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アンチアスファルトマン


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ありがとうございます。試しに戦争のイメージをはっきりと出してみました。 実は過去作の練り直しです。以前は特段、戦争をテーマにした詩のつもりはなかったのですが、時間を置いて見直してみると、分かりやすいに越したことはないのかな…という気になって、試してみました。でもなかなか難しいです。 (鉄分と海底_revised)

2022-02-13

とんでもないです。詩の爽快感を楽しませていただきました。ありがとうございました。 (車両基地)

2021-08-12

お返事恐縮です。なるほど、意図は理解できました。 詩歌で言葉尻をあげつらうのも野暮だとは存じますが、一応説明させていただくと、あくまで焦点は点、光の筋が収束する一点なので、「障害物で遮られる」という感覚はちょっと原文からは読み取りきれなかったように思います。もしかして、焦点というより光の筋やパース線みたいなイメージで書かれたでしょうか。 また、日本語の話になりますが、動詞にはいちおうコロケーションというものがあります。「雲に光が到達する」と言いたいときに「光が雲から到達する」とは言わないし、「光が雲と到達する」とも言わない、みたいな話です。今回の動詞は「貫く」ですので、何かを通り過ぎねばならない、だから「にまで」とは本来併用は難しいです。多分なにかを貫いて雲に到達した雰囲気を出したかったのでしょうが、その「なにか」が端折られてしまったので、私が文の意味を誤読したものと思われます。 厳密に見れば「ナイフが内臓直前にまで貫いた」も誤りです。「ナイフが内臓直前(に)まで迫った」または「ナイフが肉を貫いて内臓直前まで到達した」等でないと本来はおかしいです。直さなくてもなんとなく意味がわかるのは、読み手が勝手に文脈を脳内補完しているだけで、それはそれで「読んでいる」とは言い難い状態だと考えます(詰めの甘い書き手に詰めの甘い読み手が付いただけというか。残念ながら巷にはその手の文が溢れていますが。) とはいえ、これは詩の世界ですので、意図的に文法から外れ、何らかの効果を狙って使うのであれば、後は詩文に任せるべき領域だとは思います。長くなりましたが、なにかの足しになれば幸いです。 (車両基地)

2021-08-12

(や、でもさすがに尻切れトンボかもしれませんね。すみません、単なる思いつきです。) (毒を飲んで死んでおしまい)

2021-08-09

言葉は平易で、かつテーマもどちらかと言えばよく見るタイプであるにも関わらず、すっきりした読後感だったと思いました。 句点やひらがなの選び方によって密度が最後まで意識的に調整されていて(そのように見えました)、さらに形式を重視したつくりかと思えば「起承転結」的な盛り上がりと締めも配置されているし、希望と絶望のバランスもほどよくて好ましく感じます。 言葉のリズムとはまた別の音楽性というか。AメロBメロサビ転調みたいな。 教科書的とも言えてしまうのでしょうが、私としては形式の力を思い知りました。 多少、「母の声で。」あたりから対応関係が崩れて戸惑いがあったので、意図的だとは思うのですが、思い切って「母の声」の行で切って「そうして」の最終連にワープしても面白いのかなと思いました。どぎつくはなりますが… (毒を飲んで死んでおしまい)

2021-08-09

コメントありがとうございました。 詩の年代感が悪くない働きをしたでしょうか。とはいえやはり古さはあるとのこと、参考になりました。 (照葉樹林のバラッド)

2021-08-08

衒いなく言ってしまえば「よくわからない」のですが、しかし「よくわからない」詩を読んだときに、わからないからもういいや…となるものと、わからないけど何かあるぞと感じるものがあって、私にとっては後者に感じられました。 不純な読み方ではありますが、なぜそう思わされるのか、研究するように一つ一つの表現を読みたくなります。 (劫火)

