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アリハラ(マッキンゼーアンドカンパニーの人)


投稿作品数: 3
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アリハラ(マッキンゼーアンドカンパニーの人)の記録 ON_B-REVIEW・・・・

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あのさ、くだらないのは明白だし、なんの衒いもなんだからこんなのを発表するのやめたら?ばからしい。 (好き好き 大好き 愛してる)

2020-09-06

読む方の忍耐力を試しているのか、と思わずにはいられない。現代の風俗やインターネット、ITなどが前提となる世界について意識的に書いているのは分かる。しかし、これをもう一度読み直してほしい。垂れ流しの言葉では読む方も弛緩した意識で読んでしまう。それがすごく残念だ。 (論破キーボード)

2020-09-06

帆場さんに言いたいことはたくさんあるんだ。帆場さんは、少なからぬ多くの詩人が自然からの触発でそれを詩的言語へと昇華しようと試みて失敗しているのに対して、あなたは随分自我というものが-いやあるいは無意識と言っていいかもしれない-自然から形成されるし、もっといえば自然からしか詩的な言語は生まれえないと信じてる。そういう現代では稀な感受性なんだからそれを突き詰めていけばいいと思う。同時に自然からの感応がない人たちも大勢いるのでそれについてどう考えるか聞いてみたい。 (半径五メートルでしか生きられない)

2020-09-06

これがいい詩なのは一目瞭然なのだから別の詩人を育てろよ!お?舐めてんのか?レッドカードにしやがれ (ほどよい加減にさよならを)

2020-07-27

これはいい詩なんだ。古いがいい詩だ。これをなぜ評価しない?これは別段にいい詩だ。抗議する! (ほどよい加減にさよならを)

2020-07-27

甘い。なんで帆場さんにしてこんな脇の甘い詩は許せないはずだ。もっともっといけるはずだ。それは本人にもわかってるはずだ。甘い、とにかく遂行が足りない。少し前の帆場さんは違ったぜ。 (卓上の海)

2020-07-27

あんたのことは嫌いだが、才能あるからやっちまえ! (隅中の実存)

2020-07-27

渡辺くん、えーやないか。全然えーよ。他の投稿者と比べて質が↑。格段に上。おれはあんたのことが嫌いだが、この詩はなかなかどうして。 (隅中の実存)

2020-07-27

帆場さんまでもがこんな詩に反応するのか... (女子高生)

2020-07-27

打てば腫れる肌、なのに、 吸えば湿る唇、なのに、 ↑これがなんだというのか、くだらない。コメントしてる奴らも大概にしやがれ。こんなものはエロブログに書いてあるような言葉であり、別段詩の言葉とは言えないだろう。そういう官能的(極めてフィジカルな)を書けばコメントを寄せるバカは頭を冷やせ (女子高生)

2020-07-27

猛スピードで駆けるように路上で叫ぶと面白いと思う。もはやわけが分からないくらいの速度でがなりたてる。高円寺の高架下で聞いてみたい... (Chaotic culture zone Eureka(貴音×cultureさん))

