作品投稿掲示板 - B-REVIEW

鈴木 海兎 ??


投稿作品数: 15
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よろしくお願いします。 鈴木 海兎 鈴木 海飛 メンヘラクレス ハァモニィベル 以上の名前のアカウントの作品削除よろしくお願いします。 (アカウント削除申請専用窓口)

2023-09-18

昔からビーレビってなにかしらの弱点を抱えてながら色んな方が運営を行ってきたように思います。 それは荒れないためにマナーを守り、切磋の言葉を見つける難しさ。 著作権を遵守し作品の削除を行う場合、運営陣に過度の負担がかかること。 書き手と読み手をフェアにすることだったり、システムの円滑、なんだか我々が見ただけでもたくさんでしたね。 我々の見てないところでもっとたくさんの運営の方々が努力されていたのでしょうね。 その弱点を抱えながら運営を行う人達は皆、やはり一生懸命だったのだと思います。 今期の運営はチートプレイヤーが強みだった人間を運営を迎えることによって、弱点をはらむのだなとわたしは見受けられました。 無敵が弱点ってちょっと派手で面白いよね。それから今期の運営陣から一生懸命やるって言葉を見つけました。 弱点を捨てず、理責めで武装せずに 一生懸命やるってさ とても人間くさくてって嫌いになれそうにないな。責任感って俺が大切にしている感情だから否定はしない。 弱点のことは大嫌いだけど でも俺の理解力低いのが原因かもしれないし、相手の伝達力が突飛なのかもしれな。ま、機会があったら確かめてみるよ いろいろ選評とかの問題は難しいから姉さんの抱えている細かな部分は分かんないけど。でもここで合評禁止されるわけじゃないんだからさ。 んじゃ、また合評誘ってね (第8期運営方針)

2023-09-08

読んだあとになんとなく四角い部屋の四角い窓を眺めている、閉塞感の漂う空間といっても静かさとはかけ離れている。 それは騒がしい歌詞のヴォーカルとギター音が弾むライブハウスだったり、文字いっぱいの漫画のコマにちかい。 朝、ビル街を歩くとき、朝礼中の美容師達が世辞を言い合う訓練を行っている。 僕はその姿をときどきせせら笑い、それからお店のイスに座って美容師達の緊張感を隠した口元を眺めたりして、美容師の学校を出ても、美容師で残る確率は1割ないよと断言した友達の言葉は本当なんだろうなってことを思い出しながら美容師達の実戦の場でせせら笑ったさっき自分の顔を鏡で思い出している。 本当の言葉も演技めいた言葉も自分に声かけてきた。その言葉がヒリヒリしている。何故かはじめてお付き合いした女の子を思い出している。 口の中は自戒のオノマトペでいっぱいな読後感でやんした。 (私の屋根裏部屋を、あなたに見せられないとしたら)

2023-01-14

呪いという言葉をお借り出来れば、作品中の「ざわざわ」という風の音や「室外機の音」が確かな未来の結末を知っていた未来の自分からの誰にも解読出来ない声のようにだんだんに考えていました。 それはまるで宇宙服の中で闇に向かって叫び続けるようなSF映画のようなことに近いかもしれません。 供養のような感想を見つけたので私の感想も、と思い、立ち寄らさせていただきました。 これは高次元の土壌を持たぬ私の低次元での握手と思っていただければ幸いです。 (パブロンゴールドA)

2023-01-12

所々に言葉がきらりと、光ってそれは魅力的でまた読解を限定しないように 作品を多くの人に楽しみ親しみやすい言葉がとてもいいと思いました。 この詩中でも、「僕」は「僕」を書きながら読んでいる。書かれた「僕」に読まれた「僕」が書き足されていく。「きみ」を歩かせたい詩の世界を、築いては壊し、壊しては築く この詩をより輝かせる 素敵な名文だなと思いました。 いやぁ、好きってことをここまで文で表現できることにすげーなぁーと憧れます。 (ゼンメツ『いつまでもそらにいる』推し活)

2023-01-09

限られた人にしか見えない肉うどんのまばゆさが詩をよむことで読者にも伝わる作品ですね。 まばゆさに照らされる詩人の姿にも なんとなしにひかれるものがあります。 (肉うどん)

2022-01-28

世界の終末には、この世のすべてが猫の動画で埋め尽くされていくんじゃにゃいかと思うほど猫だらけですね。 ほら、今こうして詩の内容より、猫の話題を口にしてる(笑) (違法販売ことば屋さん)

2022-01-28

これでも考えぬいたあげくです笑。 推薦文としては納得できるものではありませんが、それでも多くの人に読んでもらいたいと願ったゆえに前のめりにすっころんだ笑と堪忍してくださいね。藤さんのときもそうでしたが、 随分、勉強になりました。ありがとうございました。 (「死者はなにみて微笑むか。」~「泉」をよんで~)

2021-12-29

泉の感銘を受けての作品制作ですが見送らせていただきます。 まず今回は作者が望まれていませんし、私はこの作品を前にして、私の態度があまりに未熟と思うのです。 私自身一時の感銘に酔っぱらって詩を作るときもありますが、今回は作品にも死者に対してもおもんぱかるべきだろうと思います。 もちろんそれは真摯な作品への感想を抑制するものではありません。 さて、かといってせっかくのお誘いですので、30年後ぐらいでしたらお受けします。 確か、あなたでしたっけ、現Fの書き換えスレッドの提案者。私はあれ、好きでしたよ。ちがったならごめんなさい。私の勘違いです。 では、またあいましょう。 (「死者はなにみて微笑むか。」~「泉」をよんで~)

2021-12-29

三島の闘争と行動がそんなにお好きならば、貴方が望むならいつでも。 (「死者はなにみて微笑むか。」~「泉」をよんで~)

2021-12-26

そちらが何いってんのか相変わらず分からないけど ただひとつあきらかなのはバカと天才でも闘争は成立しますよ。誰だって殴られたら、殴られた側はそれはいつまでも覚えています。うっかりしすぎです。 (「死者はなにみて微笑むか。」~「泉」をよんで~)