2021-08-07

形の意味に気づいたときにくすっと笑ってしまいました。可愛さと生き物感が絶妙だと感じます。 内容がもう少し凝縮されていたら、宝物のような一編にもなりうると思いました。 (奇跡)

2021-08-07

れれれれ連作。恐縮です。単発のつもりでしたが、関連性のあるものを思い付けるか挑戦するのもよさそうですね。 北原白秋が好きで、ああいう視覚に訴える感じを試してみました。 (現代詩かどうかは…ですが) (照葉樹林のバラッド)

2021-08-05

コメントありがとうございます! 企画に参加させていただきました。 笹やススキなど、イネ科の葉っぱは珪酸の骨が入っていてシャリシャリ言うんですよね。言葉足らずになってしまったかと危惧していましたが、面白味を感じていただけたとのこと、少しほっとしました。 都市住まいなので、七夕と言えばショッピングモールや駅に突如出現する七夕飾りでした。たいてい猛暑でカラカラに萎れていて、そのうえ人通りが災いして尋常じゃない密度で短冊が下がります。もう、お疲れさまです、と言いたくなったのを思い出していたらこうなりました。もっと風情のある七夕飾りを見慣れていたら、別の詩ができていたのかもしれません。 乙姫と彦星は、ビジュアルが一定しないせいか、いまひとつ膨らみませんでした。特に彦星がわからない。雛祭りなら「お内裏様とお雛様」が多少思い浮かぶのですが。 良い経験になりました、企画をありがとうございました! (【2021遅れた七夕企画】笹に寄す)

2021-08-02

過去作はぜひ。少しずつ読ませていただくつもりです。浅草はなかなかに遠いですね……! 実は「好きです」と言っておきながら、嫌いになれるほど深くは理解できていないのです。でもなぜか、こういうダルい感じのバイオレンスに惹かれます。またいずれお邪魔するかもしれません。 そんな自らの比重を激増させるような行いを。自分はアンチアスファルトマンなので、むしろアスファルト固めて割りましょう。お返事ありがとうございました。 (「5時22分」)

2021-08-02

恐れいります。 もちろん、心から書かれたものだとは感じていますのでご安心ください。というか、個人的にはむしろ、奇をてらって「これも詩だろ、違うのか」という反骨精神で書かれた可能性すら検討していたのですが、多分違うなと。 詩に限らず、表現活動そのものの優劣はないと思っています。人それぞれ心から叫びたいことがあって、その中にどうしようもないものなんて1つもなく、ストレートな励ましの歌だってこの世にあってしかるべきものだと思います。ただただ、「なんとなく」ではなく、もっと自覚的に作ることができるのではないかとそう思ったのでした。 歌詞やこういう手紙形式とは多少ジャンル違いかもしれませんが、現代詩も面白いですよ。現代詩手帖などの詩誌を見てみたり、図書館で有名詩人の詩集を手に取ってみると、色々面白い表現に出会えるかもです! (Heart Receiver "オーディブル・ポエトリー" )

2021-08-02

詩というより、映像作品としてどうかという投稿として拝見しました。 動画を作成して公開し、それを続けること自体が大変だと思いますので、そこはものすごいなと思います。 ただ内容について率直に言えば、いろんな面で物足りなさを覚えました。 まずテキスト自体が、詩としては薄いように思います。誰にでも寄り添う言葉は、逆説、誰にも寄り添わないまま書けてしまうものであって、この「君」も単なる架空の存在(今悩んでいて、かつ、この詩で励まされてくれる都合のよい存在)に堕落しかねない域にいると思います。個人的には、この「君」、つまり今この世界のどこかで悩んでいる人の生きた手触り、生きた苦しみが欲しいと思いました(刺さる層が狭まるのは事実なので、yourube動画としてそうするべきかはまた別問題だと思いますが)。 蝶、とんぼ、子猫、子犬、これらのモチーフも、なぜそこで出てきたのか。そこに必然性はあるのか。後半出てくる宇宙のモチーフとの相乗効果があまり感じられず、むしろ互いのスケール感を殺し合っているような感じを受けます。 そして上記の詩と映像がまた、一作品として見ればですが、乖離しているように思えます。なぜその絵でなければならないのか。その映像はどう詩をサポートしているのか。途中なぜ一瞬実写を挟んだのか。ただいい感じの映像と言葉を並べただけにならないように、もう一歩踏み込んで映像や音楽をディレクションして欲しい、テキストの作者の作為をもう少し混ぜていって欲しいと視聴者としては思いました。 現状この動画の評価点は声優さんの演技と、継続投稿するという行動力にかなり寄っていると思います。それはそれで大きな要素ですが、作品として批評するとなると、また別問題ではないでしょうか。 現代詩はえてして内向的な、暗がりを見つめる方向に行きやすいものですが、こういうポジティブな方向の表現を探索するのもまた詩作なのでしょうね (Heart Receiver "オーディブル・ポエトリー" )

