平素よりB-REVIEWへの投稿・コメント活動にご参加いただきありがとうございます。9月の月間B-REVIEW大賞が決定いたしましたので発表いたします。

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目次

・月間B-REVIEW大賞
・投票作品
・9月作品へのコメント
・概観 by yasu.na
・雑感+作品コメント+雑感 by 貴音

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・月間B-REVIEW大賞

中田満帆『 the daydreaming in a young town 』8票

・投票作品

最終投票数が3票以上の作品を発表します。

白米 6票
海と言う、空と言う 5票
友達 3票
憧憬  3票
スパゲティ 3票
流動 3票

9月分の投票について
コメントなしでの投票が散見され、「友達」は4票→3票、「静かな夜の物語」は3票→2票、となっております。
コメントなしでの投票は無効となりますので、くれぐれもご注意ください。

・9月作品へのコメント

【貴音】

私は感覚的な読み方をしており、一読して「あ、これ好きだなぁ」「これは合わないなぁ」というのを決めている。そんな適当でいいのかよと思う人もいるのかもしれないが、後からまた目を通した時に「やっぱりこれは良かった」という変化は余り無いので、私個人としてはこの読み方で合っているのかも知れない。今回のMVPは一読した時に、「好きだ」という気持ちになれた。どの節も良いなって思えた。字面も多少、食うなら歯応えあるけど柔らかい所もしっかり有るからスゥーって引っ掛からず出来た。内容はブラックでハードな印象を持ちましたが、夢をカクテルでがぶ飲みしたような、アリスの世界に入ったような気持ちになりました。そして、これどうやって来たら書けるんだろう、こんなん書いてみたいなって思えたのが好きな理由の一番ですね。

【mmm】

大賞作品を読みましたが、意味ありそうで意味なさそうな感じが好きでした。言葉のチョイスも離れてなさそうでちょっと離れているような、詩を読んで思い浮かぶイメージが損なわれない、絶妙な距離感を感じます。あと、なんか好きですってだけ書くのも逆に失礼な気がするので、個人的に思うことを書くと、各連をこれより短くまとめる方が、より印象的に面白くなるのではないかと思いました。似たワードが並んで冗長さを感じたのが理由です。まあ、僕はあんまり詩に詳しくないので路傍の石がなんか言うてるわくらいに思っておいてください。それより、白カビのサラミおすすめですよ。真っ白で硬い棒みたいになってるサラミをナイフで薄く切って、コロナとかの薄めのビール飲みながら食べるんですよ。最高です。でもそろそろ秋だから、ちょっと今月は何を食べようかと悩む今日この頃です。栗とかいいですよね。子供のころ、拾った栗をレンジとかで蒸したりして硬い皮を下半分だけ残してスプーンでそのまま食べるのが好きでした。まあでも今住んでる場所で栗拾うことないしなぁ。あー、てかもつ鍋も食べたいですね。ちょっと冬っぽいけど。

・概観 by yasu.na

【イントロダクション】

 ここに一問だけの記述式試験がある。それにはこう書かれてある。「2021年9月中にビーレビに投稿された作品群から妥当と考えられる数だけ作品を選んで話を書きなさい」と。下に掲げるのは私yasu.naが試みた一つの解答案である。

【解答案】

 秋の胸騒ぎを感じています。秋の方が夏よりも心は騒がしいものです。秋になると、何かを失ったような気持ちになるのは誰も経験したことがあると思います。そして少し過ぎ去ったことに未練を感じるものです。新しい季節にまだ馴染めないで悲しいのです。そんな秋の気分を感じさせる作品として田中恭平さんの『便り』(ビーレビ杯不参加)という作品がありました。「恋」(夏には恋をしがちなもの)は失ってからはじめて自分の心の辞書に載る項目。その項目を「秋にはふと読みかえし/すぐ閉じる」。なぜならその項目の意義は「残酷」であったから。辞書に載っても読まなければ忘れたも同然なのだろうか? いや、そうならない。忘れるということの遠い彼方からどうしても呼びかけてくるものがある。作品の最終行の「白色の風という手紙が来る」という言葉がそんな呼びかけてくる便りのことを指しているのかと、私には思われました。また、作品に緩急のない進行速度があって、それが切なかったです。

