・ビーレビの問題点
マナー重視過ぎのキライがあり批判しづらい
(肯定的であればあるほど、読み手としても善良(優れている)とされる風潮があり、サイトにとって有益なユーザーとみなされる→批評文などがその一例)
結果的に書き手は成長できず同工異曲の連鎖
常連になると(ビーレビ歴に比例して)作品の質に関わらず(直結せずに)、一定の評価を得られる→作品の質を上げることよりも、できるだけ知名度の高い(行儀の良い)ユーザーを目指すことが重要になっている
以上が僕の感じていることです
みなさんのお考えをお聞きしたいです
勘違いがあるようだけど否定的なコメントも肯定的なコメントもそれに根拠が示されているかでしかないよ。マナー重視てのは批判するにあたってなんの根拠も示さない輩がいるからでしょう。さらに批評文と言われているが推薦文ではないのか?
常連の作品については私も思うことがあるが、それならコメントにて匿名氏が感じた評価を書けばいいのではないか。結局、それが出来ないのは変な忖度や遠慮にあなたもとらわれているんじゃないですか。否定も肯定もルールに則り書きたいように書けばいい。
まだ印象論の段階だなあと。もちろん場の雰囲気ってのはあって、それは大概言語化されていないけれど、だからといって印象を印象のまま語るとそれが既定事実となってしまってよろしくない。具体例を挙げるべきですね。事例があるなら説得力を得るし、ないならそれこそ個人の感想。
まあマナー偏重は私も思うところがあったから運営時代にいろいろやったけど、かなり反発があって取り下げたりしたからなあ。当時は文学極道と対を成すサイトだったってのもあるが。
渡辺八畳さま
返信ありがとうございます。
>運営時代にいろいろやったけど、かなり反発があって取り下げたりしたからなあ。
ここが気になりました。
マナーをあるていど重視することは、荒れることを防ぐためですよね。ただ、やりすぎると、鍛錬の場ではなく、サロンのようになってしまう(書き手として通過するところではなく、とどまるところと化す)。
結局はバランスが大切なのだと思います。
通信教育や他サイトなどを色々利用しましたが、使い勝手(見やすさやサイトとしての性能)はビーレビがダントツで良いと感じました。
だからこそ、このマナー偏重はもったいないと思います。
まあ、そういう場所だからと言われればそれまでなのですが…プロや公募を本気で目指すのなら、やはり自己研鑽の道しかないのでしょうかね。
記事主さんが提示されたことについてはほぼ同感で、これについて様々ディスカッションされたり試行があったりしたのは渡辺さんが示されてる通りなんですけども、このビーレビの空間、今後は何が生まれるのかなってところがキモなことに思うんですよね。
現状のような、とりあえず詩書いたんで投稿します的な私も含めたカジュアルな参加者によるカジュアルな空間がはたして、どういうような人らに魅力があって、どういう人らは来ないのか、という。
子供たちの愚痴作文は読みたくないけれども、お小遣い少ない子が詩ぐらいしかクリエイティブなことできないって感じですげえ作品投稿してきたら、それはそれで一過性でしかないかもしれませんが、ビーレビも悪くないかなあ、なんて思いますよね。
でもそんな子らに魅力ある場所って、「子供はくるんじゃねえぞ」って尖った空気感ないといけないようにも思うんです。
繰り返されてきたテーマの記事ですが、定期的にこれはあっていいと思います。ビーレビの裏テーマみたいなものですから。
研鑽する場になればいいとは思いますし、概ね賛同できます。しかし、渡辺さんも書かれているように印象の段階でしかないですね。
本気でやるとしたら合評というもの事態について考える必要があるし、マナー(最低限の礼儀)を守りつつ出来ないのか?ということも考えるべきでしょう。またそれにはこのような場での問題提議に多くのひとが参加することで、ひとつの土壌と場が形成されるものだと感じます。そういう意味では具体的にまず匿名氏にそれを示して頂くのが妥当だと思います。批判とマナーガイドラインにある真摯なアドバイスが違うのか?など疑問もありますが、丁寧な話し合いがされることを希望します。
あ、すみません。具体的なというのはあくまで印象ではない匿名氏の意見を聞いてみたいだけで、具体案だせや、みたいな意味合いではないのでなければないでいいです。それなりに意義ある提案だと思います。失礼しました。
みうら様
返信ありがとうございます。
