作品投稿掲示板 - B-REVIEW

クヮン・アイ・ユウ


投稿作品数: 63
総コメント数: 558
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プロフィール
記録
プロフィール:
流木出身/視覚や聴覚に訴える名のない表現をしています。思想に基づく表現を大切にしたいです。生の苦しみに溺れている時、つかまった流木、それが私にとっての言葉の一側面です。世界の回路となれるような言葉を紡いで、またそういった存在にもなってゆきたいです。@poemer_z / https://t.co/vlIfejlNz4

クヮン・アイ・ユウの記録 ON_B-REVIEW・・・・

ベテラン初コメント送信者

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獲得バッジ数
✖3 ✖3 ✖6

屈指のB-Reviewer

総合コメント数バッジ(くわしく)
獲得バッジ数

天才的投稿者

投稿作品数バッジ(くわしく)
獲得バッジ数

世界の回路

2023-05-20

花をつくる

2023-01-03

○を辿る

2022-04-16

こい

2022-04-13

ゾウリムシ

2022-04-06

知るひと

2022-01-14

白背

2020-12-15

開幕その後に

2020-11-22

Hz

2020-11-01

白い道

2020-07-10

2020-04-28

Answer「あ」

2020-01-03

信頼

2018-10-18

ヒール

2018-09-26

Tender

2018-08-29

四つ角に孤独

2018-05-03

朝は歌う

2018-02-01

延命救命

2017-11-29

おわらない

2017-07-13

Driver

2017-05-02

食べて下さい

2017-04-22

風のありか

2017-04-15

好き

2017-03-03

ポエジー

2017-02-25

水底の住人

2017-02-19

田中さんおはようございます。コメントをくださり、ありがとうございます。 時にもう感情のみで嫌なもんは嫌、腹立つものは腹が立つと心に任せて言動を選択しそうになりますが、やはりどうも踏みとどまらされるものがあります。例えば個人の溜飲が下がっても世界が悪い方に進むならそれは本意ではないのではないか等と自問されます。 今後もその感覚を大切に自分なりの闘いを続けてゆきたいです。 (世界の回路)

2023-05-29

つつみさんおはようございます。コメントをくださりありがとうございます。 >話者の本当の気持ちや感情をぶつけなければならないこともあるかもしれません、それは矛ではないと個人的には思います。 この箇所、その通りだと思います。私もそれは矛ではないと考えます。なかなか難しいことですが、本心や感情の伝え方を大切にしたいと思います。 >最終的に相手なしに自立する言葉になるのであって、それまでは色々な相手とぶつかることを恐れてはならないと思います。 ありがとうございます。つつみさんはそのように感じ取っていただけたんですね。自作の説明は出来ないのですが、自立する言葉がなんであるのか、これからも引き続き考えてゆきたいです。 >「相手が何故、回避の為ずるい言葉を使ったのだろう」と、自分なりに客観的に考えてみるのもいいと思います。そこでなにか言葉が浮かんだら、必要に応じて相手にその言葉を返してみてもいいと思います。 ありがとうございます。そうですね。これはもちろん相手と「両思い(相手もこちらに話す意思がある)」でなければ成り立たないことではありますが、どんな方とも言葉のやり取りを諦めないでいたいです。 >とても強い意志を感じます。 ありがとうございます。つつみさんや他の方からもこの箇所を取り上げていただけてとても嬉しいです。簡単な言葉で表現される場合は特に、作中の文脈や、発信者の生き様も影響するところがあると思うので、精進してゆきたいです。 (世界の回路)

2023-05-26

嗅覚の描写が際立っていて、そのリアルさについて考えていたところ、もしかしたらこれは実体験から着想を得たものかも知れないなと考えました。ふと鼻をついた刺激から色々な場面が想起されたり想像が働いたのではないかと思われます。そうしたものをトリガーにした際の人の心というのは実に素直で、その時抱いた想いをポジティブな形で成就させるには、例えばこうして表現することに尽きるのではないかと考えます。その為本作が本作であることの必要性についてもしっかりと感じ入ることが出来ました。 (もう、触れることもない)

2023-05-24

トビラさんおはようございます。作品をご覧くださり、またこうしてお言葉を届けてくださり、ありがとうございます。 >自分自身に制限をかけずに言葉をどんどんを書いていくという方がクヮンさん向きかなと思いますね。 ありがとうございます!大きな胸で受け止めていただき、またこうして応援の言葉をかけていただけて嬉しいです!パワーをもらいました!自分らしく突き進んで突き抜けたいと思います! こちらのサイトでは、投稿対象を詩に限定せずクリエイティブ・ライティングが認められています。私のような者でもこのように活動が出来ることをありがたくを感じています!これからも精進します!ありがとうございます! (世界の回路)

2023-05-24

>”変わり者”になって人から避けられたい。 この箇所を受けて、目的は避けられることではなくて、結果的に避けられるような変わり者になること、もっと言えば自身の主観的な評価で言うところの偉業(他者から偉業と語られるものではなく)を成すことが目的なのかなと思われました。 (つまらない)

2023-05-23

三浦さんコメントをくださりありがとうございます。 >気持ちやマインドを直裁に書くのではない。「直裁に書いてるな」とみせること。 ご指摘の通りそこにムラがあることからもおわかりのように、私はこれをテクニックでコントロール出来ていません。でもまぁそれでいいのかなと思います。アマチュアとして生活者として、良いも悪いも繰り返しながらやはり何よりも現在地で語る、それを更新することを生ある限りやってゆけたらと願っています。 あと、 >「直裁に書いてるな」とみせること。 この点について、私が逆に他者にそれを感じる時、それを指して「信頼に値する」ことだと考えています。 ありがとうございました。 (世界の回路)

2023-05-22

m.tasakiさんおはようございます。丁寧にご覧くださり誠にありがとうございます。自作について解説するようにあれこれと語るのはどうかと思われるので返信の仕方に迷うのですが、ただただ嬉しい想いでいます。ありがとうございます。 自身今よりもっと未熟な時には、言葉の発信力や影響力を即席で強める為に敵を配置してそれと比較して語ることをしていました。その目的が個としての活躍だけに特化するならそれで良いのかも知れませんが、一方で世の中に与える悪影響を想うとこれは果たしてどうなのかと思われました。これからも言葉の扱いに精進してゆきたいです。ありがとうございます。 (世界の回路)

2023-05-22

火炎瓶では何も変えられないと知りつつ、製作コストや現実的に行動が可能であるか等の面から、消去法的に保持しているそれを結局意志のもとには行使出来ないやるせなさを感じます。 >いつになったら火をつけるのか と言われる群れがいて、 また認知機能が低下するような年齢になってようやくという頃には既に実効性を失っている爺さんがいたり、そしてそれらを見つめる話者自身も今日の飯で精一杯。話者が爆発に至るきっかけも事故という受動。 ストライキの有効性も認められにくい国で、デモも果たしてどれ程の効果があるのかと感じられて。 群れでもなく火炎瓶でもなくそのどん詰まりでただ今日の飯が美味いということ。 でも猫を引き受けた行動にはどうしても光を感じます。それが何になるのかということかも知れないし、結局最期まで面倒見られなさそうですし。でも、という想いはあります。 投げることはないとわかるから火炎瓶は頭の中だけで、行進も出来ず、日々の暮らしや狭い範囲の人や命を大切にすることに取り組む。バタフライ・エフェクトのようなものに微かな望みを託すことしか出来ない感覚がある。こういう作品を読むと、でも諦めたくないよなんて燃えて来ちゃいますね。導火線の湿気が振り払われるというか。 (しけしけのしけしけのしけしけのぱれーど)

2023-05-22

>わからないものはわからない わからないまま受け入れる その勇気をいつになったら 持てるのだろう この箇所、もっと言うとタイトルを見た段階で気持ちの昂りを感じました。と言いますのも、私が「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉に出逢うまでに漠然と抱いていた葛藤と近いものを感じたからです。名前はある側面では看板に過ぎないのかも知れません。それでも名前も知らない頃から意味だけを確かに体感しながら、けれど名前がないからその立ち位置に不明瞭さも感じていて。しかしどこかで確かにこれでいいのだという感覚もあって。そういうものに名前があると後になってから知って喜びを感じたことを覚えています。 どうかわからないことに耐えること、そのまま受け止めることが出来るというのは、能力だと思います。 作者様の創作と思考の日々が、幸福に繋がっていることを信じています。 (わからないものはわからない)

2023-05-20

ボルカさんご覧くださり、またコメントをくださりありがとうございます。 ご指摘の箇所はその通りだと思います。そのうえで共感いただけたとうかがけてとても嬉しいです。誠実なお言葉をかけてくださりありがとうございます。 自身その技術を身につけたいのかという点については自問を続けてゆきたいと思います。 (詩の朗読「よごした海、しぶきあげて海」)

2023-05-20

エイクピアさんご視聴くださりありがとうございます。開陳という言葉を辞書で調べました。また聞いて見ようとおっしゃってくださり、ありがとうございます! (詩の朗読「よごした海、しぶきあげて海」)

2023-05-12

羽田さんこんばんは。私はこの作品が素晴らしいと心から感じて、これは羽田さんだから書ける作品なのだと心動かされて、一票入れさせていただきコメントもさせていただきました。しかしながら、自らのコメントの内容に嘘はなかったものの、作者の方に対する自らの想像力に不足があったのではないかと思われました。それは特に他者の痛みを想像するということにおいてです。お返事をいただき、自省する機会をいただき、この数日考えを巡らせていました。この詩の素晴らしさは今でも変わらず感覚的にわかるのですが、それをどう言語化してお伝えすべきだったのかはわからないところが多いというのが本音です。すみません。追加コメントとなりました。またぜひ今後も羽田さんの作品を拝読させてください。大切な作品に触れさせていただき、ありがとうございます。 (安楽殺)

2023-05-08

かの女や男に対する対応の仕方から、話者のこれまでの在り方や経験値を想像させられます。 最後まで読むと、その人たちはもしかしたらおれ自身でもあるのかも知れないと思われました。つまりおれはおれから逃げている。 すがる者と逃げる者。人造の神たちは人間らしく堕落している。逃げる者ばかりが印象的ですが、もしかしたらこの詩作自体が唯一の闘いなのかも知れないと思われました。 素晴らしい作品を拝読しました。ありがとうございます。 (駅にムササビが)

2023-05-08

スポーツ等明確にルール化されているものを除けば、勝ち負けって主観的なものなのかなってことを考えました。作中話者が仮に自らが敗北したと考えている時、その事実は誰にも覆せないのかも知れないし、そんなことはされたくないのかも知れない。そうだとすると、この後生きて向き合ってゆけるのは自分だけで、その人だけが決めていくことなのかも知れない。 個人的に私は、他者から「あんたは負けたんだ」と言われることよりも、自らで貼ったラベルを塗り替えられないことに苦しんで生きているなぁと感じます。それが不本意な場合、これから生きてなんとかしてやるぞなんてことを思っている。いつもそんなに頑張れないですが元気な時にはそう思っています。 応援したくなる作中の人物だなと感じました。 (敗北)

2023-05-07

タイトルが安楽死ではなく、殺であることに作中話者の当事者視点を感じます。離れたところで対象が死んだのではなく、私が殺めたとする。誠実で苦しい想いを感じます。 どうして人間が大切な人の跡形を遺そうと、遺ったものを大切にしようとするのかについて改めて考えさせられました。もう不在の、そして跡形を遺すことすら認められないその命たちにとっては、本作がせめてもの形見のように感じられてなりません。 (安楽殺)

2023-05-05

いすきさんこんばんは。作品を視聴くださりありがとうございます。 まったく「酷評的」ではないと感じました。仮に理由もなしに好みでないと言われても同じように感じると思います。 >山はテーマになりにくい このお考えも興味深く拝読しました。 仕事の件、救われる為に生きていないのかも知れないと仮説して考えました。例えば人とのやり取りでヒリつくことや挫折すること、諦めること、悲しむことはそれとは逆で、でもなんかそういうものと関わり続けて死ねたらいいなーなんてことを思いました。わざわざたくさん体験したいわけではないのだけれど、私にはないよりあった方がいいよなーって。 リーディングについてのコメントもありがとうございます。いすきさんの中で芽生えた景色への想いの発端のカケラに関われただけで光栄です。 (詩の朗読「よごした海、しぶきあげて海」)

2023-04-29

田中さんこんばんは。コメントを下さりありがとうございます。 ポジティブな効果が生み出せたとのことでとても嬉しいです。伝えてくださりありがとうございます。 今後も精進します! (詩の朗読「よごした海、しぶきあげて海」)

2023-04-27

つつみさんこんにちは。お返事が遅くなって申し訳ありません。コメントをいただいてからこちらへのお返事について忘れた日はありませんでした。それでいて返さなかったのは返せなかったからです。返せなかったのは向かい合えなかったからです。向かい合えなかったのは誠実なエネルギーのこもったコメントに自らの誠実さを整えて向かう必要があると感覚的に感じていたからだったんじゃないかと今では思っています。 まるで作品のような美しいコメントを下さり、誠にありがとうございます。とてもとても嬉しいです。 >話者の気持ち的な事情で、掌の油がとれることは、永遠にないと、話者自身が思い込んでいるような印象がした。 こちらの箇所ありがたく拝読しました。瞬間と永遠は相反するものなのかなと日頃は辞書の意味として考えているのですが、それが永遠として同じもので包括される瞬間があると、この詩を書くに至った背景に暮らしていた当時の自らには確かな体感がありました。だからこそこのように思い込みとして表していただけたことにありがたく感じています。 つつみさん、ありがとうございます。 (詩の朗読「よごした海、しぶきあげて海」)

2023-04-27

>胸の内に何故を作りすぎたら 拾い集めすぎた花の この箇所、初読で引っかかったんです。「すぎた」なんですけど、何故を作りすぎるってめっちゃいいんですよね。めっちゃいいなと思って。だからこそ後者の「すぎた」は必要だったのかなって立ち止まって考えていました。本当に先に読み進めるのも止まっちゃって。それでわからないなと思って先へゆきました。そしたら三連目四連目のリフレインに触れて、あーこれ歌だって思ったんです。歌だ!って。そしたら前述の箇所もメロディが流れたらこのままがいいやって思ったんです。音楽っていいなって思いました。いい体験でした。私頭硬いのでほぐしてもらえました。ありがとうございます。 (む ゆ う)

2023-04-26

ありがとうございます!野暮だなんてとんでもないです!ありがとうございます!教えていただけてとても嬉しいです。有難いことだと噛み締めています。 画面の大きさで変わる印象があったとのことで学びになりました。 以前字幕を出して欲しいと言われることがあったのですが、それが自身の滑舌の悪さによるものかはたまたと当時は考えていました。 コメントいただけたことで思えたことは、自身が何を一番押し出したいのかということでした。あれもこれもでは到達できないものがあるんだなと。勉強になりました。ありがとうございます。 (詩の朗読「よごした海、しぶきあげて海」)

2023-04-17

ryinxさんこんばんは。ご視聴ありがとうございます。素人ながら結構な数の音源や音源動画のようなものを作って来ました。おっしゃるように、いわゆる調和については永遠にわからないように思っています。そのうえで、これからも精進して尽力してゆきたいと思います。ためになるコメントをくださり、ありがとうございます。 (詩の朗読「よごした海、しぶきあげて海」)

2023-04-07

冒頭の公園名もおもしろいですね。私などはついつい春の夜以外を想います。きっと名前になるくらいにその時節の公園は美しいのでしょうね。 あとこれはよくわからない話かも知れませんが、テキストを読む時、自分には音で言葉を受け取る傾向もまたあるので、自分なら響きで赤青黄と並べるんだろうなということを思いました。例えば信号の点滅順で並べるなら本作の順なんですよね。自分でもこのように音に惹かれることが不思議です。 そんな場所から人が落ちるというのも結構怖いことですよね。自分はどうだったかな、落ちたことも落ちた友だちも見たことがなかったかも知れません。ただ、今思えば隣のクラスの誰々が落ちたみたいな距離感では聞いたことがあったのかも知れません。 マルちゃんが土の上を波となって進んでいくシーンは素晴らしいですね。その後の >しずかすぎて誰にも気付かれないことが この世の中にはいっぱいあるから がとても効いています。 (ムーンショット)

2023-04-05

一連目、二連目と拝読して、三連目で少しトーンダウンした印象を抱きました。自身がなぜそのように感じたのかを考えました。その結果初読から抱いていたであろう一つの疑問に辿り着きました。それは、荒れ地に道を作るような崇高な精神を持つ人が、三連目に記載されているようなことを考えるだろうかということです。つまりそのような暇すらなく進み続けるのではないかと思われたのです。 私は飛行機雲を見ていいなと思うことがあります。飛行機雲は来た道を少しの間だけ残しますが、しかしそのことよりも、前へ行くこと自体への美しさを私自身が感じているのではないかと考えています。 (隗より始めよ)

2023-04-05

これは自身のテーマでもあるのですが、自らのスタンスや思想を縁取る為に、望まなくても結果的に依存関係にある自らとは異なる他者の性質を語ることから、どうしたら離れられるか、そのことを改めて作品に触れて考えました。例としてはその一つに >小難しい芸術論 という本作における舞台装置があります。 今後も考えて、自身の作品や作品外の発信に使う言葉をより良くしてゆきたいです。 (ぶっ殺すぞ)

2023-04-04

エイクピアさんおはようございます。コメントをくださりありがとうございます。 お恥ずかしながら書いていただいた人名、その方々についてほとんど知らないので後ほど調べたいと思います。かろうじてお名前だけ見かけた方もいらっしゃいました。 エイクピアさんは朗読を日頃聴かれるのですね。素敵な作品があったらまたいつか是非教えていただけると幸いです。 今後も精進します。ありがとうございます。 (詩の朗読「よごした海、しぶきあげて海」)

2023-04-02

坂本さんおはようございます。音源を聴いてくださりありがとうございます。 >詩は負の感情の為にあるとわたしは思います 坂本さんにとっての詩の一部分に触れさせていただいたように思います。教えてくださりありがとうございます。 今後も創作に力を注いでゆきたいです。 (詩の朗読「よごした海、しぶきあげて海」)

2023-04-02

①と③だけが「いけません」なんですけれど、では他の「ください」と書かれたものに比べて特に守って欲しい内容なのかと言うとそこに特別なものは感じませんでした。①だけが「いけません」だと特別な意味を感じたかも知れないなと思いました。 (お花見ルール)

2023-03-24

ABさんおはようございます。コメントをくださりありがとうございます。共感していただけて嬉しいです。お気遣いとその上でこうして伝えてくださりありがとうございます。 極私的な下方向への穴掘りの先で横穴にも通じていたと知るような喜びを感じています。ありがとうございます。 (精緻化する舌打ちを)

2023-03-22

吸収さんおはようございます。コメントをくださりありがとうございます。内的独白とユリシリーズについて調べました。こちらでは皆さんから色々なことを教えていただけるのでありがたいです。ありがとうございます。本もほとんど読まず、一人で穴を掘るように創作していますが、こうして他の方との触れ合いを通して後からその名前と意味の関係性を教わることが出来てありがたいです。 (精緻化する舌打ちを)

2023-03-21

m.tasakiさんこんばんは。コメントをくださりありがとうございます。 また本作について様々な表現を用いて表してくださり誠にありがとうございます。m.tasakiさんのコメントがそもそも詩のように感じられ味わいながら拝読しました。 本作を詩と感じていただけたとのことでそれを伝えてくださりありがとうございます。私はこちらのサイトがクリエイティブライティングの投稿もまた受け付けているということをはっきりと提示しているところに自由を感じます。そのうえで読者の方がそれが何であるかを好きに感じられるというのもまた素晴らしいことだと思います。 思考についてまなざしを向けてくださりありがとうございます。とても嬉しいです。 (精緻化する舌打ちを)

2023-03-20

三浦さんこんばんは。コメントをくださりありがとうございます。 感情の大切さについては、この数年間お陰様で三浦さんから多く学ぶことがありました。 >感情を高度な技巧で表せたなら最高ですよね。 これ、そうですね。時にそれはスピーディーなものだと思うんですが、感情の速さが言語化を追い抜いてしまうんですよね。それで夜の淀川で闇に向かって走りながら声を出し続けたことがありました。あーいうのは文章化がとても出来ませんよね。模索したいと思います。ありがとうございます。 (精緻化する舌打ちを)

2023-03-20

「みずいろ」の時にも感じていましたが、石原さんの作品は音響が素晴らしいですね。言葉に与えられた音(音楽と言っても良いと思います)が胸の中で鳴るのを感じながら拝読しました。朗読や読み聞かせにも向いている作品であると感じます。本作は絵等との視覚にアプローチするものとの相性もとても良さそうです。音の世界を堪能しました。 (テトロポリカへ)

2023-03-16

澤さんおはようございます。コメントを下さりありがとうございます。 >聴(き)くというより、聴(ゆる)すというほうが近いように感じています。 この箇所、自らの行動や姿勢に名前をもらうようで有難く拝読しました。言葉にして届けて下さり、ありがとうございます。私は言葉(名前)より意味や中身について触れていながら、後でその名を知ることが多く、だからこそ言葉の素晴らしさを教えていただいているように感謝の気持ちと共に感じています。それもこうした皆様との関わりを通して体験させていただくことが多いので感謝し切れない想いです。 確かに私は、今のこの世界で、いったい誰が人の話など聴いているのだろうということをやり切れない想いと共によく感じていました。 幸運にもこうしてエールをいただき、また一歩ずつ頑張ってゆこうという想いを新たにしました。澤さん、ご家族様の大切なお話と合わせてこうして伝えて下さり、本当にありがとうございます。 (対話不足による緩やかな死)

2023-03-16

皆さまこんばんは。クヮン・アイ・ユウです。 勇気を出してチャレンジの精神で2/10に投稿してから、コメント欄での対話に取り組んで来ました。本掲示板の仕組みの都合上、コメント欄の利用は3月末日までとなっています。タイミングによってコメント欄の閉鎖までにお返事が出来ないことが想定されますが、その後も自身のブログを使ってでも返信は行うつもりです。ブログは、こちらのクヮン・アイ・ユウのページに紐付けているTwitterアカウントのプロフィール欄にURLを記載しています。 皆様、ここまでコメントを下さり誠にありがとうございます。残り期間何卒よろしくお願い致します。 (対話不足による緩やかな死)

2023-03-15

澤様 再引用を行ってまでご丁寧に伝えてくださりありがとうございます。澤様が今回何を発端にこちらにコメントをされたのかがごく一部ではありますが、お陰様で理解が深まりました。ありがとうございます。 私が日頃出逢う方々の中にはルール違反により場を去ることになった方々が多いです。社会では「あの人は困った人だ、不気味だ」と見た目や行動等からそう思われる方々も多いです。ルールを取り入れることで場が守られる仕組みの中において、それを守れないことで罰を受けたりそこに居続けられないということは当然であると思います。その方々が問題行動に至るまでの背景に目を向けて働きかけようとする方も多くはありませんが社会にはいらっしゃるように思います。犯罪を行った方についてはその罪を償ってからの話にはなりますが、更生というものがそれを指すのだと思います。私は現代社会において被害に遭われた方々へのサポートが十分だとは思いません。そういった方々へのサポートが手厚くなればいいなと心より願っておりますし、微力ではありますが労働を通してその参画も出来ればと日々努めております。一方で、いわゆる危なそうな人、怖そうな人、困った人(もちろん犯罪を犯した方についてはその償いをした後の方を指します)等に対してサポートする人は多くありません。私は社会に色んな人が居ることについて、各人が選択の上どう生きるか、そしてその中で例えば誰を支えることに注力するのかということが選べるということに意義を感じています。力を注ぐ場所は違っても、世の中を良くしようとすることにそれぞれがそれぞれの立場で尽力出来ればいいなと希望的過ぎるかも知れませんがそう願っています。 ありがたいことに既に澤様の方で把握していただいていると思うのですが、私は「自発的な断交」を望まれる方を批判するつもりは全くありません。 澤様が今回コメント欄でここまで述べられた点以外の部分のどの方向や点について私が本作にどのような想いや考えを込めたかをもしもお考えいただけるのでしたらこれ以上嬉しいことはございません。また今回のやり取りを通して自身の思念について言葉で表現することに一層精進してゆきたいと考えております。 澤様、ここまで本当にありがとうございました。 (対話不足による緩やかな死)

2023-03-15

澤様 お返事をくださりありがとうございます。 >痴漢常習犯やこのサイトの罵倒家は、それには当たりませんよね。 私個人の中では当たらないと言い切れないところがあると考えています。 >またそうなれるようにサポート出来ればとも日々考えて行動しております。そしてそれら動機がないままに、人を傷つける方に対しては現状の法律に従い、対処される必要があると考えております。ただ、その罰というものの限界も一方で感じております。 また、このように続けさせていただいたことにも意味がありまして、私は「困った人は困っている人」という言葉に同感するところがあります。しかし当然ながらこのことはルール違反者を野放しにしていいという考えとイコールではありません。 >痴漢常習犯やこのサイトの罵倒家は、それには当たりませんよね。 この箇所を拝読し、澤様が例えとして挙げられるものから私の作品がどのように受け止められているかの一部について触れられたように思います。作品について説明はしませんが、そのように思ったことをお伝えさせていただきたいと思います。 申し訳ありません。主張を捻じ曲げる気など全くございません。改めてここまでのやり取りを振り返り複数回拝読しています。私の返信に不足がありましたらお伝えいただけますと幸いです。現時点でそのように感じていらっしゃるとのことですので、その点については申し訳ありません。 いつの間にか限定的な場に関するお話になっていると思うのです。例えば痴漢被害の場面、本サイト内の罵倒の場面などです。ですがやはりこの話を詳しく語ることはイコール作品を説明することとなり現時点での私には限界を感じるものとなっています。 私はその場の中で決められているルールや法律は当然ながら守られるべきだと考えています。ですので、本サイトではルール違反した者にはペナルティがありますし、現実社会でも刑事罰があるのだと思います。 私には「病的な他責」を理解出来ません。医療的ケアか、場合によってやはり行政や警察の介入が必要になるのだと思います。 被害に遭われた方を二次被害に追い込むつもりなども全くありません。 >私は被害に遭われた方がその方の幸福実現の為になる方と出逢われていくことを願っています。 この箇所は、 >痴漢の被害者がその被害について、あなたとまともに対話してくれる可能性は、まずありません。(あなたの戯言にはこの事実、客観的に明白な事実が、完全に欠落しています。) という澤様のお言葉を受けての返信です。澤様から見て私がその立場にないということでしたら、私は被害に遭われた方の回復に最も効果を発揮することが出来る方がサポートすることが望ましいと考えました。 >具体的には、このサイトで罵倒家とその擁護者による陰湿ないびりが起きた場合、被害者のほうが黙って出て行くべきであると。 この点については全くそのように考えません。ルールのあるところでルールを守れない方が出て行かなければならないことに異論はありません。 >罵倒家に罵倒できる環境を提供し続けることは、まがうかたなきイネイブリングであるとしか、わたしには考えられません。 そのような環境が継続されないように日頃運営の方々が審判をされていると理解しています。 >わたしの立場からすると、あなたの言動は自分への追い出しにしか感じられないので、 こちらを拝読して驚きました。私にはそのような想いも考えも全くないからです。 何か誤解が起こっているように思うので、よろしければ追い出しに感じられた理由を教えていただけたら幸いです。 澤様、エネルギーを割いてこうして書いてくださり、ありがとうございます。私は勝ち負けを決めたり、より良い答えを出す為にこの場で皆様とお話をしておりません。互いの理解が深まれば嬉しいと思います。 (対話不足による緩やかな死)

2023-03-14

澤様 初めまして。この度はコメントをくださりありがとうございます。 私は投稿時に選んで競争に参加した立場であり、またその結果七名の方に投票していただく幸運に恵まれました。推して下さった方々の為にも澤様のお言葉をそのままありがたく受け止めることは出来ません。ですが、本結果についての澤様のお考えや想いについては受け止めさせていただきました。 はい、もちろん勘繰ったりなどは致しません。本作が投稿されるに至った経緯がどのような流れや背景を踏まえてのものであるかについては、現段階では引き続き読者の方の受け取り方にお任せしようと考えております。 >DVの被害者にも、いじめで不登校になった子どもにも、加害者と話し合えと言うのですか? このようには考えておりません。 >痴漢の常習犯とあなたが対話したら、問題が解決に向かうとでも思うのですか? こちらについては、解決に向かうと断言することは出来ません。その時の私の立場にもよるとは思いますが、例えば更生保護に関わる職員として働く際にはその使命を全うしたいと思います。 澤様の常習犯に対する考えについて拝読しました。ありがとうございます。私は、様々な犯罪歴があったり依存症を抱える方々とも接する機会をいただいているのですが、自身がより良くなりたいという内発的動機を持った方を応援しています。またそうなれるようにサポート出来ればとも日々考えて行動しております。そしてそれら動機がないままに、人を傷つける方に対しては現状の法律に従い、対処される必要があると考えております。ただ、その罰というものの限界も一方で感じております。 私は被害に遭われた方がその方の幸福実現の為になる方と出逢われていくことを願っています。 私は加害者の方とばかり話している立場には今ありません。 絶対に洗脳されないという自信などもございません。 人の理性と言うよりは、その向日性に期待したい想いはあります。人の弱さ狡さを幾らか知っているつもりです。ですから構造の改革は必要だとは考えております。 澤様お声がけをくださりありがとうございます。 (対話不足による緩やかな死)

2023-03-14

私も基本的に作者のネタ明かし的な説明はあまり好きではないです(それが容認出来ないということとはもちろん違うのですが)。作品に書かれていることが全てだと思いますし。なのでその旨はきちんと強調して一つ前のコメントに書かせていただいたつもりです。 私が既に書かせていただいた地蔵とダンサーについての箇所は、そのモチーフの必要性、つまり作品の強度に関わるかも知れないと考え、こちらが批評の場であることを踏まえ書かせていただきました。それについて問うこと=「ネタ明かししてくれ」というリクエストにはならないと考えるのですが、そうでもないのでしょうか。作者として説明しないが、これはこれで完成形なんですと言われればそれでもう余地なしの話ではあるのですが。 シンプルに書かせてもらうのであれば、初めにさせていただいた私のコメント、特に地蔵とダンサーについて言及したところに批評的要素がないと思われるのでしたら、伝えるということについての私の実力不足だと思います。その点は今後精進したいです。 何度もお付き合いいただいていることに感謝しています。ありがとうございます。 (インディゴブルー)

2023-03-13

ん〜ここまで言葉を交わして思うのは、やっぱり本作のコメント欄では作品について話したいってことですね。本作がハイコンテクストやローコンテクスト、そしてそれに関係する詩の書かれ方や読み方等を主題にして書かれている作品であるなら三浦さんのコメントのアドバイス以下の流れは理解出来るのですが。 読者のコメント、特に作品の受け取り方に関わるものについてはもう少し作者である三浦さんから何らかコメントがあってもいいのかなと思います。もちろん作品の背景を明かしてくれとかそういう趣旨ではなく。 まぁでも件のアドバイスどうこうの話が始まる前のやり取りを見直すと、ローコンハイコンと仮に私たちがその性質を持っている場合に、その性質の作用で会話が空中戦?(これはハイコン的言葉の使い方なのかな)のようになっていると言えばそうなのかも知れません。ただ、分かった気になって適当に頷いたり言葉を返すことは簡単なんですが、それだと、、という想いもあります。 (インディゴブルー)

2023-03-13

三浦さんありがとうございます。そうすると、作者としてモチーフの選択に必要性はあるが、それが真にあるかどうかは読者に委ねているということでしょうか。そこで委ねられた読者の一人として先ほどのコメントをさせていただいた次第です。 作品のコメント欄だと考えその点のみを書かせていただいていましたが、アドバイスをいただいたので書かせていただきます。スキルが致命的にないとのことですが、何においての致命的なのでしょうか。例えば生きることや詩を書くことにおいてというだけでも大きく変わるのでうかがいました。 >言葉の定義や意味なんて理解すり必要はないと断言しとく。要は感じること。 三浦さんのお考えはわかりました。私はもちろんそれを否定しません。 私は地球人です。ローコンテクストの良さもあると考えます。それは相手と自分は感覚で分かり合えないという前提に立つからこそ少しでも良く届けよう、聴こうとするところにあると思います。英語が話せなくても、この姿勢があれば地球の中では結構色んな人と話せるかも知れないなと希望を抱いています。 宇宙へ行ける人には行って欲しいですし、帰って来たらまた話をうかがいたいです。帰って来る場所を守れるような人間になれなくても、守る人の力にはなりたいです。 (インディゴブルー)

2023-03-12

なかずとばずのダンサーをお地蔵さまに例えていますが、お地蔵様を利他的でダンサーを利己的だと仮定しました。利他的な者に贈り物をすることと利己的なものに贈ることが並べられているところに違和感を抱きます。 なかずとばずという言葉と一般的に繋がりの浅いお地蔵様という言葉を結びつける必要性に、その二語の連なりによって生み出される違和がもたらす読者へのフック的働き以外のものはありますか?ない場合、前述の利他的利己的という仮説から考えるにやはり違和感を抱くのです。つまりお地蔵様ではなく、例えば「お店」で駄目な理由があるのかなということを考えました。 私は作品の背景を知り得ない立場なので、作品にコメントをさせていただきました。日頃あまりしませんが、結構感情的にというか、感情と理性の比率をいつもと変えて書きました。受け止めてくれたら嬉しいです。 (インディゴブルー)

2023-03-12

初読でコラージュ作品的なように感じました。 物価高でダンスが出来なくなるというのは、ダンス自体ではなくて、ダンスに関する舞台装置や人間関係の維持にかかる費用の捻出が継続出来ないこと等を言っているのでしょうか。ダンスだけならどこでだって出来そうだなって思いました。 お地蔵様になかずとばずという言葉を繋げることに違和感を抱きました。むしろお地蔵様は、果ての大地で佇む、ある意味のなかずとばすがまたいいなと思うんです。夢を追って頑張るけれど芽が出ない人と、お地蔵様を配置することの必然性というか説得力にやや欠けるものを感じました。読み誤りがあったら申し訳ないです。 (インディゴブルー)

2023-03-12

どれだけ努めても、言動を解釈するのは受け手であるということ。じゃあもう何も言うのをやめようかなということは誰しも考えることがあったのかも知れません。aggressivenessという言葉を大切にしています。積極性や攻撃性という意味があります。どんなに明るく優しい働きかけでも攻撃性と無縁ではいられないということ。私たちはそれを引き受けて人と繋がろうと今日もチャレンジするのかも知れません。 (理解)

2023-03-12

恐怖心と共存し得るのもまた愛だったらいいなと考えてしまいました。付き合うまでに五年以上、それからどれだけの期間お付き合いがあったのかはわかりませんが、少なくとも五年以上人と繋がり続ける作中私のお相手の方も、そして私も美しいと思いました。 (愛していれば恐怖はないはずなのに)

2023-03-12

例えば「俺としんちゃん。」でもなく、「俺の仕事。」でもなく、「俺と仕事。」というタイトルであることに読後注目しました。しんちゃんに色々と工夫して接したり理解に努めようとすることは「俺の仕事」ではなくて、あくまで「俺と仕事。」なんですよね。二つの円を半分ずつ重ねて置くような形が前者で、円の境がちょうど触れ合う形で横並びになるのが後者なのかなと考えました。確かに自らの円に取り込んで考えると消耗が激し過ぎるかもと考えました。 (俺と仕事。)

2023-03-12

プロローグ的な作品、もしくは表明的な作品と感じました。ここで語られた想いや考えがこの後に公開される作品に反映されると思うのでまた是非読ませてもらいたいです。 (詩)

2023-03-12

書かれている内容に詩情や人の世のあわれを感じて惹かれるのはもちろんなのですが、読みながら感じられる音としての心地良さが魅力的です。それだけでなく、二連目に改行を入れた自らについて客観視するところがリアルさを生んでいて面白く読ませてもらいました。作者の他の作品も読ませてもらいたいです。 (応答不能)

2023-03-11

柳煙さんおはようございます。コメントありがとうございます。ここでのやり取りが、柳煙さんにとって何らか良い働きをもたらしたとしたら嬉しいです。私もこれからも自問を続けてゆきたいです。 (対話不足による緩やかな死)

2023-03-11

三浦さんおはようございます。コメントありがとうございます。 こちらから切らなければいいというお話し、概ね同じ考えです。 わざわざ相手に誤解を与えようとは思いませんが、結局どれだけ言葉を尽くしても、例えば沢山の言葉を全て受け止めるのかどうかも相手に委ねられているのでそこはどうしようもありませんよね。 今の世の中、なのか前からなのかわかりませんが、とにかく今生きている中で感じるのは、見限るのが早いなぁということです。三浦さんも私もたぶん滅多に見限らないのだと思います(見限られることはあっても笑)。人を見限るって、真剣に相手を知ろうとしていたら、実はそんなに簡単には出来ないよなぁと思います。 >君はどう生きるべきだろうか 他人がどうあれ 君はどう生きるべきだろうか 他人と断絶する覚悟で 生きれないものか この問いを投げかけている人はすごいですね。私はせめて自問し続ける背中で少しでも世界にいい働きが与えられたらいいなと思います。 (対話不足による緩やかな死)

2023-03-11

乱暴な口調や表現 言葉を切らないで一気に語るところ 父親へのお礼の言葉という記号に込められた感情こそが真の 激情とやり場のない悲しみ この治療は年中無休のものだと思うのですがその一方で春だけが与える影響がありそうです 絶叫を感じいい詩だなと思いました 父親へのお礼のところから〜書けないまでは泣いているように見えました (春狂気)

2023-03-10

柳煙さんおはようございます! 辞書の活用頻度が高い(?)件、二つ理由があると考えています。 一つは自身日本人の両親のもとに生まれ、日本語だけと言ってもいいほどに使用していますが、未だにそれを使いこなせているという自覚も自信もなくて。それで他者とやり取りする際に、自らがある言葉Aにしている理解は本当に正しいのだろうかということが気になります。正しく理解することが手段なら、目的は相手の方とより良く話したいということが目的なのかも知れません。 二つ目は、辞書に記載のある意味と自らの言葉への理解を比べてその正しさを確認する一方で、前提として言葉はどうしたって不確かなものである考えていることに関係がありそうです。さもある程度理解出来ているように話してはいますが、お互いが別の星の住人同士であると考えると、やはり相手が使う言葉Aの意味を確認する必要があると思っています。辞書に記載のある意味として正しいかどうかは大切ではなくて、ただそれを足がかりにすることでそこからどれくらい離れているか、異なるかを相手とのやり取りから確認することが出来ると考えています。それで私は辞書を活用するのかも知れません(本ももっと読めればいいのですが...)。 相手を知りたいという気持ちに飽きを感じたことはありません。何度も挫折していますが。 (対話不足による緩やかな死)

2023-03-10

柳煙さんこんばんは。今日も一日お疲れ様です。 >私なんかネガティブ思考なので、興味深いと言われて素直に喜べません。 柳煙さん、こうやって書いてもらえること、当たり前のことではないので、そもそも書いて伝えていただけたこととても嬉しいです。だって書かなくても進んで行きますよね、日々なんて。そんなこと大人になると多くて。でもだからこそわざわざ書いてもらえて嬉しいです。だってそれを受けてまだ話を続けられるから。だから、本当にありがとうございます。 もちろんと言うと変ですが、全くネガティブな意味はありませんでした。私がそもそも対話自体に完結しにくいイメージを抱いていたからかも知れません。それに柳煙さんからコメントをもらうまでは、対話と闘争を並べて考えることもなかったんです。それでそういうことを考えられたことが刺激的であのように書かせてもらいました。 心の中で思うことが自由でもないという話を受けて思うことは、自由かも知れないけれどあんまり酷いこととかを考えたりしているとそれでもやっぱり自らの中の大切な部分が消耗して行ってしまうよなということです。だからそういうのを気にして、とどまって、頑張ってるところもあるかも知れないななんて思いました。 心の反応とそこから生まれる感情、それを言葉にすること、そして発すること。今の世界ではこの速度があまりにも速すぎるように感じられているところはあります。黙っていることの、体感時間がずいぶん長くなったのかも知れません。 (対話不足による緩やかな死)

2023-03-09

三浦さんおはようございます。 三浦さんのコメントを受けて考えていました。自分はより良く伝える為とより良く知る為一体どちらの為に言葉を調べているのだろうと。大前提として人と分かり合えないということを受け止めながら、それでも少しでも良く知りたいということがあるのだと思いました。相手の言葉が何を語っているのか、そこにはどんな想いや考えが込められているのか、感情はどうか。こういうことを私は何故かどうしてか強く知りたいと望んでいるのだと思います。 勝つ為に人と接する人、負けるとわかって接する人、勝ち負けではないところに重点を置いて接する人、様々だなと思います。三浦さんの姿勢がどれであるか良く伝わりました。ありがとうございます。私はどうかな。たぶんある方々の目線からすれば大抵負けていると思うのですが、それより何より勝つ為負ける為でなく、より良いものを選ぶ為でもなく、ただもっと人が人の話を真剣に聴こうとか、大切に向き合おうとすることが増えたらいいなと思っているのかも知れません。 (対話不足による緩やかな死)

2023-03-09

柳煙さんおはようございます。お返事ありがとうございます。 >対話より闘争のが完結しにくいけど、簡潔に起きます。 この箇所興味深く読ませてもらいました。対話は闘争よりは完結しやすく、しかし簡潔には起きにくいとのこと。確かに対話は初期コストも多くかかりそうだなと思いました。 偽善についても考えまして、偽善的な行動について調べ考えていました。その中で他者を批判していながら自らこそがまた同じような行動をしていることとの記載もありました。私はなかなか他者を批判することって出来ないなと思います。これはあくまで相手に伝えるという意味で、日頃内心では数々批判をしているなとも思われました。ですから、伝えない批判をする私に出来ることは、黙って自省的に少しでも良い人間になれるよう努めて生きることかも知れないなとも思いました。 (対話不足による緩やかな死)

2023-03-09

三浦さんこんばんは。コメントをくださりありがとうございます。 「文学闘争」について調べたのですが、プロレタリア文学などがヒットして何となくうまく行き当たらない感じがあり、「闘争」について調べていました。 その結果、相手に勝とうと争うことや、運動を通して権利や要求を得る為に争うこと等の意味が出て来ました。私が考える対話は既に示した通りやはり討論や議論とは異なるものとして、つまり争いや勝ち負けとは遠いものとして認識しているので、「闘争」という言葉のイメージとうまく結びつきませんでした。しかしながらここまで書いて、自己との闘いというイメージなら結構近いかもとは思われました。 (対話不足による緩やかな死)

2023-03-08

柳煙さんこんばんは。コメントを下さりありがとうございます。 >青白い肌 と聞くと、反射的に「萌やしっ子」という言葉やそのイメージを連想してしまいました。日焼けもあまりしていなさそうな感じがします。 その後に「青白い肌」を調べてみると、原因に貧血とありました。 ここまで書かせていただいたことと逆のイメージにあるものが柳煙さんが抱く対話へのイメージということでよろしかったでしょうか。 確かに、対話はエネルギーは要りそうです。 (対話不足による緩やかな死)

2023-03-08

こちらの掲示板で払われるべき敬意とはなんだろうと考えています。そこから、相手の背景や事情に左右されない敬意というものがあるのかも知れないということを考えています。 文化庁のホームページには「敬意とは,尊敬の気持ちだけではなく,その人の立場や存在を認めようとすることも含まれる」と記載がありました。 本掲示板では、作者個人の立場までは中々知り得ないので、やはりもっと公約数的な敬意というものがあるのかも知れないと考えています。 (ひどいことをしました(フォーラム的投稿))

2023-03-08

エイクピアさんこんにちは。コメントをくださりありがとうございます。詩としてご覧いただけたとのことでご丁寧にお伝えくださりありがとうございます。本作は読者の方を信頼して発信したものでした。エイクピアさんに肯定的に捉えられたことが嬉しいという表現に更に正確性を持たせるなら、どの部分をどのように受け取ることも自由に選択出来る中で、エイクピアさんの生きる姿勢として積極的な想いで本作に接していただけたことを有難く感じています。ありがとうございます。 (対話不足による緩やかな死)

2023-03-04

>言うたことない この箇所なんか方言的だなぁと思っていました。なんだか感情が垣間見えるように感じられて。そこから想像するのは、〈言うこと〉について、何らか注力していることがあるのじゃないかなということです。注力するということには、必ずしも前向きな想いだけがあるとは限らないとは思うのですが、どちらにしてもそこには心があるなーということを思いました。 三連目は九割が事象について書かれていると読んだのですが、 >誰か微笑む。 この箇所だけに作者の主観のような、想いのようなものが感じられました。柔らかで優しい幸福な気持ちになるのはそこにわけがあるのかも知れません。 一連目は伝聞のように読むことが出来て、二連目はAさんの語りがある。三連目の事象があり、事象って感情とか見えにくいのですが、なんだか温かさだけは不思議と伝わって来る。そこに最後添えられた微笑み。冬のある日の温かさを感じました。 (大根とツナ)

2023-02-24

吸収さんこんばんは。コメントをくださりありがとうございます。エールのように感じられて励まされました。ありがとうございます。吸収さんのおっしゃることも一理あると思います。私は作品をどのように受け止めていただけるかをご縁の中で読んで下さる方々に委ねさせていただきました。ですからこのようにそもそもお声がけ下さったことをとても嬉しく感じています。 吸収さんのコメントから思考の機会をいただいたのですが、もしかしたら皆様からのコメントを応答と捉える考え方もあるのかも知れません。ご意見いただいた本件についてはこちらの掲示板のガイドラインにも一部記載があり、そのことをどう捉えるのかもまた関係しそうだと考えました。私なりの解答は現状の姿勢をとることと考えています。 皆様のコメントが応答かも知れないと考えることに付け加えるとしたら、応答がないということもまた一つの反応なのかも知れないと考えています。すみません、バラバラとしたお返事となりました。 吸収さんありがとうございます。 (対話不足による緩やかな死)