 秋の気分に惑わされるのも興趣があるけれども、その気分を吹き飛ばすものとして挙げたいのが&さんの『いつまでも、笑いたいんですもの』という作品。三部分に分かれている詩ですが、辛うじてまっすぐ意味を取れるのは三部分目だけかと思います。この部分から入ってみましょう。

>明日のことがわかってしまうなんて、そんなの面白くないじゃない

>昨日とは違う、明日に向って勃起しなきゃつまんないわ

>だって笑いたいんですもの

>いつまでも、いつまでも目の前のことを理解するたびに

>笑いたいんですもの、ね

「目の前のことを理解するたびに」という箇所が理知的で良いと思いました。

 一、二部分はどうかと言うと、本当に言葉の「絨緞爆撃」を受けるような感じがしました。詩は何かを伝えなければならないと思うけれども、それが必ずしも「意味」でなければならないわけではないと思います。「感じ」でもいいわけです。

 伝える、伝わる、つまり伝達ということが可能になるためには、発信者と受信者とに何でもいいから共通して持たれている何かが少しでもなければいけないと思います。こういうことと関連して取り上げたいのがななしさんの『自顔』という作品。

>私のエゴを差し引けば 同じ生き物であった

 という詩句が深い印象を残す作品です。

「私」とカモメやミミズとの会話がユーモラスです。自他の差はエゴの中にあるとし、残りは同じ生き物であると言われるのですが、エゴについてなど、「私」にもカモメにもミミズにも分からない。何も分からないけど会話はできている。ユーモラスな会話に「同じ生き物」なのだという喜ぶべきか悲しむべきかどっちつかずの意識が滲んでいて、読み手に自分が「波間に揺れる一隻の船」になったような感覚を催させます。

 私は日本人で、日本語を解し、漢字も普通程度に知っているから、日本語詩を読むことができる、と言うと間違いではないかと考えさせる危うい作品の一つが鷹枕可さんの『金管楽』という作品です。何が書かれているのか、つまり意味は分からないのですが、私はこの作品が好きで、プリントアウトしたものをよく眺めています。鷹枕可さんと私とが共有しているものはおそらく日本語であるだけです。この作品は日本語の言葉が細かいタッチで塗られている、すなわち視覚に訴える言葉による絵画、あるいは日本語の音が細やかに発声される、聞こえてくる音楽の楽譜にもたとえられると思います。

 詩は書かれ、読まれ、歌われるものであればそれでいいのかもしれない、と思い始めたところで、そういう極端な詩の一例として挙げたいのが川﨑 雄山さんの『喉の声』という作品です。ところどころ、なんとなく光景を思い浮かべることができたと思えば、すぐにその光景が壊れてしまうような感覚があります。詩は、完全な文章で成り立つものではなくてよく、またその中の言葉と言葉が尋常な結び付きをしなくてもいいものですね。むしろそのようにして新しい世界を提示するものなのでしょう。

 と、そこに元気よく注を入れるように、

>話す言葉なんて全部相手のためにあるじゃんか

 と始まるのがコーリャさんの『話す言葉』(ビーレビ杯不参加)という作品。このメッセージは強烈に響きました。詩が「話さない、伝わらない言葉」で成っているなら、その詩を発表する必要もないでしょう。詩の中で鳥が歌っているだけなら、音楽に耳を傾けるようなもの、それはそれで耳に心地良いかもしれませんが、作者さんは「鳥はお話してるんだよ」と切り返します。私たちは相手がいるから話すことをするのでしょう。私が難解な詩に悩まされて一人ぼっちになったように感じている時、光明のようにこの作品は思われました。

 話を語るように、そして主語や述語がたいてい明らかで、伝わるように書かれている作品としてはパワフルぽっぽさんの『おとぎ話は、いつ始まって、誰が書いて、誰が演じて、そしてなぜ終わらないのか』がありました。伝わるように書かれていると言っても、タイトルは深い問いになっているし、内容はなかなかに難しいです。おとぎ話、映画、物語、演技、インターネット、文章、文字、スクリーン、詩、テレビ、透明なヒジャブ、コスプレ、「わたし」をぎょろっと見てくる眼の幻想、そして作中の適切な位置に置かれて読者が読まないでは通れない植物や石の名前。私たち読者も話者の「わたし」と同じように、こういった夢幻的なものの中に陥ります。そしてリアルなものごとを渇望するのです。

>いつの間に

>あなたは映画のなかに行ってしまったの?

