鈴木 海飛

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るるりらさまの実験を私がやってみたところ、視点が「と」と「つ」に集中されやすいのではないかが仮定でした 実際に「と」と「つ」に自分の視点が集中しやすいです、確かに光の筋道が通るようでした。 それはまるで私には 終わるまでに通ってきた道。 終わるとは常に始まり続けていたことが無くなる。道が進まなくなっただけ。とも思えます、 ですが、道筋というものはまたあらたに光を浴びたときに るるりらさまの言われたとおり 滑走路なるものかもしれません。 。 あと性性ってなんだろうと調べてみましたら、中国語だったことに ちょっとおしゃれな書き方をするなぁと頭が下がります。 (終り)

2019-05-14

ふと「きる」の反対語はなんだろうと調べて参りました、 それは「つなぐ」という言葉でした。 きるとつなぐ どうもおもしろいと感じます。 おもしろいと思ったのはきる時は やや物質的に切っています。 知覚可能な世界を横切るように 同時にやや精神的に繋がりが、知覚不可能な結び付きの縦糸が始まっているように見えたのです。 (きるという時)

2019-05-14

君と、君とよぶ存在の間に 愛しい眼差しがあるが 理想と現実に耐えられないほどの崖があるように感じました。 理想と現実の違いはちょっとした事なのですが何故か重たいですよね。 「永遠の命はいらないけど 若さには固執する」 「頼りない腕に夢だけを抱いて 新しい命を繋がなくても 、繋げなくても私は私のままに」 なんとなく想像するかぎり 新しい行き先に向かうことに 恐れを抱いているのか 勇気を奮うためにあえて私は私のままにと宣言している姿が私には映りました。 (壊死する夕暮れ)

2019-05-14

「負けない事は強いことじゃない。負けない事は弱いことでもない。うまくいかったりいかなかったりを庭先で感じられるように、強くつよくありたいのだ。 ここじゃ見えない世界だって見えるようになりたいのだ。」 僕はこのことを自分の引き出しと呼んでいます。経験によって様々な事が考える。他人の引き出しを盗みとることだって時には辞さない。 なんのためかといえば たぶん、勝ち負けがあるということは 僕も同じで「遠い挑戦のために」 今も、今日も、負ける。 明日も負けるかもしれないが 強くつよくありたいと願います。 タイムリーな言葉 自分だけにあてた言葉であったら こんなにつよくなれないでしょう 見えぬ誰か、それは結局自分になるのか、本当に誰かのためになるかもしれません。 ただ、私のなかでは、この言葉がつよくなりました。 (無名)

2019-05-14

あ、ポコチンじゃなくて舌だった。さーせん。読み直してきます (神の庭)

2019-05-07

ひととおりよんで ゆがんだ「癒」 兄妹の密かな儀式というものが頭に浮かびました。 ただそれは心理学みたいに共依存なんて簡単で馬鹿馬鹿しい名札がつけられないためににそういう言葉を感想に当てました。 この兄妹の置かれているひずみのある環境でただしくいきろ!という冷徹さが僕にはないため この兄妹を許すとか認めるなんて言葉が使えないほど、かやのそとにいるというのがわかります。 さて、あまり文学的教養はありませんので僕、個人の引き出しで気ままにいうならば もし妹と結婚して 義理の弟として兄になにかいうならば 最初は(兄を)脅してぶっ潰そうかと思ったけど、妹は絶対復讐なんて思わないのでしょうね。兄妹にはそういう話はよくあるらしい。 ゆがんだ「癒」が、 密教的なの儀式の秩序が 時に不条理な環境を生き延びさせる 義理の弟からすれば、とてつもない環境。世界が違う。 そんなふうにかやのそとから けして、そのかやのなかに入らないようにする。義理の弟として思うのでしょう。 ただ、なぜ兄が自分のポコチン?金玉をちょんぎる奇行におよんだのか そこは想像が拡散してまとまりがつかないのでいつか誰かちょっとヒントくれるか、僕のぼやけた視界のピントを合わせてくれる感想があるともっと深く読める気がするので楽しみに誰かの感想を待ってます。 (神の庭)

2019-05-07

妻と歩いていたとき前から歩いてきた女子高生ふたりが 魔法少女まどかまぎかのお話してて すごく気になってアニメをみたらすごく面白かったのを覚えています。 僕は魔女が出てくる狂った世界が好きなのですが、妻いわく、よくできたSFアニメだなぁと珍しく感激しておりました。詩に共感出来る知識と記憶もないのですが この詩に盛り上がれるまどまぎファンの熱い想いを楽しみに待っていますね。 (Anonymous Black (coexisted ver.))

2019-05-06

線路のラインと アプリのラインと エスカレーターの列から 様々なラインをイメージして 最終的に行間を読む 言葉にされなかったものごとを読む そういうおしゃれな意味を込めて Lineなんだろうなぁと読んでいます。 僕たちは まだどこかに つづいている 仲間たちと離れ離れだけど 仲間のひとりひとりが駅(ターミナル)ならば、レール見えなくてもは繋がっているからね。 え、そんなこと文章にするなって? 行間を読んで人それぞれのことを思えばいいのでしょうね。 ごめんねー。おじさんだから思ったことをついくちにだしたくて,うふ。 (Line)

2019-05-06

誰かが死んだとき。 その死んだ人が自分のなかに生きるなんて言葉は映画の台詞で使いふるされてきたかもしれませんが、 この「体験」がなぜ廃れず、続いてきたのか ふと、昔かんがえたことがあります。 いや、嘘つきました。読んで今考えました。でもなかなかの自分を納得させる言葉なので続けます。 私のまわりも結構人が死にます。 そんなとき死を考えると 死のイメージは膨大で自分の手には収まることも いや、視界にもおさまりきらないほど大きく、重たくのし掛かってくる空みたいなもんでなかなか怖く、手強いですが 死んだ人の癖や言葉が映像と声で聞こえるとき 死が重たいとか膨大さ、恐怖を感じることは少なくなり、なんとなくつかみきれない死、恐怖もすくなくなります。突然だったけど、それはそれで良い別れかただったからかもしれませんがね。 今から書くことはものすごく分かりにくいですがなぜ死んだ人間がこころのなかにあると力が湧いてくるのかそれは謎でいいのかもしれませんが こんな風に思いました。 宇宙全体ほどのつかみきれない死が、誰かが死んだときに私の心で生き続ける死になって、 まるで自分の分まで死んでもらったかのように、死の大きさがコンパクトになった感じがあるのです。 まだつかむことも知りえることはないでしょうし、 コントロール出来ることも無理な死ですが コンパクトになった。 その体験は仕事では役にたちませんが生きる私にはずいぶん死によって活かされるときがあるのです。 いや、ほんと。 (わたしの龍)

2019-05-06

最近、不条理なものが多すぎて 不条理であることが不健康とおもえなくなり、不思議に思います。 不条理はよく使われますが 条理って言葉がなかなかに使われない、あれ、条理って言葉は昔からあんまり使われない。 じゃぁ、不条理って言葉はなにか特別なものを感じます。 まだなにかこの詩に出来そうですよね。そんなふうに不条理って言葉がささやいているように思えます。 (X_Y_Z)

2019-05-06

ふと神話を匂わすけど 神話のなかに、日常がふわりと入ってきて 単純に、 カユイって言葉って遊ぶ詩なのかなと思いました。 でも歴史がひっくり返るほどの 何かがあったんだね、そうか なんだろう。となんかいか読み返しましたが ついぞ、その答えにはたどり着きませんでしたが カユイって言葉はアトピーと一緒になって詩のなかで野菜と一緒に生きている感が好き。 (歴史?)

2019-05-06

きついという言葉がこの詩にはある意味ぴったりなのかもしれません。 憎悪だけで書くことによって、うっかり私の筆足らずで「中和」を忘れてしまった。 私の心のなかでは大人も子供も傷つける詩ではときには大人も子供も逆上させるだけにすぎません。虐待の叫びにたいして私が叫んだとしても、その叫びはおとなであれ、こどもであれ声が大きいほうが意味もなく強いだけです。 というのが今回の学んだことでやんした。 だから、自分の詩への返詩で 中和することが 私の宿題と相成りました。 石村さん 感想ありがとうございました。 読んでいただいたけど 肩を凝らせてしまったと思うので なるべくほぐす方向で詩を考えてみます。 (おとなのおもちゃ)

2019-03-11

しばらく虐待関連のニュースは続くでしょうね。 先ほど六歳の少年が三歳の少年を母親からの暴力から救うために、ネットに動画を投稿するニュースがあがりましたね。 そういえば惚れた男にだけ話す女の話のなかには親から仕打ちをうけた聞くのも話すのもはばかれる内容がいくつかありました。 女の話を聞いた末に抱くことによって 何もかわりはしないでしょうが バカな男は奇跡かなにか期待して 抱くこともあったと思います 恋人として友人としてときには 求められた末に父親がわりとして 彼女達のなかには身体が成長を拒んだかのごとく少女っぽい体つきなのが目に突き刺さった記憶があります。 今回の詩に出てきた少女は ひとりではなくて割りと人数が集まってできた少女でした。 彼女たちは今も実在し、生きています。 もう少し、上手に仕上げてあげたかったんだけど、仕方なし。下手ピッピー。 世間のニュースでちゃんと詩人の人たちも動いているからこの関連の詩はもう書かないと思います。 https://twitter.com/sechanco/status/1103812784322539520?s=19 三浦さん 読んでくれてありがとうございました。 追伸、私はまだまだ、親として未熟です。 自分が未熟だなぁって思うとき。 自分の親も未熟だったんだなと思うときがあります。 ですが、虐待をされたことしたつもりもありません。よ。 (おとなのおもちゃ)

2019-03-08

そーゆーことを含めて 雲にのって というタイトルが 国や考えや土地にしばられないものに つながって… なんといえばいいんだろう うん。楽しいよ、 この 雲にのって って詩がさ。 好きになった。 (雲に乗って)

2019-03-05

ふとしたときかつてのパートナー(恋人)に 「私といるより友達といるときのほうが楽しそうだよね。」 と言われたときに自分の心のなかで青年が生まれた。 その青年は饒舌でその場その場を適当な答えでやり過ごすけど、あとでひどく悩んで別の答えを探そうとする青年だった記憶がある。 それをまさかサミュとは呼べないが…。 悔しさまぎれに書かせてもらえればサミュの仕草にはいちいち詩がある。 、とでも詩のサイトらしく言えばいいのだろうか。 それは恋愛の母国で馴染めず、友好の国家にとまどいながら、次第に安堵をみせる姿は、乱暴な言い方だが、 どちらの国家にも外国人扱いされている。 このサミュの仕草は 我々にも普通に存在するが 気づいていながらも見落とされる、 忘れ去られてしまうという仕草に感じる。 それは私たちがファッションを選ぶ様にきらびやかな恋愛至上国家、もしくは友情という刻印(エンブレム)を命に変えても守り掲げる馬鹿げた国家に属する限り、つまり恋愛や友情の常識というものに疑いなく享受している限り、 気づいていながらも見えにくい、そしてすぐに忘れてしまいがちな仕草がサミュにある。 ずいぶん前、セックスしているとき うっかり、ものすごくうっかりそのときのパートナーに対して昔の別のパートナーの名前で呼んでしまって大変な目にあい、セックスどころではなくなり、パートナーとの関係が修復できず、 パートナーが「心が凍った。」としか言わなくなってしまった。 あわわ、俺は目の前に一人の詩人を誕生させてしまったとして落ち込んでいたところへ ある女が、ふいに私もそういう経験あるよと呟いた後で沈んでる私に続けた言葉は今でもハッキリ覚えている。 「まぁ、セックスしているときは頭バカんなってるからね。」 この言葉の持つ鋭い眼光と叡知は落ち込んでいる私にとっての雲だった。 そうだ。恋愛なんてのはうっかり勘違いして相手にときめき、セックスしてバカになることじゃないか。恋愛を至上に考えるだの、粘膜の擦りあいにすぎないセックスを異常に美しく考えたりしないでいいんだ。 だが、しかしそういうことが俺は大好きなんだ! さて、別にこれは私の破天荒自慢のためにこんなくだらない話を皆様にお披露目しているわけではなく、恋愛には混乱という要素が少なくとも誰にでも存在すると書きたかっただけなのだが、ご理解または共感いただけるだろうか。 混乱の末、不幸な場合には人間性すら破綻させる一面をもっているのが恋愛だ。 詩にもあるように破綻した人間を復活させるのも恋愛の役目は大きいと思う。 花音/Kanon-K様が今月投稿された詩のなかにもあるように、好きには毒が存在する。まさしくそのとおりだろう。 変わって平和を唱える友好の国との対比は面白い。 町中で友好の像を見たことがある人は多いと思うが、非常に感銘を受けにくい糞つまらない像だというのが私を含め、ひねくれた詩人ども、わが同胞の共通了解事項ではなかろうか。 私のごく個人的思想では友好の像など友情に対する過剰包装であり、友情の像を建てるなら、友情の像をぶち壊すのも友情である。 ましてや、まるで会社設立10周年を記念して、11周年を記念して、次は12周年を記念して……と次々銅像がたてられた世界は恋愛の国同様にイカれた世界だろう。 さて、話も別の話になってきたし、長くなってきたし、直感も鈍ってきたし ここらで終わりたいと思う。 ふたつの国ではさまれたサミュが外交官として、科学という国を越えて生きる道をみんなが愛してくれるところが嬉しく、射精をしないところに寂しさと矜持と、厚みがあるなぁと思いました。 (雲に乗って)