2023-02-23

三浦さんこんばんは。三浦さん、何度も想いを込めたコメントを書いて下さり、本当にありがとうございます。 こちらでは、当時のネット掲示板の荒れた状況(A)に対してのBになるという理念を柱の一つとして掲げ掲示板の運営が開始され、具体的な方法としてカード発行(警告から出入り禁止措置)があるのだと思います。そして三浦さんは運営の役割を担われていた時代には、おっしゃられた内容の趣旨にもあるように私人ではなく公人として務めて来られたのだと思います。現在は一ユーザー(に限りになく近い立場)としてこちらでも活動されており、その三浦さんの私人として関心の深いものとして、「誰も追い出さない」という考え方があるように方々での言動から感じています。三浦さんはご自身の運営時代の在り方をどのように振り返っていますか。もしよろしければうかがいたいです。 私は今回の三浦さんからの有難いご提案とお願いについて、公人でありつつ私人でも居るという両立困難な在り方を期待されているように感じています。ここ数日本件(両立困難な物事)について考えることを非常に意義深いものであると感じています。貴重な機会を下さりありがとうございます。 こちらを出入り禁止になった方々は、今それぞれどう過ごされているのでしょう。私はこのことについてこちらを利用させてもらいながらよく考えます。当然ながら世界は掲示板の外にどこまでも広がっていて、複数の人の場所と場所が接触し合って存在しています。言葉による表現がツールであるとき、何を目的とするのか。私は人を追い出しても何も変わらない(とするのは言い過ぎで、変わる部分もあるのかも知れませんが)と考えています。これも当たり前なことですが、人は、変わろうと願い努力するから変われる可能性が出て来るのだと思います。罰が効果的に働いてそのきっかけを与えることがないとは言いませんが、それが効果をもたらさない時、引き続き同じ働きかけを行っても変わらず、むしろ悪化するように思います。相手の考えや想いを聴いて、聴いて、本当に私たちは話し合えないのだろうかと思うのです。 私が言葉に希望を持って表現を続けるのは、世界を良くしたいからです。その為には自分も人として良くなろうと努めなければならないと考えています。 (対話不足による緩やかな死)

2023-02-18

ハツさんおはようございます。コメントありがとうございます。 >己の的外れに耐えるのも仕方なし このお言葉と姿勢に美しさを感じると共に、私も同様の状況に置かれた時にはハツさんのように美しく在りたいと思いました。 この場を大切に想っていただきありがとうございます。 教えていただいた「他者の他者性」という言葉についても初めて見知ったので学んでみたいと思います。ありがとうございます! (対話不足による緩やかな死)

2023-02-17

いすきさんこんばんは。コメントありがとうございます。 >タコ足配線なのか、それともめのまえの火事のこと いすきさんのたとえがとてもわかりやすかったです。ありがとうございます。 いすきさんは自身が大きな力を持てていないことが未来の火事に繋がっているとお考えなんですね。大きな力ってどんな力でしょう。 コメントの順番が前後逆になりすみません。質問の答えを考えてみましたが、両方だなと思いました。既にずっと火災は起きていて、これからもこのままではあちらこちらで火災が起こるように思っています。 対話不足自体について対話するよりは、こちらで既に起こっているように各人がテーマを持ち寄って丁寧に話していくことが大切だと思っています。 簡単に関係を断ち切って来たから方々で燃えているし、それを続けていくのは危険だという感じでしょうか。 (対話不足による緩やかな死)

2023-02-16

ハツさんこんばんは。 >あなたの心の炎を消したくないです。何か火をくべられたらとコメントしました。 エールをお送りくださりありがとうございます。「心の炎を消したくない」なんて初めて人様から言っていただきました。とても嬉しいです。 この世界を、なんとか現状より悪くならないように保っているのは、例えばハツさんのような方の想いや言葉、そして存在のお陰ではないかと折に触れて感じています。ありがとうございます。私もそのような存在になれたらいいなー。なれなくてもお手伝いが出来れば。 (対話不足による緩やかな死)

2023-02-16

Nさんこんばんは。コメントをくださり、ありがとうございます。またNさんの作品もご紹介くださりありがとうございます。拝読しました。コメント欄も盛り上がっていて素晴らしいですね。 Nさんが人を怒らせるのは手段で、目的は相手の本音を窺うことであると受け取りました。 >しかし、その一言が事態に終止符を打つことからもわかる通り、 確かにNさんがおっしゃるように終止符を打つことがあると思います。あまりいい思い出ではないという意味で実体験としても思い出されます。ただどうでしょうか。私は個人的にそこには博打的な要素もまたはらんでいるように思われるのです。人との関係に一か八かのような要素を入れるより、じっくりと時間や労力をかけて関わってみたいと願ってしまいます。もちろんNさんのお考えを否定するものではありません。互いの差異がこうして少しでも明らかになるだけでも意義深いと感じています。 対話に飽きられたのですね。何か理由あったのでしょうか。 >それから1年経ってわかることは、人は対話などなくても死にはしないということ Nさんはそのように思われるのですね。確かに一年という時間は、ある方にとって、またある場面においては何かの答えを見定めるのに十分な時間とも言えるのかも知れません。本作にも書かせていただいたのですが、私個人としては対話不足による影響力についてはもう少し時間をかけて見つめていきたいと思っています。なぜなら今回本作を書く原動力となった問題意識は、私の数年数十年をかけて感じて来たことであるからです。 >簡単に言い争うことができるのがインターネットの良いところだと思います。 別に明日からもどこかで顔を合わせるわけではないですから。 そうですね。確かに職場や学校、家庭等との関わりとは異なるところがありますね。ちなみにオフラインの世界でも、本音を窺う為に怒らせる手段をオンライン上と同程度の頻度でとられますか。 Nさん、たくさんお考えを書いてくださり、ありがとうございます。 (対話不足による緩やかな死)

2023-02-16

>すみません、どうしたらいいかわからず、回答に時間がかかってしまいました。正直、今もまだよくわかってません。 私がどのコメントを指して話しているのかを示す為に上記のように部分引用をさせていただいています。 もしかしてこちらのコメントの全文は三浦さんに対するいすきさんからのお返事でしたでしょうか?もしそうでしたらそもそも私がお返事するのは少し変なのかも知れませんが、せっかくなのでどちらにしても少し続けさせていただきますね。 >みんなに好かれようとして やったことは >じつは私はあまり楽しくなかった とのこと。 >だから私は卒業後はほぼ別人に、自分に正直になった。 が、その道も間違いだった。それが現在のステータスです。 とのこと。 いすきさん、色々と語って下さりありがとうございます。お陰でいすきさんという人について僅かにでも触れられたようで嬉しく感じています。このように人様から語っていただけることは当たり前ではありませんから。 いすきさん、私は自らをアダルトチルドレンではないか、その中でもケアテイカーという分類の性質・傾向があるのではないかと考えています。その真偽はさておき、そのように主観的に自らを仮定すること自体が随分年齢を重ねてから行うこととなりました。ですから、荒れました。不良ってやつです。相手の欲しいものがわかる(これも主観ですが)ので、人を言わばコントロールしましたし、その癖自身は最も冷めているという孤独を知っているつもりです。かと思えば、一方では徹底的にわがままな言動で相手の自らへの本心を推し量りました。クズです。両極端に走り人を傷つけることに甘えて心のバランスを知りました。過去の行いは消えないので、そのことと繋がりながら少しでもマシな人間になりたいと考えています。 すみません、私こそ何を書いているのだろうという感じですが、書かせていただきました。 >どんなに忙しくても日付変わる前に家に帰れる生活だから 私の個人的な考えですが、その暮らしは大変だと思うんです。胸の中で少年が叫ぶならそれが本心と私は考えています。生意気な言い方をして申し訳ないです。いすきさん、どうかいすきさんを労ってあげて下さいね。今夜も寒いですね。私は今仕事帰りで歩いています。お疲れ様です。 (対話不足による緩やかな死)

2023-02-16

ABさんこんにちは!色々な想いやお考えを経てまたこうしてコメントして下さり、ありがとうございます。とても嬉しいです。 「はい、色々ありました。」と言って少し照れくさそうに申し訳なさそうに語る方に、これまで何度か出逢いました。私はそういう方のことが大好きなんです。きっといざその方が語り出せば、私の想像の及ばない苦労あるいは感動、人生の物語があるのだと想像します。ですがそういう方ほどある意味では控えめで、そしてだからこそなのかとても美しいなと憧れます。すみません、突然こんな話をして。なんだか、「色々ありました」とこれまで数々聴かせてもらって来た言葉が胸の中で鳴るのを感じました。 ABさん、コメントありがとうございます! (対話不足による緩やかな死)

2023-02-16

三浦さんおはようございます。前回の続きを書かせていただきます。こちらの都合でお返事の内容が分割したものになり申し訳ありません。 何度もお声がけ下さりありがとうございます。こうして僅かながらであっても、三浦さんと少しずつ言葉のやり取りを重ねさせてもらう中で、お陰で互いの差異についてや自身の想いや考えについての整理が進み、熟考することが出来ています。 今回改めてB-REVIEWの沿革を拝見しました。その中で今特に響いたのが、「オルタナティブを志向する」という旨が記載された箇所でした。Aに対してのB。私は文学極道についてよく知らないのですが、同沿革内の記載内容から、当時のネット掲示板の荒れた状況(A)に対してのBという位置付けの部分があるのだろうと受け取りました。その先に競技における審判をこちらにも配置することがあったのだろうと考えています。 私は審判になりたいとは思っていません。私はインターネットの世界に限らず、この世界で対話をしてゆきたいと考えています。私は対話不足による痛みを数々体験して来ました。多分その痛みと無縁な方など果たして居るのだろうかとも思います。仲間はずれ・時間切れと伝えられること・意見を求められないこと・無能と初めから数に入れられていないこと等々。私は、出来るだけ色んな方の想いや考えに触れたいと願っています。申し訳ないです。お返事になったかわからないのですが、今のところこのように考えています。 三浦さん、ありがとうございます。もし叶うなら、まだまだこれからも三浦さんのお考えをうかがいたいです。よろしくお願いします。 (対話不足による緩やかな死)

2023-02-16

三浦さんこんにちは。以下は先ほどの続きになります。 「本番」についてのご説明ありがとうございます。少し難しかったので一日程度寝かして更に思考を続けました。お陰様で三浦さんが語る意味での「本番」についての理解が深まりました。書いて下さりありがとうございます。 考えてみたのですが、運営という立場からは、少なくとも私が本作の中で示した意味でいうところの対話は出来ないのではないかと考えています。 >黙って裁かなきゃいけない人間。 という言葉からも、やはり私が語らせてもらった対話とは相性が悪いように思います。 分割となり申し訳ないですが、また続きを後ほど書かせてください。ありがとうございます。 (対話不足による緩やかな死)

2023-02-15

三浦さんお返事ありがとうございます。対話というものについて考えたときにオープンダイアローグというものを思い出します。参加メンバーは患者、家族、医師、看護師、セラピスト等で構成されるようです。 三浦さんがおっしゃる構成メンバー(つまり運営・ユーザーA,B,C...・見学者)だと確かに対話は相当難しいです。なぜなら、審判的な立場を運営が担わなければならないからです。本作中にも書かせていただきましたが、自身の考える対話では誰かが何か決定を下したり、答えを出すことを目的にしていません。本サイトの運営が決定を下したり答えを出すことの目的の一つには、私が想像するに荒らし行為等によってユーザーが不利益を被り続けることを出来るだけ早期に止めることがあると考えています。 話は飛躍しますが、個人的に日本の更生保護は遅れているなと思います。更生保護に関連する従業員側の待遇や株式会社の数等から見てもわかるように、予算も付きません。人はこの為に頑張ってるんだな!とわかりやすく理解を示せるものにはエールを送りますが、なんでこんな人にお金を出すんだというようなものに対しては手助けし難いところがあるのだと思います。更生保護の問題と同列に語るわけではなく、あくまでAとBという関係性の位置付けのみを比喩的に語る為に言いますが、こちらのサイトでもペナルティにより居なくなった方々がおり、私などは日頃Twitterでも書いていますが、そういう方々はみんな今頃どこでどうしているのだろうということを考えるのです。 このように書くと、傷ついた人はどうするんだという声がすぐに聞こえて来そうに思いますが、私はその声をきちんと受けて話し合っていこうという考えでおります。やれることをやれる人がやるというのが、人がたくさん居る意味や意義深いところの一つではないかと考えます。 三浦さん、これで全てのお返事になっているとは当然思っていません。すみませんが後ほどまたお返事させてください。まずは対話に関する自身の想いや考えを書かせていただきました。 (対話不足による緩やかな死)

2023-02-15

柳煙さんこんばんは。コメントありがとうございます。嬉しいです。 確かに「以来」とも読めますね! そうですよね。辞書を引いた先でまた新たな言葉が出て来たりで。でも私はそれがまた楽しくて、ついついそんな旅を続けてしまいます。 趙雲も調べました。昔の中国の将軍なんですね。柳煙さんが聡明に白という色(のことで良かったですか)をイメージされていると知れて何だか嬉しいです。私はどうだろう。何となく水色の薄い色なんかが浮かんで来ましたが、人によって違うのが面白いですね。 ありがたい言葉をかけてくださりありがとうございます! (対話不足による緩やかな死)

2023-02-13

これはひとえに私個人の能力の問題なのですが、実は私には難しくて全体から何かを感じ取ってそれをまとめてコメントすることが出来ませんでした。ですが、 >丁寧に翻訳しました その必要はないと誰も言ってくれなかった この箇所に惹かれました。不要だと言われていたら、丁寧にしなかったのだろうか、なんとなくどちらにせよ丁寧にしたのではないか等と思われました。 全体から見出すことが出来なかったと書かせていただきましたが、一方で一行一行の言葉の力には魅了されました。よくもこれ程の美しい飛躍が出来るなと感動しました。読ませていただけてよかったです。ありがとうございます。 (亀)

2023-02-12

今作のように書く必要性に駆られて書かれたと思わされるような説得力のある叫びが表された作品に惹かれます。そして作中に出て来る私が幸せを感じられる日々が来るのを願わずにはいられません。自身も同じ叫びを数々書いて来た者として、互いのこの先の幸福を願い、励まし合いたい想いです。 (人間)

2023-02-12

つつみさん、こんにちは。コメントを下さりありがとうございます。 >直接会って、相手の表情、声、が空気を通してお互いの耳から入り、脳に伝わり、またお互いへの言葉が生まれることによる対話が必要と思います。 つつみさんの対話についてのお考えの一部を教えていただけて嬉しいです。ありがとうございます。 学校を卒業し社会人になってからは、対面で人とじっくり話すことが特に減りました。近年の私のコミュニケーション(ここでは特に深いテーマについてやり取りすることを指したいと思います)の多くは、インターネット上で行われて来たように思います。ここにコメントを下さった方に対してもそうでしたが、どうしても相手の方の価値観や言動について理解が出来ず、苦しくて仕方がないという時間を長く過ごしました。でも関係を切らずに不快感や苦しみと付き合って来ました。その長い時間の先で変わったことがあり、変わらなかったことがありました。今はその方とは一段階高次元の関係になれたと実感していたりします。そのことはご本人にも伝えました。 これらの内容はもちろんつつみさんのお考えを否定するものではなく、私に起きた事実としてお話させていただきました。直接会って話すことの圧倒的な効果や働きを理解しているつもりです。ですが私は人生のステージの変更と共に人との関わり方もまた変更せざるを得ませんでした。コロナウイルスの感染流行があってもなくても、私はきっと今のようなコミュニケーション活動をしていたように思います。とは言え、感染流行がなくなり、お金の都合もつけられたら、色んな方々に会いに行きたいなと夢を抱いています。昔、B-REVIEWのイベントに関わらせていただいたことがあり、その時自分は相変わらずあまり話せなかったんですが、少し離れたところから皆さんが話される姿などを拝見して幸せな気持ちになったことを今でもありありと感じられます。 「急速な死」については同じ考えです。そしてオンオフ問わずその危険性は常にあり、対面には対面の性質、ネット上には独自の性質がそれぞれにあり、それらが発せられた言葉と悪い掛け算的に威力を発することに恐れ、不安を抱いています。 >このコメント欄でも私が何をいいたいのかは、クヮン・アイ・ユウさんにはほぼ伝わらないと思っています。文章にしたとたんに、私の本当に伝えたいことが表現されていないように思うからです。 私は現時点でこう受け取りましたということをお返しして、それとは別に自身の考えや想いを発信する。このキャッチボールの繰り返しに尽きるのかなと考えています。そしてそのことに希望を捨てていません。つつみさんがこうして伝えて下さったことが無意味とは思えず、互いの間の「わからない」をそのままに、やり取りを継続していくことが出来たらいいなと思っています。互いにどう受け取ったかを返し合って、そうではなくこういうつもりで伝えたと言い合うことを続けられたらいいなと思ってしまいます。 一方で、どれだけ言葉を尽くしても「文章にしたとたんに、私の本当に伝えたいことが表現されていないように思う」というつつみさんの想いもまた尊重したいと考えています。 つつみさん、お話をして下さりありがとうございます。 (対話不足による緩やかな死)

2023-02-12

鷹枕可さん、おはようございます。コメントを書いて下さりありがとうございます。 >思う処をつらつらと(略半月の緘黙を経てよりのコミュニュケーションのリハビリも兼ねまして)既述させて頂きたいと存じます。 どのようなご事情があったのかわかりませんが、そのような状態、状況を経てこうして再開の場にこちらを選んで下さり嬉しいです。ありがとうございます。 >投稿作の質、ハードルの低下の一助を担ってしまったのではないか、 この箇所から、鷹枕可さんの現状に対する危機感と創作に対する真剣な想いの一部に触れさせていただいたような想いでいます。 >実力も、審美眼も、表現力も皆無な一一般参加者 というように私は全く思わないのですが、事実として「反動」を受けられたとのことで、そのことは前述されていた「緘黙」にも関係があるのだろうかと想像しています。 >此れから当サイトと如何に関って行くのか、そして何より、当サイトには自分の様な無能なレッサーが必要なのか、自問を致したいと思う所存でございます。 こちらでも私は「無能」等とは決して思いませんが、鷹枕可さんとして自問してゆかれるとのことで、微力ではありますが応援したいような想いを抱きました。偉そうな言い方になってないかと不安ですが、ご健闘を心より願っています。 「独り善がりな言訳」とは思いません。「独白」大歓迎です。こうして書いて下さり、とてもありがたいです。 自身、本作を投稿してよかったと思えるのは皆様のお陰です。鷹枕可さん、ありがとうございます。これからもよろしくお願い致します。 (対話不足による緩やかな死)

2023-02-12

三浦さんお返事ありがとうございます。おっしゃられた貢献することが出来ない苦しみについて想像しています。運営の話に限らず、大切な人に対して、今必要なことをしてあげられない苦しみについて痛感したことがあり、そこから想像を働かせています。 改めて趣旨を伝えて下さりありがとうございます。また、コメント末尾での重ねてのご意見を下さりありがとうございます。本件について何とお返しさせていただいたらいいのか、一つ前に既に返信させていただいた内容を踏まえて考えています。 >限界まで共存しあえませんか ありがとうございます。私の想いや考えは概ねおっしゃる通りです。 今回本作で示したところにも重なるのですが、本音を言うと、僅か2か月弱の期間限定の対話が出来なくてどうするんだという想いがあります。それは世界に対して、そして何より自らに対しても思うのです。相手の方が拒絶を示された場合には仕方がないところはあると思うのですが、やはり自身の姿勢としては忍耐強く向かっていかなければならないと考えています。他者と話すことって(例えば「今日は昨日より少し寒いね」という気軽な天気の話ではなくて)、もっと深く、重い話や難しい話をすることって、それにより互いに無傷でいられることなんてあるのかなとさえ思うところがあります。それは、受けた言葉に傷つくこと、伝わらないことに傷つくこと、時間・体力・精神力を賭けて報われても報われなくてもどちらにしても疲弊すること等、広い意味でそういうことがあると考えています。これから相手と話すことに、私は覚悟を持てているだろうか、そうやって始める前に自問します。 (対話不足による緩やかな死)

2023-02-12

ABさん、こんばんは。コメントをくださり、ありがとうございます。間が悪いなんてとんでもないです!とても嬉しいです。 討論、議論、対話の件、ありがとうございます。長年それぞれのやり取りが看板もない場所で突然行われ苦しみを感じることがあり、一方で私もまた他者に強いていたのではないかという反省から思考し、現在地におります。これからも勉強していきたいです。「感動」と表現して下さりありがとうございます。 ABさん、よろしければ「耳が痛い」とおっしゃられていた部分についてもう少しうかがえたら嬉しいです。無理なお願いをしてすみません。ABさんの想いやお考えについて知りたく思いました。 (対話不足による緩やかな死)

2023-02-11

ほばさんコメントを下さりありがとうございます。ほばさんを含め皆さんとこうしてお話が出来て嬉しいです。 >あらゆる他者への行為が時に暴力となることがあると思います。 そうですね。相手からの言動を受け止める側の声が重視されている状況が今の社会にはあるように思います。もしかしたら、これまでは行為者と被行為者それぞれの声の届き方が今とは逆だったのかも知れません。安易に今が良いとも昔が良いとも言えないのですが、引き続きよく考えていきたいなと思っています。 関連して思うことを書かせて下さい。Aggressivenessという言葉には、肯定的な意味である積極性と否定的な意味である攻撃性という意味があるようです。私はこの言葉の存在を自身が生きていくうえで大切なものであると考えています。発信行為にはどうしてもどうしても積極性が必要ですから。つまり生きていく以上、誰しも自身が存在することから切り離せない攻撃性を請け負っていかなければならない、宿命のようなものと関わっていかなければならないのかも知れません。対話も、相手が拒絶した時点で成り立たないんですよね。わかりあえなくても、嫌な思いをすることがあっても、それでも互いに対する敬意さえあれば続けられるものがあるということを知ること、そこにかけがえのない意義深いものがあるかも知れないと期待すること。拒絶はその後に選択されてもいいのかな等と考えてしまいます。 >文字情報に偏りがちなSNSコミュニケーションが過剰にある時代に育ったかそうでないかも関係しているように思います。 書いて下さりありがとうございます。たぶん、それらの間を繋ぐ回路の存在があるといいのかな等と考えました。乱暴な、ある意味での川原での殴り合いのような「やるな」、「お前もな」というような関係は、もはや承継困難なものかも知れません。一方で、少しの不快感を抱いた時点で「はいブロック」、心地よさを感じる相手とだけ繋がり、その代償として多角的なものの見方を差し出すというような人間関係の持ち方に、明るい未来があるとはも思えないのです。両方を知る者同士の、自省的で積極的な学習意欲が、熱意が、前述の回路を作るのかも知れません。 >この場では作者も読者もいるけど、作品がまずあり作品と対話(読むこと、読解すること、批評すること…)しますよね。まずはそこから楽しんで、次に作品を囲んで対話したいですよね。 「この場」というのは、今現在やり取りをさせていただいている投稿作品内のことを指されていますか?その場合、作者は私で、読者はほぼさんやコメントを下さった方々、そして投稿作品をご覧いただいた方々のことでしょうか。上記の投稿作品自体は作品という認識でよろしかったでしょうか。もしそうである場合、私としては今まさしく作品を囲んで対話の機会をいただいているという認識でおりました。確かに、今作は自身のこれまでの詩や詩のようなものに比べて明らかに異なることは自覚しています。ほばさん、すみません。諸々きちんとほぼさんの趣旨をくみ取れていなかったら申し訳ないです。以上が私の理解です。またぜひ教えて下さい。ほぼさん、ありがとうございます。 (対話不足による緩やかな死)

2023-02-11

三浦さんコメントありがとうございます。フォーラムの件、以前にも書かせていただいたのですが、もしかしたらあの機能は、コミュニケーションを行う際に人間性を頼りにしたり、信頼を積み重ねたりすることと連動出来ないものかも知れないなと考えています。逆に人間性や信頼とは離れた地点で、情報の数や質を高めること(集合知的なもの)に適性があるのかも知れません。 その考えから、記名制のもとにやり取りが行える投稿作品ページのコメント欄で、人間性を頼りとしたり信頼を積み重ねたりしていくコミュニケーションがいつか行えたらいいなと考えていました。 三浦さんのお考えを受けて、私の受け止め方をお返します。それはつまり、ある種の権威は一年という時間経過の中でその新陳代謝を要するという趣旨でよろしかったでしょうか? 私はB-REVIEWのサービス開始初期から利用させていただいているので、今日までのこの奇跡とも呼べる運営の方々のリレー、バトンパスを見て来ました。ただ、その全てにおいて、どのようにパスがされて来たのかを細かく知っているわけではありません(例えばAさんからBさんへお誘いがあった等々)。ですが、確か存続の危機に立ち上がった方が居たお陰でサービスが継続されたこともまたあったことを知っているつもりです。 >仮に悪い人がいるとしたら、傍観者。 これはより具体的に言うとどんな人のことを指すのでしょうか。例えば水の流れが停滞しているということを認識するタイミングは、人によって異なると私は思います。それは状況をどう受け止めるかが人によって異なることとも関係が深いのではないかと考えます。 ここで初めて私は自身の考えを述べますが、運営の方々に対して感謝はあってもそれ以外のネガティブな想いはないのです。より正確に言うのであれば、感謝する心を上塗りするだけの他の想いがないということです。能動的な想いで取り組まれている方々を信じていると言うと少し奇麗過ぎる表現かも知れません。ですが今はそういう想いがあります。 難しいですね。書いていて自分でもうまく頭がまとまらないところがありました。 少し話の視点が変わりますが、営利活動でなく、それこそボランティア活動って継承されていく道にはどんなものがあるのだろうと考えました。1.(公募も含め)現メンバーが外部の人を誘う。2.グループ内からリーダーを選出する。3.存続の危機を知った人が名乗り出て引き継ぐ。あまり頭が働かず複数思いつきませんでした。B-REVEWはどういった道を歩んで来たのでしょう。 >次期運営をぜひやって欲しい。 お声がけ下さり、ありがとうございます。あくまで一利用者としての三浦さんからのお言葉だと認識していますが、お言葉をかけてもらえること自体の有難さと共に恐縮しています。 >「たった一年間だったら誰でもやれる」という良さがあります。 そうですね。この考え方は今後の継承課題に対面する際にも活きるものだと思います。 三浦さん、自身の有限な命と言うと大袈裟ですが、それをどこにどう注ぎ込むかというのは重要なことですね。皆さん日々その選択をされている。私も今回の投稿はチャレンジでした。三浦さんからすれば「練習試合」に見えるものでも、私には本番、試合だったりもします。それはもしかしたら、互いにどこから何を見ているのかが異なることで生じる違いなのかも知れません。私は、対話不足は多くの人間が死んでしまうことに(今のところは)緩やかであっても、確かに影響してしまうことだと考えています。B-REVIEWには言葉による表現に情熱を注いでいる方が多くいらっしゃるので、胸を借りたい、もっと偉そうに言うなら、種まきと醸成を行いたいと思っているんです。やはり少しでも世界を良くしたいと夢見てしまうので。 (対話不足による緩やかな死)

2023-02-11

柳煙さんこんにちは。コメントを下さりありがとうございます。 「このかた」って私のことでしょうか。「聡明」について辞書を引きました。相応しい人間であるかはわかりませんが、言葉をかけて下さりありがとうございます。 私はどうでしょう。聡明には「理解力が早いこと」という意味の記載もありました。そこに来て今度は「早い」と「速い」の違いを調べていました。理解するまでに必要とする時間が短いという意味として受け取ったのですが、どうなんでしょう。私は早いも速いも縁遠い人間だと個人的には思っています。「聡明」には他に「賢いこと」という意味もあり、賢いって何だろうと考え、また辞書を引いていました。複数ある「賢い」の意味の中で、要領は良くないなぁと苦笑いをしました。他に「知能にすぐれている」ともあり、知能についても調べていました。すみません。こんな感じでやはりはやさとは無縁な人間です。 言葉をかけて下さり嬉しいです。ありがとうございます。 >権威主義に染められたわたし 「権威主義」についても調べました。権威は支配し服従させる威力であり、ある分野で優れていると信頼されていることを指すようですね。 「わたし」って柳煙さんのことですか?そうなんですか?どのような理由からそのように語られるのかはわからないのですが、「染められた」という表現からはどこか不本意な結果に対する想いを感じます。 (対話不足による緩やかな死)

2023-02-11

いすきさんコメントありがとうございます。 >いや違うかな。クヮンさんはなにについて話したいのかな いすきさんや他の方々(まだ出逢っていない人も含め)と話したいことはたくさんあります。ただ本作を投稿した私の問題意識は、やはり対話不足に向けられているのだと思います。 これはあくまで私が個人的に感じていることなのですが、私より10、20年上の方々の中には、ある意味では言葉のやり取りこそ乱暴でありながら、そしてお互いに不快感を抱きながら、それでも長期的に相手と繋がり続ける力がある方が多いような気がしています。ツイッターだと、すぐにブロックすることと、ミュートにしつつも時々ツイート内容を見に行くことの違いみたいな。あと、プロレス的なものの美しさがわかるかどうかとか、いろいろ考えます。あまりいい例えではないかも知れませんが。年齢の話は主観的なものでデータもないので一番言いたいことではないのですが、年齢問わず前述の力の有無はとても重要なものじゃないのかなと思っています。 いすきさん、語らせていただき、ありがとうございます。 (対話不足による緩やかな死)

2023-02-11

エイクピアさん、コメントを下さりありがとうございます。 >慙愧の念 この言葉について初めて知りました。素晴らしく美しい言葉ですね。知る機会を与えて下さりありがとうございます。 自身恥ずかしいという想いを大切にしています。恥ずかしいとかわからないということを忘れてしまっては、なにか大切なものを失うと恐れているのかも知れません。 風についての描写は大切にしているところなので拾っていただき、非常に嬉しいです。ありがとうございます。冬の河川敷に犬と立っていると、私という人間だけがこの風に乱暴だと思っているのだと気づきました。毛を激しく揺らされながら美しい瞳で世界を見つめる飼い犬を見ながら。 (花をつくる)

2023-02-11

いすきさん、コメントをくださりありがとうございます。本コメントは先ほど投稿したつもりだったのですが、誤って消してしまったようです。その為順番にお返事をと考えていたのですが順番が前後してしまいました。ごめんなさい。もう一度書きたいなと思います! >なんのはなしをしようかな いい響きの言葉ですね。私が心の中で(なんのはなしをしようかな)と考える時は、話題に困った時か、楽しくて仕方がないという時です。今はもちろん後者です!さて、なんのはなしをしまししょうか! (対話不足による緩やかな死)

2023-02-11

>問題意識について いすきさん、コメントを下さりありがとうございます。三つ目のコメントで >いや違うかな。 と述べられているのですが、それでもやはりいすきさんから初めに出て来た言葉について興味を抱いたので辞書で調べてみました。 以下引用内容 「ある事態などに対し、その重要性を見抜いて、主体的にかかわり合おうとする心の持ち方。また、その内容。「問題意識に欠ける」」 以上 引用元 https://kotobank.jp/word/%E5%95%8F%E9%A1%8C%E6%84%8F%E8%AD%98-647262 いすきさんの述べられた言葉の意味は、概ね上記の内容で良かったでしょうか?そう仮定して書き進めます。「事態」とは「物事の状態、成り行き」を意味するそうです(こちらも同様の引用元からの引用ですが詳細な説明を省きます)。 ここでは、いすきさんがどのような「ある事態」について心を向けているのだろうということに関心を抱いたので、お返事を書かせていただきました。 (対話不足による緩やかな死)

2023-02-11

イライラして責め立てるのって、人に責め立てられたからかも知れないなと考えました。そういう世界の悪循環について想像したのですが、書くことはそれを止める正の働きかも知れないなとも考えました。作中の私はそこになんとか踏みとどまっていて、そういう方の存在が世界を支えているんじゃないかなとも思われました。 (僕たちの50音)

2023-02-09

デートって目的と手段で言うところの手段、ツールでもあったりするのだと思います。達成したい目的が違っていたら、採用する手段や使うツールも違いますよね。相手の方と違う目的の場で会っていたらまた違うやり取りがあったのかも知れません。例えば会社の先輩とか上司とか。 「差別」って強い言葉ですけど、改めて調べてみたら〈属性を理由にして特別な扱いをする行為〉とありました。相手の属性についてどう受け止めるかも目的が違えば変わるのかなと思います。他の方もおっしゃっていましたが、私は本作の私が行ったものが「差別」とは思われませんでした。寧ろ今回の出来事に心を痛めて、こうして書く必要に迫られた事実から、ある種の清らかさのようなものを感じました。それは相手の方の存在を描写する眼差しとその時使用される言葉に敬意を欠いたものを感じなかったということにも由来していると考えています。 (君はこんな私に会ったらいけない)

2023-02-09

昼休みの終わりなどの時間切れを想わせる設定と、洗面台の触感。それらの実感がよく届いて来ました。 >未熟に光り という言葉が美しいですね。一般的に負に対して正と思われる言葉を組み合わせるのはフックの効果を生んでいて楽しく拝読しました。 (すくい)

2023-02-08

「リリコ」という言葉の存在感や特別感が際立っていて、また音の響きが大変心地よく、二連目以降でも再度出て来てくれるかなと期待するほど素晴らしかったです。 (みずいろ)

2023-02-08

被災者の視点なのか、被災者への強い共感を抱いている方の視点なのかはたまたと想像を働かせていました。失望があった上での語りなのか、作中私の中での真理としての語りなのか、これもまた想像していました。「芸事」の意味について調べると、遊芸やそれに関係することとあります。作者は本作自体を芸事ととして位置付けているのかも気になります。仮にそうである場合には、この発信の目的はどんなことだったのだろうと考えています。もし違う場合には、遊芸と調べて出て来るような特定の芸能への何らかの想いがあるのだろうか等と考えていました。これらすべて冒頭の視点を理解しなければこれより先へ思考や想像を働かせることが私には出来ないのですが、本作からここまで歩みを進めることが出来ました。 タイトルの事象に対してポジティブな想いは持っておられそうにないなと予想するので、作中の私は何らかの無力感を抱いているのかも知れないなとは考えました。 (流れる血)

2023-02-05

私は個人的に、生へと繋がる小さな死や小さな自殺があると考えています。それは例えば厳冬の雨天に濡れ手を曝し続けたくなるような気持ちを前述のものとして呼んでいます。本作を受けてそのようなことを考えていたことを改めて思い出しました。言葉で表現することにもそういった大切な役割や機能があると考えています。生を繋ぐこと、それで精一杯。そんな日々の先に、もう少し元気で、より良く生きてみようだとかそんなことを考えられる私になれる未来もまたあることを期待したいです。 (日記)

2023-02-02

本作に触れて、〈知の富豪〉、〈不感症〉という言葉が頭に浮かんで来ました。その後に〈キーワードは恥かも知れない〉という言葉がこれまた何故か浮かんで来ました。 作中の「私」の存在から自らを振り返ることになり、自分はそう言えばほとんど主観的に生きて来たなぁと思います。対人、金、学力、それこそ恥ばかりで、何度も嫌になりました。ただ、主観的に生きているので体験は多かったように思います。野球をやっていたので当時は遠投能力とかも大切で、なるほど、こうやったら遠くへ投げられるんだと試行錯誤する隣で、体格のいいセンス抜群の彼が現れて、さらっと投げただけでビューンと追い抜いていくんですよね。人目もはばからず落ち込んで苦悩して泣いていて。本当に恥ずかしくて仕方がなかったです。結局彼には勝てませんでした。こんな風にあれは一体なんだったんだろう、何になったのだろうということが沢山あります。 もう亡くなったんですが存命時祖母に勧められて、昔「「自分の木」の下で」という大江健三郎さんの本を読みました。全く本を読まない自分がこれは何故か読むことが出来て、その時出逢った言葉は今も心の中で鳴っています。それが「どうして」なんです。どうしてには、WhyとHow toの二つの意味があって。振り返ると何故かなんて全くわからなくて、でもどうやって今のこの場所へ来たかということならわかる気がするんです。これからも恥をかいて生きてゆきたいなと思います。 (あじさいについて)

2023-01-29

私の場合、朝はバタバタしている方なので、翌朝のご飯の準備が必要だと事前にわかっている状況で夜にコンビニへ行ったら、お店に行った時に買っていたりするのかなーなどと想像していました。そこから更に想像が働いて、世間ではランチ代を500円で済ませる人も居る中で、作中の「ぼく」は朝からお店で食べたり、あるいは出勤前にささっと買ったりするのかな、人の生活は様々だもんなー等と考えました。 >あの子の笑顔が涙で滲んでいた >(軽いパニック) 個人的にはこの箇所から感受する「ぼく」のショック度が合わないと思うところがあって、それで冒頭の想像をあれこれ働かせたのかも知れないなと自らの思考の変遷について考えていました。 私なんかが、仮に涙でレジの子の顔が見えないくらいにショックを受ける時ってどんな時かなぁって考えました。食事って、腹を満たす為や幸せな気分を味わう為だったり、あるいは社会に参加する者としてある意味での普通を振る舞う為に摂ったりもするのかなと思います。人目を気にせず腹を満たすだけなら、とにかく色味もない炭水化物だけを隠れてささっと食べることもありました。でも、そういう訳にもいかず、人前で食べていることを見せないとならない場面ってあるんですよね。そういう時にお金がないのは辛くて、私ならそんな事情がある中でお金を失くして泣くだろうなー等と考えました。個人的な話ですみません。お陰様であれこれ思考を働かせることが出来ました。ありがとうございます。 (募金箱)

2023-01-28

本作は、「牛乳」と「あたしのお墓」というまとまりを持つ二つの文章が「あたしのひとりごと」というタイトルにまとめられています。その性質を受けて拝読すると、「あたし」が二作を通して同じ人間ではないかと感じられます。つまり、「牛乳」のみを拝読するのでは抱かない読後感と言いますか印象のようなものが、「あたしのお墓」までを通して読むことで生まれて来るものがあると考えています。それが前述させていただいた「あたし」という人物への考えです。 読者としてそこから派生して変わるのが「お父さん」へのイメージや想いです。 >乳を揉むお父さん この箇所、牛乳だけを拝読していた段階では、どこかでこの人物と自らの距離を置いているのか、どっかの誰かの話だなぁと思わせ、他人事だからこそのユーモアさえ感じさせるのです。ですが続いて「あたしのお墓」を拝読すると、 >あたしのお墓の前で 笑わないで  >あなたつい先日まであたしの夫だったのよ いい? あなたいま喪中なのよ? という箇所が登場します。 この箇所を受けて前述の >乳を揉むお父さん へ自らが抱くイメージや想いが変わったのでそのことに大変驚きました。 二作に登場する男性は「あたし」からすれば違う人物なのかも知れませんが、同一人物であるか否かよりも、構造によりこの男性に対する嫌悪感のようなものを読者に抱かせる働きがあることを感じました。 興味深く拝読しました。 (あたしのひとりごと)

2023-01-27

作中の私について、やはり自らと闘う方の姿は格好良く、そこから紡がれた言葉は感動をうみます。感動しました。 (幻聴と言う名の病気)

2023-01-27

仮に「もっと強い」というものがあるのだとしたら、A>Bの構図でBを語らないでも居られるAのことなのかななどと考えました。そのAはもしかしたら単独で屹立しているか、全てを抱きしめるようなものかも知れないなとも思いました。 (いいわけ)

2023-01-27

>家畜化されたイエネコ >泣いた振り この箇所からはやや皮肉めいたものを感じました。しかし病になること自体は一般的に喜ばしいことではないと思いますので、これは一つの乖離なのかも知れないと考えました。距離をとることで悲しみの直撃を避けるようなことが私自身にも経験がありました。あくまで仮説ですがそのように拝読しました。 世話が継続されている点にやはり愛を感じます。どうか少しでも状態が良くなりますように。 他にはタイトルの >お話 という言葉の「お」の部分に目が向かいました。誰から誰への敬意なのだろうと考えました。病気の話ではなく、「お話」なんですよね。 これも一つの乖離なのかなと仮説を立てて拝読しました。自身の出来事に少し距離を置く効果が働くのかなと考えました。 (病気のお話)

2023-01-26

個人的な話で恐縮ですが、作品に触れ思うことがあったので書かせていただきます。最近、「人は他者を変えられない」という言葉と対峙することが多くあります。イジメ(と語られ実情は暴力事件であるものも多いです)等の何らかの被害が発生した出来事を見つめていると思うことがあります。そこには加害者と被害者が居て、ほとんどの場合被害に遭われた方が引越しなどをしなければならず、また(本来ならこんなことにコストを割かなくてもよかったという意味で)心の傷も努力して乗り越えなければならないということが多いです。つまり被害者が適応し動かなければならない。お金もかかる。そういう状況を踏まえて、冒頭の言葉と対峙して、人が変えられなくても変えられるとしても、どちらにせよ他者も変わるべきだろうということを思うのです。本作のタイトルでも使われている「逃避行」という言葉自体には、正直私個人としてはポジティブな印象を持ちません。作中の二人も、ほんとうは逃げるのではなくて、より良く生きる為の選択だったと思うのです。それがたとえ消極的選択だったとしても、決して逃避ではないとなんだか熱を込めて言いたくなるような想いに駆られてコメントを致しました。二人の幸せを願います。 (逃避行)

2023-01-26

>すがりたい何かを 堪えながら この箇所、〈何かにすがることを堪えながら〉というのではなくて、〈すがりたくなるような気持ちを生み出す原因や背景にあたるものや状況について堪えている〉ことを強調して表している点について興味深く拝読しました。他には一連目の形を引き継ぐ為に形を整える狙いはあったのではないかとは推察します。 >なんだろうな という不明瞭で、でも確かに感じている何かを表す為の一、二連目なのかなと考えました。 >わらう と >笑う の表記の使い分けに何らかの意味がありそうです。 平仮名には柔らかな印象や幼さの印象を個人的には抱きますが、今の状況が苦しいと思われるので、むしろ疲弊していたり頭が回らないことを表す平仮名かも知れないと考えました。明日はもしかしたらもう少し頭の働く、ある意味元気な自分になっているかも知れない、そうだといいなというような願いが無意識に漢字に込められているのではないかとも考えました。 (なんだろうな)

2023-01-25

>しまい この箇所に立ち止まる何かを感じて、改めて「〜してしまう」という言葉の意味を調べました。多くの場合、その行為によりよくない結果を生んでしまったという意味合いを含むという旨の記載がありました。 ここでのよくない結果とは何だろうと考えました。出逢いや彼女の存在が喜ばしいことであることは言うまでもないと思います。恐らくその後に続く、自らの弱さを思い知らされることを指すのかなと考えました。弱さを知るということは、強さを得る為の一つの工程であるという旨をよく見聞きしたことがあります。一人で生きていた強さも弱さも、現在の強さも弱さも美しいなと感じました。 (守りたい)

2023-01-24

>この感覚なのか 詩作品や詩を書く方と触れ合う機会が比較的多い暮らしの中では、例えば短歌の訴求性の高さを見つめていたのですが、そのことなんかを思い出しました。 >食欲が無い時、湧かせる目的で視聴することが多い 視聴後、言ってた味の感想とかはほとんど覚えてなくて 食べてる姿と音が毎回頭の中で思い起こされる この箇所、拝読してそれこそあるある的な感覚を抱くとともに、見つけ出して来てそれを表す作者の方の目と腕が素晴らしいなと感じました。 (なんかいい)

2023-01-23

今この季節に生きていることから誰しも無関係では居られないということの尊さを、本作が生まれた事実から改めて感じました。静謐な作品世界に確かに流れる生の鼓動に耳を澄ましたくなる美しい作品です。 (あああ)

2023-01-23

拝読して、何とコメントを書かせていただこうかとしばらく思案しました。作中私の思うことについて、読者として私は反対意見がありませんし、概ねその通りだなと感じました。 ただ、自身がしばらく思案した理由について考えています。多分、明らかにまぁそうだよねということがそれこそ大きな言葉で語られるときに、私はその言葉の一つ一つにのびている葉脈のようなものについて、もっと見聞きしたいと感じたのだと思っています。 (大きい)

2023-01-23

しょうもないに分類したもの: 「ハサミ」、「成長」、「時間」、「大人」、「成人」、「背が伸び」ること、「髪が伸びる」こと、「私のために泣かない連中」 大切なものに分類したもの: 「スニーカー」、「人生」、「生きることにおいて」の「何もかも」、「私のために泣いてくれる人たち」、「大きくなった歩幅」 その他: ・髪を切ることは優先順位は低いがとりあえずせねばならないこと(私の理性や社会性を感じます) ・誰も彼もぶん殴りたいという想い ・思ってばかりいるのではなく考えろと自らを叱咤すること、論理的理性的で居ろという心の声 以上、自分なりに作品のキーワードを分類して、その他大切だと思われる箇所を記載しました。作品には父親が出て来ません。祖父母への思い遣りからも想像させられるものがあります。スニーカーと逃げ出すという箇所が印象的です。読者であるクヮン・アイ・ユウには作中の私が逃げ出すようには思われませんでした。常に思考を続けて来た人だからこその実はしょうもなくなんかない大切な成長があり、最後の場面には生きていく為の疾走を見ます。感動しました。作中の私を応援したくなります。作中の私はずっと理性と感情の間で、思い、考えることを続けて来た人だと思います。素晴らしいことだと讃えたいです。力をもらいます。 (死刑判決の日の夜に)

2023-01-23

目に見えないものを大切にすることを知りながら、しかしそこへの入り口に物を通過する必要があるという点をとても興味深く拝読しました。物なしに想像は展開されず(あるいはし難く)、一行目にある「襲いかかる」ということ。でも、文章はどうでしょうか。創作は。こうして書かれたことでやはりとどまるものがあり想像が働くのだとしたら、創作とは素晴らしい行為だなと感じました。 (no title)

2023-01-23

作中の私に対して、わかりやすい形で活躍されている方の存在だけが重要ではないかも知れないということを伝えたくなる作品でした。皆が一方向に走って、うまくいっている時はいいですが、災害や病など予期せぬ出来事が起こって、全部が破綻すると社会が回らなくなります。BCPというものもありますが、ただ作中私の想いや考えを想像するに、同じ技術を誰かが継承出来ない場合もあるということだと思うので、相応しい言葉ではないのかも知れません。ですが、やはり自分(または自分たち)が駄目になった時に誰かが居るという事実は心強く、意味のあることではないかと考えます。 作中私のこの先の旅路とそこから得られたもので生きていく姿に期待しています。 (ものづくり日本)

