B-REVIEWユーザーの皆様、平素お世話になっております。
4月の月間B-REVIEW大賞ならびに選考委員個人賞が決定したため、ここに発表いたします。
なお、4月の選考委員は

が務めました。

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目次

・大賞並びに個人賞発表
・選評
・選考音声データ
・月間最多ポイント数、view数、投票数作品ならびに投票作品発表
・雑感

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・大賞並びに個人賞発表

月間B-REVIEW大賞

楽子 「私の盗まれたバックあ赤かった

個人賞

いすき賞 青衣月「遺書」 

斉藤木馬賞 アキラ「名残の雪」 

新染因循賞  弓巠「あなたの手つき  

ミリウェイズ賞 あさうみそら「呪い」 

渡辺八畳賞 湯煙「おにおん」 

・選評

大賞

楽子 「私の盗まれたバックあ赤かった

タイトルの誤字から、まず我々はこの詩に遭遇します。
誤字をしていることがどうなのか、ということはここでは取りあげません。むしろ今回はこの誤字によって、作品がより完成されたものになっていると考えます。
詩のあらましとしては、「母」である「中年女性」がバッグが盗まれた! ということを主張するという割と普通な物語ではあるんだけど、それをテンポ良く描写して飽きさせないという工夫がなされています。
思い入れのあるバッグが盗まれた苛立ちをGoogle翻訳にぶつけたりする表現が前半にあり、後半は(ストレートな言い方をすると)学がないことが示されています。
この詩の最後を結ぶのは、やや誇張的に見える「世界平和」という表現です。しかしここも、Googleという世界を覆ったネットワークにおける一種の覇者が詩中に存在することではっきりしてくるでしょう。
つまり、インターネットというものに繋がれていない「母」の姿です。
ここで「あ赤かった」というところが効いてきます。おそらくスマホを使っているだろうから、フリック操作に不慣れでキーボード入力をして誤字したのではないか。そういった風景を浮かび上がらせる誤字です。
誤字、といえば話者が指摘する母の「バック」。はっきりいってそんなに大した誤字ではない、と思われた方は多いと思われます。バッグとバック――揚げ足取りのようなここは、どこか、一人の大人になった娘からの年を食っていく母への不安のようにも映ります。ここは特に、公開してある選考ディスコードの49分28秒からのいすき氏のコメントが詳しいと思いますのでそちらに託しますが、ともかく全体として「母」が「悲しい」存在になっているということをひしひしと感じさせるものです。
偶然の誤字と「母」の誤字が、しつこいようですが偶然に重なったことで、中年女性のある一面での悲哀というものが鮮明に浮かび上がってきます。  
こういったことから若い世代や上の世代どちらからも視点として共感しやすいものになっている、と思います。
一種のタブーでもある誤字がとくに光っている作品です。  
以上の理由から大賞に推薦しました。

(選評: 新染因循)

・個人賞

いすき

青衣月「遺書」 

ペンシルバニア州、フィラデルフィアに位置するムター博物館。かの天才科学者、アインシュタインは、薄くスライスされた脳の姿で、顕微鏡のスライドをベッドに、そこで眠っているという。
ほんの一瞬この詩に描かれるものは、そんな孤独だろうか? それだけじゃない。もっと複雑で悲しいもの、でもあたたかくもあるものだ。
「脳」は人を惹きつける。そして、ますます私たちを捉えて放さないものになってきている。むかしむかし、エジプト人たちは脳を単なる鼻水のための器官とみなしていたらしい。それが本当かどうかは知らないけれど、少なくとも当時に比べ、現代人が脳に一層多くの意味を見出していることは間違いない。科学に対する理解が浸透するとともに、肉体や精神・魂といった神聖な要素が、脳の一文字に還元され始めたからだ。
この野心的な試みは反論の余地を丁寧に潰していき、今では実に多くの人が死後の世界に関してほとんど知ったような気でいる。こうして脳は記号としてますます多くの意味を獲得していき、人体において他のどんな器官よりも重要視されはじめた。

