作品投稿掲示板 - B-REVIEW

室町礼


投稿作品数: 43
総コメント数: 664
今月は0作品にコメントを付与しました。
プロフィール
記録
プロフィールはありません

室町礼の記録 ON_B-REVIEW・・・・

ゴールド初コメント送信者

作品への初コメント数バッジ(くわしく)
獲得バッジ数

ゴールドレッサー(月毎)

月毎コメント数バッジ(くわしく)
獲得バッジ数
✖7 ✖10 ✖13

無双のB-Reviewer

総合コメント数バッジ(くわしく)
獲得バッジ数

ゴールド投稿者

投稿作品数バッジ(くわしく)
獲得バッジ数

犬(いぬ)論

2022-12-21

マスク疲れ

2022-12-09

宮台襲撃

2022-12-05

発狂する世界

2022-10-13

処刑の夏

2022-08-01

感謝します

2022-06-17

詩の文法

2022-04-01

眤月

2022-01-14

初恋

2021-10-13

灯台

2021-09-23

断片、としか

2021-09-04

追記 それと柳煙さま。お礼にというわけじゃありませんが フォームに立てられて問題的に「批評について」へコメント したいのはやまやまなんですがわたしのフォーラムへのコメントは すぐに反映されず一旦検閲にかけられます。荒れているトピックスへの 対処ならわかるのですが新規でもそういうことがありました。 わたしは検閲にかけられるというその事自体が非常に不快ですので 今後いっさいフォーラムにはコメントしないようにしております。 いいお題のトピックスで残念ですがじぶんが書き込んだものが検閲 されているという意識だけでも不快を通り越して非常に不愉快なもので もうしわかありません。 そのうち投稿作品へのコメントまで検閲するようになるのかな。どうなんだろう。 ひどいことをひどいと思わないで平気でつづける運営さまを見守っていきたいです。 ( ちがう人間ですよ )

2023-02-06

柳煙さま。お読み下さりありがとうございます。 おっしゃるとおりだとおもいます。 ただ運営と対峙しているわけじゃございません。 申し訳ないですが運営さまが対峙するほどのお相手とは まったく思っていおりません。またひどいコメントをした方にも 対峙しておりません。こんなことをいうとなんですが歯牙にもかけておりません。 ほんとうにすみません。幼稚で単純で自己愛一辺倒の大人になりきれない 方々を相手にしたり対峙するほど暇ではありません。わたし忙しいしやること いっぱいございます。失礼をいたしました。 ( ちがう人間ですよ )

2023-02-06

Comoestanuquiさま お読み下さりありがとうございます。 いったい何から語れば良いのか語ることが多すぎてまた自分の心の隙間も 心配りの至らぬこともありそうでしばらく天井を見上げていると一番最初に思い出したのは ご病気で亡くなられた投稿者の田中修子さんのことなんです。 わたしは田中修子さんがそこまで深刻なご病気だとは知らなくて何度かメールを 頂いたときも軽い調子でよもや話程度にしか相手にできなかったことを悔やんでいます。 そんな御病気だと知っていたらもっと慎重に用心深く語ったのにと。 そのときつくづく思ったんです。みんな一人一人それぞれ違った重みを抱えて生きている。 みんな自分とは違うのにそのことへ想像が至らなかったことを情けなく思いました。 そしてそんな情けない悔しい思いをしたことをいつもすぐに忘れてしまっている。 田中修子さまだけじゃない。知らない相手を相手にしていることに配慮が足らなかった。 わたし自身もそうだったんですよ。幼いとき親父から風呂場で湯に頭を押し付けられ殺されそうになりました。 あとで母から聞いた話ですが腹を蹴られて腸捻転を起こし救急車を呼んだこともあったそうです。 ずっと虐待を受けていたのに風呂のことが少し記憶に残っているだけなんですね。 おそらく怖くて何も思い出せないんです。だから小学生の初めてのプールで水に入るのを大暴れして 拒んだのですが同級生は大笑いするし教師は力ずくて水に引き込もうとして結局わたしが泣きじゃくるので 舌打ちをしてやめました。わがままなただの臆病からきているとしか考えなかったのです。 みんなが水泳を楽しみに来ているのにわたしの恐怖のせいで波乱が起きたことをわたしは謝罪すべきなのか?   子どもたちは水泳を愉しむためにここにきてます。   きみは迷惑なので立ち去ってほしい。   非常に不快です。   ここにいるのなら死んでもいいからプールに入れ。 もしこんなことをいう教師がいたとすればその教師の神経がどうなっているのか実のところわたしにはまったくわからない。 ましてや   それでも人間か。 というのは、相手を人間とみていないということになります。 だれかがプールに入れないトラウマを抱えて拒否しているだけで本人が無理にプールに入れられようと しているわけじゃない。いわば傍観者です。そいつが「それでも人間か」と叫んで憎悪を撒き散らしている。 この心的構造がわたしにはまったく理解できない。どうすればここまで他人を憎悪できるのか? これは詩作品にもいえます。 ひとつの作品はその作品をつくりだすもとの感情や思想がなんであれ作者の人格とはまったく独立した ものです。それが芸術的昇華ということであることは中学生でも知ってます。 その作品を見ようとしないで作者の人格を憶測して憎悪までつのらせる。作品をみようとしないでかってに憶測して 「嫌がらせに困ってます」とTwitterでおおやけに宣言する。これこそ人間のやることでしょうか? 数回言葉を交わしただけでていねいに話し合おうともせずにここまでやるなんてありえない話です。 不快だといえば何でも通る集団というのは幼稚園児の未熟な世界です。不快。つまり気持ちよくない。 世の中には気持ちよくないことなんていっぱいあるし大人の世界ってのはそういうものと関わりつつ 成長していく構造になってる。そんな社会人としてのいろはもわからない御仁が詩を書き運営をしている。  もっとわからないのはこういう方に限ってナチの強制収容所体験をしたユダヤ系詩人のことを 苦悩のポーズで語ることが大好きだということです。おそらくそういうことを語れば 知的な人間でヒューマンだとみなされるのでしょうね。なんという茶番か。わたしの見るところ今日 ことが起きれば一番かんたんに顔色も変えずに気に入らないやつらを皆殺しする思想や体質の人間に かぎってリベラルやヒューマニストを気取っている。 ああ、話が脱線してしまいました。怒りは何も生み出しませんね。 そもそもわたしには何も語る資格はないのですよ。『出口がない』という作品を読んで的確なコメント をなされていた湖湖さまには頭が下がります。わたしこれからは湖湖さまに足を向けて寝れないです。 湖湖さまの以前の投稿作品に批判的なコメントを付けたことをいま反省しています。これほどの方だから わたしになんらかの読み落としがあったのかといま狼狽しているところです。 吸収さまも最初のコメントは作品だけをみていたと思います。 それでも人間かといったコメントをした方は謝罪の気配もないし運営はカードを出すような動きがありません。 なんとも情けないし残念に思いますが他のコメント者にこういう方々がいたことはわたしには救いでした。 ( ちがう人間ですよ )

2023-02-06

蛾兆さま。 管理人さまから忠告されたのはあなたの投稿欄へのコメントをやめることですよ? 他の投稿者のコメント欄でも批判するなというのなら蛾兆さまはその後三浦果実さまの投稿  【ネット詩はメタバースによってゲーム化する】 https://www.breview.org/keijiban/?id=10568 で    室町氏については嫌悪感しか感じないので、 とわたしの名前を出して誹謗中傷してますよね? これに対してもわたしは言われっ放しを 我慢しろということなのでしょうか? 蛾兆さまはいくらでもわたしを誹謗してもいいが わたしはそれに対して反論や注意はできないのでしょうか? 運営がそういう不公平を認めているのでしょうか? いい大人でしょ? 子どもじゃないのですから話し合いもできず、上から目線で一方的に相手を抑圧し、 すぐに感情や憎悪を爆発させてキャンセルしかできないようで他者とどうやって交流できるのですか?  ご自分がいかなる場所でも名前を出して批判されたくないのなら、いかなる場所でも わたしの名前を出さないことをまずはあなたが実践すべきです。話かけるなといいながらわたしの名前を出したことを 謝罪もしてませんよね? とにかくあなたの投稿欄へのコメントはしませんが、他の方の投稿にコメントしようとして 蛾兆さまのコメントで非常に不愉快な思いをして、コメントする気持ちにヒビが入りました。 「それでも人間か」って人間はみな人間です。人殺しだって狂人だって人間です。 そんないいざまはないでしょ! 人間をなんと思っているんですか! 今後とも蛾兆さまが不愉快な言動をしてわたしの表現活動を妨げるようなことがあれば それについては批判させていただきますよ。 (出口がない)

2023-02-05

蛾兆さま、わたしはこの作品、白血病の問題を中心にどう評価批評 しようかとずっと考えていました。ある作品の受け取り方は読み手それ ぞれの自由裁量であるとおもいます。それをこのようなコメントで非常に 不愉快な思いをしております。 蛾兆さま。すぐに感情的になって出ていくか出ていかないかという 関係遮断思想を持ち込むのはあまりよくないですよ。 どうしても自分の好みの人だけのサイトにしたいのなら運営と 話し合って会員制の投稿サイトにされては如何でしょうか。 オープンに開かれた投稿サイトならそりゃあいろいろな人が 入ってきます。じぶんの好みに合わない方もそりゃあいらっしゃる でしょう。それをいちいち話し合いも拒否して、出て行けば? という話にもっていくなら運営と話合われて会員制にすればいいと 思うけどなあ。でないと表現や批判の自由があると思って参加された方は とまどいますよ。蛾兆さま、どうかご一考を。 (出口がない)

2023-02-05

蛾兆ボルカさま、あなたは間違ってますよ。 作者のこころのなかでどんな作詩欲求があろうとそんなことは詩作品の出来や価値とは関係ない。 あなただってじぶんの投稿欄で人から不快なことをいわれるといやだといってコメントを封じられた。 それならなをのこと人さまにだれがみても異常なこんなコメントをするべきではない。 いきなり「あなたはそれでも人間ですか」って、それは説明をつくして相手に意見も聞いてから 最後にいうのならともかく、読んでいても不快になるコメントです。こんなコメントをしても運営がなにも あなたに注意しないのだとすれば問題だとおもうけどね。少し頭を冷やしてください。 わたしはこの作品のことをどう批評するばいいか何度も読み返しています。そこにこんなコメントされては 不愉快です。 (出口がない)

2023-02-05

追記 これがほんとうの最後。笑 コメントをする前にわたしは夏立むぎさまの過去作をすべてひとつひとつ読み直し、 その上で最果タヒに匹敵するほどの感性豊かな詩作者だなと驚愕かつ震撼しておりました。 これからさらに伸びていくために夏立さまにひとつだけ足らないのは才能ではなく 厳しい批評だけだなと思いました。もちろん厳しい批評にさらされなくとも最果タヒの二番煎じのような 詩人にはその才能ならなれるでしょうけどもったいない。わたしのは批評ではなくただの 感想にすぎませんでしたが今後のご成長と詩人として唯一無二の存在になられることをお祈りしております。 いやな気分にさせてもうしわけありませんでした。これにていっさい関わることはありませんのでどうか ご安心ください。 (システム)

2023-02-03

>痛い思いをしてセックスをすること=犯罪=わるいこと それはすぐにわかりました。わたしもそれほど暗愚じゃないので。おそらく田中さまも わかっていたはずです。しかしそれなら痛い思いをしてセックスをすることは犯罪...... で終えなかったのかと考えたのです。そこに「わるいこと」という尻尾がついてくる。 あるいは痛い思いをしてセックスすることは悪いことだで終わらなかったのかと考えました。 三段になっているのはなぜか。 すると犯罪=悪いことという価値観が入り込んでいるのじゃないか。御本人が意識しているかどうか知りませんが。 わたしにはそれは表現者としてほんとうにどうしょうもない考えだと思われました。 コームインというのはあなたのことではなくコメント寸前にコームインの男から低学歴者はワクチを打たない。 バカだからということを公で平気で差別的偏見を吐いていて非常に不快になったことが原因でつい出てしまったのかもしれません。 このところコームインの男らのそういう発言ばかりに出逢ってしまってコームイン的な発想という意味で書きました。 もちろん「すべての」公務員がそうでないのはあたりまえのことですが。 いずれにせよ、今後はいっさいのコメントは控えます。不快にさせる意図はまったくありませんが不快にさせたのなら 今後はいっさいの投稿を読まないようにしますしもちろんコメントもしません。 (システム)

2023-02-03

   犯罪は悪いことです 犯罪=法律に抵触することなのでしょうけど、 それなら1935年、ドイツで成立した「ニュルンベルク人種法」に反した人は犯罪者ですか。 あるいは1983年に成立した日本の「国家総動員法」に反したひとは悪いひとですか。 たしかにその共同体の中では犯罪者であり悪い人なんでしょうけどね。 時代が代わり法が変われば犯罪者も悪い人の範疇もころころ変わるというのもなあ。 偏見や差別意識の強い、コームインの発想だとわたしはおもっています。 (システム)

2023-02-03

膿でもなんでもなくあたりまえの言葉であると思います。 ただ、このような言葉を配信することは きょうびは孤独に耐えなければならない。ひとりぽっちの道を 歩くことになっています。本来ならそれが詩人のたどる道であるはずなのに どなたも詩もどきを書く方々は知らぬふりをしている。 いやな世の中です。 (間引き)

2023-02-01

おはようございます。 読後感ですが、 非常に愚かで幼稚な人間がマンションの管理をしている。 頭もそれほどよくない。 それに「間引き」というよりは「検閲」でしょうね。 そういうことをして平気な幼稚さ、頭の悪さ、精神の未熟さには あ然とする。 まともな神経をもつ住人は去ったということでしょうね。 あるいは去ったはずの一部のもと住人が外から管理人に司令している とか。どっちにしろ幼稚な管理人と住人だからそうなるのでしょうね。 (間引き)

2023-02-01

お恥ずかしいはなし、わたし三浦さまからメタバースという単語を知るまで メターバースなんて語彙、目にも耳にもしたことがないので、しばらく暗澹としておりました。 それでいろいろ調べて、ああ、バーチャル仮想空間のことかと納得した次第です。 正直なところ、わたしにはこの話題に関して何もいう資格はないし、また、何も考えが 浮かんできません。 ただ、世界は必然的にこの世界へ向かっていくことは確実なんじゃないかと憶測しております。 わたしはもう十年近くblenderをいじっており、4Kの精密な3Dフィギアを自作できます。 メタバースという言葉を知ってさっそく中国百度のメタバースエリアをみたのですが、そのフィギア というかアバターってんですか? それのチンケさに驚愕しました。わたしなんかが操作、造形している 3Dフィギアはリアルな人間とほとんど変わらないほど精巧です。それでも表情や動き、陰影などは まだまだあと十年ほどはかかるでしょうね。でも、メタバースが将来資源がつきて社会関係も貧困化した世界の 救世主になるかあるいは家畜化への先駆けになるかはしれませんが、これからますます拡大していくことは 確実だと思います。 (ネット詩はメタバースによってゲーム化する)

2023-01-26

B-REVIEWさま どうか私情は一旦脇に置いて、運営者として公平な管理をお願いします。 わたしはB-REVIEWさまに、わからない点や疑問点を列挙して質問しております。 最初に疑問点や要望をしたのは蛾兆さまです。わたしはそれが許されているのをみて右に習っただけです。 ところが運営さまがわたしにコメントするなといった蛾兆さまの、わたしへのコメントはいまだに許しておられる。 どうか蛾兆さまによるわたしへのデマ誹謗中傷は即刻やめるようご指摘下さい。どこがデマであるかは これまで丁寧に指摘したはずです。 運営さまのお立場を考えてこれまで言わなかったのですが、わたしへのイエローカード発行の際の理由も じつは論理的におかしいところがありました。反論すればよかったのですが我慢しました。 しかし、このような不公平が続くと、最初のカード発行の、論理的にだれもがおかしいと感じる疑点も問いたいと考えます。 どうか私心、私情は脇に置いて、公平な、公平な運営をお願い申し上げます。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-26

追記2 B-REVIEWさま わたしが『金色夜叉』を読みもしないで蛾兆さまを攻撃していると蛾兆さまは運営に申告していますが、 蛾兆さまが『金色夜叉』を初めのほうしか読んでないことは御本人が投稿作品中で自ら語っています。     その後、貫一君は頑張って出世したんじゃないかと思うけど、どうだったか覚えていません。     そんなやつのその後なんか、どうでも良いですから。     またお宮さんもどうなったんだか。新彼氏はやっぱダメなヤツかもしれないし、     貫一君と寄りを戻すのかも知れないし、それは覚えてないんですけど、僕には興味もないんですよね。 『金色夜叉レビュー』と銘打ちながら、レビュー前に読み直しすらしていない。理由は「そんなやつに興味がないから」 だそうです。レビューを書くなら一度くらい読み直すのが筋でしょうし、 興味が無いなら最初から書くなとも考えられるわけです。そんな人がわたしのことを「読みもしないで」と運営に申告し、 対処を求めている。信じられないほど身勝手な話です。そもそも、その後の貫一お宮の生き様に興味がなくとも 一度でも読んだことがあるなら忘れるはずのない直截なストーリです。いったいどちらが読んでないで語っているのか。笑 この伝で言えば、お宮を「飛び蹴りした」とかいう主観的でデタラメな読み方も、当然であるといえば当然と思えます。 貫一とお宮の恋愛(対幻想)は、他人が横からストーカーだのなんだのと調子外れな解釈を許すものではありません。 ほんとうにお宮がストーカーと感じているのなら、何年も忘れられず自ら手紙を出し、返事がなければわざわざ会いにいきますか。 恋愛というのは第三者の解釈なんかを受容しない独特の二人の世界なんです。そういう意味では、貫一の行為は激烈な 愛情表現であったとみてもいいでしょう。だからこそいつまでもお宮は貫一のことが忘れられなかったのです。 こんな程度の恋愛のいろはも知らないで、ストーカーだ、暴力だあと叫ぶような人間が文学を語ることに恐ろしさを 覚えます。 B-REVIEWさまが蛾兆さまの言い分を聞いてわたしを批判しましたがちゃんと文学がわかっている人たち、それも目上の 経験も実力もあるちゃんとした方にどちらがあたりまえのことをいっているか感想を聞いて下さい。 そうでないと最先端の言論サイトなんてとてもいえないと思いますよ。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-26

追記 それから『金色夜叉』ではストーカー被害者であるはずのお宮がいつまでも 貫一のことを何十年も思い続けるわけです。ストーカー被害者がいつまでも加害者のことを 思い続けてしつこく追いかけるわけないのです。お宮は手紙を出しても貫一に相手にされないと、今度は 直接、貫一に会いにゆく。そんなしつこいストーカー被害者がどこにいますか。笑 この時点で蛾兆ボルカさまは『金色夜叉』をまったく読み違えているのです。それどころか、 恋愛という対幻想についてまったく知見がないし、恋愛というものの本質も知らない。 だからわたしは「ストーカーが必ずしもダメ人間とは限らない」とコメントしたのです。 ところが蛾兆さまは、わたしが『金色夜叉』も読まないで思い込みにもとづいて攻撃しているという。 わたしはそのデタラメな誹謗中傷に呆れ果てて反論する気にもなれないのですよ。 おそらく蛾兆ボルカさまは『金色夜叉』が未完の書であることも知らないでしょう。 最近、かんたんに青空文庫あたりで読んだにすぎないことはその表面上の解釈だけで 貫一をストーカーと決めつけたことでわかります。 こういうことすら反論も批判もできないでいて、ここが先進的な言論空間であるといえますでしょうか。 B-REVIEWさまもおそらく『金色夜叉』のような古いものをお読みになっていないでしょうから無理はいいませんが、 もう少し、冷静かつ公平な運営をお願いしたいとおもいます。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-26

B-REVIEWさま >「ストーカー」という語は現代の社会では一般的にストーカー行為をする犯罪のことを指していると指摘しているまでです。 ということですが、 B-REVIEWさまそんなことはわかっております。よくお読み下さい。ストーカーを肯定もしていませんし、犯罪じゃないともいってません。 わたしがコメントしたのは法的解釈ではなく倫理的な側面からの考えをコメントしたのです。 「ストーカーは犯罪ではない」とコメントしたのではなく「ストーカーは必ずしもダメ人間じゃない」とコメントしたのです。 これは思想信条、表現、発言の自由の範囲内です。ストーカーの心情や精神状態への文学的な掘り下げの一環です。 政府広報オンラインのURLを持ち出されていますが、わたしの思想信条とはなんの関係もないですよ? 運営さまはいつから投稿者の思想信条や認識の是非、正否まで判断されるようになったのでしょうか。 システムや規約の判断を超えて、表現や発言や認識の是非まで踏み込むのは行き過ぎではないでしょうか。 それから、蛾兆ボルカさまへのコメントはしないと了解しているはずです。でも、犯罪者容認発言はデマだから 訂正と謝罪を求めているのです。これがどうして懲罰対象の発言になるのですか?  どこで蛾兆ボルカさまに要請できるとお考えでしょうか。お聞かせ頂ければ今後の参考にします。 また、蛾兆ボルカさまがこのようなデマを流して懲罰対象にならない理由もお聞かせ願えればありがたいです。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-26

追記2 B-REVIEWさま あえて法律論に立ち入りますならば、なをのことあなたがた運営さまの発言は間違っています。 まず、刑法はいっさいの倫理的な判断を避けております。ある犯罪行為が「良い」とか「悪い」とかいう 判断をあえて下しておりません。たんに「法文に抵触する」という判断を示すだけです。そりゃそうですよね。 殺人は「悪いことだ」と刑法に書いてしまったらその国は戦争などできません。刑法は殺人も窃盗も詐欺もすべて「悪い」 とは書いておりません。「刑法●●条に抵触する」という判断を示し、被告に法文が定める刑罰を言い渡すだけです。 「ストーカー規制法」もそうです。「ストーカーは悪い」とか「ダメ人間だ」という倫理判断、道徳判断は示しておりません。 しかし宗教書などは、法とは逆に、倫理的判断を示します。たとえばモーゼの十戒などがそうです。しかし法律はいっさいの 倫理判断、道徳判断は性質上、下せないのです。そういう主観的なものは人、国、習慣などによって違うから、判断材料から斥けるのです。 そこで運営にお聞きしますが、 仮にわたしがストーカーは「ダメ人間とは限らない」とコメントしたとして、そのどこが法律の文言に反しているのでしょうか? ストーカーは犯罪ではないといってませんよ? ダメ人間とは限らないと、倫理的精神的な発言をしているのです。     ストーカーについて認識に誤りがあるのは室町礼氏であると考えられます。 B-REVIEWさま、わたしの認識のどこが、どのように誤っているのか、お教え下さい。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-26

追記 むかし芹沢俊介という批評家の講演を友人とふたりで聴きに行った時、 芹沢が熱をこめて恋愛論を語ったのですが、そのとき、友人が不意に立ち上がり、 「それって、ストーカーじゃないですか」と指摘した。芹沢は長い間、呆然として 返答ができませんでした。それほどにストーカーの精神的な部分については恋愛の精神状態と 重なるわけです。なんなら資料を調べてお出しします。たんに法律の問題だけなら なにも文学など必要ないわけです。あなたがたは文学をなんと考えているのですか? 法律論だけで「ストーカー」という精神の問題を解析できるのですか? 信じられないほど無知だと 思いますよ? (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-26

よく読んで下さい。わたしはストーカーという精神的な側面を言ってるんです。 犯罪行為を認めている文言などどこにもありません。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-26

蛾兆さま というのはまあ、冗句でして、じつは パソコンを閉じて、くつくつ笑って噴き出していたのですよ。 わたしは長いことネットやってますけどだれかについて 「嫌い」とか「嫌悪を覚える」とか一度も使ったことがないのです。 まあ、目に見えない知らない相手に憎悪を抱くほど関係妄想が ないこともありますが、それよりそういう言葉の乱発は 「好き」と同義語なんです。裏返しの愛の告白なんですよ。 気になって気になってしょうがないのです。まあ、蛾兆ボルカさまは なんと、愛いやつかと、苦笑していました。そんなに好かれても 困るんですよ。だってオレ、あんたのこともう念頭になかったんですから。 でも、蛾兆さまのコメントでまたしても蛾兆さまのことを いろいろ想像させていただくことになりました。本来、 ストーカー的な性質、わたしゼロでして、よく女性からは冷たいと いわれるし、ある年上の相談者からは「きみ、株やれよ。きみは "損切り"が平気で出来る人だ」といわれました。 事実、わたしは蛾兆さまみたいに憎悪のような感情を持続できないタチで 蛾兆さまのような精神的ストーカーの性質からは もっとも遠い人間であると自覚しております。なぜ蛾兆さまがそこまで ストーカーを憎むのか、なんだかわかってきたような気がしております。 本人がこういうかたちでいつまでもわたしを追いかけているのですからね。 どうかご自愛下さい。 寒波が襲来しておりますので、お風邪など召しませぬよう。 (ネット詩はメタバースによってゲーム化する)

2023-01-25

  室町氏については嫌悪感しか感じないので、言及しませんが、 そうやって言及してるじゃないですか。 名前を出して、嫌悪を覚えるといってる。 どこまで卑劣で卑怯な話法を使うのですか。強く抗議します。 そういう話法を肯定するのなら、以後、わたしもそのような話法を 使わせていただきますよ? それが嫌なら、このことについても 謝罪して下さい。謝罪がないならあなたの今回の話法はオーケーと みなします。 (ネット詩はメタバースによってゲーム化する)

2023-01-25

おもしろかったです。 バイオリンをギターのようにかき鳴らすとか 悲鳴を集めてガソリンに変えるとか、好みの転換です。 ただ、それならなぜタクシーの運転手に大絶叫させてしまったのか。 ここは沈思黙考させるかして”静”への転換が欲しかったところ。 でも、まだまだこれからの方でしょうから、期待しております。 (産声サブスクリプション)

2023-01-25

くろかみさま、お読み下さりありがとうございます。   思想について熱く語れる場があることは、本当に楽しいことですね。 おっしゃるとおりです。同意致します。 ただし、思想学と思想とは違うと思うのです。 既存の思想家の思想を語るのは思想学であって、それは思想ではない。 思想とはその各々の方の思想を その各々の方々の経験や生き様を通して語ることであって、有名思想家の思想を 聞かされるようなことがあってはなりません。そういう思想学をわたしは必要としないし 興味も関心もないです。たとえどれほど稚拙であれ、ある人の生きざまや経験体験から 出た独特の思想なら たのしくお聞きしたいものだとおもっています。これは詩にも批評に対しても いえることで、既存の思想家の一視点をもってねじこむようなことは良としません。 そのかたの稚拙であっても独特の批評を聞きたい。わたしがもっている考えです。 黒髪さまも同じだとおもっています。どうかよろしくお願いします。 (ネット戦争の方法論)

2023-01-25

聖性とは 万物の檻なす世界にて事実のみつぐひとの知性は これがどうも反省的に目にとまりました。 (または帰れ)

2023-01-24

黒髪さま という理由で、推薦文や批評文への考え方を変えたのですが、 自己を戒める意味でといっては身勝手ではございますが、この推薦文への 批評を書かせていただいてもよろしいでしょうか? 黒髪さまと同じく、これのどこが推薦文なんだというようなものになるかも しれませんが、決して、もとの作品を非難するものになることはないとお約束いたします。 ただし、あまりにも違う話じゃないかと憤られるかもしれませんが、一応この作品によって 自己批判したことを告白する体のものになるかとおもいます。どこが自己批判なのかと 首をかしげられるかもしれませんが...... (創造的分裂症━言語ゲーム?会話ゲーム?錬金術ゲーム?ある種の伝言ゲーム?━)

2023-01-24

不明瞭な批評文であってもわたしはそんなことで批判めいたことはいいません。 でもこれは批評文じゃないですよ。どうみても意味不明な暗号です。 批評というのは最低限、多くの方々に伝わるように詩の構造を解析、解体して平易に解説 するものをいうのであって、もとのものから逸脱してあさっての方向にとんでいくようなものは おそらく詩とかそういうものになるのじゃないでしょうか。 推薦文の推薦文とは知らず、まじめに読もうとひらいてみて、がっくりしましてね。 そこでなんかこういうのやめてほしいなと思ったのですが、でも、コメントを読んで、 ああそういう療養的側面が詩の投稿サイトにはあったなと思い、考えを改めたということです。 ただですね、 必要な人の名前を出すのは当然としても、有名思想家の名前を出しただけで、そこから実際的な 批評の展開をみせなければ、ただの自慢や威圧にしかならないような気がするんです。 名前を出す必然があるとはとても思えません。 また、詩を書く人は世界人口80億の人たちすべて一人一人にそれぞれ思想や方法や考え方があるのですよ。 一人の思想家の思想はただその人、ひとりの妄想的な思念にすぎません。普遍性なんかありません。それを振り回しても なんの意味もないどころか、たんに自分を否定しているだけの話のように思われるのですよ。 詩は一人一人その人の思想で受け止め、その人のやり方で解析するべきであって、他人の思想を露骨に あてはめて解釈したようなものなど わたし個人は読みたくないどころか、何のために詩を批評しようとしているのかさっぱり理解を 超えているとしか思えないのです。 あ、こういう正論、またしても恫喝とかになるんでしょうかね。困った、困った、 どうかお上に訴えるのはお許し下さい。乱文乱筆失礼いたしました。ご内密に。 (創造的分裂症━言語ゲーム?会話ゲーム?錬金術ゲーム?ある種の伝言ゲーム?━)

2023-01-23

上記文言一部訂正 もちろん蛾兆ボルカさま本人へのコメントは本人の謝罪がなくとも今後一切コメントをやめる旨、 すでに申し入れております。 当人へのコメントではなく作品への批評です。以下の要求は法律違反、憲法違反なので 容認することはできないということです。  あらゆる形において、どの場所、どの形に置いてであれ、私及び私の作品に言及したり  暗示したりすることは、大変不快であり迷惑ですから、一切やめてください。 大袈裟に憲法の表現の自由を持ち出すまでもなく著作権法でも引用は批評などに 用いることが許されています。表現の自由を何人であれ検閲することはできません。 だからこそ、蛾兆ボルカさまが法を犯す行為を運営に要求までするなら謝罪が必要であると 申し上げているだけです。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-23

運営の方へ 蛾兆ボルカさまはわたしからのコメント拒否の理由のひとつとして、わたしが 犯罪行為を肯定しているからと書いております。 しかしわたしはストーカーにも種類と程度があると書いただけで犯罪を肯定してはいません。 もし蛾兆ボルカさまの言い分を認めるなら、わたしが「犯罪行為を肯定している」というデマを認めたことになります。 ゆえに、蛾兆ボルカさまの言い分を認めるかわりに、そのデマへの訂正と謝罪をもとめたわけです。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-23

追記 どうしても「私の作品に言及することは、大変不快であり迷惑ですから、一切やめてください。」 というのでしたら、仕方がありませんので要望にそいたいとおもいますが、 まずは蛾兆ボルカさまが根拠のないデマを流したことを謝罪ないしは訂正して公にコメントして下さい。 そうでなければわたしはデマを訂正する権利と資格を保留しておきます。即座に謝罪訂正をお願い申し上げます。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-23

それからわたしが「犯罪行為を肯定している」と書かれていますが そういう事実無根のデマを流すことはご遠慮ください。 そういうデマに対してわたしが弁明することは大事だと思うのですが、 一方的にデマを流しておいて弁明する機会も与えてくださらないのですか? それは民主的で公平な態度とはとても思えないのですが。 ふだんからたいへんリベラルな態度をお示しになっているお方でしたら そこのところようくご配慮下さいますようお願い申し上げます。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-23

投稿作品は独立したものですから、蛾兆ボルカさんへのコメントじゃなく 作品それ自体への批評は問題ないのじゃないですか? どうしても不快なのでしたら運営に相談してください。独立した作品それ自体への 批評行為もダメというのなら納得します。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-23

この独白的な文体の語りの内容は、 ブンガクにとってかなり重要な想像力の問題を指さしてますね。   多分もの自体が僕の感情をハックするのだと思う。 と語り手は語っているけどそうじゃなく、たんにモノが想像力の撃鉄に なるだけのことだとわたしはおもう。 わたしたちは誤解しがちだけど、人がモノと一緒に在るときには何も想像できないように なっているのです。うまいことなっているものだと感心しますね、この世は。 教室の上り口に乱雑に脱ぎ捨てられた靴や、灰皿に四方八方から置かれたタバコの 吸い殻などから、わたしたちは子どもたちの歓声を聞き、乱雑な吸い殻の山から そこにいた人々の動きや思いを想像する。でも、人がモノとあるときはつねに時間は 動いているから、そこに他者の想像力が介入することはできない。 文学的な想像力というものはじつはそういうものであることをだれも知らない。 文学的想像力とは死肉をくらうハイエナの所業なんです。 この告白調の語りの内実については一時間でもニ時間でも語れるものがある のだけど、それはだらだらとした長舌になるからやめておくとして、 最後の   神だか神々なんて所詮はその程度なんだなとおもった。 という一行がよくわからなかった。 神々は万能だし、すべてにおいて人間を超越している。 またいつでも人間を殺すこともできるだろうし、事件に貶めることもできる。 知恵や狡猾さにおいて人間は神を超えることはできない。ただ、神にも ひとつだけ勝てない存在がある。 幼児の無垢な笑顔。これには勝てない。殺すことが出来ても神は幼児の まざりっけのなにもない笑みにはどうしょうもなく無力だとおもう。 神ってのはその程度だといえばその程度だとしても......    (no title)

2023-01-23

本音をいいますと、こういうの、やめてほしいのですが、 でも、コメントを読んで、他者にとっては意味不明な、こういう行為が投稿者にとって 精神分裂症の治療になるのなら、しょうがないなという気になってきました。 鷹枕可さまも精神分裂症であるとおっしゃっておりますし、 ほかにもそういう病いをもっている方がおられるようですから この場をそういう方々の治療の場として活用されることはむしろ社会奉仕になるのでは ないか。そういうことは知らぬふりをして見過ごすべきだと改めて考えなおしました。 ただね、いちいちガタリのような生のことばを出すことなどが必要なのかと 不思議に思ってしまうのですがね。たえず自分は凄いのだよ、こんなに何でも知ってるのだよ と二十四時間証明する必要などなく、その人間がどれほどのものか、一読すればすぐにわかります。 批評はとくに一瞬でわかります。黙って書けばいいですがね。笑 (創造的分裂症━言語ゲーム?会話ゲーム?錬金術ゲーム?ある種の伝言ゲーム?━)

2023-01-23

再掲 蛾兆ボルカさま個人へではなく、また、投稿欄へのコメントでもなく ↑ この2点、お忘れなきよう。つまらない論争などしたくないので蛾兆ボルカさまの 投稿欄への書き込みやコメント、意見、反論などはこれにて終了させていただきます。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-23

こんな簡明はメッセージすら、繰り返さないとわかりませんか? 【あなたは二度と書き込まないでください。】 承知しました。 今後は蛾兆ボルカさま個人へはいっさいコメントを致しません。 ただし、蛾兆ボルカさま個人へではなく、また、投稿欄へのコメントでもなく 一般閲覧者への批評文は投稿させていただきます。 その一般閲覧者への作品批評文はあなたへのコメントではないので 個人的なわがままはどうかご容赦ください。作品は投稿した時点であなたの手を 離れていると存じます。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-23

蛾兆ボルカさま 誤解を招いたようでまことに申し訳ありません。 しかしわたしは蛾兆ボルカさまを「サヨクであるとかリベラルであるとか、そうした決めつけ」は しておりません。よくお読み下さればおわかりになると存じますが、    サヨクリベラル系の精神構造をお持ちの方によく見受けられる傾向 と書いております、一般的な傾向性を論じていますが蛾兆ボルカさまがそうであると断定しておりません。 ただ、そういう傾向性をこの投稿作から感じるというだけであることは、よくお読み下さればわかると思います。 それから「犯罪行為を肯定している」という決めつけも蛾兆ボルカさまの誤読です。 ストーカーにはさまざまな種類と程度があるといっているだけで、犯罪行為を肯定してはおりません。 ずいぶんご立腹のようですが、間違った読みから相手が犯罪行為を肯定していると断定するのはよくないと思います。 日本の古典名作である『金色夜叉』について事実とは違うことがさも事実であるように書かれていたから ご指摘させていただき、かつ、ストーカー批判と物理的暴力をごちゃまぜにして論じていることへの疑問から コメントさせていただいた次第です。これからも事実関係や論理に間違いがあれば指摘させていただきます。 それは日本の古典を愛するものとして、かつまた、間違った論理でだれかを誹謗中傷しかねないことへの人的義務と考えます。 ただ、このコメントを頂いて蛾兆ボルカさまが「深い軒のある世界」をお持ちでないのだという指摘は間違いでは なかったのだなと確信した次第です。もっと他者に対してやさしくなれますことを軒の陰からお祈りする次第です。 乱文乱筆、失礼したしました。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-21

英語わからないので中味でタイトルの意味がだいたい憶測でき たのですが、 ここは「胸騒ぎ」というタイトルでもよかったのか、 いや、「胸騒ぎ」でもないな。最後の逢瀬、わずかな時間が永遠でも あるような決意がみなぎっている。それを、なんとかことばに包もうと した。小品だけどいい詩だとおもいます。 (Waiting for the last concert)

2023-01-21

追記 それとストーカーにたいする非難の仕方が曖昧で、ある意味姑息にみえます。 いったい投稿者はストーカーを非難しているのか女性に対する物理的暴力を非難しているのか どちらなのだろうか。ストーカーといってもさまざまな種類、レベルがある。 ストーカー行為を物理的暴力行為とくっつけて非難しているが、それならストーカーでなくとも 物理的暴力行為自体があたりまえにやってはいけないことであり、いうまでもないことだ。 そのあたりまえにやってはいけない物理的暴力を無理にストーカーにかぶせてストーカー行為を 非難しているが、サヨクリベラル系の方に多く見られる論理のすり替えがある。 それにストーカーといっても、ある種のストーカー行為は純愛であることもあるし、変態であることも ある。ストーカーの人を一律にダメ人間というのならもう恋愛はやめてもらいたい。笑 聖書の言葉にならうなら頭のなかでその人を追いかけているのならそれはストーカー行為である。 恋愛とは恋するその人を観念的にも感情的にも追いかける行為である。 いったいストーカーがダメなのか物理的暴力がダメなのかどっちなのか。物理的暴力がダメといのなら そんなことはいちいち書くまでもないことのように思うのだが。そこを混同させているから姑息あるいは 支離滅裂のどちらかであるといったのですがね。 以上、乱文乱筆失礼したしました。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-21

何を語ろうとしているのか、わたしには支離滅裂で、さっぱりでした。 そもそも『金色夜叉』のレビューといいながらちゃんと読まれたのかどうかすら 疑わしい。「お宮さんに飛び蹴りかまして......」ってそんな、笑 新日本プロレスじゃあるまいし お宮が膝を屈して言い訳をするからその肩あたりを足で押し返した程度でしょ。笑 お宮が立っていたら両腕でドンと向こうに押し返していたようなその程度のはなしです。 飛び蹴りって....笑、作品のレビューどころか事実無根で天国の尾崎紅葉から訴えられますよ。笑 それから、思いますにこの投稿者様は深い軒のある家や環境で育ったことがないのでしょうね。 サヨクリベラル系の精神構造をお持ちの方によく見受けられる傾向ですが、 じぶんの外部にクズやカスや悪いやつがいないと我慢出来ないというか、そういう存在を 外部に無理矢理でも探し出してそれとの対比のなかでしかじぶんが確定できない。宮台真司とか いう通俗的評論家がそうですが、外部にクズがいてそれをクズと叫ぶこと以外何もできない。 クズがいないともうじぶんには何もないから必死で「クズ」をつくりあげる。そういうものを感じます。 深い軒のある家には7つの効果があるといわれています。 1.空気を調和する効果 2.風通しをよくする効果 3.多目的遊戯の共生をゆるす空間 4.家の劣化を抑止する効果 5.つば効果(家の威圧感を与えない効果) 6.親和効果 7。めりはりの効果 これらすべてが欠落しているかに見受けられます。 この投稿者さまは人がただそこに「ある」ことを認めず 必ず何者でかないと許せないご性格のご様子ですが、それじゃ周囲が いつもギスギスしないでしょうか、同情せざるをえません。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-21

申し訳ありませんが、わたしがどの詩に批評を書くか、書かないか、 あるいは能力不足で書けないかはわたしの決めることです。 柳煙さまのこの推薦批評は、わたしには批評文ではなく返詩のようなものに 映るのです。くろかみさまや鷹枕可さまのも推薦批評というのはあまりに 意味不明でした。推薦するのならできるだけ多くの人に推薦する理由をわかって もらえるように書いて頂きたい。かといって、 このサイトに規制があるわけではないのでおのおの投稿者の自制心に依拠する ものであって返詩のようなものが書かれてあっても、とめることはできません。 しかしそれならコメントで書けるわけでして、どうしてわざわざ推薦批評などでこんな 意味不明な返詩など書くのかわからないのです。 わたしのような、いまだに詩の門前で習っている過程の初心者にとっては 今回のようにわからないところがある詩についてどれほど教えてくれるものが あるかと期待して批評文を閲覧して見るものです。平易にふつうのことばであの「水底」について なにかわかりやすく解説などもなされているではないかと。 それがこれだったのでガッカリしましてね。ま、わたしの要望みたいなものです。 柳煙さまやくろかみさま鷹枕可によって意味不明なものが 書かれてあってもそれを批判するつもりはありません。もう少しわかりやすい 批評文のお願いにすぎません。 (病的な自然回帰)

2023-01-20

正直これはじぶんの詩を規定数以上投稿するのに似ており、 とても批評とはいえない。 批評というのは因数分解をわかりやすく展開するようなもので、多くのひとに 難解な作品を平易に解析ないし説明するものだとおもっています。 対象作品にさらに未知数xやyの因数を増やすような行為がわたし個人は 批評とは思っていないのです。 最近、このような批評?が増えていますが、なにかを取り違えて悦に入って いるように思えてなりません。詩がわからなければ わからないでいいのですから無理をしないでいただければありがたいです。 鷹枕可さま、くろかみさま、そして柳煙さま、平易に解体できる技量をまずは 身につけていただきたく存じます。 (病的な自然回帰)

2023-01-20

伝統的なほんとうの寿司職人の世界なんてもう 無形文化財に指定してもいいような実現不可能な世界じゃないかな。 いまどきは 新しいしゃりと新しいネタを両手に、さっと握ってさっと出す。 ニュース詩とでもいうか、 この投稿詩なんかもニューすし風なんだけど、 あ、さむいダジャレ失礼しますた。 (すし職人)

2023-01-19

わたしは無政府主義というより無思想主義ですけど 天皇主義はそう悪くないと思いますよ。少なくともマルクス主義よりは、はるかにましでしょうね。 それから内田はグローバリストです。宮台はただのバカでしょうね。二人とも天皇主義がどういうものかわかっていないから。 あの、わたしが天皇主義(というものがあるなら)どうしてましかとおもうと、日本天皇制のもとである大和朝廷というのは アニメ『千と千尋の神隠し』に出てくるカオナシのようなものなんですよ。世界中の侵略者の歴史、実態のなかでも 天皇系の日本侵略の形態というのは特殊で唯一独特のものでした。ヤマト政権がどう発生したのかあるいは半島から やってきたのかはわかりませんが、とにかく近畿の気圏に突然発生して日本中にあった数百の小国家を次々、制圧 していった。その手口が独特であったのは、今の中国や英米蘭仏、ジンギスカンのように相手を壊滅させて文化や政治形態や 風俗、風習を 侵略した側の自分たちの国家と同じように相手に刷り込もうとしないで、ヤマト朝廷は制圧したその国家の文化、習俗、風習などを すべて丸のまま取り入れていったのです。つまり「カオナシ」のようにそのまんまじぶんの帝国の風習、文化、習慣として あらゆる文化を破壊、否定するのではなく逆にどんどんそのまま取り入れて膨らんでいった。だから天皇家は万世一系を偽装できた。 また、 実質的には万世一系と偽装しても文句は言われない。実質はそうだから。そういう平和的?というか狡猾な侵略方法をとった 天皇家の源にあるヤマト朝廷の性質というものをわたしは否定はしません。 しかし内田も宮台も天皇家のそういう性質ひとつ、まったく知らないし、わかってないでしょ。 でもネットでも読めますが吉本隆明などはわかっていた。(ネット講演『敗北の構造』)あるいは 松岡正剛などはわかっていた。(ネット講演『千夜千冊』)。 さて、以上はどうでもいいのですが、笑 それより、こういう表現の空間はつねに「物議をかもして」いてほしいですね。 そのほうが面白いし、退屈しない。三浦さんがおっしゃるようにそもそも「物議をかもさない」 凪のような表現投稿サイトは文学的であるとはいえない。むしろ表現者として異常であるといえる。 どうしてたえず物議をかもしている文学サイトが生まれないのか。それをアラシといって抑えていて退屈しないのかと わたしは思っています。 三浦さんのお力で運営にお話ししていただき この投稿サイトもせめて月4作の投稿がゆるされる場になってもらいたいですね。そうでないと静かすぎます。笑 (Planet Poem)

2023-01-19

サヨクリベラル系の方々、詩はお上手なんですけど、 かれらが詩など書くにまったくふさわしくないのは 倫理なるものをまったく毛ほども持ち合わせていないことじゃないでしょうか。 もちろん、というか、そのくせというか、かれらは必ず 倫理を口にして、人びとに善行や正義をちらつかせて寄っていきますが 倫理的な批判に対して倫理的な説明はぜったいにせず、 そういう批判は戦闘攻撃であると受け止め最初から戦争として対応しますから サヨクリベラルが倫理的な集団だと誤解している人たちは その攻撃性、耳を貸さない傲慢さ、一方的な被害者意識などにびっくりするでしょうね。 この作品を特定個人への攻撃などと解するひととまともな対話など 成り立たないとわたしはおもいます。それほどひどい。 (Planet Poem)

2023-01-18

こんばんわ。 これはある意味、批評的なメッセージ詩とも読めるのですが、 その批評的な部分に注目して感想を述べさせていただくとすれば、 これは事実とはちょっとだけちがうような気がします。 わたしのような人間ですら他人が幸せな顔をしているのをみるのが大好きで、 まして幸せな気持ちをうまく表現しえている詩は大好きですから、 たぶん多くのひともそうだとおもうのですけどね。 ではなぜ作者がこのような批評をするかというと、認識にねじれが生じている としか考えられない。 サンタクロースはいないんだよと告げる子どもはリアルな現実を知ってるよ、と その知識を披露することで、わたしはおとなよと自慢して鼻を高くしている。でも 作者はそんなことを知らないほうがいいんだよ、知っていても信じたほうが じつはおとな、なのかもしれないよといっている。しかし、 これがどうして前置きの「幸せになったことがないから、幸せについての詩は共感されない」 という間違った現実認識を補強してする例になるのか論理的にどうもなっとくできない。 おそらく作者は、ぼくは幸せについての詩を書いて、人にみてもらうのだけど、あまり高評価をえられない といっている。わたしはそれが現実認識にたいするねじれなのじゃないかとおもうのです。 いくら孤独についての詩、あるいは幸せについての詩であろうと、どちらでも たんに詩表現が稚拙もしくは下手な場合も他人は共感や評価をしない。その原因を冒頭の間違った 世界認識にふっていないだろうか。そんなことをふと考えてしまう。 他人に評価されない原因を内容がゆえだと錯誤していないだろうか。 「それにいまのわたしにとって、孤独は......」以降、「いまだからこそ」うんぬんまで すべて弁解のように聞こえてしまうのですね。 そうすると結局、下手な詩でも笑顔でドキドキしてくれる、実は詩にはまったく関心が なく、相手を恋しているからその詩を認めてくれる恋人としか詩の評価をわけあえないことになる。 そいううドキドキ文芸部がはたしてどうなのか、ちょっとさみしいような 気がしないでもありませんでした。 (ドキドキ文芸部しようよ)

2023-01-18

失礼しました。 みなさんが次から次へと推薦批評を書くさきぶれとなった 推薦批評をひとつだけ書いておりました。  波打ち際の腰掛けの椅子 です。この批評文ひとつでたしかこの方、ポイントとって月間の賞をとられたの じゃないかな。それでにわかに物議が起きましてみなさまが 推薦批評をされはじめたのだと認識しております。 (レトリックではない)

2023-01-17

なんかわたしひとりが悪者になってしまったようなコメントにみえますが yasu.naさまの個人の無力感を否定しているのではなく、むしろ深く共感するのです。 それを否定しているのではなく、公共的なものと個人の問題を無理に結びつけて 関係があるかのように書かれているのは間違いだと指摘したかったのです。 こういう混同や無理筋の関係つけはサヨクリベラルが善意の大衆を洗脳する ためによくやる手口で、結果、グローバリズムがまん延して大衆は貧困や 失業、自殺に追い込まれます。そういうことを指摘したかっただけです。 (ものづくり日本)

2023-01-17

こたつの温もりなんかで わたしのこころが いやされてたまるか 個人的にはここでくすっと笑いました。 ぜんたいに、 濃淡とうごきのある 雪の降りつもるようなおもむきをもった ドラマを感じさせる ことばのつぶやきだったとおもいます。 (海)

2023-01-17

ああなるほどなとおもいます。 こういう句切れのない歌はいかにも今どきの 飽食平和になれ、水のようにながされていく日本人に ふさわしいのかもしれません。 きついドラマをもとめず、激烈な愛憎を求めず ただ、ただしずかに流されていくいまどきの日本人の 心境をここにみることができたような気がしました。 (冬に咲く 短歌3首)

2023-01-17

いすきさま お読み下さりありがとうございます。 結局こういうのって、ヤクザ映画とか、スパイ映画の、 ごっこ遊びの延長線で人を殺すような雰囲気を感じてキツい、 たいへんよくわかります。 社会の裏面をリアルな現実展開で語るものは 戦後77年間続いてきた飽食平和社会が紡ぎだした やすらかな安寧につつまれた繊細な日本人のこころには とても受け付けられるものではないでしょうね。 よほど面白く味付けして書くか、よほど読者御本人の身近にある事でないと だれも読みたくないとおもいます。 大江健三郎がいうように表現者にとっては想像力が大事ですね。 どうも失礼いたしました。 (アニメファンの心意気に感動)

2023-01-17

批評や推薦文書くなら徹底的な分析的態度で臨みたいという身の丈にあわない 願望がありますけど、いわゆる詩的レトリック用語など使いたくない。 だから自分独自のことばで語りたいのですが、おそらくわかりやすく 使っても、むしろそのわかりやすい言葉や造語の表出するものが だれにも理解できないものになるとおもうんです。詩の分析ってめちゃくちゃ 個人的な世界観を一般的な言語に平易かつ科学的にのせるということですから。 そうするとそんなものは「批評」の名に価しない。 そうすると、やはり共通言語である詩的レトリック用語を使うことになる。 それはつまり限られた狭いギルドに属して。ギルド内の特権的な知的傲慢ニストたちの お仲間に入らなければならない。それは死んでもいやですから、いずれにせよ 無能であることと、傲慢ニストに属したくないからの2つの理由で 推薦文というか批評は、わたしごときにはとても書けないと思います。 (レトリックではない)

2023-01-16

これはいわゆるメッセージ詩のようなものになるのでしょうね。 そしてこのメッセージの内容は、本来語ろうとしていた内容を みずから否定しているようにわたしにはおもわれます。   世の中にはいろんな人がいるのだから   事を決めつけて押しつけるのはやめよう 「ものつくり日本」という標語をまじめにとらえようとしているのは 感心しますけれど、これが個人や私人への押しつけではないことは 必死で生きようとしている人ならだれもがわかっているはずです。 「ものつくり日本」とは日本の雑草のごとく生きてきた中小企業の たくましさを指しているのであって、その伝統の灯火を消さないよう 訴えているのです。 グローバリズムが日本にも浸透してきて菅内閣のアドバイザー、D・アトキンソンが 日本の中小企業はぜんぶ倒産させてしまえと提言したことは有名です。 狂人のたわごとですよ。 そんなことをしたら日本の中小企業は壊滅し、企業は外資にすべて吸収され 失業や自殺の山になります。 くろかみさんがあげている「ひろさちや」はタンスに講演料1億5千万を隠していて 泥棒に盗まれた男です。脱税対策だったのかどうか知りませんが、 こういう富裕な世間知らずの男はいまが飽食の世の中ではないことすら知りません。 それはのんきなくろかみさんもそうでしょう。 みなさん、必死で生きているのですよ。   世の中にはいろんな人がいるのだから   事を決めつけて押しつけるのはやめよう それはそっくり作者さまにもかえってくることばなのじゃ ないでしょうか? 日本が衰退してよろこぶのはだれなのか、考えてほしいし、 必死で生きようとしている庶民のことも少しは考えてほしいですね。 (ものづくり日本)

2023-01-16

>読解を加えてしまうことによって変質してしまう作品のエッセンスというものが一方であるようにも思うのね。 それは多くのひとがいつも詩の批評をしてみようかなと思い立ったときに感じる いわく言い難い思いのひとつであるとわたしもおもいます。 せっかくいい感じに受け止めて心の中に仕舞っているなにかが分析的態度の前では壊れてしまうように 思われ、また、なぜかことばにして作品の本質とおもわれる〈それ〉が伝えられそうにもないという感じ。 おそらくこのような感じは純粋な鑑賞者のそれであって、詩の専門家の態度としては無に近い態度なんで しょうけど、おとなになるということはそういう大事な無垢なものを乗り越えてばうばうたる荒れ地に立つ ということなんじゃないかなと思ったり、思わなかったりします。さて、 わたしは推薦批評文が出たら必ず当該作品を読むようにしているのですが、 この「お前」という作品はわたしにとっては敬遠するタイプの「まっちょ」な文体なんですよ。笑 それでも、仕方なく、いやいや読んでみようとしましたが......ああ、だめですね。勃たない。笑 わたしはどうもマッチョな文体の前では萎縮してしまってどうもだめです。 この作品のご評価はおまかせいたします。 (レトリックではない)

2023-01-16

詩としては書き方が古い感性なんだけど こういういかにも詩らしい詩は読後しばらくこころに溜めて 上等のはちみつの味わい方と同じく あたためながら、丁寧に舌のうえでころがしていなければ、 ほんとうの真価をみとおせないような気がしました。 どうせ妄想をこれみよがしに開くだけで真の読解などできないくせに 一読して断定するなんてことは詩をなめた人間のやることだと わたしはじぶんに言い聞かせている。 そうして、しばらく胸にとめて自然発酵を待ってみると ラストの「雨が降るにはあまりにも暗すぎる!」で 突然、詩もどきは物語もどきに転換する。 ようするに 壊れた竈のように投げ捨てられたわたしは宙に舞い 壊れていくよ、と慨嘆しているだけなのだとわかる。 そこにさまざまな物語を想像できるのだけど、 こんなふうにいかにも意味ありげに語る必要があったのだろうか。 (雨後)

2023-01-15

すべてに段階や順序があります。当たり前のことです。 あの、すみません。当たり前のことをおっしゃっているから「通俗」だと申し上げました。 そういう「通俗」を乗り越えてすべての段階、順序に同じようにひとしく価値があるのだよ 尊いのだよというのが聖なる存在であると。当たり前のことをいうのならだれでもいえます。 (ポルポトと青空)

2023-01-15

漢字とひらがなの比重が絶妙に拮抗した日本文はうつくしい。 最後の羊だけがそこにいたというのは悪くない。 (あんてぃっく)

2023-01-14

批評性っていうのはたぶん詩そのものでもあるわけですが、 この詩の語り口は音楽的で構えることがなく読める。 がさつでな書き方しかできないわたしにはうらやましいが 真似ができるようなものじゃない。 屋根裏部屋にはどんなものが仕舞われているのか、 たぶんじぶんに愛情をもっている方にしか見せられませんよね、 (私の屋根裏部屋を、あなたに見せられないとしたら)

2023-01-14

目に見えぬ圧力によって小さく縮こまっている精神が なんとか息をしようとしてこういう世界に避難するのは 仕方ないと思うのですが......たしかに高踏的な宗教的境地の世界と 詩人の自由奔放な夢をもとめる姿勢とは否なるけど似ているとしても、 やっぱりこういう宗教的境地にはまったく否定的ですね。 ある意味、もっとも通俗的でもっとも安易で、もっとも即席であるともいえる。 ほんとうに清らかで静寂を身にまとった天使のような人物に何度か 出逢ったことがあるけど、かれらはこんなことはいっさい語らなかった。 また語る何ものももたなかったし、語る必要もなかった。 一番やってはいけないことは他者をこんなふうに段階つけることだ。そういうのは もっとも卑俗な行為で、宗教的な境地の極北にある通俗にすぎないと そういう人たちのやさしい眼をみてわたしは雷に撃たれたように悟った (ような気がした)ことがあります。 (ポルポトと青空)

2023-01-14

三浦果実さま お読み下さりありがとうございます。 高学歴で富裕層出身の、わたしの友人が西成複合体NPOの総本山である ●●連にもぐりこんでいまして、そこから生々しい情報を いただいております。身の毛のよだつような話ばかりです。 わたしが体験したことや友人の情報をもとに告発も考えたのですが かれに相談するとたった一言「間違いなく殺されるからやめたほうが いい」。 実際、正義や善行のためなら平気で人を殺すことをなんとも思っていない連中が 山ほどいます。狂気の沙汰です。 市や府の担当者からは「NPO法人にメスを入れないで下さい。手が つけられないほどぐちゃぐちゃです」泣きそうな顔でいわれました。 NPOや一般社団法人という隠れ蓑を使ってうん蚊のごとく税金がたかられており、 それがもう複雑怪奇にからみあって、そこをちょっとでもつつくと今回のように 国会議員会館に弁護士が7人も出てきて、開示請求者を恫喝するという事態になります。 わたしごときが西成の闇をつつけば、即、殺されるでしょう。これは間違いありません。 でも、 わたしのように根っこを切った人間は失うものがないので、連中はもっと怖れるべきでしょうね。 新年そうそう、危ない話でみなさまのご機嫌を伺いましたこと、恐縮です。 (アニメファンの心意気に感動)

2023-01-13

重厚。森がそこに迫ってきました。 (森)

2023-01-11

ハンドル名とちがって 意外に古風なものを感じた。 (花をつくる)

2023-01-11

ちょっとだけまえより違ったような気がします。 (都市讃歌)

2023-01-11

わたしも構成がすごいなとおもいました。 美術ですね。 (昏さの反し)

2023-01-11

ストレートで爽やかな詩だとおもいました。 (呪い)

2023-01-11

   冬、何も彼もが凍っている… うーん、これだなと思いました。 (斜面)

2023-01-11

終了なんかしません。老婆になってもこころは 少女のままですよ。それはその歳になってみればわかります。 ずっとまえに思想家の内田樹が友だちの某と語り合っていて ふたりとも六十半ばですが、高校生時代のまま心がそのままで おまえおれ、ぼくという感覚であるのが不思議だとお互い わらってびっくりしていました。こころは不滅で永遠なんだなと。 (少女終了)

2023-01-11

六段目の  珈琲を零しぬその染み血のごと...... がいかにも作者らしくて、とくによかったです。 (花と落日)

2023-01-11

  逆抱負詩 抱擁 同情を下さい 乞食に恵むようにではなく じぶんを癒やすために わたしに 一ミリの愛もまじらない あなたの同情を下さい ああ はるか、遙か 手の届かないところにある 夢のような奇跡が もう一度、などと 願うなんて なんと恐れ知らずなことか その、 生臭い、体臭を振り返ることもなく 永劫回帰のごとく 愛を語るひとばかりのこのせかいで 互いの傷を ふれあう者たちなど もう二度と生まれはしない 同情すら 失ったものほど 愛を語る セックスすら 星のように洗いさらして 同情のために すべてを抱擁に捧げた 恋人たちは おじぎをしあい そして ここから永遠に 立ち去ったのだった (B-REVIEW 1月のお題詩「抱負」)

2023-01-11

逆ナンパというものがあるから逆抱負があってもいい    タイトル 逆抱負 ① 愛より同情を下さい わたしに同情して同情で死んでください わたしは 生涯あなたを忘れないでしょう 愛のような うそくさい オ●●コの前戯のようなものは 水洗に流してね ② 顔もみえない 年齢も性別もわからない ネット上の相手を 憎悪しないよう、チンはつよく希望します なにもわからにゃい 目に見えぬ相手を〈恫喝〉だの〈罵倒〉だの 〈邪推〉だのと憎悪できるのはなぜか 考えてみましょう じぶんじしんの深層にある 別の顔をしたじぶんを呪っているだけなんです 新年そうそう一人相撲ですか あいてはじぶんなのに けっちゃくがつきますか ③ 外国人をなめちゃいけません 外国の文明をなめちゃいけません それぞれ数千年の歴史を経てきているのです コンビニの店員と 作り笑いでかんたんに握手して わたしたちは仲間だ博愛だなんて それ 文明も人間も歴史もこけにしてますよ? 尊重するならかならず衝突があるはず 衝突もないのは 頭から友になろうと認めていないからです ニッポン人 ガイジンを舐めるな! と 要望しておきますとくに詩人の方々、 安易なルベラリズムやポリコレは 野蛮ですよ ※寸秒でさっと書いたから、詩になってなかったら ごめんなさい  逆抱負の最後っ屁 長い眼で見守ってください (B-REVIEW 1月のお題詩「抱負」)

2023-01-11

内容は通俗的な小説のようなものなので詩や批評や思想としては ほとんど興味も関心もわいてこなかったのですが、   この世界は、常に生じては消えるが実在はする「時間」というものに従って、不可逆的に進行すします。 というのはどうも違うような気がします。 時間というのはほんとうに実在するものなんでしょうかね。 ああ、もちろん「動くもの」は存在します。それを人間がかってに割り振りして 時間というのなら たしかに時間とよんでもいいですが、正確には時間という観念的なものではなく 生きた、ナマの動きだけしか実在はしないといったほうが正確で正しいような 気がします。それにしても詩的な表現にかかわるものが、かんたんに 実在はする「時間」と断定するのはどうなんでしょうかね。 そこでもうひとひねりほしかったような気がします。いや、 乱文乱筆失礼しました。 (提喩と換喩ー「君の名は」と「天気の子」の違いについて)

2023-01-10

追記 澤さまの〈邪推〉というキーワードを得て初めて、澤さまが だれかのコメントの 何に反発を感じておられたのかやっとわかってきました。 たとえばわたしのコメントはこうでした。      ①なるほど、これなら、それはいわば対象作品に対する〈愛〉であって批評ではないわけです。 わたしは澤さんがよほどゼンメツさまのあの作品が好きなのだな、だから過剰な賛美になったのだな と考えたから、それは「対象作品に対する愛」のようなものだと書いたわけです。 「批評ではない」という意味は過剰に作品に肩入れしてしまっているから冷静さがないという意味です。 そして作品へのその愛の強さや質を例える例として、その次の文言。   ②わたしはあの人が好きです。愛しています。そのことに理由なんかないです。好きだから好きなんです。  という恋愛の当事者のよくある語りにふさわしく、  まさしく怒涛の推薦者にふさわしい激烈な表現であったことは認めるわけですが、 と書いたわけです。 恋愛の当事者のよくある語りに ←→ 怒涛の推薦者にふさわしい激烈な表現 とは並列的にイコールではなく、似た熱烈な表現であるという比喩であることは明らかです。 だれが①を読んでもはっきりと「作品」への愛と書いています。 そしてその愛の比喩として②が来ていることは明らかです。 それを澤さまがかってに個人的な恋愛感情を「邪推」したと、もし仮にとられている とすれば正直、わたしのほうがびっくりするでしょうね。 澤さまがわたしのことをいったのかどうかは知りません。 あくまでもわたしのコメントを例にだしての〈邪推〉の考察です。 いまのところ澤さまに対しては何をいっても懲罰にもっていかれかねないので これ以上は指摘しませんが、 とにかく〈邪推〉はだれであれやめるべきですね。 そのことには賛同します。 (ゼンメツ『いつまでもそらにいる』推し活)