2023-01-16

「思い出す」を改めて辞書で引くと、必ずしも〈忘れていたことを心の中に思い浮かべること〉だけを指すのではないと学びます。例えば少年時代のある場面について思い出すとき、忘れていないんですよね。それは「忘れる」について学び直してそのように考えました。あれ、そうすると思い出すとか忘れるとかって一体なんなんだろうと思考を巡らせました。 最終的に、作中の私はずっと覚えているんじゃないのかなと思ったのです。ずっと覚えているって、尊いことだなと思うんです。 (フレンド)

2023-01-13

わたしには >きんぎょが冬に死ぬ 様が想像出来ないのですが、どんな雪の溶け方だろうと考えていました。季節を問わず、死んだ後の姿であれば見たことがあります。ただ死んでいく様子は見たことがありません。冬ということに限定するなら尚更。仮に春ではなく冬に雪が溶けるように死ぬということであれば、その速度はやはり春に比べて徐々にということだろうかなどと考えました。 三〜五行目は溶ける速度について表されているのではないかと考えるのですが、特に三行目の速度の部分が印象的で、季節の移ろいの速さ、その体感を思いました。 タイトルの言葉からはポジティブなものを感じますが、作品内に流れる静かで厳しくもある冬のイメージとは繋がりをうまく見つけられませんでした。もしかしたらまだ遠くにある春の予兆もあるのかなと思われました。 (朗々吾)

2023-01-12

ご覧くださり、またコメントをくださりありがとうございます。 古風の対義語を調べました。今風とか現代風とのことでした。私の名前は寛愛祐をカタカナにしたものです。ありがとうございます。 (花をつくる)

2023-01-12

素敵な返詩をありがとうございます。 >花曼荼羅 についても調べました。何だかとても縁起のいい言葉でありがたく受け取りました。 >もう思うとても強く今を思うよ この箇所、言葉が読後幾度となく響いているのを感じて幸せな気持ちに浸りました。トビラさんありがとうございます。 (花をつくる)

2023-01-12

数々のありがたいお言葉をかけてくださり、誠にありがとうございます。嬉しくて何度も拝読しました。 一日も一週間も一ヶ月も一年も、時の経過はあっという間で、今日今週今月今年と一体何が出来たのだろうと考えるとおかしくなりそうになることもあります。しかしそういうことではないのだなとふと思われました。おっしゃるように生きていくことについて書いたのでお言葉大変ありがたいです。ありがとうございます。これからも懸命に生きてゆきたいです。 (花をつくる)

2023-01-12

>「それとも」 と聞くとつい「楽」の対義語を想像するのですが、もしかしたらそうとも限らないこともあるよなぁなどと考えていました。沈黙により守られる尊いものもあったように思い出していました。 (コトバ)

2023-01-10

>ボタン穴からぬるりとでてくる朝がぼくのようになきはじめたら、折り目を熱くなるくらいにジンジンとひらいて骨格みたいにつめたいままでひらかないで。 ここをどう読むかが大切なのだろうとは思うのですが、私にはどうしてもうまく読むことが出来ませんでした。「朝がなきはじめたら、ひらいてひらかないで」というように、自分なりに最低限必要な要素のみを残して理解の為にアプローチしようともチャレンジしたのですが、やはりわかりませんでした。 「お母さん」の「麦茶」が過去の素晴らしい夏の象徴であると仮説して、その巻き戻しのようなものを強く望む作品なのだろうかなどと読んでいました。「お母さん」へのリクエストの言葉は非常に印象的です。 (お母さん、麦茶持ってきて)

2023-01-10

世界と自らに言葉の弾丸を撃っても、悲しみの表し方が見つからないだけではなく、背後へ意識が向く。弾丸ではなく、言葉の何であれば今を少しでもよく出来るのだろう。そんなことを考えました。 作中一連目二連目の視点の動きとその表現については私にも近い経験があったように思います。そのうえで、そこからどこへ行くかということを試されているように感じて、今も創作を続けています。道上様の旅路の幸運を願っています。 (文弾)

2023-01-10

>わたしは いきていたくはないのだと 無理やり理由をつけているのです わたしは生きていたいのだと いきている理由があるのだと いきていたくはない、生きていたい、いきている この箇所の表記の違いに何らか規則性があるのかなと見つめていました。理性とか理屈によるものが漢字かなと思われたのですが、最後の「いきている」は平仮名で。あーもうそういう規則性すら曖昧になるほどの朦朧感が表れているのかも知れないなと思われました。 (水疱)

2023-01-09

>愛憎感 思想犯 嫉妬 この箇所について、初め読んだ時に愛憎感という言葉にやや違和感を覚え、「思想犯」という言葉を見つけた時になるほどと思いました。しかしその後「嫉妬」と来て、あれとやはり思いました。 私はてっきり脚韻の為の言葉の選択や配置かなと考えました。嫉妬心だと母音が「い」なので、他二つの「あ」とも同じにならないかななどとあれこれ考えていました。 私ごとで恐縮ですが、ポエトリー・リーディングもするので、テキストを音で読ませてもらうことが多いです。自ら詩を書く際にも、音の連なりを優先させるのか、意味を重視するのかはいつも自問しています。意味より音を優先する為に造語を用いることもあったように思います。その時には読者側から私に対しての言葉の信頼度が落ちてしまわないかなどと考えていたように思います。そんなことを振り返り考えさせてもらう機会を勝手にいただきました。ありがとうございます。 作品の中身については、もしかしたらこれは自己と他者ではなく、自分について書かれたものかも知れないなと読ませてもらいました。 (呪い)

2023-01-09

「すごい」も「やばい」も作中私の中で定められた意味があるのだとして、しかしそれらを紐解くヒントを私は得られなかったので、例えば記号A,Bを見つめているような感覚でいます。ワードについてはネガティブにもポジティブにも受け取れます。 激情に駆られた時などに言葉を失うことがあります。もしかしたらその時には意味を持つ短い言葉すら口から出すことが出来なくて、そんな瞬間のことも思い出していました。 (すごいやばい)

2023-01-09

作中では「私」の気持ちが多く描かれているのですが、その中で >ドアが閉まる そして響く靴音 という表現が私には際立って感じられました。事象には語られないものが映されるから、言わないことで言っているというように、深く届いて来るものを感じました。 あとは、「あなた」側の事情も知ることが出来る何かがあればそれも読みたいなと思いました。 (愛の欠片)

2023-01-09

> 空気がふるえているのがわかる 轟音は空気を揺らして、戦闘機が必要である哀しい現実が心を揺らすように思われました。ただの振動の描写ではなく、「わかる」という言葉を付け加えている点に読者に想像を発展させるものがあったように思います。 >すごいねマーくん、戦争のお祭りだ 子どものような無邪気なまなざしが配置されることで、強調される哀しみがあると考えます。 ただそれだけで美しい青い空に、数多の落下傘が浮かんでいることに狂ったものを見つけて、私はとても恐怖を感じます。それは先ほどの無邪気さに強調されるものにも近い働きがあるのではないかと考えます。 (あおい空)

2023-01-09

ほばさんお返事ありがとうございます。 >一般的なイメージとしての標準語と比較して方言が素朴で温かいみたいな話ではなくて、 の箇所、よくわかる気がします。 映画はこちらになります。 ザ・マスター https://eiga.com/l/QAGn3 ありがとうございます。 (告白)

2023-01-08

くろかみさん、尊いお言葉の数々をかけてくださり、ありがとうございます。 日頃透き通れず、透明にはなれず、綺麗で居られないからこそ美しいものに惹かれます。焦がれます。 冬に花がなければ花をつくって祈りを込めた昔の人々にも想いを馳せていました。 ありがとうございます。 (花をつくる)

2023-01-07

ありがとうございます。改めて考えると「言葉の重み」って一体なんなんでしょうね。私は実生活では「何を言うか」より「誰が言うか」で簡単になびく人々に怒りを覚えることも少なくありません。公平に聴いて欲しいなと思うのです。しかし一方で、放たれた言葉の中身と言いますか、その発信者に対する信頼というものがあることも知っています。ですから、もしそのような意味で重みが増したと感じていただけたのでしたら、とても嬉しいです。これからも人間として生きていくことに精進してゆきたいです。 (花をつくる)

2023-01-07

ある映画の中に、PTSDからアルコール依存症になって、その症状の影響でどうしても暮らしを自らで破壊してしまう男が出て来ます。その男が夜のキャベツ畑を走り抜けるんですよね。もうなんもかも全てから逃げて。放り出して。その映画好きなんです。なんかそのこととか思い出しました。作品への直接的なコメントでなくて申し訳ないんですけど、この作品、私はとてもいい作品だなと感じました。一行目から引き込まれて読みました。方言も方言である必要性がきちんと届いて来ます。それがなんなのか理屈で説明し難いのですが、きっと作品と読者の間に生まれる信頼なんだと思います。また何度も読んで、もう少し深いところまで読めたらなと思います。ありがとうございます。 (告白)

2023-01-06

コメントをくださりありがとうございます。 最終四行についてもお言葉をくださりありがとうございます。 自身のつくるものがなんというジャンルの何であるのかということよりも、表したい内容を優先しての形であったので、そのようにおっしゃってくださりとても嬉しいです。ありがとうございます。 (花をつくる)

2023-01-05

私にはきちんと読むことが出来なかったのですが、全体的に不穏さをどうしても感じてしまいました。使われる言葉が暗かったり、テンションが低い訳ではないのですが、実はそのことがより強める恐ろしさのようなものがあるのかも知れないと感じていました。 (失敗の家族)

2023-01-04

ここで記されたような >「言ったら気まずいと思って黙っていた」 ことを言うのって、キスみたいだなって思いました。だからかはわかりませんが、この詩が閉じられた後に相手からのキスがあるように映像が浮かびました。 (キス嫌い)

2023-01-04

ねねむさんお返事ありがとうございます。私事なのですが、一年の中でも詩を読むことが出来る日があるのはごく僅かでして、自身の心身の調子が良いことや時間的余裕があることもそうなのですが、やはり何より今回のねねむさんの作品に強く惹かれ、幸運にも作品に出逢えたことで読ませてもらうことが出来たと感謝しています。ありがとうございます。 ねねむさんに胸をお借りする想いで勇気を出して色々とコメントさせていただきました。 「ポジティブな連」の件、なるほどと思いました。教えてくださりありがとうございます。 >水面に立つ、さざ波を魚に見立てて書きました。 素晴らしいですね!今となれば私は魚と誤読していたのですが、それでも描写の美しさを味合わせてもらっていました。 正しいありようの件は、あくまで仮としてコメントさせていただいたのですが、作者の制作に関わるコメントをさせてもらっておきながらなんの代わりの言葉も用いらずに伝えるというのはなんとなくあまりにも公平さに欠けるのかなと思われて恐縮しつつも書かせていただきました。コメント内容を受け止めてくださり本当にありがとうございます。 ご指導だなんて、すみません!しかし重複しますがねねむさんに胸をお借りしてコメントさせていただくことが出来ました。表現を通してこうして人様とコミュニケーションの機会を持たせていただくこと、これ以上ない幸福と感じています。ありがとうございます! (夙川)

2023-01-03

>「上っては流され 流されては上り」 この箇所、制作過程においては例えば〈上っては流され 上っては流され〉という選択肢もあったのでしょうか?自分ならどう表すだろうと考えお尋ねしたくなりました。 >「乱反射した銀色がよく似合っている」 この箇所、焦点を当てるのが仮に魚であったのならば、〈乱反射させる銀色がよく似合っている〉となっていたりしたのでしょうか。つまり、私がこの仮説のうえで読み進める場合、街の真ん中には魚に反射した銀色があるのであって、魚自体が居るのではないのかなと読みました。 >「行き先を見失う事の方が 正しい判断である様に思われた」 この箇所、判断ということは見失う事が本人の意図しない結果ではなく、ある種の主体性や能動性等の働きによるものの結果ということでしょうか(例えば〈正しいありよう〉などとは置き換えられるものではなく)。 最後の箇所、風が春を呼ぶのか、街が春を呼ぶのか、起点はどちらだろうと考えたのちに、ある種両方が同時に存在可能な表現ではないかと受け止めました。 作中全体を包む厳粛さの美しい作品で、楽しく拝読しました。ありがとうございます。 (夙川)

2023-01-03

タイトルがとても気になって読ませてもらいました。読み終わって、私は何が出来ないのだろうと考えました。 男は歯をお金と見誤るだろうか、もしかしたらそれは本当にお金だったのかも知れない。でも、渡す側の心に歯抜けを気にするときの自意識のようなものがあった為に恥ずかしくなって出来なかったと思っているのかも知れない。そんなことを考えました。そして先頭を行く犬は飼い主であろうが関係がない。行くべきところへ、今、ただ行くだけ。私はそんな風にお金を渡したかったのかも知れない。 (なんでこんな事すら出来ないのだろう)

2023-01-03

私たちはそれでも時にどうしようもなく駆けつけて立ち去って、駆けつけてもらって立ち去られてを繰り返しているのかも知れません。どうしてでしょう。三〜五連の正しくて正しくて仕方がない正しさより、ほかの連に記載されたものに惹かれるのは。 (うきわ)

2023-01-03

コメントありがとうございます。 ここで語られる「米津玄師」さんがどんな記号で、どんな機能が与えられているのかが私にはわからないのですが(たとえば私は動作に関しても創作に関しても共に不器用ですし)、そう言えば米津さんは最新曲のPVでムキムキになっていましたね(腕だけですし、作り物だからぽろっと取っちゃいましたが)。 最強ってなんでしょうか。その方が使用する言葉の意味を知り合うコミュニケーションが好きです。でも詩とか創作の場面では結構その辺曖昧なまま行く美しさとか楽しさがありますよね。私はそれでも話していくことが好きです。大好きです。 ありがとうございます。 (花をつくる)

2023-01-03

各人が抱くイメージの話、平和より混沌の方が独自性があるのかも知れません。 作中の俺は、その命の終わりまで通して他者や世界を憎み切りたいのでしょうか。なんだかそれよりは、人間のおもしろさを突き詰めたいのかな、でもその方がきっととても難しいのかななどと考えました。もしくは既におもしろい人間になったのに、それでもまだ何かが終わらないのでしょうか。つまらない人間に対する大きな怒り、それはどこから来るのでしょう。私にわかるはずがありません。でも切れないエネルギーってあるんでしょうか。じゃあどこかで充電されているのでしょうか。 (Planet Poem)

2023-01-03

>これ、書いてるの二度目ね。ビーレビの投稿枠に直書きして最後に見直ししてたら消えたんだわ。ああよかったって思った。こんなろくでもない投稿しなくてよかったって思っていた。 この作品を読むことが出来て良かったと思いました。世界には、そもそも一回だって書かれない作品や想いが沢山あるのだと思います。そこに二回目があってこうして触れられて、それって奇跡だと思います。表現すること、それを発信することってやっぱり素晴らしいなって深く感じました。 (Generation Terrorists〜あんたが大賞)

2022-12-14

作者にとって、書くことに意義がある内容なのだろうと切実に思わされることが、文章を通してそれを信頼させてもらえることが、一読者である私にとっては大切なことなのだと思いました。素晴らしい作品だと思います。 (bebe)

2022-12-13

おはようございます。コメントをくださり、ありがとうございます。 外国の地のような、しかしやはり日本の団地かなぁという主旨のコメント、興味深く拝読しました。共作者として、そのイメージを生んだ要因はどこにあるだろうということを考えています。私は個人的に、河上さんの作品に現れている、日本的なイメージを強く届ける描写が好きです。共作ということで何かいい化学反応が起こっていたなら幸いです。 ありがとうございます。 (椅子 (クヮン・アイ・ユウおよび河上類による合作))

2022-09-30

作品をご覧くださり、ありがとうございます。コメントを拝読して、個人的に好きな浦島太郎のことを思っていました。私の中で、浦島は桃太郎の便宜上の対の存在として配置しています。桃太郎が確実性の物語なら、浦島を非確実性の物語と考えています。例えば、こうしてこうすれば確実にマッチョな身体を手に入れられるという話においての方法と達成が前者です。縁と善、願いと祈り。コメントに感謝します。ありがとうございます。 (椅子 (クヮン・アイ・ユウおよび河上類による合作))

2022-09-30

作品をご覧くださり、ありがとうございます。 静と動、沈黙と叫びという切り口で作品についてコメントをしてくださり、ありがとうございます。明かしてはいませんが、本作のテーマにおいて重要なキーワードであることを改めて知らされ、共同制作者として喜びを感じています。ありがとうございます。 (椅子 (クヮン・アイ・ユウおよび河上類による合作))

2022-09-30

作品へのコメントをくださり、ありがとうございます。 >語句一つ一つに「カッコよく読まれたい」という顔が充満 この箇所、ドキリとするものがありました。その前には以下のように記載があります。 >読んで、いまひとつしっくりしないのはなぜだろうかと考えました。好みの問題かといえばそれまでです。 結局、考えた結果としての「なぜ」は示されたのでしょうか。その回答はいただいたリライトの箇所になるのだろうと思います。リライトしていただき、ありがとうございます。 例えば、「細く立ち上る硝煙の先端に」には、「硝煙の先端に」よりも、より具体的なイメージを届ける為の描写、その機能があります。一般的に、それ程拡散するイメージからは遠い、つまり太いと細いなら細い方の硝煙をなぜそう表したのか。そこには作者にとっての必要性があるとはっきりお伝えすることが出来ます。ただしそれが、読者にとって必要であるのか、または面白い等と感じてもらえるのかどうかは別の話だと考えます。ただ、作者としての必要性はある。その点を今回三浦さんに届け切るには至らず、 >カッコよさへの過剰さ でしかなかったとしたら、それは作者の技術不足、 とは思いません。 文章を削ることの大切さと同様に、その必要性によっては、逆に微細な表現もまた大切だと考えます。 これもまた、 >好みの問題かといえばそれまで なのかも知れません。 個人的には今回の合作を通して、自らにはない微細さの美学もまた学んだ次第です。 ありがとうございます。 (椅子 (クヮン・アイ・ユウおよび河上類による合作))

2022-09-29

コメントをくださり、ありがとうございます。「幻想性」は、わたしには出せない要素であると思います。きっと、河上さんの言葉の力です。そしてそれをそこにとどめずに、現実と向き合う姿勢を見せられたこと、それにはもちろん、河上さんの元々のお力も多分にあり、そこにわたしの持つ要素が何らか推進力の一つになれたなら幸いと、コメントを拝読し、嬉しく思っていました。 ありがとうございます。 (椅子 (クヮン・アイ・ユウおよび河上類による合作))

2022-09-29

コメントをくださり、ありがとうございます。読者の方の体験や思い出にひもづく形で作品が役割を果たせたのでしたら幸いです。福まるさんのエピソードも聴かせていただけて嬉しいです。ありがとうございます。 (椅子 (クヮン・アイ・ユウおよび河上類による合作))

2022-09-24

ご覧くださり、コメントまでくださり、誠にありがとうございます。 三連目についてお言葉をいただくことが多く、合作ではありますが作者として嬉しく思います。皆様からいただくコメントを受けて、改めて作品と新たに向き合うことが出来ています。ありがとうございます。 (椅子 (クヮン・アイ・ユウおよび河上類による合作))

2022-09-24

作品をご覧くださりありがとうございます。またコメントまでくださり誠にありがとうございます。「詩の成り立ち」について三連目に焦点づけて言及していただきありがとうございます。新たな刺激をいただけて幸いです。 (椅子 (クヮン・アイ・ユウおよび河上類による合作))

2022-09-24

何一つ排除しない生き物はどんなでしょう。探索したくなります。前向きに生きていくということでしょうか。 (ゴキブリ)

2022-06-03

本作は「おっさん」または「彼」の人格や価値観がよく伝わるように書かれた作品である。だが、実はそれは表層的なものではないか。(作者が自覚的か無自覚的なのかまでは断定出来ないが)本作が最も語っているのは、〈「私」が何を持っていて、何を持っていないか〉である。これこそが最も表されている作品だと読んだ。 (知り合いのロスジェネのおっさんとの友情)

2022-06-02

動画をご覧くださりありがとうございます。川﨑さんはリーディングをされているとうかがっていましたので、そういった方からこうしてコメントをいただけること、非常にありがたいです。 例えば音楽の場合、理論を通して作曲をされる方もいらっしゃると思うのですが、テキストの採択に理論を取り入れて駆使出来ているかというと私個人はそのような技量を持っていません。ですので感覚的に作っていると言えると思うのですが、結果的にわずかにでも何らかの良さが生まれているのなら、これ以上嬉しいことはないなと思います。ありがとうございます。 (at 0507∩0201 マーノ・シニストラ stereotype2085さんとの共作)

2022-05-16

作品を受け止めてくださりありがとうございます。本作はstereotype2085さんと交互に言葉を連ねる形で紡いだ作品です。そのようにおっしゃってくださり幸いです。ありがとうございます。 (at 0507∩0201 マーノ・シニストラ stereotype2085さんとの共作)

2022-05-15

>俺の吐いた精一杯の生き様が 生き様の表れ方が例えば「示した」などではなく、「吐いた」というところに感じ、考えるものがあります。石ころを蹴っ飛ばす感覚にも近いものを想像します。 個人的には、 >今の俺には愛すか殺すかだ この箇所に作中わたしの立場や思想が最も表れているのではないかと考えます。実は「愛すか殺すか」の間にも、例えば〈どちらであるのかを判断し切らずに検証し続ける〉というのもあるのかも知れないのですが、こう書くと「安泰」と感じられるでしょうか。 >身動きひとつ取れない >恐ろしき世間を前に俺は >仏のように佇むことができるのさ この箇所を読んで、思い出すものがありました。三蔵法師にコントロールされて観念する悟空も、琵琶法師に説き伏せられるアシュラも、私にはなぜかそこに美しさを感じられたということです。本作でのそれは、例に挙げたものとは質が違うかも知れませんが、自身でも何故だかわからずも強く想起させられるものがありました。 (世間の毒溜まり)

2022-05-10

>感傷など >ほんとは >ひとつもないけれど 言葉の機能の一部には、言わないことで言っていること、言うことで言っていないこと、肯定することで否定すること、否定することで肯定することがあると昔に考えたことを思い出しました。タイトルにも同じものを感じたところがあり、そういえば、こういう作品は子どもには書けない作品だなってふと思いました。 (とくに意味はないけれど)

2022-05-07

>つくりかけた笑顔 って、笑顔としては表出されなかったと読みました。 つくりかけの ではなく、〜たという形で示されていて興味深く読みました。 嘘と表されなかった笑顔と、一方で続く会話。 その三行を踏まえて最後のリフレインを受け取ると、なぜだか少し悲しみを覚えます。 (5月)

2022-05-07

内容を踏まえてタイトルを見ると違和感を覚えたので、観察という言葉を改めて辞書で引きました。それで少しわかったことがありました。作中わたしの眼差しの客観性の有無についてです。 観察対象に対して、作中わたしの心の中では何らかの投影が起こってのではないかと思われました。 >男共、恥、童貞、普通、怯え、親 というワードとそれらは関係が近いように推察されます。 わたしが自己観察をするとそこにはどういったものが見えて来るのか、そういった所にまで想像を働かされる作品でした。 (人間観察)

2022-05-07

>食事代は、いつも私持ちだ。 この箇所があるとないで印象がどう変わるかと考えて読んでいました。当然ながら、作者にとってなんらかの必要性があって選ばれた言葉だと思います。仮に記述がなければ、私は特にそもそも本作を受けて代金は誰が払ったのだろうということを考えなかったと思います。書かれたから知ったということです。それは作中わたしの情報として、なんらか読者に知って欲しいという意図があったのだろうなと想像しています。例えば相手への愛の有無によって、同箇所の有無も変わったでしょうか。 >セックスで相手をがっかりさせる人はセックスする資格ないから。 本作を受けて、行為を通して相手と共有したみっともなさや滑稽さ、虚しさや欠落、かなしみのことを思い出しました。ある種、真の意味での裸の付き合いの尊さをそこに見たような気がしています。互いに相手をガッカリさせたかなしみを分かち合うことも美しいなってことを思い出しました。 ( 一緒に食べたラーメン)

2022-05-03

創作における作中わたしの自身への分析や覚知、その先の虚無が感じ取れます。締めの言葉のさらに先の作品を楽しみに、ぜひ拝読したいです。 (匿名で誰かにひどいことを書くのはダサいからやめにしませんか)

2022-05-02

>私は 笑いが止まらなかった 私には、ひどく疲れている時や自覚している層より深いところで悲しんでいる時などに、たとえばシャワーなんかを浴びていると突然笑いが止まらないことがあります。笑いながら泣いているんです。そんな時のことを思い出しました。 かなしみの宿る作品ですが、不適切かも知れませんが月の光のように美しい作品だと思いました。 (神様と君の思い出)

2022-05-01

人生が物語であるとしたら、どうやってその終わりを自身で主観的に語るのだろうかということを考えました。仮に本作が神の視点のようなものから語られているとしたら、既に終わった物語をどこからか見つめて切り取って語られている作品ということでしょうか。お腹いっぱいだとしても、幸せってやっぱり尊いものだなと考えました。 (沢山の幸せはいらないです。)

2022-05-01

個人の被害に対するそれがうたわれているようで、なんだか時代から被っているものに対する共同体感覚もうたわれているように感じられて、勇気をもらいます。 (我慢)

2022-05-01

最期を読むに、王様がそうなった頃には世界はほとんど滅びていそうだなと思いました。栗の味もまたすぐに砂の味に戻ってしまうのかも知れません。その頃にはもう誰も居ませんね。 空いた心の穴にいくら物を詰め込んでも満たされない、タイトルを見返してそう考えました。 (お腹を空かせた王さま)

2022-05-01

夢の架け橋の先も、なんなら募金する人と支援団体を繋ぐ架け橋であること自体を知らないということかも知れません。私もむかしFやLで働いていたことがありましたが、通常の店頭募金の仕組みについてすら知らなかったですし、きっと今のイレギュラーな寄付先のことも、今勤務していたとしたら知らなかっただろうなと思います。 既存の枠組みを臨時的に広げての対応だと思うので、名前が主に置かれることはないかも知れません。でももしかしたら、それを主目的に置いた他の名前の募金箱が置かれるかも知れません。 募金はもちろん、仕組みへの言及など行動出来ることはすごいことだと思います。 >世の中に平和が訪れたら >また食べよう とても真面目だなぁと思いました。生きることに思想を持つことを大切にされているんだろうなって。 最後にFへまた行っているのが良いですよね。 (夢の架け橋の先を知らない人達)

2022-05-01

>もはや僕の体ではなくて >僕の体らしい この表現、とても良いですね。 否定→肯定を同じ名詞で行われているのがクールだなと思いました。 (涙(境界))

2022-04-30

一連目にはやや批判的な意思を、二連目には問題提起のようなものを感じ取りました。 本作を受けて、改めて千羽鶴の由来を調べました。そこから派生して百度参りについても調べました。祈りについて知りたかったことと両者の間にある物質と精神の違いについても考えていました。 三連目は作中わたしが考える祈りの形の一形態について記されているのでしょうか。 四連目には、わたしの思想の提示と祈りの形態にも似た問いが示されているように思いました。 本作はわたしの思想の柱から紡がれた作品ではないかと考えたのですが、自身もこういう作品を作る際には、そこに含ませるアグレッシブさのバランスや表し方の決定には熟考を要します。本作はギリギリのバランスでそれがとられていて、読者に委ねられたものが残るのでとても良いなと思いました。 (祈り)

2022-04-30

作中わたしは、どこに居るのでしょうか。少なくとも母は、自宅外に居ると認識しているということでしょうか。わたしは自宅に居るのかも知れません。階段を登って来ると人が語る時、それは例えば妹が二階に上がる場合なら、わたしも二階に居ると言えると思います。 それとも、これは可能性の低い話ですが、もしかしてわたしは現世にはおらず、そのうえで普段通りのメールが送られているのでしょうか。真実はわかりません。 温かな家族の風景なのですが、最後の一行だけがわからないということから僅かに不穏さも感じ取りました。 しかしタイトルを見るに、わたしの優しい眼差しも感じますから、最終的には温かな作品と受け止めました。 (耳を澄ましています。)

2022-04-30

>どっちを抱きしめる? の先にあるのが >猫と兎 というのが新鮮で、とても面白いです。 >狂い始めた鼓動のリズムに気づいた兎 という兎に仮定された性質とわたしの視点が重なっていて素敵です。 >誰かがいるベッドは >温かいから ドキリとさせられる真理を示されたようです。 (猫と兎)

2022-04-30

>知りたくもない 彼女たちの主観を想像した私の主観がこの箇所にのみ語られていることが私には面白く読めました。 詩の形とタイトルが素敵ですね。3問目なのがまたいいなって。 (問(3))

2022-04-30

私の言葉で具体化して表すのが無粋と感じられるほどに素晴らしい作品だと思いました。と書いて、そもそも手持ちの言葉で表したいものに届かないと実感されていることが事実により近いと思いました。 ただ一点だけ書かせてもらうなら、作中わたしの背中を追うような視点で読める感覚がとても楽しかったです。 素晴らしい作品だと思います。 (参道)

2022-04-30

コメントをくださりありがとうございます。またこうして作品にアプローチしていただけてとても幸せです。ありがとうございます。 何かの行動をとる時に必要な性質の一つには、アグレッシブさがあると考えているのですが、それが悪い意味での攻撃性にならぬようにこうして書かせてもらいました。 (○を辿る)

2022-04-30

>ジャンボジェッ これいいですね。 タイトルも食卓なのがまたおもしろいですね。 (朝の食卓)

2022-04-29

割れる時に生まれる摩擦(痛みのような)、それすらも空洞から抜け出す力となる。何もないよりは何らかの力を宿すそれに、ポジティブな視点を感じ取りました。 (完備なる加速度)

2022-04-29

ツイキャスと固有名詞が登場すると作中でそれが際立っていて面白いなと読んでいました。例えばこれが配信全般を指す、もう少し包括的で抽象的な名前が使われていたらそんなにフックとしての機能も持たなかったように思います。具体的な名前には力がありますね。 内容からは、永遠の別れを想わされます。しかしそれは自然や神、超越的なものに抱きしめられ、少しずつ癒されていくようでもあります。 (ひるま)

2022-04-29

ありがとうございます。アグレッシブ過ぎないように抑えていました。泥臭さはとても嬉しいです。ありがとうございます。 (○を辿る)

2022-04-27

「辿り着く」という言葉を辞書で調べました。苦労して着くとか探し求めてやっと着く等の意味があるようです。孤独をそのような姿勢で探し求めるというのは珍しい気がしますし、面白いタイトルだなと思いました。 個人的には、個室トイレと孤独の距離の近さには体感したからこそ共感するものがあります。 苦労して辿り着いた孤独の更にその先や深い地点で、いくらでも待つことが出来る。そしていつか必ず晴れの日に目覚めるという姿勢を感じる作品です。舞台装置としての言葉こそ過激ですが、その芯にあるものには健闘を願いたくなります。 (孤独に辿り着いて)

2022-04-27

>「雨の日のあの匂いのことだよ」 本作を受けて、タイトルにある言葉を教えてくれた人の存在や、その人との過去のやり取りを感じ取りました。 このセリフが登場するまでは、今季ならではの風情を丁寧に表した作品という印象でしたが、セリフ以降からはまた印象が変わりました。季節に生きていた人の気配を感受します。自然描写を徹底した作品も美しいですが、本作には途中から人の香りもまたして来たので、二倍楽しめた感覚でした。 (ペトリコール)

2022-04-27

初読からなんかめっちゃいいと強く感じていて、時間を置いてから読んだらもう少しきちんと言語化出来るだろうかと思って来ましたが、めっちゃいいとしか言えません。何がそんなにいいんだろう。わからないけど、私の好きなものならわかる。叫びを感じる詩、そういう詩には存在の切実性や必要性を感じます。 私たちは生まれを選べません。生んでくれてありがとうってそんな柔らかい温かいだけのものと言い表すには不適切かも知れませんが、でも確かにそういう感謝もある叫びが、詩から作者に対する声が聴こえてくるようで、大事に思います。 (むくわれている)

2022-04-27

咲いている時の姿が眩しいほどに果ての姿とその当時の記憶に影を落とす。 クチナシに朽ちることなしを掛けているのは面白いですね。 (不朽の「名作」)

2022-04-26

>自然に治癒 がどんなものを指すのかわかりませんが、ニュースやインタビュー、ドキュメンタリー等で、あるものから目を覚ました人について見聞きしたことがあります。 今の時代、わからないことをわからないままにして、断言する人たちには、前述のようにする人に対して思想等を押し付けない忍耐力もまた必要なのかも知れませんね。全てに通じることだからこそ、たとえばお金の使い方と同じように教育がサポートするべき内容なのかも知れません。 (恐怖の嘘ウィルス)

2022-04-26

就職活動と恋愛において両者の間で行われるやり取りを重ねた作品でしょうか。就職活動はよく恋愛に例えられますよね。 そう言えば昔、選考の中で企業宛の動画を送らせるというのがありましたよね。 私などは、入社直前に内定を辞退して迷惑をおかけした人間だったので、逆の詩、つまり人事視点の作品もまたあったりするのかななどと想いを馳せていました。 本作、自分ならタイトルをどうしただろうかということもまた考えました。タイトルをそのままにするなら、もう一捻りテキストの中で何か出来ただろうかと考えましたが、具体案は思いつきませんでした。たぶん、テキスト内の描写にリアリティがあればあるほどいいことはわかるのですが。。 (さよなら御社。)

2022-04-26

夢と現実、本意と不本意。 君は誰だろう。そのまま第三の誰かを指すのか、あるいは自傷を指すのか。どちらにしてもその行為を姑息と感じている。そうすると苦しいですよね。 詩は表立って言えない状況や思想を受け止めてくれる大きさがあって、私は何度も救われて来ました。 どうかサバイブして、姑息さを感じない道で自らを肯定して生きてゆけたらと願いたくなります。未来で詩をまたぜひ読ませてください。 (いじめ)

2022-04-25

>知るか この言葉が印象深いです。 受動的に知らされたことばかりだったんでしょうか。私には、自らが能動的に知ろうとしなければ知ることが出来ないエピソードもあるのではないかと思われました。その仮説のまま考えを進めるのであれば、知ろうとしたことを取り上げて並べて「知るか」と吐き捨てるように表すのには、エピソードと自身の間での「遠さ」を感じないんです。 人間の、理屈だけでは語れない不合理な性質を自身の心情や状況に重ねていくらかの共感を抱いているのではないかと思われました。受け入れ難く、「知るか」と言いながら〈知っている〉、そういう作品として読みました。 (2006年)

2022-04-25

季節感をなくす程の心の状態について想像します。 暗闇の中ライトなどで顔を照射されると、その闇が深ければ深い程に視覚を奪われます。六連目の眩さに関する描写からそのことを想起しました。色のない日々だったのではないかと。 たとえば視覚や味覚をほぼなくしても、花の匂いだけは何の押し付けもなくそっと寄り添って来たのではないかと思われます。 時の流れの認識について、刺激が少ない程にその速さが感じられるという話を見聞きしたことがあります。本作ではそれが安心出来るものとしての凪ではないとわかりますが、底の暮らしにもまた存在する「何もなさ」があることを知っています。 最終連には何故か胎動の体感を想います。 コンフリーは下へ向けて咲くそうですね。底に居るわたしに向かって咲いてくれていた花にも気が付かず、でも確かに匂いがあった。 これからの旅を、その再開を願いたくなる素晴らしい作品です。 (訣別)

2022-04-25

清々しい程の晴れ間とその心模様が読んでいて大変気持ちが良いです。こういう作品は世界にとって必要だと強く感じます。 (レインボーラブ)

2022-04-24

>ヒットエンドラン というのがいいですね。氷室は打者で、悪球であっても必ず打った。チームの為に。 川端康成の作品「火に行く彼女」においても睡眠中の夢が見る者にとってどういうものなのかが示されています。私はこの作品がとても好きです。 本作の登場人物や場面は舞台装置ですね。 >そしてあなたも >笑っていた に集約されるもの、際立たされるものの為の。 (夢・あなたがいた街)

2022-04-24

作品を読んでから改めてタイトルを見つめると、作中わたしのこの先の希望を象徴しているものであるように映りました。 (森の灯り)

2022-04-24

>だらだらだっだら この箇所、タイトルと微妙に音が違うところが良いですよね。 私には本作の濁音やその表記は、涙にも見えてしまいます。 (だらだらだったらだ)

2022-04-23

実直さの伝わる作品で好感が持てます。次回作もぜひ拝読したいです。 一点、句読点の使用については作者様の中で何か規則性があるのでしょうか。その辺も改めて再読して分析したいと感じました。 また、冒頭から5行目までの「現実は〜」というリフレイン、とても良いなと感じました。その後それは他の形に変わるのですが、私が書くときは形を変えるときに意図していてもしていなくても発生する意味についてはよく考えます。たのしく拝読しました。ありがとうございます。 (心のグラデーション(初投稿))

2022-04-23

>鼻炎様専用車両に誤って乗ってしまい 〜 >幻想にとらわれて居た ここまでがとても面白いなと感じました。冒頭の二行を受けて、 例えば >咳き込みたい人専用車両に乗ったら 嫌がられたり とかではないんですよね。 主観と心のありようににまなざしが向けられるとは。 トカゲは、例えば性に関しての差別を行うような存在かなと考えていました。 (月)

2022-04-23

自らに対し、「春にほうけるな。」という声が聴こえて来そうに思われました。 スリッパや鏡の描写には緊張感を覚えます。その細かな事情は知り得ませんが、なんらかの個人的な体験にもとづくモチーフではないかと読みました。それを踏まえて改めて考えると、そのうえで緊張感が伝わるというのはすごいことだなと思います。 (存在)

2022-04-22

が描かれたそれまでの行とは違って。 でも、なんとなく、本作に触れてそれでもやはり心の中は自由だよなとか思われました。 (すみません。操作ミスでコメント途中で投稿してしまいました)。 (Don't believe)

2022-04-22

最後の一行の飛躍が効いていますね。憧れや温かさ (Don't believe)

2022-04-22

はじめの三行に殺虫灯のイメージを受け取りました。 その後の千代紙が真に千代紙であったなら、まだ幾らかよかったなと感じています。これは、現在の環境に何らかの理由で縛られている作中わたしについて描かれているのではないでしょうか。制限、縛り、管理、蹂躙などのイメージが届きます。 幸せの訪れを願わずにはいられない、叫びを感じる詩だと思いました。 あと、二連目三連目に書く力の高さが伝わりました。素晴らしい作品だと思います。 (ぐるぐる自転車の今日)

2022-04-22

>そんな彼等はよく >乗組員の欠格条項だった精神病を嘲笑った 実際これどうなんでしょう。そうなるのでしょうか。なかなか想像の及ばない状況で、ただドキリとさせられて、引き続き考えています。 >自分たちが障害者であることなど >誰もが忘れていた この箇所、作中わたしはどの立場でどんな視座からこれを表しているのだろう、書いているのだろうかと考えています。そのうえで当事者であればなんたら、当事者でなければなんたらと私は考えるのですが、果たしてどう受け止めたらいいのだろうと考えています。 最終連は、嘲笑われた側とされる人間が嘲笑わずに確かに生きていた人間について語っていますね。 まだちょっと落ち着いて読んだものを受け止められないでいますし、悪い意味でなく複雑な構造の作品だと思いました。 (丁四潜水艦隊)

2022-04-21

わたしは、毒虫に生まれたことを否定し切らない為に生きているところもあると、自身の生について考えています。 そのことを、考えるきっかけをいただきました。 (虫になりたい)

2022-04-21

2.不条理風の妥当 3.利己 4.自己責任論の押し付けと責任回避 5.ミクロ→マクロ→ミクロの暴力、そして傍観 6.一行目がなければ、サボりと安易に読みかけたが、むしろ上司も管理下・・・ と考えたけれど、最終連を受けてまた読み方が変わった。みんな一緒に滅びるか、あるいは個人的な正義の執行か。 7.>氷河の最期 には、例外のない死がある 8.事実だけの描写、答えは示されない。 (包丁)

2022-04-21

たとえば作中わたしは4人家族なのかなーなどと勝手に仮説を立てたりしていました。つまりこれは「半径5メートル」に向けた叫びの詩なのかなと。 叶うなら半径をもっと広めて行きたいという願いが込められているのかなと読みました。 (優しさ)

2022-04-20

一連目、とても惹かれました。 >今日の飛行機雲は短くて可哀想だと 飛ぶことをもし人の活躍にたとえているのだとして、そのすぐ後に残る軌跡の持続性が短くて可哀想ということなのであれば、本人は果たして後ろを振り返るのだろうか、いやそれよりさらに先へ進むことに尽力しているのだろうかなどと考えました。 (選考結果発表)

2022-04-20

人間に対して、何かポジティブなものを期待している視座が汲み取れます。 問いの中にわたしが入っていることが面白いなと感じました。誠実ですし嘘がなくて素敵だなって。 これから先のどこかで、問題提起や指摘のその先の言葉をどこかで見てみたいと思いました。 (なんですかそれは)

2022-04-20

いい写真ですね。最後のあなたは何に向けられたものかなと考えましたが、それを具体的に言うより、素敵な日の始まりへの予感を味わいたいなと思いました。 (久方ぶりに)

2022-04-19

タイトルは詩情との触れ合いのことかなと考えました。 最終連に示されるのは、ある意味ではいつも通りの嫌だなーと思われることも多い日常で、現実のことなのかなと読みました。だって、penguinは空を飛んで、人間は詩情に触れ合ったりイメージ世界を縦横無尽だったんだろうから。 (徒然労働外妄想)

2022-04-19

深い悲しみと怒りの在処を想うばかりで、それが表出するまでのフィルターや技術、人生や人格、 やはりどうにもならなさへの悲しみ痛み憎しみ悲しみ に、想いを馳せています。 歌うしかないやり場のなさを、その事実の発信に、同じ時代に生きている懸命さ、ひたむきさを共有させてもらっただけで、深く感謝いたします。 (貧乏節)

2022-04-19

わたしは化学のことを知らないのですが、知らないわたしにも格好よさが伝わって来ました。知っていたら、もっと深く読めたのかなと思ったのですが、そのことすら清々しく諦めさせてくれるような素敵な作品だと思いました。 (震える水蒸気)

2022-04-18

回避不可能な危機に陥って、死ぬしかないのかと考えて、それを否定する。理由は楽にならないから。 しかしそもそも楽になるために生きていなかったんだろうなと思うのです。死ぬしかないほどに追い込まれ苦しんでいるというのは、そもそも生きたいイメージがあったんだろうなと想像しています。生きたいように生きられないから、そう在れないから、死にたいほどに苦しむことがわたしにはありました。 きっと、このことを作品にすることになにか意味があったのだと思います。それは意識的なのか無意識的なのかはわかりませんが、きっと書かないより書く方が良かったのだろうと想像しています。 願っています。 (The Day)

2022-04-18

美と醜の技法のように、真面目と不真面目のそれもあるように思います。おどければおどける程に際立つかなしみがあります。それを感じています。 結語は、単なる風の冷たさだけには思えません。いったいわたしにも真実などわかりませんが、多角的に物事を見続けてずっと考え続けることの方がときに苦しいことも多いかと思います。 勉強し続けたいとそう思いました。 (四月の風は冷たくないですか)

2022-04-18

ご覧いただきありがとうございます。真摯に作品と向かい合おうしていただけたこと、当たり前のことではないので、深く感謝しています。ありがとうございます。 リリースされた作品がどう届いたかも含めて私の表現力のうちだと思うので、今後も前向きに精進して書いてゆきたいです。ありがとうございます。 (○を辿る)

2022-04-17

>意味を求めて意味もなく足搔かせてください。 >無責任に託された願い 前者の祈りと後者の願いのぶつかりあい。 >まっとうな人生も 明るい未来も わたしには、まっとうで明るいものではないのだと思う。あなたならではのまっとうと明るさと、あといつかゆるしを、その到着を願っています。 (いのり)

2022-04-17

>1ヶ月に1回決まった金をくれる君はその金で僕のアタマを買収しようとしてる >1ヶ月に1回決まった金をくれる君は僕のアタマを乗っ取ろうとしてる >1ヶ月に1回決まった金をくれる君は僕の脳みそでスープを作ってお客様に振る舞おうとしてる。 このリフレイン、勢いと熱が冷めないままにちょうど気持ちよく繰り返されていていいなぁと感じました。 怒りとリビドーが作中からうかがえますが、今、こういった作品を出し続ける必要性があるとうかがえます。この先に例えば10年後、作者がどんな作品を書かれるのか、これからも拝読したいと思いました。 (溺死)

2022-04-17

>だが、笑い合った。 こういう受容や適応にはとても惹かれます。 でも、 >我慢した。 と読んでかなしみを覚えました。 (䏞の旅、母)

2022-04-17

本作に登場する末裔とは、既に戦闘民族がそのアイデンティティを失った後に生まれ生きている末裔のことでしょうか。 戦闘民族と聞くとどうしても私などは某アニメを思い出しますが、もう少し、と思い少しだけネットサーフィンして来ました。中には自由を守るために闘った者も居たとの記載もあり、少しイメージも変わり、それが防戦でもあったと知り考えていきました。 それからまた本作を読み直すと、私が書いたそれは、少なくとも本作の戦闘民族にとってはマイノリティの意味だったのかなと思いました。 末裔からして、戦闘民族をはっきりとわかりやすい過去の悪として配置して、引き継いでいる立場としてのその罪と罰から救われる為に必要なものとは、そのことについてが書かれているのかなと考えました。 (民族)

2022-04-16

>思わずあまり敬語を使った評を書きたくないなと感じさせる(行動させる)詩でした。 ありがとうございます。とても嬉しいです。「ありがとう。とても嬉しい。」って書きたくなるほどに(ビビりなので書いてません笑)。 人様のことをどうこうは言えないんですけど、自分になら言えることはあるなと思われました。ありがとうございます! (こい)

2022-04-16

鼻につくではなく花なんですね 誰かくしゃみでもしているんでしょうか (うーむ)

2022-04-15

コロケーションから離れる自由の解放感。 と書いたんですけど、後からふと見ると縦読みの仕掛けがあって、ということはその上でルールの中で闘っていたって感じでしょうか。 (あいうえお詩)

2022-04-15

リズムって、どの段階から意識され始めるんでしょうね。今となってはもう思い出せない地点で踊りまくっていました。たのしいです。 (おいしい牛乳)