選評の続きを読む
そして21世紀初頭、とうとう世界は脳の時代に突入した。……と、僕は思う。 ようするに、AI時代の幕開けである。
こうして、セックスやドラッグは古いものとなってしまった。それはもう大人にしてみればお馴染みのコンテンツといってよく、芸能人は薬物で何回でも逮捕されることができるんだし、まえよりもずっと少ない刺激だけを発している。これに対して、脳は神聖をほしいままに飲み込んで、手に負えないほど膨れ上がった。
より面白いのは、ここで同時に、その反対のことも起きているということだ。脳は有機物のコンピューターに過ぎないという価値観と、有機物のコンピューターがあらゆる幻を描き出すことへのある種の畏怖は、思想の両極端から巨大なうねりを生み出して、私たちを激しく混乱させている。時代がここまで進まなかったら、こんな風にはならなかったと思う。人を悩ませるもの、動きのあるものは、まるで風車のように、不思議な魅力を発するような気がする。
こうした背景を落ち着いて考察してから読んでみると、この詩がいかに巧みであるかが見えてくる。この詩の一大トリックは明らかに7行にある。「脳味噌を缶詰に」というこの6文字には、「脳」という言葉が抱えている全ての記号を一斉に裏切るような猟奇性が込められている。
しかしながら、本当に面白いのは実はそこではない。むしろその後の展開の方にある。なんとも、実は脳味噌の缶詰とはやはり本当の缶詰ではなかったのだ。むろん食用に供されることもない。語り手はハンニバル・レクターのような極悪人ではなくて、むしろその正反対、平和を愛する、けれどもちょっといたずらっぽい、苦しいときほどついつい笑顔を見せてしまうような女性らしい。7行目を読んだ瞬間に沸き起こる、目を背けたくなるようなおぞましいイメージは、その後ある種のシャレを経て鎮静される。そしてトドメに「別に変な意味ではないんだよ」と、いわば優しく抱きしめてくるのだ。これは死にゆく者の抱擁だ。この一文を読んだとき、ぼくはあまりにもびっくりしたので、「もう!すごくびっくりしたよ。でも好き……」と思わず愛を告白してしまった。。
これは決して平凡な技術ではない。技術の上でやはり肝心なのは、この筆者が彼女をレクター博士にはしなかったという点だと思う。そういうのは詩といって一般に想像される文量では描き切れず、多くは設定を書きたいだけの代物・自己主張しているだけの作品として、むしろ嫌われているイメージがある。また単に猟奇性を追求しただけの作品を(詩人に限らず)多くの人は内心見下しているんじゃないかと思う。「とにかくキャラにでたらめをやらせればいいだけじゃん」ということだ。
脳味噌の缶詰という言葉を登場させながら、むしろ世界観を現実的な範囲の中に留めておくということは、とても大変なことだ。そんな突飛なことを言い出してもおかしくないようなキャラクターを、うまくコントロールして読ませなければならない。この詩では、そういったことがほとんど完璧にすまされているように感じる。こうしてみると、いまいち乗り切れない初めの数行は7行目のトリックのために用意されていたものと考えなければならないからだ。しいて言えば、タイトルの付け方はさすがにシンプル過ぎた気もするが、この一連の文章に最もふさわしい代わりの題はぼくには思いつかない。
切実な思いを追記に残してこの「遺書」は締められる。彼女は魂の存在を信じていない。信じられない、と言った方が良い。しかし、だからこそ、彼女の祈りはますます神聖になる。
今回ここで特に注目したレトリックや構成等の技術の点だけで見ても4月は優れた作品が非常に多く、また当然ながら全く毛色の違う作品もあり、とても悩んで個人賞を贈りたい作品はいくつもあったが、ヒットのパワー感とそのフォロースルーの美しさをたたえてこの作品を選びたい。

斉藤木馬

アキラ「名残の雪

静寂。聞こえてくるのは広大な雪原を踏む音と、あとは荒い息遣いだろうか。一読を終えないうちにこれは声に出して読みたいぞ、と思わされた。

ぐづぶぶしゃしゅり
ぐぐしゃりづぶぶ

の耳触りが何といっても写実的で、真っ新な雪を踏む感触が余すところなく伝わってくる。それと同時に、ある種の厳かな響きが話者の内観する視座をいっそう際立たせているように感じられた。
またフレーズを引き立たせるようにカメラワークを切り替えてみせることで、三度のリフにもそれぞれ異なる趣きを落とし込み鮮度を維持している。