2021-12-26

もうすこし若かったら、 バンドメンバーの喧嘩みたいなことも出来たかもしれないけど もう若くもないし、あなたともバンドメンバーでもないのでやりあうことはできなさそうです。 ですが三島由紀夫を敬愛し、正しく評価しようと努めている浅田次郎さんの言葉をご紹介致します。 三島さんに教わったことはすごく多い。小説家というのは職場から解放されるという意味では自由業で、旅人も現実から解放されるという意味で自由なわけです。でも人間は自由であればこそ慎重でなければならない、というのを僕は三島さんから教わった。三島さんは早くに作家デビューして、自由奔放で、何でも可能な立場にいました。だから本来は、もっと慎重でなければならなかったんだけれども、そこが欠けていたんだと思います。才能があって、時間があって、自由がきくならそれ以上に慎重でなければならない。それは小説家としての僕の戒めであり、そして旅人としての僕の戒めでもあると思っているのです。 (「死者はなにみて微笑むか。」~「泉」をよんで~)

2021-12-26

なんとなくですが推薦文を書くにあたってこちらの詩や言葉を思い出していました。 ゲーテ 碑 銘 少年のころは、打ちとけず、反抗的で、 青年のころは、高慢で、御しにくく、 おとなとなっては、実行にはげみ、 老人となっては、気がるで、気まぐれ 君の墓石にこう記されるだろう。 たしかにそれは人間であったのだ。 孔子 政を為すに徳を以てすれば、 譬へば北辰の其の所に居て、 衆星の之にむかうが如し どちらも私の好きな詩と言葉です 今回の藤さんの作品はそれらに匹敵し、これらの詩を思うとき 藤さんの詩をつよく思い出すだろうと思いました。 だもんで推薦文を書きました。 いろんな人に目にもついて欲しいし、いろんな感想を私も読みたいし、人気にもなって欲しいので、掲示板の上に来るようにCM目的で感想を書いていますwこっちには書いていなかったじゃんさ。 (丘の上の墓碑)

2021-11-02

いえ、そのcold fishさんの感覚が正解だと思いますよ。 こざかしいという感覚が するどい方ならば この文章にあるこざかしさを看破するだろうなと ちょっと思いあたるフシがありました。 しんどくさせて ごめんねー。 まいどー。 (通学路?)

2021-06-28

沙一さんの毒気を抜かれた感想が 実はわたしには良薬であり、 苦味にもなったかもしれません。 あっはっは。 もうちょっと丁寧に書かないとですよねー。 じゃ、次はそばのお話でもしますか。 お楽しみに。 (通学路?)

2021-06-28

なぜ、妖怪?とちょっと考えて そういえば、小さい頃、 通学路には小さな工場があって 平日はいつもけたたましい音がして 大人達が働いて近寄りがたく 工場の休みの日は うってかわって近づけない、ちょっと怖いくらいの不気味な静かさがうごめいている感じで 近寄りたくない気持ちがありましたね。 それを思い出しました。 (工場の妖怪)

2021-06-25

今まで詩を書いてきて、どんな文章も即興で書いてきたのですが まぁ、でたらめな文章だなー。 あっはっは、と思うことがあります。 アキラさんのご明察通り、その場で書きました。 たしかなんか仕事で呼ばれたんですが、二時間くらい手待ちの時間ができたのでなんとなく書いたのです。 ふふふ。てきとーでしょ♪ 最後まで読んでいただいたことに 感謝です。 またどうぞよろしくお願いします。 (通学路?)

2021-06-25

昔、できなかったことって もしかしたらつまらないことだけど いつかんl将来の宿題となって、 自分の心に寒天みたいにぷるぷるしているときがありますよね。 普段は顔を表さない宿題なのに 心の温度が変わると 形をなしてくるというか なんというか まぁ、そんな感じの文でしたね。 あっはっは。 そうそう宿題といえば 先日、ドラクエ5でモンスターを仲間にできるのですが、小学生の頃に難易度が高くて出来なかったメタルスライムとバブルメタルを仲間にしました。 人生がまたひとつハッピーです。 あっはっは。 (通学路?)

2021-06-25

ぼんやりテキトーに書いてみました。お読みいただきありがとうございます。 技術はありませんが 私のエセーでおふざけの、お暇潰しできたら これ幸いです。 (通学路?)

2021-06-23

もの書き不幸なのは自分の種育てられないだけでなく種が死んでも不幸なのだね。こりゃ困ったことになりましたね。種が育っても、もの書きには1銭もはいらねぇんだもん。不幸なこってす。 ただ、もの書きは種をもっともっと自分の種はスッゴいぞってものを書くより宣伝すれば良かったのにねともおもう。いっぽう。 自分の考えたおはなしの種を作るとき一番幸せだったのでしょうねと思いました。 おもろかったでーす♪ (お話のたね)

2021-03-25

もの書き不幸なのは自分の種育てられないだけでなく種が死んでも不幸なのだね。こりゃ困ったことになりましたね。種が育っても、もの書きには1銭もはいらねぇんだもん。不幸なこってす。 ただ、もの書きは種をもっともっと自分の種はスッゴいぞってものを書くより宣伝すれば良かったのにねともおもう。いっぽう。 自分の考えたおはなしの種を作るとき一番幸せだったのでしょうねと思いました。 おもろかったでーす♪ (お話のたね)

2021-03-25

https://youtu.be/k22ZqEu3yHM 口笛ふきながらこの曲でしめくくりたいとおもいます。 よんでいただきありがとうございました (母のおねしょ)

