作品投稿掲示板 - B-REVIEW

奏熊ととと@所詮詩書き


投稿作品数: 11
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読み方:カナデクマトトト 現代詩投稿プラットフォームB-REVIEWにて推薦作に選ばれました。

奏熊ととと@所詮詩書きの記録 ON_B-REVIEW・・・・

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まりも様 >2連目と3連目は描写が違いまして、2連目は街灯からの温かさを表現し、3連目は教えてくれと街灯という話さない生き物へ問いを続けることにより誰かが助けに来るのを待つまで、孤独への不安をぶつけている形です。 社町 迅 様 >そうですね。若干似ている感じです。しいて言うならば田舎の街灯を意識してもっと全体を暗くした感じです。真っ暗闇と言ってもいいでしょうか。 (暗闇の少年は街頭を友達にかくれんぼをする(改訂版))

2018-03-02

鹿様 そうですね。 この詩で伝えたかったことは夜の恐怖と街灯の温かさでした。 (暗闇の少年は街頭を友達にかくれんぼをする(改訂版))

2018-03-01

>まりも様 私の道の中で最高傑作ができた朝は 私の人生の道の中で努力し最高傑作ができ、それはこれ以上の努力ができないかもしれない恐怖です。 >八十代の方が、息子は私が歳を取るってことを知らないのよ 私はそれを気づいてしまい、それは若さ故の過ちを勉強と努力にぶつけ、まだ両親は元気だが、昔に見た祖母の手と同じに見え、急に不安に襲われました。 この詩は真実で悲しみだった。でも、伝えないといけないと思って書いた。 (幸福の形、不幸の形)

2018-02-24

花緒様 >勉強なんて知らない、卒業できるくらいに怠けた は単位がとれるくらいに頑張ったです。 文章が変なのはこの詩はその時の感情をその場で書いたものなので読み返しなしなのが、原因ではないかと思います。 (幸福の形、不幸の形)

2018-02-20

>祝儀敷様 とても的を射たご意見ありがとうございます。自分も同じように感じました。 >三浦様 お久しぶりです。 自分が感じたことはこの半年はインプットの時期でした。 不器用なものでインプットとアウトプットの両立ができない形となる今、 作風に逆らいながら、戦ってきたインプットのさなか、ぎりぎり掴めた作品がこれになります。 しかし、それは藁、登る私はいつか、生きたい。 (恐怖について)

2018-01-29

復活と駄文 初心に戻ります。 (恐怖について)

2018-01-29

>>朝顔様 ありがとうございます。 このように些細なことから膨大にストーリー作る。 このスタイルで今後行こうかと思います。 >>花緒様 自分の経験と言うと自分はバリバリ中学生の頃からブラックコーヒーを飲んでいます。 しかし、この詩はあるきっかけがあって作られました。 そのことについてはいずれお話しします。 >>まりも様 ある意味あえての表現でもあります。 >>るるりら様 ありがとうございます。 その時はブラックコーヒーと共に思い出してみてください。 >>夏生様 幼い時の私は実はどうでもいいことに疑問を追求する子供でして、 大人になった今でも自分はこういうことをずっと考えてしまいます。 >>百均様 この度は感想と解説を頂きましてありがとうございます。 私の思いと多重構造の策が行き届いてすごく嬉しく思いました。 そして、最後にこの作品で私が伝えておきたかったことを述べたいと思います。 私が知りたいのはこれを読んだ読者が今度はブラックコーヒーを飲んだ時、どのように感じるのかを知りたい そういう意味では実験詩になるのかもしれません。 (ブラックコーヒー)

2017-06-12

そうですか!? それでしたら良い作品です! (日米宇宙人友の会の打合せ)

2017-05-23

この作品は引っかかったので感想を 命の大切さをA5ランクの牛肉で訴える部分ではあるが、勿体無い。 せっかく、A5ランクの牛肉が使われているのに「美味しさの表現」が少ないせいで「命の大切さ」が伝わってこない。 A5ランクの牛肉を使うのであれば、味覚、聴覚、嗅覚、フォルムの表現まで入れて最後に命の大切さを訴えれば良い作品になると私は思う。 (牛肉)

2017-05-23

この作品はもしや!? 私の「春作と風時」のアレンジ作品でしょうか! そこで提案です。 もうあと二列ほど書いて、第二次世界大戦の表現をしてみてはいかがでしょうか? 日本とアメリカだけじゃこの作品としてはもうちょっと欲しいイメージがあります。 それか北朝鮮いれてみたりしてもいいかもしれません。 (日米宇宙人友の会の打合せ)

