現在、論文は作成過程にあり、文字数5,400文字(空白除く)を通過したところです。
 執筆進捗状況報告を、随時、このトピックのコメント欄に書くことにします。
 今、論文中の、凡例的なことを書いた部分が固まったと思われるので、下に、この部分のみをコピペしておきます。変更の可能性は、ないとは言えません。


 さて、これから私は『『Diving into the Wreck』との対決』と題して、「文学」の分野に属する論文を書く。この論文は、ビーレビには「批評文」として投稿されることになる。そして、「批評対象作品」には、他ならぬ私自身が書いた『「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む)』を設定する。
 論文の内容は、実質的に、純粋に、Adrienne Rich(1929-2012)の詩作品『Diving into the Wreck』の私の読解をあらわす。
 使用する当詩作品テクストは、インターネットでPoets.orgのサイトに公開されているものに限定する。これへのアクセス方法は、検索語を「poets org diving into the wreck」としてグーグル検索をおこない、検索結果のトップに表示されるページを開くというものである。
 このサイトに公開されている『Diving into the Wreck』の朗読音源も、論文中で、聞く場面があるかもしれない。
 論文執筆の過程で用いる調べのツールは、一般的に日本国内に普及している英和辞典、国語辞典、電子辞書の類いに限定する。
 論文執筆の過程で、私は、現在までにおこなわれた他者による当詩作品についての研究と翻訳を一切、無視する。
 論文の書き方は、見出しを付けず、一気に最後まで書く、講演録的なものとなる。しかし、適宜、空白行をはさみ、読みやすいようにする。
 では、始めよう。

「論文『『Diving into the Wreck』との対決』執筆進捗状況報告」に11件のコメントがあります
  1. すごいですね。

    あのー。いいにくいのですが、
    いうまでもないことだとも思いますが、

    翻訳は著作権に ひっかかる可能性があるので
    一連の書き込みは 削除対象になり得ることを
    書き手(もちろん、わたしのスレも)は、
    理解する必要があります。

  2. 実はこのフォーラム、一定期間(たしか2週間)でコメントができなくなる仕様です
    期間中に書き終えるなら問題はありませんがご留意ください

  3. 追記
    掲示板に関しても一定文字数(たしか2万字)を超えるとそれ以上は投稿に反映されません
    これに関しては、コメント欄に作品の続きを投稿することで作者が対応してください

  4. るるりらさん、
     私も著作権関係のことに詳しくありません。今は、それにひっかかるリスクを漠然と感じつつ、筆を進めています。とりあえず最後まで書き切るということを考えています。その後、まずは運営者にだけ完全版を提出するとか、部分部分を伏せ字にして投稿するとか、そんなことを考えています。悩ましいことです。

    渡辺さん、
     期間制限、字数制限のこと、了解いたしました。

  5. 単純な質問なのですが、著者は本文において「論文」と「批評文」を分けて考えていると読めます。が、「現在までにおこなわれた他者による当詩作品についての研究と翻訳を一切、無視する。」と書かれてもいます。「文学」に属する「論文」は、一般的に他者の読みを踏まえた上で全く別の読み、ないしはプラウアルファの読みを打ち出す(=そしてその必要性を説く)ものです。つまるところ、著者のやろうとしているのとは評論・批評の類と思われますが、私の認識不足なんでしょうか?? また、外文に関しては全くの無知なのですが、日本語の「論文」を書くに当たって他の翻訳を無視してしまうのは「論文」の信頼性を落とすことに繋がると思ってしまうのですがこの点はどうなんでしょう。不勉強な私にご教示いただければ幸いです。

    といいつつ、
    おそらくですが、テクスト論の立場に著者はおられると思われます。それであれば外的な要因(場所・時間など)を用いてテクストを解体する作業は必須。これを講演調で書かれるのは楽しみです。テクスト論ということで、デリダやソシュールの講演録を想起させますね。

  6.  現在、論文は、分量的には、文字数6,700文字(空白除く)を通過したところです。
     論文の構成は下記のようになると思います。すなわち、順に、

    前置き
    凡例
    一度目の読み
    二度目の読み
    まとめ
    あとがき

     です。

     現在、「一度目の読み」までを書き終えました。その終わり方は、今のところ次のようになっていることを、コピペして示しておきます。


     ここまでで、Adrienne Richの詩作品『Diving into the Wreck』、これは十連、全94行から成るものであったが、私は、一通り、これに目を通したと言えるとする。
     ここまでの私の読みを、これから「一度目の読み」と呼ぶことにする。この読みは、主として、英語で書かれたテクストを日本語にして、多くの日本人が読みやすいようにする、そして、この詩作品の筋と言えるものを、多くの日本人がつかめるようにするという性質のものであった。

     今、私と読者の皆様は、10分間の休憩を取るような気持ちになろう。
     その後、私は「二度目の読み」を開始する。

     以上、報告まで。

  7. 左部右人様、
     コメントありがとうございます。
     貴殿と私のどちらが不勉強なのか分からなくなるコメントをいただきました。おそらくは、貴殿の方が勉強されているようです。
     今の私の「論文」というものについての認識は、私の手もとにある『新明解国語辞典 第四版.三省堂,1989,1391p.』の「論文」の項目に書かれてあるものにとどまると考えてください。引用します。