2022-04-15

ありがとうございます。 むかし、自作への肯定を他人の評価に依存せず自らのみでやるということと、コンテストに応募して戦うことの共存は難しく思われたので、とりあえず前者を選び生きて来ました。もう自立出来るなと実感出来たので、違う考え方切り口で競争にも入っていける気がしました。久々にB-REVIEWのコンテストにも参加しました。 創作、これからもっと頑張りたいです!ありがとうございます! (こい)

2022-04-15

ありがとうございます。 ある方の作風を見たという意味でしょうか。嬉しいです。ありがとうございます。 (こい)

2022-04-15

>嗤われたいと願っているのか、そうではないのか、読み解くことができませんでしたが、 ありがとうございます。嗤われたくないですが、嗤われる人たちの中には賛否を引き受けるところまで進んだ人も居ると思い、そのステージを少し意識することもあります(もちろん弱いものいじめ的な感じで嗤い人から言葉をとりあげる人のことは認められません)。だからその辺がはっきりとしていないところを汲んでもらえてありがたいです。ありがとうございます。 むかしに、自分がやっていることの価値を自分でつけてらたたえていく方向への旅を選んだので、さみしくて不安ですが、やってきてよかったなと思います。こちらのコンテストには久々に参加しました。そういうところ、考え方が更新されたり人生を生きる楽しみを味わっています。 ありがとうございます。 (こい)

2022-04-15

例えば >れへ この言葉に作者がどんなイメージを持っていて、どう定義しているのかということを考えます。と言いますのも、私には読むのが難しい作品でした。皆さんがどんな読みをされるのかとても気になります。 コミュニケーションでは、この言葉って概ねまぁこうだよねという共通認識のもとにキャッチボールが繰り返されていると思います。でもそれは利便性の為に自由や多様性を狭めることとも無関係でないように思います。そうやって私たちは人間をやっていたり、社会を回しているのかも知れません。 その点詩や文章表現はいいなと思うのです。前述の利便性の為の自由への制限を受けませんから(受けにくいと言う方がいいのでしょうか)。 本作の私の読めなさを作品に絡めてなんとか書きたいとして書いたコメントなのですが、読めなさは私の言葉に関する力の不足ももちろんあると思っています。 なにゆうとんねんって話かも知れませんが、少しでも何かが伝わったら嬉しいなと思います。 (品計錯誤)

2022-04-15

変わることが出来ない、動くことが出来ない日々を送ることへの葛藤と、このまま見つからずありたいという願い。相反する願い、本音は夜のひかりに露わになるのか。 最終連に本音をそのまま見ることは出来ませんが、その事実に本音が表されているようにも思われました。幸せになってほしい。そう願いたくなる作品です。 (お星様)

2022-04-15

例えば 子のインスタで 消息を知る や インスタで 子の消息を知る でもなく、 本作の形とされた背景を想像していました。タイトルにも笑が二つ重ねられています。子という言葉が二つ出て来ることにもどこか関係があるのでしょうか。 直接知ることが出来ないのには何か理由があるのだと思いますが、そこに来てこのタイトルというのには楽しげというよりかなしみのようなものを感じてしまいます。 (笑笑)

2022-04-15

カラスのまなざしから、さまざまな人の人生の瞬間、あるいは一人の人間の人生の瞬間や成長が描かれている作品として読みました。後者の場合、一人称が変わりカラスの表記も変わるのが面白いなと感じました。 5、6連目に大切なものが書かれているように思いましたが深くは読めませんでした。 (烏が鳴く頃に)

2022-04-14

>蟻を一匹ずつ潰すように微笑むあなたが この描写について考えていました。 たとえば、 〈蟻を一匹ずつ潰して微笑むあなたが〉 ではないんですよね。 実際に潰しているのかどうかが未確定で、そしてそれはどんな表情なんだろうと思うのです。私は〈〉に書いた描写であれば、そこに恐怖心を抱いたかも知れないと考えます。 作中の描写からは、どんな微笑み、表情であるのかが読み手に委ねられているんですよね。とは言え、生き物を殺めるような微笑みですから、あまりポジティブなイメージではないのだろうという点で〈〉に書いたイメージともそれほど遠くないのだろうなと推察しています。 であるからこそ、この描写を採用した背景に想いを馳せています。細かい話ですみません。しかしラストシーンにも蟻は登場しますから、重要な部分なのかなとも想像していました。 (B)

2022-04-14

最小単位の後が >曖昧模糊 であるというのが面白いと思いました。 タイトルにも使われた言葉の先にあるのが抽象であること。 こんなにも粉々というところから、それでさえ実はまだ良かった、今はもうはっきりとさえしないものであるという、落下からさらなる落下というところでしょうか。 語り口が敬語なのもまたいいですよね。誰への敬意なのだろうと考えて、世界へのなんと言うか申し訳なさみたいなものから来るのかなとか考えてました。 (素粒子)

2022-04-14

起きた出来事や状況を受けて >やるしかないだろ と繋がる 受けて返すという流れでしょうか 仮に やる 私の目的は祖国を守ること 必ず守りきって見せる だとかなり印象が変わるなと考えました。 (決意)

2022-04-13

>君を許せないことによって君が存在する ここに描かれた君は、あくまで僕の中の君であり、君を君たらしめる要素としては主ではないのかも知れないと考えていました。君にとっての私を私たらしめる誰かが他に居るのかも知れないと考えたのです。それは何だかとても残酷なことだなと実体験に重ねて思っていました。 タイトルにもなっている__が何であるのかを考えることは早々にやめていました。その代わりにと言うのが正しいのかはわかりませんが、 >昨日見た蛇 こそが非常に重要な存在であるのではないのかということを考えていました。 僕を生かす、何か他のものや存在とのこの先の出逢いを願いたくなります。 (__)

2022-04-13

ご覧いただき、ありがとうございます。真逆のものを書いたかも知れないと思うので、そのようにおっしゃっていただけて幸いです。 (こい)

2022-04-13

魚は食べるためでしょうか、漁でしょうか。世情を生活圏に寄せて想像する時点でタイトルには程遠い感性をお持ちの方と思います。 仕掛けとしての表記の使い分けですが、いかがでしょうか。テーマが重いのでもしかしたら賛否はあるのかも知れません。しかし私としてはギリギリそのバランスを悪い方に傾かない形でコントロールしている作品と読みました。冒頭の「おっかないな」と主題に絡む国名にも重なりがあるのでしょうか。 朗読をしているので、音感と文意をどう優先して採用してバランスを取るのかは自身として生涯の課題と考えています。 (自己嫌悪)

2022-04-13

修辞についてコメントを寄せてくださりありがとうございます。あまり文学や言葉に関しての知識がない人間なのでそのように言っていただいて、便りなしに歩いている感覚でいる私にとっては導きを感じて大変ありがたいです。ありがとうございます。 テーマや場面に対して確かに硬めの表現もあったかと思うのですが、そのように想像していただき幸いです。 大切に読んでいただき、ありがとうございます。 (ゾウリムシ)

2022-04-13

ありがとうございます。うれしいです。 (ゾウリムシ)

2022-04-13

ショッピングモールを表すのに糖を使うところに格好よさを感じました。 >図書館でたてた靴音のかわりに >ここでは静かに歩こう >と決めるわたくし この硬質さと誠実さを感じさせる表現に、とても惹かれます。 (夢遊歩行)

2022-04-12

一連目にそれなりの時間経過を想います。わたしは誰かとのんでいたのでしょうか。それとも一人で居たのでしょうか。 二連目三連目に何か重要なものが隠れている気がしてよく読みました。 甘さにもたれたい自分をそうはさせないと引き締めて、程よい時に店を後にするのは、わたしのどんな気持ちからだったのでしょう。わたしはそこに何か誠実さを感じます。 お酒をのめないのですが、何かいい夜を一緒に過ごしたような感覚に浸れました。 (ベルモット)

2022-04-12

>足を止める人もいない >でも彼は歌い続ける この箇所から僕のまなざしと強い思い入れがうかがえます。 〜ない でも〜する という状況に対する姿勢に僕の疲れた心、胸が震えるんですよね。世界にも疲れを多く見ていて、僕に起こったこの尊い感動と同じように、世界とそこに暮らす人々の心にもそれが生まれたならいいとする想いを感じます。 ここからさらに勢いを増していくであろう僕のうたを、もっともっと聴きたいと思いました。 (歌うたいのバラッド)

2022-04-12

かなしみを覚えます。しかし届かなくても確かにそこにあるのなら、いつか必ず届き得ると信じたいとする感情を起こさせる作品だと思いました。 (月明かりの反戦歌)

2022-04-10

>顔に見惚れる という描写を読むとき、多くの場合、そしてともすれば安易に、私は片想いについて想像します。本作からそれは行われませんでした。 見惚れる理由の一つにそばかすが挙げられています。しかしそれは一番目の理由ではありません。 星の最期の爆発と共に散らばる星屑、その輝き。愛の終わりに、恐らく本当の最期に見つめるその人の顔。 個人の好みという観点を横に置いて考えるなら、どうでしょう。そばかすは美の象徴でしょうか。それは多数派の考えではないのかも知れません。真実はわかりませんが、そう仮定して進めるなら、欠落に注がれていた愛があったのかも知れないと考えました。 たとえば、片側の瞳だけ一重であるということを残念そうに呟くその人の瞳を誰よりも愛するような、そういうものが人にはあるかも知れません。 爆発の後の明るさに照らされて、二人の旅がまた続いていくことを願います。 (無言)

2022-04-10

餌やりと撫でる以外の行為、行為者にとってある種の痛みが伴う行為の有無が愛の証明の一つであると仮定するなら、アタシは愛されればネコへの行動を変えるのでしょうか。 そうすると、はじめの愛は一体どこにあるのだろう、一体、どこから来たのだろうということを考えました。 詩を読むかぎり、アタシは既に知っていると思います。優しい人だから、愛を注げると思います。そんなことを思いました。 (ネコに餌をやる)

2022-04-10

一連目の場面は、友人とは一緒ではなかったのだろうかなどと状況を想像していました。最終連の記述がなければ、私は一連目を友人と別れた後に一人で探し歩いているものとして読んだかも知れません。 出会ってからの場面には数々の私の友人へのまなざしが描かれていて、その想いの尊さがうかがえます。素晴らしさは他にもたくさんありますが、前述の想いがここまで届いてくる事実ひとつをとっても、ほんとうに素晴らしい作品だと思います。 (未完成の日)

2022-04-10

>ギョっとしないで >ゾッとして >フワっとしないで >キッとして この表現、とても好きです。冒頭のそれが特に良いですね。 フワっとせずキッとして居たいなとも思いました。 (恋文)

2022-04-10

>酒を溢して啜りたいだけの女 この言葉印象的ですね。このように書かれてはいますが、「俺」の「女」に対する深い愛を確かに感じます(根拠は本コメントの終盤に示しています)。消費して消耗させる為だけの存在には到底読み取れません。寧ろラブレターのようにも読めました。 読み解くのに悩んだのは、「俺」の欠損についてです。果たして >酒を飲むのを止める手もないから この箇所は実際に「俺」に手がないのか、あるいは手はあるが、上に「女」が寝ている位置の関係で手が届かない状況にあるのか、はたまた手はあるが飲みたいから単にそう言っているだけ(手は腕ではなく選択肢としての手)なのか。 最終的には、手はあるが届かない状況と読みました。 >猫のようで、お前が寝言を言う頃、手のチーズの匂いを拭い、そのティッシュで膕を拭く お前の鼻に持っていき呼吸を乱し、ひと笑いして乾き、 この箇所を事後と読みました。チーズの匂いは酒のアテをつまんだ後のそれではないと考えます。拭いたのは「俺」だと読んだので前述の読みの根拠としました。 >そうしてやがてお前すらも忘れるだろうが、 すこし冷たいようにも読めますが、続きの箇所、 >ブラントンを飲む度その膕は思い出すだろう なんて虚しく贅沢な様 忘れることをまだ覚えてる 忘れることを覚えているというのは、誠実な表現だと思います。この箇所からも俺の女への愛を推察しました。 内容に対してのタイトルがまたいいですよね。 「カルデラ」、男女の真逆に絡みついた形、一見して手の欠損を思わせる表現、これらからも少し怖さも感じさせる世界観を醸し出していますから。 (あの世)

2022-04-10

実際の漏電に >意図的な不正 というものがあるのかはわかりません。何らかの原因で結果的に漏電したり、もしかしたら誰かが意図的に漏電させるということもあるかも知れません。しかしそれが不正であるとしても、この言葉は私の生き方に採用されていますから、実際に起こされる意図的な漏電における関係性、つまりさせる人と被る人の関係性が成立し難いです。不正とありますから、どこか自殺や自傷行為とも結び付きません。 二連目の「しかし」はどこにかかっているのか。一連目の漏電だと思います。作中わたしが通常抱いている漏電には+−の性質があるとされているのかも知れません。しかし本作での漏電にそれは備わっていないとの記述がある。 不正という言葉が二度出て来ますが、恐らく最終連の締め括りにある自己否定感情との関係性は密にあるのだと思います。 四連目と最終連にだけ句点が使われていません。なんとなく、四連目に採用されないことには自然を感じますが、最終連にそれがないことには違和感を抱きます。半端に事切れることの暗示でしょうか。 (漏電)

2022-04-09

矛盾を許せないのは、壊れるということに理屈を見ているからか。そして僕らも矛盾した存在であることの矛盾もまたそこにはあって。すべてを理に拠って考えれば受け入れ難いことばかりで、この世の不条理に戸惑うすべての大人の中に暮らす子どもに手を差し伸べるような、白いはじまりを感じ取りました。 (milk mm)

2022-04-09

>年月そして肯定 このフレーズとても格好いいですね。 今の「僕」は、カレンダーを買うようにもなったんじゃないかなと読めました。 時を進めている実感としての象徴でありながら、現在地に足をつけていることのそれでもあるのかなと思われました。 (カレンダー)

2022-04-09

フルスイングと聞くとどうしてもバットのそれをイメージします。味は血の味でしょうか。誰が誰に(どこに)バットをフルスイングするのか。味覚の有無を誰が誰から(どこから)感じているのか。 作中わたしが誰かや何かを殴りつけているようには読みませんでした。 >味がしないわね と言っている人は、わたしよりも社会的心理的余裕がある人ではないかと思います。 皿には回転のイメージを抱きました。 >美味しそうに食べるさ という言葉からも電子レンジをイメージしたのかも知れません。 ほかには、皿回しのイメージも持ちました。 >登っていけよスカイスリーの先っちょ スカイツリーではないんですよね。都会で高みの見物をする者への一種の揶揄や冷笑でしょうか。つまりわたしは、その場所を真の高みとは感じていない。そのうえで登ることもまた放棄はしていない。結局落っこちるのですが、欠片が戦いを補助するものになる。 電子レンジの中のようにひとところで回り続ける不自由さと徒労と >味がしないフルスロットル 。 見通しのきかない現状に苦味を感じる。生の実感。 (血)

2022-04-08

>がんばれよんじゅう。 >もっとがんばれ。 この箇所驚かされましたし、なんかとてもいいなと感じました。作者名を出してエールを送る描写って私は見たことがないです。 (nontitle)

2022-04-08

私には、どうしても拡声器使用の事実だけに違和を覚えます。 ここで発せられているものは、勝ち負けや合理性度外視の、呪詛ではないかと推察します。注ぐ時間の長さや効率性にもとらわれず、ただ発し続けることに意味がある、そんな行動。 こうしたイメージを抱いたので、冒頭のように書きました。もしかしたら、実際に見かけた光景だったのかも知れません。その風景からはじめて、以降は作者の心象風景なのかも知れません。つまり拡声器は、精神世界に至るギリギリ手前の、現実世界の端に置かれたモチーフではないかと考えました。 (魔法陣)

2022-04-08

透明な世界で、涙のように透明に輝いているあなたを見つけた私の、瞳の美しさを想わされる詩です。 (心胎)

2022-04-07

>よくある現実 そうやって自らで押し込めた私の叫びが、この詩になるのだと思います。 連ごとに描かれた私の葛藤に詩を強く感じます。 七連目の悲哀とユーモアを経て、最終連の冷(れい)へとたどり着いて収束する。その事実がやはり叫びを生んで、この詩にたどり着いたのだろうと思います。 私も詩と、もっともっと旅がしたいと思いました。 (他言無用)

2022-04-07

ルンバを辞書で引くと、「力動感」とあり、それをまた調べると「ダイナミックな感じ」とある。「ラテン音楽」、「また、そのダンス」とも。 家電のことだろうとまぁ言わずに、調べてみるとこの通り。私は既にこれだけの旅が出来たことに感謝したい。 関西訛りの方言を話す人は、そのままルンバである。 >ルンバこうたるわ と言った本人がルンバなのである。面白い。 特に言及こそされていないが、アイスコーヒーには、フレッシュが一つかけられているのではないか。 春の澱みをかき混ぜると、白い花びらの行き着くところがある。締切に依らない、必着の地。 >すこし時間はかかるけれど >やがてまっすぐに立つ (さよなら、ルンバ)

2022-04-07

夕暮れどき、子どもたちは帰って行きます。もう帰らないとなりません。ささやきの声を振り切って、私たちはいったい、どこへ帰りましょう。 (夕方)

2022-04-06

消費と創造(の為のインプット)。積み重ねの日々や健全を病的なものに浸す。私はそれを個人的に(生きていく為に必要な)小さな自殺と呼んでいます。一連目の暮らしぶりの方がわたしにとっては非日常なのだろうと思われて、明日からまた始めていくのだろうなと思いました。 (カスミソウをヤマイダレに浸けて食うのだ これぞ良く焼く肉の味)

2022-04-06

個別ケースからの普遍性へのアプローチを読み取りました。「君」へのエールの根拠として、私の個人的な体験に暮らす普遍性の提示があると思います。 タイトルや本文から、作者の他者に対する想いがうかがえます。 「私」は少なくとも二年目を迎えたということでしょうか。三年目、その先と、「私」が更なる環境変化を経たなら、この詩もまた変化していくのでしょうか。 (入学する君へ)

2022-04-06

>気づくんじゃなかったな。不覚不覚。夢の中。 作中のわたしは、本心でそう思っているのでしょうか。私には、今まさにここから始まるように思われました。 溺れて、深く沈んでいると知ることが出来たわたしのここからの旅をまた知りたいと思いました。 ちなみに私ごとで恐縮ですが、幸運にも言葉の流木に掴まって今があります。そしてその掴まるというのも必ずしも水面ではありませんでした。今まさに沈みながら沈みゆくことの言語化により、救われるところも多くあったことを本作を受けて思い出しています。 (迷子)

2022-04-05

>半径五メートルの共感範囲で生きている。 ことを >それは決して悪いことじゃない。 と言いながらも、現在の僕にとってそれが本意であるようには読めませんでした。 2連目の和姦、これは男女のそれというよりは、異質な2つのものの行き来や重なりを表しているのではないでしょうか。例えば顔を真っ赤にして訴えたいつかの激情と、取り繕った冷静、のような。 >燃やし尽くせない恋慕 とは、いつかの自分自身に向けられた、あるいは清君を見た時からこめかみに刺さったままのそれに向けられたものでしょうか。 精神のED、なぜかそんな言葉を浮かべていました。 燃やし尽くせないものがあると泣き叫ぶこと自体が燃焼なのだとわかるから、君は、僕は泣くのだろうと思うのです。 冒頭本意云々と書きましたが、ここまで考えて、書いて、それもまたわからなくなりました。ただ今は、燃焼の美しさに見惚れています。 (Last Mail at AM10:29)

2022-04-04

例えば仮想現実で身につける煌びやかな装飾品を >泥 と表しているのかと仮定して読み進めました。 精神の美しさが人間を人間たらしめるのならば、汗をかいたり臭かったり汚れたりすることもまた人間なのかも知れないと、そういうことを考えさせられました。 現実世界での泥とは、品性を欠いてでも勝とうする人間の心につくものなのかも知れません。 凡夫であっても美しくあろうと闘う姿勢が伝わる作品です。 (エセシャバ)

2022-04-04

「僕」はカエルちゃんの新たな(?)両親のどちらかの弟なんでしょうか。 >顎鬚を蓄えた若い男 というのが「僕」でしょうか。 本作はそのように仮定して読み進めました。 >今はなんだか書類上はそうでないらしいけど (上の仮定が前提ではありますが)この箇所から、「僕」とカエルちゃんの血の繋がりのないことが推察されるのですが、実の甥か姪であれば、 >なんだか、よその娘さんのようで、 ここで述べられた実感もまた違ったのでしょうか。あるいはとそんなことを想いました。 >するするっと縦に伸びたカエルちゃん >君の家族のことは解らないけど、カエル顔をいつまでもね 数年の時間経過を思わされる描写ですね。細かな事情はあれど、「カエルちゃん」の無邪気な人柄に好意を抱いている「僕」が幸運を祈るところで締め括られています。「カエルちゃん」への温かな眼差しの伝わる作品です。 (カエルちゃん)

2022-04-04

四角四面という言葉を思い出して、改めて辞書を引きました。憂さ晴らし出来ない性格の「ぼく」が部屋の四角さを気にしている場面は、前述の言葉にある性質とは無関係ではなさそうです。 現在の状況が消極的選択の先にあるものではあるものの、「ぼく」にとっては「彼女」が眠っている時の方がいくらか楽なようです。「彼女」は今どういう状態なのでしょうか。認知症、身体障がい、精神疾患等、色々と考えました。何らかの身体的精神的な「世話」が必要なようです。 今はただ、この消極的選択の後の時間を、それこそスマホの明かりを頼りに、なんとか息を継いで眠りに落ちるのを待っているという状況でしょうか。「僕」は明日 >全部よくなって はいないことをどこかでは知っているのではないでしょうか。それでも目の前の眠りにつくことに一時の救いを感じている。 >いる。/いるのです という自分に言い聞かせるかのような繰り返しの言葉からもそのように読みました。 (憂さ)

2022-04-03

タイトルと作中で一人称の表記が異なる。 >今は遠い 幼子だった私 は、「わたし」だったんじゃないだろうかということをふと考えた。 (わたし)

2022-04-03

最後の一枚とは、物質として存在するものではなく精神に宿るものでしょうか。私が記憶している男の子を写した、心の中に保管されている写真のような。 一連目を受けて、誰が >見つめてる のかと考えて、私であると仮定して読み進めました。 >私の涙が今年も光るから この箇所に「も」とあるので、未だ途切れていない想いを想像しました。 >いつまでも綺麗なままの 色褪せないのはもう不在なのか、会えないかのどちらかであることが多いと思います。 抱きしめるよりもずっと微かな力でのみ辛うじて触れられる、大切な想いなのだろうと推察しました。 (最後の一枚)

2022-04-03

寒の戻り、過去の振り返り、それから、すごろくの「ふりだしに戻る」のコマを見た時のことを思い出していました。ぶりかえしても治るのが風邪で、ぶりかえしても暖かくなるのが春で、どちらも絶対なんて言えませんが、信じたいです。 >原動機付自転車 という言葉にも悲劇を笑い飛ばそうとするほどに強まるような悲哀を覚えて、 誰かの為に >海苔弁 を買いに行くわたしのひたむきな生きるを感じ取ります。 >なくちゃ >でよう という文体にも、舞台装置としてのそれではなく、採用するべき必要性や切実性を感じ、信頼出来ると心から思います。 >本当のじぶん 、幸福に必ずや到達されることを願いたくなる作中わたしの人柄がここにはあり、生きている人間が宿る作品です。 ((寒の戻り))

2022-04-03

>じつはおはかのなかはあかるいことを しっているから この箇所、なんだろう。主旨については私も考えたことがあり、知っているような気がしていたのに、こうして詩を通して、この表記で受け取るととても驚きました。すっと心に入ってきて、なんだか少し温かい。死を恐れていなかったはずなのに、安心しました。ありがとう。 この箇所の続きに作中わたしの死生観を垣間見ることが出来たようで、ありがたく感じられました。 (ひとはしぬ)

2022-04-03

人を剥製に見立てていると仮説立てて読みました。人の剥製はその通り人としての機能は停止していますから、疾ることは出来ません。タイトル、例えばなぜ「疾る死体」などではなく、剥製なんだろうと考えました。剥製には第三者に見せる用途があると思います。死体は基本的にはまぁ見せる為のものではなく、弔いますよね。 人のありようを指して、死んだ魚のような目と喩えることがあります。この剥製の瞳がどんな様子なのか、見てみたいと思っています。 本作では青、碧と象徴的な色が配置されていますが、おそらく最終連の「青春」という言葉と無縁ではないのだと思います。 剥製とは、「私の為の私」とは逆の象徴ではないでしょうか。死体がもしも自分の為の命を自分の為に使い切った人のものだとしたら、剥製には少なくとも誰かの為という視点があるように考えます。誰かの為というのにはポジティブなものとネガティブなものがあります。現状をわたしは後者として捉えているのだと思います。だからこそ本作を書く必要があったのではないか。本作で最後に暗い中でも走っていくことを後押しするような言葉があることからも、これはエールの詩だと受け取りました。 私には汚さなど感じられませんでした。とは言え汚さが何を指すのかは発信された方との対話をじっくりしなければわかりませんが、少なくとも、薄汚れながらでも転がりながらでも夜であっても、進もうとする命の美しさを私は尊敬します。 (疾る剥製)

2022-04-03

何事もきちんと終わらせることってとても大変なことで、大切なことだと考えます。 気持ちが先なのか、形式が先なのか、目的と手段の逆転はほうぼうで見られますよね。 これまでなくしたものが多くありますし、何より取り返しのつかないものの重さは、言葉では到底言い表せません。ただそこと切り離して、もしも淡々と事実に目を向けるならば、やはり手にしたものもあるのかも知れません。そしてそのことについては、個人的にはこうして無理やりに切り離してでしか語ることが出来ません。形はなくしましたが、心を想う機会は得られました(それでも、やはりなくしたものは大きすぎるのですが...)。 (送別会)

2022-04-02

>弟の性器が熟していないことはわかっていた。 そう言えば自分はいつ成熟したのだろう?あるいはまだ、いやまさか等とあれこれと考えた。途中から読み始めたこの連続作品。姉弟の年齢差についても知りたくなり、過去作からすべて読んだ。 ここへまた戻って来て、前述の弟の事情をどう解釈するか考えた。単なる身体の成長の程度を指すものではないと仮説を立てた。根拠のひとつには過去作からうかがえる弟の年齢がある。私もその頃には既に、と考えた。 だからここで語られる成熟とは、実は他者との心の関わりの有無を指すのではないかと思う。この先に弟の家族以外の人、他者との心の触れ合いが描かれるのだろうか。続きも是非読みたい。 (無題)

2022-04-02

詩の危機は、詩が危機を起こすのではなく、詩を書く人が起こすものなのだろう。 詩を書く人の能のなさの根拠として、 >褒めるか貶すか しかないということが挙げられている。 しかも詩を書く人は、その気分や頷く行為によって >頑なを気取ってる とも表されている。つまり、真に頑なではない。頑なは頑固とも言い換えられる。本当は頑固ではないのに頑固さを気取っているって、私なら「まだ頑固なやつ」と言われた方がいくらかマシであるように感じられる。作中のわたしにとって詩を書く人の有り様への評価は、真に頑固である場合よりもさらに低い。 >お前は誰と話ができるの? >誰を愛せるの? この言葉から、詩の危機への訴えと、一方で危機回避の為のヒントがうかがえる。そのうえで、 >胸に詩を潜めて生きているか と問う。この一行はクールだ。 その後の >理屈で俺を詠んではないか この箇所では、もはや作者自身が詩自体であると言わんばかりに「俺」という言葉が力強く採用されている。詩への愛を感じる。 二連目の冒頭、読み手をドキリとさせる食らいつくような言葉。 以降の >例えりゃ俺たちは島国のかけら >オノレと向き合うための詩を >お前に感じさせたいだけ >心繋がっていたいだけ >それが愛だ この箇所をどう読むかで悩んだ。最終的には詩を書く人に対する批判の為の嗤いの性質を込めたものではないかと考えた。考えの根拠としては以下の①,②がある。 ①島国を肯定的なイメージとして使っていないと仮説した。つまり狭い世界の内向きの性質の比喩として。②「オノレ」のカタカナ表記についても、漢字による重さや誠実さのイメージではなく、軽さやその他の否定的なそれを与えることを採用したように思われた。 以上から、 >誰を愛せるの? この箇所の「愛」と >それが愛だ この箇所の「愛」を比較して、 後者を前者と同価値の重みのあるものとは読まなかった。 最終連について、詩の危機が解消されることや、解消の為のヒントが提示されているというよりは、引き続きその危機はそこにあり、加速していることが示されていると読んだ。 どちらにしても、本作からは作者の詩への強い愛を感じる。 確かに、本作は提言であり提起だろう。しかし私は、それを知る上でここからさらに深化した作者の危機への対抗、闘いを見たいと感じた。 (詩の危機)

2022-04-01

>綺麗な攻撃性 が〈美と醜〉の醜の方として、作中あちらこちらに隙間なく、しかし不規則なリズムや間隔で、結果的に満遍なく配置されているように受け取りました。 例えばテレビで、そのバランスが偏った、激しすぎるものを見せつけられたら、私はチャンネルを変えます。ですがこの作品ではその醜のバランスがとても良いと思うのです。醜によって際立つ美しさをこの日常の場面に感じます。 あと、イメージや言葉の飛躍性も素晴らしく、とてもいいですね。 >その人の幼少期も想像したい(そうこなくっちゃ) >垢抜けた店主 ボサノバ などなど、言葉に与えられたリズム感も心地よく楽しく読みました。 (おしゃれホリデー)

2022-04-01

最終連、 >給え がいいですね。ひとつ前の連の内容も受けて >胸を張って いるからというのもあるかとは思うのですが、ゆるやかな命令のような意味や語感もまた出ていて。ほぼ全ての連で言葉の使い方が特に優しくて、その構成が最後の締め括りの部分にとても効いていると感じました。 本作、私には原点回帰への提案のようにも受け取られました。警鐘や指示や命令とも違う、詩を使ったゆるやかで確かなアプローチ。 赤ちゃんの泣き声から思考を発展させて、私は「あなたが好きだ」と鳴く人間の言葉について考えていました。どう鳴くかも確かに皆違うのですが、なぜどう鳴くかが異なるのかについてまで考えました。それはきっと作者の方が本作で語られた泣き方の違いの背景とも関係があることと考えます。 どう鳴くか、どう泣くかの奥にあるものにもまた目を向けていきたいと考えました。 (あかちゃんの個性)

2022-04-01

セックスの後に泣きたくなるのは、何かを失ったと、また今日も届かなかったとどこかで知るから。行為によって、意味の在処や信頼を感受したかったのか。 セックスも詩を読むことも、真実や結末は無意味であっても、鏡に映す私を通して知るものもある。自身が何に対して信じることを委ねたいと願っているのか。 >錯覚 して >嘘 をつくことは、信頼の一つの身体であり、涙や汗なのかも知れない。 私はまた嘘にたどり着いてしまった、けれども今回の信頼もよかった。さす詩の光。 (あなたは嘘をついている)

2022-03-31

新たな旅立ちを感じさせる作品なのですが、どこか華々しさや陽気さとは遠いものを感じます。 >杞憂 >生きていけるかは無理で >ボクの雲か陰りか心を蝕んでる >GO… この辺りからも前述の感覚を抱いたのですが、それは不安や恐れから来るものなのか、どうなんだろうと考えました。 静かに漕ぎ出したオール。心の中に巣食う自らの一部を、弱さとして >愚か者よ沈め と説き伏せているようにも思えます。 こういう人は何だかんだで最果てまで届きそうだなという感じもしました。とても根気のある人なんじゃないかって思ったんです。 (たとえばこの町を出て)

2022-03-31

読解:老猫はひっくり返らない。 本作では、 >でんぐりがえし >ひっくり返る という言葉が印象的に使用され配置されている。 (三連目の)前者については、プラスの変化、自由なイメージ世界を表すものとして読んだ。一方(六連目の)後者については、マイナスの変化、世界の滑稽さを表すものとして受け取った。 六連目のその続きには「げんこつ」を開くことが3度にわたって書かれ、「決める」とある。私にはこの場面が、手放して初めて得られる自由を大切にしていくことをついに決めた場面として映った。 一連目は死の予感から始まり、最終連で今際の生が描かれている。冒頭、老猫はひっくり返らないと書いた。わたしにとって、猫はどんな存在なのか。 猫が持つ、自由さと、影響されずそして迎合しない強さ。この詩は、最終的にはわたしがそれを引き継いでいく物語ではないか。しかし猫はまだ生きている。失うことへの覚悟と、猫の存在の重みが詩の中で示されている。 猫は、ひっくり返らないのだ。 (老猫よ)

2022-03-28

本作はどのように生まれたのだろう。 一連目で示されるのは、表記の違いによって変わる言葉への印象と、他の意味の言葉を連れて来る連想性。二連目から展開される非現実的な世界。先に全体の構想があったのなら幾らかうなづけるところもある。しかしもしも一連目の着想のみが構想としてあり、そこから新たな飛翔としての着想が二連目から生まれ展開したのなら、言葉が新たな言葉を連れて来る由来となっている作者の想像(創造)力の豊かさに感動を覚える。 >私もししおどしなんですよ、と案山子が 鳴子を鳴らしだす、イカ飯をつまみながら 好きにしろと厳めしい面を捨て共に眠る この箇所には不穏さを感じる。既にししおどしはそこにあったし、みなもう気持ちよく過ごしていた。そこに来て無粋で蛇足とも思われる案山子の言葉は浮いている。そう言えば、二連目以降で案山子だけが生き物ではない。。 イカ飯をつまみ、面を捨て眠ったのは誰か。私は、これを一連目で言葉のイメージ展開を示した者ではないかと推察する。そしてその者がそもそも夢のような世界の中に居たのにも関わらず、そこからまた眠りへと落ちる。そうしていよいよ現実世界へ戻るところが印象深い。 最終連の >またおいで という声は、私自身が私に対して帰郷を誘うような声として鳴っているように読んだ。 初読から非常に強く惹かれた作品で、幸運にもまたここへ戻ることが出来、こうして感じたことを言葉にして記すことが出来た更なる幸運に、深く感謝したい。 (すべては遠ざかるまぼろし)

2022-03-26

>芸術。それに身を捧げるものは生半可な態度は許されないのでしょう。 (以下省略) こちらの連を受けて、〈詩から必要とされる人、詩を必要とする人〉という主旨の言葉を聞いた時のことを思い出していました(ちなみに私は後者であると言われたことがあり、当時は前者がよかったなーなどと考えていました)。 前者には、 >神からの「召命」 に近い性質があると考えます。 >主体的な「覚悟」 が何を指すのかについて、他の言葉にふさわしく置き換えてお返しすることが出来ないのですが、後者に暮らす主体性とも関係が深いと考えます。覚悟を最期まで通せれればそれはまた素晴らしいことですし、揺らいでしまえば、その綻びから漏れ出た後には空っぽになった心を抱えてゆくのでしょう。 書いていてよくわからなくなって来た部分もあり申し訳なさも感じているのですが、どちらにしても、今(しばらくの時が流れて)、また今(時が流れて)、今!も詩を書いているのなら、たとえそれが >人の心に感銘を与えること に届かなくても、「芸術」に「身を捧げる」ことになるのかも知れません。 「感銘を与えること」が作中わたしの中でどれだけ大切なものとして配置されていることなのか、ごく僅かではあるかも知れませんが、作品を通してその片鱗についてうかがい知ることが出来たように感じます。 ガラリと話が変わる上に馬鹿みたいな言い方ですが、 >申し遅れましたが「愛」なのです。 この表現はとても格好いいですね。手紙でこんなクールな書き方は私には思いつきません(ほんと馬鹿みたいな書き方でごめんなさい)! >最後になります。 ここからのテキストには特に人間味が増しますよね。締めくくりの言葉に向かうまでに自身の葛藤についてもこうも素直に書かれているなんて、なんて温かい手紙だろうと感じました。おめでとうの言葉が深く届きますね。 (letter to the other side of friends)

2022-03-26

人間と牛の対比が効いていて、さみしさや悲しさにも似た、何とも言い難い感情を抱きます。 >聞きたいように 現実を聞き続けているだけだ この箇所、最も強く届くものがありました。言葉の空砲のような、発射後の残響が際立たせる虚しさもまた感じられたのかも知れません。 牛はどこまで人のような想いを抱くのでしょうか。それは私たちには知り得ません。牛にとっては、結果的に行動の開始を誘因したただのスタート音だったのかも知れません。しかしそれもまた、「聞きたいように」聞いているだけなのかも知れません。 (砲撃音)

2022-03-24

いすきさんありがとうございます。コメントを受けて、いすきさんのことをもっと知りたい。いすきさんのお話を聴きたい。そう思いました。 そして、もっと色んな人のお話が聴きたい。話がしたいと思いながらの現在地です。時間は有限で、しかし合理的になどしたくはなくて。一人の方のお話をきちんとうかがうというのはとても時間やエネルギーの要ることと思います。 このままもう十分ということにはならないで私はきっと道半ば死ぬと思います。それは恥ずかしいままの、情けない、誤りを繰り返す道だろうと思います。その途中で必ず死にます。ですが、言葉を発信することもそうだといいなと願っていることがあるのです。それは、目に見えない場所への効果というものが後に生まれるかも知れないということです。生き方や死に方、道中の言葉がどこかで良い効果を生んでくれると嬉しいなと思います。 私にはこれしか出来ず、このようにしかあれません。その上で少しでもより良く生きていきたいと思います。 対話は、あなたの言葉をこう受け取りました、それでよかったですか?という確認とそれへの返答。そしてあらたな発信がありまた確認がある。そうやってときに永遠にも感じられるような途方もない時間を思わされるくらいの労力を注ぐものと考えます。しかもそれはお互いが対話に対して向かおうとする気持ちが同じ向きでなければ持続しない奇跡です。 いつか、いすきさんにとっての光りについてさらに深くうかがいたいと思いました。 まとまりのない文章ですみません。これからも互いのゆけるところまで、どうかよろしくお願いします。 (声明 流木から)

2022-03-23

例えば祠のような場所に思わず触れた時に抱いた畏怖の念。そして、もてあそんでいたもの。命かあるいは魂か、どちらにしても修繕することで示すべき態度が必要だと強く感じられたのではないか。そんなことを本作から思いました。日常にはからずも訪れる、ドキリとした瞬間が切り取られた作品として楽しく拝読しました。 (カシミヤではない)

2022-03-22

読んでいて何度も泣きそうになる感覚がありました。懐かしさと、純朴さに触れさせていただきました。作者の方が現在おいくつかはわかりませんが、もし小学生でないのであれば、わたしには中々書けない大切なものを作者の方は未だにお持ちであるという事実にもまたどこか救われる想いです。 >もう壊れたってかまわない 二連目のこの言葉もぐっと胸に来るものがありました。 全体的にリズミカルな文体で読んでいて気持ちがいいです。リズミカルであることとおわりたくないという感覚がまたかなしくて良いんですよね。 わたしは今、ここでたたかってるよと、何だか笑顔で伝えたくなります。 (さいごのたたかい)

2022-03-22

黒髪さんありがとうございます。私の人生に、通りがかってくれたのは流木の方からでした。 そう書いて、もしかしたら私の方から気付かぬところで近づいて行ったのかも知れないと思い、やはり真実はわかりません。ですが、こうして読んでいただくことができ、私はやはり言葉に関わることのできる人間に生まれて来てよかったと思います。ありがとうございます。 (声明 流木から)

2022-03-22

作品をご覧くださり、また私には勿体ない数々のお言葉を、そして何より心を割いてくださり、誠にありがとうございます。私はおっしゃっていただいたような人間ではありませんが、いただいたお言葉を汚さないよう、引き続き私の中での私を高めてゆけるよう、つまりより良く生きてゆけるように精進致します。 ありがとうございます。 (声明 流木から)

2022-03-22

>射殺するためだけにこそことばがある、なら 言葉が平仮名で書かれていますが、他の言葉と区別がつきにくいという性質から、実際の銃弾の雨を想いました。弾の一発一発を誰が区別出来るでしょうか。言葉もそのように落ちぶれるときに例えば漢字から平仮名になるのだと読みました。 しかし、平仮名にはひっかかりを生み、じっくりと読ませる性質もまたありますから、私はまだ希望を持ちたいと願ってしまいます。銃弾には人の心身を温めることが出来ません。ことばが言葉に届いて、詩人がこの世界に居ること(要ること)を、世界を良い方へ向かわせるためのポエトリー・リーディングが聴こえる現在未来を願います。 語彙のないコメントで恥ずかしいですが、言葉の力がすごかっです。 (独裁者達)

2022-03-22

ありがとうございます。希望を感じていただけたとのことで、とても嬉しいです。 着想を得た際には、言葉のその出ようとする力はダムの放水のようなものだったので、コントロールに苦労がありました。ですからそのように感じていただけてとても報われます。ありがとうございます。 (声明 流木から)

2022-03-22

本作の結末からも、タイトルは今日ではなく明日である必要があるのだろうなと思いました。作中大半を使って過去が描かれていて、 >外に出る時は この箇所から現在から未来に向けた歩みを始めるところで締めくくられている。過去と未来(への予感)は強調して示されているのですが、では現在はどんな場所なのだろうと考えました。前述の引用箇所以降がそれにあたると思うのですが、なんというかあまりポジティブな表現は見られず、わたしの逡巡が描かれた箇所であるようにも感じられます。 >しかし、遥か遠くで ここから実際に日も暮れ出し、終わりゆく今日を過去にして、主体的に明日を始めていくところで締め括られると読みました。 本作に触れて、確かに過去は重くついて回るし、未来への展望やそれを想っては気が重いということはあれど、この二つに比べると現在の実感って少し薄いのかなと思いました。そこが本作にリアリティを感じる部分だなって思うのです。今日が始まるというには日も暮れ始めているし、揺るがない覚悟が決まったと言い切るには少し不安もあるような、だから明日に期待や希望を預けて、その明日を今この瞬間から受け入れたいという想いが感じ取れました。正直な作品だと思います。 (明日がはじまる)

2022-03-22

タイトルが格好いいなと思ってテキストを読み驚きました。 一連目、 >に同情して欲しい。 この箇所がもしなかったらどう読んでどう受け取っただろうかと考えました。この後はすべて独白のように読んだのですが、前述の箇所のみ外側に訴えかけるものがあって。 タイトルの格好良さと内容にギャップを感じてとても驚いたのですが、もしかして前述の箇所はそのギャップをさらに開ける為の仕掛けなのかなと読んでいます。 >逃れられない私の地獄の様な生活 で一連目が終わるのとではやっぱり全然違って感じられるんです。 私個人の暮らしでは日頃あまり見かけないタイプの作品なので刺激が強かったです。読ませてもらえてよかったと思います。 (責務を果たす男の姿)

2022-03-20

「春の到来」と「父の苛立ち」に共通する一つには「圧倒的な肉体の優位性」があるのでしょうか。「こわい」の由来について想います。 「やさしい、の中にある、かなしい、を取り出すために  わるつ のてん ぽをき ょ くたん におそ く しま ―――」 この箇所、素晴らしいですね。こうやってスローテンポを表すことが出来るんですね。そう言えば、ホラー映画で狂気の演出にこういったものが使われることがありますが、こわいとかなしいの距離が仮に遠くないとしたら、「わるつ」を遅くすることが必要だったのかも知れないなと考えています。 >祖母の指先が私の口内いっぱいに苺を詰め込ませます >あなたは夜浴びしてその日に芍薬の花弁に舌を突っ込んで接吻をして 春の、生温い風と、古い記憶に暮らす色について、その景色を想っていました。 (はる ! )

2022-03-20

読後、利他という言葉を思い返していました。 私には、私が居たい場所に居て欲しいななんて思うし、でも私が決めたことならと止めないで食いしばらなければという気持ちもする。目を覚さないのはもう全て差し出しているからで、目を覚ましても全てを差し出そうと語られているから、涙が出そうになります。だから居たい場所に居て欲しいななんて勝手なことを思ったのかも知れません。とても優しい作品だと思いました。 (聖域の支配について)

2022-03-20

音楽がとても格好いいですね。僧たちの念仏のように聴こえる音があったように思うのですが私はその音が特に好きです。 YouTubeアプリに飛んで概要欄のテキストを観ながらリーディングと音楽を聴いていました。 テキストからは抑圧と制圧を感じ取りました。 嘘寝の指摘の箇所は、読者側でも少しドキリとする感じがあって、そう言えば嘘寝してたなーと思い出しました。 指を差した人より、男の方がこの先で強く生きていってくれたらいいのになと願っていました。 ビンタの連続のあとの、三連目と四連目の静かでいながら力のある確かな言葉が好きです。 (敢えて彼に名前を付けるのはどうだろう)

2022-03-20

今の自分以外の何者かになりたいという感覚や欲求。もう随分前ですが私も実際に抱きました。なぜか外側から〈もらう〉ことで変われる気がすると感覚的に思っていたんですよね。で、どうだろう。振り返って、今の私になれたのはやっぱりもらったからだったのかなと考えています。寸分の狂いもない事実に到達するには未熟でわからないことですが、確かなことは、自らの内側で作ったものだけで私になれたわけではないということです。 あの時代の、欲しいという欲求はそれはもう強かったと思います。突き動かされ実際に行動しました。作中の人物は性転換にまで届きました。だから変だとか飛躍し過ぎだろなんて嗤えないんですよね。 >  『ごめんなさい、私、他の人には言わないで欲しいんだけど、実は女    の子が好きなの。だから雅史君が女の子だったら良かったのに。雅    史君が女の子だったら私、雅史くんのこと好きになったと思う』っ   て。 仮定の話だけれど、わたしにとってはほぼもう〈もらった〉ようなものなんだよななんてことを考えました(でも完全にもらえたわけではないからより複雑で。ほんの少しだけ味見させられちゃった、みたいな)。 何を触媒にしてわたしが変わるのか、少なくとも私にはきっかけが必要でしたし、それは例えば幸運にも他者から注がれた愛でした。きっかけへの欲求は凄まじく正気ではなかったところも多くあったと振り返っています。きっかけを得てからはそれを足掛かりに、私自身で私が私を変えていくことが出来ました。 作中のわたしには、どうかこの先で幸せになって欲しいなと思いました。世の中にはきっかけだけでは足りず、その後にも常にいくつもいくつもキリがないほどに、もらうことだけで誰かになる人、なろうとする人がいると考えています。作品のわたしは、ここまでの力のある人ですから、きっと前述のようなキリがない人にはならないんじゃないかなと思うのです。 (カフカのLGBTQ )