2023-01-10

追記 澤さまご批評、読んでいないと申し上げましたが やっぱりそれでは居心地がよくないので読んでまいりました。 批評というより小説や詩に近いのかな。 あれはあれで小説として読めばそれなりに面白いのかも しれません。 失礼しました。 (いつまでもそらにいる)

2023-01-10

澤さま。 一般論ですが投稿作品への批評や評価なるものは すべて「邪推」といえば邪推じゃないでしょうか。 じぶんの気にいるものだけが正しい推測であるとするなら そういう感情や態度は幼稚な子どもの精神だと思われます。 冒頭に述べましたように以上は一般論ですが、でも、澤さまの この批評もまた一種の主観的な妄想であるわけで、 だれかのコメントに対して「邪推」という苛烈な非難や憎悪は ご自身が固執する正しさへの偏執であって、あまりからだに よくないとおもわれます。 どうか、ごじぶんの作品への批判に対する怒りを心理学専門家 でいらっしゃるなら冷静沈着に対処されて、 次からは、せめて冷静な批評など読ませていただければ このサイトの利用、閲覧者として幸いです。 乱文乱筆失礼したしました。 (ゼンメツ『いつまでもそらにいる』推し活)

2023-01-10

「愛」という感情を無造作に使われる方が多いのですが、 ようするに男女のあいだの「愛」てのはようするに最後は ヤルわけです。つまりヤルことのまえの前戯です。 こんな言い方をすると身も蓋もないことはわかっているのですが とうぜんヤッたあとはもう「愛」は用済みでだんだん薄くなる。 だから歌謡曲とかポップ・ミュージックで「愛の讃歌」とかあるけど あれは「オ●●コの讃歌」でもいいわけです。 でもそれじゃあまりにも露骨で都合悪いし、子どもの教育上まずいから 「愛の讃歌」とまあ、いちおう隠喩(爆笑)を使っている。 考えてみるとわたし小説や雑文、詩もどきなどおそらく千ちかく書いて 来ましたが、「愛」とか「友情」とか「正義」とか使ったことが ありません。あまりにもおそれおおくて。 いや、なにがいいたかったかと申しますと、ここで語られている 「愛」とはなんだろうとあまり深く考えると、 少し人間がさもしく、また、同時に愛しくもなる、 不条理な生き物であるなとまざまざと感じた次第です。 乱文乱筆、ご容赦。 (愛の欠片)

2023-01-10

澤さまの推薦文はまったく読んでないのですが、 どなたさまであれ推薦されている作品はいちおう読む主義なので読みましたが...... みなさんのコメント、どれもそれなりに素晴らしいのだけど ひとつ疑問があるのは、どなたもこなたも、 どうしてそう詩の意味や内容に踏み込んでいくのかな?ということ。 詩を書いたり読んだりしているくせに......どうして? というのがやはり払拭できない 個人的な謎ですね。 詩ってものの存在価値、良さ、おもしろさはそんなところにあるはずが ないことくらい、先刻承知で詩にかかわっているのじゃないのでしょうかね。みなさん。 そういいたい。 この詩についていえば、ことばのもつ音楽性というか語感というか韻律というか そうものへの、なんというか、ある意味、どうしょうもない鈍感さ(笑 失礼)、 その鈍感さを生み出しているのが ある種の周辺への甘さというか、周辺への傲岸さというか、そういうものじゃないのかとすら 感じる。 冒頭からすぐにピンとくるのが、語り口や言い回しのワンパタ、マニュアル的な、 出来合いの韻律。それをなんの疑いもなく使っているその感性のなんともいえない 重鈍さと、同時に、その裏にある一種の小さな小さな仲間内的世界へのおもねり。 ひょっとしたら作者さまは童話なんかを書いていたのかもしれない。 童話っての、日本の童話はわたしは太っきらいなんですが、あれ、大人が考えたことを子どもに 強制しているだけのもので、中味はすべて一種のワンパタ、出来合いの韻律と倫理で出来ている。    勇敢な者たちに破壊されたい。ばらばらになりたい。粉々にして欲しい。   きみを後ろへ乗せてどこまででも飛んで行きたい。僕たちは粉々だ。 あの、人間、墜落して粉々になるとき痛みが走るんだよね。人間てのは神経があるんだ。 「ぼくたちは粉々だ」ではなく「ぼくたちは痛みだ」と書かれていたら読む気になる詩に なったかもしれないけど、どこまでも、まったく他者もなければ己もない。 あるのは幻影として裏にひそんでいるヒーロー意識だけ。でも作中の語り手の意識がどうであれどうでもいけど、詩は おとなにとっては、まずおもしろくなければいけない。その大人にとってのおもしろさが 欠けているような気がする。とくに韻律というか、語感というか、それが まったくのワンパタで流れているのが致命的ではないのかな。 こんなことを書くとまた恫喝とか罵倒家とかいわれるんでしょうね。ああ、 ほんとに窮屈な世界になってしまった。わたしはだれであれ作者なんかに感情的な 個人的うらみなどまったくないし、作品しかみてないのだけどなあ。 乱文乱筆失礼しました。 (いつまでもそらにいる)

2023-01-10

やっぱり問題意識ってのはこの今、現在の存在を確保するにおいて もっとも重要なものだと思いますね。 ところが分断どころかキャンセルキャルチャーがまん延している。 問題意識をぶっつけてもさらっとかわして じぶんの世界の幼稚な正義や良い子ぶりの露出にみなさん余念がない。 忙しい仕事人ならともかく、表現にかかわるものがそれだから これでどうせよというのかと、頭が痛い。77年たって振り出しに もどろうとしているのだけど、だれもそのことに気づかない。 そんなことでいいのかよと思うけど、ま、これがいまのニッポンなんですなあ。 (文弾)

2023-01-09

武田地球さま 温かいまなざしと深い胸の厚みで わたしの真摯なコメントを受け取っていたただき ありがとうございます。 (あおい空)

2023-01-09

柳煙さま。 戦争が、付属品!ですか。ほお、 戦争を付属品にしてるんですか、そりゃ凄い。笑 (あおい空)

2023-01-09

いつきさまへのコメントついでに、 あまり読む気にはなれなかったこの作品失礼!笑 にひとことコメントさせて頂きますと、 ......たのむからもう少し大人になって ちゃんと戦争とはなにか反戦とはなにか一から真面目に考えてほしいと思いますね。 幼さゆえの無邪気な世界は純粋ですが、それは別の言い方をすれば虚無です。 幼さゆえの無邪気な感覚で戦争への嫌悪を語るのは 幼児よりよほどまずいとおもいます。 だれよりも戦争を嫌い、抵抗したいと考えている現在のわたしからすれば まずは世界認識をしっかりしてはどうかと思ういます。 嫌だ、嫌だなんてだれでもそうでしょうから。 こんなコメントをするとだれかからまた「恫喝」だの「罵倒家」だのと非難され ここから排斥されるのでしょうね。 でも、いまだからこそ全員から出て行け! といわれても指摘しておきたいですね。 それがわたしの今の文学ですから。 (あおい空)

2023-01-09

いすきさま こんばんわ。 >戦闘航空機乗りって、ありとあらゆる兵士の中でも群を抜いて孤独なんですよ。 それは彼らが空の中で実際に孤立してるからじゃなく、何よりも、その才能が孤独だからなんです。 もうしわけないですけど、この言明にはひとこと異議をはさんでおきたいと思います。 パイロットが一般兵士"より"孤独なんてことはありえないでしょうね。 そういうのはやっぱり一種の差別や偏見、ときには優生思想につながりかねないので 強く指摘しておきたいとおもいます。 ”パイロットが孤独”なのではなく、世の中には”パイロットの孤独”があり、また、 "兵士の孤独"があるんじゃないでしょうか。それぞれ固有の孤独であって、 それぞれ質が違うだけで孤独の過酷さや程度なんか比べたりできるものじゃないでしょうね。 そもそも戦場に出てパイロットの経験がないからパイロットの英雄物語やアニメからの 想像でしょうけど、そういう想像はまったく何の意味もないとおもいます。 その確信はゲーム世界の”物語設定”でしかありません。それをリアルな人間世界にあてはめると、 もの凄く危険な思想が、もの凄く安易に、また、もの凄く正義の様相をしてあらわれることが 往々にしてあります。そういう発想や思想、考え方を一から見直して欲しいなとこころから願望しての コメントです。黙っていてもいいのですが、あまりにもちょっとなんなので、まことに...失礼しました。 (あおい空)

2023-01-09

誠に、まことに失礼しました。 『竹田一穀』ではなく『竹見一穀』でした。(-_-;) 申し訳ございません。 (パブロンゴールドA)

2023-01-08

ゼンメツさまのあの短編小説風作品ですが、みなさまは頭から詩として受け取り、 さながら純文学小説の謎解きをするようなコメントや解説をされておられました。 もちろん、詩と受け取ろうが小説と受け取ろうが個々人の自由なんですが、別に わたしは呪いをかけたわけじゃなく笑 もう、ほんとに、すごく純真かつ素直に 感想を述べただけなんです。 わたしにとって詩というのはまず、ことばの韻律なんです。意味は正直どうでもいい。 あたりまえのことだと思っていたのだけど、どうやらそうでもないみたいだ。でも、 わたしが詩と認めるものはまずは韻律がそのまま謎をはらむようなものでなければ とうてい詩とは認められないのですよ。 意味なんかをあれこれ探ってほじくり返して「どうだ、まいったかー」と悦に入って どうするの?という気持ちがわたしには強固にあります。 わかいころ、吉増剛造の"凄い韻律になればいいのさ"という一行に出会ったときの 爽快さは忘れられない。 かといって吉増のは、やりすぎで、そうだなあ、野村喜和夫くらいの韻律の流れ、 そしてその韻律そのものが謎をはらむ、そういう詩。あの程度のバランスがわたしには最高です。 でなければただの純文学小説じゃんという気持ちがある。 わたしは純文学なんかいっさい読まないですからね。笑 でも、投稿作品のほとんどは韻律の愉悦を感じるものは少なくて、どちらかというと 中学の作文のような、●●でした、とか✘✘であるというようなものが多い。 そういうものが一番容易に苦労しないで書けるし、そういう作文でも詩といえば 詩として通じる。でもそれはわたしの考える、韻律を優先させた詩じゃない。 そういうものはただの作文だし、どれほどアクロバチックな比喩で、死だろうが 絶望だろうが愛だろうがを謎解きのように隠していても、それはただのクロスワード パズルでしかない。いったいそんなことのどこにことばの深淵があるの??? こういう考えを披露したり、こういう考えで作品にコメントすることがもはや 呪いをかけたように非難される世の中になってしまったのは感慨深い。 時代の変化とはおもしろいものです。難解な作品やその手のクロスワードパズルにはやはり わたしは詩としての評価を与えられない。でも、極度に針がふれた作文だと 詩を感じる。わたしがビーレビさまに投稿のお世話になってから唯一、 推薦したくなった、だんとつ、トップレベルの唯一の詩はだれからもコメントも評価も なかってけど、 DaysXMa≠naさまの『竹田一穀』は現代詩の傑作だと思っています。     (パブロンゴールドA)

2023-01-08

飲んじゃいけない! なぜかというと 作中の"ぼく"はまだいい女に出逢えていない。 いい女に出逢えればもうおれなにかんげーてたんだよ ということになる。ただ、 昭和と違ってへーせー以後、いい女はめっきりいなくなった。 昭和のころはどこへいてもひとりはそういう女いたけど。 でも、飲んじゃいけない! じつは理由なんかない。 ただ、飲んじゃいけないんだ。 (ない)

2023-01-08

藤 一紀さま、お読み下さりありがとうございます。 カワイイとのご評価、ありがたくおもい 今後とも精進を心がけます。 (小児性愛天国ニッポン )

2023-01-07

湖湖さま、お読み下さりありがとうございます。 日本人の小児性愛性はこの先、戦争のような〈割礼〉によってしか修正不可能でしょうね。 しかし戦争は断固拒否するわたしとしてはもうしょうがないとあきらめています。 たしかに昭和のエロ的女性像は男尊女卑的なものがあります。でもこれは表面的なもので 日本人の社会ってのは歴史的には女性上位です。鎌倉時代でもそうでした。 武家の世の中になってから変質したのでしょうね。わたしも団鬼六のSM小説なんか を一時愛読してましたが、実際のリアルではそんなこを思い出すことはありませんでした。 完全に忘れてますね、ああいう実際には形而上の観念なんかリアルには出どころがないもの だと納得しました。 >ところで小児性愛傾向の詩って私ですか? 小児性愛の傾向性は現在の日本人男性ならみなもっている一般的傾向性として述べたもので、 じつは女性の場合はどうなっているのか、まっこと興味深いのですよ。 ただ、今の女性は男性に成り変わることが女性優位だと錯覚しているので、 知的な女性が男性の小児性愛性傾向に迎合しているのは間違いないですね。 男性の知的脆弱性に対して何もいわない。それもまた女性の狡さかもしれません。 小児性に迎合するのが知的女性に多いのは知的社会がいまだに男性優位だからでしょうね。 (小児性愛天国ニッポン )

2023-01-07

訂正 ひとりではまちがいなんてない。 ふたりならまちがいをすることができる。 さんにん以上ならまちがいばかりだし ゆるしもない。 そういう普遍性への言及を思い出しました。 0 (わたしたちはひとりではないから わたしたちはまちがえることができる)

2023-01-07

ひとりではまちがいなんてない。 ふたりならまちがいができる。 さんにん以上ならまちがいばかりだし ゆるしもない。 そういう普遍性への言及を思い出しました。 (わたしたちはひとりではないから わたしたちはまちがえることができる)

2023-01-07

失礼。 メモ帳にかいてからそれをコピペしているので 前のほうがコピペハズレのままペーストされました。 お詫びもうしあげます。訂正、書き直してコメントします。 アニメ作品に「かける」というタイトルのものが 多いことをラストの一行でふと思い出しました。 (かける)

2023-01-07

「......かける.....」というタイトルのものが おおいことを知りました。 (かける)

2023-01-07

こんにちわ。 いや、とにかく凄い。凄いとしかいいようがない。 こういうものよく書けますね。大袈裟でなくどういう 頭の構造をしているのか。驚愕します。 わたし短歌はまったく書けません。 その上での感想なのですが、短歌の黙読のスピードですね。 短歌というのは今の日本人は、意識して、そうとうにゆっくり 長がぁ~~~く伸ばして読まなければ、ちゃんと味わえないの じゃないかと、今、ふと思いつきました。 戦後、英語の影響とか社会変化の影響もあると思うのですけど 黙読のスピードがおそらくむかしより速い。そのスピードで こういう古風な短歌を読むと、ちゃんと味わえないのだなと気づきました。 ためしに今、youtube上でむかしの和歌の朗読をさまざま聴いて みると、思った通り、速い。ゆっくりのつもりがそうとう速い。 このてんでいえば、黙読のスピードはたとえば俵万智の短歌なども そういうことはまったく意識の埒外にあって、ふつうに速く読むように つくられている。 こういう古風な短歌がいま、なかなか受け入れられないのは、 現代人の黙読のスピードにもはや合致できなくなっているのが 大きいのではないかと推測しました。 英語の影響でしょうかね。わたしたちは今一度、 黙読のスピードという(だれも考えもしなかったでしょうけど わたしは罵倒家だからそういうことすぐに今ピンときました) そういう問題も考えてみるべきでしょうね。 ちなみに、今、これを昔の朗読のスピードを推測して黙読してみると かなりしっくりするものがあります。でも、それはまったく異次元の 古い世界に意識が戻らなければならないから身体がなかなかなじまない。 それにしても凄いですね。こういうものが書けるなんて。 脱帽です。 (和歌 勉強中)

2023-01-06

鷹枕可さま 詩人はバカばかりという言明が、世間や世情にうとくて 失敗ばかりしているお人好しな詩人への愛情表現である ことは読み解いて下さっているものと思っていました。 ほかの罵倒も同様です。ところで、 人参というのは大根おろしのように擦れば、まっことに 甘いです。むかしむかし新宿歌舞町に乱立する喫茶店では モーニングセットの組み合わせのひとつとして どこでもそれを小さな小さなカップに入れて出してました。 それを思い出しました。お読み下さりありがとうございます。 (あえて「罵倒家」の汚名を着て)

2023-01-06

三浦果実さま 新年のおはなしがでましたので、あらためて、 新年あけましておめでとうございます。 最近は運営の発表があるたびにびくびくしている 小心者のわたしですが、いつお白洲に引き出され島流し 打首獄門になるか わかりませんが、それまではどうかよろしくお付き合い お願い申し上げます。 お読み下さりありがとうございました。 (あえて「罵倒家」の汚名を着て)

2023-01-06

湖湖さま、お読みいただきありがとうございます。 あなたが言ったなんて一言もいってないし思ってません。 また、当、投稿板の他のだれかがいったともいっていません。 あくまでも「罵倒家」というえげつない罵倒表現が面白くて あえて身にまとって、ということです。 (あえて「罵倒家」の汚名を着て)

2023-01-06

米【100万再生超えの無限白菜】塩と油と○○だけ!野菜炒めの極意教えます!中華料理の技法で仕上げる『白菜と塩だけの炒め物』の作り方!これぞ引き算の美学!【白菜の塩炒め】【大量消費】【本格】【アレンジ】 https://www.youtube.com/watch?v=malhZXqwTIk&t=663s  COCOCOROチャンネル (あえて「罵倒家」の汚名を着て)

2023-01-05

う~ん、あのですね、 もう、ちょっともう辛口の感想コメントになるかもしれませんが、 通俗人生論の本を開けば多分並んでいるようなマニュアル的記述が ここに書かれているわけですが......その、ですね、 言葉というものが必ず持つ両義性に気づいてほしいのです。 たとえば「人生は無意味だ」、あるいは「永遠なんてなかった」云々。 人生が無意味だという言明は、意味のある人生を知っていなければ言えない。 あるいは「永遠なんてなかった」というのなら一瞬もないわけだ。笑 だってそうでしょ。永遠というのは一瞬のことです。写真をパシャっと 撮りますよね。そこに静止画ができる。静止画は永遠なんです。 いや、こんなこといわなくとも永遠がないということは、永遠なものを 知っているから言えるという指摘をしてもいい。 基本的に永遠でも幸せでもなんでもいいけど、そういうのは瞬間、瞬間に 感じるものなんです。だってそうでしょ。セックスしたときに男なら 射精しますよね。あの快感がもし永遠につづいたら発狂してしまいますよ。笑 人はなんでそんな永遠の幸せを求めるのか。永遠の幸せがもし存在したら いっさいの幸せは存在しなということと同義なのに。 ここに書かれた俗流人生論のマニュアルのような文言、すべて一から 根底から考えなおしてほしいな。哲学やるならちゃんと哲学やってほしい。 根底から考え抜くこともしないで、そこらにあふれている俗流人生論を タクシーを使うようにお手軽に使って語ってはいけないのじゃないかと 思います。おそらく作者さまな一味だって絶望なんかしてないはずだし、 真剣に人間や人生や世界について考えたことはないはずです。 もししてたら、 こんなお気軽な俗流人生論をコピーできないとおもいます。 いや、こんな激烈なコメントしたくなかったけど、 もうあと一枚、裏がしてほしいな。自分の思考をそこで完結しないで。 一気呵成に殴り書きし、また推敲もしてませんので、 誤字脱字ありましたらご容赦ください。そしてカバーして読んで頂ければ 幸いです。失礼しました。 (ドンキホーテの風車)

2023-01-05

それにしても歌がよめる人がうらやましい。 いまから返歌ひとつひねろうと思っても どうしていいかすらわからない。 えーと、ラララ記念日と題して、  スカートをひるがえして行きし女歌人の豚鼻は東海林さだおの愛らしさ (ここで一句)

2023-01-05

失礼。 今読み返してみるとコメントが長文に過ぎました。 お詫び申し上げます。 それと、教えたとかそういうつもりはなくて もしそう感じられたのならお詫びします。 そのように受け取られたとすればわたしの書き方が 失敗です。キャッチボールてのはむつかしいですね。 いきなり暴投すればキャッチャーもたいへんだとわかりました。 あくまでも自分自身への照り返しを書いたという独白 これだけは信じていください。これを最後にします。 失礼しました。 (暁の夢)

2023-01-05

まずはいろいろなものをいっきに詰め込もうとしないで シンプルに、ほんとうに薄味で、それこそ少量の塩と油だけで 味付けしたようなものを書いては如何かとおもう。 山ほどの思索を抱えているのはわかる。だからこそ、薄味で書けば じゅうぶんに、いや、それゆえに、このような内容の詩の場合、 こころは人に伝わるのに、 どうしてそうあれもこれもと欲張って人からよく思われようとするのか? と首をひねる。ここに書かれたものは、 たった一行の思いだけでもたいへんなことなんです。 もしご自身が哲人のようなあるいは、聖職者のような心ばえを書きたいなら そういうことをおもてに出した瞬間、ことばってのは 効力を失うんです。 やたらに「やさしさ」だの「愛」だのといった、たいへんな言葉を 安易に振り回すものではないと思います。  嘘の聞こえないように愛を口にしたいのだ それならもっと言葉に対して謙虚にならなきゃいけないのじゃないかと おもいます。 つまり、もっともっとへりくだっていかなきゃ、これじゃもう、 どうしょうもないですよ。 作者さまの書きたいこと、言いたいことはこれまでの投稿作から わかっているのです。そういうことはむしろそっと語らなきゃ そういう言葉は外へ出るとすぐに腐敗するんです。 まず、自分自身を冷静に外からみれないと、言葉ってのは ぜんぜん動きませんから。 あの、こんなことを書いても、まったく作者さまには通じない ことはわかっているけど、罵倒しているのではなく わたし自身に言い聞かせている言葉だとご理解下さい。 こうやって人様の作品を目にして自分自身に詩とはなにか、 言葉とはなにかを確認することが多いのです。 罵倒家といわれていますが、わたしは作者さまには まったくなんの意趣もありません。むしろ惜しいとおもうのです。 こんな書き方をして、ほんとうに大事で良いものがゴミのように 捨てられていくような気がしまして。 乱文乱筆失礼しました。 (暁の夢)

2023-01-05

鷹枕可さま わたしのような無学の小者を辛抱強く相手にしてくださり感謝いたします。 >同一内容を難読‐易異に隔てる記法の問題とは、 >言語の比喩的機能の問題に行き当たるのではないかと。 ええ、これは、聞けばすぐにそのことに思い至る事例だとおもいます。 別によいしょするわけではありませんが、さすが鷹枕可さまだと思います。 ただ、言語の比喩的機能をかってに持ち出してかってに都合よく当てはめたのは 言語学者やおフランスの構造主義系の自称思想家たちであって、 わたしたちが日常の会話においてかなり高度な問題をかなり平易に語り、読み解いて いるのは、とうぜん比喩など意識しているわけではありませんし、 また、言語の比喩機能がもともと話体にあるのかどうかというと、それとも 外部から言語学者たちにかってに持ち込まれた概念でないかと疑う必要もあります。 >比喩とは、相違する事柄を同一化せしめる機能、つまり統合的機能の成果である、と仮定をさせて頂きます。 >私は、その同一の自明性が破れた作品にこそ興味を抱く癖があるようでございまして。 >相異を個性、同一を普遍性とも換言し得るかもしれませんが。 なるほど筋が通ってる。 ただ、あの、これもう、ぶちゃけはっきりいっちゃいますけど、 言葉ってのはなんであれ、どれもこれもすべて比喩なんです。 なんでもいいですけど、面倒だから  おはようございます。きょうもいい天気ですね。 という日常挨拶ひとつとっても、これ、言語学者ならすぐに比喩のなかの 提喩であるか換喩であるか隠喩か寸秒で指摘できるわけです。 すべての言葉が比喩であることは、これは考えてみれば当然でして、もともと 言葉に実体なんかないから、比喩なしでは成立しえないわけです。空気みたいなものだから だれもそんなことを指摘してこなかったけど、言葉はどんなことばもすべて比喩です。 だから空気のようなものでいちいち意識する必要はないと思うんですが、言語学者は どうしても一枚噛みたがる。そして詩の本質が、あるいは批評の本質がどんどん中心から 些末な知のほうへ逸脱してゆく。そういうこと、詩を書くものならちゃんと意識して もらいたいのだけど、中学生レベルの批評に対してそこまで注文はできない。 >如何にも、個性の強い作品が好きなのですよ。 >結局は好き嫌いでしか語れぬ自らの価値基準を羞じつつも、返答とさせて頂きたく存じ上げます。 これもまったく依存はありません。結局は好き嫌いです。 ただ、たとえば芭蕉の   夏草や 兵どもが夢の跡 という俳句ですけど、この"夏草や"ということばが、好き嫌いでは 絶対に出て来ないことばだと思うんですよ。 このことばの選択は好き嫌いを超越している。"兵どもが夢の跡"の前に "夏草や"以外のどんな句をもってきても名作にはならないし、万人が簡単する 句にもならない。この"夏草や"という、それ自体ではなんの変哲もないことばが ある下句に対しては永遠の輝きをもつものとなって出てくるのか、 どこから選択されて出てくるのか、どういう構造のもとでどういう効果をもつのか それが批評というものだとわたしはおもっています。 ほんとうの詩の批評は好き嫌いを超越している。だけど詩を好むという読者の 態度として好き嫌いで十分すぎるほど十分であると思っております。 そこでね、 くろかみさまの、なんかよくわからない書き物を読んでみるとですね、これはもう すぐにピンとくるわけです。  "ああ、ここには何もないな"と。この何もないという読感は何千という詩を読んでくれば わたしのようなどんな凡庸な人間でもすぐに感受できるわけです。 そしてこの何もないなという感覚はべつに驚くべきことでもなんでも無いわけです。 そこに今という時代をみるだけです。でも、作者がそれに気づいていなければ 失礼ながらマンガじゃないかとおもうのですよ。 鷹枕可さまには感謝しますが、わたし個人としてはくろかみさまについては まったく個性を感じないし、また、知性も感じません。 とにかくかの作者さまに関しては御本人がご自分で今のガチガチの状況を なんとかするしかないとしかいいようがないですね。 本来はスルーする作品ですが鷹枕可さまにはずいぶんお世話になっており、 仕方なく読んだ感想、仕方なく読むなよと叱られそうですが、 いちおう格闘家ならぬ罵倒家と誹謗されている身ですが、 支離滅裂ななぐり書きにて失礼致しました。推敲しておりませんので 誤字、脱字などありますれば、斟酌してお読みくださりますよう お願いもうしあげます。 (知恵の実を選ばしめたリヴァイアサン)

2023-01-04

腹の中にたまった鬱屈や理不尽なものに対する憤怒を こういうかたちで吐き出したくなる気持ちはよくわかります。 そういう意味で詩にはこのような療養的効果がある。 これは詩の効能の特筆すべき点じゃないかと思いますが、 それよりそういう事態こそがなくなればいいなとわたしも おもいますね。 (饅頭だらしない)

2023-01-04

『第三の男』という映画のラスト近くを思い出しました。 渋谷あたりの交差点を上から見下ろしていればたしかに"虫籠"という発想が わく人はいるでしょうけど、それをどう書くかは非常にむつかしい。 つまり頭のよさだとか思想とかの問題ではなく、この詩は、表現の仕方がクールで 頭一つ、抜けている。だれもこういう書き方は思いつかないだろうし、 多分、ふつうは、こんな書き方でいいのかなと心配になるだろうけど、 思想や内容の問題じゃなく、この書き方が、虫籠を表現しえている。 クールです。 (虫籠)

2023-01-04

追記 あの、偉そうに「比喩」なんかひとつの用語で十分などと書いてしまいましたが これ、実はわたしがいっているのじゃなく詩人で戦後最大の思想家といわれる吉本隆明が いってるんです。その理由について吉本はなにも書いてませんが常識的にすぐにピンときますよね。 直喩でも隠喩でも、言語学者によってはさらに分類していける。細分化できます。 そうなるともうきりがない。そしてそれを詩表現にあてはめる場合、たんに批評としては 二次的、三次的な些末なことについて分類学的な仕分けを示していることでしかない。  親子丼は「鶏肉+玉子」を合わせて「親子」と比喩したもので「提喩」である。  きつねそばは「お揚げ」からそれが好物である「きつね」を連想した比喩で「換喩」である。  月見うどんは「玉子」を「月」に見えることからの比喩で「直喩」である。 こんなことを言っても、それで表現についてなにかを言ったことにならない。単に分類しただけです。 ある絵画が第何号の毛筆で書かれているとかそういう問題は批評の本質としては些末な 末梢の問題じゃないかとおもいますね。 ただ、ビーレビには批評も文学だ、妄想だと主張される方がいるようですから、 凡庸な作品を批評によって飾り立てることを否定はしません。 以上、念のために追記をしておきました。乱文乱筆失礼します。笑 (直喩と隠喩 ゼンメツ氏の「飛べない」について)

2023-01-04

>妄想でも宜しいではないですか。その作品が面白ければ。 もちろんもろ手をあげて同意賛同します。 そんなことに異を唱えているわけじゃないのですがね。やっぱりご理解 していただけませんかねえ。 >当方は高可読性の海に辟易を致して居ります。 失礼ですがほんとうにちゃんと読めているのですか?笑 たとえばですが、美味いものを食べるにはどうすればいいかという 高可読性の議論があるとして、それ、簡単な話だと思います? フッサールだのウィトゲンシュタインだのと振り回すより余程むつかしい、 しかも生活的思考が即超難度な哲学思考にもなっている、そういうこと、 ちゃんとわかった上で、おっしゃっておられるのでしょうか? 上手いものを食うには2つの方法があると、仮にラーメン屋の学のない 二人の職人が話だしたとする。 1つは腹を減らすという道。これ、めちゃくちゃなんでも美味しくなりますよね。 2つ目は有名レストランに足を運び手の込んだ高級料理を食う。 この2つ、考え詰めていくと主観と客観という問題にいきつく いわば下らない思想用語なんか使わなくてもちゃんと現象学や近代哲学の問題に 行き着き、しかも、めちゃくちゃ難解なことを解こうとしている。 こういうことがわからないから、意味もわからないで高踏的な哲学思想用語を振り回し 逆接的な用語法でなにか意味ありげなことを語ったつもりになろうとする方がいらっしゃる。 そういうのはわたしの場合は鷹枕可さまとは逆で、非常に可読性が高くてつまらない それより「おいしく食べるには」という議論のほうがよほど面白いし、ほんとうは可読性は 高くない。そういうことがわかっていただけるかとも思いましたが、まあ、無理なようで これからは注意するように致します。 失礼いたしました。 (知恵の実を選ばしめたリヴァイアサン)

2023-01-04

こんにちわ。 仕方がないので、スルーしていた当該作品を読ませていただきましたが正直、 意味内容としては、 まったく意味不明であることは議論の余地はないと思われます。   1分34秒に1人女性をかくまえ。さもなければ爆弾を破裂させる。   そうして、6人の女性がかくまわれ、全ての女性がかくまわれ、何事も起こらなかった。 この"1分34秒"も”6人”という数字もそれ以下の言明も、作者の内的な固有の妄想以外に 何の意味もないことはおそらく多くの人が認めるところでしょう。 "意味"とはもちろんつきつめれば個々の人々の主観であり妄想であるとはいえ、その主観や妄想が 他者と共有できるベースの上に存在しているからこそ"意味"と呼ばれるものになるわけです。 しかしこの作者にとって非常に個的な妄想が強固な妄執によって支えられているから それがこの作者の内部だけにおいてある種の意味(この場合、他者にとってはただの根拠のない"妄"想ですが) となって存在できているといえます。 もしこの作者がちょっとでも内省的なフレキシビリティをもてば、そのことによって個的な妄想が崩壊し、 下手をすれば自我の崩壊にまで至る可能性がある。 だからこの方は共ー主観性へ踏み込むことはなかなかむつかしい。だから常に断定によってしか外部に表現を発信できない。 たとえば   キリスト殺害という「間違い」が「正しく」起こった。ゆえに人間はもう死を恐れることなく不死であり、 という断定。キリストという架空の物語があって(実在したと信じても自由だが)、その物語は多くの聖的な書が そうであるように、人々の心の深層にある真実を言い当てている。キリストの死という寓話は、人間が生贄を 必要とするという真実の一面を指し示しており、その宿痾のような生物としての宿命を無化する構造をもっている。 だからここではそういう構造をわしずかみにして引き出し、人々の前にさらけだすことこそが今のような ウクライナ、コロナといった邪悪な世界の現象においては大事なことであって、   キリスト殺害という「間違い」が「正しく」起こった。ゆえに人間はもう死を恐れることなく不死であり、 などという、そんな脳天気な話はないわけです。 共ー主観性、つまり社会性のある現場ではありえないというかバカバカしい妄言でしかないわけです。 そして文学としても批評としても何の意味(「価値」ともいっていいでしょうけど)もないわけです。 ではなぜ、にもかかわらず作者はこんな言葉に固執しているかというと、おそらくある種の劣等感でしょう。 そもそも文学というものの原動力のひとつに劣等感というものがある。 しかし批評や思想、哲学における劣等感など聞いたこともないという人が多いでしょう。 でも案外、そういうものの克服のつもりで意味不明な言葉の羅列の罠にハマってしまう方が非常に多い。 これこそが哲学、思想というもののある暗黒の一面であるともいえます。 とはいえ、作者さまには無理はいえない。 このままそっと自然に自己分解していく以外にない。無理に反省とか内省とかやると、とりかえしのつかない自己崩壊につながりかねない。 今のままでいいでしょうとわたしがいわなくとも、おそらく、いっさいの外部からの批評的言辞は当該作品の作者には届かないようになっているはずです。自分を守るために。 (知恵の実を選ばしめたリヴァイアサン)

2023-01-04

これを書かれたのが三浦果実さまとは知らなかったです。 というか、わたしは匿名の投稿をいちいちだれが書いたものか? などと考えたこともないし、考えもしない。あたりまえの話で、 わたしたちは作品そのもの向き合うことしかできない。 それをなにか作者がわからないようなことは規制せよなどという 意見が出ているが、いったい何のために作品を読もうとしているのか、 さっぱりわたしにはわけがわからない。 それと、文学てのは個人幻想だからこれは孤独に決まってます。はい。 主体もテクストも関係ない。個人幻想にとって関係があるのは ホタルのように一瞬、一瞬明滅する他者との関係性だけです。 どうしてテクストだの主体だのといったわけのわからんことをここで いうのか、それこそわけがわからん。 (Planet Poem)

2023-01-04

この文章を読んだ若い人や初心の方にいっておきたいのだけど、 詩を読む上でも批評する上でも直喩だとか隠喩だとかあまり考える必要はないと思います。 まあ、ほかにニワトリのうんこの数ほど●●喩とかありますがそんなもの意識する必要はまったくないです。 まして書く上では若い人や初心の方はこんな区別は無意味ですから、はい、 まとめて風呂敷に詰めて「比喩」、詩はこれで十分いけます。 それから詩作品を心理的な述語を使って、たとえばフロイトのカルトチックな概念を使って 説明するようなそういうアクロバットも、やめたほうがいい。 そもそも心理学も思想哲学も詩の生がもつ複雑さにはとうてい及ばない。 逆にいえば、心理学や哲学思想ごときに解体されるようなそういうつまらないものはむしろ 詩とはいえない。子どもだってそんな詩は書かない。 まして「異化」だっけ、笑 そういうの振り回すような人の批評はほんとうはあまり信用しちゃいけない のだけど、ま、虚仮威しにはなるかもしれないけど。 さて、この批評、 蛾兆ボルカさまの労力には感心しますが、正直、途中で退屈になって読むのやめたい気が焦って きました。いや、間違いが書かれているからではない。むしろまことにまっすぐに「ほんとう」だと 思ったことを書かれているのでしょうけど、批評といえど読むものを愉しませる必要がある。 これを面白く読んだ方もいるでしょうけど、わたしにはまったく砂を噛むようにあたりまえで おもしろさを感じませんでした。 こういう書き方をする人が詩を書いている、それが驚きでした。 (直喩と隠喩 ゼンメツ氏の「飛べない」について)

2023-01-04

ストレートな気持ちのいい発信だと思います。 わたしの場合は こども時代が悲惨だったせいか、はやくから本と映画に耽溺し、 言葉とか映像とか、ようするに精神やこころが虚構としてつくりあげたものが ほんとうの世界であって日常生活世界はうその世界だった。 しかし活字や映像の世界から一歩我にかえると苛烈で厳しい現実世界が 待っていた。だからそれゆえに、たかが詩、たかが映画とはいかないで、 そういうものには、かなりきびしい指摘をする。 現実世界ではそういう指摘や批評はしない。 むしろだれからも瞬時に「やさしい人だ」といわれる。人を傷つけないように 気を配るし、できるだけ人を救けてきた自負もある。 しかしそれはウソの世界だからそうできるのであって、文学や映像の世界に 入ったら、そこにいい加減なウソがあると許せなくなる。 というのも、活字や映像から一歩外へ出ても、日本の戦後世代にはそれほど 苛烈で厳しい現実が待っているわけではない。 東南アジアやアフリカや南米ではいまだに子どもたちが病毒性の化学物資に まみれながら労役をしていたり、危険な廃物をあさって生きている。 そうではなく日本の戦後世代の場合、多くの者にとって、詩や映像世界が わたしのようにリアルな生活世界ではないから、つまり一歩外へ出ても それほどの圧力がない世界が待っているからどうしても活字や映像の世界も 趣味的なものになる。虚構世界というものが、わたしのようにほんとうに大事でリアルな生活そのものの世界ではない。この齟齬が、わたしに他人の表現に対する辛辣さを 生み出す。それをして「罵倒家」といった怖ろしく愚劣な非難をも頂いたが、 ひとつ言っておきたいのは、 手放しで褒めるということは、たしかに相手は気持ちいいかも知れないけれど わたしの経験からするとそれは「虚無」にひとしい行為であるといえる。 わたし自身、人から褒められたら、外見上はうれしそうにしているが、内心、どこか 半分がむしろひやっと白けている。あまりうれしくはない。 罵倒や非難や批判は猛烈に頭にくるし、バカヤロウ、何も知らないくせしやがってと おもうのは人並みに同じだが、しかし、どこかでむしろ確かな手応えを感じている。 いまの詩のサイトはちょっと厳しく指摘すると傷つく人たちがいるのはこれは 本人のせいではなく時代のせいだからしょうがないとしても、 それに輪をかけて褒め合うというのは、どこかで病んでいるとしか思えないときがある。 それもまた時代のせいで御本人方のせいではないのだけど、 こんな時代に詩を書いたり投稿したりすることには、いろいろとハラハラがつきまとうものかと おもうと人々に対してではなくこんな時代に対してやはりうんざりするのも事実です。 基本的には作者さまのご意見には頷く所多々あり、小笠原鳥類だっけ、わたしは詩ちょっと読んだだけで御本人には逢ってませんが、 やっぱりそうとうの書き手だとおもうし、そういう人に褒められたらわたしだって飛び上がるほどうれしいですよ。 いや、つまらない雑文、失礼いたしました。 なかなか最近、コメントしずらいので、これはなんか素直に書かれていて、 失礼ながら長文コメントを書かせて頂きました。ご容赦。 (Planet Poem)

2023-01-03

追記 運営の方々への要望ですが、あなたがたにはものを見る目があるのですか? 作者さまには申し訳ないですが、この程度に表面的な幼稚な作品を 「話題の......」といって門前にさらすのはどうかと思います。 また三浦さまや鷹枕可さまのコメントも幼稚で単純かつ不明にすぎます。 こういった作品とコメントが表に「話題」といってさらされ、これが大人の意見だと すれば、これはもうネットの投稿サイトなど世間からバカにされる危険性があります。 わたしはほんとうにもう泣きそうなほど落胆しています。 罵倒、恫喝とみなされて懲罰されるなら、そうしてください。これではあまりにも 詩がかわいそうです。 (大虐殺の後で)

2022-12-27

この詩が「話題の作品」ということで、本投稿サイトの入り口にあがっていましたので、 会員のみなさまのコメントを読み、その上で二回目のコメントをさせていただきますと、 湖湖さまが観られたwowowのそのドキュメンタリーは主に西アフリカの自然と現在を三回にわけて放送したものですが、 その西アフリカでいえば 旧フランス植民地であった14ケ国はいまだに「CFA(セーファー)フラン)という通貨です。しかも独立したはずなのに通貨発行権はECB(欧州中央銀行)がもっている。 つまり欧州は、いまだに西アフリカ諸国の経済を自由勝手にあやつれるわけです。こんな無茶クチャな話は最近まで世界の有識者のだれも知らなかった。しかし三年前にイタリアのメローニ首相がフランスのマクロンを弾劾してテレビで明らかにした事実です。 そのような話はおそらく絶対にWOWOWの一般市民向けドキュメンタリーでは明らかにしないでしょう。 いまだに欧米はアフリカ諸国から富を収奪しているわけです。西アフリカのブルキナファソの金山で小学生が奴隷のように働いている。そしてそこから上がる収益の50%をフランスが手も汚さずに横取りしている。これもイタリアのメローニ首相が欧州を弾劾してテレビで明らかにした事実です。 ドキュメンタリーの中でだれかが詩を朗読していたということですが、どんな詩でしょうか。 ルワンダ大虐殺。ちょっと資料にあたればすぐにわかりますが双方、死者の90%が 最低貧困層の若者たちばかりなんです。そういう非民のような、奴隷のような貧困層の人々が対立においやられ 殺し合いをするように仕向けられている邪悪な構造。 ほんとうに戦争で犠牲になった人々の魂の叫びなら、放送する側はちゃんとその人の名前も詩のタイトルも明らかにすべきです。 アフリカの貧困層には、そんな余裕はないですよね。アフリカにおいて詩は現在でも有閑層の暇つぶしでしかない。アフリカには字も読めない書けない人たちが一杯いる。 作者さまはわたしが"富裕層の町が出来上がった"というコメントに対して   ブルジョワタウンという印象は受けなかったです。 とおっしゃっていましたが「印象」というのはたいへんむつかしい話です。できれば、史実をたしかめてほしかった。 その感動がいかに甘美なものであれ、その感動のせいで、あるいはその感動によって隠蔽されていくものによってこれからも殺戮と収奪が全世界に蔓延することになるともかぎらない。 日本人にとってもっとダメな部分こそ日本人である文学にかかわる者がきびしく指摘すべきではないかとおもうのですが、 まあ、ネットのなかのここですらこうですから、なかなかむつかしいものですね。 また「恫喝」とか「罵倒家」といった非難を受け懲罰をくらうことになるかも知れませんが、こういうことは わたしの影のような、死んでいった無名の貧しい人々の原像にことよせて語るべきことであると考え、懲罰の口実になろうともあえてコメントさせていただきました。 (大虐殺の後で)

2022-12-27

学校のイジメについては......これはもう満身の怒りを覚えるけど どうしてこんなものが発生し、大人が放任し、子どもたちが まるで割礼の儀式のように傷ついていくのか 責任ある立番の者たちがだれも解決しようとしないのか、首を ひねるばかり。 わたしの時代にはイジメはなくてその代わり、みなから 怖れられるガキ大将が一人、教室に必ず一人いた。 これはうまい仕組みで、みなから嫌われる代償として 全員の上に君臨していた。 ガキ大将を大人たちが殺してしまってから陰湿なイジメが 誕生した。このことの奥にある仕組みをあからさまにすれば わたしは世間から非難を浴びる。そういう構造になっている。 なんともつまらない社会だ。 (夏の日の夕日が落ちた後で、存在よ)

2022-12-25

 嫌なことを言っている人がいれば、あの人は感じの悪い人だね、と考え、  素晴らしいことを言っている人がいれば、あの人は偽善者だね、と思うのだ。 これは間違ったこころの動きとは思えないですね。非常に冷静で正しい。 人間、どちらかしか選べないなら、人それぞれでしょうけど、わたし個人は 偽善者になるくらいなら嫌われたほうがせいせいするような気がします。 (死ぬのは難しい)

2022-12-24

わたしも一度、むかし とぼとぼと歩いてゆく一人ぽっちの旅について ある人生の先達に電話をしてそのことを問うたことがあります。 その方の答えはこうでした。 「たしかに一人はつらい。だけど一人は強いんだよ」 どこまで真実かわからないけど、 仮にだれかが一人ぽっちであることに嘆いているとしたら このことの可能性も一人ぽっちの数のなかに忘れないでほしいと思います。 (ひとりぼっちの旅人)

2022-12-23

はたして犬1はどこへ? (犬1:猿:1:猫8)

2022-12-23

鷹枕可さまの数ある投稿作のなかでは 非常にわかりやすくまた読みやすい詩歌であるうえに ほとんどのものに日本人として共感を覚えました。 とはいえ、この手のものはなじみが少ない形式であるがゆえに 読むものはひとつひとつ、語彙について、せめてネットで 検索して、そこにあらわれる未知の概念や歴史について 新鮮な驚きを覚えてほしい気がします。わたしもわからない 言葉は検索してさまざまな未知に出会い、それもまた 面倒だけどおもしろい体験でした。 嘆きもあり失意もあり人類への警笛もあり孤愁もありと 鷹枕可さまの、現在というか現代への思いを放たれたものでしょうけど 現代の詩の書き手に、これを「わからない」という人がいるということが まさにこの作品の示すところの抒情が追放された世を物語っているのかもしれません。   日本人の主体は、規範じゃなくて、心なんです。千変万化する個人の心 死を前にした作家、色川武大の絶叫ですが、その心が滅びようとしているとき "日本人"というものも滅びてゆくのかもしれません。 (抒情追放)

2022-12-23

澤さま 澤さまがTwitter上でわたしがこの投稿作品について 間違ったことをツィートをされておられますのでご指摘させて頂きます。 わたしについて澤さまがTwitter上でどんな悪口を書こうと罵倒しようとわたしはまったく気にしておりません。 また、そのことについては基本的に粘着するつもりも読む気も返信するつもりもありません。 そうではなく このサイトへ投稿した作品について事実とは違うことを書かれている場合にのみ この場を借りてご指摘をっせていただきたいと思います。 知り合いからの連絡を受けて今朝、拝読しさせてもらったのですが それは以下のツィートです。 Pinned Tweet 澤あづさ @adzwsa ・ 9h わたしに粘着してる罵倒家が、わたしのRTをもとに詩を書くというきもい趣味を始めたので、 わたしが「反知性主義」についての雑文『犬』を投稿したきっかけは 三浦果実さまの 批評投稿作品『村上すうというすごい投稿者を発見した』における 三浦さまとのやりとりが起因です。 「反知性主義」についてわたしが根をつめて考え抜いてきたことを ざっくばらんに表明しておいたほうがいいと考えました。 投稿したあとに澤さまがTwitter上で「反知性主義」について ホッパーの労作の断片だけを切り取った文章を載せておられていたので わたしのほうこそ逆に澤さまはいまだにわたしを注目されているのかと、 思ったくらいです。 まさか人さまのTwitter上でああだこうだ と反論するほどわたしは非常識じゃありません。 もともと澤さまのツィートをみたのは、連絡を受けて今回が初めてで、 澤さまを粘着もしておりませんし、興味もありません。 澤さま、わたしについてどのような悪口を書かれても構いませんし、 そのことに一切、反論するつもりはありませんが、 投稿作品について事実とは違う話を拡散しないでくださるようお願い申し上げます。 おそらくわたしの投稿のほうが早いはずです。 わたしは澤さまにはまったく関心がないし粘着もしておりませんことを ここに表明しておきます。 できればわたしの『犬(いぬ)論』投稿時間と澤さまの当該、 「反知性主義」に関する都合のいい切り取り断片の リツィートとの時間を確認ください。 おそらくわたしの投稿のほうがはやいはずです。この件については 以上です。 フォーラムに投稿しようと思いましたが反映されなかったので やむをえずコメントしておきます。 (犬(いぬ)論)

2022-12-22

追記 『アメリカの反知性主義』という素晴らしい本があります。 古いですが見事な洞察に頭が下がります。丹念に読めばわかるのですが ここで著者のリチャード・ホーフスタッターは米国中南部の農民たちが 知性に反感を覚えているとはいってません。 生き馬の目を抜く東海岸のこすからいインテリにだまされつづけてきた 農民たちは知性を否定しているわけではなく「あなたがたのはほんとうの知性じゃない」 といってるのです。つ つまり反知性ではなく非知性主義です。知性を否定された非知性側の方が 知性を擁護しているとすればそれは噴飯というものです。笑 あの良書の一部それも数行だけを抜き取って知性の擁護なども噴飯というものです。 (犬(いぬ)論)

2022-12-21

こんにちわ。 興味深い視点だと思いました。  しかしルワンダ大虐殺の後  都市キガリはアフリカでナンバーワンの復興を見せた  立ち並ぶビルに整備された歌壇の花が揺れる  ゴミの落ちていない  女が夜に出歩ける安全な活気ある街への変身だ むしろこれが怖ろしいですよね。 おそらく富裕層を始めとして仕事も家もあるルワンダでは 特権的な方々の美しい町が出来上がったのでしょうけど、 そのために貧民層にどれほどの犠牲が出たかと考えると、 その美しい街並みをみるのがわたしなど怖気づきます。でも、 いい、気づきを与えてくださってむしろお礼をもうしあげます。 (大虐殺の後で)

2022-12-21

>ついにドーナツは穴の部分だけが残った。 むかしアフリカのどこかの部落にドカンと何かが落ちた。 酋長以下、全員が見にゆくと大きな穴があいているが、 落下物、もしくは隕石らしきものはどこにもない。 占い師の老人に村人たちが尋ねにゆくと それはあれじゃ、と老占い師はいったとか。 「穴が落ちたんじゃよ」。 そんな話が浮かんできました。だれが書いた お話かもう忘れましたが。 (約束)

2022-12-21

ああ、なるほど! とおもいました。 ありきたりといえばありきたりなんだけど これだけシンプルに言った人はめずらしい。 (無題 2305)

2022-12-21

わたしは24日ごろになるといつも クルシミマスといってました。 ことばを減量させるとこの詩のように 気持ちよく軽く弾けていく。勉強になります。 (予知者)

2022-12-21

わたしが尊敬している阿佐田哲也という麻雀小説家がこういうことを いってます。  >群れから離れて一匹狼になると、自分を否定していたのでは辛すぎてかなわない お気持ちはわかりますが、じぶんだけは愛してやってください。好きになってやってください。 ほかはもう呪おうが、中指立てようが構いません。全部嫌いになってもいいですから。笑 (ある男の独白)

2022-12-21

こんにちわ。 一見、わかりやすい言葉で書かれた なんでもないようにみえる詩ですが、 読み込んでいくと、これは、凄い詩ですね。 人生や人間や社会に真っ向から向かい合っている。 共感するところやなるほどと思う所よりも作者さまが 愚かな弱い存在をあたたかく抱き込もうとしている姿勢が 読む者としてのわたしをとても安心させてくれます。 良い詩だとおもいました。 (受容)

2022-12-21

こんにちわ。 七五調にじぶんの思いをのせて歌われているわけですが わたしはこういう音韻は苦手なんです。でも、 タイトルに作者さまのおもいのたけがこもっていて、それを傍らに 置いて読むと、まっすぐな気持ちが伝わってくるような気がしました。 (聖夜に夢よ降りそそげ)

2022-12-21

こんにちわ ざっと読んだだけですが共感するところ大です。 とりあえず感想を書かせていただきましたが、 このあと用すませてゆっくり読もうと思います。 (エピメテウスの希死念慮)

2022-12-21

こんにちわ。 七条というタイトルがわかりませんでした。詩はわからなくていい という人もいますがわからないとつまらないものですね。 もっと勉強しなくてはとおもいました。 (七条)

2022-12-21

運営さまへ。 こういうことがあるからフォーラムでの説明を求めたのです。 澤さまがフォーラムでの説明を拒否し、 ここでいつまでも議論がつづき、あげく、くろかみさまから非難されたので わたしなりの反論をしただけで、くろかみさまから説明を求められればいつでも丁寧に なぜイデアだけが上滑りする議論であるか細かく教えて差し上げる用意はありました。 しかし、運営さまの判断は正しいとおもいます。 フォーラムでやるべきことだとわたしもおもいます。申し訳ありませんでした。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-21

失礼、 三浦さまに文が長いとたしなめられましたので それはその通りだと反省し、上記のコメントを一言でいいますね。 くろかみさま あなたの言葉はいつもイデア的に軽々と滑りすぎている。 この一行だけで十分でした。 失礼致しました。わたしはいつも理解していただけるかどうか 疑わしくなって言葉をつらねるくせがありますが、 わかる人なら一行で全部を知ると信じるべきだと三浦様から 教わったような気がしてきましたので、今後はできるだけ 短く書くように致します。 この一行でわかっていただけないのならあきらめます。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-21

くろかみさま >独りよがりでない自己表現はない、表現は暴力、同意します。 暴力はいけないでしょ。 冗談ではなく、表現だろうと何だろうと暴力を肯定してどうするのでしょう。 いや、これはそうじゃなくて高尚な文学的姿勢や表現の本質のことを言ってるんだと おっしゃるかもしれませんが、失礼ながらおそらく実際には何も考えてないでしょ。笑 表現の暴力を肯定するならことは重大だから他人の理論をもってくるのじゃなく じぶんが実際のリアルな人生や人間とのあいだに生じた軋轢などのリアルな体験とそれに もとづく思考の結果として論理的に説明して下さい。できますか? あまり無茶なことをいうものじゃないですよ。わたしは暴力反対ですね。 でも、いや、あんたのコメントも暴力だよというかもしれませんね。 だったら徹底的にわたしの暴力を論理的に暴いて非難すべきですよ。 あなたがたのお話を聞いていてあまりにもいい加減に上滑りしていく言葉の 羅列にちょっとあっけにとられました。 どうしてそうもイデア的に軽々と「表現は暴力」などと平気でいえるのか。 わたしには理解の外ですね。こんなことでいいのですかね。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-21

ゼンメツさま >僕のどう見ても「みんながみんな面白い」みたいなそういうタイプじゃないですよ。 みんながみんな面白いなどというタイプの詩ってどういうものですか? たとえばどんな詩がそうなんでしょうか? こう問われたとしたら、むつかしい話ですよね。 そもそも詩にそういうものがあるなら詩人がもっと詩で食っていけるはずですから。 でも、詩人のギルドは狭いし、中でもネットの素人投稿者の数ってかなり限られており、 その中でも昔からネットに素人詩を書いてきた人はほんのわずかだ。とうぜんお仲間が出来る。 そういうお仲間たちを「みんな」といえば、そういうお仲間たちから面白いといわれる タイプの詩をゼンメツさまは書かれてると思いますよ。 でもそういうものには総じて、ある狭い世界の思想や哲学や世界認識しか見受けられないことは おそらくトータルな詩の世界にかかわるものの一致した意見だと思うのですがね。 そういう狭い世界にうんざりして、なにごとか変わってもらいたいと思って異論をいえば "犯罪者扱いされかねない"世界なんですよ、ネット詩の世界ってのは。それが被害妄想だというかも しれませんが、批判的な奴は被害妄想と言って除けてるとすればいい気なものだと思いますよ。 しかし狭い世界だし、どこからも批判の矢がとんでこない表現世界だとすればこれほどの天国はない。笑 湯船につかって浪花節でも歌っておられる狭いけど快適な世界だ。 そこへ侵入して平和を見出してはいけないと最近、反省をしはじめております。ただ、 初心の真面目な投稿者を大事にしたいだけですね、わたしは。 (飛べない)

2022-12-21

みなさまのコメントお聞きしましたが、 なんかクリスマスか忘年会の宴会の席でお仲間さんたちの雑談を聞いているようで 怜悧で冷静な批評的態度の方は残念ながら一人もおられなかったことが ほんとうに残念です。失礼ながらみなさんいつものメンバーとしか思えませんでした。 わたしはそういう見慣れた聞き慣れた方々の一方的な応援雑話はもう結構なんです。 ほんとうに冷静な方の辛辣な、的を得たわたしへの批判をお聞きしたかったのです。 わたしはこうみえてもわからず屋じゃないですよ? 心に響く、あるいは論理的にまとを得た批判ならどれほどきつくても受け入れるし 相手を尊敬します。それだけは、だれにもまけないわたしの美点です。じぶんでいうのも なんですが。 あなたがたの少ない美点も承知していますが、それはあまりにも小さな美点であって 大きくかつ包括的な詩についての観点からいえば、やはりあまりにも狭い。内輪のなかで 今後ともそうやって褒め合い、批判する人を笑い飛ばして一方的に「処罰は望みません」などと もうなにか相手を罪人のように決めつけているという自信をもちつづけてください。 いえ、もう、何もいいません。ご自由にどうぞ。しかし、今後とも、あなたがたが投稿者のどなたかへ 批評などされたときは間違っていると思ったときは正直におだやかに指摘させていただいきます。 うろんな素人の乱文乱筆失礼いたしました。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-21

追記 今回は批評文(推薦文)なのでコメントしましたが、三浦さまが 不快を催している以上、今後、コメントをすることはありません。 だいたいいろいろなことが理解できてきましたので、 自分自身のことを見直すことに専念します。 (じぶんが間違っていたとかそういうことじゃありませんが 場違いなところで場違いなことをいっていたことに愚かさを 覚えております。とうぶんのあいだは沈思黙考期間です) (村上すうというすごい投稿者を発見した)

2022-12-20

失礼。 わたしが考えたのは批評文が投稿されたら対象作品には いっきに5ポイント入るということでした。 (もしそうでなかったのなら謝罪します) 黙々と投稿をつづけている投稿者の方々の手前、 批評文を投稿された方には5ポイントの重みをちゃんと受け止めてほしいのです。 批評投稿文には少々、細部にわたる問いかけをしてもこれはその重みの手前、 丁寧に答えてもいいのじゃないでしょうか。 そうでないと、「やあ、上手な詩ですよ。凄いですよ」と 書いただけ対象投稿作品に5ポイントつくなら、なんか推薦されない方々に対して 比重が軽すぎるような気がしますしね。 それから「反知性」とか「反リベラル」とかいうことば、考え抜いた上で使っておられますか? 荒川洋治とか野村喜和夫の名前を出したら「知性」的だとは少しも思わないです。 あなたの好きな内田樹という方はいつもそういう文章を書いてるじゃないですか。  これはわたしが言ってるんじゃない●●という偉い●●が言ってるんです よくこういう末尾で終わるコメントが多い。 なぜ内田樹がじぶんの考えとしてではなく、じぶん以外の優秀な思想家や批評家らの 名前をだすのか? それはじぶんを卑下しているからです。 「わたしみたいなそこらの無価値なフンドシが言ってるんじゃなく、偉い先生がいってるのだから どうかこの意見や主張を信じてくだい」そうへりくだっているのですよ。 わたしもそうであって、わたしごとき素人で無知な人間が思いつきでいってるのではなく、 そういう偉い先生、優秀な詩人の精鋭のみなさんとの交流の中から教えられて得た詩に対する 姿勢ですよ、どうかわたしは愚劣な素人だけど、そういう方々から得た知見を信じて頂きたいと。 じぶんに自信がないし偉いとも知的とも思わないから意図的に事実を書いたのです。 三浦さんがわたしの書き方を否定するのなら、あなたが憧れている内田樹に向かって同じことを 言ってみて下さい。はたしてどんな返答が返ってくるか。わたしの憶測が間違っていたら おっしゃられる通り、わたしを今後いっさい拒否してもいいです。 それと「優しさ」などというものは他者に講釈するようなものでしょうか?  それをじぶんのなかに仮に認めたとしても、そういう感性はもっとも外部にさらして 誇ってはいけないようなもののように思えるのですが。 わたしは優しさについて講釈するほどのものは一片とも持っていませんのでもう語りたくは ありませんが.......。 えーと、それと文章が長いのをやめろということですがそれはわたしが愚鈍だからです。 人はそれぞれその能力に短所があります。長文でしか書けない、一種の 生い立ちからの精神的外傷 ptsdを抱えた人間にありがちな障がいともいえます。 三浦さんがそうとう不愉快に思われているとしても、わたしはこういう下手な長ったらしい 書き方しかできないのですよ。どうか生まれてからすぐにボコボコにされてきた人間の 傷口をぐじゅぐじゅにかき回すようなご発言はほんの少しだけ、考えてからお願い申し上げます。 なぜ長いの? と発言の前に一言聞いてくれればいいのに、そういう言葉のキャッチボールもせず 三浦さまは短絡的に要求されますがSPY×FAMILYのアーニャはそういう人間なのでしょうか? SPY×FAMILYのアーニャがいいと思うのは三浦様の好みで勝手ですが、SPY×FAMILYのアーニャは だれかの障がいからくる不具合の可能性を考えるとか言ったむつかしいことを考えずとも まず相手に尋ねてから、じぶんの意見をいわないような自分勝手な人物なのですか? 尋ねるということは大事なことですよ。だからわたしはいつも尋ねている。それがある人には不快な 流言といわれようと。まずはキャッチボールをしてから、 長い文を書くのやめろというのなら、わたしも気持ちよく受け止めたかもしれませんが、 今のところ、短い文だろが長い文だろうが、中身さえまっすぐなら問題ないと考えます。 以上、いっしょうけんめいに書きました。できれば丁寧にじっくり考えてお読みくだされば うれしいです。 (村上すうというすごい投稿者を発見した)

2022-12-20

わたしにはとても書けない詩だけど、佳い詩であることは愚鈍で素人な わたしでも感じでわかります。 電磁雨や粒子の嵐を抜けてきた惑星間飛翔体がひとつ まばゆい星座を背景に 蒼空の宇宙空間にひとつぽつんと浮かんでいる。 そんなイメージが広がっていきました。 (睡眠の技法)

2022-12-20

そういえば上記の合評の場でひとつ思い出したことがあります。 わたしだけがなぜか詩のわからない素人だったので ある、めちゃくちゃ幼稚、かつ単純でデタラメともいえる詩が出てきたとき とうぜん、その詩はだれからも相手にされず、もちろん評価もされなかったのですが その詩人はみなからひそかに尊敬を集めていた。 愚鈍な素人であるわたしはどうしてあんな詩を書いたやつがみなから尊敬 されるのかとある女性に訪ねたことがある。 たしかに下手な詩だけど、あんな下手な詩を合評に出す勇気はわたしにはないし、 書く勇気もないといわれてなんだか肩の荷がおりていったような覚えがある。 その下手っぴーな詩を書く男はその後、あまり名は知られていないが詩の賞を とった。上手いとか下手とか、そういうのは詩にとっては あまりに狭い世界の話なんじゃないのかとおもった次第です。 愚鈍な素人の暴言、ひらにお許しをお願い申し上げます。 (村上すうというすごい投稿者を発見した)

