B-REVIEWのガイドラインには、ここに参加するのに詩歴や実力は不問とすると書かれています。
ですからここに参加されている方々の背景は様々で、その中には心身に病を抱えている方もいらっしゃるようです。
でもネット上のみのやり取りなので、表情や口調、仕草などの非言語的コミュのケーションはとれません。そのためその人の背景を読み取れず、それに応じたコメントや評をすることは極めて難しくなっています。
その一方ガイドラインには、ユーザー自身が自分の作品の向上に努める場所とも書いています。
今回の運営交替に伴う騒動もそのことが原因の一つになっているように思えます。
対立する二者の一方は個々の背景が読み取れないからコメントや評をする場合は慎重な配慮が必要であり、そのためにこそマナー遵守が重要だと考え、もう一方は作品の向上にはたとえ病を抱えていても厳しさが必要であり、それによりB-REVIEWの劣化を防ぐことができると考え、それらのどちら寄りに重点を置くかで認識が大きく異なってしまっているようです。
無論それだけが対立の原因の全てではないでしょうが、我々はそのことをよく考えなければならないような気がします。
病ゆえに厳しさに絶えられないなら、この場を去るのもやむを得ないと考える人もいるでしょうが、病はときに詩を昇華させる原動力にもなります。
そのような人を去らせてしまうのは、潜在的な詩人を失うことにもなりかねません。それはB-REVIEWにとって損失となってしまうでしょう。
でも、馴れ合いになってしまうのも防がなければなりません。
重要なのはその2つの間のどこでバランスをとるかということよりも、どのようにしてそれらを両立させるかということなのだと思います。
それはB-REVIEWが合評という制度をとっている以上、参加者全員の課題のようにも思えます。
時が経てばまた考えが変わるかもしれませんが、現時点では私はそんなふうに思っています。
皆さんはどのようにお考えでしょうか。
小中学生じゃあるまいに、
感想文って(笑)
いちいちフォーラムに書きすぎでは?
以前存在したメビウスリング詩カテゴリという投稿サイトでは、掲示板を二分することで「厳しい切磋琢磨の場」と「親しい交流の場」の両立をはかっていました。このような構造にも問題はありますが、試してみる価値はあるかもしれません。
もっとも簡単な実験方法は、酷評を望まない作者がみずから、自作のタイトルないし文中に、酷評不要の注意書きを明記することでしょう。(そのような注意書きで作品を汚すことを好まない作者は、最初のコメントを利用すればよいでしょうが、コメント欄を読まずにコメントする人には伝わりません。)
「酷評されたくない」という意志をみずから明示する行為は、精神的に不安定な人にとって、容易なことではないと思います。そこまで不安定な人は、ビーレビに限らずネット詩を利用しないほうが無難、評価を請いたいだけなら詩誌や現代詩人会のほうが適切と、個人的には思っています。
このサイトの場合、私が一部のコメントを迷惑に思ったケースは、そのコメントが酷評であることとは無関係でした。
それらは私が、粗暴なコメント、しつこく繰り返して自説を作者などの他人に押し付けるコメント、作品を読んでもいないかのような甚だしい誤読に基づくコメント、間違った知識を押し付けるコメント、単なる嫌がらせ(ストーカー的な行為)、作品を批評することと無関係なコメント(例えば作者の人格誹謗)などでした。
厳しさ、そして病ですかー。
それも、今回の背景となる一因なのかも知れませんが、どのぐらいの重要性だったのか、私にはわからないです。
少なくとも、それだけに矮小化するのは、良くないと思います。
あ、文が変でした。失礼。
等の、私が(中略)なコメントとみなしたコメントでした。
と、書こうとしました。
つまり、そういう低品質なコメントの押し付けやしつこい反復を、酷評でひとまとめにするのは、間違ってると思います。
書き直します。すみません。
・・・・・・・
このサイトの場合、私が読者からのコメントを迷惑に思ったケースでは、そのコメントが酷評であることとは無関係でした。