2022-03-20

特に七行目の終わりまでに、切迫感が伝わります。水中で息を止めて苦しくなってはやくはやくと水面を目指している時のような。七行目まで特にそれを強く感じていて、決して一文が長いわけではないのに、なぜか息苦しさとその解放へと向かう焦りを読みながら感じていました。 >自分のハートと身体に正直にスピードを緩めるんだ この箇所、心ではなくハートとしているのが良いですね。一文の中に、緩急のある言葉の遅速を生み出す仕掛けがあって音楽になっている。心ではどこか引っ掛かる。ハートだと音楽になるからいいなと思いました。 (心のサイレン)

2022-03-20

迷い続けていていい。答えを出さなければならないのかと思わされていた声を、声でふき飛ばすためのポエトリー・リーディング。いいですね。 チャンネルの一つ前の作品も聴かせてもらっていたので本作も聴けて嬉しいです。 (「返り咲き」ポエトリーリーディング)

2022-03-20

小雨を避けて駅へ走る生活になってもう長くなって来ましたが、お陰様で大切なことを想える時間をいただきました。 散歩やあてのない旅、目的のないことのその余白に、思わず素敵なものが入り込んでくることがある。 行けるところまで行けるのだろうし、そのうちにはやはり行けるところまでどうか行って欲しいと思います。 よい旅を。 (あたたかな、お説教)

2022-03-20

ほばさん、コメントをくださりありがとうございます。 >アクションペインティング について一部を学べて良かったです。 一般的なスタイルで描かれた作品とアクションペインティングで描かれた作品を制作過程についての知識なしにごちゃまぜにして展示されていたらどう感じるだろうと考えました。 絵を見るのか制作を見るのか、あるいは絵のスタイルから制作を想うのか、面白いお話ですね。 相反するような性質を感じ取っていただけたとのことでとても嬉しいです。思想が爆発で終わってしまいそうで怖かったので。 >ちょっと読んでて息切れしてしまいました。 この箇所、書いていただけて嬉しかったです。ありがとうございます。本作のジャンル(?)を何として読むか、あるいは目で見たり耳で受け取るなどの受け取り方でもそれは変わるのだろうかということを考えました。寿司と差し出されてすっと飲み込めるものとそうでないもの。何屋さんかわからないお店で他店のアレっぽいものを出される場合など、と書いていたら私もなんだか外れて来ましたね。 私がもしこれを詩ですと出されたら息切れしちゃうかもとは思ったんですよね。笑 (声明 流木から)

2022-03-20

トビラさんありがとうございます。>祈り とおっしゃっていただけてとても嬉しいです。ありがとうございます。 トビラさんをはじめ、松明を携えて暮らしている方々が居てくださるから、この世界で生きてゆこうと思えるのだと考えます。火をはじめにつくる人にはなれないかも知れませんが、わけてもらったあかりを大切にしてゆける人でありたいと思います。 (声明 流木から)

2022-03-20

ご覧くださりありがとうございます。最近コメントを書かせていただくことが少し増えたのですが、そのうえでこうしていただいたコメントを改めて読ませていただくと、その割かれたエネルギーを想ってより深く感謝を感じます。ありがとうございます。 信頼とは、ポジティブな未来を想って相手に預ける、結果がどちらに進んでも受け止める覚悟を持つことと考えているので、 >わからないことを大胆に信頼しようと考えさせられた作品でした、 このようにおっしゃっていただけてとても嬉しいです。ありがとうございます。 (声明 流木から)

2022-03-20

バナナの皮って結構重いですよね。枯れ葉のように落ちているのをもし見ることが出来たのだとしたら、なんかそれいいなぁと思いました。さっきまで居たゴリラの名残がより感じられて。 皮が既に落ちているのを発見するのと、舞い落ちるのを見るのとではどちらがいいかなーと考えたんです。私は後者の方が幸運だなと思うんです。 タイトル明るいですよねー!その分最後の締めくくりに不在の悲しみを感じます。次の場所へ旅立ったんでしょうか。三月ですね。ゴリラもタイトルに出て来たおそらく作中わたしも、どうかお幸せにと願いたくなります。わたしとゴリラ、いい関係だったと思うんですよね。 (お前さ〜!ひとりでウホウホしてたんだろw)

2022-03-20

一連目、「乱数」より「もっと複雑な青さ」って言葉、とても格好いいですね。私は「青さ」と聞くと一つにはストレートという言葉がイメージされます。不作為と「複雑な青さ」。 「野生のポケモン」って、人工のポケモンに対しては生き物や自然と人工物の関係性で語れるところもあると思うのですが、実はポケモンってゲームで人が配置したキャラクターなんだよなぁ、なんてことを考えました。 「複雑な青さ」って人工的なものの影響を受けずにはいられない真っ直ぐさなのかななどと考えていました。 そのうえで、二連目の「現実」もやはり自然物というよりは人工物と受け取りました。例えば人が作った、「苦役」。 三連目、人工物の現実で、人工物の水では「渇き」は癒えないと読みました。 四連目の言葉やタイトル、本文あちこちに配置された暗号のような言葉たちは、作中わたしが抗うように作った言葉だと考えました。創造による対抗。 こういった視座から最後まで読み進めました。 本作は、作中わたしによる生き方の宣言と受け取りました。 (はりぎをらす、はをりをやす、はがりはぬ。)

2022-03-18

コメントをくださりありがとうございます。 「国」というお考え、おもしろいですね。 内海さんの中に流れる思いを本作に映して、何か感じていただけるものがあったとのことでとても嬉しく感じます。ありがとうございます。 (声明 流木から)

2022-03-18

三浦さんコメントありがとうございます。いろいろ考える機会をいただけたのでありがたいです。 私小説を書こうとして書けない人です。随筆のこともあまり理解出来ていなくて。前述の二つのスタイルについて調べたことはありますが、そう考えるとなぜ今作はこのスタイルをとっているんだろうかと考えています。そしてこのスタイルに名前をつけるとなんなんだろうとも考えています。 三浦さんは >最終的に私はこれを優れた抒情詩 とおっしゃっていただいています。 私にはこれがそもそも詩なのか、抒情詩なのかなどはもっとわからないのです。ただ読者の方がどう読むかは、もうリリースした作品ですから、私の思考とは別のところで常に素直に受け止めていきたいと考えています。 >ただ、それを成立させているのは書かれたタイミングにあると思っていて、今後、また更に新しい発見のある作品を読みたい。自己模倣に傾かない作品、読者の美的経験は、新しいものに常にあると思うから。 この箇所、特に刺激を得ながら、そして書いていただいたことにありがたいなと感じながら読みました。 私はコメント欄という名前を使った募集にならコメント出来るのですが、批評欄と書かれた場所にはなかなか批評文が書けないと思います。批評が何なのか、辞書で調べて批評文を読んでも、すっと心に入らない感覚があります。でもまぁそれでいいかなと思っています。私には批評文は書けないですが、おそらく年単位で観察しても特に変わらず取り組んでいるスタイルでコメントを(可能な範囲で)していると思うからです。これからも今のスタイルでコメント活動にも取り組んでゆきたいです。 話がそれましたが、その上で引用させてもらった箇所にある三浦さんの文章は批評だと思うのです。批評が何なのかはっきりとわからないのにです。もしかしたら(私は使えませんが)それを使うのと受け取るのとでは使う脳や心の機能が違うのかも知れません。 本作への批評箇所(だと思われる)ポイントのひとつには、作品と時勢の関係性についてがあると考えます。 私は自身が詩人であるとは言えないですが、詩書きではないとは言えます。そして詩人になりたいというよりは、詩人はこんな人かな、こんな風に世界と向き合っているのかなと想いを馳せることがあります。 詩書きにとってはもしかしたらチートアイテムになり得るのが時勢でしょうか。詩人には時勢と無縁では居られないものがあると考えています。もし詩人が居るなら、私がその行動について知らないだけで、タイミングごとに何かをうまく言えませんが「そこに打っている」気がするんです。 >自己模倣に傾かない作品 「自己模倣」とは、作者の人生や人格の開示に置き換えられますか。 詩書きにそれに傾かないで欲しいということでなら、なんだかわかる気がします。詩人には傾いていて欲しいなと願ってしまいます。 (声明 流木から)

2022-03-18

私の詩を大切にご覧くださりありがとうございます。とても嬉しいです。 >夕暮れという一日の、やや悲しみに傾きすぎる反省の時刻に、 なんて美しい表現なのだろうと感じ入りながら読ませていただいていました。こころを割いてくださり、ありがとうございます。 私個人の人生については、私はもしかしたら「悲しみに傾きすぎる」ことを否定しない思想を抱いているのかも知れません。しかしだからこそなのかはわかりませんが、世界にはやはり人間讃歌の聴こえる世界であって欲しいと願っているのかも知れません。人の向日性を、その努力を信じたいのかも知れません。 ありがとうございます。 (がんばらなきゃ)

2022-03-17

福まるさんなりの流木を、詩を聴かせてくださり、ありがとうございます。コメントとても嬉しいです。重ねてお礼申し上げます。 自作を公開すること、そこにコメントをいただくこと、そしてそのコメントから人様の価値観や在り方を知らせてもらえること、その尊さに感謝の心のかたちを感じています。詩を書くことの素晴らしさをまた一つ知りました。ありがとうございます。 (声明 流木から)

2022-03-17

釈迦の言葉を学ぶことが出来、そして羽田さんのお言葉をいただけてとても嬉しいです。ありがとうございます。 わたしの作品の核を受け止めていただくだけではなく、こうして言語化までしていただき、本当にありがとうございます。 以前いただいた釈迦の言葉についてもとても救われたので感謝感謝です。 ゆけるところまで、修行を続けてゆきたいと思います。その道において、またこうして可能な限り詩を書いてゆけたら幸いです。ありがとうございます。 (声明 流木から)

2022-03-16

コメントをくださりありがとうございます。 詩情に触れたはじめは、感情の爆発力が強すぎて構成など練れる余裕がありませんでした。それで、仕上げるまでの道のりに簡単に切れそうな糸が見えていたので、自身の歴史ならなんとか辿って行けるかもと考え結果的にこの構成となりました。 好きというお言葉も含め、ありがたいお言葉をたくさんいただけて嬉しいです。ありがとうございます。 (声明 流木から)

2022-03-16

ねねむさん拙文なんてとんでもないです!心を割いて読んでいただけたことが伝わって来てとてもとても嬉しかったです。本作は後半を書き上げることが苦しくて仕方なくて創作を中断してぶっ倒れておりました。完成後の反動も大きくさらに長く動けませんでした。そんなチャレンジだったので、お言葉いただけてとても嬉しいです。ありがとうございます。 (声明 流木から)

2022-03-15

ボルカさんありがとうございます。お言葉、とても嬉しいです。 本作を書くにあたっては、着想時点からスタート地点、中間地点、ゴール地点までの糸が特にはっきりと意識されていました。その時点である意味完成していたと言ってもいいくらいだったのですが、同時にある種文字起こし的な作業に着手することがとても不安でした。糸が切れてゴール出来ないかも知れないと思ったからです。感情だけでは辿り着けないとわかっていたので、その為の対策と言うにはあまりにもっと感覚的な判断として、私小説的であったり自身の歴史を辿る形での方法が選ばれました。そのことがおっしゃっていただいたような爆発から線に変えて描くということに繋がったのかも知れません。 ふとどこかで見聞きした、ロックバンドとステージをプロデュースする裏方の掛け算によるパフォーマンスのことを思い出しました。今回はたまたま創作中に色んな私が意識の中に居られたこと、その幸運に感謝したいです。 「吠える」も読んでみたいです。 ありがとうございます。 (声明 流木から)

2022-03-15

数々の有難いお言葉をたくさんかけて下さりありがとうございます。 私はおっしゃていただいたようなお言葉に見合う人間ではありませんが、自分なりにこれからも精進し、その最期まで命を燃やしきりたい想いです。 自身の内面へのアプローチ方法にも色々な方法があると思うのですが、本作ではいつもとは違い、比較的力を抜いてそれを行うことが出来ました。きっと季節の移ろい、春のはじまりと無関係ではなかったのではないかなと考えています。季節との巡り合わせにも感謝です。 ありがとうございます。 (がんばらなきゃ)

2022-03-15

投票についてまでお考えいただき、ありがとうございます。お気持ち、とても嬉しいです。思うところあり、今回の形での参加ですが、こうしてご覧いただいた上にお言葉までかけてくださり、またお話が出来て幸いです。ありがとうございます。 人様のこころをゆらしうるものであったと聞けてこれほど嬉しいことはないです。 (がんばらなきゃ)

2022-03-14

タイトルが平仮名表記である点について考えることがありました。 タイトルには主張性が感じ取れるのですが、なぜこの表記を選択したのだろうと考えました。 一つ目の仮説は、平仮名以外の表記で書くことが出来ない幼児か、あるいは幼児でなくても識字に関する課題由来なのかというものです。 二つ目の仮説は、主張性を下げる為ではないかというものです。声で例えるならば、ボリュームを下げる行為にあたります。カタカナや漢字を駆使した方が伝達性というか、発信の威力が増すように感じられるのです。 他に三つ目として、強く言い切る為に必要とされるある種の自信のようなものの揺らぎから来るのか。 このようにあれこれと考えていました。 中身を再読していき、私はそれらの仮説の中から二つ目の仮説を採択して読んでいくことにしました。 三つ目の仮説を選ばなかったのは、本文から批判性を感じたからです。例えば冒頭すぐの一連目にもそれを受け取りました。萎縮し揺らぐ人の批判には思えなかったからです。 とここまで書いてまたタイトルに目をやると、もう一つの仮説に気がつきました。四つ目は、フックとしての機能を持たせるということです。すべて平仮名ですから、読みにくさが生まれ、意味するところを読者にじっくりと探らせようという効果が生まれます。 ここまで書いて来て内容と併せて、今は四つ目の仮説に傾いています。 韻を重ねる音楽性も感じますし、まず読んでいて楽しかったです。 最後の「いいくるまちょうだい」というフレーズはなんかこう刺さってくるというか、ビシッと入り込んでくるので素晴らしいなと思いました。しかも「もういちだい」なんですよね。いいですね。 「後悔ばかりの人生 今さら派出所にかよったって さんせいうふらない」 この箇所、この作品の肝の一つだと読んだのですが、私には力不足もあってうまく掴みきれませんでした。ただ、今さら〜したって〜しないという表現は、通常最後の否定的表現の箇所に達成したい何かが配置されることが多いのかなと考えたので、「さんせいう」がもし酸性雨なら、降らない方がいいよなと思ったんです。 今更〜したって酸性雨は降るだと筋を感じたのですが、これは私の力不足です。 楽しく拝読しました。ありがとうございます。 (れべるがひくいなんていわないで)

2022-03-14

初読から音感がすばらしくて、黙読しているはずなのに心の中でおもわずポエトリー・リーディングしちゃうような心地よさを感じていました。硬質さを感じる言葉の選択も格好良くて、その硬さと音楽性の合わさりが素晴らしいと感じました。 読ませていただきありがとうございます! (轟音の生)

2022-03-13

ご覧下さりありがとうございます。共感に繋がるところがあったとのことで、そのことが何か北川様にとってよい働きであったなら幸いです。 ありがとうございます。 (がんばらなきゃ)

2022-03-13

タイトルから、作中わたしの現時点での時間は、少なくとも同日の朝、昼、夕方かと推察します。そこから最終連までに書かれた内容についても、同じく夕方を含むそれより前の時間に書かれたものと考えています。つまり全編を通してこれらは想像世界についての内容ではないかと。 僕と君はどういう関係なのでしょうか。そもそもの面識の有無から、面識が仮にある場合ならどんな関係かを想像します。後半の「君の絶叫」は、わたしを認識してのものか否か。 「僕が触れる」という箇所については、私は、吹き飛ばされた身体が触れるという意味での接触ではないかと仮説を立てました。そこから、「触れることさえ叶わなかった君に 僕が触れる」という箇所を考えたときに皮肉な悲劇を思います。 「絶叫」は誰かわからない人に対する事故の衝撃由来の反射的行動ではないかと考えます。つまり、特定の知人や大切な方に対する情から来るものとは考えませんでした。もしそれが起きるとすれば、転がった身体を見て認識してからではないかと思うのです。 >「君の手 君の髪 君の瞳」 この箇所から、わたしの君に対する特別な想いを想像します。 わたしは、少なくとも夕方より前の時間に位置する想像世界で、命を賭してやっと届き得るかも知れない「君」への距離を描いていると考えました。私は本作を一種のラブレターと読み解きました。 本作のようなセンシティブな作品は書く行為にエネルギーが要ると思います。私は読ませていただけて、こうして考えを整理し伝える機会をいただいてありがたく思います。ありがとうございます。 最後に一点、「触れることさえ叶わなかった君」という箇所について。人と人の関わりにおいて、もしそれが身体的接触を指すのであれば、意外と他者に触れるハードルって高いんですよね。私がここまで書いて来た仮説を踏まえて、私は僕と君の関係が僕の一方的な君への面識、もしくはあいさつを交わす程度の知人ではないかと想像します。もしも私が想像した通りであるならば、「触れることさえ」という箇所は前述の仮説から浮いてしまうのです。例えば〈目を合わせることさえ叶わなかった君〉、〈言葉を交わすことさえ叶わなかった君〉という表現についても考えたのですが、この読みはいかがでしょうか。 とても楽しく読ませていただきました。ありがとうございます。 (「今夜、西国分寺駅で」)

2022-03-13

>僕はまいちゃんを殺したんだ と思うようになった。 この箇所には句点がつけられていて、そのことが、わたしにはとても重く受け取られました。ひとつの終わりと新たな始まりに思われたからです。その後からのとても長い、長い人様の人生を、わからないなりに想像させられるような、重い句点だと思いました。 >僕は人と交わる努力をしている この言葉を受けて、わたしは涙が出そうになりました。作中わたしの、真っ直ぐに生きようとする力強い勇姿を見たからです。讃えたくなりました。 読ませていただき、ありがとうございます。 (幼なじみのまいちゃん)

2022-03-13

作中わたしの「うた」こそ聴きたいと何故か感じてしまいました。どうしてそう感じたのかを考えていました。 個人的には、文末の引用させていただいた箇所に作中わたしの「うた」を感じることも出来るので、では何故それでも前述のような想いを抱いたのか、そのことを考えながらこのコメント文を書かせていただきました。 作品の構造や仕掛けとして、色々な立場の視点が配置されていることに興味を惹かれました。方々に対する作中わたしの想像力を垣間見ます。 読み進め、最終連を受けたときに、作中わたしの「うた」こそもっと聴きたいと最も強く感じたのかも知れません。本作には、混沌の最中にある現代において、ほとんど緘黙のような状態に置かれている方々へのエールも感じます。言葉に対する、それでも未だ消えないとする期待と希望を感じます。 現状を打破し改善しようとする為の言葉による旗振りは存在しますし、とても重要な役割だと思います。本作にはその性質も垣間見えます。そのうえで、私はどうしても作中わたしの「うた」こそ聴きたいと願ってしまいました。 読ませていただき、ありがとうございます。 >ただ悲しみの数を、大きさを、種類を、測ってはいけない >あなただけにうたえる事がある あなただけが伝うる事がある (言葉遊べ)

2022-03-13

最終連、わたしにはまるで鐘の音のように心に鳴り聴こえて来ました。 それはもしかしたら、ここに来るまでの数々の言葉に、作中わたしの真っ直ぐな願いが宿っていると読者であるわたしに感じられていたからではないかということを考えています。 読ませていただき、ありがとうございます。 (この空)

2022-03-13

ご覧くださり、また「素敵」とおっしゃってくださり、ありがとうございます。とてもありがたいです。 (がんばらなきゃ)

2022-03-13

三浦さん、ありがとうございます。春の温かな、少しぬるくも感じられるやさしい風のようなコメントに、わたしの方こそ泣いてしまいそうです。とても嬉しいです。数々のお言葉をかけてくださり、ありがとうございます。 見落としがちな足もとにある幸せに気づく努力は、なんだか、あなたもわたしもみんなもうかなりたくさんして来たように思われるので、シンプルに幸せになりたいと願ってしまいます。幸せになりましょう、なんて言ったら生意気ですよね。 わたしの方こそごめんなさい。笑 ありがとうございます。 (がんばらなきゃ)

2022-03-12

コメントありがとうございます。自作のなかでも素直に書くことが出来ました。冬は今回もやはり厳しかったので、ここまで耐えてきたご褒美だったのかなと、知らないところで春が創作に与えた効果があったのかなと考えていました。ありがとうございます。 (がんばらなきゃ)

2022-03-12

コメントありがとうございます。読んでいただけて嬉しいです。 >私もがんばらなきゃ このように感じていただけてとても幸せです。 ありがとうございます。 (がんばらなきゃ)

2022-03-12

素晴らしい作品ですね。ほんとうに。 >>美しいものを書きたかった訳でも無く ただ美しいものになりたかった こちらの箇所がとても胸に響いて来ましたし、その後も残響を感じています。 読みやすくて、私のような読者には優しい作品だなと感じる一方で、感覚的に書かれたかのような上手さやゆるやかな清流、流れる水のような美しさを感じました。音として心に鳴る文章のリズムも音楽的で、とても心地よかったです。 読ませていただき、ありがとうございます。 (日常)

2022-03-11

日頃詩の朗読やポエトリー・リーディングをしているので、詩を音楽的によむことが多いです。韻の他に、改行がリズムを作ることがあると思うのですが、いい意味でリズムを外される感覚がありました。そしてそれは、この素直に語られる文章を最後まで拝読するのに適した「外し」として機能したのではないかと思われます。たとえばフックで人を掴む文章がありますが、本作での改行の配置には癖になるよませ方を感じました。 読ませていただけてよかったです。ありがとうございました。 (命どぅ宝)

2022-03-08

2本のマスターキーと2本の合鍵について考えていました。この詩はそれぞれが1本ずつ存在する状況を書いていないのではないかと仮説を立てて考えをめぐらせていました。 他者に対しての自らの在り方や接し方を改めて考えさせられる良い機会をいただきました。ありがとうございます。 (合鍵)

2022-03-08

ご覧いただいた上にコメントまでくださり、ありがとうございます。 「知る」についてのご指摘の件たのしく拝読しました。糸が継いで伸びていくように無意識が紡がれていったのかも知れません。そういう意味では最終連に感じられたものは、わたしの意識と無意識、自覚と無自覚が作用した結果であるのかも知れません。 ありがとうございます。 (知るひと)

2022-02-15

ご覧くださり、コメントをくださりありがとうございます。実感と向き合うことの難しさと重要性を感じております。 (知るひと)

2022-02-15

過去に「指」、「「、」も「。」も打てずにいるのに」という二篇の詩をこちらに投稿させていただきました。本作を拝読して、作者の視点がどこに置かれているのかという点について前述の二作と合わせて考えました。 Natuno@ハンドメイド様が本作を書くに至った必然性と、その制作中に注がれたであろう神経、精神力についても想像しました。読ませていただいてありがとうございました。 (20201116)

2021-11-19

ありがとうございます。感性豊かな人から傷ついて死んで終わりということではなく、そういった方々から更に先へ進んで欲しいと願います。わたしも精進します!ありがとうございます! (インターチェンジ / interchange)

2021-10-26

詩をご覧くださり、コメントまでくださりありがとうございます。また。投票についてまでおっしゃっていただき幸いです。ありがとうございます。 締めについては他の方にもおっしゃっていただけたのですが、やはり現時点での私で書けるのがここまでだったのだと思います。この先は、ぜひ可能なところまで生きて行って辿り着きたいと願います。 (インターチェンジ / interchange)

2021-10-26

自室に居るだけであれば、遮光率の高いカーテンが相応しかったのかも知れません。なんだか、遮光率や透過性がそのまま心の開閉度を表しているようだなと思われました。 読ませていただき、ありがとうございます。 (人生案外こんなもん)

2021-10-15

はじめまして。作品をご覧くださり、コメントまでくださりありがとうございます。 ふるさとの件、ありがとうございます。立場によって異なる、言葉が持つ意味へのイメージの違い、そこが届いているように感じられてとても嬉しいです。 「精神的な拠り所を持たない、或いは持てないような人々の悲しみ」まで受け取っていただけて幸いです。ありがとうございます。「持てない」という表現に、王生蓮蒔様の他者へのお心遣いや想像力の深さを感じます。 稀有とまでおっしゃってくださり、ありがとうございます。 (インターチェンジ / interchange)

2021-10-12

ご覧くださり、コメントをくださりありがとうございます。 締めくくりについては当時悩みました。そして私なりに熟考の上での表現となりました。コメントを受け、それはきっと田中様と私の何らかの力の差なのだということを想像します。私は私で現在地から進むしかありませんので、お言葉ありがたく受け止め精進したいと思います。ありがとうございます。 (インターチェンジ / interchange)

2021-10-09

作品をご覧いただいた上に、想いのこもったコメントまでくださり、ありがとうございます。「敗北者の天国」について知りたいと考え、検索してみましたがうまく調べることが出来ませんでした。 「終わりなき挫折」、「繰り返される挫折」というのは、何度でも再起するということにもなるのでしょうか。不条理や理不尽に遭っても、何度でも立ち上がるという光もまたあるのかなと考えていました。何度も折られるという事実だけを見れば確かに苦しいですよね。 私のことだけを言うわけではありませんが、炭鉱のカナリアとしての、感受性豊かな詩人は、人間は、もしかしたら真っ先に傷ついたり最悪居なくなってしまうのかも知れません。しかしそれで終わらずに感受性の豊かさから痛みを知る人間がさらに前へゆけないかということもインターチェンジでは考えています。そういう意味では正の扇動、光の扇動を意識したところもあると思います。 私の作品に真摯に向かい合うエネルギーを割いてくださり、お言葉もとてもありがたいです。ありがとうございます。 (インターチェンジ / interchange)

2021-10-09

コメントをくださりありがとうございます。ふるさとと道中と現在地、何か感じていただけるものがあったのなら幸いです。 立体性、わたしもそれを意識して世界を見つめながら関わりたいです。 ありがとうございます。 (インターチェンジ / interchange)

2021-10-09

ご覧くださり、またコメントまでくださりありがとうございます。詩の包容力にはいつも驚かされるばかりです。このまま決して達成することはできない恩返しを、詩に対して向かい合っていこうと思います。ありがとうございます。 (インターチェンジ / interchange)

2021-10-06

コメントありがとうございます。同じ高さでの主観や俯瞰のイメージに、新たに見上げる主観というイメージをくださりありがとうございます。誰がどこから何を見ているのか、それにより全く捉え方が変わり面白いなと感じました。ご覧くださりありがとうございます。 (インターチェンジ / interchange)

2021-10-06

ご覧くださりありがとうございます。また、「いいですね」とおっしゃっていただけた箇所についても、深くお読みいただけてとても嬉しいです。ありがとうございます。 昔食べた手作りの握り飯の美味さ、その身の豊潤さ、冬の風に思うところがあり、一匹の魚の旅路にまで考えが向かいました。美味しく頂けて、ありがたいです。 (白背)

2020-12-17

ご覧くださり、またお言葉もかけてくださり、ありがとうございます。嬉しいです。 おっしゃるように、「ただ懐かしい」というだけの詩ではないのかも知れません。出来るだけ伝えたいことが伝わるように、一方で読者の語彙力の影響をあまり受けなくていいように書こうとチャレンジしました。結果的に「やさしい強さ」とおっしゃっていただけるようなものにまで届く一因となったのだとしたら幸いです。 ありがとうございます。 (白背)

2020-12-16

ご覧くださりまたコメントまでくださり誠にありがとうございます。ご感想とても嬉しく、そして楽しく拝読しました。なにかほっこりと温かなものが届いたなら幸いです。ありがとうございます。 (白背)

2020-12-15

私は、「つむじ風」には、 それがどのような性質であっても、どちらにせよ推進力のイメージを抱きます。それはもしかしたら誰かや何かを傷つけるかも知れませんが、一方で積極性も感じます。 そしてそれを見ている私が居る。その視点がある。敵意というよりは、もしかしたら少し羨望のようなそのまなざしで、見つめているのかも知れないと推察しました。 「つむじ風」はどこへ行くのか。 「なるべく遠くか」 「あなたのもとへか」 という順番、配置が素晴らしいと思いました。 現状から吹き飛んでどこか遠くへゆきたいという想いを投影させているかのようにも読めて、そしてその後に真の気持ちが表れているような、つまり本当は大切な人のもとへゆきたいというような、そういう気持ちを感じます。 「藍鉄色の夜」と聞いて、あまり清々しいものや晴々とした気持ち、爽やかさは感じません。時間の濃い、なにか重さのようなものを感じます。 最後の箇所では、黄信号の点滅のような、アラームのような、もうすぐ何かが潰えてしまうという予感に対する抵抗のようなざわめきを感じます。 素晴らしい作品だと思います。 (voltiger)

2020-12-11

最初に「月」が登場する時の音がいいなぁと思いました。この音は、どうやら改行効果に由来していそうだなぁと思われて、ほんとうに突然にぽんと現れた音がしていて、いいなぁと思いました。 あとは、「そういえば」が連続して配置されているところが、言葉が自然に心の中に入って来て、とてもよかったです。 (Konstellation)

2020-12-06

肘掛けについた角質という観点や、ポロポロ落ちる日常という表現が面白いなと動画を拝見しました。 作品世界に合った音楽も心地良く縦揺れしていられました。 (「角質」)

2020-12-06

ご覧くださりありがとうございます。勿体ないお言葉をいただきありがたいです。ありがとうございます。 自身日々自問しているところがあり、伝わるものがありとても嬉しいです。 (Hz)

2020-12-02

杜 琴乃 様 日々の運営ありがとうございます。今回のご説明、とても分かりやすかったです。書いてくださり、ありがとうございます。 (【運営より】新選考システムについて(再掲))

2020-11-30

お聴きくださりありがとうございます。また返詩まで書いてくださりありがとうございます。 >「そうじゃない」、「でも」、「それでも」 自己にわく否定的な想いを否定して進もうとする言葉が印象的でした。 語られない音に込められた想いが語り出すようでした。 ありがとうございます。 (開幕その後に)

2020-11-25

>私、はあなたにサヨナラができる この箇所、どうして「私は、」ではなくここで切られているのだろうと考えさせられました。それですぐ思ったのですが、私にはこの文が絶叫に見えました。「私、」の後に叫び出す声が聴こえて来るようでした。三連目に「!」が配置されていますがやはりこの箇所に何より強い叫びを感じました。 平仮名表記の「おかあさん」が、とろりと耳にくっつくように聴こえて、とても良かったです。読ませていただきありがとうございました。 (おかあさん)

2020-11-22

素晴らしい作品ですね。影の輪郭を縁取る線のような、どこか童謡のようにも読み取れるフレーズ。意識的な配置と思わせる数々の心地よい音感の言葉。 音楽を聴いた印象も抱きました。それでいてやはり詩だなぁという幸福感も連れて来てくれる作品です。とても好きです。 三連目の「カエルの墓」というワードを初読で受け取った瞬間に、故郷に関する作品なのだなと思われて何故だか嬉しく感じました。 (来訪者)

2020-11-22

ご覧くださりありがとうございます。 自分が書いているものがいったい何であるのかはわからないのですが、中に書いていることを大切にしております。コメントをいただけて嬉しかったです。言語表現の源流の一つに自由や開放感があったので。ありがとうございます。 (Hz)

2020-11-19

ご覧くださりましてありがとうございます。こうして作品を公開して人様の様々な読みを知らせていただけて幸せです。 >his この読みはなんだか泣きそうになります。ほんとうにありがとうございます。 (Hz)

2020-11-19

ご覧くださりありがとうございます。またとても嬉しいお言葉をいただけて幸いです。 >十歳や十四歳だった少年の人生が途切れ途切れに語られてゆく。 周波数の合う時だけ聞こえるラジオのように、断片的に聞こえる情報で詩は形作られる。 思えば、私たちは他者を断片的にしか知らず、知ろうとしても結局その域は抜けられない。そしてそのことをどうか肯定的に捉えてゆきたい。そういうことを考えさせられる素晴らしいコメントでした。ありがとうございます。 (Hz)

2020-11-19

ご覧くださりありがとうございます。自分の想像外のお言葉、力強いと言っていただけてとても嬉しいです。これからも言葉に関わってゆきたいです。ありがとうございます。 (Hz)

2020-11-13

ご覧くださりありがとうございます。 >沿道に供えられた花 本作を書く際に鎮魂歌とレクイエムの違いを調べていたことを思い出しました。 感じ取っていただけて幸せです。ありがとうございます。 (Hz)

2020-11-13

ご覧くださりありがとうございます。丁寧に書いていただけて幸いです。タイトルは、その言葉に願い託すような感覚で名付けたものだったので、深く感じていただけたことをとてもありがたく思っています。ありがとうございます。 これからも大切なものを見つめ続けてゆきたいです。 (Hz)

2020-11-13

拝読しました。素晴らしい作品だと思いました。 どうか嫌な感じに伝わらなければ幸いなのですが、一連目を読み始め感じたことは、読み易くて、健康的で、もしかしたら自分にもいつか書けるかも知れない詩だなということでした。ですが違いました。 >昨日と今日の夢のあいだで背を伸ばしている子ども この箇所を見て、あ、これは自分には書けない詩だと感覚的にわかりました。そこから読み進める内にどんどんと加速度的にこの詩のすごさや素晴らしさがしみてゆきました。 作者の方のこころの眼が向かう先に驚かされましたし、それを正確に表現する技術の高さにもまた大変驚かされました。 藤さんの今作からは、詩作の基礎のようなものをひたすら誠実に磨き続けた達人の一太刀や正拳突きのような美しさが感じられました。 心が柔らかくなった上に勉強にもなりました。ありがとうございました。 (明るい朝の歌)

2020-10-28

最終連の言葉がとてもよかったです。それもきっと、ここまで連ねた言葉が効果的に機能しているからだと考えました。 (みんな本心)

2020-10-27

書くことについてより、読むことについての文章の方が具体的だと思いました。なんで悔しいのだろう。もしかしたら具体的ではないことに関係があるかも知れないなということを考えました。 「地の塩」とはなんだろう。世界中のかなしみが癒えることを指すのかななどと考えていました。 最後の締めを受けて、まだ何かを諦め切っている人の言葉ではないなと感じました。 (詩について)

2020-10-27

本作はタイトルと同じ言葉から開始されます。今回の配置と、途中や最後に配置する方法、またタイトル同じ言葉を使わないという方法など作者により様々な判断があると思います。私はどうして今回の判断がされたのだろうということを考えていました。きっと作者の方にとっての何か大切な意味があったのではないかと考えています。 仮に現代の視点から考えると、カセットテープは最新の機械ではないと言っていいかと思います(再ブームということもあるのですがここでは割愛します)。そのまま考えを進めた場合に、必ずいつか壊れてしまうものや、不可逆性の象徴としてカセットテープが採用されたのだろうかと想像します。しかしここまで考え、その進化の過程で「使い物にならなくなる」ことから例外となるものなど、果たしてあるのだろうかと思われました。 「君の思い出」という表現。「君との〜」という言葉との違いを考えました。前者には作中私の主観性が感じ取れます。後者の場合にはそこに私も一緒に居るという客観性や俯瞰性が感じられます。今作の表現から、私にとっての君の位置のようなものが感じ取れました。 (私)「一人」以外のみんなは透明なのかな。透明ってなんだろうと考えました。私にとっての「不透明」にポジティブな想いは感じ取れませんでした。「ぐちゃぐちゃ」と「不透明」に近さのようなものを感じました。 なんだかよくわからない感想でごめんなさい。楽しく拝読しました。ありがとうございます。 (君の思い出はカセットテープ)

2020-10-27

つつみ様 こんばんは。コメントをくださりありがとうございます。 声色の変化まで感じ取ってくださり幸いです。 >「>最期の繊維一つをまだ舟と呼ぶものの信頼を 後に一糸とも表現されていますが、この部分がとても好きです。「信頼」すれば繊維一つも立派な船であること、そういう信じる心を持ってみたいと思いました。」 この箇所、とても嬉しかったです。ありがとうございます。自身もとても大切にしている言葉であるからです。今の時代、数字がとても強いので、それでも目に見えないものに価値を見出したいという想いが強いです。 放物線を描いたものを「特攻隊」や「紙飛行機」と言っていただけて面白く読んでいました。イメージを共有してくださりありがとうございます。嬉しいです。 >「左脳の論理的思考を断ち切るような。」 ここもとても面白く読みました。 本作を書くとき、僧侶が自ら死ぬということ、自殺は宗教上どう解釈されるのかを調べていました。そのこともとても学びが多かったです。 最後のコメント、ありがとうございます。はっきりしたハッピーエンドで締められたらいいのですが、この世界はきちんと見つめるほどにそう言い切れない部分があると知らされます。だからこそできるだけ嘘のない言葉を作りたかったです。 ご覧いただいた上、丁寧にお言葉をかけてくださり本当にありがとうございました。 追伸 ポイント評価も公開してくださりありがとうございます。個人的に、数字による評価はその方の中での基準をあれこれ考えられるところが好きなので楽しかったです。ありがとうございます! (声による表現「白い道」)

2020-10-26

コメントをくださりありがとうございます。 >>「ニュースキャスターの一言から転じる狂おしい疾走感」 このコメントをいただけただけで書いてよかったと感じました。ありがとうございます。 前半の箇所は、数字病(イイネ数・再生数至上主義に顕著な相対評価上の勝利)にとらわれた者が描かれていたのかも知れません。 本作をリーディングして改めて制作した後に気づいたことがありました。それは、はじめにこのテキストを書いた段階(数年前にこちらに投稿した時期)で、わたしは数字病からの脱却を目指したいと考えていたのかも知れません。今でも本作はわたしの何かフラッグのようです。 帆場さんのコメント自体がどこか精錬された詩のようであり非常に美しく、嬉しかったです。ありがとうございます。 (動画「ぶち切られるために生きてる」)

2020-06-08

コメントありがとうございます。三つの構成にわけて音源を作ったのですが、メリハリの強弱については個人の技術にやや不足があった点は否めないかも知れません。ですが、テキスト単体の完成時や音源作成直前の脳内では確かに仕上がった感覚がありました。動画で出す以上、この辺の差については今後出来るだけ埋めていけたらと考えております。 しかしそういった個人の課題はあれど、くださったコメントのように感じていただけたと知り嬉しいです。ありがとうございます。 実際には街中を走り抜けられなかった瞬間に、実は確かに走っていたのだなと改めて知らされたように感じています。 余談ですが、本作はテキスト単体は過去にB-REVIEWに投稿していました。当時いただいたコメントもこの機会に改めて読んでいたのですが、とてもありがたいです。 (動画「ぶち切られるために生きてる」)

2020-06-08

詩という表現方法と、作者の言語表現に関する声明とを併せて発信されたものであると受け取りました。 作中わたしの思想と作者の思想との間の距離について、当然ながら本作内のみで推しはかった結果として、〈遠い〉とは感じ取れませんでした。 「正しい言葉」に流れる思想についての概要が述べられており、その後必ずわたしの「言葉は正しくない」ということが繰り返し書かれています。 八連目、わたしの思想が具体的に書かれています。七連目までの異なる思想についての概要の記載とその後都度される自己配置(「私の言葉は正しくない」)についての言及が助走として使われているように感じ取れます。結果、八連目の言葉の強さを生んでいると考えます。この箇所は、表現者としての純然たる野望と読みました。「言葉のナイフで心に傷跡をつけたい」という言葉には、ある種の攻撃性やネガティブな感情が発せられていると誤解を生む可能性が全くないとは言い切れませんが、文脈から見るに、もっと純粋な、作品で人に深く入りたいという想いを感じます。 前述の通り、本作には異なる思想への受容とその後わたしが表現者としてどう生きていくのかという姿勢についての声明であると楽しく読ませてもらいました。 あえて一点、「かよわき者」、「(学ぶ機会を)「奪われた」」、「酷薄な貴族」という表現について。これらは作者の声明を八連目でより強めて発信する為の材料になり得る言葉と思います。しかしこういった言葉が、いわゆる〈排除排斥される方々本人から果たして本当に出て来た言葉であるのか〉という点については、再考することで得られる学びがあるのかなと自省をしつつ考えています。 私が本作のような声明、あるいは詩を発信する際にはその点について再考することで深みや広がりが出ると考えたからです。 読ませていただき、ありがとうございました。 (正しい言葉)

2020-05-10

コメントをくださりありがとうございます。 作中では何かがリリースされるのですが、手よりも指を選んで焦点をあてたので、お言葉をいただけて嬉しいです。ありがとうございます。 (指)

2020-05-03

エイクピアさん 読んでくださりコメントまでくださりまして、ありがとうございます。以下の箇所、とても大切に味わうように拝読いたしました。 >もっと根源的で、不可逆的で、後戻りの利かない思い。死児に対する母の思い。歴史を作ったのは死児に対する母の思いであると言う小林秀雄の卓見などが思い浮かびました。 本作、遠くの方を(ともすれば無関係の方を)、「他人事には出来ない」という心ひとつから開始され、書き終えることが出来たものでした。 ご覧いただけて幸いです。ありがとうございます。 (指)

2020-05-02

>>重力に左右される泡も ほっ と失う 抱きしめられたら ふっ と脊髄が離れたくなる 先程のコメントで書かせていただいたこの箇所、私が元の作品を読み違えをしていました。 「ふっ」は「抱きしめられたら」にかかる言葉でした。 ついつい、詩を読むときには心の中で鳴る音(のようなものがあるのですが)で読み始める癖のようなものがあります。 大変失礼致しました。 (あまりに雲をみている)

2020-04-29

>ふっ と抱きしめられたら 脊髄が離れたくなる  この箇所、初読の段階と何度か読ませていただいた今にも、何だかとても惹かれる表現だなぁと感じています。「脊髄」という言葉が加わっているところが良いですね。  また、前述の箇所を含む一連目の表現方法の一部についても興味深く拝読しました。以下の部分です。 >重力に左右される泡も ほっ と失う ふっ と抱きしめられたら 脊髄が離れたくなる  私なんかの場合ですと、以下のような並びで書いていたかも知れないなと思うからです。 >>重力に左右される泡も ほっ と失う 抱きしめられたら ふっ と脊髄が離れたくなる  ふじりゅうさんの表現の規則性や取捨選択について触れられているような感覚があり、楽しく拝読しました。 >赤だか 青だか 緑だかの こんごうぶつ を 人はなぜだか にじ と呼ぶ  この箇所、「にじ」についてのある種冷静な視点が描かれているように感じるのですが、その後に続く「こどもたち」の無垢についての表現が素敵だなと感じました。それを踏まえて考えていると、「にじ」と「呼ぶ」「人」の「人」は「こどもたち」の対として大人のことかも知れないなということを考えました。  平仮名やカタカナ等の表記の使い分けが印象的です。最後の平仮名表記は一際光っていますね。  残念ながら、私の読解力では一つの作品読解をお示しするところまでは到達出来なかったのですが、それでも前述の通り本当に楽しく作品を読ませていただきました。バラバラと好きに書いてしまいましたがお許しください。 読ませていただいて、ありがとうございました。 (あまりに雲をみている)

2020-04-29

作品をご覧いただき、お言葉まで届けてくださりありがとうございます。深くお読みいただけて嬉しいです。本当にありがとうございます。 羽田さんの「絶叫」に感じた、「どうにもならないことに振り回されながらも精一杯を尽くした上で祈るしかない」という感覚を、奇しくも改めてこの返事を書きながら思い出しています。「祈り」という点で大きくは違わないと思いました。 ありがとうございます。 (指)

2020-04-29

>照明もテレビの音、りんとなく虫の声 この箇所、おもしろく読ませていただきました。たとえば私などは、「照明、テレビの音、りんとなく虫の声」、あるいは「照明もテレビの音も、りんとなく虫の声も」のようにどちらかで書く可能性が高いので、作者の方の選択を興味深く読ませていただきました。 また、文の終わりの「。」の使い方も興味深く読ませていただきました。句点を使うところと使わないところその違いはなんだろうかと規則性を探ろうと読んだので楽しかったです。 本当にそんな人がいるのかと問う形で終わっていますが、タイトルからも、また作中私の苦悩の描写も、必ずや邂逅に繋がるのではないか、つまり希望を本作から読み取りました。 読ませていただき、ありがとうございます。 (求め人)

2020-04-29

「きみが歌ったあの詩うたは」 こちらの引用のところで、作品をそのままコピーペーストした関係でふりがながふりがなとしてではなく、そのまま本文と同じサイズの文字で表記されてしまいました。失礼いたしました。 (廃校舎)

2020-04-29

>きみが入ってきた時は  何かとても恐ろしいことのようで  きみが歌ったあの詩うたは  今でも耳に残っている この箇所のみ全体の構成の中からある種の異彩を放っていると読むことが出来ました。「きみ」とは一体何を指すのか。 「ぼく」、「きみ」、「みんな」等、人称が平仮名表記で特徴的だなぁと感じました。 >......何も残らず閑古鳥  その鳴き声だけが遠のいて...... 「閑古鳥」の「声」が「遠の」くという視点は面白いなと思いました。 ノスタルジーよりは、不穏さや恐怖に近いものを作品から受け取りました。 読ませていただき、ありがとうございます。 (廃校舎)

2020-04-29

今の時代に必要な言葉、作品であると感じました。 >太陽への絶叫を どこか何か 沈黙のままでも果たしながら 私たちには到底操れない、日により異なる海の波のような人生に翻弄される日々への叫びを感じ取りました。 >「ただ今日まさになすべきことを熱心に」なしていく そんな中でも目の前のことに命を注いで生きることの大切さを、そのメッセージを受け取った想いです。 今の時代に必要な言葉、作品であると強く思いました。 (絶叫)

2020-04-28

>なら、どう生きればいい。 本作で、この言葉がいちばん光って見えました。問題提起されている箇所は他にも幾つかありますが、その中でもこの言葉には、作中わたしの葛藤がより色濃く、流れる血を感じさせるものがあると感じました。 ある種の現実をひっくり返す機会とその影響力さえあればと望む主旨の言葉で締め括られていますが、既にその機会の獲得を本作で示されているように思います。 影響力には、即効性と遅効性があると思われ、さらには他者へ向けたものと自己へ向けたものとがあると考えます。ここでは、ともすれば即効性はなくとも、必ずや自らの前進へと繋がる、「己へ向けた影響力が確かに存在する言葉」が作品として提示されたように感じるのです。 (平等)

