お久しぶりです。旧運営の花緒です。改めてですが、運営、いつもありがとうございます。
本日は、一点、批判を書かせて頂くことをお許しくださいませ。

このところ、ビーレビューに関しては、様々な形でカンパの表明があるものと理解しています。なぜそうした動きがあるかということに対する私なりの理解を前段として書いておくと、皆さんの運営手腕に対する支持というのが一つ、そして、より根本的なところでは、この場がオープンであることが重要な要因になっていると考えています。

皆さんもご存知の通り、私たちが運営を退いた際、運営を引き継がれる方に関しては、一切の審査や条件付けなどをしませんでした。手を上げて下さる方がいれば、問答無用でお譲りします、という形をとりました。

お譲りする際に申し上げた通り、システムやルールなど、最低限のインフラが整備されていること、また荒らし体質からは一定の脱却が図られれていることから、誰がやってもそれなりに回るという理解がありました。しかし、それ以上に、この場がオープンな場であり続けることが重要であるとの考えのもと、手を上げさえすれば誰でもできるということを徹底したかったのです。

皆さんへの引き継ぎの過程で、手を上げさえすれば、誰でも運営に参画できるということが、運営内外にたいして、完全に明らかになりました。いつでも参加しようと思えば、参加できるオープンさが、ビーレビューに対する強い支持の根幹にあると思っています。

こうした点も踏まえ、私としては、名指しで失礼ですが、運営者の渡辺八畳については、大変不快であり忌々しく思っています。先般、ツイキャス放送において、本来出席予定の方が体調不良だということもあり、私に出演オファーがありました。

その席上で、私は質問に答える形で、私なりのアイデアや意見を述べました。こうした意見の多くが、運営者に向けたものではなく、むしろより多くの中間層の参画を呼びかけるものであったのですが、渡辺が、席上、企画書を書いて持ってこい、書面でかけ、書面で書かないと、俺が忘れるので、といった不遜きわまりない発言が連続して行われました。

こうした渡辺の発言に対して、さすがにそれは傲慢だと思う、と発言したところ、その後、口だけのやつは失せろ、というような趣旨の発言が為され、反論したところ、議論は強制的にブロックされました。その後、三浦氏が別途、話し合いの場を設定しようとしましたが、渡辺が「えーやだよー」など幼稚きわまりない言い回しで、場の設定を拒否しました。

わたしは旧運営の中でも、声が大きい方だと思いますし、時として、厳しい物の言い方も辞さないところがあり、場合によっては激しくやり合います。そうした中で、半ば無自覚に、「書面でかけよ俺が忘れるから」というようなやり方で、自身の運営の権威性を主張したくなる気持ちもわからなくはありません。一応、運営を継いでくれているのだから、これくらいは見逃して上げてもいいのではないかということも思わないではありません。

しかし、先般の3,000字問題の時もそうなのですが、私への敵愾心が、婉曲的な形で表現されていることに対しては、忌々しく思います。私の主張内容そのものを否定するということであれば、清々しいのですが、「書面で書け」というような言い方で、稚拙な方法で私に敵愾しようとしているとしか思えないのです。
ー 3,000字については、私への荒らしコメントを端緒に、私の投稿を実質的に封じる規定を作ろうとするなど、幼稚なやり方で、自分の権力をアピールしたいというモチベーションを感じました。

俺は運営なんだから、(俺に言っていることでなくても)俺のために書面で書け、というようなスタンスが、この場のオープンさに反するものであることは言うまでもありません。しかし、私は一投稿者ではないと思うので、この点については、一応スルーして上げてもいいような気はしています。

より本質的なのは、渡辺がこれだけ無礼な態度をとっておいて、その後の議論を一切拒否したことです。オープンであることを担保するためには、議論が生じた際に、くねくねと逃げ回る態度は否定されなければなりません。こちらの指摘にまるで答えないと言った態度でくねくねと逃げ回る人間に意見を述べ伝えるためには、こちらも粘着的に議論を続けるという方法を取る以外に方策は無くなります。