今までもディスカッションされてきた経緯があるのですね。
そのディスカッションによって、何かが変化したり、つまりどういうふうに試行錯誤されてきたのか、僕は知らないので、なんとも言えないのですが、サイトの在り方に疑問を持つ人間が僕だけではないと知れて、なんだか安心しました。
>とりあえず詩書いたんで投稿します的な私も含めたカジュアルな参加者によるカジュアルな空間がはたして、どういうような人らに魅力があって、どういう人らは来ないのか、という。
参加のきっかけは何でも良いと思うんです。でもそこから何かしら創作の向上のほうに意識の矢印が向かないといけないと思います。そうでないと、いつまで経っても、”とりあえず投稿”みたいな人が増えてしまい、結果としてサイト全体の(創作に関する)レベルが低下したり、本気でやりたい人が来なくなってしまう可能性があるからです(僕はこのフォーラム投稿を最後に去りますが、わだかまりを持ったままというのが嫌で、こういう問題提起をしたわけです)。
>でもそんな子らに魅力ある場所って、「子供はくるんじゃねえぞ」って尖った空気感ないといけないようにも思うんです。
ああ、そうですね。おおむね同意です。
ありがとうございました。
帆場。様
返信ありがとうございます。
具体案ですね。
個人の力(投稿やコメント)ではどうにもならないので、当たり前かもしれませんが、ガイドラインを変えることが一番だと思います。
現状のガイドラインの合評マナーでは、誹謗中傷や論拠のない酷評の禁止、作者が反発した場合にさらなるコメントを重ねることは控えるべき、等々あり、これらには僕も賛同します。
しかし、
>批判的な評を書かざるを得ない場合、作者や場に資するように配慮して書くこと。
との記述は必要でしょうか。特に”批判的な評を書かざるを得ない場合”というところです。なんだか「原則的に批判はしないこと!」 というように僕には読み取れます。作品の欠点を発見したら、それに対して批判(それに対するアドバイス等も)を行うことは(作者のためにも)当たり前の事態であって、特筆すべき点ではないと感じます。
さらに”作者や場に配慮すること”とありますが、作者が誰であろうと関係ありますか? たとえばの話ですが、作者が運営さんだったり常連さんだったりする場合は、控えめに書かなければならないのでしょうか。そして、これは本当にわからないのですが、場に配慮するとは一体なんでしょう? おそらく空気を読めみたいなことなんでしょうが、場の空気でコメントの趣旨を変えることはあり得ないと思います。
なので、その文の必要性について大いに疑問です。
また、ビーレビ3カ条ですが、
>詩作及び文章を書くことの喜びを大いに味わって頂ける」場所で
>ユーザーの皆様が自身の作品の向上に努める」場所である。
この二つは両立しそうで、なかなか難しいと思います。
どちらかに舵をとるべきで、両立させようとすると、どちらも中途半端になってしまうと思います。
現状では、”喜びを味わう場”としての方向性が強いと僕は思います。
「場に配慮するとは一体なんでしょう?」
本質を突いてますね。
ルールはルールとして変えない、しかしルールの運用は時の運営に委ねる、というホントの意味での「信頼性」を現行のビーレビは採用したのだと思っていて。具体的な例を示せば、新運営になってから、ライ麦氏の一言コメントは警告の対象にはなっていないんですね。私自身もライ麦氏からの鋭いコメントを自作に頂戴しましたが、私的には、たとえ長文であっても退屈な読解よりも、ライ麦氏の一言コメントのほうが有難い。これと同意の判断を現運営がされているという印象操作ではなくて、ルールとの矛盾があっても「信頼」があればどうにでもなるという。
ルールは変えない、でも運営はルールに縛られる必要はない
これでいいんじゃないかと私的には、現時点では思いますね。
もっと言うと、ルールがあってもなくても、手厳しいコメント書ける人もいれば書けない人もいて、信頼という概念も多種多様に解釈されるわけで、つまるところ、ボランティアでやっている運営者に自由度があって、窮屈で辞めたくならないよう、みんなで信頼し合うってことが大事に思いますね。
みうら様
某氏の最近のコメントみました。
率直な意見ですね。批判が多いですが、肯定もしている。しかし、なぜそう感じたのかというところまで分析していない、改善点を示していない点では、優れた批評とは言いづらいですが。
ただ、みうら様の仰る通り、ありきたりな肯定コメントよりは有益だと感じました。