2020-04-26

現在の虚無的な作中私の自己否定の文章の連なり。しかしながら、タイトルや作品内の一部の表現からは、作中私の悲しめないことへの想いが描かれているように読めます。これは、悲しめる自分になりたいという願いとも言えるのではないかと考えました。 一貫した自己否定の言葉が、結果的にこの先の光への道筋を示しているように読めました。 (無礼者)

2020-04-25

舟虫 様 コメントを下さりありがとうございます。「興奮」とお聞き出来てとても嬉しいです。音楽面についても言及いただけて幸せです。ありがとうございます。 >「書き始めてまもないということもあり、その中での気持ちが素直に受け入れる形でした。」 このお言葉を聞けたことが一番嬉しかったです。本作の肝と考えているからです。ありがとうございます! (是ポエトリー・リーディング)

2020-04-13

帆場 蔵人 様 こんばんは。作品をご覧くださり、お言葉をかけてくださりありがとうございます。 >「ただ今回の作品について詩情を感じて心がゆり動かされるかと言えば、迸るメッセージは感じましたがそれ以上のものが僕を揺るがすイメージ(このイメージが行間、というか詩の世界を創ってくれるのではないか)が伝わってこなかったです。」 こちらで帆場様がどのように受け取られたのかについての記載をしていただいたので、とても理解しやすかったです。ありがとうございます。また、「作品に感じ入る事がなかった」というお言葉についても、同様にどう受け取られたのかがわかりやすく述べていただいているので感謝しております。 「詩」、「ポエトリー・リーディング」、「詩人」等々多くの〈名前〉があります。名前が果たす役割と、各人が相手につけるラベル。作者とコメント(を書く方)。 多くの場合、そういった定義や意味についての認識を両者間で確認し合うこと抜きに私たちは言葉のやりとりをしています。 私が現段階で行えることは、お二人の言葉を受けて、相手の方が何をどう定義しどういった思想をお持ちなのかを想像すること。そして、それを受けて自身の活動にどう取り入れて活かしていけるかを考えることと思っております。 こうしてお言葉をかけていただけること、作品をご覧いただけることは決して当たり前ではないことと考えております。 ありがとうございます。 (是ポエトリー・リーディング)

2020-04-06

小林素顔 様 こんばんは。動画をご覧くださり、コメントを下さりましてありがとうございます。また、「いつも」と書いていただいていますので、本作以外にも私の動画作品をご覧いただいていたということを知り、大変嬉しいです。ありがとうございます。 >「この映像作品はポエトリーリーディングではあっても詩では無いのではないかと思われます。」 小林様がポエトリー・リーディングや詩をそれぞれどの様なものと認識・定義しておられるのかについての言及がありませんので、私としましては仮説を立てて想像することしか出来ないのですが、行間の有無とは無関係ではないということについては理解することが出来ました。 また、行間の無さを映像や音楽で補完するだけではそれを詩とは言えないと考えておられることを理解することが出来ました。 批評文ということであれば、そのただ一回で(一つ)で伝達としての一定数の確立が見られるものと考えております。コメントということであれば、双方向の対話により、より深い理解が得られるのではないかということを考えておりました。 貴重な時間とエネルギーを割いてご覧いただけたこと、その上お言葉をかけて下さったことにとても感謝しております。ありがとうございます。 (是ポエトリー・リーディング)

2020-04-06

何が善であり悪であるのか、その定義や共通言語は語られなかったように思います。読者、あるいは視聴者は作者の示すその善悪の定義や意味について仮説を立てることは出来るかも知れません。しかし結局それは仮説の域を越えません。 動画内の話者の語り口に対して、切実さ、誠実さ、ともすれば何者かあるいは世界への嘲笑のようなもの、はたまた他者や世界に対する根本的な断絶感等々、視聴者はどんなものを受け取るでしょうか。 本作には「ステイトメント」という前置きがあります。しかしこれは一見語られているようでその実ほとんど語られていないのではないかと考えました。 こちらにはじめコメントをさせていただいた際にも、そもそもこの後に作者から返信で何かが語られるとは考えていませんでした。作品についての批評や仮説を受け手が一方向的に伝えるしかないのだと思います。 そしてそれらを伝えることこそが何か目に見えないところで静かに効果を生み、あるいは影響を与えるのではないかと思われるのです。 (imagine)

2020-03-25

動画内の、「自分にはポエトリーリーディングが出来ない。あれは善人のものだから。」という主旨の言葉が初視聴後からずっと鳴り止まず、ハッキリ言いますと非常に苦しんでいます。 この痛みのわけを無視するわけにはいきませんので引き続き考えてゆきたいです。そういう意味でもガツンとやられました。 詩もポエトリーリーディングも、何者も排除しないものと考えていたので。 (imagine)

2020-03-25

コメントに加えて、二箇所をとりあげていただき嬉しいです。後半の方は特に思い入れのある箇所なのでとても嬉しいです。ありがとうございます! 今後もテキストや音声などなど様々な表現をしてゆきたいです! (詩の動画「四つ角に孤独」)

2020-03-18

一連目、不本意ながらそこに居るしかない女についてが描かれている。その状況について、監禁よりは軟禁に近い感覚を抱く。それはカーテンを内側からあけられること、しかし四方を囲まれている点から仮説を立てた。 チェが何であるかという議論や仮説立てはもちろんあっていいかも知れないが、個人的に大切にしたいと考えるのは、チェに込められた想いについてである。物事がうまく運ばない時に発せられる言葉として、あるいは舌打ちの音としての「ちぇ」。 その日以前も、もちろん賛否はあっただろうが、確かに暮らしを支えていた部分もあったのだろう。今やどうか。誰かその女自身の想いについて想像したことのある者は居ただろうか。そこが本作の特筆すべき観点ではないかと考える。もちろん、これだけの被害である。何より暮らしを奪われた方々への視点が最も重要であることは言うまでもない。そしてそのことはまた本作ではきちんと提示されている。仮に後者を主として描くことが目的だったのであれば、本作の形態を採っただろうか。その点についても考えさせられる。 一連目の視点は、結局の所さきの後者についての思考にも立ちかえるように構成されている。 読者に届けるための仕掛けとしてのタイトル、そういった要素は少なからずあったのかも知れない。しかし安易にその狙いだけであったとは思えない、掌返しにあったかのような発災元(女)のともすれば誰一人わからないかなしみと、町とそこに暮らすものたちへのかなしみがしっかりと描かれている作品であると思う。言い難いことに誠実に切り込んだ作者の勇気を感じる。 (チェルノブイリにチェ)

2020-03-18

読後時間を経てからも鳴り続く詩のことを私は素晴らしい詩の一つであると考えています。本作はまさにそういった作品です。 人様の作品に向き合う時は、「読解をするぞ」と割と意気込んで読ませていただくことが多いのですが、読んでいる場面から離れると(例えば物理的な移動など)その後に詩が鳴ることは滅多にないのです。シャワーを浴びながら鳴るのを感じていました。 「川」を「川」たらしめる条件には、当然ながら「流れている」ということがあると思います。本作では、もしかしたら事実としては既に流れていない川があり、それはもう川とは呼べないかも知れないのですが、しかし形を変え確かに未だ流れ続けているということを知らせてくれます。 二連目の終盤の場面には美しい色香がただよっています。そしてその「ひたひた」という音が、当時の二人を繋ぐある種の粘着性のようなものを美しく香るように描かれています。 料理のメニューに「肉じゃが」を採用することは一筆書きのように決まっていたのか、いくつか候補があったのだろうかとそんなことも考えたりしていました。 素敵な作品です。ありがとうございます。 (それぞれに川は流れている)

2020-03-15

arielさん 嬉しいです。心のこもったコメントをくださりありがとうございます。 >「どこかに飛ばしてしまいたいような切なさから詩が生まれるけれども、それを言葉で表現し、涙として外に出してしまうとその尊い純粋を殺してしまう感覚、とふても共感します。」 この箇所を拝読して、なんて素晴らしい表現なんだろうと感じました。ありがとうございます。嬉しいです。 境界の件、ご指摘ありがとうございます。書いた当時のことを遡り考えておりました。 境界線や枠は、おっしゃる通りで、あるから良い、あると良くない、そのどちらもが言えると思います。 >「言葉が溢れる感情に追いついていない感じ」 このようなところにまで感性で受け取っていただけて幸いです。ありがとうございます。 元テキストがあり、編詩版の本作があり、リーディングがあるので、それぞれを味わっていただけましたなら嬉しいです。ありがとうございます。 (詩の動画「四つ角に孤独」)

2020-03-05

読み手への伝達性がコントロールされた作品だなと思いました。一般的に、伝達性の高い言葉と低いそれがあるとしたら、本作は前者を紡ぎ合わせた作品ではないと思います。しかしそれは作者のコントロールのもとに作られたものであり、そうであると感じさせる説得力があるからこそ、私は本作を何度も読もうとし読んだのだと考えます。 「アシマラミサクチの花」以降から最後までの箇所を受けて、特に何か神聖な物語を読んでいるような感覚を抱きました。 「お迎え」とありますし、読者が死を連想することもまたコントロールされていると思います。 なんとか読み解こうと、試行錯誤しましたが結論的には一つのはっきりとした考えを述べるところまではたどり着けませんでした。たとえば、それぞれの文言や場面を喜怒哀楽などの感情で分類しようとしたり、あるいは言葉の意味を反対にしてみたりすることなどを試していました(「生まれたばかりのしずくは気持ちがいい」などは、死んでからしばらく経つしずくは気持ちが悪いといったように)。 どうしてか惹きつけられる不思議さとともに楽しく読ませていただきました。ありがとうございました。 (U +2287E)

2020-03-03

最後の改行を効果的にする為の本文であったのではないかと思うほどでした。語らないことが最も語られている。そのように感じたからです。読ませていただいてありがとうございました。 (craving persona)

2020-03-03

「むかれた林檎のような言葉」ってどんなものだろうと考えていました。「喉につまっている」という表現を受けて、私にはせいぜい〈丸裸の言葉〉というものしか想像出来ませんでした。最期に、言いたいこと全ては到底言えなかったのかなと考えました。 顔にも耳にも人間の感情がありありと出るもので、特に耳は冷静さを装うことすら出来ない部分だなと思っていました。 「どちらがどれだけながく皮をむけるかお互いをうかがうそんな恋だった」 という表現が面白いなと感じました。皮を全てむいたらどうなるのでしょうか。ここまで書いて、先に丸裸の言葉という単語を自らで使っていたなということに気がつきました。 淡く甘い時間、恥じらいや怒りや戸惑いがよく現れた詩だなと思いました。読ませていただきありがとうございました。 (恋の林檎)

2020-03-02

>>「小手すら舟虫の子らがしゃぶり」 ただの舟虫ではなく、その「子」なのがいいなと思いました。虫に人のような理性があるのかは計り知れないのですが、仮にあるとすれば、親よりも子の方が無邪気に喰らうのかなと思われたからです。(実際に死ぬわけでなくても)それに喰われ、今まさに失われていくのだと感じている〈わたし〉の精神や感覚がありありと伝わってくるようです。 >>「打ち捨てられたドラム缶に詰まってる 私はそれを 信頼と呼んでる」 〈詰まっている〉、〈呼んでいる〉という表記でないことがいいなと感じました。大切な信念のようなものを独白するときには文法的正しさは重要ではない、むしろこの形こそがリアルであると感じられました。 本作には、海と〈わたし〉の境界のその曖昧で微かな違いを行き来する印象を抱きました。タイトルにも同様のイメージを見たような気がしています。 最後、 >>「あんたは海だ 誰もが知ってる」 には、実は、〈〈わたし〉だけが知っていればそれで十分である〉というような言葉を受け取った気がしました。 (落雁)

2020-03-01

詩においてのリフレイン、自らも比較的頻繁に使うことがある為、その効果についてはよく考えます。個人的な話になり恐縮ですが、私の場合、その頻度として最も採用するのは二度や三度であり、どんなに多くても五度くらいまでかなという認識です。と言いつつも、例外的に本作のように膨大な数の繰り返しを行うこともあります。 自省も含めて思うことは、読者は果たしてどれ程までの数であればいわゆる読み飛ばしや斜め読みをせずにきちんと追ってくれるのだろうかということです(そもそも初めからリフレインのすべてを読んでもらわなくてもいいという書き手のスタンスもあるとは思うのですが)。リフレインには、意味や焦燥感を強めたり、速度を上げたり、狂気を表したりなどの様々な効果があると思います。 本作のリフレインに与えられた効果や狙いはどんなものだろうと文字を追い続けました。 私には、言葉をかける側の〈わたし〉の喪失に伴う動揺と狂気性が描かれているように思われました。言葉をかけられた側(子どものような存在でしょうか)には、まだその意味が分からないように読み取れます。〈わたし〉の抑え難い、しかし相手の為に抑えようと努めて生きている姿が切実かつ悲しくて良い作品だなと思いました。 読ませていただき、ありがとうございます。 (幼さに微かに残るイメージの詩)

2020-03-01

三連目まで、応援団の三三七拍子のようなリズムで言葉が鳴るのを感じながら読みました。四連目でリズムを外された感があり、〈果たしてこれは〉とそのまま停止した事実にそうように立ち止まり思考を始めました。 仮に集団参加の為の「扉」が「冷た」く「どけと言う」のだとして、その「隙間から」入る為にカタチを変えるとなると、〈わたし〉は一体どうなってしまうのだろうかと考えました。〈溶けてでも〉という想いかも知れませんしそこのところはわからないのですが、最後の言葉が〈入った〉と締め括られていないところに考えるものがありました。 (集団)

2020-03-01

本作内で描かれるあらゆる「自傷のよう」な行為を、個人的には〈小さな自殺〉と呼んでいる。厳冬の雨にわざとさらされ続けることを選ぶような。効率性や生産性から離れると、癒される(人がある程度居るのではないか)。 「データ通信量」は、残っている方がいい。音量は、適切な方がいい。「既読で止まった画面」は、「何度も見返」さない方がいい。「独白」も「逃避先」も、その存在を許された方がいい。 〈小さな自殺〉を意固地なまでに許さない〈わたし〉の、この詩こそがその実、〈わたし〉に小さく死ぬことを許しているように受け取った。 タイトルの「維持」、誤った表記であれ狙いの上での表記であれ、どちらにしても「疲れ」を表していてとても良いと思った。 (‪たばこを吸いたいがそれだけは最後の維持としてなんとか我慢している‬)

2020-03-01

本作を受けて、鉛筆で線を書くときのことを考えていました。線は当然ながら途切れるまでが線と言えるのかも知れません。そして二度目にまた書き始めてから途切れるまでのそれもまた線と呼べるのでしょう。 「いくらたくさん集まったところで」と書かれているのを見ると、私などは少し歪んでいますので、密度を極限にまで高めたそれはもはや線と見分けがつかないのではないかということを考えていました。 ここまで書いてまた改めて本作を見つめているのですが、例えば村などはどうだろうかというところに思考が進みました。村民と村。村は点(村民)の集まりで、「いくらたくさん集まったところで」、「それはやはり点である」のかも知れません。 「たくさん」の対として〈少し〉という言葉が浮かびますが、もっと自らの感覚にそう言い方をするのであれば〈独り〉とか〈孤独〉なのではないかと考えました。〈一人〉ではなくです。 先生と思われる人物と生徒。人生の先輩が知っていて後輩はまだ知らないこと。後輩の返事はまだまだ自分ごととしての返事では到底ないように読み取れます。 「とおく離れて見れば」とありますが、〈近くで見れば〉気が付きにくいものがあるのでしょうか。それはなんでしょうか。仮説として、「点」を〈独り〉や〈孤独〉、〈村民〉としました。そばに居るとそのことに気が付きにくいものでしょうか。今の私にはまだわかりません。 そんなことを考えました。 読ませていただき、ありがとうございました。 (点として)

2020-03-01

とても良い詩だと思います。作者の他の作品と比較し異なる点を感じました。それは、特に一連目に現れている荒涼感です。寂しさだけなら従来の作品にもあったが、荒れた、ともすれば不穏ささえ感じさせるような冒頭。そこに新鮮さを感じた。ここからどう展開するのかと読み進めた。 三連目最後の友の沈黙が一層寂しさを表していると感じた。そもそも話さない無機物のそれに二連目では役割を担わせていたからこそ、君の不在後の寂しさ、本来話すはずのないその存在の沈黙が寂しいと感じた。君の不在は君の不在からだけでなく、その時同時に関与した存在からも溢れるのだと知った。 雨上がりの水たまりにポジティブな視点を持てるのは子どもか、あるいは大人であっても大切なものを失っていない人間だろうと思う。 その人はその人らしく足を揃えていたのだろうから、人の良さが想像出来る。 世界に必要な人の喪失と変わらず巡る春。最後に飛び回ったものとはなんだったのかと想像する。いのちだといいなと思った。 締め括り、挑戦の姿勢とそれが過去形で終わっているのがいい。 (ある春)

2020-03-01

素晴らしい作品だと思いました。 初めから最後まで、心の中で声が鳴ってきこえる作品、きかせる作品だと思いました。 >>「九州大学米軍捕虜生体解剖実験の実録本」 この長い本のタイトルを読んだときはその音感の素晴らしさに「やられた〜」と言いそうになりました。 時勢にそう内容で、誰にでも読みやすく、詩を身近に感じる作品。まなざしに優しさがあり心が温かくなりました。このような作品が世界に生まれたこと、書き手がおられることは、この世界にとっての財産であると思います。 ありがとうございました。 (あのね、おまわりさん)

2020-02-29

星のおわりの別れ別れが、各テキストの散り散りな様相に現れているように感じられた。 しかし散らばるとは実は終わりではなく、また各地点で始まるようにも思われる。切れずに散らばる感覚がする。そのことが、作中わたしには突き止められないところで「どんな軌跡であろうととにかくここに来た」という事実に切れず繋がっているようにも読むことが出来た。 「寒い光」という言葉が大変印象的だった。温度と明度は表現上同居が出来るのに、それぞれがどこか違う次元に居るよう。そのうえで、こちらもきちんと繋がっているようだ。 (死んだベテルギウス)

2020-01-23

帆場 蔵人さま 「そしてその軌跡もまたが 生きて来た」 は正しくは、 「そしてその軌跡もまた生きて来た」 でした。失礼いたしました。 (Answer「あ」)

2020-01-03

帆場 蔵人さま 嬉しい言葉をかけてくださりありがとうございます。 痛みが再生されて、生きていたいと思えるという主旨のお言葉、とても考えさせられました。ともすれば、私たちは日ごろ痛みから逃げたくて仕方がないという側面もあると思うのですが、よく考えればただの一回も逃げおおせたことはないなと改めて気付かされました。そしてその軌跡もまたが 生きて来たということなんだなと思いました。人生の肯定がなされる。ありがたくお言葉受けとりました。 ありがとうございます。 (Answer「あ」)

2020-01-03

つつみさま はじめまして。作品を受け取ってくださり、コメントまでくださりありがとうございます。 音を楽しんでいただけて嬉しいです。 最後の距離感について言及いただけてとても嬉しいです。ありがとうございます。 追伸:つつみさまの最新作のリーディング、聴かせていただきました。 (Answer「あ」)

2020-01-03

いまりさま はじめまして。タイトルに惹かれて作品を読ませていただきました。 一連目の「ふたりでこんなことになって」にしっかりと掴まれて最後まで一気に読みました。とても素敵な詩だと思いました。 すべての言葉が頭や心の中で音楽性を持って鳴っていました。ひと息に読まれる一文も、読点で細かく刻まれる文もとても心地良かったです。 魚自体のみずみずしさと、本作全体に漂うあでやかさが重なっていて美しかったです。 (言いなり)

2020-01-03

stereotype2085さん 有難いお言葉を沢山くださり、ありがとうございます。 >>「とても読み心地が良かったです。」と言っていただけて、とても嬉しいです。 この詩は、単なる勧善懲悪になってしまわないよう、書き手として心を自制する力が問われているとその最中に感じておりました。書くことでとても勉強させていただいた作品となりました。 >>「永遠の青春性」 ありがとうございます。いつかお話をうかがいたく思いました。 その節は、こちらに投稿させていただいた作品も全てご覧下さりまして、ほんとうにありがとうございました。 (詩人のひとさし)

2019-05-21

>>「持ってきちゃうのは僕の喉に流れたブラックなコークの苦み」 どうしてでしょう。この「持ってきちゃう」という言葉の響き、音が作品を拝読した後にも鳴り止みません。なぜだろう。 大切な、何かがあるような気がします。今読み終えてすぐ書かせていただいています。 >>「自販機に投下した銀のコインはブラジルのリオデに落ちて コインを拾いあげた少年はブッディストにそいつを与え またいつ終わるとも分からないカーニバルに駆けてったんだ」 この箇所、読者としてはリズムを楽しみながら次の展開を、そしてやはり次の音を期待しながら読み進めていました。 「駆けてったんだ」という場面転換をにおわせる表現。しかしながら次の文章との間に改行はない。 場面転換しそう、でも改行はないということから、であればそれらを折衷したような表現が来るのかなと瞬間的に予測していました。 ですが、来たのはこれです。 >>「持ってきちゃうのは僕の喉に流れたブラックなコークの苦み」 脳が追いつかない。驚きました!「〜ちゃう」という言葉づかいにも、突然の、意図的とも思われる伝達性の低下にも驚かされました。 楽しく拝読しました。 ありがとうございます。 (陽・いずる)

2019-05-17

こうだたけみさん ワンポイントキュレーションまでほんとうにありがとうございます。 TENの会場でもお伝えさせて頂けましたが、こうださんの詩や、こうださんの本作へのコメントから、私は自身の詩の原体験や源流を思い返すことができました。ありがとうございます。 音遊び言葉遊びは、単なる遊びには終わらず、その深層に大切なものがあることを思い出しました。誇りを再び手に入れたような感覚です。 ほんとうにありがとうございます。 (リュウセンケイ)

2018-10-28

stereotype2085さん ありがとうございます。 自覚して操作するテクニックは持っていないのですが、結果的にそのように受け取って頂けて幸せです。ありがとうございます。 詩の構造をこう分けられているのではないかと語ってくださり嬉しいです。 聖俗についてもはっとさせられるところがありました。 今夜もその点についてお話しさせていただけたら幸いです。 ありがとうございます。 (街のひ、果てるひかりに)

2018-10-28

no.20さん ありがとうございます。 情景が浮かんだという事実も、少し切なくなったという心の動きも、お伝え頂けて幸せでした。 ありがとうございます。 (街のひ、果てるひかりに)

2018-10-28

日下ゆうみさん >>特に私が良いと感じたのは朝とひな鳥の描写で、その二つの状況に対する私の感覚の絶妙な言葉へのしにくさが、ここでは周りの他の言葉の支えを借りながら確かな形を持ち始めているように感じたので、この部分は特に素敵な描写だと思いました。 ていねいに心を込めて書いてくださりましてありがとうございます。ブログの方も拝見しておりました。ほんとうにありがとうございます。 わたしは、技巧的に、狙って書くことはできないのですが、この詩は初めの場面から始動したものでした。 ですから、その箇所を良いと言ってくださり本当に嬉しいです。 ありがとうございます。 この詩は、着陸できたので、皆様に幸運にもご覧いただくことができました。ありがとうございます。 (街のひ、果てるひかりに)

2018-10-28

ふじりゅうさん >>「離れ難い愛おしさ」を覚えていたのを「思い出していた」とあるので、その感情が既に過去の事だということになります。 丁寧にご覧くださりありがとうございます。とても嬉しいです。 1連目、好きと言ってくださりありがとうございます。 この詩はこのシーンがふと浮かんだことから始まったのでそこを褒めていただけて嬉しいです。 ありがとうございます。 (街のひ、果てるひかりに)

2018-10-28

オオサカダニケさん はじめまして。コメントありがとうございます。ご覧くださりありがとうございます! 語感についてや、共通点について語ってくださり嬉しいです!ありがとうございます。 (信頼)

2018-10-28

途中送信をしてしまいました。すみません。 まりもさん 海のくだり、ありがとうございます! そのように、人と向き合おうとしたことがあったなと思い出して書きました。 ありがとうございます。 かるべまさひろさん ありがとうございます。 そうですね。私も同じ想いです。 個人的には詩を書く理由のひとつに、そういった悩ましい想いを表そうとするところがあります。 書いてなにになるのか。わかりませんが、書かないよりはきっと意味のあることと信じて書いてあります。 コメント嬉しかったです。ありがとうございます。 (信頼)

2018-10-28

まりもさん コメントありがとうございます。 歌詞に近く、おっしゃられたように詩としては重いと思います。重さについても考えさせられます。自分は、他の方の作品を読むときに、無意識に(あーなるほど。リフレインなのね。)と思った瞬間から、斜め読みのようにしてしまうのですが、その後の時間に改行や句点に意味を見出そうとする自分もいて、面白いなと思います。 (信頼)

2018-10-28

>>「傍にいる赤子はオモチャで遊ぶのにも飽きてしまったみたいだ。」 僕は赤ちゃんについて詳しくないのですが、乳児には、何かに飽きるという概念のようなものはあるのかな。幼児にはありそうだなということを考えていました。 つまり、場面を飽きているように評価しているのは私で、実際はどうかわからない。 たくさんの場面の中で、私はこの場面に最も作中の私のものの見方があらわれているように感じました。 花への喜びをなくしたこと、痛みをなくしたこと、手触り、温度君、未練、涙。 それらをなくしたことに、私は気づいていて、意識している。その悲しみを知っている。 私はまだ地球にいるのかなと考えていました。 一時だけ、意識だけ解離したのかなとも思われました。 私はこのような感覚で、一時地球をおやすみすることがあるので、読ませていただいてありがたかったです。 (30480517 地球にさよならを)

2018-10-23

こうだたけみさん 「すごい好き」と言ってくださりありがとうございます! なるほど!こうださんの作品に触れた上でその解釈をお聞きすると、自らの作品をさらに好きになる感覚があります。ありがとうございます! (リュウセンケイ)

2018-10-11

stereotype2085さん 「好き」、「意味深で中々にいい」とおっしゃってくださりありがとうございます。 自らの他作品に比べると、明確になり切れていない意識を詩にしたのだと思います。そしてそれは、とても必要なことだったのだと思い返しています。 (ヒール)

2018-10-11

渡辺さん コメントをくださりありがとうございます。 ご指摘の件、どのようにお返事をさせていただいたらいいだろうかと考えていました。 どうしても英語表現ならではの音感が欲しかったと考えていたことを覚えています。意味の正確さだけなら、日本語を選んでいたと思います。 答えになっているでしょうか。 ありがとうございます。 (ヒール)

2018-10-11

対比が効いていて、美しい詩だと思いました。美しいと感じた理由を更に探しました。潜りました。 僕はよくチャレンジをしてはつまずくのですが、つまずいて、しばらく紐を結ぶのもやめて、大の字で寝転んでいる時の時間と気持ちを覚えています。 恋でも、仕事でも、もっと大きかったり曖昧な、生きることでも。とにかく、なにかを諦めた時の、受け入れた時の、手放した時の、あの感覚を覚えています。覚えていたことを思い出しました。 ありがとうございました。美しい。 (かの地~B-REVIEW TENに寄せて)

2018-10-09

>>「生まれては消えて 稲穂が揺れる」 この箇所、語らずとも情感が溢れていると思いました。 なんでしょう。特別な人が去った後に吹くひと吹きの風のような、それに揺れる髪の毛一本一本の揺らぎような。感じるものが多くありました。 >>「栄養が 螺旋を描き 力に変わる」という表現も非常に美しかったです。 揺れたりぐるぐるとまわったり、読みながら立体的な動きを感じるのに、一方で静けさの美しい詩でした。 (豊作)

2018-10-01

まりも様 コメントをくださりましてありがとうございます。 前半について、詩作をする中での「伝達性を上げる」ということへの意識よりも、「テキストが持つ再読性への信頼」、違った言い方をすれば「甘え」のような意識があったと自覚しております。 詩作もコミュニケーションも、日頃は前者を意識して生きていることが多いです。詩作に向かう自らについてわからないことが多いので今後も考えてゆきたいです。 (ヒール)

2018-09-30

田無いなる様 コメントをくださり、ありがとうございます。音楽的な感覚に関してのお話を楽しく読ませていただいておりました。ありがとうございます。 ラップ的なものへの意識が、新たな言葉を連れてくることは詩作の中で頻繁にあるので、自身でも今後とも考えてゆきたいです。 (ヒール)

2018-09-30

>>「海水がしたたるまえに」 という言葉、「ひっかかりなく読んでしまいそうで」と書きながら、ひっかかったから書いているのだなということを自覚しています。ともすればあまりに目立たない言葉なのかも知れませんが、わたしには何故か気になるものがありました。水滴が落ちるスピードと、トビウオのスピード。何故だかわからないのです。とても気になりました。いい詩だなと思って。 >>「胸鰭をひろげて」跳ぶ姿を誰が、どこから見ているのだろうということを考えました。 ここまで書いて、この詩は視覚の詩だと気がつきました。はじめは、リズムの詩だと思っていたんです。 後ろから見ていたら「胸鰭」は見えないかなぁとか、でももしかしたら視点が撮影カメラのようにヌルヌル動いているのかもなぁとか色々なことを考えました。 生き物が(懸命に)生きている姿を切り取れば、そこに詩情が浮かび上がる。素晴らしい詩だと思いました。 (トビウオ)

2018-09-27

じゅう様 コメントをくださりましてありがとうございます。 エネルギーを感じていただけたとのことで幸せです。ありがとうございます。 ご指摘の件、表記は大変迷いました。私は声で詩を伝えるポエトリー・リーディングや詩の朗読をしているのですが、その際にも聴覚にアプローチするための言葉について吟味する楽しみを得させていただいています。 視覚アプローチであるテキストの際、何を優先するのか、それぞれにどのようなメリットデメリットがあるのかについて考えることは非常に贅沢な悩みだなぁとおもっています。 ご指摘の件はおっしゃる通りだと思います。テキストは、再読性があるものなので、ついつい甘えて「からだ」という表記が持つ印象を優先しました。 今後も考えていきたいです。 ありがとうございます。 ヤエ様 コメントをくださりましてありがとうございます。 情景描写が失敗していないことがなぜそうなっているのか、分析いただきましてありがとうございます。大変勉強になります。 「何かをサルベージしてできるイメージ」については同感です。私ごとですが、なぜか水と相性が良いような感じがしています。ヤエ様にもそのように相性のいい対象はありますでしょうか。 渡辺八畳@祝儀敷様 コメントをくださりましてありがとうございます。 恐縮しながら読ませていただきました。私も読者として人様の詩を渡辺八畳@祝儀敷さんのように読んでいきたいです。ありがとうございます。 タキザワマジコ様 コメントをくださりましてありがとうございます。 >>「見逃してくれない<いのちの温かさ>をどこかで期待して<俺>はこの海を選んだのかなと感じました。死にには来たけど、もっとずっと詩をはき出していたい気持ちも抱えていて、誰かがそれを気付いてくれるのを待っているような。」 優しい視座からのお言葉に心が震えました。ありがとうございます。 自分で書いてはいますが、自身できちんと整理できていない想いが多くあります。詩と関わる中で、それらが浮かび上がり後になってから知らされるということもまた大変に多く、その幸せを想っています。 表記についてのコメントも、伝えてくださりましてありがとうございます。水のやわらかさに合う言葉を、その伝達性よりも優先させました。 (リュウセンケイ)

2018-09-27

一行目、ひと通りの事件の終わりのような、落着を想像しました。タイトルから、複雑な事情について考えさせられます。 墓石を流れる、まっすぐではない線のような水の流れが浮かびました。そして季節は、夏ではないか。 「ぬるいりんご水を欲しがった」のが一行目二行目よりも過去の場面なのだろうなと考えました。 「入道雲」が想起させるもの、あるいはそれ自身に投影するもの。 タイトルに使われた言葉を、私はここでは〈そうなるとわかっていて、ほっておいた」と定義づけて読んでいます。それはなんだったのか。命ではないのか。 「季節変わりの混ざりゼミ」には、感情の入り混じりを思いました。 最後に立ち上がったのは、「「そうなるとわかっていて、ほっておいた」未来にある結果」を招かないための行動ではないかと考えました。 ① 入道雲はだいきらいだ、 おとうさん、おとうさん   ② 低かった空は、とおくなって彼方だ、 屋根に三角、たわむ電線、 季節変わりの混ざりゼミ、 ひとがみんな、畑に立てられている野菜、   ③ 手首のうすい動脈をみているわたしは、 ガタン、立ち上がった朝 ①はかなしみ ②は抑うつ、諦め、無気力 ③は再起 そう読みました。 (未必の故意)

2018-09-26

カオティクルConverge!!貴音さん様 コメントをくださりありがとうございます。 「〜疾走し感情を剥き出しにして読みたい」のところ、詩の朗読やポエトリー・リーディングの意味で受け取っていました。不思議なんです。同じことを考えていたのに、リーディングして録音したものを聴いてみると、雰囲気の違う音源になっていました。 「傷付けながらも抱き締めてくれる」という言葉、うんうんとうなづいて読ませていただいていました。ありがとうございます。 三浦天才詩人果実様 ありがとうございます。後学のために、可能でしたらまたいつか息切れについて教えてください。もちろん自分でも今から考えてみたいと思います。大切な気づきをくださりありがとうございます。 杜 琴乃様 ふと、小さいころに親に内緒で、しかも外で葡萄が食べられると喜んで口に含んだときのことを思い出しました。味は・・・思い出の味です。 「道行く人を指さして「あの人なんで禿げてるの?」とか「唾吐いてる!いけないんだ!」とか言えないですし。むしろその口を塞いでしまいますし。」 すごく共感します。本当にそう思います。言葉を覚えて、沈黙をそれ以上に覚えさせられたような。成長と悲しみとを感じます。 辛さを与えてすみません。ポリシーとして、かなしみをちゃんと描きたいという想いがあります。好きと言ってくださり幸せです。ありがとうございます。 エイクピア様 ありがとうございます。コメントを読ませていただき、自分の知識の無さを恥ずかしく思っておりました。未熟ではありますが、こうして多くの方から様々なお言葉をいただくことで、言葉の、詩の山を登る足がかりをいただいているような気持ちです。感謝しております。ありがとうございます。 詩があるとおっしゃってくださり幸せです。 帆場蔵人様 コメントをくださりありがとうございます。 むかし、実際に働いてよくもわからないうちに色々なお金をとられることがありました。何だろう?と思いながらも払いました。給料を受け取りに行くために交通費が必要なこと、小銭を数えるかなしみを知りました。 コメントをくださり、ありがとうございます。 まりも様 コメントをくださりありがとうございます。 自分で書いておきながら、コメントを読ませていただいて、何だか泣いてしまいそうになりました。 この詩は、ご指摘いただいた、 〈なんやようわからん植物を/ブドウと思って口に入れたときの/人生の方がよかった〉 のフレーズというか、詩情の核となる部分が心に浮かんだ時から書き始めた詩でした。ですので、そのようにおっしゃっていただけて本当に嬉しいです。ありがとうございます。 ふじりゅう様 ありがとうございます。 文体の変化の件、技術として意識的に出来ていれば、プロの詩人とまではいかなくても、もしかして日銭くらいは稼げるのかなというようなことを考えておりました。 縁あって、このような文体となりました。 お褒めの言葉、ほんとうにありがたいです。嬉しいです。ありがとうございます。 stereotype2085様 コメントをくださりまして、ありがとうございます。 おっしゃっていた楽曲、見つからなかったのですが検索していました。ぜひ聴いてみたいです。 軸のないカラダは、なぜ「軸のない心」ではなくカラダだったのだろうかと、自らに問いながら改めて読み直していました。 コメント、本当にありがとうございました。 IHクッキングヒーター(2.5kW)様 コメントをくださり、ありがとうございます。 期待の件、おっしゃる通りだと思います。ほんとうに、おっしゃる通りだと思いました。 理想や期待がどうしても入り混じる、あるいは滲んでくるような詩であったのかも知れないと、考えています。 ありがとうございます。 藤 一紀様 こんばんは。 コメントを下さりまして、ありがとうございます。 >>「悲しみとも怒りともいいかねるような(この場合は混濁していて言いかねるわけですが)、」 コメント内のこの文章にも、強い感謝を覚えました。伝わるように書いていただけるということの尊さを改めて深く感じました。本当にありがとうございます。 「軸のある」とおっしゃっていただけて、幸せです。ありがとうございます。 鈴木 海飛様 コメントをくださりありがとうございます。 皆様にも、鈴木様にもコメントを書いていただけるということへの感謝が尽きません。特にこれだけの文量と想い、本当にありがとうございます。 >>「軸のない身体は 問いに対して答える 己の人生に対して応える 言い淀むことなんてしない そんなはつらつとは真逆の人間性のことだろう。 …ただ、それだけではない。」 大変嬉しく読ませていただきました。 最後の例文素晴らしかったです。 どうしてでしょう。日本語でこれを書いたときここまで浮かび上がるものや、深く入り込んでくるものがあったのでしょうか。外国語が生み出した何かがあったのでしょうか。不思議です。 鈴木様のコメントを読ませていただきながら、自分は、今の自分はどのような立ち位置(例えば資本主義社会におけるヒエラルキーの中での立ち位置など)でこの詩を書いたのだろうかということを考えていました。 管理する側、される側、共通する人間の葛藤。コメントが詩だと強く感じ入りました。 ほんとうにありがとうございます。 (Tender)

2018-09-26

るるりら様 一本締め!ありがとうございます! 恐縮です。 「きもちがよい」と言っていただき嬉しかったです。ありがとうございます。 (てのひらに優しさが開かれる)

2018-09-26

>>「しんとした」、「無表情な」 とあり、 >>「民家のガレージから 坂の上の陽炎の向こうから」 と続きます。 「民家のガレージ」、「坂の上の陽炎の向こう」の様子については具体的に表されていませんが、さきの表現から.切り取りたいことの方向性が予測出来ます。 私などは、どんな「民家のガレージ」なのか、どんな「坂の上の陽炎の向こう」なのかを書いてしまうので、さり気ないけれど、無駄がなくて美しいなと感じました。 静と動、実在と架空(のようなもの)の対比が美しい詩です。 この詩において、「『傷んだトマト』」は、落ちたときにはじめて実在することになるのではないかと思われました。しかしこの詩の中ではまだ落ちない。大分類するのであれば、「嘘みたいな風景」に含まれるのかも知れない。そこには当然(?)一連目で描かれて来た場面が入って来る。 「『傷んだトマト』」は、静と動、実在と架空(のようなもの)の間に存在するもののよう。揺らぎや揺れを生み出している。 この揺らぎや揺れがあることで、その後の「ママ!あのね!」と話しかける子どもの動性や実在性が映えるのではないかと思われました。 素晴らしい詩です。 ありがとうございました。 (自転車を押す坂道にて)

2018-08-26

三浦⌘∂admin∂⌘果実 さま コメントをくださりありがとうございます。 三浦さんからのコメントに触れると、多く闘うことへの気持ちを思い出します。ありがとうございます。 丁寧にコメントを書いてくださり恐縮です。 次回作の行方はわかりません。 今作の終盤に「出口」を辛うじて見ていただけたこと、嬉しか思います。 あきらめた後の欲と無縁のなにかに美しさを感じてしまいます。 (てのひらに優しさが開かれる)

2018-08-20

仲程さま コメントをくださりありがとうございます。 最終連に対してのコメント、ありがくよませていただきました。 以前他の方にもご指摘いただいたのですが、私の詩には多く飛躍(?)や場面転換があり、その際に読者をどこまで連れて行けるかという点において考えてゆかなければならない部分がございます。 今回もおかげさまで考えることができます。ありがとうございます。 もしかしたら、詩作時に「れいせい」がもう少しあってもよいのかも知れません。 (てのひらに優しさが開かれる)

2018-08-20

stereotype2085さま コメントをくださりましてありがとうございます。 争いに拳を握るイメージがあり、ただ開くだけでは何かが足らず今回のタイトルとなりました。 今後も勉強してゆきたいです。 ありがとうございます。 (てのひらに優しさが開かれる)

2018-08-20

ふじりゅうさま コメントをくださりありがとうございます。 5連目の件、嬉しく読ませていただきました。 これからも精進いたします。 (てのひらに優しさが開かれる)

2018-08-20

5or6(ゴロちゃん。) さま コメントをくださりありがとうございます。賞まで! 生活の中で、はじめのワードが頭の中に浮かんで来ました。そこから書き始めて終わりまで駆け抜けた作品なので嬉しいです。 ありがとうございます。 (てのひらに優しさが開かれる)

2018-08-20

さ様 ありがとうございます めっちゃいいとかおっしゃっていただけて、励みになります 温度が届くということの喜びをかみしめています ありがとうございます (まきびし平らげた)

2018-05-31

IHクッキングヒーター(2.5kW)さま ありがとうございます 矛盾の話に絡むかはわかりませんが、許す許されるの曖昧さもまた人間の良くも悪くもいい加減さに由来するのかなと考えさせられました (まきびし平らげた)

2018-05-31

花緒さん ありがとうございます お言葉を受けて、リーディングしたいと強く思いました ありがとうございます (まきびし平らげた)

2018-05-31

かるべまさひろ様 ありがとうございます どうやら今作のコメント期限は本日までのようです 僕ののろさや諸々の理由から返詩にたいしての誠実なお返事が間に合わず申し訳ない思いです ですが、いただいた詩をこのあとしっかりと読ませていただきます ありがとうございます (まきびし平らげた)

2018-05-31

百均さん ありがとうございます いつからか、大人の方がおっしゃる最期の言葉に心のどこかになぜかなにかが引っかかる感覚を持つようになりました フックというやつでしょうか ご覧くださりいつもありがとうございます (どっこも行かんといて)

2018-05-31

かるべまさひろ様 コメントをくださりありがとうございます これまでに何度もなぜか思い出される瞬間の記憶でした ご覧くださり、感じてくださり、嬉しいです ありがとうございます (どっこも行かんといて)

2018-05-31

まりもさん ありがとうございます。 滞留時間、なるほどと思わされました。やわらかさなどを意識することが多かったのですが、滞留時間という観点では見られていませんでした。いつも気づきを与えてくださりありがとうございます。 最期にしか終われないという主旨のお言葉に考えさせられていました。 なぜならみな、苦しみや悲しみからは逃れたい、解放されたいと願うからです。本作のテーマに向かう僕もまた等しく。 人生にただ一度しか打てないものがあり、反して何度も打てるものがある。文章であれば、それらが複数回に及ぶほどに冗長な文となる。人生はどうでしょうか。「。」は一度だけと知りながら乗り越えようと足掻くための「、」。なんて愛おしいのでしょうか。 (「、」も「。」も打てずにいるのに)

2018-04-30

百均さん ご覧くださり、ありがとうございます。 自作ながら、なぜ重いテーマの本作に、やわらかさを出すための言葉を使ったのかということを想っています。 そういう意味では、このテーマに対しての僕の「、」も「。」もまだ打てていないのだなとやはり思わされました。 (「、」も「。」も打てずにいるのに)

2018-04-30

沼尾奎介さま ありがとうございます。 ご覧下さって嬉しいです。 僕の好きな方は、いつも少数派のことを思っていて、人知れず影にいる人を描いています。僕はそんな風になれないかも知れませんがなってみたいと望んでしまいます。 (離散したせかいに千切れるよ笑って)

2018-04-29

エイクピアさま ありがとうございます。お姉さまのエピソードをうかがえてありがたいです。 いつか僕もリトライすることがあるのかなと初めて考えられたからです。 詩をご覧下さりありがとうございます。 (離散したせかいに千切れるよ笑って)

2018-04-29

IHクッキングヒーター(2.5kW) さま コメントありがとうございます。 多くの作品ではそのように現実の提示があり、「でも」という資本主義、物質主義的な価値観からなんとか抜け出ようとする足掻きのようなものを感じます。 〜である。でも〜。 生きていく以上、これを続けていくだけなのかもしれません。尊いのかもしれません。 (離散したせかいに千切れるよ笑って)

2018-04-29

三浦さん 断絶を作品に出来る人、いやそうではなくて断絶を詩にしなければならない人ではないでしょうか。 せざるを得ないことをただしている。息が苦しいから呼吸している。そこにはより良い呼吸の仕方などはなくて、必要にかられてしている。 詩をやめられない気がするのはそんなところからでしょうか。やめたらどうなるんでしょうか。 詩は憎らしい愛おしい存在です。自分みたいです。 わけわからなくてすみません。 (離散したせかいに千切れるよ笑って)

2018-04-29

まりもさん コメントをくださりありがとうございます。 >>「生まれ直してみたいという願望の先にあるのは、自らの経験や記憶以外に頼るものがない、という未知の恐ろしさなのではないかと思いました。」 「未知の恐ろしさ」、なるほど。とてもわかる気がします。生まれ直してみたい→過去をたどる→それだけでは埋められない、でも他に頼るものもない。そういう怖さを想うことがあります。 立ち上がりの硬さについて読み返してみました。 >>「観念や概念を、もう少し手触りのあるイメージで言い直してみる、なんていう方法を試してみるのも良いかもしれません。」 ありがとうございます。 手触り(あるいは温度感も含まれるのかも知れません)が少ない作品だったので、地球さんも「こわいばしょ」とおっしゃられたのかも知れません。過去に戻ることを描くためには、ここではどうしても生きた感と言いますか、現実感が不必要でした。 アドバイスを参考に今後どうバランスをとっていくのかも含めて再考していきたいです。ありがとうございます。 (薄い、それでも、膜。けれど、とても、薄い。薄い。)

2018-03-22

地球さん こんにちは。コメントありがとうございます。 >>「この海には誰もいないし、なんのいきものの気配も感じないし、 たとえるなら、人類が滅びたあとの海とかどこか別の惑星の海とか、そういうすごく遠く遠くから見てるみたいで気持ちよかったので、すきです。 もっと言い方をかえたら、物理的な場所でなく精神的なイメージとしての海そのものに詩の力を借りてたどり着いたようでした。」 ありがとうございます。 精神世界を感じていただけて嬉しいです。生まれも育ちも実際にはあるし、あったんですが、ある視点から見れば、物理的には存在しないものとも言えるのかも知れません。 >>「個人的にはしずかにひたひたと内面に迫ってくるような詩やリーディングのほうがむしろ逆説的な迫力があって鬼気迫ってこわくて、すきです。」 ありがとうございます。僕らは時々、相手の発言などを受けて「(相手が)何を考えているかわからないから怖い」という体験をしますね。 リーディングでもそれは言えるのかも知れません。説明性や主張性が弱いことは、それだけこちらを取り込む事でもあるのかも知れないからです。 勉強させていただきました。ありがとうございました。 (薄い、それでも、膜。けれど、とても、薄い。薄い。)

