こんばんは。夜分遅くお目汚し失礼します。眠い人です。
本日は一サイト利用者として提案をしたく、フォーラムへ投稿をさせて頂きました。皆様からのご意見賜りたいです。
さて、凡そ半年弱本サイトを利用させて頂き、複数の方々が本サイトの在り方について議論なさっている場を拝見しました。
その議論とは主に「サイト利用者の作品投稿可能数とその解除の条件に、コメント数をどう関わらせていくか」というような内容であるとお見受けします。またこの議論に対しては、何かしら明確な答えは出てないと認識しています。
すこぶる個人的な意見で申し訳ないのですが、この事について答えが出ていない理由には、感想と批評の境界線が曖昧になっていることが起因しているのかなと感じました。
具体的に説明させてください。
現状の課題は
・投稿数が増加し一つ一つの作品が見られない(作品が埋もれてしまう)
・作品投稿数は増加する一方、批評(コメントの投稿数)の方は相対的に見て増加していない
であり
上記の対策として
・2作品目以降の投稿条件を、コメント数10個などに変更することで、コメント数、閲覧数の増加を促す
というような提案がなされており、この弊害として
・コメントの質の低下を招くリスクがある
・コメントすれば良い、というような雰囲気になってしまい、批評の増加が見込めるとは言えない
ことが挙げられるかと思います。
本サイトは批評プラットフォームという大義名分を掲げており、そのような場で批評よりも感想の言い合いの方が多くなるというのは確かに良くないかと思います(少し言い方が悪いかもしれません。申し訳ありません)。
この問題の解決案として
・コメントの投稿の際に「コメント(あるいは感想)」と、「批評(あるいはそれに該当する単語)」と種類を分け、それぞれの投稿数を次回作品の投稿解除の条件とする
を提案します。
これは、そもそもコメントと批評を投稿の際に選ばないから、その境界線が曖昧になってしまっているのかな?という推測に由来します。
ですからコメントと批評をそもそも区分けして考えて貰えば、それらの混同による視覚的なコメント欄の質の低下を避けることができ、かつ批評も確実に投稿されるので批評プラットフォームとしての役割も果たせるかなと思いました。
また余談ですが、インターネットの世界においては責任感ややりがいの消失が大きな問題となります。
これを本サイトに当て嵌めますと……
特に作品を投稿することを主目的とするサイト利用者からすれば、他者の作品を読んでコメント(批評)を書きそれを投稿するということに多少なりとも手間を感じると思います。
これに加えて上記の責任感ややりがいの消失から、コメントいれるのダルいしわざわざしないでも良いんじゃね?と心理状態がマイナス方向に向いてしまいます。
この対策として、コメント(批評)を投稿した際に何かしらの感謝の言葉が表示されると良いと思います。
(作品を既読にした時、既読にしたぜ、と表示されるように、批評を投稿したら、ありがとう!とか出てくるようなイメージです)。
翻ってみれば、批評プラットフォームに批評が投稿されると言うのは図書館で本が借りられる位当たり前のことです。そしてこれは本を読んで借りる場所!という定義をしている図書館からすると、正しく図書館冥利に尽きるわけです。
これと同じように、批評が来れば、恐らくビーレビ君(勝手に擬人化しています)は存在意義が認められ喜び、批評を投稿してくれた人に対し「批評してくれてありがとう!」と言うと思います。
この感謝を実際に伝えられた時、批評する場を作り出した!という達成感を批評の投稿者に促すことができ、結果としてサイトの長期にわたる利用、また活発な批評への参加も見込めると思います。
サイトの繁栄を自分事と捉えられた時、それはとても大きな喜びに繋がるのではないでしょうか。
以上が私の意見です。
かなり長い文章となってしまいましたし、生意気な意見になってしまいました。申し訳ありません。
上記の案の善し悪しについて1人では考えられないので、是非皆様にご助言頂きたいです。
余談ですが、Twitterのやりとりで、わたしが ねむい人さんに誤った認識を お知らせしてしまいました。スマホの調子が悪く送受信に問題があるため、こちらに 謝罪させていただきす。
ご返信遅れ申し訳ございません。
面白く拝読しました。私も感じていることとして、「コメントの数さえ多ければええんかい」みたいなところは、思う所がございます。
他方、「じゃあ、数を否定するなら、質の良いコメントってなんやねん!」や「そもそも批評ってなんやねん!」みたいなツッコミが入ることは自明でありまして、それが私に問われた場合、普通に答えるのが困難であります。