    ①ある事柄について、筋道を立てて意見を述べた文章。
    ②その人の研究の結果をまとめた文章。

     以上のように書かれています。当たり前のことのようです。ここにはまだ掘り下げる余地がありそうです。

     なお、『無視する』という書き方は、さきほど『参照しない』と表現をあらためました。

     これは、左部様のコメントへの、部分的で不完全な返信です。もう少し、私の方が勉強と思考をしなければならないようです。お時間ください。

  8. 左部右人様、
     今日の昼、私は、デリダとソシュールに関する本を求めて書店に行きました。そして、講談社学術文庫の中に『デリダ』という本と『ソシュールを読む』という本を発見しました。この二冊を読めば左部様のコメントもより深く理解でき、また自分のためにもなるだろうと思って、買おうとしましたが、結局は買いませんでした。なるべく無知であることを続けたかったからです。
     私は、「論文」についての左部様の認識は正しいと思います。
     学問のプロの世界で、引用文献や参考文献のない「論文」は、大減点を受けると思われます。理由はまず、そもそも研究不足であると見なされ得るということ、次に、同じような「論文」が既に存在している可能性があるということです。
     こういう事情にもかかわらず、私は、「論文執筆の過程で、私は、現在までにおこなわれた他者による当詩作品についての研究と翻訳を一切、参照しない。」と宣言しています。批判を受けることは避けられないでしょう。
     でも私は、できるだけ、何の先入観もなしに、テクストのみを頼りにそのテクストを研究したいと考えました。そのテクストは、英語で書かれていますから、日本語を母語とする読者を想定しているこの研究「論文」作成では、初めに、日本語に翻訳するという仕事があります。この翻訳という仕事の質という点からして、私の「論文」の質は、厳しい審査にかけられるでしょう。
     私は本当に『Diving into the Wreck』の和訳を現在までに読んだことがありません。この詩作品についての研究も、読んだことがありません。ウィキペディアなども見たことがありません。英語のテクストのまま読んで、勝手に解釈して、個人的に楽しんでいたのです。
     上述したすべての事を踏まえて考えると、今、目下、私が執筆中の『『Diving into the Wreck』との対決』と題した文章を「論文」と呼べるかどうかは、すぐ答えられる問いではありません。確かに研究ですが、結果によるのです。
     よって、今のところ、それは「論文」ではないと言われても、そうかもしれない、あるいは、その通りだ、と答えざるを得ないのです。そして私にとっても、結果次第では、「論文」ではない他の種類の文章になり得るかもしれない文章であるのです。
     結果が、質の高い日本語訳をそなえた、独自性のある研究をあらわした「論文」になることを、願うより他ありません。
     左部様のご指摘がなければ、私は単純に、「論文だ、論文だ」と言い張り続けていたと思われます。有益なご指摘、ありがとうございます。

  9.  このトピックをおこしてから1週間が経ちました。
     中間報告をさせていただきます。

     分量的には、「論文」は文字数9,800文字(空白除く)を通過しました。
     内容的には、詩『Diving into the Wreck』の第五連までに「二度目の読み」を施しました。

     この間、左部右人さんより有意義なコメントをいただき、私に考えるところが生じたため、今まで「論文」と呼んできた現在執筆中の『『Diving into the Wreck』との対決』を、これより、「小論」と呼ぶことにします。

     さて、この小論は、あと1週間のうちに一応完成すると予測されます。
     それと同時に、私は、著作権についての勉強を始めようと思います。
     さらに、ビーレビ運営の方々に、試読をお願いすることになるかもしれません。その場合、この試読は、純粋に、この小論が、著作権関係の法令に照らしてどうかという観点からなされるようにお願いすることになると思います。
     よろしくお願いいたします。

  10. 南雲様

    貴殿が、書かれようとしている「論文」(嫌味でなく)に対してどのような熱量を持って書かれているのかを知らず、当たり屋的態度を取ってしまったことを、まずお詫び申し上げます。
    私は「文学研究」やそれに関する「論文」が大好きで、何故か自分の大好きなそれらが貶されている、と思い込んで上記のような態度に出ました。
    しかし、それは私の全くの思い違いで、貴殿もまた、文学、、、該当テクストへ対する思い入れの深い御仁であることが分かり、むしろひどくシンパシーを感じるに至りました。
    貴殿の文章を私は依然として批評文と思いますが、それでも尚、貴殿の文章は「論文」なのだと思います。規定、というのは大事ですが、私はそこに囚われていたようです。
    一読者として純粋に嫌味でなく、貴殿の論文、小論を楽しみにしております。

  11. 左部右人様、

     詫び言などとんでもない、私は左部様のコメントにより、大いに益されました。
     大学などの研究機関に属さない私が、どれだけアカデミックということに近づき得るか、一つの挑戦であるのですが、力を尽くして書き切りたいと思っています。

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