ただ、なんというかずば抜けてすごい!という衝撃を感じさせてほしくはあります。そういうのは目指していないかもしれませんが。

羽田恭 2020/08/16
弱さにおいて他より大きい、と評されたのでこの方向の人なのでしょう。ずば抜ける気はないかと。
藤 一紀 2020/08/16
@羽田恭  たしかに。そこが安定した良質の作品につながっているのかもしれませんし。
白目巳之三郎 2020/08/16
僕は『梅雨もあければ』よりは『おぼろ』や『果て、より』を評価してしまうところがありますかね。『梅雨もあければ』はどうも頭を使って書いているような感じがしてしまって(あんまり人のことは言えませんが)、まだ実験段階な印象があります。
ただ、皆さんの分析などを聞いてるとなるほどなと思うとこもあり、批評とセットで初めて価値が浮き彫りになる作品なのかなあと思い、そういう意味では大賞もありな気もします。
『おぼろ』や『果て、より』は大賞とするには知的な(?)重厚さにかけている気はしますかねー。
※童謡の話とかは結構驚きでした。

服部 剛 2020/08/16
僕は以前に合評会で反戦の詩を出したら、講師の詩人が「曖昧に書かず、書くべきところは具体的に」と言われたのを、思い出しています。

2連?で地名も出ますが、そのあたりで「沖縄」の歴史について、もう少し書くと、この詩の下地がリアリティをもって伝わるのではないでしょうか。ただ、とても深い領域にふれている詩なので、大賞候補はありかなと思います。

Hoba2020/08/17
難しいところですね。敢えて書いてないんじゃないかと思うんですよね。一連では日付けをはっきりと提示しているので沖縄の歴史を確かに語ろうとされていると思います。しかし、それは戦争の記憶へ触れるというよりはきっかけでそれらも含むそこに生まれた自分と土地や家族との繋がりを描いていると思うんです。

メッセージ性はないわけではないのですが、それをくっきりと出してしまうと声高に過ぎるというか、この詩が持つ静かな眼ざしが生きない気がします。
実験段階とは思わなかったですが、提示された二作品とは題材へのアプローチが違うんでしょうか。

とりあえず、現状では残しても良さそうですね。次の作品にいきましょうか。

https://www.breview.org/keijiban/?id=5798
『 し』

服部 剛2020/08/17
レスポンスをありがとうございます。帆場さんの言うように秀れた詩という考えを尊重いたします。これは僕の考えではありますが、詩を知らない人が『 梅雨も明ければ』を読んだら、この詩の2連?を読んでわからない人の方が多いと思います。そういう意味で いい詩 であると同時に、作者は 読者を想定 はしていないと思います。

歴史を具体的に、声高にならないように書くのも技術ではないかと。

今回の選考で「詩とは何か」「読者に届く詩とは」を皆様と考えたく、この詩はこのままで成立していると思いつつ、あえて本音で、もう1つの視点を提示させていただきました。

服部 剛 2020/08/17
真清水るるさんの『 し』について 

詩人として、根本的な命題にふれる、よい感覚の詩と思います。

「し」はいろいろな漢字にあてはめられると同時に、僕は基本的に「詩」と「死」で読みました。

抑えの効いた2連もいいですね。

3(終)連では詩の生命感というか「死」→「生」への転換が描かれ、好印象な作品と思います。

Hoba 2020/08/17
@服部 剛
声高と書いたのは書き過ぎでした。仰る通り声高にならないように書くのも技術です。ただ、歴史を明確に書くことでそこにだけ焦点が当たる事を避けたのではないかと思います。初めて詩を読む読者への視点も大切なのは確かです。

そこで思うのは子ども向けの童謡や唱歌も歌詞、詩だけ読むとわからないものが散見しています。歌として声に、音にしてるから細部は見逃されたりしていますが。

そういう意味ではこの作品も音にしてもらうことまでを考えておられるんじゃないかと愚考する次第です。

ただ詩歌への触れ方はきっと昔と現在では多様化して違いが生まれていると思うので、現代においてこれを読む読者を想定していない、と言えばそうかもしれません。理想は様々な作風の詩にスポットライトが当たる事なので、伝えることに力点を置いた作品の在り方も考えてみることもありなのだと思います

服部 剛 2020/08/17
誠実なレスポンスをありがとうございます。詩について寛い考えをもって下さり、感謝いたします。B-REVIEWという詩の場で、様々な作風に間口が開いていることは大事ですね。

そして、もしクオリティと読者に届く言葉を両立する方向を見い出せたら、活字もネットも、より開かれた方向性をもつ気がしています。

羽田恭 2020/08/17
『し』の「し」ですが。短評に書いた通り詩、死、屍、私、史、視、使、詞、資、至、思に当てはめてもいいですね。
詩か死を当てる人が多そうですが。死が一番しっくりくるかも。
白目巳之三郎 2020/08/17
確かにこの詩の「し」と言う言葉の多様さは何とも言えない趣がありますね
僕は「詩」を当てはめて読んでました
服部 剛 2020/08/17
面白く深いやりとりのできる詩ですね。

藤 一紀 2020/08/17
るるりらさんのこの作品は冒頭からのタメが、終わりで動きがありありと見えるための助走になりきっていること、なりきっていると感じるだけの動く言葉になっていることだと思います。美しいジャンプ(飛躍)ができている。彼女が意図的であったかどうかはわからないのだけど、非常にピチピチにした動きがある。ぼくは詩は言葉を如何に体験できるかという身体に結びつけて読むことが多いんですけど、そのタメと飛躍の差が大きくていいな!と感じました。

服部さんのABさんの作品の二連についてですが、日付というのも非常に大事な問題だと思います。ひとつは詩作品のなかに「適切」な位置に置かれることで、知らない読み手には単なる日付のひとつに過ぎないものが作中主体にとっては特別な日になっているということ。つまり読み手はそれがなんだかわからないのだけど作中主体にとっては重要で欠くことのできない日付なのだと思い知ることです。これは詩作品に置かれた言葉は
日常の言葉と同じであっても全く異なるという古いテーゼにつながるものではあります。それをどうしても知りたければその日付について調べればいい。これは言いっ放しでよいということでなく、羽田さんが短評で書いたことに暗示されるように「調べることによって知る喜び」につながることをいっています。

もう一点は以上のような「知らしむべからず、よらしむべし」というのが、中にいる人々にだけ共有されていること。外の方はそこまで思わないか、思って調べる読み手だけが参加できる。

また書き手が日付に合致する歴史的事件を主題にしたかったか?ということもあります。ここは帆場さんも書かれていますが。

以上のように服部さんが取り上げている問題は安易には答えにくい。どちらがよりよいのか決定しかねるところがあります。詩というものの難しさを感じます。

服部 剛 2020/08/18
藤さんの「言葉を体験する」という詩への接し方は『 し』という作品にぴったりのよい感覚ですね。 

『 梅雨も明ければ』については帆場さんへの返信に通じますが、二つの考えがあります。

○ 日付で暗示しており、知りたい読者は調べるので、作品として秀れた詩として成立している。

○ 日付の後の、地名の出てくる連は調べることが必要 = この詩は秀れているが大衆性はもたないだろう。

僕はどちらの考えも一理あると思います。

個人的には、詩人が読者の方へおりてゆく、言葉を届ける自覚をもつ方が、世の人々に親しまれると思います。

藤 一紀 2020/08/18
服部さんの言われる「詩人が読者の方へおりてゆく、言葉を届ける自覚をもつ」というのは至言ですね。ABさんの作品は高い完成度を持っているとおもってきました。しかし、にもかかわらず大賞としては推せないところもあった。なんでだろう?という個人的な疑問はありました。ABさんの作品に限らないけど高い完成度を持ちながら、それ以上には響いてこない作品はあります。それは作品の言葉が閉じているからかもしれません。作品は作品として自立したものとして書かれるべきだけど、作品の言葉は読み手との関係に置かれるわけだから開かれていなければ完成度が高くても響かない。入っていかない。そういうことがあると思います。これは読み手におもねるとか言うことではなく自覚、意識的な態度の問題ですね。しかし、そこのありようで作品の言葉のありようも変化してくる。

服部 剛2020/08/18
今日は。ありがとうございます。藤さんのレスポンスから、現代詩全体の大事なテーマが見えます。 日本には詩歌の歴史の川が密かに流れています。近代詩まで遡ると 詩の心 が各作品に宿っていることを思います。 当時と同じ作品を書けばよいわけではありませんが、過去の詩人に耳を澄ませ、新たに創造してゆく両方が、これからは大事になると思います。

現代詩の詩誌の購読者の9割以上が詩人である要因も、そのあたりを掘ってゆくと見えてくるかもしれません。

皆様が詩が好きでがんばっているBーREVIEWの場が、もし 開かれた方向性のベクトル をもつなら、より素晴らしい場になる可能性を秘めている気がします。

Hoba 2020/08/18
『し』
藤さんも書かれてますが静から動というか、一連目で様々な、し、を読み手に想像させてそれが自然にタメになっている。この間、弓道を体験してきたんですがゆっくりと型に倣って弓をひいていくのに似てると思いました。

一連目、ゆっくりとした引きで弦が撓んでいき、二連目は静止して間をとり、三連目で一気に放つ!