このサイトにおいて、批判コメント(しかも短文)が珍しいがゆえに感想欄で目立ってしまい、単なるいちゃもんのように捉えられることが多いように感じます。
たとえば某氏の「最後まで読めませんでした」とのコメントに、作者が「最後まで読んでから感想書け」と返信しましたが、これは暴論で、読者にとって途中で飽きたらそこで終わりなのです。最後まで読めないという指摘は、つまらない、退屈とも言い換えられると思うのですが、もっともな感想であり(どこまで読めた、なぜ退屈なのかなどの分析がないので、いちゃもんとみなされる傾向が強まってしまうということもあるのでしょうが)、このコメントを単なるいちゃもんとして片付けてしまうのは、書き手にとってデメリットになると僕は思います。
匿名さん
ご確認いただきありがとうございます。
ご認識の誤りがあるように見受けますので
念のため申し上げておきますと、最後まで読めなかったというコメントに対して、最後まで読んでコメントせよという主旨の返レスを書かれたのは白犬さんという作者とは別の人間ですね。どうでもいい話ではあるのですが、記事主さんの真摯さに好感を持ちましたので、あやふやにすることなく、指摘させていただきます。
これで去られてしまうということですが、またどこかで機会がありましたら、会話できれば、嬉しく思います。
初めてコメントします。半年ほど前から参加させていただいておりますが、今回の問題定義に関してはやはりな、という感じがしました。おそらく批判する側も褒める側もマナーというものを履き違えてる感があって、単なる詩の発表会になってしまっているような印象がありました。それに関してはもう上で一定の見解がなされてるようですね。サイトとしてどういう方向に持って行きたいのか、単純に上を目指したい人が前知識のない状態で此処を最初に見て何と感じるのか、一度外から見てみる事も必要なのでは?と思います。
基本的にある種のハプニングみたいなのがそのグループを成長させる、みたいなのがあって、緊張感というか、もうこいつは何言っても聞かないだろうみたいな存在がないと。傷の舐め合いみたいなのではなく、いい意味でギスギスした状態を取り戻すというか、そういうのがないと守っていこうという意識も働かないですね。もっとわかってない人間がいないと駄目なんですよ、集団というものは。仮想敵というか、私もかつては大人数のアートユニットを主宰してたのでわかるんですが、全く同じ道を辿りました。くそみそに言われてた時のメンバーの結束と盛り上がり、各作家のどうしようもなく際立った個性、逆に外部から憧れられるような存在になってからの失望させることに対する恐怖感と安心感という名の守り、そしてテンションの下降、居心地の良さと引き換えに多くのものを失うんですよね。
だからと言って、どうしろということは言えないのですが、なんとなく自分で自分の首を絞めているようには見えます。ちょっと的外れな雑感ですが。
みうら様
妻咲邦香さま
コメント読みました。
ありがとうございます。
少し別の角度からの意見を述べさせていただきます。
総じて、感想が書かれる、”コメント欄”(正式名称はわかりません)が寂しいです。せっかく投稿しても、おおよその作品は、コメント数0〜3つくらいでしょうか。
もっと感想(批評)をしっかり書くのだという意識が高まれば、読み手(裏を返せば書き手)としてのレベルも上がりまますし、作者のためにもなる。多様な意見が交わされたほうが良いに決まっています(ちなみに推薦文というものの意義が未だにわからないのですが、あれって普通にコメント欄に書いて済む話ではないんでしょうか?)。
[個人的ないくつかの具体案]
・拙文、前述のように、批判コメントをセーブするような、マナー偏重のガイドラインを見直す。
・作品が早く流れてしまうのを抑えるため、月内の作品投稿可能数を一作品にする(その代わり一作品に2〜3編などの作品集的な複数挿入可能にするとか)
・月内複数作品投稿のための必要コメント数を現状より増やす。
・匿名でコメントが書けるようにする。
等々、いまパッと思いつくものを挙げさせていただきました。
訂正
すみません、最初の具体案に”マナー偏重”と書きましたが、その文言は要らなかったです。マナーはあって然るべきなのです。言い換えると、誹謗中傷は禁じる(マナー)べきだけど、作品批判(批評)は必要です。誹謗中傷と批判は、人格否定と作品否定という意味においてもぜんぜん違います。
匿名さん
