B-REVIEWユーザーの皆様、平素お世話になっております。
10月の月間B-REVIEW大賞ならびに選考委員個人賞が決定したため、ここに発表いたします。
なお、10月の選考委員は

  • 左部右人
  • 鈴木歯車
  • せいろん
  • 帆場蔵人
  • 渡辺八畳

が務めました。

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目次

・大賞並びに個人賞発表
・選評
・月間最多ポイント数、view数、投票数作品ならびに投票作品発表
・雑感

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・大賞並びに個人賞発表

月間B-REVIEW大賞

星空そとば「九月の終わりを生きる

個人賞

左部右人 月夜乃海花「あいうえおを覚えた時、ままは泣いて喜んだ

鈴木歯車 星空そとば「 九月の終わりを生きる

せいろん 黒髪「不毛なもの

帆場蔵人 渚鳥「枠の外で

渡辺八畳 千才森万葉「部屋に仕掛けた定点カメラ

なお、大賞受賞者である星空そとば氏は既に11月選考への参加が決定しているため、12月の選考を辞退される。

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・選評

大賞

星空そとば「 九月の終わりを生きる

一人称の詩として映像描写が優れていると考え、この作品を個人賞に推薦する。
この作品は「あなた」や「わたし」の体内と、晩夏から秋へと移り変わる情景(映像)、そして「生」と「死」というキーワードを効果的に結びつけている。そのため読者はこの詩世界へと簡単に入ることができる。そこでは読者が読者のままで、「あなた」にも「わたし」にもなれるのだ。

とくに目を見張ったのは、イメージの拡張、そしてそれによる「死」の連想である。

皺が増えてゆく
すなわち
影が増えてゆく
やがて増え続けた影から夜が生まれ
あなたは夜の闇の中で自分の身体を感じる

本文より

夜と死は結びつけやすい。
加齢とともに、静かな死の粒粒が身体に迫る。それらが集まって、最終的には広大な暗い砂漠へ変わり、そこへ読者は突き落とされるのだ。

作品に「墓」「墓地」という語がよく出る。身体を「骨の墓」、「あなた」をその墓守とする。
考えてみれば、死してなお残るのは骨くらいで、それも人間という墓守も墓も無ければ、どこまでも荒れ散る一方。大怪我でもしなければ見えない骨の、整合性や清潔感を考えてしまう。
さらに、ここでの「墓地」とはあなたの肉体であり、死んだ魚の埋まった海である。死んだもののある所、いつか死ぬであろう所、すべてが墓地になるのだ。

最後に。生と死は逆転した見方ができると思う。この世界に墓地が、死の世界の影がある。しかし死の世界にも墓地があるとすれば、それは生の世界、すなわち私達の世界の影であろう。
結局、死とは、私達に来たるべき時までの墓守ではないだろうか。

(選評:鈴木歯車)

個人賞

左部右人個人賞
月夜乃海花「あいうえおを覚えた時、ままは泣いて喜んだ

詩の訴求力と技術は単純に比例しない。
「あいうえおを書いた時、ままは泣いて喜んだ」は詩の技術という点において他の作品より特別に優れているという訳ではない。「あたしがうまれたひ/いつもないてるままがわらってた」にはじまる一連や、頭字が五十音に並んでいる(=いない)など、抒情を煽る描写や企みを持った表現も散見されるが、本作を「読む」上で重要な点はそこではない。

この作品の最大の魅力は、書かれるべくして書かれたのだという必然性を、読み手に与える力にあるのだと思う。主体である「あたし」は母親である女性を幾つかの方法で呼び分ける。作中の表現としては、以下の4つが挙げられる。

1.まま
2.おかあさん
3.ママ
4.母

これらの語句は前後の文章に応じて、下記のような使い分けがなされている。

1.悲しんでいる母(=「いつもないてるまま」「きんきゅうのおしごとだからってままはいなくなっちゃった」)

2.喜びを与える母(=「おかあさんだいすきだよ」)

3.他者としての母(=「ていねいにせっしなさいとママはいった」)

4..他者(=「ひみつは母にバレたものの何も起きなかった/ふしぎと母とも誰とも話さなくなった」)

「処女喪失」以降は「母」を中心に使用され「ままと呼んでいた女は男と何処かに消えた」のように、「母」以前には確かに存在していたはずの愛着(=家族愛)は失われている。
「何処かに消えた」のは肉体を持った「まま」であると同時に記号としての「母親」なのである。
「だいすき」な「おかあさん(=母親)を失った主体は、死に至る途を選択する。しかし最後、「ママに愛されたかった」「私を見て欲しかった」と意中の思いを吐露し「おかあさん、まま」という言葉を残し「いしき」をなくす。

