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薬を飲んでから
去年の5月から 朝食後に統合失調症の薬 夕食後に鬱病の薬を飲み始めた 薬を飲み始めてから 創作意欲が減退した気がする それはいいことなのか 詩が書けなくても実際何も困らない 仕事はあるし趣味もあるし 女はいるし何も困らない 詩はお金にならない 君は何のために書いている? 書かされている、なんて そんなわけないだろう? 取り憑かれたように書かされているなんてものは 自惚れ以外の何ものでもないと思うんだ 何が楽しいの? 詩よりも楽しいこと沢山あるじゃない 例えば何?そんなこと言わなくても 本当は分かっているよね 醒めてしまったのかな それはきっと僕が下手くそだからだな いや、才能があっても きっといつか醒めてしまっただろう 薬を飲むのをやめてしまおうか そうすればまた以前の様に 詩の世界にどっぷりと浸かったのかもしれない 薬のおかげで幻聴が少なくなったから 薬は手放せない大切なモノだけど なぁ僕はつまらない人間になってしまった 元々がつまらない人間だったっけな 面白い人間 面白い詩には人が集まる 世の理だ つまらない人間 つまらない詩に人が集まるわけがない 寂しいけれど真実だ 面白いって、何なんだろうね
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薬を飲んでから ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 843.8
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2024-05-06
コメント日時 2024-05-19
項目 | 全期間(2024/05/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
私は人が集まるような魅力的な人と接したことがないのです。 それは医療保護入院という名目で強制入院から障害者としての生活を義務付けられたからです。 私が思う魅力的な人。こんな人には人が集まると思う人は、手塚治虫先生や赤塚不二夫先生のような、優しく人の話にじっくり耳を傾ける包容力のある人です。 思わず先生と言いたくなるような、そんな人が人が集まる魅力的な人だと思います。 魅力は感じても人は集まらず、いつか離れていく人もいます。 それは、エゴが強い人の持つ女性的な魅力だと思うので、あまり感心しませんね。
1魅力というのは、人の気持ちがわかるということです。そのためには、ある人の行動を 観察して、何を考えているのだろうと、考えなければいけません。そしたら、気持ちが通じ合う。 その人も私もなんて魅力的、まだまだ時間は長い。そして自由である。本当に悪い人なんて、 いません。つまらないから、悪いことをしなければならないというような気持ちになった だけなのです。詩は、文法と語彙とイマジネーションと音さえわかれば書けるのです。 言いたいことがないのに詩を書くことはしない方がいいですが。
0世の中のあらゆる事物は「そこそこ」なので、なんにせよ、その経験が楽しめるのであれば、ある程度はそれを欲求しますよね。楽しめるというのは、スカッとする気分が好き、とか、甘いものが好き、とか、セックスが好きとか、なんでもいいですが。作品にあるように、「面白い」とか「どっぷりと浸か」るとか、も、同様です。ここまでは一般論で、詩というと、上記とはまったく異なるものである可能性もあるので、いかなる楽しみを求めずに、ただ詩作は価値あるものだという信念のもとに、はじめからそのような詩を書きたいと望むこともありえないわけではないでしょう。わたしはそういう詩のほうが「面白い」と感じます。
0何だか色々考えさせられる詩ですね。 薬を飲めば、幻聴や精神不安定な状態から開放される、でもそのかわり詩作で役に立つ感受性等が失われていく。どちらが自分に必要なのかを天秤にかけながら生きていくことを強いられる主人公の苦しみ、憂いがじわじわと伝わってきます。
