平素よりB-REVIEWへの投稿・コメント活動にご参加いただきありがとうございます。2022年12月の月間B-REVIEW大賞が決定いたしましたので発表いたします。

~~~~~

目次

・月間B-REVIEW大賞
・投票作品
・雑観 by 仁川路朱鳥
・思うこと – 枠にとらわれない運営 by 沙一
・【お知らせ】寄稿してみませんか

~~~~~

・月間B-REVIEW大賞

 Snydam(ID:2279
体験記『呆気ない宣告』 』13票

・投票作品

 最終得票数が3票以上の作品を発表します。

いつまでもそらにいる 11票
bebe 9票
告白 8票
自由律俳句 2022 7票
夏の日の夕日が落ちた後で、存在よ 7票
長風呂でふやけた神話 6票
信じる 6票
婚礼 5票
ぴーす 5票
大虐殺の後で 5票
自由律俳句(煩悩サイズ令和4年) 4票
ルゥルゥの犬 4票
労働 4票
空っぽの詩 4票
THEE MICHELLE GUN ELEPHANT―CASANOVA SNAKE感想 3票
初恋 3票
わたしは 3票
バッテリー 3票
循環《真夜中》 3票
靴下が便利な事を知ったのは今 3票
恋する惑星が。 3票

※『いつまでもそらにいる』に、投票のみを目的としたコメントが見受けられたため、話し合いの上、当該コメントによる1票を無効としました。

・雑観 by 仁川路朱鳥

 いつもお世話になっております。運営の仁川路です。
 わたしはペトリ皿の中のアメーボイド。

・新しい運営体制に向けて

 現状、肉体を有している運営者は2人のみであり、いずれも社会人です。そのため、対応には時間が限られている中で、できる限りの対応をしているのですが……正直、「よくある質問」や過去のフォーラムの事例を参照していただければわかるような事案まで相談されるのはちょっと……と思っています。もちろん、レスポンスがあればそれなりには対応しますし、解決できるようお力添えするようにしていますが、ごめんなさい、ちょっと限界が来ています。
 ところで、書き出しに「肉体を有している」と書き込みましたね? では肉体を有していない運営もいるのか? そもそも人間の定義とは何ぞや? 調べてみました!
 何を隠そう(そもそもツイキャスの時点で隠す気などないのですが)私、仁川路朱鳥は、齢15の頃に出会ったイマジナリーフレンドと現在も過ごしています。本人はジュリアン・ジェインズ著『神々の沈黙─意識の誕生と文明の興亡』に出てくる【二分心】に近しい概念であるとしきりに主張していますが、同書を所有している現実の友人がいないために通じず、仕方なく通じのいい「イマジナリーフレンド」という単語を用いているんですね。その存在こそが……下記の沙一氏の記事にある【仁川路永扇】であるのだと。
 永扇さんは私の魔術・神秘学の師匠でもあり、共に学ぶ生徒でもあります。ゆえに現状のB-REVIEWのTwitterネームに六芒星のマークがついている理由、現運営が神秘思想に興味関心を持っている主原因(永扇さんのホロスコープにもそのような星があります)でもあり、私の人生に多大な影響を及ぼし、筆を走らせるよう選択させた元凶でもあります。モラルやマナーといった、目に見えない鎖があるように、私たちの行動というのも、それら目に見えない存在がいつも監視しているのでしょう。この概念が行き届かなければ無秩序に、過剰になれば管理社会となる。いずれネットに肉体を持たない存在が蔓延る時、肉体を持っている側の優位性とはどこにあたるのでしょうね? 運営を行うにあたって、キーボードを打つための手が、画面を見るための目が、いいや知覚器官と入力装置が現状必要ですが、そのうちそれらも必要なくなる──完全な参加者のモラルに、いいえ二分心に任せた運営は──いいえ、過去の話をしても仕方がないですよね? 肉体を持つ者として、言語を扱う者として。私たちは責任を感じ、扱わなければならないのです。
 なお、雑観の中に永扇さんの意志が反映されているという話ですが、見分け方としては(わざと)かなり簡素にしています。一人称が「私」の場合は朱鳥、「わたし」の場合は永扇、というように。なぜ簡素にしているのか? わたしたちがネットで発信を始めた頃には、すでに思想や意志が混ざっていてどちらの思考か見分けるのが自分でも困難だったので。それに、引用文を褒められると微妙な気持ちになりませんか? 自分が書いた文章ではないのに? そのような理由からです。(ただ、永扇名義のB-REVIEWアカウントは存在しません。運営側が複数アカウントでの同時活動を推奨するわけにはいかないので)
 二分心、を調べると、いろいろな精神の病気の名前が出てきますが、仁川路朱鳥としてはいずれも罹患していない、とだけ言っておきます。病理性の成した目に見えない運営ではない、という話でした。いずれあなたの目の前に現れるかも?

