平素よりB-REVIEWへの投稿・コメント活動にご参加いただきありがとうございます。2022年5月の月間B-REVIEW大賞が決定いたしましたので発表いたします。

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目次

・月間B-REVIEW大賞
・投票作品
・概観 by yasu.na
・雑観 by 仁川路朱鳥
・思うこと – 生命 by 沙一

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・月間B-REVIEW大賞

 ほば(ID:342
ブランキーブランキーブランキー 』4票

 川﨑雄山(ID:1053
変光星 』4票
雨の新訳 』4票

・投票作品

 最終得票数が3票以上の作品を発表します。

交-流 3票
日向の悲観者 3票
花の風車(カジマヤー) 3票
ずっと一緒にいられたら 3票

・概観 by yasu.na

【イントロダクション】
 ここに一問だけの記述式試験がある。それにはこう書かれてある。「2022年5月中にビーレビに投稿された作品群から妥当と考えられる数だけ作品を選んで話を書きなさい。ただし、得票数の多かった作品を二、三必ず扱うこと。」と。下に掲げるのは私yasu naが試みた一つの解答案である。

【解答案】
 2022/06/05(日)に開かれたビーレビ公式ツイキャスは、6月のお題詩企画のお題を決めるものでした。(前編後編のリンク)。お題は『破戒』に決まり、とっくに開始されています。(B-REVIEW6月のお題詩「破戒」)。あのツイキャスの内容の特色と意義は「現代詩とは何だろう?」とみんなで考えたことだと思います。そして運営の沙一さんだけが意味の通る一説を解説できたのでした。ところで「書く」ということは、その時々の考えや思いや感覚を自由に、技術や理論や目的からも自由に為されるのが良いのか悪いのか、これについて判断することは私にとって難しいことです。現に、書かれたものを読み漁れば、誰もが自由に好きなように何かを書いているように映ります。このことを良し悪しの問題とするのは多分違うと感じます。「書く」ということは、自由に好きなように為されれば良いと思います。では「書く」ということを「詩作」ということに限ってみると、問題が浮き上がって見えてきませんか? 「詩作」という語を分解してみれば「詩を作る」と書きます。「詩を作る」ということ自体すでに技術を前提としており、このような技術は理論または理論的裏づけを含意しています。(引用 アリストテレース.詩学.松本仁助・岡道男訳.岩波文庫,1997,110p訳注.)。技術、理論、目的、こういったものに基づいて書かれた詩を見つけるのは難しいことだとは思いますが、厳密にそうでなくても、それに近い詩を見つけたいと私は思います。そしてそんな詩群の中に「現代」詩と呼べる詩がありはしないかと思うのです。こういうことが今回の『概観』の動機です。では始めましょう。

 秋元ささきさんの『オパール』。読む者をして純粋な詩だけの世界を覗かしめるような体感があります。現実の世界を一瞥することなく、純粋にこの詩だけの世界を作り出しています。書かれていることは本当に詩の中にある言葉通り現実的には「どうでもいいこと」であり「戯言」です。なのにこの存在感と美は何でしょう? 全部で五連から成っていますが、第四連までが同じ形式の五行の連、最後の第五連が一行です。個々の言葉の選択が上手いです。そして通して滑らかで読みやすく、また独創的にリズミカルです。似た言葉や同じ言葉が異なる連に配置されて詩が散らないように工夫されているようです。具体的には「遊色」と「極彩色」、「虹」と「虹」、「どうでもいいこと」と「戯言」、「です」と「です」、「パチンと割れました」と「パチンと割れました」です。書かれていることに特に重大な意味はないと思います。しかし、言わば箱の中にしまっておきたくなるような言葉の工芸品のようです。見事に「詩作」されています。

 あらいさんの『闇雲縷々』。方法と形式について強い意識と自覚のある作品だと思います。でも、この作品には何が書かれているのか、何が言われているのか、これは難しいです。短く言葉を句切って、それらのそれぞれを受け止めるようにして読んでゆけば、なんとかそれら個々の言葉は分かるかもしれませんが、言葉を長めに句切って、つまり文という単位にして受け止めて解読しようとすると、全然分からないと言ってよいかと思います。この作品は読者に、個々の言葉をつなぐエネルギーを求めているようです。詩とは、分からなければならないものなのか、美術作品のように見て鑑賞してもいいのではないか、そんな考えにまでこの作品に対峙した読者は到達するかもしれません。ただ一カ所だけ、文のような形をした部分があります。すなわち「何が正しいのか、自分の中だけでも指針となる銀の杭が欲しい/陰湿なる波打ち際なんて見たこともないが、攫われる気がする/夜風のかおりすら知らない、しなだれることもやめてしまった」という箇所ですが、ここでさえ、意味を説明せよと言われてもできない気がします。それでも、と言うかそれゆえに、この作品は「詩作」されていると言って十分過ぎると思われます。

