作品投稿掲示板 - B-REVIEW

大塚拓海


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毎日、手書きでノートに言葉を書きためています。 書いているうちに、だんだん「これは詩かな?」と思い始めました。 皆様と、言葉の面白さ、奥深さを一緒に味わいたいと思います。

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2020-11-04

淡々とした語り。この詩自体がメトロノームのように一定のリズムによって書かれている印象を受ける。 しかし最後の唐突なカタカナ表記。科学的な説明がカタカナで現象に名前をつける様子を連想した。 ダウンバースト、とかビックバンとか。 「ハカレナイ」、「ススンデイク」という現象が起きている。それは説明になっているが、その内実はまだわからない。人の奥にある得体のしれなさが最後の表記の揺らぎによって示されていると感じた。 (近つぐ遠ざかる)

2020-11-05

心の叫び。 痛い。 詩として読んでもいいのか戸惑うぐらい、まっすぐに痛い。 これは詩ではないかもしれない。いい意味で。 こんな風に書かれた悲鳴が、ここではないどこかにもたくさん書かれているだろう。隠されたノートに、スマートフォンのメモに。ここに書かれた言葉は、それらの一端でしかない。しかし、それらは全部同じ痛みでつながっていると思う。 (ねがい)

2020-11-05

この世界どこかに書き殴られた愚痴。 しかしよく見ると不自然な点が、「りたかった。」は、おそらく「人生を送。」から切れている。 パソコンで書いているとこういう風に、カーソルが不意に動いて誤字をしてしまうことがある。 それが、リアルだが、演出として意図的にやっているのかどうか。そこをめぐって、この文章は、詩に生まれ変わる。 ひょっとしたら、本当にこうした文章が存在していて、間違いが残ったままここに投稿されたのか。それとも、このままの愚痴を詩として筆者がここに投稿しようとした時に、誤字は発生したのか。 詩が詩になる瞬間が、カーソルの刹那の移動、文章の断裂によって生じている。それをこうした形で捕まえることができたのは奇跡といえるだろう。 (まいったな)

2020-11-05

醜いものを見ると涙が出る。それは何の執念か。 どうして、「悲しい時、つらい時、くやしい時、怒った時、苦しい時、痛い時、怖い時」ではなく、醜いものを見た時に、涙が出るのか。 普通とはかけ離れた感情を、突きつけられて驚いている。 驚きから考え始める。 どんなに涙を流しても、それが本心だと証明する手段がない。その問題に主人公は囚われて、抜け出せなくなっている。当たり前に普通の人が信じている涙の意味が、わからなくなって苦しい。そんな悲鳴が、繰り返しのリズムで増幅されている。 そんな主人公は、歯医者で涙が出たからそう思ったのだという。 真剣なようで、真剣じゃないかもしれない。でも、いくら問題から目を背けても真剣に考えてみるとわからなくなる。その闇は消えない。 (涙)

2020-11-05

こういう気持ち、私の中にもあるな。 ひたすらに、背伸びして本を探して、結局何も買わずに本屋を出て行ったり。そっからどこに行けばいいのか分からなくて、隣町の本屋に行ってみたり。でも結局そこでも欲しい本がない。 そもそも、本を読もうとすることがいけなかったんだ。 現代の哲学少年の生態を、現代の言葉で記述する。わかってるな作者。 (知らないって大切なんだ。知らないって。)

2020-11-05

いいなあこの二人。 いつまでも一緒にいられそうな、詩。不思議なのに、違和感がない。 私の中にも、平野を思いっきり駆け出したい欲望が蘇った。そして、それがかなわないもどかしさも。 その代わりに誰かを思いっきり抱きしめたくなる。 (挽歌)

2020-11-05

淡々とした描写。煙があてもなく消えていくように、この詩自体も危うい存在感を持っている。 淡々としていて印象が薄いと言う人もいるかもしれないが、私は好きだ。 読み終わった後に、時間が流れ出す感じがして、一枚の写真のような刹那を写していると言える。 爽やかで、暑苦しい感じもない。霜月という季語もその流れで、シンプルさを演出しているようだ。 一瞬を切り取る詩。 (霜月の浅草寺)

2020-11-05

一度読み直して、タイトルの意味を知る。歯ブラシを咥えた口が言う、「髪色秋色だね」。初めて読んだときは、美しいのにリズムなのに実際に言われた言葉は、まが抜けて愛嬌がある。その二面性をうまく包み込んでいる。 幸せな朝。恋人だろうか、家族だろうか。誰かと一緒に歯をみがくっていいな。 (あうぃーろあいいろあえ)