この飛躍。良い意味での軽さもありながら、しっかりと腰の座った作品ですね。

藤 一紀 2020/08/18
@Hoba  帆場さんの解説がぴったりきました。グググ、…、ピヤッ!ってタメのあとの解放感と語られている言葉が一致していますね。
羽田恭 2020/08/18
同感です。バタフライという具合的な動作も解放感をさらに促しています。

藤 一紀2020/08/18
もしかしたら、いろんな「し」を当てはめて読めるんだけど。どれが正解かわからないのがミソなのではないでしょうか。あえて言明しない。その結果読み手がいろいろ当てはめて想像する→でも、わからない→わからない状態からの見える動き、という鮮やかさになる。

もう一つは。これと一つに言明できないのが「詩」だから。で、そこも「し」と書いて《どうでもいい》と語らせてる。

最終的に「し」が何だとは言ってないんです。言ってないんだけど、詩が動く姿を見せる時って鮮やかだよ!って、最終連が言っていやしませんか?
これはかなりヤバいです。

Hoba 2020/08/18
し、がなんであるかは二連目にあるように本質的にどうでもいいというのがあって藤さんが言われるように最終連のダイナミズムみたいなものが炸裂してんでしょうかね。これを技巧を感じさせずに書いているのは、あらためて読んで凄い事してますね。

藤 一紀 2020/08/18
弓の話のところで「自然にタメになっている」と書いてるけど、その「自然に」というところ、それから「技巧を感じさせない」ところ、実際はどうかわからないんだけど(笑)ぼくも含めてそういう風に感じさせるところが「るるりらいずむ」というかね、すごさがようやくわかってきた笑。

あらためて先の詩の最終連ですが「何だとははっきりわからない『し』が詩になる瞬間」の動きとも「死」が「生」になって躍り出る瞬間のそれとも読めます。多少深読みは承知の上で。

服部 剛2020/08/18
弓道とは深い。
皆様の本質にふれる対話にうなります。
るるりらいずむですねぇ・・。
Hoba2020/08/19
今作も大賞候補に残す作品かな

さて次は。
https://www.breview.org/keijiban/?id=5770
『隅中の実存』

藤さんの評文
大賞候補1
『隅中の実存』渡辺八畳

(以下選評)
無感動に曇った午前には
雀の泣き声も軋みみたいなもので
奴らは散らばったねじだ

「雀の泣き声」が「軋み」ということはないし、そのように聞えるということもないのだけど、「軋みみたいなもので」と語られることによって「曇った午前」の空気という無形のものがまるで軋む音を立てるものであるかのように物質的に感じられてくる。また目には留まってもその存在を存在として明確には認識しにくい《雀》を《散らばったねじ》と無機的な物質に喩えることで、その存在感を明確にしている。こうした無形のもの、認識しがたいがために見過ごしにされている存在が、言葉を通して、あたかもモノのように手触りを感じられる形になって現れていく。

掃き捨てられるこの時刻には

とあるようにここでも《時刻》が《掃き捨てられる》モノとして扱われている(ぼくは《小数点以下のゆらぎ》がその時刻の存在に具体性を与えるのに一役買っていると思うのだけど)。生活のなかで認識されがたく意識されにくいものは多い。それが物質的に表されているのを読むことによって、日常に馴れすぎてしまったために多くの物事を見過ごしていることに気づく。ゆえに

社用車さえも通り過ぎるだけで

の《社用車》は《通り過ぎるだけ》なのだ。いや、通常《社用車》はだいたい《通り過ぎるだけ》なのだが、ここでは通常ぼくが気にも留めない車のひとつではなく「明らかに通り過ぎる《社用車》」としてはっきり見えてくる。それらは確かに在るのだ。ところがその存在をぼくが見過ごしてしまう。そのため、それらは存在しないかのように処理されてしまう。存在物が在ることによって自らの存在を語るとしても聞きとられなければ無いに等しい。それだけに

認識されないことでの沈黙

は重く、暗く響いてくる。というのは在りながら認識されないがために沈黙とされているものが在り、それらが一つの重量をもった塊(モノ)であるかのように感じられるからだ。これはまさしく《固化していく重さ》であろう。「認識されないがためにその実在を見過ごされてしまっているものたち=沈黙」はたしかに夜の沈黙と比べると重く感じる。それはぼくの意識のありように関わってくるからだと思う。

秒針が静止している その刹那に
家主が留守にしている部屋では
扉が閉まりきっておらず
カーテンが弱く発光しながら
微生物みたいな埃が膜を張っている

一連目が外の世界を流れる時間に焦点があてられているのに対して、二連では視線が部屋に向かう。しかもここでは時間は《秒針が静止している その刹那》である。それまでの時計の動き(時間の流れ)を止めることで、そこに映る光景を映し出す。カーテンにあたっている光、そのなかで立つ埃。人がいない時、部屋はもっとも部屋らしい、と思うことがぼくにはあるが、それを在るものを通して描き出している。

その 薄暗さの 中には
なにもいない

そこには《なにもいない》のだが、ぼくが居ながらにして見過ごしている多くのもの(存在)が沈黙として在るに違いない。見過ごしてしまいがちになってしまう物事の存在に質感を与えて明瞭にしていく言葉の置き方、構成、流れる時間と静止した時間の対比、これらとおよそ否定的消極的な語によって抑えられた語り口が重なり合っていて読む度に腹にずっしりとくるものを感じます。それでいてなぜか眩しい。

藤 一紀 2020/08/19
書かなかったけど『隅中』というのは午前十時くらいをいうそうです。
Hoba 2020/08/19
昼の四つどき、巳の時ですね。
白目巳之三郎 2020/08/19
長くなります。すみません。

改めて読んでみて藤さんの評文を読んでみると、ひしひしと重厚さを感じる詩で圧倒されました。構成面や言葉選びの点において、異常に秀でているのを感じました。

今回あえて欠点を言えば、という形でとりあえず指摘したいのですが、

1つに、「無感動に曇った午前」と「雀の泣き声」の結びつきの説明をもう少しすべきかなと思います。この2つの関係は藤さんの評文で説明されている通りだと思うのですが(僕も無機質というキーワードで結べる気はするのですが)詩を読み慣れているならばまだしも、そうでない一定数の読者が最初のこの部分で引っかかりを覚えるような気がします。(最初に引っかかりがあるというのは読まれるかどうかにおいて致命的なことだと思います)なぜなら日常感覚において「雀」は「かわいい、愛らしい」というイメージと結ばれると思うからです。その後の言葉の重さによって読んでいる間にその違和感はいつの間にか消え去ります。が、エンタメ的に言えばということになるでしょうが、もう少し読者に甘えない方法をとるべきではないか、と思います。

2つには、音の問題です。「おぼろ」においても指摘しましたが、詩が音読されるものであるとするならば、この詩は黙読して楽しむには十分だが、音読しようという気にならない部分があると個人的には思います。

あえて、あげてみましたが、完成度の点において完全に平伏するような詩でした。
どこか、写真的な質感、それもスマホとかでとったものではなく、フィルムに焼き付けたような写真の質感を感じさせる詩でした。

藤 一紀 2020/08/19
@白目巳之三郎  ありがとうございます。指摘のあった〈ひっかかり〉についてですが、特に《雀》も《泣き声》も言われる通り一般的には「可愛い、愛らしい」というイメージがある。逆に言うとそのようなイメージとして雀が固定化してしまっているわけです。だから日常のなかでも弾みを失ってしゆまう。そのような言葉の一般性や固定化、もっと言うと言葉の不自由を崩して新鮮な目で見えるようにするのが詩の力のひとつだという考えは伝統的なものだと思います。だから渡辺さんは技術的には伝統的なことをやっていると思う。同時にビーレビ内の書き手=読み手のある層に対しては「これくらいのことはわかってくれよ(またはやってくれよ)」というのがあるかもしれない笑。ただ初めて読む人にはさっぱりでしょうね。そこが難しいところですが完成度は高いですね。

藤 一紀 2020/08/19
しかし、どうなんでしょう。先ほどるるりらさんの作品を中心に話し合いをしました。るるりらさんの作品は渡辺さんの作品ほど技術云々にこだわりがあるようには映らない。にもかかわらず彼女の作品を読んだ後で、こうして渡辺さんのこの作品を読み直してみると、明暗と動静で対照的で、るるりらさんの作品の方が目立ってきます。というか、るるりらさんの方が初めての読み手には難しいと思うんだけど、それでいて感じさせるものをもっているような気がします。

白目巳之三郎 2020/08/19
こういう言い方はよいのか分かりませんが、仮に詩を知らない人に売り込むとしたら僕はるるりらさんの作品の方が売り込みやすい印象があります。渡辺さんの作品は逆にある程度観念的な思考に慣れている人には売り込みやすそうです。

同時に思うのは、るるりらさんの作品の方が当たり前のことを言っていて「し」の多義性の話は別にして、「し」が例えば死だとしたら誰もが一度は頭をかすめたことのある事柄を歌っているとも思うのです。逆に渡辺さんの詩はある特殊な状況下に陥らなければ見えない風景であり、そういう意味では新しい体験を提供しているような気がします。
とはいえ、明確に区分するのは難しいところですが、、笑

白目巳之三郎 2020/08/19
あー、あと、思うのは、るるりらさんの作品は「し」の解釈が読者に委ねられているのは大きいと思います。意味性が固定化されずに読者に委ねられている分、厚みのある作品になっている気がします。それでいて、皆さんが述べられていたように構造としては確かなものがある。そのバランスは絶妙な気はします。

藤 一紀 2020/08/19
なんというのかな。るるりらさんの詩は当たり前のことを言っているかというと、そうではないとぼくは思います。逆に渡辺さんの方が書かんとすることがわかる。これは絵画で例えると「なにを主題にとっているか」ということです。絵画作品は主にある主題をもって、それをどのように表現するかということで制作されていて、主題を表現するにあたってそこに構図や方法や素材などが用いられる。では作品を鑑賞する側からするとどうかというと、後者(表現されたものがどうなのか)の観点で見る場合が大きいのではないかと思います。この点で言えば渡辺さんの作品は主題を明確にしているし、表されたものはそれとズレず目に見えるようにしています。対してるるりらさんの作品は表されたものから受け取るものの良さは、この合評のなかで到達したのであって、かといって主題は明確にされていない(これも詩における認識論と存在論という形で1960年代には出ている新しくない問題なんですけど)。で、るるりらさんの作品の言葉──表された言葉──のなかには全体としては当たり前のことは書かれていない。読みによって辿り着いたぼくらのロジックがそれを当たり前のことに還元してしまっているわけです。だから、それを抜きに読んでも面白いし身体に効いてくる。渡辺さんはしかし、その主題をこんなふうに書くのか!という巧さ、詩人としての力量をやはり感じさせる。雀を一般的イメージから引きはがして《散らばったねじ》と結びつけるのはすごいと思います。言葉を素材に注意深く作りあげられたオブジェのような作品だと思う。