2021-03-25

お、ヒサシが感想くれてるめずらしーいやっほう。あっはっは。 ディープな介護場面に出くわしている方にとってはとこの詩を疎ましく、そらぞらしく感じる可能性があると思います。それは仕方ないことなので諦めます。私の今回の作品ではそこにいる人たちには届かないか、髪をひっぱる感じになってしまったかもと感じてます。次にこの作品を修正をかけるときの反省にしたいと思います。 そうそう、ヒサシ。聞いてね。 俺がヒサシの親だったら要介護で意識バカになっちゃたら「そんなの俺じゃないぞ。ほぼ、ぬけがらだもん。ヒサシ、気にすんな。大丈夫だ。」ってどっか天井らへんから言っちゃう。聞こえないと思うけど。 で、自分のいきたいところに幽体となってふらふらしちゃう。せっかくいろんなとこいけそうだしね。介護で疲れてる息子のことなんて多分気にしない。だから、お前も気にしすぎんなっていうよ。あっはっは。 ヒサシもそうでしょ。 もし、自分がバカになっちゃって介護する人が目の前にいたら、 「まぁまぁテキトーでいいよ。気にしないで。」って言わない? それとも「金払ってんだから、舐めても大丈夫なくらい綺麗にしやがれ。」っていう?言わないでしょ!あっはっは てなことを 母、私、妻、娘で話したりしていました。 (母のおねしょ)

2021-03-25

いいでしょ。 えっへん。うっふん。 なかなかいいのがかけたと思ったら 今月は他の作品が豊作って感じで埋もれてしまったはー。たはーーーって感じ。あっはっは。 ただ、もう少し、なんか修正を重ねるならどこだろうなーって感じで考えてます。 名作にはならないけど、 これからの介護を考えていく上で 老人の介護を知らない人への最初の回路やピースに、この作品が呪いにならないように(介護疲れで自分を追い込みすぎないように) 作れたらなーとおもっってます。 読んでいただきありがとうございます。 (母のおねしょ)

2021-03-25

「おはなしのたね」読まさせていただきました。 何を言っても、書いても、上手な言葉がなんか作者、だけでなく誰かを傷つけそうで感想に悩んでます。 うんでも、この返信書いたらかきにいきます。だって面白そうな作品だもんね。もったいない。 読んでいただきありがとうさぎであう。 苦労を感じ取ってもらってうれしいです。たけひごが炎であぶられ曲がる姿が思い浮かんだのです。 うん、確かそんな感じ。ヒャッホイ (母のおねしょ)

2021-03-25

るるさん やほほ。 コメントやTwitterの日記も読ませていただきました。 20回くらい読んだけどよく分からないケド、いつも通りてきとーに話をあわせて、分かったふりして、 まったく関係ないことを書こうと思います笑 あっはっは! 私の母はお嫁に出るときに 料理もできなくて とりあえずほっぽり出された感じです。 祖母いわく 相手のお義母さんから、その家の味を学べという考えらしかったのですが 嫁に優しい姑ならよかったのですが ずいぶんこてんぱんにやられたみたいですねwあっはっは。 小舅もなかなかの糞っぷりだったので 孫(私)はそんな環境でそだったから 家を離れることから人生が始まった気がします。 さまざまな出会いと出会いと出会いを重ね、私は男友達と遊ぶより女友達と遊ぶことが多かった気がします。 多分、るるさんが私より先に死にますね♪私はあなたより長生きするでしょうね。あっはっは。それってけっこう良いことだと思うね。うん。 それで、るるさんのお母さんに小便かけられてもまぁ、いいじゃないですか。雨は天使のおしっこですし。 うん、そういうことでコンゴともヨロシクみたいな! (母のおねしょ)

2021-03-25

そういえば、考えたこと、思ったことははっきり言うことで親しみを感じるときもありますね。 この作品はリメイクで フィクション65%ノンフィクション35%って感じなのです。 リメイク前の作品にに友達がこんな感想をくれました。なんとなくそれがひっかかっていて、今回書き直そうとしたのかもしれません。 ----------------- 例えば、俺が、この作品を紹介するとしたらね、一作品だけ取り上げて紹介することはせず、彼のいくつかある作品の中で、『母のおねしょ』という作品がまあまあの小品だと思いますので、そのまあまあぶりを読んでみてください。淡々としたタッチが、通常はウェットで重くなる素材をみごとに、奥に潜ませたまま無色透明なさわやかな作品にして、子供に戻った母親とそれを見守る成長した子との親子の一コマを切り取っています。 せっかくの作品なのに、ある一連だけ、どうなんだろう、と首をかしげたくなる消化しきれてないゴマカシの連が混ざっているのが残念ですが、総評の印象は上に述べたとおりです。ぜひ、私の指摘している部分がどこなのか、謎解きに挑みながら、作品を味わってみてください。 といった感じになるね。やはり批評は含むことになるよ。君がもっとちゃんと書いていれば、そこは褒め言葉がさらに増えるはずなんでね、私のせいではないよ。 まあ、文章上の欠点をごまかせるだけの核に詩情がある作品だということだね。(私は細かい部分でも誤魔化されないけどね) ーーーーーーーーー なかなか辛口で、一見嫌みな奴だけど わたしは大好きな友達なんだよね 正しく批評、 ど真ん中の評に対して わたしはとても好ましくおもいます。 恐れずに、多少不敵に、そして親しみをこめて評を行う人が好きです。 結果的に酷評になることは仕方ないにせよ。酷評を目的とした評ってのは、頭のいい人が考えることはよく分からないなぁー。と思います。 読んでくださりありがとうさぎ。 (母のおねしょ)

2021-03-20

昔書いたものを、リメイクしてみました。あれからフィクション65%ノンフィクション35%ってところでしょうか。 自分の道しるべのための詩だったものが なんとなく母の人生を足してみました 私の家の歴史をまるごと洗濯せねばならなかった運命とは、まぁ骨の折れることでしょうなと横で見てて思いました。 おむつだけじゃなくて尿もれパッドとかシートとかたくさんあるのですね。 わたしのゆるやかな成長を見ていただけてることがうれしいです。 ふふん。ちょっとづつうまくなってるでしょ。あっはっは。 優し そうありたいものですね。 ありがとうございます。 あ、そうそう。 うちの母はまだまだ元気です。 (母のおねしょ)