2020-11-05

「他人の言葉は自分の言葉」「自分の言葉は他人の言葉」そうか、それらは裏返しだったのか。と気がつく。単純なことなのに、よびなさんのコメントで初めて気がつきました。 私が言った「純粋」は確かに身体に近いところにある、リズムや感覚に基づいている気がします。表現ではそれを目指したいと思っていますね。 しかし、「自立した言語体系」という言葉も面白くて、言葉がそれ自体で自立して文法や語幹で新しいものを生み出すことができるならば、自分のエゴを介していないという意味で純粋さがあると思います。 身体に近いところでは、意識が届かない意識以前の純粋さがあって、言語そのものに接近すると超意識的な純粋さがある気がします。 そして、その純粋さは円を描くように、つながっている気がします。 (自分の言葉は他人の言葉)

2020-11-05

現代詩、とは言えだんだんパターンが見えてしまうことの閉塞感がありますよね。でも、「伝わらないんじゃないか」「地味じゃないか」みたいな不安に駆られる時があり……ドライに書くのはやっぱり難しいですね。 中買さんの、周りを見て何が書かれるべきか考える姿勢は自分にないものなので、参考になります。 (退廃的青年の降誕)

2020-11-05

そうなのですね。確かな経験に基づいてこの色を選ばれたのですね。 シアンを選ばれた意味を含めて、読み直してみたいと思います。 (シアン)

2020-11-05

ありがとうございます。言葉でリズムを作りたいと思っています。それが伝われば嬉しいです。 (島)

2020-11-05

読まれない言葉に、意味はあるのか。「泰然として居座る」本の山には、現実とはかけ離れた世界についての壮大な記述が眠っているのだろう。しかし、読まれないままそこに積まれている。「ああ可哀想な言葉共!」には、嘆きとともについつい知識に憧れてしまう人間に対するユーモアも感じられる。 全編を通して、大袈裟に見える言葉もその雰囲気を掻き立てる。堅くて何かを言っているようだけれども、標準がどこか定まらない印象がある。 シンプルで、深いがそれをどこか離れてみるおかしみを備えた大人な詩。 (積読詩集)

2020-11-04

喫煙者ではないのですが、タバコとは何か?。ということをなんとなくこの詩で理解できたような気がします。 煙を吹くたびに溜め息が出る。遣る瀬無さ、遣る瀬無さとため息のようなゆっくりとしたリズムで繰り返されるのが、余計にさみしい。 さみしいのに、どうしてこんなに情景が美しいのだろう。 懐かしい田舎町。もう戻れない時間を、成人の象徴でもあるタバコが示している。 (喫煙事情について)

2020-11-04

不思議な海辺。海のモチーフ。汚くて雑多な生命の住処。ただ美しいと語られる海の印象を生々しく塗り替えている。 とは言え、それはリアルではなく、現実感のないモチーフが組み合わされる。 この海は、生命の生まれる場所だけではなく、空想が生まれる場所なのだ。 そこから、自分の部屋にお気に入りの空想を持ってきて調理し、詩をこしらえた。独特なチョイスに筆者の個性を感じる。 (部屋の海)

2020-11-04

よい選評、よい詩に出会えた気がします。 言葉とはどこからくるのか、言葉はどうやって生み出されるのか。その遠い場所に思いを馳せて、言葉を生み出したい気持ちがあります。しかし、どうやっても自分のエゴや限界を通してしか、表現ができないもどかしさを常に感じます。 この詩の中に出てくる「僕」は、私のそうした悩みを共有してくれる存在だと気がつくことができました。 どうやったら、純粋な、それこそ「黒曜石」のように真っ黒で純粋な言葉を生み出すことができるのでしょうか……。 (自分の言葉は他人の言葉)

2020-11-04

選評を読んで来ました。 僕が混じっていない言葉が欲しい。しかし、言葉は自分の中から生まれてしまい、自分で書きたいと思わなければ書くこともできない。その矛盾が、より一層純粋な言葉への渇望を掻き立てる。 誰も傷つけずに表現したい、そんな優しさも感じられる。 (ことばの刻み)

2020-11-04

全体を通す海のモチーフ。不確かで不安定な雰囲気。 都市の夜の真っ黒な海を思い描く。 それでも、私たちは陸に上がる前は海にいて、真っ黒で汚い海で泳ぐ気にはなれないけど懐かしくて帰りたくなるのかもしれない。でも、そういう風に体を預けられる海がない。そのもどかしさと、寂しさ。 個人の口から吐き出されたような小さな声が、大きな不合理を訴えている。 (崩壊した海で生きよ)

