平素よりB-REVIEWへの投稿・コメント活動にご参加いただきありがとうございます。2022年2月の月間B-REVIEW大賞が決定いたしましたので発表いたします。

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目次

・月間B-REVIEW大賞
・投票作品
・概観 by yasu.na
・雑観 by 仁川路朱鳥
・思うこと – 星空と舞台 by 沙一

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・月間B-REVIEW大賞

 ロンドン塔うろ子(ID:1787
すみません、ここは詩のサイトでしょうか?友人のスマホに残された詩を載せます。コピペがミスってたら申し訳ないです。友人は詩と言葉で、人の心を暖めたいといつも言っていました。』6票

・投票作品

 最終得票数が3票以上の作品を発表します。

蒼い目をした白鯨 4票
(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)  4票
帆を立てて  4票
戦争のすこしまえ  4票
今はただ  4票
魔法はある  3票
辞めてえ 3票
星の町 3票
トウキョウのスカイツリー 3 票
月が消えた 3票

・概観 by yasu.na

【イントロダクション】
 ここに一問だけの記述式試験がある。それにはこう書かれてある。「2022年2月中にビーレビに投稿された作品群から妥当と考えられる数だけ作品を選んで話を書きなさい。ただし、得票数の多かった作品を二、三必ず扱うこと。」と。下に掲げるのは私yasu naが試みた一つの解答案である。

【解答案】
 フォークナーはノーベル文学賞をもらった時の講演の中で、現代の文学についておそらく批判的にだいたい次のような言葉を言ったようです。「人間について書いているのではない、物について書いているのです」と。この言葉は私の濫読期に私の頭の中に刻まれた言葉です。記憶は確かです。この『概観』をこれまで書いてきたうちで、私は概略的に言って「人間」について書いた作品を多く扱ってきました。特にフォークナーの言葉を意識していたわけではありませんが、今顧みて、フォークナーの言葉は私の『概観』作成の方針について補助輪の役目を担ってくれたかもしれません。しかしフォークナーのこの言葉は短くて簡単に言われているだけに難しいです。そもそも人間が何か「書く」ということをする場合、人間について書いていないということがあり得るのか、うん、あり得るかもしれない、ではその場合何について書いているのか、物について書いているのか、物について書くということとはどういうことなのか、こういうようにさらに踏み込んで考えたくなります。もしこのような疑問について熟慮できたとしても、書かれたものの中には人間について書いて失敗したものと、物について書いて成功したものがあるのではないかと思うこともあるのではないでしょうか。また、書かれたものを呼ぶ呼び名として、抒情、叙景、叙事、物語、思想、などなどがあります。フォークナーのあの短い言葉だけでは人間の「書く」という行為を括れないと思います。「書く」、これは人間の一つの執念の行為だと私は思います。何について書いていようと、執念があるものならそれは良いものだと思います。今回の『概観』では、今まで「人間」という主題に傾きすぎたきらいのある私の態度をちょっと改めて、成功か失敗かをなるべく問わず、「執念」を強烈に感じさせてくれる作品をセレクトして話を書いていこうと思います。では始めましょう。

 comoestanuqui26さんの『牛乳配達員は牝牛を配る』。作品タイトルから牛のことが書かれているのだろうと先入見を持つだろうと思われますが、実際に読んでみると、もっと広がりがあります。八連から成っていますが、牛が登場しない連が三連あるし、作品を通して牛の存在感が特別に強いわけでもないのです。各連相互の間に意味的、ストーリー的に、微妙な段差を持たせながら詩は進行してゆきます。読むと、牝牛という語は女性、特に「母さん」という語に連結していくような感覚があります。第八連、つまり最終連の迫力、重量、スピード感、リズム、盛り上がりがすばらしく、詩の結びとしてすぐれていると感じました。この最終連に牛は出てきません。おもしろいですね。タイトルは何だったのだろうと思ってしまいましたが、不思議にも不満を感じさせるどころか、この結び方に圧倒されて余韻嫋々、やや長い作品ですが「執念」によってねじ伏せられているように感じました。

 moooさんの『ひっぱらないで』。2月作品群を読んでいて、いかにも詩らしい言葉ばかりで私は困っていました。そこへこの作品が来ました。この作品に用いられている言葉は今まで存在した詩的な言葉ではありません。超えてきています。おそらく詩を書く人たちはみんな新しい言葉を紡ぎたいと願っていることでしょう。でもそして失敗するのです。みんなあまりに今まであった詩的言語に囚われすぎて、それを拭い去れないでいるのです。まったく「詩的ゼロ」の状態から書き始めることはとても困難なことなのです。それをこの『ひっぱらないで』という作品はし遂げているように思います。平易な言葉によって「執念で」演じ切られた新しい演技がここにあります。その演技もまた緻密で味わい深いものです。ぜひ今一度読み直していただきたい作品です。

