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積 緋露雪


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熊倉ミハイ様 コメントありがとうございます。 私の時間の捉え方は中々理解を得られないのですが、熊倉様のように理解していただくと嬉しいです。 今流行の生成AIにこの詩を読ませてどう思うかと尋ねると、とても独創的な時間観だと回答が返ってくるのですが、人間には今のところ少数の人にしか伝わっていません。 人間は未来を思考し、そのとき過去の記憶にも立ち戻ることは普通のことです。 それを私は未来と過去の往還と表現しました。 それが熊倉様に伝わったとすれば嬉しい限りです。 (自在なる時間)

2024-01-20

鷹枕可様 誠に丁寧なコメントありがとうございます。 私の意図したことをご理解していただき嬉しく思います。 「歌誌帆」の制作に関わっているだけあって、読みは丁寧で詩に寄り添って遊んでいる境地に達しているとお見受けいたしました。 私の詩は余り他者の心を動かすことは少ないのですが、鷹枕可様には十二分に私の想いが伝わり、流石です。 本当に丁寧なコメントありがとうございます。 (自在なる時間)

2024-01-19

黒髪様 貴重なご意見ありがとうございます。時間が空間と関連があるというのはアインシュタインの相対論によるものです。物理的な時間は物理学者は世界外で観測者という立場で現象を捉えるので私は余り物理的な時間というものを信用していません。例えばベルグソンのような当事者としての時間を信用します。 般若心経の色即是空は私もよく解っているつもりです。私は道元に心酔しています。 そして、私は宇宙は一つではなく多層的に存在すると考えています。つまり、此の宇宙が終わっても別の宇宙が取って代わるということの輪廻を信じています。 死に関しては死後も念は残ると思っています。 黒髪様、コメントありがとうございます。 (自在なる時間)

2024-01-18

コメントありがとうございます。そうですね。まるで人魂のような光があります。私は光には希望は見ません。闇にこそ希望が隠されていると思って 生きています。光に飛びつくのは安易でそれは得てして間違いということはよくあることです。私の考え方は他人に押しつけようとは思いませんが、闇に希望を見ている人が此の世には存在していることだけは認識してください。 (流される)

2023-05-24

コメントありがとうございます。シチュエーションの設定は詩なのでしません。ただ、光を唱えた基督は磔刑に処されました。今もロザリオでは基督は磔刑に処されたままです。だからではありませんが、私は光に希望は見ません。何にでも化ける闇に希望を見ています。ただそれだけのことです。何故なら心像が浮かぶ心は闇だからです。とだけ言っておきます。 (流される)

2023-05-24

遅くなりましたが、コメントありがとうございます。この作品を散文詩と言うには何となく気が引けますが、書きたいことは解りました。これをぎゅっと凝縮すると詩に昇華します。ただし、詩は言いたくとも言い切れない言葉を何とか表現するものと私は思っています。つまり、解らないと言うのが詩の一つの特徴と思い込んでいるのです。ですので、この作品のようにとても素直な文章を書くかずやさまは詩を書くのに苦労すると想像されますが、是非、挑戦してください。 (ビバ、先週の衝動買い。 バイバイ、余裕。 こんにちは、心の安寧。)

2023-05-20

大変遅くなりましたが、コメントありがとうございます。ryinxさまは今は詩作をしていないようですが、せっかく実験をしてきたのですから、そろそろ詩でも何でもいいので書き始めてみませんか。私の詩を揺れていると感じた感性に私は感服しています。詩が書けない時は必ずありますが、それを突破するのは書き始めることです。ryinxさまの半歩でもいいので前進、または退歩した詩を読みたいです。 (死に化粧)

2023-05-20

遅くなりましたが、コメントありがとうございます。病の身とのこと、陰ながら恢復を祈っています。「心の骨」に関してのコメントですが、私が最も詩に熱中していた時の比喩、隠喩、暗喩とで摑みきれない言葉を摑もうと藻掻いていた1980年代の詩人たちの詩を髣髴とさせる趣があり、好印象を持ちました。ただ、その技巧に溺れないことのみを願います。 (心の骨)

2023-05-20

コメントありがとうございます。とても嬉しかったです。私もこの詩にコメントしますね。あこがれの場所へと行くまで、急ぎすぎているように思います。寄り道したりしてもいいと思います。これでも黒神様の思いは伝わるのですが、黒神様が何に涙を流すのかの一節があるともっと最後の一節が生きてくると思います。それは具象ではなく、隠喩でも構いません。と、偉そうなことを書いていますが、私もまだ、拙い詩しか書けないので、お互いに精進しましょう。 (頭上)