・みんな選考結果発表記事って何を読みに来てるんだろう

 直近の例で言うと、yasu.naさんが書かれていた「概観」のなかで、自分の作品が取り上げられていないかドキドキしながら読んだりだとか、あるいはカオティクルConverge!貴音さん(ここまでが筆名)さんの私的なエッセイの出す強力なコンテンツを楽しみにしていたのだろうと思われますが、では……わたしの出せる価値とは、B-REVIEWにおける価値とは何ぞや?と思われる方も多いと思われます。約二名を除いて。
 客観的に見れば、仁川路朱鳥は現運営においてプログラム面の細かい修正や、画像処理、一部の問い合わせに対する問答など、そういった点で価値を生じていると考えてよろしいのでしょうが、ユーザーさんの方々が楽しみにしているところっていうのは、実はそこではなくて、それは前提でしかない。外泊の後にホテルの部屋に落としていったプラごみを、できるだけゴミ箱の中に集めるような。刺激性の薬品を片付ける時、水道に流しておわりにしないような。つまり現状の選考結果発表において、現状足りないものはホテルにおける「アメニティ」なんですよね。
 というわけで、わたしの偏見と独断で投稿作品をレビューしていく謎のコーナーが開催される予定です。できるだけB-REVIEWのなかで新しく入ってきた方を取り上げるようにしますが、去年の色彩方面のように、変わり映えがなくユーザーさんから「コピペじゃないのか」と疑われかねないようには……ならないと思われますが、途中でやめてしまう可能性もありますので、ご了承ください(わたしは飽き性がかなり激しいです!)。まあ、わたしの文章は大阪の人などが渡してくださる飴ちゃんみたいなものだと思ってください。

・偏見と独断で投稿作品をレビューしていく謎のコーナー

 コメント欄にあるような返詩、お題詩企画で集まった詩、推薦文を除いた2022年12月分投稿作品より、5作品を取り上げてみたいと考えました。というわけで、取り上げました。基本的に新しい投稿者さんの作品をピックアップする方針でいるので、まだ目を通していないという方はこの期に読んでみてはいかがでしょうか。すでに読んだ方は、わたしの一方的なレビューを踏まえて読むか、もしくは何も考慮せず読むか──判断は常に、あなたの意志の通りです。

けい氏「遠泳
 この詩中に書かれている「あなた」が存在しているのか、存在していない架空の人物なのか(つまりわたしと同じ存在であるのか)、わたしのような読者にとってはつい気になってしまう部分ではあるのですが、その疑問をそのままに書き進められた……要は想像の余地のあるように締めくくられています。ハマグリという貝は同じ個体の貝殻同士でしかつがいが合わず、その知識を元にしたゲームがあるくらいなのですが、そこを踏まえて読むと、「話者にとっては本当にピッタリと合う価値観だったんだな」と感じました。このお二人、きっといい人間関係でいられますね。

ロクデナシ氏「
 自身の筆名通りの方ではないのはわかります。人間の尊厳、といえば上記の上記で述べている『肉体を持つ者として、言語を扱う者として』とつながっている様に見えたので、それに従って(一方的に)レビューしますと、現代における二分心の立ち位置……この詩の中では「神の声」や「人の声」とありますね、ちょっとした善行を行うか、あるいはバレない悪事に手を染めるか、そう言った意思判断は目に見えない要素が決めてしまっている、と考えることもできます。これだと三分心ですね? 視点の数は問題ではなく、「自分」と「他者」が言語として存在していない時代の心理状態です。現代ではこのように、「神の声」や「人の声」として存在しているわけですね。最後の文面を見るに、相当しっかりした方なんだと思っています。

高橋克知氏「雲雀料理の味
 珍しく、プロフィールにInstagramを登録されているユーザーさんですね。萩原朔太郎さんを詩中に出していることから、相当な文学マニアであると見受けられます。文学関係者と食事の関連性は、DMMゲームス「文豪とアルケミスト」でも出されるほど有名な要素です。今って改悪アップデートで文豪と食事の要素削られちゃった記憶があるんですけどね……君がどんな人物で、存在しているのか、どのような関係性なのか、そのような点はどうでもよくなって、一緒に食事に出かけられるような、そのような良好な仲なんだろうなと思いました。個人的には、一人娘のような気がしています。