美しいと思える朝だった

つまり美しいとは思えぬ朝も多々あったのかもしれない。そのような話者が白銀に照らされる世界へと踏み出した。しかしその孤高の足跡も、やがて後からやって来る<存在証明に躍起>な人々に踏まれて跡形もなくなってしまうのだと思い至る。そして自らもまた<存在証明に躍起>な存在であること、白銀を土足で汚す者のひとりに過ぎないという事実に気づいてしまう。

この感情もいつかは消えるのかい
私に濁った儚い雪よ

ここに結実された思いに、それでも歩み続ける(しかない)姿に、私は話者の覚悟を感じ取った。
そして最後に。ぜひ一度、声に出して読んでみてもらいたい。母音の連なりの滑らかさや時間芸術としてのテキストの形など、朗読の観点からまた違った旨みを味わえる。そして発声をした各人それぞれの<ぐづぶぶしゃしゅり>の語調こそがこの作品の真骨頂ではないかと思うのだ。

本作は音読をすることでさらなる真価を発揮する作品だ、と私は信じている。コメント欄によると作者のアキラ氏は朗読を録音ながら詩作をしているとのこと。それゆえ今後は朗読動画の投稿にも勝手に期待して待ちたい

新染因循

弓巠「あなたの手つき」 

まず目につくものは、所謂「ただしい文法」ではない読点と改行、そして後半になるにつれて破びの広がる日本語です。なんともたどたどしい感じがします。しかしそれがこの詩の魅力でもあります。

なくなりそうなぼ、、く
に、名残して

といったように、「ぼく」という存在をたどたどしく語ることで、よりはっきりとは思い出せないあやふやなかつての自分というものが描かれています。 人と関わることで変容していく「ぼく」。それを懐かしみ、あるいは諦め、それでもかつての「ぼく」の形を探している。

をあつめて
ひかりしながら

ぼくだったなにか、が、
手さぐりで海にふれるとき

変わることは、なにかをなくすことでもあります。 なくなったものは戻っては来ない、ただ記憶という内海で美しく磨かれるだけーーこの哀愁は誰しもが経験したことがあるものではないでしょうか。
それと同じように、かつての自分や自己の経験を他者に投影するということもまた、誰しもが経験のあることだと思います。時にその行為は、他者に自分への変容を強制してしまったりする呪いのようなものです。 ですがこの作品においてはそうではないでしょう。

かつてぼくしていた
(中略)
生まれる、ことになる

そしてここの結びに

いないだろう

他者は自分を映す鏡だといいます。結びで妹に自分を見出さないということは、ここかかつての自分を思い出したいという微かな祈りではないという証拠、というふうにどうしても考えてしまうのです。
全体的に平易かつやわらかな言葉であり、くどくない。自分についてゆっくりと掘り下げていくそのテンポと広げ方が秀逸でした

ミリウェイズ賞

あさうみそら「呪い

いくつかの候補があったものの、いまいちピンと来るものが無かった時に、シンプルかつ強いタイトルで飛び込んできたのがこの詩である。呪いそのものである、「きらいだよ」という言葉が何に向けて放たれたものなのか、いくつか考えられるが、それにしても、このたった一言と夏の風景が、じっとりとした、不快に近い感情が生まれながらも、どこか愛おしさに似たものを感じずにはいられないのである。全体的に、難解な表現や構造は見当たらない。しかし、「わたし」が「君は」へ向ける感情の全てが、なんとも言えない深みを持って、私に、それこそ呪いのように絡み付いて来た。

渡辺八畳賞

湯煙「おにおん」 

面白い構成の詩だ。この詩は「//」を区切れとして四段階構成になっている。カレーを作り出す二段目、涙に着目し、後半は(涙で潤んだ視界のように)大きく崩れていく三段目、春夏秋冬それぞれのレシピが提示され、それを作らなくてはならない業の深さを感じさせる四段目、そして