それらは、(1)粗暴なコメント、(2)しつこく繰り返して自説を作者に押し付けるコメント、(3)作品を読んでもいないかのような甚だしい誤読に基づくコメント、(4)間違った知識を押し付けるコメント、(5)単なる嫌がらせ(ストーカー的な行為)、(6)作品を批評することと無関係なコメント(例えば作者の人格誹謗)など、すなわち低品質なコメントと受け取ったコメントでした。
厳しさ、そして病ですかー。
それも今回の背景となる一因なのかも知れませんが、そうした事がどのぐらいの重要性で要因になったのか、私にはわからないです。
少なくとも、上に列記した低品質コメントを、「酷評」なる言葉に矮小化するのは、良くないと思います。
確かに、酷評の言い方ってのも一つにはあるんでしょうけど。
ユーザーくんさんへ
ここで「酷評」の語を使用しているのはわたしだけなので、わたし宛と仮定して返信します。お話には大筋で合意しますが、上のわたしの意見に関しては誤解があるようです。
「(1)粗暴なコメント、(2)しつこく繰り返して自説を作者に押し付けるコメント、(3)作品を読んでもいないかのような甚だしい誤読に基づくコメント、(4)間違った知識を押し付けるコメント、(5)単なる嫌がらせ(ストーカー的な行為)、(6)作品を批評することと無関係なコメント(例えば作者の人格誹謗)など、すなわち低品質なコメントと受け取ったコメント」(ユーザーくんさん)
わたしはそのようなコメントを「罵倒・粘着・愚見・変質者の異常行動」などと呼び習わしており、「酷評」とは区別しています。上で述べた「酷評」にも、変質者の問題行動を想定していません。
変質者の問題行動は、ひとえに変質者本人の問題です。加害者の問題を被害者が解決することはできないので、運営が処断する以外ないと考えます。そのような前提では建設的な話にならないと考え、上では「酷評」という別の論点を用いました。
澤さん
匿名にて失礼します。
ご指摘の通り、スレトップの書き手は「酷評」という言葉を使ってませんでした。それどころか、それに相当する言葉を探すと、なんと「厳しさに、耐えられないなら」みたいなポエムっぽい言葉しかありませんでした。
私が悪いんですが、はしごを外されたかのような気持ちですよ。
では、この流れで「酷評」という言葉を、私が書いたように書くなら、どうなるか。上に使っておられる澤さんへのレスであるとしか思われないことになりますし、その場合は澤さんの定義や用語法を踏まえないといけないですよね。私としましては、真っ青です。真逆と言ってもよいような使い方をしました。
まことにすみませんでした。
澤さんの意味での「酷評」(変態さんの粘着とかじゃないほう)に耐えられない方と申しますと、私には専門外です。そういう人は、あんまり私には近寄って来てくれないものですから。
私、実は批評においては、相手によって色々と配慮してもいるんですが、不徳のいたすところでございます。
澤さんへ
先日、Eメールを送りました。内容のご確認よろしくお願いします。
●ユーザーくんさんへ
お話に大筋で合意していますので、謝っていただくような内容ではなかったのですが、語気が強く恫喝めいていて申し訳ありません。変質者を相手取ったあとで、こちらも感覚が狂っていました。合評ではお相手への配慮を、わたしのほうこそ忘れないようにしたいものです。
●北さんへ
返信しました。メールは放置しているもので、対応が遅れ申し訳ありません。あのアドレス(ブログで紹介していたもの)はおそろしく使い勝手が悪いので、この機会に破棄します。ご諒承くださいませ。
澤あづさ様
ユーザーくん様
貴重なご意見を有難うございました。
私も以前に、不治の病に罹っている方にそうとは知らずかなりきつい言葉でコメントしてしまい、後になってひどく後悔したことがありました。
他の方々に同様な思いをしてほしくないと考え、今回の騒動を機に、このような投稿をさせていただきました。
今後、B-REVIEWがより良いサイトになることを願っています。
ところで、私の文章ってポエムっぽいですか?
