タカンタ

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コメント数: 32


カフェ

2019-07-01

婚姻

2019-07-01

白き神の抱擁

2019-06-22

survofさん コメント有難う御座います。 まず、この作品は、都会的で洗練された詩として書きましたから、お読み頂いた方はそうではないと感じられておられるようで、少なからす考え込んでいます。 ちなみに、私は文章を書くにおいては隠喩に重きを置いており、例えば書き出しのところがそれで、そこを「非日常」と認識していたのですが、詩全体としてみればそうではなくエッジも効いていないとは思いました。 作品を投稿するにおいて、個々の作品それぞれに独立性を持たせようとしましたが、そこに無理が出ているようです。 私の第一作「あるなんでもない日」と比較して、他の三作は一見うまくなっているように見えて、最も重要なこと、つまり新鮮な鮮烈さにやや欠けています。 おそらく、「あるなんでもない日」はきちんと設計して書きましたが、残りはそうではないところが結果として表れています。 私には現代詩なるものに対するある種の反駁バイアスがあり、それをフォーラムに書きましたが、自分自身、それを十分に咀嚼できていませんでした。 今後はその点を踏まえて詩作をしようと思います。 (カフェ)

4 時間前

沙一様 コメント、有難う御座います。 >人的にはもうすこし洗練さがほしいと感じました。全体的に同じようなトーンですから、キラリと光る詩行があれば、もっと読み手を惹きつけるのではないかと思います。 ご指摘の点は私も気が付きませんでした。 今後の作品に沙一様のアドバイスを活かして行きたいと思います。 (カフェ)

7 時間前

沙一様 「カフェ」、「ベール」は完全に日本語に溶け込んでいますから、横文字ではないと、私は認識しています。 「カフェ」を「喫茶店」に変えることは詩そのものの雰囲気を壊しますし、「ベール」に代わる日本語は現時点ではありません。 但し、「ミクロコスモス」、「シミュラークル」を理解できる人は少数でしょう。 両語は人口に膾炙していません。 また、この二つを日本語に置き換えることは可能だと思います。 >我が国でのみ通用する言葉として、やはり日本語の内に有って然るべきだと私は考えます。 詩は日本固有のものではなく世界的なものです。 フランス人が日本語とフランス語の混在した詩を読んだら困惑するでしょう。 また、沙一様の詩を外国語に翻訳する時に困ってしまいます。特に「シミュラークル」は。 「カフェ」、「ベール」は、外国語への翻訳に困難を伴わないと思います。 (海を見たくなるのは)

00:04:32

沙一さん、こんばんは この詩のよくない点は発想が通俗的なところですね。 (沙一さんの作品の持つ方向性はいいですね。私は読んでいて気分が滅入る作品より、さっぱりした作品を読みたいです。) 作品に超俗性が無いと技巧を凝らすことが難しくなってしまいます。 大衆小説の文章に優れた比喩等が見られないのは、それが素材に相応しくないからです。 沙一さんの以前の作品である「古書店」にも言えることだと思います。 また、「ミクロコスモス」、「シミュラークル」のような横文字の使用は好ましくないと思います。 私は日本人の文学作品は殆ど購入したことがありませんが、詩は日本語で書くようにしています。 詩人は言葉の芸術家でしょう?母国語で書かないと。 フランスの詩人はフランス語と英語の混在した詩は書かないと思いますよ。 (海を見たくなるのは)

2019-07-19

帆場蔵人さん こんばんは 三連詩の最初の書き出しがそれぞれにやや異なる夏の風景を上手くそれを鮮明なイメージとして表していますね。 最後の詩の終わりも感傷的でないところが逆に効果的で、三連詩の結末に相応しいと思います。 (夏の記し(三編))