0ちょっと即興で返詩を。 「君は何のために書いている?」 ブレージングだ 「何が楽しいの?」 バーストブレージングだ 「醒めてしまったのかな」 鼻から口へ息を繰り返す 「きっといつか醒めてしまっただろう」 壱秒間に一回程度の速い呼吸を繰り返す 「元々がつまらない人間だったっけな」 口をすぼめ 呼吸を繰り返す 「面白い人間」「つまらない人間」 普通の人間になるのです ミカエル・リャブコ 「面白いって、何なんだろうね」 呼吸をしよう まずはそこからだ 詩を書けなくとも 書かなくとも誰も何も困らなくとも 先人たちに習い 善い言葉を遺す
0類さん、こんにちは。 詩に限らず何かに関して自問自答を繰り返している事柄って、多分自分に重要な事柄なんだろうと思います。答えは個々に違っていて自分だけの正解探しみたいなもの、かな、と。 この詩から読み取れるのは話者は寂しいんでしょうね。何気なく書かれている『寂しいけど』に現れている気がしました。(私は人が集まらなくても寂しくないので笑) そういう意味でこの詩は面白いと感じました。『面白い』も人それぞれ違いますね。
0コメントありがとうございます。 一緒にいて楽しい人が魅力的な人だと思います。思いやりのある人ですよね。思わず、アニキと言いたくなるような人と出逢ったことがありません。才能のある人と出逢ったことはありますが。幻想的な出逢いがしたいものです。その為にも人脈を作る必要があるのかもしれませんが、どうも狭いコミュニティの中で生きている僕がいます。仕事と家庭の行き来ばかりで、刺激的な交流が殆どありません。
1コメントありがとうございます。 観察力を身につけたいですね。人間関係の中で上手くいくこともあれば、失敗することもあります。観察力が不足しているが故に、失敗することもあります。でも失敗を糧に人間関係の微妙な距離感を見直しています。人間関係において確実なことは何ひとつとしてありませんが、距離感を見直すことは思いやりであり、お互いに安心感をもたらす重要なプロセスです。詩は、多くの要素から成り立っています。文法、語彙、イマジネーション、音は勿論のこと、霊感も必要です。怪しい話になってしまいましたが、僕は僕の詩で霊感を示しているつもりです。今回投稿した愚痴じみた文は作品ではなく、ただの本音ですけどね。単に歳だからもう醒めてしまったのかもしれません。若いと言うには微妙な年齢に達したからか、皆さんの詩を醒めた目で読んでいます。心打たれることがあまり無いのです。皆無と言ってもいいくらいに。でもそれは詩が悪いのではありません。僕が鬱病だから、感性が鈍くなっている可能性があります。
1例えば、ドタバタ迫力のある騒がしいだけの娯楽映画を面白がる人もいれば、眠たくなるような中身の濃い作品に惹かれる人もいる。人それぞれ面白さの基準には差があるので一概には言い切れません。 自分は昭和生まれでけっこう我慢強くて石の上にも三年、とかいうあの忍耐力を称える諺をたたき込まれてきた世代なので、ずいぶん無理もしてきたなって思っています。人見知りもしますが、話し好きで見た目は弱々しくは見えないでしょう。むしろ自分の殻に閉じこもるのが好きな質なので、あの人は何を考えてるのかわからない。よく言われたものです。そんなわたしがやれ肩が痛いとか腰がわるい、況してや鬱病ではないのか?と他人に言ってもほとんど信じてはもらえないのです。それは、つまり少々では弱音を吐きたくない。というあのトラウマのような諺に取り憑かれているからでしょう。つい無理をしてしまう。なかなか信じてはもらえないので親しい友人にも本心は秘匿されてしまうことになる。正直どのように受けとめてもらうるのか、それを考えると怖いからですね。 ~のように考えてみれば、わたしが投稿詩というサイトに関わってこられたのはやはり本音で語れる。という側面があるからでしょうね。もちろん作品では嘘も作りますが、コメントや批評では嘘も吐けない。それは互いに顔も素性も知らない相手で、空間に遮られているという安心感もあるからでしょう。そのことはまた知らない自分を引き出してくれる場でもある。自由な空間です。素晴らしいことですよ。言葉で表現するってそんな良さがある。といま書いていてはじめて気づいたかのように気恥ずかしくなりました。笑。よくもわるくも言葉を通じて素の自分が出せる。いくら装うことになっても、です。その様に詩を書く行為とは、つまり掛け替えもなくやはり素晴らしいことなのです。
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