>ねえ、はやく帰ってきてよ

>ずっと寂しかったんだよ

>いつになったら

>会いに来てくれるの?

 私はこの箇所をこの作品のクライマックスだと思いました。現実を渇望してもかなわない私たちのうちの幾人かは、この箇所を読んで感動し、若干泣きそうになったのではないでしょうか。(この作品の真意は、コメント欄に、作者によって述べられているので、是非読んでいただきたいものです)。

 このように心が弱くなってしまったところに、

>へい、きょうもげんきに、いきることにぜつぼーしてる?

 と、聞こえてくる。白犬さんの『cookin’ red & lobo』の中のフレーズです。「げんきに」と「ぜつぼーしてる」とが撞着的で魅力的です。このフレーズがあまりに締まっているために、作中のほかの言葉たちが散漫に感じられて、イメージが乾いてしまっているような感じがしました。冒頭のillusion is mineという曲を聴いてみました。こういう曲を聴きながら「玉ねぎのスライスを水に晒す」のですね。なんだかスイッチが入り、上機嫌な気持ちが、分かりました。

 イメージが鮮やかな作品としては、まず蝋来さんの『屏夢』があります。(現在、筆名はどうやら変えたようです)。読むにあたって一文字もないがしろにできない詩だと思います。作品の後半では「少女を殺した」という句が五度もリズミカルに配されていて、この詩の一番の特色だと思います。最後の「嗚呼ユーラシア」とは何に感じて発せられた声なのでしょうか。ユーラシアというと、広くて、北半球らしいものはすべて備えている、豊かで、かつわびしい所という印象があります。しかし作中に書かれていることは地理的な描写ではなく、心の内面の描写であると断じてよいと思います。なのでここで言うユーラシアは内面の世界の譬喩であると言えます。作品に書かれている物事を細かに拾い集めてみれば、ユーラシアのように多くのものを備えた或る内面世界が構成されるようではありませんか。

『屏夢』と同じくらいの長さで、またイメージを提示してくる作品としてあささんの『』という作品を挙げましょう。

>流れていく季節の境目にちいさな墓があって

 ここに出てくる墓が興味深いです。後半にも「墓の花」「季節の境目」という語句が出てきます。墓というと花が連想され得ますね。またどこか時の流れ、失うことと新たな始まりをも連想させます。

>死んでいく、生まれていく、いつまでも、

 死ぬことが多く語られている詩ですが、最後、読点で終わっていて、読者を前のめりのような気持ちにさせます。生まれていくことが暗示されているように思いました。

>どこからか現れたその子は自らを命と名乗った

 ザルツさんの『火だるまの彼女』の書き出しです。命あるのが当然と思っている私たちのうちに、自らを命と名乗る者がいるでしょうか。そんな発想は普通はないです。普通は、命を持っていると述べられます。でも、よく考えると、命そのものと命を持っていることとの間に何の違いがあるのでしょうか。違いはありません。私たちは、命そのものなのです。そう気づかせてくれる衝撃的な冒頭の書き出しだと思いました。作品の内容は、命が火だるまになるという話ですが、蟻という小さな生き物の命の喪失さえ、命と名乗る「彼女」を火だるまにするに足りる出来事だということだと思います。最後に「僕は躍動を知った」とあります。これは、「僕」も命と名乗ることができるのだという自覚が生まれたということだと思いました。「彼女」が燃えるさまが視覚的に強烈なイメージとなって読者に届きます。なおかつ、どこか知的な雰囲気を持つ作品です。

