多くの作品においては、どこかで作者がペンを持って原稿用紙に向かって詩を書いているということが感じられる。これが現代詩の19世紀以前の古典的なるものへのひとつの回答であり、現代詩とはそういうものなのかもしれないが、神の視点で詩を書くことも一興だと思う。

注)「多く」であって「全て」と言っているわけではないし、決めつけているわけでもありません。誤解される方は殆どいないとは思いますが、念のため。

“詩における作者の存在” に1件のフィードバックがあります
  1. つまんない奴がうじゃうじゃ湧くようになったな

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