2022-12-20

三浦さまの推薦文読ませていただきました。 >技巧の上手い下手いをあやふやにする人間が上手くなるわけがない。 なるほど仰っしゃりたいことはよくわかりますが、上記の発言は正確にはこうでしょ。 技巧の上手い下手いをあやふやにする人間が詩の技巧が上手くなるわけがない。 なるほど。これはそのとおりだと思います。 ところで、 >ポエムかよwって揶揄されないギリギリを書く村上すうさんの技巧に注目。 とのことですが、 三浦さまが技巧だと感じている村上さまのその技巧がどんなものであるか説明できるものでしょうか? 村上さまがポエムと非ポエムとのぎりぎりを書いていることはどこからわかるのでしょうか? どのようにその技巧を説明できるのでしょうか? 構造的に説明が出来るのならばぜひお聞きしたいのですが。 たんに三浦さんの「感じ」としてそう見えるのならそれは「技巧」じゃないと思うのです。 おそらく「技巧」とおっしゃるのだからご自分の「感じ」を分析的に堀り進めて なんらかの表現思想ないしは理論に行き当たったのだとおもいますが、ぜひ、 それをご披露願いたいとおもいます。 「感じ」として「ぎりぎり」だというのでしたら、それはあまりにも大雑把な ただの雑話でして技巧などという言葉を持ち出すのがふさわしいかどうか疑問です。 村上すうさまの詩がおもしろいのはわたしも賛同しますが、その面白さの要素の ほとんどは「転換」が巧みだというところに起因しています。 ラストの「逆接」など見事ですよ。そこにわたしたちは何らかのカタルシスを覚えて 炭酸水を飲んだような爽やかさを覚え、ニコッと笑う。 しかし三浦さまのいう「ポエムかよw」っておもわせてそうでないという技巧の 構造を今後の参考のためにぜひお伺いしたいものです。 >上手い下手いを意識しない言い合わない勉強会や合評会にいくら参加しても上手くはならないよ。 これも何をもって「上手い」といい「下手い」というのか、ちゃんと定義など前もってしてないと うまくなるもなにも混乱するだけじゃないでしょうか。 わたしは野村喜和夫や荒川洋治を筆頭として 中也賞候補になるような才気あふれる若手の詩人たちら錚々たる面々の方々にまじって 三年近く毎週二回、まる一日費やすような詰めた詩の合評に顔を出してきましたが「上手い」 「下手」なんていう発言を聞いた記憶がありません。 しかし酒席の雑談ではだれか詩人の話題が出たときに確かにそういう、 軽い反応としての発言はひんぱんに飛び出したことは事実です。 三浦さまの「上手い」「下手い」の詩の定義とは どんなものなのでしょうか。今後の参考のため、ぜひお聞かせ 願えないでしょうか。 愚鈍な素人のお願い、どうかひらにご容赦。 (村上すうというすごい投稿者を発見した)

2022-12-19

ゼンメツさま。 ほんとうにもう勘弁してください。 本人が否定しているのに「事情があるのでしょう」って これ以上口にするのはやめるといいながら、 「ほんとうはこいつは一輪車だけど」とデマを流しているのとかわらないですよ。 わたしが一輪車さまである明確な証拠を示してください。 あるいは被害妄想を匂わせてみたりしていますが、被害妄想なんかないですよ。 あなたがわたしをかってに一輪車さまだと決めつけ、それを根拠にわたしの感想を 無視していることはご自分がおっしゃっているじゃないですか。 被害妄想があるとすればどちらでしょうか。 「どうみても」などという言葉を根拠に人を誹謗してもらいたくないだけです。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-18

ゼンメツさんへの返信を作品にしてしまいました。 ご容赦。上記のコメントがゼンメツさまへの返信です。 わたしは一輪車さまではない。これは断言しておきます。 「どうみても」などという根拠での つまらない、いやがらせはやめて下さい。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-18

本人でないといってるのに本人といいつのるのでしたら それは誹謗で、嫌がらせですよ。 「どうみても」が根拠になるのなら、ゼンメツさんはそれでいいのですか? 「どうみても」あなたの詩はダメだといわれて反発されているのじゃないですか? いや反発してないよといっても「どうみても」反発してますよなどといわれて ゼンメツさん、否定してるじゃないですか。もう、そういうのやめましょうよ。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-18

>長々モラハラお疲れさまでした室町さん。わたしいちおう心理学部卒ですので、あなたの所業がどういうことだか存じてますよ。ごきげんよう。 澤さま。 「モラハラ」などという過激な言葉はそれを受けた相手も精神的なショック(外傷)を 受けかねないものですから、心理学の専門家ならなをのこと、よほどの根拠と必要がなければ そんなことばを不用意に相手に投げかけないものです。 そんな行為はその心理学者自身がモラハラを平然と行ったことになりかねません。 澤さまが素人で、素人の感じとしてモラハラでは?とおっしゃったのならまだ許せますが、 心理学の専門家と名乗り、その上で根拠を示さずに平然と「モラハラ」という言葉を わたしに投げかけたことについて、なるほどと会得いくものがありました。 わたしは澤さんの批評なるものの、そういう側面にいつも眉をひそめていたのだなと。 澤さんご自身はまだご自分がどんなことをなさったからちっとも自覚されていないでしょうけど わたしは澤さんのそういうところが大人として未熟であり、そういう未熟な精神をみずから批判的に対象化しないで 知識が先行するような批評について「謙虚」ということを指摘させていただいたのですが、 やはり、なかなか真意は伝わらないものですね。 とはいえ、ほんとうにわたしが「モラハラ」をやったというのでしたら、ぜひ、ご教唆をお願いします。 これはたいへんな問題だと思いますので。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-18

ゼンメツさま、こんにちわ。   ただ自分としては、欠けているものを描くのが好きなので、 ゼンメツさま、 欠けているものを描いておられたのなら指摘などしません。 というより欠けているものが本人にわからないから欠けているのでは? わかるのならそれはもうちゃんと見えていることになります。 欠けているものは他人からしか指摘されえないものです。それを拒否したり あるいはそれがわからない方からの肯定的な賛辞だけを受け止めていれば いつまでたっても何も変わらないのではと憂慮するのです。 それと感想やコメントはみなが同じじゃないから意味があるのだと思います。 右から左まで同じであるほうがおかしい。澤さまのように、 否定的な感想やコメントをするからモラハラだと根拠もなく指摘することこそ わたしはモラハラだと思うのです。 わたしはゼンメツさま個人には何の個人的感情もありません。作品と作品の後ろにいる 作者さまだけをみて正直な感想をしたためているのです。それが否定的であったとしても 正直な感想を述べる機会や場だけは守ってもらわないと、今後いっさい正直な感想やコメントはできないことに なります。そういうの、もうやめようではありませんか? 自分たちの意にそわないコメントや感想を 非難したり、だれかの名前を持ち出して同一人物であると誹謗する、 それこそ幼児のようなわがままの世界になりかねません。どうか大人としてのふるまいを 澤さまともどもお願い申し上げます。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-18

思い返せばレスのやりとりの半分くらいは一輪車さん(室町さん)とのものだった気がしています。 ゼンメツさま、 これは違います。まったくの誤解というより誹謗ではないでしょうか。 根拠のない思いつきでのこういう決めつけはやめていただきたいとおもいます。 わたしはなにか底意をもってコメントや感想をしたことなどありません。 いつも真面目にコメントしております。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-18

虚無の世界を歯を食いしばって生きているのか、 そんなことを思いました。 (ホワイトワールド)

2022-12-18

  早くカワウソの尻尾で歯を磨いて、向こう町のオノマトペにいきましょう。 全体にきれいきれいに、また、洗練された知的な読み物として書かれようとしていたのでしょうけど、 この一行がなにか隠されていた舞台裏をみせてしまったようなブサイクなものになっている。 そんな感じがしました。用意周到なのにその用意周到さがこういう一行にしわ寄せとなってあらわれる。 詩ってのはおもしろいとおもいました。 愚鈍な素人の感想、どうかご容赦。 (対岸)

2022-12-18

余談申し訳ないですが、ほんとうに余談ですが、 辛口の感想、あまりお気になさらないで下さい。 わたしがこういう(正直な気持ちではあるけど)何か批判的な感想を 書くと必ず作者さまへの応援がざわざわとやって来ます。 つまり、もっと活発なコメントや感想が来ることを狙って作者さまの 詩が賛美されることを半分期待もして 書いた部分もありまして、どうか、ひらにご容赦。 (アナグラムの夜明け(即興ゴルコンダ(仮)より))

2022-12-18

やっぱりなにかすこーーーんと欠けてますね。 素人でも下手でもみなさんが全円的にもっている人間や世界や自分を 見る目が半分すこーーんと吹っ飛んでいる。 うまく書ける人であるのでしょうが、詩なんてそんなふうに半分欠損した 視点からいくら美味そうに書いても、 人や世界をちゃんとまじめに見ようとしない詩は大人にはとても読めない ような気がします。 辛口の感想申し訳ないですが正直な感想です。 愚鈍な素人の感想ですが、ちょっとでも参考になればうれしいです。 (アナグラムの夜明け(即興ゴルコンダ(仮)より))

2022-12-18

素晴らしい才能をもつ、非常に熱心な詩の研究者、批評家である ネット界の巨人ともいえる澤さまのおっしゃるとおりだと思います。 愚鈍な素人であるわたしめへ 今後ともご指導、ご教唆ほほどよろしくお願い申し上げます。 ではこれにて。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-18

昨日読んでから、かなり気になっている作品でした。 とくになにかがたいそうなポーズで書かれているわけではないけど ところどころ共鳴するところがあり それがなんというか、できるだけ外気に触れない ようにそっと書かれている。それがとても 気になる作品でした。 (ビーレビが重い間は)

2022-12-18

なるほどね、なるほど、みなさんの仰ることはよくわかります。 たぶんそうなんでしょう。でも、やっぱり世界認識とか世界観が貧弱で 幼稚だったらいくら異化で装ってみても、あるいはタヒさんのように ずば抜けた感性で詩を書いても、それはただそれだけのもので、 何重にもこころの襞や経験や感性の積み重ねを持つ大人の鑑賞に耐えるものにはなりません。 でもそういう大人はまずここへは姿をあらわすことはないでしょうから、 この評価でいいのだと思います。これまでどおりずっとこれでやっていかれたらいいと 思いますね。それではみなさま、お疲れでした。御機嫌よう。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-17

わたしの場合はおかしいんですが、 朝、目が覚めたら「なんだ、死ぬのって快楽なんだ」 と思うこと。そのくせ、起きてしばらくすると 死が怖くなる。昨晩、死んだ状態があれほど気持ちよかった のに。これの繰り返しですね。 (夜)

2022-12-17

強者には弱者に奉仕する義務がある。 このイギリス貴族の教えは、普遍的なものである。 まずもって、これがさっぱり意味不明でした。 現実には強者は弱者を徹底的に痛めつけ収奪しているだけ のことですから、普遍もなにもない。 おそらく投稿者さまは弱者と強者の問題について 真面目に考えたことなどないということを、こういうかたちで まずもって宣告されているのでしょう。 このイギリス貴族の教えは普遍的なものである、と書きながら 歯を食いしばってそんなことあるか、ボケッと内心で吐き捨てている。 その表情までまざまざと浮かんできますが、 まず、それが読んでいてとてもなにか、なんというのかな、顔をそむけたくなる。 なぜ、そこまでして意に反するこんなことを冒頭に書かねばならないのか? そこに、もの凄く複雑な投稿者の心的な背景がある。  冒頭の、こころにもない忍従の裏返しとして、二連では イジメやアトピーといった当事者にとって深刻な問題を、さつまいもの食べ過ぎで おならが出て困ったというお笑いに茶化すことでカタルシスを味わい、それに勢いをえて けっこうに筆がすべっていく。  「私が今、優しいのは、女として数々の屈辱を受けてきたからよ。   これだけ屈辱的な思いしてきた人が優しくないわけないでしょ。」 どうしてこんなかたちで裏返しの侮蔑を表現しなければならないのか、まったく理解に苦しむし 投稿者の心裏に哀れな同情すら覚える。いったい何があったから作者はこんな、本人は手の込んだ 裏返し表現のつもりで、だれがみても底意のある下手なコントのようなものを書き続けるのか? これは詩の問題というより、むしろ投稿者の心の問題のほうに読み手を惹き付ける。 しかしわたしたちは投稿者のカウンセラーでもなんでもないから、 迂遠に甘えてこられても相手になんかできるわけがない。前回の投稿作にも感じたのですが あまりいい気分にはなれない。 作者と一緒になって目も手も汚れることに何も感じないという人たちのサイトにはなって ほしくないが、評価される方がいるのならそれも仕方がない。 人にとって一番大切な「優しさ」を内心ケといって吐き捨て顔で哀しみをつくっている その心裏がどうして形成されたのか、そのような表現でいったいどんな人の何が解消されるのか まったく理解の外としかいいようがない。 (優しさの理由)

2022-12-17

霜焼けになる人など、いまだいるだろうか。 わたしはこどものころよく霜焼けになって、膨らんだ指に 針をさして血を抜いた。 過去作のタイトルをざっとみさせてもらったのですが それを並べただけでもなにかひやっとする醒めた感触が 伝わってくる。 その冷気のようなものがこの御作にも流れている。 薄紫のけあらしなんて、この目で見てみたいものだと思った。 (ラベンダーの薄靄)

2022-12-17

澤さまの、ご自分の好きな詩をみなさまに推奨したいという純粋な気持ちと そこにある熱意と熱量は決して無碍には出来ないものだったと感じています。 でも、 すこし奇矯がすぎたような気がします。 一連、ニ連では対象作品を最大級の賛辞で機関銃を乱射するごとく褒め称えた。 銃弾の一つ一つが天井知らずの褒め言葉で、しかも、次から次へと息も切らず連射されるのだから 読む方も息がつまる思いをした。 おそらくわたしだけじゃなく多くの方々はそれらの賛辞がどのように具体的な論理のことばで展開されるのか わくわくして次を待ったと想像します。 ところが、ニ連の終わりで >そうした国語教育的な特長について、説明は不要であろう。 と読者に肩すかしをくらわせている。 つまり超弩級の賛辞をしておいて、しかも、物凄いことに、それに説明は不要であると 言い放っている。 なるほど、これなら、それはいわば対象作品に対する〈愛〉であって批評ではないわけです。 「読解一例」とは銘打っているけど、これは「作品愛」の一例です。 わたしはあの人が好きです。愛しています。そのことに理由なんかないです。好きだから好きなんです。 という恋愛の当事者のよくある語りにふさわしく、 まさしく怒涛の推薦者にふさわしい激烈な表現であったことは認めるわけですが、 説明を待っていた読者のほうは椅子からずり落ちてしまうのじゃないかと心配しました。 この一連、二連と最後の肩透かしは、 第三者にはやはり、ちょっとばかり奇矯で冷静さを欠いているものに映った。 こういう書き方をする人と、果たしてこの詩について正面から冷静に議論できるのだろうか? そんなことをすぐに考えざるを得ませんでした。 澤さまご自分では気がついていないかもしれませんが、ゼンメツさまの投稿をこれまで絶賛してきた方々は別として、 この作品に熱くなれない人を説得できるだけの冷静さがあるとはとても思えませんでした。 失礼ながら御本人さまは「異化」の手応えを感じた如く絶賛しておられましたが、 たんに自分の好きかってに作品を「暗号」化しただけじゃないかと首をひねりました。 もうひとつ奇矯だったのは、鷹枕可さまとのやりとり。 あれも椅子からずり落ちそうになった。ああいうものが出てくると、まるで一幕のコントをみるような なんとも珍妙なおかしさがこみあげてきて、なんかぶち壊しじゃないのかなと危惧したのですが、 お二人ともそのおかしさにはまったく気づかれていないようでした。 その後、 三連からは正気にかえったみたいに 「.......不時着した惑星ではじめての外気に触れた異星人みたいに、しずかにひとりで肺を蝕まれていた。」 などという詩の章句をとりあげて「異化」という概念と並列されている。 惑星に不時着した経験を持つ人なんて地球上にだれもいないから、 書き手はこのイメージをマンガやアニメなどから借りてきているわけです。 だからわたしはこれは「異化」でなく、ただの形容詞句だといいました。  「暗く小さな部屋の、バカみたいに大きすぎるベッド」が、   箱に入ったまま売れ残ったホールケーキを惹起する。 これも、連れ込みホテルのベッドと部屋はだいたいこんなものですよ、どこのホテルも。 狭い部屋にベッドだけが大きくどんと居座っている。それのどこが異化か?  たんに澤さまがかってに暗号化しているだけじゃないのかと。 要するに冒頭からなんとか対象作品を持ち上げようと作品への「愛」が語られていた だけで、わたしから見ると批評の一例としては冷静さを欠いた作文のように見受けられた。 そして、またそれを絶賛する鷹枕可さまが、憎めないピエロのように現れて、失笑を誘った。 澤さまはわたしなどより数倍も頭はいいし、数百倍も知識がある方だから、 この奇矯さをもう少し制御されれば、わたしなど愚の音もいわせないものが書けるはず。 しかし、こんなことをいう資格も権利もないのですが、 人間の一番の武器は謙虚になることだと思うのです。謙虚になった人間が一番怜悧で怖い。 そういう人が批評をしたとき、わたしなどはただただ平服するだけです。   これでもうゼンメツさんに推薦文書く人いなくなっちゃうだろうなーとか、 おっしゃられていますが、 失礼ながら、そういうことを語る態度、口ぶりには賛成できません。 どうしてそこへいってしまうのか、わたしには理解できません。そういう激しい愛を すこし抑えれば、もっと多くのただの通行人の気持ちをとらえるだけの力がある方だと 期待しているのですが、謙虚ってことの怖ろしい力をまだご存知ないとすれば残念です。 素人の乱文乱筆ひらにご容赦。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-17

やまびとさま、大変失礼したしました。   この作品は大分前のものを試験的に投稿したものです。 こういうことであるとはしりませんでした。 わたしなんかが昔、詩の専門学校で三年間学んだときに第一に 言い聞かされたマナーは脱稿した日時を詩の末尾に明記することでした。 それがないと詩の合評をするときにちょっと間違ったことを言ってしまうことがある。 わたしがここに投稿するものはいつも最新の直近に書いたものばかりなので そういうことはいちいち明記しませんが、昔、どこかへ投稿したものや、あるいは 昔書いたものはそれを末尾に書くことが一番最初のもっとも大事なマナーであると 教えられました。 勘違いをして、やまびとさまともあろう方がすこしも進歩していないと 考えてしまい「愚鈍」などと、冷静に考えてみればちょっと言い過ぎた表現をしてしまい 申し訳なく思っています。でも、できるならば作品の生まれた日付は、古い作品なら 明記していただいたほうが、感想を述べやすかったし、間違いもなかったような気がします。 いずれにせよ、失礼な物腰、心からお詫び申し上げます。 (労働)

2022-12-16

つまらないものは、ちゃんと「つまらない」といわなければいけないけど なにか、ある種の強引なものに気圧されてそういえない方々が たくさんいるような気がします。 そういう人がもしわたしのコメントを目にしたら遠慮なんかいらないから 思ったことを素直に表明したほうがいいと告げたいですね。 つまらないものはつまらない。もちろん、これをよいという人たちが 多ければそれはそれでいいのだけど、でも、そんな人たちの"物語"を まったく考慮する必要はないと断言しますから。 つまらないものはつまらない。これが自然のことわりです。 (飛べない)

2022-12-16

鷹枕可さま  ご教唆ありがとうございます。 わたしはですね、あの、できれば鷹枕可さまも戦後の現代詩が落ちこんだ糞溜めのような 穴から、出来れば這い出して陽の目を見ていただきたいのですよ。 日本人の特徴かも知れませんがどんどん詩の世界に知が介入し、現代詩が、 悪しきエリート主義の道具みたいになってしまった。 それを「文学極道」というネットサイトがなんの批判もなく、エリート主義の 道具となった現代詩の性質をそのまま無批判に受け入れ、 それの小さな相似形である、詩のエリート主義のままごとサイトをつくってしまった。 「文学極道」が犯したあやまちは致命的だと思っています。 たいして読めない書けない人たちに賞なる滑稽なものを付与してなにか エリートへの仲間入りを認めたような誤解を与えてしまい、 そういう人たちがおれたちは凄いんだ、ちょっと違うんだという わけのわからない思い上がりでつながる意識集団をつくりあげてしまった。 あのサイトの大賞の詩なんて人より一ミリか二ミリテクニックが上手いだけで 詩にもなににもなっていない。また批評もまともな人から見れば噴飯ものですが 思想用語をふりまわせばエリート主義に組み入れてもらえたような錯覚を覚え 困ったことにそういう人たちがネットの投稿板を結果として睥睨して荒らしてきた。 もうそろそろこういうマンガみたいな幼いことはやめるべきだと思いますね。 ネット上の投稿詩なんてそれほど大差などありません。異化なんていう用語を ふりまわしても多くの人は腹の中で嗤っているだけです。 ほんと、もうそろそろわたしたちは世界の詩のあり方を見習って つまらない日本のエリート主義の道具としての現代詩を卒業すべきだと 思います。 いくら思想用語をふりまわしても、つまらない詩はつまらないし、 おもしろい詩はおもしろい。それだけのことじゃないでしょうか。 そろそろお気づきくださることを願っております。ま、そのお歳では いまさら考えを変えることは死に等しいほどの痛みをともないますから 無理にとはいいませんが。 では失礼します。あ、それとわざわざネットサイトまで ご教唆、ありがとうございました。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-16

やまびとさまの旺盛で強靭な創作姿勢や活動には いつも敬意を覚えています。その上で、 やまびとさまが初心者でないからあえていうのですが つまらないです。 まったくつまらないです。 おそらくこの先、何十年たっても今のまま一ミリも進歩がないのじゃ ないかと、そんなことすら危惧させるほどに、 何年たってもまったく変化がない。 語句への注意深いまなざしがいっさい欠けている。 なんの躊躇もなく 使い古された形容句などを平然と置いてゆく。 ただし、小説としては中の下くらいの文章力があって まったくつまらない というわけではない。でも、これが詩としてならまったく箸にも棒にもかからないほどつまらない。 逆にいえば太い芯のようなものが一本、創作の中心を貫いており、 その愚鈍とすらいえる頑強さを認めざるをえない。 まさにハンドル名どおりやまびとのような大きさと強さを感じます。 しかし愚鈍だ。失礼、愚鈍などとはほんとうに失礼ですが、やまびとさま が愚鈍なのではなく、詩の言葉としては愚鈍という意味です。 もう少し、言葉へのやわらかなまなざしや配慮があっても いいのではないか そんなことをおもいます。 ほんとうに愚鈍なわたくし素人の感想、失礼をいたしました。 (労働)

2022-12-16

来よ とか 底いといったわたしには耳馴れない ことばが使われているので無学なわたしとしてはネットで即席に 調べるしかなかったのですが、 (もちろん調べなくとも意味はすぐにわかりますが) たしかに、ある種の境地を語るのにこういう使い方が 文章全体にメリハリをつける効果はありますね。 わたし個人としては、 湾岸にまっすぐ対立して建っているマンションの上階にいるので 物音が非常に強く反響して困っていまして 町から聞こえる建付けの金槌の音も非常に強く響きまして うるさいだけで苦手なんですが笑 でもこの詩から響いてくる建設的な明るい希望のような 境地はよく汲み取れます。 太陽は東から昇り、風は西から吹く。 自然のことわりを改めて思い出しました。 (来よ、西より)

2022-12-16

ダニの死骸が出てきた時点で うげっとして読むのをやめたのですが笑 この板では優秀な読みて書き手であると自負されるご三人さまが評価されているのを おや? と何気に見て、これは読まないといけないなと思いました。 しかし、やめておけばよかった。笑 失礼ながら、 イデアに偏りすぎてまったく面白くない。 詩といのはそんなにやせ細ったものじゃないとはずだと以前から思っていて、 澄んだことばの底には隠れるように演歌がひそんでいてももいいものだ。 おそらく年配の方でしょうが、こういうのは、失礼ながら、もう、 ちょっともう古いのじゃないかと思います。 もちろん古かろうがイデアに偏ったものであろうが 面白ければいいのですが、一読して「気取り」とはなんだろうかという 一般的な疑問に気持ちが向かい、「気取り」の起源みたいなものをネットで 調べたりするほうに気持ちが向かいましたことは、収穫だったかもしれません。 愚鈍な素人の乱文乱筆失礼いたしました。 (靴下が便利な事を知ったのは今週)

2022-12-16

追記 上記のコントのような短文詩はあくまでも虚構です。 大昔、詩の教室で出会ったある白髪の女性講師さまのことを 思い出し、決して悪くは思っていないその教師の厳しい 教え方をいまならもういいだろうと茶化してみました。 特定個人のモデルがあるわけではありませんが、もし、 わたしのことじゃないかとお気を悪くされた方がいらしたら、 そんな気を回させることになったわたしの配慮が悪かったということで ここに謝罪もうしあげておきます。 (B-REVIEW 12月のお題詩「ギフト」)

2022-12-15

あの、同じことを書くのは気が引けるのですが こういう内輪ネタはできればフォーラムでというのがわたしのこの作品への 素直な感想コメントです。詩の投稿の場が内輪ネタで盛り上がるというのは ちょっとそのなんというか、外聞が悪いのじゃないかと。 それから......またしても再掲しますが、 ビーレビは書ける人がいなくなったねー、こんな読めない人、批評出来ない素人の人らばっかりだからねーって。 こういう、なんというか書けると思いこんでいる方々による一般投稿者への誹謗は過去、もう何十回となく目にしてきているわけで、 わかりましたからもう、もうけっこうですとしかいいようがないのですよ。笑 書ける人たちはご自分では書ける読めると思いこんでおられるのは、それが思い込みとしても だれしもじぶんのかあちゃんが世界一だと思い込むのは微笑ましくていいことです。 でも他人がじぶんのかあちゃんを世界一だと認めないのは素人だとか言い出したらそれはちょっと 違うのじゃないかというのがわたしの感想です。 わたし個人としてはゼンメツさまの詩はまだ精神的に少し幼いと感じているからわたしには批評の対象にすらならならないけど 他の人にとっては超絶現代詩という方もいらっしゃる。それはそれでいいと思うのです。でも、 じぶんを評価しないからといってそういう人たちを全部、読めないとか素人とか、だれかが言い放ったとすれば それはちょっと違うのじゃないか、他の人たちへの誹謗じゃないかと思うのです。 なかなかむつかしい問題ですけどね。 この件について反感や不満を感じられたならできればフォーラムでご自由にご批判、ご非難なさってください。  対象への否定的感情が排除を生み出すのではなく、  排除への欲求が生け贄を強引に作り出す。(赤坂憲雄『排除の現象学』) という言説もあります。 あくまでも一般論ですが、わたしは小さなお仲間が結束するために必要な排除のためのある種の生贄になりたくはないので いつの場合でもこういう事態に遭遇したときは 応答はぎりぎりやって最小限でひかえます。わたしは生贄になりやすい匂いを発散しているのでいつもそういう目に逢ってきて そこから得た知恵です。 今回も応答してしまったことで荒らしだああといって糾弾される危険性があります。 もうしわけありません。これにてこの件への返答はごめんということにさせていただきます。 (Generation Terrorists〜あんたが大賞)

2022-12-15

   新興カルトおばさんに追いかけられて なんなのだろうな この世は右から左まで 真ん中なから隅々まで 一律、かつ均質に 正しくなければいけないような そういう妄執 たとえば たとえばだが ネット投稿板は書けるやつばかりが いてあるべきで 書けないやつは消えるべきだという 根拠のない幻想 宝石だってゴールドだって あまたの価値のない砂石のなかにわずか しか見いだせない それが自然のことわりなのに 素人がのさばってやがるから こんなところに詩のうまい俺様はとても いてられない ど素人がいるから出ていく という、とんでもない傲慢 そういう方々がほんとうに自賛するほどの 玄人かというと ネット上の素人同志のなかで少し 上手に書けるというだけ の、人たちが日陰にあつまって自賛しあっている むしろ中途半端に少し上手に書けるだけに 読んでいてつまらない 素人の方の素直な表明のほうが面白い 要するに 詩壇では相手にされないし ネットでも相手にされないから 素人投稿者を侮蔑し おまえらのせいでここはつまらなくなった サイトになったと声を張り上げる その見苦しさ それを支えるのが 新興カルトおばさん おばさんは詩の理論を髪振り乱して 熟読し 詩の知識を得すぎて髪が真っ白だが ニタっと笑って 素人投稿者のわたしを追いかけてくる まてえええええ 見逃さんぞおおお このオバアの目はごまかせん ワハハハ おまえはどシロウトだ 書けない読めないくせにわが仲間に 嫌味な注釈なぞつけおって 覚悟せえええええ ──正直わたしは怖い いや、笑っている場合じゃない どうすればいいの? ねえ、 だれか救けてよ ほんと こんなの勘弁なんだけどねえ 投稿作へのコメントだって 真摯なギフトのつもりなんだけど わたしは 怖いんだあ カルトおばさんが 詩の理論をふりまわして追いかけてくる そんな 恐怖の妄想の只中にいるのですよ、 くわばら (B-REVIEW 12月のお題詩「ギフト」)

2022-12-14

ビーレビは書ける人がいなくなったねー、こんな読めない人、批評出来ない素人の人らばっかりだからねーって。 そうするとかつては玄人の方が多くいらして、詩や批評を書いておられたのですか。 それは知りませんでした。ここがそんな凄いサイトであったとは初耳です。 初心者よりほんのちょっと書ける人たちが自画自賛しあっているだけでは 玄人とはいえませんから ここを去っても、おそらく詩壇から引く手あまたなのでしょう。 詩誌でご活躍されているのでしょう。新聞でも書評や詩評が扱われておられるのでしょうね。 どうかそういう玄人の方々が戻ってきてくださることを期待しますが、 まさか、初心者より ほんのちょっと書けるネットの人たちのお仲間さんたちの自画自賛であったとは そんなことはないでしょうね。 そんな情けないことではないことを祈ります。 愚鈍な素人の乱文乱筆ひらにご容赦。 (Generation Terrorists〜あんたが大賞)

2022-12-14

追記 あ、それから書き忘れていましたが、 詩は観るものであるし聴くものでもありますね。これを 忘れてはいけない。笑 むかしちょっとの期間ですが一年ばかり仲良く酒を酌み交わした 某詩人のことを思い出しました。 かれはその後、フィリピンで性転換手術を受け 現在は女性として生きているのですがこの詩は、 その手術を受けるまでと 受けたあとの一連の出来事を思い出させました。 中也賞やそのほかの賞、いずれも次点で泣いてましたが すばらしい詩人でした。 (自傷(ピアス))

2022-12-14

まず、こういう内話ネタはできればフォーラムでやってはどうかなと ふと思いました。 詩の投稿枠が内輪ネタの文章で盛り上がるなんてちょっと寂しい。 さらには、 じぶんは頭から上手い書き手だと思いこんでいるコメント者の愚痴の発露の場になっているのも 見ていて心苦しい感じを催してしまいまいました。 さらには なんでしょうね、ある人がおれは上手い書き手で、一方に、おれの素晴らしいその詩が理解できない、詩の読めないやつらがいるというご自身がつくられた物語設定を ふと反省したり見返すこともなく頭から信じているという、 そういう方々がこのサイトを嘆いているという、 そのことの滑稽さが、たまらなく虚しいという慨嘆になってわたしを襲ってきました。 ほんと、こういう愚痴的な内輪ネタで盛り上がるって、 じぶんにブーメランするだけじゃないのかと危惧する次第です。 愚鈍な素人の乱文乱筆ひらにご容赦。 (Generation Terrorists〜あんたが大賞)

2022-12-14

追記 申し訳ありません。一晩中、北風が強く、物音でよく寝ていないので ぼうっとした頭で長い愚劣な前置きを知らずに書いてしまいました。 最後の三行だけでよかったのに寝ぼけ眼で、つい失礼しました。 お詫び申し上げます。 (自傷(ピアス))

2022-12-14

わたしにとって詩というのは 読むものじゃなく見るものです。そこが 小説とは違う。小説は読むものです。 また俳句や短歌とも違うと思っています。 俳句や短歌もじつは小説的な本質のものだから 面倒なことに読まねばならない。だが詩は違う。 つまり見るものであるから、一読ではなく一見すれば 素人でも熟練の詩人でも、その詩がいいものかどうか すぐにわかる。 やれ「異化」がどうの「両義性」がどうのと大騒ぎして だれがみてもつまらない詩を持ち上げようとするひとも いるけど 大騒ぎしなくとも、その作品がいいものかか、つまらないかはだれでもわかる。 才能のある人でもない人でもちょっと年季をいれれば判断できる。 詩とはそういうものだと思っています。多分、この洞察には 一般性があるはずだと確信しています。 ぱっと広げて全体を俯瞰すればいい。詩はだれにも すぐにわかる。そこが詩のいいところです。 ところがこんなことすらわからない人がネット上に は意外というか当然と言うか非常に多い。 そこが残念なんですが、前置きが長く失礼しました。 この投稿作はぱっとみたところ、まあ、見やすくてなかなかいい詩じゃ ないかと思いました。 愚鈍な素人の感想、失礼いたしました。 (自傷(ピアス))

2022-12-14

以前から思っていたのですが、 ネットに詩を投稿される方々の一般的傾向性として じぶんの作品への批判には強い関心をもって反応され、ときには 荒らしととまでいって糾弾される方がいらっしゃる。ところが、 他者への差別的な言動にはまったく鈍感というか、無関心な方が非常に多い。 しかも指摘されるとほとんどの方は逆ギレされる。それがわたしには 詩を書く人の、まったく理解できない不思議な傾向性のひとつでした。 差別を指摘したからといって糾弾しているのではないのでして、 わたしも含めだれだって差別はしているし、知らずにやっている。 サヨクリベラルのようにだれかの差別発言をほじくり出してそれを政治的に 利用し、その人を糾弾するようなみっともない愚劣な真似こそ卑劣だと わたしは考えています。 そうじゃなく、差別的な意識なんてだれしもにあって、わたしだって 山のように差別的なことをしらずに書いたりやったりしている。 大事なのはそれを糾弾するのではなく指摘することです。 気づきのきっかけをもっていくことだけです。つまり差別なんて指摘 されたらただうなずいてこれから注意するむね返信すればいいだけの ものなのに、なにか差別を注意されると逆切れされる方がいるし、また、 注意したほうも糾弾しているような偉そうな高みからもの申す傾向がある。 それではいつまでたっても差別はなくならない。 そもそも社会構造的に差別などそもそもなくなるわけがないのですが ただ詩を書くものならば、ひとつひとつ指摘をうけて気づきを蓄積していけば いいだけのことだとおもうのですが、どうも投稿板の傾向性として 差別にはまったく鈍感だというのが長年の感触です。 なかにはそれをなにか常識を超越した芸術の特権であるとか言い出す人も居ますが、 つまりじぶんのことにはついては非常に関心があるが、他人のこととなると 無関心という、詩を書くものに特有のなにかがあるのかなと考えるのです。 そういうのがネット投稿板の特徴であることは確実なような気がします。 じぶんのことを書いていようが他人のことを書いていようが読むのは他者です。 他者がある言辞をみてどんな気持ちになるか少しでも想像力を働かせることは 言葉を紡ぐものの基本じゃないでしょうか。 これはわたしにいい聞かせるべきことでもあると思っています。 ここの運営の方も荒らしには非常に敏感に構えておられます。しかし、 差別発言にはこれまでどのような対処をされてきたか見ていると、 まったく鈍感の極みでして、それはどこでもそうです。ここは一番ましな ほうでしょう。 それにしても情けないほどにひどく荒れたたものが平気ではびこるような そんな情けないサイトにしてはいけないのじゃないかと憂慮します。 (おっさんまた引きこもっちまった(愉快なる底辺達の痴情))

2022-12-14

失礼ながら、 統合失調症の方を「統失」と短く言い放つ言葉使いには注意が必要じゃないでしょうか。 赤坂憲雄が名著『排除の現象学』で鋭く洞察しているように、そこには 差別や揶揄の含意があって病気を持つ人は病名を短くした発言に侮蔑を感じる人が多い。 また、何の根拠もなくだれかがあまり外出しないからといって 「引きこもり」と決めつけるのも、デタラメな風説を垂れ流すことにつながる。 そういったことに配慮がないこのオチャラケた文全体が読んでいて非常に不快を 催すし、言葉に敏感であってほしい、詩を書く方々がいっしょになって こんな文章をもちあげて注意すらしないのが不思議でもあった。 しかし、コメント者を見渡してみて、やっぱりなあ、しょせんわたしも含め こういうネット上の投稿サイトだからというわけではないでしょうけど、 言葉には鈍感なシロウトの方々ばかりのことだし、しょうがないよなあという諦念も 湧き出てきました。 まともな人たちはみな相手にしていないのが救いではありましたが、 それにしても、あまりにもゲスで薄汚いおちゃらけであるという感触は 拭えなく、不快のあまり吐き気すら催しました。 統合失調症という病をかかえた方や、ほんとに引きこもりという病を 抱えた方々にこの場をかりて登録会員のひとりとして謝罪申し上げて おきます。 (おっさんまた引きこもっちまった(愉快なる底辺達の痴情))

2022-12-13

澤あづささま、ご苦労さまでした。 澤さまの熱量のこもった縦横な語り口のご批評は当投稿サイトを 活性化するうえで非常に大事なこころみであったとおもいます。 個人的には澤さまのこういった厚みのある批評は大好きなので 鷹枕可さま同様、わくわくして 多くの方々が得て勝手な奔放な感想を寄せられることを期待していたのですが、 対象作品の投稿者とそれを賛美する澤さんとのあいだで互いに褒め合うという 言葉は悪いかも知れませんが、 予定調和的なしゃんしゃんで終わってしまったのはちょっと残念な気がします。 作品の称賛者と称賛された作品の投稿者が互いに相手を称賛しあって拍手などという光景は、あたりまえすぎて あまり目にしたくはないもので ネット投稿サイトとは、しょせん素人同志が"手の込んだ"「文学ままごと」をするところで しかないのかという、まことに失礼ながら正直に吐露させていただきますとそんな感慨がちらっと頭を横切りました。 "異化"ということばがしきりに使われ、あるいはマルロポンティの思想からくる"両義性"などといった文学的見識が披露されているわけですが...... これも失礼ながらあまりにもその語り口が文豪や大学教授のそれらしくてリアルな批評に接しているという現実感がわいてきませんでした。 たとえば"異化"ということばひとつとっても、澤さまがほんとうに文学表現の側からこのことばを真摯に考えて使われているのか 不審を抱いた次第です。 もちろん"異化"などという概念は、所詮は頭でっかちな知的ひま人の、ことばのアヤにしかすぎないのですが、あえて、 仮に"異化"のようなことがあるとして、おそらくそれは修辞上のテクニックだけの問題じゃないような気がします。 表現世界において修辞上の技術の問題じゃないものがどこにあるのかと嘲笑されますでしょうが、 もしわたしが「異化」などという、ちょっと小っ恥ずかしいことばをあえて批評に使うとするなら それは修辞上のレトリックだけの問題とは考えないでしょう。 表現世界はそんな浅い狭いものじゃないという考えです。ですから、   今日に限ってわたしは、不時着した惑星ではじめての外気に触れた異星人みたいに、しずかにひとりで肺を蝕まれていた。 という作文に接してもそれが澤さまのいう   見慣れたあたりまえの日常を、いま初めて遭遇したかのように叙述しなおし、発見しなおす芸術的営為。   習慣と経験則で練り固めた自動思考を、読者もともに脱せよと、作品が冒頭から訴えている とおっしゃるところの"異化"の好例とは思えない。 そもそも澤さんが持ち出された「異化」という批評概念そのものがどうみてもイカサマでしょう。 ことばは悪いですが詐欺師のたわごとです。だれが言い出したのか知りませんが、たしかに言葉尻としては成立している。   「見慣れたあたりまえの日常を、いま初めて遭遇したかのように叙述しなおし、発見しなおす」   「習慣と経験則で練り固めた自動思考を、読者もともに脱」する。 字面だけをみると才能や天才があれば出来そうな感じがしますが、そんな芸当がほんとうにできるものでしょうか。 澤さまが好例としてあげた上記の   わたしは、不時着した惑星ではじめての外気に触れた異星人みたいに、しずかにひとりで肺を蝕まれていた。 って作文、わたしはこれ、「異化」された表現ではなく、ただの形容詞句にすぎないと思うのです。 仮に「異化」などということがあるとすればそれは   床に落ちた碁石を拾おうとしたがもう少しのところで指が届かない というような一見、あたりまえの記述になると思うのです。日々の日常であたりまえに生起する現象を たんにそのまま著述したような表現。 そういうあたりまえの表現をもってわたしなら「異化」を試みようとするでしょう。(わたしにできるわけもありませんが) また、 そういう表現にこそ、仮に、詐欺師のようなその"異化"というウソっぽい言葉に身を寄せて批評するとすれば異化が生じていると考えます。 こんなことを書くと、それはおまえさんがそう思うのならそうすればいいじゃないか、 あんたが"異化"をどう考えようと、そんなことは普遍的でもなんでもないあんた個人の趣向にすぎないと反発されるでしょう。 わたしも澤さまが"異化"などという内実のない言葉を縦横に振り回されようとそれが澤様の精神的な"物語の世界"の表出であると わかっておられるなら何の文句もないのです。ところが、澤さまが"異化と脱臼の区別もつかない人がいる"というような ことを言い始めたらそれはそのようなただの物語でしかない”異化”という架空の概念を、いつのまにか一般化したことになる。 他人は他人のかってと言いながら、まるで"異化"という概念が普遍性をもつかのように錯覚されておられることが 異化と脱臼の区別もつかない人がいるという批判にあらわれてしまった。 これはちょっとまずいような気がします。 詩は"異化"といった架空の概念やメルロンなんとかいった方々の知的なイデアの世界にあるのではない。 それとはまったく逆の、正反対のことろに生起していると考えるのですが、こういう考えもまたわたしの 私的な物語であるのかもしれません。ま、最後は読まれることによってしか詩はその身体を現わしませんので、 あまりとやかくいうつもりはありませんが、それにしても澤さまの熱のこもった投稿が、 結局は当事者同志で互いを称賛しあうという残念な結果に終わったことが心残りです。 愚鈍なシロウトの乱文乱筆失礼いたしました。 澤さまのさらなる変容と精進とご活躍を期待しております。 ご投稿、一読者として、ほんとうにありがとうございました。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-13

       ギフト そのころわたしは親に棄てられた子どもたちを引き取って 自費で養う篤志家の大きな家で集団生活を送っていた。 (そうはいっても市役所や市民、企業から些少の援助はあったが) 家の前には小さな街道を隔てて小学校があり、校庭にはプールがあった。 わたしは初めての水泳の体育でプールに入るのを怖がった。 教師は発狂したように泣いて抵抗するわたしを力ずくでプールに引き込もうとした。 でも、どうやってもわたしが水を怖がって大暴れするのをみると あきらめた。生徒たちは大笑いし教師はしょうがない子だといったふうに憮然としていた。 篤志家に拾われる前のわたしは父親に風呂場で殺されかけたのだ。 なぜ父親がそんなことをしたのか理由はまったくわからない。 小さな湯船に入っているわたしのところへとんできていきなり風呂蓋を 頭に強引に押し付けられ、 息もできず溺れて、必死で逃れようとした記憶だけが残っている。 気絶したのかどうなったのかそれから先、なにも思い出せない。 ただ、息もたえだえになって死ぬ思いをしたことだけが記憶にある。 そういうことがあったから無意識に水を怖がったのだと今ならわかる。 少し学年が上がったある日、悪ガキたちと度胸比べのあげく 校舎の屋上にある柵を越えて歩いているところを教師にみつかった。 職員室でさんざんしぼられた。 しかし度の強い眼鏡をかけた中年の女教師は わたしのほうを見ると侮蔑したような笑を浮かべ「でも、あなたは そんなことをする勇気があるとは思えないから、この子たちに 強制されたのでしょ」といった。 わたしはたしかに水を怖がったが、むしろ喧嘩などは得意なほうで 悪ガキたちの先頭をきっていた。なるほどプールの一件以来 わたしは教師たちからそのように思わているのかと驚いた。 現在の教育の水準がどこにあるか知らないが戦後の昭和時代の小学校 などはその程度に粗い教育が行われていた。 水を怖がることの理由が幼い記憶にある父親の虐待があるのかもと 想像を働かせることがもし教師たちに出来ていれば、わたしはもう 少し救われていて、今とは違った人格形成が出来ていたかもしれない。 わたしはこういう教師たちを徹底的にバカにして否定していた。 そしてその後、いっさいの体育を拒否してわたしは町内野球もふくめて 集団でやる運動をすべて忌避した。 そうするとわたしは引きこもって本ばかり読んでいる運動音痴の本の 虫だと女生徒たちからも誤解され、女の子からもてることはなかった。 篤志家に養われている子どもたちはいずれもわたしと同じように親から 棄てられたという傷を背負っていたはずなのに、まだ子どもだったわたし はその事実を客観的にみることなど出来なかった。 そして養われている三十人ほどの子ども同志で朝から晩まで腕力を競う 喧嘩ばかりやっていた。 勉強などする者はだれもいなかった。夕食後には広い食堂に 学習用の長いお膳が4脚ほど並べられたが、勉強など不可能だった。 ドタバタとお膳をまたいでの大騒ぎが毎晩演じられるのだ。だれ一人 教科書を広げようなどという者はいなかった。 わたしはだれからも憎まれ嫌われいるのだとかってに思いこんでいたよう な記憶がある。 あるクリスマスの夜だった。 クリスマスイブの夜には親しい者が夜のあいだに枕元に置いた靴下に こっそり贈り物を入れておくという遊びが行われていた。 わたしはみなから嫌われているし、親しいものなど一人もいないと信じていたから いつもどおり畳んだ衣服の上に靴下を置いて さっさと眠ってしまった。 大広間と食堂、それから玄関をあがったところにあるテレビ室にまで 布団をしいて総勢三十人ほどのわたしたちは眠った。 ほかに女の子たちが十人ほどいたがその子たちはちょっと離れたところにある 小さな家に帰って眠った。 イブが明けた朝、目を覚ましてみると驚いたことに わたしの靴下の両方とも贈り物で膨らんでいっぱいだった。 これにはびっくりした。いったいだれが? 靴下をあけてみるとビー玉やメンコや輪ゴム、鉛筆などといった 棄てられた子どもたちがようやく手に入れることができる貧しい私物ばかりだった。 そうしてメンコの汚れ具合や鉛筆の種類やよれた手袋の柄などから、 だいたいだれがそれを贈ってくれたのかわかるのだった。 親しみをもって考えたこともない相手ばかりだった。 わたしが毛ほども相手のことを思ってもいないのにかれらはわたしのために 貴重な私物をギフトしてくれた。 そのことに子どもだったわたしは深く驚いた。 信じられない奇跡だった。 そうしてわたしは、 素知らぬ顔でまだ眠っている仲間たちを見渡しながら これはもう一から考えを変えなきゃこれから先やっていけないぞとおもった。 (B-REVIEW 12月のお題詩「ギフト」)

2022-12-12

冬の夜を過ごす人たちへ わたしからの詩の贈り物です.....なんちって。    夜にねむる     夜にねむる 日暮れになると わたしは 狭い箱から ソトと呼ばれる空気の清明な夜へ押し出されていく 空の怪物が羽を広げたようなソラの下には わたしの知らない物語が きちっと 矩形(さしがた)にならんで カフカの門のように 門番と旅人の一幕のように 静まり返っている わたしはその只中でねむる 夜はときどき声をふるわせ 湾岸からの風を吹きつけてくる サイレンの音 酔っ払いの哀しき罵声 傷つき死にゆく者のものらしき物音も みな舞台の小道具にすぎない 夜よやさしくあれ そう願うと 夜はやさしく静まる なにも難しく考えることはない 異化もなければ構造もない わたしはただ 選択するだけだ わたしはそんな夜を抱きしめて ただひたすら ねむる (B-REVIEW 12月のお題詩「ギフト」)

2022-12-11

こういう倫理的な強制力のある内容の文章を書くときには、 作者は倫理にたいして、かなり繊細な配慮を要求されるものですが、 だいたいにおいてそういうことはまったく考慮なしに すっとばされるものです。 なぜなら NHK朝ドラ的な、馴れ合いの情感とお約束のやさしさで事態を収束させることは もう最初から決まっていて "べべ"に接したさいの作者さまの心のなかの情感は、すでにして作者さまが どこへ出してもだれしも「うんうん、そうだよね」と涙を浮かべて肯定せざるをえない 「いい情感」であると確信していることがありありとわかります。 また、"べべ"に対する人間の圧倒的優位性からくる慈愛の虚構性についても吟味されることはなく 作者さまが内心に感じたその慈愛は最初からまったく無自覚かつ肯定的にもろ手をあげて許容されている。 どんな理由をつけようとも畜家なんていう営みは、本質的には人間の得手勝手でしか無いのは作者さまのおっしゃる通りだとおもいます。   わたしたちは生きている限り、何かを貪っている。それは動物に限らず、すべてを。わたしはそれに懺悔しない。 いや、それは自然の摂理だからしょうがないとしてもそう簡単に懺悔しないと言い切らないでほしいような気もします。 人間と動物、植物、他生命体との関係はそんな簡単に割り切ることなどできないし、いつまでもぐだぐだ考えるのが人間であるのだけど、 そういうふうに割り切るところに、やはりある種のドラマ性を感じる。 つまりすべてが作り物なんだなと。作者が作者の心の中のNHK朝ドラ的な感動の情感を掴んで、「これは書ける」と 確信したまではいいけど、その情感それ自体を疑おうとはしなかった。 ほんとうは現在の文学的な状況はそういうものをもう一歩踏み込んでいくところまで来ているような気がするのですが、 いつまでたってもここに投稿される皆様は昭和的な停滞と劣化の薄暗がりのなかで、なにか馴れ合いの情情が垂れ流されている そのような感じをもちます。   わたしは、生き物を食べることをやめない。食べる事のために生まれた命は、皆歪められた命だ。 いや、やっぱりせめて数日は生き物を食べることをやめるとか躊躇するとかしてもいいと思う。   そしてその責任を取る最大の方法が、食べてやることなのだと、思う。 えっ!? そんな馬鹿な! と失礼ながらあっけにとられてしまったのですが、その責任をとるために食べてやるっている論理がどこから来ているのか やっぱりちゃんと探るべきですよ。それが"べべ"に対する罪悪感がもしあったとするならば それへの唯一の人間的な態度ではないかとおもいます。 責任を取る最大の方法が、食べてやることなのだって、ほんとうは.....作者さまは何も考えてないのでしょう。 なにか思いつきと感じでそう言えば一件落着と安易にそこへ走っている。そういうことがすぐにわかる。 こういう生命とそれを消費して生きている人間の問題というのはいつまでも結論なんか出ないものじゃないか、 いつまでもぐずぐずくすぶり続ける問題じゃないか、また、そうでなければいけないのじゃないか、 そんなことを考えされられました。 愚鈍で無知なゆえ乱文乱筆どうかご容赦。 (bebe)

2022-12-11

作品鑑賞の仕方の一例をお示し下さりありがとうございます。 批評対象作品についてはさっと読んでしまった覚えがありまして、 どうしてさっと読んでさっと忘れたか、思い返してみますと、作者さまがゼンメツさまの 批評文でおっしゃられていた「様式」があまりにも昭和的だったからというか、いや、 あまりにも様式(失礼)だったからかもしれない。 批評対象作品のことばのリズム、そのリズムの流れ方、特定の言葉使い、すべてがある一定の 出来合いな、あるいはお仲間だよと示す様式をもっている。 どういう様式かというと日本アニメ的なイメージ様式ですね。あるいはNHK朝の連ドラが もつお定まりの倫理とお仕着せの情感、それらに自らハマってゆくことのファシズム的な幸福、 安心感。そういうものに詩のことばを流していく、なんとなく甘い孤独や感傷。 これらも、あえていうなら昭和文学の残照というには酷すぎる停滞や劣化の具体的な表出と いうふうに見えまして、 投稿者さまには申し訳ないですがあの詩はほとんどすっと読んですっと忘却しておりました。 なんというのかな、時代は残酷なもので、その時代の変化を感じられないいまどきの日本人は なかなか文学をやるといってもむつかしいのじゃないかと、愚鈍な素人はそんなことを 感じた次第です。失礼いたしました。 (武田地球『ライチと花』酣賞一例)

2022-12-10

まずは長文の本格的な批評文の投稿に作者さまへ敬意を表したいと思います。 ただ、そのうえで、 なんでこんな文章を書くのかなあというのがまずは最初に浮かんだ疑問です。 批評対象作品とほぼ同じレベルで、(だから批評されたのでしょうけど)強烈に、あの、 昭和文学の臭いがもつ戯画的な側面が誇張されて伝わってきて、ほとんど、 久しぶりにあけた押し入れの中からホコリの積もったメンコやビー玉を発見したような 面妖な感動がある。 (「昭和文学の臭いがもつ戯画的な側面」というのは今の時代からみてのことであって 当時はむしろ文学やってる当事者たちにとってはもっとも真摯な部分であったのでしょう。 「異化」だの「修辞」だの「様式がすべて」だのといったもろもろのそれらしい必死な言明......) もちろん、なんでこんな(様式の)文章がいまだに書かれるのかという問いは自分の興味関心事でしかなく 投稿者のことを批判しているのではありません。 どうしてこんな文章がいまだに書かれるのかということへの一種の文明論的、社会学的なインタレストです。  作者がなにをどう書こうが、読者は自分の読みたいようにしか読まない。この批評がそれを実証したはずだ。 こんなことはまあ、いわずともあたりまえのことなので、みなさま黙って実践されていることだと思うし、また、 自分の読みたいように読めるなら実証する必要もないことは当然のことだと思うんだけど、この文章がそれを 実証しているのですか。 うーん、もひとつ、なんかよくわからないなあ。 このような感想コメントを読まれて、もしかわたしが何か皮肉をいっているように聞こえるかもしれませんが わたし個人はそういう意図はなく、ただ単に「異化」とか「様式がすべてだ」とかいったご発言に、なんとういうか いつまでそこに座ってるの? もうそことっくに燃えちゃって、焼け跡になってて、作者様は焼け跡の煙の中に座って 頭ボーボー、顔真っ黒で笑顔みせながら胸を張っているだけように見受けられるのです。 たしかに凄い。でも......なんというか、その.....もう、そこ、ぜんぜん座布団だけが残ってて、本体の汽車のほうは とっくにはるか先にいってしまっているのじゃないかという、そんなものを見たような気がして、作者さまには たいへん申し訳ないのですが、読んでいる内になんというか笑が自然にこみあげてきた次第です。 でもこういうのがいまだに主流なんでしょうね。いまどきの文学は。いまだに。うーん、困ったなあというしかありません。 愚鈍な素人の乱文乱筆、どうかひらにお許し下さい。失礼いたしました。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-10

鷹枕可さま お読み下さりありがとうございます。  表現は、倫理や社会規範を超越した場所にしか結晶しない。 たしかに倫理や社会規範がしっかりしていれば超越も存在しうるでしょう。 わたしたちの昭和にはそれがある部分きちっと岩盤のように生きていたから 超越という精神も存在できた。その多くはきちっと倫理や社会規範を 守ってくださっていた名も無いフツーの人々のお陰であったことを おそらく超越?していたゲー術家のほとんどは忘れているか、 あるいは、表現のカタルシスが そもそもそういう構造をもっていることをすら知らない。 わたしがここであえて建前を重視して、いまはそれが大切だと声を ひきつらせたのは、もう足下の基盤が表現を支えるほどに強固ではなく むしろ基盤のほうがかってにわたしの常識を超越しちゃって、笑 どうにもならないほど ひどいことになっている。そういうときには、やはり原点、ゼロに 帰って、大事な基本の建前をまず構築することが大切だとわたし個人は 思っています。大事なことに気づかせていただきありがとうございます。 (宮台襲撃)

2022-12-05

柳煙さま お読み下さりありがとうございます。 バカを連発するとちょっと気持ちがいい。炭酸の効いた飲料を飲んだ気分です。ただし、 他者を否定すれば自分が優位にたつとおもいこんでいる、何も読みえていない単なるバカである 可能性も大いにあることをわきまえていないことはいつも心に言い聞かせています。 でないとほんとうのバカになってしまう。 (宮台襲撃)

2022-12-05

こんにちわ。 田中さまの日常些事をかいた短歌がとても味わいがあって好んで 読ませて頂いています。 ところで山頭火というのですか、あの方のは わたしは読めないんです。山崎方代とか尾崎放哉とかは読めるんですが 山頭火はちょっと困ったなとおもって眉をひそめます。 倫理が入ってるんです。ちょっといい人になろうとしている。美談を どこかで押し出そうとする険がある。放浪なんてそんなかっこいいもの じゃないのに、わざとそこをなんか、かっこ悪いと言いつつかっこを つけようとする。そこへなにか人生訓的なものが入ってきたりする。 そういうのはわたしは、一般的な詩としてもぜんぜんだめだと思うんです。 倫理もかっこよさも意識してはぜったいにいけないものであって むしろそういうものを意図的にさける感性がほしい。 究極のただの日常些事をじぶんの感性で書いたものがあれば 倫理もかっこよさも全部あとからついてくるし、そういうものこそが 究極の倫理でありかっこよさだと思っています。 哲学思想的なものは胃でこなされ腸で吸収されればほんらい もとのカタチはなくなってしまって出てくるはずもないのですけどね。 ところがそういうのが出てくる詩や短歌がけっこうある。いやだなあと 思うんです。 田中さまが山頭火に惹かれたのはおそらくわたしが嫌いなそういう いやったらしい思想哲学的な倫理の色付の部分だと思うんですけど そういうのが田中さまの短歌から消えればもっと凄いものになると わたしはかってに考えているのです。 愚鈍な素人の感想です。かってな放言まことに申し訳ありません。 (自由律俳句 2022)

2022-12-02

こんにちわ。 コメントがないことに気づき、少し感想を。 まず、なにか勘違いされているようですがAI? ですか、これ 人工知能でもなんでもないですよ。 小方 孝なんていう方のお名前をだしてその方の主張の一端を紹介されていますが、このセンセーは、まず「人工知能」ってものがどういうものか 基本がわかってらっしゃらないような気がします。 そのまえに、まずAIの判断や選択を決定するのは人間ですよね。   もちろん、AIと人間がしばらくは   一緒に運用していく期間は必要だ。 とおっしゃっているように、 人間がインプットした判断や選択の条件をAIが記憶して、条件反射的に伝達しているだけのことです。 こんなものは人工知能でもなんでもなく、ふつうにわたしたちが使う金槌や包丁と ちっともかわらない道具のひとつです。いや、べつに金槌や包丁が自動で動くのならAI?でしたっけ、AI といってもいいですが、人間がインプットしなければ判断できないようなものは 単に人間の判断の伝達手段にすぎません。大学のセンセイ方はカッコつけて「人工知能」なんていってるだけです。 現在のところすべての、その手の「人工知能」なるものはただの金槌や包丁となんのかわりもありません。 金槌も包丁も人間の知的な判断が運動神経から道具に伝達されて動くわけです。 この点に関しては世界中の「人工知能」なる言辞を振り回すアホな学者センセイ方の一種の詐欺といっていいと思います。 まあ、大学教授や研究者も、食うために、あるいは名を売るためにそういう詐欺を平然とするのでしょう。 ほんとうに人工知能を開発したいのなら、それにはまず人間における「受胎期」というか「胎児期」の問題を解決しなければならない。 人間の感性は胎児期における母親との交信の内(内言語)に育まれ、生後およそ一年以内の母親との関係のなかで完成決定される部分がある。 文学的な感性のコアの部分もほとんどがこのような胎児期、幼児期に根源をもっていると考えられている部分がある。 この部分を人工知能に組み込むにはあと数百年はかかるはず。胎児期をどうやって人工知能に組み込むかなんて 考えている学者はひとりもいないけど、いずれ必ず、本気で人工知能をつくるとすればこの問題にぶつかるはず。 それは非常に困難な問題で、工学者では解決不可能。文学、生理学、哲学者などの協力が必要になるでしょう。 いまのところ人工知能学者も害学教授もだれ一人この問題を考えていないから今の人工知能学者はぜんぶアホです。笑 これなしで単に知識だけのインプットの増減で人工知能が動作するはずもないし、ましてや文学!? を 人工知能に創作させ創造させるのはなかなかむつかしいでしょうね それと同じく、人間の交流するサイトで人工知能がどうやってなにを判断できるのか。いや。そもそも それって人工知能じゃなく、たんに管理者の価値判断や主観をPCに記憶させて、臨機応変に条件反射させる ものでしかありません。YouTubeや、TwitterのデタラメなAI?活用がそうでしょ。イーロン・マスクがTwitterを買収してはじめて、解雇されたCEO以下、Twitterの幹部たちが政治的な立ち位置から隠していたツイートが暴露された。 トランプが国会議事堂へデモをするな、家へ帰れとTwitterから支持者に呼びかけ、発信しているさまざまなツイートが隠されていた。 民主党が政敵トランプをテロ首謀者と断定するために必要な陰謀だったがこれをAIに組込み、「トランプ」、「不正選挙」に関する発言を 片端からAIに削除させていた。あるいはコロナワクチンへの疑問もそうです。疑問を書くと削除、凍結される人が出ている。 話がそれましたが、 ......AIに人間の文学的交流を監視、判断さるとはいいながら実はAIに名をかりて自分たちの強引な排除、差別、抑圧を責任転嫁することがこれまで行われてきた。 それはAIじゃなくAIという幻想に名を借りた詐欺にすぎません。 長文乱筆失礼をいたしました。 (AIがビーレビの運営をする日)

2022-11-23

東京都の非課税家庭に米の配給がされるとか 貧乏人は麦を喰え 標準米すら買えない人が出始めている これ本当ですか。わたしは新聞テレビは一切みないので こんなことになっているとまではyahooニュースと吊り革広告からは 伺えませんでした。 一連目の、飴を手のひらに落としてくれた人を 失ったという描写、目の覚めるようなものがありますね。 それがその後もつづいて、非常にすばらしい作品になっているとおもいます。 (食う)

2022-11-22

>これは嘘のような本当の善人たち 嘘のような本当の善人たちをたくさん知ってますが そういう人たちのことを思い出しました。 そういう人たちは何もしなくてもいいんですよ。 宮沢賢治のように大仰に嘆かなくても、あるいは、 人様の涙を拭いたりしなくても 嘘のような本当の善人って、ただそこに存在していれば それでじゅうぶんにいいものです。 (夜)

2022-11-21

もの凄く古い時代に還れた気分です。 いまどきこういう感性の方がいらっしゃっても不思議じゃない。 まだまだ昭和初期の生まれのお方も健在でしょうから。 君よ人たれ。ま、君ってのは君主もひとつの語源?というのかな 流れからくる敬称でしょうけど、 大日本帝国陛下万歳!という、もろ手をあげて なにかを称賛する声と重なるものがありました。 投稿作者さまの本意にはそわない感想でしょうけど、 申し訳ありません。大日本帝国陛下万歳、 愚鈍なものでそれかし思い浮かびませんでした。 (君よ人たれ)

2022-11-21

ちょっと長くなりますがこの詩を読んで突然思い出したことがあり、 申し訳ありませんがそのことを書きたい衝動を抑えることができないので書かせて頂きます。 わたしは長い人生、生きてきて山のように本も読み、映画も見、 絵画も見てきたけど、カネを出しても手に入れたいと思うようなものは ひとつも無かった。 この世に天才などいるとはとても思えなかった。ところがある日、 この人は天才だと思う詩に出会った。これならお金を出しても本を買って 読みたいという詩だった。 それはネット上の老人党という政治討論板があって今は閉鎖されているけど そこにほぼ毎日のように日記を投稿している老人がいた。 その日記文があたり前の日常些事を書いているのだけど、わたしの感性が求めるど真ん中の詩になっていた。 しかしその文章の凄さ、面白さに気づいた人はだれもいなくて、 投稿している老人もじぶんが天才だとは思っていなかったようだった。 だけどわたしは子どものころからサルトルを読み、ショーペンハウエルを読み 仏典を読み、詩を読み、あらゆる世界文学全集を読んで その後も、片っ端から読んできた人間ですが、カネを払って読みたいと感動した ことはなく、それなのに生まれて始めてネット上のただの日記、ただの言葉の羅列なのに そこからにじみ出てくる詩そのものに出くわしたことで興奮仰天した。 ところが基本、政治談義が中心で投稿内容も、やれサヨクがどうの保守がどうのという 議論ばかりで、日記を毎日投稿している老人は、投稿者のみなからまったく無視されたいた。 わたしはいつも感謝をこめて、面白かったです。凄いですと感想を書いていたが 老人はまったくありがとうともいわずに、やれ、皇居のお堀端を散歩したら 銀杏の木から葉っぱが落ちていたとか、そういうどうでもいいことばかり書いている。 ところがそのどうでもいいことなのに、もう、文章そのものに詩があって、 説明のつかない天才性を感じるのでした。 ところがこの老人党掲示板は政治談義が激しくなって喧嘩がはじまり、管理人が新規更新をやめて閉じてしまった。わたしはあわをくって継続をお願いしたがもうその老人は投稿をやめた。 ある日、そのような素朴な日記を投稿するお方を現代詩フォーラムに見つけた。 「ほかちゃん」とかいう方だが、ひょっとしてと期待して毎回読んだが、書くことも書き方も、日常些事を書くという姿勢も あの天才老人に似ているが、あの天才老人の天才性はまったく感じられなかった。 その後、田中恭平newさんという方が最近、あの天才老人に似た日常日記風の 自由律俳句を書き始められたが、少し、ほんの少しあの天才老人の気配があって 気にいっている。 あれでもう少し、庭の石に苔が生えたとか、散歩道に枯れ葉が散ったとか 食べすぎて胃薬を飲んだとかどうでもいい周辺記事が書かれるようになればわたしが出会った あの天才老人の文章に似てくるのだが、さてどうなることかと期待している。 ながながと書きましたがわたしにとっての天才とはだれかにとってのまったくの凡人だなと わかるわけです。 そういう、わたしだけの天才、そういうものがあることが、なにかとてもうれしかったことを 今、あの老人党掲示板に投稿された日記に接したときのことを思い出しています。 残念ながら老人党掲示板の管理人がかたくなな方で再開もログの公開もやめたのでもう永久にあの 文章に出会えないのかと思っています。 長文失礼しました。 (バカボンのパパの天才性 Re)

2022-11-19

〈異化〉ということばはよく目にする単語、(文芸用語?)なんですが、これまで 気にもとめてませんでしたし、まったく関心も興味もありませんでしたが。 今あらためてネットで意味を検索してみると ロシア・フォルマリズムがなんちゃらと書いてあります。 解説を読んでみて、ああ、そういうことかと得心した次第です。 とはいえ、その解説や思想にはやはり何の関心も興味もありませんが、 この詩は、その〈異化〉された日常を表現されたのかもしれません。 ただ、 ジャンバルジャンが出てくるのなら家の銀器を盗ませるのはふつうにふつう じゃないでしょうか。 竹の扉がおられていて、誰のせいだと原因はなんだと問うのもふつうにふつう じゃないでしょうか。 太陽をむしゃむしゃたべるのも、イメージとしてはふつうにふつうじゃないでしょうか。 (太陽光発電つまり太陽エネルギーを消費するとかイメージとしてはいろいろ、まんま、ありますしね) 〈異化〉なんていう概念など一切知らなくても、いや、あのような用語は詩を書く上で わたしのようなものにはむしろ詩の妨げになるだけのような気もしないでもありません。 でも現代詩の世界がこのような陳腐な概念や用語で色付けされている以上はこんな用語も知る必要が あるのでしょう。それがむしろ自在な発想のさまたげにならないように祈る日々です。 (日常の異化)

2022-11-18

『ストレンジャー・シングス 未知の世界』というネトフリの配信ドラマを 想起しましたが、ドラマの世界の話ではなく、認識の問題として、 人みなそれぞれにそういう世界があるのじゃないかとおもいました。 詩人とはそういう世界をどう工夫して語ればいいのかという存在でしょうね。 (風景と風景のあいだに)

2022-11-17

対象作品を読ませていただきましたが、 わたしのように娯楽として難解詩を好む人間からしてみると...... つまり寝転んでマンガを読むように難解詩で時間つぶしする人間からみると 対象作品の御作は 〈不能〉をさまざまなバリエーションで語っているだけで 詩としての芸がちょっとないのじゃないかとつい思ってしまう。 これは最近のネット投稿詩の傾向のようで なにか自分を語ることに重点をほとんど置き、それを さまざまな表現、バリエーションで語る。つまり、あまり 詩芸としての転換や音韻の裏技がないような気がする。 せいぜい語呂合わせ程度。 もちろんわたしは最近投稿した散文にも書いているように 詩は「だいたいでいいんじゃないのお~」という意見の持ち主で 詩の自由自在なデタラメを愛する者だけど、 そういう詩じゃなくて、なにか意味ありげな詩を書こうという方には つい過剰な要求をしてしまう。  蒸留水に身を浸している。  雑踏や雑音から離れた閾値に住んでいて、 こういうふうに、いくら表現の妙を変化させても わたしにはちっとも面白くない。  おれは純粋だ。  おれはおまえら俗人とは違う世界に住んでいる こう言ってるだけなんです。 以下、すべてこの伝で書かれており、ある見方、ある考え方、ある世界理解からの 転換、どんでん返し、視点の変化などがない。 表現としては贅を尽くしているけど、(ま、それほど凄い贅でもないけど) そういうのはマンガを嬉しむように難解詩を好んで読むわたしにしてみれば (つまり難解詩ほどマンガ的だという意味で、難解詩が高尚でいいとは思ってません) ただ、詩芸としてはまったく平板なわけです。 鷹枕可さまの詩にもいつもそういう感想を抱いてしまうのですが そういうのは詩芸としてはちょっとつまらないよと思うことがあり、 そういうものを書くならもっとちゃんと書かないとね と思うことがあります。 乱文乱筆 失礼したしました。 (もたざるものの、)

2022-11-17

人間というものはある年齢に達すると男女ともにホルモンの分泌が活発になり 体型まで男らしさ女らしさに変化してきてそれぞれ異性を求めるようになる。 この生物的欲求が愛と命名されており、それを飾り立てるためにさまざまな 文学作品や絵画、音楽がつくられた。キリスト教のいう愛などは詐欺もいいところで ようするに大事な人だけを囲い、それ以外は虫のように殺せという教えにすぎない。 しかし精神分析学者や心理学者のなかには「人間は二度死ぬ」という見解があって 人間は12,3歳のころに一度、完成されるという。 そして女性でいえ生理がはじまる年頃に無謬のたましいは一度死んで「性」というものが 深いところでその人間の人格を占めるらしい。 これはよくわかる。性が大きく膨らんでくる前の子ども時代にはもっと自由な他者との 和があったが、性がからんでくると人と人のあいだがギスギスしてろくでもない世界に 変化した。 わたしは愛なんかごめんなんだけどセックスはするだろう。これは排泄生理現象にすぎない。 またセックスの相手がいなければオナニーでさっさと生理現象を解消する。 愛だのなんだのとやっている時間があるなら漫画でも読む時間にまわすほうが貴重だ。 なんと可哀想なやつかと思われるでしょうが、わたしは逆にそういう人をそうみている。 それが永遠の詩人というやつかもしれない。 (どうしたらいいの)

2022-11-15

ああ、これは居酒屋なんかのコースターのデザインに使えますね。 詩にはこういうデザイン的な側面もあるようです。 (ゆうた!!)