2018-03-22

百均さん コメントをくださりありがとうございます。 >>「ここでは死とは干からびていくのか、ということであり、その上に水が流れることが生まれることなのだ、と書いてあるように思われました。」 干からびた上に水が流れることが生まれること、という文章を見て、なんと美しい文章なのだろうと感じました。 読んで下さりありがとうございます。 (朝は歌う)

2018-03-22

まりもさん コメントを下さりありがとうございます。 >>「痛みそのものが生き物として擬人化されている感覚も覚えます。」 ありがとうございます。書き手に狙いがなくても、発生するものがあるのだということを知ることが出来ました。 「借景」という言葉も、改めて辞書で引き勉強になりました。 >>「シルエット=黒い影、ですから、暗い、と重ねる必要がある、のか・・・。とは思いました。」 おっしゃる通りで、勉強になりました。推敲が必要でした。ありがとうございます。 >>「映像から考えると、むしろ、人の形に黒く抜けた引き戸のガラスの向こう側で、粉雪が舞っている、のではないでしょうか。黒いシルエット以外の部分は、室内の明りを反射している、わけです。人の形に空いた黒い穴、そこで、粉雪が踊っている・・・景を想起しました。」 こちらもおっしゃる通りです。きっちりと写実すれば浮かぶものがあると考えていたのにも関わらず、正確性を欠いておりました。まりもさんの文章を読んで、美しいなと感じました。 >>「自分の声が、他人の物のように、あとから、遅れて聞こえて来る、という体感。気づく、と説明的に済ませてしまうと、この体感そのものが置き去りにされてしまうようで、もったいない気もします。」 勉強勉強で自分の不足を感じるばかりですが、ほんとうにいつも勉強させていただいております。詩に還元できるように精進致します。 体感や感覚は私の詩にとって重要なものなので、それを表現する技術や正確性を高めていきたいと思いました。ありがとうございます。 タイトルは、「朝が歌う」のか「朝に歌うのか」とかなり悩みました。悩む中で一字が持つ意味について考えさせられ、学びの機会を得ました。 朝がなにかするのでもなく、朝に誰かが何かをするのでもない。朝は「こういうもん」というような朝が持つポジティブな独自性に目を向けたかったのかも知れません。 朝にこの詩を書いていたら、同じタイトルにはならなかったかも知れません。 コメント、ありがとうございました。 (朝は歌う)

2018-03-22

さいごの6行が重くて惹かれました。 実際に脱げていたのか、比喩なのか。考えていました。 最後の日付には、非常に重い意味がありそうだと思われました。 余談ですが、人間、結構「やばい」時ってなぜか笑いが出てきたりしませんか?そんなことを思い出しました。 タイトルが好きです。 思わず、「相対化なんてするな!」と叫びそうになりました。 これまた余談かも知れませんが、今の時代、「自分が~と感じる」ということがもっともっと尊重されてもいいのかも知れないなと思いました。 (相対化する高校生の欠片)

2018-02-03

>>「賀正の青い空にすくっと立つしろい煙のように」 祝いどきに、(対比的に)亡くなられた方が空にのぼっていく様子を表現されているのかなということを考えていました。対比的と自らで書きつつも、どこか清々しい冷たい風が吹く日中の様子にも受け取れたから不思議でした。 >>「いまここひとりで年始のことばに代えて書く、詩」 この言葉に覚悟のような想いが垣間見えて素敵だなと感じました。 ご自身のお名前が出てくるところがとても格好良かったです。 (元旦)

2018-01-29

「私」が20歳で死んで、一緒に燃やされているのかなという読みを初めにしました。実際は、少女の卒業がテーマなのかなと思ったりもしていました。 「まりちゃん」は燃えたではなく、「燃えている」という表現の意味を探っていました。まだ突き止められていません。なぜ燃えたではなく「今でも〜燃えている」なのか。 楽しく読ませていただきました。ありがとうございます。 (まりちゃん)

2018-01-29

初めまして。 作品の中で、「親父」の死についての言葉が二度出て来ますね。 「疎遠」であるから平気(?)というニュアンスで語られているように受け取りましたが、「けれども」という「私」の中の白黒ではない想いが感じられて来ました。 詩の展開、タイトルの由来。読み進めながら、由来と思われるものが明かされるまでの距離感がちょうどいいなぁと感じました。 (抱かれると喋る女)

2018-01-29

あめりさま 申し訳ないです。誤字が多くございました。大変失礼いたしました。 黄金と昏い草の対比が効いていて、一体化が何を指すのかは理解しきれませんでしたが、何かどちらも切実に必要なものではないかと思われました。 日常の覚醒とその逆のものへの行き来を素晴らしい形で描いておられると感じていました。何度もすみません。素晴らしい作品だと思います。 このように書きたかったです。失礼いたしました。 (覚醒までのスケッチ)

2018-01-28

survofさま コメントをくださりましてありがとうございます。 >>「だけども、その直前「寄せるとき、砂だけが海に向かってさらわれていくのが美しかった」の1行は個人的にはこの詩のなかで一番美しく、深みがあるな、と感じた部分でもあります。」 ありがとうございます。こちらの箇所は、確かに当時自らの中で深く感じていたことを覚えております。ですからそのようにおっしゃっていただけて、とても幸せです。 >>「その次の行の「一緒に連れて行って欲しかった」という感情をその一文がすでに内包しているようにも感じられたからでもあり、その情景を思い出した時のちょっとひやっとする感覚を思い出したからでもあります。」 なるほど!と思っておりました。元来、詩ではなく人様とやりとりする際の言葉というものに対しては、誰に伝えてもただ一つの意味だけを正しく伝えるものとなるようにと考えているところがあります。そういった願いと言いますか、人と切実にわかりあいたい(あるいは傷つけ合いたくない)という想いが、詩作にも影響しているのかも知れないということを考えました。大変勉強になります。ありがとうございます。 >>「「彼女」から「僕」に向けられた視線を、受動態ではなくもう少し客観的な位置から描く方法もあったのかもしれない」 そうですね。 客観性は私の詩にもう少し与えていってもいいのかも知れません。ちょうど最近はそのことをよく考えておりましたので実践していきたいと思います。ありがとうございます。 「ビタースイート」からの表現、大変嬉しいお言葉でした。ありがとうございます。非常に勉強になりました。 まりもさま コメントをくださりありがとうございます。 褒めてくださりありがとうございます。 おっしゃる通りで、これからはもう少しエッセイにならないように意識して取り組んで行きたいと思いました。ありがとうございます。驚きをもって引き込んでみたいと思ったのでチャレンジしたいです! 不思議な話かも知れませんが、良くないことなのかも知れないのですが、本当のことを書かせていただくと、実は書いている途中から自分の存在が変わった感覚がありました。それは、人間だった自分が海自体になったような感覚でした。ですから、心はむしろ平穏でした。詩という作品においてはこういう移行(?)は良くないのかも知れませんがなぜか起こってしまいました。 「青いひ」はなぜかこの表記でしかありえないという強い感覚がありました。理由より感覚が強かったので従いました。 いつも本当にありがとうございます。 あめりさま はじめまして。よろしくお願いいたします。 素敵なコメントをくださりありがとうございます。はっとさせられました。 規則性に苦しみながら規則性に救われているということ、おっしゃる通りです。 私の作品に海がなぜが多く出てくるのですが、海の、波が必ず返ってくるということに強く惹かれるのです。とても安心します。 深層心理で重心はあったのだと思います。 ありがとうございます。 深くキャッチしていただけて幸せです。 fiorinaさま コメントをくださりありがとうございます。背中を押されたような感覚で応援いただけたようで嬉しく読んでおりました。ありがとうございます。 無意識で感じていた苦しみの存在について、本コメントを通して気づかされました。救われます。ありがとうございます。 (「夢に見た」、そう言ってでも会えたことにしたかった)

2018-01-28

素晴らしいという意味で、本作に衝撃を受けました。詩とは何か、わたしの作品は詩かと自問していたときに本作に出逢い、これが詩だと理論や理屈ではなく感覚で理解しました。素晴らしい作品です。読ませていただいたことは、幸運でした。 まず、「わたし」は、どこに居るのだろうということから考え始めました。 最終的に、キッチンに居るのではないかと行き着きました。現実のキッチンから、イメージ世界に行って帰って来たのではないかと仮説を立てて読ませていただきました。 半覚醒の中、微かに水道の流れる水を感じ、そこに静けさを感じている。そこからイメージ世界に深く入っていく。 何ものかに〜叫びばかりの箇所は具体的にはキャッチ出来ませんでしたが、日常にあるどうしようもないことへの想いは感じ取っていました。 黄金と昏い草のの対比が効いていて、一体化が何を指すから理解しきれませんでしたが、何かどちらも切実に必要なものではないかと思われました。 日常の覚醒とその逆ものへの行き来を素晴らしい形で描いておられると感じていました。何度もすみません。素晴らしい作品だと思います。 (覚醒までのスケッチ)

2018-01-28

まりもさん コメントを下さり、詩をご覧下さりましてありがとうございます。 「誰も見つけたくないな」ということを思った際に、 「闇を照らす光、それ実はサーチライト」 という言葉が浮かんで来ました。 ありがとうございます。 (暗夜こうかい、灯光)

2018-01-28

survofさま コメントを下さりありがとうございます。 追記までいただいて、そのご丁寧さとお気遣いに感謝しております。 改めてありがとうございます。 >>「ここでいう技巧とは、その文章を読み手が自分の話として読めるかどうか、かなと思いました。どれだけ自分や自分の経験を投影できるか、ということだと思います。」 この部分、大変勉強になりました。常日頃そういったことを考えつつも、整理して言語化するころが出来ていなかったので、ありがたいなーと感じています。 改めて読み返してみると、「「「一緒に連れて行って欲しかった」って言ったら、笑われたっけ」」の箇所に、特に自己陶酔的なものを発している可能性があるのではないかと考えました。自らが自己陶酔的なものを感じていて、それを表現したかったのかどうかではなく、「何が陶酔的なものを発していたのか」が気になります。人様からのお言葉をいただいた瞬間から、自作が別物に見えるので嬉しく、楽しい気持ちです(公開した時点から別物になるのかも知れません)。 何が陶酔的なものを発していたのかという点については、大変興味深いなと、知りたいなと感じています。 そのうえで、では他の書き方をするとすればどうするのかということも考えていました。 今思うことは、主観を抜くということでしょうか。「私が~する」という書き方ではなく、情景描写にとどめていたら、どんな印象が生まれたかなと考えています。 すみません。あれこれ書いてしまいました。 おかげさまで、自作を楽しくふり返らせていただくことが出来ました。 ほんとうにありがとうございました。 クヮン (「夢に見た」、そう言ってでも会えたことにしたかった)

2018-01-25

百均さん ありがとうございます。 規則的なものがなんであるのか。なぜ末尾にそれを用いたのか。 もう一方の作品にいただいたコメントへのお返事もそうでしたが、他人事な感じでその背景を探ったりしていて、自分でも不思議です。 作者が答えをにぎっているということがあるのだとしたら、今の私にはなぜかそれを知らない一人のクイズ解答者のような気持ちさえあり、いただいたコメントから新たに自作を読むこと、見つめること、それらの楽しさを教わっています。 ありがとうございます。 クヮン (「夢に見た」、そう言ってでも会えたことにしたかった)

2018-01-24

百均さん コメントをくださりありがとうございます。 百均さんのコメントを拝見していると、言葉に価値を与えるのはやはりその方自身なのだなぁということを改めて感じます。 「自分には言葉を重くも軽くも出来る可能性が与えられているのだ」ということを改めて意識しました。これからもそんなことを考えながら詩を書いていきたいなと思いました。 「暗夜こうかい、灯光」は、きっと色々あった人間の詩だと思うので、その過程で養われた瞳で、本来は誰のことも見つけて欲しくないなと、作品をはたから見て思っていました。自作なのに他人事のような語り方をしています(^^;) 誰かを照らすということがもしもあるのだとしたら、それは、誰かの痛みを見つけるということなのでしょうか。知っているという事実でしょうか。 どうして人は人を見つけるのでしょう。どうして出逢えたのでしょう。そんなことをあれこれ思っていました。 ありがとうございました。 (暗夜こうかい、灯光)

2018-01-24

くつずり ゆう様 初めまして!ご覧いただけた上にお言葉までいただけて幸いです。 ありがとうございます。熱や手触りを感じていただけたとのことで嬉しく思っております。 本当にありがとうございます! (暗夜こうかい、灯光)

2018-01-23

三浦さん コメントをくださりありがとうございます。 「読むに堪えない」の件、ご縁があれば、その方や同じ考え方を持つ方といつかお話ししたいなーなんてことを考えていました。 ご指摘のイージーさや推敲不足等についても、おっしゃる通りと思います。それでも私は、どうしても詩を書かざるを得ません。 素敵な掲示板への参加の機会をくださり、ありがとうございます。 (「夢に見た」、そう言ってでも会えたことにしたかった)

2018-01-22

百均さん お返事が遅くなってすみません。 自作は、やはりすべて大事ではあるのですが、本作は特に思い出深い作品です。ありがとうございます。 (夏草が撫でる鼻に泣いただけ)

2018-01-20

まりもさん ありがとうございます。作品内のわたしに伝えてあげたいです。欲しがった名前はずっとそこにあったのだと。 先ほどまりもさんのブログを拝読しました。詩とはという主旨への文章から多く学ばせていただきました。 精進します。 (声だけの無名、酷い酷いにおい)

2017-12-13

kaz.さま コメントをくださりありがとうございます。 おっしゃる通りで好みの分かれる作品をずっともう長く書いているのかも知れません。一時そこを離れようとも思案し試しましたが難しい問題でした。 読んでいただけて嬉しいです。 ありがとうございます。 (声だけの無名、酷い酷いにおい)

2017-12-13

三浦さん コメントをくださりありがとうございます 三浦さん、三浦さんのおっしゃる通りですと反射的に言いかけて立ち止まりました 自分の詩をどう改善し肯定するのかということはとても難しい問題ですね 三浦さんがおっしゃった言葉をどうさせていただいたらいいだろうかと悩んでいます 簡単にこの詩を変えてしまえるのかも知れずでもそれでいいのかと悩んでいます 三浦さんとても難しいですね ただ、衝動だけでなく作為があったのは紛れもありません なんのためにコントロールしたかは僕なりに大切な理由がありましたが、それは読者さまの知ることではないのかも知れません そうなると、やっぱり難しくて今はちょっと立ったままでいます 考えます ありがとうございます (声だけの無名、酷い酷いにおい)

2017-12-13

hyakkinnさん ありがとうございます。リーディングをしていてよかったと、思いました。嬉しいです。 この詩を書き始める少し前に、鈍重とか約束とか定型という言葉の意味や音が心の中で鳴り止みませんでした。とくに鈍重は苦しいほどに響きなっていて、詩にするしかありませんでした。詩にするしか、ありませんでした。 都市の日常が一定の約束の中に成り立つということを受けて、改めてはっとさせられました。素晴らしい言葉でした。ありがとうございます。 効果として仕掛けとして言葉を繰り返したかったというよりは、すでにそういうものだったという感覚があります。 漢字で二文字の言葉が浮かんだ時から、はじめから繰り返すことが決まっていたような感覚で詩を書いていました。 (延命救命)

2017-12-12

まりもさん いつもありがとうございます。 こんなにたくさん!と、特にいいと思っていただけた箇所が多くとても嬉しいです。ありがとうございます。 心の中で言葉が鳴るということがよくあります。詩を書いていてもよんでいてもよく鳴ります。 ありがとうございます。 (夏草が撫でる鼻に泣いただけ)

2017-12-12

沙一さま コメントをくださりましてありがとうございます。 一滴に感じていただけるものがあったとのことで大変嬉しいです。 なんにもならない変化で、でも変化で、だからどうなるのかと、そんなことを日々見つけては自問し価値を与えるのは自らなのだとそんなことを考え生きております。 ありがとうございます。 (夏草が撫でる鼻に泣いただけ)

2017-12-12

アラメルモさま コメントをくださりまして、ありがとうございます。 最後の箇所についてのご意見ありがとうございます。 改めて読み返し、該当箇所の前後でかなり変わっているんだなと感じました。 読者さまにどのように伝わるのかという点においてこうしてうかがうことでしか知り得ないことがあり、非常にありがたい思いです。ありがとうございます。 (夏草が撫でる鼻に泣いただけ)

2017-12-12

三浦さん こんばんは。コメントを下さりありがとうございます。 最後の「消えて」が一滴にも感じれるし、「作られた儚さ」でなく、生々しい儚さを先に感じていたので、逆に「消えて」が感情移入を覚ましてしまった感があります。 この箇所大変勉強になりました。ありがとうございます。 どう締めるかってとても大切で難しいですよね。 (夏草が撫でる鼻に泣いただけ)

2017-12-12

hyakkinnさん  >>「涙を流すという事は知るという事だと思いました。」 コメントをくださりありがとうございます。 なるほどと思いました。僕は知るために詩を書いていることも多くあるのかもしれません。 お気持ちの込められたコメントが嬉しかったです。 ほんとうにありがとうございます。 (ぶち切られるために生きてる)

2017-12-08

まりも様 おはようございます。 コメントをくださり、ありがとうございます。 名前のない感情を言語化したい衝動にかられて、ものを書くということがあります。ですが届かず、「それではないもの」と便宜上言うしかない地点で、叫んでいるような気持ちです。 話が逸れてしまいすが、自作が詩でなくてもいい、であればその名をなんとするのかという想いが作品に潜在的に込められていったのかも知れません。 これを書くときにそのことを考えてはいませんでしたが、生きる苦しみの中には確かにあったのだろうと思っています。 ありがとうございます。 (延命救命)

2017-12-01

イチゴミルク様 おはようございます。コメントをくださりありがとうございます。 >>「張り裂けんばかりの心の絶叫の中にあって、 きちんと自分と向き合っているどこか切なさ」 とても嬉しく読ませていただきました。 書くしかないものを書いているので、その強度と必然性を受け取ってくださっていたとしたらとても幸せであると感じました。 ありがとうございます。 (延命救命)

2017-12-01

李さま コメントをくださり、ありがとうございます。 同じ言葉を繰り返すことについて、確かに、私は「定型」も「約束」も強めたかったのだと思います。 人を追い詰めるのに、人を生かしもするそれらが嫌いで、同時に愛しいのかも知れません。 死に近いときにリビドーを感じます。そんな感覚もあったのかも知れません。 ありがとうございます。 (延命救命)

2017-12-01

ふじりゅう様 ありがとうございます。 どんな作品が詩であるのかという点について、考え続けていた日々でしたので、コメントをありがたく読ませていただきました。 恐らく、いわゆる詩というものとは違うものを書いているかも知れないのですが、生きていくうえで感じられるものは言語化したいと願っております。 ありがとうございます。 (延命救命)

2017-12-01

survofさま コメントをくださりありがとうございます。最後の締めくくりにおっしゃていただいた言葉が特に勉強になりました。 詩らしい詩と言ったら変かもしれませんが、そういった作品を書いてみたいと思います。 ありがとうございます。一気に読まされたと言っていただいて嬉しかったです。 (ぶち切られるために生きてる)

2017-11-23

作品を読み終えると、波が行き来している風景を遠くから眺めている人のイメージが浮かびました。波は穏やかで、数秒のシーンをえいえんにループして再生している映像を見ているような感覚さえします。 直接詩作品とは関係がないのかも知れませんが、初読時から前述のイメージがすっと入り込んで来て、それが未だに流れている事実をどうしても書いておきたかったです。 >>「ごぼごぼ・・・ごぼごぼ・・・」という表記に言い難い怖さを感じました。そしてそれはとても大事な感覚なようで、怖くても何故か見つめ続けていたいと思われました。 >>「小さく息を吐いて 父の呼吸が止まる あわただしく 訪問 介護の医療チームに連絡を取る 空白の時間 夜陰が押し寄 せてくる 闇をかきわけるように 私の身体が自ずから動き 父に 呼気を 吹きこんでいた」 こちらの冒頭の表現が素晴らしく(私が言うのも恐縮ですが)、この詩を読もう、読みたいと決定づけさせる衝撃を受けました。特に、「夜陰」が押し寄せてからの一瞬の暗転と言いますか、間が入れられた(と感じられる箇所の)後に、「呼気を 吹き込んでいた」という半ば自動的なからだの動きを感じさせる表現が素晴らしいと思いました。 さいごに作品全体の形についてですが、PCで見ていると、一枚の波の壁と言いますか、水量の多さやその重さを感じました。 勉強になりました。 ありがとうございます。 (海)

2017-11-18

まりもさん コメントを下さり、ありがとうございます。 まりもさんのコメントに対して、僕を導いてくださっている様な何かを感じてしまっています。お恥ずかしながら自分は自意識が強い人間なので、その真偽どうこうようりも、既にお力をいただいていること、このことをお伝えしたうえで感謝したい想いです。いつもありがとうございます。 >>「聞き手が、ふっと気を緩めて、クスリ、と笑うような場面があってもいいですよね。」 この箇所へのお言葉をくださりありがとうございます。 たぶん、自分の詩は(つい3日程前まで詩だと考えていたものは)、「不規則な波のように訪れる冷静さ」と「勢い(熱情)」だけを頼りにして来たものだったのかも知れません。ですから、正直なところをお伝えすると、ユーモアが浮かぶ余裕はまったくありませんでした。目指し始めたばかりの、今「これが詩ではないか」と考えているものを追い続けて行けば、自己研鑽のその先でたどり着けるのでしょうか。少なくとも、とおいとおい境地であると憧れています。そして、今改めて、まりもさんを含めた先輩方を尊敬しております。詩を書く方はほんとうにすごいです。 「やらかい」のところはご指摘の通りです。大阪の言葉なのかもわかっていません。選択肢として「やわらかい」は頭にありましたが、初めから、選択するつもりはありませんでした。 >>「最終行の〈知れなかった〉は、知ることができなかった、の意味でしょうか?」 こちらの意味はおっしゃる通りです。 初めは「知ることが~」と書いたのですが、その後にら抜き言葉を選択しました。 ありがとうございました。 (ぶち切られるために生きてる)

2017-11-18

まりもさん お返事遅くなってすみません。 コメントありがとうございます。 スポンジについてこんなに考えたことは初めてです。 「あーもしかしてこれが詩を書くということに関係する思考方法なのかも知れない。」と、今になってわかるような感覚があります。ありがとうございます。とても勉強になります。 きっといい詩を書きます。 精進します。 (一歩前へ(未完))

2017-11-18

まりもさん こんばんは。コメントをくださり、ありがとうございます。 一般的に、タイトルに(未完)と書くことは読者様にただひとつの唯一の解釈を強いることになるでしょうか?それであれば、僕はやはり配慮不足だったなぁと、あるいは頑固だったなぁと考えております。 コメントのおかげで考えられました。いつも本当にありがとうございます。 朝、ちゃんと準備をして、死にたくてもちゃんと準備をして、それで「いや、結局ちゃんと行くんですよ?ちゃんと行きますから」と心で唱えて自らに言いつつ、家を出て、それでも無意識にからだを預けてしまおうとした瞬間があって、そのことを振り返っておりました。 (一歩前へ(未完))

2017-09-14

三浦さん こんばんは。 コメントをくださりありがとうございます。 「ヒエラルキー化した世界への反骨」、そのように伝わっていたのだなぁと楽しく読ませていただきました。ありがとうございます。 いつもとなんか違うという感覚的な感想を伝えていただけるということ、僕はありがたいなぁと思います。 あさ、ちゃんと仕事には行くんですけど、 交差点で、 ちょっと死にたくなることがありました。 (一歩前へ(未完))

2017-09-14

花緒さん こんばんは。 いつもコメントをくださり、ありがとうございます。 おもしろい形式のコメントで楽しく読ませていただきました。 「巧み」と言っていただき嬉しかったです。 すごく面白かったかどうかという観点は忘れないようにしたいなと思いました。 ありがとうございます。 (一歩前へ(未完))

2017-09-14

survofさま コメントをくださりありがとうございます。 「一気に読まされた」というお言葉がとても嬉しかったです。 愚痴っぽさが魅力と言ってくださり、ありがとうございます。 「おめでとう」が届いてよかったです。 ありがとうございます。 (初めて覚えた言葉が最期の言葉になるのなら、言葉なんかいったい何になるのとあなたが言ったから)

2017-09-04

sonetiraさま コメントをくださりありがとうございます。 「音ではなく言葉」と受け取ってくださり、とても嬉しいです。 ちっぽけさや無情のようなものを受け取っていただけていたのだとしたら幸いです。 ありがとうございます。 (初めて覚えた言葉が最期の言葉になるのなら、言葉なんかいったい何になるのとあなたが言ったから)

2017-09-02

ユーカラさん コメントをくださりありがとうございます。 ユーカラさんは、かかしをご覧になられてそのように感じられたのですね。 タイトルについてもそのように受け取っていただけたとのことで、こうして詩にコメントをいただくことで、どのように届いているのかがわかるのでとてもありがたいです。ありがとうございます。 読み手の方が受け取られたものがすべてと私は思います。ユーカラさんの中にある美しさ、さみしさの情景と本作が繋がれたこと、嬉しく思います。 (初めて覚えた言葉が最期の言葉になるのなら、言葉なんかいったい何になるのとあなたが言ったから)

2017-09-02

花緒さま おはようございます。今回も私の詩をご覧下さりましてありがとうございます。 良いと感じていただけたところをお伝えくださり、ありがとうございます。嬉しいです。 >>「もっと詩情があれば」 こちらについてはお返し出来る言葉もないです。読み手の方のおっしゃる通りです。 狂気のままと言いますか、疾走と言いますか、そういう類の感覚で筆を進めるとき、どこかで冷静な自らをある程度保ちつつ書くのですが、その配分がとても難しいなと最近は感じております。 「何か足りない」ということですよね。ありがとうございます。もっと勉強してゆきたいと思います。 (初めて覚えた言葉が最期の言葉になるのなら、言葉なんかいったい何になるのとあなたが言ったから)

2017-09-02

りさん 素敵なお言葉をかけてくださり、こちらこそありがとうございます。 個人的には、詩作には深層心理と向き合う働きがあるなと感じております。 例えば電車に乗っていても、「はねむし」とか「とうめい」とか言葉が突然飛び込んでくることがあります。その意味を理由を探す為に心に潜ろうとするのですが、簡単にはいきません。けれど、その言葉に関連することを書こうとすると(例えば私がその言葉に持つイメージなど)、なんだかなぜだか詩が始まる感覚があり気がつくと突き抜けているというか走り抜けるということが多くありました。 すみません。話が逸れてしまいました。 深層心理と詩の関係ということが言いたいのでした。 ありがとうございます。 (マックシェイク飲む、いつも。)

2017-09-01

まりもさん こんばんは。 運営をして下さる皆様のおかげで多くのことを学ばせていただいております。 いつも本当にありがとうございます。 >>「でも、それだからこそ、できるだけたくさんの、多くの「他者」によって、多方面、多彩な方向から光を与えてもらいたいし、その無数の蓄積によって、なんとなく「外側」から眺めたクリスタルの全体を、思い描くことができるようになる、のではないか・・・」 この箇所から、人と繋がることの意味やその尊さを改めて知らされました。希望し続けることも悪くないなとそんなことを考えました。 ありがとうございます。 もがいてもがいて、最後には「良かったな」と言って命を終えたいです。 (よごした海、しぶきあげて海)

2017-09-01

消耗と引き換えのつよさと知りながら進む在り方について想像しました。それでも、この在り方で進むしかないのだと思われました。 確かにとてもつよいけれど、そこにはどうにもし難いかなしみがあるようにも感じられました。 生きる屍とは逆の、しかし活きるために確実に大切な何かをも消耗するかなしみと言いますか、そんなものを感じました。他人事とも思えない気持ちです。 刹那的な美しさも感じますが、やはりかなしみが強くて、個人的にはとても好きな詩です。 たとえば、喜怒哀楽の怒りを描くために、怒りを描くのではなく、喜びを描いて描くことで、より伝わる怒りがあるということ。そんなことを考えました。 (マックシェイク飲む、いつも。)

2017-08-29

HAneda kyouさま ご覧くださり、その上コメントまでくださり、ありがとうございます。 後ほど読ませていただけたらと思います。ありがとうございます。 (苦しさで、悲しみギュウギュウに詰めた壊れた)

2017-08-25

三浦さん コメントをくださりありがとうございます。 コメントの最期の箇所でおっしゃられていた言葉が印象深いです。読後少し時間が経ちましたが、今はまだ心の中で反響しています。そしてそれがいい意味で少し痛いです。 三浦さん、世界の悲しみを悲しみとして描けば、あとは勝手にその外の希望の線が浮かび上がると考えていました。 さいごの締め方は、諦めと取られて当然と考えます。私としては、その悲しさも含めて本当のこととして浮かび上がればいいと考えましたが、そう書きながら真実半分、嘘というか強がりというか頑固さのようなものが半分と感じております。 この先、どこへ向かうべきかまた考えて行きます。 いつもありがとうございます。 (苦しさで、悲しみギュウギュウに詰めた壊れた)

2017-08-24

sonetiraさま コメントありがとうございます。 「環境」の件、個人的に思うところがあり、本作を通してそのように感じていただけたことも、私があなた様の詩に感じたことも関係が深いと考えております。 嘘を書かず、明る過ぎず前向き過ぎない在り方とでも言うのでしょうか。そんな在り方を形にするような詩を書き続けてゆけたら幸いと考えております。 「自然」と言っていただけて嬉しいです。 ご覧いただき、ありがとうございます。 (苦しさで、悲しみギュウギュウに詰めた壊れた)

2017-08-24

はじめまして。 初見時から気になっておりましたのでコメントをさせていただきました。 まず端的に申し上げると、個人的にとても好きな作品です。 中身についてですが、 >>「おぼえてない母」 >>「母は無効 赤い旗 の向こう」 という箇所に目がゆきます。 >>「鬼がつけた手形」 そして、「おぼえてない」という言葉。 「鬼」とは「母」だったのだろうかと考えております。 >>「左手首の傷」 からは、リストカット以外の想像を働かせることが出来ませんでした。 >>「生きている」、「噛みしめる」 という言葉から考えても。 わたしは、現在は当時で言う「旗の外」にいるのかなと考えました。 今は外から中を見つめているような視点を感じます。「生まれた町」の小ささは、比較して初めて強く感じられたのかなとも想像します。 変な意味ではないのですが、 >>「旗の向こう」 という言葉がおもしろくて、「どちらから見ての向こう」なのかがぼんやりさせているところがいいなと思いました。個人的には、町から出たのだなと想像しています。 この詩は、現在のわたしが、外から中に向けて「手を振る」詩なのかなと考えています。 物理的にと言うよりは、精神世界の中で手を振るような感じを受けます。そして、「手を振る」行為は中の人たちには見えないのだろうなと。そしてそれで良いのだなとも感じられます。 ただ、わずかにしかし確かな「あいのようなもの」を感じてしまうのです。中にむけての。 素敵な詩を、ありがとうございました。 (手を振る)

2017-08-23

>>「肝心なことは全部そっと包んでそのへんのゴミ箱に捨てる。」 この箇所に興味を惹かれました。 たとえば付き合っていた頃の「わたし」はその行為に当時は気づいていたのかどうか。そのことを考えていました。 誰にも明かさない秘密や、打ち明けられないということを、自分だけは受け止めたいというような気持ちが当時はあったのかも知れないなということを考えました。 (好きだった人にいっそ嫌いと言ってもらいたい)

2017-08-23

24時間のどの時間にも属さないもの、それが詩作なのかなと >>「ガラケーを弄っている。」 という箇所から想像をめぐらしておりました。 その時こそが「真に目覚めている時間」ともどこか思われて、興味を惹かれました。 あとは、もはや「やはり」という感覚さえ個人的にはあるのですが、拝読しながら音楽が聴こえてくるように感じられました。 ありがとうございました。 (ローリン、ローリン)

2017-08-23

竜野欠伸さま ありがとうございます。リンク先の文章も拝見致しました。 今作のはじめの一行目で、「何を海に例えていたのか」を伝える能力に不足があり、あるいは読み手に委ね過ぎたことにより、尊いものを傷つけたのかも知れないということで、振り返り考えております。 なぜそのまま「人」を描かずに、「海」としたのか。それは詩という形にしたかったからというようにしかお答えができないのですが、そこに今回の結果を招くものがあったのだとしたら、書く力の不足、もしくは配慮不足を感じます。 私の詩が自然を尊重しないものだったのだのしたら、それはよくないことだと考えております。 エネルギーと心を割いてお言葉をかけてくださり、ありがとうございます。 (よごした海、しぶきあげて海)

2017-08-20

shun kitaokaさま お返事が遅くなりましてすみません コメントをくださり、好きと言ってくださり、ありがとうございます とても嬉しいです 生きていると「どこか寂しい」ことをやむを得ず繰り返していくということがありますよね。 (おわらない)

2017-08-19

まりも様 おはようございます。 コメントをくださり、ありがとうございます。 「新鮮な感覚」とおっしゃっていただき、とても嬉しいです。 かなしみを、その言葉にしてしまえば、ただお弁当を食べられずダメにしてしまったというだけの悲しみなのですが、それをどう受け止めて関わっていたのか、ただしく表現したいと考えておりました。 おっしゃるように、はじめは子猫や子犬などと書くか考えましたが、どうしてもそうすることは出来ませんでした。たとえば犬を飼っていた方が、その子との悲しい別れを過去に経験されていたのであれば、その方だけに向けた言葉は書かないと思いました。猫も人間も、同じ気持ちでした。 語り手や書き手の分裂は、防衛の一つではないかと思われます。悲しみに対する無意識からの防衛だったのかも知れません。 だから、後半で書いてくださった、 >>「その悲しみを、空に放ってやりたい」 は、そう受け取ってくださる方がこの世にお一人でも居たという事実が救ってくれたように感じております。 今作をご覧下さり、本当にありがとうございます。 最後にいただいたコメントの箇所については、常々感じていた世界に存在するかなしみと自分との関係性を意識したものでした。簡単に言ってしまえば無関係に思えないです。もちろん加害者の行為を肯定するものでは決してありませんが。 (苦しさで、悲しみギュウギュウに詰めた壊れた)

2017-08-17

竜野欠伸さま はじめまして。 ご覧下さり、そしてコメントをくださり、ありがとうございます。 「自然破壊」という観点で本作に向き合っておりませんでした。そして今回のように読んでくださる方がいるということを知り、驚きながら、そして配慮が足らず人様の心を傷つける作品を書いていたのかも知れないと考えております。 話はそれますが、 >>「海洋汚染は感傷を引き起こす自然破壊です。」 このお言葉を受けて、この詩に関係のない日常の場面で、私自身が感じていたものとはそういうことだったのかと、心を言葉で表現されたことで整理されるのを感じました。ありがとうございます。 作品の解釈について、読者様の感じ取ったものがすべてであるのならば、今このタイミングで私に何が出来て、何をすべきか難しく感じております。 つまりこう考えて、あれをこれに例えて書きましたというようなことはここでは要らないのかも知れないなとも考えております。 とても、難しいです。 心を割いてご覧いただけたこと、そこからさらにお言葉をいただけたこと、感謝しております。 ありがとうございます。 (よごした海、しぶきあげて海)

2017-08-17

なかたつ様 こんばんは。 コメントをくださり、ありがとうございます。 「数多の宝石」について「鮮やか」と言ってくださりありがとうございます。 「景観を損ねない〜」については、これまで生きて来た中で、そういった感覚や考え方が人にはあるということを、知ることが出来てよかった、幸運だったと感じています。いただいたコメントのおかげです。ありがとうございます。 >>「寄せる波と返す波というのは、浜辺にいる人間側が見た価値付け」 この点、素晴らしいご指摘であると感じました。なかたつ様の視点とキャッチしたものを言語化するお力には、いつも本当に驚かされます。そしてこの様にご指摘いただけて、読んでいただけてとても嬉しいです。 >>「もし、語り手が「おかえり」を言われたい立場ならば、浜辺に誰か別の存在を想定しないといけないのと、海に誰か別の存在を想定しないといけないのですが、この点はちょっと想像が追いつかなかったので、考察を止めます。」 この点について、おっしゃる通りだと思います。 はじめ浜辺にいながら、いつのまにかご指摘の二者関係から離れるような視点がそこに新たに生まれたと思っています。こういう変化は読者様への良い変化とは言えないのかも知れません。ですが、どうしてか、そしてどうしても必要なものでした。 細かいところまでご覧いただき、本当にありがとうございます。 宝石は、手に入らないことも含めて美しかったのかなと今になって考えております。 (よごした海、しぶきあげて海)

2017-08-16

おはようございます。 はじめて読ませていただいてから、なぜかとても気になっていた作品でした。 すぐに感想を言葉にすることが出来ず、その次にも出来ずそして今朝。そんな風に作品と触れさせていただきました。 こちらで読ませていただいていないときにも、心の中に完備さまの詩があるのを感じていました。 「ヒアリ」はその攻撃性が主に取り上げられています。「光」は希望と言われることがあり、温かく包むこととも言われているのかも知れません。もしもこの二つの言葉に対になる意味が込められているとしたら。そう考えていました。 「ヒアリ」を「光」と「空耳」するのではなく、その逆なので、作品内のわたしは、希望することを諦めてしまったか、諦めつつあるか、疲弊しているのかなと考えました。 「光」と「空」の関係性には近さを感じるので、「彼ら」とは「光」だろうかと想像しました。 愛し愛される関係はとても楽しそうな印象を受けます。それを「横目に」しているわたしは、何となく楽しそうなものと距離がある感じもします。さみしさを感じました。 「発語」を「おそれなくなった」とありますが、言葉が足りない感じも受けまして、たとえば「発語をおそれなくなった」ではなく、「発語 おそれなくなった」という箇所に。言葉の足りなさに、自らになにか言い聞かせる様な感じも受け取りました。本当は怖さもあるのかなとまで想像してしまいました。 「狂ったふり」については、その言葉の表面的な意味通りに本当に「ふり」をしているのかなとも考えました。子どものように泣けたらいくらか、と。 タイトルの「candy」には楽しそうな印象を受けます。「空」と「光」の関係性に書かせていただいたような。 しかし、「飴」ではなく「雨」と解釈すると、涙や悲しみを連想します。 すみません。好き勝手書かせていただいたのですが、ひとつの作品から多くのことを受け取らせていただいたのでお伝えしたくなりました。 素敵な作品をありがとうございました。 (candy)

2017-08-16

kaz.さま おはようございます。 返詩をくださり、ありがとうございます。 せっかくいただいたのですが、私が未熟な者で、どういった感情や考え方が込められているのかうまく読み解くことが出来ておりません。 ユーモアが込められているようにも、ユーモアと悲しみが込められているようにも、何かに対する一種の嘲笑のようなものが込められているようにも取れて、少なくとも、どういう詩なのだろうかと考えさせられております。そういう意味でも興味を惹かれる詩です。 ありがとうございます。 (苦しさで、悲しみギュウギュウに詰めた壊れた)

2017-08-12

花緒さま おはようございます。 お忙しいところ、編集をして下さりましてありがとうございました。お手数をお掛け致しました。 (苦しさで、悲しみギュウギュウに詰めた壊れた)

2017-08-11

タイトルと本文を正しく記載しアップしましたが、アップ中に通信が途切れましたので、以下にて改めて記載させていただきます。 どんな理由であれ、この様な形となり申し訳ありませんでした。 ----- タイトル 「苦しさで、悲しみギュウギュウに詰めた壊れた」 ‪夏、 夜、 もうダメになった命を抱きしめながら、それでも決して離せないような気持ちで、暑さにやられたお弁当を背負っている‬ 悲しみと悲しみと悲しみとお弁当ひとつ詰めたリュックを背負っている そのまま都会に立ち尽くして、この子の命をどうやって燃やそうかと思案している というフリも出来ずに改札を通り抜けた と書こうとしていたら、鞄にあるはずの定期券が見つからず、 連休前浮つく駅の改札前、大汗と恥と恥と恥、つまり恥ばかりかきながら、冷たく死ぬことさえ許されなかったその子が、ポツンとたった独り悔しさも出さずに死んでいて、 次の瞬間、僕は思わず(どけ!このゴミ!!)と敢えて一発、どうにかなる様な力で殴りつけて、叫んで、混雑する改札のど真ん中にひとつ、爆弾ひとつ投げ捨てた 「誰でも良かった、後悔していない」 罪を認めてから唯一の言葉が冷たく響いた お弁当ひとつあったかい気持ちで食べられない悲しみを この世界に幾つあるだろうかと数えて、探して いや、そんな正義ではなくて、単にこの悲しみをせめて、せめて空にお空に、ゆかせたかった (苦しさで、悲しみギュウギュウに詰めた壊れた)

2017-08-10

まりもさん おはようございます。 コメントをくださりましてありがとうございます。 「語尾の処理の仕方の生み出す印象」、なるほど。こういう仕掛けは学ぶことが可能なのでしょうか? 感覚的にやっているので、だからこそ操れるようになると推敲の際にいいなぁと考えておりました。 読者に気づかせるように書くこと、確かにその辺の意識は不足していたと思っています。正直なところを書かせていただけば、そこまでの余裕もなかったということになってしまいます。この辺にまだまだ自らの未熟さを感じます。 いつもこうしてコメントをくださるので、大切なことに多く気づかせていただいて本当に感謝しております。ありがとうございます。 持ち去られたのか、救出されたのか。どっちだったのでしょう。 現実世界で救出できなかったものを救出してもらったことに泣いたのかも知れません。 (よごした海、しぶきあげて海)

2017-08-09

黒髪さま おはようございます。 傷ついて傷ついて、その最後には人は無感情、無欲になると聞きます。 今回の詩は、あるひとりの方の再生(感情や欲求を取り戻す)までの旅を描いた詩のように感じられました。それは最後の言葉によく表れていると思っております。 現われた、たまたま遭遇した「虹」に治してもらうのではなく、自ら主体的に「作る」意志が語られていて良いなと感じました。 あとは、短い一つ一つの言葉に力が人の何倍も込められているように感じられました。そして端々に垣間見える「わたし」の真っ直ぐさ、誠実さ。これらが読者を良い意味で巻き込んでいて、再生を応援する気持ちにさせているなと思いました。 素敵な詩をありがとうございました。 (不在)

2017-08-04

花緒さん おはようございます。コメントをくださり、また勿体無いお言葉をかけてくださり、ありがとうございます。 コントロールのもとというよりは、結果的に宙吊り感が出たところがあったので、花緒さんのお言葉を受けてよかったと感じております。 ありがとうございます。 余談ですが、私は、水や海などになんらかの無意識を刺激されるものを抱えているのかも知れないなということを最近はよく感じております。 もしかしたら、詩人の皆様にもそのようなあるキーワードとの近さや所縁のようなものがあるのでしょうか。 逸れた話を失礼しました。 (よごした海、しぶきあげて海)

2017-08-04

まりもさま いつもお世話になっております。 コメントをくださりありがとうございます。 深くまで読んでくださり、そしてそのことをお伝えいただいたことに感謝しております。エネルギーをここまで割いてもらえるということはとても幸せなことだなと感じております。現に私はこうしてお返事をさせていただくまでになかなかエネルギーがたまらず苦しんでおりました。並べて書かせていただいていいようなことではないのかも知れませんが。。 消えてしまいそうなその人をつなぐものとは何なのでしょうか。 例えば「早く家庭を持て」という言葉がありますよね。もちろん使われ方も様々ですが、ひとつには現実に繋ぐための鎖、あるいはポジティブな意味での絆、糸とも言えるのかも知れません。 こういったものを持つこと、結果的に持ったこと、色々ありますが人はそのことについて幸か不幸かを考えてしまう生き物なのでしょうか。 すみません。ごちゃごちゃと書いてしまっております。 結果的に生き続けられていること、そして生きていれば辛いけど、いいことがたまにある。それだけは本当かも知れないなと思っております。 ありがとうございました。 (おわらない)

2017-08-02

蛾兆ボルカさま はじめまして。コメントをくださり、ありがとうございます。 勿体無いお言葉をいただきました。すごいメンバーだなぁと自分のことに寄せては感じられないほどです。ありがとうございます。 おっしゃる通りです。こういった詩しか書かざるを得ない状況というのは危険な状態だと思っております。幸い、色んな詩がまだ書けているので続けてゆけそうです。そして、結局書かざるを得ないというところもどこかで知っているような感覚もまたあります。 優しいお言葉をありがとうございました。 (泣きボクロちぎり取って投げた、金魚たちが食ってら)

2017-08-02

田中修子さま はじめまして。コメントくださりまして、ありがとうございます。 「好き」とおっしゃっていただけて嬉しいです。 腹が立つなど全くございません。私事で恐縮ですが、自身今31歳でして、27歳の頃から生き直し始めたと言いますか、何というか恐らく若い時代に持つべきだった感情と初めて向き合い出したということがございました。ですので、今回お言葉をいただけて、まっとうにもう一度生きられているのだなと思われて嬉しかったです。ほんとうにありがとうございます。 後半に書いておられる田中さまの変遷に希望をいただく想いです。 ありがとうございます。なんとかやめずに、世界に指一つ引っかかりながらでも諦めずに生き続けたいと思います。 感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。 (泣きボクロちぎり取って投げた、金魚たちが食ってら)

2017-07-18

初読から時間が経っているのですが、なぜかずっとこの詩のことが気になっていました。 私には、246号線が現実のものというよりは、何かこう「わたし」にとっての観念的なものであるように思われます。それはつまり、これまでの人生の歩みすべてを指すような、そんな風に読ませていただいておりました。 この詩に共通するのは、陰とか痛みだとかそんなものではないかと考えております。 救いのない現実をそれも幅広く描くことで、ほんとうに救いがないなと思わされます。 ですが不思議です。最後の言葉で、この世界の悲しい程の変わらなさを淡々と描く箇所に、作者の叫びのような祈りのような希求を感じるのです。 私はとてもいい詩だと感じました。 ありがとうございました。 (ありしところのもの)