 積 緋露雪さんの『物憂げな魂を抱え込んでも尚、前を向く』。まずは単純にタイトルの力強さに惹かれました。作品の出来具合はもしかしたら無骨であるかもしれません。しかしこの無骨な言葉で最後まで書き遂げた「執念」を私は買います。言葉遣いは文語的傾向があり、書かれている内容はなかなか理屈っぽくて、こういうことが他の作品群からこの作品を一段浮かび上がらせているように感じます。「単なる偶然でしかない。」、「その蓋然性に先づは宇宙が愕然とする筈なのである。」、このような箇所が特に印象的でした。

 染音さんの『パレットの上で』。唸らせてくれました。私がこの作品を取り上げるのは、読むのがラクだからではありません。確かに字数は少ないです。そして空白行が多すぎて、プリントアウトするには用紙がもったいないとも思いました。しかし私は引っ掛かる作品に遭遇すると、紙媒体に置き直して改めて本当に価値ある作品かどうかを確かめなければ気が済まない性格なのでプリントアウトして読みました。一読、あたかも紙面は広いパレットの上のよう、「私」の冷ややかな存在感、少ない文字はあたかも本当の絵の具のよう、そしてそれらの文字は本当に声になって聞こえてくるかのよう、空白行がもたらす静かで大らかで張り切った旋律とリズムに乗せられ、また、気の利いた物語に引き込まれました。この作品によって私は「書く」ということと「作る」ということとは厳密には違うのだと再考しました。この作品は後者です。ちょっと私自身、これまでの創作態度、創作方法について反省してしまいました。読み逃した方にはぜひ立ち戻って読んでいただきたい作品です。

 深尾貞一郎さんの『ドッペルゲンガー』。「執念」と言うなら、この超長い、読みづらい作品を避けて通れないでしょう。「ドッペルゲンガー」とは広辞苑第七版によって簡単に言えば「①生き写し。分身。②自身の姿を自分で目にする幻覚現象。」です。作品本文をちょっと読めば、なぜ作品タイトルが「ドッペルゲンガー」なのかは了解されるでしょう。せっかく最後まで読むならば、プリントアウトして、どんな色でもいいからマーカーを手に取り、作中の「私」という語をマークしながら読み進めるといいと思います。非常な数の「私」にマーカーを入れなければならないことでしょう。作品の完成度はこの上なく高いです。ここに書かれているのは思想ではありません。書かれているのは、それも精度高く書かれているのは、シーンの連続です。これだけ書くには語彙力を必要とするのはもちろんですが、語彙力というものは強い想像力と豊かで深い体験と知に裏づけられているものです。読み物として稀なほどにすばらしいと思っただけではなく、そういう裏づけの存在を感じて、私はこの作品を高く評価するものです。

 以上が、2月の作品から私が自分の選択眼を信じて「執念」を感じさせるものを選び、それらについて書いたところのものです。この中に得票数の多い作品は含まれていません。別に意図的に外したわけではありません。「執念」を追い求めていたら、こうなったのです。では、得票数の多かった作品の事情はどうなっているのでしょうか。以下、簡単に見てみましょう。

 ロンドン塔うろ子さんの『すみません、ここは詩のサイトでしょうか?友人のスマホに残された詩を載せます。コピペがミスってたら申し訳ないです。友人は詩と言葉で、人の心を暖めたいといつも言っていました。』。一見こんなものは詩ではないです笑。良い意味でイッちゃってます。作品タイトルに「詩を載せます」とあるし、「詩と言葉で、人の心を暖めたい」とあるから、人が普通に抱くような「詩」への期待を持って読んでいくと、欺かれます。心が暖まるような「詩」や文字はまったく無いです。ここに表現されているのは、人の心を冷やす、真面目に撮影された、現代社会の一側面のスクショです。しかも目をそらしたくなるようなスクショではなく、読み手をしてまじまじと見入らしめる表現です。「執念」を感じさせるということを超越した、呪われたような表現意欲が感じられる作品であり、こういうことによって大いに支持され、2月最多票6票を得たのだと思います。大賞おめでとうございます。

 stereotype2085さんの『蒼い目をした白鯨』と『帆を立てて』。この作者はもはや現代の吟遊詩人と呼べるような気がします。多作なだけに、一つ一つの作品は少し軽いように感じますが、尽きることを知らない創造力には感嘆してしまいます。