2017-05-23

5月の2作目は既存の作品をアップします。 (栞紐)

2017-05-05

5月にしてようやく自分が求めるテーマで詩を作りました。 こういった日常の行動を詩で綴ることが私の詩作となります。 (ブラックコーヒー)

2017-05-01

本作は百均さんとのコラボにより、なされた詩です。 話し合いの結果B-REVIEWのエキシビションとして、この詩は選考から外していただけると助かります。 (リレー詩 ~百均&奏熊ととと~ (B-REVIEW.Exhibition))

2017-04-24

こういう手法は続けて頂きたいが、バトン・パスのところで何か バトンを強引に渡してみるとかすれば、また違ったつづきになりそうかな。 一言。勇気をもってバトン渡してみたら。 確かにやろうと思えばやれます。 しかし、だからと言って自分の色を強くを出すことをすれば、逆に詩全体のリズムを崩してしまい。 そもそも、リレー詩そのものが破綻してしまいます。 今回初めてリレー詩を行ってわかったことは「合わせる」ということが大事だったと私は思います。 (リレー詩 ~百均&奏熊ととと~ (B-REVIEW.Exhibition))

2017-04-22

三浦果実さんへ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 朝 (今日も、ちいろはめでたく赤)

2017-04-19

なかたつさんへ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー {他の方も言及されているとおり、二色のボールペン=動脈(赤、闘争)・静脈(青、哀愁)を表現しているのだと感じましたが、そこに新たに解釈を付け加えます。リストカットしたことによって、いずれかの脈から結果としては「ちいろ」=赤=闘争しか表に出てくるのでしかないのです。} この新しい解釈には度肝を抜かれました。私がこの作品を書いている時は、その領域までは考えていなかったです。しかし、それは悪い点だろうか…批評を行うことにより、書いた本人が気が付かなかった解釈が生まれることは「批評を使った反射魔法」なのかもしれない。 {ここで、想像力を働かせるならば、動脈と静脈が繋がっている心臓や肺はその二つが混ざっている地点であり、そこでは赤と青が混ざっている、つまり、紫の状態になっているのではないでしょうか。} この批評をいただきまして、ありがとうございます。 この批評から私はこの作品を書き直すことに決めました。 変な話ですがこの作品に書いた私が魅力を感じ、また、一からやり直したいと思います。心臓と肺の部分も新たな解釈を付けて進化していきたい。 塚本一期さんへ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー この作品を読んでいただき、また、賞賛していただきありがとうございます。 今後も頑張って詩作を行いますので、よろしくお願いします。 (今日も、ちいろはめでたく赤)

2017-04-19

これで、作品の完了です。ご迷惑をおかけしてすみませんでした。 (春作と風時)

2017-04-10

以前のコメントはすみません。詳細に書いていこうかと思います。 私がこの詩を評価したいことは ・表現の生々しさ ・詩の形態の変化と構成 ・言葉に濁りがない という点です。 ・表現の生々しさ {一回目の記憶}の {台湾のサウナでスペシャルマッサージ} {業務用エレベータに乗って} ここの部分が私は好きでした。 台湾のサウナからの業務用エレベータで不十分で怪しいお店を表現する この生々しさは真似できません。 また {缶コーヒーを頂いたけれど、「それ、スタッフが二十円ぐらいで買ってくる安いやつなんですよ」とか言われて} この部分がとてつもなく私は好きです。さらっと流すようでとんでもないことを言うようで ・詩の形態の変化と構成 詩の構成がジャズのようにまた全体の構成が一枚絵のように感じます。 私もこういった散文詩や詩の配置などを工夫しようと思いましたが、この詩は詩と詩の溶接に出っ張りがないというか 区切りが見えないのです。 そういった点で私は大いに感銘しました。 なぜなら、私がこういったことをやるとしましたら区切りを思いっきりつけて、ポストハードコアになってしまうので ・言葉に濁りがない これは私の個人的感想です。 言葉に濁りがないといいますか、政治家の前衛的な詩でなく一歩引いた綺麗さを重視したことで先ほどの生々しいフレーズがすんなりと 感情に入り、「しょうめい」が知らぬ間に自分の心の中にいることです。 私は元々、ネット詩を見て来ましたが、どうも、なんというか「作者の心情が押し寄せる詩」が苦手です。 ですので、私はこの詩を評価します。 なかたつさん、本当にありがとうございます。 (証明書)