2021-03-20

記号がすべて?になっちゃってますね。?はハートマークをイメージして読んでください?。 (母のおねしょ)

2021-03-09

男性的な視線だと ほわほわ羽毛布団な感じできれいにまとまっていることの手応えを感じました?ありがとうございます。 多分ですが、女性視線でみると けっこう固いせんべい布団を感じるかもしれません。楽しみです。 読んでくださってありがとうございました? (母のおねしょ)

2021-03-09

そういえば、なんであの子はオナニー見せてって頼んだらちゃんと見せてくれたんだろう。 それはとっても好きだからです。 その子の全部あげちゃうほど。 そっか、僕のこと好きだからオナニーを見せてくれたんだ。 もしくはその反対。 全部捨てたい程あなたのことが嫌いだったのだよ ーーーーーーーーーーーーーー 女性の自慰行為は不思議な魅力がある。 X星人が女声のオナニーにはまる理由はわたしはわからなくもない。綺麗で、とてもセクシーで、脳にくるエロチックさがある。 しかし女性のオナニーはあまり語られない。 それはまるで何か見えない存在にコントロールされており、女性達は自慰の抑圧を望んでいるようにも見える。 女性は自慰行為を解放することはあまり積極的ではない 。 結構考えもなしに害悪と思うひとが多いのではないか。 例えば女友達同士でも自慰の核心を表だってつくことはしない。 禁忌として取り扱いに注意し、自慰に触れないことが友情の均衡のひとつであるらしい。それは美しき抑圧。 わたしは女声の自慰の抑制に理性的な説明もなく納得している人間の顔に対して不思議で違和感を覚えている。 多くの人がそれでいいのだと思っている。 ぼくには見えざるものによる統制を甘んじて受けているようだ。 きっと男とはまるで違うものなのだろう。 それとも神や親に自慰は害悪と言われたからといって信心行深く、親孝行な人間が世間を埋め尽くしているのかしら? 最近ではありのままの姿であなたらしくという野獣めいた思想が世間を賑やかしているが、まだまだ美しき抑圧というロストテクノロジーに獣は尾っぽを巻いて引き返しているようだ。 ーーーーーーーーーーーーー 人類といえばやたら解放と自由を求めてきたが、 面白いことにこの詩小説の人類滅亡と世界の終わりに残った人類の遺産といえば真逆の女性の自慰行為だけだった。 まるでこの世に無くなっても困らないパーツが残ってしまった。それは闇に消えたボールペンのキャップのゆくえを暗示させているかのようだ。 この女性がセックスに関心がないことは明らかなのだ 相手の顔もどうでもいい、性器すらぼんやりしてる ただ自分が気持ちよくなることだけを考えている。 味のないセックスらしきものが終わったあと、男性の台詞をオカズに使ってすすり泣いている。 それは悲劇のヒロインを楽しんでいるようだ。悲しみの快楽で悦に入っている。 悲しみという感情はアルコールより酔いがまわりやすい。 逃げ場も行場もない彼女には感情っぽくなり、酩酊せざるを得ないのだろう。抑圧されたものを解放することに抵抗がない。 抑圧の解放に抵抗がない姿はヴェロニカは死ぬことにしたという本の中で、美しき娘ヴェロニカが失声症のエドワードの見ているまえでマスターベーションをおこない、何度も絶頂を迎える姿に似ているのかもしれない。 「あなたのいいところはそういうところだ」 ーーーーーーーーーーーーーーー X星人が彼女をなんのためにそんなことをさせているのか知らないが、彼女のオナニーを眺めて喜んでいるのは間違いないだろう。 彼女のオナニーは最後まで自己満足な台詞で終わる。ひとりでドラマティックだ。 「やめて、X星人が見てる。聞いてるわ。」 「もっと他の思い出すべきことがあるはずだよ。」にも関わらずしない理由は女性はオナニーの快楽に溺れているだけでなく、この捕虫瓶からの解放も望んでいるのだろうと思う。 それは見られながらも聞かれながらもする自慰にはすべてをかなぐり捨てても解放されたい意志がそこにあるのだろうとわたしは最終的に思いました。 X星人はだんだんとこのペットのことが気に入るかもしれませんが、彼女は解放の隙を探しておるようにも見えるかもしれませんね。。 世界が終わった後で 女声の自慰しか残らなかったというぶっ飛びセンスが実に僕は素敵な選び方をするなぁと思ったのでした。 また書いてくださいね‼️ (見ている。聞いている。)

2021-02-27

なんとなく車が55回カーブをするときの車の軌跡を想像してながめております。 最初はぎこちない感じが 慣れてくると車の速度が速くなり、 だんだんその土地のカーブのコツをつかみうまくなると 今度は逆に、重力加速度を同乗者にあたえないようブレーキとハンドルを操り、ゆるくすすんでゆく車の姿をわたしはみています。 その姿はとてもきれいな曲がりかたをしているように見えました。 車の中も外もその軌跡も 緩やかでほっこりな詩ですね。 この詩に登場する「父」像がいろんな方の父親像に当てはまる。やはりとてもいい描写。やっぱりすごい詩だな と思いました。 (クロソイド曲線)

2021-02-11

感情というものはきっと砂粒みたいなものが集まって砂像作り出すのだろうと昔考えたことがあります。 遠すぎても見えなくて、近すぎてもだめ ちょうどいい距離というものあるんでしょうね。 銀河というものを いつもと違った距離で見たとき それ泡の構造に似ていたり 泡には光によって 本来ついていない色が わたしたちの目には見えたり 光は眩しすぎると あたまがいたくなったり この世は不思議だらけですねw (天文潮 Ⅴ)