2019-12-17

往還するイメージ われわれ「中間地帯」は「往還するイメージ」に接続=アクセスする。 「埋もれた一粒の麦のことを 考えている」現在としての私の視点は過去に遡及する。「一粒の麦」それ自体が過去時制を必然的に要請するのは粒としての麦が未だ像として結実しない不定形な「粒」でしかないからだ。この「粒」を目の前にした作者は二連目にいたり過去イメージへ後退する。 「麦」はここで作者の不安定で病的な貌を持つ像そして糢糊とした記憶として現れる。 踏み固められた大地から 顔も出せず 根をはることもなく 暗澹とした深い眠りのなかで 郷愁の念を抱いているのか この暗喩の暗なるイメージは 「郷愁」する。過去イメージが更なる過去を打ち立てる時、そこで陽なるイメージへと反転する。 夏天に輝く手を伸ばし 希望の歌がこぼれんばかりに 大地を豊穣の海へと変えた この陽なるイメージが再び作者に「あのころ」という言葉を産み出すとき、二連目のイメージが一連目へと舞い戻る。そこでわれわれは「往還するイメージ」を感受することになる。現在-過去-現在へと往還するイメージ。 またひとり、またひとりと人々は去り 三連目のイメージは現在イメージでも過去イメージでもなく、時制を持たぬ作者の「ヴォイス」として奇妙な形態でイメージとイメージの間に唐突に挿入される。このときわれわれは一つのことに気がつく。作者は浮遊するイメージの中で無意識にヴォイスを発しているのだと。 農夫よ何処に行ったのだ? ここで現在イメージに立ち戻った作者は「農夫」として曖昧なイメージへ現前する。農夫は作者の理想する、それ故に不可能であったイメージとして立ち現れる。この農夫の「不在」は作者を再び過去イメージへと遡及させる。 あの埋もれた一粒の麦の声に その耳を傾けていたのか わたしには聴こえない どこで間違えたのか あの黄金も希望の歌も忘れてしまった 三連目の作者の「ヴォイス」が五連目に至ってイメージとして「麦の声」へと変貌する。その麦の声のイメージが音のイメージを喚起し数行続く。「音イメージ」は既に忘却されているのだというのだから作者はこの五連目で宙吊りにされ、過去-現在-未来という時制に還元されたない空間へ投げ出される。 わたしは農夫になれなかった無能もの 真実を求め麦酒を飲み 言葉のなかで一粒の麦をさがして 酔いつぶれていくのだ 一連目の現在イメージと最終連の現在イメージがここで往還の輪を閉じる。現在イメージから過去イメージへ、過去イメージから大過去イメージへ、そうして多型で不安定な空間から発せられる作者の「ヴォイス」を経て、再び現在イメージに舞い戻る。 われわれ「中間地帯」はここに一つの形式を見出す。が、これについては言及しない。 われわれ「中間地帯」は筆を置く。 (一粒の麦よ)

2019-12-13

『中間地帯からの触手』 詩は生の断片を筆の切っ先で引っ掻くことから始まると私はかつてそう思った。そして散文は生を円環構造の中に閉じ込めることで球体を形成する。詩はどこまでも生の断片でしかなく、それ故にヴァレリーの言う『舞踏』なのだ。 ではここに一つの詩(テクスト)がある。我々はこのたった一つのテクストから何を感受し、何を言葉にすればいいのか。コメントでは単なる印象批評に過ぎない。では大文字の批評が可能かというとそれもまたこの一作の詩からは不可能である。バルト=リカルドゥー的なテクスト批評も不可能である。 では、私は「中間地帯」からこの詩に与う限り接近してみようと思う。私の概念、「中間地帯」はコメントでも批評でもなく、それは絶えず更新されゆく、そして反復と差異を生み出す群としてのエクリチュールである。「中間地帯」から触手を伸ばしてみよう、そこには何が見えてくるか。やってみよう。 - [ ] 一連目から最終連に渡って作者はさまざまな貌=喩として登場し、我々読者の視線をある定点からテクストへと観測することを妨げる。ビルディングとして作者が現れる場合もあれば、君として、あるいは私として、また猫として作者は自在に変幻する。なぜこうした難解な詩を書かねばならないのか私には分からないが、ここには作者の小宇宙が、ある混沌=カオスに包まれ、作者自身がまた『偏在する複数の眼』を持っている、持たなけれならないという強固な倫理観を把持することの表明であるかもしれない。 - [ ] 一連目に現れるビルディングは作者の隠喩として、そしてそこの間に吹く風は作者の内面に吹き込む外部からの圧であるのだろうか。それに感応して作者は恥辱を、その恥辱が過去の子供であった作者を、そして過去の子供らが時に他ならないこと、さらにそれは時の具象化へと連綿と遡って繋がっていく。彼にとって時は具象化されなければならないのならそれはなぜなのか。 - [ ] 一連目の具象化された「時」は、二連目に至ってついに現前する一つのテクストとして生成してしまう。相当に練られた高度な詩的技術であり、またそれ故に難解であるが、しかしこの試みは成功しているように思える。一連目をちょうど裏返した形で二連目が蝶番の片方となって成立する、いやさせてしまっている。一連目では恥辱は「過去」であり二連目では恥辱は「現在」である。「現在と過去」「昼と夜」が相互に行き来し、作者を、読者を、ある無時間性の彼方へ砲丸する。それを受け止める覚悟を作者はいきなければならないという強い思想の責務としているのかもしれない。 - [ ] 猫として作者が視点を持つ時、何が起こるか?それは複数化され分裂した自我である。作者は三連目にいたってほぼ狂乱の目で世間を眺める。自分を、また他者を。しかしここはあまり上手く詩として昇華できてはいない。猫である必然性が特にないようであるからだ。猫として視点を持つなら漱石的な「移動する目」を獲得しなければならない。 - [ ] 四連、五連目もまた蝶番になっていると言えるだろう。四連目が私であるならその裏返しとして五連目に君が必然的に選択される。私は「暗渠」に言葉を流し、君は「港湾」に立つ。(関係ないがこの程度の容易で明解な暗喩を若手の詩人はなぜ使えないのか?)この明暗のコントラストは見事だが、複雑極まる。私が君に語りかける二人称を最終連で逆説的に選択したのはどういうわけであろうか?わたしには分からない。ただ、自他、過去、未来、時、が渾然一体となったこの詩から感得され得るのは作者の「思想と言葉の覚悟」だろうか。いやそれすらもこの一篇からは読み取ることはできない。 「中間地帯」に立った私はこれ以上のことを述べることはできない。これはコメントでも批評でもない。「中間地帯」のエクリチュールである。 付記:みうら氏のTwitterから私は高橋の詩を知った。そして高橋の詩に対して私がコメントを付していることに驚いた。記憶がないからだ。高橋のいう「アル中故にお前の筆はぶれる」とはこのことだろうと苦くひとり笑う。それは半分当たっているからだ。しかし私は常にアルコール漬けではないということも言っておこう。 (実在の声)