3000字問題の際にも思いましたが、渡辺の議論の姿勢は適切なものとは到底思われない。時として、議論が平行線を辿ってしまうこともあり、強制的な手段を講じなければ話が終わらないというケースがあることは認めます。しかし、そもそも不適切な議論の姿勢であるが故に、議論が噛み合わないのではないか。また、本件に関しては、言いたい放題、無礼をやっておいて、相手が怒り出すや否や、お前とは議論しないというスタンスですから、そもそも、議論するという高尚なレベルにさえ至っていない。

渡辺という人間が、最低限の礼を逸していることさえ気づけない幼稚さを抱えたまま、社会人になってしまった可哀想な人物であることは、半ば明らかですが、私が何より気にかかるのは、運営の中で、渡辺に対する牽制機能が殆ど発揮されていないところです。

現状、運営をめぐる議論などは特段発生していないので、すぐに問題が顕現化することはないのでしょうけれど、今の運営陣は、何かあった際に、まともに議論をできる体質にあるのか強く疑問に思います。
ー なお、余談ですが、文学極道においては、何か投稿者が意見をいうと、フォーラムで書け、ちゃんとトピックを立てて書け、など、いろいろ注文をつけた上で、一定のネグレクト期間を設けた上で、杓子定規の回答を返してお茶を濁すやり方が一般化しているようであり、私としては大変憤るところがあったので、B-REVIEWの運営に参画しました。渡辺のやり方が跋扈するようでは、早晩、文学極道レベルの対応しかできなくなり、一見平和でも、信頼や支持を失っていく結果となるのではないか。それは、何より残念です。

以上の通り、苦言を呈させて頂きます。長文失礼いたしました。
なお、これまで皆さんからの要請を受けて、バグ対応などをやってきましたが、半ば嫌がらせとも取れるレベルでの無礼を受けている状況ですから、私の支援など一切なくとも、渡辺の行動力などにより、より良いサイトになっていくのでしょう。半分嫌味ですが、そうなればいいなとも思っています。

引き続き頑張ってください。

花緒

「運営への苦言」に10件のコメントがあります
  1.  旧運営の方々、現運営の方々、このようなすばらしい文学発表、批評発表の場を生み出し、そして生み出し続けてくださり、ありがとうございます。
     運営という実際的能力に私は深い尊敬の気持ちを抱いております。

     ツイキャス放送というメディアらしいものを私はまったく知らないのですが、このたび花緒様の文を読み、何か不安になってきました。

     私が不安に思うことは、やがてビーレビが消えてしまうのではないか、ということもあるのですが、もう一つ大きいのは、花緒様の文を読む限り、そこからは文学の香りがしない、ということがあります。花緒様を批判しているのではありません。ビーレビを批判したいのです。先にも書いたように、私は運営という実際的な能力を尊敬する者ですが、一方、ビーレビからは諸々の文芸誌から感じられるような文学的な香りがあまりしてこないと感じる者です。

     政治だけの世界、経営だけの世界を見ているようです。まるで権力闘争、人事抗争を見ているようです。しかも、政治や経営の世界でも実現されているような議論の方式がまだビーレビには確立されていないようにさえ感じられます。

     また、オープンという言葉から私はデモクラシーを思います。それはたぶん望ましい原理であり形態でしょう。デモクラシーまでは行かなくとも、せめてビーレビにかかわる人々の全員が平等に扱われて、その人々の間での議論は真摯におこなわれるべきでしょう。

     ここにフォーラムという場があります。花緒様がここに文を投稿したことは正当な、大変意義のあることだと思います。旧運営、現運営、ユーザーが平等の権利をもって議論できる場になり得ることを示し始めているような気がするからです。

     他の場やメディアに議論の場を分散させるのではなく、このフォーラムを議会として使用するのが良いと私は思います。議会です。文学極道のことを私は知悉していませんが、Staffという者がいることは知っています。ビーレビはそんな者がいなくても存続できると思います。