2019-07-18

survofさん 返信、有難う御座います。 音楽は理論の再現ですから、その理論の中で「対位法のための対位法」を作曲することが可能ですね。 ベートーベンも、理論から作品に至る過程における思想の影響が私たちに感じさせるものがバッハと異なるにせよ、その根底にある理論は同じだと思います。 また、音楽は再現できますから、そこから常に新しい解釈が生まれます。 バッハ弾きで著名なピアニストが今だに次々と登場してくるのは、音楽の持つ再現によるものですね。 (再現は、理論と同等の価値あるものだと、私は考えています。)、 ただ、今では音楽も停滞期に入っているようで、作曲において新しいものを聴くことは稀です。 私が知らないだけかもしれませんが。 思うに、文学は音楽と異なり理論の再現が困難であるが故に、新しい文学理論の構築は容易ではありませんでした。 それは音楽の作品数と文学の作品数の違いに表れていると思います。 おそらく、文学における画期的な革新はカフカの登場により初めて起こったのではないかというのが、私の現状認識です。 過去の踏襲の集大成についてあえて答えるとすると、19世紀ロシア文学だと思います。 >なぜ過去の踏襲であってはならないのでしょうか? >そして踏襲した上でのカスタマイズにすぎません。そのカスタマイズを私たちは楽しんでいる訳ですし、またその過程で少しずつ枠組みが変化していくのではないかと思っています。 >逆に今、現代詩のフォーマットから何かを選び出して作品を書くこと、つまり近代詩型の詩、散文詩、あるいは脱構築型の詩などであったりするわけですが、そうしたフォーマットを選ぶことそのものがコンクリート詩におけると同様にまた過去の踏襲にならないでしょうか? 私の断定が過ぎました。申し訳ありません。 ただ、過去を踏襲したとしても、カスタマイズの中における独創性は必要ですね。 その独創性が私たちに感銘を与えるのだと思います。 フォーマットを選ぶことは表現の手段であって、それを過去の踏襲として切り捨ててしまうと、私たちは表現することが出来なくなってしまうでしょう。 私は、フォーマットを選ぶことまでを過去の踏襲とは考えていません。 >正統はだれが決めるものでしょうか? >少なくとも戦後現代詩の文脈でいえば、コンクリート詩のフォーマットを取り入れるのは「正統」な表現手段かと思いますがいかがでしょうか? もちろん、正統性は私が決めるものではありませんが、正統性は伝統的と同意であり文脈を理解するために過度な読解力を要求しないものと私は想定しました。 「コンクリート詩のフォーマット」を取り入れることは、現代において正統に位置するかもしれませんね。 しかしながら、「コンクリート詩のフォーマット」が正統的であるとすれば、作者の詩を書く姿勢として、コンクリート詩のフォーマットを使用することが、 古典的な技法を使うことと、どこが違うのかと思います。 >なぜ文体の為に作品を書いてはいけないのでしょうか? 「文体の為に作品を書く」これは演繹ですね。 音楽は演繹ですが、文学は帰納(人間性会を描くという特性から)だと私は考えています。 この点から、いけないとまではいかなくとも、その必然性はないのではないでしょうか。 習作においてはかまわないと私も思います。 最後に、ここは、千才森 万葉さんの場所ですので、これ以上の返答は控えさせて頂きます。 (詰めさせたがる彼)

2019-07-18

千才森 万葉さん >それと、いくら絵を上下に切り貼りしても大した効果は出ないと思いますよ? 私は、上記のことは書いていませんよ。 わざと嘘を書いているのなら、やめた方がいいですね。 読み落としであれば、なお悪いと思います。 あなたへのコメントは、これで終わりにします。 (詰めさせたがる彼)

2019-07-18

survof様 草野心平については、読んだことがありませんので評価を控えさせていただきます。 >そして現代詩における数々のコンクリート詩の試みの歴史を引き合いに出さずとも、古典的な詩の形式においてシンプルな改行が生み出す視覚的リズムは、音になる以前の純粋な視覚の問題として扱われて然るべき要素を多分に含んでいると思います コンクリート詩については、今、それを書くのであれば、過去の踏襲であってはいけないですし、逆説的なようですが、言葉の選択、表現がより重要になってくると思います。 また、視覚的リズムなる言葉は初めて聞きましたが、適切な詩的表現があればこそ、フレーズの総体としてのリズムが生きてきます。 例えば比喩が凡庸であればリズムを感じることなど不可能でしょう。 >言葉に与えられた形、その形が言葉に与える影響に無感覚であるべきではないと思っています。 漢字は表語文字です。その形の美しさを軽視している現代詩が多いですね。 私は視覚はもちろんのことながら、映像的であることを重視していますよ。 誤解なきようお願いします。 ちなみに、前衛文学においても、その記述の仕方の多くは正統的なものです。 では、クロード・シモンはどうなのか?と仰る方がおられるかもしれませんが、クロードシモンは作品を書くにおいてその文体を必要としたのであって、 文体の為に作品を書いたわけではありません。 (詰めさせたがる彼)