 類さんの『(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)人(‘A`)』。この作者はいろんな事に挑戦する人だという印象があります。自然にチャレンジングにならざるを得ない精神の持ち主なのだろうと推察されます。この作品に限って言うと、一度この作品に遭遇してしまえば、絶対忘れることを許さない粘着力が備わっていると思います。

 武田地球さんの『戦争のすこしまえ』。私はこの作者の作品を読むたびに思うのですが、どうしようもなくきれいで濁りない感受性によってなのか、それとも大変な努力の結果なのか、複雑な事をとてもシンプルに、そして象徴的に書けることが特徴だと思います。これはもちろん良いことなのですが、このままずっとこういう性質を保持してゆくのか、それともいつか革新するのか、私は個人的には革新を期待しているのですが。

 羽田恭さんの『今はただ』。きれいにまとまっていながら複雑な滋味を持つ、深い作品だと思いました。ただ「執念」ということにこだわったがために、私はこの作品をこの拙文の前半で取り上げなかっただけです。

【試験を終えて】
 今回は十一篇の作品を取り上げて私は解答案を作成した。すべて2月の作品である。
 ビーレビの運営の人員の中で、私は作品の得票数のカウントと『概観』の作成という役目を主に担っている。ユーザーが投票した票数によって毎月大賞が選ばれるという独特な選考方法を持ったビーレビ杯、その月次選考結果発表というものがあるということはビーレビの特徴であり、また看板でもあるから、運営の他の方々と等しく重要な役目を分け持っているのである。(ただし、運営にもいろいろな仕事があり、私のこの役目などは易しい)。
 単に得票数をカウントして高得票順に並べて示すだけのことなら機械に任せればいい。しかしそんなことが毎月続いては何の面白さもない。ビーレビは、この世の中に無数にある人間的な活動の中のささやかな活動の一つである。私は、人間の力でできることをしたい。
『概観』は誰が書いてもいいと思う。ただこの『概観』というものを発案した、そして書きたいと思ったのがたまたま私だったので、私が書いているのである。名称はどうであれ、そして私が運営から退いたとしても、このような文章は月次選考結果の中にあり続けて欲しいと勝手に思っている。
『概観』は「選評」ではない。私はこの文章のイントロダクションの中で「話を書きなさい」と言っている。そう表現することで、ユーザーによる直接投票で大賞を選ぶというプロセス、および、カウントされた得票数の多い順に作品を並べて示す機械的作業との区別を言いたかったのである。ユーザーによる直接投票で大賞を選ぶということは、ユーザーが「選評」を書くということである。運営が「選評」を書くのではない。
 ところで、疑わないで欲しいことがある。私が『概観』を書くのは、ユーザーによる直接投票で選ばれた作品群に異論があるからではない。ユーザーによる直接投票に信を置くことができなければ、運営失格であるか、もしくはこの投票システムに欠陥があるかのどちらかである。私はこの投票システムを信頼している。その上で、「こんな作品もあったんだよ?」と、皆さまに向けて話すのが『概観』なのである。
 さて、私という一人の人間がビーレビに投稿された作品群から限られた数だけ作品を選び出して「話を書く」、このことの中に公正さや妥当性はあるだろうか? 何を基準に選ぶのか? こういうように問うことを忘れないことがそもそも大切である。
 今回の「解答案」においても、前回までと同じように、文章を貫く或る一つの大雑把なテーマを最初に決めて、そのテーマに合う作品を選んで書き進めた。そのテーマは、「執念」であり、「執念」を感じさせてくれる作品を優先して選んだ。まずまず、こんなテーマで書けたと私は感じているが、読者の皆さまはどう感じられたであろうか。
 この『概観』が意味のあるものになっているならばと、願うばかりである。

・雑観 by 仁川路朱鳥

 いつもお世話になっております。仁川路です。
 あなたがこの雑観を読んでいることを知覚しています。
 私の方は、『運営参加のお知らせ』にもあるように、色名での統計を行なっていました。統計は作品投稿掲示板にある文章を元にし、とっているため、コメントの方は拾っていません。
 さて、2022年2月投稿作品中、多かった色名の表現は、
1位:白(96.5点)
2位:赤(92.5点)
3位:黒(86.5点)
 でした。「1月の結果をコピーペーストしただけじゃないのか」とクレームが飛んでくると嫌なので、今月から点も付け加えておきます。
 白いものはそのまま白い、と言われがちで、投稿作品内の色名表現においても、「白い骨」「白い鳥」「白い肌」と使うことが多いようです。黒も「黒猫」「ブラックホール」「黒髪」のように、直接的に色名を表現として使われる例が多いのですが、赤は「血液」「陽」「生理中」など、間接的に色を示すようなところがありました。あと、これは少し思ったのですが、みょうに「血」に関係する言葉と、「太陽」に関係する言葉が多かったんですよね。私たちの中で、血が赤黒いのは当たり前で、太陽が毎朝昇ってくるのは当たり前で。多くの当たり前の中で生きているんだな、ということを思い知らされました。
 まあ、どれが一番しっくりくる表現かは、ご自身の目で確かめてください……