     花緒様は、文を、「引き続き頑張ってください。」と終えていますが、そうではなくて、引き続き花緒様もこのフォーラムに出席してください。

     以上、渡辺八畳@祝儀敷様についてはあえて言及せずに、実務能力のない一ユーザー、一人の文学を愛する者として、私の理想を書いてみました。他のユーザーの方々も何か書いてくださることを期待して、文を終えたいと思います。 

  2. >南雲 安晴さん

    小生の尾籠な拙文にコメントを寄せてくださり、有難うございます。
    南雲さんのおっしゃることに対して、私なりの見解を述べておきます。

    ①運営に文学性を感じない点について

    子供の喧嘩のような話を書くな。そこに文学性はあるのか?という批判として受け止めました。
    そのように解釈すれば、おっしゃる通りという側面しかなく、お目汚し失礼しておりますとしか言いようがありません。

    他方、ビーレビューの運営に文学性を感じない、という、表意をそのまま受け取ると、それは、当サイトへの無理解がベースになっていると思います。
    無論、それは貴殿のせいとは言えません。
    以前は、当サイトのコンセプトについて、詳細なものを掲載していたのですが、現運営はそうしたものをデリートしており、また、新しいものを掲載している訳ではないからです。
    ごく短い説明文はホームに掲載されていますが、それだけでは、新しく参入した方にとっては、この場がどういうセンスで運営されているか、理解する術は乏しいでしょう

    現運営が何を考えているかは分かりませんが、先進的なスタートアップカルチャーを導入し、ネット詩をアップデートするのが、この場のコンセプトだったかと思います。
    その意味では、明晰であること、論理が整っており、反論したければ、反論しやすい構成で話すこと、嘘をつかないこと、嘘を内面化しないこと、実験的であること、などが運営者として重要な資質であり、「文学的」な、曖昧性を残した振る舞いはむしろ否定されるべきというのが私の考えです。

    無論、南雲さんのおっしゃる「文学的」は、上記、私の論旨における文学的とは違う意味で使っていらっしゃるのでしょうから、
    必ずしも議論が噛み合っていないことを了知した上で、上の文を綴っています。
    要するに、議論の前提があまり整備されていない状況があると思っています。

    ②オープンとデモクラシーについて

    オープンであることと、デモクラシーは全く別の概念であることは、思想的に見ても明らかであり、繋げて語ることには、違和感を覚えます。
    参加したいと思う人間が参加できる基盤が整備されていること(オープンであること)と民主的であることは違います。
    運営にかかる責務や労務を担う気がある人間と、一参加者の意見が、平等に取り扱われる必要は私はないと思っています。
    他方で、議論については、広く開かれているべきだと私は思います。
    平等な権利を持った議論、というよりは、公正な議論ができる素地があると良いのであろうというのが私の考えです。
    無論、渡辺などが何を考えているかは私には分かりません。

    ③その他

    小生の拙文にコメントくださったことに関しては、感謝申し上げます。
    他方、「引き続き花緒様もこのフォーラムに出席してください。」という一文については、頂けないと思っています。
    私が、南雲さんに、「では、私と同じように、バグ対応やそれにかかる出資をしてください」とは言わないのと平等に、
    南雲さんも、私に指示や命令を行う正当性を有してはいないのです。

    以上、思ったことをつらつらと書いて見ました。
    重ね重ねですが、返信をくださったことを感謝します。

  3. 花緒様へ

     丁寧な返信をありがとうございました。
     感触としては、だいたい論駁されてしまったという感じです。
     しかし、花緒様と私との間に、対話が成り立ったとは言えるのであり、うれしいです。
     ここに再び題目を提起できるほど私の思考はまだまとまっていませんが、花緒様の言われたことは、時間をかけて消化し、今後の私の思考の糧にしようと思います。
     
     なぜ花緒様と渡辺八畳@祝儀敷様との間に、このような対話が成り立たなかったのか不思議です。

     再び言いますが、私は運営という実際的能力に深い尊敬の気持ちを抱いております。

     今後もビーレビの一ユーザーとして、作品制作・投稿をしていきたいと思います。
     ありがとうございました。

  4. ごく最近投稿するようになった新参者です。
    (過去の経緯やツイキャスなどはまったく分かりません)