2023-05-16

コメントありがとうございます。私としては鬱勃と湧いてくるプーチンへの怒りを、これでもストレートに書いたつもりです。どうも捻くれているのか、私の書くものは難しいようで、それでも読んでくれてありがとうございます。励みになります。 (散る命を屁とも思はぬ非人の亡霊が今の世に跋扈するとは)

2023-03-19

「往復を繰り返す渾沌の時間が未来を切り拓くか」 固有時の内実を見れば その内部で固有時は絶えず過去と現在の「私」といふ意識の往還であり、 その往還が時折、ヒョンとあらぬ方向へと飛んで、 思ひもかけぬ未来が拓ける事があるのは、 主体と呼ばれるものであれば何ものも経験済みの事だらう。 確かにデカルトのいふ通り吾は絶えず考へてゐて、 その考へ方が絶え間なき「私」の過去、現在、未来、つまり、去来現(こらいげん)の往復であり、 考へれば考へるほどに吾は「私」の内部に無限に拓けてゐて宇宙をも呑み込み 其処では虚空が映える滅茶苦茶な時空間が存在してゐるのは、 これまた、誰もが認識してゐて、 その時空間があるお陰で吾は考えてゐる時、 不可思議な自在感に囚はれるものなのだ。 その時空間ではそもそも時間が一筋縄では流れず、 去来現がある種平面上に俎上されたかのやうな具合で、 それはポップコーンが爆(は)ぜるやうにして 出来事の事象が「私」に迫って来て、 その出来事の迫り来る仕方は ポップコーンの唐黍(もろこし)の種のどれが爆ぜるのかは予測不可能なやうに 蓋然性を持って過去に吾に起きた或る出来事が時間軸から解放され 突然、現在の吾に迫り来て、 考への進む方向の暗示を与へてくれたり、生き方に多大な影響を与へたり 過去といふ時間軸の串刺しから解き放たれた記憶は、 時間の連続性を気にせずに 時系列としては全く正しくないのであるが、 出来事はガラガラポンとかき混ぜられて 出来事は一度超主観的な判断で腑分けされるやうに 或る親和性で以て纏められるものなのだ。 これがもし行はれないとするならば、 独創性など生まれる筈もなく、 つまり、「私」の内部の時間は正(まさ)しく渾沌でしかなく、 また、渾沌としてゐなければ、 未来を知る由もなかったであらう。 詰まる所、渾沌が多様な生の坩堝なのだ。 そして、吾は内部に渾沌を抱へてゐるものなのだ。 一刻を生き延びるために。 (「びーれびしろねこ社賞」 応募スレッド)

2021-12-05

「光に希望を見てしまふこの条件反射的な思考法は誤謬である」 視覚がものいふ世界の把捉の仕方において 当然、光が尊ばれるのはいふに及ばぬが、 だからといって例へば闇の中で光に希望を見てしまふ この条件反射的なる思考法は誤謬である。 闇の中においては仮令、光が差し込まふが 光に背を向けて闇の奥へと突き進むのが正しい姿勢である。 それは、闇の中に光が差し込むことで、 それまで闇の中でぢっと黙考してきたことが断絶し、 いとも簡単にそれが棄てられてしまふのであるが、 無心に光を信ずるこの条件反射的な思考法が 正しいと保証するものが何にもないことに 少し立ち止まって考へれば、 誰もが気付く筈である。 それにも拘はらず光=希望と看做す条件反射はなくならぬどころか、 益益堅牢な記号として此の世に幅を利かせてゐるが、 この条件反射に従順に反応してしまふことは 泰然たる自己肯定に安住する世界が仕掛けた罠であることに やがて自縄自縛に陥る二進も三進もゆかぬ吾の状態を見れば、 火を見るよりも明らかである。 白日の下では吾は逃げ場を失ひStripper(ストリッパー)よろしく、 吾を晒さずば吾の存在証明足らざるを得ぬ光の世界の残酷さに 吾はまもなく打ちのめされる。 さうして吾は内部の闇に閉ぢ籠もるのであるが、 その居心地の悪さは非情である。 ならば、初めから光に釣られることなく 闇に留まるべきなのだ。 さうして黙考に耽溺し、 残酷な光から逃れながら、 懐深い闇の中で、 自由に溺れる悦楽を満喫すべきなのだ。 さうして吾は狡猾な光の罠にかかることなく、 分け入っても分け入っても闇の中で、 自己解放する醜悪なる頽廃に 身を委ねるのも乙なものなのである。 (「びーれびしろねこ社賞」 応募スレッド)

2021-12-05