2017-03-23

すみません。コメントミスをしました。 なかたつさんへ ーーーーーーーーーー {実際に多く食べられているかは置いといて、ベーコンエッグは朝食の象徴として用いられているのでしょう。ただ、この詩においてテーマとなっているのは「朝」と「生」であり、直接的には語られていませんが、ベーコンエッグが「今日も生きるんだね」と責められながらも、ベーコンエッグ自体はそれこそ朝の象徴でありつつも、死の象徴でもあります。卵と肉は、それこそ生命の死そのものです。それも有機物の死。食べるということは、何かの死を抱いて生を続けるということ。逆に、反吐を吐くということは、何かの死を一度は抱きながらも、それを拒むということ。つまり、無理やりではありますが、死に近づくことだとも言え、同時に、生きることでもある。  マネキンもブリキもくるみ割り人形も、何かを食べずとも存在できるものたち。彼らがいつまでたっても生きることができないのは、食べるということを知らないから。タイトルや本題から逸れている気もしますが、そんなことを考えてみました。} この題目ではベーコンエッグや食べ物で日常の朝、昼、夜を表現し、マネキンやブリキ、くるみ割り人形で人間を表現しています。 しかし、貴殿の解釈もあり、逆に私は感銘を受けました。ベーコンエッグというのも自分では「朝食べるモノ」としか認識がなかったため、改めて認識してみようと思います。 最近、「生」と「食べ物」は密接な関係だとドラマで知り、深く探求してみようかなと思います。 (常識的に安定した殺人ウイルス)

2017-03-22

るるりらさんへ ーーーーーーーーーーーーーーーーーー {【今日も、ちいろはめでたく赤】 という題名ですが、【血色】ではなく【ちいろ】 ちひろという人名がありますが、それに近い印象を 個人的には持ちました。 } {血色}と書くと「けっしょく」と読みこの題目事態がダメになってしまうため、このように(ちいろ)と表記させていただきました。 {わたしはこの詩を 常備薬のように メモさせていただこうと思います。 私にとって この詩は お薬のような詩です。ありがとうございました。} ありがとうございます。別のサイトですが、よく私の詩を携帯プレイヤーに入れて持ち歩きたいと言われたことがあります。衝撃的な詩ではなく、ふとまた読んでほしい詩をこれからも頑張ってみたいと思います。 もとこさんへ ーーーーーーーーーーー {田中恭平さんの「石の眼」へのコメントでも書きましたが、「血は赤いもの」というお約束に対して「エヴァ」の「BLOOD TYPE:BLUE」や、その元ネタである「ブルークリスマス」における「青い血」は、「人でないもの」の象徴として扱われていました。ところがこの作品では、いきなり「原始、血は七色であった」と書かれています。まさに平塚らいてうもびっくりであります。} 七色に至った理由は なぜ殺人が暗いものなのか なぜ血が出ることが悲しいことなのか という部分に至り、1色だからという答えで書きました。確かに無茶苦茶な発想なのかもしれません。 {七色の血にそれぞれ込められた意味の解説は、「Aは黒、Eは白、Iは赤……」と主張したランボーの「母音」を連想させます。ただ、ランボー君に比べてこの詩における色の意味付けは、いささか平凡すぎる気がします。「赤色の憂鬱」とか「青色の情熱」みたいに、読者のイメージを裏切る乱暴な展開の方が面白かった気がします。} あー、そうですね。そこは平凡過ぎたといいますか、逆に臆病になっていたのかもしれません。というのも一般読者が理解できるのか言わば大衆が理解できるかという部分で書きました。 センスで言えばここは平凡になりますね。 ここで裏切ると大丈夫かなという部分が中途半端な結果になっていたのかもしれません。 (今日も、ちいろはめでたく赤)