白目巳之三郎 2020/08/19
@藤 一紀  なるほど、そのような形で読んだことがないので勉強になります。
なんか、シニフィアンとシニフィエの話みたいですね。確かにるるりらさんの作品はシニフィアンは普通ではないけど、僕らによって作られたシニフィエによって意味をなしているように見えていて、渡辺さんの作品はシニフィアンから僕らが受けるシニフィエをあえてずらしているという感じでしょうか。
基本的に素朴な読みをしてしまうので、批評する観点においてそのような分析は大事ですね。
なるほど、なるほど。
ありがとうございます。

藤 一紀 2020/08/19
白目さんのシニフィアン・シニフィエで思ったのですが、るるりらさんの作品に戻って申し訳ないんですけど、この作品は「し」という音を使ってすすみながら、最終連で視覚像を獲得しているようですね。

るるりらさんの作品はメタポエムかというとその意図はなかったと思います。ないけれどできたものを読むと非常に生き生きしたメタポエムとしても読めてしまうところがある。

渡辺さんは比喩にしろ言葉の関係づけにしろ現代詩の歴史のなかで獲得されてきたものを非常に上手に用いてきているように感じます。

メタポエムであろうとそうでなかろうと、書き手のなかに『詩とは何か?』(あるいは詩とは云々のことである──と「私」は思う)という詩に対する考え方があると思います。それがどんなに幼稚だろうと洗練されたものであろうと、まずはなければ書けない。その詩意識が作品に反映されると考えるとすべての作品は各々の書き手の詩意識の反映としてのメタポエムといえなくもないのですが、渡辺さんはそういう意味では明確な「詩とはこういうものだ(と考える)」をもっているように思う。この作品でもそれが方法としても技術的にも現れているから重厚感のあるものになっているのかもしれません。

羽田恭 2020/08/19
渡辺さんの作品にまたしてもどう読み解くべきなのか困惑しております。
その上、みなさんの議論についていけてるのか怪しいのですが。
自分が一読した限りでは日常に摩滅してしまった感情、生命の事を描いているのかと思いました。
>その 薄暗さの 中には
>なにもいない
というのはそれを冷静に見つめているのかと。
ただ、これ大分浅い読み方かもしれないですね。
藤 一紀さんの
>「これくらいのことはわかってくれよ(またはやってくれよ)」というのがあるかもしれない
正直できてないですね。自分は。汗

藤 一紀 2020/08/19
@羽田恭  こんばんは(^^) ぼくはこの作品には羽田さんの『フィラデルフィアの夜』シリーズと、語り手の立ち位置が似ている気がしたのでちょっと意外です(^^;) 

渡辺さんの「これくらいは……」はぼくの勝手な想像です。ただ渡辺さんの「詩は作者の感情を表現するものではない」という発言は以前に見た記憶があり、それは言い換えると、「自分の何か表現したいことをその感情にしたがって言葉を乗せていくこと」ではないし、「それによって読み手に共感してもらおうとするもの」ではない、ということだと思います。言葉によってつくられたものが読み手にどんな体験をもたらすかを考えて構築された世界なんじゃないかと。作品はひとつひとつの言葉が装置として働き関係しあうひとつの世界であってフィクションなんだ、みたいな。このフィクションにリアリティをもたせるために、一般的イメージを変質させる喩をもってきたり、視点を変化させたりする。このあたりは『フィラデルフィアの夜』で感じるものと同じなんです。すなわち語り手の目の働きです。細かなところまで注意深く観察する目。そして作者(私)から離れた位置で状況を語る語り口。よく似ていると思います。

ビーレビにはまだ「自分の感じたことを(比喩やイメージやで繕って)表現して伝えたい!」みたいな投稿者も一定数いて、それは悪いことではないのだけど、作品になりきれていないものもあります。そういうものに対して「そうじゃないんだ」と言いたいところがあるんじゃないかという邪推です。そのぶん、渡辺さんにはある程度固まった詩意識があるのだろう、と思います。

それはそれとして羽田さんの読みもぼくにはわかります。語り手の存在を考えた場合、語られた内容が語り手の心象の投影である場合もあるから。ぼくは語り手を非在として読んだところがあるのでああいう読みになったまでです。

羽田恭 2020/08/19
なるほど。作者から離れているわけですか。『フィラデルフィアの夜に』は完全なフィクションとして書いているのでそうなりますね。
渡辺さんの詩作ともその点では似ているかもしれません。

服部 剛 2020/08/19
るるりらさんの詩と渡辺さんの詩な対比、興味深いですね。

僕も含め、各選考委員の皆様が『 し』から受けとった感想には実感がありますね。
渡辺さんの『 隅中の実存』は、日常の現実感がよく伝わります。
僕はこの詩についても2つのことを思います。
○ 描写がとても秀れている。
○ 描写に比重が置かれすぎている。
どちらも言えると思います。
秀れた描写の行が重なっているゆえに、見えづらくなっているものがないか、という懸念もあります。

羽田恭 2020/08/19
描写によって意図的に表現したいものを隠している感はありますね。
秘すれば花なのでしょうか?詩を読むのに慣れていない人には敷居が少し高めかもしれないです。

服部 剛 2020/08/19
何事にも 妙 というものはあり、芸術も詩もそうで、この作品は描写に比重が多いかなと。

Hoba 2020/08/19
ちょっと手が空かないので、簡単にコメントしますが。

書きたいものを秘しているというよりは淡々と描写することで読み手が普段、見過ごしている事実や物事の側面を自ずと立ち上がらせることを目指しているんじゃないですかね。

羽田恭 2020/08/19
その方が正確かもしれません。
秘すれば、というより淡々と描写を綴ることで表現をしていると。

藤 一紀 2020/08/19
ひとつ言えるのは、描写力はあるものの読み手によっては「説明」的ととられかねない向きがありますね。注意深く目を働かせ淡々と語る。そこに〈目を見張る〉ところがあればまた違ったかもしれません。すなわちそのような光景の発見(への驚き)。

 服部 剛 2020/08/19
描写で説明的とはいえますね。この詩の何処かに 驚き があれば、読者に提示するものが生まれるかも。
羽田恭 2020/08/19
淡々としすぎて難しくなっている感はあります。
服部 剛 2020/08/19
確かに。何かほかにほしい気が。

藤 一紀 2020/08/19
そこなんですね。ぼくは書き手の作る際の意識について書いたけど、ここで詩を読む側の意識のありようも問題になると思う。というか詩が一般にわかりづらいとされてきたことには少なからず。書き手の書く際の意識と読み手の読む際の意識のありようの間でせめぎあいがあったように思うのです。言えば読み手が言葉に分け入って自ら掴みにいかない。テレビや映画を観るだけで身を任せていても易々と受け取られる、なにかそういう受動的姿勢があるんじゃないか。書き手は書き手でそこまで親切になる必要があるのかという厄介なやつです。渡辺さんはそこまでする必要はないと思っているのではないか。たぶんそこは彼がこの作品で目指した質というものがある。ところが受動的な読み手にはわかりにくく、ぼくたちのように中に入っていくとどこかしら足りないと思うところがでてくる。作品の質を──もちろん良い作品だからこそ起こることではあるのだけど──決めるのはなんなのか、考えさせられます。

Hoba 2020/08/19
そこはかなり難儀なところで、この作品もそうですがABさんの梅雨が明ければ、しかり、こうして合評をしてやり取りして読めてくる作品は必ずあるんですよね。僕もそうでしたが、ビーレビのユーザーでもやはり読みなれなくてわからないからコメントを控えるという人もいて。

今回みたいなやり取りをコメント欄でやれたら、読む人の参考になるし、その作品を楽しむ鍵になるんじゃなかろうか、と思ったりします。
で、渡辺さんの作品に戻りますが描写により様々な気づきや思索に誘われる作品なんですが、仰るように眼を見張るような驚きや、発見があるとはいい難い。かなりの良作なんですが、難しい印象を打ち消してしまうようなものが欲しいかもしれません。かなり無理な注文なんですけれど。

藤 一紀 2020/08/19
単品で見てみると良作ではあるけれど、というところですね。たくさんの良作の中で細かなところまで入っていくことでやっと見えてくる部分といえばいいのか。比較検討の重要性がわかります。
気になってちょっと読み直してみたのだけど、一連目と二連目とで詩的主体(語り手)にズレを感じます。描写の仕方自体は同じで強い目の働きと抑えられた息づかいを語り口に感じるのですが、一連目はやはり主体の存在をはっきり感じる。それは『やつら』という語にも現れている。ところが二連目、正しくは一連目の《認識されないことでの沈黙》あたりから主体の存在が薄まっていって、むしろ非在者の眼差しをもった語りのようになっているような気がします。語られている光景は、我々が現実のなかで見過ごしているものなのだけど、それが一連目では羽田さんや白目さんの言うような極端に疲弊した主体、もしくはある特殊な状態におかれた主体が描写されたような現実を見出したかのような語りとして読めるし、二連目あたりからは最初の詩的主体とは異なる主体が(ぼくはそれを非在者と書いたのだけど)、彼の透徹した視線ではそのまま見えている(けれどもぼくたちが見過ごしている)現実の光景を語っているように読める。その違いに違和感を覚えます。見落としていること、認識されないことを言葉を変質させることで見えるようにしている仕方自体は変わらない。むしろ語りが進行するとともに見えていなかったものがくっきり浮かぶようになっている。にもかかわらず、主体の一貫性が微かに狂ったような語りになっているような気がします。いかがなものでしょう?