 最後に、言葉少なく、でも詩情が溢れ、日常の感覚を切り取って、なお奥行きのある一篇の詩に触れて、話を締め括りたいと思います。それは、まささんの『』という詩です。まるで漢詩のような端整さがあるハンサムな詩です。前半、とても少ない字数で必要な情報をあたかも美しく文字を彫るように記す、その手腕に感銘を受けます。その情報を受けて、終わりの連ではまた人のやさしい日常的動作を書き、それが不思議にも大規模な詩篇にも匹敵する読みごたえを感じさせます。

>よく見ると

>細い枝の途中から

>ちいさな若い葉が

>まだすこし眠たそうに

>ゆっくりと顔をもちあげようとしている

 こんな簡単な言葉が、なぜそんなエネルギーを持ち得るのか、私には分かりません。詩の奇跡と言って過言ではないでしょう。

【試験を終えて】

 十二篇の作品を取り上げて私は答案を作成した。それらの作品をどうやって選んだかと言うと、勘であると言うほかない。しかし勘で選ぶということも私たち人間がよくやる方法である。誰しも書店へ行ってブラブラしているうちに、一生の宝となるような書物に出会ったことがあるのではないだろうか。ブラブラすることは、有効な探索の一つである。

 作品に対する感想なら個々の作品のコメント欄に書けばいいではないか、と言われるかもしれない。もちろんそれもする。だがコメント欄は短期的感想によく向いており、今回作成した答案のように長期的に作品に向き合って、しかも他の作品と並べて談話調に記述することには向いていない。私はどの作品もプリントアウトしてファイリングし、そのファイルは出かける時にも鞄に入れて持ち歩いていた。そうして何度も、どこにいても、同じ作品に紙媒体で向き合えるようにしていた。

 私は月次選考結果発表において、大賞だけではなくて、もっと多くの作品に触れたかった。大賞だけが価値を持つわけではない。多くの投稿者がそれぞれ全力で書いた作品群がビーレビを支え、その作品群こそビーレビそのものだから。

 ビーレビ杯不参加作品を取り上げることについてはどうするのが良いのか悩んだが、発表されているのだから読まれることを期待しているのだと考え、また、取り上げても誰も傷つくことはないと考えて、取り上げた。

 私が運営に携わる間、毎月の月次選考結果には、今回提示したような「答案」が載ることになる。一年間で150篇くらいの作品に触れることができるだろう。そうすれば、或る作者ばかり取り上げられるというような偏りもないのではないか。

 詩を読むことは難しい。一か月かけて読んでも、作者の真意に触れることができるという保証はない。読み手としてできることは、何だろうか? 勉強? まあそれも一つかもしれない。