2019-03-05

修正します。 墓の主のために手向ける× 墓の主に備えてあった花は○ (惑星最後の日)

2019-03-05

ショートロードムービーのように 楽しみながら読んでいます。 今はもう閉館してないのですが、神奈川県横浜市にブリリア・ショートショートシアターという映画館がありました。 世界中で作られる短編作品をとりあつかっており僕はそこがお気に入りの場所だったのです。 ショートムービーは 実に短編詩集とよく似ていると思うのは私だけかもしれませんが 短編詩集を読んだあとの心に残った映像と映画で目にした映像を思い返すとき、 思い出せる、もしくは心に残った映像は実に短い。短いながらも確実に強く思い出に残っています。 それがなぜかは分かりませんが、 心に残り易いのがショートロードムービーや短編集の魅力のひとつなのかもしれません。 惑星最後の日 それを期待しながら死んでいった墓の主のために花を手向ける すぐにその花は惑星と終わりをともにする自分の手向けの花にでもあり、ふたりのための、ふたりが仲直りするための手向けの花とも想像を膨らまし過ぎかもしれませんがそんな風に見えるような気がしました。 (惑星最後の日)

2019-03-05

あ、やっべー。 塩対応のくだりは冗談めかしたつもりで ある文章を、みうらさんをからかうつもりでの意味の文章をくっつけてまろみをつけてたつもりだったんですが スマホの電池切れで一度、文章を書き直した結果。その文章が抜けてました。 抜けたことによって、ちょっと厳しめの釘をさした感じとして読むひとに受け取られることをおそれているので あやまりにきました。 ごめんなさい。 責めるつもりは毛頭ありやせん。 今さら、その文章をくっつけても 余計読むひとにとってわからなくなってしまうので、ここらでひっこみます。 すみませんでした。 (隔てる)

2019-03-05

詩をなんどかパチクリ読んでおります。 感想トップバッターみうらさんのこの詩に対して自然に読み取る方向は最初は私も同じでしたが、どうも作者様の塩対応をみる限り、同じ轍を進む勇気もないので方向転換してみます。 私は自然ではなく 孤独の発生というところについて 詩を想います いつ孤独を覚えたのだろう。 ただ孤独を知るようになるのは物心ついてからだろう。 覚えたところはどこだろう。 詩を読んでなんとなくぽややんと考える。 それは間違いなく母胎から隔てたときにこそ孤独をおぼえるだろう。 ただ、生まれたばかりの赤子の知覚はおぼつかない。孤独をどうやって覚えたのか。それは、あえて書くなら「魂」が先行して、そのあとを追うように赤子の知覚と身体がついてくるのだろう。 純度の高い孤独とそれとは正反対のもの。 生まれた直後の赤子には孤独とそれを包む反対のものが嵐のように吹き荒んでいるのかもしれません。 孤独が存在を示しつつ それを包む、遮る反対のもの 生命の誕生はやはり壮大です。 さて、こんなことを書いても孤独に近づくことはできませんね。 詩からもだんだんと離れているようなのでおしゃべりはこれまですね。 最後に僭越ながらもアメリカの詩人の言葉をご紹介させていただければとおもい。指を置きます。 孤独について立ち上がって語るとき 孤独は生き物のように逃げてゆくが、 ひとたび語るのをやめたとき 僕らは孤独で出来た椅子に座っているのだ。 (隔てる)

2019-03-05

ふふふ。 ミラクルワールドではユタの仕事はキラキラしてる感じがしますね。 そうそう、ゆたのたんとんのベースとなった言葉ですが、【ゆたのたゆたに】の意味はゆらゆらと漂うという意味ですが 僕はここでたゆたにをたんとんにして 語感に「きざみ」の味付けをしたことで 仲程様のミラクルワールドへ出発するための汽笛になったことが嬉しいですね。 ゆたのたんとん 風にあぶみをつけて ゆたのたんとん 馬車道をはしりだす 弧を描く草笛を追いかけて 透明な郵便馬車は リズムよく ユタノタントンタントントン ユタという職業をみて 私もミラクルワールド展開してみましたよ‼️負けませんよぉ‼️どんとこい‼️ (なんのこっちゃ。あっはっは‼️) このとおり 「ゆたのたんとん」という言葉は 汎用性が高いので、仲程さまが使いたくなったらどうぞご利用ください。 特許はありませんから、使用料はありません。バーで出てくるカクテルの名前と同じで、最初にオリジナルのカクテルを作ったバーマンの名は残らんけど、名前や言葉が残ったら楽しそうですよね。 そしてそんな風に素直に 「ヘンテコ‼️変なの‼️」とあどけなく笑っていただけた様な感想をいただけたことに感謝でっす‼️ (天文潮Ⅳ)

2019-03-01

こんちわ‼️ お読みいただきあざーす‼️ いりあひのはまべ の歴史的かな遣い。 特に意味があるのかといえば、 あまり意味はありません。 おいおいマジかよと思いでしょうが ほんとほんと。あっはっは‼️ ただ説明させてもらえれば 文字で読めば 【いりあひ】 意味は夕暮れとか日が沈むごろ かっこいい言い方では黄昏時 とゆー意味です。 文字で読めば 夕暮れの浜辺という意味で解釈できます ふつーですね。 けどこれを声で読んだ時 そして誰かに読み聞かせるとき 読む人は「いりあひのはまべ」と読んだはずが 聞いた人は「入江の浜辺」と勘違いしたらそれはそれで面白いなぁと思いました。 だから歴史的かな遣いにしたのは 「いりあい」だと母音が強く勘違いさせづらい 「いりあひ」にした方が「ひ」を声を弱く読む傾向にある。たぶん。 そしてそれを聞いたひとが「入江」と勘違いする人が多くなるんじゃないかなと ちょっぴりおふざけしております。 ね。あんまり意味ないでしょ? ふふふー。 タイトルのⅣですが シリーズものといえばシリーズものです。 それは同じタイトルで何回か書いています。ただ、タイトルになかなかに内容が近づけないという悩みがあり 自分が成長したかもなって時に記念してこのタイトルで詩を書いてます。 だいたい4回目。だからⅣなのです。 最初に書いたのはもっと幼い感じですが 今回はなるべく静物画のようで 動画っちっくになれたらなと矛盾してますけどほんとのことですー。 ふふふー。 ゆたのたんとん ってちょっと可愛いでしょ(*≧з≦) (天文潮Ⅳ)

2019-02-28

自分がこの詩を読んで ふと頭によぎることがありました。 答えを熱烈に求めている訳ではありませんが、死のスケッチのなかで、なぜ肛門を言葉に選んだのだろうということでした。 普通の人は肛門という言葉を聞けば抵抗があるでしょう。そこをあえて使う理由。もしかしたらなびかの経験の裏付けがあったのだろうかと想像したりもしています。 肛門ときいて こんな話を読んだのを思い出しました。 体が不自由になり、手足が動かなくなった人がいた。最初は口で会話もできたが、口も動かなくなり、まばたきで話をする。まばたきすら出来なくなったらどうするか。 それは最後は肛門の筋肉の伸縮をつかっての合図という話です。 肛門には排泄をする機能以外の他に肛門を使った意思伝達という機能を知ったとき、私の肛門にたいするざっくばらんに汚いというイメージが少し変わりました。 もちろん、その話は体が不自由ながらも 生きている人間の最後の筋力の話であって、死人の最後の筋力が肛門かどうかは別の話です。 そられと同じというわけではないでしょうが湯灌をされているなきがらの詩の前で生きている人間の常識だけでとらえてはダメだろうなと想像しています。 つまり死人と生きている人間は別物なので生きている人間の常識で死人の清められた、それは純潔ともいえる肛門を、汚いなぁと感じるのはナンセンスなんでしょうね。 さて、しかし脳ミソパープリンのわたしにはこの詩を感想という文字に置き換えることは不可能だなという確信もありますのでここらで退散いたしますが 詩を読むなかで 死んだ人間にも意識が残されており それは雨のように降ったり だんだん、死後硬直を匂わすかのように雪へ変わる。 意識は無意識を具現化するがごとくをつかめるようにかわっている 生きている頃は、追いかければ消えて行く無意識が死んで行くことによって 不思議なことに生きている頃より 意識というものが純度を増している そういう雰囲気を感じました。 そしてその雰囲気がどうにも、 たぶん死んだらこうなのかもなと 不思議と納得もしているのです。 飛躍的に解釈しておりますが なにぶん、生きている人間の解釈なものですからどうぞお平らにお願い致します。ありがとうございました。 (湯灌)

2019-02-28

※うさぎがおどる 波が荒れていること ※星糞 黒曜石 ※ゆたのたんとん ゆたのたゆたに、をベースにした造語 もしくはスタッカートスラーをイメージ (天文潮Ⅳ)

2019-02-21

詩にはあんま関係ないけれど 存在を証明できてよかった。 そんなつまらないことと 言われることですが そう、私は思いました。 ただ、叔母の証明できなかった場合の 今後、想像できるゆくすえは あまりに割りきれぬ寂しさの 世の中なのだよ。 第三者はなにもできない。 別れもおはぎをもってくるきともできなくなる。 さびしく、ぼたもち食う度に思い出すのだよ。と想像し 騒々しい自由の女神に ほほえみます。 (よしっ。いや、ちょっと マテ。 *)

2018-11-17

はじめまして 鈴木海飛ともうします。 Breview内の企画で弓庭夜話(10月24日水曜日 21時より)にこちらの作品を推薦するべくご挨拶にまいりました。どうぞ ご了承ください。 不躾でございますが詳細につきましては、ここは批評と感想を書く場なので控えさせていただき フォーラムを参照していただければと存じます。 作者様の来訪は我々メンバーとしても歓迎いたします。 見学も随時募集してますので ご都合の良いときにお声かけください。 それでは失礼いたします。 (さよならの角度)

2018-10-21

こんにちは。 あづさのところで紅茶猫さんの詩を読んでから紅茶猫さんのことがずっと気になっておりました。 若干、緊張気味で文章を進めていきます。でも感想なんで短いっす。 虹のふもとを目指しても届かないように 死ぬことなんてあんまり気にしていない主人公です。 一方、蛙は主人公の旅路を追ってきたわけです。 主人公の旅路には主人公を取り巻く記憶があったでしょう。 蛙は記憶にあわせて自分のからだの色を都度、変えたかもしれません。 さながら虹のように。 蛙は過去から現在の主人公を追うもの 主人公は現在から歩みをすすめるもの この二つが帰結するものは 「死」か「天国」または「奇跡」なんて言葉が似合うかもしれません。 そして虹は光の屈折率により多彩な色を私たちに目にみせます。 蝋燭の明かりにだって虹はある。 蝋燭だって見えてるそばから明かりがあるかぎりなくなっちゃう。 そんな風なことを詩から思い描くと 詩の文章において「蛙」の置かれた場所は1ヶ所。詩の真ん中あたりおいてある。 これがいいなといもいました。 ちょうど生まれたときから今という 現在の人生の半分位かに置かれた蛙は主人公を追いかける存在という感じがして Ex.30歳(主人公)蛙(15歳くらい) 現実的にしっくりくる存在感があるのです。わぁ、てきとーですいませーん。 (虹)

2018-10-15

全滅ってさー。 詩ではどーゆー意味か分からなかったけど Wipe out って意味で読むとなんか広がりを持ちました。 全滅させる 汚名をそそぐ おけらになる。すっからかん。 この意味はちょいと意訳すると つまり、歴史の闇に葬りさってやる そういう意味として、皆様の感想を交えてこの詩をよんだときにたちのぼるものが地味なようで、実はギラギラとこちらをうかがっているようでした。 (0. my world.)