服部 剛2020/08/20
今日は。確かに2連か、その少し前から読みこみづらいですね。
ここでは詩について大事な本音が討議されており、興味深いです。

「詩のクオリティ」と「読者に
届く言葉」の両面を考えると、芸術も詩も、作者と作品にふれる人の密かな対話のような気がします。

この考えがいつ詩壇に浸透するか分かりませんが、今回の選考の討議は、詩壇がまだ目を向けていない詩の本質に関わることを話せているのでは、と思います。

白目巳之三郎 2020/08/20
確かに僕も二連目前後から主体が変化しているようには思います。
一連目ではかなり特殊で個人的な主体が語られ、二連目前後でその主体が、このような言葉で表現してよいのか分かりませんが、集団的無意識のような存在者に、藤さんのいうように非在者へと移り変わっているのは確かだと思います。

ただ、その論点で言うと、僕は両者の主体を詩の中で統合すべきであった、とは思います。今の状態であると、非在者というあまりにも普遍的なものを放擲したままで(「薄暗さの 中にはなにもいない」という最後の一節が示すように)終わってしまっていて、示唆的ではありますが、まとまりに欠けるかと。そんな風に思います。

服部 剛 2020/08/20
2連目前後から統合のベクトルを持てば、この詩は変わりますね。

詩のラストについても、同感です。

Hoba 2020/08/20
このズレは意図されたものでしょうか。
藤 一紀2020/08/20
そこが読めずにいます。しかし、意図的にしては具合が悪いような気がする。もしかしたら作者のなかでは一貫性をもたせているのかもしれない。どちらにしても描写力、言葉での作品世界の構築の巧さと語る主体との間に亀裂があるように感じます。語り手が何者であるか、ひとりなのか、複数なのかということが定かでなく、読み手が迷うということは、想定内での読み手との距離感を図りちがった可能性はあるように思います。

Hoba2020/08/20
コメ欄ですが。

『隅中はまさに午前10時頃、朝と昼のインターバルです。何物も活動が鈍く、しかし止まっているわけではない。特に平日だと、そんな時間に居る自分への異物感はいっそう強くなるんですよね。』

作者=作中の主体、とは言えないのですが、今作は比較的、そこの垣根は低いのかな、と思いますから(作者コメを引っ張るのも不粋ですが)参考になりますかね?

ここで語られるそこに自分がいることへの異物感の強さに反して、場に溶け込んでいこうとする意識の流れ……ちょっと強引ですね。それならそこに至るよう転換が図られないといけないのか。

この作品て二連に分けた意図があるのか、と考えていたんですが違うみたいですね。
***

ちょっと話が逸れますが、まとめて最終的な話し合いをする日がまだ決まってないので、あらためてスケジュールを調整したいと思うのですが。調整不足で申し訳ない。

このままチャットルームで一作品ずつ話し合って27日ぐらいを目安にこの形式で片付けてもいいですが。

暫定の大賞候補。未検討4作
おぼろ A B ✖︎?
拝啓  入間 ○
るるりら し ◎
梅雨が明ければ △
隅中の実在  ▲

「頭の炭だけで」○
「落雁」
Hoba
さんがこのチャンネルに
メッセージ
をピン留めしました。
全てのピン留めを表示。

藤 一紀 2020/08/20
こんばんは。帆場さん、ありがとうございます。貼ってくださったコメントを読み、帆場さんの読みを拝見して、稚拙ながら見えてきたように思います。

まずぼくが気になって読み返して感じた「詩的主体の変化」ですが、もしかしたら異なる主体に変化したのではなく、主体の次元が変化したのではないでしょうか。コメントに従えば、羽田さん、白目さんの評にあるように主体の主観が割合大きく反映した語りであります。そして、コメントにある異物感が益々増していく。その異物感が強くなるに連れて、主体の主観が薄まり、後退していく。その薄まっていくところにぼくは主体が異なる者になったように感じたのかめしれません。主体の主観が薄まり、後退するのに描写が濃くなっていくのは、いわば意識が遠のいていくためで、遠のく時の離れた目で語っているからかもしれません。自分の主観と離れることによってモノがよく見えるということはあると思うので。そう捉えると一連目と二連目との区別は意図的なものでしょう。

そして、謎めいていた《なにもいない》です。ここに来て見えてくるのは「誰もいない」でも
「なにものもいない」でなく、《なにもいない》です。これは作中主体の意識が、感じる異物感、違和感のために重みを増し過ぎたあまり、遠のき朦朧として混濁した状況を表す比喩としての造語であるかもしれません。

Hoba 2020/08/20
なるほどカメラが引いていくように見え方が変化する。そこまで折りこんだとしたら凄い作品ですね。渡辺さんてアニメなどのサブカルもそうですが映画などのテクニックも詩作に組み込んでいると思うので、これを動画だと思えば、そういった視点の動きをカメラワークで現わすように言葉の使い方で現わしていてもおかしくはないのかもしれません。

藤 一紀 2020/08/20
だとしたら、ぼくは自分が先に書いた評を改変する必要がある笑。 それにしても読むという行為が一転二転するスリルは詩ならではですね。まだまだ精進しなきゃなぁ!

ときにぼくは候補に挙げた琴乃さんの作品を候補から下げたいと思います。このメンバーで読み込みをしたい誘惑は強いですが大賞選考まで日が限られていますので。ついでに言うと現時点での大賞候補はるるりらさんです(^^)

服部 剛 2020/08/20
渡辺さんの作品の判断は皆様に委ねます。
僕も考えが変わり申し訳ありません『田園 』は作者の本領発揮の作品ではない模索を感じるので、今回は候補からあえて外してよいので はと、思います。

Hoba2020/08/20
@藤 一紀
貝化石については承知いたしました。
羽田恭 2020/08/20
『田園』が本領発揮ではないと言われたら、そうですね。試行錯誤の現れの方が正しい気もします。
Hoba 2020/08/20
田園、ですが羽田さんと白目さんが候補にされているので、お二人に確認してからがよろしいかと。あ、被りました 笑
羽田恭 2020/08/20
自分としては惜しいですが、外すのはやむ終えないかと。
『し』の方がらしいですし。
Hoba 2020/08/20
なるほど。まぁ、完成度で考えると拙作も外していいかと。白目さんの判断を待ちましょうか。早めに大賞が決まったら番外で話してもいいですし。
服部 剛 2020/08/20
はい。御確認を待ちます。
Hoba2020/08/20
渡辺さんの作品は悩みますね。意図したものと読むかで変わってきますが、やはり、るるりらさんの作品と比較してみると弱いかもしれませんね。
服部 剛 2020/08/20
同感です。
羽田恭 2020/08/20
ある程度、詩の初心者を考えると渡辺さんのは難しいかと。
Hoba 2020/08/20
今回、選考のひとつの視点として上がった初めて詩を読む、あるいは読み慣れていないひとが読めるのか?というものがありますが、同選考での批評を読んで作品世界への入り口としてみるという視点もありますね。

また、るるりらさんの『し』が初心者向けかというと言葉は読みやすいですが、内容からいうと疑問がないわけではありません。

どちらがいいという訳でないのですが、入りやすい、という点に絞るなら入間さんの作品ですが……。

とりあえず、次の作品を挙げましょう

https://www.breview.org/keijiban/?id=5761
『頭の炭でだけ』

服部 剛 2020/08/20
『 し』については、素晴らしいと同時に、詩について語る作品ではありますが、候補に異論はありません。
Hoba 2020/08/20
まぁ、現時点では僕も『し』が大賞候補では一歩、抜けているのですが。
服部 剛 2020/08/20
ですね。『 頭の隅でだけ』について僕の考えは基本的に変わらないかなと。
白目巳之三郎 2020/08/21
反応遅れてすみません。「田園」は僕も外しでいいかなとは思っています。残念なところですが『し』などほかの作品を選ぶべきという方に傾いています。
Hoba 2020/08/21
@白目巳之三郎
ありがとうございます。
そうすると後、二作品で一通り終わりますね。

羽田恭 2020/08/21
『頭の隅でだけ』ですが、なかなか手ごわいですね。
帆場さんがコメントで書いていましたが、「読み上げていて非常に個々のフレーズがバラバラであるとは思えないんですよね。なにかはっきりと見えないけれど確かな繋がりが張り巡らされてい」るのが読むたびに感じます。

白目巳之三郎 2020/08/21
同感です。

僕は浮気性の彼氏、もしくは他の女の子にとられた彼氏に対する愚痴かなぁと思って読みました笑
『一昨日にたかゆきがまんもすにやられて/一昨々日に息絶えたとき/一週間まえには』あたりは彼氏の浮気の遍歴かなと笑
でも、はっきり言ってしまうと悲しすぎるからわざと逆再生的な感じで書いてるのかなと。

『時間の味は ひとはだのあじ/にんぎょう遊びをつづけてきた/いくつものつばさを固めて/恥じらうことが先にあってね/にんげんの機能をきり崩してつかってる』あたりとかは、普通人間てのはそれが偽りでも節度を持って生きるもんだぞっていう嘆きかなと笑

『まきいとを辿ってあいにいくつもりだ』とかは怨念
で、『わたしは眠れなかったからこんな/鳥が起きる時間にコンビニまで歩いていく』ってとこは唯一直接的に今の状況を話している部分で(『素朴に思ってみる』という言葉が指すように)

って感じに僕は妄想しました。

羽田恭 2020/08/21
前半にまんもす、後半にコンビニがあったので時間の流れを描いてるのかな、とも思いましたが。
彼氏に対する愚痴にも読めましたか!