2021-02-10

なるほど作者が非難轟々追いかけられて笑いをとることで今回のオチの弱さを補うといったなかなかの力わざをお使いになったのですね。胆力があるお方だ。 そういえば、わたしの知り合いにあなたが似ていたのです。 そいつはおとなしい作品が人気を呼ぶと不思議なことにバカになっちまう癪をもっていました。 ま、今度やるときは楽屋で咄家同士のご挨拶、根回しをしておけば、 より安心を呼び、お客さんにも笑う人が増えます。 もしあなたがそいつと同じようなシャクをお持ちなら、自分のバカを見つめる機会にもなり、オチにも磨きがかかります。 前にもおとなしい作品が人気をよんだときそいつのシャクがでました。あたしがそのおとなしい作品の良さをひろい集めてそいつの前に届けてやったんですが、そいつはそんなことも気づかず、挨拶もなくトビウオみたいにどっかいっちまった。 ま、もうそんなこと忘れてるでしょうがね。 根回しと挨拶。 それは覚えておいてくださいよ。 (インチキ落語「クロソイド曲線」)

2021-02-10

武器が武器の意味をなさなくなったオブジェクトはどんなメッセージを受けとるのか。 やはり、武器のもつ栄光に導かれるのが男なのだろうか。 武器は武器らしくあるべきではないかと そんなことを考えているうちに 性能を殺された武器はなんてつまらない武器にも見えてくるんだろかと思う。 武器には弱者を強くさせる性能がある。殺す才能を万人に開かせる。 闘争本能を腐らせない刺激がある。 それがない。 武器にそれがなければ、 それなんの魅力があるのだろうか。 …これはバカの意見だろう。 ついこの間、妻が悩んでおりました。 妻は自分のライフワークである絵を描くことに悩んでいる様子でした。 どうしたんだ。と訪ねますと 承認欲求に充たされなくて悩んでいるんだ。と言い、 そっぽむきながら続けて、 承認欲求が満たされないとすぐ言葉を使って表現したくなる。 言葉は簡単にすぐ人を殴れる道具だからね。と言うのです。 (絵を描くことで武器をとらずにすんでいるんだよ。) 私には徐々にその言葉が身体中に、 有刺鉄線が食い込んでいるこころもちですw 闘争本能にまみれた血を針金が絞り出してくれるのでしょうか。 血のなくなったからだ、そして針金を纏ったわたしは何を言うのでしょうね。 それでもわたしに魅力があることを望みます。 あるいは、ただの針金細工を角度を変えて見たら針金が少女に見えてきた。 弱い男たちは弱そうな少女に群がる。そしてからめとられてしまう。といった武器の意味を考えるいい機会でした。 ありがとうございます。 これから一件どうしても決着をつけなきゃいけない些事(詩のコメント)がありまして 針金によって わたしのうちなる闘争本能や武器 それらみんなからめとられてから出発することになんとなくこの詩との出会いへ 運命的なモノを感じました。 ではではー。 よくわかんなくさせちゃったらごめんなさい。 (フィラデルフィアの夜に XXI)

2021-02-10

読み始め うわ、やだ。 詩界隈の病んじゃう憧れちゃうすぐ死んじゃう系かしらとドキドキしましたが、 一本とられたなー。 太陽の誘い笑いにつれられて わたしもほほえんじゃいました くすぐられて 身体をくねらせている その印象に生命の活力を見いだしている彗眼に感服満腹にこにこぷん。 面白かったでーす‼️ (立春の日に)

2021-02-10

そそっかしくて忘れっぽくて あたしはいつもの熊さんかと思ったけど、どうも違ったみたいだね。 嘘をつく 角はたたぬが影が立つ こいつは確かに気持ち悪ぃものです この世にうまれて 嘘もつかず角もたてずにおとなしく過ごすってのはなかなかに器用なことなんでしょう さらには道も譲らずに我が道を突っ走ろうとするとなったらこりゃ見てるまわりがハラハラしたりする。 それを本気で心配するのも、それを可笑しいねと笑ってやるのも また人情のいいところですね。 角を丸め、笑って笑わせ 道を通りましたね。お見事でやんした。 一抹のお節介なことをお許しいただければ 各ご挨拶は遅すぎないほうが好ましいと存じます。 (インチキ落語「クロソイド曲線」)

2021-02-08

月とうさぎってとてもいい組み合わせですよね。 ぴょんぴょんってわたしのお気に入りオノマトペです。 荒々しさと優しさを感じていただけたら作者としては幸せです。 実は書き忘れてしまって 後悔していたのですが 「うさぎがはねる」は海で使われるとき 白波が立つとか海が荒れるといった意味もあるのです。 昔の人はなんだか可愛い言葉を使いますよね。 しかし実際、船でそんな波のなか進むと立つことも難しい激しいことになるのですがw この言葉を聞いたのはわたしがまだ若い頃でした。何度か使ったことがあるのですが 最近みた映画のなかにも使われているようでした。「この世界の片隅に」という映画でとても思い出に残る作品でした。 なんにせよ 優しさと荒々しさを感じていただけたのならわたしの目標が福まるさんのおかげで達成できました。 お読みいただきありがとうございました! (天文潮 Ⅴ)

2021-02-05

ことば、脳を通さず言葉をクルクル出しているようなひとに憧れます。 (詩の日めくり 二〇一五年三月一日─三十一日)

2021-02-02

楽譜のように音楽用語、 メゾフォルテやクレッシェンドといったぐらいの意味で注記を置いてみました。 もちろんあらゆる解釈は読者のものです。 読んでいただきありがとうございました。 (天文潮 Ⅴ)

2021-02-02

ほんのすこし笑わせたくて こんな漫画を紹介します。 https://omocoro.jp/comic/94533/ さて読み終わった後で怒りに任せて私を非難するのも仕方ないと思いますがどうかお平らに。 私はこんな風に思うのです。 この漫画の登場したキャラクターのなかで私は誰にもっとも近しく当てはまるのか 私は多分、腰の曲がった木でしょうね。結局、守られている。 伐られた木を見ている。 どうすればよかったのか これからも腰の曲がりがなおらぬまま 生き延びねばならぬのか そんな青臭いことを思えることができるなら、まだ若さが蒸発しきってないと信じることもできそうです。 (くに想ふ)