2022-11-14

湖湖さま お読みくださりありがとうございます。 ピアノのようなものは......中国のあの纏足という制度に近いものだと ふと感じました。すみません。低能児のいつものかってな妄想です。 もちろんたしかにうつくしい旋律をもたらしてくれるものですが わたしにはまかないの調理器が小さく打ち合う管弦楽のようなもののほうが はるかに音楽だと感じます。 絵画もそうで、どこにでもある塀や壁のシミや汚れや傷のあとをみていると どんな抽象画よりも素晴らしいと思い、あそうか、画家はこれに還っていく ことを望んで描き、それができないで悩むのだななと。 詩も芸術もなにもかも一度、ゼロに戻って出直すべきだと思って書きました。 素敵な感想ありがとうございます。 (土井善春先生に詩を学ぶ)

2022-11-13

チェソソーマソさま コメントありがとうございます。 テキトーというより「だいたいでいいんじゃないか」ということをテーマに むかし詩人(吉本隆明)と批評家(大塚英志)が語っていましたが、 「だいたい」というのは非常に大事なことだとおもっています。 わたしがこの散文で大事にしたのは内容ではなく落語のような語り口の流暢さですかね。 じぶんながら、流れるようにかけたことに満足しております。 (土井善春先生に詩を学ぶ)

2022-11-13

うん、ほのかに、 桜餅の匂いが香ってきました。 (さくらさんといっしょ)

2022-11-12

るるさま コメントありがとうございます。 土井さんというのは凄いとわたしも思っています。 ネット詩の独自性というものをはじめてあのあの方に 教えてもらったとこのあいだ、偶然に感じたのです。 土井さんは料理のプロですけど、アマチュアの面ももっていて むしろアマチュアのほうが料理の真髄だと考えているはずです。 ネットに詩を投稿されている方はなにか詩誌の詩の質やレベルに追いつけば それで詩誌に対抗しえたと 感じるのかもしれませんが、それは間違いだと土井さんは教えてくれました。 プロにはないものがアマチュアにあり、そのアマチュアリズムにプロは到底 近づけないし及ばないのです。 天地自在、それがアマチュアリズムです。詩の快楽もアマチュアリズムです。 わたしたちネット詩に投稿しているものは、なにかそれを忘れている。 味噌汁にだし汁は不用というのもアマチュアリズムです。 だし汁不用といっても完全に不用なのではなく、粗末で小さな煮干しを3つ 手鍋に浮かせています。 ここからどれほどの出汁がでるかこころもとないですが、でも、 人間の舌が自然に還ればほんとうはこの味も感じられるはずです。 麻痺してるんですね、マヨネーズだの顆粒出汁だの人口の味に。 >この詩によって、料理は確かに詩と似たところがあると、気づかされました。 とてもうれしい感想をいただいて感謝です。それから、 出したいときに出すってのもプロじゃなくてアマチュアリズムでして.... これもまあ、むつかしい問題を含んでいるとわたしも思います。 丁寧なご感想を感謝します。 (土井善春先生に詩を学ぶ)

2022-11-12

うん、いいですね。とてもいい。 (最初にひらいた、次にとじた、最後にうたった)

2022-11-11

すみません、最後までどうしても読めませんでした。 何度か試してみたのですが...... 一読して、ああ、この作者さまは どこか遠い駅の待合室に置き去りにされたままだという 瞑目するような感慨、それでもまだ汽車を 待っているのは、あるいは見知った老人が通りがかって 声をかけてくれるのをたのみにしているのか。 よくわからない。 ひとむかしまえの突風でとんでいった破れた麦わら帽を偶然みつけたような 感傷はなくもないけど、 いつまでも古い帽子をかぶっているのもひとつの生き方かもしれない。 でも、もうわたしごとき素人には高尚すぎてとても読めない。 (飛べない)

2022-11-11

あ、ごめん、ごめん。訂正があります。 本文上から13段目   異を唱えると「ネトサヨ」というレッテル貼りがヒステリックに返ってくるような風潮。  ↓  異を唱えると「ネトウヨ」というレッテル貼りがヒステリックに返ってくるような風潮。 失礼しました。 (パッションあれば誰でも出来る推薦文。出来とか知らない、作者の気持ちなんてのも知らない。)

2022-11-07

>結構な方からボロクソに言われてもなをへこたれずに、 福丸さまのこの投稿作にコメントをされた方はお二人で お一人は肯定的でしたから、 「ボロクソ」をいった「結構な方」とはわたしのことだと思うのですが わたしは福まるさんが好きだからこれまでもだれよりも 福まるさんの投稿にはコメントをしてわたしなりに励ましてきたはずですよ? そして今回の場合、福丸さんのご返事からが「ボロクソ」とは感じていないで わたしの心の底にある理念 「ささやかな庶民大衆のささやかな生活と命」がないより大切という 考えに同意してくださったものと受け取っています。 今後の参考にしたいのでどの言葉がどのように「ボロクソ」だったのか、 教えていただけませんか? いっておきたいのですが「ボロクソ」と「違う意見」とを同じにしてもらっては困ります。 異論をいえば「ボロクソ」になる風潮がありますね、とくにサヨクリベラルの方々の言説にちょっとでも 異を唱えると「ネトサヨ」というレッテル貼りがヒステリックに返ってくるような風潮。それはネトウヨの ほうよりひどい。そういうのはやめましょうよ。異論がないところで討論など成り立たないでしょ。 異論即ボロクソじゃ、反対意見は黙れということになります。 一般論ですが、だれかをためにするような書き方はあまり感心しません。 異議があるなら正面から堂々とやるべきですね。あなたもそうおっしゃっている。   言いたいことはそのままにして言う、実にド直球ストレート、内容に共感できるかはともかく、   意味があるのにこねくり回しすぎて伝わらないとかぼやいてる人よりも、はるかに伝わる、 そうお考えなら、ちゃんとその「ボロクソ」を言ったと不快を感じる相手に堂々と、どこが「ボロクソ」なのか 伝えるべきです。コメント欄はそのためにあるのでは? 「結構な方」とかいうことばの意味もできればご教授お願いします。直球で。 (パッションあれば誰でも出来る推薦文。出来とか知らない、作者の気持ちなんてのも知らない。)

2022-11-07

この詩を読んでこんな文章を思い出した。  みなさん聞いて下さい  わたしはこんなにやさしい人間なんです、  と訴える方が最近のネット投稿板の投稿者さまに多い。  わたしはこんなに賢い、  わたしはこんなに弱者を大切にする、  わたしは強い、  わたしはこんなに優れている......etc。  そういう詩にあなたは素晴らしい方だ、  あなたのような優しい方をみて幸せだと  感想をしたためる。  それがお約束です。  そうすればポイントが入る。  チーーーン  アナタハオ約束ヲ守ッタノデ  人間性ポイント1デス。  コレガソコノお約束デス。 いつ読んだのか、何というタイトルの本であったか 忘れてしまったが、さて、 この素晴らしく優しき心の持ち主であるとおぼしき 投稿者様のこの詩をわたしは褒め称えるべきかどうか 迷っているのですが、とにかく素晴らしい心ばえの 方であると思い、すごいなと感心しきりです。 わたしは毛ほども考えたことがありませんでした。 反省です。 (1.5トンの遺留品)

2022-11-04

詩は詩なんですが、一種の提言詩というかメッセージ詩というか そういう趣のあることばですね。  愛の反対は無関心ではなく恐怖である。  恐怖とは愛の欠如である。 と書かれておられますが......愛ということば、これは外来語です.....ね。 明治期に入ってきたloveとかそういうのを「愛」と訳したわけですが キリスト教文化圏ではこの「愛」というものを、深いところで よくわかっていると思うんですが 日本人がどの程度わかって使っているのか興味があります。 自分にとって大切な人を「慈しむ」ということでしょうけど、別の言葉で言えば エゴですよね。"じぶんにとって大切な人"というそれ以外の排除が前提の感情ですから。 つまりキリスト教文化というのはエゴ=愛が中心にある。成り立ちからして そういう苛烈な思想が裏打ちされた宗教が背景にある言葉が愛。 だからいっとき日本では金属バットで両親を殴り殺す学生がいたりした。 愛はときに物凄い破壊力のある狂気ですから子を縛り、ときに自殺させる。 男女間の愛なんか あらゆる規制や道徳などを木端微塵にしたりしますしね。 ある人たちにとって愛というのはときに恐怖になります。 まず、恐怖というのはあらゆる生物の第一行動様式です。蚊だって まずは逃げます。逃げるということがノミから象まで、最前列にある 行動様式です。 それから原始時代の未開人てのはおそらく統合失調症的な意識世界にいた という学者たちの意見があります。統合失調症の方がとくにおかしな恐怖を 感じているというわけでもないとおもいます。 妄想が出てくると互いに困りますが、そうでなければ、どれほど会話が通じなくても なにか相手がいうたびに返事しておればいいのじゃないかと思っています。 それでは何も通じないと思うでしょうが、それで通じているのです。 意味不明な言葉にもちゃんと返事をして答える。それでちゃんと通じているし、 それで統合失調症の方の病も軽減することがあるという医師の話もある。 いろいろなところで、考え方の傾きに賛同できかねるところがありました。 申し訳ありません。 (みんなお互いが怖いんだよ。)

2022-11-02

えっ? なんでしょうかね、これ。 これまでの田中恭平newさまの作風とはちょっとつくりが違うようなのは 政治的なものを扱ったからでしょうか。   ロシア語には「熊」という意味の単語はないけれど、「メドヴェーチ(Медведь)」という言葉があって、   意味は「蜂蜜をたべるもの」なんだけど、この言葉が「熊」という意味も持ってるらしい。   歪曲的に表現することで熊を呼び寄せないようにしてるみたいだ。   https://twitter.com/katomani/status/1482566144259096577 日々繰り返される平穏な朝の食卓というのはまさしく平和のイメージそのものですが、 〈熊〉が現れてその平穏な日常を壊さないように主婦が必死に頑張っている。 夫はそれがあたりまえすぎて妻もしくは同居人の異性の努力には気づかずに出勤する。 そういう普遍的な庶民の生活の風景が描かれている。と、いっちゃえばつまらない解釈ですけど 最後の そして少し、泣いたの というのがどうにもわたし個人の印象としてはつらいですね。 もう一ミリ、ダイアルを下げた穏便な表現にしてもらったらわたし個人として救われたのですが。 あ、ひょっとしたらうれし泣きだったらいいか。失礼しました。 ただ、あれですね、熊(狂人プーチンもしくは世界平和を乱すロシア)なんてのは西側がつくりあげた まったくイリュージョンであって、ロシアが世界の平和を乱すことは今のところありえません。 むしろウクライナとその背後にいる欧米ユダヤネオコンこそ人類を底なしの危機に落とし込むでしょう。 もっとも、これはわたし個人の見解なのでだれにも押し付ける気はありませんが。 (平和)

2022-11-02

批評対象作品ですが、これ、一人は東北の人を騙っているけど作者はそうじゃなく(おそらく西のほうでしょう) そして、 そもそもなぜ東北や北海道の人をもってきたのか意味がちょっと不明で(ある意味、〈僻地」というイメージ からきたのだとしたら、ちょっと薄ら寒い差別のようなものをふと空気が過ぎるような気配として感じましたが これはわたし自身が東北のほうを遠い辺境の地というイメージをもっているからそう感じたのかもしれない。これは 反省すべきかもしれないですが、ま、内心では一番尊敬しているのが東北の独自の文化なんですけどね) そういうものも含め まことに申し訳ないけど、正直なところ、この御作、個人的には、 その、ありのままを直截にいうと、先に謝っておきますが、まったく面白くもなんともなかった。 しかし、にもかかわらずこの推薦文を読ませていただきましたのは、 これはわたしがこういう斬新な現代風の作品を賞味する能力に欠けているのだということはすぐに わかったので、なんとかこういうものを理解するたすけにならないかと丁寧に読ませていただいた次第です。 しかしこれもまあ、わたしの不徳のいたすところですが、誠に申し訳ないのですが 正直いわせていただきますと、なんといいますか、批評ないしは解析としてはまったく、けほども面白くもなかった。 それはまあ当然のことでありまして、そもそも作品のほうを理解できる能力がないのだから、推薦文をいくらよんだところで その推薦文も面白いはずがない、おれはバカか、バカだという結末に至りました。 まことに乱雑な感想、まことに申し訳ありません。平にご容赦。失礼いたします。 (高等さを必要としないパッション推薦文)

2022-11-02

がんばる人がいる。わたしなんかもついうっかりがんばってしまう。 でもそういうひとは(わたしのことだが)人間てもののほとんどが じぶんの自由になるようなものは1割もないってことに 気がついてないのだなと気がついた。 つまりじぶんてのは神の分身で神が動かしている。 がんばるってことはじぶんのなかの神に抗うことであり、 意味のない動きだとおもう。 とはいえわたしは無神論者というか汎神論者だから キリストもオウムも統一教会も信じていないが。笑 あと、太宰治の『走れメロス』は大好きだし、これからも ああいうがんばりはわたし個人の美学としてはだれにバカにされようと 持ち続けていくだろうと予感しています。 (休めメロス 他)

2022-10-28

求めないで優しさなんか 臆病者の言い訳なんだから https://www.youtube.com/watch?v=m7jwFXkO-68 この投稿作品を行わけの詩にして池田綾子の透明な歌声にのせて歌わせてみたい。 そんなことを思いました。 (黄色い小さな窓辺)

2022-10-26

これはおそらくフォーラムで議論されている匿名のコメントに対する作者の ややイキドオリをこめた返信なのだろうけど、読んでみると内容の当否は別として けっこう詩になっている。たとえば 育ててくれればいいのに、  種も水も撒かず、  言の葉の世界とやらに絶望したことを  呪いのように唱え続ける、  その呪文はなんの効果をもたらすのだろう? とかいったところには、最初は含み笑いをしながら読んでいたのだけど思わず うん、とうなずくようなセリフが入っており、なかなかじゃないかと思われました。 ただ、やぱり「何の効果」?と落ち着くところがちょっとまだ効果とか効率とか生産性とか にこだわっているところがあるのだなということで そういう価値観というか考え方というものが及ばない世界が詩や文学の世界だってことを 知ってほしいなという気がしました。でも、全般として「与えたいね、与えられるようになりたいね」 というプラス思考がほんとうかどうかは別として、言葉自体としてはわたしもうなずけるものがありますね。 (黄色い小さな窓辺)

2022-10-26

いま1970年代のテレビドラマをネット配信でみているのですが 「雑居時代」ていう通俗の極みともいえるドラマですがこれが なかなか味があって面白い。 この詩はそのドラマのなかに出てくる駅や人や建物の匂いがする。 それだけでなくなんというかセピア色の真っ正直な思想というか 人生観というかそういうものが感じられて、 へんに味のある後味でした。悪くないと思います。 (酒の雨)

2022-10-23

なんか、すごく、明るくて、まぶしい詩です。 んーと、わたしがすぐに思い出したのは 浦山桐郎という映画監督のシナリオなんですけど 『おはよう、日本海!』というのがあって これは映画化されなかったんですけど もう草稿自体もなくなっているかもしれないけど むかしは日本海に面する北陸あたりの地方は「裏日本」 って呼ばれて、いまも原発に頼る以外、たいした 産業がなくて、そういう地方を明るく描きたいということで 書かれたシナリオなんですが、それを大昔に読んだ記憶が あるんですが、とても明るくてまぶしいストーリーでした。 それを思い出しました。 (おはよう、って言いたかっただけ。)

2022-10-22

作品から離れて、書かれた内容のことになりますが、 この体験は一種のデジャブのような気がします。 たとえそうであってもデジャブのような体験は 幻想的かつ神秘的なもので、書かずにはいられないことから たんに医学的に説明するだけで済むものじゃないように あたらめて思えました。 (黄色い柱時計)

2022-10-17

う~んと、なんでしょう。 青春謳歌かな。 曲がつくといいでせうね。 (Friends!)

2022-10-16

ああ先生という字句だけが耳に残ったのですが なにか悶えているようでセクシーだった。 (かいの公式)

2022-10-16

慈悲を 慈悲を 慈悲を 阿弥陀仏よ なむあみだぶつ と 声にも 思えのしない この子らに 慈悲を そういう気持ちわかるんですけど、どうなんでしょうね、 わたしが不良少年のように世の中の欺瞞に毒づくようなまだ純真な 汚れない心をもっていたとしたら この詩のことばを素直には受け取れないものを含んでいるような気がするのです。 つまり痛いほど無惨なことが行われていることに対して、その痛みの深さゆえに こんなことばを書き付けていることへの疑いが生まれてくるような気がするのです。 この仔らに慈悲じゃなく、わたしたちの行いに慈悲を求めるべきでしょうし、 いろいろと複雑な問題があって、詩が、このようにあまりにも短絡的にやっちゃって いいのかという自問自答があります。 (慈悲を)

2022-10-16

う~ん、今回のは少しドラマチックになっているのでしょうか。 個人的には前の「港」のほうがわたしには合います。 なんというかこういう詩の場合はへんにまわりくどいより 絵葉書のように切り取られた単純な構成のほうが個人的には好きです。 (港町の王様猫)

2022-10-16

あたりまえの描写にたいして美的な粉飾を重ねることができる修辞的感性が豊かな方なのだろうなと想像します。 の、ですが.....おしゃれに書こうと意識しすぎて最後にはそれをひとつのまとまった言語表現としてうまく納めることができなくなり、 体言止めなどでかわしているのが読む方にしてみれば少し窮屈で息苦しい。それだけでなく、その修辞が行き過ぎると、ときどき小さく噴き出しそうになるほど滑稽なときもある。 そういう意味では面白いといえば面白い文章なのですが、たぶん作者御本人が考えているほどには詩的ではなくケレン味が出てしまっているのが残念です。 もう少し自分が書きたいものをちゃんとじぶんの中で消化していればもっと素直なあたりまえの言葉でもっと詩的で知的な、美しいものが書けるような気がするのですが。しかし、これは作者さまのもって生まれた感性なのでしょうからとやかく外野がいうことじゃないのでしょうね。乱文失礼致しました。 (Alkeher ghas)

2022-10-15

ソドミーがなんであるか、わたしはそういうのいっさい気にしません。 詩読は作者の意図を読み取るだけのものではないからです。 詩を読むとはじぶんがその詩を再構築することであることを忘れて なにか細々と作者の意図を、あるいは隠された何かを探る方がいることは 承知していますし、それはそれで愉しいことだと思いますのでそういうことを 否定しているわけではありません。 (奇妙なドレミ男)

2022-10-15

とても好きなタイプの詩があるのですが これはそのひとつの典型的な好みのタイプの詩です。 この軽やかさ、素朴さ、万人に開かれた自由さは貴重です。 ただ、もうちょっと欲をいえば、さらにひとひねりあれば 申し分なかったのですがわたしにも出来ないことを人様に望むのも なんですがね。 (奇妙なドレミ男)

2022-10-14

わたしの大好きな"竹見一毅"の登場にわくわくしましたが 今回は前回のようなシュールで屈み込んで笑えるような展開はなく いかにも、いかにもなにか青春残影というイメージでしたから 肩透かしを食らった感じです。 わたしはいまだに前の投稿作"竹見一毅"をここの大賞だとみています。 でもこれもよくみると見事な語りぶりで基本文章のうまさ、 軽やかさを存分に感じることができました。 わたしは多分、来月からアク禁になるでしょうけど、 どうか隠れた文才を惜しまず発揮して頂きたいと願います。 (Boys Of Summer)

2022-10-14

七語調の音韻に情感をあずけて語っているわけですが...... これまでの投稿作と同じく思考の通俗性にべったりじぶんをあずけている。 少しも世界が変転せず、また穴もあかず、ある種の古いむかしの 共有的な情感だけが転がり出ている。 酒の席で浪曲や歌謡曲を歌うような気軽さはいいとしても、なにも見透せない 大きなみえない壁がある。こういう詩に共感を覚える方もいると思うけど、 わたしはそういう通俗性に触れることができるほど呑気ではいられない。 そんなことを感想しました。 (タイトルは思いつきませんでした。)

2022-10-11

あらゆるつまらない善行や正義や倫理を装った束縛を断ち切って 正直なことをいわせて頂きますと人間はだいたい三ヶ月ごとに ま、人によっては半年ごとでもいいけど、愛する女性をとっかえひっかえ していけばいい。そこに何の問題もありません。 愛する女性のほうも男をとっかえひっかえしていけばいいのです。 ま、結婚してしまったら話し合って離婚と結婚を繰り返せばいい。 生まれた子どもは国が一括管理してもいいし、どちらかが育ててもいい。 ま、いずれ世界は恋愛というものの束縛的な純粋性にくさびを打ち込むでしょう。 要するに、そういうのは恋人を束縛しょうとするエゴにすぎないのだということは はっきりさせるべきじゃないでしょうか。 だいたい何でも必ず飽きが来ますから愛にも女にも飽きがきます。 飽きがこない愛でも女でも女のほうから飽きがみえたら気持ちよく送り出してやる。 非常に気持がいいですよ。 (車輪)

2022-10-10

福丸さま 残念ながらわたしは「ひろゆき」とかいう頭のゆるんだ方にはまったく興味も関心もないし それから、 これはほんとうに失礼だし、わたしもこれじゃあかんなあとおもうのですが沖縄のへのこ?ですか そういうことにもあまり関心がない。というか、わたしにはへのこ?はあまり重大な問題じゃないのです。 わたしにとって政治、経済、文学・哲学、思想、科学、医学などが目指すところは究極にはひとつしかないと のです。 わたしが守りたいものとは、ささやかな庶民大衆のささやかな生活と命、それだけです。そのために詩を書き 思想を語り、批評もしているつもりです。 ささやかな庶民大衆のささやかな生活と命を脅かすものはすべて敵でしかありません。 へのこ?のサヨクリベラルも保守もみんなイデオロギーのほうが大切で庶民大衆のささやかな生活のことなど 屁ともおもっていないのですよ。どいつもこいつもひと騒ぎ起こして一杯飲みたがっているやつらばかりです。 そういう騒動全般がすべてカスなんですよ!  福丸さまが沖縄の平和を心から祈るのならそういう騒動から離れてどこかの丘の上から静かに 一から見直されることをお祈りしておきます。 そうすると自分がなにをすべきか、何をしないでおくべきかわかっていただけると思うのですが ひょっとすると「運動」をしないで批判するわたしのほうが間違っているかもしれません。 しかし福丸さまのこの散文詩のようなものを読むと、なにか危ういものを感じるのです。 どうか、渦に巻き込まれないでくださるようお願い申し上げます。 (沖縄もとい日本そこにある危機)

2022-10-08

花緒さま 「詩のことなんてさっぱりわかっていない」といいながら 作品評価を通り越して投稿者の人格的なことまで言及されたですよね。 投稿者に対して「詩であることを尊重できていない」といっておきながら その発言の根拠を示せないとは残念ですね。それって投稿者に非常に失礼どころか 一種の誹謗中傷ですよ? もっとも最初から少しおかしいとは思っていました。ふつうは「語感」といいますよね。 言葉が書かれているのですから「語感」に違和を感じたとかそういう話になります。 それを音楽を演奏していたわけでもないのに「音感」とおっしゃられた。 フォーラムは投稿掲示板では話せない鬱憤などを語れるところだと思っています。 そこをこの詩投稿掲示板と無理やりつないで、投稿者に罰を与えるようなサイトなら いつでもここから出ていきます。 わたしはこの投稿掲示板であなたのようなやり口で人を誹謗する方ともめたくないから 無駄な議論をさけて、掘り下げた意見を聴きたかっただけですが、 思ったとおりでしたね。ほんとうに残念です。 (安倍晋三閣下にささげつつ)

2022-10-08

いいですね。 色鉛筆かクレヨンでデッサンしたような 軽やかなタッチの詩はわたしの好みなんですが 願望があるだけでとてもじぶんにはかけない。 むつかしい詩論など野暮だし こちらも構えることなくリラックスして愉しめる。 Excellent! (コーヒー豆とギター)

2022-10-07

さて、花緒さま つきましてはその鋭いご指摘に感謝しつつ 花緒さま、出来ますなれば今後の詩の勉強の糧とさせて頂きたいので わたしの散文における行分けのどこが、どういう塩梅で「音感」が悪いのか 具体的にご教唆願えませんでしょうか。 作者自身が詩であることを尊重できていない印象を受ける。とまで仰って おられるのですから、是非ともその鋭敏な感性で掴んだこの散文の行分けの 構造と意味をお教え願いますれば幸甚のみぎりにございます。 あ、 印象とか気がするとかだけでまさか 「作者自身が詩であることを尊重できていない印象を受ける。」 とまで踏み込んだ発言をなさるようないい加減な方ではないと信じておりますので。 何卒、どこがどうであるからどのように「音感」がないのか、 せつにご教唆のほどお願い申し上げます。 (安倍晋三閣下にささげつつ)

2022-10-07

花緒さま お読み下さりありがとうございます。 流石の鋭いご指摘に、ゆるんでいた気持ちが引き締まりました。 「流石」というのは花緒さまが音楽にも造詣が深いとどこかで耳にしたことが あるからで、研ぎ澄まされた感性が音感のなさを見事に言い当てているので さすがだと思わずうなったのです。 音感のなさ、もとを正せばすなわちもともと文章がいびつなところにあることはわかって おるのですが、なかなかいわゆるスッとした頭のいいクールな文章が 無学なわたしには書けそうにありません。 これからもこのようないびつな書き方、自分でもうんざりするのですが、 それでやっていくしかないとあきらめております。 的確なご指摘とコメント感謝です。 (安倍晋三閣下にささげつつ)

2022-10-07

物語風につくられた言葉たちの、情緒的な部品を寄せ集めて がらがらぽんとくっつけた寄木細工のようなものなんですが、 これは粋な小説の一節であって詩ではないといえば詩とはなんぞや という声が返ってくるでしょうね。 演歌と狂女のぶつぶつ声との違いかな。詩とは後者なんですがこれは 前者であることは間違いない。 素人受けはいいでしょうけどわたし個人としてはわたしの詩が ここに埋没しないように気をつけています。 (水仙)

2022-10-07

クルミの幼木に葛が絡みつき ゴジラのように吠えていた ということですが...... 物凄い夜明けですね。 ほおじろがなにを唱えはじめたのか 気になるところです。 (雨の朝)

2022-10-07

失礼なことを書くようですが わたしにもこういう詩を書いた経験が一、ニ度あるんですが 書いている本人のわたしは奇をてらっているだけで はほんとうのほんとうはちっとも愉しくなかった。 思いつきでつぎからつぎへと書いていっても 手触りも何もない。無でした。 この詩の作者さまはそうじゃないでしょうけど、ほんとうは こんなにぎにぎしいものではなく簡素な生活詩のようなものに 還っていくのが ほんとうの心の詩のためにはいいように思いますけどね。 あ、これは感想ではなくじぶんに言い聞かせることばがつい これを読んでいて浮かび上がった想念です。失礼しました。 (浮遊葬)

2022-10-06

母の願いは叶うことなく その無念をそっと胸のうちに押し込めて 黙ってあまりおいしくもないけど 根の張るあわびを食べている。 愛というのはこれはまごうことなきエゴ以外の なにものでもないのだけど、 人間という業の深い生き物がそのエゴをめぐって ひっそりと向かい合っている光景というのは なかなかにいいものかもしれませんね。 (母とひなびた中華屋で)

2022-10-05

ひょっとするともって生まれた独特の感性で書かれたのかもしれない 独創的な表現にとまどいました。 さいきんあまりとまどったことがないので新鮮でした。 ちゃんと読めたかどうかというとまったくわかりませんでした ご容赦。 (来期)

2022-10-05

車窓というものは いつでもなにか追憶を呼び寄せるものですね。 郷愁を誘うような、 あるいは秋にふさわしいようなタイトルの魅力に惹かれて 読ませていただきました。 あえてひっかかった点をいえば何を書くかではなくどう書くかという観点からすれば 「名前のない駅」という発話が何度も繰り返されるのは ちょっとばかりせっかくの雰囲気を霞ませたような気配があると 個人的には思いました。これはおそらくこの散文詩の肝なのだから 何度も繰り返すのは少し興ざめかなと。いや、「名前のない駅」 などという常套的な使い方ではなく単に標識には何も書かれていなかった 程度で一度だけ素知らぬふうに語ってさらっと流してもらったほうがよかったような気もします。 あまりにもテーマをこれだよ、これだよと指摘されると、いや、それはそっと そこらへんに置いていただければむしろ読む方は風情があるのですが といいたくもなりました。すみません。個人的要望にすぎませんが。とはいえ、 力のある、いかにも山びとらしき散文詩の抒情のおくにある感慨が 読み手にも迫ってきてなかなかのものだと思いました。 (車窓)

2022-10-03

エイクピアさま  お読み下さりありがとうございます。 吉田茂については最近、米国の機密資料が公開されて いろいろ話題を集めておりますね。 コードネーム「pochi 69」(ポチ シックスナイン)という名の CIAスパイだったとか。スパイというより情報提供者だった のでしょうけど、日本の歴代首相はたぶんみなそうです。 吉田茂の名言『同情するなら、金を貸せ!!ケツを貸すなら、国を売れ!!』 はこういうところから来たものでしょうか。 (安倍晋三閣下にささげつつ)

2022-10-03

考えさせられる詩でした。 ひょっとすると人間はすれ違いのなかに ほんとうのことがあるのかもしれない。 それはしかし神様のものでわたしたち人間は ただその影をふと垣間見るだけなのかもしれない。 そんなことを思いつきで考えました。 (ある世界の旅人B)

2022-10-03

わたしなど足元にも及ばない才能がおありになる方だと見込んで かってな要望を書かせていただきますと。 そろそろじぶんの思いを吐き出すだけではなく利他(エンターティメント)に 目覚められてはいかがでしょうか。 いいものが書かれてあるのだからそれに味付けして多くの人が食べやすくかつ よろこんでもらえるように加工するということ、それはつまり自分を勘定に入れないということ ですが、 そろそろ自分を殺す時期ではいかがでしょうか。かってな要望を申し上げてもうしわけありません。 (14.)

2022-10-02

いろいろ考えさせるいいお話だった。 ただ、みなさんは裏側を知らないでしょうけど 炊き出しというのは今はけっこうなビジネスになっている。 NHKの「心の時代」という慈善風の番組に「現代のイエス」だと喧伝されて出演した 大阪釜ヶ崎のH神父は元ヤクザでちんぴらのHという男を使って炊き出しビジネスを つづけさせ莫大な富を貧者からかっさらっていた。 山口組抗争で名を知られた大日本正義団の事務所も西成スラムドヤ街の近くにあって ここも炊き出しの旨味を知ってからは、毎週、ホームレス相手に炊き出しをしていた。 全国から同業のヤクザを招いて炊き出しビジネスがいかに儲かるかを説明している光景にでくわしたこともある。 現在、総会屋的な大企業への金銭要求は法律で禁止されているが、慈善事業への 企業への寄付呼びかけは取り締まれない。そこで炊き出し風景を写真にとって 全国の企業に献金を呼びかけていたのだ。 これはH神父も同じで日本全国のカソリック教徒に炊き出し風景を撮った小冊子を 送りつけ寄付を募っていた。多いときには現金で数千万が寄付されたこともある。 しかしたいていは衣類や本や貴重品などでこれをH神父は元ヤクザのHに手下を 使って弁別させていた。もちろん貴重なものはHがかすめとる。 結果、炊き出しを求める貧者にわたるのは寄付総額の7%ほどだった。 Hのもとで無償で弁別作業をしていたある敬虔なカソリック教徒はその事実を 知って精神的におかしくなり入院した。 H神父はHに炊き出しをまかせていたがHはあるとき棒をもって炊き出しに並ぶ人たちに 「ごちそうさまでした」「ありがとう」を強制させていた。 生きるために仕方なく炊き出しを食べていたある日雇いのおじさんはわたしにこういった。 「おれたちは炊き出しを食わされているんだよ」 このおじさんも数カ月後に亡くなった。 炊き出しなどといっても、まったくもって世の中とは万事こんなものです。はい。 山本太郎だの辺見庸だのがときたま炊き出しのパフォーマンスをするが、 この方々はな~んにもわかっていない結構な方々だというほかはないです。 (炊き出しヴォランティア)

2022-10-02

ふかおさまお読み下さりありがとうございます。 たまには詩を書いてはというご感想ありがたく頂戴しました。 ただ、 詩というものは書くものじゃなく なにかによって書かされるものだとわたしは思っています。 詩であれ雑文であれ 何かを書きたいと思ったときにそれを書くことしか 凡庸なわたしにはできません。 申し訳ありません。 それからこの散文は「悪の華」どころか正反対のものを示しています。 いずれ時間が、いや歴史がそれを証明するでしょう。 わたしたち日本人が今、善と思っているものが極悪なものであることが いずれわかるときがきますが、そのときはもうわたしはこの世にいない。 そんな地獄の光景を見届けたくもないですがね。 (安倍晋三閣下にささげつつ)

2022-10-02

yamabitoさま お読み下さりありがとうございます。 おっしゃるとおりですね。詩にしたいですね。 yamabitoさまのような散文にみえて詩になっている御作を みるだに、どうすればああいうふうに書けるのかいつも 秘密の技法のようなものがないか探っていますが しょせん凡庸な頭の者なのでいまだにこの思いを詩の形式に できておりません。 もちろん、これは散文ですが、 このサイトでは散文と詩をわけて投稿するシステムがなくいつも詩とも散文とも 記さずに投稿させていただいております。 ただ、散文といえどもわたしはだらだら長く書けないので 短い行分けをしています。それが以前から詩とみなされて、さまざまな方々から 非難や批判をいただいているのですが さて、どうすればいいのかちょっと困っています。 ここは一応、散文や批評も投稿できるのです。 これからは冒頭に散文と明記するようにしようかなと思っています。 (安倍晋三閣下にささげつつ)

2022-10-01

冒頭からしばらくつづく語りはことばが水を得た魚のようにはねていました。 魚はやはり水が必要だ。水のないところで踊れといっても無理なのに 無理を押し通そうとしている方々が多いようにみえる。 田中さんはこの瞬間、たしかにことばの自在のなかにいたように見えた。 しかし後半を読み進めていくと、書くことの面白さに埋没して それがこころの罠だと気づかずになんとなく読む方からするとワンパタの 思考に着地したように感じました。ワンパタとはまたひどい言いざまですが はっとする見解や指摘があることは確かです。でも前半のは詩になっているけど 後半のは詩のことばとはちょっと違うもののように感じました。 そうはいってもレベルの高い詩的な意識の状態にあったのでしょう。 衝動や欲望にまけずに書きたいことの半分ほどでやめることができたら、 (ま、そういうことはだれにも不可能でしょうけど) ウエブ投稿詩人ってもっといいものを書けた気がする。それにしても 田中さんはどんどん詩人になっていきますね。進化をもとめてやまない その姿勢はわたしにはとてもいいものに映ります。 (24&20)

2022-09-30

忘れていいのかなという問いかけは大事なことのように おもえました。ただ、忘れたとしても必要で大事なときは 忘れようとしても思い出すものですけどね。 ラストのニ行はアニメ的なお約束のことばのように 聞こえるんですよ。そういうふうに書いてしまっていいのかな? というような気がすこししました。 (枯れ)

2022-09-25

サヨナラハジメマシタという思いつきはいいのですが サヨナラという言葉を使いすぎてせっかくの感興がすこしそがれた ような気がしないでもなかった。 抑える、ということがあるとむしろその逆の効果がある。 いい勉強になりました。 (さよなら、はじめまして)

2022-09-24

なんだろうな、きっとなにか最後には〈転換〉を見せてくれるぞと 期待して最後まで読んだのですが...... 「隠喩の森」、という締めくくりがあった。そうか、「森」という表題は隠喩の森の ことかと愚鈍な頭に蛍光灯がぽっとついたのはいいのですが、で、それが果たして なんなのか考えてみると、とくに何でも無い。思うに今やもう詩における〈転換〉を 描くことができない時代になっている。〈転換〉とは平たく言えばドラマですが たとえば尾崎放哉の "花火があがる空のほうが町だよ" という句がある。 これがドラマチックなのは放哉は四国で乞食のように極貧の生活を送っていて、しかも 孤絶していたからどこかの町へいこうとして夜になり森のなかで方角を見失ってしまった。 この詩のようにすべてがみえない。わからない。そんなとき花火があがった。その方向が 町だ! 放哉は奇跡を見たように覚醒する。そして再び歩きだす。花火があがることによって それまでの言葉がいっきに方向をみいだす。これがドラマ。つまり転換ですが、 わたしもそれができなくなっている。頭が鈍っているだけではなく、時代なんでしょうね。 そういう感性が維持できない平べったい時代に入ったということでしょうね。 yamabitoさんの精力的な創作活動には敬意を覚えていますしこれからも良作を期待しております。 褒めることをしないでなにか辛口の感想になりましたが、基本的にわたしはいいなと思った詩に しかコメントしないので、どうかそれでお許しください。 (森)

2022-09-22

これは三連目がこの詩の成り立ちを すべて説明しているように感じました。  そうだ  その詩には中心がない  部屋の隅では 二人がおもしろおかしく直立していて 私たちの間にある 紙切れには おもいつきの表現が ひとつまたひとつと 沈没していく (椅子 (クヮン・アイ・ユウおよび河上類による合作))

2022-09-18

短い言葉のなかにまばゆい衝撃がこめられている。 わたしにも経験がありますが、まことに人間の記憶とは 彫琢の魔術師ですね。 (時)

2022-09-17

肩のこらない、嫌味のない、自然な、いい詩だとおもいました。 難をいえば「わたし」に対して声をかけている人物の感想を聽くはずが 死んだ「わたし」の要望が語られているところにちょっとちぐはぐ感がありますが まあ、こんなものでしょう。 おそらく以下のようなことを続けて書けばサヨクリベラルの方々から 反発があるでしょうけど、わたしはふと虫けらのように殺された 安倍晋三元首相のことを思い出しました。 肩書はどうでもよく一人の人間としてよくやったなと思う。 思い通りになるわけもないこの国の政治に関わって泥まみれに なりながら平和の道を模索した。そういうまともな政治家は 必ず虫けらように殺され罵倒されるのが世の定めです。 そういうことをふと思いました。 (夢見る弔い)

2022-09-16

       我が、語る死す わたしは詩を書く人間が今のように嫌ったらしい、知識や頭の良さを振り回すうちは ぜったいに面白くもならないし進歩もないし実存もしないと思っております。 それからやたら「君」などという言葉を平気でつかう卑俗な意味でいう「ポエム」を 平気で投稿する自己陶酔のお坊ちゃまお嬢ちゃまにも少しは羞恥というものを自覚してほしい。 羞恥もなくなにが詩だ。恥ずかしい詩を書いていることを恥ずかしがるべき。 卑しい「ポエム」など投稿されてもどう評価しろというのか。 詩は少なくとも詩を書く人間の半分以上がヤクザや人殺しや、チンピラや売春婦やヤク中のような どうしょうもない人間によって構成されるべきで、 少なくとも学級の優等生のようなサヨクじみたリベラルでは詩という広大な世界のなかの 針をついたような狭い世界で蠢いているお利口さんたちの自己満足に終わるでしょう。 そんなところでなにをいおうがそこらの虫ケラの屁ほどの価値もありません。 そもそも世界を認識すらできないのに何が詩だろう。 どこぞのバイセクシャルのようにいくら万巻の書を読もうが、IQが人の倍あろうが文学とは何の関係もない。 それはたんに頭でっかちの世間知らずな幼児にすぎない。 中学生の天才棋士だからといってそろばんひとつ弾けず、 商売も挨拶も恋愛も、なにひとつ人間らしいことが満足にできないのと同じだ。 そういう、いまの日本の腐敗して沈滞した詩の世界の実態をちゃんと 見えている人間が果たして詩の世界に何人いるのか、 唖然とするのみ。 (B-REVIEW 9月のお題詩「ネットとリアル」×「カタルシス」)

2022-09-11

逃れようとすらしない、なにも感じない豚がいるなかで なんらかの違和や窮屈さや実存の不在を感じている豚はそれゆえに 不幸なのかもしれませんね。 いずれにせよ生まれた以上、出口は死しかないのだから 黙って現在を受け入れていくしかないのだけど、 文学という人間だけに与えられた麻薬がなんらかの救済を 示しているような気がしないでもないです。 (逃げられない一匹の豚)

2022-09-11

抒情のもつよさと 知がもつ嫌ったらしさが 混じり合って 結局、どれほど抒情が 片肌脱いでその美しさを見せても わずかな知の嫌ったらしさに殺される。 そんな詩が氾濫していた時代がありました。 そういう自己陶酔の時代が まだどこかに残っているし、 まだまだ、だれからも批評されない場には 残り続けるのだという感じです。 (花)

2022-09-11

      カタルシス、書けた人がいたら脱帽します 台風一過の青空のように、浄化を感じられる詩を募集します。 お題詩といのは、題だけを出してあとは作者の自由な発想にゆだねるのがルールでありマナーだと 思うのです。が、このように「●●のような詩を書け」という断定はあまりよくないのでは? これじゃとてもお題詩とはいえません。内容指定詩です。言葉がすぎるかも知れませんがお題を出す という洒落がわかっていないようですね。 お題詩というものがもつ自在な豊かさをみずから損なっているような気がしてなりません。 長い間生きてきて、台風一過のようなカタルシスを書けた人などみたことがない。 書けた人がいたら脱帽します。 (B-REVIEW 9月のお題詩「ネットとリアル」×「カタルシス」)

2022-09-11

ここに書かれた 夢のような時間 ほんとうにそのような時間を わたしたちは求めることすら忘れてしまった そんなことを考えて 涙ぐむような感情にとらわれてしまった。 失礼ながら詩それ自体はひじょうに通俗的で 稚拙なのですが、純粋な詩だとおもいます。 (バードファンタジー)

2022-09-10

思いつきで寄せ集められたことばたちがいったい、 どんなふうなシステムというか芯棒を軸に展開しているのか 関心をもって読んでみました。 ところどころポエジーを感じさせるイメージが点滅している ものの、わたしがぼんくらなせいで現代詩風というか戦後詩風への志向 という心持ちを感じただけでした。こういう作風がもう人を引きつける 力や意味はあまりもう失くしてしまったのじゃないか、そういう残念さと、 さもありなんという感慨とが交互に起きました。 (自由、私もそこを出ることはない。)

2022-09-08

人間の意識というものが外部から与えられたマニュアルや型式やパターンの 寄せ集めと複雑化という側面をもつ、というわたしの考えからすれば、 たとえばこの詩の二連などは、ああ、とすぐに気がつくひとつの自己陶酔のカタチ であるわけですが.......。いや、それが悪いというのじゃないです。 そういうことをいってるのじゃなく、そういう様々なパターンがどういうふうに ひとつの詩のなかにあらわれてくるかという1つの典型のようなものを この詩にみて、むしろ、だから書かれた内容とは別に、詩としては安定しているなと 感じたわけです。 でもそういう安定した言葉の舞いのようなものが、わたしのようなイケズな人間の 邪悪なこころに何かを着火させるかというとちょっとわたしのような擦れた人間には もう無理なところがある、そんなことを感じました。 作者さまのスタイル、姿勢、心のありようにはまったく何の不満もありません。 かってな感想、どうかお許し下さい。 (匿名)

2022-09-07

こういうのを読むと、 かわいそうだなと思うんですよ。 言葉の凄さに一度だって震えたことのない人って いっぱいいるわけで、そういう体験のない人が まるで酸っぱい葡萄のように言葉をいくらなじっても ただ、かわいそうだなとしかおもえない。 ほんとうに、ただ、かわいそうだと。 (くだらないこと)

2022-09-07

黒髪さん、コメントありがとうございます。 今までとはまったく違う概念の社会が誕生しようとしています。 これまで人権は普遍のものであって生まれながらの人間の属性でしたが これからは、この社会では「自分は価値ある存在である」とたえず証明 しなければならないのです。そうしなければ人権は剥奪されます。 (ほんの一例ですがコロナワクチンの接種やマスクがそうです。) つまり「わたしはお利口さんである」とたえず証明することによって ほんらい奪うことのできない人権が、人工的な特権、人間の資格となるのです。 こういう価値観をもたらすものとして辺見庸、内田樹、香山リカなどのいわゆる 「サヨクリベラル」と呼ばれている人たちの顔をいつでも思い浮かべることができます。 かれらはかれら自身がどれほどおぞましい価値観の創生に加担しているか自覚できていない。 人々をこのような"分断と支配"の構造に組み入れることは寡占資本家たちの夢なのです。 そういうものに断固として抵抗する勢力がいわゆる非G7国、ブラジルやインドや中国、ロシアなどです。 わたしたちは戦後ただひたすら世界を経済支配するG7国家の 言説のみを耳に吹き込まれて育った。そこからとんでもない偏った思想をもつに至っている。 それをまずはなんとしないと世界は見えてこないのじゃないかと思っています。 (ちぇんちょうはんたぁい)

2022-09-06

つつみさま。丁寧なご感想を残して下さりありがとうございます。 ほんとうに何でもない単純なものへの 敬意というか、じつはそれがもつ奥深さへのまなざしがもてたこと。 それがちょっとうれしいというかおもしろくって書いてみました。 そこへ感度のよいアンテナを向けてくださり、とてもうれしいです。 お読み下さりありがとうございます。 (段差のある生活)

2022-09-06

薄楽さま。コメントありがとうございます。 「段差」、日常意識していて、詩になったことはない言葉。やっと日が当たったね「段差」ちゃん。 このお言葉がうれしかったです。まったく何気ないものがもつ奥深さというようなものに少し 感嘆していたものですから、こんなものを書いてみました。それを汲み取っていただけてというか たいした技巧もなく、まんまを書いた文ですが、お読み下さりありがとうございます。 (段差のある生活)

2022-09-06

すみません。知性が足りなくてよく読み込めませんでしたが 単語の選択と転換はけっこうおもしろく読めました。 アリの歌ってググってみるとほんとうにそういう歌人がいらしたのですね。 アリも自覚があるわけでなし神のプログラムにそって動いているのでしょうし それをみている人間も自由意志があるように思わせられているだけで やはりアリと同じじゃないかと感想したりしました。 (蟻の話)

2022-09-05

「愛」とか「しあわせ」とか、すべて言葉なんだけど わたしたち人間はありもしないことを示す机上の言葉に騙されやすいのかもなどと 読後考えたりしました。 (仮想時代 錯綜する言葉に代えて)

2022-09-05

くだらないもの、というものについての認識が大雑把なので なんかもうひとつよくわかりませんでした。 基本的にはじぶんのなかのくだらないものは大事にしてもいいし 外部のくだらないものはどこまでいってもくだらないに決まっている。 そこらへんをちゃんと弁別できているのかどうか、 疑問におもいました。まあ、もっとも世界レベルの思想家でも いまだに人間についての認識が近代的だから 人間の内部と外部がまったく違うものだということを理解 できなくともしょうがないすけどね。 偉そうなことをいってすみません。これが素直な読後感でした。 作者さまを批判するつもりはありません。 (願い)

2022-08-24

そろそろ詩を書くみなさんもコロナという公衆ファシズムの息苦しさに 頭をもたげ、周囲を見回し、じぶんを点検し ちょっとずつそのことをじぶんの生き方と照らし合わせて ことばにする方が散見されるようになってきた。 このさざなみがうねりになって巨大な壁をぶちやぶればいい。 そんなことをふとおもいました。 (歩く)

2022-08-21

頭がよくて自信満々の人ってのは滅多に見かけないのだけど おやおや、ここにいらっしゃったって感じです。 こういう方の詩は毒もなく、 頭のよさだけが自信一杯にみなぎっているから 後光がさすように眩しい。 おもわず合掌してしまいました。ほんと。 (願い)

2022-08-20

前作はとてもよかったのだけど今回のはわたしには難解で もうひとつよくわかりませんでした。 これは前作よりも前に書かれたものじゃないかと ふと思ったりしたのですが それくら両者には(内容は別として)同じ作者とは思えないほど 筆使いに違いがあるように感じました。 タイトルも、これはちょっとどうなのかなあと腕組みせざるを えませんでした。 (特殊恋愛)

2022-08-20

たとえば疲れを知らずに公園や校庭で遊ぶ子どもたちの 自由や平和や安全を支えているのは、暴風が一ミリだって そこに忍び寄らないように防いでいる親たちの...... あえていえば.......コンペイトウではなく 汚辱にまみれた血まみれの手です。 この世にコンペイトウなんかどこにもありません。 やさしさが世界人類を包むこともありません。 そういうのはありえないファンタジーです。 そしてそのファンタジーが逆に世界の人々を殺している。 殺してその無惨な死を隠蔽することに役立っている。 たとえばディズニーなんかその最たるものでしょう。 夢想にひたるのはいいけど、その夢想があらゆる現実を 隠蔽していることに気づいてほしい とわたしはおもいます。 なんか痛々しいコメントをしてしまいましたが、 大人としての責任を放棄してしまったところに コンペイトウがあるような気がしてこんな感慨を コメントしてしまいました。 ご容赦。 (コンペイトウと綿あめ)

2022-08-19

羽田さま。了解いたします。 わたしはハエ取りまでは了解できますが、哺乳類への罠の類は 絶対にわたし自身はしないつもりです。 とても苦い、心がしめつけられるような体験があるからです。 (蝿取り紙)

2022-08-19

ハエ取り紙のような 生物に対する罠の類はこの世でもっとも邪悪なものだとおもいます。 それだったらまだ手でパシンと叩き落としてやったほうがはるかに潔い。 (蝿取り紙)

2022-08-19

>詩人を自称することについて内省することが自らを「変態や異常者」だと認知することになるのであれば、 すなわち病理につながると判断いたしました。 言葉や表現というものがよくおわかりでないようですね。 たとえばだれかが「おれは変態だ」といえばその人は変態なんですか? だれかが「おれは異常者だ」といえばその人は異常者なんですか? 変態や異常者というのは当人の自己言及によって判断されるのではなく、 その行動や倫理観などが世間常識から逸脱しているかどうか あるいは発言が論理的に支離滅裂であるとかそういった客観的な精神医学的見地から 判断されることでしょ。 ある人間がみずからを「変態」や「異常者」と認知したことは、 内省的な批評行為であって、それだけでは病理につながりようがない。 「おれは変態だ」「おれは異常者だ」という自己言及自体は病理とは関係ありません。 こんなことはあたりまえのことです。 にもかかわらず「病理につながる」云々というコメントがもしほんとうに何も 考えずにすっと出たものならあまりにも不用意です。 また言葉に対する感性や見方があまりにも未成熟としかいいようがありません。 しかし、 ある作品について精神病理学的な観点から批評したりコメントを入れることは 文学作品では不可避ともいえます。 ある言葉や表現をめぐって病理につながるような要素を見つけ出して詩や小説を 心的な面から解き明かすことはすばらしい批評行為だとおもっております。 しかし沙一さまの上記の説明は、かなり短絡的であぶない物の見方であって、 用心をお願いします。 謝罪はありがたく受け取らせていただきます。 それからあまりにひどい発言なので反論しないつもりでしたが >私が「利用」すると述べた対象は、「詩」ではなく、「詩人を名乗る」ことです。誤解なきようお願いいたします。 「詩人」と名乗ることを利用ということですよね。そんなことはわかっております。 わたしはわたしたちのような素人が「詩人を名乗ること」で何かを利用できることなんかありえないといっているのです。 寺山が利用できたのはかれが非常に有名な歌人であり批評家だったからです。かれのいうだれでも詩人と名乗れるというのは 理屈はそうでしょうけど、そんなことをするただの人なんかいません。 もしいるとすれば自称詩人だけでしょう。でも自称詩人が詩人を名乗るって利用というより悲惨でしょ。 そのことについてはコメントで反論しておりますのでもう一度よく読み直してください。 (自称詩人ですみません。)

2022-08-18

沙一さま。 そもそも、寺山修司を持ち出すところが意味不明です。寺山の時代はむしろ現代詩が もっと精緻に磨き上げられていた時代です。 そうそうたる顔ぶれがいました。吉岡実がいたし大岡信もいたし吉本隆明もいた。野村喜和夫なんか 当時は早稲田の学生で詩人としてはまだ小僧だった。そういう時代に、詩を利用?  勉強されていないのですか。つまり寺山のような態度こそあの時代では少数であって、しかもその態度はコンプレックスから来ていたのです。 寺山は短歌は見事だったけど詩は正直、ぜんぜん詩壇から相手にされなかった。 わたしのような素人がみても一瞬に下手だとわかる。まだ漫画家のやなせたかしのほうが巧い。 その寺山が詩を利用なんてそれは短歌では巨匠だったからいえるのであって、詩人を自称したのも 詩にはまったく歯が立たなかったからですよ。べつに歌人でいいのにどこかに詩人へのコンプレックスが あったからでしょう。 そして、ふつうのそこらの人間が詩人を自称する必要も理由も利点もないわけです。あたりまえでしょ。 詩を利用なんていったいどんな思考回路から出てきたのかぜひお伺いしたいのですよ。 詩をどのように利用しておられるのか、ぜひおっしゃってください。 寺山自身がじつは詩を利用なんて出来なかった。詩人を自称していたのはたんにコンプレックスからと申し上げた。 あの大歌人、寺山がそうなのに、 こんなところに投稿しているわたしたちのレベルのものがどうやって詩を利用なんかできるのか 具体的に是非そのうちわけをお伺いたいものです。 それから病理なんて言葉をうかつに出すものじゃないでしょう。 精神病理学も精神現象学もある程度勉強しているのならともかく、いったいどのような 学問的背景があって、そのようなことをいったのか明らかにすべきでしょう、 生真面目=病理? なんですかそれ。 イカイカ氏と蛾兆氏のあの程度の発言が問題になるのなら、病理うんぬんなどという発言も問題でしょう。 これは「文句があるならおまえが運営やれ」という詭弁とは違う問題です。日本に文句あるなら出て行けレベルの そういうヤクザみたいな反論をする方がいますが。 運営やるならちゃんとやってもらいたい。ご自身がマナーやルールを守っていただきたいのですよ。 もし、沙一さまが返事をなされず言い放しにされるのなら、ここはそういうところであると了解してもいいものだと 解釈しますので、あとあとのご不満などなきようお願い申し上げます。 (自称詩人ですみません。)

2022-08-18

中味がまったくないことがこの投稿者の特徴だけど その裏でどうだすげえ文章だろふとじぶんだけで自負しているところが 文章のあいだから垣間見える。 この手の文章はたんに要領がいいだけのものでだれでも数時間、人の文章を 真似すれば体得できるものだけど そういうことはわからない人にはわからないから、評価されたりもする。 詩ってのは利用するものじゃなくて、やっぱり言葉は大事に扱いたい。 大げさに考えるなよ、おめえ病気だよ。 詩なんてただの遊びじゃん、って人は、いくら頑張ってもちっともその詩を 遊びにすら使えない。どこまでいってもかすりもしない。 そういうことが今ここで起きていることです。 (Leap of faith あるいは)

2022-08-18

追記 それから沙一さま、   生真面目さがかえって病理につながるぐらいなら、   って、なにをもってわたしの作文が 病理につながっていると断定するのか、根拠を示してください。 三浦果実さまからも似たような罵声を浴びせられたことがありますが、 陰でいくらもでお仲間同士でわたしを揶揄、憫笑していただいて結構です。 しかし、病理というからには主観的な感想ではなく、具体的に病理である根拠を お示しいただきたい。そうでなければこれは非常に失礼な罵倒ということになります。 運営にかかわるものが根拠を示さずこんなな発言をするのなら運営の資格ゼロですよ。 (自称詩人ですみません。)