どうもmmmです。これ、運営じゃなくてあくまで個人の意見として聞いてもらえると嬉しいんですけど、批判的なコメントは別にすればよいんじゃないんでしょうか。止めたことないですし。明らかな名誉棄損とか、喧嘩になって収拾つかない場合、または実は盗作してましたみたいなヤバイ場合は運営として止めるかもですけど。
例えば僕は以前誰かに作品が「月並み」と言われましたが、それはそう読まれたんだな、と素直に思いましたし、それで書き方を見直そうとも思ったので、個人的には批判的なコメントは歓迎です。批判的すぎると引きこもっちゃうかもですが。笑
また、サイト内を見ていても、普通に批判的なコメントをされている方、そこそこいらっしゃると思うんです。匿名さんの仰りたいことは分かるのですが、やっぱりちょっとふわってしてて、あまり具体的な議論はしにくいかもしれません。
それと、「批判的な評を書かざるを得ない場合、作者や場に資するように配慮して書くこと。」については、まあ僕も最近参加したんでよく知らないんですけど、単純に批判する場合に相手のため、またそれを読む他の方のためになるように生産的なコメントをしましょう、というルールだと勝手に思ってたんで、特に何も問題ないように思えます。
例えば、「あなたの詩はダメだ」、だけではなくて「あなたの詩は作者の1人よがりになっている、だからダメだ」とかもう少し具体的な根拠を示してあげるマナーのようなことかなと、思ってました。
まあ、これが守れているかどうかのパトロール的なことはしてもあまり意味ないんで、あくまでマナーとして守ってね、くらいにしか思ってないんですけど。こういうのって、書き手と読み手のお互いの受け取り方によるものでもありますしね。
ちょっと話変わりますが、今個人的には、もっと多くの人に来てほしい、もしくは若干来つつあるので、そのためにサイト自体の整備をしたりしてます。今はフロント側だけでもメンテしやすいようにスタイル指定とか汚いコードを綺麗にしたりとか。あまり目にみえないところですし、前運営の方にやるといった機能もまだ実装できてないんでマジですみませんって感じなんですが。。
ただ、そうした中で、不特定多数の人に見られるものである、ユーザーは入れ替わっている、ということを前提におくと、批判をする雰囲気は薄れるのはある意味自然な流れなのかもしれません。批判的なことを書く人はそもそも絶対数が少ないですし、僕のような新しく来た人はそもそもそんな文化知りません、て感じになると思うので。
あとはそれをどう思うか、というところじゃないでしょうか。
僕は結構そのあたり気にしないというか、投稿出来ればなんでもいいや、と思っちゃうタイプなんですが、各ユーザーがもっとバチバチにコミュニケーションしたいなら、それでも良いと思います。それに多くのユーザーがそういうタイプなら、自然にそういうサイトになるし、それを後押しする方が良いかもしれません。が上記の流れもありますし、そもそも現状、みんながバチバチなタイプなのかな、とも思ってしまいます。つまり、それが望まれていることなのかどうか。
あとコメント数が少ないというご指摘に関しては、確かに少ない作品も散見されますし、多い方がうれしいですよね。仰る通り、内容はどうであれ、コミュニケーション自体は活発な方が良いかと思います。が、ルールを変えて無理やり増やすのはちょっと違うかもしれません。(まあ、今でも投稿するためにある程度のコメント数が必要というルールがありますが、それは置いといて)
例えば、僕個人がコメント書くときは、少しでも良いな、もしくはなんだこれは、と思った作品にしかコメントしないです。時間をかけて興味のない作品につらつらとコメント書いても疲れるし、自分自身にあまり意味のあることでもないですし。良い作品だからコメントしたくなる、批判したくなったときは、こうすればもっと良くなるんじゃないか、みたいな気持ちで書いてます。
でもよい作品って、人それぞれです。例をあげると、ウィリアムブレイクの「天国と地獄の結婚」(だっけ?)を昔読みましたが、僕にはわからん過ぎて、良いとは思いませんでした。でも一般的には評価高いし、大江健三郎がどっかでむっちゃ褒めてた覚えがあります。他をいうと、前、恋愛ポエムっぽいのがびーれびに投稿されて、僕にはよくわからなかったのですが、好きな人は好きなようで、結構コメントされてた気がします。ちなみに、僕の作品もあんまりコメントされない方ですが、多分そういうことだと思います。笑