かなしいこと、
ですが、
おにおんに罪はないのです、

とはじまる一段目。 言わずもがなこの詩は「おにおん」つまり玉ねぎを主軸に展開されている。その展開はどこかスプラッターな雰囲気も醸しだすものである。しかし、一連目があることにより劇的な展開は「おにおん」が責められる類のものでないことがわかる。されど展開は進み、そこに「おにおん」であってもどうすることもできない運命の根深さを感じさせる。

涙の表現の羅列や角が生えてくる箇所など、並の詩人なら陳腐になりかねないような表現さえも、卓越したバランス感覚により書きすぎを避けられている。上手な詩だ。

・選考音声データ

以下urlより最終選考の音声データが視聴できます

https://drive.google.com/file/d/1JnLnUCFeQ3IcWGUcjCI_mSoRQXCNPHH-/view

・月間最多ポイント数、view数、投票数作品ならびに投票作品発表

なお、月間最大ポイント数作品、最大PV数作品、最大投票数作品並びに投票作品一覧は以下の通りです。(今回、複数アカウントからの投稿作が1作除外されています)

4月期最大ポイント数作品(2020年5月26日現在)
夢うつつ「子羊たちのスマホを撫でる」128ポイント

4月期最大PV数作品 (2020年5月26日現在)
小林素顔「空なんか見てんじゃないよ」2764.1view

4月期最大投票数作品
たけだたもつ 「 名札 」 5票

投票作品一覧

5票
名札

3票
空なんか見てんじゃないよ

2票
Spring Is Here (春、風景を食む)
マイヤーズラム オリジナルダーク

私の盗まれたバックあ赤かった
詩型(自由詩・短歌・俳句)融合作品 「花野」
春風に吹かれてる
台所
停車場線
熱情
恋の算数

1票
nocent
おかあさん
おにおん
シャーデンフロイデ
ずん太とお風呂
ダンスホール
はやくワクチンをください。
ピース、ストロボ
まだまあ
メッセージ
ワイエルシュトラス関数
遺書

果実
花の夢
救済の日
口ほどに蝶
行方のない散歩
四月の切り取り線、あるいはのりしろ
水のような 詩人のような
生きもの
赤い雨
絶叫
僕たちが高校をやめると言う時
夢幻灯
名残の雪
夜毎の酔
例えば鳥の教え
―                            計40作品

推薦文

藤一紀推薦
石村利勝「春風に吹かれてる」

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・雑感

未曾有のコロナショックで当初はユーザーの活動も危ぶまれたが、最終的には170作品と例月通りの結果となった。投票数も大体いつも通りである。世間が委縮自粛の中にあっても影響を受けにくいのがネット詩の強みだと確認した。

今回は投票で2位以上の作品から選者間でベスト3を選び、そこからさらに大賞を選ぶ方式を採った。以下が各委員のベスト3と短評である。なお、短評の提出順に掲載した。

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斉藤木馬

1位「Spring Is Here(春、風景を食む)」
常套句に囚われず話者の感じるままの春を語っているのに、それがどこまでも春らしくて美しい。取り残されたような話者の寂しさとは対照的に情景が動的で、絶えず新鮮な空気を吸わせてくれる。詩って良いよなあと心から思わせてくれた。

2位「空なんか見てんじゃないよ」
内容自体にそれほど真新しさはないと思うが何より愛を感じた。このご時勢、何を表現すべきかと迷いの生じている人、書けなくなってしまった人もいるのではないか。だからこそ今、この直球の問いかけに価値を感じた。

3位「指」
アポトーシスという視点がとても新鮮。作者の余すところなくメッセージを伝えようとする真摯な姿勢が伝わってきた。その裏返しかテキストとしてまだ刈り込めるのではと感じられる部分もあった。朗読向きだと思う。

いすき

1位「春風に吹かれてる」
とにかく読ませる作品で、ここまで引き込まれるものは珍しいと思う。というか、今月の詩の中で、読ませる力という点では断トツだと思う。詩的修辞そのものに目を向けても、イメージを喚起する力が強く、筆者の狙った情緒が肌で感じられる。この上手さで僕としては一番良いと思いました。