2018-10-15

俺もボルカさんに賛成ー。 大賞は1位と2位はあっていい。 あとはノミネート作品でいいじゃんって感じ。 例えば、空手とか柔道ならさ。 仮の話だけど、試合前に審判(選評者)から黒帯に認定された選手(投稿者)が試合にでてね。 試合終わったあとの表彰式で大会主催者(運営)にこうやって言われるのよ。 「おめぇは、人気も実力もないから茶帯(優良)に降格な。 すまんな。ルールだからよ。 まぁ、どうせ来月の試合が始まれば皆白帯スタートだからよ。 あんまり気にすんなよ。」 いやいや、誰だって気にするでしょ。 なんで、審判のジャッジを開催者がくつがえすのよ。あっはっは。 こういう書き方誤解を招くといやだから言うけど、 俺も現行のルールでも構わないよ。 そういうゲームだと思って好きで参加してるもん。 ルールだから俺は負けたときに諦めることはできるよ。 けして恥をかいたなんて思わない。 そして誰かを大賞に推すときも自分の好きを通す。 票がとれそうという理由で作品を選ぶなんて絶対やらない。いや、やれない。 聞こえのよい選評を書くためにわざわざ、100作品以上読まない。好きな理由を書く。 ハナシを元に戻すと、悔しいのは1位になれなかっただけで充分。 降格なんてトドメは要らないじゃないかな。コメント数を活性化させる方法は別にあると思うの。その答えは知らないけど。 そんなに選手も審判も痛めつけなくてもいいんじゃないかなぁ。 月がかわれば皆白帯なんだしさ。 (《ビーレビへの意見とそれへの議論を書くスペース》)

2018-10-06

黙っていよう。運命に任せよう。 それが礼儀だなと思っていたけど 違ったなぁ。 「Tender」 どうぞ、 よろしくお願いします‼ (決戦投票のお知らせ(2018年8月B-REVIEW杯) )

2018-09-30

彼女との思い出が、 氷に写った写真のようで 氷に刻まれた手紙のようで けれど、その思い出に触れるとき、 けして冷たいばかりではない「きめ」が私には情緒ぶかい詩だなぁと 読んでおります。 (氷菓)

2018-09-29

xが7つあるから、 よしゃ、これを7つの大罪のそれぞれのテーマとしてよんだろと思いつつ。 あれ、そんなこと言ってないかもな。 でも、言ってるようにも見える。 繋がってるようで、ぶつ切れるのは、相対性がこの詩にあるからだろうか そんな私の頭のなかをぐるぐる日本語と、英語のカットインが狭い脳みその中をひしめき合っております。 気になる詩ではありますが、要読解護者である私は他のヒトの読み方を参考にまた読み返してみたいと思います。 (call me xxxxxxx)

2018-09-25

死ぬ気でやってみろと誰かに言われても、自分が誰かに言っても胸に空洞が空いたようにスルリと抜ける感じがあります。それは奇妙で空疎な感覚です。死が分からないから、という単純な理由だけではないのかもしれません。 ただ殺す気でやってみろ。と己に言われると、実に説得力がある。 そうだ。殺す気なら分かる。 こんなことを書くとヤバイ奴だと思われるかもしれませんが、経験に学ぶことばかり繰り返してきた私にとっては、何かがピタリと来る。殺意を抱かずに生きてこれたなんて言うつもりはない。 そういう風に、(そういう風にってのもどんな風にって話ですが)殺意と一定の距離を置きながら読むと、この詩は空疎には感じられない。 想像なのに生々しい表現への技術力がある。と思いました。 (殺させてくれたのに)

2018-09-24

なかなか返信にたどりつけなかったことをお許しください。 そして、ご推薦ありがとうございます。 作品に関して私から言えることは わぉ、スッゴい読んでもらって嬉しく感じてますと、低脳児まるだしなので恥ずかしい。 メタ構造が意識していないのでそういう視点もあるんだよなぁと勉強になりました。 そして、選評を読んで、 そうそう、こういうことがかきたかったんだよなぁ、うわー!やられた!というのが本音です。 ただ、今回、さまざまな詩を読んで やっとなかたつさんの感想に答えをだすことができました。 選評を読んで、なんだ。なかたつさんの影をなぞっただけだな俺の選評はとも感じております。ふふふ。 おみそれしました。 (選評:8月投稿作品)

2018-09-19

三浦END果実 様 レビューってなんだろな。っと思うことがあります。私のレビューのやり方は文学界ではたぶん、反則技に近いものかもしれませんが、作者と私と読者という関係を考えたとき。 なにが正解なのかちっぽけな私では分かるはずもありません。だから、私が好きなやり方をわかってもらうようにやるのが、たまたま、このような形になりました。 私は今。音楽のレビューは結構いい加減なものもあるし、私のこれぐらいオッケーでしょとうそぶいております。 面白いと思っていただいたなら 久しぶりに文字を3000文字以上書いた私が報われます。ありがとうございます。 (フル8月投稿作品 選評)

2018-09-19

帆場 蔵人 様 慣れない選評とはいえ、 初歩的なミスがひとつ見つかりました。 リンクが私のなんらかな原因でリンクの文字を削り、機能しておらず、作品にたどる事ができなくなっていたので、Bレビュー運営に修正を依頼いたしました。 カイトはつんぼだけではなく、めくらかよ。 いや、蝶のりんぷんに魅せられたのさと笑ってもらえればと思います。 そして、運営からの対応として リンクの修正及び、タイトルは「蝶に溺れ」じゃなくて、「標本に溺れ」だろと訂正をいただきました。 現在、どちらもあるべき形にもどっております。 カイトはめくらでつんぼで、蝶に溺れるカナヅチだとあきれてくださいな。 そして、蛾は反則技。 それをやられたら、まじか、真実はほど遠いな。あっはは! (フル8月投稿作品 選評)

2018-09-19

さっぱり訳のわからないことを今から書きます。 サンドリーヌ・ヴェッセ監督 「マルタ マルタ」 映画のタイトル友達に調べてもらいました。 ついでに最後のシーンがよくわからなかったけど、友達がヒントを教えてくれました。戯曲や絵画になっている「オフィーリア」だそうです。 私は見たのが、二十三歳かそこらだったので、この映画の宣伝文句「究極の癒し」がどうにも必要としていなかったらしく癒されることなく映画を見終わりました。ただ、謎は心に残ってました。 そして、この詩をよんで、「マルタ マルタ」「未必の故意」「オフィーリア」が繋がったのです。10年ぶりぐらいに癒しに触れた気がいたしました。 これは、文字で理解してもらおうとしてもなかなかにできないことなんです。 ヴェッセの映画に癒しの力があるように、この詩にもたしかな力がある。 ね、訳がわからないでしょ? だから、地球さんを誉めてのばします。 調子にのるのも才能です。 日に500人、新たな悲しみに嘆くなら 日に1000人 地( (未必の故意)

2018-09-18

友達に言われて修正に参りました 感想のなかにある漫画は 街角diaryではございません。 海街diary  です。 大変失礼しました。 (未必の故意)

2018-09-15

詩における ふたつの例えはTender につづく ぴったりとした単語を命中させたいのだけど 見つけづらい。 はがゆい姿にも思えた。ただ、それだけはないのでしょう。 言葉通りにとらえることができているなら 軸のない身体は 問いに対して答える 己の人生に対して応える 言い淀むことなんてしない そんなはつらつとは真逆の人間性のことだろう。 …ただ、それだけではない。 ふれにしてもTenderという単語は不思議だ パーツを組み立てて、完成品によって意味が変わる接着剤の様な言葉だから tender 【1他動】 ~を優しく扱う 【1形】 〔物・肉などが〕柔らかい◆【反】tough 〔年齢が〕若い 感動しやすい、感じやすい、敏感な 優しい、思いやりのある、親切な、情け深い 心配する、気を使う、気遣う 取り扱いが難しい、扱いにくい、面倒な 圧痛のある、触ると痛い 【2自動】 入札する、応札する 【2他動】 〔辞表などを〕提出する 〔礼・わびなどの言葉を〕述べる 〔配送物を〕委託する 《法律》〔弁済金を〕提供する ~を弁償[弁済]する 【2名】 提出、提供、申し込み、申し出 提供物、通貨、貨幣◆【参考】legal tender◆支払いに提供するもの。 《商業》入札 弁償金、賠償金、弁済金 【3名】 世話する人、看護人、〔子どもの〕おもり、番人、監督、整備[保守]会社 連絡船、補給船、補給艦、本船と岸の間を行き来する小型の舟 蒸気機関車の後ろの燃料石炭や水を積んでいる車両、炭水車 他にも、英語の例文をみてみる。 1a〈肉など〉柔らかい (⇔tough). a tender steak 柔らかいステーキ. b〈色・光・音調など〉柔らかな,弱い. the tender green of new leaves 若葉のほのかな緑色. 2a壊れやすい,かよわい,虚弱な,きゃしゃな. a tender constitution 虚弱な体質. b(寒暑に)傷みやすい. tender plants 傷みやすい苗木. 3触ると痛い; 感じやすい,敏感な. tender skin 敏感な肌. 4(他人に対して)思いやりがあって優しい; あわれみ深い,愛する. a tender heart 優しい心. 5限定用法の形容詞 若い,未熟な. a child of tender years=a child at a tender age [of tender age] 幼い[世慣れない]子. 6〈問題など〉微妙な,扱いにくい,難しい. a tender subject 微妙な問題. 面白いのは、看護人と監督という意味があることに注目したい、いや、そこに私とこの詩をつなぎとめるものがあった。 それは私が管理監督者であること。そしてその側面から業務を遂行する上で、tenderという意味から離れることがある。 けして、柔らかくはないだろう。時に問題のある労働者を「配置変更」という方法を迫られるものがある。 船と船をつなぐ小船は血管のように働き、私は小船の作業管理のような業務もする。 ときに別の小船の船長が時間にずぼらだったり、届けなければならない荷物を海に捨てたりするが、言い訳と文句は一人前のような人間を見る。 そういう人間は場合によっては船から降ろさざるをえない。 昼休みの休憩中は船長たちは信用をバンス( 前借という意味。古い船乗り用語 例、船で稼いだ給料、全部スッちまった。バンスしてくれる?だからもう一回船乗るわ。)して文句を「肴」として、笑いあったり、ときに親身に悩んだりもする。 そうだ、かつて自分もそうであったのだから。 だが、問題を起こした人間に対して、過失の具合によっては容赦はできない。tenderのままではいられない。 しかし相手は人間だ。代わりはいくらでもいるなんてよくできた世界じゃない。それは私の世界じゃない。 問題を起こした人間の過失は、場合によっては私にもありえた。それでも決断を選択しろと声はやまない。 tenderになりきれない自分やtenderを捨てきれない 二つの道に言いよどむ。 tenderという意味で同じ働く人間で、監督ではなく、看護人に思いを寄せる。 近頃あの世界では事件があった。大量殺人者が世間を騒がせた。驚くのは殺人者の言葉に堂々と同調するものもいる。 もちろん反対するものもいる、道がある時代には答えは誰かが見つけてくれた。それに従えばよかった。 確かに、産まれてまもなく欠陥が見つかったら殺していた時代もあった。 今は道も価値も多様化するなかで答えはどこにあるのかわからない。 だが、いずれ生きすぎて、生きすぎて欠陥がでる。いつか私にも出るだろう。 そのとき、他人には俺を殺してくれなんて頼めないから、俺も自然に頼むだろう。 いつか年老いてベッドで動けなくなった俺、その俺を見る看護人の目を想像する。 モノとモノをつないできた俺にも色々あったけど、ヒトとヒトをつなぐお前にもいろいろあるんだよな。 お前もきっと、言いよどむものがあるんだろ。違うのかな。まぁいいさ。 …なぁ、俺とお前は全然違うよな。 でもおんなじtender同士、お前を見てて、辞書にいい例文があったぜ。俺のおしめをかえながら聞いてくれよ。 Like the town in which he lived most of his life, he was tough but tender. (Tender)