 皆々様のより良き創作環境を整備していく。

・雑感+6月作品コメント+雑感 by 貴音

【9月の雑感】
どうも貴音です。生活環境が大きく変わります。まず私は仕事を辞めます。この雑感がいつ掲載されるか分かりませんが、もしかしたら次の仕事場で働いているかも知れません。辞める理由はそうですね…上司との折り合いがとにかく悪かったですね。昼休み前、夜の仕事終わりに今日の出来を言われ、土曜日には1週間の動きを言われて、月末には月の動き方を言われ、給料日にも言われるわけですね。もうほぼ毎日、平均20分も「お前のここが出来ていない。」とか人事評価がうんたらかんたら言って圧を掛けてくるんですね。言いたいネタが無いのに偉く振る舞いたいからなのか、何度も同じ話をされるんですね。決め台詞の1つに「俺のやり方に、あ~はいはいって思うなら、どうぞ他の所に行ってくれ!」ってのがあるんですけど、これを定期的に言われるわけです。給料日にも言ってくるとか精神的にキツいなって思っていました。なんでわざわざやる気を無くす事を言ってくるんでしょうね。私以上に自分に自信が無いのかも知れませんね。私とはまた違った人付き合いの下手くそです。入れ替わり激しい職場なのは当然です。なんか「俺は色んな人間を今まで雇ってきたし見て来た。」みたいな事を誇らしげに言うけれど、人にどう思われているのか一度疑った方が良いかも知れません。座っている椅子にどんだけ自分が相応しいか見た方が良いです。それにね…お札の向きとか、スタッフ用の出入り口の靴の並べ方をあれこれ言ってきてたけど、上司は水洗便所を上手に使えない奴だったんですよ。便座をあげて小便するけどこぼしているし、たまに流し忘れているし。そんな奴に「お前は○○が出来てない!」とか「この感じでよく何年もやってこれたな。」とか言われたくないんですよね。自分の下の管理もろくに出来ないくせにね。まぁ…そんなのがあってもう疲れちゃったのさ。お金は無いからそんなに長期は休めないけど、数日休んだら次の場所に行けたらなぁって思う。何処に行っても嫌な相手とかいるんだろうけどさ、もう人間と接近する仕事は良いかなぁ~って思う。本当はやらなくても良いと思うんだけど、お世話になりましたの粗品を渡しますよ。いや~両親が渡せって言うのよ。他のスタッフにはお世話になったけどさ、別にそこまで会って仕事をしたわけでも無いし、そんなに悩みとか聞いてもらって支えられたわけでも無い。上司なんかに渡しても「アイツは根性無い奴だった」とか言われなくて済むわけでは無いと思うしね。ま、とにかくこんな不満を少しでも抱えないで生きていくようにしたいわけ。だから人間と関わる時間の少ない所に勤めたいなって考えているって話。

【いつか運営はいらないと思う。】
先月も触れた話だけど、運営に新しくyasunaさんが入り、更に2人ほど参加を考えてくれているユーザーさんがいる。おかげでビーレビは暫くは安泰が約束されているわけなんだけど、私はいつか運営が居なくなって良いんじゃ無いかと考えている。多分、誰もやらない時期が来ると思う。その時の運営さんは頑張っちゃうだろうけど、それでも来ない時期がやって来ると思う。限界になったらサイトを畳むか、スカウトや宣伝をするんだろうけど、私は、運営が抜けて不在期間を設けても良いのでは無いかと考えている。運営が居なくなった時にどんな風になるか分からないけど、本当はビーレビに何を求めていたのか発見できる気がするんだよね。ルールマナー重視の安心安全を本当に求めていたのかとか、何をやっても咎められない自由さを求めていたとか気づけるキッカケになると思うんだ。修正ポップなのか、無修正ハードコアなのか分かると思うんだ。いやいやいや!なんでわざわざそんな期間を設けるとか言ってるわけ?ってなるなら、サイトを畳むか、これを見ているあなたがその時に運営になれば良い。そこにも気づきがあるよね。自分は面倒ごとは引き受けないで、投稿だけしたい奴だったんだって気づきがね。後さ、別に運営が居ないからって世紀末になるとは限らない。結局、皆が求めているのが安心安全ならずっとそうなっていくんだと思う。どちらにせよ、本当の意味で皆で作るビーレビってのになるんじゃないかな?

【ツイキャスの聴き方】
今回のビーレビツイキャスは、いつにも増してつまらんと言うお言葉を頂くことが多かった。体感として確かになんか面白くないから、なんとかしたかったけどどうにもならなかった。すまん…。原因はほんと色々、私達にそもそもの魅力が無かったり、求められているなんか、話したいことや聴きたい事に応えられていないからだと思う。他の2人については分からないけど、私自身のビーレビツイキャスの考えを残しておきたいと思う。まず、「なるべく開けるときにはキャスを開こう。」これが私の中でのビーレビツイキャスかな?もう、開けたらそれでOKみたいな所がある。話の出来とかは後回し。最低限のこんな事がありました。こんな事をしたいと思っております。それさえ伝えられればそれで良いのかなと思っている。閉じている窓を開けて換気するような感じ。そんなもん。「高度な話し合いをする会議室じゃなく、ちゃぶ台を囲んで駄弁る」ってのも意識している。カチカチで真面目な話はしたくない得意でないし、ついてけない。詩の投稿サイトなんだから、お前の好き嫌いの話とかどうでも良いんだと思われてるんだろうけど、私からすれば何度も詩のあり方とは?本当の詩とは?みたいなのを繰り返し話して、夜も更けたので終わりましょう。そしてまた別の機会になったら同じ話を最初からして、これこそ何の意味があるんだろと思ってきていたのでそうしている。だから、私はビーレビツイキャスを集中して聴いて欲しくないと考えている。馬鹿を見ると思う。スマホにイヤホン差して画面もじっと視聴してる人がいるなら本当に申し訳ない。今度からはご飯を食べる時に、なんか静か過ぎるからちょっと流しておくか…。皿洗いの食器の擦れる音が嫌いだから流しておくか…。もうそんな感じで聴いて欲しい。なんなら、なんか放送やっているけど取り敢えずその日はガン無視して、気が向いたときに録画を聴いてあげようくらいで良いと思う。しっかりした場所?は掲示板だけで良いんじゃないかなと考えている。