    この場に便乗してなのですが、
    HPのコンセプト文などは、もうちょっとあってもいいような気はしました。
    『どんどん柔軟に変化していく』意思は感じますが、
    どう変わっていくのか? どう変わってきたのかプロセスが見えにくくは感じました。

    歴史というのはブランド構築には大事かと思いますし、
    それを参加者に共有してもらうことは、コミュニティ形成においても有用かと思います。

    基本的には楽しく利用させて頂いており、新旧運営の方々には感謝しております。
    今後の発展を祈っております。以上、新参の雑感でした。

  5. 八畳です。

    いまリアルのほうがバタバタしっぱなしなので返信までこぎつけません
    明日以降になると思います

  6. 花緒さんと渡辺さんに言いたいことをこの場を借りて言わせてもらえれば

    お二人の不遜な態度には不遜な態度で繰り返し、そしてそれを第三者に指摘されても改めるつもりの言葉はないことが不思議です。

    そして、お二人の感想やルールをはみ出してしまった者たちへの対応がビーレビューは罵倒や人格否定から脱却されたサイトとして謳い文句につられて来た参加者としては疑問に思うことが今までに散見されてきました。

    まず管理者同士なら罵倒を繰り広げてもよいのか、ましてや人格否定を肯定するともとれる発言はこれはルール違反ではないのか
    明らかなルール違反者。
    そこには、はいかいいえしか答えはありません。

    君達はそのことにたいして言葉を練り躍起になり自分達の行動を肯定するのかもしれません。
    ですが管理者と元管理者が率先してそういった態度をこれからもくりひろげていくことに私は罵倒や人格否定のないサイトつくりなどできやしないだろうと信じます。
    それは会社であれば上の者がコンプライアンス違反を常習しているのに下の者には守らせることなど不可能という経験による確信です。

    あらし対策に手間がかかるでしょうが
    おふたりのそのような態度がすべてとはもうしあげませんが、あらしを呼ぶ一因ではないでしょうか。

    おふたりの態度はビーレビューの理念に集まった参加者に対して嘘をつく態度であり、やがてオープンな場をクローズにさせるでしょうね。これは後回しのできぬ即座に改めるべき問題だと私は思います。

  7. ご指摘、ご批判有難うございます。
    中々にして、耳の痛い批判ですが、以下のとおり回答します。

    <1>ルール違反者に対する対応について

    指摘は2点あると思うのですが、まず、ルール違反者に対する厳しい批判、不遜とも言える態度、は私は全く構わず、嫌われ者を買って出てもやるべきという立場です。荒らし行為に対しては、厳正に対応するというコンセプトを当初から明言し、実行に移してやってきました。
    ルール違反者であることが明確になった者に対して、対話を行うことや、慮ること自体が不適切である、というのが私の立場です。
    言い訳として書いているつもりはありません。現にそう思って、書いていますし、同様の内容の話は今まで幾度となく書いてきました。

    <2>管理者に対する罵倒について

    管理者には管理者であることに付随する権力が(例え、それがチンケなものであっても存在することから)管理者あるいはビーレビューそのものに対する批判行為、罵倒行為に関しては、ルール違反とは扱わないことを、少なくとも、旧運営下においては、幾度もアナウンスしています。事実、管理者を罵倒した、という理由でレッドカードを食らった人は一人としていません。
    その意味では、今回、私が掲載した苦言や批判を、罵倒、と捉えたところで、ルール違反なのか、と言われれば全くそうではないと考えています。

    こちらも言い訳として書いているつもりはありません。私も様々な形で罵倒や批判を浴びてきましたが、罵倒されたという理由でマナー違反を宣言したことは一度足りともないからです。

    纏めると、ビーレビューはマナーを重視するサイトですが、他方で、ネット詩をめぐる現状を鑑み、その限界についても、明確に規定してきた経緯があり、具体的には、<1>マナー違反者、<2>管理者、はマナーの対象外としてきたのです。
    マナー違反者、管理者に対する不遜な態度について、一向に改める気がないように見える、のは、確信犯的に行動しているからです。
    参加者を裏切っている気など毛頭なく、宣言したことをその通りにやっているのです。