2021-08-02

批評未満で恐縮ですが、好きです。 正直遠い世界のことなので、文の暗喩を理解しきれてもいないのですが、ちょっと頭の弱い平成のヤンキー感というか、暴力に親しみながらもダラダラッと過ごしている感じが、どこか懐かしく、さらに冒頭と相まって儚く美しいもののようにすら思えました。 (「5時22分」)

2021-08-02

ありがとうございます。嬉しいです。 表現面ではまだまだだなと痛感していますが、いつかまたこういうモチーフに戻ってきたいものです。 (鉄分と海底)

2021-08-02

こちらでもありがとうございます。変わった脳波が出ますか。脳トレ。 昔から、思うままに詩を書くとよくこんな感じになります。海に生き物と死骸が同居するイメージ。実際の海には興味も縁もほとんどないのに… そろそろ考証のために魚類図鑑が要るのかもしれません。 (鉄分と海底)

2021-08-02

恐縮です。もはやどうやってこの文を捻り出せたのか思い出せません……。最終連に関しては、まぁまぁな形に収められたんじゃないかと感じています。 (或る秋天)

2021-08-02

ありがとうございます。視覚に訴えてくる詩が好きなので、よく具体的なモチーフを入れ込みたくなります。いざ作ってみると、若干周りの文から浮いている気もしますが…。 抽象と具体の合わせ技、これを持ち味とできるのか、それとも単に中途半端なだけなのか。引き続き試行錯誤していきたいです。 (或る秋天)

2021-08-02

コメントありがとうございます! 言葉の響きがもう懐かしいですよね。個人的には小学校~中学低学年までしかお世話にならなかった紙のような気がします。 「模造」というどこか低級なイメージのある言葉ですが、実は上質な紙なんだそうですね。 (【2021遅れた七夕企画】笹に寄す)

2021-08-02

コメントありがとうございますm(__)m 100字以内ということで、書き上げて投稿したはいいものの、まだまだ言葉足らずというか、表現したかった感触を見失っていました。 笹そのものにフォーカスしていく動きだったのだと、コメントを拝見して整理できた気がします。ありがとうございました。 (【2021遅れた七夕企画】笹に寄す)

2021-08-02

大変参考になります! ありがとうございます。うっかり1行あたりの文字数を考慮せずに投稿してしまい、思ったより縦長になって連分けが悪目立ちしました。試しに手元で全部繋げてみても全く違和感ないので、改行なしが良かったかもしれませんね…。 行数をコントロールしたいときは、皆さん手打ちで改行されているんでしょうか。次は試してみます。 (誤字を発見してしまいました。 どこかで遠くで→どこか遠くで お読み替えください。) (或る秋天)

2021-08-01

ありがとうございます。秋口の空の写真から得た着想を詩形にしようと頑張ってみました。まだまだ詩っぽくするのが精一杯ですが、アトモスフィアを出せただけ一歩前進できたような気もしています。 (或る秋天)