【詩と透視について】
私は詩と投資の話は出来ませんが、詩と透視の話はそれ風なのを話せるので適当に話したいと思う。私達はこの世という情報の塊を五感で感じ取って、それを詩にしている訳なんですけども、どれほどの詩人が題材の内部を視ることが出来ているのでしょう。箱があって、中には何かが入っているまでは分かるけど、そこに何がいるか、あるかを分かる詩人ってのは少ないのかも知れません。私も含め、多くの詩人はきっと透視が出来ていると思い込んでいるだけであり、見えていると思い込んでるものは錯視しているだけのかも知れません。他の言葉で表すなら、視人ではないのだと思います。好きなものを好きなように視て書いている、偏った人という意味で偏人であるとは思います。でも、それで良いと思うんです。だって本当の事って分からないじゃないですか。世界は五分前に誕生したとか、この世は蝶が見ている夢だとか、水槽に浮いている脳が見せられている映像だとか、本当にそうなのか分かんないじゃないですか。別に視えているからといって良い物が書けるわけでもないし、思い込んで書いているものが良い物だったりといい加減なので、どんどん勘違いして書いていきましょうね。話としてもう一つ、箱があるとし俗に言うポエムっていうのは、箱があるっていう可視だけをしている状態だと思います。それだけではつまらないので、私達は透視という作業を行います。実際に透視は出来ていませんが、何かが視えてくるまで行います。素材や大きさ、入っていそうな中身、色とか分かったもの、またはそう思い込んだものを書いていくと詩になるのかなと思います。だけど、更にこれではつまらない人は透視をやめて、疑問視を行います。そもそもこれは箱なのか、この箱は何処からやって来て、何処へ向かうのか。そういった方向で視ていくと思想的な詩へと向かいます。これよりも更に向こうがあります。それは無視です。もう箱はあるけどそんなの関係ないという状態です。こうなってくるとシュールな作品になっているのではないかと思います。

ポエム→詩→思想詩→シュール詩
可視→透視→疑問視→無視
って感じなのかも知れませんね。

【〆の話】
今回の終わりは短く行こうと思う。Yasunaさんを迎え入れて3人体制で行っていく訳ですが、私やMMMさんが出来なった投稿作品に触れることをyasunaさんがメインでやってくれるので、投稿者さん達的には楽しみが増えたのではないでしょうか。お互いに人柄を理解して、上手く関係を構築しやっていけたらと思います。今後ともビーレビ、運営をよろしくお願いします。

遅れて作品コメント

これは、私が一切のコメント活動をしなかった6月の作品を流し読みで感想を述べたものです。本当に流し読みなので、大きなずれがあっても許してな?それか、読み込んじゃうものを書いてくれな。

写真の中にいる人 otonano_furi
https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=7556
ノスタル爺な詩ですね。5月MVPのじっちゃんって作品が好きな人は刺さるのではないでしょうか?