2019-07-17

視覚詩については、詩は絵ではないので、いくら言葉を上下に切り貼りしても、その効果はしれているのですよ。 >詩を額縁には飾れない………………あ、なるほど。 >タカンタさんは詩と文字(文学)とは完全に切り離して考えてますか? そうか、詩の本質は言葉では無い、そもそも形を持っていないと考えていらっしゃるのかな? >その発想は無かったですね。神秘的で実に面白い認識だと思います。 >わたしは絵心は一切無くて、しかも音楽はネズミが逃げ出すほどオンチです(笑) >ただ、鮮明なイメージを表すのに、必ずしも美術の才能が必要かと言えば、どうでしょうね。意外と化学の才能が足りない部分を補ってくれるかもしれません。 >重ね合わせのポリフォニーには、整理整頓の技術が転用できるかもしれませんよ? >利用できる手段を自ら狭めてしまうのは、もったいないですよ。世界はこんなに広いんですから。 >まあ、マルチジャンルのセンスを持ち合わせていない私ではどうにもこうにも、な話ですけども。 私の書いたことを全くご理解されていないようですね。 しかも曲解が甚だしいです。 ただ、私はそんなに親切な人間ではありませんので、これ以上は説明しません。 詩とはどんなものか?、せいぜい構成、技巧的なものを思いつくくらいで、それ以上は考えても仕方がないですね。 詩は才能で書くもので、その探求など不要に近いものです。 また、詩を書く上で理論は持つにこしたことはありませんが、詩は理論じゃないが私の考えです。 (但し、ある方の作品を分析し、論としてまとめることはいいと思います。) 才能が有れば、それがどのようなものであれ、優れた詩は書けますよ。 (詰めさせたがる彼)

2019-07-17

こんばんは 初めまして >てか、誰かがどこかで、すでに使ってるんじゃないかとは思いますけども。 視覚を刺激する作品を書く方は絶対数が少ないので、すでに使われていることはないと思います。 ただ、文学作品においては、言葉で視覚を刺激することが王道ですね。 詩を額縁に入れて飾ることは出来ません。 ちなみに、絵画、音楽、文学に境目があるわけではありません。 詩においても、鮮明なイメージを表すには美術の才能が、ポリフォニーを奏でるには音楽家の才能が必要です。 (詰めさせたがる彼)

2019-07-16

ふじりゅうさん、こんばんは。 ノンフィクションを詩に取り入れることは、勇気ある冒険ですね。 ただ、現実を芸術に換骨奪胎するということはどういうことなのか、しっかりと考える必要があると思います。 また、表現は全てそうですが、特に詩における擬音は使いどころが難しいですね。 偉そうなことを言ってすみません。 (謝罪会見)

2019-07-16

自己レスです。 この詩は、道を歩いていると、同級生の女の子を見かけた、つまり日常的な出来事に過ぎません。 但し、私は、この日常的な出来事を非日常的な表現で表しました。 私の考える詩の定義の一つです。 (カフェ)

2019-07-13

るるりらさんの作品を拝読させて頂きましたが、発想から見ると、この作品が最もいいのではないかと感じました。 また、人魚は、どうしてもアンデルセンを思い浮かべる人が多いので、それを連想させるべきか、否か、難しい主題です。 こうした点から考えますと、まず、この作品に必要なものは技巧ですね。 書く前に多面的に検討し、精緻に工夫を凝らせば、もっとるるりらさんの独創性を活かすことが出来たのではないかと思います。 (めるふぇん)

2019-07-12

自己レスです。 総じて、日本人の書く詩は視野狭窄であり、己の世界観が小さく、一見、内省的に見えても底が浅い。 ある調査によると日本人は世界で一番、弱者に対し冷酷な民族だそうだ。 こうした日本人の性格が詩に影響を与えているのかもしれない。 そういえば、宗教においても、海外の教会はホームレスに炊き出しをするが、日本の神社、寺院は布施を集め賽銭箱に鍵はするがホームレスに炊き出しをしたとは聞いたことが無い。 日本の宗教は、実は異常だ。何の為に存在しているのだろうか?もちろん、弱者のために存在しているのではないことは明らかだろう。 日本の宗教の異常さに気が付かないやつは、自分は馬鹿だと確信したほうがよい。 思うに、無神論でも、海外の無神論は思索の結果であり人間的なものだが、日本人の無神論は生まれながらのものであり、それは無であり砂漠にある砂すらないほどに空虚である。 以下、私の経験である。 ある日、バスに乗っていた。 停留所にバスが止った。 座席の後方から女性の声で、「開けてください」との声が響いた。 後ろを振り返ると、車いすに乗った女性がいた。 しかし、その女性は通ることが出来ない。 スーツを着た中年のサラリーマン風の男が道を塞いでいるのだ。 運転手もマイクで」「道を開けてください」と言い、女性がまたも「道を開けてください」と声を上げた。 しかし、周りの人間はだれ一人、その女性を助けようとはしなかった。 仕方がないので、私が道を塞いでいる男をやんわりと押しのけ、女性の車いすを押して停留所に下した。 女性は私に礼を言い、「もういいですよ」と言った。 すると突然バスが動き出したので、急いで私はバスに乗った。 沢山の人が乗っているのに、車いすの女性を助けようとした人は一人もいなかった。 私は、一見、普通に見える人たちの冷酷さにぞっとした。 日本人は、「人間の屑」という言葉の意味を噛み締めるべきだろう。 日本人の書く詩が下らないのは当たり前だ。 (婚姻)