「ママ」は男の存在によって他者に近づいた母親。「ママに愛されたかった」という文章から、「あたし」は「ママ」に愛されていないと感じていたことが分かる。「処女喪失」以降、他者となった「母」であったが、やはり「私」はそれでも「母」に「私を見て欲しかった」のだ。
「母親」の呼称が変化すれど、主体は一貫してまま/おかあさん/ママ/母の愛を求めていた。その心情を抑圧するため、自身さえも欺くために主体が意図して呼称を変えていたのだ。抑圧された感情が吐き出される日も遠くなかったのだと思う。繰り返すようだが、本作は書かれるべくして書かれた作品である。それは本作の端々から、主体が抑圧していた母親への愛情が滲み出ていた所為なのかもしれない。最終連の「あいうえお」を読んだ時、私はそう感じた。

最後、「わたし」ではなく「あたし」の方が良かったのではないかと思ったが、そんなことは些事だと思えるくらいエモい作品だった。

鈴木歯車個人賞
星空そとば「 九月の終わりを生きる

※大賞の選評と同文であるため省略

せいろん個人賞
黒髪「不毛なもの

理不尽に生きてしまっている全ての人が生きていく上でプレゼントを貰えるような、そんな作品になっています。

”お互いに交われない”
私達は、尖った光にでもならなければいけないのですね。はぐれてしまうのは人間性の違いや個性のためかと。表現が秀逸で羨ましい限りです。

美しいものは壊れやすく、触り心地がいい。
まさにその通りです。
この世に生を受けた私達は赤子でした。
手をひねるのも簡単、ふわふわの肌で…

大人になっても心が美しい人というのは、まさに雑草の中を生きていかなければならず、その中色を付けて咲く花のようにならなければならない。

黒髪さんの心の美しさが見えてくる作品です。
皆様も一度目を通していただきたいです。

帆場蔵人個人賞
渚鳥「枠の外で

窓の内側では雨が、昨日の夢を削除している、この冒頭で引き込む巧さとはアンバランスにその後の詩文は荒削りな印象がある。しかしそういった事とは関係なく、この詩には人を引き込むだけの魅力がある。

この詩のなかで具体的に私に迫ってきたのは見事なトマトがぐしゃっと潰れてしまう、という詩句だ。もう取り返しのつかない状態が眼に浮かんだ。一連目二連目に漂ってはいたがくっきりと見えなかった諦めとそのなかでの絶望感が形を伴って現れた瞬間である。一転、『私』という枠の中で枠の外(三連目)と隔絶した書き手の孤独が私達のなかでリアリティを帯びてくる。

しかし、それだけなら諦めと絶望だけを詠った詩で終わってしまう。けれど書き手は『私』という枠の外、他者や自分以外の世界へと最終連で繋がろうとする。

私は慌てていた
一杯の水を補給し
人差し指の先で、廃線に命を宿そうと足掻いている

本文より

たった一杯の水で現実は変わりはしないが、されど一杯の水なのだ。一連目で昨日の夢(理想的だと思えた過去)を消去した雨と同じ水が、ここでは反転して希望につながっていくのが印象的である。廃線に命を宿すということは他者や外の世界との繋がりに再び希望を持とうとすることだ。孤独であることを理解した上でそのように足搔く姿は切なくも美しい。この最後の三行がこの詩を魅力的なものにしている。それがなければ私はこの詩を選ばなかったと思う。そういった意味でタイトルの枠の外で、を枠の外で生きたいという願いだと捉えた。廃線が命を宿したその先をいつか読んでみたいと願っている。

渡辺八畳個人賞
千才森万葉「部屋に仕掛けた定点カメラ

まったく複雑な作品だ。この詩は小品集ではあるが、しかし通常のそれとは異なっている。
まず題名(と思われる)二重カッコ内の文言が異常だ。『この世に時間なんて物はないのさ、人が作った物差しだからね。小さな分子が動いた軌跡を上書きしてきた今があるだけ。それでも人は架空の線を紙に引き、くるくる巻けば時間が元に戻るんだって信じて疑わないんだよ。時間に囚われたがるのは本能なのかもしれないね、僕も彼女もさ』のように、もはや文である。そのため二重カッコは作品ごとに区切る役割を担えておらず、むしろ小品と小品を繋いでしまっている。一応『悔い欠片』のように題名然としたものもあるが、前述のような長文と共にあってはもはやそれも字数が少ない行であり、前後を媒介させてしまっている。
そのような詩なので、まるで冒頭に出てくる原子番号ゼロ桁台のハクチウムを吸ってしまったかのように、夢の中かのような状態が延々と続く。しかし夢と言ってもただ混沌とだけしているのではなく、詩の中には独自のいろは歌があったりツクツクホーシの鳴き声をいじったものもあり、起伏に富んでいる。それなりの文量がある作品だが、この起伏があるため最後まで苦無く読み通せる。構成の勝利だ。