冷静に見て澤くんの批評?文のほうがよほど精神的に問題がありそうにみえるがね。
たとえば
「変質者」という語句が文芸用語や精神病理学の分野にあるかどうか知らないが、
この語句の意味があまりにも大雑把で、かつ主観的な悪意や憎悪を対象に向けて鬱憤を解消
することに使われていることが世間では多い点で
冷静さを欠いている、ということは、ここの人たちにはどうやら見えないようだけど
わたしには見えている。
恥ずかしいと思わないで堂々と「変質者」などという言葉をこのささやかとは言え
文学を共有する空間で使うような人物が冷静に批評など書けるわけがない。
一事が万事というつもりはないが、澤氏の批評?を俯瞰してみたところほとんどが
そのような一種の憎悪感情が反転したような熱病に取り憑かれたような文体やことばで書いている。
自己を失っているというつもりはないが、批評も文学表現の一分野で芸術であると
わたしは考えている。それならばあまりにも醜い所業に映るのだけが。
他人を「変質者」とこき下ろすのはたやすい。しかし批評などをやっているつもりの
御仁がその言葉を使うことの危うさになんの危機感も抱いていない現場を見ると
失礼ながらしょせんネットの、とくのこのビーレビのようなサイトの自称批評家の
程度の低さにがっくりするね。
ユーザーくん
あまりむつかしい議論するなよ。
おれのような知能の弱い人間にはこんがらがってしまうじゃないか。
笑
澤とユザーくんの二人はたぶん冷静に理知的にかつ論理的な
対話をしているつもりだろうけど、
理知と論理を振り回しているつもりのくせに裏に曖昧な用語にかぶせて
憎悪や怒りがはりついているとね、それを一種の狂気とみなされる
こともあると自覚してほしいね。ちっとも冷静でも理知的でもないよ。
澤さんへ
返信ありがとうございました。
頂いた内容に対して返信しましたが、メールアカウントを破棄されるとのこと、
届いていないかもしれませんね。
m.tasaki様
残念だが、厳しさや立場の相違であるとか、そのようなレベルの話ではあり得ない。いかいかは多数のユーザーに誹謗中傷を繰り返し、様々な代の運営複数人から幾度もカードを切られた。
過去の運営者達は、現運営とは違い優れた判断能力を有していた。だからこそこのサイトがあった。
厳しい批評をするユーザーは大勢いたし、それを受け落ち込むユーザーも確かにいた。だが仮に批評であるならば、幾ら厳しかろうがカードを切られることはなかった。
代々の優秀な運営者達が、批評(酷評含む)には当たらない悪質行為だと判断をしたからこそ、いかいかに対し何度もカードが切られた。
このような経緯により、過去の運営者や一般のユーザーが意見をしている。真っ当な意見には回答もしないし、過去誹謗中傷したユーザーや関係者への謝罪も行われていないのが現状。提案はご尤もであり、この惨状が残念だ。
匿名ちゃんへ(中2の男の子と仮定して返信する)
わたしも華麗な罵倒あしらいには憧れるけどね。常識で考えて、「わけのわからない相手に粘着され、凶悪な女性蔑視を含む執拗な侮辱を浴びせ続けられ、なん度どのように訴えてもやめてもらえず困っている女性」が、冷静でいられるわけないでしょ。通りすがりの赤の他人が冷静になれなんて説教するほうが筋違いでしょ? この常識が軽視されてるから世間では、被害者に冷静になれ泣き寝入りしろとか説教したがる、いわゆる二次加害者があとをたたないわけよ。このサイトでもね。
わたしの一部人物評(変質者呼ばわり等)は、そういう問題意識のうえで「被害の実態を精神面からも明らめる」ものだ。それがきみの気に入らないのはきみの自由、きみを喜ばせるために書いてないから当たり前。この多様性をきみが受け容れられず、わたしに口出しせずにいられないのは、ひとえにきみの問題であってわたしには責任を負えない。迷惑だから粘着しないでね。わたし以外のどなたにもね。
●m.tasakiさんへ、ユーザーくんさんへ
申し訳ありません。的外れかもしれませんがお詫びさせてください。(おふたりとも強靭な罵倒耐性をお持ちと勝手にお見受けしましたが、だからといって自分への罵倒に巻き込みご迷惑をかけてもかまわないなど、わたしは微塵も思っておりません。)
●北さんへ
ご連絡ありがとうございました。ご返信を確認し、その内容を理解し諒承しました。諒承では不充分でしたら、ブログにあらたに公開した別のアドレスへ、再度ご連絡をくださいませ。
このサイトに「変質者」がいるというユーザーくんと澤の議論。
仮に不愉快な相手を誹謗するにしてもあまりにあまりだ。笑
m.tasakiさん