2017-03-22

花緒さんへ ーーーーーーーーーーー 今回は難解な部分を全て排除してわかりやすく書こうというコンセプトで書きました。おそらく私の難解なところは私自身しかわからない部分があり、また矛盾があったのかもしれません。 最後のタイトルですが、本来タイトルにしようと思っていたフレーズが最後のフレーズと見事被ってしまったことが原因です。 百均さんへ ーーーーーーーーーーーーーーーーー 実はと言いますとこの二色ボールペンのくだりは私はあまり言葉として自分は最後まで納得のいかない部分がありました。 なぜなら、二色のボールペンはあまり存在しないのでここでは三色ボールペンという形で「黒を無くした三色ボールペン」という書き方をしようと思ったのですがその上の文 >平日も黒が似合う人達は赤い服着て肌纏う ここで黒を使っているので重複を避けたいという意味でしぶしぶ二色ボールペンという意味を使っていました。血脈==ボールペンの思い付きはボールペンで手首に傷がついた時出ました。 >=「虹の色から来る、性質みたいな物を人間に符号させていくと、人間の持っている色というのは赤と青だね、みたいな所に繋げていくという発想が面白い。」 ここの発想は二色ボールペン(赤と青)と七色を書いた後、じゃあ面白そうだからここでこの二つの意味を繋げてみようという思いで書きました。 まりもさんへ ーーーーーーーーーーーーー {平日も黒・・・喪服/フォーマル(型にはまった、形骸化した)/地味 な人たちが、 〈赤い服着て肌纏う〉語感やリズムがいいのに、赤(アンデルセンの赤い靴とか、古いかもしれないけれどコミュニストたちとか、華やかな祝着、赤子、命の色)の多義性の中に迷い、しかも「肌纏う」という不思議な用法・・・自分の意思で身に着けるのではなく、肌が勝手に纏う、感じ} 平日の黒はまさに喪服(スーツ)です。この場合の赤はまさにその通りでして、肌纏うという部分は赤を着ているのに肌で纏い隠している人間の不思議を理解していただけたら嬉しいという意味でこのような書き方になりました。 {だから、という接続詞は、散文的になるから避ける、というのが「定番」ですが、この詩の場合、語り手にとっては「当たり前」「当然」の論理であるにも関わらず、読み手にとっては「以外」「想定外」「新鮮」な論理なので、上手く活かされた接続詞だと思いました。} この論につきましては嬉しい限りでありまして、私が「だから、」を入れた理由は「語り口調を意識したかった」からです。この詩は文よりかは読む声を意識したもので、ある意味「常識的安定した殺人ウイルス」と似ているようで全く違う点は音読する文なのか、黙読する文なのかという部分です。 {虹色が七色の伏線となり、物足りない、勿体ない、と言葉遊びのような軽さに逃がしながら自死願望(裏返された生への渇望)を述べ立てて、〈マンモスだって~失くしてしまった〉という、ユーモラスでありながら、人類普遍の感情のところにまで持って行くスケールの大きさ。} この七色の血を書くときは生を意識しながらおちゃめに書こうと意識して書いていたので、そのとおりでして、「マンモス~」の下りは私がよく好きで用いる。マンモス(今回で二回目の出演となります。) マンモスをよく用いるのは子供も知っていて、かつ、本物は見たことがないからです。 {テンポの良さ、ユーモアや軽さの配合具合、堅固に全体を固めるのではなく、あえて隙間というのか、息抜き場所を用意しているような全体の作り、無駄のない詩行など、技術力の高さも印象に残りました。} 私はいつも詩に対して心がけていることは「おもちゃ箱のように、お子様ランチのような、サーカス」のようにお茶目にかつ、読者にどう楽しませようか、どのように盛り込もうか、どう面白くしてやろうかということを考えています。しかし、そのようなことをしてしまうと、自分のポエトリーを失ってしまう可能性が高いのですが、自分は読者にわくわくすることがポエトリーと思っているので仕方がありませんが、そのような性質です。 でも、まりもさんがそのように思っていただいて私は嬉しく思います。 ですが、残念ながら今回で擬人化の詩を一旦止めます。また詩のスタイルを変更して、飽きがないものが作りたいので新たな挑戦をしてみたいと思います。 (今日も、ちいろはめでたく赤)

2017-03-21

今夜は眠れないかもしれない。なかたつさんが書くが綺麗すぎて、鮮明で、1つの物語が小説のような、それじゃなく、映画のような、あれじゃない。 この作品は詩でしかできないことがたくさん詰まっていてがため、それをこなせる技巧に感銘しました。 (証明書)