2019-12-08

みうらさん。だったら詩を発表するなよ。一人でノートにでも書いて自己満足でもしとけばいい。わたしには分からない絶対の言語?それなら他者と共有できるはずがないので論理矛盾では? (どうでもいい沢尻エリカと寺山修司記念館までの旅路)

2019-12-07

うーん、みうらさんの叙情詩へのこだわりというのは的を外れていると考える。これは叙情詩ではないし、かと言って完全な思想詩でもない。ただ、中途半端で、言葉の一行の鋭さを欠いているとしか言えない。習作?だとおもうがそれにしては上手くいっている。しかし、言葉の強度と暗喩の力強さとああ面から見ればやはり実力の限界が垣間見れる。ただし、ここに発表したことは高橋にとっては冒険であり山月記的な臆病な自尊心と尊大な羞恥心を超えて、一歩を踏み出したような気がする。作品を発表するという高橋大樹にとっては恐れでしかないものをやってのけた。そのことに一つ拍手を送る。これからの成長を待つ。 (実在の声)

2019-12-07

追加。大江健三郎はかつて息の短い小説にこそ真実が宿るのではないか?という時代的な問題に突き当たり、そこで彼は息の長い、つまり古典として時代を超えて生き延びる小説を書くことを選択した。田中康夫の『なんとなくクリスタル』は風俗でのみ成立しているが、あの賞味期限はたかだか5年である。沢尻エリカという社会現象=風俗を詩に導入するにはそれ相応の覚悟と、高度資本主義社会における「消費」という概念についてもう少し意識的であるべきだ。風俗を詩に導入する必然性を深く考察して、敢えてその消費される言葉の価値について哲学的に考察されなければならない。 (どうでもいい沢尻エリカと寺山修司記念館までの旅路)