結局、みんな自分の気になる作品にしかコメントしないんじゃないかな。だから、コメントを増やすためにより多くのユーザーに来てもらえるようにしたいなーと僕は思ってます。そしてそのためには、仕組みよりもっと他のことが必要になるのかもしれません。この辺は運営の努力不足なのかもです。
なんか、思いつきで書いたら長くなりました。一応、真剣に議論されてる場だったんでなんか書こうと思って、それなりに敬意をもって書いたら思ってたより長くなりました。すみません。またこうした意見が上がることは定期的あってよいのかなーとも思います。
再度書きますが、運営としての意見ではないです。貴音さんは貴音さんの考えがあると思いますし。あとこれは匿名さんも仰ってますが、批判的なコメントと失礼なコメントは違うと思うので、そこも付け加えときます。よろしくですー。
mmm様
返信ありがとうございます。
おおむね、現状維持というか、なにかを変える必要まではないというご意見と解釈致しました。
運営としてではなく、あくまで個人としてのコメントということもご理解しました。しかし、やはりmmm様が運営の一員ということなので、やはり、運営の声として受け取らないというのは、ちょっと難しいです笑
ですので、これで僕もすっきりしたというか、このサイトのことでこれ以上あれこれ言うつもりもなくなったので、これにて去ります。
皆さま、ありがとうございました。
最後に、勝手ながら、”批判”に対して、他サイトで質問を受けたときの、僕の返答をここに引用させていただきたいと存じます。
・批判を受けなくても、作者は育つと思うか?
「批判を受けないままで、素人が作家デビューすることが可能か」という意味なら、間違いなく可能です。死後初めて発見された原稿が出版された人、誰にも読ませたことのない原稿を公募や出版社に送り付けてそのままデビューした人はいくらでもいます(デビュー後もなんの批判も受けない人はいないでしょうから、その後のことはわかりません)。ただし、こういう人は、それまで褒められてもいない、のです。
思うにスレ主は、「褒められるだけで作者が育つか?」を問うべきなのです。
褒められるだけで育った作者というのはあまりいそうにないと思いますが、もしあるとすれば、身の回りの人の個人的な励ましがあったが自作には作者自身が厳しい自己検証を行っていた、という人でしょう。そんな、自分をただ褒めて支えてくれる理想的な存在をネット空間に求めるのはおかしいと思いますし、そういう人をネット空間で見つけてしまう特異な作者が、同時に自作に厳しい事はほとんどあり得ないように思います。
こういうサイトは、自作がどっかおかしいと思うけどどこが悪いかよくわからない時とか、褒められる気まんまんなんだけど、いざけなされたらそれをきっかけに考え直せる人とかが使った方がいいと思います。感想も相互に矛盾するようなものがつくのですから、素直に受け入れるのは物理的にもあり得ないことで、多様性を面白がれる人が使えばよいと思いますが、作者と感想人の間とか感想相互間に直線的な優劣をつける人が多いので、こういうサイトが使える人は案外限られているのでしょう。それができないからと言って作家としての才能がないとは限りませんから、自己検証の厳しい世界に帰ればいいことです。
匿名さんは、ビーレビの問題点と仰っていますが、
実際には、
・他人の目が気になって、言いたいことが言えない
・でも他人からいい評価がもらいたい
という、匿名さん自身の話なのではないかと思いました。
そして匿名さんが、詩とどう向き合うか、の問題ではないかと思いました。
このコメントはまささん宛ではなく、
ただ、まささんのコメント読んで感じたこと、
書き込みたくなったんで。
私的には、この記事主さんは他人からの評価を欲してる承認欲求型の人には思えなくて。ただ、この人、他人からの評価が欲しい人なんじゃね?って書かれるのも自由度あっていいなって思うんです。
私の場合は、(ここから平たくわかりやすく第三者に伝わるように極論の暴言的にいいます)バカな人には褒められたくもないし評価されたくもないです。自分の作品の評価なんて、あんまし気にしていなくて。ただ、自分がリスペクトしてる人、この人に作品を読まれて良いって言われたたいなとは、少し願望ありますね。
みうらなんか、けっこう、酷い批判評書いてたりしますけど、