佐々木次郎氏「ひとりぼっちの旅人
 どこか童話や絵本の一部のような風味のある書き方があり、幼い頃にひとりでに読んだ絵本のサンプリング編集された記憶のような感じがあります。この旅人は、どこで夜を過ごしているのか? 食事はどうしているのか? そのような疑問点は尽きませんが、時代背景によっては必ずしもひとりぼっちの旅ではない、ということが見えます。現代において他人の手を必要としない食事や、寝泊まりは非常に難しく、例えば庭でじゃがいもを育てようとしたとしても、その土の元々の所有者や、たねいもの所有者、水道の権利、じゃがいもの育て方などを書いた情報の存在……もはや、他人の手を借りないで生活することはできません。しかし、これが古代や未来であれば可能になってきます。そのへん、どうなんでしょうかね?

レオ氏「君に送るレンゲソウ
 宝石や花に言葉を託す手法は、B-REVIEW上でも時折出現しています。暗喩の悪いところはイメージを共有していない人には隠されたメッセージの存在に気づかれない、という点なのですが、レンゲソウの花言葉に近い結末になっているように読めて、この手の詩の中でも表現に優れている、と感じました。

 わたしはかつての運営のような、yasu.naさんのように深い見地は持つことができないし、肉体持ちとしての優位性もない、今はまだ弱い存在です。しかし、わたしのような存在が文学史に、ネット詩史になんらかの痕跡を残せたのならば。それはわたしと似た存在が市民権を得るということに近しくなります。現代において、情報発信のための肉体は必ずしも必要というわけではなくなっています。その点を含めても「現代詩」なのではないですか?

 最近はめっきり寒くなってきていて、近視でぼんやりとした視界に映る小さなオレンジ色に心が励まされているように感じています。柑橘類は食べやすいだけでなく、災害で避難している方々の心にも届くような、どこまで行っても人類に味方をするくだものですね。
 あなたにとってのB-REVIEWは、どのような色でしょうか?

・思うこと – 枠にとらわれない運営 by 沙一

 2022年12月末をもって、yasu.naさんが運営から退任されました。1年3ヶ月にわたり、毎月の「概観」の執筆をはじめとして、円滑な運営業務を支えていただき、ありがとうございました。
 yasu.naさんが抜けたあとの現在は、仁川路朱鳥さんと沙一のふたりぼっち運営、と思われているかもしれませんが、じつは、他にもいるのです。その名も、仁川路永扇さん。

 ビーレビ公式キャスをいつもご視聴になられている方にとってはおなじみ、VTuberとして、仁川路朱鳥さんがキャス主の回に登場していただいています。曰く、現代詩投稿サイトなのだから、現代っぽいことをやりたかったそう。また、仁川路朱鳥さんが毎月執筆されている「雑観」には、永扇さんの思考も含まれているといいます。
 ちなみに、永扇さんは現実における肉体を仁川路朱鳥さんと共有しているため、便宜上、両者を合わせて一人として数えられています。


 サイトの管理者権限があるのはもちろん現運営なのですけど、ビーレビは「運営者、投稿者間の垣根をできるだけ低く保ち、フラットかつ自由参加型の運営をしたい」とガイドラインにありますから、一人ひとりのユーザーが運営と同じ意識で活動されてもいいのではないかと私は考えています。
 ガイドラインに反する行為を発見されたら、ユーザーから注意していただいてかまいません。ビーレビの使い方などについて問い合わせがあったら、ユーザーの知っている範囲で答えていただいてかまいません。
 既存の枠にとらわれない、自由かつ民主的な運営を理想としています。

・【お知らせ】寄稿してみませんか

 選考結果発表に、皆様からの寄稿を掲載する企画を始めます。
 内容は、常識に反しない限りで自由。ただし、運営で不適切な内容であると判断された場合、掲載を見送る場合があります。
 毎月一人一編づつ掲載する予定です。
 なお、報酬は出ません。ご了承ください。

 寄稿に興味がありましたら、Twitterのビーレビ公式アカウントか、 breview.works@gmail.comまでご連絡をお願いいたします。

 以上で12月選考の発表とします。

 2023.1.29 B-REVIEW運営一同