つまるところ、「批評プラットフォーム」と釘打つサイトの誰が、批評とはなんぞや?的な解釈をまともに答えられる方は、参加者はおろか、運営含めても答えられる方はかなり少ないのではないかと思料します。
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一応、コメントと推薦文で区分けはされているのですが、「コメントで投稿されたものは全て批評ではなくて感想なんか?」「推薦文で投稿されたものは全て批評たるテクストなんか?」といった指摘も考えられるところ、そもそも明確な住み分けが出来るのかどうか、私の理解力では中々判断が難しいというのが本音でございます。
他方、「批評批評、高レベルのコメント云々藤井はぬかしているが、サイトコンセプトとずれているのではないか」という指摘が想像されます。サイトコンセプトとしましては、いわゆる「ライトレス」的な文面も歓迎していますし、それは発足当初からだった(はず)ですので、つまるところ私の意見としては
「力の入ったコメントや文章レベルが過度に低下していない、文学を嗜む者としてそれなりに相応しいコミュニケートの飛び交う場所であるべきだが、それは別段感想やライトレスを禁止する類のものではなく、様々な表現が可能で、様々な表現を意のままに行える自由のある場所」という、なんだかよく分からない上に完全に理想論も甚だしいステートメントとなってしまうわけですが、それを上手く実現可能なプロセスとして具現化できないところに限界を感じます。
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とまあ、なんかよく分からない内に余計な事ばかり語ってしまいましたが、「コメント欄」にはライトでも、ヘビーでも、自由に投稿できる場所ではあるのですが、むしろそれが(表現の幅が広すぎて)コメントへの意欲を低下させているのかもしれませんし、逆にそれこそが魅力的なのかもしれません。ビーレビのスタンスとして、
・とりあえずやってみるだけやってみて、失敗したら考え直す
が伝統芸能の如くある(ように記憶しています)が、よくわからない以上、とりあえずやってみて、失敗したらやり直す、とりあえず取り組んでみる、でもいいのかもしれません。ただ、コメント欄というビーレビの根幹に対して、システム的便利機能ではなく表現のかなめに触れるアイデアでありますから、もう少し他の方のご意見を伺いたい気持ちがあります。
コメント送信時のメッセージについては、私は特に異論はございません。複数のご意見頂戴致します、感謝致します。
ふじりゅうさん
返信ありがとうございます。
コメント(あるいは感想?)と批評(?)の定義付けはとてつもなく難易度の高い問題だと思います。
そもそも感情に線を引いてこれは感想、これは批評、というように区分けをしてしまった時に、それらの枠組みを意識しながら言葉を選んでしまう(これは批評に入れるからこんな風に文書こう!)と読み手のファーストインプレッションから遠ざかった文面を構築してしまう危険性もありますし、現時点で「コメント」という名前で各作品に枠が作られているからこそ気軽に作品について意見しやすいサイト利用者がいるという事実もあるかと思います。
加えて、そもそも批評やコメントが増えること自体が良い事なのか?とか、何か時代を先取るような作品が登場した時に、それに対して批評をつける意義や必要性は何か?とか考え出すと360度全方向の意見が、みんな違ってみんな良い状態になりますから、本当に難しい問題です。
今回の提案も提案とは言っていますが、私自身自分の考えが完全に正しいと思っていませんし、私も皆様の意見をぜひお聞きしたいです。
コメント活動は、システム以上に参加者の意識が大事だと思っている今日このごろです。
ビーレビは気軽に作品を投稿し公開できる場、というよりは、公開された作品に感想や批評をしあう場であり、その認識が後者ではなく前者に寄っている新規投稿者も多いのではないかと考えます。なので、サイトのコンセプトが後者であることをより明確に強調し、前者を期待して訪れ結果的にフリーライドになってしまうような方の参加をあらかじめ諦めさせる工夫があればいいのではないかと思いました。
その点、文学極道のトップ画面にあるような「つまらないポエムを貼りつけて馴れ合うための場ではありません。」といった文言は、強烈ですがかなり効果的なのではないかと感じます。いっそ、「作品を投稿するだけでコメントをしない方の参加はお断りします。」ぐらい強い文言がビーレビのトップ画面にあってもいいのではないでしょうか。ただ、サイトの親しみやすさは削がれてしまいますので、フリーライドを防ぐための究極の手段だともいえそうです。