2019-07-07

トビラ様 コメント有難う御座います。 この詩における発想は、それなりの独自性はありそうですが、 映像的な観点から見ると、既視感があるかもしれません。 ファンタジー的な世界観の意味はいろいろだですが、アニメの一シーンを連想される方もいるのかなと思いました。 (婚姻)

2019-07-07

ありふれたことをありふれた表現で書かれた詩ですね。 「きみの教えてくれた教会への道」は、詩のモチーフとしてはありふれていますし、 表現も「秋色に染まった街の」、「枯葉が舞い落ちて」は、非日常的、つまり詩的表現ですが、 ありふれています。私の言う、難解な表現とは、ありふれていない表現という意味も含んでいるのですよ。 素材(発想)も同様です。 語彙力の不足、発想の陳腐さを、「わかりやすい」と勘違いしていませんか? 結論として、ありふれたことをありふれた表現で書かれた詩は、必然的に低評価とならざるを得ません。 あなたは、私の詩を一つのフレーズを除いて、私の発想を完全に切り捨て、かつ、跡形もなく書きなおし(添削)ましたが、 それが原詩へのリスペクトを全く書いたものであり、作者に対し極めて失礼なことであるとは意識しませんでしたか? しかも、他人の詩を勝手に改変することは違法でもあります。 作者了承もなく人の詩を改変するのであれば、人を唸らせるに足る詩を書いてください。 (石畳の道)

2019-07-02

タイトルを間違えました。 正式タイトルは、「婚姻」ではなく「婚礼」です。 (婚姻)

2019-07-02

自己レスです 映像的、音楽的な作品を、わかりやすい素材、言葉で書いてみました。 (婚姻)

2019-07-01

佐々木様 コメント有難う御座います。 それにしても、とても詩的なコメントを下さいました。 作者としては嬉しいかぎりです。 (カフェ)

2019-07-01

訂正です。 誤>また、詩として成立しなくなるかもしれないですね。 正>また、代名詞ではなく固有名詞、もしくはそれに近い名詞を使用すると、詩として成立しなくなるかもしれないですね。 (あるなんでもない日)

2019-06-29

エイクピア様 コメント有難う御座います。 >月曜日が嫌いと言う常識的な発想 私は、ぼくの行為が重大であるため、却ってありふれた動機が特異に感じられるのだろうと思います。 (あるなんでもない日)

2019-06-29

st様 コメント有難う御座います。 詩は小説と比較して極めて短いが故に却って退屈になりやすい欠点があります。 従って、詩を書く前に、特異性、刺激的効果を重視した素材(発想)を生み出しておくことが重要となります。 (まず、読者には詩を目にしたとたん、即、読みたいと感じていただかないといけない為) この詩では、一つ一つのフレーズは難しいものではないので、st様が難しく感じておられるのは、おそらく素材ですね。 しかしながら、私は、詩作中、この素材が難しいものとの意識はありませんでした。 作者が、自ら思いついた素材を難しく感じないのは、あらためて考えると当然ではあります。 ただ、るるりら様、ふじりゅう様のコメントを読み、わかりにくいところがこの詩のいいところかなと、私は考えています。 わかりにくさには微妙な匙加減が必要ではありますが。 この詩において固有名詞、職業名ではなく代名詞を使用しているのは、表現を曖昧にすることにより、イメージをより鮮明にすることが目的です。 また、詩として成立しなくなるかもしれないですね。 例えば、「ぼくは学校の屋上から彼らを撃った」の「彼ら」を別の言葉に変えると、この詩は根本から崩れてしまうでしょう。 >私なら、以下のように創るでしょう。参考までに。 例詩をお書き下さり、有難う御座います。 「できるだけわかりやすく、かつ美しく創ろう」とのお考えは、st様の個性であり長所ですね。 それを活かして詩作を行えば、佳作に結びつくと思います。 フォーラムにて私は断定的ともとれるかもしれなことを書いていますが、今、思うと、詩作への考え方、方法は様々です。 各々が、まず、自分のやり方で詩を書いてみることが大事だと思います。 (あるなんでもない日)