    無論、異なる考え方がいることは理解しています。
    そういう方々が議論したり、忌諱したりできるよう、予め宣言をして、その通りやっています。
    それくらい、頑固な姿勢でやらないと、特に初期のビーレビューは成立しなかったと思っています。

    もっとも、「ルール違反」でなかったとしても、本件を含めて、管理者同士の批判等については、つまらないことが端緒になっているケースが多いことは恥じ入るばかりであり、その意味では、批判を受け止めるべきだろうと思っています。

    なお、当然のことながら、上記2点は旧運営者としての見解であり、現在のビーレビューの見解を示すものでないことを付言しておきます。とくに<2>などは、現運営が見直す可能性も感じますが、少なくとも、明示的なアナウンスがなければ、過去の考え方が適用されると看做して構わないでしょう。

  8. お世話になっています。運営のステレオです。まずは鈴木海飛様のご指摘、ご批判、そしてある種の危惧について回答させていただきます。

    まず一つ。罵倒や人格批判のないサイトとしてビーレビューは立ち上げられたのではないか、という点について。仰る通りです。ビーレビューの発足の理念は他サイトにはないものであり、それが当サイトを魅力あるものにしていたのは事実です。この理念については旧運営も新運営も継続して共有するということをここに表明させていただきます。

    次に二つ目。コンプライアンス違反を管理者がしているのにも関わらず、ユーザーがコンプライアンスを守れるわけがないという点について。この点も鈴木様に同意です。この件については多少の逸脱もあったことでしょう。その点議論が活性化する余りの逸脱だったとしても、今後さらに運営の一人としても、また運営の総意としても留意していきたいと思います。

    最後に私見ですが、運営者個人への罵倒はそれが人格否定や人格攻撃に及ぶなら、カードの発出までには至らないものの、なるべくなら少ない方がよいとのスタンスを私は取っています。

    それでは貴重なご意見、ご指摘ありがとうございました。今後とも発展途上にあるビーレビューをよろしくお願いします。

  9. 皆様

    運営として、かるべです。
    僕が話をする理由は2つです。

    1:「運営」論について議題に上がっているため
    2:渡辺さんが単純に精神的にきつくてフォーラムが見られないと相談を受けたため
    (クローズ期限までに返事ができなさそうなら、
    対応しますと個人的にかるべから約束を申し出たため。)

    このスレッドに関して、運営というものに対して”積極的”な立場を表明していないかるべが、
    (知らない方は、過去・現行コメントなどを追うことでしかわからないと思われますが、
    「3000字問題」という過去のやり取りの際に、かるべは、
    B-REVIEW内の動きしか概ねチェックしていないこと/運営の指針立てに関してあまり積極的に参加しないことを
    花緒さんとも話したかと思います)
    話をすることにご理解・ご容赦・対話いただければ幸いです。
    ーーーーー

    かるべは、
    ツイキャス放送を見ておりません。
    その上で、一応花緒さんの「苦言」内のコメントと
    渡辺さんのお話だけ確認した状態です。

    「双方の意見を聞きました」と言える程度とは思っていませんが、
    どうやら花緒さんにご意見をツイキャス内で尋ねた方は渡辺さんではないようでした。
    司会の方でしょうか?

    ここからは、僕の私見になります。
    「運営とは何か」を花緒さんが述べていらっしゃらないので、
    「運営とはかくあるべき」という意見が隙間隙間から見える状態に感じ、
    これが議題提起ではなく、「苦言」たる所以なのかという印象です。
    (分析してもいいのですが、ちょっとまわりくどくなりそうなので、
     そもそも感情起因の問題だと認識しましたので印象で進めますね。
     「運営とはかくあるべき」だなんて何も思っていない、
     運営は(そもそも人間というものは)こう議論をすべきだなんて価値観も
     持ち合わせていない、とおっしゃるなら、
     このあとは誤認識の上のコメントになるので、
     スルーしていただいて、そこから議論できればと思います。
     まわりくどくてすみません。)