2022-08-18

わたしは寺山修司を尊敬もし、偉大な歌人だとみとめていますが でも寺山修司という名前なんかどうでもいいのです。 沙一さまがどう考えているかが大事なのです。 利用ということですが、詩って利用なんかできるんですか。 たとえばお茶お花や書道を利用なんかできるんですか。 利用できるのなら利用していただきたいのですが 利用するにはそれを自家薬籠中のものにしなければならないのに 毛ほども詩のことなんかわかっていないわたしどもが どうやって詩を利用できるのでしょうか。それとも、もはや詩のことは 自在にわかっているお方なのでしょうか。それを世の中では傲慢というのです。 なにをいってるのかさっぱりわかりません。 (自称詩人ですみません。)

2022-08-18

コメントありがとうございます。 おっしゃるとおり「詩人」を職業として扱うのはかなり無理があります。 ご指摘のところでは筆もとまりましたが、そこはかえって諧謔になるかとおもい 新作落語のつもりで書いてみました。 が、ツッコミどころはたしかにところどろこあります。 戦争直後、価値観や人生観が根底からくつがえされてしまった方々にとって 詩は趣味ではなく生きるための いしずえのようなものとして在ったような気がしますが いまはもう、そのような必要のある方は少なく、ほとんどの方々が趣味の領域で いろいろたのしんでおられるのでしょう。 そういう方々にはほんとうに失礼な作文であったかもしれません。 でも、だからこそ、詩というもののほんとうの奥深さ、詩の言葉のほんとうの、 感性の襞の複雑な成りようをおろそかにしていいものか、 詩のもとにある言葉の複雑さを単純化していいものか そこは考えどころだとおもっております。 やたら詩は終わったとかいう方々がいますが詩というジャンルは大昔も今も普遍であって変わりようがなく 変わるのはそれに触れる個々の時代の個々の人間だけです。今の詩が終わったというのならそれは 詩がおわっているのじゃなくそれを扱う〈人間〉が終わっているともいえます。 そういう変わってしまった扁平な〈時代〉や、感性の鈍麻した〈人間〉に背を向けている一人のヘンなやつわたしが このような落語で自嘲してみたとお考え下さい。 お読み下さりありがとうございました。 (自称詩人ですみません。)

2022-08-18

音韻の遊びこころがおもしろかった。 (20:30)

2022-08-18

うげっというのがいいですね。 (落ちていく)

2022-08-18

音楽はいいですね。 (音楽の羽を着て生きる)

2022-08-18

僕のいるところはひとりじゃなかった。 よかった。 (しびれる)

2022-08-18

中心がないのでよくわかりませんでした。 (revolver)

2022-08-18

夏にはいろいろ思い出があります。 (8月という名のまばゆさ)

2022-08-18

二人で映画をみにいってその映画の余韻に二人で ひたれるときがあったなんて羨ましいし すばらしいと思いました。 (映画の余韻)

2022-08-15

いい詩だと思いました。 実感がちゃんとこもった詩らしい骨格をもった詩で それをなにか大放出という感じで、もったいないほどでした。 (?(ナツ))

2022-08-15

この詩をむつかしくしているのは (愚鈍なわたしだけかもしれませんが) 三連目の解釈でしょうね。 これがわからないから未だにこの詩を理解できていない。 (夜を迎えて、星を望む)

2022-08-15

そういえることはすばらしいことです。 (幸せだ)

2022-08-15

トコトコということば、これ擬音というのですか、この言葉が個人的に かわいくて好きです。 (トコトコと)

2022-08-15

なんのために咲くのか だれのために咲くのか わたしも考えたことがあります。 (グラジオラス)

2022-08-15

なるほどなあとおもいました。 (間際)

2022-08-15

誤記訂正。 二行目末尾。 くだれがありがたかった。←くださればありがたかった。 たいへん、失礼しました。 ラスト。 辛口に感想←辛口な感想 どうも失礼したしました。 (辛さ )

2022-08-15

詩ではなく批評文というからには できればだれにもわかる基本的な文法で書いてくだれがありがたかった。 内容が、ではなく文体のてにをはが、そもそも支離滅裂で意味不明でした。 詩にはそのような支離滅裂で意味不明な文体の甘えも許されるでしょうが (許されるどころかかえって魅力になることもあるでしょうが) 批評にそういう甘えが持ち込まれると批評の意味がなくなるのじゃないかと そんな気がしました。 期待して読んだだけにすこしがっかりしたもので、辛口に感想、どうか ご容赦。 (辛さ )

2022-08-15

決してあら捜しでいうのではありません。 わたしもサーフィンをやるものですから、基本的な言葉の間違いを 申し訳ないですが指摘させていただきます。すみません。気になるもので。 まずサーフィンは波にのるのではなくて(波にはどんなに才能があって 乗れません)うねりに乗るのです。 うねりがなければ波がいくらあっても乗れません。 よく「波乗り」といいますから投稿者さまが波と勘違いされても当然ですが。 それから引いたり満ちたりするのも波ではなく、それは潮つまり海全体が 満ちたり引いたりするのです。 サーフィンを愛するものとしてすこし気になったので申し訳ありませんが 指摘させていただきました。 (人と波)

2022-08-15

戦争を映画やゲームや小説でしから知らない世代が 戦争をそこからそのまま導いてイメージするとこういう描写になるということでしょう。 戦争を描くということはことほどさようにむつかしい。 ほんとうはひょっとすると戦争の真実のイメージとは戦車とか死者とか独裁者とか そんなところにはないのじゃないかと思います。 そんなものをいくら丁寧に描いて、上塗りしてもなにも迫ってこないのじゃないかと。 おそらくもっと小さな、なんでもないことを描くことで 巨大な戦争のイメージが立ち上がり、読むものを震え上がらせることができる。 そんな気がして、そういうものを探しているわたしとしては参考になる詩でした。 (終わりの始まり)

2022-08-14

失礼。 団体という言い方をしたらすぐにピンと来てくださると思ったのですが 正確かつ厳密にいえば団体=共同幻想のことです。 ですから森川さまのいう「宗教」もやはり団体的な布教活動=教会や寺院(真宗〇〇派等)から敷衍されるので 共同幻想には間違いありません。共同幻想抜きの宗教(仏教)などありえません。 とくに日本の場合は仏教が伝来したときから国家が介在して国家資格のようなものになっています。 その点、タイなどのように個人がかってに自由意志で仏教徒になれる社会とは違います。 仏教が好きとおっしゃってもそれは純粋な仏教意識ではなく団体=共同幻想が敷衍した共同的な規範ですから 純粋な宗教(仏教)意識からは遠く離れたものだと考えられます。 (蓮如と岩)

2022-08-13

読ませていただきました。 わたしはキリスト教をはじめ、真宗であれ、なんであれ宗教"団体"にはいかがわしさしか 感じないという人間ですので蓮如と岩という対比にはまったく共感を覚えませんでした。 宗教"団体"がなければ戦争もなかったと思っているからです。 ただひとつ、マンガ的な新興宗教がありませすね。太陽の法だっけ、大川隆法とかいう人が 教祖でやっているなんとかいう団体。幸福の科学ですか。あれ、まったく信用できないだけに 逆に面白いし、新しい宗教のカタチじゃないかとひそかに思っています。 歌手の小川知子や、ファンであった小説家の景山民夫が信徒と聴いてなんで?と首をひねった ものですが、最近になってなるほどなあ、宗教というものがなにか真実でなければならないとか 硬直した考えでとらえるのではなく宗教に対してもっと自由で自在な考えでいたのだなとわかるのです。 大川隆法本人もおそらくマンガ的なことをいってるのを自覚しているかもしれませんね。 信徒の方々は集まると前世は信長の家来だったとか、タンポポの毛だっとか楽しく語り合っているという。 それがほんとうかどうかが重要なのじゃない。そこにガチガチに固められた自己を放っているのでしょう。 本来、宗教とはそういうデタラメなマンガの世界に人を解放するものであって、キリスト教なんかは ほとんど神経症の世界であって、ああいうものがあるから人間は死ぬまで裏切りや憎悪や戦争を繰り返すのだと わたしは思っています。蓮如なんかもただの欲ボケ坊主の性欲異常者であって、わたしにとってその存在は 何の宗教的意味もありませんが しかし投稿者さまが蓮如をなにか宗教的な存在として美化したいのならそれはそれで否定はしません。 ただ、本来の宗教とは、教義だの思想だの哲学に凝り固まったものではなくもっと自由で自在で遊びごころが詰まっていたもの だとおもうのです。 そのおおらかさを失ったからキリスト以後のすべての宗教は人を殺すだけの愚劣な道具に成り下がったのじゃないかと 思っています。 長文の感想、まことに失礼しました。 (蓮如と岩)

2022-08-13

着眼点はいいと思いました。 雨に濡れている洗濯物をみてああ、おれみたいだ わたしみたいだわと感慨を抱いている語り手の 怠惰な諦念の気持ちはわかるのですが それからさきの展開がすこし平坦なような気がしました。 (洗濯物は乾かない)

2022-08-13

読ませて頂きましたが........ まことに失礼ながら最後の連が多分けつろんなのでしょうが そうとうに大雑な感じがしてよく掴めませんでした。 偉そうな言い方になったら失礼ですが宗教論議というものは 「痛み」をもって近づかないと空疎な論議に陥るのではないでしょうか。 真宗のニ種回向なんていってもいまどきだれも信じないような気がします。 だけど人間は「痛み」を知ってはじめて他者の「痛み」がわかる存在になるという 言い方をすればそれはある真実をもっているような気がします。 もちろん親鸞は「痛み」をもって語っていましたから本人も浄土教のニ種回向なんて 信じてはいなかったでしょう。親鸞のニ種回向はおそらく現実の話です。 でなければあそこまで突き詰めた思想は生まれなかったとわたしは思っています。 メタバースの世界の唯一の欠点というか欠落は「痛み」がないことです。 その世界に人工的な「痛み」を作り出せればメタバースは現実と同じリアルなものに なるでしょうが、参加者は果たしてそれに耐えられるか。 耐えられなければメタバースの世界も空疎なものでしかないでしょう。 いや、ここで宗教論議はしたくありませんので反論されても応答はできません。 わたし自身、極楽などあるとは思っていませんので。ただ、あるとすれば地獄だけがある。 その地獄から逃れたければ極楽をあきらめるしか無いと考える者ですので。 (メタバースと二種回向)

2022-08-13

巧すぎる。 いい詩というものは最初の一行て立ち上がってくる。 これが鉄則だ。 どしゃぶりの雨だったと書かれたものよりも 雨が降ったことがないと書かれたものから 雨のどしゃぶりが見えてくるように。 それにしてもなんと美しい情景か。なんと美しい 追憶か。 他の投稿者には失礼だがやっと詩らしい詩に出会えて すこし、うれしい。 (耳鳴り)

2022-08-13

エイクピアさま、 拙文をお読みいただき心より御礼申し上げます。 おしゃるとおりだとおもいます。 (韓ドラをみながら)

2022-08-12

柳煙さん、わたしにとっても『力道山』は印象に残る作品でした。 主演の韓国俳優や韓国の監督の構成力もいいけど、竜鉄也や 萩原聖人の演技が秀逸でした。ずいぶん前の映画ですが韓国の表現芸術 あなどれないと初めて目が覚めた記念に残る映画です。 (韓ドラをみながら)

2022-08-12

追伸 しらすのような自転車はないですか。 それなら好きになれそうです。 これも見るのが大変ですが ちょっと目を細めてよりそってやればみえます。 (どうもビーレビ公式です。8月のお題詩は「超でかい巨大自転車」に決まりました。)

2022-08-11

わたしも自転車は好きですが、 "超でかい巨大な”ものはどうも苦手です。 残念ながら、そういうものにファンタジーもポエムも感じません。 なぜかというと「大きい自転車」程度ならまだしも 「超でかい巨大自転車」は人間の目には見えないからです。 「超でかい巨大自転車」を見るにはその自転車がはるか彼方に 遠ざからなかれば人間には見えません。 これはどういうことかというと そういうものは本当に孤絶して孤独な人にしか見えないということです。 なぜならそれを見るためにはみずからそれから遠ざかるからです。 超でかい巨大自転車は 哀しきほんものの詩人として宿命を与えられたものにしか見えない。 そんなことはだれだって御免でしょうね。あの宮沢賢治だってごめんだ!と叫ぶでしょう。 そんなものを見られるからって詩人になんかなりたくないよ!凡人でいいと。 そういうものをファンタジーやポエムのイメージとはとらえられない。 わたしはクジラのことを考えるより、しらすの目や心臓や胃袋に 思いをこらすほうが好きな非常に心の非常に小さい人間だからなんでしょうね。 「超でかい巨大自転車」には不気味なものしか感じられませんでした。 あえていうと9.11もコロナ狂奏曲も安倍暗殺もそういうものです。人間には見えない 超でかい巨大な、ある、なにかです。 まことに申し訳ないです。しかしこのような発想はほんとうにある意味、 いまどきの人々がかなり追い込まれていることの左証のような気がして なにかたまらない気がしました。 ほんの今一歩とどまって言葉というものを見直すときかもしれません。 (どうもビーレビ公式です。8月のお題詩は「超でかい巨大自転車」に決まりました。)

2022-08-11

わたしたちは不幸な時代に生きているものだなと感じました。 詩というものは実は本来、一人で練磨できるようなものではなく 批評という他者と一体になって成長ゆくものなのにいまはそれができない時代です。 批評というものが悪口とか非難のように受け取られる。批評の在り方自体に問題が あるとしても、だれも批評に耐えられない。そこまで人間は追い込まれている。 この作者のように力強い原資を持つ方でも、天性のものは失われないとしても 感受性の繊細さが細分化されていかないで、むしろどんどん停滞しているように感じられました。 大変失礼な言い方ですが、野卑な田舎臭さのほうへ感性が停滞鈍麻している。 なにからなにまでどんどん無神経になっていっている。 現代詩フォーラムのようなところで長くかいているとこうなるのか、ほんとうに残念です。 この詩の場合、まず「君」の連打で肝心の内容が頭に入ってこない。 なにもここまで「君」を連打する必要があったのでしょうか? すべてを台無しにしている。 あと、ことばがどれも通俗的に狎れすぎています。 「一途なものを光らせた時の領域」なんて書いておられますが、 「一途なもの」なんてそんな主観的で一方的な美意識をもちこむときの手付き目つきに もう少し配慮がほしいのです。ぼくの吐息に埋もれたなんかもそう、さらさら流れる砂もそう しずんでいくしずんでいくもそうです。 かもめの音が空をえぐりだけは通俗から脱していますが。しかしこれは逆に不用意な気がします。 そして最後の極めつけ。 おもいは水平線に秋風と共に吸い込まれていった。これ、必要なんでしょうか。 こういう「最後っ屁」(『言語表現法講義』加藤典洋)をどうしてみなさん書きたくなるのか、 そこが興味深いところですが、 とはいえこの作者さまのマグマのように力強い詩人として原資にはいつも感心と感嘆の念を 禁じられません。それゆえにどうしても毎回素晴らしい作品を勝手に期待するこちらが問題なのでしょう。 素人が勝手な感想を長々と書きましたこと平にお詫び申し上げます。 (秋風)

2022-08-09

詩人なら下半身を選ぶのが筋じゃないでしょうか。 この散文がしめすものは私的な解釈としては「詩とはなにか」という問題としても扱えるような気がします。 あるいは想像力とはなにか。詩的想像力と他の分野の想像力との違いとは。そういうことを理解するための 一助になるのではないかと思いました。 とはいってもこの散文の趣意がわたしにはわかっているわけではありません。 あくまでも私的な解釈です。 たとえば下半身だけの彫刻をみたことがあるでしょうか。わたしは今のところありません。 しかし映画などでは車から降りるシーンに足だけ映す効果が頻繁に取り入れられている。 ワンパタの技術なのになぜかこの手法は観客に飽きられることがない。不滅の映画的レトリックです。 なぜかというと、足から上の人物は果たし何者か!? という想像力を観客にかきたてるからです。 最初から全身バーンと出ては面白くもなんともない。でも、映像とはそういうものです。 最初からバーンと材料が全部提供される。それが映画です。 想像力をかきたてるのではなく現物を押し付けられる。それが映像表現の一番前列にあるものです。 でも映画芸術のなかではこの、足だけみせる手法だけは詩や文芸の分野に属するレトリックだと いえるのではないでしょうか。観客の想像力が映像表現に参加している。だから飽きがこない。 一度、筒井康隆という小説家が書いた、マンガをみたことがあります。ご先祖が筒井順慶だというので その筒井順慶の関ケ原の戦いを描いたマンガだったのですが、 このマンガの主人公が最初から最後まで背中しかみせない。とうとう最後まで背中です。でも、非常に なんというか面白かった。その向こう側に顔があるのですが、それをおそらくわたしは無意識に想像している。 言語芸術の世界と同じく読者も創造に参加している。そういう面白さ。 つまり言語というのは不完全で穴だらけだからむしろそれが読者を夢中にさせるのです。 下半身だけの彼女とはそういうものじゃないでしょうか。長文失礼いたしました。 (正直な木こりと泉の女神についての考察)

2022-08-03

ひとつのことばを書き記したあとで すこし立ち止まり、ときには腰を下ろして ぼんやりと沈思黙考する。 マヨネーズのチューブをひねるように押し出すのではなく いそがないで むしろ、出口のマヨネーズの頭の先をみてたたずむ、 そういう時間がほしいなとおもいました。 (一足の幸運)

2022-08-03

まざりたいという気持ちはわかりますが、 でも、ほんとうは まざらないほうがいいでしょうね。 それはいずれわかるとおもいます。 だって、つまらんでしょ。 恋人だろうとなんだろうとみなが一色に染まるなんて。 でも若いときはまざりたいと思うのでしょうね。 (隔てられた青)

2022-08-03

戦争がはやく終わってほしい、コロナも終息してほしい気持ちは伝わってきました。 ただし、世界認識があまりに牧歌的でほとんど何の意味もない。 それがあるいは詩なのかもしれないとへんに感心したりするのでした。 (希望)

2022-08-03

いいとおもうけど、波の音が強すぎるような気がします。 その大きな音がすべてを台無しにしている。 波の音は聞こえるか聞こえないくらいにしないとだれも耳をかたむけて 波の音を聞こうとしないものです。 大事なものはひそかに指し示すほうが注視されるものです。 声の出し方ももう少し勉強したほうがいいような気がします。 ギターはこんなものでしょうね。 偉そうなことをいって申し訳ありません。聴く方からの得て勝手な注文でした。 ご容赦。 (二人の孤独)

2022-08-02

失礼。誤字です。訂正します。 ラストの一行。 悪くない気がしした。←悪くない気がしました。 場を濁して申し訳ございません。 (加水分解)

2022-08-01

こういう話題を一連、二連のような どこにでもある素材を使って語る姿勢には好感がもてました。 でもラストの   Sustainability なんてたわごとを   誰が信じるものか こういう思いをうまくことばにできないから詩は書かれるのに 最後にそれを締めくくりのように書いちゃったら、うん、それはどうなのかなと思う。 ここに投稿される方々の半分以上の方はなぜかラストの一行でつまずく方が多い。 初心の方もベテランの方も。執着とか我欲とかスケベ心を最後に捨てきれないとかいわないけど、どうしてかな。 でもわたしも接続可能性なんてキャンペーンはまったく意味不明でして こういう短いかたちで異議申し立てがさらっと書かれているのは 悪くない気がしした。 (加水分解)

2022-08-01

前作が示されていたので読みましたが、前作はわたしにはちょっと敷居が高い。 よくわからなかった。しかし、これはなんとなくわかったような気がしました。 最後のほうの床に足がついたところから 井上陽水ならどんな曲をつくるだろう。 爪弾くような前奏曲で鼻歌のように歌い出だしはじめるような気がする。   ♪尾ひれのように長いつま先を伸ばして    うなじをくすぐるから    ぼくは短い真昼のゆめから覚めた    高原のみずうみには霧がたちこめて    外界よりも三ヶ月はやい風が吹いている    ぼくたちは少し哀しい顔をして    赤トンボを追いにゆく,,,,,  そんな歌詞がふと湧いて出てきました。 この詩の読後感の余韻のおかげです。     (みなも)

2022-08-01

ラストの一行がどうなのかな。 もったいない気がしました。 (いつも)

2022-07-27

良いと思います。 ちょっと雑でムダなところもあるように感じましたが 哀しみの底にしずんでいく心模様を巧く絵にできていると思います。 偉そうなことをコメントすることになりましたがご容赦。 (水犀)

2022-07-25

これもわたしの分類でいえば「少年詩」というカテゴリーにはいるのかな。 わたしをみてという詩なんですが ま、もともと詩とはわたしをみてなんですけども、違いはどう書くかなんでしょうね。 新鮮で無垢でじぶんを愛しじぶんをなにより大切にする方のじぶん愛がひしひしと 迫ってきます。こういうのは読むのにかなりの力を必要とするのですが わたしのようなひねくれた人は少ないでしょうね。 (はるかさようなら、さようなら)

2022-07-24

仮の話ですが「少年詩」という分野がもしもあれば これはそういうタグに入る詩なのかもしれません。 ぼくをみてという詩です。 わたしのような無駄に歳をくった人間からみるとうぎゃ~と 叫びながら転げ回るほど違和感を覚える詩ですが 少年詩を愛好する新鮮で無垢でじぶんを愛してじぶんを非常に大切にする方々からすると こんなものかもしれません。 (雨空の下の蛙(再練習#3) )

2022-07-24

追記 失礼ながら ②と③はあまりピンときませんでした。 ただ、どうも傾向性として不用な末尾がある。 どうしても世間のほうを向いてしまってせっかくの詩を台無しに している。②だってラストの大河的な一行がなければどれほど余韻が生まれたか。 ③の末尾はややましだが、それでもこれはないほうがいい。 ここに投稿される方の多くは最後はどうしても世間のほうに顔を向けて大河に飲まれようとする。 それが詩を殺している そういう方がほとんどだとシロウトのくせにそんなことを考えました。失礼。ご容赦。 (断片)

2022-07-21

①は東海林さだおの一コマ漫画のような軽さがあってよかった。 しかし、ラストの二行は不用。 『言語表現法講義』の加藤典洋ならこういうでしょう。 せっかく小川が大河を横切って行こうとしていたのに大河に飲まれてしまった。 どういうことかというと、切のいい、見栄えのいい(つまり大河)オチをつけたがる 傾向性にまけてしまって、小川のまま(つまり説明なしであるがままに)終わらせられなかった。 でも、この詩の語り口はひょうひょうとしていい。ウソがない。 シロウトの感想です。失礼致しました。 (断片)

2022-07-21

う~ん、これもまたむつかしい詩ですね。 朝の手を握りしめるという斬新な表現がありますが...... やや唐突すぎて素直につかめない。前段に必要な何かがすっぽ抜かされているような気がしました。 (水を)冷たくすすったというあまり見受けない表現もすぐには、とっかかりがなかった。 つまり一連では表現だけが関係性を抜きに突出しているような感じでした。ほんとうはこの逆のほうが 詩にとっては美しいのじゃないかと思う。つまり表現はふつうすぎるほどふつうなのにそれが示すものが なにかしら突出して見える技法のようなもののほうがむつかしいし、はるかにうつくしいのじゃないかと。 ラストの「彼誰時に」もそう。語音の響きはうつくしいし謎めいた印象のフレーズですが、ほんとうはあたりまえに 「夕暮れ時に」と書いてあとの「振り返るのは.......云々」のほうがじつはずっときれいだとおもいます。 大事なのは言葉上の奇抜さや意外さではなく、ふつうのことばで語られる奇抜で意外なうつくしい世界だと思いました。 シロウトが偉そうな感想を書き、申し訳ありません。また、だれから「噛みつきガメ」といわれそうですが わたしはわたしなりにこの詩を読んで上記のごとく様々な発見や勉強をさせていただいております。ご容赦。 (そして、夜までの歌を)

2022-07-21

う~ん、もうひとつ焦点がぼんやりとして定まらない読後感でした。 そも一連は果たしてなにか書かれなければならないものがあるかというとあまりよくわからなかった。 照り返しの陽光みたいな白い自販機がみえるということですがおそらく語り手の無為な気分を 象徴しているのでしょうか。 子犬を部屋に置き去りにして旅に出るというロマンチなイメージに心を酔わせているのはわかります。 それにしてもだれを気にしているのか。 なんて/なんてね/なんて という自らの傷心?に自らすこしばかり恥じ入る合いの手も入るのがちょっと気になりました。 こういう詩はむつかしいですね。 (夢の犬)

2022-07-21

自由美学さま、お読み下さりありがとうございます。 (ねあ、さろとさる )

2022-07-20

深尾貞一郎さま お読み下さりありがとうございます。 (ねあ、さろとさる )

2022-07-20

読ませていただきました。 難解な詩なので、いや、それほどそうでもないですが シロウトが詩を読むとどんな感想になるものか参考にまでとおもいましてコメントさせていただきます。 これはもう冒頭に書かれたとおり、 「涙で浮上した水平線のうえへ、.......確信を、いま一度深めてみよう」という詩ですが、じぶんの意識世界というか 美的な詩的世界の確認が同時に社会批評というか文明批評にもなっているというふうに感じました。 世界がほろんだ最後の日というのがいつだったのか、わたしはいわれてそういえば滅んでる!よと気がついたぼんくらですが なんか滅んでしまったあとのほうがのんびりしているような雰囲気が少しうらやましい感性だなと感じました。 (水平線)

2022-07-17

失礼します。 読ませていただきました。 難解な詩なので理解できたかどうかわかりませんが、わたしのような あまり詩がよくわかってない一般のシロウトはこんなことを考えているんだと参考になればとおもいます。 詩ってのは少なくとも「この」「わたし」のことばを紡ぐ機会だとおもうんです。 ところがここに投稿される多くの方々は平然と「君」ということばをつかう。 「この、じぶん」が関心を持つ特別な相手の呼称をみなが使う「君」でいいのかなと 以前から疑問に思っていました。 なにいってやがるあんただって「わたし」だの「ぼく」だのと使うじゃねえか。 「君」のどこが不服なんだよといわれる方がいるかもしれない。 でも基本わたしは「君」ということばの詩が出てきたら読まないことが多いです。 理由はその人はたぶんだれかに恋しているのじゃなく恋する物語を欲しているだけなんだとおもうからです。 アニメの世界の物語を語ることはそれはそれでとっても素晴らしいことだとおもいます。 要するに好き嫌いだけのはなしなんですが、「君」という呼称が出てくると、何故か、あ、アニメだなと わたしは思い、歳をくった穢れたわたしにはとてもうつくしすぎて敬遠してしまいます。 でもこの詩は「君」という呼称をつかったアニメ風の詩ですが、 粒あん/という愛らしい発想やラストのゴミを捨てないでほしい。/という切れ味のある余韻に なにか清らかなものを感じました。私利滅裂な感想でごめんなさい。失礼したしました。 これからもご活躍お祈りしております。 (痛みの中の粒あん)

2022-07-17

失礼します。 読ませていただきました。 知能の貧しいわたしには読み解くことはむつかしかった。  わたしが死んだら  すぐに救ってあげる とか  その愚かゆえ何をしても倒されない、  私でありたい とかいったフレーズは親鸞仏教の影響なんでしょうけど もしそうだとすればあまりにも露骨という言い方は失礼ですが 詩としては咀嚼消化肉化されていないことばのようにおもえました。 多くの方は語解されているようですがじぶんを探究したいなら じぶんをどこまで探ってもじぶんなど見つからない。 ここに投稿される方はみなさんそろってじぶんをみつめておられるが じぶんをみつめ、じぶんを観たいなら外をみないきゃいけないのですが だれも外をみようとしない。 じぶんとは外があつまって出来たその境界線の輪郭なんですが、 そのこともおわかりにならないようだ。作者さまのことではないですよ、 一般論ですがこれを読んでそんなことをふと考えました。 (Love)

2022-07-17

読ませていただきました。 「カビの生えたコッペパンのような色」という比喩.....いや、形容なのかな、どちらでもいいのですが この表現がなかなかおもしろかった。 最初、山の木々の枝葉の尖端と書かれていたから目の悪いわたしは雲がカビの生えたコッペパンのように と読んでしまい、なんと素晴らしいと目が覚めたようにみてしまい、なんだ木の葉のことかと少し落胆しました。 昭和の"よき時代"へのノスタルジアが全文に満ちています。そのノスタルジアの中核である"グリア"を示そうと表現を駆使されて おられますがどうなんでしょう。もっと形容や表現を抑えたほうが鮮烈だったかもしれないですね。シロウトの感想ですが。 このようなちょっとマイナスっぽい感想ひとつ付けても「噛みつきガメ」などといわれるのでもうコメントはしないつもりでしたが なんかこれおもしろいのでついコメントやってしまいました。ご容赦。 (グリア)

2022-07-16

なんかよくわからないけど、 とにかく読みました。 (過ぎ去った)

2022-07-15

読みました。 (絵描き歌)

2022-07-15

読ませていただきました。 こういう人生観、人間観はわたしにはないものです。 だれであれみな人生を精一杯生きてるんじゃないでしょうか。 わたしはその結果、へんな癖がついた人でも嫌いじゃないし、むしろ好きだな。 ほんとうに精一杯生きていたら癖のない人間なんてありえない。 そういう御仁とはかかわりたくないような気がします。 なんか反論めいたことをいってしまいました、わたしも人生を精一杯生きてない ヘンな人間なんでしょうね。お許し下さい。 (ちょっとした不快さ)

2022-07-14

こんな感想は作者さまにほんとうに失礼だし、 お怒りになるかもしれませんが 率直バカなわたしに免じてどうかお許し願いたいとぞんじます。 ひとことでいいますと、 ほんとうに失礼で、申し訳ないのですが、 面白くもなんともなかったです。 それなら感想など書くこともない、いつも関心をもてない作品に 対するように スルーすればいいのですが、 人生哲学というか仏教思想なのか あちらこちらに なんとなくそれらしきものを感じさせることばが 散りばめられている。 たとえば  試験も  省略された結果になる・・・  何の試験か  人としての試験だよ 人としての試験! そんなおぞましい試験などまっぴら御免だけど 人としての試験に合格したら偉いのだろうか? そんな人間もまっぴら御免、まったく関わり合いたくない。 もっとも、人としてデタラメな自称他称サヨクリベラルなんかもっと嫌だけど 人としての試験! に合格した人間も同じくらいいやだ。 正直、人間なんてのは見知らぬ他人が生きようが死のうが知ったことじゃないのです。 これが詩の原則1です。 ただし、詩の原則1に照らせば、その逆も真なり。ゆえに自分のことだけを書いていれば いいのだともいえる。 そのとき、つまり自分のことを書くとは「自分のことを書く」ことが自分の ことを書くことだろうか。 他者にしか関心がなく他者のことばかり書いているわたしは じぶんのことを書いていないといえるのかといわれれば、う~と考え込む。 むつかしい問題ですが、こういうことを考えるきっかけになったということで この作品はコメントする価値があったと、うん、わたしには思われます。 (夏のポートレート)

2022-07-14

読ませて頂きました。 まあ、なんというか たぶん、そのライターは百均で 携帯灰皿も百均で 物騒な事件にかかわった人たちも百均じゃなかったのかな。 いや、べつに作者さまのハンドルネームを揶揄しているわけじゃありません。 「百均」という語がふと目についたので、すぐに、ああそういえば あの警備の連中も、要人警護の初歩の初歩、幼稚園児でもわかる 背後を警戒しろをやってなかった。そして、言い訳が「まさか拳銃をもった男がこの国で......」 それなら要人警護いらねえだろ。笑 なんという、おままごとの国にっぽん。人間もなにもかもが百均だ。 そんなことを考えました。 この詩の語り手(作中主人公)についてはべつに嫌悪も同情も覚えません。 おままごとにっぽんが大量生産した「今だけカネだけ自分だけ」という人種の 変形した一精神形態ではないかとおもっています。 (感触)

2022-07-14

わたしは作者の心情や思想哲学にはあまり興味がなくて詩は 書き方にしか関心がないのだけど うまいへたは別としてこういう書き方には個人的にもう倦んでいる感じですね。 ほんとうに失礼ですし、御本人はたのしんで書かれていることはわかるのに へたな感想をつけてしまってどうかお許しください。 そうですね、二十年くらい前なら新鮮に読めたかもしれません。 お前書けるのかと問われればとてもこのレベルの詩は書けないのに 偉そうにほんとうにすみません。 (よく晴れた日のこと)

2022-07-13

こんにちわ。 批評対象の作品を先に読ませていただきました。 うつくしく倫理的なことばが散りばめられた格調高い詩でした。 その対象作品の批評からは離れるのですが「幸福」とか「永遠」とか「不幸」とか「愛」とか、 そういう、聡い人間があとから作り出した抽象的なことば=観念語がもつ落とし穴について ちょっと雑話しておきたいとおもいます。 デカルトは方法序説だったかのなかで「すべてを疑え」といった。だけどデカルトすらも じぶんがいま使っていることばを疑うことはしなかった。でも疑うべきでしたねデカルトは。 たとえば「幸福」という単語。これはよく考えてみるとこの観念語自体が間違っているし、そもそも リアルな現実にはありえないことばです。 仮に「幸福」が永遠に続いたと仮定します。その状態ははたして幸福だろうかと考えてみると ぜんぜん幸福じゃない。幸福であるはずがない。だって永遠につづく幸福は幸福と感じることができないからです。 ひとがある瞬間に「ああ、しあわせだ」と感じるのは幸福とは対局にある「不幸」があるからです。 幸福だけが存在しそれが永遠につづいたとすればわたしたちは幸福を感じることはできない。 そういう仕組になっている。 これを一般化すればつまりこういうことです。幸福とは不幸の別名である。 つまりわたしたちは不幸があるから幸福になれるのです。 これはわたしが一時、大金を手に入れて好き放題に使った経験からいうのですが、 巨万の富をもつ大富豪というのは、じつはその心の具合はとても不幸なんです。 逆に貧困の極地にいる貧乏人はちょっとのことで幸福になれる。 神が与えしその機微にだれも気がつかないから、貧乏人はいつまでもじぶんを不幸だと思い込み 大富豪はほんとうは不幸なくせにじぶんがなにか幸福だと錯覚している。 これは「幸福」という観念語だけではなく、たとえば「永遠」という言葉などにもあてはまります。 「永遠なんてなかった」という詩がありましたが、先の「幸福」という観念語と同じく落とし穴があります。 永遠が続いたらそれをどうやって「永遠」と自覚できるのか。笑 自覚するには「永遠」でないものが必要になる。 つまり「永遠なんてなかった」などとほざいている場合ではなくもともと永遠なんかないのです。 永遠とは一瞬の別名です。そういうことをもしデカルトが気づいていたら、もっと有名になれたのになあ、惜しいなあと わたしなどは思っています。 また「愛」という観念語にもこれはあてはまりますが、このへんにしておきます。 なにが言いたかったかというとわたしたちは不幸で貧乏でも、じつはそれはたいへん素晴らしいことなんだということです。 あんまり貧乏だと医者にもかかれず大変なことになりますが、それは社会運動家にまかせるとして心の問題としては じつは全然問題じゃないというのがわたしのほんとうの考えです。 偉そうなたわごとを書き散らし、まことに失礼しました。 (朝顔)

2022-07-13

読ませて頂きました。 う~ん。率直な感想ですが、それが作者さまを不快にさせるようでしたら先にあやまっておきます。 どうせろくな詩も書けないこのわたしの個人的な感想なので歯牙にもかけないでほしいのですが、 まず、タイトルの語呂がちょっと悪いような気がしました。「むしおくり」.....せっかく格調高い詩なのに ちょっともったいないなとおもいました。 おそらく作者さまもこのタイトルですこし思案をめぐらされたのではないか。そうでないなら謝ります。 次に本文ですが たしかに巧く彫刻されているが、たましいは入っていない。信仰心のない仏師が見よう見まねで荘厳な仏像を彫ったような そんな気がしました。すべてなんらかの経典の一節のようで、うつくしい文言が散りばめれられているのですが なぜだろうか、まったくこち側に届いてこない。 おそらく作者さまはこういう詩の文言は目をつむっていてもさらさらと書けるのではないでしょうか。うらやましい。 わたしにはとても書けないことばですが、でも、仮に書けたとしてもわたしは書くことに躊躇する。 なぜかというとあまりにもうつくしくて倫理的だからわたしには書けない。書けばウソになる。    わたしは追う者であり追われる者 まるで聖書の一節のようなうつくしい言葉です。でも、ほんとうにそう思っているのでしょうか。 ほんとうに追われる者とはどんな者であるかわかっているのでしょうか。あるいは 追う者とはどんな者であるか。ドラマや小説で想像できるイメージではあるけど、なにかしら あまりにもわたしには出来合いのうつくしい倫理のことばのようにおもえてなりませんでした。 これはわたしの想像ですが何か感動するような本か映画を最近見られたのではないでしょうか。 その高揚した気持ちを、手慣れた手腕で書かれたのではないかと愚考しました。間違っていたら今のうちにあやまっておきます。 辛口というか無能者のかってな放言、失礼しました。どうかお許しください。 (虫送り)

2022-07-13

テレビから日々流されるデマをまったく信じているわけではないでしょうけど みているとどうしても知らないうちに洗脳されるものでしょうね。 マスゴミを操る米国ネオコンの思惑どおりのお話になっているような気がしました。 もっと陰謀論をおもしろく読むことをおすすめしたい。 あんまりひどい陰謀論はだめですがそうでないものは傾聴に値する。 マスゴミに洗脳された頭を洗い流すにはそういうことも必要かなと思っています。 (殺害)

2022-07-13

初恋が一瞬しゅわっと泡だち あざやかな赤を残して消えていく その赤は喪失の傷口からでた一滴の血の色だろうか .......なんてことを想いました。 (炭酸に、口紅)

2022-07-12

まことに申し訳ないです。 えんどう豆なら知っていますが寡聞にして遠藤周作は知りません。 ただ、一作だけ『わたしが・棄てた・女』はめずらしく衒学趣味や知的キリストファッションから 逃れたリアルな真情からでたものだと理解しています。 ほかはだめです。キリスト教徒ならキリストをふりまわしていちいちキリスト教徒を言葉に出しちゃいけないよう な気がします。前にもいいましたよね、断食をするときは断食しているぞというような哀しい顔を してはいけない、という聖書の文言。 知的粉飾が好きな方々にはそういう倫理意識がなさすぎるとおもいますね。 さて、おさわがせしました。これにてわたしのほうは終了します。遠藤周作のような第三の新人と 呼ばれた書き手たちは戦争をくぐり抜けてきているので今のわたしたちが一見、かんたんに理解して しまいがちですが、底にあるものはやくざな感性と超越性への願望との入り交ざった複雑な心境でしょう。 それをいまどきのわたしたちが理解したように錯覚するのもなんだと思いますがね。 (中宮寺 弥勒菩薩あるいは如意輪観音 様)

2022-07-12

いまどき地上に核兵器(ミサイル?)を配備するなど原始時代の発想です。笑 そんなもの何の意味もありません。だから日本がもし核武装するなら沖縄だろうが本州だろうが 地上に核ミサイルを配備するような意味のないことはしないでしょう。 現在、実質的に核抑止力をもつ核兵器はミサイル搭載原子力潜水艦しかありません。しかもただの 一隻あればそれで十分に中国ロシア米国に対抗できます。 かといえども、日本が核をもてば確実に世界で初の核戦争実験場になるでしょう。 米国も中国もそれを狙っています。 そもそも核などという発想はもう時代遅れ。日本はレーザー兵器に注力を注いでいます。 レーザーは飛んできた核ミサイルを一瞬にして、しかも、実際には飛ぶ前からの段階で溶かしてしまう能力がある。 これは核に限らず戦闘機だろうが戦車だろうがそうです。それにはとてつもない電力が必要ですが、 世界でももっとも研究が進んでいるのは日本です。レーザー兵器が実用化すれば世界のミサイルは意味をなくします。 その日が早く来ることを祈っています。 (投票)

2022-07-12

とてもいい生活詩だと思います。 軽妙な表現のうらに切実さが滲んでいます。 うんどうだあ? おれって凄いだろ、知的だろと迂遠におのれの知性を ふりまわすような詩はいやなんです。 ほっとします。 (心の隙)

2022-07-12

      乳(ちち)論 「母には二たびあひたれども父には一度もあはず」             (『後奈良院御撰何曾(ごならいんぎょせんなぞ)』) 奈良時代のなぞなぞですが 答えは「くちびる」となっています。なぜ唇なのか。 説明はない。 とはいえ一応、これを正解にしておこうというようなものは出ています。 昔は母(はは)を母(ふぁふぁ)と発音しており、上唇と下唇は二度触れ合います。 一方、父(ちち)の発声は唇が開いたままです。 だからなぞなぞの答えは「くちびる」であるとされている。 しかし新村出『波行軽唇音沿革考』によれば母はもともと(ぱぱ)と発音されていたらしい。 それが(ふぁふぁ)になり、最後に(はは)に落ち着いたという。 奈良時代にどんな発音がされていたのか、ほんとうはわからないような気がする。 もっと不思議なのが母の象徴とでもいうべき乳の発声が(ちち=父)であることです。 これについては吉本隆明の『母型論』だったかに目のうろこが落ちるような解説があった。 「乳(ちち)」とはもともと男性器から恍惚時に放出される白濁の液体のことであるというのである。 未開人の心のなかでは男性器から放出される白濁の液と乳首から放出される白濁の液が同じものとして認識されていたのではないか。 つまり乳首と男性器は器官としては同じものとして意識されていた。だから乳首から出る白濁液を(ちち=父)といった。 その無意識の名残が現代にも残っている。 なかなかおもしろい洞察であるとおもった。 女性がなぜ男性器を吸引するか。深層心理としては、それは授乳行為の代弁なのである、という。 ここから吉本独特の壮大な世界が展開する。サスペンスドラマより面白い知的興奮を請け合いますが、さて ホモセクシャルの原因もじつはこの心理意識の倒錯から起きているのではないか。とはいえその原因を探るには一歳以前から胎児までの、言語以前の「内コミニケーション」の世界に踏み込まなければならない。至難の技である。 はなしはとびにとびますが、 上記のなぞなぞを考えた場合、わたしたちはまず幼児期に母の乳に触れ、結婚してからは妻の乳にふれる。 そういうこともなぞなぞの、くちびるが二度会うといいう解答の説明になるような気がしている。 (B-REVIEW 7月のお題詩「ミルキーウェイ」)

2022-07-12

真清水るるさま ほんとにすみません。 小説や詩と違って、動画ってちょっとした修正にもめちゃくちゃ時間かかるんですよ。 それにかかわるすべてをやり直さなければならないところもあります。 でも、関心をもってくださって感謝です。 かならず全編をやりとげて公開したいと願っていますが、とうぶん映像のほうは 休みたい心境です。すみません。 (ほぼ3D無声アニメ 『しずくの冒険』 えぴそーど1)

2022-07-12

いすきさま、返信が遅れまして申し訳ありません。 この動画をやりはじめてから知らないうちに根をつめていたいのと 座りっぱなしがつづいたことで笑 ほんとうに体調も神経も疲弊の極限になっちゃいまして、 ちょっと戻るまでじぶんのものでありながらしばらく見たくもなくて...... ひとりであってもいつきさんのような方が見てくださるようですから励みになります。 わたしはやりだすと全身全霊を傾けるという悪弊があり、それで身体を壊し、逆に仕事を停滞させる。 おそらく年末になると思いますが、ゆっくりとマイペースでやり、修正編と続編を一挙に公開したいと願っています。 稚拙な作品に目をとめて下さりありがとうございました。 (ほぼ3D無声アニメ 『しずくの冒険』 えぴそーど1)

2022-07-12

短くて嫌味のない、いい詩だと思います。 タナバタ(七夕)じゃなくタナボタ(棚からぼたもち)のほうが いいなと考えていたところ この詩にあんころ餅とあったので ちょっとおかしかった。 たしかにすべてはシークレットなんだけど幸福という幻想について 考えることをやめれば気楽になれるような気はします。 (シークレット)

2022-07-12

訂正 上から9行目 もうあまり余命のない亀井が老妻を床にひざまずかせ、 頭を垂れた老いて痩せた老妻の頭をこぶして叩いてという。 ↓ もうあまり余命のない亀井が、老妻を床にひざまずかせ、 頭を垂れた老いて痩せた老妻の頭をこぶして叩いていたという。 失礼致しました。 (中宮寺 弥勒菩薩あるいは如意輪観音 様)

2022-07-11

亀井勝一郎が神社仏閣巡りをしていましたね。 本人はそれをなぜか仏教思想と関係があるように思い込み、また、語ってもいた。 そんなものは遊園地や温泉、ゲームセンターへ行くのと何のかわりもないものなのに、どうして なにか知的なもののように錯覚してしまうのか、 神社仏閣や仏像を見に行くことが仏教思想と関わるとどうして考えるのか、不思議な人だと思っていた。 実際、この方は宗教思想とはまったく真逆の非常に俗世的で、ある意味矮小で、わたしからみれば卑屈で 卑劣な人間として晩年を閉じた。 わたしは文学的人間だからそういう人間が嫌いじゃないし、そういう己の卑しい人間性と格闘してあがいている人は 大好きだが、亀井は残念なことに欺瞞の人だった。仏像ごときを眺めているからといって仏教思想などとは まったく関係がないことを悟っていれば晩年のあんな文学的で人間臭い終わり方はしなかっただろうと思う。 小説家の渡辺淳一は元医者で晩年癌にかかった亀井勝一郎を医局で担当していたころのことを書いている。 あるとき妙な気配を感じて亀井の病室の扉を少し開くと、もうあまり余命のない亀井が老妻を床にひざまずかせ、 頭を垂れた老いて痩せた老妻の頭をこぶして叩いてという。 老妻は抵抗もせず、ただ黙ってうなだれて亀井の殴るにまかせていた。 先に逝くことがどうしても納得出来ないのか、あるいは無念なのか、それは知らない。 しかしさんざん苦労をかけて、背も丸く小さくなってしまった老妻を地べたに座らせてその頭をしつこく叩き続けるなど あってはいけないことだ。 渡辺はみてはいけない夫婦の秘密の営みをみたかのようにあわてて扉をしめてそこから去ったという。 渡辺の記載によれば亀井が死ぬまでこういうことが陰陰滅滅と続けられた。 ある意味、非常に人間的で嫌いじゃない。しかし、わたしなら絶対にあとに残してゆく老いた妻を毎日のように いじめ倒すなどということはしない。 だいたい何が仏像だ、仏教思想だ。ばかばかしい。人生相談を書いたり、仏教思想に精通したような書物を書くのはいい。 しかし本人は死についてつきつめて考えたこともなかったのか。散々遊び歩いて仏像をみているあいだ妻はどれほど 孤独に耐えて働いていたかこの出来事だけで十分わかる。 わたしだって死は怖いし、動転する。しかしもし仮にも宗教文学者みたいなことをいってるのならちたあ精神を洗って おけよといいたい。所詮、仏像がどうのこうのなんていう御仁はこの程度なのかという印象をもった。 ま、あの親鸞ですら臨終の間際には暴れたという記録もあるそうな。東本願寺の僧侶養成学院 大谷専修学院の 竹中智秀先生からそんなことを聞いた。だからべつに死の間際に取り乱してもいいだろう。 しかし老妻をひざまずかせて毎日のようにいじめるなど、仏教思想がまったく身についてなかったのじゃなかろうか。 わたしはそれ以来、仏像なんかを観ることになにか宗教的な意味合いをつけようとする人に用心するようになった。 仏像見物をなにか知的なもののように思いこんでいる人は、もう少し自分に気をつけたほうがいい。そう思っています。 (中宮寺 弥勒菩薩あるいは如意輪観音 様)

2022-07-11

美品などの費用に150万ほどかかりました。 高性能PC、二台の並列42インチディスプレー、3dcgソフト色々。 それから3Dフィギアやモデルなど。それより大変なのは一人でこの作業を やることの気の遠くなるような精密動作。根をつめすぎてすこし身体も精神もおかしくなるほど。 やはり映像というのはお金がかかるだけでなく作業も膨大なものが必要だと勉強になりました。 このサイトの可能性を少しでも広げたかったのですがあまり皆様関心もないし評価もされていないので 悪魔的な疲労をもう一度ということにはどうも耐えられないし、 カネ食い仕事である続編はやめます。笑 みなさまが関心をもてるような また別の試みに挑戦してみたいものです。それにしてもみなさん、ほんとうに冒険に関心がないのですね。笑 人生は冒険ですよ。それがない生活なんて考えただけでも.......死んでいるのと同じだ。 (ほぼ3D無声アニメ 『しずくの冒険』 えぴそーど1)

2022-07-10

活動自粛をするつもりでしたが、よく考えてみると 議論するなとコメントできるなら、その前に作品を読んでくださった皆様に ひとことコメントできるはずだと思いましてね。 それをしないでいきなり議論をするなというのならそれはただのわがままですよ。 もちろん、作者が議論するなというのなら、勿論それに従いますが、でもこんなわがままのために 自粛までする必要はないと思い直していたところでした。 それにしてもここはコメント者にいきなり命令する方が多い。さんざん勝手な命令をされたし、 あるいは「なんでもこんなもの書くのか」と 「書くな」とすら何度も要求された。子どもじゃあるまいし、身勝手で幼稚な方々が多すぎる。 あるいはほんとうに子どもたちが投稿しているのかもしれないから、わたしごときが 顔をだすのは場違いかもしれない。ひと月ばかり考えてみます。 (ザザザ)

2022-07-10

自粛期間ですが、いちおう今月いっぱい投稿もコメントもやりません。 ただ、わたしはこの詩がいいと思ってコメントしているのですから その行為を否定されたようなコメントには言い返す権利があると思うのですがね。 ここは反論や批評の自由すらないのでしょうかね。そんなことをちらっと思いました。 まあ、ご自分の作品を周囲で議論されるのが苦痛に感じられるのでしょう。 いずれにせよ、今後はいっさい尾崎チョコレートさまの投稿にはコメントを控えます。 どうかご容赦ください。これで不満なら運営のほうへどうぞ。 (ザザザ)

2022-07-10

尾崎チョコレートさま、まことに申し訳ありません。 今後、このサイトへの投稿書き込み一切を自粛致します。 (ザザザ)

2022-07-09

作者は宗教などという言葉を持ち出しているようですが 信仰とか仏像とか仏教とかちゃんと思想や哲学として自覚されているのでしょうか? 弥勒菩薩や如意輪観世音菩薩などというものは当時としては権力者の富と権威の象徴であり 迷信と呪術の具現化したものであったわけです。 もちろんそんなものは大衆庶民に拝めるはずもなく、宗教思想としては蒙昧の極地にあった。 ただしそのようなものでも時がたてば美術的価値をもつにいたる。権力者に命令されて仏像を彫った 仏師に信仰があったかというとそれは眉唾であってむしろ美的な感性を追求したのだろうとおもわれる。 要するに仏像なるものに親和性を抱くのはそれがもつ権力と絶対性への無意識なるあこがれであり、 大衆がそのような荘厳さにある種の畏れを抱くのも権力者が仏像に意図したものであった。 要するに仏像と仏教思想には直接的な関連性など皆無である。だからこそ大乗仏教の最後の体現者であった 親鸞は仏像や寺院を否定して念仏を声明することだけに仏教思想の極限を見出した。 とまあ、こんなことはどうでもいいのですが、 この詩の書き手は冒頭、手を切り落とすと語っている。 要するにこんな精神状態は「きちがい」なわけでしょ。尋常な話ではない。ところが語りては突然、 なぜか宗教に縋ってみたくなると方向転換する。それも突然明るく。 要するに「手を切り落とす」という前段は、ある種の知的な雰囲気つくりのための道具立てであったということが なにか白々しく明らかになる。 冒頭に書いたように如意輪観世音菩薩も弥勒菩薩も          とりあえずは先祖みんなを内包したようなあなたの姿 なんかじゃないのです。冗談じゃないですよ。権力者の意図を体現してつくられた呪術的仏像に わたしたちの先祖が内包されてたまるものですか。笑 仏教思想的にいえばまったくそんなことはありえない。仏教が比叡の山頂から大衆のもとへ降りてきたのは 法然以後です。その弟子で本願思想を敷衍した親鸞をもってはじめてわたしたちの先祖が内包される仏教が生まれた。 まことに申し訳ないですが、かずやさまに特徴的な衒学趣味と知的趣味が冒頭の道具立てとともに 混ぜてつくりだされた、なんとも妙なる自分語りであると受け取りました。 (中宮寺 弥勒菩薩あるいは如意輪観音 様)

2022-07-09

かずやさま、長文のご返信おそれ入ります。 ただ、ですね、 わたしがジャーナリストだったらたとえどんなに無知や好奇心だけで学生たちがパレスチナ問題を語っていようと 「なんであれ関心をもつことは素晴らしいことだし大事なこと。それだけで現地の人たちの救いになる。 これからもがんばってください」とそう励ましますがね。あなたの出会ったジャーナリストは紛争地域にそそがれる一つの関心の目を 傲慢にも摘んでしまった。これではジャーナリスト失格ですよ。 恥ずかしくないのかな、ほんとうに腹が立つ。 まあそんなことはいいとしても、  以上を踏まえて誰かの悲しみを思いやった時、それを自分が語ること表現することをどうしても良いことだと思えないのです。 これ、どこからどのように論理的に導き出されてきた結論なのでしょうか。 「以上をふまえて」という文言が入っていますが 冒頭で告白されたように自分の愚劣さを自覚なさって自分が間違っていたと思うのなら「以上を踏まえて」ではなく前言訂正すべきだし、 間違っていないのなら反論すべきですが自覚されていますでしょうか。 いや、それはとりあえず脇に置いておくとしても、この文言自体を単独に検証しても支離滅裂ではないでしょうか?  誰かの悲しみを思いやった時、それを自分が語ること表現することをどうしても良いことだと思えないのです。 もしこんな倫理が正しいことのようにまかり通ったら世界中の悲劇はだれの目にも耳にもいっさい入らなくなるじゃないですか。 それでいいのですか。 パレスチナの人たちの苦しみなんかわたしたちが身体的に理解なんかできるはずがない。頭でっかちに議論しているだけなんて それは彼らに対する冒涜だ。だから議論するのはやめよう。そんなばかな話がありますか。 学生たちの頭でっかちな空論でも言葉としてはパレスチナを示している。それが大事なことではないでしょうか? だれかの悲しみを思いやったときはむしろ黙っているべきだという意見はかずやさまに見えている世界が残念ながら単層で、かつ膠着しているからです。  安倍暗殺は文学や恋愛の世界の問題じゃないでしょ? 政治、経済、社会にまたがる問題なんですよ? 文学、恋愛、政治というそれぞれの異なった構造をなにからなにまでごっちゃにしてませんか? 安倍晋三氏の奥様や家族の話なら、かずやさまの言い方もなりたちますが、ここ、そういう話しているわけではないし そういう詩でもないでしょ? いったいどのような経緯から上記のような文言がまるであらかじめ用意されたようにかずやさまから出てきたのか、 だいだいわかりますがそれはあえて解説しません。 もう少しごじぶんを対象化して冷静に観察することができるようであればいいのですが。人様のところへコメントに来ていきなり どうしてこんなことを書くのか理解できないなどという文言を吐くなど、これほど失礼な話はない。 おそらく私的な交わりにおける問題と政治的な問題をごっちゃに論じてしまっているのでしょうけど 問題はかずやさまがそれを言いたかったからコメントしたことにある。 おれはこんなに知的で人間的なんだということを知らしめたかったのが本心では? もう少し身の回りのチリを落として軽くなられてはどうかと再度、お願い申し上げます。 (ザザザ)

2022-07-09

失礼ながら 誤解をさけるために、かずやさまのいう「パレスチナ云々」がどれほど場違いな話であるか 説明させていただきます。申し訳ありません、行きがかり上仕方ないので説明を。 えーと、まず、かずやさまのいう操觚者? ジャーナリストですか、この者のいうことは わたしにいわせれば世間知らずなおぼっちゃまのたわごとです。 自称ジャーナリストだろうが、あるいは新聞社に在籍していようが こんなやつはジャーナリストでもなんでもない。ジャーナリストだったら下々の大衆の気持ちを 少しでも理解しろよといいたい。おそらく知識だけで生きてきた御仁なのでしょう。 まずパレスチナの底辺に生活する人々にとって何が一番怖ろしいことか。孤独や不安に襲われることであるかというと じぶんたちの存在、生活、環境を世界から閉ざされること、だれにも語られないことです。 極東の片隅の一人の学生がパレスチナの問題を語ることはそれがかれらをちゃんと理解できてない上で 弄んでいるとそのジャーナリストが非難しようと玩具だろうとなんだろうと大歓迎です。 一番怖いことはかれらの存在をだれも知らなくなることでしょう。ならばどんな議論であれなんであれ パレスチナの知識人ではなく生活者はこの現状を少しでも多くのひとに語ってもらいたい=知っていてほしいに決まっている。 それをかずやさまのいう操觚者?は「君たちのおもちゃになる彼らの気持ちも考えてやってくれよ」といった。 これは自分のことをいっているのです。 じぶんがパレスチナの生活者をおもちゃ扱いしていることを心のどこかで感じているから不意に出た。 そうでないとありえない対応です。そして一番の問題は、こんな愚かな自称ジャーナリストの世間知らずな発言を かずやさまは深刻に受け取ってしまった。それは何故かというと自分がほんとうは心から熱心にかれらの受難を 心配していないことを見透かされたと、とまどったからです。ほんとうにかずやさまがパレスチナ問題に問題意識をもって かかわっていたら「何いってやがる」と微塵も動かされなかったはずです。 失礼ですが、わたしにいわせるとそのジャーナリストもダメだし、かずやさまも本気じゃなかったからこんな茶番の会話が 生まれてしまったのではないかと愚考します。 この問題を敷衍してかずやさまはこの投稿に疑問を投げかけていますが、まったく何の関係もないのじゃないかなあ、 わたしはそう思いますし、それより心配なのは過去のそういう(わたしにいわせれば愚劣な茶番を)まだひきずっておられるというのが 少々驚きでした。そろそろ、身を軽くしてじぶんのホコリを払って出直されてはいかがかと失礼ながら 提言させていただきます。辛口のコメントほんとうにごめんなさい、でも、今回の卑劣極まる犯罪について語ることが理解できない とおっしゃったのはかずやさまですので、仕方なく辛口の対応をさせていただきました。ご容赦。 (ザザザ)

2022-07-09

失礼ながら 何故、これを今書かねばならないのかという疑問は あなたが前もって、抱いている固定観念から来るものであって その固定観念がこの詩を読んで、作者に対して排他的に浮かびあがったものです。 わたしなら何故書かねばならないのかという問題意識があれば作品からそれを探ります。 ところがあなたは最初からあらかじめもっている固定観念を 唯一的に押し付けただけで作品を理解しようとはしていない。 理解できないのならそれは正しい感想であり、コメントであるのでわたしは首をかしげないのですが あなたは理解できないのじゃなく最初からちゃんとあらかじめ答えを用意している。 曰く、パレスチナうんぬん。 このような思い込みを押し付けるために理解不能という便宜的な発言をしていることに非常に違和感をもちました。 ちゃんと正面から、最初からパレスチナうんぬんという理屈を展開してはどうでしょうか。 もっともそんなことは、それこそこの詩とはほとんど関係ないことであるとしても。 (ザザザ)

2022-07-09

ほとんどなっとくできるのですが ラストの  透明な図書館の  透明な本で読んだ話 という設定はちょっときれいすぎる。 その前までに書かれた意識のありようとはまさしく 戦後レジュームにどっっぷり漬かって世界が見えなくなった 今の日本社会と日本人のことです。 御本人は無意識に書かれているのかあるいは意識的なのかはともかく そのような外部が閉ざされて何もみえなくなった日本人の腐った内部意識を 透明な図書館、透明な本といわれると少しばかり違和感を持ちました。 もっと腐敗して薄汚いのじゃないか。 もちろん、個人的な感想にすぎませんが。 (不可詩)

2022-07-09

お読み下さりありがとうございます。 そう、そう。暗殺ですね。 それによって得する人間が背後にいるから暗殺です。 しかし暗殺された方がどんな人間であれ誰であれ、 殺されたのが安倍だからといってこういうおぞましい力の行使を 称賛する連中がいある。れいわ新選組の連中とか自称サヨクリベラルとか、 こいつらは戦争中の大政翼賛会と同じ精神構造であることがじぶんでわかっていない。 なにかリベラルのつもりでいる。それがそら怖ろしい。 (にっぽんのバカ)

2022-07-09

作者より まことに恐縮ですが一部画像が枠からはみ出た部分があり修正のため 一旦、収容して修します。あしからず。 (ほぼ3D無声アニメ 『しずくの冒険』 えぴそーど1)

2022-07-09

こんばんわ。 知人でもなんでもないですから手をあわせる気にはなれませんが、 ただ、胸を押しつぶすようないや~な気分が黒ぐろと滞留してしまいました。 日本も日本人もとどまることなく劣化し落下していると思っていた矢先ここまでひどい社会に なってしまっているのかと唖然としました。 米国をいま支配している、ウクライナを使ってロシアに戦争を仕掛けている狂気の連中の片割れが 日本にも大使として来ている。かれらにとってもっとも邪魔な存在である安倍晋三。いずれこうなると 予想していました。 高利貸しのような因業な顔つきをした岸田とかいう気持ちの悪い男の顔、あれが今の日本人の顔といって 過言ではない。この国はあんな卑しい顔つきの人間ばかりになってしまったのかというのが ちょっととっぴょうしもない飛躍した感想です。 (ザザザ)

2022-07-09

武下さま、ご苦労さまでした。 武下さまのご尽力には感謝と、敬意を覚えますが。 あなたへの敵意も悪意もこれっぽちもないのですが、この感想は やっぱり主観的、主情的な感想の域から一歩もでないものでした。 詩の構造的な、あるいは分析的な批評にはなってないのですがでも感謝と敬意を覚えています。 そもそも詩の批評など、どうすればいいのかすらわからない人ばかりだし、 ちゃんとした批評が成り立たない世の中なんですから、これで十分といわざるをえません。 べつにわたしが凄い詩をかけるわけではなく、岡目八目で読めた気になっているだけかもしれないですし、 偉そうなことをいう資格はない。 でも、やっぱり詩の批評になってないなあ。失礼ですが、あまりにも心情的すぎる。 かといってわけのわからない難解なことばをふりまわす連中よりよほど誠意と熱意が感じられて好感がもてました。 ありがとうございました。 (多くを語らずに居たい作品の一つですが)

2022-07-08

追記 蛇足ですが、 思想や哲学が詩表現を裏打ちしていると書いたことの意味をちょっと説明しておきます。 同じ作者さんの投稿作品に『ブランキーブランキーブランキー 』というのがあります。 冒頭こういう表現が出てくる。     今にも雨が降りだしそうな声色だったから傘の代わりに嘘をさしてみたんだ。 これは一見、わたしのいうことばの転換(傘→嘘)がなされているように見えるけど全然だめなんです。 こういうのを何か粋な、クールな表現のように思う人は根本的に詩的な感性に欠けているとしかいいようがない。 どうしてかというとことばの転換に「思想的な裏打ち」がないからです。 作者が「傘」という表現を十分に思想的にこなして理解しておれば「傘」は具体的な傘ではなく あるひとつの思想表現であるはずです。だとすればそれが転換されたとき「嘘」という観念的なことばが出てくるのはおかしい。 転換されるとすれば「切符」であったり「部屋の鍵」であったり「目薬」であったりと思想化された具体的な個物であるはずです。 もちろんそれらは思想的な表現であるのですが。 ところが作者は「傘」についてこれといった思想性をもたせていないから、たんに意外性だけを狙って「嘘」という転換を 持ち出した。ほんとうは、こういうのは詩がわかっていない詩のシロウトのやることです。 作者は本来、詩心のある方だと思うのですが、ひとつ間違うとこんなものを書いてしまう。 そして、詩についてあまり感受性のない方に限ってこんなものを褒めちぎることになる。 しかし今回のは様相を一変して詩になっていた。それはおそらく作者が前とは違ってじゅうぶんに ものを考える時間があったからでしょうか、あるいはまぐれかもしれないし。笑 とりあえずわたしのいう思想が表現を裏打ちしているということの意味はこういう見方からくるもので あることを誤解をさけるために追記させていただきました。 (多くを語らずに居たい作品の一つですが)