2021-08-01

コメントありがとうございます。ひたすら組み上げているだけで、いつまでも登れなさそうな予感はします。いつか「いつまでやってるの?」と言われてしまうか、あるいは自覚しないといけないのだろうと思います。不毛さが少しでも伝わる形になっていたなら、良かったです。 (或る秋天)

2021-08-01

現実の情景をそのまま書き起こしたようにも見えるのに、その土地に長く続く歴史があることを強く感じました。最後まで読まないうちから(ペットボトル茶をいただくまで読んだくらいで既に)そういう印象なのが不思議です。書き起こしと何が違うのか、考えたくなりました。(私にはまだまだ見当が付きませんが…) (山すその朝日あたる墓地にて)

2021-08-01

意図的なものではなさそうに感じられたので指摘させていただくと、「入道雲にまで貫いた」が日本語として誤っているため、詩のスピードを大幅に落としてしまうように思えます。 「貫く」は文字通り貫通を指しますが、助詞の「に」は到達点を表すので、「入道雲にまで」と言った時点で視点が入道雲で止まってしまいます。 この場合は「焦点は/入道雲を貫いた(突き抜けた)」が近いと思われますがいかがでしょう。ちょっと気になりました。 (車両基地)

2021-07-31

読み手として思ったことを言うと(私が言えたことでもないんですが)、題材選びがちょっと安易に見えました。現実世界寄りにしろファンタジー寄りにしろ、「父母の墓参りをし、涙を拭ってまた走り出す」これだけになってしまっているのかなと。モチーフとしてはアリ、処理次第だと思うのですが、書いてある以上のことが立ち上がってこないというか。人生の手触りではなくRPGゲームをプレイしただけで書いているような。 また、気球要素も浮いているような気がします。現実世界の民俗的雰囲気で読もうとすると「あ、気球はある文明レベルなんだ」と思ってしまう一方、ファンタジックに読もうとすると「どんな気球かわからないから意味が取れない」と思ってしまうような。 たとえばこれを大昔のモンゴルみたいなイメージにして、気球を廃し、空や大地をもっとガツンと書き出したら、その下の人間の涙を描く方向に持っていけた予感もします。 もちろん、必然性があるなら気球も活躍してほしいですし、ファンタジー方向に舵を切ってもよいとは思います。 引っかかったことばかり書いてしまいましたが、音の流れはすごく地に足のついた印象で、飾らない素直な日本語の文もいいものだと思えました。学び取りたいです。 (地平線の彼方まで)

2021-07-29

漢語の多い硬派な雰囲気の中に、西洋美術的イメージが混ざったかと思えば関東圏に行ったり沖縄に行ったり、次々と切り替わる文章の効果を楽しく試せる作だと感じました。参考になります。 ただ詳しく読んでみると、それぞれの漢語が意外と日常的で(あるいは私にとって情報過多だっただけなのか)、イメージの広がりの面でやや物足りなさを感じたように思います。 また、場面切り替えの効果も限定的だったような気がしました。隣り合う連が「取り合わせ」になりきれてないというか、相乗効果がもう少し欲しいというか。 一つの連のなかでもう少しイメージの飛躍や広がりが増えたら、その余波で隣の連との響き合いも増してくれたりしないかな、なんて想像をしました。 (星、庵にて語る)

2021-07-28

冒頭3行、および最終行は、かなり手垢の付いた陳腐な表現に見えてしまったのですが、そこを越えると「こんなにもうすいオブラートで/どうして君を/包んで守ろうとするんだろうか」に深みを感じました。無力感に苛まれていても、全部を諦めずに人を守ろうとしていてしまう、そしてその矛盾を自分で自覚しているあたりが、ストイックで好きです。 そのぶん、冒頭と末尾がもったいなく感じました。どうにか…とはいえ代案も思いついていないのですが…。 感想まで! (オブラート)