白目巳之三郎 2020/08/21
いや、分からないす笑
たぶん、僕の妄想の部分が多々ある気がしますw
ただ、それぞれの言葉が結びついているのは本当にそうだなと思っていて、何かしらのストーリーが詩人の側には想定されているような気はしてます。

羽田恭 2020/08/21
そんな気はするんですが、上手くいなされているというか。
白目巳之三郎 2020/08/21
詩人の方があえていなしているのかもしれませんし、僕は逆にいなすようにしか書けない事柄を書いてるのではないかと思って
そうすると失恋かなにか、トラウマに近いことを書いているのかなぁと、邪推した感じではあります笑
羽田恭 2020/08/21
いなすようにしか書けない事柄を書いているという発想はありませんでした。
よく考えてみれば題名の意味も判然としないですしね
白目巳之三郎 2020/08/21
本当にショッキングなこととかって、なかなか直接的には書けないイメージが個人的にはあって、、まあ、ちょいどうなのか分からないですけど、個人的にはというところですいやほんとに、題名もよくわからないです

羽田恭 2020/08/21
それなのに引き付けられるものがあるのが、なんというか優れていますね。
白目巳之三郎 2020/08/21
僕もそう思います。だからなのか、それなのになのか、分かりませんが、不思議と引きつけられる詩ですよね。
羽田恭 2020/08/21
読み解きや評価に困りますが。汗
白目巳之三郎 2020/08/21
そこなんすよね、、笑
かなり特殊系な気がして
これを大賞にすべきか、と問われると、二の足を踏む感じが僕はあります。
いや、めちゃめちゃいいんだけど、、??みたいな感じすかね。
分からんとこです。

羽田恭 2020/08/21
善くも悪くも詩的、ということでしょうか。他の方の評価も聞きたいところです。

藤 一紀2020/08/21
こんばんは。ぼくはこの作品が具体的に何を語ろうとしているのか掴めないのですが、にもかかわらずこの作品を読むと感情を強く揺さぶられてしまいます。それは深い悲しみにも似た感情なのだけど、そういうふうには名状しがたいものです。で、なにがどうしてぼくの感情を揺さぶるもとになっているんだろうと考えているけれど、それが判然としない。ただ、これは〇〇を意味している、とか、ここは云々の理由だ、と、ぼくたちの日常言語に置き換えて語り直したり、解釈というフィルターを通したりするよりももっと直接的に働きかけてくる言葉というものがあると思っていて、この作品のそうした言葉のありようにふれて、はっきりとした理由もわからないのに心が震えてしまうのだろうと考えています。なんの説明にもなっていないですね汗 しかし、作品の核みたいのが強くある。あるけれどもそれを日常言語に置き換えて語るのではなく、核に正直に向き合ってわかりにくくとも嘘でない言葉の世界を構築しようとしているように思います。だから日常言語とはとても遠い位置にあるように見えてしまうんじゃないかと。

羽田恭 2020/08/21
>核に正直に向き合ってわかりにくくとも嘘でない言葉の世界を構築しようとしているように思います。
となると難しい事を試みていますね。
引き付けられるのはそういう面がありそうです。
ただ言葉を並べただけではそういう事は起きないので。

白目巳之三郎 2020/08/21
 

しかし、作品の核みたいのが強くある。あるけれどもそれを日常言語に置き換えて語るのではなく、核に正直に向き合ってわかりにくくとも嘘でない言葉の世界を構築しようとしている

僕も同感です。同時に、コンビニのくだりなんかはふと日常的なことが出てきていて、そこもまたいいなあと思うところです。
Hoba 2020/08/21
ん〜、再読してみましたが語ろうとすればするほど、読み解けないというか読み解く必要がないというか。ぶち当たってくるもの、それが核だと思うのですが…どう評したらいいのでしょうね

白目巳之三郎2020/08/21
今読んでて思ったのですが、表面上の意味だけでなく、多義性を楽しむように作られているふしがあるのではないかと思いました。
たとえば、あえて行っている句またがりなどの部分

たぶんなんとかしてこれからも生
きていくという感じがする
からもうこれは春なんだね

これはそれぞれ一文でも意味が通っているようにも取れて

たぶんなんとかしてこれからも生(≒息)
きていく(≒着ていく)という感じがする
からもう(≒絡もう)これは春なんだね

他にも

わたしは眠れなかったからこんな
鳥が起きる時間にコンビニまで歩いていく

というのは

わたしは眠れなかったから
こんな鳥が起きる時間にコンビニまで歩いていく

でいいはずなのですが〈こんな〉は一行目に来ている。
これは

わたしは眠れなかったからこん(≒カラコン)な

といった風でしょうか

他にもひらがな表記の部分はこのような仕掛けがかなり施されている風合いがあります。

ひとはだのあし(≒人肌の鯵)
たか(≒高)ゆき(≒雪)がまん(≒我慢)もす(≒moss=蛾)にやられて

などなど
この辺の工夫はかなり絶妙な感じがします。
ひらがな表記は〈つばさ〉〈あい〉〈たかゆき〉〈ひかる〉〈まき(いと)〉など人の名前となりそうな部分に施されていると言ってもよいかもしれません。

すみません。長くなりました。

羽田恭 2020/08/21
そう読んでみるのはありですね! 計算していたのなら、高度ですよ。

藤 一紀 2020/08/21
時間の感覚を動かず言葉の使い方は非常に素晴らしいですね。

冒頭からの三行は

惑星が ずっと 遠くでまわっていることを
瞼とじたら わかる?
恒星を さえぎって 通りすぎて やっと見えた光は

までは長さを感じる。これは太陽のまわりを回る惑星(地球?)の動きかもしれません。太陽のまわりを回るわけだから公転という周期性をもっていて想像すると長い。その長さ(道のり)と語りの長さが一致しています。だから、《やっと見えた光》の《やっと》が適切になっている。ぼくらは地球上で生活しているので普段は意識しないけれども、地球も太陽のまわりを回る一つの惑星で、暗い宇宙のなかにはるか昔から位置をもって自転と公転を行っているんですね。それは生活しているだけではわからない。だから瞼を閉じて想像してみなきゃいけない。その想像されたなかでの長さ(時間)が語りかける口調のなかで一致している。
ところがすぐにその長さは《ぼくらの時間ではない》と《ぼくら》に引き寄せられる。「あの時間はぼくらの時間ではない」ならば「ぼくらの時間」は別にあるということだと一応解釈できるのですが、《ぼくらの時間》というのが《どんぐりで……》とか《まんもすに……》とか《干ばつの国で……》とかを湿している。で、ここは人称が「我々」なら分かり易いかもしれません。つまり我々は地球の歴史において遠い昔(昨日)、どんぐりを石で砕いていたし、まんもすと闘ったし、あるときには宗教を信じた。これが《ぼくたち》と、現代我々が遣っているような語を選択して置いているから、距離的に近くなったように感じるし、そこに時間との距離感覚を狂わされてしまう。その必要性がどこにあるかというと、歴史的あるい歴史以前というものを引き寄せるため、ひいては遠い履歴を作者が負っていることに言葉を通して近づくためかもしれないし、ぼくたちにそれを感得してほしいという祈りにも似た願いがあるからかもしれません。とにかくそういうふうにいま、ここに在ることが遠さと無縁ではないことを語っているように思います。作者の返信にもあるように作者は読者への気遣いはないかもしれない。届かなければ届かないでいいという思いもあるかもしれない。けれども同時に受け取ってくれる読者がいるならば届いてほしいという想いがあるのではないでしょうか。

羽田恭 2020/08/21
読者にも技が必要になってきますね……。
初心者、上級者ではなく、波長を合わせる技術というか。
藤 一紀 2020/08/21
@羽田恭  だから田邊さんの作品は読者を選ぶのです。というのか選ぶことすらしない。その上で受け取るひとがいるならばという孤高の姿勢が伺えます。これは『フィラデルフィアの夜』シリーズを書いている羽田さんなら想像がつくかもしれませんね(^^)
羽田恭 2020/08/21
自らが良いと確信した物をそのままできるだけ最良の状態で出してきましたか。
そうすると、『フィラデルフィアの夜に』は割と近いところはあります。
というか、自分も基本そういう書き方をしていますが。
藤 一紀2020/08/21
@羽田恭  コメントがつきにくいところもそっくり\(^o^)/ 加えて、ぼくがそれを歯痒く感じるのも合わせて。
Hoba 2020/08/21
それなんですよね。もったいない。

適切かわかんないですが、スパイスの組み合わせみたいなものでしょうか。

複雑な組み合わせのなかで最適だと思う組み合わせで味を出している。そういう料理は解る人が少ない。で、僕の経験だとそういう店にはなかなか客が来ない。

人によっては上手いよ!と連れて行っても、なかなか伝わらないみたいな。わかりにくいですね 笑

藤 一紀 2020/08/21
@Hoba  うまい喩えです(^^) それがクセになる人は通う。でない人は一度きり。結果マニアック店になっちゃう。

ただマニアックでもなんでも田邊作品については語れる時にしか語るチャンスがない。それは、まあ、この作品に強烈なポエジーを感じてしまったぼくの言い分なわけですが。

Hoba 2020/08/22
いい作品。ビーレビだと最近は特に見過ごされがちな系統だと思います。大賞として推すかはともかくとして、この作品の良さを伝えたくなるものがあります。

白目巳之三郎 2020/08/22
今回このように選考に加わらさせて思ったのですが、形式的になのかどうしてもファーストインパクトを重要視して作品を見てしまうところがありますね。量としても多いというところがあって。田邊さんの作品などはこうしてゆっくり読まなければ僕程度には結構スルーされがちな作品である気もしました。とはいえ、読み方を変えようとは思えない僕もいて、なかなか難しいところです。

羽田恭 2020/08/22
同じくおもわずスルーしてしまいました。何か気になるところがあるならば、もう少し読み返すべきだったかもしれません。

藤 一紀 2020/08/22
なにが書かれているかというテーマが見えたり、書かれている言葉から意味内容が一貫性をもったまとまりのある語りとして読み手のなかで像を結ぶ時に、その作品は読みやすい、わかると受け取ることがあるのだけど、田邊作品は像を結ばない。結ぶ前に切り離して飛ぶ。そこになにが起こるかというとある種の焦れったさなんです。謎が読み手に魅力を引きおこす。読んでいるのに内容に到達できない困惑、「言葉」であるはずなのに同じく言葉を持ち使用している自分のなかで解することのできない不思議、そういうものをいやが上にも感じる。詩の言葉(という経験)の一回性、他の言葉によって語り直すことの不可能性、読むという行為はどういうことなのか、言葉は伝達手段として共通認識されているけれど、そう信じるほど絶対的なものではない、とぼくたちの言葉に対する思い込みをぐらつかせ突き崩してくれる。だからこのようなタイプの詩作品は読み手が世界に踏み込んで言葉を全方位で体験することを要請するんじゃないかと思います。