 &さんの『交-流』。この『概観』に取り上げる作品選びの方針の一つとして私は既視感の無さを持っています。良いと思う作品は多いのですが、誰かがすでに使用した感じのある言葉が出てきたらもうダメです。この『交-流』という作品は私の中で残りました。作中の登場人物を整理して把握することはけっこう手間のかかることなのですが、登場人物の多さ、互いの関係、変身は、押さえておかなければなりません。こういうことは、後述する「食べ合い」「交-流」に関係しているからです。誰かが誰かを「食べる」、この「食べる」ということは重要であるように思われます。私は作中にある「食べる」と「食べられる」という言葉にマーカーで印を入れました。この作品のうちの重要語だと思ったのです。「食べ合う」ことが作品タイトルの「交-流」に直接的に関係していると思ったのです。また、下に引用する三つの詩句は、「食べ合う」ことに等しくこの作品のうちで重要な部分だと思います。すなわち、

>私の言葉はみんなの共有財である。私は世界の倉庫から言葉を借りて使っている。
>みんなの言葉は私の言葉である。誰もが、私のタンスから言葉を盗んで使っている。
>あなたの言葉は私が贈与したものである。私の言葉はあなたから贈与されたものである。それは、交換あるいは相互の盗奪である。

 これら三つの詩句です。「言葉」というものの在処が「交-流」しています。「言葉」さえ食べ合われているのです。この作品に既視感はなく、表現も内容も新しいものであるように感じました。新しいことを新しい形に表現しようという技術や目的を意識している、「詩作」されている作品だと言えると思います。

 ほばさんの『ブランキーブランキーブランキー』。この作品を逃す手はありません。作品タイトルは何のことだろうとは思いましたが、とりあえず作品そのものにかぶりついたのでした。落ち着いて構造を見ていきましょう。まず、『』の括弧でくくられた嘘が二つ出てきます。①『昨日さ、冷蔵庫から恐竜がぬけだしてきたんだけど』、②『あなたのことを皆んなが愛してるよ。愛こそすべてだ』です。①は「今にも雨が降りだしそうな声色」に対して出した「嘘」、②は「あんまり冷たい声音」に対して出した「嘘」です。①によって登場人物は「濡れねずみ」になり、②によって登場人物は「燃え尽きた」とあります。最後は「あんまり熱っぽい声色」に対して「嘘」を出すのではなく「灰」を出します。そして結論的記述は「灰被りの魔法。でも午前0時まで、ひと呼吸。灰は灰で嘘に塗れただけだった。握りしめたり、手放したり、毛布をかぶった濡れねずみは灰に塗れたまま夜の街に躍りでた。風に毛布がさらわれたとき、そこには濡れねずみの姿はなく、灰が巻かれて散っていった。」となっています。その後、「ブランキー、お前は街角で死ぬだろう、だから」という一文で締められています。この「ブランキー」が登場人物の名前なのかなと思いました。この名前から私は英語の「blank」という単語を思い浮かべました。形容詞としては、意味は言わずとも知れた「白紙の、空の、うつろな、何もない」です。でも「ブランキー」の意味など考える前に、この作品は一種のそらぞらしさで貫かれているように感じます。「ハリボテ」や「愛」や「夜の街」やら、こういったものは空っぽで嘘っぽいものでしょう。私たちを囲む物事のうちに何か内容のあるものを探したくなる、ちょっとさみしい作品であると感じましたが、テンポや構成に強固さを感じる、根性の「詩作」であると感じました。ブランキーに救いあれ。

 未星 今宵さんの『おとめの祈り』。詩の形について確固たる意識をもって作られた詩だと思いました。全四連ですが、すべての連が同様のパターンで作られています。「夢見がちなおとめが」と始まるから、ありきたりかと感じてスルーするところでしたが、早合点はやはりいけませんね、全体にさっと目を通すと、形式と譬喩の美に気づきました。内容は、「おとめ」が男性をとらえるまでになる短い成長物語であるかと思います。こういう物語は私はなかなか好きですし、作品の特徴の一つともなっていると思います。形式と譬喩の美と相俟って、これまたすぐれた「詩作」であると思いました。