2022-07-08

こんにちわ。 べつに非難をするつもりは毛頭ありませんが できることならせっかく批評欄として設けられているのだから感想ではなく 武下さまの具体的な批評をお聞かせ願いたかった。 わたしが「ことばから詩がとけだしている」と書いたとき、このコメントは この詩のすべてを言い表していたと自負しているんです。 みなさん、感想コメントで哲学的であるとか思想的であるとか内容を指摘されて おられますが、そういう「内容」なんてのは詩表現にとって二次的三次的なものだと 考えられます。 一番大事なのは「表現法」です。思想や哲学や標語ではない。 「表現」を裏打ちするものとして二次的に思想や哲学が必須となってくる。 つまり結局「表現」と「思想」は一体のものなんですけど、内容なんかを全面に出すものじゃない。 それなら批評や標語でも書いておればいい。ま、最近のはそんなのばかりですが。 それはあくまで裏打ちなんです。大事なのは表現の技法です。 この詩をわたしがコメントで「かなりいい」と評価したのは最近の投稿作品群のなかではめずらしく (ほんとうは珍しかったらだめでそれは詩にとって必須であるのですが) ちゃんとことばに〈転換〉が出来ていた。要するにことばに飛躍があった。つまり自由なことばの選択と配置があったからです。 その転換や飛躍や配置の妙を裏で支えているのが思想や哲学であって、それは数学でいえば接線のようなもので 本来、それは詩の表現目的ではない。 そういうことがまずまったく理解されていないのが最近の詩の傾向性のような気がします。 なにか健康的で折り目正しく正義感にあふれた救いようのないわからず屋が量産されている。 これはこのまま続くのかどうかしりませんが、とうぶんはこの状況のままでしょうという意見もある。 どうであれわたしたちは与えられた現実のなかで生きて行くしかない。 そういう中でめずらしく詩らしい構造をもったものに出会ったからわたしはいっとき「涼しかった」と 書いたのですが、批評、ぜひ具体的な分析をお願いしたいものです。強制はしませんが。 (多くを語らずに居たい作品の一つですが)

2022-07-08

う~ん、子どもの頃から今も宝石や金銀というものに対して まったく興味も関心もなかっただけに、この詩を読んでから 逆に考え込んでしまった。人はなぜ宝石などに価値を幻想するのか? エメラルドもアメ玉もわたしには大して違いがないように思えるのだが。 不思議だ。人間というのはまったく不思議だ。それともわたしは人間じゃなく エメラルドよりアメ玉に関心をもつ犬猫の類なのだろうか。 そんなことを考えた。 (宝石奇譚)

2022-07-07

それから余計なことかもしれませんが、 わたしは昔も今もとくに詩人仲間の優秀な連中からは 男女問わずかなり好かれています。 わたしの何をもって実在のわたしを知ったのか不思議ですが 作品はあくまでも創作ですから それをもって実在の知らないわたしにドン引きされる方々が いることに首をかしげます。笑 まあ、ネット詩人の方々とは まったく現実での付き合いないですけどね。ネット上でも通交してません。 妄想だけがなにか流通しているようですが、そういうのは非常に不愉快ですね。 (暗渠)

2022-07-07

かなりいい。 ことばから詩がとけだしている。 以上、それにしても暑い。でも、 これを読んでいるあいだ少しだけ涼しかった。 (旅する為の雑記帳)

2022-07-06

>女性は許してくれると思いますよ。 そのことばを聞いてほっとしました。 ありがとうございます。 (暗渠)

2022-07-06

読ませていただきました。 これを読んで......むかしの痛い記憶がよみがえってきました。 共感してつよくうなずいたのは三連ですが、四連はむかし横浜にあった なんという皮肉か、これが、黄金(こがね)町という売春街があった。 そこのなんとも粗末な崩れかけの二階屋の二畳間で売春婦と1万円にも満たないカネで かかわった。売春婦などという職業を頭からバカにしていたじぶんを思い出し 歯ぎしりしたいような、ほっぺたを自分で叩きたいような恥ずかしさと 後悔の念が四連を読んでいるとよみがえった。 ことが終わってわたしが横浜スタジアムの同志社大学対関東強豪チームの 試合を観ることを告げるとその売春婦はラグビーの内実をよく知っていた。 ラグビーは紳士のスポーツで下々の者などが興味あるとは思っていなかったから びっくりした。よく顔を見るとかなり美人で知的であった。 そういえば所作の何もかもが売春婦のイメージからかけな離れていた。こんな女性が 春を売るなんてありえないとおもったが、やさしいことばひとつかけてやれないで 心の交流を断つようにそこをあとにした。 そのことがいまだに心に傷となって残っている。もっとやさしくしてあげればよかったと。 つまらん感想を書いてしまって申し訳ありません。 (暗渠)

2022-07-06

できあいのやさしさや標語のようなやさしさや 世間体のやさしさや無自覚な演技のやさしさなど、 そういう糞溜めのようなウソが 充満するいまの日本社会のニンゲンのありよう。 そういうものがまざまざと浮かんできました。 だれもほんとうのやさしさを知らない。触れたことがない。 哀しい時代にこういう詩が書かれる。 そんなことを感じました。 (ダレハピネス)

2022-07-05

   あの鉄塔の先からが空だ! 空ってどこからが空なのかってことを考えていたのですが やっぱり人それぞれ「ここから先が空だ」てのがあって然るべきだと気がついた。 空だからどこからどこまでも空だというのはやっぱり間違っている。 ビーレビで賞をとった作品をことごとくみていたのですがどれも「詩」にはなっていない。 いわば台本のセリフのト書きのようなものばかりだった。「あたし苦しいの」というセリフがあって それの説明のためのト書きがある。そのト書きがなにか詩や現代詩のように錯覚している時代になった。 そうじゃないとおもう。まず詩にとって意味や哲学思想なんかどうでもいい。いや、どうでもよくないだろ! という声が聞こえる。 どうでもよくなくて、もしそれを全面にもってくるならそれからますます離れないと詩にならない。 そういうことがわかっていない人ばかりが最近のネット詩の賞の選考をしているような気がしました。 いや、もちろん、わたしなど足元にも及ばないすばらしい詩ばかりが賞をとっているのは 間違いないのですが、やっぱり「あの鉄塔の尖端から先」じゃない。セリフのト書きばかり。 そういう詩が増えた、ほとんどがそういう詩でつまらない世の中になった、 失礼ですがこのよく出来た詩を読んでそんなことを考えました。 この詩自体には何の文句もないのですが、ほんとうにごめんなさい。連想しちゃいまして。 (「穴居」 現代詩フォーラム07/12/2初出)

2022-07-04

コミックポエムという領域がもしあったなら その読者にとってこの詩はかなり出来がいいということになるかもしれない。 わたしがいう「コミックポエム」とはアニメ『となりのトトロ』とかああいう世界を ことばによって表現したような詩のことです。 いちいち指摘はしませんがいわゆる「詩」としては表現に繊細さがやや欠けている ような気がしました。しかしコミックポエムの世界ならそれも問題なく読者には 受け入れてもらえるような気がします。 わたしもコミックポエムのようなものを現在描いていますが、それはことばではなく マンガやアニメとしてです。わたしならこういう世界はことばではなく直接マンガや アニメとして描きます。べつにことばで描いても問題ないでしょうけど、でもそれは.... いわゆる「詩」としては.......未熟なような気がしました。 でも冒頭の一連など、ちょっと手直しすればとても素敵な表現だなと思いました。 (港町)

2022-07-03

読ませていただきました。 多分、というか間違いなくこの詩をほとんど理解できていないと思います。 理解できていないというのは意味を、ではなく本来詩にとって意味思想よりも大事な音韻とか 転換の面白さとか表現のあやとかそういうものを含めて感受できる能力がわたしには ありませんでした。 時代の流れ、変化というのは怖いものだなと このわたしの意識のありようの変化を感じて少し愕然としました。 ひとむかし前までならこの詩は現代詩風の深みと重みと表現の妙などを 称賛されるタイプのものだったような気がします。今でもそうかもしれません。 でもわたしにはなにか時代がこのような深み、重み、表現の豊かさという価値観を どこかへふっ飛ばしてしまったような気になってしょうがないです。 重厚で偉大な戦艦大和が滅びたように、大きなデパートが滅びてコンビニが繁殖したように 巨艦的なものがどんどんなにか虚しいもののように思えてしょうがない。 たぶんこれはわたしの意識が通俗化していることの左証でしょうけど.......いつまでも ちょんまげ袴姿で歩く人がいてもわたしは尊敬しますけど...... わたしのような俗物には真似ができない。へんな感想ですけどそんなものを感じました。 頭が悪いので謎解きのような深い詩にはついていけない愚かな己を感じた次第です。 (【譚】骨と皮)

2022-07-01

面白かた。 最初は世界と手をつなごうなんて怪しげな国連の憲章かなんかかと思たけど まあ、なんとか収拾できてよかた。 (えんたーていんめんと)

2022-06-30

ながながと失礼しました。 最近、なにかと愛だの正義だの善だのという言葉を振り回す方々が多い。 それはそれで結構だけど、そういうことを書いていったい何を得たいのだろうと 不思議でならない。キリストはこういってるらしい。 マタイによる福音書 6:16-18 新共同訳 「 あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。 それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである」 わたしはキリストなどまったく信じていないがこのことばは正鵠を射ている。 聖人のふりをしたければ聖人のような顔つきをして 聖人のようなことばを振り回してはならないという倫理的なことばなんです。 昨今の一部、詩を書く方々にぜひ一考していただきたいと願います。 (やってはいけないこと)

2022-06-30

追記 やぱり「支離滅裂」などというかなりきつい批評をしたのだからその理由を書いておくべきでしょうね。 この投稿作品が「世間話」や「井戸端会議」のものなら、べつにこれはこれでいいでしょう。 でもいちおう詩作品として投稿されるからにはもう少し厳密な考察をしてほしかった。 冒頭、 "人の悪意を"と筆者が書いたとき、その人は相手の心をなぜか透視者のように完全に理解できていることになる。 どうやって筆者は相手の悪意、善意を正確に腑分けできるのだろうか? ということがまず問題になる。 筆者は対面する他者の「悪意」「善意」を正確に読み取れている。 ほんとうは人の心など他人に正確に理解できることなどありえない。にもかかわらずわたしたちが だれかの言葉に悪意や善意を感じるのは、 相手のリアルな心を読み取っているからではない。 語る方の心ではなく、受け手の心がそこに反映しているからこそだれかのことばはじぶんにとって「悪意」になり「善意」になる。 つまり相手のことばを「善意」と解釈するのも「悪意」と捉えるのも相手ではなく受け手のほうだ。 もしそうならばじぶんが勝手に解釈した「善意」を「悪意」と捉えるなどということはありえない。 じぶんが勝手に解釈した「悪意」を「善意」と勘違いすることもできない。 そもそも「善意」「悪意」なるものはほんとうにあるのか? という疑問が生じる。 ある人が「悪意」で何かを言うなどいうことがあるだろうか?  ある人がだれかに不快感や差別意識や嫌悪感、その他もろもろの感情をもって何かものをいうとき 相手は不快感やとまどいや疑問や、さまざまな感想を抱く。 そのような複雑で繊細な人間の心的現象を一括して「悪意」「善意」と規定するのは非常に危険だし大雑把すぎる。 それだけではない。ある人間がさまざまな感情をもって語ることばを一方的に「悪意」「善意」と規定して語ることも間違いを おかしやすい。 黒髪さんはここでどうやって人間はじぶんがある感情をもってだれかに語るとき「悪意」「善意」と腑分けできるのか説明してほしいし、 そのことばの受け手もどうやって「悪意」「善意」と腑分けできるのか説明してもらいたいところだが 結論をいうとそんなことは出来るはずもない。 なぜならそもそも「善意」「悪意」などというものは便宜の異名であって実在しないからだ。 しかし机上に言葉が生まれれば、まるで実在するかのように机上でいくらでも実在しない言葉を操作できる。 言葉を扱うときには、そのことの危険性と不毛性にもっと気づいていただきたいとおもう。 (やってはいけないこと)

2022-06-30

言葉というものは便利なものだけどあくまでも便宜の異名であって それが実在のように錯覚してしまうとこういうことになるのかなと ふと考えました。まことに申し訳ないですが、論理的にも、またリアルにも ここに書かれていることは支離滅裂です。 どこが支離滅裂であるかを、はて、説明すべきか、説明しても受けてとめて もらえるか躊躇しています。黒髪さんは多くの人のあいだを抜けて来た 経験があまりおありじゃないのかと思われます。 (やってはいけないこと)

2022-06-30

糖花兆子さま 愚作をていねいに読んでくださりありがとうございます。 (わたしが天才少年だったころ)

2022-06-27

トビラさま お読みくださり講評もいただきありがとうございます。 (わたしが天才少年だったころ)

2022-06-27

天地 結さま 拙作をお読みいただきありがとうございます。 (わたしが天才少年だったころ)

2022-06-27

柳煙(リュウエン)さん お読み下さりありあとうございます。 こちらこそ投稿作をいつも楽しみにしております。 (わたしが天才少年だったころ)

2022-06-27

読ませていただきました。 わたしにはこういう突然の感情の起伏というのは詩人の心がないせいか ほとんどありません。でも、こういうのってほんとうにあるんでしょうかね。 子どもというのは残忍なものでセミの羽を全部抜いたり、 わたしなんかはバッタをつかまえて糸でゆわいて小枝に吊るし、それを水たまりや川に 垂らしてカエルを釣る。釣ったらすぐにみんなでわいわい興奮してカエルの腹を 鉛筆削りで縦に裂いて、腹から生きたバッタを救いだし、またカエルの腹を糸で縫って 川や池にかえしてやる。そのときはまだピンピンしてカエルはかえっていく。 そういう、今からおもうと残忍な解剖と手術ごっこを平気で笑いながらやっていた。 そういう子どもの心性と大人の心性がまだ未分化な詩人には、あるいはこういうものがあるのかも しれないと読んでいてふと感じました。 (曇り空の夜明け)

2022-06-27

読ませていただきました。 人間てわからないものですね。 むかしアイドル・タレントとして人気があった宮崎美子が 熱烈恋愛の末に結婚したのですが、すぐに離婚した。離婚の理由に曰く、 「あることを目にしてから箸の上げ下げまでみるのが嫌になって」 それから彼女は独身をまもっていまやおばんですが......そこまで言っておきながら もと旦那とは最近、いっしょに旅行に出かけるとか。 お互いに枯れてしまうと、そういうことは二の次になってしまうのでしょうかね。 四行の形式が保たれるかと注意して見ていましたら、最後のほうになると行数がバラバラになった。 これは筆者の気持ちがこのあたりから揺れてきたことを示しているのではないかと 個人的に受け取りました。 (もどかしい)

2022-06-27

読ませていただきました。 これ、いいですね。 心底、こころを解き放してうなずけます。 とくに「愛」なんて言葉をふりまわさないで かたちにならない、ことばにならないある存在を ちゃんとイメージさせるところがいい。 「愛」なんて生なことばを露骨にふりまわす表現に 少々眉をひそめていた矢先でしたから、 この投稿に出会ってすこしほっとしました。 (いちばん優しい世界)

2022-06-26

こんばんわ。 再度の返信というのは滅多にしないのですが、 気になっていたものですから、少し。 わたしは育ちが悪いので「愛」というものへの考え方が少し ひねくれているのかもしれませんね。 せっかく「愛」というものを信じておられる方に無用なコメントを してしまったような気がして黙っていればよかったとあとでおもいました。 愛の二面性とか影とか、そういうことは実は考えたことはありませんでした。 というか「愛」が妄想でも実在でもどうでもいいといっては失礼ですが わたし個人はそういう言葉にはまったく関心がありません。 ほんとうに失礼いたしました。今後は注意します。 (星空に祈る)

2022-06-26

卒業/のあのなんともいえない心細さと晴れがましさ 出ていくということ。残していくということ。 なんだろうな、わたしも少しむねのなかで湿っぽいものが 広がっていくような気がしました。 (春)

2022-06-25

読ませていただきました。 なんか「センス」なんて言い方は古いかも知れませんが この作品、 ことばのセンスがいいなああと、ちょっとびっくりしました。 (9)

2022-06-25

読ませていただきました。 人間にとってほんとうに大事なものって何だろうなって あらためて考えさせられました。 愛? お釈迦様? 星空? わたしはそうじゃないと思います。 たとえば、たとえばですよ、皮肉でもなんでもなく 投稿する前にだれかの作品にコメントするとか、 そういうことのほうが千倍大事なんじゃないかと個人的には考えています。 愛って、要するにどれほど飾り立てようとも所詮エゴイズムですよね。 平気で人殺しをするマフィアの親分ほど自分の子どもへの愛は人並み以上だと 聞いたことがある。そういうものをこの共同体として生きる世の中でなにか凄いものとして 評価する気にはなれません。もちろん愛は個々それぞれの人にとっては大切でしょうが それを公に喧伝するにはあまりにも幻想の領域が違いすぎます。 星空に何を祈ろうとそれは個々の勝手ですが、所詮はエゴイズムの世界です。 他人が知ったことじゃありません。それを何かうつくしいもののように〈他者〉に 語るのは、わたし個人としては気恥ずかしくて穴があったら入りたいです。 以上、 べつにこの作品がダメだとか、あるいは否定しているのではなく、わたしがこれを 読んで改めて、人間(共同性)にとって大事なものとはと考えたその感想です。 ちっとも褒めれなくてごめんなさい。 (星空に祈る)

2022-06-25

申し訳ないけど、今の世相をみている立場からしますと、 この詩の趣旨には賛成できません。 こういうのは「主義」じゃなく、ふつうの息抜き、団らんでしょ。 鬱屈な毎日に憂鬱な日々を余儀なくされている方々の世界とは次元が違います。 ふつうの息抜き、団らんが出来る人がそうでない人に注文つけるのはちょっと違うと思うな。 むしろそういう余裕があるのならそういう余裕を持てない人々を心配するのが あたりまえの世界になってほしいなと望む次第。 失礼ながらあまりにもシフォン主義?で生きてこられたから世界が見えてないのでは? (シフォン主義)

2022-06-24

読ませていただきました。 こういうのほんとに悲劇だとおもいますが、 おもうだけで他者にはなにもしてやれないただの無力な 傍観者です。そんな人間が「悲劇だとおもいます」と書くのもはばかられる。 そこで話を拡大してみると、 「赤頭巾ちゃん」は 、いま現在、日本人のほとんどがそうだということもいえます。 これはほんとうにどうしてこうなったのか情けないけど、どうにもできない。 狼に食われるのを待っている。そういうマクロなことも浮かんできました。 (赤頭巾ちゃん)

2022-06-23

はい。 と答えたいところですが...... 怖いだろうな、一生愛される男のほうは。 それは「愛」というよりもはや「執念」とか「執着」「怨念」の 要素のほうが強くなっているのじゃないかと愚考する次第です。 いや、これはわたしの個人的な幼少時のトラウマ体験からくるものかもしれません。 わたしは乳母に預けられていたのですが、その乳母が六、七歳になってもつきまとう ので逃げたことがある。それでも必死の形相で追いかけてきた。 今からおもうと薄情なことをしたとくやんでいますがそのときはほんとうに怖かった。 そのトラウマからわたしはずっと女性から強く愛されると決まって逃げるようになった。 ほどほどの愛、できれば三ヶ月くらいで恋人をとっかえひっかえできれば理想ですが 身勝手でしょうかね。もてないから心配しるほどのことじゃないのですが。 (あなたへ)

2022-06-23

読ませて頂きました。 むつかしい事について正面から見そえて 書いておられると感じました。 わたしは言葉についてかるすぎるほどの人間なので 逆によくわかります。 (言い事)

2022-06-22

よんじゅうさま、 拙作をお読み下さりありがとうございます。 (わたしが天才少年だったころ)

2022-06-22

追記 う~ん、追記なんか書くべきじゃなかった。 読み直してみると誤解されやすい書き方になっている。それを調整するために また書かなければならないハメになる。下手をすると延々とこれを繰り返すかも。う~ん、困った。 まず鷹枕可さんが貼られたリンクの歌がどうしてわたしにとって嫌味ったらしい不快なものであるかを説明。 (この点に関しては楽子さんの詩にはそういう嫌味ったらしい不快なものはあまり感じられなかった) まずあの歌手はただひとつのことしかいっていない。簡単です。「おれはいい人間だろ」 つまり歌手と聴衆は「おれたちいい人間だ」を確認しあっている。 だいたい子供が生まれるとなればふつう世間一般の庶民はだれでも喜ぶけど将来養っていけるのか心配もする。 今の世の中ならなおさらだ。ほとんどの親子さんは暴風の盾になる。だけど虐待も増えているのも事実。 虐待までいかなくとも不幸な家庭、親子関係はある。 そういう人間に思いをはせて歌うのが歌ってものだとおもう。昔はリンク先のような歌なんか歌う人はいなかった。 良い人の確認しあう歌。それは最近の出来事だと思う。あの歌とこの投稿作品、技巧的とはいいましたが、 楽子さんとは技巧的という「質」が同じであっても中味はぜんぜん違うことを言っておかないと誤解を招くのであしからず。 投稿者の楽子さま、お騒がせしました。 (思春期、あの最悪な日々を切り取ったプリクラ、同級生への呪いを書いたオマエ、そしてアタシへの讃歌)

2022-06-22

追記 鷹枕可さんの貼られたリンクを見ようとしましたが、リンク先の歌手の歌う歌の 最初のフレーズでああ、これも「技巧的だな」とピンときました。 わたしがこの投稿板で「技巧的」という感想をする場合は最上の褒め言葉であるのはもちろんですが、 他方、ちょっとばかり「あざといなあ」という気分が含まれている。ほんのちょっとですが。 西田佐知子という昔の歌手に『裏町酒場』という歌があるんですが そのなかにこういうフレーズがある。   酒を飲もうと 生きよと死のと   あんたなんかの 知らぬこと   どうせまともに 生きたって   つらい世間の うしろ指   男なんかにゃ 欺されないと   鼻で嘲笑(わら)って ひくルージュ   夢を持ちなと 云う言葉   それもどこまで 本気やら この「それもどこまで本気やら」という歌詞 これが「技巧的」というわたしの評価の裏張りです。 いるんですよね、「夢を持ちな」と下のほうへ向かって語る方が。 原口昇平さんの一連の投稿作品なんかもそうですし、鷹枕可さんのリンク先の歌手の 歌詞や歌う態度もそういう意味で技巧的である。技巧的生活をなさっている。 これは本人は真剣で本気なんだろうけど、下のほうにいる人間からみるとちょっとちょっと ということになる。 だから鷹枕可さんのリンクのものも楽子さんのこの投稿作品もわたしにとっては まったく同じ質のものなんです。 余計な追記で失礼ですがそのあたり閲覧者のみなさまご理解たまわるよう お願い申し上げます。 (思春期、あの最悪な日々を切り取ったプリクラ、同級生への呪いを書いたオマエ、そしてアタシへの讃歌)

2022-06-22

読ませていただきました。 技巧的な描写に秀逸な腕の冴えを感じました。 私ごとで失礼ですがわたしが最近投稿した「感謝します」はすべて わたしの創作で高校生をひとり育てたような話は事実ではありません。 全体を通してあることを伝えたかったのです。わたしの職業遍歴を書いたような 作品もそうであって、まったくの創作です。 わたしごときの生活や履歴など開陳してもこの作品のような面白いものになるはずもない。 いやこの作品だっておっしゃるとおりどこまでが事実で幻想かわからない。 しかし語り口に技巧的なうまさがあるとおもいました。 (思春期、あの最悪な日々を切り取ったプリクラ、同級生への呪いを書いたオマエ、そしてアタシへの讃歌)

2022-06-20

読ませていただきました。 殺意とその結果についての人間の業のようなもの そういうことについて書かれた詩のように解釈してみました。 (よわい)

2022-06-20

読ませていただきました。   花束と折り鶴が少しだけ風に揺れる   ように という映像的な余韻がやや技巧的とはいえ なかなかに印象的でした。 (風待ち)

2022-06-20

読ませていただきました。 バラバラのイメージをならべて「乱丁」というタイトル。 なにかつかもうとしてつかめない確かだけで漠然としたイメージ それを詩にしたのかもしれないと思いました。 (乱丁)

2022-06-20

現代社会の複雑なありようを揶揄しているように読めましたが ぜんぶわかるわけもなく、ただ、ところどころにピンとくるものがありました。 まわりの土の養分を全部吸い取ってひとつだけ巨大に育ったキノコのような 高層ビル。その下にある雑草(庶民の家)はもうぼろぼろだとかそういうイメージが 感じられる行などハッとするものがありました。 読み方が間違っているかもしれませんが。 (Amanita Fundamentum)

2022-06-20

読ませていただきました。 プリズム。なんだろ。不思議な話を聴くよな気がしました。 加工ということかな、いや、ちょっと違う。なんだろ。 まだ考えています。不思議な世界のありようの指摘を受けたような気持ちです。 (プリズム世界)

2022-06-20

ご指摘、ご感想、ありがたく頂戴しておきます。 読んでくださりありがとうございます。 (感謝します)

2022-06-19

読んでいただいた上、 拙作に対して真摯な感想をたまわりありがとうございます。 (感謝します)

2022-06-19

Comoestanuquiさん、ほんとにそれです。 柳煙さんのおっしゃるとおりこの拙作には強烈な皮肉 と怒りをこめているんです。 お読み下さりありがとうございます。 (感謝します)

2022-06-18

かずやさん、お読み下さりありがとうございます。 真摯な感想、うけたまわりました。感謝。 (感謝します)

2022-06-17

柳煙さん、稚拙な作文をお読み下さりありがとうございます。 (感謝します)

2022-06-17

読ませていただきました。 昨日ちょうど我執について考えていたので (といっても十分も考えてないのですが、こんなこと十分も考えれば わたしにとっては事件です) 読んでコメントしようかと思い、はて、さてたしかに 我執てものがないと人間かなり軽くなれるだろうけど 我執がなくなった人間なんて気の抜けたサイダーのようなもので ちっともおもしろくないのだろうなと、はたと思いついた。 十代のころに初恋に破れて死のうと思いレールに頭を乗せて しばらく寝転んでいてやっぱり怖いからやめた記憶がある。 今から考えるとなにか我執のようなものに取り憑かれていたのだろう。 なんとまあ滑稽なものかと思うけど これを読んで、あらためて我執だったのかもしれないとか考えました。 (我執)

2022-06-16

こんな言い方は失礼かもしれないですがとても粋な作風の詩ですね。 まるで中編小説を読んだあとのような感慨が残りました。 冒頭の連の語り手の述懐には共感を覚えます。 陸橋から見下ろす電車の 車両に詰め込まれた人々のそれぞれのドラマを 想像しただけでそら恐ろしくなることがありました。 こんなにも膨大なドラマを詰め込んで電車が行く。信じられないけどほんとうだ。 そんなことを考えていたのはわたしも生活を生きていなかったからかもしれない。 ゆっくり読んでみたい詩のひとつです。 (窓と生活 二編)

2022-06-16

冒頭の一連、 まるで処女のようにうつくしい。 (みんなのお別れ)

2022-06-16

年配の方の詩だとおもうのですが、 いまどきは見られないきれいな楽譜をみるようなことのばの配置の うつくしさがまず目につきます。 内容についてはかなり私的なイリュージョンが主調音になっているので それに踏み込むよりもむしろ語られる流れにそってことばをなぞっていくだけで いいかなとおもわれました。 (ト音の休日)

2022-06-15

読ませていただきました。  わたしたちは  生きる才能がない  豊かになれれば  何を失っても  いいと思ってる こういう覚醒をもつ語り手には共感を覚えます。 (明日)

2022-06-15

冒頭、塚本邦雄が出てきて 苦艾なんていうなんか知らないけど面白そうな単語が出てきて これはなかなかに読ませてくれそうだぞと うれしそうに身構えましたが次の ウクライナ云々のところで申し訳ないですが、ちょっと意気消沈してしまいました。 どうしてウクライナが出てくるのか。 そもそもウクライナに対する世界構造における立ち位置の認識がこのようなものでいいのかどうか いやそんなものどうでもいいんだというのならウクライナという言葉は ちょっとわたしには急ブレーキをかける文言だった そういえば多くの有名無名詩人に出会ってきましたが どなたもすばらしい詩を書く方々ばかりなのに政治認識になるととたんに幼児のように 単眼的で幼稚な認識しかもたない方々ばかりなのに腰を抜かし続けている。 あの神様のように尊敬する大思想家で大批評家であった吉本隆明でさえそうであった。 旧ソ連やロシアへの認識を西側の情報だけから取り入れているから片側通行で 吉本といえど、 その情報の上に立てられたまことにお粗末な地盤の上にたつ精密な建物であった。 だから99%が中流になる世の中などとはしゃいでいられた。 そもそも元の地盤が一方的なプロバガンダを盲信してのものだからその上にどれほど 精妙な建物を建てても思想や批評としては意味がない。詩や文学としてならなんとかなるかもしれないが 所詮それだって見ようによってはプロバガンダの補完物の側面をもつにいたる。 日本の現代詩の世界の最大の問題はそこにあるのじゃないかと考えさせられる批評文でした。 (でもルンバは嫌だ、エヴァが良い)

2022-06-15

この文章はcold fishさん(たち)へのレクイエムなのでしょうか。 対象作品を読んでみましたが田中さんが出てくるくだりはおもしろかった。 でも、   私は、今、   現代詩を、やっている、   君たちを、やっつけるために、   読者を皆殺しにするために、   ポエムを皆殺しにするために、   ネット詩を皆殺しにするために こういう暖簾に腕押しするような無力感しか感じられない文言を ちゃんと対象化した上で書いたいるのか、気になりました。 現代詩なんかではもうだれもやっつけられないし 皆殺しにもできない。 じぶんの頭の中だけで殺しているのだとすればそれを語っている 自称詩人の姿ってなんと滑稽で悲惨なのかとおもう。 cold fishさんの滑稽で悲惨な姿はそのまま戦後の日本的あるいは世界的な知性の帰結 なのかもしれない。 知性ってのは要するにこれほどまでに滑稽で悲惨なのだという。 そういう意味ではいつまでもその滑稽で悲惨な残骸をさらしていて ほしいという願いがわたしにはある。 それこそがcold fishさんが詩を書く意味だ。 田中満帆さんも同じような詩を書いているがちょっと違う。 田中さんのほうは最近、その滑稽さに気づきはじめている。 そこからしか新しい現代詩は生まれないような気がします。知性の悲惨さと滑稽さに 気づきはじめた最近の詩はなかなかだとおもう。 以上、知性のけの字もない無能でバカな素人のたわごとですが、筆者さまの こういう批評はしかばねとなった知性の残骸へ送るレクイエムとして何度でも 書かれるべきだと思います。 (詩のサイトによくいる、いや、もうほとんどいない、誤解の霧中の魚たち)

2022-06-15

間を置いて何度読んでもわかりませんでしたが、 この「何度読んでもわからない」という体験は現実世界ではよくあることで たとえばですが一例をあげれば世界情勢というのはよくわからない。 まさにこの詩のように難解だ。あるいはこの詩のように意味などないのかもしれない。 そんなことを感想しました。 (雑記11)

2022-06-12

あらいさんの投稿作以後ぜんぶが詩の骨格と肉をもった とわたしのような素人には感じられる作品がつづいているので非常にうれしい。 この作品は表現に玄妙さがあり、それが作者の持ち味なんだろうなと思うのですが なかなかにいいものだとおもいました。 (空耳)

2022-06-12

あらいさん投稿作以後ぜんぶが詩の骨格と肉をもった とわたしのような素人には感じられる作品がつづいているので非常にうれしい。 この作品も感じるものがありました。 (日影の日)

2022-06-12

あらいさんのこの投稿作もふくめ以後、三作ぜんぶが詩の骨格と肉をもった とわたしのような素人には感じられる作品がつづいているので非常にうれしい。 この作品もわたしにはなかなか歯ごたえがありすぎてわたしには困難な山ですが 最後に 404 not found という言葉が出てきてなんとなく共感するものがありました。 (これからのアステリズム)

2022-06-12

   しずくの冒険(抄) 宇宙の果て そのもっとも奥深くひそかなところに すべての悪のみなもとである一本のりんごの木がある 宇宙生誕以来 その木は 三つのバリアーで守られていた ひとつは力 すべてを破壊する巨大で獰猛な怪鳥がたえず木のまわりを 巡回し、近寄るものは有無をゆわさず 炎で焼きつくすのだった もうひとつは叡智 世に生まれたすべての神学と哲学、思想を体現する 賢者が敵意をもって近寄るものを説き伏せ、精神を萎縮させ またたくまに洗脳して退散させるのである もうひとつは愛 知恵のみなもとであるりんごの木を害する意志あるものには その者の両親の姿をしたイリュージョンが向かい合うのである じぶんの両親の愛情あふれる笑みに接してこれに歯向かえるものはいなかった こうやって すべての悪のみなもとである知恵の木は 外部からのいっさいの攻撃や害意、よこしまな企みから無傷であった また この三つの力を打ち砕いて 世界に平和をもたらすことができる者は この世の果ての果てまでだれひとり存在しなかった と 思われていたが 宇宙の果てにあるりんごの木は 生まれてまだ三歳にも満たない子どもの自然なこころを 防ぐことだけはできなかった 彼女の名はしずくといった おにぎりが大好物で おにぎりにつられてこのりんごの木の退治にやってきたのだった 握った日本刀の刀身は柔らかいプラスチックでできたまがいものだったが それだからこそ 三つの力に対抗できたのだ 対抗するためには相手をけっして傷つけてはならないのだ 襲いかかる巨大な怪鳥の鼻先めがけてしずくがまがいものの刀を振り下ろすと 怪鳥はぎゃーと叫び声をあげて霧のように分解し飛び散った 霧が収まると 一匹のネズミがこそこそとそこから走りさった 次に出てきたのは聖人だった 両手をひろげて「おお、汝は地の塩なり、もしその塩.......」 とかなんとかいっているが しずくにはちんぷんかんぷんだ かまわず「えい!」と刀を振り下ろすと聖人は煙になって空へのぼり あとにはミミズが一匹 もうしわけなさそうに地面を這い回っているのだった 最期に しずくの両親が現れた 「しずくや、わたしたちの宝、わたしたちの命、しずく、おやめなさい、」 と涙を流している さすがのしずくも目を見開いてしばらく呆然と亡くなった母と父をみていたが 「あたいのおかあちゃんなら、そんなこといわない。おにぎり食べるかいって?最初に聞くわよ」 次の瞬間、「えい!」と刀を両親のイリュージョンに振り下ろす。 「このにせもの!」 すると両親はやはり煙や霧のようなものに分解し あとに二匹の雨蛙がけろけろと鳴いているのだった こうやって 世界からすべての悪が消え失せ 人類はみな知恵を失い悪い企みや競争や侮蔑や差別などから 解放され 定常生活だけを繰り返して永遠の平和が続いたのであった (B-REVIEW6月のお題詩「破戒」)

2022-06-11

ですから、 作品かどうか判断するために 「Amazonギフト券ってなんでしょうか」と質問したのですよ? ところがあなたは質問するなという。 質問を禁じておいて、そのくせ作品かどうか判断して、おまえが作品だと思う理由を書けという? ごじぶんで支離滅裂なことをいってることが自覚できてますでしょうか? そもそもわたしにからんでくる理由もわからないし、 この程度の投稿にそこまで大騒ぎする理由も理解不能です。 すこし冷静になることをお願い申し上げます。 それから支離滅裂な命令には従うつもりはないことも申し添えておきます。 (最近の)

2022-06-10

訂正 上のコメントは「作品」へではなく森石さんへの返信です。 間違いましたことを作者さまへお詫び申し上げます。 (最近の)

2022-06-10

森石さん、それちょっとおかしいのじゃないですか? まず、 一方的に非難しておきながら非難した相手には返信や弁明、説明をするなということですが、 それはここの規約にあるんですか。それなら仕方がないですが、そんな不公平な規約があるとは とうてい思われません。 それからこの投稿は「イタズラ」だと決めつけているようですが、投稿作品である以上、イタズラか どうかは読者個々が判断するものではないのですか? それとも運営がイタズラであると宣言したのでしょうか。 ご自分がすべて正しい、ご自分の意見だけを黙って聞け、おれが「イタズラ」だといったら おまえもそう判断しろ、おれの発言を聞いたら返事するな弁明もするな? ご自分でそういう言動がちょっとおかしいと思わないんですか? あきれ果てましたよ。 (最近の)

2022-06-10

読ませていただきました。 難解なのでちゃんと読めたわけじゃなく文字を追っただけですが、 現代詩の技巧のひとつとして奇をてらうことは嫌いじゃないしむしろ大好きですが 材料がちょっと地味なような気がしました。なんだろうこの地味さは。笑 地味でなければ控えめといってもいいんですが、この控えめさ加減がこの詩の表現の主旨だったのかも しれない。そんなことをおもいました。 (ラバーと子供)

2022-06-10

追記 作者さま、ひとつわからないのですが、 Amazonギフト券ってなんでしょうか。これがまったくわかりませんでした。 (最近の)

2022-06-10

わたしは新参なのでみなさんが何を怒ってらっしゃるのかわかりませんが、 ただひとつ、最近なんとなくうっすらと感じていることがあります。 それはこのサイト外で特定の方々が仲良くなんらかの集まりや研究会や合評会を もっているような気がしております。(わたしの感じですのでそういうものがないのなら御免なさい) それはとても良いことで、気の合う仲間が集まって詩について語りあうのは素晴らしいことです。 ただですね、これは人情としてとうぜんあたりまえなので否定はしませんがそこには仲間意識ができてしまう。 そうすると仲間が投稿したものをだれかがちょっとでも批判したり、批判しなくて褒めていても 仲間内のあいだであいつは評判が悪いからといって仲間意識からその投稿者やコメントをおれもいじってやれという調子で 批判するようなことがあるのはまずい。あるとはいいませんが、わたしは最近、そういうものをなんとなく漠然と感じている。 妄想かもしれませんので申し訳ないですが、感じにすぎないので言うつもりはなかったのですが、ちょうど投稿作があったので この作品への感想としてふれておくだけですが、 仲間が出来る、それはとてもいいことですが、その仲間意識が同じ方向を向くのは人情として否定できないけど その方向から動きを受けるほうがたまったものじゃないとおもう。 同好会や合評会など、この投稿サイト外でいくらでも仲間で語り合い合評しあうのはいいけど、それがひとつの 動きになって特定の人間に集まるのはまずいとおもう。(もちろん、漠然とした空気を感じているだけで 具体的な証拠などあるわけないけど)、ちょうどいい機会なので将来的な警笛を鳴らしておきたいとおもい ここに記しておきます。 (最近の)

2022-06-10

読みましたが、むつかしい話題ですね。時間とか空間とか、わたしにはなかなか理解できない。 ただ、時間というのは物質の変化を記述しているだけじゃないかとぼんやり考えています。 ようするに「今」は永遠に「今」。つまり時間そのものは変化しない。ただ物質だけが変化する。それを 記述するのが時間ですが、それはつまり人間の脳みそによる記憶ということかもしれません。 (2020年)

2022-06-10

かなり煮詰まった現在の世界や日本の状況というものがあって その状況というのはあたりまえに働いてあたりまえに子を生んで育てるということすら 困難なところへ人を追い込んでいる。過去、江戸時代であれ鎌倉時代であれ原始時代であれ いくら貧しくてもそれはできたのに、現代ではそれができなくなっている。 べつに大衆が悪いのではなく(いや、無頓着、無関心という罪はあるけど)要は資本というものの 悪疾がいま最高度に滲み出てきて人々を冒しているということだとおもう。さて、そこでこの詩ですが そういう現代の状況があっても人々は黙って何事もなかったように歩いている。 その欺瞞とウソで糊塗された現代という時代の壁の亀裂からにじみ出てきたほんとうの声のように聞こえました。 かなり苛烈ですがほんとうの現代社会の煮詰まったところにある精神はここまで抑圧されているのだろうと考えました。 かなりきつい声です。で、だれがこれをちゃんと受け止めることができるのか。絶望です。 (〈安閑夜話〉 血走りの風)

2022-06-09

一連目の達観にはシンパシーを覚えました。 しかし、ややNHK朝の連ドラ的な心のウソにはめ込まれているような あやうさを感じたのです。が、その個人的なものの見方を ここに感想として書いていいのかどうか迷いました。 わたしは人間の暗さって大事だと思うし、明るさを押し付けてくる NHKは間違っていると思っていますので。 こんな世の中でどうやって明るさなんか保てるのかと疑問に思うし、 ケチなお金をちびちびと一生懸命握りしめている大衆も好きです。 英雄譚は嫌いです。人生はゲームじゃないしNHK的なウソの世界でも ないと思うからです。 でも、やはり一連目の達観には少し同意するものがありました。 人生も人間もそんなカンタンなものじゃないんだな、 といろいろ考えさせられました。 (許しと雨)

2022-06-09

水色の街というタイトルはなにかしらうつくしく淡いものを想起させる きれいなタイトルでした。 これだけタイトルから豊かなイメージを想起させられると 本文のほうがそれを満たす内容かどうか気になるところでしたが 宮沢賢治のようなバラの香りのする宇宙の風とかいう表現だったか、ああいうところ まではいかないにしてもなかなかにうつくしい表現があったとおもいます。 (水色の街)

2022-06-08

柳煙さま 的確なご感想だとおもいます。 ありがとうございました。 (かなたのかなたへ)

2022-06-08

てんま鱗子(揶白)さま お読み下さりありがとうございます。 (かなたのかなたへ)

2022-06-08

ああ、そうですか。はいはい。 ご返事どうもありがとう。では、失礼します。 (赤鬼)

2022-06-07

神と死について描くのに陽気も陰気も、コミック的かリアリスティックかなどないと思いますが ということですが、はて? 死を陰気に書く人もいれば陽気に書く人もいますよね。 死を重厚に描く人もいれば死をコミカルに書く人もいる。 どうしてそんな書き方が「ないと思う」い、そういうのを偏見ととらえるのあ教えて下さいませんか。 今後の参考にしたいとおもいます。 (赤鬼)

2022-06-07

死も神もこの詩のなかではコミック的で陽気であることが なにか救いなのかもしれませんね。 (赤鬼)

2022-06-07

こんにちわ おもしろいですね。ネット詩人というものがいるのかどうか知りませんが たぶんその人物は詩壇に相手にされない詩才及ばざる人か、 あるいは既存の詩壇のレベルでは理解できない天才かでしょう。 そういう天才がいてほしいと願っていますが、 個人的な感想としてはネットはそんな天才を求めているわけではなく やあ、こんにちわ、ごきげんよう程度の挨拶が交わしたいだけじゃないでしょうか。 個人的な感想ですが。 (ネット詩人A)

2022-06-07

読ませていただきました。 わたしも涙もろいのですが涙がこぼれたりすると 猛烈に恥ずかしくなります。 涙というのは気持ちのいい自己愛の変形ですが そんなことをしていていいのか、もっと気をしっかりもてよ とじぶんをなさけなく見下します。 でも涙というものがなにか真珠のように考える方がいる。 そういう涙もあるのだなとはじめてわかったような気がしました。 戦場で両親を殺された子どもの、やりばのない気持ちや もっていきようのない感情がどうしょうもなく涙というかたちで噴出する。 それを自己愛だなんていえない。いったらわたしは人でなしだ。 きょうもどこかで血と涙が大地に流れている。 どちらも永久に人類には流してほしくない。うれし涙ならいいけど。 そんなことを強く思いました。 (真珠)

2022-06-04

Comoestanuquiさん お読み下さりありがとうございます。 わたしもたぶんComoestanuquiさんとまったく同じ考えです。この世で唯一、大事なことは 「戦争反対」につきます。いままでおろそかにして生きてきたことを今ごろ悔やんでいます。 これがすべてですが、実のところ一番むつかしい問題でもある。 まず「戦争反対」を実現するにはほんとうのこと、つまり、事実を世間に明らかにしなければ ならないのですが、日本はモザイク国家です。 NHKの朝の連ドラのような、人間の裏側にモザイクをかけたきれいきれい明るい明るい面しか みせない。ポルノもそうですが、たとえばウクライナの報道では公然とユダヤのネオナチが 戦争に参加していることを称賛して伝えているが、こういうことはNHKも朝日も隠してしまう。 つまり報道規制、表現規制国家です。そしてほんとうのことを書くとコメントでも異常者扱いされる。 まったく真実が隠蔽されたとんでもない状況で、そういう状況を肯定するやつらに限って「戦争反対」などと うわっつらで叫んでいる。 「戦争反対」とNHKも朝日も書くが全部ウソです。ほんとうに「戦争反対」である立場は今日、だれからも かえりみられない少数派で狂人扱いされる時代です。 ああ、いやだいやだと思うけど、そういう状況に埋没している人間が「おれは健全」だと自慢している。 なんか若い人たちにとってはもうトラップにかかったネズミのようなものでしょうね。 心からなんとかなることを祈っているのですが。 希望は少しずつ大富豪のなかに今の状態はよくないと覚醒してきた存在がいることかな。 イーロン・マスクはツィッターを買収しょうとして米国のユダヤ資本や政府から急に嫌がらせを 受けはじめた。さて、どこまで世界は狂気から目覚めるか、それだけですね、祈ることは。 日本人なんかもう9割がたはキチガイですよ。去勢されたおとなしいキチガイです。笑 (かなたのかなたへ)

2022-06-03

投稿作品に対する非難、批判は大いに歓迎するが、 投稿者に対しておまえ異常だろみたいなコメントは作品批評でも なんでもない。 そもそも異常者からもいい作品が生まれるし、 健常者からも退屈な作品がつくられる。 異常者か正常であるかは作品批評とは関係ない。 三浦さんのコメントはただたんに投稿者を小馬鹿にしているだけだ。 わたしからみればこういうコメントをするほうがおかしい。 今後はこういう文学とは関係のない話はいっさいお断りする。 (かなたのかなたへ)

2022-06-01

なんでいつもからんでくるのか知らないが、 おまえは異常だなんていうコメントをされてもなあ。笑 もういいからパスしてくれよ、めんどくさいんだ、わかりもしないやつに 説明するのが。 (かなたのかなたへ)

2022-06-01

三浦さんにへの返信に誤記がありました 訂正 三浦さんは文学や詩のことがわかってるとは以前から思っていましたが ↓ 三浦さんは文学や詩のことがわかってるとは以前から思ってませんでしたが (かなたのかなたへ)

2022-06-01

お読み下さりありがとうございます。 ほんとうにちゃんと読んで下さっていれば そういう疑問にも答えていると思うのですが。 要するに生まれつきの哲学者というと語弊があるけど 生まれつきの観察者というものはいるんです。 世間のあらゆることには不用な人間で、不器用で、無能で まったく役に立たないけどだれも見もしないし考えもしない 無益なことを生まれつき観察しているしか能のない人間。 そういう存在のこと、わからないのかなあ? 文学に関わっているのなら 詩人だの作家だのってそういう無益な存在だってこと知って関わってるんじゃないの? 三浦さん、そもそも文学とか哲学とか批評てものに係わる人間の 無能、無益、無用ってものがまったくわかっていなのでしょうね。 失礼ながら健全とか健全でないとか、まったく馬鹿げた質問でしょ。 てか、三浦さんは文学や詩のことがわかってるとは以前から思っていましたが 健全な生活したかったらわたしなんかに関わらないほうがいいよ。笑 (かなたのかなたへ)

2022-06-01

かなりシュールな作風ですが、 なんかかもめが飛ぶ港町の原風景のようなものが浮かんできました。 そういう意味ではちっともシュールではなく写実的なイメージを呼びこむのですが とはいえ、かなりシュールなことはシュールだ。 これがどんな作風に結実するのだろう。あるいは試作なのか、いずれにせよ、 シュールすぎる。 (鳥の卵)

2022-05-29

こんばんわ なぜ生きるのかなんて問い詰める人っていやですね。 わたしは子供の頃からわかりもしないくせに哲学思想書が好きで ずいぶん読んできましたがどの思想家も哲学者も他人に対して なぜ生きるのかなって問い詰める人はひとりもいませんでした。 みな、ひらすら己の求めるところのものを明らかにするために熱中した その言葉を書いていた。他人のことをあれやこれや詮索して非難するような 思想家哲学者は皆無でした。 ただ最近になってほんとにいやな自称思想家が出てきた。内田樹という自称 思想家です。この方の書物はすべてただひとつのことで塗りつぶされている。 「おれは正しい。おまえは間違っている。おまえはだめだ。おまえは人でなしだ」 全部こうです。つまり他人の揚げ足ばかりをとっている。そして「どうせ死ぬのに なぜ生きる」などと他人を脅かしている。わたしはこういう輩はいっさい相手にしませんが 若い人たちはこんな人たちにけっこうやられている。 他人に対してなんで生きているなんていう輩は相手にしてはいけません。 わたしはそういう御仁は哲学者とも思想家とも思っておりません。別の何かです。 (なぜ生きているのか)

2022-05-28

わたしなりに現代の底なしの時代を感じました。 (変転)

2022-05-27

こんにちわ、なにかしら若い精神の躍動のようなものがあって 好ましく思えました。 (投げるよ)

2022-05-27

最近、哲学的な詩の投稿が連投されていて、この作品にも なにかしら深いものを感じました。具体的にこうとはいえませんが なにかしら無形のポエジーというか哲学を感じました。 (雨の新訳)

2022-05-27

こんにちわ、 すこし哲学的なことを考えさせる深いものを感じました。 (二重線)

2022-05-27

こんにちわ。 読ませて頂きました。センスのないわたしにはちょっとわからないところもありましたが なにかしらもやもやとわかるような気がしました。 (借金をしている。)

2022-05-27

絵にもポエムが宿っているから このようなものもここではありなのが面白い。 これもアートには違いないのだがいわゆる絵画やイラストとは ちょっとわたし個人の印象が違う。 ダジャレではないのだがこの絵は「印章」という感じがしました。 「壁画」といってもいいけど、やはり「印章」かな。 「印章」というのはたとえば記念切手などのマークアートのことですが この絵にはそういうスタンプのようなものを感じました。 これがもしどこかの家の窓に戦火の煙のようなもので小さくあれば 「印章」にはなりえない。それはまごうことなくリアルな「絵画」になる。 でも「印章」が悪いというのではない。「絵画」がいいというのでもない。 これは「印章」であると感じた、ただそれだけのことで、 アートとして素晴らしいものであることにはかわりないと思っています。 (放浪する音楽)

2022-05-20

読ませていただきました。 これはおそらく背景にロシアのウクライナ侵攻作戦があると思います。 おそらく筆者だけでなく日本国民も米国もそれからEUやアジア諸国のすべての 人々もいったいウクライナで何が起きているか、まったく知らないのだろうと 推測されます。 朝から晩までデマとフェイクとウソを平然と流し続けるマスコミの言説を そのまま信じて書けばこのような詩になるのではないかとわたしなりに想像しました。 ロシアへ愛をこめてというのはおそらくロシア政権よ愛を忘れるなという皮肉でしょう。 しかしこの皮肉はまったく方向が逆じゃないかとわたしには思われます。 かといっても何も知らない人たちがそういうからといって だれも非難や批判はできないでしょう。何が起きているかわかっている人は世界でも ごく少数なのでしょうから。無理をいっても仕方ないなあという感慨がこの詩から うけた感想です。 (ロシアへ愛を込めて)

2022-05-15

 わたしがこれまでについた職業 陶芸職人見習い 温度計工場工員 写真印刷社レタッチマン 鉄工所職工 割烹料理店板前見習い パチンコ店員 土木会社運転助手 重機オペレーター サンドイッチマン 某私立大学財務部臨時職員 有名映画会社正社員 ヌード劇場照明係 新宿に基点を置く暴力団準構成員 焼き鳥屋─中国料理店 ─大衆食堂etc飲食業10種あまり 日雇い労働者 ホームレス 総会屋 ガードマン 屠殺場でのバイト 港湾労働 デートクラブのちらし配り 高層マンション管理人 銀座多目的ビルの冷暖房管理者 ソープランドのボイラーマン 記念切手蒐集売買 新聞配達員 売春クラブ経営 ストリプ嬢のヒモ テキヤ(露天商)......etc ホームレスが職業かどうかはともかく、 さっと今思いつくだけでこんなものですが、正直ろくでもないことしか してこなかったのだけど、わたしたちをとりまく世界のほんの一部でしか ないけれど、そこに存在する人や物を立体としてとらえることができたような 気がしている。その感覚が今の日本人の幼稚で単調な世界認識や生の感覚から 徹底的にズレていることがわたしの一番の問題である。 (B-REVIEW 5月のお題詩「生命」)

2022-05-13

1000は打ち間違いでした。 100の間違いです。 ヌード劇場の照明係から東宝の社員、 ヤクザの準構成員、駒澤大学職員、 文筆業、 その他、ほぼあらゆる職業を転々としてきました。 数えると100近い、いやそれ以上になります。 そこで知ったことはやさしさってのは他者の苦しみ を自分も同じように味わうことからしか生まれないてこと。 本からやさしさが生まれたようにみえてもその本から 学んだやさしさはむしろ人殺しにつながるってことです。 (B-REVIEW 5月のお題詩「生命」)

2022-05-13

  何も知らない人たち わたしが1000以上の職業を転々としてきたのは もちろんおのれの不甲斐なさもあるのだろうが 心の中では世界を知るためだったといえる 牛殺しもやった そんなことを信じられる人がいるだろうか 日本最大の 品川にある甲子園球場のような広さの屠殺場で 朝早くから働き 牛を殺してきた 命がけの仕事だった 毎日が血まみれだった その事実を書いたところでこうやって 何も知らない人たちから 何もそこから汲み取れないひとたちから 敬意を払えと 敬意?  世界も生命もそんなレベルの 幼稚な話じゃないのだ 文学とはそんなレベルの話じゃないのだ といったところで しょせん 何も知らない人たちからは そのレベルでしか読まれないし 語られないのだろう ああ 牛よ おまえとダンスした日々を だれが知ろう (B-REVIEW 5月のお題詩「生命」)

2022-05-13

牛とダンスを 朝っぱらから血のプールのポンプ修理など あとまわしだと 今朝、職長はいった きれいな音楽など流れない ダンス場 それがわたしの職場です ここには 毎朝どこかで悲鳴が満ちている わたしは 引き立てられてきた牛のつらを 本気で抱きしめる 牛の目は上目遣いに濡れて やさしくわたしをみている  お互いの信頼が一番だ校長先生の言葉 眉間に鉄のミノをあててハンマーでどつくと 600キロの体重が前のめりに倒れる すぐに後足も震えだす いやといったらテコでも動かない 牛のやつの口から泡が噴き出して それでもまだわたしをやさしく見上げている重鈍な信頼 二撃目のハンマーの手元が狂い 牛の神経のいらぬところにミノが突き刺ささると いきなり 前足を起点にして体重もろとも後脚が跳び上がり 逆立った 憤怒の表情の牛の顔が 迫ってくる その牛の前足を手にとって鎮めようとしても ダンスはとまらない わたしたちは踊りだす 即興のステップを踏んで 牛の脳神経の暴走に わたしはアドリブで返す アップテンポのめちゃくちゃな踊りが 空をとぶ 頼むから鎮まれよ肉、 おいしい肉よ さようなら これでお別れだ きみはきれいな包装紙に包まれて 世に送り出される 愛情いっぱいに育てました 贈答品にはそう書かれているだろう きれいな音楽など流れないわたしの職場 いやだけどそれがわたしの仕事だ (B-REVIEW 5月のお題詩「生命」)

2022-05-12

柳煙さん お読み下さり感謝です。 jazzなんてもう何十年も聴いてませんが ピアノの連弾、それもまったく自在なアドリブだけの 連弾を聴いてにわかにjazzのよさを思い出しました。 あんなふうに詩も書けたらどんなにうれしいかと思うけど といったことろでわたしにはそもそも正規の詩も書けないのだから。 (といったところで)

2022-05-10

鷹枕可さん ささやかな好評をいただき光栄に存じます。 お読み下さりありがとうございました。 (といったところで)

2022-05-10

お読み下さりありがとうございます。 おっしゃるとおり、定年の諦念からしばらく何も書く気や読む気持ちに なれませんでした。 そんなときに若い天才的ピアニストたちの自由奔放な ジャムセッション(連弾)を聴いて、少し気持ちが動きました。 もともと破調、乱調の詩もどきを書いてましたが かれらのようにもっと崩してもいいのじゃないか。 いっさいの制約にとらわれず──。詩のかたちみたいなものに うんざりしていた矢先なので、勇気を得たような気になり アドリブでデタラメをさっと書いて投稿させていただきました。 (といったところで)

2022-05-10

こんにちわ。 ドラマチックでした。 わたしはこういう ドマラを感じさせるものが好きな傾向があります。 最近はどうも詩からドラマが失われつつあるような 気がします。時代なのかな。 (春のメルヘン)

2022-05-09

てんまさん、何か誤解をされてませんか? わたしはただこの絵に関心をもった経緯を書いただけで、 あなたに何も知らせてませんが? 知らせなくともこのサイトの玄関に書いてあることですよね。 それを見て絵に関心をもっただけです。わたしは作品に関心があるだけです。 「嬉しくありません」ということですが、 わたしのうほうも意味不明な不快感を表明されてまったく不愉快です。まして 「そういう仲」って何ですか? コメントをすることがあなた個人との「そういう仲」 になるのですか? なにか一方的に考えすぎじゃないですか? コメントされるのが嫌というのなら今後は控えますが。 (芝生に入るべからず Keep off the grass.)

2022-04-19

すみません。ここへ来てまだ日が浅いものですから 他の作品はまだ読んでおりませんでした。 これから読んでみようと想います。失礼しました。 (共鳴する棘)

2022-04-18

面白かったです。 とくに語り手が理想的な歌姫浅貴椿と運命的な邂逅をするまでの流れは 水底を映してさらさらと流れる小川のような美しさで物語が進んでいき とても自然に読んでいけました。 感想はここまでで、以下は余談ですのでご勘弁を。 歌声というのは小説にも書かれていたとおり 身体すべてがひとつの楽器になりそこから響き出るものだから、 理想的な声はひとつの奇跡、神秘ですらある。 その奇跡のドラマがどう展開するかわくわくして読んだのですが、 一般的な小説雑誌の編集者がもしわたしなら、もう少しドラマとしての 落差を求めたかもしれません。 つまり人間の声の神秘性、奇跡のような出来事をもっと強く訴えるために 歌姫浅貴椿を社会的な評価の埒外に置いて、根暗でそれほど顔もいいわけではなく 人付き合いが嫌いで、家にこもっているタイプに設定する。 だからこそ、その歌声が人間への社会的評価というものを根底から覆すドラマが生まれる。 語り手との友情と確執も顕在化する。 わたしの好みとしてはこういう設定だったらドラマとしては、面白さが一層際立ったような 気がしました。勝手な好みを追記して申し訳ありません。 でも、わたしはめったに小説読みませんが、最初から一気に読ませるものがありました。 なぜかわかりませんが、多分、魅力があったのでしょう。 失礼しました。 (共鳴する棘)

2022-04-18

いつまで詭弁を弄しているんです? いい加減にしてくださいよ。stさんは有名無名の区別をしているだけじゃないでしょ? そんなこともわかりませんか? それに「読み落としていた」って^^  冒頭から読んでいけば嫌でも目につく重大な ネット投稿者詩人への侮蔑でしょ。 何を言ってるのかなと最初は思っていたが、やはり田中さんは外部が見えていない。 机上の世界の文言集を集めるのは上手だが、リアルな世界については何も見えていない。 じぶんに都合のいい世界しか切り取ろうとしない。 つまり精神は幼児の世界にいたままなんです。 そんな人が書く詩もまた幼児的な純粋性をもっているけど、しょせんそれは外部世界をしらない 机上のファンタジーでしかない。でもそれなりの評価をする人はいると思う。 しかしじぶんの都合のいい世界しか切り取れないひとはわたしには埒外の世界の人だ。 リアルな世界や人間については何も知る術をもたないとしか思えませんね。 その調子でこれからもご活躍下さい。わたしにはまったくもう無用の、 だれかさんのいうようにネット詩人差別を平然と無自覚に行う方であるとしても。 ( 『びしょ濡れアリスちゃん』を読む)

2022-04-18

2022年4月16日の【お知らせ】画像・映像投稿規準に関して を読んで初めてあの画像がビーレビのふつうの芸術的な画像だと思っていたから 投稿されたものと知って再度見ました。かなり芸術性の高い感性のものだと思われます。 わたしは子供の頃から絵を描いていました。だからといって絵画の鑑賞能力はまったくないのですが それでも、なんとなくいいなあと想いました。弾けてます。 すみません、詩本文のほうはわたしには難しくて未だに読解の途上です。 (芝生に入るべからず Keep off the grass.)