    渡辺さんに関しては、おっしゃる通りの面もあると思います。
    そもそも怒らせることと、議論を白熱させることは違いますので。
    かるべはただジャッジする立場でもツイキャス視聴者でもないので、
    どっちが謝るとかは判断できません。
    ただ、感情の話は僕にはわりと問題ではなくて、
    本質的には、「運営」論かと思います。

    嫌味を言われた分量だけ返したくなるのは、
    いわゆるスルー能力の点でもあります。
    (作品を発表するということに、
     生きているという際に永遠に付き纏う感情でもありますが)
    今回は空気を読んで、同じ分量を返そうと思いますが、
    (「運営」論に関わる部分でしたので、)
    僕は花緒さんがおっしゃる「高尚なレベル」に「至っていない」人と話していてもなかなか怒りません。
    対話・議論の技術として「傾聴」「反復」「意図的な感情表現」「自己点検」などを用いることが、
    活きた議論のための行動となるからです。

    「運営」について、
    場を統制し、意見を受容し、議論を活性化・進行させ、礼節を重んじる、
    そのような理想を
    状況とコメントから読み取ってまいりました。

    これはなにも、
    花緒さんだけがオリジナルで持っている理想だとは
    かるべは思っておりません。

    そして、
    「運営をめぐる議論」と花緒さんが表記されたように、
    そこまで推し量り示してくださりつつ、
    あくまで「苦言」として、
    議論への積極的参加表明として認識されまいと牽制し、
    促そうとされている。

    それが、
    『「書面」に起こさない理由』だと感じました。
    これは、
    皆様誰しも、運営に参加できる、
    オープンプラットフォームに
    なぜ今の形で自身が携わっているのかの
    根幹です。

    B-REVIEWが、
    大事にしているものを、
    大事にすることは本当に難しいと思っております。

    5/12の花緒さんのコメントから読み取れるように、
    これは「スタンス」としての花緒さんの表明であり、
    (しかし、僕は反対に渡辺さんも言葉が悪いだけで
     「積極的に参加して欲しい、意見は発言する段階の
     一歩次に行くだけで実現へ簡単に動き出す」という風にも
     読み取れます。ただ、声色とか言葉の間とかを
     視聴していないので、曲解かもしれませんが。)
    本当は、
    全員がフラットに「運営」への「スタンス」を自認すべき、
    重大な議題だと感じました。

    なので、
    感情起因の問題としての側面に関しては
    かるべはなるべく触れずに、
    議論を促進したいと考えております。

    本当に当事者で解決できない場合の方法など、
    花緒さんは聡明な方なので持っているかと思いますので、
    感情のオブラートでフォーラム投稿を包まずとも、
    (と思いつつ、
     やはり、本当にただ怒っていらっしゃるだけだったら、
     僕のこれこそ曲解で、
     「運営」へのクレームというのが本質でしたら、
     もはや、
     なぜ、このB-REVIEWは誰でも運営に参加できる状態なのかが、
     ただただ謎として残るのですが)
    とも不遜ながら思いました。

    僕が「運営」をやめる気でいると(まだまだ具体的ではありませんが)、
    先日自作のコメントで示したのですが、
    一年弱「運営」として行動してきて、
    B-REVIEW内で、あまり詩の話・作品の話ができず、
    皆様、自身の「理想」が揺り動かずにいらっしゃって、
    精神力が削られている、という点があります。
    きっと僕もまたそうなっていきつつあるのです。

    それならば、
    花緒さんが提起してくださった、
    「運営」論について、
    しばらく議論ができたらと
    願うのです。

    僕は、
    各人が自動的に運営になるくらいの大胆さでも、
    よいのではと提案します。

    意見を集約し、動く運営、
    というのは
    一体、いつから意識に根付いたのか、
    それは集団行動の一つだったと思います。

    礼節を重んじるのは、
    大事にすべきだと僕も思いますが、
    礼節とはB-REVIEWにおいて、どういうことなのかを
    考えると、
    それは「高尚」かどうかではなく、
    「スタンス」の相違について、いかに積極的に向き合うか、かとも思います。