2017-03-18

こんにちは、 雑談/議論/自己紹介スペースのため 今回、議論と致しまして、1つの議題を提供しにきました。 それは「人工知能は、詩人を超えるか」について 私が議題を提供した理由は<googleの人工知能が書いた詩>もありますが、近年、人工知能の研究ではビッグデータや機械学習などを駆使し、文学に基づいた研究も進められています。 将棋の世界では電王戦のプロモーションビデオ「コンピュータがプロ棋士を負かす日は? 来るとしたらいつ?」という問いに羽生善治が「2015年」と答えました。 「では、詩の世界ではどうであろう?」というのが私が疑問を持ったのが理由です。 そもそも、<人工知能の詩を詩として認めるのか><あるいは人工知能の詩を読んで人々は感動できるのか>そのような議題を雑談の感覚でお話しできたらいいかなと思っております。 この議題について、3月に2作を上げ、時間に余裕がある方々にお聞きしたいです。 雑談も兼ねていますのでお気軽に楽しんで発言してください。 (《雑談/議論/自己紹介スペース》)

2017-03-16

3月の二作目になります。 (今日も、ちいろはめでたく赤)

2017-03-13

三浦果実さんへ ありがとうございます。今回の詩はコメントを反映してのことです。技巧が欲しいと感じたため、では、私の技巧とはどういうものなのか??その答えが今回の詩になります。 意外と難しかったのは、私の表現力を活かしてかつ、技巧を組み合わせるとなると、「」を使う手段でした。ですが、それでは面白くないと感じ今回のモノ(静止物)に命の息を吹き込んでやろうと思い。書きました。 もとこさんへ 今回の「常識的に安定した殺人ウイルス」とはこの世の中の「当たり前」や「常識」や「社会」と呼ばれる一定した世の中が安定し、そして、それが殺人ウイルスとなって人々を苦しめているという意味があります。 しかし、今回はそれを日常の一見として、さらに静止物にもお話させる。 「筆者はベーコンエッグ大好きなんだね」>はい、大好きです。また、ベーコンエッグな朝も大好きです。 百均さんへ 「この詩は多分一見ナンセンスだけど、明確なメッセージや伝えたい発見みたいな物が多く詰まっている。だから文章の順接がこじれたりとかもしているんだろうと思うんですが、そういう意味で今一芸に欠ける。もっと作品が整っていったらよりユーモアに溢れたいい詩になる萌芽がある作品だなと思いました。」 >そうなんです。昔、誰かに同じことを言われました。しかし、私が思うにその意見を鵜呑みにすればいいのか、悪いのか判断がつかず、いや、した方がいいのかもしれない。ですが、自分の詩がなくなってしまうようで、何でも受け答えをすればよいってもんじゃない自分がいて。。。。。 考えた結果、意見を受け入れることにしました。そして、今月まだもう一作を推敲中ですので、その双方と比べてどちらが良いのか見ていただこうと思います。 批評と感想ありがとうございます。 (常識的に安定した殺人ウイルス)

2017-03-13

コメントありがとうございます。 内容の確認から返信まで少々お待ちください。 しかし、一筆、今回私が書いていて気に入ったフレーズは {ポークソテーが「馬鹿だ」と鯵フライが「騙せた」とキャベツの千切りが「こっちに来るかい」と} の部分です これは ポークソテー=豚=家畜 鯵フライ=魚=海に住む 千切りキャベツ=野菜=植物 ということで それぞれの鍵かっこ「」 馬鹿だ=君たちが社会の家畜になってどうする 騙せた=地上にいなければこういうことにならなかったのに こっちに来るかい=植物みたいに日を浴びて栄養をとる存在になれよ と、「」の役割は料理が話しかけています。 が、実際は話しているのではなく「」はそう料理が言っているように私が感じたという意味になります 今回の作品は私が昔、小説で「チーズサンドを見た」という地の文のところから始まりました 事実と情報が味気がないと感じた私は「チーズサンドがこちらを見ていた」という部分に変更したことが原因です このようにモノが喋ったり、見たり、聞いたりするのはおかしいと思いますが、個人的な私の反論としては蝶がヒラヒラと舞っているというのもおかしいことになると思いました。だって、ヒラヒラに舞うことができるのは蝶の方なので蝶はヒラヒラと舞っていないかもしれない それを今回は逆手にとり、私が感じたモノの感情や動作を詩で表現しました アブノーマルな発想ですが、是非そのような私のくだらないに付き合ってください (常識的に安定した殺人ウイルス)