 小夏 渚鳥さんの『季節の復号』、および、再びあらいさんの『浅はかな脈』。二作を並置して同時に話すことをお許しください。なんと話せばいいものか悩んでしまいます。両方の作品とも、言うなれば、説明を省いて説明ではないことをたくさん書いている、書き過ぎずにたくさん書いている、こういうふうに私には受けとめられます。こういうふうに受けとめられたところのものが、これら二作の方法なのだと思います。そして、方法があると感じたからこそ、私はこれら二作をここに掲げた次第です。

 野良 茶太郎さんの『再練習No.1 豚の詩』。明瞭にものを書くならそのための技術や形式についての教えは世に余るほどあります。そしてそれは別に詩でなくてもいいでしょう。ですがものを不明瞭に書く技術や形式についての教えを見つけるのは難しいと思われます。この作品はその見つけ難い、なんとなく無益に感じられる教えを実行したもののように思います。一行一行の間に必ず空白行が挿入されていて無駄で不要で現今珍しいように思えますが、このことについては寛大になることにしましょう。もしかしたら、これらの空白行のおかげで読みやすくなっているのかもしれません。それで、作品の中身には何が書かれているのでしょうか。私が何度か速読を繰り返した結果、言わばここには豚と鼠とを倫理的存在として描いた絵画が浮かび上がります。絵画です、文ではありません。文としては辛うじて意味が伝わってくるような気がするだけで、晦渋です。でも出てくる単語の中にはおもしろいものもありますし、フレーズとしても、「想像を求める欲の満ち溢れている、」とか「信用等は皆無の浅はか成る小物類よ。」とか「妄想の中で自分を見つけられる事なし、」といった箇所が味わい深いです。ものを不明瞭に書いて、なお読む者に喜びをもたらし、またなんとなく意味も浮かび上がってくるこの表現技術に私は感じ入るものがありました。

 さて、ここから三作品続けて、物語の発明とその語り方という観点からして浮かび上がってくる作品を簡単に見ましょう。まずは伊予柑さんの『ミックスジュース』。良い、ちょっと悲しい物語で、良い、迫ってくるような語り方を備えた、秀作であると素直に思いました。文中に超絶詩句があります。すなわち作品の最後の方の「おいおい、私は何のために生きてきたんだ…/友達のせいで、個性を消されちまうなんて…/くそうぅぅぅぅあうぉぉおう」という箇所です。私はここに特に瞠目しましたが、皆様はこの作品を読んでどう反応するでしょうか。次に羽田恭さんの『フィラデルフィアの夜に XXXⅠ』。作者の自信さえ伝わってくる、そしてその自信は妥当であると思わせる、物語と語り方です。私はこの作品からどこかを引用してきて話そうとは思いません。作中ずっと、通してその語りに呑み込まれてしまうからです。内容は、悲しいけれども強い芯のあるものです。一度、いや、もう一度、ぜひお読みください。最後、三作目は白川ロイヨさんの『借金をしている。』。一読して、ビーレビはこんなにレベルが高かっただろうか、と思いました。この詩魂、この高い文芸意識。明治大正昭和を経た日本文学の伝統から引き抜かれてたまたまビーレビに載ったかのような作品です。(ここで私が日本文学の伝統と言ったところのものは、たとえば図書館に行って、日本文学に分類されて書架に所蔵されている多くの書物のありさまからダイレクトにおそらく皆様全員が共通して感じることのできる雰囲気のことに近いと思ってください)。私が思うに、この作者はどこかの「純文学」の賞へのチケットを持っているのではないでしょうか。