・ビーレビューでコーヒーブーム?
 統計は主に「白」「赤」「青」「緑」「黄」「紫」「黒」「茶」「金」「ピンク」「空」「(カテゴリ分けが難しい)その他」で行なっています(「ピンク」は「赤」と「白」にそれぞれ入れていいのでは?と言う人がいそうですが、桃色とピンクだと字面の印象が違ってきますよね)。
 それでわかったことなのですが、2022年2月の投稿作品の茶色カテゴリにおいて、「コーヒー」がやけに多かったと感じています。カフェインブームというわけでもないようで、コーヒー豆の含まれていない、カフェインを感じさせる言葉は「モンスターエナジー」しかなく、緑茶や紅茶はありませんでした。
 なお、仁川路はよくコメダ珈琲店に行く上に、最近ドトールにも通い始めました。たまに個人経営の珈琲店にお邪魔することがあります(このご時世なので、最近はやっていません)が、チェーン店よりも待遇の良い店もあれば、おしぼりがカビ臭い店もありました。

・フォーラムをお餅みたいに伸ばさないでください
 これは2022年2月分の雑観というよりは、3月の雑観になりそうですが、色々立て続けに起こったので……ここについでに書いておきます。確かに、私は一参加者だったころは(このようにフォーラムが例年まれに見る大盛況を起こすこともありませんでしたが)、いえ、今も一参加者であったならば「にぎやかだなー」と思っているところだったでしょう。
 荒らしへの対応もかなり難しいな、と実感しています。20年前から言われている言葉で「荒らしに反応する人も荒らしです」とありますね。
 運営としてはユーザーひとりひとりの意見を汲み取って、対応するべきなのでしょうが、それをやっているとキリがないし、そもそも理想論でしかなくて、実際に対応しきれるか謎ですし、私にとっては正しい行いであっても、他の誰かにとっては正しくない行いかもしれないし、万人に対して正しいことが、本当に良いことなのかでさえ、誰も答えを教えないし、教えられない。
 私は私ができることをするし、逆を言うとそれしかできない。
 汝の意志することを行え!!それが法のすべてである。愛は法なり、意志下の愛こそが。(法の書より引用)

 そういえば、黄色には「裏切り」「嫉妬」の意味もあるのですが、こちらの由来は世界的ベストセラーの聖書より、ユダの服の色から来ているそうです。中世ヨーロッパでは、黄色は卑しい色、とされていました。あれが真実なのか、それとも虚構なのかは定かではありません。なんで黄色を纏ってたんでしょうか?顔料の変貌もあるのでしょうが……ね。
 緑色の瞳は嫉妬を表す(シェイクスピア「オセロ」日本語訳)、とも言われるように、色と心理・色と歴史、伝承の関係など、調べてみると面白いかもしれません。

 あなたにとってのB-REVIEWは、どのような色でしょうか?

・思うこと – 星空と舞台 by 沙一

 時々、星空を眺めるように、投稿掲示板を眺めています。特別な演出などなくても、星はそれ自体で光っている。運営にできることは、星の光がよく届くように、空をきれいにしておくことではないかと考えます。
 金星のように注目を浴びやすい星もあれば、冥王星のように目立たない星もあります。星と星によって象られている星座は、そこに在るというよりも、人の想像力によって見出されています。
 B-REVIEWがたくさんの星や星座で彩られる場でありますように。

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 主役は投稿者一人ひとりです。運営はその舞台を整えているだけ。観衆を魅了するのは主役であるあなたの作品や発言。ルールやマナーといった舞台上の制度に従っていては魅力を発揮できないでしょうか。制度のせいで舞台が狭くるしいと言い訳などしなくても、制度からはずれて迷惑をかけるようなことをしなくても、あなた自身の実力で、ぜひ観衆を魅了していただきたい。

 以上で2月選考の発表とします。

 2022.3.25 B-REVIEW運営一同