作品投稿掲示板 - B-REVIEW

道草次郎


投稿作品数: 2
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プロフィール:
長野県須坂市在住 詩などを書く人。 本が好き。好きな本は、まあまあたくさん。 SFも好き。好きなSFは、とてもたくさん。 今年の目標、信毎の俳句欄に自作俳句を入選させること。年五冊程度、本を読むこと。 他、しなければならぬこと無数。

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たそがれ

2021-03-25

コメントありがとうございます。 はい、運転はやむことはないと思います。 (ルート19号の幻想)

2021-04-01

コメントありがとうございます。 おっしゃる通り自分の体験を創作に仕立てなおすは難しいですね。この散文はすべて完全に実体験なのですが、所々表現を詩的なものにして、ついでに車での移動中という設定も加味しました。 実を言いますと、たまたまこれを書いた日は遠出をしておりました。一つ目の道の駅で前半を、二つ目の道の駅で後半をという感じで書き上げた記憶があります。 「残高」のくだり、ありがとうございます。これは全く生活実感から来るものでして、うまいこと紛れ込ませられたとしたら「残高」のやつに一矢を報いる事ができたかなと思います(笑) ご親切にありがとうございます。今度、けいせん使ってみます!ありがとうございました。多謝。 (ルート19号の幻想)

2021-04-01

コメントありがとうございます。 そのようにお読み下さりありがとうございます。自分は散文として投稿したつもりでした。 これからは投稿する際には細則等を詳しく読んでからにします。 (ルート19号の幻想)

2021-04-01

コメントありがとうございます。 おっしゃる通りであります。 投稿の際のカテゴリに選択項目が無く、とりあえず散文として投稿したつもりでいました。 詩としては流石に無理があると自分も思います。 (ルート19号の幻想)

2021-04-01

コメントありがとうございます。 今日は精算出来たかは分かりません。しかし、明日を迎えるしかないというギリギリの決意……というか、悶えであるかも知れないです。 (たそがれ)

2021-04-01

おっしゃる通り、冗長ですしつまらなくて才能がありません。よく言ってくれました。ありがとう。とても嬉しいです。 (ルート19号の幻想)

2021-03-29

コメントありがとうございます。 お読み下さりありがとうございます。そうですね、自分は時々ひらがなのみの詩を書くのですが普通の場合に比べ全然違った質感になってきて面白いです。 マイルドになりつつもそこはかとない不気味さなども加味され、日本語の不思議な可能性を感じます。 (たそがれ)

2021-03-28

コメントありがとうございます。 「としとったたいよう」という言葉がまず有りましたので、そう言っていただけると嬉しい気持ちであります。 たそがれというと、まずあのオレンジ色の、雄大なのか虚無なのかはたまた残忍なのか定かでないところのあの落日を、ぼくなどはまず想起してしまいます。 としをとる、というのはこれは色々な解釈や考え方はありますでしょうが、少なくとも人の複雑性は増すのではないかとかねてより思っています。成熟とは微妙に違いますが、とにかく、としをとる、というのはそれだけで一筋縄ではゆかない渾沌(カオス)の到来を予感させます。 そんなカオスの相貌と黄昏時の落ち陽が、どうしても重なるのですね。 締めがポジティブになったのは、この詩の場合、じつは無意識でして、そのことを後で振り返ってみた時は心安く居られたのを記憶しています。自分の場合、意図してポジティブな締めを置こうとすると具合が悪くなります。ですから、自然とそれが齎されたというのは、殆ど僥倖と言っても差し支えないものでした。 (たそがれ)

2021-03-27

コメントありがとうございます。 初めての返事でドキドキであります。なにぶんまだ慣れない所がありますので、所々おかしな箇所があるかも知れませんが、どうぞ御容赦ください。 この短詩はもともとある散文の冒頭に掲げる為に書いたものです。ぼくはその散文において、若い自分(予備校生時代)へ語りかけるようなつもりで、今の自分(とは言え若輩者の37歳なのですが)の想いを吐露しました。 散文自体は残念ながら未熟なものであり、あまり納得は行かなかったのですが、後から全体を読み直してみて思った事があります。その散文で自分が言いたかった事は、結局のところ、冒頭に掲げたこの詩に全て表されている。自分でもこれは意外な事でした。ですから、今回こうして投稿させていただいたわけです。 妻咲邦香様のコメントへの返事としては不適当なのかも知れませんが、そのような背景があった上で書いた詩である事、まずお伝えしておきたいと思った次第です。 さて、本題です。 「としとったたいよう」というのは、これはある意味では自分でもあります。そして「くたびれはてたやつら」というのは、ティーンエイジャーの自分なのかも知れないです。 もちろんそれらの言葉には多義的な要素(黄昏時の太陽がしばしば老年期を思わせますし、ある箇所には満員電車から溢れ出す象徴的な意味での労働者も暗示されています)を含ませたつもりですが、根底には今の自分と若い時の自分との奇妙な邂逅、それに伴い生じるであろう不思議なカタストロフィ的融合とがあると思います。 「わたくし」は、その語感からくるある種の突き放した感じを狙いました。それはけして俯瞰者としてではない何者かです。かと言って当然馴染みやすい一人称でもない何者かです。「わたくし」の持つうつくしくもどこか硝子のように繊細なイメージ、そうしたものを、秘めた狂気という剣をおさめる鞘にしたかったのかも知れません。 何かクドクドと解説めいた事を書き連ねてしまいましたが、じつにこのような気持ちで作った詩でありました。 お読み下さり、また、コメントまでしていただき本当にありがとうございます。嬉しゅうございました。 (たそがれ)

2021-03-27