2019-06-29

ふじりゅう様 コメント有難う御座います。 >かんざしをどう捉えるかがかなり難しいです。たぶん、女性が空の下を歩く比喩なのかな、と。 かんざしは夜空に雪の降る光景の比喩を意図しましたので、私としては意外でした。 ただ、そこは、ふじりゅう様の読み方でいいのかな(嬉しい誤算)と思います。 想像する楽しみがある作品とおっしゃってくださり(そういえば、そこが詩の魅力のひとつですね)、有難いかぎりです。 (あるなんでもない日)

2019-06-27

るるりら様 コメント有難う御座います。 >まず、とっても魅力を感じたのは、一行目です。 「空を白銀のかんざしが通りすぎてゆく」は、夜空に雪の降る光景を 第一イメージ「空」、第二イメージ「かんざし(雪)」の結合によって詩的に表現したものです。 「かんざし」を何故、選んだかについては、ふと、頭に浮かんだとしか言いようがないです。 >「少女」と「きみ」は 同一人物だろうか?それとも三角関係だろうか? 私は、同一人物として書きました。 >いろいろ謎しかなくて、そもそも「どうしてそんなことをしたの」というからには 「どうしてそんなことをしたの」を言ったのは、きみかもしれませんし、少年院の女性教官かもしれません。 「ぼく」は”犯罪”を犯したかもしれないし、単に反抗しただけかもしれません。 >「彼らを撃った」の彼らって どんな人々だろうか? 彼らとは、学校の教師かもしれませんし、同級生かもしれませんし、世間かもしれません。 >どうしてうったかといえば「月曜日が嫌いだったから」 この理由については、詩には特異性が必要との考えから思いつきました。 上記については、読者の想像を掻き立てるために記述を最小限にしており、私の中でも確定しているものではありません。 また、詩の技法として人物、時間、イメージを錯綜させました。 以下、私に関する余談です。 「あるなんでもない日」は私の処女作なのですが、実は最近まで入院しておりまして、 その時に詩を書いている方のブログを読んだところから、私も詩を書いてみようかと考えた次第です。 私の読書歴は、詩集で購入したものは「シェリー詩集(解説を読み、その生き方に共感しました)」のみ、詩集にちかいものとでは「ゲーテ格言集」を購入、 あとは、マラルメ、バイロンを書店にて立ち読みしました。 私は詩集も殆ど読んでおらず、また、詩作法に関する読書歴は無し、従って私の詩作法は完全な我流です。 また、私は日本人の書いた本は読みませんので、日本の詩人はもちろん、小林秀雄等の文芸評論家についても知識はありません。 ある方のブログを読んだところ、小林秀雄の「無常といふこと」の中に「美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない」との記述があるそうですが、 私の場合は、「花」の美しさ」はあるに決まっているの単純思考です。 ちなみに、萩原朔太郎の作品は、先日、インターネット上で初めて読みました。 私の作品が一風変わっているのは、日本人の作家から影響を受けていないからだろうと考えています。 ただ、海外の小説、哲学書、等は、かなり読んでいます。 (あるなんでもない日)

2019-06-27

自己レスです。 私が詩作において最も重要視するところは、発想の特異性と言葉の斬新さなのですが、 そこから考えると、私としては、「白き神の抱擁」より「あるなんでもない日」の方が自己評価は高いんですよね。 そして、「あるなんでもない日」の構成は、わかりにくいかもしれませんが、ソナタ形式を使用しています。 (白き神の抱擁)