2位
「私の盗まれたバックあ赤かった」
タイプミスではあるが、結果として4月作品で最も良いタイトルが付けられることになったと思う。イメージの広がりがあり、興味を持たせる。冒頭と組み合わせて、読者は漠然と顛末を悟る。それを裏切らない展開だが、一転するオチでインパクトもある。「春風に吹かれてる」と比べても甲乙つけがたい印象だが、読み手の年齢によって恐らく大きく読後感が変わるだろうという点で2位にした。

3位
「空なんか見てんじゃないよ」
言葉のリズムが良く、話し言葉だけど下品さが全くない。単にメッセージだけを取り出せば「詩人にぶっ刺さるだけ」な印象もあるが、第三連からはむしろあらゆる人達へ向けた激励になっている。これが厳しくも勇気を与え、爽快な読後感になっている。言葉の選び方や発想も良い。

ミリウェイズ

1位「台所」
染み渡ってくる感情が、どうしようもなく好きで、選びました。

2位「空なんか見てんじゃないよ」
最後の2行。個人的にはそこが1番のツボでした。

3位「熱情」
タイトルの通りに、強い熱情がこちらを焦がした様に感じた。

新染因循

1位「名札」
静かに狂っている。いわゆる「普通」とすこし掛け違えたことで生じた歪みというものがひしひしと伝わってくる。その歪みを想像すると、フラクタル図形を拡大しつづけているような不安感に襲われる。

2位「Spring Is Here(春、風景を食む)」
「私」を取り残すことで、「春」という言葉の質感の広がりを表現している。対照的でありながらも、巡ってくる春と命の巡りが重なっていることで、春風のなかにかき消えていきそうな儚さを感じさせる。

3位「空なんか見てんじゃないよ」
混沌とした昨今の状況において、表現することそれ自体の背中を、どこか優しげに押しているように感じさせる。文体のリズムも良く、話し言葉にありがちな嫌な読了感がない。1,2連目の(おそらく)詩人へのメッセージから、それ以降の拡張のされかたも自然である。

渡辺八畳

1位「私の盗まれたバッグあ赤かった」
学が無く、故にGoogle翻訳に振り回される母親。その姿が幾度となくリフレインされ、虚しさを演出できている。タイトルの間違いさえもこの母親の悲しさに加担される。

2位「名札」
>父の特徴を思いだそうとするけれど
>すべてが椅子の特徴になってしまう この表現が光っている。

3位「台所」 改行と読点の使い方が絶妙。構造が作品に対してどのような作用をもたらすかをしっかりと理解している。

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2人以上がベスト3に選んだ「Spring Is Here(春、風景を食む)」「空なんか見てんじゃないよ」「私の盗まれたバックあ赤かった」「名札」「台所」を大賞候補にして第二段階へと選考が進んだ。
「Spring Is Here(春、風景を食む)」は大賞候補中唯一動画と共に投稿された作品だ。細部に巧みさが光る秀作である。 4月の最大PV数作品を獲得した 「空なんか見てんじゃないよ」は現在のビーレビで存在感を放っている小林素顔氏の作品だ。「私の盗まれたバックあ赤かった」は何と言っても題名が肝だろう。選考でもその点が議論になった。最多投票数を獲得した「名札」の作者であるたけだたもつ氏は12月に「稚内」で大賞を獲得した実力派だ。「台所」は読点と改行が非常に上手な技巧作である。

詳しい過程は公開した音声で確認してほしいが、まず 「空なんか見てんじゃないよ」「名札」「台所」が候補から落ち、「私の盗まれたバックあ赤かった」「Spring Is Here(春、風景を食む)」で決選投票を行い 、「私の盗まれたバックあ赤かった」が大賞として決まった。
ビーレビ杯に限らず選考というものは不思議である。最多PVかつ委員の5人中4人がベスト3に選んだ 「空なんか見てんじゃないよ」 、最多投票数かつ大賞受賞者であるたけだたもつ氏の「名札」がまず脱落した。これは、ひろく支持される作品とトップとして選ぶ作品の差によるものだろう。ユーザー投票では5作品、委員ベスト3は3作品を選ぶことができる。これは1番ではないが上位作品である作品も選ばれることを意味する。一方で大賞はただ1作品、どれだけ良い作品だったとしても2番手3番手であったら落とさざるを得ない。 「空なんか見てんじゃないよ」は多くの選考委員がベスト3に入れたが、それは2位や3位であって1位には誰も選ばなかった。 オールマイティーであることよりも、他を寄せ付けない圧倒的な良さをひとつ持っていることこそが大賞に選ばれるための条件かもしれない。 「私の盗まれたバックあ赤かった」 はその「圧倒的な良さ」の宝庫だった。