2018-09-15

街角diary という漫画を読んだときに 自死について深く掘り下げられた感覚がこの詩にもありました。 漫画では懇意にしていた顧客が突然自殺することを苦悩するある男について描かれていたのですが 男に声をかけるその言葉が今は細かくは思い出せませんが、 自死は論理的なものでなく、男に要因があるわけでもなく 雷に打たれたかのように、突然くるといったもの。 運命だとか、その人の普段の善行といったものでなく ただ、突然にくる。 私たちが意気揚々とすごしていたのに、突然わけもわからなくなって悲しくなるように とでも書けばいいのでしょうか、いい言葉が見つかりませんね。 最後のガタンが 次の行動にむかうようにとらえることも、 次の行動に抵抗するように立ち上がるようにも見えますね。 どちらで受け取っても、それは不思議なことに力を得た「癒し」もしくは「施し」になるのかもしれません。 (次はフランス映画をつかっていえば。あたまよくみえるもんね、。そういおう。きっとばれやしないべ。フランス映画最近みてないからぜんぜんわかんないもん。昔見た映画も忘れてる。あれ、あの人誰だっけな。作品名も忘れちまった。まぁ、いいか、そのまま書いちまえ) レオス・カラックスの監督の作品にかつて撮影助手か、色彩担当に携わるだったよーな人が監督となりある作品を作り上げました。 その人は女性監督で、えー、女性監督で。えー。立派な人です。そのぉ、すごい、すばらしい人です。 作品には母と娘と夫がでてきて、大層な事件が起きまして、ほんとすごい事件です。 それについて描いた作品なのですが、その目線がですね。これまたすごい。 あ、もう、こんな時間。すみません。そろそろ、自分の仕事に戻らなきゃいけないみたいです。 …とりあえず、映画のタイトルを思い出したら、また感想を書きにきます。 (未必の故意)

2018-09-15

さて、感想を笑い倒したところで、ほんの少しお笑い反省会をひらいてみようと思います。 ただよけいなことを言って無駄に嫌われたくないし、身分不相応な、かすかな願いを無視するウッカリ教師、もしくは老害と花緒さまによばれないようにやりたいと願う。私のこのかすかな願いを受け入れてくれることを望む。 かすかな願い、それは見えないものを見る力。 それを見るためにはラブが必要。 問題なのはカイトも三郎もラブをもってないということだ。 さっきから頭をかいている私を想像できるだろう。 カイトは笑ってるだけで本当に何にも考えてないのかと叩かれるのはしょうがない。 だが、わたしのなかの三郎は、とどまることを知らない。 だんだんと胸の中の声が大きくなるのが三郎だ。 三郎 「カイト、おまえは笑ってるだけで本当はなんにも考えられないのだろう。」 「ほれ、おまえは笑ってるだけで場を流そうとしてる処世術を使おうとしている。」 「カイト、おまえは汚い大人だ、笑うだけで場を流すなんて子供でもできる。」 「子供でもできるなら、それならおまえは清い子供だ。うんこちんちんと聞くだけでゲロ吐きながら笑う子供だ。」 「そうだ、もはやおまえは笑うだけでいい。そうやって死ぬまで笑うがいい。」 「カイト貴様なにを笑ってるんだ。なにがおかしいか分からないまま笑ってるのか。」 「ほれ、なら笑うがいい。分からないことを笑うのは低脳の証左だ。」 「おまえが笑えば地球が回る。間抜けな猫にとんぼは捕まらない。」 「カイト本当にまだ笑っているのか!?クレイジー、お前のような奴を待っていた。」 うるせぇなぁ!!三郎!!(笑) と、私の胸の中にすみついた三郎にお帰りいただくべく 反省会を書いていきたいと思います。 「コント・シナリオ文学教室」と題名を見れば 寄席ものだとイメージして客がよってくる。 だが、不幸か幸運かここは詩の掲示板だった。 笑わせるのが目的だとしたら、『場』が冷えているほうだった。 冷えた場を暖めるのが、噺家の前口上やテレビでは見ない前座を必要とする。 しかし、あくまでも文学的表現にこだわった作品だとしたら僕は机を叩いて抗議する。 カイト「ずるいぞ!そんなの分かるはずもないじゃないか!」 ハナ緒「いえ、文学とお笑いどちらにとってもらってもかまいません。」 カイト「馬鹿いうな!そんなニヒルなお笑い芸人ウケると思ってんのか!?俺と一緒に天下とるっていったじゃないか!!」 ハナ緒「俺はお笑い芸人じゃねぇ!!」 これはまさしく低脳の証左だといえよう。 だが、ほかの方の感想で、私と同じく笑った人に  澤 あづさ 氏がいる。 この人はなぜ笑ったのか一緒に見てみよう。ヒントがあるはずだ。 『 「星の王子さまのキツネって、一皮剥いたらこのシナリオ文学教室の三郎なんだよなー」などと勝手なことを考えつつ感慨深く拝見しました。ネット詩で三郎のに酷似した洗脳を受けた経験もあり、爆笑した経緯もあっての推薦です。が、そのような「主観」的な話は~~』 …ちょっと、なにいってんのか。わからないです。(サンドウィッチマン風) さて、澤氏を怒らせないためにも、実はこの文章で注目した文章がある。 ネット詩で三郎のに酷似した洗脳を受けた経験もあり、爆笑した経緯もあっての推薦です。 ここだ。 これは前に辛かったことがあるが、今はもう乗り越えている。 そして、今はもう、お笑い話だ。と読める。 そこで笑ったんだよ。と そういう澤氏の笑いと、私、カイトは別に物書きでもなんでもないので狂おしいまでの三郎の怒りながら泣きながら叩いているような滑稽な姿に笑った。 もちろん、わたしものりこえたらしきお笑いがあった。乗り越えていないものもあった。 笑えなかった人はたぶん君が想像したとおり笑うことが自分に嘘つくようで笑えなかったかもしれない。エンターテイメントの掲示板としてならもっとうけただろうになともおもう。 そこから文学的思考で答えをだすのは「コント」というイメージを払拭しない限り、「笑え」と言われてるようでなかなかに難しい気もする。 文学的表現に多様かつ深い読みを引き出せるようにと反省があるのを見たから別に問わない。× 文学的表現に多様かつ深い読みを引き出せるように私、カイトは反省できない○ だから、自分でもやってみるしかない。 この作品にインスパイアを受けて るるりら氏の作品  「冷奴と申します」に返信として書いてみました。 おなじ、お笑いを目指すものとしてよかったら感想がいただけたらと思う× では、またこういうチャレンジ作品楽しみにしています。○ (コント:シナリオ文学教室)

2018-09-10

あくまでも返信ということでの笑いなので、 多数向けの笑いではないでしょうね。 それでも、るるりら様に笑っていただけたなら 書いたまた私も幸せです。 ただ、噺家のように上手に表現できればといいのですかなかなか難しい。 二点ほど反省するなら・・・ 一点目は 「とうふはくえんのか」とは 豆腐はくえないのか… という私の嘆きです それを店主が くえるのか? と質問されて勘違いするおかしさを書きたかったのですが なかなかにもったいないことをしたと悔やんでおります。まぁ、いいかともおもいますが。 あたたかいものはあたたかいうちに つめたいものはつめたいうちに みずのこころでっせ …みずのこころ これは、私にとっての分かっている常識なのに、 時と場合によってすぐに忘れるという いまいち分かっていないことをとうふのおんなに諭していただいた姿でもあります。 それは、煮え切らないやつをみるとすぐにちょっかい出したり 無理にでもどうにかする、せっかちさ。 もちろん、あたたかいものはあたたかいうちに つめたいものはつめたいうちにおいしくいただくのが一番よいでしょう。 しかし、あたたかいものでもないつめたいものでもない 人肌の豆腐もおんなじ、もとはみずのなかで生きてる豆腐なのよ。 乱暴にあつかうと食べる前においしさだって壊れてしまう。 冷奴を食べたいのは分かるけどあなたにとうふを壊す価値があるのかしら、 もしかして、本当に食べたいのはまーぼー豆腐? そういうふうに言い含めたような笑い そんなふうに、くすりと笑ってもらって、はっと気づいた瞬間です。 二点目は遊女と芸子の違いに気づかないままに書き出してしまったことです。 この二つは時代によってかなり意味合いが変わってくるし 遊女と芸子のなかにあるしきたりを破れば、判別はつかなくなってしまうとてもややこしいものです。 ですが、そのへんはあんまりそしゃくしなくていい、あなたの詩のなかにある豆腐としての愛嬌をいかしてうやむやにするべきだったなとも思います。 で、最終的にはそんなふうに豆腐が私の体にとけこんで みずのこころを余計な言葉を使わずに諭されたようなるるりらさまの詩でありました。 ごちそうさまでした!!! (冷や奴と申します)

2018-09-10

いや、ほんとうにごめんなさい。 消したい。死にたい。 ([])

2018-09-08

最後はペルソナ4のパロディであって、 他の感想を軽んじたつもりはまったくありません。 もし、不快に思われた方がいたら 本当に調子のってすみませんでした。 あやまってすめばいいのですが。 今後もっと慎重に気を付けます。 ([])