ビンタのように無理やり夢を終わらせてくるオチも、作品の下にコメント欄が続く現行のビーレビのシステムとリンクする。まだまどろみつつも起きた読者は夢か現かわからない「↓↓↓コメントはご自由に↓↓↓」という声を耳にする。これでコメント欄が無ければただ詩の中で完結している文言。しかしビーレビの場合はそれがある。そのため夢の迷路を攻略した読者はその出口から「現実」へと直接繋がってしまい、つまりそれは夢と現実との切れ目が無くなり、現実でさえも夢の世界となってしまう。

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・月間最多ポイント数、view数、投票数作品ならびに投票作品発表

なお、月間最大ポイント数作品、最大PV数作品、最大投票数作品並びに投票作品一覧は以下の通りです。

10月期最大ポイント数作品(2019年11月25日現在)
stereotype2085「みらいノ旋律」 354ポイント
※自演ポイントが判明している作品は除外しております

10月期最大PV数作品(2019年11月25日現在)
鈴木歯車「白い棟」  1962.4view

10月期最大投票数作品
月夜乃海花「あいうえおを覚えた時、ままは泣いて喜んだ」 6票

投票作品一覧
6票
あいうえおを覚えた時、ままは泣いて喜んだ

5票
ソナチネ

4票
アンゼリカ
とじる
音のない町

3票
「みんな、恋してる、そんな街がいいね」
九月の終わりを生きる

2票
「ラーメン道」
『ふたたび殺戮の時代』のためのスケッチII
アフタヌーンティー

犬死にしたくない
手取り15万
絶景
蜘蛛の巣
道理
白い棟
不毛なもの
夜景にて

1票
Calling
tokyo syndrome
おそろいの不幸
そしてユキは脳みそを捨てた
でたらめ
なぜ君は世界が美しいと言えるのか
フィアrデルフィアの夜に Ⅸ
ぽえとーく
ホッチキスでとめただけの簡単な詩集、でもそれを君は本と呼んで
みらいノ旋律
雨は美しく燃えて
温度
患者物語:ノストラダムスさん
甘い棘
月と夜
散開
思春期、すべてオレンジ
秋の爆心地
小さき者
常しえのゆめの降るさと

到来
猫族の村会議
部屋に仕掛けた定点カメラ
夕焼けのコメットさん
旅館
枠の外で

計47作品

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・雑感

 B-REVIEWは2017年2月よりサービスが本格始動したサイトだ。はじめはネット詩投稿サイト「文学極道」のカウンターサイトとして始まったが、次第に独自色を強めていき、現在ではまったく別個のものとしてある。
B-REVIEWの歴史はいわば選考の歴史だ。はじめはキュレーター=運営が毎月協議して受賞作を決めていた。しかし、詩的思想が異なる者たちが話し合って大賞を決めるのは難しいとなり、次に全員キュレーター制が始動した。これはユーザーが選者と同等の権利を持つ、今までにない選考方法であった。しかし「投稿作を全作読まなくてはいけない」という規定は月々増える投稿数と相性が悪く、ユーザーへの負担が増えるにつれ参加者が減り、そして廃止が決まった。
廃止後、ポイント数で決める「REIWAビーレビCUP」を一度行い、そしてこの度ユーザー投票と選考委員制によって受賞作を決めるB-REVIEW3.5選考がはじまった。

ちなみに「 B-REVIEW3.5選考 」は渡辺が独自に言っているものであり公式ではない。はじめが1.0、全員キュレーター制が2.0、サムネイル表示やポイント機能などサイトデザインの一新が3.0と言われているからだ。

第1回目となる今回は、ユーザー投票があった作品より選考委員がベスト3を選び、その結果をもとに大賞投票を行うという方式を取った。以下に各選考委員のベスト3と選出時の短評を掲載する。

鈴木歯車

1. 九月の終わりを生きる
イメージの広げ方と映像の広げ方が上手く対応している。 外界の描写と自分の内部表現とのバランスがいい。

2. 音のない町
スペースをとる手法は、下手するとつまらない空白を読者に読ませかねないが、 この作品は空白を使って風景描写が生かされている。 たとえば雨を感じさせる連の間では、空いた箇所に雨音が埋まるように言葉を切っている。

3. あいうえおを覚えた時、ままは泣いて喜んだ
成長とともに成熟する言葉、それに反するように廃れる精神とのギャップを感じさせる。 ダニエル・キイス「アルジャーノンに花束を」の手法に通じるものがある。