しかしただ一点突破を目指してもうまくはいかないだろう。というのは選考委員は毎回変わるからだ。もちろんどの委員も良い作品を大賞に選ぶべく公正な選考に努めている。しかし人間である以上各々の価値観があり、それによる判断の左右は免れない。同じぐらいの出来の作品が並んだ際、最終的にはこの価値観によって決めることになるだろう。 「私の盗まれたバックあ赤かった」と「Spring Is Here(春、風景を食む)」 は全く傾向が異なる作品だ。高校の数学や物理で習うベクトルを話してほしい。ベクトルとは方向を持つエネルギーのことだ。向かう方角は正反対だが量は同じエネルギーは存在する。最終候補の二作品はまさにこのベクトルだ。エネルギー、詩としての良さは同じである。あとは、どちらの方向が良いかという判断で決めるしかない。

つまり何を言いたいかというと、大賞を逃した作品であっても良さは充分にあるということだ。勝負は時の運、勝ち得たときは素直に喜び、そうでなかったときは次回に賭ける。 「私の盗まれたバックあ赤かった」 の楽子氏は喜んでほしい。私としても一番に評価していた作品だ。だが、選ばれなかった4作品の作者は落胆しないでほしい。いつかは大賞に辿り着けるだろうから。

しかし一つ注意しなくてはならないのは、「運」は最低限の実力があってはじめて手に入れられるものだということ。現代詩投稿サイト中でトップの投稿数を誇るビーレビはもちろん集まる作品も玉石混交だ。今回大賞候補に選ばれた5作品の作者、または投票された作品の作者のように十分な詩力を持つ投稿者もいれば、まだまだ成長途上の投稿者も多くいる。ビーレビはまだまだ続く、しっかりと実力を養っていけばよい。そうすればいずれ「運」に恵まれるだろう。

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今回、複数アカウントであることが発覚し手凍結処分となっていたユーザーの作品が個人賞に選ばれてしまい、当発表の公開が一時中断される事態となりました。 複数アカウント の伝達が行き届いておらず、結果として個人賞を選出しなおすことになってしまった 新染因循氏には改めてお詫び申し上げます。今回の件を踏まえ、以降は複数アカウントへの対応を強化してまいります

(雑文 文責 渡辺八畳)

以上で4月選考の発表とする。

2020.5.26 B-REVIEW運営/B-REVIEW選考委員 一同

「【お知らせ】4月選考結果発表」に2件のコメントがあります
  1. 選考お疲れ様です。
    やったー!!大賞だー!!(大喜びさせていただきます!)
    選考過程拝聴いたしました。まさか誤字が決定打になるとは……!!何が人に刺るかはわからないものですね。
    縦書きにしたことでGoogle等の表記がブレているところなどは完全に想定外でしたので、指摘を受けて驚いたところです。
    とても勉強になりました。

    優秀な作品が多すぎて大賞どころか入賞もまず難しいだろうと思っていたのでとてもうれしいです。
    (詩的な表現力でいえば候補の作品群に後れをとっていることは自覚しておりますので……)
    私のような作品が入賞することで、気後れしている方々のモチベーションにもなると思います。

    今後も楽しく詩作・感想投稿していきたいと思います。

  2.  「おにおん」 が渡辺八畳個人賞を頂きました湯煙です。

     おまけみたいに投稿をしました三作品目(九年近く前のものですみません)でしたから驚いておりますが。とりあえず良かったです。  
     今作のような作品が入賞することで、気後れしている方々のモチベーションの一つにでもなれるならと私も思います。

     ありがとうございました。

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