    とはいえ、感情は大事なので、
    僕は今回、渡辺さんの代わりに、
    「議論」の方で参加できたらなと感じています。
    花緒さんの感情も大事なので、
    本題が「議論」でなく「苦言」であるとしたら、
    かるべは引っ込むこととします。

    長くなりました。
    よろしくお願いたします。

  10. かるべさんへ

    私が想像したよりはるかに強いストレスを運営諸氏に与えてしまっているようで、申し訳なく思います。

    まず、運営論について、お話くださっているので、どこまで、かるべさんと話が噛み合った議論が展開できるかは分かりませんが、私論を述べることをお許しください。
    私はこの場の運営者というのは基本的にはボランティアと同義だと思っています。
    ボランティアというのは、道におちているゴミを拾ったり、地震のあと瓦礫や土砂を運んだり、というような一般的な意味におけるボランティアと同じ意味のことを言っています。
    道でゴミを拾っている人に対して、お前のゴミの拾い方はなってないぞ!と、怒鳴る人はいません。
    もし、お前のゴミの拾い方はおかしい!と文句を垂れる人がいるとするなら、その人はまともな市民感覚のない人です。
    真に文句があるなら、お前自身でゴミを拾え、ということでしょう。
    また、瓦礫や土砂を運んでいる人の氏や素性なども、問われることはありません。
    たとえ、犯罪者が、地震の後、土砂を運んでいたとしても、お前は土砂を運ぶな!などという人はいません。
    阪神淡路大震災の後、山口組系の暴力団員が炊き出しなどのボランティアをやっていたという話を聞きますが、お前がボランティアするな、という声を聞いたことはありませんし、万一、お前がやるな!という人がいたとして、そう思うなら、炊き出しを食べなければいい、代わりにお前が炊き出しをやれ、という話に過ぎません。
    何が言いたいかというと、本来、ボランティアである、ビーレビューの運営者を批判するなんて、トンデモない!という感性が私の根幹にあり、運営者になるための資格なんて一切必要ないと私は考えています。

    「いや、お前、先に書いていたことと違うではないか、管理者は批判や罵倒の対象とされるべきという論旨を鈴木海人さんへの回答として書いていたではないか」という声が聞こえてきそうなので、少し、議論を整理させてください。

    そもそも、ネット詩投稿掲示板の運営者には以下の3つの側面があるはずです。
    ①ボランティアとしての側面、
    ②権力者としての側面、
    ③選者としての側面

    ビーレビューが発足した当初は、①、②、③全ての要素が、概ね、発起人に備わっていました。
    ボランティアとしてだけではなく、場のルールをデザインし、遵守出来ないものには積極的にカードを出し、排斥すること(すなわち権力者としての側面)も十分に発起人には備わっていました。今では、カードの発出は一年に一回あるかないか、という極めて異例なものになっていると理解していますが、当時は、月に1枚くらいのペースで、カードの発出がざらに行われていたのです。
    どれだけ綺麗事を言っていても、②権力者としての側面がある以上、批判したい人はいくらでもどうぞ、としないとバランスが取れないような気が、当時はあったのです。また、嘗ては、鬼のように匿名掲示板で叩かれていたので、別に匿名に隠れなくても、直接批判して良いのですよ、としたかったのもあります。

    しかし、全員キュレーター制度の導入により、③の側面は、発起人に固有のものではなくなりました。
    また、②の側面も相当に小さくなりました。今や、運営者というよりは、皆さんはボランティアスタッフとでも呼んだ方が実態に近い気もします。
    少なくとも、かるべさんにおかれては、現運営発足まもない時期から、意思決定には関わらず、必要に応じて、意見を言うだけに止める、システム構築などできる手伝いだけをする、というような旨を、言明されていた記憶があります。
    その意味では、貴方はどうみても、もはや①ボランティアスタッフ、としての側面しかない。
    今回、運営をやめることを考えている、と書かれていますが、私としては、てっきり既に<運営者>ではなく、<ボランティアスタッフ>であり、一切の批判の対象からは免れるポジションに自己を位置づけられたものと考えていました。