2018-09-08

聞くと聴くの違いについて説明しようとしても、ぼんやりすることがある。 それをなくすために言葉の意味を明確にすれば、もともと耳を使って音を感じるということひとつであったものを二つに分けざるをえない。 二つに分ければ分かりやすくはなるが意味を限定的にする。 限定的にするということは機能に対して制限することだ。 少しわかりづらくなってなってしまったかもしれない。 とりあえず、まず聞くと聴くの意味を確認してみよう。ネットでよさそうなのを見つけてきた。 「聞く」は、音や声を耳に感じ認める意、「聴く」は、聞こえるものの内容を理解しようと思って進んできく意である。 なんとなく文字で見て理解することは可能だ。 それではひとりで詩を読む(きく)ときのために、もう一度、現場レベルで確認しよう。 【聞く】は当たり前の意味しかないが、【聴く】は何か含まれている意があるのが分かるだろうか。 それは難しいことではない。【聴く】には【たずねる】という意味が含まれている。 念のため、【たずねる】の意味を確認してみよう。 たず‐ねる たづねる 【尋ねる・訊ねる・訪ねる】 《下一他》 1. たどって捜し求める。 2. 人や何かのある場所を目指して、そこに行く。目指す所に行って目指すものを見る、または聞く。 以上、【聞く】と【聴く】についての理解は整ったとして次に進む。 今度は『みみ』を使って、聞くと聴くふたつに分かれてしまったものをひとつにしよう。 みみを使って音を感じるだけだ。 別段、難しいことはしない。ただそれを説明するには一度、我々の視覚を奪う必要がある。 答えは単純だ。目をつぶればいい。できたかい?できたよね。 目をつぶったまま、今、この文章を読んでいる君の部屋でする音を感じてさがそう。 ほら、あるはずだ。すませてみよう。何かきこえたかい? エアコンの風の音を感じた人もいるし、家の内外からきこえる声や音のする方向に耳がかたむいただろう。 こんな単純なことにこれ以上言及しようもない。 さて、いよいよ本題だ。 今度こそ『耳』をつかう。 そのために海にもぐる。海から戻ってきたときあなたはこの詩をきくことができる。 必ずそうなる。 あなたにとってむずかしくはない。 ものすごく簡単だ。 まだ目をつぶったままでいい。 まずは、両手にもっている貝を耳にあて、波の音をきく練習だ。 まずは呼吸をふかぁく、すってはく 、読んでるだけでなく実際にやってみよう。 はくたびに、 体が重たくなってくる。 ふかぁく、すってはくたびに、 体が重たくなってくる 研ぎ澄まされてくるだろう。 だんだんと景色がやってくる。 だんだんとおくから海が戻ってくる。 風だ、海の潮を含んだ風だ あなたの鼻を海が通り抜ける。 もう足元は砂浜だ。 もし貝から波の音がきこえたなら、 それが君たちの偉大な先輩 ジャン・コクトーの詩だ。 俺は詩人じゃないし、ただの船長だからよく知らないけどね。 まぁ、貝にかぎらず、波の音がきこえた人なら誰でも僕の船、潜水探査機『海常詩譚2号』に乗船してほしい。 あそこの港から桟橋で乗り込める。船の梯子が滑りやすいから気をつけてくれ。 安全第一が現場のモットーだ。 じゃぁ、出発。潜水開始。   〇0。〇0。〇0。〇0。   〇0。〇0。〇0。 〇0。0。〇0。 〇0。〇0。 。〇0。〇0。〇0。 〇0。〇0 〇0。 0 。 。 . ここが光が届かない海の底。深い、深いね。 なにもみえない。そうだろう 見えないから、目なんていらないんだ。 詩の中に出てくる潜水艦や僕の探査艇と同じで耳だけでいい。ソナーだ。 だから、ここでは、すがたかたちなんてみんなぶっきらぼう、音だけが個性的でしょ? あ、低い音が聞こえる。キミタチさいわいがいいね。 さがしてさがして。 あれが鯨の声だ。 鯨の音が近づいてくる。 こっちによってきたようだ。 どうやら、私たちの船を仲間と勘違いしたらしい。 それにしても鯨の声は、声というより電磁波の音に近いね。 宇宙のどこかからやってきたみたいだ。 ほかにも色んなおとがするときもあるけど、 そろそろもどらなきゃ。 え、もうおしまいだって? 長くいる必要はないさ。 鯨の声は聞いたでしょ。 声の双子である音も聞いた。 エコーっていえばいいのかな。 ウェーブっていえばいいのかな。 本当は聴覚の海は声と音なんて分かれてないからね。 僕が聴覚の海でできることといったらたずねることばかりだ。 今日はナイショでこうやって口で話してるだけだよ。 実際、君の耳に口なんてついてないだろ? それに、どこからきて、どこへいくのかなんてこたえは 僕はもっていない。さわったこともない。すばやいし、つかまえられない。 それがあるのはしってる、ただ、あるのがすきなだけ。 もしそれができる人なら素粒子のこえすら聞くことができる人だ。 僕はその人に比べたらつんぼだよ。 ごめんね。これ以上はできることがないんだ。 じゃぁ、浮上するね。 あぁ、でも、言い忘れてた。 もうすぐ到着だけど最後におみやげ渡しておくね。 目をつぶっていても光は感知できるからね。 だから、ほらまぶたに閉じられているから、なめらかでまぶしくない光でしょ。 そんなこんなで到着。 もう目を開けていいよ。 この詩のはじまりにもどってきたんだ。 これは雑音からはじまって聴覚の海にダイブする詩だったようなきがするよ。 すごくすごく気持ちがいいね。大好きな詩だね。 この詩はジャン・コクトーも驚いているし、堀口大学もジャンコクトーが書いた詩がこれだったら 翻訳よりもフランス語でおのおの楽しめ。といわざるを得ない。 じゃぁ、これでおわり。 THE END …え?何。まだ終わってないって、ふふふ。 終わりですってば。しつこいな。ほら帰って帰って。 終   ………へぇ、まだいたんだ。 お客さんだって、ちりにかくれたまま この詩をたのしんだままでいるほうがいいんじゃないですか? わたしがしたように、見たいものを見ていればいい。 それで詩を楽しむことが何がいけないんです。 いいですかこの先は、この詩をこわすことにもなりかねない。 だが、ちいさき願いを掬い取ることもできるかもしれない。 しかし、読まないほうが身のためかもしれません。 それでもよむんですか?ないかもしれない真実のために じゃぁ、いつまでも船長カイトはやめだ。 最後の謎、題名について触れておこう。 三つ考えた。 ① この詩ははじめて読んだときに音楽の授業を思い出した。 教室に流れるすばらしい音楽を目をつぶってきいたあとで先生が今聞いた音楽の内容と題名を自分で書いて書きなさい、というものだ。 それは八月のるるりら選のなかでこの詩について言及があったように、 「この詩には 寄せては返す 波のようなものがある。」 また、参考にるるりら氏の詩 『ラ・ラ・裸族』では 「たふたふ と生き物のようなものがある。」 そのように感じることができる詩なのは間違いない。 たとえば音楽の曲の歴史にあるように、ショパンの「幻想即興曲」はショパンが名づけたわけではない。 友人のユリアン・フォンタナが名づけた。 もともとの原題は 即興曲第4番 嬰ハ短調 遺作 作品66 だ。 この題名からは幻想即興曲に比べると叙情のかけらも親しみももてない。 これは私の想像だがせめて、作者から親しみをこめて読んでもらった人に題名をつけてもらいたいという願いとも感じる。 私はこの詩をなづけるとしたら 「海のソコラテス」 としてなづける。 問答・たずねつづける 海の底を照らす としての意味をもって。 さてここで問題。無知の知として有名な哲学者を 「底照らす」を十回、口で言ってから次の四つから五秒以内に答えなさい。 ① ソクテラス ② ソコラテス ③ ソクラテス ④ ソコテラス 正解は最後に。 ② 端的にいこう 題無しだからよくてあって題をつけて台無しするな。 これがもしそうなら、作者はオオカミのような根性だ。 なかなかにちかづきがたいが、魅力的だ。 ながめたときのことを思い出せば②はないだろうと思う。 ③  ビーレビューの題名で投稿の特徴の可能性として ○の部分を空きスペースとして想像して欲しい。 a.[○] b.[○○] c.[○○○]  なにがいいたいかというと これらを投稿しようとするとa.b.cはすべて投稿後はすべて同じフォルムで反映される可能性だ。 どういう意味か目で見たほうがはやい。 すなわち []  a.b.cはこの形でしか表示されないという言うもの。 a.[○]であるなら わたしはこの詩を象形したとして「耳」をイメージする。 b.cならば想像つかない しかし、a.b.cどれなのかは答えは作者しかしらない。 もしくは①という題名は読者のためにもっとスペースを空けていたかもしれない。 それいじょうはもはや分からないので、読者の想像におまかせする。 答えはどれであっても、内容がわたしの妄想だとしても この詩がわたしの脳の使ってない場所にひびいたのはまちがいない。 重ね重ねすきになっちゃう詩だ 真 END ([])

2018-09-08

先日、るるりら氏の選評を読み、自分の胸のなかで肯定でき、信用がおけるやり方で感想を書いてみたいと思いました。 それは自己満足や多少の不躾になることは否めません。例えるなら店のガラス越しで見ていたサックスをどうしても手に取りたくて、財布にお金もなく、手に取ったところで吹きかたも運指もしらないまま店に飛び込んだ少年の行為かもしれません。店主はじろりとこちらをみるでしょう。 真面目に返信していただけた姿もめぐりますが、どうか寛大に、右肩様が失笑する程度におさめていただけるとあいたすかります。 さすれば、私は照れ笑いも隠さずに まぁ、そうだよねぇ。 と返せる気がしてつづけます。 せめて 感想のなかでは 右肩様の左肩にもたれながら 蝉の脳が何%を使って空を飛び、この世を生きているかは皆目検討つきませんが 人の脳は数%としか使っていないと世に発表されて久しいです。 使ってるときでたった数%! たったそれしか使ってないのか。 もしもそれが工場の生産稼働率なら寝ているのと同じじゃないか。 それでいて脳には電源off時間が必要なのか。 本当に寝ているときは返事もしない。 ただの屍のようじゃないか。 じゃ、使えるけど使ってない場所はなにやってるんだ。 どこに隠れているんだ。 かたわらで一連目を聞いている。 嗅覚と 視覚が 、ヌルリ わたしの脳みそには 直接気体が入ったようにナニカが膨らむ これだよ。 …あぁ、これね。 二連目につながったときから わたしは脳がしぼんでいってしまうことに気づかない。 さらに詩を続ける横で いつのまにか、わたしはもう精臭が嗅げる程度までになっている。 それに気づいたかのように 最後に景色をみせてくれた それだ。 見えないよ。 それだ。 しぼんだ脳は変わらない。 確かなそれは思いでになって、 ふと、わたしの意識にかすめたあと どこかに隠れてしまった。 駄文失礼しました。 (立ってから座っていた自分を振り返る)

2018-09-06

笑いのツボにはいったのはなんでだろう。 三郎という知性も品性も 彼の弱点も思想も とことん暴力に詰め込まれている。 それがおかしくて おかしくて そーゆーひとって 現実で離れて見ると すっごいおもしろいんだけど それがうかんだのかなぁ。 https://youtu.be/NIb1jhdAJwE 繰り返しは大阪のコテコテの 繰り返しにも見えて なんだろなぉ あー、笑い疲れた。 まぁ、いっかー。 文学の話なんかしなくたって 学ぶなら勝手にまなびだすもんね。 あっはっは。 (コント:シナリオ文学教室)

2018-09-05

自分が盛大な誤読をしてる感は否まないですが、 一点、修整します。 標本の海に囲まれているから 標本溺れというタイトルはテキトーすぎました。 わたしはこどもの目線に同調や共鳴する蝶の夢として読んだので 父さんは酒に溺れるように 女に溺れるように 標本に溺れていた という こどもの述懐のほうが わたしの感想にぴったりなのです。 では、夜にまたー。 (標本に溺れ)

2018-09-05

労働歌というタイトルに 重たいイメージがあった。 労働にも重たさがある。 それをどうにか柔らかく方向にしたいというのが私の目的だったので。 まりも様がいっていただいたようにユーモラスやひょうきん、 もっといえば、 口ばっかり、お調子者としての街灯を、文には、そこまでダイレクトな表現はしていませんが、 それを意識していたので なんか伝わった感があって とても嬉しいです。 昔、私は労働することに嫌気がさして 労働することになんか救いが欲しく感じました。 メビウスリングという詩も投稿できるサイトで「労働歌」というテーマで作品を募りました。 やはり労働することはおもたいのでしょうね。救いの詩はすくない。 あたりまえといえばあたりまえなんですよね。 わたしや私達に注目していただいたことはわたしにとっては幸いです。 個と群れ。 なんで群れるの?と疑問をおくこともあります。 たぶん、群れるから群れてるだけ なんか人間が考え出すような 論理的な説明はいくらでも当てはめられそうですが 本当に群れてるから群れてるだけ 自然にそう思って、行動してるだけ。 へたすりゃ、「群れたい」とも思っていないのかも。 ふりかえれば ひとりじゃ、たちんぼじゃなんにもできないのはよく知ってる。 でも、それでもなにかできないだろうか 労働を強いられている訳じゃない やらされてるわけではないんだ やりてえからやってる このまま途切れたら灯りは消える いままでも繋がっていたけど つながりつづけるって熱が どうしようなく個を動かし、群れをつくるのかもしれません。 (我が労働歌)

2018-09-05

stereotype2085様 街灯をめぐる孤独について 触れていたいただいたことに安心しました。 孤独と言えば 詩を書くときも孤独でしょうね。 それが楽しいところもあるのでしょうけど ただ、詩のサイトを運営することも 孤独だったんだろうなぁ と、書いているときに思いました。 書いたきっかけも偶然というかなんというか この日、書いた時がちょっと私には特別な日だったのでして、して。 なんとか聞きたい番組の放送時間までに書くという焦りがありました。 焦って、わたしにとっては大切な1文を書き忘れてしまったのですが、 でも、明るい祈りの方向へ導きたかったので それでよかったのかもしれません。 全体に影をおとす 1文のインパクトの強い文だったので 無くて正解だったのかも と、おもいますが、 次に推敲したときには その1文をいれて、 完成させてみようと思います。 (我が労働歌)

2018-09-05

杜 琴乃様 街灯やランナー立ち位置や祈りに注目していただいたことはとても嬉しいです。やっほい! 今、思い付いたんですが 目をつぶって やさしくうたうことって なんだか祈りの姿にもみえるなぁって おもいました。書いてるときは意識してなかったんですけどね(汗) 指を繋ぐためには、 けど街灯に指はありません。 でも、街路樹が雨にうたれて 芽をのばすように 街灯も、どこかで 芽や指やのばしてるかのように 杜様がいっていただいたように 流す電流はすべてやさしいものになればいい。 わたしも、そういわれて、 本当に、そう、思いました。 うん、本当です。 (我が労働歌)

2018-09-05

すいませんでした。 #のところはメモの消し忘れです。 私のTwitterでのメモを見ながら書いていたのです。 (標本に溺れ)