2021-01-29

夏のカッターはよく錆びる ポケットから抜いたカッター 刃を渡る茶色い汗が床に滴る淋しさ 身からでた茶色い汗(錆び) そんなところに断酒の理由が… それをいうのはおしゃべりがすぎますね。 (断酒(三首))

2021-01-29

酔いが覚め、大事なことを書き忘れていたことを思い出しました。 そうそう。日曜日のことを触れさせていただきます。 もなかさんは「まいご」をまいごとして精査し解読なさいました。 主人公は a lost childって感じ 評のなかでいちばんいいなーと思った文はここです。 『知っているようなものを追いかけ続けるとそれが違った時に迷いは決定的になる。それならばいっそ、何も知らないことにすれば、新たな発見を得られるのではないか。  それでも、探してしまうのが人の情である。だって帰りたいのだもの。  そうして見つけた。手がかりを』。 あくまでも主人公は帰ろうとしているスタンスですよね。 そして評の最後の方で 「あるいは話者の対存在)から呼びかけられたその言葉はいわば本来性からの問いかけである。その事によって非-存から実-存へと話者は移行す」 父からの言葉がトリガーになって lost man が現実にただいま。した感じ。 わたしは「まいご」をまいごでなく、すこし拡大解釈してある脱走として詩文をとらえていました。 escapeって感じね♪ 詩文の雰囲気に本当に帰りたいって気持ちをあんまり感じることがなく、 ところどころにコツンと帰ることに小骨を、抵抗を感じるのです。 (もちろん、ちょっとヤケになって、途方にくれた心情と汲む方が自然かもしれません。 。) あえて全部失うこと、白紙にして新しく始める。リセット願望みたいな感じですかね。 それを「主人公の経験(レアケース)」と表現しました。 そうして生死は不明ですが、 後ろからの父の声、言葉によって 日曜日に気づき人間性の回復や 人間性のリハビリといったものを見ました。 そうして、現実にただいま。 したと解釈しました。 私たちは主人公の心情にたいして もなかさん帰りたい↔️すずき帰りたくない という逆さまな読解とイメージをもちながらも 日曜日の頂上で現実への回帰 日曜日の頂上で現実への復帰 という景色をちょっと雲はかかっていますがお隣同士で見たような気がします。 だから嬉しくなって書いちゃいました。長くて冗長すみません。 お読みいただきありがとうございました。 (武田地球「まいご」鑑賞)

2021-01-28

このローソクは太い 芯も太い 熱でとろけ、 こぼれる滴さえも 太い。 ドクンドクンッと脈打つローソク そういう詩のローソクから放たれるひかりに照らされてるひと そういう想像してる人の横顔がわたしの好みです。 (なんのこっちゃ) 繊細で隠しきれない、 野望に似た野太さを なぜかローソクの光の当たらないところから感じました。 (女)

2021-01-28

詩を読んで、のんのんびより気になりました。 うちの技能長(隠れアニメ大好き、顔めっちゃ怖い。性格体格野太い。)にきいてみたんですが。 「のんのんびよりって面白いんですか?」 「おめぇ、ぜってぇ面白いよ。にゃんぱーす。にゃんぱーす。覚えとけよ。見たら教えろ。」 技能長の答えは意味が分からないけど、 うちの現場では技能長の言葉は絶対なので見てみます。 詩もほんわかさわやかしました。 (ひとつ、ふたつ  ~「のんのんびより のんすとっぷ」 第1話から~)

2021-01-28

【ポップで、ふかく地(球)味。】 もなかさんの日曜日に対する解釈が 私の想像と似ていたことに喜びを感じ、謎がとけた。目が開いた。そういうとき自分に詩が溶け込んでくる。 そんな時は実に気分が良い。 評と詩でほろ酔いにままに書き出してゆくことをお許しください。酔わせたの詩とあなたなのですから。 告白しますと 私はこの詩を読んであまり興味が注がれなかったのですが、評を読み、だんだんと美味しそうな匂いがしてきました。 興味が引かれなかった理由は 「日曜日の感触と概念」と「主人公の経験(レアケース)」 それらが私の感動する糸にとっては縁遠く、自分と結ぶものが薄いということ。 しかし、この理由は最初から気づいていたわけではなく、多くの人の感想、そしてもなかさんの「評」によるものでした。 日曜日の概念は休日。解放。休息です。 しかし私にとっては日曜日が労働日なので、そういう習慣やポピュラーさがなかったため、自分の価値観を詩に押しつけすぎていたのです。 主人公の経験はかなり稀少なものだけどよくよく考えれば、気づければ誰にでもあること。 そういう風に私のカンはとらえています。 そのへんは後述をテキトーにのべてゆくことで私のカンを言葉で近づけ展開できらとおもいます。 気づけば、誰にでもあること。 (最初の景色、一般的で、少し不気味な情景を並べたのはこれから起きる超経験に引きこむための下地、手段のようにも思えます。) ーーーーーーーーーーーー まいごはまいごでも本気のまいご。 24時間という首輪外しました。 朝と夜と季節を忘れました。 嫌いという感情だけは忘れにくかった すべて知らないことは自分にとっては防御で冒険で 忘れられることは、他人とっては自傷にみえたかもしええません。 「あんた、なにいうとんのや。(お前何いってんだよ。)」 この言葉いいですよね。 この言葉を言われた時は大抵、脳みそが痺れてなんか言葉につまる。 ハンマーでぶっ叩くみたいな言葉じゃないですか。 ある日、主人公はお菓子を食べていたのかも、情報番組のテレビを見てたのかも、いや日曜日知らないことにして、働かなくてもいいのに 働くことに頭を回していたのかも あくびすら忘れてね。 もしかしたら日曜日も働いていた。 日曜日に働くことも普通で正しいことだと、休みなしで働くことは悪いことではない。と そんなときに父親のツッコミ。 「あんたなにいうとんのや」 それは至近距離の除夜の鐘 親父のゲンコツに似た言葉。 それが日曜日を気づかせてくれた。 日曜日に気づく、日曜日を迎えるって瞬間ってなんか嬉しい。 ちょっと人間らしくなる感じがしますよね? そういえば、主人公のような経験。すべて知らないことにするのはレアケースだと思っていましたが 意外と自分も知らないことにしているようです。特に季節や時間をお祝い事などいつも思い出させてくれるのは、家族や友人の部分が大きいなとおもいます。 彼らがいなければ飯くって、スマホして寝て働くだけの生活でしょうね。 そうやって感じれば、 「まいご」という作品は誰でも見るような景色と言葉で作られていて、 ずいぶんいろんな人この詩を持ち合わせることができるポップさがあるなと思いました。 (武田地球「まいご」鑑賞)