私としては、あなたが、話題の主たる要素となる概念を、「厳しさに、耐えられない」としか呼んでおられないのを不便に思いました。できれば、そういうコメントをあなたは何と呼ぶのか、名指して欲しかったです。
そこで、少し揶揄してポエムっぽいと書いてしまいました。でもどうだったか考えてみると、私のその言い方もあまり適切とは言えないかもしれないですね。
説明しますと、なんか、ユーミンの歌詞に、「優しさに、つつまれたなら〜、(きっとー、目に映るすべての事は、メッセージ)」ってフレーズを連想しまして、「厳しさに、つつまれたならー」と、私の頭の中に歌がリフレインしたのですが、それは私の勝手な反応でして、あなたの言葉に対する一般的な反応としては想定できないかも。
ユーザーくん様
丁寧なご返事をありがとうございます。
なるほど。ユーミンの歌詞から来ていたのですね。それをお聞きして少し安心いたしました。
この投稿につきましては、今回の騒動のごく一部の面にしか言及していないことは自覚しております。
ただ、我々一般利用者が今後、このサイトを良くするためにできることの一つとして提案したかったのです。
認識の不備をご心配していただき、ありがとうございました。
tasakiさん、ありがとうございます。
ご理解頂けて、幸甚です。
私も遅ればせながら、少しづつあなたの問題意識がわかってきました。
ところで、あなたがご自身を悪しき一例にして提示した「アレ(結局、それを「酷評」と呼んで良いのかどうか)」について、私、自分自身は専門外です。
ではあるものの、私以外の人の技術的な知恵を見たことがないわけでもないことに思い至りました。世の中、専門家は居るものですね。
いくつか、そうした技術的な知恵の例を、紹介しますね。
私が過去に参加した、ある合評会には、
・少なくとも1つ、その作品の良いところを取り上げて、それについても述べること。
と、いうルールがありました。思えば賢い工夫です。このルール作ったひと、付き合いの長い詩人なのですが、すごく賢い人なのですよ。
これは、コメントする側が、作品への理解が浅いままで語ってしまうことを自戒するのに、有益な技術と思います。
また、
・なるべく、他の人が指摘したこととは異なる点について述べること。
と、いうルールがある合評会が、私の知る限り3つあります。寺西さんという方の影響を受けた人たちに継がれた方法論と思います。
これは話題の拡がる、楽しい合評を誘発するための工夫ですが、無責任な附和雷同により、吊しあげ状態が起きることを予防します。
・作品については語るけど、詩人個人の思想、信条、生活等の「考え」については口を出さない。
という事が、ルール化してる合評会もあります。この数年、私はそれに毎月参加していています。
他にも、経験豊かなフォロー役が、1つ上の立場から座長を務める、という合評会もありますね。
これらは技術論です。
あなたや私の詩論がどんなものであれ、守ろうと思えば、誰でも守れるルールですし、どの方法を採用するか、選択できるタイプの事柄と思います。
付け加えまして、文学論としては、
「批評する人は、自分の課題や理想を、他人(批評される作品の作者など)にやらせようとしないこと。」
と、いうことではないかなぁ、と私は思います。
あなたのケースでは、相手の方は時間がなかったのかもしれません。
でもそのケースに限らず、自分がいつ死んでしまうにせよ、他人の詩論や他人の課題で詩を書くほど、それほどまでに莫大で空虚なヒマのある人なんて、あまり多くは居ないでしょうからね。
(ちなみにランボーはボードレールの詩論と課題を実践したかも知れない、などの事例はありますが、それの場合も、ボードレールがランボーに方法と課題を押し付けたわけではありません)。
それはともあれ、脱線ですけど、ユーミンのメンヘラ度って、あらためて凄い。
中島みゆきとかと比べて、だいぶぶっ飛んでますね。
厳しさに、つつまれたならー
きっとー♫
目に見えるうー
すべてのことは、
メッセえージー♫
イッてるなあ(๑´ڡ`๑)
ユーザーくん様
ご返信ありがとうございます。
その作品の良いところを少なくとも一つは述べること、他の人とは異なる視点で評すること。
そういう手法もあるのですね。勉強になりました。
また、作品を評しても作者個人の信条や思想などには口を出さないことや、自分の理想や課題を人に押し付けないことなどは、気づかぬ内に無意識にやってしまいそうで不安です。
今後コメントするときは、それらのことを常に意識して行うようにしたいです。
尚、ユーミンはあまり聴いたことがないのですが、機会があったら聴いてみようと思います。