2017-03-03

個人的な解釈として 私が思うに性と苦を覚えたての少年が社会エロの深みに入りそうな瞬間を詩で表現したと判断しました。 はじまりは少年の苦悩と痛み、自暴自棄に囚われ 中盤から社会のアダルトのエーテルを嗅ぎ 終盤は現実に戻しながらも再度誘う場面 七色=官能的な毒 カタツムリの殻=捨てられたセックス コンタクト=避妊具 カラーがついているのは陳家な流行りものと感じました(カラーがつくのはおそらく昔の何でもカラーにすればよいという風潮) ここから判断するに私の感想としてはもっと踏み込んで見てもよいかなと思いました 「その手に塩の瓶がにぎられているのに」ここが勿体無いと感じた 折角、塩の瓶の存在から続けられる詩があるのにそれを書かないのはあえてなのか、もどかしい いや、それがむしろ良いのかもしれない。私の感想としては以上です (まいまいつむりのまいこちゃん)

2017-03-03

2作品目を投稿します。 ご覧ください。 (pencil)

2017-02-21

書こうか書くまいかが気になったが、書きたくて仕方がなかったので、書かせていただきたい。 でも、私が思う感想なので、あまり重く受け取らずにいてほしい。 この作品はショートショートと詩の間にありながらも、読者の心に射止めることはさすがの技であり、私もそんな技に引き込まれた一員でもある。私はこの作品が好きだからあえて一つ言わせてもらいたい。 私の批評はこの詩のスタイルで詩集を綴ると読者からショートショートと思い込んでしまう可能性が高いことである。 ショートショートであるならばこの作品の評価は低く、詩であるならば評価は高い。 なぜならば、ショートショートは面白い作品であり過程はどうでもよく、詩は言葉を巧みに操り過程を楽しむものだと思っているからだ。ショートショートは設定を重視、詩は物語の過程を重視している。 つまり、この作品は「ショートショートではない!詩なのだ!」という部分が欲しい。 ショートショートのようだが詩であり、ショートショートではないという境界を独自で考え、読者にそのことを伝えてほしいと私は思う。 おそらく、文章の配置、人物の名前、などの詩的インパクトが弱いのが原因なのではないかと考える。 これは私がジョバンニさんのような技を持っていない嫉妬かもしれない。 でも、この作品に出合えたことや、こういうストイックな経験を得ることができたこの機会は感謝します。 (その熱く滾る硬い棒を)

2017-02-19

三浦果実 さんへ ありがとうございます。 実はというと反感の気持ちは全くなく、自分にとって批評とは自分の詩力が成長する最高の機会だと思っております。 スカウトしていただきありがとうございます。 次の機会にまた、これよりも成長した私をとくとご覧あれ (生まれて来ました)

2017-02-17

もとこ さんへ 終わりの理由 ・人にはそれぞれの死因がある ・人にはそれぞれの死ぬ理由がある 上記の二つの解釈の差だと私は判断しました。 この場合の解釈としては・人にはそれぞれの死因があるという解釈ですが、「終わりに理由をつけるか」という部分で矛盾が発生するので、実は前者を強調しながらもダブルミーニングにより後者を彷彿させようと思いましたが、失敗しました。この場合は前者を強調するため「終わりの理由をつけられるか」とストレート過ぎますが書けばよかったのかもしれません。 「人生は特殊」とか「描く用紙は白紙で/誰にでもない絵がそこにある」これは本当に今読んだ自分でも甘いと思っております。皮肉ではなく、失敗です。2連は本当に失敗だとわかりました。 最終連は1連と2連を繋ぐ着地点を無難にしようと思いそのようにかきました。 1連と2連との書く気持ちが違っていたので今回の詩がミスを起こしたことが今回の評価でわかりました。 これで自分も各方向性が決まりました本当にありがとうございます。 (生まれて来ました)

2017-02-16

花緒さんへ 感想と評価ありがとうございます! 今まで、自分の詩の評価は肯定的な評価しかなかったため、自分がこの方法が正しいのかわからない状況でした。 書いた感想としましては、1連だけでよかったかもしれません。 2連を書こうか書くまいかと迷った部分が詩について甘い部分がでました。 詩のコンセプトとしては、「生まれる方法は1つだが死に方はいくつもある」というコンセプトで書いていたのですが、途中で文量も意識してしまい2連を書くか書くまいかという気持ちになり、2連を書いてしまいました。 そこの部分の甘さは自分でも自覚しております。 自分の詩にアドバイスしていただきありがとうございました。 (生まれて来ました)

2017-02-16