2018-09-04

皆様のコメントにあるとおり、 私も そのうち、父さんと呼ぶこの子は誰だろうと思いました。 私は愛を確かめるような表現や 男性を男よばわりする登場人物を すぐに女を想像する癖があるのかもしれません。 (これはこれであってたんだな。) 葛藤はこの子は「父さん」と呼んでいる。愛人か妻なら「夫」と呼ぶから 少なくともこの父の子であってるはず… でも、自分はすぐ勘違いする重度の要読解護者だし、進行ステージは国からお金をもらいたいレベルだ。 自信がなくなって怖くなって皆様のコメントのなかに私と同じように、子供ととらえている人がいたので安心してコメントを続けます。 でも、こどもじゃないのかもしれない。 こんな風に読んでみました。 一連目をはじめる前に こどもの好きな遊びに人形遊びがある。 テレビのヒーロー戦隊の人形をテレビで演じてたように同じポーズをとらせたりして遊ぶ。子供にはお気に入りのポーズだってある。 ~~~~~~~~~~ 父さんの標本は動きやしない。死んでるのにちゃんとお墓にいれてもあげない。 そんなの楽しくないのに、父さんは標本に囲まれている部屋にいることに僕より興味を持っている。僕より標本を優先する。つまらない標本なのに、なぜ?分からない。 標本で僕が人形で遊ぶように遊んでる父の姿は、この子の怒りを増幅させるでしょう。こどもは自分より大切されている神聖な蝶の標本を憎む。父への怒りは、父の大切にしている標本を台無しにしてやろうとも思う。 こどもらしいっといったらこどもらしい行為。体の大きい親には手を出しても敵わないから、親の大切な物を壊して溜飲をさげる。 唖然となった父さんをみて へへーんだ。ざまぁーみろぃ それでも、父さんは振り向いてくれない 三連目の情景は美しい。 蝶達の共振が音を消し去り はじめて登場する「わたし」 この「わたし」は愛を語らない。 むしろ、蝶が自由にちからいっぱい羽ばたく姿に想いを寄せていないだろうか。 なぜだろう? あの男、この男、その男の謎は… あれ、あーーー!!!! チキショー!!(小梅太夫 風) 今気づいた。 やられたー。 あっはっはー! 最終連は種明かしだ。 「蝶たちは片手間に夢を見る」 一連、二連、三連 全部、標本にされているそれぞれ別の蝶夢だったんだなぁ。 だから、こどものくせに やけにおとなびた精神をみせる 愛を注ぐ とか 男を愛す という表現をつかってたんだぁ! 標本の海に囲まれた親子 蝶がいつもみてる親子の様子から それぞれ思い浮かんだ夢を 好き勝手に蝶をみている くぅーーーーーー、 はっー!! おもしろかったーーー!!! 埋葬もせずに #ぽややん備忘録 #夜話のためのメモ 半固定の間接 お気に入りのポーズ 必要以上に生まれた怒りの持続のためには自分にも嘘をつくストーリーをつくる けれど健全な、こどもからしたら 神聖なものをとりあげる 溜飲をさげる 共振による無音 収束静寂 ゆえに 音が響く 胡蝶の夢 (標本に溺れ)

2018-09-04

ことばのもつ まやかしをすりぬけるように ロゴスのもつ両手で さえぎらないように 真のちからをさがす旅をつづける人を 思い浮かべました。 とても好きになっちゃう詩でした。 (約束)

2018-09-03

「ほんとうに、それでいいのか」 という声を 小さな背中にみとれたまま 読みすすめてしまったので 最初、父の声で再生されてしまったようです。これは父とは違うようです。 ただ、この声は誰?よりも この声はどんな声色だろうということに筆がとまりました。味わい深い。 この声は、 たぶん しめっていないだろう。 言い方の語気も強くないだろう。 だって警鐘の様ではない、 身の内に響くは鈴なのだから 水中の中では息をとめるか、空気がもつまで 迷いの霧、不安な世界でみえた (水面のきらめき)、光が私をいざなう おどろおどろしい世界で 疑いもせずに光に安易に触れようとする主人公とそれを制する主人公の声。(主人公じゃないかもしれない) まるでその声は 息継ぎによって、このおどろおどろしい世界から一瞬だけ途切れた主人公を狙ったようにも見える。 息継ぎという言葉のもつ感触(苦しさや解放、胸のあたりにできる閉塞感) と 息継ぎという一連の動作(息を吐く。吸う、息をとめる)がマッチするように 台詞がおいてあり、 閉塞感は 身の内の鈴をより響かせている。 なんか詩が魔法めいてるようにも思えました。 (息を継ぐ ※)

2018-09-02

返詩 失われた心の模様 額縁に収まったモノクロ写真の鼓動 水紋や砂紋をつくるだろう それは風の通ったあと 愛は死なないと誰かがいった 夢と同じで氷漬けにされているとも 時は、時はとまっていたのだろうか いや、君をよみがえらせる隊道 地下経路を掘っていた坑道 そこへだんだんと溶けていった だんだんと染み込んでいった あふれだす、あふれだす 氷漬けされた蛹の夢は溶け 君の羽を風が通り抜ける 濡れた肌が乾いてゆく 心地よいまま空 ぬけ殻を忘れる 黒髪さんの詩を読んでいて 失われた心の回復模様に 様々な機微があるように読みました。 なかなかに素直なままにいきること 素直というエネルギィがもつ快活さと危険性 それら含めて好きなんだよと言い切れるほがらかさに 失われた心は ゆっくりと また心にもどったのであろうなぁと わたしはぽややんとしております (長い間失くしていた心)

2018-08-10

巨大隕石を目の前にしたとき 思うことは もしかしたら、ダニも人間も同じかもしれない。 隕石みたらダニも人間も同じみたいなもので 命からみたら 人間もダニも同じかもしれません。 なんだか、禅問答みたいですが 詩を読んで、もしくは読み聞かされたとき 最終連 命とは‥ を聞き終わったあと。 もしくは読み終わったあとに ぽっかりとした鍵穴が空く 穴を埋めようとするのは まさしく、人間でしょうね。 (「雨の日の一日」)

2018-08-08

前者の僕の客観的事実を構成する72のイデアと推古した後者の虚無のの代償を読んだ印象をそのままに書かさせていただければ、 作者の求める言葉の無限の能力や虚実に対する信念は後者が、詩のなかにある言葉の積極性により表れているのではないかと思います。 前者は、哲学、特にニヒリズムに対する知己があればより読者は作者の世界に親しみをもてるでしょう。 と主張する私は虚無の哲学に関する知己も皆無ですw 後半の虚無を表すための「君」が作者に対する態度の連は 冗談めいているものの、虚無の現実味を良く表していますね。こういった表現は私は好きなのですが 虚無の代償の方が、より完成度が高いと感じました。 たぶんそれは 虚無たいして絶望や諦めではなく 積極的に、価値を作り出してゆく 作者の真摯な姿がより深く彫られているからでしょうか。 (僕の客観的事実を構成する七十二のイデア)

2018-08-08

月2回までの投稿ルールを守れなかった作品とう言うのが一番残念。 ドンマイっすね。 金色の嘘、 マッサージチェアの誘惑というフレーズに誘惑されて読み進めてゆく。 残された人生の時間を自分の意思で終わらす、もしくは操ることができたらという嘆き それは 人生が角砂糖のように~ 一連のフレーズとなり 印象に残り、響きやすい 無邪気な少年が階段を駆けあがる 疲れた足音は若い頃になんて聞こえないだろう。 今日さえよければいいのだから。 輝く夢にこどもは駆けあがるだろう。 しかし、その先に見たものは 死(机の花瓶)だ。 自分の死とは、究極の明日だと私はここで解釈しておく。 そのまこと恐ろしい存在に 保健室にこどもは逃げる。 未來(明日)を支配する術(すべ)は占い。その曖昧な答えにこどもは将来を惑わされている様にも見える。 今日さえよければいいから 明日を懸念する大人になる 否応でも生きねばならぬ。 一気にのみほせればいいが、 やっぱり死は恐ろしい。 明日を望む。 疲れた足音とともに 嘆きは階段に響くだろう 嘆きはコントロール不能の究極の明日恐れ、自分でコントロールができればいいのになと唄になる 唄にすると、不思議と主人公の疲れた足音が軽くなる気が私にはしました。 (人生一飲み)

2018-08-08

即興のバランスがいいなぁと羨ましくおもいます。 夏生様の詩に似せて うたいつづけたらと 返詩してみようとおもいます。 返詩 恐怖は 時を刻むことをやめ 氷のなかで 生きること決めた 親しみは 硝子のダイナマイトとなって 命をかけて微笑んだ あったかいコーヒーが 心地よい香りの産着で 生まれたばかりの苦味を 綺麗にくるんでいた。 溶けきらない砂糖の結晶は キラキラとパチパチと 呼吸しているようだった。 (即興)

2018-05-10

はさみ様 私の稚拙な詩を丁寧に読見込んでいただいたことにお礼を申し上げるとともに、私の言葉足らずの詩にエクスキューズさせていただければと思い、書きはじめております。 詩からは想像できませんが、せっかくなのでこんな祈りの姿を見せたくなってしまいました。 山頂を目指す。 大きな木をチェンソーで切ります。 大きな木は山頂を目指す私の障害であり、伐採は夢や希望を実現するための行動になります。 伐採された木には夢や希望を実現するための行った実績が宿っています。 それだけ大きな木なら良い薪にもなるでしょう。 しかし、切られたばかりの木というのは水分を多く含み 、燃えにくく、煙ばかりでてとても薪には使えません。 薪として使うには乾燥する時間が必要なのです。 夢や希望の実績が生活や仕事をこなす上では生木のままでは役に立たない。 薪は乾燥しきったころにこそ薪としての真価を発揮します。 たぶん山の中腹の小屋に私はいるでしょう。もう山頂は諦めてるのかもしれません。あるいは山頂以外にもっと好きなものを、大切にしたいものを見つけた のかもしれません。 そのとき薪は未練となって乾燥しているころでしょう。 新しい時代が美しく燃えるとき かつて頂上を目指した私の未練が看板とともに良い薪になって燃える。 私のかつての夢は燃えてなくなるけど 新時代の技術を、若さの炎が、もっとよりよく強くゆらめくならば それってなんかすがすがしいと思いませんか。 うふふ。 (次の日と次の人のために)

2018-05-09

夏生さまへ この詩を書くにあたってモデルとなる方がいます。 その方が今、ご存命かどうかもしりませんし、そもそも名前すらも覚えておりませんが、その人の態度や姿勢というものに感動を覚えたことはよく覚えています。端的にもうしますと 仕事でその方の住まいにお邪魔したのですが、 その方の書類や本棚、家財、装飾品、土地や身なりを察するに、バリバリのビズネスマンを定年して、今は、若者の社会復帰に従事しておられるようでした。 私の仕事がおわると労いの言葉をかけていただき、若干二十歳そこらの若造だった私に正面から深々とお辞儀をして礼をいただきました。 その礼をのべる言葉といっても 「ありがとうございました。」といった変わりない言葉なのに 、今まで聞いてきた「ありがとうございます。」とは全然違うのです。 どう違うかといえば難しいのですが、 それは年齢や性別、職業などによって態度を変えない、まごころからの言葉とお辞儀だったのだと今ではそう思います。 長年、培ってきた「不動の礼」というものなのでしょうか。 なんにせよ。私はその礼の動作に感激感服しました。 なんとなくすこしでもその方が知りたくなって帰り際に質問してみたのです。 「どうしてそのようなご職業に今就いているのですか?」 (あなたのキャリアならもっと楽に儲かる仕事がおありでしょうに。) その方は程よく優しい声ですぐに私の目に答えてくれました。 「私は昭和生まれですからね。昭和生まれはつぎのひとのために行動するのがモットーなのです。」 (若いの。俺は若いうちから今まで銭っ子は稼ぐに稼いだよ。だからもう次は若い人のためにできることをできるうちにやるんだよ。) そう、憧れるカッコいい爺様だったのです。 (次の日と次の人のために)