服部 剛 2020/08/22
昨日と今日はゆとりなく、申し訳ありません。

田邊さんの作品について、皆様の対話を聞いて、ポエジーのある作品と理解できました。大衆向きではないけれど、言語感覚から 何か 訴えるものがある詩なのですね。 大賞は分かりませんが、候補作はありと思います。

藤 一紀 2020/08/22
大衆向きではないのは間違いないですね。ご本人も自覚してはいるようですが。


「落雁」 https://www.breview.org/keijiban/?id=5853

服部 剛 2020/08/22
この『 落雁』のコメント欄にテキストが載っています。
羽田恭2020/08/22
テキストを読んでみると、怖いですね。音声より客観的に見れるのもあるんですが。
服部 剛 2020/08/22
そうですね。詩の中に、静かな緊張感があるというか。
海と宿?の情景から、生きること自体の 何か が読むほどに、じわじわ伝わる感じです。今風ではないけれど、詩という文学の匂いが描写から最も伝わるのは、この詩かなと思います。

藤 一紀 2020/08/22
ぼくはこの作品の朗読を初めて聴いたのだけど、テキストから読む印象とは大分違いますね。朗読は劇での語りを聞くような感じでした。

服部 剛 2020/08/22
活字も朗読も通用するテキストを意識していると同時に、
確かに伝わり方は違いますね。テキストと朗読で。
違うというか、朗読だと詩の世界が増幅される感じです。

藤 一紀 2020/08/22
多分、朗読ではその語り口のうちに書かれている内容の状況も含んでいるからだとは思うのだけど、テキストメインで来たぼくとしてはそれが持って回ったような感じに聞こえました。服部さんの評も読んだけど、服部さんが書いているほどのポエジーは感じなかったというのが正直なところで、冒頭の宣言みたいな箇所さえここで必要か?と思いました。

服部 剛 2020/08/22
なるほど。
僕も最初に読んですぐピンと来たわけではないのですが、
何度か読むうちに、詩の節々の言葉の味わいをじわじわ深く感じ始めたというか。よく吟味すると、言葉の味わい、とてもあるなぁと。

藤 一紀 2020/08/22
そこはぼくが朗読について経験が極微であることも関係しているかもしれない。あのテキストにあの声と強弱を伴った朗読が必要なのか悩むところであります。
服部 剛 2020/08/22
冒頭の宣言のような箇所は、斉藤さんにとっては必要と、僕は考えます。
この詩で伝えたい実感、感覚を読みこんでいくと、大事な1連じゃないかなと。
実は僕も朗読の強弱はどうかなと、少し思いました。
朗読もうまい人だけど、この作品はテキストで選びました。

藤 一紀 2020/08/22
そこの違いはあるかもしれないですね。テキストでは大事な箇所は最初にもってこない方が多いかもしれない。でも読みでは通過しても大丈夫なように、最初に大事なことを語るということは。

Hoba2020/08/22
以前にテキスト投稿されてますが、実のところそのときは僕も一連目が気になり推さなかったんですね。服部さんの斉藤さんにとって必要だったというご意見は確かな気がするのですが。 

前に詩集としてみた場合という視点を出して頂きましたが、この場合、冒頭はエピグラフとして書かれていたらしっくりくる気がします。

なるほど……リーディングだから頭にというのはあるかもしれないですね。

服部 剛 2020/08/22
斉藤さんはそこを敢えて、定説ではあまりない、大事なところを最初に意図的にもってきていると、本人はわかってやっている気がします。確かに朗読の影響もある1連かもしれません。それでいて、敢えて、こういう詩の始め方もあると、意図的な気がするなあ。作者は。

服部 剛 2020/08/22
この1連が本当に成功しているか、考える余地はありますが、最初に敢えて大事なメッセージをもってきて、読み進めながらそうした意味も伝わってくるような、その提示の1連でもあるのかと。
服部 剛 2020/08/22
本音をもう1つお伝えすると、入間さんの作品は言葉が平易で、斉藤さんはやや内容を掴みにくいというか、上記2作品の間の匙加減の詩を読みたい気がします。羽田さんと白目さんの感想も伺えたら、ありがたいです。

藤 一紀 2020/08/23
おはようございます。『落雁』何度か読み直してみました。たしかにじわじわと伝わってくる作品ですね。ぼくが受け取った像がどうなのかわからないけど、作品全体に沈黙があるのを感じます。語りを通してそれがじわじわ見えてくる。感覚を澄まさないと見えにくいものではあるかもしれないけれど、表現の仕方がそういう目立たない、細かい仕方になっていて、難易度高いですがうまいですね。生きることへの愛情でいえばこの作品がもっとも色濃く出ているように思います。

服部 剛 2020/08/23
おはようございます。藤さんの読みこみは的を得ており、僕も(後から)似た感覚で、この詩を受け取りました。おっしゃる通り、生への思いが伝わり、この詩と思いました。

羽田恭 2020/08/23
もう一度朗読を聞いたのですが、声の調子もあって昔話を聞いているようにも思いました。
>仮のおふくろの作る、飯は美味い
という箇所や
>猫の咀嚼を無心に
>数える
といった意味の判然としない、行動の意図がわからない行動もあってそこが昔話的な怖さを感じました。
こくろ という表現もオノマトペなのか、擬音なのか。初めて聞く表現でしたし。でもこれは使った効果はあるんですよね。
この読み方があっているかわかりませんが、海で亡くなった人の幽霊が(だから常識や表現が一部通じていない)語っているようにも思えました。
あと落雁を調べてみたら、「米などから作った澱粉質の粉に水飴や砂糖を混ぜて着色し、型に押して固めて乾燥させた“打ちもの”と呼ばれる干菓子である」 「仏事等の供物として用いられることも多い」らしいです。
もしや、幽霊への供物の意味でこの題にした可能性も。

藤 一紀 2020/08/23
@羽田恭  
>猫の咀嚼を無心に
>数える
の箇所もそうなのですが、黙って猫の咀嚼を見ながら非常に小さな咀嚼音に耳を傾け数える様子を思い浮かべました。その音が聞えるほどの静寂と沈黙が引き立つように感じました。

タイトルについては雁という遠つ人という枕詞をもつ旅鳥が落ちたのだとぼくは読みました。雁が遠い旅の果てに落ちるありように作中主体が人生の終わりに際して生を抱きしめる姿が重なるように思いました。

羽田恭 2020/08/23
沈黙も大きな要素ではあるので、猫の咀嚼が聞こえるほどの静寂があるという事かもしれませんね。落雁が秋の季語でもあり、年の瀬、という言葉もあることから海の近くで今までの生を見つめている、というのもありそうではあります。

Hoba 2020/08/23
沈黙はこの作品の全編を貫いて羽田さんが書かれた静かな緊張感を途切れることなく存在していますね。海鳴りの音と同じように動いているのに揺るぎない。冒頭の宣言によるものもあると思いますが、

◇◆◇

打ち上げられた浮標の
 
 沈黙

打ち捨てられたドラム缶に詰まってる
私はそれを
信頼と呼んでる

◇◆◇

ここの沈黙の使い方が見事で連と連を跨いでイメージを繋げながら沈黙という一言を強く印象付けています。また沈黙が形と重さを明確に伴うドラム缶という確かなものに変換される流れも素晴らしいと思います。

服部さんの評を読んでいて節々も動かせない完成度、についてですが5月選考で斉藤さんの『ママン』を取り上げた時も完成度が高い故に入り込む隙がないという話をしたのを思い出しました。
猫の咀嚼に注目する斉藤さんの目線には驚くばかりです。

藤 一紀 2020/08/23
ぼくは冒頭の詩句を当初宣言のように捉えたけれど、ここは改めねばならないと思います。沈黙の大事さをしかと知ったひと言ではないかと思います。語らている景色の後ろにつねに沈黙がある。あるいは沈黙がそれらを支えているようでもあります。そういうものがドラム缶の中にも詰まっている。物言わず黙ってささえるものを信頼と呼ぶ。よいですね。

藤 一紀 2020/08/23
すいません。ちなみにタイトルについては「雁が落ちるという意味での『落雁』をイメージとして付けた」という意味です(^^;)

服部 剛 2020/08/23
今回、皆様と共に読みながら分かってくる詩があり、『 落雁』もそうだなと。
「沈黙」と共にこの詩における「信頼」は重要な言葉で、海の風景のものたちへの信頼と同時に、この話者の海に象徴された人生の信頼と思ったときに、この「信頼」の奥は深い・・と思いました。人生への信頼、の感覚ですね。

藤 一紀 2020/08/23
ぼくは《母》もそこに絡んでくると思いました。どこかつねに母の影を感じます。それは「物言わずささえるもの」とも繫がっているのかもしれない。

羽田恭 2020/08/23
>どこかつねに母の影を感じます。それは「物言わずささえるもの」とも繫がっているのかもしれない。仮のおふくろの作る飯は旨い、というのと繋がりますね。

藤 一紀 2020/08/23
@羽田恭  仮のおふくろはこの世の母なのかな、と。で、その母はもっと大きい母(=海?)につながっていくのではないかと。
まあ、個人的には「仮のおふくろ」は「雁のおふくろ」と読めるのも面白いなと思いました(^^)

服部 剛 2020/08/23
いろいろな想像ができますね。この詩には「沈黙」と「母なるものの気配」が流れていることを、お二人の対話から思います。
そういう意味では、詩という文学におけるテーマをもち、描いている作品とは言えますね。

白目巳之三郎 2020/08/23
たしかに母なるものに対するテーマが通底している感じひしひしと感じます。
この世の母が仮のおふくろだとすると、ある種シニカルな目線もあって、そこがなんとも僕には響きますね。同時に、ただシニカルではなく、シニカルさの果てにどこか実感があるというか、「あんたは海だ/誰もが知ってる」という終わりが不思議な感興を呼び起こすところがあります。

