皆さん、初めまして。

詩についての考察について、以下に私見を述べます。

・詩の主人公が魅力的である。
 つまり、平凡などこにでもいる人は詩に登してはならない。 思うに、このことに気が付いていない方(もしかすると全員?)が多いですね。

・言葉の組み合わせによって鮮やかなイメージが生み出されている。 あなたの言葉の組み合わせから、目の前に浮かぶような映像が生み出されていますか? また、凡庸な言葉を独特(独創的ではない)に組み合わせても、斬新な表現は生まれません。

・文章は明晰でなくてはならない。
 間延びした文章はだめですね。 特に、日本語はだらだらした文章になりやすい。ちなみに、簡潔という意味ではありません。結果的に明晰な文章が簡潔な文章となったにしても。

・構成をしっかりと決めてから書こう。
 例えば、ソナタ形式(第一主題、第二主題、展開部、再現部、終結部)など。もちろん、構成が露骨にわかるようであってはいけない。

・哲学書を読もう。
 詩には人間に対する、深い洞察が必要です。ヘーゲルを読んで理解できないとすれば、読解力、文章力が無いということになるのみならず、詩を書くための基盤そのものを欠いていることになります。

・難しいことを難解な表現で書こう。
 難しいことを分かり易く書く人が賢く、難しいことを難解な表現で現わす人は馬鹿だと
よく言われますが、実は逆です。難しいことを分かり易く書くというのは、哲学書などの元々からして難しい文章を 自分の都合のいいように解釈して単純化することなので誰でも簡単に出来ます。 例えば、新書の「クラウゼヴィッツ、戦争論 入門」などですね。 解説本を読むより原著をを読むべきです。そして、詩でも難解な表現を使用しましょう。

「詩についての考察」に5件のコメントがあります
  1. 非……詩の主人公が魅力的である。
       主人公などいなくてもよい。語り手でよい。

    非……構成をしっかりと決めてから書こう。
       形式はあってもよいが、なくともよい。

    非……哲学書を読もう。
       ヘーゲルがどうたらと権威的にのたまう者が、
       人間に対する深い洞察をなしえているとは思えない。

    是……難しいことを難解な表現で書こう。
       これいいね! とかく「共感・相互理解」を尊びすぎて
       強迫的に「無理解」を悪と断ずる社会に辟易です。
       必ずしも共感と理解は必要ではないはずです。
       「誤解と悪意」が表現の大部分なのではないか。

  2. ひとつ落としてしまったので追記を。

    是……文章は明晰でなくてはならない。
       そうそう。これは長い散文詩の魅力を観応する技術がないからなのかと
       自問したりなどするも、どんな名詩人であっても、見ず知らずの他人の感情に
       そこまで付き合いきれないわけであります。

  3. 鈴木夜道様

    コメント有難うございます。

    >主人公などいなくてもよい。語り手でよい。
    語り手も主人公ですね。
    その場合、語り手が魅力的でなくてはなりません。

    >ヘーゲルがどうたらと権威的にのたまう者が、
       人間に対する深い洞察をなしえているとは思えない

    権威として崇められている人の本を読まなくてはいけないという意味ではありません。
    詩を書くためには難解な文章を理解するだけの読解力も必要だということです。
    私は難解な文章の一例として、ヘーゲルの哲学書を挙げたに過ぎません。
    日本の大御所、権威とされる詩人の作品を読むよりも、哲学書を読む方が、詩を書く能力は得られると思います。
    また、人間に対する洞察を得るためにも、哲学書、精神分析学に関連する書は読むべきでは。
    私個人のことではなく、全ての方に言えることです。

  4. 追記
    >形式はあってもよいが、なくともよい。
    形式の無い(ように見える?)詩はもちろんありますし、それもいいのですが
    その場合、優れた詩を書くことは、より難しいこととなります。
    また、形式の無い詩は予定調和的になりにくいという長所がありますね。

  5. 私としては、詩の創作技法の一つを提案させて頂きました。
    但し、提案した本人の作品がひどい代物であれば、説得力が無いと言われても仕方ないでしょう。
    私も二作、投稿いたしましたが、それを読んで駄作と断じる方もおられると思いますので、
    その場合には、ご自分の方法で詩をお書きになられればよいでしょう。
    そうではなく、質の高い作品とご評価下さるのであれば、私の考えを参考にして下さいましたら幸いです。
    (議論することはよしとしても、他の方に私の考えを押し付けることは出来ないことは言うまでもありません。)
    ちなみに、私における死の定義は「非日常を非日常的な言葉にて書かれたもの」です。
    もちろん、詩の定義は様々ですので、逆もまた真なりです。

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