2021-01-27

こんにちは。 面白かったです。 作中の一番好きな台詞は 「僕がいたってこと、友達に言っといて。」 そんなこと、好きな人、心を許した人にしか言えないよね。と思うのですが、 主人公の恋愛観とはまるで逆で、 恋愛観、もしくは恋愛ルールにこだわりすぎたせいか 自分の気持ちには気づいたけど、相手の気持ちは気づけなかった……。 もう恋愛ははじまっていたのにね。 そんな悲劇のような喜劇のような 完成度の高い作品だと思いました。 また書いてください。 (ノリ・メ・タンゲレ)

2021-01-21

沙一さん 感想ありがとうございます。 わたしの詩を読んで人肌が恋しくなると言われ 嬉しくなりました。 人肌が恋しいと言えば、私の大学の寮歌を思い出しました。 「人肌恋し、女を買うべし、これ人生」 多分、ポリコレなる人達には… いえ、そうじゃなくても当時からバッシングを受ける歌でしたし、今はもう歌われない(うたえない)歌でしょう。 まぁ、私も歌ったことはないんですがw それしても、 人肌恋しくなる季節に なるべく接近を禁じられ、 過ごさなくてはならぬ 全世界準遠距離恋愛時代 「コロナが終わってたとしても感染にたいして 過敏で過剰な時代が来るでしょう。」 プラスチックビニルの二重包装の時代が終わったのに 今度はマスク手袋保護メガネ&フェイスシールド 完全防護姿が流行り出すのかもしれません。 さてそんな時代にどういう風に恋を重ねようかと悩む夜 団塊やグループによって作り出された歴史ある恋の影絵にそっぽむいた夜 言葉でロマン(新時代)を魅せる時代のはじまりかもしれぬと思いました。 努力だけではなく、新発想のロマンががより求められる時代かもしれません。あと2年くらいは。 50光年離れたところから 送ってますので意味が通じぬ言葉もあるかも知れませんがどうぞご容赦ください。 私も人肌さみしいときは、女を買っ……。 いえいえ、言葉でロマンの質を高める夜が増えそうですね。 読んでいただきありがとうございました。 (50光年の伝書鳩)

2021-01-21

他人の想像に任せるとなると青年になってしまう。 作者としてはつまらないです。 女性の裸のほうが美しいと思います ですが、作者としての「歪んだ瘉」としてはちょうどいいのかもしれません。 (言葉の妖精、もしくは頭痛)

2020-12-24

みやびさんへ 感想あざーす♪ そうでしょうそうでしょう。 空を叩き割る手段の現像化(言像)の実験作品でした。ついでに浮遊感を言葉によって体感なんてものを 頭に浮かべておりました。 実験はちょっと難航してますが 頑張りまーす! (月曜日のカーニバル)

2020-11-13

はだか虫 という言葉の意味を知るところからこの詩の面白さがあるようです。 はだか虫には人間という意味や 服も買えない貧乏な人という意味もあるみたいですね。 作品には全く関係ありませんが 交通誘導のことを可愛く言うと 「ニンジン振り」なぁんて言い方もあります。 誘導棒がオレンジで細長いから そんな風にあだ名がついたのでしょうね。 労働者のなかには彼らのことを軽視する人間が数多くおります。 「資格も体力も何もいらない。 ただつったってりゃ金を貰えんだからよ。」 ニンジン振りの多くは派遣労働者です。 時には雇い主から酷い扱いを受けたりもするでしょう。扱いの酷さと赤貧がニンジン振りを機械に変えたり、辛いときは虫のような心をもとうと願うようになることもあるでしょう。 80にもなってニンジン振らねば生きてゆけぬ。仕方なく。 彼の黒目がちの目を想像します。 老人のたるんだしわだらけのまぶたが疲れによってさがり、目が小さくなっている。白目が隠れ、黒目がちだ 我々はそういう疲れちゃったジジイを「目が引っ込んだw」と揶揄したりもしますがね。 笑うとジジイも「うるせぇw」と言い返してきますから。 どこもそういう関係ならいいのですがね。高齢労働者の扱いが悪いところは多いでしょう。 昨日働きに来たニンジン振りは今日も来るとは限らない。仕事の途中で病院に運ばれ二度と会えなくなったときもある。 そういうとき、私もこころを虫にしているのかもしれません。 嘆きとか、悲しむことをしようとせず、「仕方ない。」で目の前の仕事に取り組むのです。 俺もお前もロクデナシだったのだから。 --------------- 生まれ変わった. あなたかもしれない ハエを見た。 今日は殺虫剤をそっとしまう。 なかなか出ていかない虫を結局めんどくなって殺している。 面白かったのです。 また書いてください。 (はだか虫)

2020-11-12

あ、でもね。るるりらさん 大人の意味をもたせるだけに限定なんてことじゃありませんよ。 もちろん、それを含むこと+子供が読んで意味はわからなくとも口ずさみそうな詩がかけちゃったら、あなた‼️あっはっは‼️それってね。 スーパー凄詩人だと思うんだなぁ。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-15