服部 剛 2020/08/23
そうですね。作者にとってのリアリティが、詩の次元で伝わります。
Hoba 2020/08/24
テーマという点においても厚みのある作品ですね。骨太。何度か読み返していると最初の言葉が宣言から独白、自然と溢れ出したものとして定着してきました。

Hoba 2020/08/24
大賞候補作品。

拝啓  入間 △
るるりら し ○
梅雨が明ければ △
隅中の実在  △

「頭の炭だけで」△
「落雁」 ○

えー、○の作品は議論を通して全般的に肯定が得に多かった作品です。△は意見が別れた所が見られた作品です。まぁ、だから大賞に相応しくないという訳じゃないですが。評価する視点が様々に出た点においては議論が盛り上がったともいえます。ここいらで大賞を決めていきたいと思います。あらためて、皆さんどの作品を推すかご意見を伺いたいのですが。

白目巳之三郎 2020/08/24
完成度という点においては『し』をあげるのですが、可能性を見るという点で『隅中の実在』と『頭の炭だけで』の二つを現時点では考えています。もう少し頭を整理して、皆さんの意見を伺いながら、一つに絞ります。

藤 一紀 2020/08/24
ぼくは『し』(るるりら)か『落雁』(斉藤木馬)で。鮮明さでいえば『し』ですが、じわじわ浸透していく点でいえば『落雁』です。

服部 剛2020/08/24
僕も『 し』か『 落雁』です。

『 し』は、とても優れていますが、「詩についての詩」という範疇を越えていない面もあります。総合的に優れているのは『 落雁』と思いますが、やや内容が掴みにくい面もあります。そういう意味でテキストに入りやすく、書き手として可能性があるのは、入間さんです。上記3名の方は、大賞ありと思います。他の方は、秀れた面はあるけれど、大賞としては、と思います。

羽田恭 2020/08/24
個人的には『し』か『拝啓』です。入間さんの作品では8月4日投稿の『旅立ち』の方が好きなんですが、裾野を広げる意味でも大賞はありかなと。
『し』はとっつきやすく完成度も高いので。

藤 一紀 2020/08/24
入間さんはさらに良い書き手になる可能性をもっていると思います。しかし、「可能性」が大賞の決定打になるというのには疑問を感じます。入選数点ならそのうちの一つとして十分にある。選考委員特別賞とかがあればそれに該当するのではないでしょうか。

羽田恭 2020/08/24
今回の入間さんはそれが妥当かもしれませんね。
白目巳之三郎 2020/08/24
いや、すみません、とりあえず逆張りしとこうかなと思ったもので笑
普通にその場合であれば、『し』か『落雁』でよいかと思います。

Hoba 2020/08/24
逆張り 笑。
僕も軽やかで鮮やかな『し』か、重厚で味わい深い『落雁』ですかね。入間さんについてはやはり完成度の面では少し不足を感じます。今後の可能性については期待してはいますが。

毎回、特別賞や準大賞はよく話があがるのですが明確な理由付けがが、出来れば欲しいですね。裾野を広げる、か、可能性についてとか、そこを拡げられたら運営で協議しやすいです。

羽田恭 2020/08/24
入間さんは大賞でなくても、何か検討しても良いかもしれないですね。次に期待したいので。

Hoba 2020/08/24
『し』か『落雁』に絞り込み、次点に『拝啓』がある感じですかね。

藤 一紀 2020/08/24
もう一つだけ取り急ぎ。入間さんは他の二作品に比べて完成度が低いかどうか、それはわかりません。つまり、「完成度」を何に置いているか?ということです。たしかにるるりら作品も鮮やかなポエジーを感じた。落雁は全員微細に分け入ってそこにあるものを掘り当てた。つけいる隙のないテキストです。ですが「そういうものが詩である」という意識がぼくにあったかもしれない。それに対して入間作品は柔らかく親しみやすくそれでいて読ませ且つ感じさせるものをもっている。それが今後詩がもつ新しい可能性であるとぼくの詩に対する思い込みをぶち破ってくれた、という意味では大賞になりうると考えます。

Hoba 2020/08/24
新しいもの、という点では肯けるところがあります。ただあの柔らかく親しみやすい詩文の持ち味が削がれているというか過剰なものを感じる部分もあります。そういう意味では物足りなさ、を感じます。既成概念のようなものを打ち破るという意味での点を考慮して大賞に推すということなら特に異論はないです。間違いなく良作ではありますので。

服部 剛 2020/08/24
『 し』と『 落雁』は確定の感があります。入間さんの『 拝啓、』もそこに入るものはあるし、更にのびる人だ、というのもあります。

大賞か特別賞か、悩むところです。

藤 一紀 2020/08/24
すいません。先ほどはつい一人称で書きましたが、皆さんが同じように感じるほどであれば、もう大賞なんじゃないかという気持ちでした。

帆場さんの言うとおり、他のテキストの強度を破って出てくる新しさ(そういう強さ)に今一歩欠ける感があるのは気になります。

羽田恭 2020/08/24
次回に期待、と感じたのはまだ良くなる余地があるかなと。
入間さんは今月投稿の方が良かったと思うので。

服部 剛 2020/08/24
入間さんは読者を持ち得る筆力、という意味では、今回の作品も実はすごい面もあるとは思います。

ただ、僕も皆さんと同じ印象はあり、あとは特別賞を設けるか設けないか、というところですかね。
大賞の必然性は『 し』と『 落雁』にあるのではと。

白目巳之三郎 2020/08/24
僕は大賞は『し』か『落雁』でよいかと思ってます。
入間さんの作品は若干ポジショントーク的なのですが、前に話した「煙草」という単語の使い方等において、大賞には半ば反対です。

藤 一紀 2020/08/24
『し』と『落雁』は対極的だからなあ。悩むなあ。(だいたい悩んでるけど笑)
服部 剛 2020/08/24
どちらの詩も、選考委員5名に 何か が伝わっている感じです。

藤 一紀 2020/08/24
下手な勘繰りなんですが、るるりらさんはとりあえずというか、なんとなく書き始めたような気もするんです。最後のところ、あそこで、るるりらさん自身がなにか発見したんじゃないかと。「し」というなんでもあり、なんでもないものが「詩」になる瞬間みたいなものを。

羽田恭 2020/08/24
「し」の語感を頼りに書いていった可能性はありますね。
服部 剛2020/08/24
それは言えます。
書き始めと、最後の方の発見と。

Hoba 2020/08/25
詩の源泉を掘りあてたというか水脈みたいなものに触れたような、発見があったんですかね。特別賞ですが、協議しましたが例外的な賞を贈るには理由が弱いという話になりました。

代わりになるかわかりませんが、発表の際の雑感で皆さんの評を抜粋しつつ期待される書き手として触れたいと思います。(大賞から外れた場合)

藤 一紀 2020/08/25
意図せず詩の発現にぶつかった、みたいな。

個人的には詩に対する観念的な枠組みをぐらつかせるだけでもかなり強い要素ではあると思うのですが、無理は言えません。協議ありがとうございます。

服部 剛 2020/08/25
特別賞について、了解いたしました。期待をこめて評でふれるのも、いいですね。

Hoba 2020/08/25
『し』、『落雁』、『拝啓』

藤さんの言われる観念的な枠組みをぐらつかせるというのが気にかかります。入間さんの作品だと初投稿作品が散文と行分けを使い分けたものでした。僕はどちらかというとそちらの方が、そう言った感覚を持ちました。

確か最果タヒがそういう書き方をしていたように思います。そういう意味では今の時代性なんでしょうか。拝啓、もそんな作品なのかもしれません。

あらためて三作品並べると悩みます。

Hoba 2020/08/25
悩みますが決めないといけませんね。僕は『し』を大賞に推したいと思います。巧みでありながら巧さを感じさせないシンプルな完成度と、詩、をあらためて発見することで生まれている躍動感に溢れる作品です。

詩についての詩、という落雁に比するとテーマがやや狭い?ような印象もありますが最終連における生命の躍動は読めば読むほどに、見える世界を鮮やかにしてくれるように思います。

服部 剛 2020/08/25
『 し』は「しの発見」を鮮やかに提示しており、今回の大賞に選ばれてよい作品と思います。

ただ、僕の詩観にはなりますが『 落雁』は海辺の情景を通して、生きることそのものの感覚を語り、具体的に「 詩を知らない読者への共感度 」をもつ気がするので、僕は僅差で『 落雁』を推します。
補足ですが、最果タヒさんも入間さんも時代性はあるとともに、最果さんの作風は現代受けはよいけれど、ずっとは読まれないかも、という気がします。

入間さんはそこを越えて、ずっと読まれ得る可能性を秘めた書き手と思います。

Hoba 2020/08/25
@服部 剛 「落雁」ですね。ありがとうございます。入間さんの作品へは僕もそう思います
服部 剛 2020/08/25
ありがとうございます。いよいよ今回の選考も佳境に入り、スリリングだなぁ、と思います。
Hoba 2020/08/25
たぶん、現選考システムになってからで一番、濃い議論をかわしているかと。ログを公開して読んで欲しいぐらいに良い話しあいになっていると思います
服部 剛 2020/08/25
僕も初選考ながら、充実感があるのは、互いに尊重しながら詩についての本音の対話をしているからかなと、思います。今の詩壇に敬意は持ちますが、ここまで詩の本質にふれる語らいの場は、なかなかないかも、しれません。

羽田恭 2020/08/25
実は詩壇に関して全く知らず、詩と言えば原始仏典(基本詩で構成されています)ばっかり読んでいるのが、偏りまくった自分の生態だったりしますが。
濃い議論に参加できたのは本当に幸いです。
個人的にはやはり『し』を推したいですね。
『落雁』より多くの物が伝わってきたと思うので。