【試験を終えて】
 今回は十一篇の作品を取り上げて私は解答案を作成した。すべて5月の作品である。作品数は前よりちょっと多い。文章は6,500字ほどの量である。
 ビーレビの運営の人員の中で、私は作品の得票数のカウントと『概観』の作成という役目を主に担っている。ユーザーが投票した票数によって毎月大賞が選ばれるという独特な選考方法を持ったビーレビ杯、その月次選考結果発表というものがあるということはビーレビの特徴であり、また看板でもあるから、運営の他の方々と等しく重要な役目を分け持っているのである。(ただし、運営にもいろいろな仕事があり、私のこの役目などは易しい)。
 単に得票数をカウントして高得票順に並べて示すだけのことなら機械に任せればいい。しかしそんなことが毎月続いては何の面白さもない。ビーレビは、この世の中に無数にある人間的な活動の中のささやかな活動の一つである。私は、人間の力でできることをしたい。
『概観』は誰が書いてもいいと思う。ただこの『概観』というものを発案した、そして書きたいと思ったのがたまたま私だったので、私が書いているのである。名称はどうであれ、そして私が運営から退いたとしても、このような文章は月次選考結果の中にあり続けて欲しいと勝手に思っている。
『概観』は「選評」ではない。私はこの文章のイントロダクションの中で「話を書きなさい」と言っている。そう表現することで、ユーザーによる直接投票で大賞を選ぶというプロセス、および、カウントされた得票数の多い順に作品を並べて示す機械的作業との区別を言いたかったのである。ユーザーによる直接投票で大賞を選ぶということは、ユーザーが「選評」を書くということである。運営が「選評」を書くのではない。
 ところで、疑わないで欲しいことがある。私が『概観』を書くのは、ユーザーによる直接投票で選ばれた作品群に異論があるからではない。ユーザーによる直接投票に信を置くことができなければ、運営失格であるか、もしくはこの投票システムに欠陥があるかのどちらかである。私はこの投票システムを信頼している。その上で、「こんな作品もあったんだよ?」と、皆様に向けて話すのが『概観』なのである。
 さて、私という一人の人間がビーレビに投稿された作品群から限られた数だけ作品を選び出して「話を書く」、このことの中に公正さや妥当性はあるだろうか? 何を基準に選ぶのか? こういうように問うことを忘れないことがそもそも大切である。
 今回の「解答案」においても、前回までと同じように、文章を貫く或る一つの大雑把なテーマを最初に決めて、そのテーマに合う作品を選んで書き進めた。そのテーマは、「書く」ということをさらに絞って、「詩作」ということに焦点を当て、技術、理論、目的、こういったものが見え隠れする作品の中に、もしかしたら「現代」詩と呼べる詩がありはしないか、そういう作品を見つけたい、という動機に合う作品を選択して書いてゆこうというものであった。これまでより少し難しい方針であった。正直なところ、このような方針に沿った仕事を果たせたかどうか自分では分からない。それに、この5月というたった1か月間でそんな作品を見つけるのは無謀だったかもしれないのである。読者の皆様はどう感じられたであろうか。でも、この『概観』が少しでも意味のあるものになっているならばと願いつつ、まだ未来に向かって年月は限りなく横たわっているのだから、いったんここで良しとするのである。

・雑観 by 仁川路朱鳥

 いつもお世話になっております。仁川路です。
 私の声が聞こえていますか?
 私の方は、『運営参加のお知らせ』にもあるように、色名での統計を行なっていました。統計は作品投稿掲示板にある文章を元にし、とっているため、コメントの方は拾っていません。
 ただ、2022年4月から開催されているお題詩企画については、コメント欄からも統計をとっています。また、二重投稿の行われた作品については最初のものしか判定に入れていません。
 さて、2022年5月投稿作品中、多かった色名の表現は、
1位:白(100.5点)
2位:赤(95.5点)
3位:黒(67点)
 でした。すこし取り逃しがあったかもしれませんが、大体こんな感じでした。やっぱり辞書のページみたいな色になりますね……
 ところで、単純に色としての統計のみを取っているわけでもなく、色にちなんだ斬新な表現、唸らされるような面白い表現も楽しんでいます。樹の葉っぱを描くときに、緑色の濃淡を変えて塗るよりも、黄色と紺色を使って塗った方がより生き生きして見えるような、そう言った詩の流れに「色彩の自然連鎖」を組み込んだような詩を楽しみにしております。

・非常に遅いが自己紹介的に書き連ねておかねばならないこと

 私には悪癖があります。それは「自分より年上の人(現時点で22歳以上の人)は仁川路朱鳥の知っている物事は当然知っていて、その先の知識を知っている」という根拠なき妄想が。
 例えば私が3517が素数であることを知っていたとして、私より年上の人は3517番目のオイラー素数が69014597であることまで知っている、そのように感じており、その妄想自体はこれまでの人生の中で限りなく正解であったのですが、最近になって「雑観が面白い」との声もいただくようになっており、その『面白い』に含まれるところが純粋な面白さであるのか、はたまた私の無知を嘲笑っているのか判別がつかないのですが……楽しんでいただけたら何よりという気持ちと、当惑が一緒になって、理解のドアを叩いています。
 要するに、普段の公式としてのツイートや、ツイキャス、スペースなどでの発言において、「見ている人は全員知ってるだろ」とたかを括って話してしまうというところがあります。ご了承ください(?)。わからない単語や知らない概念があったらおググりください。私もそうして知識を得ています。
 なお、私の運命数は完全数となっております。