噛み殺しっ あさ
https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=7557
読んで浮かぶ映像とか言葉遣いは非常に好みで、この感性は欲しいなと思うところ。しかし、長いパートと4行パートがあるけどいまいち絡んでない感じがする。

月見うどん 湯煙
https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=7561
短くてシンプな詩ですけど。「月がとろけていた」って表現、「朝を歩いた」って対義語っぽい使い方とかが良いなと思いました。五感にしっかり来るタイプですね。

わたしは詩だ 沙さ綺ゆがみ
https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=7563
個人の詩論ですが、複数の意味を持たせる、ぼかしたい時にひらがなというのを使います。この作品では、詩という言葉だけが漢字で、後は全部がひらがなで出来ています。多分、わたしというハッキリしないものだけど詩になるってことは確信している詩なのかなと流し読みで思いました。

悪道をいく mokuren
https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=7565
グロく湿り暗い詩だと思います。ただバイオレンス感はなくて綺麗な感じ、エイリアン(映画)をデザインとして良いよねって言える人は好みなのかも知れません。

浜辺にて yasu.na
https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=7567
これは詩の文章構成をした短編小説だと感じました。詩文の長さで非常に濃い、人間の気持ちとかを書けていると思います。

LIFE 湯煙
https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=7570
リアルな生活詩、日常詩って感じがします。流し読みした感じですと日々、刹那を生きている私達ですが、切ないに溢れているなと感じました。

秘密の花園 野良月雲
https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=7571
人のことは言えないけど、流し読みをしようとした感じだと文体が硬い気がしました。多分、これが普通だと思える人は楽しめると思います。

国家、軍隊、部活動 よびな
https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=7573
うーん・・・感じの詩かなと思う。

ワクチン 武田地球
https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=7576
良くも悪くも、こんな世の中になって見えるようになってしまった景色を描けているように思える。

バスキア ゴロ(ちゃん。)
https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=7584
怪しげなアラビアンな曲にリーディングが乗っかっている。私は好きである。

生身 宮田
https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=7586
この詩に限らず、宮田さんの詩は生っぽい。生き物臭い詩が多くてそれは人を選ぶけど、私はこのジビエ感がファンである。

雑草 はなもち
https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=7608
うちの両親を見ているとそんな感じかも知れないという共感を覚えました。

工場 福まる
https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=7611
相変わらずの改行日記なんですが、読ませるのはこの素直な文体だからなのでしょうか。私達が比喩を着込む中で、堂々の全裸は目立ちますし清さを感じます。褒めてますが、認めてません。

風の夜 ―4:00 a.m.― みやび
https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=7612
よく文章でこんなに私を引っ張ってくれるなと感心しますね。なんか、疑似体験をさせてくれますほんと。長いのは好みが分かれる。私も本来は好きではないけど、みやびさんのは別だな。

家老職とアミ エイクピア
https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=7618
彼の作品の中では最初から最後まで一本で話が通っているように思える。ここにきてエイクピアさんの入門編に皆さんどうぞって感じです。

極地 萼
https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=7623
タイトルから重厚感があるように思えて読んでみましたが、うーん。私には足りなすぎました。

お願い ネン
https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=7624
病気を詩にする方って何人かいらっしゃいますが、私はあなた達の病気を読みたいのではなく。病気になって出来た感性でなんか驚かせて欲しいんですよね。

海はひろい 市井蒸発
https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=7626
これはシンプルに、もっと読まれても良いのではないかと思った。

『主人公』を求めて アオ
https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=7630
これを読んでって訳ではないけど、私もこの月は主人公じゃなかったな詩を書いた。それは自分がってより相手にたいしてなので、この詩とは反対かな?

3ユーロのコンサート まさゆき
https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=7635
キャッチコピーみたいな詩だと思いました。好きな方でございます。

月を見て宇宙を感じる きょこち(久遠恭子)
https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=7636
月や宇宙という大きな力を持った単語が出ますが、詩文はポップな感じです。SFではあるのでしょうが「少し、不思議」といったような感じです。私はこれでこの作品は良いと思いました。

また 春を迎える タナビかる
https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=7649
サンショウウオの下りをコメントでは語られているけど、私は一節目がいいなと思いました。

渡り鳥 わたしも
https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=7652
読む!って決めたら最後まで読まないと行けない詩です。流し読みの範囲だとパワーが必要になります。