2018-05-09

るるりらさまへ おはようございます。 創造的な生き方かぁー。 うーん。なんだろう。 特に創造的な生き方はしたつもりはなかったからかなー。 さて、あなたは旅路が葉脈であればいいといいますが、 なんとなく、私から見れば大樹に見えなくもないと思います。 もちろん、あなたはそんなことないよと笑えばいい。 今回の作品が好きになってくれたのならとあのころの海にはなかった私の星座とあなたの星座は確実にあったと嬉しく思います。るーるーのあの詩をよく思い出すよ。 ほら、今回は鳥ともにとんだよ。 上から見たら、あっちにこっちにと、ずいぶん遠回りしてる。 真ん中の道を通ればよかったのだろうけど、それをできなくてよかった。 それにあの頃に比べたら、なんだかいっぱい持っていた大工道具の言葉たちをたくさん無くしてしまった気がしますが、手元に残った言葉たちが信用がおきやすい言葉なので、使いやすい気がするのです。まぁ、本を読まないから年々馬鹿になってめんどくさがってるだけかもしれませんが。 経験と勘は判断を固くしてしまうから気を付けたいものですね。 あら、否定の話だったわね。 フフフ。るーるー。それじゃぁ、直感で話すわね。 もしよかったらここではなく、どこかでひとつのことをお話しましょう。 否定となるとアンニュイな話題だし、どんなアンニュイかといえば、読んだ人が自身を否定されたように置き換えて読んでしまうリスクをおかしたくないだけね。 今、現代詩フォーラムに 丘さんという人の 「ながれぼしのうた」 という作品が投稿されているの。それについて話すことが 多分、私からのあなたに対するわりかしよい答えがあるのですがいかが? よかったら現代詩フォーラムにて、感想スレでお逢いしましょう。 (次の日と次の人のために)

2018-05-09

仲程様へ 過去作品とあわせてお読みくださりありがとうございます。 過去とはすこし変わって、以前は他者へおくる言葉から 、今回のはこれが俺のやり方さ。もちろん文句はきくよ。笑いながらね。という風に変わっていきました。 過去に書いた作品が誰かに何か物事を説くほど偉くなったのかよ。出世したなカイトさんよと よく見知った私自身に自分の作品を思い出す度にディスられていたから嫌だったのかもしれません。ね。 原口様のふたたびを読んできました。 自分の直感より第三の目のほうが曇っていないでしょうから、きっと通じるところがあるのでしょ う。 原口様の作品に捧ぐ言葉がうちの台所事情が乏しいので持ち合わせがありません。が ぽややんと浮かんだことを書かせていただければ、過去から未来へ紡ぐエネルギィをピントを合わせるように原口様は社会批評に目を向けておられる。 私は私自身の過去から将来へ紡ぐ生活態度を角度を狭めた展望なのかもしれません。 確かに通じるものがあるかもしれません。 元は同じものだったけど 選択した言葉と現在が違っただけなのかも知れませんね。 どちらに何を残すか難しい問題ですが でも、ほら、ひらがなにすれば つぎのひとつぎのひと のために どちらに何かを残してもおなじことなのかもしれません。ふふふ。 もちろん何を残しても、燃えてしまうかもしれません。 燃やされる時は 新時代の技術の美しさによって、私の埃を被った功績や技術などいらない時代が来たのだ。と納得できますし 新しい技術以外に設備、管理方法、道具など色々なものがあるでしょうが、そこにあるのが私より若いエネルギィがあることが何故かなによりも嬉しく感じるのです。 不思議なことに。 さらに燃えるときは、より一層新技術の美しさを輝かせる燃料のようになった気分になれるから、 かもしれません。 (次の日と次の人のために)

2018-05-09

本拙作品は現代詩フォーラム 企画スレ 蝶とシャボン玉より テーマ「祝言」に寄せ、私の過去作をを書き直したものです。 ーーーーーーーーー 三浦 果実様 確かに未開の地を切り開くものは、朽ちた看板より、実利あるものでしょうね。 ただ鍬で掘ったものなぞ、すぐに雨で流されてしまう。多少の形を残すかもしれませんが、雑で間に合わせで作ったものは、 そのときは本人は一生懸命作ったかもしれませんが、新しい時代によってできた技術と知識と道具や設備に敵うこともなく、立ち向かうだけで結構若い人に迷惑かけてしれません。 たとえば私の仕事における技術が時代遅れで必要とされなくなる時がすぐに来るでしょう。 身体も勇気も衰えてくる。その時には、口うるさいだけで役に立たない親父になるでしょう。 そんなときに、せめて心持ちは三浦さんが好きになってくれた心の持ちようでありたいと思うのですよ。 ある科学者の好きな言葉があります。 ファラデーというのですが電気科学の分野で非常に貢献しました。特に基礎分野の研究に力を注ぎました。彼は基礎を応用して金をかせぐことに力をむけることもできたはずですがしなかった。そういう研究に興味がなかったのでしょう。 彼の言葉にこうあります。 「余は基礎を残そう。」 かっこいいよねー。 (次の日と次の人のために)

2018-05-09

中国語で読むとこれは 転 連 仙 が韻をふんでいて 朗読すると、まさに唄い流れる詩になうのでしょうね。 中国語ができないから、そういう面から味わうことができないのが残念です。 もとい漢文のテストは勘と気分でかうかうと鳴く水鳥のようにテキトーに博打で天命を知るひとりだったのでこの文章から察することを感想にしてみます。 あっはは。不本意だと言われるかもしれませんが、最後の2行を現代翻訳していただけると、うれしいです。謎なのです。 ばばばっと、ぽややんっとチョッカンで感想を書くので、言葉の扱いが乱暴ですがご容赦ください。一筆書なもので。 隠者ってのは、時代によって姿を形を変えてどこにでもいる。 最近じゃ、名前を捨てて影で社会批判するのが隠者の流行りらしい。 だが、この絵に表れてきた隠者は健やかに隠居しているようです。 これ無為自然ってやつだな。中学のときならいました。 すこし酔狂だ。 机も自然のなかに設置してまで詩を書こうとしている。よほど無為自然がすきなんだ。 友達が来たら一緒に酒を飲んで、仙をもとめるいるのが面白い。 真面目にガリガリじゃなくて、 青空のしたで、友達と酒を飲みながら、おのずとたちのぼる仙を願い(考えを手放さないという意味での)隠居し、先人の才能溢れ、賢れた詩を愛す。 ちょとのんべんダラダラ感がある。 最後がちっともわかりやせん。お得意の直感だのみだと。 叙情詩てきな感じなのかなぁ。 絵に染み入る棋の音の影 みたいな。 すこやかで、朗らかで のんべんだらりのじい様だけど、厳格主義めいたけーがく儒教をならうより、冗談のひとつを飛ばしてくるじい様に漢文の話が聞いたい、というのは多分昔の人もおんなじことを考えたと思います。 (求仙)

2018-05-09

おお、なんだかメスゴジラが街をなぎ倒してゆく。 すがすがしさをカンジマス。ヴィヴィトきたね。 さて、私はインスタントポエムを量産しながら、やぁ、おめぇは糞だなといっててめぇのウンコをぶつけたり、ぶつけ返されたりする人間元代表選手としてこの詩を読みました。いやぁ、なかなかふてぇやろうだなとというのが第一の感想です。好意的な意味なので、貴方の感想に現れる素直で率直で寛大な気持ちで好意的に解釈していただけると助かります。 第2の感想といえば、 狂人、狂者、クレイジーズに使い分けてみたら便利ですよとトリビアのご紹介にまいりました。 狂人は病院で治療を必要とされたり、一生懸命、一生懸命間違った常識や行動を行い、何回も同じことをくりかえすひと。 クレイジーズは、一見普通に見えるけど、話も通じるように感じるけど、感情の起伏がすっげぇはげしくて、現実の選択が極論を選び勝ちで、他人と共有することが非常に難しい人とも言えます。まぁ、テキトーデス。 私のてきとーな解釈です。あっはっは。 さて、狂者ですね。 これは、昔の中国の言葉の意味をそのままに受けとめた方がワクワクする。 意味は、理想を掲げるもちょっと力が足りなかったり、時代の先取の精神をもっている人というような意味です。 真面目で今日の常識を疑わない人、諦めてる人からからすれば、新しい常識を打ち立てようと奔走する人は狂っているように見えるのは仕方のないことですからめ。 そして、狂者とともに歩いていきたい、もしくは3歩下がってついて行きたいというのが 元代表選手の気持ちです。けっこうそういう人は多いでしょうね。 詩人の世界は確かにせまい。詩人の世界は狂人、狂者、クレイジーズのオンパレードだから、石を投げたらそいつらにあたる。試しに石を投げてみたら、地球一周して、自分の後頭部に当たりました。 詩人の世界はせまい。 絵師の世界の方がまだ精練されている場面があるような話も聞きます。ね。 まっ、そんなことをいってもしょうがんない。 そうそう、感想が褒められているか、けなされてるのか分からないとかいてありましたね。 私から見る限り、 これからも物事の見る目を養い、つまりピントを合わせつづけてくださいね。ってことだと思いましたね。別に珍しくとも難しいことを言ってるわけじゃありません。ふふふ。 ピントを合わせるのが、批評する上でも詩を書く上でも一番強い能力だと思います。 昔の中国の言葉で中庸というのですが、 今日ここまでまた会う日まで (BABY NEAPOLITANS 3)

2018-05-08

読むと謎の緊張感がある。 それはロケットでむかってもむかってもたどり着かない惑星。 たどり着いたと思ったら、星の反対側に抜けてしまい、何が起きたのかはわからないけど 確かな結果がある。 土星を理解するには多分、火星より難しい。時間がかかる。 そんな詩のように見えました。 弦をはげしくピチカァトした結果か、強く早弾きをしすぎたからなのか 弦はどこかへ消えてしまった。 作者の願望がそこにあるのではないかと思った。 それはつまり、 規則正しく行った結果の 強烈な破壊だ。 正当防衛ならぬ正当破壊。 コーヒーを凍らすほどの。 そんなものがぽややんと浮かびましたが、さて もうちょっと、ミステリアスを飛び越しすぎていたから、謎は謎の緊張感のままでいいから、 手を伸ばしてくれたら、多分、土星をみんなすきになるとおもいました (流星群)

2018-05-08

ブルースはわりかし身近なことをわりかし簡単なリズムで歌う。 ぽややんと再読しています。 人間の理想を見いだせない、もしくは見いだしている奴はどこかうそぶいている様で滑稽で無力なのが嫌というゆうほどわかっている。 だから俺はとびきり明るいファンクのようには 歌えない。宣言することもない。 多様化する価値観の時代に信じられることは なんだかすくなってきやがった。 Hey。ブルーズマン。 いい歌だね。ふくざつなリズムは使わずに ビールのボトルネックに身近な虹を見つけたとき 等身大の自分のお歌をうたう。 アイロニーへと溶けてゆくシニカルな笑顔。 だってしょうがんないだろう。 絶体絶命さ。 身近な美しさは猫ならば 俺は一匹のネズミなのさ。 窮鼠猫を笑う。 絶対絶命さ。 猫を噛む奴はたくさんいる。たくさん知ってる。 俺はそいつらのことを笑わない。 俺だってそいつらと同じさ。命をなげうっていく。もちろんシニカルな笑顔でね。それが俺のやり方だと言わんばかりに。 噛みつく奴がのたまう言葉もシニカルな笑顔の俺が吐く言葉も文章にすると瓜二つ。遺伝子が違うのにさ。 Hey ブルーズマン お前の歌があまりにも魂を奮わせる。 アイロニーは淫乱だ。 俺の油をすいとってゆく。かさついていく。 そして、空っぽへ 飲めば飲むほど喉が乾く。 アイロニーは危険なアルコォル。 胸に沁みついたシミはこんな酒じゃ抜けないってのに。 所詮、人間はこの沁みに 飲むことでしか、立ち向かうことができないのだろうか。 しかし、何故だろう。 このブルーズマンがうつむいたときはとことんうつむいてる。 けれど、等身大で前を向いて歌うとき、とことん強烈に胸に響く。 無力な言葉なはずなのにどんな嵐がやって来てもたじろぎもせずにそこにある。 Hey ブルーズマン。 随分、ちりばめられてるのは陰惨な道だが、 立ち向かう言葉には 陰惨をゼロに、覆すほど力強さが湧いている。 まず、そこの魅力に素直に俺以外の誰かに気づいてほしい。 読むなら厳格主義を捨て、最後の方は、皮肉の極み 、の可笑しさを見つけてほしい。 そしていろんなところに極端なほどの渾身の魂がこめられていると私は思う。絶望がたくさん。それと同じくらい希望。どちらもシニカルな笑顔でうたっている。 価値観が多様化する時代だけど、この作品がもっといろんな人に読まれることを望む。 (is this crap?)