2022-04-17

>ぼくが直接、ネット詩を差別した証拠とやらを提示してください。 はい、これで直接ネット詩を差別した証拠の一丁あがりです。^^ ( 『びしょ濡れアリスちゃん』を読む)

2022-04-17

有名な詩人は難しい漢字を使ってもいいが 無名のネット詩人は難しい漢字を使うなというstさんの無名詩人侮蔑に同意なのなら わたしに文句をいうことないじゃないですか。^^ ( 『びしょ濡れアリスちゃん』を読む)

2022-04-17

早速対処していただきありがとうございます。 感謝です。 (続 グッド・バイ)

2022-04-17

わたしが辞書を引かなければわからないような 難しい漢字のタイトル詩をビーレビに投稿したのが以下の期日。  『眤月』  2022-01-14 「有名な詩人」でないネット詩人が難しい漢字を使うことを糞扱いに した散文が現代詩フォーラムに投稿されたのが以下の期日。  『あらたな詩小説の世界』  22-1-20 内容を再掲すると以下のごとき  最近やたら難しい漢字を使った詩が多い。いちいち検索するのも面倒なので  、そんなものはスキップする。いったいこれらの詩の作者たちは何様なのだ  ろうか。有名な詩人のものなら、そんな手間をかけても読む価値があるだろ  うが、できるだけ大勢の人たちに読んでもらいたいなら、調べなければなら  ないような漢字などは使わない方がよいだろう。 下手な詩人は難しい漢字を使うなというのならまだもしだが、 明らかにstさんは「有名な詩人」なら難しい漢字を使ってもいいが そうでない投稿者は難しい漢字を使うなといっている。 しかもわたしの抗議で消した部分では無名の投稿者を糞扱いしていた。 しかし、無名だろうが有名だろうが難しい漢字を使うのは必然があるからで 有名無名は関係ない。明らかにこれは無名のネット投稿者への侮蔑です。 「眤月」という難しい漢字のタイトルを使った直後だったので 余計にわたしはその下劣な差別意識に不快感をもった。 その投稿を田中広輔さんが賛同しておられた。わたしからみれば田中さんが無名の 投稿者を糞扱いするstさんの散文に賛同したことでstさんの侮蔑思想は再生産された と認識するのは当然。 これのどこがおかしいのでしょうか? ( 『びしょ濡れアリスちゃん』を読む)

2022-04-17

もう書いてますよ。 ほんとにあなたは人の痛みがわからない人ですね。 あなたの中に他者はない。それがようくわかりました。 ( 『びしょ濡れアリスちゃん』を読む)

2022-04-17

議論にそって田中さんは何一つ応えてないじゃないですか。 田中さんがもってきた「議論」は「わたしはネット詩人を差別していない」というものでした。 これが議論の端緒です。 それに対してわたしはあなたがstさんのネット詩人差別に賛同していたと指摘しました。 これが議論の流れです。 それに対して田中さんはやはり何も答えず、話をstさんの投稿全般がまっとうだという話に 方向を変えました。わたしはそんなことを議論していたのではないのです。 だから、話をそらすなといったのです。わかりませんか? この道理がわからないのなら、もう相手はしませんよ。荒らし扱いとして対応します。 ( 『びしょ濡れアリスちゃん』を読む)

2022-04-17

田中さん、議論にそって話をしないその態度は 十分に傲慢で不遜ですよ。小馬鹿にしているのでしょうが、 もういいから失せてはどうです? わたしはあなたには一切の関心も興味もないのですが。 ご理解下さい。 ( 『びしょ濡れアリスちゃん』を読む)

2022-04-17

田中さん、話をそらさないでください。 ( 『びしょ濡れアリスちゃん』を読む)

2022-04-17

お世話になっております。 ところでコメントとは関係ないのですが、フォーラムにコメントしても わたしのコメントだけ反映されません。 すべてのスレッドでコメントが無効になっています。 何か制限を受けたのでしょうか? (続 グッド・バイ)

2022-04-17

湖湖さん、目立たなかったけれど一番書きたかった小さな部分に 注目して下さりありがとうございます。 ( 『びしょ濡れアリスちゃん』を読む)

2022-04-17

田中さん、なにを詭弁を弄しているのんですか? stさんは投稿散文の中ではっきりと「有名な詩人」と、そうでない詩人という弁別をしている。 しかもネット投稿板でそういう弁別をしているじゃないですか。 あれは、あなたが詭弁を弄するような「ある傾向をもった作品」について書いた散文ではない。 「ある傾向をもった作品」についての散文ではなくその「ある傾向(難しい漢字を使う傾向)」を許容する ことができる資格について書いた作品です。 「有名な詩人」だけ難しい漢字を使ってもいいといっているのです。明らかに「有名な詩人」 ではない無名な詩人を差別している。それすらわかりませんか? そのことをどうして認めないのですか?  >わたくしが問題としているのは、........... って、田中さんは仰るが、無名詩人が多いネット上でその無名詩人にだけ難しい漢字を使うなと罵倒したstさんを称賛された。 わたしが批判したので糞扱いの文言をしている後半部をstさんは削除されたようですが、それにしてもひどい差別だった。 ふつうの神経では考えられない内容だった。その散文に田中さんは無批判にポイントを入れ称賛していた。 とうぜん、stさんの主張を認めたと思われることは考えないのですか? わたしが今回の投稿作品で問題にしたのはあなたのそういう他者性のない芸術至上主義的な傲慢さです。 その傲慢さを問題にしたとしても非難したのではなく、わたしにはもういっさいの関心や興味をもたせない詩人だと考えさせられる 理由を書いただけです。ちゃんと読んで下さい。 ( 『びしょ濡れアリスちゃん』を読む)

2022-04-17

stさんがネット詩人を侮蔑した投稿の冒頭は以下のものです。 わたしが注意したので後半をほとんど削られたようですが、それでも冒頭には 次のような発言がある。  最近やたら難しい漢字を使った詩が多い。いちいち検索するのも面倒なので  、そんなものはスキップする。いったいこれらの詩の作者たちは何様なのだ  ろうか。有名な詩人のものなら、そんな手間をかけても読む価値があるだろ  うが、できるだけ大勢の人たちに読んでもらいたいなら、調べなければなら  ないような漢字などは使わない方がよいだろう。そんな中で、必ず読ませる  作品がある。田中宏輔氏の詩の日めくりだ。 https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=368783 この投稿に対して田中広輔さんはポイントを付けた上で 次のようなコメントを寄せられている。  拙作についてご批評くださり、ありがとうございました。たいへんうれしゅうございました。 田中さんはわたしに  わたくしがネット詩人(というものはいないというのが私見ですが)を卑しめたといった嘘を  広められてはかなわないなということ、ただそれだけです。 と書いてこられたが 田中さんは、ネット詩人を卑しめている散文によろこばれているじゃないですか。 もちろん、その事はわたしの投稿にはいっさい書いてないし、そのことを問題にもしてなかった。 しかしあなたがわたしに「ネット詩人を卑しめているとウソを」などとおかしなことを書いたから、 それは違うでしょと、事実を出してきたわけです。 くり返しますが田中さんがstさんに感謝するのは勝手だしこの散文ではそれを云々していない。 あえてこのことを指摘したのはあなたのコメントに他者性がないから、自分への評価だけしかみていない その傍証にもなるとおもったから、現フォの例を出したのです。 もうこの話はやめられてほうがいい。やぶ蛇になるだけです。 ( 『びしょ濡れアリスちゃん』を読む)

2022-04-16

それはいう相手が違う。ぜんぜん方向違いです。 あなたはstさんに一生懸命ポイント入れてるけど、かれは現代詩フォーラムの散文で有名詩人以外の ネット投稿者は糞のくせに難しい漢字を使うなとはっきり書いている。これこそがネット詩人を卑しめているわけでしょ。 わたしはすぐにそれはネット詩人差別につながるとコメントした。少しだけ訂正したようだけど、それでも主旨は シロウトのネット詩人ごときが難しい漢字を使うなというものだった。そのstさんに、あなた、ポイント入れてらっしゃる。 あなたご自身こそがそういう偏見をもつ人を認めてるじゃないですか。そんなことをしておいて わたしにいうのはまったくのお門違いです。ていうか、あなたがstさんのネット詩人差別を認めていることの傍証といわれても 仕方ないですよ? ( 『びしょ濡れアリスちゃん』を読む)

2022-04-16

stさんがネット詩人を侮蔑した投稿の冒頭は以下のものです。 わたしが注意したので後半をほとんど削られたようですが、それでも冒頭には 次のような発言がある。  最近やたら難しい漢字を使った詩が多い。いちいち検索するのも面倒なので  、そんなものはスキップする。いったいこれらの詩の作者たちは何様なのだ  ろうか。有名な詩人のものなら、そんな手間をかけても読む価値があるだろ  うが、できるだけ大勢の人たちに読んでもらいたいなら、調べなければなら  ないような漢字などは使わない方がよいだろう。そんな中で、必ず読ませる  作品がある。田中宏輔氏の詩の日めくりだ。 https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=368783 この投稿に対して田中広輔さんはポイントを付けた上で 次のようなコメントを寄せられている。  拙作についてご批評くださり、ありがとうございました。たいへんうれしゅうございました。 田中さんはわたしに  わたくしがネット詩人(というものはいないというのが私見ですが)を卑しめたといった嘘を  広められてはかなわないなということ、ただそれだけです。 と書いてこられたが 田中さんは、ネット詩人を卑しめている散文によろこばれているじゃないですか。 もちろん、その事はわたしの投稿にはいっさい書いてないし、そのことを問題にもしてなかった。 しかしあなたがわたしに「ネット詩人を卑しめているとウソを」などとおかしなことを書いたから、 それは違うでしょと、事実を出してきたわけです。 くり返しますが田中さんがstさんに感謝するのは勝手だしこの散文ではそれを云々していない。 あえてこのことを指摘したのはあなたのコメントに他者性がないから、自分への評価だけしかみていない その傍証にもなるとおもったから、現フォの例を出したのです。 もうこの話はやめられてほうがいい。やぶ蛇になるだけです。 ( 『びしょ濡れアリスちゃん』を読む)

2022-04-16

それはいう相手が違う。ぜんぜん方向違いです。 あなたはstさんに一生懸命ポイント入れてるけど、かれは現代詩フォーラムの散文で有名詩人以外の ネット投稿者は糞のくせに難しい漢字を使うなとはっきり書いている。これこそがネット詩人を卑しめているわけでしょ。 わたしはすぐにそれはネット詩人差別につながるとコメントした。少しだけ訂正したようだけど、それでも主旨は シロウトのネット詩人ごときが難しい漢字を使うなというものだった。そのstさんに、あなた、ポイント入れてらっしゃる。 あなたご自身こそがそういう偏見をもつ人を認めてるじゃないですか。そんなことをしておいて わたしにいうのはまったくのお門違いです。ていうか、あなたがstさんのネット詩人差別を認めていることの傍証といわれても 仕方ないですよ? ( 『びしょ濡れアリスちゃん』を読む)

2022-04-16

田中さんが指摘したようなことについては、わたしはこの雑文では何も書いておりません。 むしろ仮にそうだったと仮定してもむしろ田中さんを擁護しています。 わたしが田中さんについて書いたことはひとつ。芸術至上主義者にありがちな傾向性として 他者のなさからくる、他者への傲慢があると指摘した部分でしょう。 わたしが愛知トリエンナーレ展で昭和天皇の写真をバーナーで焼いて 踏みにじる動画を批判したことはご存知だと想います。 このビーレビにも愛知トリエンナーレ展を批判した雑文を投稿しました。 これはどうしてかというと天皇一家の方々はまだ生きているわけです。 別に天皇ちゃんなんかどうでもいいのですが、一人の人間としてその存在や 生命を尊重しない態度は最底辺の人間をおも尊重しないのと同じ態度です。 主義主張なんか関係ないです。一人の人間としてみた場合、その存在や 生命はまったく同じです。そういう意識があれば天皇も乞食も同じです。 天皇だからといって まだご家族もおられるのにその写真をバーナーで焼いて踏みにじるという行為は あきらかに政治的意図をもっているわけで、その政治的意図が芸術性を 損なっていると考えるのは、普通の生活者ならとうぜんの感想です。 いくらその動画が芸術として優れていても、ふつうの感性があれば受け入れられ ないこともあるわけです。 つまり他者を無視した芸術至上主義はそういう人には容認されないでしょう。 そういう他者の存在を認めることは大事だとおもいます。 ところがあなたは現代詩フォーラムに上げた「日記」で、天皇を燃やす写真の 芸術性を理解できない人を小馬鹿にしていた。その芸術性を理解できない人に 首をかしげていた。 わたしはそういう感想は傲慢だと感じました。 仮にある人がその芸術性をわかっていても、人間の存在を 否定するような政治性があればとうぜん、芸術を受け取る際に否定性が入ってきて 当然でしょ。あなたにはそれが理解できない。わたしはあなたには他者が存在しないの だなとすぐにわかった。ある意味、芸術至上主義者なんでしょう。それはそれでいい。 しかし他者性のない人間は未熟な人間です。そういう人の書いたものがいかほど 面白くともわたしはそんなものは芸術とは認めません。精神の未熟なひとの作品は やはりトータルには貧弱です。貧弱だけならいいのですが、その考えが人の存在を 脅かすことになる可能性もある。本人が知らなくとも。 だからわたしは田中さんにはまったく興味も関心も失ったと書いたのです。 これは今後とも変わりません。 わたしごときが一切の関心も興味も失ったところで、田中さんにはたくさんの 支持者も理解者もおられるのですから屁でもないでしょう。 しかし、中田さんがいったようにそういう姿勢が傲慢であることもまた事実です。 この考えは今後とも変わりません。 ( 『びしょ濡れアリスちゃん』を読む)

2022-04-15

どうも。 ほんとうにお世話ばかりかけます。 ありがとうございました。 ご指摘のマナー、ルールー等念頭に置いて 投稿や感想をさせて頂きます。 (続 グッド・バイ)

2022-04-15

運営なら感想欄で書かせずにフォーラムに誘導するのがふつうでしょ。 ここで荒らしを助長してどうするんですか。まったく信頼性がおけないですよ。 (続 グッド・バイ)

2022-04-14

仁川路 朱鳥さん わたしはこの投稿作品書くのに丸一日潰してるんです。必死です。汗かいて 投稿してます。その作品を守る気がないのなら運営やめたらどうですか? だれが一輪車だのなんだの、それって感想に関係ないでしょ。 常々、運営の方には感謝している旨、表明していましたが、これじゃどうにもならんでしょ。 (続 グッド・バイ)

2022-04-14

仁川路 朱鳥さん >室町礼さんと一輪車さん(ビーレビユーザーではないようですが)の間に『誰の目で見ても明らかな』共通点はありますでしょうか? って、^^ そもそも作品の感想欄でそんな話題すること自体おかしいでしょ? 運営なのにわかりませんか?^^ あ、返事はいいです。なにも期待してませんから。^^ (続 グッド・バイ)

2022-04-14

三浦さん、本来わたしがやるべきことですが、心配してくださってすみません。 春先ですからこういう心の病の方は出てくると思うんです。 それと運営も甘いですよね、対応が。わたしはもういっさい匙を投げてます。 ですから三浦さんには感謝していますが、病んだ方を相手にしても意味がないような 気がしますので、放置しておけばいいと想います。 こんな荒らしが歴然としていながら運営は「今後●●」だのとお茶を濁している。^^ 病んだ方も運営さんもどうぞご自由にとしかいいようがありませんね。 (続 グッド・バイ)

2022-04-14

Inflated like a bra The outer skin of the bread Brilliant morning Beautiful scent Join hands at the beginning of a bright day Bring bread to your mouth Apply butter With bacon in between ブラのようにふくらんでいる パンの外皮は うつくしい朝の 奇跡のような香り 輝かしい一日のはじまりに手をあわせ パンを口に運ぶ バターを塗り ベーコンをはさんで (B-REVIEW 4月のお題詩「B」)

2022-04-13

三浦さん、わたしに代わり注意をうながして下さり恐縮です。 運営が許しいているようなのでわたしはいっさい放置しています。 これが現在の運営のレベルだとおもっています。 (続 グッド・バイ)

2022-04-13

三浦さん、お読み下さりありがとうございます。 太宰の未完の遺作『グッド・バイ』の続編を書きたいと思っていたのですが あの小説は太宰の神経が酒に侵されていたせいだと想像するのですが、 集中力を欠き、バラバラで、マンガのようなセリフ回しがあって、おそらくやけくそで 書いていたとみていました。ですから、この劣化した太宰の文体を真似ることが ずっとできなかったのですが、今日は二日酔いで頭がぼうっとしており、ちょうどいいとばかり そのままぱっと書いてみました。でもやはり後半からわたしのハードボイルド風の 文体になってしまいました。 お読み下さりありがとうございます。 (続 グッド・バイ)

2022-04-10

訂正 上から七行目 「早苗は薬を飲んで今眠ったばかりだ」→「ケイ子は薬を飲んで今眠ったばかりだ」 今日一日で書いた物語なのでかなり荒いですがご容赦。 (続 グッド・バイ)

2022-04-10

壊れたセカイで 壊れた僕らは 矛盾を許せ無かった 矛盾した僕ら この連、胸に響くものがありました。 (milk mm)

2022-04-10

おはようございます。 黒髪さんだから忌憚なく感想が述べられる安心感がある。 つまりわたしは黒髪さんにはコメントを誤解されないと信じている。 あるいはひょっとすると黒髪さんはだれより 心が広く自由であるのだろう。それにわたしがかってに甘えているのかもしれない。 コメントすることにこんなに制限を覚えないですむ方もすくない。 みながこうであってくれればありがたいのだがそうもいかない。 さて作品への感想ですがいい意味での便所の落書きのようなものだと思っています。 何も考えないですむような内容ですし、また、何の意味もないと思います。 いい意味で。 (言葉の自由)

2022-04-10

おはようございます。 ほのぼのとした家族の小日常の一コマにふんふんとうなずきました。 ただ、鈍いわたしには何が残酷なのかもうひとつよくわからない。 生理という自然が自然に育まれて現象したことはむしろよろこばしいのではないか、 そんなことを考えました。 (他言無用)

2022-04-08

おやおや。 わたしに一度ならず二度も憎悪に満ちたコメントをされたのは 天才鷹枕可さまのほうでございますが、ご自身が嫌な相手からコメントされることが どれほど不快であるか、ご自覚なさったなら、 いさぎよく相手に謝罪すべきではないかと存じます。 もっともわたしは天才鷹枕可さまを憎悪などしておらず、ただただ称賛しておる ばかりです。 眼からうろこを落として、わたしの賛辞をよくお読み下さるようお願いもうしあげます。 (華燭の茎_膠と絵筆)

2022-04-07

いつも拙作にゆえなき憎悪と偏執のコメントをつけてくださる 天才詩人鷹枕可さまに、小生もお礼のしるしにつたない読後感など。 孟子曰、 人不可以無恥。無恥之恥、無恥矣。 再孟子曰 人不可以無恥 (埋葬、汀にて)

2022-04-07

鷹枕可さま 読み込んでみましたが >凡そ私の書き得るものは、所詮自涜の塵芥に過ぎぬ 読めば読むほどそんなことはありませんよ。 これはすばらしい暗黒芸術の一分野です。 修辞塗れ、核心が、目的がないとおっしゃるが それは読むものがみつければいい。 憎悪の爆発です。鷹枕可さまの心の底に溜まり溜まった 黒黒とした対象のない憤怒が、相手を探して浮遊し、 妄想のなかでわたしの投稿に敵意を抱き、糞便のような憎悪をぶちまける。 その大本にあるのがこの詩ではないでしょうか。 むかし暗黒舞踏というものがありましたが、憎悪と憤怒のはけ口としての 暗黒詩。こんなものはみたことがありません。 もっと多くの人がこのブラックポエムを評価すべきです。 感動のあまり思うがまま書き留めましたがご容赦。 これからもその狂気のような怒涛のような溜まり溜まった 劣等感と憤怒をぶちまけてください。ただし、わたしの投稿作は天才鷹枕可さまの 糞便のような憎悪を吐き出す対象ではございません。 今後はおてやわらかにお願い申し上げる次第です。 世に隠れた天才ポエマー鷹枕可バンザイ。^^ (華燭の茎_膠と絵筆)

2022-04-07

鷹枕可さま いや、二度と読みたくないと申しましたが 一度読んでみて不思議なことに、時間がたつごとに大変興味が湧いてまいりました。 これは一度批評に挑戦してみたくなる世紀の奇書です。 この詩を翫味して批評にあげてみたくなりました。 これだけのものをネットの隅に埋もれさせるのは惜しい。 フリークホラーポエムの傑作です。浮遊する憎悪がだれかれなく 憑依をもとめてめらめらと燃えている。すごいです。 ここでの投稿回数は使い果たしてしまったので仕方なく 近日、現代詩フォーラムに上梓しますので、どうか ご期待ください。 (華燭の茎_膠と絵筆)

2022-04-06

こんにちわ。 いつもわたしにコメントを下さっているのに読んだことも コメントしたこともないことを少し申し訳なく思っておりました。 素直にいいますと投稿者さんのファンではないのですが、 いわば義務的な返礼としてといっては失礼ですが正直な感想をさせていただきます。 うそいつわりのない読後感をもうしますと、やはりちょっと気持ち悪い。^^ ひとつひとつの行の独特の表現が不気味です。 むかし、学校の薄暗い標本室で アルコール漬けの胎児やガイコツの標本をみたときのような ぞっとする陰湿な憎悪や 深刻なコンプレックス、凄惨な恨みのようなものが 行間に漂っていて、それが何の脈絡もなくどこへでもとんでいって付着しそうでもある。 詩の分野にもしもホラー詩の分野があれば、これはまさしくダントツで大賞を受賞するでしょう。 わたしはあまり読みたくもありませんが、こういう詩を愛読するファンも 多数いると思います。そういう意味では詩の世界において特記すべきホラーチャンピオンでしょう。 いつか必ずこの、光の差さない、蜘蛛の巣の張ったような湿った地下の密室に散乱する、 首の外れたマネキンやネズミの死骸、若き女性のアンネの血が染みた脱脂綿、暖炉にくべた眼鏡、 錆びた鍵類etcなどで埋め尽くされた暗黒の世界に 脚光が浴びせられる日が来るかもしれません。 たしかに異端な分野ではありますが、ちょっとやそっとでこのようなものを書く詩人は 世界広しといえども見いだせないでしょう。 そういう意味ではビーレビにとって貴重な書き手であると思います。 ご健闘をお祈りします。 わたしは一度で十分でして二度と読みたくありませんが。 (華燭の茎_膠と絵筆)

2022-04-06

人にコメントするさいのマナーもわきまえぬ 御仁へ。 詩経に曰く。 我に投ずるに木桃を以てせば、之に報ゆるに 蔑瑶を以てす。 我に投ずるに木瓜を以てせば、之に報ゆるに 蔑裾を以てす。  意味 从一个老疯子的嘴里流口水 我不仅仅是写一首像泡沫一样的肮脏的诗 倒不如死了。 ( 『びしょ濡れアリスちゃん』を読む)

2022-04-06

おはようございます。 作中人物の告白についてですが、 意味を求めて意味もなく足搔くことが 自然であるなら、いくら辛くても足掻けばいいとわたしは思います。 作中人物のどんな生き方もそれが自然であるなら肯定します。 人様より少しだけ苦労して長生きしたつもりのわたしから 作中人物にいうことばがあるとすれば 自然を愛し、自然を忘れないでほしい。自然とは富士山や長良川や 桜や雪のことではありません。 ありのままの自分を肯定してあげて、 ありのままの自分を受け入れ、引き受けてやることも 自然という雄大な存在形態のひとつです。 話はとぶかもしれませんがLGBTというのはひとつの誤謬、 倫理の齟齬です。かんたんにいえばLGBTなんか虚構であり、 非人間的な倫理であり、人の心を殺すものです。 女性であることが嫌という心の動きにはどこかに間違いがあります。 いずれわかる日がきっと来るだろうけど、 とりあえずはわたしを信じて自然を愛することに賭けてほしい。 そんなことを作中人物に思いました。 (いのり)

2022-04-06

DaysXMa≠naさま 浅はかにもわたしが誤読していたようです。 申し訳ありません。 出る釘は打たれる。出るモグラの頭は殴られる。 これを肝に銘じて奮闘努力する次第です。 失礼しますた。 (陥落前夜)

2022-04-05

訂正 「ら」が抜けていました。 訂正後の文章はこちら。 ↓ 短歌のシロウトの感想なので間違っていましたら お許しください。 (桜水 短歌3首)

2022-04-05

訂正 「ら」が抜けていました。 訂正後の文章はこちら。 ↓ 短歌のシロウトの感想なので間違っていましたら お許しください。 (桜水 短歌3首)

2022-04-05

おはようございます。 いずれも 上句にはなかなかの風情を感じました。 というか、けっこうイケてる。 しかし、いずれも下句がすこし冗長であったり 重複であったり、順接であったりして わたしは書けませんが短歌ってなかなかむつかしいなとおもいました。 おそらく詩を書く方だから風情のある上句はすらすらと でてきたのでしょう。 問題は下句です。現代の人が書くのならここで 思い切った転換がほしいところでした。 とはいえ、非常にむつかしい要望ですから、 まあ、こんなもので了としたいところです。 短歌のシロウトの感想なので間違っていました お許しください。 (桜水 短歌3首)

2022-04-05

おはようございます。 わたしも前後不覚、先が見えない。 こうなればもう他力本願しかないのかも。 そんなことを思わせる詩ですが、 もうちょっと書いてもよかったような気が しないでもありませんでした。 (迷子)

2022-04-05

おはようございます。 糖質との戦いを歌ったように読みました。 壮絶ですね。 (スィーツ三昧 短歌三首)

2022-04-05

こんにちわ。 雨。 雨はたしかに天から落ちてきますね。 この当たり前の事実が常識となって意識化している。 だけど雨は 神から一番遠い存在のものかもしれない。 ミミズのうめきでもいいし 仕方なく兵士に徴用された殺人者の慟哭(どうこく)でもいい そのように囚われた意識の世界をひっくり返す。 それが詩じゃないかと ふと思いました。 (cry in the me)

2022-04-04

こんにちわ、仁川路 朱鳥さん わたしはスポーツも芸術だし料理も芸術だと思っています。 ゲームの総合芸術性を否定するつもりはありません。 しかし同じ料理であってもカツ丼と餃子が違うように、同じ総合芸術であっても スポーツ、あるいは料理の芸術理論を詩の芸術性にあてはめるには すこしばかり違うものがあります。 大枠ではカツ丼も餃子も同じ料理ですが、カツ丼にはカツ丼の美学があり、 餃子には餃子の美学があるでしょう。 カツ丼に餃子の美学を求めるなら餃子を食えばいい。 そういう意味で書いたのですが、書き方が少々雑であったゆえに 誤解を生じたことは否めません。 また、 レトリックを使う人に嫉妬しているのでは?というご指摘は 仁川路さんの心の動きとしては一理あります。 しかし選択と転換もレトリック”の一部であることは投稿作に書いておりますから おそらく仁川路朱鳥さんのご指摘の「レトリック」とは 隠喩や音韻のことを指しているのだとおもわれます。 隠喩を多用することについては、これは選択と転換に回収される問題ですから、 わたしは隠喩のむつかしさにあまり抵抗を覚えておりません。 わたしが評価した『竹見一穀』は全体が隠喩であり、 細部も隠喩であったことはご了解いただけると思います。 音韻についても関心をもっておりまして     谷町九丁目 歯磨きする童貞 という一文をトビラさんにコメントしております。 一見なんのことかとおもわれるでしょうがこれは「あいあいうおうえ」が重複する文章です。 そういうものを詩の言葉の裏に隠して書くことにも価値をみております。 結論として わたしはゲームも総合芸術だとは思っていますがわたしの問題意識からすれば好みとしては 部外のものであると表明しただけであることをご理解していただきたいとおもいます。 拙作を丁寧にお読みいただき、また、鋭いご指摘をいただき感謝しております。 ありがとうございました。 (詩の文法)

2022-04-04

こんにちわ。 この詩よくわかります。 人は集団とうまくやっていくには 自分を殺さなければなりませんから。 一人になったときまた自分を蘇生させるのですが 演技をしていた自分はどこに仕舞うのだろうかと ときどき考えていましたが、 この詩を読んでなるほどそんなものかなと考えました。 (私)

2022-04-04

皆様の的確かつ丁寧で心情に満ちたご意見ご感想 謙虚に拝読しました。 このような拙文にコメントをありがとうございます。 (詩の文法)

2022-04-04

みなさまご感想ありがとうございます。 稚拙な詩をひとつご返信に代えて。    批評はストリップである 胸のあたり しらじらと助骨をみせて わたしは批評する ときには アヌスもさらして わたしは 人さまのスカートを めくる なぜ人さまの痩せた肩に 外套をのせてやれないのか 薄いわたしは ひとさまの衣服を剥がすつもりが いつもじぶんの 剥き出しの 貧弱をさらしている 無防備な姿態を 笑われ 罵られ 軽蔑されて 平気だとはおもわない わたしは 人一倍内向だから とても耐えられるはずもない それでも わたしはわたしをさらす 変態のわたしは とりあえず そうやって生きている (詩の文法)

2022-04-04

こんにちわ 精力的な詩作活動を続けておられるので 敬意を覚えます。 ただし、惰性で書いているところもあり、 今回の投稿詩、わたしには三連目だけが詩になって いると思われました。 人それぞれでしょうが、わたしにはあとはいりませんでした。 そして三連目もそれほどいいわけではありませんでした。 ただ、 海苔弁という言葉の選択はいい着眼点だと思いましたし、 原動機付き自転車という言葉の選択もいい選択だと思いました。 この二つをもう少しうまく料理すればリアルな日常世界が蘇った かもしれません。 でもこういう言葉の選択がさっと出来ているところがやっぱり凄い感性を もった方だと思いました。わたしには真似できません。 ((寒の戻り))

2022-04-03

ちなみに「破門」は連続ドラマです。 netflexの映画「破門」のほうは糞です。ドラマのほうは もう上映されていません。 (詩の文法)

2022-04-03

On the movie One Flew Over the Cuckoo's Nest McMurphy: But I tried, didn't I? Goddamnit, at least I did that. 映画 カッコーの巣の上で マクマーフィのセリフ 「だが挑戦してみただろ?クソったれ!少なくとも俺は挑戦した」 (詩の文法)

2022-04-03

おはようございます。 読ませていただいて考えたのですが、 こういうのはすべての人間にとって 普遍的な問題だと思うんですよね。 探しものというのは探しものをしている その人間の存在それ自体だと思うのですが 探しものをしている人間それ自体はそのことに 気づかない。そんな気がしました。 (さがしもの)

2022-04-03

おはようございます。 わたしはyatukaさんのファンなのでいつも投稿を期待 させてもらっていますが、...... 正直いわせていただきますと 最近はどんどん低調になっているようにみえます。 ことばの使い方やレトリックもどんどん劣化している。 詩ってほんとうに助詞ひとつの使い方を間違っただけでも それだけでダイヤモンドがただの石ころになる。 最近は、 言葉に対する細心さが失われているような気がしてなりません。 ほんとうに書くことがあるのでしょうか?  朝の花の市場 これはほんとうにこれでいいのでしょうか?  青空は宇宙の暗がり 暗がり? こんなことばをつけていいのでしょうか?  君 こんなことばでいいのでしょうか。 そんなことを感じました。 これはわたしの個人的主観的な好き嫌いの表明ではなくて 普遍的な意見だとじぶんでは思っていますが、 もし主観的な好き嫌いであると思われるなら今のうちに 謝罪しておきます。 他の方ならともかく、yatukaさんほどの方がこんな粗雑な詩を 書いてはいけません。 失礼しました。     (花と傷)

2022-04-03

こんにちわ きれいな、いい詩ですね。 春の訪れの中にひそむ小さな痛みのようなものも 感じられ、なおいっそうことばが輝いてみえました。 こういう詩には少々気恥ずかしいのですが キザな感想もいいかと思ってコメントしました。^^ (なりたい)

2022-04-01

訂正 『破門』(疫病神シリーズ)はwowowではなくNetflix製作でした。 ここに訂正してお詫び申し上げます。 (詩の文法)

2022-04-01

おはようございます。 非常に日本的な情念が舞台上の演劇空間に うつくしい筆致で描かれていると思いました。 (貴女に死にたいと言われたから)

2022-04-01

おはようございます。 ラストの一行に共感を覚えました。 コロナ騒動や経済停滞、ウクライナなどのニュースに 日々接していて わたしもそのセリフ、 胸の内でつぶやいたことがあります。 戻ってきてほしい日常とは描かれているとおり 他者とのなごやかな関係性であって それが失われた社会とはどれほど不幸なんだろうかと おもいます。 (送別会)

2022-04-01

誠に、まことに失礼しました。 竹田一穀ではなく竹見一穀でした。(-_-;) 申し訳ございません。 (陥落前夜)

2022-04-01

前作の『竹田一穀』は現代詩の傑作だとおもっていたので 次の御投稿を心待ちしておりました。 意外や意外、蓋を明けてみると 自由律俳句のようなものだったので驚きました。 この平板さはいったい??? 前作との乖離があらゆる意味で大きすぎて その謎に 呆然としております。 (陥落前夜)

2022-03-31

追記 それから 申し上げ忘れましたが鷹枕可さん 春先には気候の変動が大きく身体や精神の変調をきたす方も多いと 聴いております。 鷹枕可さんも、どうかくれぐれも御身お大事に。^^ (プーチンの祈り)

2022-03-31

鷹枕可さん、おはようございます。 お読み下さりありがとうございます。 また、真剣なご講評をいただき痛み入ります。 ただ、 まことに申し訳ありませんが少しばかり 誤解があるようです。 えーと、非常に心苦しいのですが、 ご承知のように これは詩ではありません。 それから小説でもありません。 また芸術論でもありません。 これはいわゆる世間で情況論といわれるものです。 もちろん仰るとおり下手な情況論ですが。 たしか、ここは詩だけでなく散文も短歌も批評も 政治論や情況論も 投稿可能なはずですので、 鷹枕可さんの批判はちょっとばかり的外れな 気がしないのでもないのです。 つまりこれを詩と受け取って批判されても困りますし、 芸術論と受け取っていただいても困ります。 情況論とは現実です。リアルな現実ではなく わたしにとって現実です。 わたしにとっての現実とはつまりわたしの生活です。 これは自戒を込めていうのですが 基本的に詩人や小説家のお粗末な世界認識からくる 政治発言ほど みっともないものはないと普段から思っておりまして わたしたちは 詩人や作家の虚構世界に耽溺するあまりかれらの世界観の 貧弱さに気がつかないことが多い。 しかしかれらの発言のもとになる世界認識が 一方的な世界からの情報をもとになされているとすれば その発言もとうぜん偏向から 逃れられないわけです。 わたくしごとで申し訳ないですが わたしは 吉本隆明という思想家の意見や主張を あらゆる物事を理解する上での 指針にしていました。 しかしロシアによるウクライナ侵攻を目にして G7国がいかにデタラメに満ちたフェイクを垂れ流しているかを 目にしてしまった。 巨大資本がいかにウクライナ、ロシア両国民を食い物に しているか、気がついてしまった。 吉本という、わたしにとって偉大な 思想家への私淑は あっけなく消滅した。 今から考えるに 吉本の情況論は旧ソ連がポーランドに侵攻したことを G7側の善悪二元論で処理していた。 悪いのは旧ソ連で被害者はポーランドだという 欧米が垂れ流す価値観をそのまま受け取って かれの政治思想や情況論を展開していた。 そのうえで "ベ平連"などの反米活動家を非難していた。 しかし今からかえりみると 批評家、思想家としてその態度は間違っている。 日本のテレビ新聞情報を丸ごとそのまま信じ、 世界をニ元論的にとらえて それを前提にどのように精緻な理論を展開しようと そもそもそんなものはただの虚構でしかない。 これは反米運動家にもいえることで、 一方的に欧米を悪ととらえて偏向するようなものも ただの政治活動であって批評ではない。 断っておきますがわたしは 「どっちもどっちだ」というような 幼稚な諦念を敷衍(ふえん)したいのではないのです。 「どっちもどっち」ではなく「どっちかではない」 といいたいだけなのです。 もちろん 古代ギリシャの哲人タレスのように 世界は水からのみ出来ているという単純な世界観をもって 思想が語られているからといって その時代の古代哲学の芸術性を否定するものではない。 しかし批評行為は芸術活動ではなく現実である。 古代哲学は批評的見地からみればポエムや読み物であっても 現実ではない。 わたしにとって批評のことばは 詩的行為ではなく現実そのものを発見することだから その現実にコンタクトしていない どのように偉大な作家の言葉も わたしにとってはゴミであるわけです。 吉本もまたその政治発言の根底においている事実認識は G7の垂れ流したデマをそのまま信じた上でのものだった。 分析や洞察の基礎にあるものがフェイクだから とうぜんフェイクの上になりたつ世界認識から考えられた思想などには わたしにとって一片の現実性もない。 その欺瞞に気づくことを怖れる日本人もまた 偽善のかたまりではないでしょうか。 長々と申し上げてきましたが、 情況論には情況論の具体的事実をもとに批判していただければ もっとありがたかったのですが なにか詩作品と誤解されてのご発言のようですので、 説明をさせていただきました。 (プーチンの祈り)

2022-03-31

comoestanuqui26さん、おはようございます。 ひきつづきコメントをいただき、参考になること大です。 ありがとうございます。 (プーチンの祈り)

2022-03-31

おはようございます。 これはおそらくNMさんの投稿だと想像しますが 間違っていたらごめんなさい。 あいかわらずキレキレの言葉使いや 構成というか 構図の巧みさに眼を見張ります。 わたしも他人様からみてつまらないだろうわたしの リズムを後生大事に生きてきましたが いまだ孤独というものを知りません。 孤独を知ったときはじめてわたしは 知らなかった孤独から逃れて 孤独を感じれるようになるのかもしれません。 (おちんちんひな祭り)

2022-03-30

こんばんわ 一連目の猫の電池が切れるようなlifeの終わり方 印象的でした。 盛大なお葬式をしたいという語りも、ああ、よかったと 思いました。 というのはわたしが以前住んでいた二階建ての古い木造一軒屋は 狭い横丁にあって向かいから三件目の家の隠居爺さんが猫を飼っていたのです。 それはもう大変な可愛がりようで、腕に抱いて散歩していることも あり、その光景をニ階の欄干から眺めながらいいなあと目を細めていました。 ところが、ある日、その猫が死んだのです。 するとその爺さんはなんと! ゴミに出す黒いビニール袋に無造作にいれると そのまま朝のごみ集積所に捨てにいったのです。 まったく表情ひとつ変えずに。なにか部屋のゴミを始末するよりもっと 淡々と。あれはいったいなんだったのだろうか、わたしならお墓をつくって やるとおもったものでした。 この詩を読んで、あの光景を思い出し、ああよかったと心から癒やされた気がしました。 (今朝、愛猫が死んだ)

2022-03-25

本来僕はこの作品にコメントするつもりはありませんでしたが、真昼氏がフォーラムにおいて該当作品への言及が、掲示板内において未だないと仰っておりましたので、それに応える形でコメを寄せさせていただきました。これで真昼氏も筆者様も納得していただけるでしょうか。それでは僕はこれにて。 stereotype2085さん 迷惑です。 フォーラムでの議論はフォーラムでやってください。フォーラムでの返事をわたしの投稿作品感想欄に書かれても 不愉快ですので、今後、この手のコメントはいっさいお断りします。また、二度と返事もいたしません。 >これで真昼氏も筆者様も納得していただけるでしょうか。 なんと失礼な物言いですか。 ここが荒れた場合は運営にも直訴します。 これは真昼さんにも申し上げておきます。今後、どこぞのツィートなりツィキャスなりの出来事を書くことは 御免こうむります。よく考えてみるとそれはわたしには関係のない話しです。今後はその類のコメントは拒否します。 あえて書かれたときはstereotype2085さんと同じく無視させていただきます。 ここが荒れた場合は運営に直訴します。 どうぞフォーラムでご自由にこころゆくまでやってください。 (プーチンの祈り)

2022-03-25

こんにちわ、黒髪さん ひょっとしてキリスト教のようなものを信仰されておられるのかなと 思うほど、非常に清貧な気持ちが表明されていると感じられました。 (ONE LEVEL AND TWO VERTICALS)

2022-03-22

こんにちわ zaltzさん 詩ってものが持つ、特別の力というか、よさがでているように感じました。 着古しカーデガンでもこれだけ豊かな詩になる。 これはすこしばかり勉強になりますた。 (カシミヤではない)

2022-03-21

あ、失礼。作者はyamabitoさんではなかった。間違いました。 まさゆきさん、ごめん。お詫びいたします。 (あたたかな、お説教)

2022-03-21

こんにちわ、yamabitoさん 異郷ではことばも通じず、風習も文化も違う。 群衆のなかの孤独をおぼえていた旅人がふと雨宿りした館で カタコトの日本語で声をかけられる。 みると齢は50をすぎたばかりの品のいいおばさん。 どうも学芸員らしい。旅人はふと田舎の母を思い出す。 それまで凍りそうになっていた心がなごみ、 出されたコーヒーとケーキに気持ちまでが癒やされる。 あの方は、ひょっとしてマリアさまの化身だ、旅人はそう思って..... ......失礼、うっかり寅さんの口調になりました。 派手さはないけど静かな小品だとおもいました。 (あたたかな、お説教)

2022-03-21

真昼さん、わたしに謝罪などまったく必要ありませんよ。 それどころかフォーラムをみて、その真摯な姿勢に感謝しているのです。 わたし個人だけなら黙っていようと思っていたのですが、 わたしの敬愛する福まるさんという投稿者もよそで揶揄されていたとか。 ほんとうだとすればこの掲示板の投稿者が本人そっちのけでよそでネタにされるという 非常にまずい状態になっていると判断せざるをえません。 ただ、 よくよく考えてみると、わたしには少しだけ三浦果実さんには後ろめたい気持ちがあります。 あの方がもしどこかでわたしを冷笑しているのだとすれば、わたしにはかれを強く責められない。 というのは、わたしはかれに何をいわれても、書かれてもどういうわけかかれには申し訳ないのですが 「部活には欠かせないいいマネージャー」という態度で接してきたからです。 この意味わかってしまえば、相手は非常に腹が立つでしょうね。つまりわたしは選手としてはまったく 才能がないし役立たずだが、マネージャーなら使えるという目線であの方をみていた。 文学的才能はほとんどないけど掲示板の世話役にはとてもうってつけだという目で見、接してきましたから 文学的な批判をされても腹の底から笑ってすませていました。それがおそらく相手にも伝わったのかも しれません。もし三浦さんがわたしを酷評するならそれはわたしが持っている彼への態度に原因がある。 しかしわたしはじぶんの考えを変えるつもりはないのです。かれに文学、批評の才能はないと考えています。 ですからこれからもどこかでわたしを酷評することがあってもそれはわたしに非があるから仕方ないと考えました。 ところが、わたしだけならともかく、福まるさんもやり玉にあがっていたらしい。ほんとうだとすれば、 これはほんとうにまずい。わたしはTwitterをみないしツイキャスもいっさい見ないので、真昼さんが問題提起 してくださらなければわかりませんでした。 投稿掲示板全体のためにほんとうにありがとうございます。 しかし運営がなにもしないのだとすれば、もはや、いうだけ無駄のような気もします。 真昼さんは投稿者のひとりとしていうだけのことは仰ってくださったと考えています。 なにやら個人の問題への憶測までフォーラムでとりあげられはじめています。 非常に不愉快な状況になっており、それを後ろで笑っている御仁がいるような気もします。 ほんとうに、心の底から嫌な状況です。 どうか一時避難なさることをお勧めします。 (プーチンの祈り)

2022-03-20

こんばんわ。 タイトルのかっこよさにひきこまれて読みました。 道明寺というとF市かもしれませんが静かな、趣のあるいい町です。 短いことばのなかに愛するものとのドラマがあったのだなと思いました。 (わが老犬果てる前)

2022-03-19

真昼さん、こんばんわ。 わたしはフェイスブックやTwitterはじぶんではやってません。 youtube、yahooですら欧米報道とは違うことを書こうとすると規制がかかりますので これもやっていません。 また他人のフェイスブックやTwitterをみることもありません。 唯一、記事の参考のためにときどき特定の著名人のTwitterをみている程度です。 どなたがどこで何を書いているか知りませんが、わたしの稚拙な雑文への嘲笑なら、 それがかれらにとっては正しい態度、姿勢だと思います。 真昼さん、わたしのために立腹してくださってありがとうございます。 こんな文章、だれにも読んでもらえないとおもっていたので、 陰口であれ、嘲笑であれ、とりあえずだれかが読んでくれて、なにかの刺激を受けたからこそ そうやって語っているのだとおもうと、ありがたいと思うことにしようとおもうのです。 それより、ロシアがとうとう超音速ミサイルを使用したと発表しました。 このままいくと、米国の頭の狂った耄碌大統領のために人類は未曾有の危険領域に進みそうです。 明日には世界がどうなっているかすら危うい状況です。笑 真昼さん、今の内になにかうまいものでも食べておきましょう。 それではおやすみなさい。コメント、感謝です。 (プーチンの祈り)

2022-03-19

かずやさん、お読みくださりありがとうございます。 この投稿散文は世界の非対称について書いたものです。一度、裏側の世界から わたしたちの欧米世界をみてみればどうなるかということが、 実は書く前はそう思っていなかったのに、書き終わってみると向こう側の世界から 書いておりました。 向こう側の世界がこれから日本に押し寄せてくるでしょう。 そのとき、おそらくわたしたちは「ほんとうのこと」に直面することになるとおもいます。 ていねいなコメントも含めてありがとうございました。 (プーチンの祈り)

2022-03-19

トビラさん、お読みくださりありがとうございます。 わたしも同じ考えです。 しかし今の欧米(とくにユダヤ系が暗躍する金融巨大資本がからむ 歴史的な収奪と背反の世界はどうやら旧約聖書で定められていたらしいのです。 松岡正剛の千夜千冊『レベッカ』を読んでいてそう思いました。 松岡は中学生向けの世界史の本のなかで最後にこれを出し「レベッカの裏切り」 というタイトルで詳しく(怪しく)書いています。 キリストが「敵」を愛することはあるのか、残念ながらそういう指導者は 少ないのだなと落胆しております。 (プーチンの祈り)

2022-03-19

三浦果実さん、お読みくださりありがとうございます。 今日のニューヨーク、ブルックリン街の映像をFOXニュースで見ているところですが ホームレスではないふつうの勤め人の人までが食料を求めて炊き出しの列に並んでいます。 食料品の高騰が原因らしいですが、日本に波及するのは今年の初夏のころでしょう。 年末には米などの買い占め騒ぎが起きていても不思議ではないです。 いま、米国ではたいへんなことになっていることを日本の報道は伝えません。 わたしはこういった出来事の受け売りをしているだけですから、知っている方々には 一円の値打ちもないものです。たんに様々な驚きの情報を編集して、若干、わたしの考えを 述べているだけです。 (プーチンの祈り)

2022-03-19

まさか信用していただけないかもしれませんが ウクライナ紛争が再燃してからわたしはこのところ毎晩 寝る前にロシア、ウクライナ両国の戦争に巻き込まれて亡くなられた国民の方 そしてその他のすべての国の被害者のことを思ってから 眠りにつきます。窓の外にいまこの瞬間にもキノコ雲と閃光がはしることも 想像します。おそらくわたしが人一倍心配性だからかもしれませんが こんなことをわざわざ書かなくとも、そういう気持ちがなければわたしは わざわざこんな時事記事など面倒くさくて書きません。 世界を牛耳っている一握りの権力者たちによる犠牲を少しでも少なくしたいから 冷徹に、いきとしいける人々のことを消して、 権力者たちの構造をここに指摘したいからです。換言すれば一刻もはやく 少しでも多くの方々に真実を知って頂き、 世界から彼らの犠牲者をなくしたい一心で書いています。 (プーチンの祈り)

2022-03-19

森石 州未州さんへ 追記 上記のように書いてからすぐ考えて見るに、ああ、 森石さんのおっしゃるとおりかもしれないと 考え直しました。 わたしは今この瞬間に傷ついている人たちのことを 考えていない。 いや、考えられない。じぶんでは最近毎晩、今この瞬間 傷ついている人のことを考えて眠りにつく日々が続いているけど、 多分、想像を絶するので考えているつもりでも考えられないのだ、 こんな平和な国に住んでいて考えているなど傲慢だと反省しなおしました。 じぶんでかってに傷ついている人のことを考えているつもりの すべての人にいいたいです。わたしたちには考えることなどできないと。 でも、もっと考えてみれば今現在この国でも自民党に限らず野党政権のときも 財務省のいいなりになって緊縮財政を踏襲し、そのお陰で何万人もの人たちが 自殺して死んでいる。もう三十年も日本は世界でもまれに経済成長していないし 給与もあがっていない。 日本でもずっと傷つく人はでている。それでもそんなことを知ろうとしない人が多い。 わたしは人に向かって「今、この瞬間に傷ついている人のことを思へ」など 恥ずかしてくて決していえないでしょう。 (プーチンの祈り)

2022-03-19

福まるさん、おはようございます。 書き手はたぶん小学生だと思うのですが 明治、大正、昭和初期にはあたりまえだったのですが こういう子はわたしの知る限りでは周囲にいなくなりました。 わたしも一人前の大人ですが、でも、心の隅には人の役に立ちたい という気持ちはいつもあります。それはけっして立派な考えからではなく、 そうすると気持ちがいいからです。ま、自分かってなんですが、 そういう気分を他人に語ることは一度もありませんでした。恥ずかしいですから。 でも、こういう詩を読むと、ほんとうにすっきりします。 書いてくださりありがとうといいたいくらいです。 かといってわたし、いいことばかりしているわけじゃなく、結構、じぶんの 利益や欲望も人一倍追求する人間です。念の為。 (子供たちの夢)

2022-03-19

森石 州未州さん、お読みくださりありがとうございます。 傷ついているのは現在の世界のすべてのひとびとであり、 過去の世界のすべてのひとびとです。欧米ほかの一握りの権力者以外は。 そういう気持ちがあるからこそ書いているのですが、 理解いただけなくて残念です。 (プーチンの祈り)

2022-03-19

柳煙さん、お読みくださりありがとうございます。 おっしゃるとおり「避難民」が「非難民」になっていますね。 ここに訂正してお詫び申し上げます。 (プーチンの祈り)

2022-03-18

yamabitoさん、お読みくださりありがとうございます。 (プーチンの祈り)

2022-03-18

comoestanuqui26さん お読みくださりありがとうございます。 (プーチンの祈り)

2022-03-18

福まるさん、お読みくださりありがとうございます。 ご指摘のとおりだとおもいます。 やっぱり核戦争はいやです。 なによりもロシア、ウクライナの国民の命が捨てられている現状が解決されることを 祈っていますが........どうなるのでしょうね。 (プーチンの祈り)

2022-03-18

真昼さん、お読みくださりありがとうございます。 先ほど、yahooニュースをみるとバイデンがプーチンを戦争犯罪者と名指しして非難しておりましたが、 1980年代、米国はベネズエラを攻撃し数万という人々を殺しています。 ベネズエラの提訴により国際司法裁判所で米国はテロ国家として「有罪」になっています。 米国はそれでも判決をいっさい無視して攻撃をエスカレートさていますた。 1998年にはスーダン最大の医薬品工場を破壊し、スーダンの医療に壊滅的な打撃を与えた。 そして現在でも、パレスチナ人を弾圧するイスラエルや、クルド人を弾圧するトルコに多額の援助をおこなっている。 あるいはバイデンの息子がウクライナで経営する会社が収賄に問われたとき、検事長を罷免させている。 世界で唯一、国際司法裁判所から犯罪国家と名指しされたその米国の大統領がプーチンを戦争犯罪人とは ニュースをみながらなんとおかしな世界かとあ然とするばかりでした。ちなみに米国が国際司法裁判所から 有罪判決を受けた記事をwikiを始めネットで探しましたが、今ではもう一切、出てきませんでした。完璧に消されています。 これが現在の実情です。 (プーチンの祈り)

2022-03-18

こんばんわ。 青い空に吊し上げられている。という表現がおもしろい。 殉情というのはどうしてみな似たりよったりなのか、 その苦悩もみなどうして似たりよったりなのか、 人間っていう生き物に息苦しくなりますが、 こうやって苦しみをうたいあげることで すこしでも息抜きできるとすれば詩も捨てたもの じゃないかもしれません。 (草原の峡谷)

2022-03-14

鷹枕可さん、ご返信ありがとうございます。 三浦果実さんのおっしゃるとおり、わたしの場合は、 このような作品をとおして皆さんのさまざまな批評の仕方を学びたいですね。 恥ずかしい感想を述べてしまいましたが、 詩の雑誌はあまり読まないというか、むつかしくて読めないので、 多くの投稿者の方々の個性的な感想の仕方を知りたいと思っております。 韻律の面などからみた感想は書けませんでしたが、もっと多くの受け取り方があると 思います。どうか皆さん、わたしのように恥を忍んで裸になっていただければ 幸いです。 (私達はそれでも荒野を目指す)

2022-03-14

おはようございます。 対象の御作、あらためて読ませていただきました。 わたしは"感じ"だけで読んでいますので 詳細な分析はできませんが 詩はむつかしいなとつくづく思いました。 この詩、わたしにはかなり難解なのです。 わたしのような"感じ"だけで受け取るシロウトからすると 冒頭の一行、   春の夜は 孤独の匂いがする 孤独の匂い! これをgoogleで検索すると 関連ページが約 1千3百万件 ヒットします。 孤独とか絶望とか愛とか人生とかそういう大枠の言葉というのは 中につまっているものが巨大なので 詩のことばとしてはなかなか扱いがむつかしい。 下手をすると通辞に流れる。 そんな感じを持ちました。 次の行の   あなた方は遠く はるか遠く 近すぎて届かないどこかの庭にいる ですが、 はるか遠く 近すぎて届かない という詩的な転換はいいと思います。 ですがつぎの "どこかの庭にいる" というフレーズが せっかくの転換を邪魔しているような気がしました。 これは必要だったのだろうか、無理している気がしてなりません。 次に二連目の5行ですが、   毎夜車窓から眺めていた名も知らない橋を   謂れも知らない道を 坂を トンネルを   空白むまで歩き続けた踵の靴擦れ   またたきの喪失に星の数を超える涙が追いつくまで   桜はどれほど散るだろう あまり転換を感じさせず、通辞的な言い換えが置かれています。 一見ポエジーを誘うようですがそれほどの落差はないように思えました。 次の   北の三日月の下で わたしたちは待っていた   東の三日月の下で わたしたちも待っていた   あれから四〇一五歩 という三行ですが、たしかにポエジックな言い方ですが、これは本人にだけ わかる詩的な感慨で、ちゃんと外へ向かって表現されているかというと どうかなと思われます。 二連目おわりの二行は、   踏みしめ続けたその踵の 熟れた桃色は逞しさを増してゆき   こうしてわたしたちは待っている 意味だけとらえれば"とても長く待っている"ということですがそれを表現として 詩的に言い表しているかと問えば、"熟れた桃色"という表現がどうも 過剰に思われますし、あまり適切な感じがしませんでした。 三連目   粉雪をまぶした大きな手があなたのことを祈っている   何よりも柔らかな産湯から小さな手があなたのことを握りしめる これはこの通りだと読みました。 表現としては悪くないのじゃないでしょうか。ちょっと通辞的ではあるけど。 四連目の三行、   春の夜は 孤独の匂いがする   いま   愛するひとのにおいがした 意味としては要するにこのことをいっているのだとわたしは受け取りました。 こんな言い方はなんですが、この三行だけで十分に意味は通じる。 でもそれだけじゃポエジーが出ないから他の行があったのでしょうけど どうなんだろうな、わたしのようなシロウトには見えないものがあった のでしょうね。 鷹枕可さんがこの詩を具体的にどのように受け取り、どのように評価して どのような価値を与えたのか、無学なシロウトにご教授願えればしあわせです。 (私達はそれでも荒野を目指す)

2022-03-14

おはようございます。 命どぅ宝 お気持ちはよくわかります。 その願いどおりになればいいのですが、 どうでしょう、わたしは座して願っているだけでは 思い通りにならないのではないかと危惧します。 (ニライ・カナイ)

2022-03-14

おはようございます、黙秘権さん なんかいいですね。 豊かな発想がことばにのって語られている。  言葉の置き換え、言葉の省略、ただそれだけなんです。 このフレーズにうなずくものがありました。 わたしもいまのところはそういう感じでやっています。 つたないけど、それだけでも言葉は詩にかわるような気がして。 (日常)

2022-03-11

おはようございます。 なぜ「俺は幽霊」かについての説明はありませんが、 わたしも幽霊みたいなものですからよくわかります。 (俺は幽霊)

2022-03-09

おはようございます、comoestanuqui26さん 短いフレーズっていいですね。ぐっと胸に刺さりました。 お読み下さりありがとうございます。 (第一次熱核戦争への道)

2022-03-09

おはようございます、三浦果実さん。 ユニークなというか、詩人なら本来そういうことを考えておかなければならない 観点からの感想をいただき、ありがたく思っております。わたしのような者の投稿テキストを 娯楽という言い方もできるでしょうが、わたしは消費というふうに考えています。 ご高尚な哲学思想詩も、お涙頂戴詩も失恋報告詩も日常茶飯詩も、そういう意味では 投稿テキストは一時の消費物、消費材です。 娯楽といわれてふつうの人ならちょっとドキッとする方がいらっしゃるかもしれませんが わたしは書く前にそういうことを、一応、とことんつきつめて考えていまして、 そういう側面があることは承知でいます。 面白おかしく読んでもらえないようでは出す方もつまらないですから、できれば講談調で 書ければいいのですが、どうしても深刻な書きぶりに走ってしまい、 これじゃだれも読んでくれなくて当然だなとためいきをつく日々です。 娯楽、消費としてもし、時事ネタを愉しんで読んでいただけるまでに書く技術が上がったら 祝杯をあげたいと思っております。 稚拙で退屈な読み物ではありますが、今一度、自分の投稿作について考える機会をくださるコメントをいただき、 ありがとうございます。 (第一次熱核戦争への道)

2022-03-08

おはようございます。 勉強になりました。というのは、 わたしも含めウクライナのごたごたについて書く場合、 内容はみな同じなんです。どう書くかが大事なんだなと。 この作品の場合、適当な行の長さで切っていて読みやすかった。 これもひとつのレトリックだとおもう。今後の参考になりました。 テレビのコメンターというのは橋下徹だと思いますが、 今回に限っては人命尊重という論陣を張っていて好感がもてました。 (命どぅ宝)

2022-03-08

こんばんわ、深尾貞一郎さん これは世界詩全集に入っていてもおかしくないほど 古典的なかおりのする秀作ではないでしょうか。 とくに一番目の*眠り*などは、完璧なような気がします。 幼虫とさなぎの違いなどはじめて知りました。 感想をのべるためではなく純粋に鑑賞するために 再読したくなるような詩です。 (青い夜の夢)

2022-03-07

蛾兆ボルカさん、おはようございます。 合評に対する姿勢のお話はひじょうに勉強になりました。  皆、この私にはない才能を持っている。 読んでいて我ながら少し反省するところもありました。 わたしはすぐにじぶんで「凡才」と書くことがありますが、ほんとうにそうだろうか。 ほんとうに何の才能もないと思っていたら書かないのではないだろうか。 じぶんだけはじぶんの書くものを信じているから書けるのだ。きっとどだれもが じぶんの書くものに才能を感じているはずだ。 そのような作品を前に、己が上だとか下だとか思い上がるのではなく もっと丁寧に読むべきではないかと。 わたしがボルカさんのように出来るかどうか自信はすぐにはありませんが、 今以上に謙虚さを忘れず、他者の作品ににかかわっていきたいと考えました。 コメント者との諍い話で場を乱したことをお詫び申し上げます。 失礼いたしました。 (作家的嫉妬ということ)

2022-03-07

おはようございます。田中宏輔さん 前から気になっていたのですが、   いま日知庵から帰ってきた。 あるいは、  いま、きみやから帰った。 でもいいのですが、 この枕ことばが、なぜか胸に響くのですね。あたりまえの事実を 書かれているのでしょうが、なぜかわたしには心に響きます。 (詩の日めくり 二〇一七年八月一日─三十一日)

2022-03-06

おはようございます。田中宏輔さん わたしは詩が深く読めるほうじゃないのですが、もし箴言詩というものがあるとすれば 今回のはそういうふうに読めないこともないと思われました。 (詩の日めくり 二〇一七年九月一日─三十一日)

2022-03-06

おはようございます。田中宏輔さん。 島崎藤村のような純情詩からはじまったので、めずらしいなと思っていましたが 贈呈詩への感想を読んで、直截な感想に好感を持ちました。 (詩の日めくり 二〇一七年十月一日─三十一日)

2022-03-06

cold fishさん、ご返信ありがとうございます。^^ ところで、ご自分で気がつきませんか? 冒頭に書かれたcold fishさんのコメント、そのまま、あなたの詩のスタイルになってます。 適当なところで区切れば、あなたの詩そのものです。 それほどにあなたの今の詩の感性や感覚は使い過ぎてぼろぼろになっているのです。 なるほど最初は斬新なスタイルだったでしょう。しかしそこから未だに一歩も抜け出せずにいる。 コメントを書いてもスタイルが出てしまうほどだから そのイライラが周囲への自傷行為になって表れているのです。 もしもそのことにすら気づいていないのだとすれば、こんなことを申し上げるのは失礼かとおもいますが 悲惨です。ビーレビという展示場に屹立する「悲惨」というオブジェです。 いや、このままではどこへいってもネット詩という狭い世界で「悲惨」をさらすだけです。 人のことはいいから、一度ごじぶんの姿を鏡に映して、破けた箇所の修理などなさることをオススメします。 失礼しましたが、基本的に詩への情熱はわたしなどよりはるかにあって、才能もたぶん優れた方だとおもうから もったいないと思うのです。 (作家的嫉妬ということ)

2022-03-06

おはようございます。 面白いというわけではないですが興味深く読ませていただきました。 書き手の考え方への感想ですが、 詩に悩んでいるといわれればそうなのかもしれませんが、 むしろ悩むというより表現の仕方を思案して愉しんでいる部分も反面あります。 それがわたしのような凡人の詩に対する姿勢です。 (私の話をしましょう)

2022-03-06

おはようございます。cold fishさん 大笑いしました。^^ 失礼ですが、cold fishさんこそ山田とかいう御仁なのじゃないですか? 湯煙さんもそんな失礼な断定をしていましたが、 根拠もなく他人をだれかと断定することがこのサイトでは許されているのでしょうか。 湯煙さんにもcold fish何のおとがめもないようですから、 このサイトは誹謗中傷を否定したのじゃなかったのですね。^^ これじゃ文学極道のような混乱の場になるのは必定ではないでしょうか。 わたしはあくまでも投稿作品への感想をしたためたまでです。 非常に不愉快です。 (作家的嫉妬ということ)

2022-03-06

おはようございます、cold fishさん。 最近の一連のコメントをみて思ったのですが、 なんといえばいいのかな、その、どうもこれは、 せっかく詩に対する情熱をお持ちなのだから、自傷行為のような発言は もったいない。人前で恥をかくこともないのじゃないかと。 ご自愛されんことを一ファンとして心からお願い申し上げ、また、 すばらしい詩を書かれんことをお祈り申し上げております。 (作家的嫉妬ということ)

2022-03-06

おはようございます、蛾兆ボルカさん 作家的嫉妬なんて考えてもみなかったので興味深い御指摘だとおもいました。 ちょっと思ったのですが、男女間では「嫉妬」ということでいいと思うのですが、 詩作品を書いた詩人に対するそれはむしろ「羨望」という概念なのじゃないかと。 わたしの場合、へえ、こんな表現できるんだと思った瞬間、詩人への羨望が湧いてきます。 ちょっと複雑な感情で、ああ、おれには到底書けないという打ちのめされたような気持ちと、 でも、この人すごいなという感じですね。 凡才のわたしは、このサイトでは半分以上の投稿者の作品にそういうものを感じます。 「嫉妬」には対象への憎悪がありますが「羨望」には尊敬のようなものが含まれていると思うのです。 ところで詩作品への書き換え衝動というものがどこから来るかというと、どうも嫉妬でも羨望でも ないような気がします。 おそらく優越感や自信からでしょうけど、人間というものはどれほど愚かでもぼちぼちの詩が書ける。 そういう表現分野であることを示していることの好例じゃないでしょうか。 (作家的嫉妬ということ)

2022-03-06

仁川路 朱鳥さん こんばんわ。 独特の世界に引き込まれました。 さるぼぼと、でんでん太鼓、 ねずみにかじられた千歳飴、 かびにかもされた靴下、 石油でできた子どもの人形 切り刻まれた母子手帳 名前と血液型だけのカード こういうのは写真か、あるいは実際に古い押し入れなどを 整理していて発見されたのでしょうか。物凄いリアリティがあり 一挙に時間の逆回りの世界に引き込まれました。 (隣人の話)