2019-06-25

作品を拝読いたしましたが、私なりに気になったところを数点、僭越ながらご指摘させて頂きます。 >星と溶け合う猫の病 異なる表現の組み合わせによる詩的表現が鮮烈なイメージを生むとすれば、 それに成功していません。「星と溶け合う」はロマンティック、「猫の病」は即物的であり、 表現が目的がとするものの相違点が大きすぎるからです。 上記のやり方で詩的表現を作りだすことが絶対に不可能とは言いませんが、難しいですね。 >あたしを動かした無上の猫は逝ってしまいましたわ >東京は根こそぎ剥がされ黒い穴となり精液にまみれていましたわ >愚かさから生まれたのが人間でした 個々の文が独立して浮いてしまっています。 三つの文の繋がりに順序と関連性が無いからです。 作品を読み下すと、時間的、論理的に、つじつまがあっていない箇所が散見されます。 詩全体を俯瞰してつじつまがあっていなくてはならないということについては、賛否の分かれるところですが、 作品制作の最終段階にてそれをチェックすることは、完成度を高める為の手段のひとつになりえると思います。 (病み猫)

2019-06-25

申し訳ありませんが、作品の批評ではなく、私なりのアドバイスを、少しだけさせていただきます。 日本語は表形文字(漢字)、表音文字(ひらがな)の組み合わせで出来ていますよね。 漢字は絵としての美しさを、ひらがなは旋律を奏でます。 この観点から言葉の組み合わせを考えると、言葉の斬新さが生まれる可能性が高まると思います。 (可能性と書いたのは言葉の斬新さを生み出すためには、上記だけでは不足しているからです) また、詩を書く前に、発想の特異性があるかどうかを検討する必要がありますね。 (ある日特別)

2019-06-25

エイクピア様 コメント有難う御座います。 エイクピア様より「神の恩寵を語る3行が印象的」とご指摘され、私自身、この詩の要なのかもしれないと感じました。 私の詩の作り方の考えに基づいて、「あるなんでもない日」と「白き神の抱擁」の2作を投稿しました。 ところが、実は、私は詩を書くのは初めてですので、少し安堵いたしました。 (白き神の抱擁)

2019-06-24

変換ミスがありました。 申し訳ありません。 誤>ふじりゅう様の自作に期待しています。 正>ふじりゅう様の次作に期待しています。 (ひまわりのまわりを)

2019-06-24

ふじりゅう様 私の不躾なコメントに対し、丁寧なご返事を下さり恐縮の至りです。 >むしろ、凡庸な言葉を奇跡的に繋ぎ合わせて見事な作品を作り上げることは可能でしょう。 私も可能だと思います。但し、私の力量では困難であるため、私自身は難解な表現を使用しています。 >詩に相応しい言葉 刺激的な言葉は使いどころが難しいと思います。 総じて素敵な詩でしたので、この言葉が現れたところで、一瞬、びくっとしました。 >3.ですね。 この点については、なかなか難しいところですね。 ふじりゅう様のご返信に伴い、読み返しますと、ふじりゅう様の描写したいとことがわかるような気がします。 ただ、読者にも想像力を必要とするところがありますね。 読者にも作者の意図を理解する努力を要求すべきかどうかについては、議論の余地があると思います。 >4.仰る通りです。 指摘の仕方を注意すべきでした。すみません。 比喩については、努力するしかないのですが、一つのやり方として異なるイメージをぶつけ合うと新しい比喩が生まれます。 私は、「空」に「かんざし」を当ててみました。 「空を白銀のかんざしが通りすぎてゆく」 ふじりゅう様の自作に期待しています。 (ひまわりのまわりを)

2019-06-23

帆場蔵人様 コメント有難う御座います。 私は出来るだけ映像が浮かぶように詩を書いておりますので、帆場蔵人様のご感想はうれしい限りです。 シェリー、私も大好きな詩人です。 また、読み返してみたいと思います。 (白き神の抱擁)

2019-06-23

いい詩ですね。 ただ、少しだけ、私なりにアドバイスをさせて頂きます。 ・「晴天」日常的、わかりやすい言葉は使うべきではありませんね。  非日常的、難解な言葉(例えば、碧空、蒼穹、紺碧など)を使用すると、詩的表現となります。 ・「体液」  詩にふさわしい言葉ではありません。 ・「真っ白な紙に 無言で描かれた油絵」、  「誰にも描写されない 一輪のひまわり」、  「目を開けるとわたしはひまわりになっていて首をうろうろさせながら きみを探していた」  一見、独創的な言葉の組み合わせに見えても、意味不明であればイメージが浮かびません。 ・「どうして優雅な 水晶のような瞳 一輪のひまわりがこうべを垂れるように そっと風に 吹かれていた」 比喩としては凡庸すぎます。 厳しいことを書きましたが、失礼の段、お許しください (ひまわりのまわりを)

2019-06-23