ごしゃごしゃ!!泥だんご! 石原誠
https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=7662
開き直り、自棄、笑うしかないって時のスピード感があるように思えました。

リオデジャネイロ-liodedhanwearo- 竜門勇気
https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=7697
こういうパワーワードで押し切る詩が私は好きですね。読む奴を押し返すような感じ、たまらんです。

【意図したビーレビ爆撃プロジェクトはいりません、本来のてめぇで感想言ってください。】

少し昔話から始めたいと思う。私は詩というのに関心を持って、2chの詩や文学極道とかを読んでいた人間なんだけど、参加できる度胸のないチキンだったんです。でも、そんな私でもなんとか参加したいってなった時、世間ではSNSが流行りだしていたんですな。そこでは仲の良い人達だけで、コミュニティを作って好き勝ってやれるというのを知った。そこで思いついたのが、最初から私がいる状態でそれっぽいことする作戦。私は「詩々16番街」というコミュニティを作って、仲間を厳選してワイワイしていたんです。コミュニティの内容は①本気半分・冗談半分で作品罵声、そして良いと思ったら素直に褒める。②詩は鮮度、瞬発力!③ハードコアであれの3つがザックリとした内容だった。コミュニティの内でやる分には、良かったんだと思う。だけど、当時の私達の失敗として全く関係ない♡恋の詩♡(289)とかが建ち並ぶコミュニティに飛び込んで「お前の詩は糞だ!軽い言葉で書かれた恋愛が上手くいくはずない!」とか発言し、「お前の詩、可哀想やから俺の方で直しておいたぜ!」とかほんと、ヒャッハーな思考をしていたんだよね。当然、そのコミュニティからは人が抜けて、私らは追い出され、鍵コミュになり、ユーザーブロックを受け、何人かはアカバンを食らったりしたんですな。そんで、自分達が行き過ぎた行動をしてしまったと反省したんだよね。で、そんな過去のある私が何を言いたいのかというと、酷評について持っている1つの意見なんだけどさ、「うちらで、俺らでビーレビ内の詩の向上を図るために酷評をしよぜ」だったり、「あ~たまには厳しいことを言おうかな~」ってのはビーレビにはいらないユーザーですね。何だろう…最初から読者として屈折しているよね?だから正しく読めていないと思うの。「今日は酷評するぞー!」って意気込んで読むって、作者に対して失礼すぎますね。所詮、文面だけだから相手の意図なんて見破れないよ?ただもし分かるとしたなら、私はそんな奴の言葉をもらって変に鵜呑みして精進しますとか言いたくない。そんな奴にありがたみなんて感じない。こいつらのせいでビーレビや詩から遠ざかった人達が居るなら、てめぇらの為に場所なんて設けたくない。私は確かに、カオスになっちまえな所はある。だけどこれは少し違う。意図して変な読み方をしようとすんな。お前本来のやり方で読んで、コメントを付けたい良い詩ならそのように書け!どうでもいいならコメントすんな。出来が悪いなと感じた時に普段はコメントしないならわざわざすんな。ちょっとおしいなぁって思うならそこだけ感じたことを書け。「よ~し!今日は張り切っちゃうぞ~♪」はやめろ。まぁ、いないと思うだろうけどもし「集団でビーレビ爆撃プロジェクト」みたいなのがあって、それが計画されているならば“まずはどんなものか、積極的にこれでもかと言うほど仲間同士で傷つけ合ってください。”私が16番街でやってしまった過去は最低ではあるけど、私達が少しマシな理由は互いに傷つけ合っていたからです。もし、実行する自分達は傷付けません。なぜなら仲良しだからです。あの人はここで繋がっている、誰々と仲が良いからやめておこう。この人は誰とも繋がってません、ちょっと見かけない顔です。作品もなんかいまいちなんで酷評しましたはクソです。私達がしたことよりもクソです。酷評祭りに他者を巻き込まないで下さい。てめぇら同士の作品でやれってのが私の意見です。

以上で9月選考の発表とします。

2021.10.17 B-REVIEW運営 一同