    これが、私が、管理者は批判罵倒の対象となってしかるべきだが、今後ここは違う形で整理されるかもしれない、という旨を書いたことの真意です。

    この場を運営できる人間などいるのだろうか、というかるべさんの疑問に対しては、私は、この場はもはや運営者などいなくても、ボランティアスタッフだけで回るのではないだろうか、と思っています。

    ちなみに、現在の運営は、意見を集約し、総意として行動する、というものになっているのでしょうか。
    意見の集約方法にもよるのでなんとも言い難いのですが、あくまで私の私見ですが、と強調した上で、意見など集約する必要は一切なく、行動力のある人が好きなようにやれば良いのではないでしょうか。
    渡辺が言っていたことでもありますが、口だけ出してくる人間の言うことを聞く必要はありません。
    真に納得して、確かにそうやりたい!と心から思った時でだけ、自分の意思で行動に移せば良いのであって、納得していないのに、他人の意見に従う必要なんてどこにもないでしょう。
    かつて、現在の文学極道の夢沢氏にあれやこれや言われた際に、ではあなたがやれば?と返して、ブチギレられ、それを端緒に、散文作品を書いたのは、今ではとても良い思い出です。

    少し脱線しましたが、繰り返し書いておくと、ボランティアに、命令したり指示したり批判したり、本来とんでもないことです。
    にもかかわらず、発起人の厚意で、かつては、批判どころか、ボランティアを罵倒したっていいんだよ、と言っていたのです。
    金を出して、労働を提供して、その上で、罵倒してくれたっていいんだよ、と言うクレージーなまでの厚意を提供している中で、その上でなお、批判や罵倒を通り越して、<荒らし行為>や、気に入らないことがあった際に係争にしてやるぜ!と凄んでくるような<暴力的な行為>に及んだ人間は、さすがに、出て行ってくれ、とレッドカードを発出していたわけです。

    こういう背景となる論理があるから、マナー違反者に対しては、私は、ひたすら無慈悲に切り捨てることが出来たのですが、
    もはやカード発出は運営の仕事の中核にはないわけですから、あらゆる運営者=ボランティアスタッフと見るのが、適切で、むしろ、運営の仕事をやっているのだから、多少は多めにみてやれ、批判してやるな、が妥当なところに落ち着きつつあるのではないでしょうか。事実、匿名掲示板を含め、ビーレビューの運営者ってもはやほとんど批判にさらされていないですよね。

    ここまで書けば、ある程度私の感性は伝わったのではないかと期待しますが、
    (「現運営」にかるべさんを含んでいるのかどうか、私は知りませんが)
    もはや私はこの場の投稿者でさえないので、運営に対して、何も言いたいことや要求したいことは何一つありません。

    私は、直接何か言われたら反応しますし、何も言われなければ何もしません。
    直接名指して寄せられた疑問や批判はスルーしませんし、逆に、3,000字ルール以降、自分が手伝うこと以外は、全部、スルーでやってきています。
    もし私の認識が間違っていたら、ご指摘ください。

    今般は、あくまで、依頼されたので、ツイキャスに出演し、盛り上がるようにと思って、私見を述べたのみです。
    その場において、直接、批判されたので、反論しました。
    批判しておいて、反論したら、スルー力が君にはない、という論旨を展開するのは、批判した人間の使うべき論理ではないと思ったので、苦言、を書いたのみです。
    それらすべてが、渡辺ー花緒両名の誤解と出来の悪さに起因するものであろうことは、誰の目にも明らかですよね。
    基本的には犬も食わないような、感情的な話であり、私の書いたことは、苦言、の域を超えるものではなく、議論や対応を求めるものではありません。

    かるべさんの論点を漏れなく適切にカバーできているかは分かりませんが、一旦、この辺りで筆を止めます。
    続けたければ、いつまでも続けますし、続けたくなければ、いつでもスルーいただいて結構です。

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