2019-12-05

ビーレビに今後一切関わらないと宣言した限り矛盾ではありますが、まぁみうらさんと言うことで感想を述べさせていただく。まず、土門拳、沢尻エリカ、寺山修司を風俗として作品に昇華できてるかといえばそれは上手くいってない。土門拳に対する理解が不足しているのか問い詰めて考察してないのかそのあたりが不明だが、これでは著名人を列挙して「」詩のような形」として擬似的な偽物の詩を書いているに過ぎない。この詩は非常に息の短い短い詩であるが、そこにこそ真実あるとすればどれほどのスパンで自分の詩が消化されていくのかその辺りどれほど計算されているのか不明瞭だ。沢尻エリカを詩に取り入れる。それは数ヶ月後には単なる風俗として誰もが忘却している社会現象である。その風俗の取り入れ方に意識的であるのかどうなのか?さらにこれほどの短詩で有れば当然暗喩を駆使して言葉の想像力の地平を広げなければならないわけだが、そうではなくみうらは散文的に詩を書いてしまってる。それならば普遍性を帯びないどころか一瞬の風俗として消化される。そこが課題である。 (どうでもいい沢尻エリカと寺山修司記念館までの旅路)

2019-12-05

あなたの写真もっと見せていただけませんか?つい、森山大道の写真を拝借したのかと思ってました。ぼく、職業がカメラマンなもので詩より写真が見たくて仕方がない。できればまとまった形で作品を鑑賞したいのですが、可能でしょうか? (メトロ)

2019-07-08

はじめまして すみません、この写真は作者自身の手によるものですか?あまりに素晴らしい写真でかつ詩の内容と見事にマッチしているため驚きました。詩のクォリティはかなり高いですね、ただ最終連二行はあまり良くないとは個人的には思います。ともあれ、この写真一枚だけでも溢れる芸術的なセンスと有無を言わさぬ圧倒的な力量を感じました。ビーレビの詩を大量に漁り、玉石混交の石しか発見できなったぼくにはこんなことは初めての「遭遇!」(体験、経験ではない)です。見えない喝采を贈ります。 (メトロ)

2019-07-08

複数ユーザー名ってどういうことですか?アカウントを変えたってことですか?してませんよ。それからなぜ一度、投稿した作品を編集、削除できないシステムを導入しているのか、全く理解に苦しむところであります。それ法律的に問題がありますよね?大丈夫? (エミリーの眼の中でわたしは眠る)

2019-07-08

どこで削除するんだよ、ビーレビめ!このやろー (エミリーの眼の中でわたしは眠る)

2019-07-07

コピペ失敗。途切れた? あとで、貼り直すわ。 うー、、、 (エミリーの眼の中でわたしは眠る)

2019-07-07

(せいかつ)

2019-06-15

帆場さん どーも。これね、ひどいでしょ?もーね、人の詩の悪口ばっかり俺言ってるから自分の晒して公開処刑してもらうかと思って投稿したんです。でもまだ誰も酷評してくれないw 数年前に田村隆一からインスパイアされて書いた詩ですね。下手くそ。32点くらいじゃないですか?有難いですがコメントはもういらないです。こんな馬鹿みたいな詩にわざわざ時間かけてコメントして頂くのも悪いので... (あなたの静かな骨)

2019-06-13

一行目は素晴らしい。ただ、この屹立した言葉を持続して欲しかった? 次作に期待してます。 (朝、大聖堂の素描を持って。)

2019-05-18

散文詩を書く覚悟があなたには徹底的に欠如している。緊張感の弛緩した言葉によって日常から非日常への断絶をコントラストの効いた意外性と跳躍が一切垣間見られない。平易な言葉を用いて散文詩を書くなら、それを裏切るほどの強度のある場面展開が必須。とりあえず、身内からポイントを貰ってコメントで褒められることよりも芸術、詩の勉強を開始することをお勧めする。この日本的小状況、甘えの構造は端的に芸術を堕落させる。貴君の連なる言葉には強度がない。そこは反省すべき。ただ、ツイッターで繋がる仲良しと馴れ合ってる場合じゃない。真剣に詩を書きましょう。 (わたしの龍)

2019-05-11

これはね、悪いけど酷評させていただく。短文ですけど...まず、内輪ネタやめろと。こんなの一般の読者が読んで誰がわかるんですか?まず、ビーレビって何?ってなるでしょ?そこから履き違えている。もっと広い読者を視野に入れて表現活動を行わなければならない。そしてこういうことをやるとどんどん閉鎖的な、内輪ネタ、楽屋落ちに脱する。それは自覚して反省してください。 (B-REViEWは終わった)

2019-05-11