Hoba 2020/08/25
出来ましたら今夜で決定したいと思います。作品が三作品以上割れたら投票も考えてますが。

@羽田恭
仏典ですか。羽田さんの土台はそこにあるんですね。僕も詩壇とかあまりわからないです 笑

白目巳之三郎 2020/08/25
僕も『し』ですかね。
潔さといったらよいのでしょうか、いい意味でのすがすがしさはこの詩にしかないような気がしています。
「し」と言う言葉の解釈は様々だとは思いますが、詩について語った詩であるということも、非常に重要なことだと思ってます。
藤 一紀 2020/08/25
今朝、雨の匂いがして/しの 尾鰭がひるがえり/バタフライで ひとっとびに はねあがる
/し の、飛沫

やっぱりここは優れていますね。雨の匂いという経験によって記憶された嗅覚(予感)が働く、ここに一瞬の間がある。揺れが収まった静けさがあるのを微かに感じ取れる。そこからの「動き」のダイナミックさ。ここは尾鰭、バタフライ、飛沫でそれが表されていて、《し》を主語にしてその動きが描かれているわけではない。そこが読み手に動きをより想像させることにつながっていると思います。まさに、いま見ているかのような躍動、生命感がある。

対して『落雁』は動きはあるのだけど非常に静かです。そして遠い。見えづらい。寄せていくと舟虫の子、藤壺、髪、とモノによって状況が語らている。そしてドラム缶。この語り手は何を語っているのかという考えが読み手にあるとしても、それは語られていない。ただモノによって語られるシーンがある。ストーリーではなくて。ストーリーはその背後に隠されている。言い換えればストーリーは沈黙されている。日常のささいなこと、炊事だとか猫が餌を食べるとかそれらも(恐らくは思い出されている)《シーン》だから音はあるのにどこかしーんとしている。その光景の細かさに日常への、母への愛情を感じます。それはどちらも物言わず支えてきてくれたものであるかもしれない。

あんたは海だ
誰もが知ってる

この《誰もが知ってる》が素晴らしいと思う。特に「知っている」ではなくて「知ってる」として、「る」で止めたところ。このひと言が余韻のように残って、波音を感じさせ冒頭と繫がってくる。静かなくせに濃厚です。ぼくは『落雁』で。

Hoba 2020/08/25
お疲れ様です。

現状、
『落雁』2
『し』3

となりました。

20時50分まで25分のインターバルをとりまして、その間に皆さんに異論が無ければ七月の大賞は『し』(真清水るるりら)で決定したいと思いますがよろしいでしょうか。

服部 剛 2020/08/25
『 落雁』に『 し』の鮮やかさはない。しかし『 落雁』の情景には、一人の人間がおり、リアリティは少し『 し』よりも伝わる。

「声無き声」が、詩の奥行きから、聴こえます。25分、了解いたしました。

Hoba 2020/08/25
確かに『落雁』にはひとりの人間が目に着きます。そこには共感しやすい(詩を知らない人に限らず)ものがありますし、それだからこそ示されたテーマが深く奥行きのあるものになっているのだと思います

藤 一紀 2020/08/25
作品としては方向性も内容も異なるので是非は難しいですが、じわじわと重みを増してくる作品というのは必要かと思います。
Hoba 2020/08/25
ただ、詩を感じるという事には共感もあれば発見の驚きもあります。
羽田恭 2020/08/25
接戦ですね……。『落雁』の良さも理解できるだけに、難しいところもあります。
服部 剛 2020/08/25
『 し』に発見プラスもう一歩 何か がほしいと思うのは、ぜいたくか、悩むところです。
白目巳之三郎 2020/08/25
『落雁』が朗読だと言うところも忘れてはならないのかもしれません。
ただ、『し』の音の良さというのも捨てきれないと言うところでした。

Hoba 2020/08/25
リアリティをどちらに強く感じるかは作中に共感出来る主体が明示されるかどうかで感じやすさは一見、共感しやすい方が強いように思います。

ただその作品を鏡や窓にして世界を観るときには『し』という作品の方が自由であると感じます。この詩の先に読み手自身が世界を見直していけるようなものがあると思うのです。

羽田恭 2020/08/25
とっつきやすい『し』か何度も読み返す情感の『落雁』か。
服部 剛 2020/08/25
読者が 何か を得るのは、どちらか。
羽田恭 2020/08/25
@服部 剛 どちらの作品からも得るものは多い気はしますね。
どちらも見えなかったものを見ている側面はあるかと。

服部 剛 2020/08/25
それぞれの詩から得るものは、それぞれに 何か 最後に考えたいです。
読者が詩人であれ、そうでなくとも
そうですね。
どちらも 見えないもの を視ています。
それぞれに、 何を見て、何を提示しているのか
詩の声か、人間の声か
『 し』か『 落雁』か

Hoba 2020/08/25
作品のベクトルが違う気はしますので一概には言えませんが。

詩の声も人間の声も詩作品に現れるときは違う側面の同じものではないでしょうか。
服部 剛 2020/08/25
どちらのベクトルを選ぶか、ですね
羽田恭 2020/08/25
50分になりました。
Hoba2020/08/25
ですね
羽田恭 2020/08/25
もはや自分の好みの問題になってきてしまいますが、やはり『し』を推したいです。
藤 一紀 2020/08/25
アンソロジーならどっちも入れるんだけどなー!
羽田恭 2020/08/25
ここまで来てしまうと好みでしか選びようがなくなってきてしまいます。汗
ちょっと親を迎えに行ってきます。すぐ戻ります。
Hoba 2020/08/25
えー、ご意見に変わりがないなら、『し』なんですが…

@羽田恭
かしこまりました

藤 一紀 2020/08/25
ぼくはここは読み手の詩に対する価値観が出るからそこで分かれるのは仕方ないと思います。ただ読み手の価値観とは別に存在してしまったテキストや作品はそれを傍目に存在しつづけるものです。だから、どちらが大賞でもいいと思うけど、落雁はしのようにわかりにくく良さが見過ごされるのは嫌だなあと。そういう意味では落雁推しですが、結果はお任せします。

Hoba 2020/08/25
確かにアンソロジーなら両方ですね
服部 剛 2020/08/25
僕は『 落雁』です。
最終的にはお任せいたします。

Hoba 2020/08/25
あー、もし皆様の許可が得られるなら一部、ログの開示を行ってもよろしいでしょうか。落雁についても詳細に語られたものを整理してどこかで提示できないか、個人的にもしたくはありますので。
服部 剛 2020/08/25
開示はOKです。載せる前にどの箇所か確認できるとありがたいです。
Hoba 2020/08/25
一部、というか全体だと長いのでこちらである程度、調整するという意味です。或いはフルオープンする価値もありますが。今回のチャットは。
服部 剛 2020/08/25
あと、白目さんの推しはどちらか、確認できるとありがたいです。

Hoba 2020/08/25
掲載箇所のチェックですね。わかりました。ただ大賞発表の作業もあるので直ぐにそちらの作業に取り掛かれないので大賞発表から少しお時間を頂きたく思います。
服部 剛 2020/08/25
了解です。
僕も自分の発言は見ておきます。
Hoba 2020/08/25
では白目氏のレスを待って決定という事で。
服部 剛 2020/08/25
ですね。
羽田恭 2020/08/25
戻りました。ログの公開はむしろ歓迎です。
白目さんを待ちましょうか。

藤 一紀 2020/08/25
疲れた笑 皆さま、一旦は選考が落ち着いたようですので、お疲れさまでした。熱量と活気のある選考会になってよかったです。大いに刺激を受け学ぶところもありました。感謝します。でも、だからこそか、やっぱり疲れる!選考委員はいやだww
羽田恭 2020/08/25
毎月これだと大変でしょう。汗
Hoba 2020/08/25
たぶん、
毎月は僕が持ちません 笑。
しかし、なかなかない活気ある選考でした!
服部 剛 2020/08/25
皆様、おつかれ様です。ありがとうございます。

僕も詩壇に詳しくはないのですが、現代詩が置き忘れた 詩の本質 にふれる有意義な対話で、僕も深く印象に残る選考になりました。

ラスト25分も白熱でした。

藤 一紀 2020/08/25
まさに白熱という言葉がピッタリのラストだったと思います。
Hoba2020/08/25
@白目巳之三郎
いかがでしょう?決まりそうでしょうか
白目巳之三郎 2020/08/25
すみません、返答遅れてしまいました。汗
僕も変わりなく『し』です<( )>
Hoba 2020/08/25
ありがとうございます。では、7月の大賞は『し』で決定となりました。
お疲れまでした!

「7月選考ログを公開します!」に4件のコメントがあります
  1. すごい。みなさんすごい。いまさらですが、おつかれさまでした。
    そして、2月に選考させていただいた際の僕のポンコツぶりが申し訳ないです。
    「落雁」のテキストのみでもすごいですけど、2月の写真、とても魅力的でした。

  2. こうしてみると、濃いですね。
    そして長い。
    自分がこの選考に参加できてうれしく思います。

  3. いや、ホント長いですね。読み返してみて、なかなか読み終わらない笑 七月選考は互いの読みや詩に向き合う姿勢なども前面に表れて、遠慮なく発言させてもらいましたが緊張感もありました。その熱気がそのまま長さになっていると思います。まとめてくださった帆場さん、ありがとうございます。選考委員の皆さん、お疲れさまでした。

  4. 七月ビーレビ杯において、大賞という過分な名誉をいただきありがとうございます。
    正直もうしますと、まさか私が大賞をいただけるとは、夢にも おもっておりませんでした。
    評を拝見してみると、私が なんとなく書き始めたのだということも どうやら お見通しでらっしゃるようです。

    他にも、目を見張るような 素晴らしい作品があるのにも かかわらず、真摯な議論をの末に、私の作品を選んでくださったことにが ログを拝読して、よく 解りました。

    おかげ様で、全身が熱くなるほどの喜びを感じているところです。
    今回の賞におごることなく、これからも 精進していきたいと思います。
    ほんとうに ありがとうございました。
     

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