2020-11-04

説明するのは野暮だと思いますが、「この世は舞台で、人はその上で自分の役割を演じているに過ぎない」と言った誰かがいますね。しかし、そんな単純な世界観は崩れ去ってしまった。この詩が見事に、突き崩している。 舞台という秩序を失い、神をみうしなっても、劇は続いている。 日常と舞台の上のリアリティの濃度の差が曖昧になってくる。どこまでが、現実でどこまでが虚構か。 ルールを失った私たちはどのように「主役」として振る舞えばいいのか。誰も答えられない。それでいいのか。 アイデンティティやら、主体性やらと叫ばれることの空虚さに対する疑問。そんな概念上の自分で満足しようとすることに対する欺瞞を暴く。鋭い。鮮やかな劇場のつつましい闇。 (冬の劇場)

2020-11-04

かぐや姫の出てこない竹取物語。しかしそれが、リアルで面白い。竹林の情景、竹の生命力が鮮明に感じられた。きらびやかな姫など必要ない。 自分の中に空洞を見る。空洞だからこそ、どんなものでも入る。 無から意味を見出す禅的な深淵さも感じられる。 (竹林にて)

2020-11-04

よく読むと子供に対する愛情だとわかりました。 まっすぐでぶれない愛を感じました。生まれ落ち、生きていく命へのまっすぐな応援歌。 一つ一つちりばめられた比喩が美しい。 それが親が、子供に語り聞かせる秘密の約束のような雰囲気を作っている。簡単には理解できないけれども、いつの日か大きくなった子供がこの詩に励まされるのだろう。 (窓)

2020-11-04

どうでもいいことを、詩にする。どうでもいい、素晴らしくない、下らないことを詩にする。 それをすることにはある種の勇気が必要だと思う。どうせ書くなら、良いものをとか考えがちだがこの詩は違う。 むしろ、どうでもよくて下らないから詩になる。 「みんなの知るようで知らない時間」。おそらく私たちがどうでもよい、と切り捨ててしまう時間。詩にすらもならない、と切り捨ててしまいそうになる時間を、どうにかしてすくい取ろうとする。そんな、小さな冒険心と好奇心、優しさを感じられる。そしてそうやって、すくいとったとしてもやっぱりそれはどうでもよいものなのだ。それを知っていて詩にすることそれ自体のユーモアもタイトルから感じ取れる。 (退廃的青年の降誕)

2020-11-04

星に何かを願う、そのことの正反対の想いを描いた詩。「死ね」と連呼されるその叫びもまた、空に向かって投げかけられる。それもまた、自分の叶えたいものを願うことと同じぐらい強い思いがあるのだと、ハッとする。普通、生きていて「死ね」なんていうと、不道徳だし怒られる。あるいは無視されて通りすぎられる。 でも、本当はどこかで「死ね」と叫びたくなる自分もいる。思いっきり最後に吹き出したように、湧き上がるその言葉に、寂しさと自虐が漂う。天に向かって叫ぶと、唾が自分に返ってくる。けれど、なんだか安心する。見かけの平凡や平和を願うことよりも、「死ね」と願うことの方がずっと健全だと思う。 (呪願星)

2020-11-04

コメントありがとうございます。 どこの島かは、書いた私にもよく分からないです……。心の中にある島。 高校生の頃に修学旅行に行った沖縄かなあ。 なんとなくぼんやりした記憶が元になっています。 (島)

2020-11-04

何を知りたくて、問うているのだろう。 答えが知りたくて、問いかけているのではないと感じる。 「死にたい」という人が、本当に死にたいわけではない、という話をきく。話は知っているけれども、他人事として何もできない自分がある。 もしも、ここで問われていることに答えがあるとするならば誰が答えることができるのだろうか。誰もいない? だとしたら、問いは深く暗い闇の中に投げかけられている。その穴を見つめて、何も見出すことができない自分。目を背けることしかできない自分がいる。 (死ぬ権利)

2020-11-04

とても内向きな、簡単には手が出せない悩みを感じる。何処かに行きたいし、何かを倒したい、でもその何かが分からない。自分の中でもそのような悩みがあるのはわかる。でも誰にも言えない。 見守るしかないのだろう。応援する言葉よりも、ただ「僕」が自分の中を見つめ続けることで変わって行くのを待つしかないのだろう。 (敵を倒す)