2018-04-22

(こりゃぁ、すげぇな。) 感覚だけの感想を書いて行きまする。 分析や批評は他のかたにまかせよう。 自分の直感だけが私に残された、この詩に対する言葉をのこす術になってしまったからです。 しばらく自分が歌わずに、この詩を眺めてるだけでいい。もしくは口ずさもう。たくさんかいてくれたからどれかひとつくらい暗記したい。 きっと、何処かの章をすきになれば、だんだんとほかの章も好きになるはずだよ。と誰かに伝えてみよう。 まずは序章を味方につけるように読むべきなんだろう。 空っぽに なんだか、身体のどこかに円柱が突き刺さっていた。 それを抜いたあと、身体には大きな穴があいてしまう。 しかし、この詩がその穴を健やかに埋めてもらった。 きっと、私以外の誰かもそうなる。 (is this crap?)

2018-04-19

https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=337606filter=catfrom=menu_c.php 冗長になってしまいましたが、 チンチンつながりで返詩をおいてゆきます。 では!またどこかでー! (悪魔と校長先生)

2018-04-18

チンチンをいじくる詩があると聞いてやってきました。 社会派の方はチンチンと校長と聞けば、一万人以上の売春を行った業の深い事件を思い出しますかも知れません。 民衆派の人は自分のポコチンをディナーショーの具材にして、客に食させて、そのあとにポコチン料理のレシピをクックパッドに載せるといったビックリ人間のことを思い出すかも知れませんね。 この詩はチンチンを擦れと言い残し、拳銃自殺を図る校長の詩 3つの事件はどれが現実でどれが詩なのかと、人を惑わせますね。 私が思い浮かべたことは チンチンを拳銃というイメージで繋げ、脳天を吹き飛ばすことで、薄暗いところで射精を暗喩させるといった僕たち死ぬまで中学生には楽しい詩でした。 思い出したことは若かりしころに 「ジャズの極意を教えてやる。 それはな。 ちンコ、まンコ ちんこ、まンコ いいか。 『ンコ』にアクセントを置くんだ。」 と教えてくれたサックス吹きの大好きな友達のことも 重要な 自己満足を与する 機能の欠落 年上の、 立場が上の人間が、 悪魔にとりつかれて 脳天を吹き飛ばす チンコを吹き飛ばしてはいない。 もし朗読するならどこにアクセントをおくべきなのかなと今読みながら探しています。 チンチンにアクセントをおくとすると、悪魔はどうやって姿を現すのだろうか。 拳銃自殺のときはやっぱり、静かに、力強く歌うのかな。と想像を巡らせております。 最近、ポエトリーリーディングのイベントに産まれて初めて遊びに行ってきました。 詩をうたうのは、聞くのは楽しいですね。 だからかも。 投げ「槍」にみえても やはり言葉が強いから 突き刺さる詩。 楽しいので、後で 返詩させてくださいね。 (悪魔と校長先生)

2018-04-17

言葉と生き方のくだりについて褒めていただいたので、セブンイレブンでコサックダンスしながら、返信をしております。かなり手ぶれが酷いので上手に返信できなかったらごめんなさい。 そこを修正した理由は それは距離をちかづけて描きたくなかったのです。 私は船乗りですが、 相手は蝶になって空にむかう。 ふたたび、出逢うことは難しいかもしれません。 けれど、お互いに言い残した言葉や生き方がふたりに備われば、 私は空に星を見つけるでしょう。 空にいる相手も浜辺や海に似たような星をみつけるかもしれません。 そして、それは同じ景色を見つめてることに、隣にいなくても私たちを通わせることができるような気がしているのです。 意味がよくわからないと思うかもしれませんが、 それがわたしのような割りきり方とやり方なんですね。 そして、るるりら氏の返詩をよんで 私はとても楽しくて、 たぶん、ここ最近女の気持ちになっております。 すきあらば、インディアンのようにおたけびをあげ、羽飾りのついた帽子をかぶり、翼を広げるように、多少、自分を大きく伸ばす様に、ばさばさ飛ぶ練習をしております。 ちぢこまってちゃ、空は飛べないでしょうからね。 貴方に返詩をしてからというもの なにか飛び出したい気持ちがぐるぐるしております。私は薪に火をくべ、そのまわりをぐるぐるまわりながら、今、また詩を考えております。 でも、それは詩じゃないのかもしれません。別の表現方法かもしれない。 それがなにか今はわからないですが、 るるりら氏からいただいた返詩は炎となって私にともり、私はそこでぐるぐるまわっています。 それにしても、貴方は本当に最高だ。 あの私が書いたテキトーな返詩をほんとうに上手に着地させてしまうのだから、 まるで、私が1つの詩を読めば、相手の気持ちを10分かるようなにんげんとして書かれたのは、ちょっとやりすぎだよ。と苦笑しております。 そんなスゴい人間だったら、わざわざ自分のことを破落戸とはなのらないでしょう。 でも、そんな風にできたらなぁと思いますが、 るるりら氏の返信のように上手にできたらと願、今日はここまで、また会う日まで。 (飛ぶ)

2018-03-17

ぽややんと、読んでいます。最初は別れた後の話かなと読んだのですが どうも、符丁があわない。 喧嘩の夢をのなかで。 別れた夢をみた。 (別れちゃいない) コーヒーの香りがくにゃんとさせたのは、意固地なものでしょうか。 せきとめていたのでしょうね。 顔をだしてしまったら もうとめられないよねー。 きっと、訳もなくハグしたね。 もちろん、別れた後の話としても解釈が通せると思います。 どちらにせよ。 たぶん、この登場人物の人は夢も過去もひっくるめて 、きっと、様々な事件がふたりの間にあったであろうけど、 くにゃんと、 「悪い夢じゃなかったわ。」と つぶやいてくれる気がいたしました。 そして、コーヒーを飲みながらbgmはイッツオンリーペパームーンでいこう。どう? あはは。なんてね。 ひとりじゃ、朝日も味気なく寂しくて たとえ恋がリアリストに錯覚だと言われようとも ふたりなら曇りの日でもぬくもりに変えることができるのが事実です。 現在であれ、過去であれ 1+1=1と有名な数式。貴方と私がひとつになればよいとこたえるロマンチストは 未来永劫1+1=2と答えるリアリストがふたりにとって未来にいようとも、些細なことになるでしょうね。。 (喧嘩の夢)

2018-03-15

社町 迅 さんへ お読みいただきありがとうございます。 なんだかんだで、 ぽんやり投稿してしまいました。 将来の夢はうつくしいロマンチストなので、一歩づつ進めてるといただいたコメントから自信を得ました。あっはは! ただ、立派なロマンチストになるには、高い身長と整った目鼻立ちと甘い香りに包まれる言葉を持たないといけません。 ゆえに牛乳飲みながら返信していることをどうかお許しください。 のこりあとはふたつは、たぶん大丈夫だとおもいます! (航海日誌)

2018-03-14

さて、どっちに返信を しようか迷いました。 ちょうど、るるりら氏に返信にするか、投稿にするかと迷ったように。 迷いのなかで選んだ答を辱しめないには、きっと一秒でも速い返信が正解なのだろうけど、 返詩を返信でかえすのかい?と口許を手で隠されるのはシャクだ。自分のやり方にはありゃしねぇ。 返詩を騙詩としたくもないので、悩む。悩むのも返詩のひとつとして淑女の皆様には笑っていただきたい。 詩にたいしてなにかかこうとすると テキスト至上主義について考える。 私の憧れの読み方だけど 、なかなかにできない。それは絶対的に知識を必要とするだろう。一番恐れるのは私の様に「礼」が足らない人間が知識を得て流暢に話す様になることだ。憧れるけど、恐怖だな。それは、それっぽく、そして、誰かを操ることにも繋がるのがいらつくし、こんなに丁寧に説明してるのに、なんで分からねぇだとイライラする未熟者の螺旋を登りたくないのかもしれない。 私はこれまでどおりテキストに作者の名前があるじゃないかと、卑怯な読み方をする。 君の名前があると安心する。間違っていたらいつものように諌めてくれる友だから。くだんの主義には反するけどそれはそんなに悪いことでもないような気がするよ。あっはは! 真実と錯覚の対岸へ まずは膝までつかります さて、ひとつ。深呼吸。 ぽややんと。 ランデブー 鳥糞として落ちる 喰われた自分が何者かわからぬまま 隣のお前もでんでろりん 小虫か、木の実か、石ころか こしとられてゆくよ とけのこった私達の部分 なんてもう要らないよねと残ったお前の左手が私の右手と こちらにむかってふってる 白い鳥糞としておちる。 おたけびをあげながら興奮 それぐらいしか覚えていないが (気持ちいいね。) Bgmはチークトゥチーク それぐらいは覚えていたっていいじゃないか 朝日すらお前(私)の一部に沁みてる 私もお前も、らしさなんてすべてうちすてていた なんというめるふぇんか いつのまにかハミング 落下地点にうれうことなく頬を、よせる。 (飛ぶ)

2018-03-10

やほー! 返詩ありがとー! 名前が投稿できなかったから、ゲームアカウントでツイッターログインしたよ。 現Fで推敲してからのせればいいものをこっちで即興。むこうで推敲という今考えてみれば可笑しい順番でござる。 じゃぁ、せっかくだからぽややーんと返詩するね。ふふふ。 浜辺の松明は 水平線の漁火と 符合するとき 理が零となり ただ、ゆらめく 漁火だけでは 海に消え 松明だけでは 砂にかえる 炎だけで 感応する ことが 美しい という枠組み すら、燃やしてゆけ こっちにきてごらん よくみてごらん 宇宙に独り ただの方程式 最果て(コタエ)は膨張するが 心臓は林檎のように 鮮度がおちてゆくだけ 松明は 目を凝らさなくていい優しさが ゆらめいているのだ (航海日誌)

2018-03-09

ある有名な方がのたまうには、死体の面白さとは、完成していることにある。死体はじたばたしない。 生きているときはつまらない、じたばたするもんだ。 なぁんて言葉を読んだことがあります。 この言葉が意図する深いことはおいといて、 額面どおりにうけとれば、 なるほど、確かにそういうものかもしれないと頷く方もいれば、 うるせぇ、糞爺! そりゃ、あんたの生き方だぜ。と爺どもの棺に蹴りをくれてやる方もいらっしゃるでしょう。 わたしは多分後者のほうです。無教養で、若さが 蒸発しきっていないからかもしれません。 だからかもしれませんが、割かしこの詩をpopミュージックを聞くように読んでいます。 それは、夜、闇など 陰の魅力を味わうよう読んでいます。 テイスト心地よいです。 陰の雰囲気の完成度も高いなぁと言葉選びのセンス良さをながめております。 蛇足で申し訳ありませんが私の好みを好き勝手に押し付けて書かせていただきますと 気になったのは 最後の おいとまします。 と書かれたあとの あとの3連です。 私は ここに作者の迷いを感じました。(テキトーでサーセン) 若い女なら身体にある程度執着をもつなら当然だ。 生き方にも死に方にも理想をもつ。 誰でもそうだ。 しかし、ここまで、めちゃくちゃに生きて死んだのなら 過去の自分の死すらも執着しない。 きたねぇ花火でもいい。 とんでもなく恐ろしく力強い言葉を使っても それはそれでギャップがでて魅力を感じます。 おいとまします。 と書かれたあとの 魂のリズムが もはや、この世に恨みはありませんと同じリズム。だからでしょうかね。なんか、ひっかかるのですが、これはこれでいいもんだよ。と誰かに言われれば納得する自分もいます。 是非とも他の方の感想も読んでみたいです。 (或る女の剖検)

2018-03-02

返詩 さよならするものがおおすぎるゆえ 少し安心したりする ひとつのくぎりをつけるために 殻へと、種へと戻る君 ヘンテコな名前やIPアドレスのない世界で 君はイルカになるといい。 群をなして海つきすすむ 根っこのように伸ばした様々な約束なんざ 今は引っ込めるといい ざぶんざぶんと せびれに陽を感じてほしい 気泡がお腹の下をくすぐってる 記憶しておくといい それからたまにはまた泥臭い話を聞かせておくれ。 あと君は大空にむかって咆哮するべきだな 海にむかうときは 夜明けの時がいい 日が沈むときは家に帰れ 詩人の友達は少ないが 俺はイルカの友達と猫の友達がおおいんだ。 イルカになった君は きっと泳ぐのがうまくなる (さよなら、インターネット)

2018-02-15