・最近読んだ本の話

 現運営の中で、私があまり本を読んでいないように思われる方も多いと思われますが、ツイートなどで報告しないと「読んでいない」とみなす方って意外といるものなんですよね。というわけで紹介します。
「最強のベーシックインカム AIとロボットが働く時代のおカネのシステム」
 漫画がところどころ挟まっていたり、解説してくださるキャラクターたちの掛け合いもなかなか面白く、ベーシックインカム制度についての理解が進んだ気がします。実現可能性は今のところ謎です。あとこれまで頑張って働いてきた人たちからものすごい反感を買う制度かもしれない。
「動物化するポストモダン」
 よく元恋人がこの本のタイトルと無断転載の画像を併せてツイートしていたことを覚えています。ストレージとかメモリとかあの辺りの関係で「本当は毎回違う画像にしたかったがコスト的な問題で断念した」からああいう表現(ADVの動画を想像してください)をせざるを得なかったところが、意図的にああいう表現(ADVの動画を以下略)を作ろうとし始めた、その結果手続き型生成的な創作物に溢れ始め、手続き型生成的な読み解き・考察が氾濫する。
 現代の人間はコンテンツや仕事に追われて疲弊していく一方なので、わかりやすいコンテンツ・インパクトのあるコンテンツに目を奪われがちなんですよね。それ自体は仕方がないのですが、余裕があるときにはわかりにくいコンテンツにも目を通したいですよね。
「ニワトリ 愛を独り占めにした鳥」
 マイクロソフトのビルゲイツさんが、発展途上国にニワトリを寄付していた記事があるのですが、この本ではそれには言及せず、ニワトリに向けられる文化的な執念や食文化に関わる雑学などが詰め混まれていました。挿絵のニワトリが生き生きしててかわいい。(「可愛くて食べちゃいたくなる」と言うとアレなんですけど、牧場物語というゲームではそう答えると好感度が上がるとかいう謎の仕様になっています。初プレイからとうに10年は過ぎているにも関わらず、いまだに謎な心理状態です)

・新しいことを色々やっていきたいね

 第六期運営としてのはじめてのツイートキャスティングを覚えていらっしゃいますでしょうか?先月において議題に取り上げるほどのことが起きなかった場合(かつキャス主が私になる場合。奇数月)、ああなると思われます。お楽しみに!
 ところで昔、USBメモリの形式で販売されていたゲームがあったのですが、生産の関係で途中からDVD-ROMの形式に切り替わったんですよね。やはり新しいことを実行するにあたっては、ランニングコストや需要を見なければならないようです。ゲーム関連で新しいこと・試みといえばコピープロテクト。海賊版や割れ対策としてパッケージや取扱説明書、付属のグッズ類に隠されていることが多いのですが、最近はダウンロード版のPCゲームなら海賊版でなくても普通に買えるし、製作側にきちんと料金が支払われるようになってきたので、そういった試みはほぼ消え去っているに近いです。時代の進歩はいいことですが、たまには思い出してあげてね。

 私たちが見ている色というものは、実はそれ自体にとっては不要な色、という学説があります(詳しくは「反射光」などで調べてみてください)。そう考えると、快晴で気持ちがいい、アクリルガッシュでベタ塗りしたような青色の空は、空自身にとってはどのような色だと認識しているでしょうか。私たちが普段見ている新玉ねぎは、とうもろこしは、コーヒーは、それ自身にとってはどのような色を身に纏っていると考えているのでしょうか。
 ちなみに今、仁川路家ではトマトを栽培しています。トマトの着果剤を注文したところ、1本のつもりが2本届いてしまいまして……毎年別々のプランターで育てるようにすれば、連作障害は考えられないと思われます。土地を買うことを検討しないといけないかも……今日よりも明日なんじゃ
 あなたにとってのB-REVIEWは、どのような色でしょうか?

・思うこと – 生命 by 沙一

 GWのとある日、九十九里浜を散策していました。いたって殺風景で、照りつける日差し、吹き荒ぶ風、寄せては引く波、足跡のついていく砂……火、風、水、土、世界の終わりかあるいは初めのような自然の極限で人間に知覚できる最小限要素は、やはり四大元素なのではないかとあらためて実感していました。
 日、風、波、砂、それらのあいだに佇んでいると、一人の自分という生命が、四大元素の循環する自然のなかに溶けこんでいくかのよう。
 個々の生物は生まれては死んでいくけど、全体としての自然は活動を継続している。あたかも地球そのものが、一つの生命体であるように。

 5月のお題詩は「生命」でしたね。生命力を感じられる、多様な詩をありがとうございました。

 サイトを構成している作品も、ユーザーも、運営も、新陳代謝を繰り返していくB-REVIEWは、情報的な生命体ともいえるかもしれません。

 以上で5月選考の発表とします。

 2022.7.3 B-REVIEW運営一同