2020-11-04

「匂いまでは届けられない」コロナ禍のリモートでのコミュニケーションで失われているものを彷彿とさせます。 しかし、部屋には香水。匂いの元だけがあって、「君」がいない。足りないものと、ここにあるものそれらがメビウスの輪のように、真っ直ぐにならずにねじれたまま置いてある。愛おしい歪な形。 (とりあえず過ごす今日は君の置いて行った香水)

2020-11-04

雪の身にしみる冷たさを感じます。古風な言葉、今の私の知らないリズムと音を持っている。雪道を歩く人の姿が遠くに見える。冷たいながらも、息を吐きながら前に進んでいく強い意志が身近に感じる。 冷たい詩なのに、熱い命を感じる。 (雪女)

2020-11-04

美しい白いページにこの詩が書かれていることを想像しました。白いページに、窓から分散した虹色のプリズム光が写っている。整然と並ぶ文章を、読んでみると所々息を吸うように詰まるところがある。そこに、これを書いた人の心が言葉を生み出す瞬間があるのだと思いました。そして、最後にここは地球ではないと知る。 この世界の、どこか遠い場所で書かれた詩。これを書いた人はどんな人なのだろう。想像力が優しく解き放たれていきます。 (天球)

2020-11-04

いなくなってしまった「あなた」が恋しくて、タバコを吸うまねをしたのでしょうか。さみしい道にポツンと立って一人、煙でむせる。むせた苦しさが生々しく感じる。普段、むせることはあまりないし痛いこともなかなかない。あなたがいなくなった胸の痛みが、具体的な喉の痛みとして現象する。とても寂しくて、恋しい。静かで、淡々とした語り方も、それを引き立てている。 (むせわらい)

2020-11-04

ロックのような激しい旋律が聞こえました。最初のあ、い、う、え、お、から引き込まれそれだけで終われば、普通の「かっこいい詩」だったと思います。でもこの詩はそんな単純な物ではない。でも、か行、さ行と続いて行くうちに、これはどうやら五十音を書き尽くすつもりだとわかりました。この辺りから激しい旋律が耳に残り始め、内容をはっきり掴めない程になりました。 五十音を一つ一つ探ってそれでもなお書くべきことを探している執念、「この作品はなんだったのか」と詩自身が問いかける迷い、それが詩全体から溢れ出てきている気がします。 (僕と誰かの狂詩曲(ラプソディー))

2020-11-04

コメントありがとうございます。「かえって島のほかに優しいことなどない」という、読み方にハッとしました。 書いていた時は、「島」のことしか考えていなかったので、島の他に優しいことがあるのかないのか、という思いすらも私は抱いていませんでした。それが知らないうちに強調になっていたのか、と書いていたときの心情を客観的に思い出した気がします。 (島)

2020-11-04

エビフライの尾にやられました。 「/」の意味を真剣に考えてしまう。 「/」が生き物の関節のように見える。今は、壁に吊り下がっていて、真っ直ぐな形をしているけれども、この短歌に触ったら、ピクッと関節のところが曲がって、エビのように跳ねるのではないか。 そんな、不思議で不気味で、笑える。でもまた、触りたくなってしまう。 (短歌 二首)

2020-11-04

「シアン」という色から、一つの流れを見る。シアンってどんな色だろう。覚えていないが、この詩に描かれた色の記憶が教えてくれる気がする。悲しくて、美しい色だと思う。私たちは、海から生まれてきたはずなのに、どうして薬物を通してシアンを口にしているのだろう。そんな矛盾が心に残る。 (シアン)

2020-11-04

言葉が記号になり、記号が視覚へと解放される。「Q」が空高く登って行く風船のように見えたから。幼い頃、遊園地で買ってもらった風船が空に飛んでいってしまった、あの時の空と寂しさ、不思議なほどに引き込まれる青さを思い出した。いつまでも、空を眺めてしまう。 (. 09)

2020-11-04

どこにでもありそうで、実はそうではない恋愛の詩。一見、まっすぐに自分の気持ちを述べているように見えるが、二行目の「どうにも間が悪く」が苦い雰囲気を漂わせる。そして、最後の「にじゅうごかいめの逢瀬」、狂っている。いち、に、さん……と心の中で逢瀬を数える。普通はしないことなのに、もしかしたら自分が恋に落ちたらそうしてしまうかもしれない。そんな、危うさ、恋に夢中になった時の不器用な真剣さを感じる。 どこにでもありそうな恋、とはいうけれど、実はそんな言い方は恋には相応しくなくて、日常にありながら狂っている恋愛のリアルなところを裏に隠している。二面性のある、単純なようで奥深い詩だと思いました。 (25回目の逢瀬)

2020-11-04