作者様の作品のコメント欄を汚して迷惑をかけるようなことはしたくないので、この場で抗議します。mooo氏の「日常」という作品におけるコメントのやりとりに関してです。

この作品について渡辺八畳氏は「くどいまでのリフレインが意味をなしているかどうかは一度冷静に考えてほしい」とコメントしています。

そもそもこのサイトのガイドラインでは、「一言コメントでの酷評はしないこと。批判的な評を書かざるを得ない場合、作者や場に資するように配慮して書くこと。」とありますが、このコメントはそれに準じているのですか?酷評OKのタグが付いるから、「くどい」みたいな、それこそ「一言」じゃないからOKなのですか? そういう問題なのですか?

あの、だったら一体なんのために「一言はやめましょう」というガイドラインを設けているのでしょうか?

さらに、そのコメントに対してmooo氏がその指摘を認めた上で、こうコメントしています。

「くどいですね。でもそれが自分のスタイルなので。
むしろ繰り返す事によって意味を持たせたいとか、文字だけじゃなく音で感じたいとか思ってます。」

それに対する渡辺八畳氏のコメントは

「酷評OKつけているのだし、さして目新しくもないしレベルが高いわけでもない「自分のスタイル」に固執、否その言葉に逃げていることや、リフレインという技術がその巧拙を関係なしにすぐさま効果を成すと思っている誤解を叩いてもいいわけだけど、まあそんなのに時間取られてもね。

とりあえず、ムーンライダーズの「僕は走って灰になる」(https://www.youtube.com/watch?v=sQ_Zqf_Wgkg)を聞いてほしね。リフレインによって重厚さが増していくってのはこういうことであってさ。」

これがこのサイトで言う「批評」ですか? 作者に対して「酷評OKつけているのだし(それは、なのに文句言うなってことですよね)」「さして真新しいわけでもないし」「レベルが高いわけでもない」「自分のスタイルに固執している」「リフレインが効果をなすと誤解している」と、ここまで内容的にはすべて「一言」にすぎない(なぜなら渡辺氏がそう感じた理由をひとつも述べていないから)作者への「酷評」を書き連ねる意味はあるのでしょうか。

このコメントはただの一例に過ぎません。僕はこのサイトにきて、渡辺氏を始め他にも何人かが同じようなコメントや(本人曰く)酷評(のつもり)をしているのを何度も目撃しています。正直なところ、このサイトは一度「他人の作品にコメントすること」について全員でしっかり話し合った方がいいんじゃないかとすら思います。批評がとうとか、酷評がどうとか言うレベルの話じゃない。

とりあえず、渡辺八畳氏が「人の作品にコメントする」ということを一体どう考えているのか、見解を知りたいです。「何を言おうが俺の勝手だろ」というなら、このビーレビューという場はただ口が達者な人たちによる殴り合いの場でしかなくなってしまうでしょう。そんなのをこのサイトは目指してるのでしょうか。

  • : 哀愁亭