せいろん

1 九月の終わりを生きる-星空そとば
「墓地」という独特の表現が活きていて、内容がブレている感じがなく、一貫していると感じました。個人的に好みでした。

2 音のない町-沙一
無声映画という単語を最後のとどめに持ってきているのが、エンタメ感があって良かったです。 全体的にぼんやりしながらも踏切の音でハッと覚めるのが魅力だと感じました。 

3 ソナチネ-survof
全体的に表現が非凡だったと思います。 自身で「くどい」とコメント欄でおっしゃられていましたが、そんなことはなくすんなり入って来ました。書き方は星空さん、沙一さんとは大分違ってそれぞれ良いとは思います。

帆場蔵人

1.ソナチネ survof
どこか緊張感をはらんでいて、綱渡りするような気持ちで読み終えた。言葉で描きながらもその言葉で言い表せない境目を歩いていく。具体的に何を描いたという作品ではないが、日常のなかで一瞬垣間見えては遠のくものの情感や質感をこの詩に垣間見て、繰り返し読んでしまう心地よさを感じる逸品でした。

2.九月の終わり生きる  星空そとば
内と外が地続きに感じるほどにそれぞれの描写が滑らかに組み合わされている。墓地や殺す、生や死といった強めの言葉が並ぶにも関わらず、それらを感じさせない巧さがあります。

3.アンゼリカ  柊
あまくておいしいアンゼリカのリフレインが印象的です。この言葉遣いで甘くなり過ぎずに世界観を壊さずに仕上げられていてシンプルに好感がもてました。ただそれ故に小品の域を出なかったようにも思います。

左部右人

1.あいうえおを覚えた時、ままは泣いて喜んだ
候補作の中で、最も主題が明確。その点において、読者への訴求力が最も強いと感じた。多用されるひらがなと主体の成熟をシンクロさせる方法も、テーマとの親和性が高く作品の説得力を増している。

2.音のない町
表現が巧み。言葉の配置がある種のカットアップ的で面白く、不思議な緊迫感を感じた。主題が見えにくく、「読ませる」ということを考えた上で「あいうえお〜」と比較した時に、訴求力に欠けると思い次点に選んだ。 しかし、それでいながら作品に緊迫感や切実さが見られるとうのは作者の技量のなせる技だと感じる。好きな作品。

3.雨は美しく燃えて(星空そとば)
「私」と「あなた」の関係と、「他人の空に傘をさす」ことを「光と呼ぶのなら」という箇所との相関を考えてみると面白い。この作品は主体と事象との距離の取り方が秀逸だと感じた。最後の一文が逃げのように読めてしまうのが残念だが、着眼点が優れているという点から推した。

渡辺八畳

1 音のない町
全体的に妖しさを漂わせ、それが成功している。各連の改行の仕方や行数にも変化をつけ、最後まで読者を飽きさせない。

2 アンゼリカ
ともすれば「ポエム」として蔑視されそうなほどの可愛らしさをまといつつも、それが最後まで清涼感を持ち続けていた。他の投票上位作には無い魅力。

3 とじる
詩中の世界が展開されていくテンポが秀逸。ゆっくり、そして確実に一つひとつの事象を描写している。その技術は上手いものの、作品としての爆発力には欠けていた。

大賞投票は「九月の終わりを生きる」と「音のない町」で行い、結果は発表の通りである。
投票数は運営の想像以上に集まった。ユーザーの多くが3.5選考に関心を寄せてくれているということだろう。また選考に関してもつつがなく進んだ。3.5選考は持続性がテーマでもあるため、選者に負荷があまりかからないということがわかったのは喜ばしい限りだ。
現在は11月投稿並びに投票の大詰めである。投稿は11/30、投票は12/5までである。まだ投票を済ませていないユーザーはぜひ参加してほしい。比喩でなく実際に、ユーザーからの一票が選考結果を左右させる。
また、選考委員を担ってみたい方の立候補も歓迎している。もし希望されているユーザーがいたら、運営の誰でもいいから連絡してほしい。

それでは、まだまだビーレビは続くからよろしく!

(雑文 文責 渡辺八畳)

以上で10月選考の発表とする。
2019.11.26 B-REVIEW運営/B-REVIEW選考委員 一同

“【お知らせ】10月分選考結果発表” に1件のフィードバックがあります
  1. 選考委員の皆様、10月期の選考お疲れ様でした。投票から楽しく参加させてもらいました。
    まさかの個人賞をいただき、また、月間賞のオチのような役をやらせてもらったことを、とても嬉しく思っています。こういう役柄大好きです(笑)
    受賞作品の選評を参考にしながら色々と学んでいきたいと思います。ありがとうございました。

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