2022-03-05

rakuさん、こんばんわ。 お読み下さりありがとうございます。 日本のテレビや識者はプーチンが発狂したと報道してますが、^^ たとえば海外のこんなサイトでは今年の1月初めごろから、米国製の危機が起こる:"ロシアはなぜウクライナに 侵攻しなければならないように追い込まれたか"という議論がありました。 http://www.insightweb.it/web/content/crisis-made-usa-why-russia-will-likely-invade-ukraine つまり海外では欧米がプーチンを追い詰めて、ロシアは仕方なくウクライナに軍事作戦を決行せざるを得ないと ほぼ予想されていました。 だいたい日本のメディア、それから米国の主要メディアはすべて欧米資本にいいように支配されていますので、 こんなことはいっさい報道しません。 ですから、海外でも比較的資本支配を受けてないFOXニュースとかドイツ、フランスの弱小メディアの報道、 それから日本では孤立している(真実を語ればこの国では必ず孤立します)批評家、あるいは元ロシア、 ウクライナ大使などの言説を参考にしています。とはいえ、全部翻訳ソフトで読んでいますので厳密な正確さはありません。 「帰すう」ですが、わたしは出来るだけひらがなで書くようにして、どうしても難しい感字を使わなければ ならないときは( )を付けます。好感をもっていただき感謝です。 (第一次熱核戦争への道)

2022-03-05

ご返信、読ませていただきましたがどうも認識に差があるようですね。   このご指摘は見当違いですね。   あなたの喩えを借りるのであれば、   何故、あなたはお腹が空いているのに(目的)、それをカレーライスを食べることで満たしているのか(手段)?   ということです。 たしかにあなとわたしは詩に対する考え方がまったく違います。勘違いというよりは認識の違いでしょうね。 わたしの考えでは空腹は、(空腹によってごはんをたべるわけですが)〈目的〉ではなく〈本能〉です。 詩も同じく、あなたは何かの目的だとお考えのようですがわたしは本能だとおもいます。 この点で詩にたいする認識がまったく違うので、これにて失礼いたします。^^ おあとよろしいようで。失礼しました。 (詩の話をしましょう)

2022-03-05

おはようございます。 リズムのある、ことばの躍動を感じました。 リンゴの気持ちはよくわかる、と美空ひばりは歌っていましたが、 リンゴだって呼吸しています。おそらく何か考えているとおもいます。 (りんご)

2022-03-05

おはようございます。 面白く読ませていただきました。 人間というものは心理的な混乱に陥るとこういう思考をしがちなのかなあと考えました。 毎日ごはんを食べながらなぜ食べるのかと考える人もいないわけで、 要は食べればいいだけのことですが、しかし、なぜ食べるのかと考える人がいてもいい。 ただし、それは、わたしにいわせればただの心理的な錯綜でしかないのです。 詩に関していえば、なかなか書けないひとが陥る陥穽のひとつじゃないかなと思っています。 まずは、心を静かに開放して詩を書くことをオススメします。 と、ここまで書いて、あ、わたしは詩の話をしてしまっているなあと気づいた次第。 わたしのような凡才はどうしても詩の話にうつつをぬかしてしまいます。笑 (詩の話をしましょう)

2022-03-05

こんにちわ。 糸電話という設定をどう料理するかむつかしいものがあったと思います。 最初はことばが重く感じられましたが、だんだん糸が張ってきたのか 終わりにいくほどポエジーが姿をあらわしてきたように見えました。 (距離感)

2022-03-04

こんばんわ、北川 聖さん 歩くとか走るとかいうのはほんとうに素晴らしいことです。 一度歩けなくなって二、三歩あるけるようになったときの歓びったらありませんでした。 最近いつもみているyoutubeの動画があります。「おいで」と幼児が父親に呼びかけるのだ最高です。 https://www.youtube.com/watch?v=hQTCnwPdd2c&t=182s (お母さんと走った頃)

2022-03-03

こんばんわ、べんもうさん。 お読み下さりありがとうございます。 なにはともあれウクライナの戦渦が一刻もはやく終息するように 願ってやみません。 (『古狸は戦争について語らない』)

2022-03-03

べんもうさん こんにちわ。 なるほど、むつかしい問題ですね。 両方が両方とも相手を死なせるのが戦争ですから いっときも早く停戦合意にもっていくべきですね。 義勇兵だの、ウクライナ国民に銃をもたせるだの、 人命を失わせるだけですから。 ご返事ありがとうございました。 (ボタンを押す人へ)

2022-03-03

こんにちわ、satoshi iwasaさん 静かな、感受性豊かな語りですね。 谷内六郎をおもいだしました。 (喘息の少年の世界)

2022-03-03

こんにちわ、べんもうさん 読ませていただきました。 さいきのネットをみていますと「戦争反対」といいながら ウクライナの一般市民に火炎瓶闘争を呼びかける人がいる。 一般市民が戦闘行為をしたら殺されても文句はいえないのだからではなく、 わたしがそういう人たちに怒りを禁じえないのは ふつうの人たちに殺戮行為を呼びかけるお前が「戦争反対」なんか いう資格ないといいたくなるのです。 ウクライナはマフィアが支配する国です。 国家予算を平気でふとこりにし、収賄、贈賄、臓器売買から麻薬何でもありのめちゃくちゃな国です。 民主的な立派な国ではない。こんなウクライナ政権の被害者はウクライナの民です。 その人たちを殺戮に駆り立てているのはだれか。よく考える必要が国際社会にはあるでしょうね。 ウラライナのごたごたを収めるのはかんたんです。ウクライナ側が中立を守ればいいだけのこと。 ウクライナに住むロシア住民への虐殺をやめればいいだけのことです。 まさかロシアのプーチンが領土的野心であんなことをしたのではない。 世界情勢をちゃんと歴史的にも地政的にも勉強して、単純で情動的な詩を書くことから距離を置くことが 大事かとおもいました。 (ボタンを押す人へ)

2022-03-03

きよこち 久遠恭子さん おはようございます。 若い描写ですが、 まっすぐに光に向かって歩く清らかなこころの明るさにうたれました。 (輝く季節へ向かって)

2022-03-03

こんばんわ。深尾貞一郎さん。 何度か読ませて頂きましたが、寝不足で体調が悪く、少し午睡をして再度読もうとするとわたしの名がありましたので ちょっとびっくりしました。わたしに小説を評価できるものがあるとは思っていませんが、 ......ただ、一読して、やっぱり小説は むつかしいなあと思いました。というのは人称の統一。時制の統一がどうなっているのかという、わたしにも よくわからない問題があるように思えます。以下に書くことは間違っているかもしれませんので適当に読みとばして 下さい。   強栄はその日の夕方、リチャードに連れられて「グレイハウンドバス」という名のバーに行く。 これは現在形(現在進行形?)ですが、次には過去完結形の文体になっているので、ちぐはぐな感じがしました。 それから人称の問題ですが神の視点っていうのですかね? この小説の視点は。すると、たとえば   感じよく痩せた中年のバーテンダーが と書かれている場合、「感じよく」という主観はだれの視点なのか? 強栄が感じた視点だと思うのですが、 神の視点だったら「痩せた」と書くまでがぎりぎりの限界じゃないかなと。下手すると「痩せた」も 主観になるかもしれませんが。どうも小説におけるこういった時制、人称の問題が わたしがよくわかっているわけじゃないのですが、一読者としては何か不自然な感触を受けました。 それから全体的な印象としては深尾貞一郎さんの匂いがしない。深尾さんならもっと色濃く作者の匂いや 詩人らしいコクのある 独特の文体やフレーズ、会話で押していけたのじゃないかなと。翻訳小説のような無味乾燥、くせのない文体でもいいのですが、それには もっと一行一行の長さに長短の変化をつけてテンポよく書いていくべきじゃなかったかなと。 セリフも、ストーリーを説明するためのセリフじゃなく、ひとりひとりの人間の性格を表した独特の セリフまわしがあってよかったのじゃないかと思いました。 あと、一番大事なことを書こうとしていたのですが寝不足のために消えてしまいました。 小説はとにかく書いている本人が書いていて面白く、愉しくないと(芥川はそれを「戯作三昧」と書いてましたが) 読者も絶対に楽しくないので、 そういう心境で書いてないのなら、それはボツにしたほうがいいかなと思います。 ただし戯作三昧の心境で書くと一心不乱で徹夜までしてしまうので、身体には悪いですが。 以上、何十年も小説を読んだこともないのですが思いついたことを書いてみました。 間違っているところもあるとは思います。偉そうにすみません。 (無題(小説抜粋))

2022-03-02

こんばんわ、cold fishさん。 まず、ほんとうに自由に書かれているな、と羨望します。 かといって独特のスタイルができていますしね。 こういうものを読むと、わたしのようなボンクラは奥の意味は読めなくとも開放感を感じます。 想田和弘と橋下徹を思わせ単語が出てきたときは笑いました。それにしても難しいですね詩は。 自由に、好きに書けばいいのに皆、とのことですが、おそらくこれは言葉どおりにとらえてもいけないような気が。 それを読むものに感じさせるには、書く方は徹底的に構成を考え、客観的に自分の詩文を眺めて細部に気をつけなければいけないのじゃないかなと。 そうすることで、自由にめちゃくちゃ書いているように読者に思わせることができるということじゃないかなと。 今の所わたしがいったような意味で読むものに自由を感じさせる詩は 最近一ヶ月以内ではcold fishさんを別にすれば匿名さんの「竹見一穀」だけじゃないかと思う。あと、 中田満帆さんの最近の投稿詩なんかもかなりそれを感じます。 匿名さんの「竹見一穀」は全文が無意味な隠喩になっているし、タイトルの人物らしい名詞も無意味な象徴に なっている。だけどめちゃくちゃ面白いし、束縛された言葉の世界から自在に抜け出している。 これはでも構図やタイトル選びに相当神経を使っているからできることじゃないかと思っています。 (まだ、JPOPを聴いて、皮膚を剝がしている、)

2022-03-02

こんにちわ。三浦果実さん。 あとで調べてみて本のほうは『ためらいの倫理学』だとわかりました。 二、三、え?と思うところもありましたが当時としては画期的な面白い視点を提供してくれる いい本でした。 そんなことがあって、三浦さんと同じく、何かことあればいつも参考にしていますが、 たいていは、内田樹の考えに反論することによって、わたしが知らなかったことを知ることになります。 それは内田の本にも書いてないし、読む前にはわたしが思いもよらなかった視点です。 まことに妙なんですが、内田樹の考え方に反論するために読むということが続いています。 太宰治の『人間失格』に出てくる知恵遅れだけど秀才の太宰とおぼしき主人公のウソを見破る 白痴の男がわたしです。^^ (『古狸は戦争について語らない』)

2022-03-02

こんにちわ、真清水るるさん。 ご返信ありがとうございます。 わたしは一週間に一度ほど周期的に一睡もできない夜があります。 昨夜はその周期にあたったのか、 酒を飲んでも眠剤をためしても一睡もできず今朝は最悪でした。 頭がまったくすっきりしないどころか目の前に霞がかかったようなあんばいです。 ふだんまったく動かない頭がいまは回転どころか鈍い痛みすら感じます。 他のコメントもそうですが真清水るるさんへのご返事や感想にはとくに最高の頭の状態で 挑みたいと考えています。今日はご返信を読ませていただくのがやっとでした。 わたしはツィキャスを聴いたことはありませんが、あの方はそういう方だったのかと、 わたしが想像したイメージにぴったりの感想を抱かれていたことを読んでなにか心がなごみます。 とりあえずきょうはこの程度を書くのがやっとという状態ですが、 感謝を申し上げます。 (『幻肢』(田中修子さんに捧ぐ))

2022-03-02

尾崎ちょこれーとさん こんにちは こちらこそ、 素敵なコメントありがとうございます。 今後ともよろしくごお願い申し上げます。 (『古狸は戦争について語らない』)

2022-03-01

こんにちわ。 2022年1月対象作品は読んでなかったので読んでみましたが...... これはあれじゃないでしょうか、作品の質がいいというより、投稿者の心情── ひょっとしておれのこと? わたしのことかしらという機微に触れたからでは ないかと感じました。失礼ながらわたしは作品も作品に寄せられたコメントにも まったく関心も興味ももてませんでしたし、考え方や姿勢にもうなづくものはありませんでした。 だれが詩を書こうが、どんな詩を書こうが、あまり、なんというか、── 知ったことじゃないのです。 だれが家でラーメンを食おうが餅を食おうがそれほど、その、あまり知ったことじゃないのと同じレベルの話です。 あいつはボロの自転車に乗ってる、あいつはベンツだというのと同じで、まあ、それほど関心のないどうでもいい話です。 どれほど下手くそであろうが、上手であろうが、わたしにはそれほど、その、あんまり関係ありません。 下手な詩に感激することもあれば、上手な詩に「ばかじゃないのか」とおもうこともあります。 詩は、それほど自由でやくざなものじゃないかと思っています。 それはともかく 三浦果実さんの文章は批評家向きですね。あるいは映画向きかもしれない。 三浦さんのシナリオ、演出、主演で映画を一本つくられてはどうでしょう。^^ では、失礼します。 三浦果実主演、監督作品、おもしろいじゃないかな。才能あると思いますよ。^^ (2022年1月大賞作品「Twitterによくいる下手くそな詩を書くおばさん」)

2022-03-01

こんばんわ。 丁寧、かつ長文の返信ありがとうございます。 概ね、とくにコメントすることはありませんがひとつだけ、やっぱり誤解されたなと思うことがあります。 >いままさに暴力に晒されている人たちに、一歩引いて自分たちの滑稽さを見なさい、というのはお門違いかと。 こういう受け取り方をされると危惧していました。でもわたしが言ったことはそういうことではありません。 いままさに暴力に晒されている人たちに自分たちの滑稽さを見なさいなんてそんな......ありえないことです。 そんな愚劣なことをいったのではありません。それだけをいっておきます。しかしそんなふうにとらえられるのだなあ やっぱりとしかいえません。表現についてもっと研鑽しなければと反省した次第です。 (нет войне)

2022-02-28

おはようございます。 ていねいなご返事を頂き恐縮です。さて末尾にウクライナの詩人のURLが貼られていました。 さっと読ませていただきましたが ── わたしはこういう詩人?のことばには.....残念ながら、........正直にいわせていただきますと、 当惑しか覚えないのです。これは、申し訳ないですが詩というよりアジ演説でしかないのではないでしょうか。^^ わたしのことを世間や世界に怒り憂慮されていると書かれていましたが、詩などという内向きの行為をしている限りでは そんなことは個々の主観的な世界認識の範囲の問題であってそれを全面に押し出すつもりはありません。 わたしがときどき憤激に襲われるのは、そういう存在(内向きの観察者)である詩人が、今回のような戦争が起きると、 突然頭をもたげて 知りもしないのに二項対立的な善悪を持ち出し、結果として政治的な世界に足を踏み入れ、滑稽な言説をふりまくからです。 著者さんが紹介してくださった詩人さんですが、 わたしの個人的な考えではウクライナの詩人は己の無知や至らなさや、滑稽さを語ればそれだけでウクライナ紛争の悲惨さを 詩することができたと思うのですが、この詩人だけではなく日本の詩人もそれとは正反対のことをしています。 その姿があまりにも悲惨なのでどうしても一言いいたくなるのですが.......。 もし、他人からみてそれをいうわたしの姿こそが滑稽でも、わたしが滑稽に見えること、それをわたしが甘受することが大事だと思っています。 ご返事、全文とても考えるところがあり参考にさせていただきたいと考えています。ありがとうございました。 (нет войне)

2022-02-27

こんばんは。真清水るるさ。 いつも温かい言葉をかけていただいて感謝しております。 ただ、それゆえに、どうしても惜しいとおもわれるので一言だけ。 急いでいますのでつっかかったような口調に感じられましたらお詫び申し上げます。 銃弾がウクライナ人の上に落ちているということですが、ウクライナに830万のロシア人がおりますこと、ご存知でしょうか。 その人たちの上にもウクライナの銃弾が浴びせられているのです。 ウクライナのロシア人はこれまでずっとウクライナ人によって虐殺されてきた歴史があり現在も頻発しています。 日本では報道規制がかかりますがドイツでは周知の事実です。またバイデンの背後にいる金融、石油メジャーは この数ヶ月、大規模な傭兵を雇ってウクライナの南北で双方に戦闘をさせプーチンを戦争行為にかりたてるよう煽ってきました。 背景には天然ガス、石油を独占したい欧米金融、エネルギーメジャーの思惑があります。 世界中でだれよりも戦争などしたくない男がプーチンであって、一番したがっているのが欧米金融エネルギー資本です。 つまり善悪をどちらかにふりわけるようなことなどできないのです。ウクライナ国民の上に銃弾が落ちているのなら 在、ウクライナ、ロシア人830万人の上にも銃弾が落ちているのですからプーチンは救わなければならない。 詩人は外部世界のことを知らなくとも詩はかけるからあまり外部世界の構造を分析していない。それはそれでいいのですが、 こんなことがあると急に世界に目が覚めたように、突然、善悪にわけて語りたがる。 悪のプーチンと善の欧米。戦後ずっと繰り返されてきたウソの物語のパターンです。 詩人はすぐにそれに乗っかって被害者を一方的につくりだし加害者を糾弾する。そういうのは少し違うと思うのです。 ウクライナの人々が被害者のように資本主義のテレビは当然いいますが、そうじゃなくウクライナのロシア人だって たいへんなことになっている。そういう想像力が詩人に最近は完全に欠落している。それが悲しいと思います。 尊敬する真清水るるさんじゃなければコメントしなかったのですが、少し哀しくなりました。 乱筆乱文、失礼、どうしても一言、いっておきたかったので申し訳ありません。 (戦争のすこしまえ)

2022-02-26

こんばんわ。 戦争反対。そのとおりだと思います。 その気持がよくあらわれている詩でした。微妙な気持ちの在り方も含めて.......。 わたしはテレビは見ないのですが、でも、たまにつけてみると相変わらず戦争というものを どちらかが一方的に悪いという視点でしか見ていない方々ばかりでうんざりします。 戦争反対は世界の中でだれよりもプーチン本人こそが一番そう思っている人だということをだれも想像できないのが痛い。 詩人もそうです。何のために大学で学んで知識をつけたのか、その能天気ぶりにあ然とします。(作者さんのことじゃないですよ) これまでのウクライナの近現代史をみて、また、最近のウクライナをめぐる情報をつぶさに見れば ウクライナのロシア人が大量に虐殺されつづけてきたこと、また、バイデンの背後にいる金融資本や石油メジャーが 傭兵を雇ってウクライナで双方に別れて戦闘行為をさせ、プーチンを煽っていたことも明らかになっている。 また、これが一番大事なことですが、欧米こそがプーチンと約束した「ミンスク議定書」を踏みにじっている。テレビでは内実を 報道しないでデタラメが語られている。 となるとこれはどっちが悪いとかいう話ではなくいつもの通り、金をもっているやつらが世界を蹂躙しているだけなのですが 詩人たちはそういうことにうといことを自覚もせず、テレビの偏った解説者と同じくウクライナ国民だけが被害者のように いって、悪者のロシアプーチンと正義の欧米という図式で了解したがる。 戦争反対という意志表明は世界を支配している欧米の金融及びエネルギーメジャー以外はロシア人もウクライナ人も反対なのは同じです。 でも「戦争反対」といって言葉を放り出すだけじゃ戦争反対にはならない。戦争をなくすために知識や情報をたくわえて動く。 それがほんとうの「戦争反対」です。そういう意味では日本の詩人は知りもしないくせにすぐにロシアを非難しウクライナを なにが犠牲者のように言い募る。うんざりです。それは「戦争反対」でもなんでもない。 作者さんのことをいってるのではありません。詩人全般のことです。何も知らないくせにすぐに現代の戦争のような、善悪など 決められないものを裁いて、なにか犠牲者をつくりだして、正義の側に立って嘆いてみせる。吐き気がする偽善です。 だからこそ、わたしは作者さんのようにこのような表現でいいと思うのです。これが詩人にできる精一杯の表現だろうと。 長々と個人的な政治談義、失礼しました。お詫び申し上げます。 (нет войне)

2022-02-26

追記 素人が偉そうなことをコメントしてしまったと後悔先に立たたずです。 記し忘れましたがストーリー自体はとても魅力的な内容だと思います。映画『静かな生活』の 姉と弟の関係を思い出させるものでした。また姉のほうは子豚のようにぶくぶくだったのに ケニヤから帰ってびっくりするほど野性的でスマートな美少女になっていた羽仁未央を思い出させるものでした。 この小説の雰囲気自体は悪くないと思います。失礼しました。 (無題)

2022-02-26

おはようございます。三浦果実さん。 前作と合わせて読ませて頂きました。  正直いいますとわたしは純文学がわかりません。 とうぜん評価もできません。もう二十年以上、日本の戦後小説(通俗エロ小説を除く)は一冊も読んでませんから 最近の日本の文学の傾向や感覚もわかりません。 この作品が詩なのか小説なのかも判然としないのですが、あえてテキスト(書き物)として どう感じたか。それをいうと、じぶんが書きたいと思うことがそのまま書かれているように見えました。^^ これはまあ、そうとう辛辣な感想なので不愉快に思われるかもしれません。ご容赦。ほんとうならコメントなど しないほうがいいのですが、三浦さんにがんばってほしいからあえてコメントすべきと決断しました。 以後に書くことは黙殺してくださったほうがいいのですが、 じぶんが書きたいと思うことと、それをどう表現するかはまったく別物であるのだなと わたしにもたいへん勉強になった次第です。わたしならここをどうするかとか、ああ、ここはいらないなとか、 わたし流に添削しいったのですが、そうすると、この作品はテキストとしては真っ黒に消されて、赤い傍線だらけ になりました。ひとつだけ例をあげますと、 THE CLASHの「獣を野に放て」を流しながら、ジョー・ストラマーの眼のぎらつき方を17歳になった弟は姉に説明をする。それにかまわず、ゲラダヒヒに近づいて撮ったという写真を指差しながら  「ドレッドに編んでもらった後に撮ってもらった」と姉は笑う。 こういうのはひょっとして一般には「あらすじ」と呼ばれるものじゃないでしょうか。^^ 小説ならこうはならないのじゃないかと思いました。   「脳天につららが刺さったような顔して、なんの真似?」   ひーひひっひ。弟はおどけながら「ストラマー知らないの? こんな目してんだよ」   「あきれた」姉はスマホの写真をみせる。 へたな改変ですが、説明じゃなく小説なら具体的な出来事を描写するのじゃないかと。これは素人のわたしの個人的な感想ですが 小説というものはイメージのリアルに入っていくだろうと思ったのです。でも詩なら説明でいいと思うんです。 まあ、詩というのはたいてい説明ですから。そこでこの御作が詩なら非常にむつかしい詩だと思われました。 わたしの手には負えないものだと思われました。それでコメントしたいとは思ってもためらっていたのです。 本来、わたしは小説、とくに日本の純文学は糞だと思っているので一切読みません。 そのわたしの感想なのでまったく個人的なたわごとです。ご容赦。 (無題)

2022-02-26

つつみさん、おはようございます。 丁寧なご返信に感謝します。なるほどなあとうかつだったことを反省することしきりです。 参考になるご意見にいちいちうなずいておりました。 ネットを通じて見知らぬ人と交流するということでしたら、これはほんとうに大変なことだと思います。 相手のことなどまったく知らないのですから断片的な知識や情報からしか物を言えないのですから どうしても双方に誤解が生じます。投稿作品への感想なら作品だけを相手にものをいえますが、向こう側にいる 生身の人間と交流するとなるとこれは至難の技です。どうしても一度直接会ってからしか無理ですね。 そういうことをあらためて再認識することができました。 蛇足ですがブルーライト対策のメガネを買いましたがいまは外しています。そのかわりちょっと高めの目薬を 時たま指しています。でも、やっぱりブルーライト対策のメガネをこれからはかけようと思います。 ご指南ありがとうございます。感謝です。 (ネット依存してる私は死ね)

2022-02-24

おはようございます。仄秋チズさん。 余談ですがハンドルネームが絵画的な印象で非常にかっこいいと思いました。 本文のほうですが めちゃくちゃ言葉の選び方がうまいなあと頭の悪いわたしなど ため息が出ます。ラストの "おはようございます、諦観。" が 、それまでの 幽閉された学童期に対する詩人の抵抗の思想をぐっと締めた、いいフレーズに なっていると感嘆しました。 (逃避の地図)

2022-02-24

三浦果実さん、こんにちわ。 どうして「ゆきゆきて神軍」が出てきたのか血の巡りの悪いわたしにはよくわからないのですが、 複数の人間による1人への暴力を私は否定する、というご意見には無条件に賛同します。 世の中でだれかが叩かれる場合は必ずそういう構図になってますね。 たとえわたしが嫌いな人であっても、その人物の思想や信条に嫌悪感をもっていてもわたしは常に そういう立場に置かれた人の側に立って擁護してきました。それがどういう結果をもたらすかといえば、 必ず世の中から弾き出されます。そういうことを何度も何度も何度も体験してきた結果、今のわたしがあるのです。 ゆきゆきて神軍の監督、原一男とは面識もあり、原の弟子とも知り合いで、映画も何度かみましたが、 奥崎謙三が体力も気力も衰えて よろよろになって刑務所から出てきてからのことを原は撮っていない。撮ったのは頭のイカれた悪ガキの アングラ系監督だった。奥崎は騙されてこのミニ映画に出演してしまったのですが、おそらく金銭的にも困っていたのでしょう。 サドイストのようなこの連中に殴られたり、連れ回して蹴られたり、さんざんな目に遭う。 連中はそれを撮って面白がっている。わたしは映像をみながら奥崎、がんばれ! 立ち上がれ! 悪ガキ共を威嚇して殴り回してやれと心の中で応援しましたが、最後まで見るも無残ないたぶりがつづいて 映画は終わる。非常に腹が立ちました。これはいったいなんなのだろうと。 今回の投稿も、思想信条なんか関係なく、嬲られている側に立ってほんとうのことを書きたいという一念で書いただけです。 お読み下さりありがとうございます。 (あいちトリエンナーレ展ー芸術的抵抗と挫折ー)

2022-02-23

お二方ともわたしなんかよりずっと堅実ないい詩を投稿されている。 もっと建設的なコメントしましょうよ。こんなコメントなんかしては せっかくのいい詩を投稿されているのに人間性の根暗さが伺えて残念じゃないですか。 いやなら読まないでスルーすることもできないのでしょうかねえ。 (あいちトリエンナーレ展ー芸術的抵抗と挫折ー)

2022-02-23

湯煙さん 山田太郎ってだれなんですか? 根拠のない誹謗中傷はここではありなんですか? (あいちトリエンナーレ展ー芸術的抵抗と挫折ー)

2022-02-23

レポートではなくこれは詩のつもりです。 読めばわかるでしょ。 (あいちトリエンナーレ展ー芸術的抵抗と挫折ー)

2022-02-23

おはようございます。三浦果実さん。 一読して共感がもてる内容でした。とくに、 詩に愛着なく、未だに古典に精通もせず、時に読めない漢字をそのままに、ネット詩だけをただひたすらに好んできた無学な私 という文は三浦さんの謙遜でしょうが、わたしの場合はずばりそのまま言い当てられた感がしました。 ただ、三浦さんのコメントには詩のようなあそびがあり、以前からひそかにうらやましく思っていたところがあり、今回、 そのことに言及されているのをみて然りとおもったものです。 詩書きの上達とは、他者との言語による関係性の見直しに鍵が隠されている。このお考えに100%もろ手を上げて賛成です。 (くたばれビーレビュー その弐)

2022-02-23

おはようございます。渡辺八畳さん。  病を背負った大人たちが連なり歩く これを書きたかったのだろうと感じました。 (Plung into concrete)

2022-02-23

つつみさん、おはようございます。 ネット依存に何か不安を感じておられるようですが、まったく何の問題もありません。 わたしはこの十年間、毎日朝5時から夜は9時までずっとパソコンの前に座ったままです。^^ こんなことを続けていたらおかしくならないかと最初は心配でしたが、毎日、快食、快眠、快便が 続いています。まったく100%何の問題もありません。頭のほうもおそらく、たぶん正常です。^^ ネット依存へのマイナーな攻撃は、そんなものはおそらく何かの政治的なあるいは 教育的な洗脳や刷り込みでしょう。わたしはまったく心配していません。とはいえ、今急にネットがなくなっても まったく心配していなことも確かでして、そうなれば本を山程買ってきて毎日朝から晩まで読みふけるでしょう。 要するに人間も世の中もたいしておもしろくもないし退屈しのぎなのですよ、人生は。^^ (ネット依存してる私は死ね)

2022-02-23

トビラさん、こんばんわ。 谷町九丁目 歯磨きする童貞  の間違いでした。すみません。 「あいあいうおうえ」がたぶん重複してます。 自作を期待しております。 (┣強制大人計画┳シンプルプラン┫)

2022-02-05

おはようございます。入間しゅかさん。 なにひとつ、一っところにとどまらないで流転していく ことばの流れに乗りました。まあまあでした。 (「 。」)

2022-02-05

トビラさん、こんばんわ。 洪水のような踏み韻に圧倒されました。 谷町九丁目歯磨く童貞のような韻があればもっと面白いと おもいました。 (┣強制大人計画┳シンプルプラン┫)

2022-02-04

こんばんわ、あめんぼさん。 ひとはみなそれぞれの端子をもっていて抜き差ししているのだということを 改めて思い出させてくれる作品でした。 (端子)

2022-02-04

田中広輔さん、こんばんわ。  生のままの声のまえでは、いかなる文法も沈黙せねばならない。 まったく同意します。 (詩の日めくり 二〇一七年七月一日─三十一日)

2022-02-04

こんにちわ、田中宏輔さん "詩集を出すのに1500万円くらいかけたけれど、1円も手にしていない。" えっ! すげえなとおもいました。尊敬します。 "ほんとうに趣味なのだ。しかも、これからさきも死ぬまで1円も手にしないだろう。 永遠のシロートである。しかし、詩人はそんなものであってもよいと思っている。 むしろお金を儲けない方がよいとすら思っている。" 宿命の詩人ですね。 (詩の日めくり 二〇一七年六月一日─三十一日)

2022-02-04

こんにちわ、作者さん いくらwebで捜しても「竹見一毅」が出てこなかったので、 まあ、いいや。ちょうどおひるどきで、おいしいお茶をいっぷく飲ませて いただいたような気分です。それにしても「竹見一穀」ってなんだろうな。 わたしだけが知らないのだったら恥辱です。 (竹見一毅)

2022-02-04

あめんぼさん、こんにちわ。 恥ずかしき駄文をお読み下さりありがとうございます。 他者への礼儀をわきまえた上でのことになりますが、 詩、小説、批評などの空間がなんでもありの場であることを いちおう希望しています。 (情況論2 日本防衛論)

2022-02-04

おはようございます。田中宏輔さん。 言葉の洪水ですね。 いつもお粥を食べているわたしが突然、大盛りのカツ丼を手にしたように その、超弩級の大盛り感に圧倒されています。 ロボットの詩は、ひとつの暗示でした。ひょっとするとこの超弩級の大盛り全体が ロボットなのじゃないかと。^^  立ち止まること無く疾走するしかないのじゃないかと。 (詩の日めくり 二〇一七年五月一日─三十一日)

2022-02-04

蛾兆ボルカさん、おはようございます。 コメントありがとうございます。 小説は読んでないとおもいます。 子供の頃映画でみた記憶があるような気がします。 (情況論2 日本防衛論)

2022-02-04

田中宏輔さん、おはようございます。 お読み下さりありがとうございます。「い」がひとつ多いのに気づきましたが...... いまだに訂正の方法がわからなくて難儀しております。 ご指摘くださり感謝です。 (情況論2 日本防衛論)

2022-02-04

ラッパーのような独特の韻を踏んで 見たこともない異質な世界に変えてみせてくれますね。 とくに二連目、パンチが効いている。 他の投稿作品も非常に面白く読ませて頂きました。 (情報アナルケツ穴探知機)

2022-02-03

三浦果実さん、こんばんわ。 散文の流れがとてもかろやかなのでその筆致の巧みさに驚きました。 このような軽やかな散文を書かれるのはネットでは田中宏輔さんだけだと思っていましたので ちょっと見直しました。 詩のほうがこれほどに軽やかであれば、どれほどかとは思いますが、詩はそれほど甘くはないということ かもしれません。 偉そうな感想を失礼しました。いやあ、でも面白かったし、どきどきしましたよ。^^ (魔法はある)

2022-02-03

鷹枕可さん、こんばんわ。 ていねいなコメントを下さりありがとうございます。 ご承知であると思いますが詩を書くという密室の作業というものは外からみるとだれのなにであれ 健全な生活人からみれば、なにか、いかがわしいものに映るようですね。 荒川洋治が詩人を見たら石を投げろ、ぼくなら投げる といったように詩人という営為を行う者は決して 健全な社会人じゃないと思われているし、むかしなら世間から石を投げらる宿命みたいのものがある。 もし、それが谷川俊太郎のように詩人が健全な生活人から石を投げられなくなったとき、詩の全体的な豊かさ、余剰な豊かさは 失われたのじゃないかとすらわたしは思うのです。 "玉石混交の気紛れ、に生ずる、未発見の才能の萌芽、その後の経験、成長を潰し兼ねない"と思います。 短いことば=詩のことばというものは絵画や音楽と違ってあんまりカネ儲けにふさわしくないし、世間からもあまりもてはやされないのですけど、 怖ろしい力をもっている。 小泉純一郎の「郵政民営化」というワンフレーズが日本人を夢遊病にかけたことがある。和合亮一の詩の礫はひょっとするとそんな力をもちそうな 気配があった。 その怖ろしいことばの力がときどき投稿作品のなかに姿をあらわすことがあるとするならば、 捨てたものじゃないと思っています。 鷹枕可さんや深尾貞一郎さんの詩のことばにはそういったパワーが宿っていると感じます。 お読み下さり貴重なコメントもいただき感謝しております。 (情況論2 日本防衛論)

2022-02-03

よびなさん、こんばんわ。 コメントをいただきありがとうございます。 お金をもった人間が悪いことをするとはどういうことか、これはむつかしい問題ですよね。 原点にもどって考えてみようと今、思いました。 (情況論2 日本防衛論)

2022-02-03

こんにちわ、三浦果実さん。 おじさんたちが大好きになる作品だといって下さりありがとうございます。でも、 こんな文芸の場で驚愕情報を真顔で語るおじさん達というのは、やっぱり痛いのです。 痛いおじさんなんです。映画「シャルウイダンス」に出てくる竹中直人みたいに気持ち悪いといわれるのが筋です。^^ それとぼくやっぱりおじさんより若い人にほめられたいなあ。もう、やめようかな。 (情況論2 日本防衛論)

2022-02-03

こんにちわ、湯煙さん コメントありがとうございます。 詩か否かは読み手の判断による。まったく同意します。 これが読むことの面白みであり投稿することの面白みですよね。 曖昧さを無理にはっきりさせないのもテキストの醍醐味じゃないでしょうか。 もちろんわたしの駄文がそのような醍醐味を提供しているという意味ではなく 一般論ですが。ほのかな関心をたとえ少しでも持って下さり、コメントをして 頂いたことに感謝申し上げます。 (情況論2 日本防衛論)

2022-02-03

深尾貞一郎さん  再度のコメントありがとうございます。 おっしゃるとおり理路整然と語る能力が欠損しておりまして度々破綻します。 頭の中にあるあいだは自分なりに理路整然としているのですが、日本語文法に載せると 非常にむつかしいものを感じます。 暴力というのは非常に詩的な側面を持っていますね。わたしは暴力を全否定していますが ときどき巨大な暴力の支えがなければ真実は存在しえないのかと 暗澹とすることがありますね。若い頃、道路に停まっている自衛隊のジープの脇を通る時、ああ、 これだ、この力が示すところが真実なのだ、力の背景なくしてどんな真実も存在しえないと 思ったことがあります。文学や芸術は別ですが。 (情況論2 日本防衛論)

2022-02-03

深尾貞一郎さん、こんにちわ。 だれか何でもいいからこの駄文にひとことくれないかなとぼんやり寝転んで鼻くそをほじくっていたところでした。 コメントありがとうございます。 そして深尾さんのこのコメントこそわたしが欲しかった正統派の内容であって非常にほっとしました。 やはりわたしのこの駄文は宙に浮いた妄想のごときものであって、実生活者には何の関心も興味もないものであったことに へんな言い方ですがいたく満足しています。つまりこれはいまどきの詩の裏地のようなものであるともいえます。 じぶんで投稿しておいて何ですが、だれもこんなものを相手にしないで黙殺するのが一番健康的な態度だとおもいます。 (情況論2 日本防衛論)

2022-02-03

こんにちわ、三浦果実さん。 URLが紹介されていたので加藤万結子さんの批評、読んでみました。 うーんと、言いたくないのですが、これは加藤さんには大変申し訳無いんですが詩の批評にはなっていないのじゃないかと。 決して悪いテキストじゃないんです。加藤さんは真面目な方なんだろうと思います。 でも、つまりこれでは詩の批評ではなく社会批評じゃないかと。そう思わざるを得ないんです。 わたしも大賞作品ということで読ませていただきまして簡単な感想を書きましたが、投稿された栞さんは わたしのコメントをみてちょっとがっかりされたんじゃないかと思うんです。つまりこれはべつに 「平等」の話なんかじゃないですからね。作者はそんなこと、どうでもいいと思っているはずですよ。 これは社会批評じゃなくて詩です。じゃあなんの詩かというと万人に普遍的に訪れる「喪失」という問題を扱っているんです。 平等という概念はたんに触媒でしかなく、それは本題じゃないのじゃないかと思うんです。 つまりこれは人間の純粋性が成長によって失われるその「毀れ」のときをつかんですてた記録なんじゃないかと思います。 こういうのたとえば戦時中、日本は皇国で、敵は非道な悪鬼だと教えられた子どもたちが額に汗して竹槍の稽古に励んだことと 重ね合わせることができるんじゃないかな。真面目で純粋な子ほどそれを信じて育ち、そして敗戦の日に大切な何かが失われることを知る。 これが成長ということなら、大人になるということは、なんとまぶしいことかと。したがって湯煙さんの「平等即差別ですね..... うんぬん」は、わたしからするとちょっとそれは全然違うんじゃないかと、それは詩の話じゃないのじゃないかとそう思わざるを 得なかったわけです。やっぱり栞さんから返事もなにもないのはわたしなんかのコメントにちょっと呆れ返ったのじゃないかと そんなことを心配しています。 (2021年12月大賞作品「平等」)

2022-02-02

こんにちわ、黒髪さん。 神話的なフレーズを重ねておられるのが印象的でした。 決して身体的なたしかさに裏付けられたものではないけど、 人間が頭だけで出来ていればこれほど耽美的な世界はないでしょう。 教祖的な魅力をもつことばだと思いました。 (モノと心)

2022-02-02

おはようございます。 真清水るるさん。 わたしは田中修子さんのことは何であれまったく何も知らないのです。 ときおり現代詩フォーラムに投稿される詩をみて痛ましい思いをしていました。 (血が逆さまに滴るような、こんな詩を書く人とはいったいどんな方なのだろう?) とはいえ読んだ一瞬の感慨で、文字列から目を離せばすっと忘れていました。 しばらくして現代詩フォーラムのお知らせ欄で田中さんが亡くなられたことを知った瞬間、あ、と背筋に稲妻が走りました。 一片ほども気にしてなかったはずなのに、ああ、おれは長い間あの投稿者のことを気にしていたのだなと。 稲妻のような衝撃というのは人間は死ぬのだなという当たり前のことが身に迫ってきたからです。 そうか、おれもいつか死ぬのかと思いました。生まれて初めて死ぬことが実感されたのです。 そこで田中修子さんの詩を読み返そうと思っていたのですがまた、次の瞬間、そのことを忘れていました。 この詩を読んで忘れていたそのことを思い出しました。 (『幻肢』(田中修子さんに捧ぐ))

2022-02-02

失礼。作者は ほぼ さんでした。 わたしのコメントは作者へのものです。 ほぼさん、エイクピアさん、どうもすみません。 (何処かの惑星で)

2022-02-02

おはようございます。エイクピアさん。 どこかの〈惑星〉から帰ってこられたのでしょうか。 ほんとうに耳から〈みず〉がはいってきたような感じになりました。 身体中が〈みず〉に満たされあふれているような。 (何処かの惑星で)

2022-02-02

三浦果実さん、おはようございます。 コロナもそうですし、沖縄、北海道の独立の気風など、あるいは自民党のサヨク化など、 あらゆる現象がひとつのことを目指しているのにそれを書けなかった反省をしています。 夢遊病者が夜中にわっと叫んで外に飛び出してわめきだしたような文章です。 あるいはよく街なかでキリストは偉大なりとひとりで演説している、まったく世の中から浮いた 狂信徒のような所作で、この狂信徒と同じく文章も支離滅裂気味であったでしょう。 それだけ何かわっと叫ばずにはいられなかったなにかがあったようです。しかし詩に書く力がないので 散文にしました。でも、アホのような駄文を書いたお陰で、何を書くべきかわかってきました。 次があればもっと掘った穴をお見せ出来るような気がしております。 (情況論 -ウィグルのアンネ-)

2022-02-02

おはようございます。 うろたん颱風さん、面目ありません。でもコメントを頂くだけでありがたいです。 次があればもっと考えて書こうとおもいます。 お読み下さりありがとうございます。 (情況論 -ウィグルのアンネ-)

2022-02-02

深尾貞一郎さん、こんにちわ 自分を相手に全力を出し切って闘い、自分にノックアウトされて大の字に倒れる。 これはとても気持ち良い倒れ方ですね。思い残すことはもう何もないと思います。 そういうものを言語化できていると思いました。 (ドッペルゲンガー)

2022-02-01

エイクピアさん、おはようございます。 お読みくださりありがとうございます。 ドゥルーズのところですね、唐突でしたね、は、まったくちんぷんかんぷんなわたしの 劣等感のあらわれかもしれません。 (変態自称詩人の生き甲斐は恥辱)

2022-02-01

こんにちわ。三浦果実さん。 コメントありがとうございます。 これは結構まじめに書いたものですが、しかし、蒸留したての焼酎のように かーっと刺激があるだけであまり奥の深いものではなかったことは認めざるをえません。 もう2日3日、発酵させればよかったと悔やんでいます。 現代詩フォーラムに投稿されていた花形新次さんの「恥ずかしいものを見せて平気な自称詩人は変態だ」 があまりに愉快、痛快だったので便乗させていただきました。 花形さんの余韻のある詩風にはまだまだ及ばないものと痛覚いたしました。 (変態自称詩人の生き甲斐は恥辱)

2022-01-31

こんにちわ。湯煙さん コメントありがとうございます。 正統派の真面目な詩を書かれる湯煙さんから無視されなかっただけでも ありがたいことです。それでも湯煙さんのような方にも なにかあるぞと思わせるような詩を書かないといけません。 精進いたします。 (変態自称詩人の生き甲斐は恥辱)

2022-01-31

こんばんわ、ふくこさん なんか綿あめみたいなふわふわしたものを味わった気分です。 書き手はきつい気持ちをあらわしているのでしょうが、わたしは悪い気分じゃないです。 ことばはそのまま何も考えずに書いたらただのことばにすぎないのですが ことばをリアルにさせているのは書き手の思いのふかさでしょうかね。 (ゆめゆめ)

2022-01-30

おはようございます。 水平線が空と海に線を引いている小さな入り江の崖の下で さざ波に洗われている巻き貝や藻など。 これを今はもう無い枯野とすれば、 生命力の強い"現在"が"神仏"を殺してその死肉を食らっている。 先には何があるのか、自然と一体であった世紀の者にはわからない。 わかりたくもない。夢は枯野をかけめぐる。などの情景、想念が浮かんできました (願い)

2022-01-30

書き手の気持ちが深く滲むことばでした。 カップ麺のうどんという素朴なものへの思い入れもなごやかさを増します。 ただ、作者にとっては損なことにこのような感慨や構成は ややありきたりに文学や映画などで見聞きすることですので もったいないなあと思いました。 (肉うどん)

2022-01-28

こんにちわ。 月間B-REVIEW大賞をとられたということをみて拝読させていただきました。 平等なんてことは生まれてからこれまで考えたこともなかったので勉強になりました。 やっぱり平等は大事ですよね。そういう社会が実現されればいいなと思いました。 (平等)

2022-01-27

白川ロイヨさん、こんばんわ。 ご感想ありがとうございます。 (龍之介と修司がいる台所)

2022-01-26

こんばんわ、深尾貞一郎さん 蛾兆ボルカさんの秀逸な指摘に反論はないので深尾さんへひとことだけ。 教育の重要性はまったく同感です。ただ、倫理というものがどこから派生したのか。 宗教からだとは考えにくいですね。倫理は必ず思想 信条 信仰の相違を超えているものだと思うからです。 信仰が違うからといって殺し合いをするような教えはないでしょうが人間が教団を持つと必ず異教徒を排撃します。殺し合う。 あるいはマルクス主義やレーレニン主義がこの理論に同意しないものは殺せとはいわないでしょうが思想が衝突すると人間は殺し合う。 そこに倫理はないわけです。倫理は思想、心情、信仰を超えています。でも、一見倫理に見せかける言説は非常に多い。 たとえば昨年、日本オリンピック組織委員会の森会長が女性蔑視発言で辞任しました。 森会長を糾弾したリベラルの人たちは女性蔑視に対する倫理的ないきどおりを覚えて森氏を批判したのでしょうか。 あるいはテレビのコメンテーターは森氏の発言に倫理的な怒りを覚えて糾弾したのでしょうか。 一見、倫理に見えます。しかしその後、この人たちはたとえば静岡県知事の女性蔑視発言には沈黙しています。 知事が左派系だからです。つまり一見倫理的な発言をしているようで実は倫理ではなく政治的発言であることがほとんどです。 ほんとうに倫理から発した言葉は右左の政治的主張に左右されないし、信仰の有無や党派性にも左右されない。 つまり倫理はどこから来たのかという場合、宗教や思想、心情から来たのではないのじゃないかと思うのです。 人間の愚かさは党派(教団)をもつことで本来のキリストの教えを粉砕してしまう。これは親鸞の教えもそうです。 今の浄土宗系教団に親鸞の教えは跡形もありません。そもそも親鸞は仏像も寺も否定しています。 キリストも親鸞も倫理的であった。しかしその倫理性は宗教的感性から来たのではなく、経験から来たものです。 倫理は受難や貧困や苦痛の中から生まれるのじゃないかと思っています。そうなら当然、宗派や党派や主義心情から自由なものです。 ところが今の社会には倫理が巧妙に党派や宗派によって偽装されている。そういう情けない時代だと認識しています。 (詩人のオーダー(詩人であることの要件としての「賢さ」についての覚書として))

2022-01-25

ずいぶん技巧的な詩だな と感じました。 とはいえ技巧は感性でもあるから作者が天才的にもっている 詩人性の発露であるのだなと感心すると同時にうらやましくもあります。 (誤解)

2022-01-25

こんにちわ。 yatukaさんの詩はすべて気にいってます。 わたしの考える詩がそこにあるとおもえるからです。 若輩が偉そうなことをいって恐縮です。 なを個人的なお話になりますが、現代詩フォーラムで わたしの素晴らしい詩にポイントありがとうございます。 (春の海)

2022-01-25

 鉛筆の例は、道具の目的外使用の例です。  道具は目的により作成されてますので、外見や物理・化学的な特徴よりも、目的にフィットする分類が便利なケースが多いと思われますが、  目的にあわせた分類は、目的外の使用には役に立ちません。 おっしゃるとおりだとおもいます。 目的にフィットする道具分類が便利なことにはまったく同意します。 また、目的にあわせた分類は、目的外の使用には役に立たないことにも同意です。 わたしが鉛筆の例でいいたかったことは現実世界では道具目的が常に揺れ動いているということです。 一瞬の殺意が鉛筆の道具的な目的を新たに作り出すということです。 平たく言えば観念的に硬直した基準は現実では役に立たないことがままあるということでしょうか。 人間がもしサルより賢いとすればそういう基準から抜け出す自由を持つということではないかと思っています。 (詩人のオーダー(詩人であることの要件としての「賢さ」についての覚書として))

2022-01-25

まるでコーラン(しらんけど)を読むような、あるいは 歌うような、視野の広さというか空域のひろさを感じました。 ちっとも湿り気がなくて、なにかの情感が天に向かって突き抜けている。 おもしろいと思います。 (許さない)

2022-01-25

ボルカさん、こんにちわ 人間であるなら猿より賢い動物であり、と仰られておりますが、 賢さとは知能ではありません。知能が良いことと賢いこととはまったく別の次元の話です。 昨今の世界情況をみますと果たして猿より賢いのかどうかそこには疑問があります。 猿はカネのために仲間を売りません。猿は仲間の腎臓をとって売りません。 猿はおれは東大出だといって威張りません。猿は必要以上にカネやモノを溜め込みません。 猿はおれは知的だといって無意識に大衆を見下しません。ああ、もうこれくらいにしておきましょう。 人間が猿より賢い生き物ならどれほど良かったでしょうか。とわたしは思います。 知能が良いこと=賢いことという短絡には同意できかねます。 (詩人のオーダー(詩人であることの要件としての「賢さ」についての覚書として))

2022-01-25

ABさん、こんにちわ。 あとになって、寺山のあの詩は  名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと に似ているなとか気がついたのですが、やはり、もう少し考えを詰めておればと しょうしょう悔やんでおります。 (龍之介と修司がいる台所)

2022-01-25

おはようございます。三浦果実さん ただの散文めいた詩をお褒めくださりありがとうございます。 実のところまだ何もわかっておりません。頭が悪すぎますわたしは。 (龍之介と修司がいる台所)

2022-01-25

こんばんわ。 観念というものはしょせん硬直した幻想しか生み出さないのだなと勉強になるテキストでした。 この散文では階層構造の区分原理を扱っておられますが、 多次元構造の区分原理だと「賢い詩人」はどう位置するのかと考えました。別に多次元構造でなくとも 筆者の言いたいことはわかるのだけど、たとえば鉛筆。 鉛筆には色鉛筆もあれば筆ペンもある。これの上位カテゴリーは筆記具でしょうか。筆記具の上の分類は事務用品にでもなるのだろうか。 でも、このような観念上の区分原理は現実の前ですぐに崩壊する。 たとえばわたしが鉛筆を使って恋人を奪った男の眼を突いて殺せば、鉛筆は筆記具から鋭利な凶器に変わる。 このとき鉛筆は階層構造から完全に抜け出して多次元構造の中に置かれる。たとえば 1.先が尖った人を殺せる棒 2先が尖ってない人を殺せる棒 3先が尖った人を殺せない棒 4先が尖ってなく人も殺せない棒 という4次元の区分のどこかに置ける。もちろん、これ以外の区分も無限大だ。 何がいいたいかというと人間の観念なるものはたしかに区分の原則を様々に決定できるかもしれないけれど、現実の前では そのようなものはあっという間に霧散してしまうということだ。 人間は観念によって不自由になり現実によって自由になれることもあると考えた次第。うすっぺらく雑な考えですが何か気づきを 与えてくれました。ありがとうございます。 (詩人のオーダー(詩人であることの要件としての「賢さ」についての覚書として))

2022-01-24

こんばんわ。 読ませて頂きましたが、むつかしいものですね。 何も考えずに風景をそのままぱしゃっと写真に撮ってもそれは風景じゃないと ある写真家がいってました。貧しい生活社会が生み出す愛憎のドラマの配役が 全員並べられて点呼を終えたような感じがしました。 (Blood.)

2022-01-22

こんにちわ。 静止よりほんの少し速くというフレーズに惹かれました。 お陰様で吉岡実の『静物』という詩の理解がほんの少しすすんだ気がします。 (静止よりほんの少し速く)

2022-01-22

こんばんわ。 湯煙さんがおっしゃってますがわたしも雨が睫毛に降るというイメージが新鮮でした。 その他、ところどころに素晴らしいフレーズがあって、いいなと思いました。 神風船というのも、なんだろうなと思わせますが、それ以後の展開とどうつながるのか 稚拙なわたしにはよくわかりませんでした。 神風特攻隊についていえば今からみれば愚かかもしれませんが、そんなもの 愚かといえばすべてあとの時代からみれば愚かなことを人間はしているのじゃないでしょうか。 でも当時は真剣に一人一人の航空兵が死をみつめて極限の人間的思惟を重ねたのであって、今のわたしたちが それをどう言い募ることもできないし、安易に、見下すことは人間への冒涜だと思いますので、 わたしは別に神風でもかまわないとおもっています。 (羽化)

2022-01-21

日傘は見せるものでもあり、柄のうつくしさに はっとすることがあります。実用本位ではないところが 詩などの文芸にもいえますね。 (日傘のしらべ)

2022-01-20

こんにちわ。 実のところまだよく読めてないのですが、 シャガールの絵のようなノスタルジアを感受しました。 (記憶の街)

2022-01-20

こんにちわ じぶんの名前を三回唱えられるかい? それができないなら、きみは自分が嫌いなんだ という行にはっとしました。じぶんの名前がすぐに思い浮かばなくて あっと声をあげました。 (大晦日 あいつと)

2022-01-20

こんにちわ。 泣くほどだれかを大好きになってみたいものです。 うらやましい人だ。 (泣く)

2022-01-20

こんにちわ まことに申し訳ないのですがわたしには難しすぎてよくわからないところがありました。 でも、作者が一生懸命詩と格闘しているというか頑張っているのだなという熱意は伝わってきました。 (びーれびしろねこ社賞の作品群を読んで)

2022-01-20

こんにちわ。 高い時計も安い時計も一秒は一秒。 一見、当たり前かもしれませんが、なるほどとおもいました。 (全ての狂人たちへ)

2022-01-20

おはようございます。 日常のような非日常とは世界的なコロナ騒動のことでしょうか。 あるいはトンガの火山爆発や中国の皇帝主義が世界にもたらす恐怖もあるかもしれません。 独特のことばの切片がある人には独特のイメージを当たるのかも知れません。 しかし日常のような非日常といってしまえばそこでそういうことになるのですからあとは 付け足しのような気がしないでもありませんでした。 (リフレイン)

2022-01-20

安里和幸さん、こんばんわ。 この詩にさそわれて過去の二作を読ませていただきました。 投稿初作には感銘を受けました。二作目もすばらしいとおもいました。 これも前二作の硬質なことばがみせる佇まいを感じさせます。 残念ながら前二作に比べてこれはそうとう出来は悪いですが、今後の作品に 期待をもたせる作者であるとおもいました。 素人が偉そうな感想を書きました。ご容赦。 (寒暁)

2022-01-19

沙一さん、こんばんわ。 ただ何かを書きたいという思いだけで書きました。 何かを より 書きたいという無形無心の願望が優先しました。 お読みくださりありがとうございます。 (龍之介と修司がいる台所)

2022-01-18

わたしにとって”分割された牛”ということばからイメージされたものが新鮮でした。 ちょうど現在社会のどうしょうもない情況に絶望していたからでしょうか、ここに書かれたことばを よく理解できてはいませんが、なにやら、わたしの心情をゆるがせるものがありました。 (いつ?どこで?きみはなんのために)

2022-01-18

ことばを辿っていくこと自体が黄昏どきの情景をみるようでした。 一幅の絵でした。 (春老い色)

2022-01-15

沙一さん、感想をたまわりありがとうございます。 わたしも同じことを感じていたのでやっぱりなあという感じです。 わかっていてもどうすればいいのかわからないのだから、ほんとうに無能な 下手の横好きなんだなと納得した次第です。でも、いつまでも投稿できないから さっと書いて目をつむって投稿させていただきました。ありがとうございます。 (眤月)

2022-01-15

深尾貞一郎さん、拙作にていねいなご講評をたまわり感謝です。 なんというのでしょうか、才能のない引かれ者の小唄かもしれませんが、わたしは近頃、 つぶやきを目指しています。囁きでも歌でもなく。 つぶやきというのはだれに聞かせるものでもないのですが。でもやっぱり聴いてほしいという なんとも矛盾した複雑な感じでいます。 (眤月)

2022-01-15

Comoestanuquiさん、こんにちわ。 正月は今もそうですが手軽で簡便な餅ばかり食っていたので 想像力の単純で狭いわたしには餅くらいしか思いつきませんでした。 お読みくださりありがとうございます。 (眤月)

2022-01-14

三浦果実さん、こんばんわ。 貴重なご批評ありがとうございます。 無能ゆえご期待に応えられるかどうかわかりませんが ありがたく頂戴しておきます。 (眤月)

2022-01-14

真清水るるさん、こんにちわ。 記憶という原石を時間がこつこつと磨いて美しく光らせてくれたのかもしれないな と思えるときがあります。 (眤月)

2022-01-14

きょこち(╹◡╹)久遠恭子さん、おはようございます。 三ヶ日、自炊が面倒なのでコタツに入って毎日、餅を焼いてます。 おいしいですね、お餅は。こちらこそどうぞよろしくお願いします。 (眤月)

2022-01-14

すいすいと読めました。 なにも残らなかったけど。 (投稿サイトによくいる上手な詩を書くおじさん)

2022-01-13

ああ、そういうものかもしれませんね。布団こそ宇宙船の原型てか、 布団は宇宙船です。 (ただの、一点。)

2022-01-13

こんにちわ。 ラストの一行が詩になっているようにおもわれました。 (さようなら)

2022-01-12

介護者のリアルな心情が身に迫ってきました。 (肛門のリアリティ)

2022-01-12

純愛ですね。純愛であるからこそ動物的欲望を飲み込み聖化する。 そのきわきわのところでぴりぴりと神経が逆だっている感じです。 (びりびりびり)

2022-01-11

おかげさまで「わたしの風の又三郎」という未読の投稿詩があることを知りました。 よるの海を見にでかける。なぜよるの海なのか。どうしてネオンが反射する裏町のドブ板じゃないのか。 それが不思議。かつまた、どうして判を押したように詩を書く方々はよるの海へ出かけるのが好きなのか興味をもちました。 (物語をノンフィクションと断言できる人)

2022-01-11

詩作と投稿詩とは別のものじゃないかと思います。 そういう意味では出版された詩などはすべて投稿詩の部類に入るのじゃないかなと。 投稿詩とは「じぶんを知ってもらいたい。分かってもらいたい。その上でそんなわたしを受け入れてもらいたい」という願望が中心にある。 そういう意味では「詩についていの詩」も投稿詩としては同じで、べつに別け隔てる必要はないと思います。 (詩作についての詩はやめたほうがいい)

2022-01-10

一瞬、詩とはなにか、詩の価値とはなにか、詩の評価とは何かを考えさせられました。 ときどき立ち止まって、こういうことを考えてみるのも案外、必要なのかもしれません。 もちろん、答えなど出るわけでもなく、いつもの伝で堂々めぐりの愚考をこらしただけですぐに忘れましたが。 これからもどんどんこの手の詩を書いてください。期待してます。 (Twitterによくいる下手くそな詩を書くおばさん)

2022-01-09

仏はなんとなくわかるんですけど鬼って何なんですかね。 じぶんを失って激怒したひとの姿を一度みたことがあるんですが ああいうのを鬼というのならそうかもしれない。 (小鬼たべらこ)

2022-01-09

いい詩なのかダメな詩なのかわたしごときにはわかりませんが、 略称連続射殺魔、作家の永山則夫先生の姉のことを思い出しました。  (俺の姉が障害者になっていた)

2022-01-08

お題は「初恋の日」でしたね。 投稿してしばらくたってから気づきました。 ミスです。みすみす見過ごしてしまいました。 ほんとうです。 (初恋)

2021-10-13

しずかな心境が 流れるようにこちらに しみてきました。 (無念の夜更け)

2021-10-08

こんにちわ。 おとぎ話はよくみます。 中韓のドラマが大好きですが、中韓のはすべてシンデレラストーリ。 大金持ちの男が貧乏な女に恋をするが貧乏な娘は相手にしないというパターン、 あるいはその逆。これは恋愛ドラマでも刑事ものでもそう。 貧乏な刑事が大金持ちを追い詰める。出てくるのは巨大企業の社長や政治家、そして貧乏な女か男。 中韓ドラマはおとぎ話のパターンの一つであるシンデレラストーリーの変化型ばかり。 韓ドラ『椿の花の咲く頃』はめずらしく違いましたが。 さて、なぜか日本のドラマには中韓のようなシンデレラ・ストーリーはほとんどない。 一般平民のラブコメやサスペンスばかり。 どうしてかと考えてあることに気づいた。貧しいのだ。あるいは貧しかったのだ。 おそらく中韓ともに経済大国を自称しているが、一部であって、ほとんどの大衆は貧困の極みにいる。 それが中韓ドラマの背景にあるものだろう。わたしも貧困なので中韓ドラマのそういうのが 大好きでよくみているが、これ、終わりがない。いつまでも続く。そして終わるとサイダーの泡のように忘れる。 中韓の一般庶民に真の平和が訪れるまでシンデレラストーリーは続く。 失礼ながら、身勝手な感想ですが、そんなことを考えました。自分語りみたいですみません。 (おとぎ話は、いつ始まって、誰が書いて、誰が演じて、そしてなぜ終わらないのか)

2021-09-18

こんにちわ。 なにか童話のような詩でたのしかったです。 (『俺と僕』)

2021-09-10

不思議なことがあるものだ。 だれかを待っている。 ずっと待っている。 それが現れることを待っていたのに それが現れるとなにかつまらないような気がして背を向ける。 背を向けると、途端に、またすぐにそれを見たくなる。 一つのことしか書いていないのに、 とはいえ、現在ではそれがまたすべてなのかもしれないが。 考えてみると。 これが現代詩のさいたるものなのかもしれない。 いまや、ただひとつのこと、幻滅と絶望を書くしかないのかもしれない。 ああ、またわたしはこの作者の次の作品を待つだろう。 そしてまた同じことが書かれていることに少し落胆し、 また、次の作品を待ち続けるのだろう。 これが現代詩なのかもしれない。 (ツララ、ツェラン、ラララ、ツェラン、パパパパパパ、パウロ、ツェラン、つらたん(´;ω;`))

2021-09-10

こんにちわ。 失礼。わたしもあらゆるものが貧しいので思わず熱中して読みました。 最低限の生活さえできればカネはそれほど欲しいとも思わないけど それよりおのれの心の貧しさにいつも恥ずかしさを覚えています。 もっとこのテーマで読みたいと思いました。 (貧しいとは)

2021-09-06

こんにちわ。 いきなりとびこんできた写真のド迫力に一瞬、気圧されて ことばが出ませんでした。失恋の記録?でしょうか。 よくわかりませんが迫力がありました。 (1/2)

2021-09-03

こんにちわ。 愚鈍なわたしが感想などおこがましいのですが、 いや、かえって貴方様をがっかりさせるかもしれませんが これはウソ、いつわりのない正直な気持ちなのでごめんください。 じつは、冒頭の、叔父さんが「鞄職人」というのがかっこいいなと思いました。 事実かどうかではなく、もし虚構ならかっこいいし、現実であってもかっこいいと。 わたしの知人は包丁の研ぎ職人になるのが夢でしたが、あれは許可制になっていて縄張りもあり 既存の職人さんから認可をうけるのが難しいとか。あ、自分語りになってもうしわけありません。 この御作、最後までするすると読めました。かっこいい文体だとおもいます。 (蜆かぞえ)

2021-09-02

胎と胎児について考えさせられました。つまり〈空間〉について。 私個人としては人間の87%くらいは神様じゃないかと思っています。 神の領域にあるものがほとんどなのに、じぶんで何とかしようとあがいている人間が 滑稽ですが、そういう滑稽さに気づくには年月が必要かと。 偉そうなことをいってすみませんが、これが感想です。 (詩の日めくり 二〇一六年八月一日─三十一日)

2021-09-01

他人からすればなんとつまらないことをいうようですが、 一行目の"橋の欄干から”身を乗り出”"すという描写に不意をつかれ 詩行に新鮮なものを感じました。 (覆水も お盆には かえりますか?)

2021-08-29