2021-07-28

コメントありがとうございます。 取り合わせというワードに俳句を思い浮かべました。2つの離れた概念を合わせることで、効果の広がりが生まれるのが楽しいのですが、同時に扱いの難しいところだとも感じます。 海底に沈んだ大きな人造物が生物の住処になっている様子は、ちょっと斜に構えた意味で好きなのですが、一方でたしかに、軍艦の上に生き物を這わせることで、何かのつながりが示唆されているようにも見えますね。 参考になりますm(__)m (鉄分と海底)

2021-07-28

「ゴーゴージューゴのぼく」のちょっと籠った感じから始まるのが、思春期の頃のちょっとした閉塞感を表しているようで好ましく感じられました。 全体的にすごく好きで、なんとか言語化してみると、中学生くらいの頃を実際に手で触っているような触覚的な懐かしさがまず来ます。(とはいえ、シンプルに「触」という漢字に引っ張られたのかもしれません。あるいは、唾液や子宮といった内臓・体液系の語彙からの連想なのか…) あとは、年齢が若ければ若いほど、暴力性や猟奇性との何らかの親和性というか、けっこう死に近い場所と精神性で毎日生きていたなぁという気がして、その感覚を懐かしく思い出したのかもしれません。自分もそれくらい年の頃なら子宮を盗んで轢くような肉体破壊のイメージが心の中に宿っていたような気がしますし、あとは図書館でひたすら流血したり拷問したりする書籍や漫画がわりと人気だったりとかもしていて、それでいて別に芯から絶望しているわけではなくて、という思春期の独特な空気感… ルビもすごく好きなのですが、これは好きな理由が自分でもさっぱりわかりません。何かの効果を狙ってのことでしたら、ぜひ伺ってみたいです。(明確なものでなければ、お構いなく!) (┣ぼくらはまだギリ青いから┳おんなのことこいなんてしないでいてよ┫)

2021-07-28

最初の3行の舞台が不明なまま始まるのがもったいないと思いました。あえて不明にさせておく詩も中にはあると思うのですが、それはイメージの重なりまたは広がりを生むためのものであって欲しく、その点冒頭3行は「スッと空気が切り替わる」「気持ちがよい」と明記されているので、逆に自由に読み取れなくなったような印象を受けました。 一旦、どこか異世界的なエリアに入った情景のかな?というイメージをぼんやり持って読み進めるのですが、「蝉や鳥や葉擦れ」でわりと現実的な森の姿が浮かんでしまい、その時点で異世界感がだいぶ消失します。末尾に「森」であるという種明かしがありますが、これも4行目のせいで種明かし感が薄いように思われました。 「森」がかなり具体的に描かれているので、タイトル時点で「森」だと書かれていたら綺麗にまとまったのかもしれません。(とはいえ、そのように綺麗にまとめてしまうことの是非は別途あると思いますが…) なので個人的には、タイトルの使い方について考えさせられる作品でした。 (踏み入ると)

2021-07-27

実在の人物の名前をタイトルに冠する勇気、そして実際に詩情を実現させている点がすごいなと感じました。自分だったら現実の物事を詩に落とし込むことは滅多にないし、しようともあまり思わないので、興味深いです。 「夏の雨が/湯だった鍋の底」ここはさっと読んだだけで蒸気がもうもうと立ち込めるような感覚を覚えました、よく読むとそうは書いていないのですが……夏、湯、鍋あたりからの連想でしょうか。 後半に言葉の硬さが一気に増すのが唐突に感じましたが、「思うに/物語の構造分析は/とても危険だ」で中和された感覚もあるので、何かもっとスムーズに繋げる手もあるのかもしれません。大変参考になりました。 (それから、すみません、本サイトに参加したばかりでポイントをキャンセルできないと知らず、深く考えずに押してしまいました。全パラメータ2になっています…ご迷惑をお掛けしました) (トーマス・バッハ会長)

2021-07-27