2017-07-14

黒髪さま コメントをくださり、ありがとうございます。また褒めていただきとても嬉しいです。ありがとうございます。 夏は私にとってなんでしょう。世界がエネルギーに沸き立つ最中の微かで確かな痛みというものかも知れません。 そういう深層心理の解釈がこの詩につながったのかも知れないなと思っています。 人との関わり、その痛み。そしてそれが確かにつなぐもの。 当初そんなことまでは考えられませんでしたが、そういうポエジーとの出逢いだったのかも知れないと考えております。 ありがとうございました。 (おわらない)

2017-07-14

りさん こんばんは。コメントを下さりありがとうございます。 うまく言えませんが、りさんの最近の作品を楽しく読ませていただいた者としては、今回の詩にコメントをいただけたことをとても喜んでおります(うまく伝えられないのですが)。 ありがとうございます。 褒めてくださり、ありがとうございます。とても嬉しいです。 ご質問の件、実は正確にはどちらにも当てはまらないと言えるのかも知れないと考えています。しかしながら一方でも当てはまるのかも知れないななどというよくわからないお答えになってしまいます。 この詩を書いた時、朝電車に乗っていたのですが、不思議なもので、今振り返れば自分の心のふかくと何かこう対話したような感覚が残っています。 私に彼氏はいませんでしたが、なぜか彼とのことを思い出してそのことを季節に絡めて書きたくなったんです。 私のこれまでのあらゆる実体験がピースとなって今回の非現実を形成しているのかも知れないとも思っています。 うまく言えないのですが、何よりもお伝えさせていただきたいことは、なぜか自分の知りもしないはずの世界のことを本当のこととして対話するという尊い体験をしたということになります。 本当に、うまくお伝えできずすみません。 手前味噌ですが、それでも確かに、この詩をとてもとても愛おしく思っています。 ありがとうございます。 (おわらない)

2017-07-14

5or6さま コメントをくださり、ありがとうございます。 技術的なところをご指摘いただきとてもありがたいです。ありがとうございます。 お言葉を受けて、対して当時の私の熱とその背景を深く思い出しています。 なぜ冷静ではいられなかったのかを考えて今後に活かしてゆきたいと思います。 ありがとうございます。 (泣きボクロちぎり取って投げた、金魚たちが食ってら)

2017-07-13

桐ヶ谷忍さま コメントをくださり、ありがとうございます。 「代弁」と「慰め」と「安堵にも似た虚脱感」について、ありがとうございます。 詩が、決して多くはない、けれど確かに深く感じていらっしゃる方やその想いに何か触れるものがあったのだということが、私にとっては救いです。ありがとうございます。 (泣きボクロちぎり取って投げた、金魚たちが食ってら)

2017-07-13

るるりらさま 初めまして。コメントをくださり、ありがとうございます。「実直に受け取れた」と言っていただきとても嬉しいです。ありがとうございます。 るるりらさまの心に届いたことを受けて、詩を書いてよかったと思いました。 桜の件、面白いお話ですね。 そうなると、最後はみな散るわけですが、そのことにただ悲観するだけでなく、自分より先に行った方々の健闘を心から願える私になれたらいいなと思っていました。私もきっと誰かにそう願っていただいているのかも知れませんし、現在地の尊さだってきっとあるのだろうなと考えています。 描き方に熟してないような、とおっしゃっていただいた点、お言葉を受けて考えるとやはりそれはおっしゃる通りかも知れないなと考えております。ロケットではないですが、そういった勢いで詩を書く私の弱さかも知れません。 ありがとうございます。 (燃焼を終えたロケットにではなく、)

2017-06-18

普遍的と言っても良い感覚を見事に表しておられるなと思いました。それは「一時小さく死ぬ」ということかも知れません。実は僕も以前、深夜に絨毯の上に起きるでもなく寝るでもなく動けないでいて、糸くずが鼻の穴に入っているのに抗いもせず、ただただそうしているという主旨の詩を書きました。 再び立ち上がるまでに必要な時間が、どなたにも等しくあるのかも知れないと、本作を受けて自らのあの時詩にした感覚を認めてもらえたようで、どこか勇気づけられました。 あと、最後の >>「にこにこと わらう わたし いつも通りの やさしげな わたし。」 ここに少しの狂気性と、「わたし」に強がりを見ている筆者の視点をも感じました。いい詩をありがとうございます。 (ラグ)

2017-06-14

まりもさま コメントをくださりありがとうございます。 「独りで立つ孤独を知る人」 自殺企図をイメージしておりましたので、おっしゃる通りのイメージを受け取ってくださり嬉しい気持ちです。ありがとうございます。 温かさを受け取ってくださり、こちらもとても嬉しかったです。ありがとうございます。 (宇宙で死にたい)

2017-06-13

仲程さま 「呼んで」、ではなく「読んで」でした。失礼いたしました。 (宇宙で死にたい)

2017-06-13

仲程さま はじめまして。コメントをくださり、ありがとうございます。 そのように呼んで頂き、とても嬉しいです。ありがとうございます。 何より嬉しかったのは、 「その後続く記憶は、読み返すほどに読者の別の関係ない記憶も巻き込んでゆくはずです。」 という箇所でした。 ありがとうございます。 (宇宙で死にたい)

2017-06-13

花緒さま こんばんは。ありがとうございます。 規模や次元、時間をも超えて、離れようと逃げようとしても、良くも悪くもそうはいかないものがあるような気がしています。 (宇宙で死にたい)

2017-06-13

ユーカラさま コメントをくださり、ありがとうございます。 逆にコメント欄がなかったらどんな詩として届いていたのだろうということを考えています。 私の詩は、自らの生き方に近いところで受け取っていただいているのだなということをコメントから感じ取りました。 逆に言えば私から切り離すことが必要なのかも知れません。 例えば作中の幸せが私の幸せでなく、不幸もまた然り。といったように届けられるようにもしてゆきたいです。ありがとうございます。 (燃焼を終えたロケットにではなく、)

2017-06-10

まりもさま おはようございます。 「素晴らしい」と人様から言っていただけることの喜びは、他に代えられないものだなと味わっております。ありがとうございます。 詩には、どうやって深くにある大切なメッセージを届けるかという向き合い方がありつつも、一方で、伝えようとし過ぎないという向き合い方もあるのだなと、人様からすれば「今更何を言っているんだ」と言われてしまうようなことを、今になって考えています。 こういったバランスを取ることはとても難しいのですね。そしてそれがあった方がいいのか、あるいは、などと考えてはよくわからなくもなります。 混乱したりわからないということは、自分にとって大切な状態だと思いますので、いただいたお言葉から考えることをやめないでいたいと思います。 ありがとうございます。 (燃焼を終えたロケットにではなく、)

2017-06-10

祝儀敷さま コメントをくださりありがとうございます。 すみません。お話いただいた出来事について全く知らないで書いてありました。 実は、ある方が新しいことにチャレンジされていく姿を見まして、そこから書いた詩でした。 (燃焼を終えたロケットにではなく、)

2017-06-07

花緒さま コメントをくださりありがとうございます。 そもそも語彙が少ないから平易な言葉で書くしかないということを認めたいと思います。それは間違いなくあります。 私がもしもっと多くの言葉を知っていたらどんな詩を書くのかということを考えています。自由選択が可能な言葉からどんな言葉を出して来て、誰にわかるように書くのか。そんなことを考えています。 そもそも私に語彙が足りないので、想像の届かないところにある考えではあるのですが、どうしても考えてしまいます。 難解な、想像の余地がたくさんある詩は、どんな人にとって喜ばれるものなのかということを考えています。もちろんこれは否定的な意見ではないのです。ただ、気になっていました。 ひとりごとのような形で書いてしまい申し訳ないです。 コメントをくださり、ありがとうございました。 (燃焼を終えたロケットにではなく、)

2017-06-07

朝顔さま おはようございます。コメントをくださりありがとうございます。 少数派の世界にも結局ヒエラルキーはあって、では私が最下層にゆけたらもっと胸を張って今回のテーマのような詩を書けるのかということを考えました。答えはわからないです。 個人的には、詩になんとか逃げ込んで来たという感覚もどこかであるからこそ、今回のような絶望もまたありました。 (ぷらいべーと・ぱぶりっく・びゅー)

2017-06-07

まりもさま 以下の箇所に、間違いがありました。 >>「しかし一方で僕は詩を書くときにはそこまでの冷静さを持てていないことと事実です。」 ただしくは、 >>「しかし一方で僕は詩を書くときにはそこまでの冷静さを持てていないことも事実です。」 でした。失礼いたしました。 (Driver)

2017-06-07

まりもさま おはようございます。 コメントをくださり、ありがとうございます。 誓いの理解をスムーズにするための冒頭での仕掛けについて、なるほど!と思いました。しかし一方で僕は詩を書くときにはそこまでの冷静さを持てていないことと事実です。 言葉を扱う以上、人様に伝えたいのなら尚更、やはりその冷静さが僕には不足していると思われました。 一字下げについてもおっしゃる通りだなと感じました。 リズミカルな言葉に変えることについても、もうほんとうにおっしゃる通りです。 ここまで来て考えていたのですが、経験を作品に昇華するまでの時間が短いのかも知れません。もっと過去になってから、時間を置いてから書かなければならなかったのかも知れません。冷静さがないのは、その証明かも知れない。そんなことを考えました。 そうですね。「真ん中には子供の時間が」という箇所、その通りだなと思いました。 まりもさま、僕の作品にエネルギーをさいてコメントを下さり、ありがとうございます。 とても遠いところに詩の技術、工夫点はあるのだなと、今はまだ離れたところから見つめています。 コメントを受けて、「がんばります」と一言では想いを語れないほどに。自分の視野の狭さには小さく絶望しています。しかし諦められるものでもなく、そもそもそこへ行きたいのかもわかりません。ですが、勉強になりました。せっかくのお言葉をどのように活かすべきか今は分からず申し訳ないです。 考えることは続けて行きたいです。 ありがとうございます。 (Driver)

2017-06-07

Migikataさま おはようございます。 コメントをくださり、ありがとうございます。 随分遅くなってしまいましたが、今こうして読ませていただいていて、なんとなくすっと胸に入ってくる感覚がありました。 僕の詩は道筋、読み方を示しすぎているのかも知れません。 読んでもらう為に書いていた詩も、リーディングするとなれば、手直しをせざるを得ません。 言葉がどんどん音となって耳に入りは流れていく。その事実にどう抗えばいいのか。どうすれば意味を聴いてもらえるのか。 その先で僕の今の形があるのだと思います。 読んでもらう詩だけを意識して、解釈の余地のある詩を書いてみたいと思います。 ありがとうございます。 (食べて下さい)

2017-06-07

田中恭平さま コメントをくださりまして、ありがとうございます。前半部分、とくに興味深く読ませていただきました。 筆ののらなさ、おっしゃる通りかと思います。悩みながら、でも伝えたくて書いた。そんな気持ちがありました。無意識が働いていたかと思われます。 経験を昇華する前に、それでも今このタイミングで書こうとした、書きたかった詩だったのかも知れません。 テーマ選択について評価いただき嬉しいです。ありがとうございます。 (ぷらいべーと・ぱぶりっく・びゅー)

2017-05-26

実はとうめいにも線があって 色があって 先端から末端 末端から先端 どちらが先か後か、今となってはわからない とにかく、線が伸びていて 切れかけだったり てんせんだったり 太かったり細かったり 色もあって なんでって それでも色があって 「それはなんの色?」って それはいたいときの色 イタイイタイの色 このとうめいは見つかるべきだ そんな色 ちゃんとみえる色 ----- 突然失礼いたしました。 amagasasasiteさま、はじめまして。 なぜかあのような言葉を書かせていただきたくなりました。失礼いたしました。 >>「ほんとうは サイテーなあの子たちと喋って笑ってみたかった」 この箇所がいちばん好きだなぁと思いました。生きる強さを感じたからです。 素敵な詩をありがとうございました。 (高校一年生)

2017-05-25

poppociderさま はじめまして。ご覧くださり、そしてコメントまでくださりまして、ありがとうございます。 >>「詩として全体を見たときに少し散漫な印象(後略)」 ありがとうございます。改行の位置の効果と影響について、そういった観点であらためて読み直してみたいと思いました。 内容について、力があると感じてくださり、ありがとうございます。 自分のあり方も含めて、このことについて人と話してみたかった。そんな詩です。 ありがとうございます。 (ぷらいべーと・ぱぶりっく・びゅー)

2017-05-22

人さまの詩をよむときには、自らの姿勢が露わになるのだと思います。 ある方には、単なるフィクションと取れるだろうし、私なんかには、少なくともこの詩世界における「わたし」の生きることへの姿勢が真剣なものとして受け取れます。 もう少し言わせていただくと、詩に触れてたときに、(さて、この作者は私をどう楽しませてくれるのかな)という視点と、(この作者は何を想ってこの詩を書いたのかな)という視点があるということです。どちらがいいということではなく、この詩の受け止め方を左右する要素の一つとして、それが言えると思いました。 ほんとうのことは、わからない。それでも一つの答えとして、この詩の中の「わたし」は、少なくとも生きることを選択している。そう感じさせるものが確かにあると思いました。「目を凝らせ」という言葉からもその真剣さが伝わりました。 (小宇宙)

2017-05-21

夏生さま コメントをくださりまして、ありがとうございます。 四連目について感じていただけたこと、大変嬉しく感じております。私のような者には、結局のところ自らが知る本当に痛かったことでしか痛さを描けません。しかしそれでいいのだと勇気をいただきました。ありがとうございます。 (Driver)

2017-05-16

hyakkinnさま コメントをくださりありがとうございます。 日の目を見るということや、言葉の無力・有力、人と人の関係について考えていました。 あえて絶望を描き、「それで君はやめるの?」という問いをもって挑発したかったところがありました。そして、必ず奮起して欲しかったです。 (食べて下さい)

2017-05-16

朝顔さま 最後のお言葉にやはりこの道でよかったのだと思うことができました。力をいただきました。 コメントをくださり、ありがとうございます。僕の好きな歌手の方が、桜をこのように扱っていたと思い出しました。無意識に刷り込まれていたのかも知れません。 客観的に言ってしまうのであれば、目を向けるところは悪くないのに、なんだかセンスがないんだよなってことを自分に思ったりもします。それはこちらで人様からお言葉をいただく機会にめぐまれて感じることができるようになったところが多くあります。ありがたいです。 センスの無さと書きましたが、無意識の気恥ずかしさや何かからの逃避ならば、もっと心と向き合ってゆこうと思います。 今後も精進します。ありがとうございます。 (風のありか)

2017-05-13

hyakkinnさま こんばんは。コメントをくださりありがとうございます。 広く群像劇のように取り上げようとしながら、なんだかすこし届かなかったのかも知れないなという感覚が制作中にもありました。人の人生にこころを寄せること。それがどういうことなのか。どうすればいいのか。 そんなことを今後も考えてゆきたいと思います。 hyakkinnさまに「もうちょっと読んで理解してみたい。」と言っていただけて、とても嬉しいです。ありがとうございます。 この創作をもってして、やり場のない悲しみへのやり場を作ろうとしたのかも知れません。 だからこそ、さくらにはただ淡々としていて欲しかった。そう考えて書いたのだったと作った時のことを思っていました。 ありがとうございます。 (風のありか)

2017-05-13

なないろさま はじめまして。 「叶う恋はできますか?」という問い(愚問でしょうか?)が、なぜかふっと胸の奥から、軽くかるくふわふわっと浮かんで来ました。 個人的に、たとえば人や言葉を「消費する」という感覚には親近感を抱きます。 消費されたことがあると、消費されることを意識しますし、消費する側に立ってみようかということも考えてみたりしました。 それらひっくるめて、「布団の中」にいたいなって思うことがあります。 (ゆりかご)

2017-05-12

夏生さま 舐めることで、「得ているはずなのに失っている」という事実にとても惹かれました。能動的に得ているのに、です。 ワンシーンが、いくつもの他の事象に置き換わるだけの力を持っている。与えられている。 大人になってからも、(乱暴な言い方ですが)やめりゃあいいのにやってしまうことが多くあるということを考えさせられます。詩の役割のうちの重要なものの一つを体現されていて、かっこいいです。 (地面を舐めた)

2017-05-06

5or6さま 感覚的な捉え方と、そこからの感想しか書けないのですが、そのうえで書かせていただきたく思います。 この詩には驚かされました。驚きのあとには、ただただどうしようもない悲しみに包まれていました。 >>「鼻につく豚の体臭と文章」という言葉の音感の良さに気持ちよさすら覚えていました。単語の組み合わせにも感動しましたし、だからこそ(?)絶望めいた感覚を持ちました。主人公の自らに対する嘲りのような、しかしそれだけでないような見方、言葉にです。「こう表現するしかなかったというような悲しみ」です。 視点が変わるのも面白いと思いました。客観から主観へうつるからこその効果があると思います。主観から客観へうつるよりも、より効果的に混乱と苦しみの深さを表していたように感じ取りました。 個人的には、この作品をリーディングでも聴いてみたいと思いました。 (スーパー踊り子豚野郎)

2017-05-06

白犬さま >>「結局は季節巡って 何度でも、胸、溢れる」 この言葉が初めに来ているという事実がもうそれだけで美しいなと感じました。 「結局は」という言葉にほとんど心が表されているように思われました。平易な言葉であっても、その組み合わせで爆発できる良い例ではないでしょうか。見習いたいです。 まりも様がおっしゃっているように、僕もこの詩に音楽を合わせたらどんな魔法がかかるのだろうと想像していました。 読み手の想像力を誘導するように働かせる詩であると思います。 詩における「恋」や「メール」という言葉が与える印象とはどんなものでしょうか?それは読み手の皆様が感じることなのですが、個人的には上記の言葉は、言葉自体というよりは、世界で認知されるイメージの強さにより、ともすればその言葉一つで「安い詩」という印象を与えかねないと考えております。 しかし、ここではそう感じられないのです。それはなぜか。 きっとそれは、周囲に散りばめらた言葉ひとつひとつの力によるのではないかと考えました。 簡単に言ってしまうのなら、センスの良さだと思います。 数ある引き出しの中から言葉を持ってくる力、配置する力、表記をコントロールする力。挙げていけばもっと多いのですが、僕はこの詩は良い詩だと思います。 上から下に読み進めていくのに、最後には一枚の絵のような詩と思わせるところにも魅力はあります。 白犬さまの世界の見せ方、詩情の表し方が、きれいでした。 (ル・カ)

2017-05-06

三浦さん コメントをくださりありがとうございます。「予定調和」ですか。なるほど。 伝えたいテーマ、届けたい場所がある程度決まっている。それは業のように。そのうえでいただいたアドバイスを受けて「特異変化」を起こしてみたいと思いました。やってみます!ありがとうございます。 (Driver)

2017-05-06

黒髪さま コメントをくださり、ありがとうございます。お言葉をいただき恐縮です。 「よりよく生きたい」という願いが外に向いていたのだとしたら、幸せです。ありがとうございます。 (Driver)

2017-05-06

朝顔さま コメントをくださり、ありがとうございます。 四連目褒めていただけて幸いです。本作の中の展開としても詩情としても一つの到着点だと考えているので、とても嬉しいです。 ありがとうございます。 (Driver)

2017-05-06

「制服を着ていなかったころ」、こんなにも美しい表記があるんですね。 「枯らせずに腐って」という箇所についても、ほんとうに驚かされました。きめ細かな言葉の定義づけと、それゆえの最奥を照らしうる光の強さを感じました。 (親愛なる灰へ)

2017-04-28

あきらさま はじめまして。 秋は(次の季節は)いつ宿るのだろう、いつ脈打つのだろうかということを考えておりました。 夏の歌声がかすかなのはどうしてだろうかと考えておりました。 生き死にの円環をもってして次が来るとするのならば、その歌声がかすかなのは、死の前だからなのだろうか。夏真っ盛りのときに、秋はどうしているんだろうと。考えを巡らせていました。 プールで、川で、水中で、あの夏のまばゆい日に、鼻の奥に水が入って痛みを感じられたこと、ありますでしょうか?夏がその命を謳歌しているときに、せつな影を落とすあの痛み。 個人的には、秋は、夏のその盛りに宿るのかなと、そんなことを考えていました。たとえば人が人とまだ定義づけられない時期の、命ともまだ呼べないその始まりの瞬間は、夏の盛りにこそあったのかなと。 季節が季節を喰らうという感覚を、僕はすごく面白いと思いました。 楽しく読ませていただきました。ありがとうございます。 (喰らふ)

2017-04-28

三浦さん コメントをくださりありがとうございます。 テーマは、誰かにとっての業のようなものであるとしたら、自分には何があるのだろうと考えています。そして予想のつくものがあります。 三浦さんからは今回のコメントのようなご推測をいただいているとのことで、それを受けて、私のそれが何であれ確かに何かが伝わっているという事実に喜びを感じています。 「すごくいい」と言っていただいた箇所に関しては、「ほんとう」を書きたい私にはこれまた嬉しいお言葉でした。 「ネット詩硬派組の感性」、おもしろい視点だなぁと刺激を受けつつ考えていました。 (届けたい。 誰に? みんなではない、みんなには届かない ではそのうえで誰に?) さいきんその答えがだんだん見えてきた気がしています。 僕が尊敬する方は、りょうほうの世界でかっこよくてすげぁーなぁーって思っています。 朝顔さま はじめまして。コメントをくださりありがとうございます。 絶望をただ絶望としてそのまま事実描くなら、私がやる必要はないと考えています。私に出来ないことだろうとも考えています(コメントを受けて考え始めた事なのですが)。 少なくとも生きることにして、生きているから、じゃあなぜ進むのか耐えるのかを詩の中に含ませられたらと、これも後づけ的に願っております(無意識にはあったのかも知れません)。 >>「同じ状況に置かれたまたは、置かれたことのある人以外にとって、どうでもいいよと言わせてしまう部分があるところなんです。」 この言葉がとても響きました。ほんとうにその通りであると思います。 リーディングする時、説明したいと希求します。テキストの内容をステージに立ってから瞬間的に選択し変えることが多くあります。 最悪だれにも届かないことを知ったその上で、誰に、なにを届けたいのか。そのことを考えざるを得ません。 未熟だから冗長なのかも知れません。端的に、余白を持たせて、相手の能力や価値観にゆだねる美しさがあると思います。そのうえで、どうしていくのかを選んでいきたいと思います。 最後の二行に関して、ありがとうございます。 昨年末に、これまで詩のライブを観たことがない(自分よりもひとまわりも若い)人たちの前でLIVEしました。 あとでその誰か一人に届いていたことをご本人から聞いて知り、これだと改めて確認しました。 皆様からいただいた「冗長さ」について、そのことを受け止めたうえで、引き続き勉強し続けていきたいと思います。 ありがとうございました。 (食べて下さい)

2017-04-28

もとこさま おはようございます。 「内側にすごい力を秘めている」と言っていただけて嬉しいです。 「見た目」について、おっしゃる通りかも知れません。他の方からも、言葉に異質なイメージがついてしまっていることをご指摘いただいたことがあります。センスと言ってしばえばそれで終わりそうですが、そこを少しでもよくしていけるように学んでいきたいと思います。 コメントをくださり、ありがとうございます。 「冷たく引き離して、さてあなたはそこからどうする?」という問いを受けるところからスタートして欲しくて、光に関して書きました。 (食べて下さい)

2017-04-28

まりもさま おはようございます。コメントをくださり、ありがとうございます。 「たべる」の表記については迷いました。結果今回の形にしましたが、まりもさまのコメントを拝見して報われた想いです。ありがとうございます。 私の詩には、間違いなく冗長さや冗漫さがあると言えると思います。 たとえばテキストを声で表現するときには、聴き手がさらに受け取りやすいように主語述語の関係を補足することではっきりと示すことがあります。目の前で聴いて下さっている方に届けたいという想いからしていることですが、その良い悪いはまだわからず勉強中です。 投稿掲示板のように、その方がその方のペースでご覧いただける様なところでは、詩をもっと見つめ直す必要がありそうです。 ありがとうございます。 いただいたコメントの最後の箇所についてですが、おっしゃる通りだと思います。 日々生きていますと、どちらにもなれないことを痛感します。そのほんとうを描きたく、今回の詩となったと考えております。それが結局「君」に届かないのなら、もう一度考え直さなければならないと思っています。 (食べて下さい)

2017-04-26

花緒さま おはようございます。 ご覧くださり、ありがとうございます。 「冗長さ」について、おっしゃる通りかも知れません。そのご意見ご感想を受けて、リーディングで聴いて下さった方にもどう受け取られるかお聞きしたいと考えていました。 いつもありがとうございます。 (食べて下さい)

2017-04-26

白犬さん コメントを下さりありがとうございます。 「反発」を感じて下さったとのことで幸いです。とてもとても嬉しいです。 さいごの「パンチが効いてて」に関しては、「どんな感じ」を持っていただけたのか、また機会がありましたらぜひお聞きしてみたいです。ありがとうございました。 (風のありか)

2017-04-22

三浦さん はじめに、通常のコメントを書いてくださり、ありがとうございます。その理由を読んで嬉しかったです。 言葉の選択とそこに至る必然性の有無、そして誠実性について。 正直自らでどこまでそれを意識化のもとに行えているのかは頼りないところがあります。ですが、結果として見れば、その言葉が必要だったということは多くあったようにふりかえり思います。 僕は賢くないのであまりちゃんとわからないのですが、人様の詩を読むときには、その人の思想や価値観、人生背景、興味関心の対象など、どうしても想像せざるを得ません。 たまたま詩だった。人を知りたかった。 こんな書き方しか出来ないのですが。 ありがとうございました。 (風のありか)

2017-04-20

花緒さま こんばんは。コメントをくださりありがとうございます。面白く読めるとおっしゃっていただき嬉しいです。 しかしながら、結局のところよくわからないとのことで、それは私の詩の事実かと思われます。 コメントをいただけてほんとうに嬉しいです。重ね重ねありがとうございます。 皮肉の強度が微妙とのことで、私は、この詩に皮肉や悲哀を込めたかったので、そういった意味では「足りなかった」のだと感じております。 どのようにすれば、それぞれがよりよく伝わったのか、そのことを考えながらまた今後の詩に活かしてゆきたいと思います。 (風のありか)

2017-04-18

まりもさま こんにちは。 コメントをくださり、ありがとうございます。 たしかに演歌感は出ていますね。 お言葉を受けて、あえてその印象を出さないでいたらどんな詩になっていたのかということを考えております。 おっしゃられたように、リフレインによる強調効果よりも群像性を強めたかったところがありました。とは言え、リフレイン効果をも望んでいたのも確かでした。ありがとうございます。大変勉強になります。 音感の強さによる影響について考えながら詩作する感覚を持ってゆけたらと思います。 さいごについてですが、前に登場した他の2人とは異なる者であることがわかりにくかったということで、こちらも勉強になりました。 ありがとうございます。 (風のありか)

2017-04-16

「ずっと同じはなしをきいてる」は、この通話中に限ったことを表しているのではなくて、長年に渡って〈ずっと同じはなしをきいてきた〉のだろうなということを想像していました。 家族などの近い存在に対する煩わしさと、その奥にある愛の積み重なりの事実を描いた温かな作品ではないかと読みました。 もしかしたら読み手の年代と立場により読み方が変わるのかも知れず、そう考えると、さらに懐の深い作品だなぁと思われました。 (ずっと同じはなしをきいてる)

2017-04-04

>>「それを繰り返している内に、排水口から汚い灰色の水が吹き出してきた。」 この描写から、悲しみがじんわりと伝わって来ました。 はじめ、読点の多さと一文の長さは気になりました。しかし、何度か読み直す中で、本作の「わたし」の年齢(実年齢、精神年齢ともに)やその他の状況とを想像すると、この形がやはり一番いいのではないかという答えにたどり着きました。好感が持てる作品でした。 いい意味での「整わなさ」に美しさを感じました。ちょうど、思春期の子らの完成しきっていない顔にそれを見るように。 (かなC)

2017-03-12

三浦果実さま いつもお言葉をくださり、ありがとうございます。 ポエジーの件、「発せられ方」なのか、「発したものの質」なのかという観点からもご意見をいつかお聞き出来たらと考えておりました。三浦さまからはいつも刺激をいただいております。 本作についての解釈を別作品をも通して行っていただけたこと、大変嬉しく感じております。 成功も失敗も、勝ちも負けも、「ポエジー」と今作には込めております。 すべて含んで「すき」と考えております。 ありがとうございます。 (好き)

2017-03-09

Migikataさん おはようございます。コメントをくださりありがとうございます。 深く読み解いていただき幸いです。 おっしゃっていただけたのでお伝えすると、悲しみの表情で下を見て歩く在日外国人の学生さんを見かけたことが着想のきっかけにはなっておりました。 コメントを拝見して、大変勉強になりました。 そしてここまで考えを巡らせていただけたことに感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。 「人の好悪」についてのお考え、私も同じ想いです。 (好き)

2017-03-09

hyakkinn様 ありがとうございます。パーツを褒めてくださり嬉しいです。 「パーツ」を更に活かしてゆけるように精進します。 イメージがワードになり、イメージワードがイメージを連れてくる。繰り返す。 こうして作られた作品でした。そこに一つの筋道が通っているということをもう少しはっきりと伝える為の「昇華」が必要と考えました。 ありがとうございます。 (好き)

2017-03-09

もとこ様 ありがとうございます。 最後は、「循環」をイメージして書きました。 日々忙しい暮らしの中で起こる様々な出来事。実際に見たり、ニュースで知ったり。 その時に芽生える感情は確かなものだったように思います。 しかし突然目の前を行く懐かしさは、あまりに心地よく、そちらに思い巡らすことに誘います。 そうして、さっきまでの誰かのための痛みはどこへいったのかということをよく自問します。 アキレスは勝てなかったのか。亀は勝ったのか。私にはわかりません。 極論どちらでもよいと思っています。 そのことに対する考えと、日々繰り返される他者への共感と個人のノスタルジアの残酷なまでの入れ替わりのイメージを繋げて今作の創作に至りました。 (好き)

2017-03-09

もとこ様 コメントをくださり、ありがとうございます。 最後の「がんばれ」と思っていただけたこと、大変嬉しく感じました。 アンカーは、一般的には留まる為のものでしょうか。 おっしゃるように、何を「つなぎ止めるものか」という所に不足はあると思います。 旅の途中、移動中、アンカーを使うとき、それはどんな時なのだろうということを考えておりました。 (ポエジー)

2017-03-09

hyakkinnさま コメントを下さりありがとうございます。 詩に関わりのない方にとってのポエジーとはどういうものか。 詩を知った私と他の方とで、その認識はまた違うものだろうなと想像しています。 たとえば飲んだ帰り、あえて一駅歩いて帰ろうという気持ちを抱いたことがある人は、少なくないのではないかと考えています。そしてそんな些細な感情は、日々にどんどんと上塗りされるものだろうとも考えています。 しかし私はそこに光を見出してしまいます。「吹けば飛ぶようなカラダからアンカー」を射出したくなります。 誰かに掛かればいいな、とか。その輝きを知って欲しいな、とか。 詩の世界から見るポエジーの輝きと、現実世界でのその些末。 鬱は躁に比べて、物事を見つめ考えるのに適している側面があると聞きますが、そんな憂鬱さを持って、この「遠さ」を見てみたいと考えていました。 「物足りな」さについては、おっしゃる通りであると思っています。そして、その側面から描いたらどんなだろうと想像しています。 ありがとうございました。 (ポエジー)

2017-03-07

田中恭平様 はじめまして。 読み進めながら、なぜかこの詩に悲しみや痛みがあって欲しいと願っている自分に気がつきました。 そして、途中安心したのを覚えています。 >>「ビッグマックでビッグマウスだったお前はお前は 今僕と同じ幽霊?」 ここまで来て何故か安心感を覚えました。 決して、ここまでが良くないということではなく、むしろ音感の気持ち良さや、言葉が別の言葉を連れてくる連続性と想像性に驚かされていました。 そのうえで、なぜか悲しみを欲していました。きっと、ここでこそ映える感情があると、読みながら考えていたからなのかも知れません。 個人的には、最後の「馬鹿野郎」が気持ちよかったです。 ありがとうございました。 (営み)

2017-03-04

繰原秀平 様 上のコメントについて修正したものを改めて以下に書かせていただきたいと思います。完成する前に誤ってボタンに触れたことで投稿してしまいました。申し訳ありません。 ----- 繰原秀平 様 はじめまして。 「一見すると」とおっしゃってくださったので、他にも様々な想像をしてくださったのでしょうか?もしもそのようでしたら、大変幸いです。 「滑稽さ」、「倦怠」、「悲しみ」、「狂気」、「懐かし」さ、「喪失感」を感じていただいたとのことで大変嬉しく思います。ありがとうございます。 「秘密の美しさ」は、ポエトリー・リーディングという行為の中で伝えるために書いた詩と、画面や紙で読んでいただき、そうして伝えるために書いた詩とで、異なる点があると考えたところから見つけ出したものでした。後者では、読み手に対して遅効性を待たせた言葉が有用であると考えております。そのことから、「秘密の美しさ」を感じておりました。つまり、読み手に時間があり、余白を深く楽しめるのではないかということです。 しかし、おっしゃっていただいたことをお聞きして、なるほどと思っておりました。「取り返しのつかな」さの件、人々が抱える戻れなさもまた秘密なのかも知れないなと考えました。 ありがとうございました。 (サキデテフレテ)

2017-03-04

繰原秀平 様 はじめまして。 「一見すると」とおっしゃってくださったので、他にも様々な想像をしてくださったのでしょうか?もしもそのようでしたら、大変幸いです。 「滑稽さ」、「倦怠」、「悲しみ」、「狂気」、「懐かし」さ、「喪失感」を感じていただいたとのことで大変嬉しく思います。ありがとうございます。 「秘密の美しさ」は、ポエトリー・リーディング伝えるために書いた詩と、画面や紙で読んでいただき、それを伝えるために書いた詩とで、異なる点があると考えました。前者では、読み手に対して遅効性を待たせた言葉が有用であると考えております。そのことから、「秘密の美しさ」を感じておりました。 しかし、おっしゃっていただいたことをお聞きして、なるほどと思っておりました。「取り返しのつかな」さもの件、 (サキデテフレテ)

2017-03-04

まりも様 「文の運びのスピード感」について、おっしゃる通りです。 創作には、取捨選択の醍醐味もあると思うのですが、自身、何を優先したかったのか。その事をもう一度考えたいと思います。そして、「スパッと切っ」た場合の作品と向き合い、その上で自問したいと思います。 あいまいさに楽しみを見出していただき、「もどかしさ」についてもお言葉をくださり、ありがとうございます。人様に声で聴いていただく場合と、目で見て読んでいただく場合とで、必要なものはきっと大きく異なると考えております。今後も勉強していきたいと思います。ありがとうございます。 (サキデテフレテ)

2017-03-03

もとこ様 ありがとうございます。書いていただいた内容に関して、(いい意味で)こちらから書けることはほとんどないなと思いました。 悲しさを受け取ってくださり、ありがとうございます。 (サキデテフレテ)

2017-03-03

三浦果実さま 「Ver更新工事」の件、ありがとうございます。「変遷」についてもそうなのですが、何より、自分で行ったコメントを見返すことが出来るところが大変良いなぁと感じております。<熱が冷めた後にもおいしいか>など考え、反省の意味でも別の意味でも、自分のコメントを見返しております。 「表現体」の「模索」についてはおっしゃる通りです。 結果はどうあれ、リーディングの世界は私に、<より良く伝えること>について省みる機会を与えてくれました。 本作は、書く詩の世界が持つ<秘密の美しさ>に触れて書いた作品でした。 多くの学びを、ありがとうございました。 (サキデテフレテ)

2017-03-03

>>「のっぺりとした空は 吐き出しきれずに つぶれてしまいそうで怖い」 ここでは、「空」に対する「私」の投影を見たような気がしました。どちらかと言うと、自分のためよりも人のために生きる方(かた)が、それゆえに空に苦しみを重ねているのだろうかと妄想されました。 「玩具屋に並ぶ偽物より」も悲しい「向こう側の家々の小ささ」について考えておりました。 ここから、家庭の機能不全の可能性を想像しておりました。だからか、最後、私にはどうしても、幸せな帰路をゆくようには感じられませんでした。 悲しみがちゃんと痛い作品でした。 ありがとうございました。 (茄子のうし)

2017-03-02

まりも様 色々な仮説を立てながら読ませていただきました。 「私」は、〈これから〉鳥を自分のものとするのか、それとも以前に逃していたのか。 箱の冷たさに関して、前までは温もりがあったのか、それともまだ一度も温まったことがないのか。 「私の口」は、自らに「落伍者」と告げるのを嫌がりどこかに行ったとあるが、なぜ嫌がったのか。「口」は、「私」を「私」以上に愛しているからと考えられないか。 「鳥」が人生の飛躍やその人の内的な成長などを象徴すると仮定した場合、「歌」は、人が生きる上でのポジティブな仕掛けとは考えられないか。 ここまで、以上の様なことを考えた場合に、箱の中が空であったことにある種の納得がいくと思いました。 つまり「私」は、精神の発達においてまだその過程にあるのではないか。具体的には、少なくともまだ壮年期には達していない可能性が高いのではないかと考えました。 本作からは、「私」のこの先の〈成長の可能性〉と〈未来〉を感じ取りました。 素敵な詩を、ありがとうございました。 (私の鳥)

2017-02-28

田中ジョヴァンニさま >>「タカヒロは何故か迫りくる惑星を、このバットで打ち返せそうな気がした。」 この箇所に最も詩を感じました。 読み進めながらこの部分を受け取った時に、はっとなる感覚がありました。 人間は、無気力状態に至る過程にも学習すると聞きます。例えば、あまりに遠いものに手を伸ばすことを段々としなくなるという話に近いと思います。 男性機能の回復は、手を伸ばすことへの再帰とも取れます。 この先の彼に困難が待ち受けていることは容易く想像出来ます。しかし、きっと何とかやっていくのだろう。そう思わせる作品でした。 ありがとうございました。 (その熱く滾る硬い棒を)

2017-02-28

三浦さま もしかしたら、ある特定の書き手に対する愛(応援のようなもの?)を書いた詩なのではないかということを、本作から感じ取っていました。 タイトルを受けて、作者はここで「ポエム」という言葉をどう定義しているのか。なぜ「詩」と表記しなかったのか。 上記のそれぞれの字が持つ音感や見た目の特徴という観点だけで選ばれたものではないのではないかと考えておりました。 >>「学ぶまえに言葉を使うよって」 この部分からも、いわゆる「ポエム(笑)」と嘲笑され葬られて来た人たちへのメッセージ性を感じずにはいられませんでした。 >>「最果てに咲く刃物」 素晴らしい言葉だと思いました。 サバイバーとして、思わず熱くなってしまいました。素敵な詩をありがとうございました。 (殺されたポエムの子供)

2017-02-27

百均さま コメントをくださりありがとうございます。 音の踏み方の件、加減をどこまでするのかという難しさがあるなと感じております。どこまで重ね、どこでやめるのか。今後も勉強していきたいと思います。 引用部分を褒めてくださりありがとうございます。この詩の創作にあたっては、ある映画から大いに影響を受けたところがありました。水のイメージが届いていてよかったです。 (水底の住人)

2017-02-27

三浦さま こんばんは。素敵なお言葉をくださり、ありがとうございます。 「詩について。詩とは?詩で何がしたいのか?」ということを、最近は考えずにはいられませんでした。 今後も続けていきます。ありがとうございます! (ポエジー)

2017-02-26

花緒さま ツイキャス聞いて下さっていたんですね。ありがとうございます。 今回もコメントを下さりありがとうございます。 タイトルの件、確かにおっしゃる通りだなぁと思っておりました。 実は私は、年末まで2年間ほど詩の朗読(ポエトリー・リーディング)をしておりました。その期間は、長い間書く詩にしか触れて来なかった自らにとって、文字で読んでいただく詩と声で聴いていただく詩の違いを考え続ける期間でした。そこには、速効性と遅効性のどちらを詩にどのように含ませるのかという選択がありました。 そういった体験を経た現在に、こちらの掲示板に出逢えたことに幸運を感じています。素敵な場を与えてくださり、ありがとうございます。 今後は、読んでいただく為の詩への工夫もさらにしていきたいと思います。 (ポエジー)

2017-02-26

Migikata様 はじめまして。作品を読ませていただきました。拙いコメントではありますが、書かせていただきたいと思います。 葉や茎に対してですら、生々しいにおいを感じる詩であると思いました。 >>「右へ行けば左、左は前で前から上へ 下から回り斜めに抜ける」 この箇所から、現実と非現実を区別する自らの機能に混乱を感じたのですが、それすらどこかで心地が良いから大変不思議です。 >>「気持ちいいけど気持ちいい」 この箇所についても、ある種の倒錯性に似たようなものがうかがえて、大変面白く読ませていただきました。 読ませて下さり、ありがとうございました。 (未来の私)

2017-02-25

桐ヶ谷忍 様 はじめまして。私はクヮン・アイ・ユウと申します。作品を読ませていただきました。拙いコメントですが書かせていただければと思います。 本作からは、作中の「私」の自己嫌悪が読み取れました。「共通点」からも「薄っぺらな笑顔」という言葉からも、そして何より刺す行為から。 ある時期に、自分や誰かと不本意な約束を交わした。その時から、生きながら死んでいる自分で居るということにも気がついている。そしてその事実が、ますます嫌悪感を強めているのではないか、そう思われました。 では果たして、本作は「私」の絶望が描かれた詩なのだろうかと考えました。 最終的に、私はこう考えました。 そこかしこで眠っている人形たちに名前をつけるとしたら、「生きたい」ではないかと。 すみません。かなり自由に書かせていただきました。読ませていただき、ありがとうございました。 (「弔い人形」)

2017-02-24

長庚様 はじめまして。クヮン・アイ・ユウと申します。 作品を読ませていただきました。少し書かせていただきます。よろしくお願い申し上げます。 はじめ、ローマ字が場面転換の為に仕掛けられた装置かと思われました。 再び読み返すと、それだけではないのかも知れないなと考えさせられて、面白かったです。 この羅列が、読者にゆっくりじっくり読ませる働きを持っているということ。 読みながら、頭の中で文字が変換されていきました。こういった体験の機会が、ある間隔で用意されているので、新鮮でした。 「読むという行為」についてや、「作者として、仕掛ける側としての表記の選択」について考えさせられる機会をいただきました。 本作に触れて、「人は変わりたいと願いながら、その実変わることを避けている(あるいは恐れている?)」という主旨の言葉を思い出しておりました。 この詩から、「悲しみからの解放、しかしそれにも伴う悲しみ」のようなものを感じておりました。 ありがとうございました。 (追悼)

2017-02-23

まりも様 心のこもったお言葉の数々、ありがとうございます。コメントを読ませていただきながら、感じていたのは、感謝の気持ちでした。 詩を書き人様に対して発表するときに、そもそも私は、どんなことを求めて行動しているのかということを改めて考えさせられました。 つまり、「私は私が思うような解釈をされたいのかどうか」ということについてです。答えは中々出ませんが、一方で、この喜びは本心だろうとも考えております。 実は、今回まりも様からいただいた冒頭のお言葉と同じ主旨のコメントを、以前に他の詩人の方からもいただいたことがありました。 今回いただいたお言葉を受けて、どうやら私の詩作では、言葉が言葉を産むということが本当に起こっているのかも知れないなと思うようになりました。ありがとうございます。大切に抱きしめていきたいお言葉です。 「聞き手」という考え方もあるのですね。とても驚きました。「利き手」に、はからずもその様な働きが与えられていたのだということを知り、大変嬉しく思います。詩の面白さを新たに教えていただきました。 本心で生きたいという主旨のテーマについてですが、おっしゃる通りです。この詩にはそういった願いが込められていると考えております。 詩作を通じて、あとになって本心を知るということが作中の「私」に起こるということがとても面白いと思っております。 大切なお言葉をたくさんいただきました。 本当にありがとうございました。 (水底の住人)

2017-02-21

三浦様 コメントを下さりまして、ありがとうございます。 詩が聴覚、視覚(ときに触覚)等のどの感覚から受け取られるのか、状況によって速効性と遅効性をどの様に含ませるのか。最近はそんなことをよく考えておりました。 これまで、朗読する時間よりも書く時間が長かったのですが、「読ませる時間を与える掲示板」が持つ良さに救われる感覚も改めて感じております。 大変勉強になります。 ありがとうございます。 kaz. 様 初めまして。コメントを下さりましてありがとうございます。 タイトルの件、つまらなさを含ませる代わりに、自分がそこに何を与えたかったのかということについて考えております。他のタイトルをつける場合に、どんなタイトルをつけるのかということも含めて、引き続き向き合っていくこととして考えております。 いくつかの点についても「良い(いい)」とおっしゃって下さり、ありがとうございます。 「なんとなく、すごく奥手な恋愛詩、の感じもする。」というお言葉については、こちらとしては驚かされるものでした。背景を探る意味でも、そういった視点から改めて読み直してみたいと思います。 紐の頼りなさについては、その様に受け取っていただけたことに対して、嬉しく感じております。 「もう少し詩を面白く」出来たかも知れないという点について、ありがとうございます。「花さないで」というお言葉を受けて、自分には思いつかなかった言葉だったなと思っております。確かに、詩に面白さが加わる言葉であると思いました。 今回とても勉強になりました。 ありがとうございます。 花緒様 こちらこそ、コメントを下さりまして、ありがとうございます。 「想いを残しながら死んで水底に沈んでしまった人の詩想が、水底から浮かび上がっていくような感じ」 上記のお言葉を嬉しく受け取っておりました。 はじめに、この場でどこまで作者の意図を語るべきなのか語らざるべきなのかということについて、難しさを感じております。 少し語らせていただくと、実はおっしゃっていただいた内容とは少し異なる考えのもとでこの作品を書いたのですが、手もとを離れた以上、実はそれも大して大切なことではないなと考えております。何より、今回のように自らの作品に対してアプローチしていただけたことに大きな喜びを感じております。人様に自分の意図通りに詩が伝わるよりも、何倍も嬉しく、学びの多いものとなるのではないかと考えております。 貴重なお言葉をくださりまして、ありがとうございました。 (水底の住人)

2017-02-21

(寒の戻り)

2022-04-03

夕方

2022-04-06

告白

2023-01-05