作者さんが、みうらみたいなバカに良いなんて言われたくないわってスルーされていたら、とても嬉しいです。そもそも、作家と作品は別物なんで、貶されようと、褒められようと、まったくメンタルに影響なくて、むしろ批判コメントのほうが次の作品考える機会になるんで嬉しいですね。ただの表層的な評価コメントならTwitterとかの場で十分に思います。
ずれてない?ですか。 批判が現状で出来ないわけではない、という言葉に、批判を受けなくても、作者は育つと思うか?という言葉を重ねても無意味ですよ。したけりゃ、出来るんですから。去るそうだから意味ないですが、ただやればいいことをしていないだけじゃないかな。
すみません、あとから自分のコメントを見直すと、
個人攻撃のようになっており、とても失礼なコメントでした。
大変申し訳ありませんでした。
匿名さんが返信のなかで書いているような、
“とりあえず投稿”側、”レベルを下げる側”の自覚があり、
カチンときてしまったんだと思います。
本当にすみませんでした。
私はビーレビに投稿するようになって半年くらいの者ですが、
サロン的な雰囲気もあれば、批判や研鑽もなされている場、と認識していました。
私が以前投稿していたサイトでは、作品は基本抒情詩に寄っていて、
サイトの性質上、投稿された作品に対して自由にコメントしたりすることがありませんでした。
(そのサイトにはそのサイトの良さは別にあったのですが)
一方ビーレビでは、抒情詩も抽象詩も、はたまたこれは詩なのか?というものも含めて
投稿されている作品は多彩で、
コメントも自由に解釈したり、率直な意見があったりなど、
とても自由な雰囲気でいいなあと思っていました。
恐らく匿名さんは目指している高さがもっと高いので、
違う見え方をしているのだと思いますが、
ビーレビを利用している者の一感想ということで
お目に触れればと思います。
おはようございます。
匿名さんが一番最初の問題提起のときに「みなさんのお考えをお聞きしたいです」と書いていらしたので、「みなさん」の一人として考えを書きます。
・一番最初に思ったのは、匿名さんの問題提起は、まあ僕も思ったことあるなあというものでした。誰しも思うことではないでしょうか。
・僕は匿名投稿が許されるスタイルは好きではないけど、問題提起のあり方としてはアリなのかもしれないなあ、これって匿名でも、運営さんに筒抜けなのかなあ、そのへんどうなのか、気になるなあ、と思いました。普通に考えると筒抜けなんだろうけど、議論のときに情報量の公平さが担保されないんじゃないかなあ。
・てゆうか、いま、どなたが「運営」「元運営」なのかなあ。よくわかんないけど、このサイトは情報過多で、どこかに明記してあるのかなあ。わかるようにしないと、正直、話がしづらいなあ。
・議論がごたごたするのは、「非難」「批判」「批評」「評」の定義が、人によってバラバラだからじゃないかなあ。どこかに書いてあるのかなあ。特に、「批判」と「批評」の違いくらいは、どこかに明記したほうがよくないかなあ。
・「コメント」と「評論」で二元化して、「推薦文」を廃する。コメントは何字以下、評論は何字以上、字数が多くてしかも読むにたえないこき下ろしは削除、でよくないかなあ。「読むにたえない」の匙加減は難しいけど、運営さんの合議の結果でいいなー。
・月二回まで投稿可能というルールは、すごくいい。コメントも、月何回までって決めれば、不要な挨拶や内輪褒めが減って、スッキリするんじゃないかなあ。
・「寸鉄釘を刺す」コメントは、まあアリかな。でも、軽い一言が刺さるしなあ。なんかね、元運営さんに、めちゃくちゃ上から目線の人がいたんですよ。僕はそれで投稿しなくなったんだなあ。
・サロンを目指すか、向上の場を目指すか、向上の場を目指すって書いてあるんだから、目指すべきだなあ。あれ? 「書いてある」ということでいうと、「散文アリ」だった気がする。僕は二回、散文を投稿したけど、浮いてた。もう、散文ナシにしたらどうかなあ。
・内輪褒め文化は、僕もむちゃくちゃ気になってた。でも、利用者の数が十分に増えれば、それは内輪褒めではなくなるので、嫌だったら、がむしゃらに利用者を増やすしかない。利用者を増やすと質も自ずと下がる。痛し痒しだなあ。
・内輪褒め抑止には、「コメント数制限」が一番だと思うんだけど「コメント制限の数」と「利用者の数」のバランスは、僕は運営したことないからわかんないなー。
以上、議論の場が他にないので、つらつらと書いてしまいました。字数が多くて読みにくくてすみません。投稿時間を見てください。朝の六時半ですよ。徹夜明けのテンションなので、大目に見てください。