僕はるるりらさんを可哀想と思うことがこのままでは可哀想なのでちょっと続けてみようかな。 批評ってのは花を大きくするために 余計な葉を切ることであれば、 今回は茎ごときっちゃった感じがあったで、まぁ、南雲さん‼️ドンマイ‼️あっはっは‼️ Breview全体で詩が未熟なのに、 批評だけは一流品であれ‼️なんておかしな話はありませんね。 ともに途上けっこうなことじゃありませんか。 だからるーるー、悲しんでばかりではなく、一度忘れて、他人の作品でも読むようにやってみたら? すこしだけ好意的な解釈があれば、 南雲さんの書いてあることは るるりらさんの批評というより るるりらさんの作品んを経たあとの 南雲さんの悩みという面が強い気がしますね。私にはそんな感じだよ。 私は渡辺さんの意見に近くって、一般的な目で見ると渡辺さんの意見が正鵠を得てるなぁと読んでて思いました。 「傷」というイメージにとらわれなければ 別の解釈をすればを「大人の読者に寄せた読み方」と読むことができるような気がします。 そらおそろしいは小学生の目線でも読めるけど ちょっと意味がわかんないと思う。 大人にも読めるけど、大人はこどもの見方に味方ではないからちょっと薄味って感じも気もする。そこは南雲さんも指摘していた。今回のそらおそろしいにはなんか塩が足らない。でもそこにるるりらさんの瞳があるような気もします。 いつもいつも濃いめの塩味じゃぁ、からだ壊しちゃうもんね。あはは。 濃い目のるるりらさんの作品を知っているので、そんな風におもいます。 ふふふ。濃い目のるるりらさんの作品を知りたいならみんな紹介するぜ‼️ (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-15

えーー、まだ続けるのー。 もーあたまがパンク状態だから ぽややんとしていたいけど いいよー。じゃ、遊ぼー。 始めに言っておくけど 様々な感想を信じるっていうーのはね。 この詩は一般的、つまり共通した答えは出にくい作品だろうなってことでもあるからね。お忘れなく。 ふふふ。 るるりらさんのね。引用するよ。 この詩に対して、わたしは女性として この【2 母の庭】と【4 気持ち悪い】の部分で違和感を覚えました。  まず、この【2 母の庭の章】では、「母の代わりにその庭が兄と父に与えられたことは事実だろう。」とあります。兄と父には おそらく母親の生前の姿をしっている。すると、は庭が かけがえのない人であった母の代わりにはならないはずです。にも かかわらず、詩文には「結果として母の代わりにその庭が兄と父に与えられたことは事実だろう。」と書かれています。いやいや 娘さん、貴女だけが母が 庭となり得るのでは?と、私は思いました。 引用終わりー‼️ 妹は兵庫県生まれで、生まれた日に母は死んだとある。それで引っ越して岡山県の庭付きの家にきた。 父は庭付きの家を手に入れて、 兄は文学に浸る、自分の部屋を庭に見いだしたって感じの章だよね。 むしろ、それしかないんだよね。ここ。ねー。 兄と父は生前、母の面影を知ってるてのは間違いないと思うよ。るーるーの言う通り。 でも、良い母なのか。悪い母だったのかも分からない。 良い母が妹の出産で亡くなってしまったと想像することもできるね。確かに。かけがえのない母であったとするならば、庭ってのはなんか違和感があるよね。 そう、違和感を覚えたけど、それをぼんやり見過ごすことにしたのは「結果として」だった。 それは「結果として」という言葉は 「過去はどうであれ」という風に 過去が現在の家族には特別な絆を持っていないようにも見えたよ。 そこをどんな風に我らがタコちゃん(カイト)が想像したのか一部書いてみるね。 妻(母)は不倫しまくってたから離婚して、妹には死んだことにして、親権を妻に放棄させて引っ越してきたとも想像できる。(母親は生きている可能性もある。) 別の考えで、兵庫県とあるから 大震災によって母や家族親族を失い、 それで引っ越してきたかもしれない。 それがたまたま生まれた日だったとしても、まぁ、筋は通る。 もちろん、妻をなくしたサラリーマンの父が二人の子育てのために、仕事を辞めて実家に戻ってきたとも読める。 なんにせよ。 「結果として」という淡白な書き方だから過去にあまり邪推は要りませんよと私の想像を柔らかくお断りを受けたから、ふんふんって感じであんまりそこに意味を深く追わなかったよ。 るーるーはそこに譲れないこだわりがあるんやろなー。 まっ、確かに出産と同時に母が亡くなり娘を生んだのならかけがえのない「妹」ではあるよね。 ただ、重要なのはその妹に「(引越が)何を目的としていたのか分かるはずもない」というのってさ。 ずいぶん、いろーんな意味を含ませたいやらしい書き方だよね。ふふふ。 ずるいぞ‼️芦野!!って笑いながら言いたくもなる。 過去が都合の悪い意味を持つから、妹に詳細を話さないのか。それとも、悲しみが強すぎて、話さないで忘れることにしたのか分からないけど るーるーが想像し、妹こそが母の代わりになり得るという想像も間違ってはいないと思う。 ただ、意味を決めつけるには 芦野さん(ゆかりん)の文章トリックにしてやられたなってところかな。 ふふふ。 続きはるーるーが続けたくなったら また話そうか。 おまけとして ふふふ。レイプとも書いてないし、合意上で、だなんて書いてないし、分からない。 一般的な答えはほぼ不可能だよ。 だけどね。 兄妹恋愛をタブーすることに対して歯向かう気はないけど、 すくなからず兄妹達がそういう経験があったとしても、忘れることにしたり 傷になったり、よき思い出になったり、さて、常識的には想像もつかないレアパターンでは、 日本でね、ひっそりとね、多くの人々から祝福はあえて受けずに、隠れて兄妹がひとつ屋根の下に新しい命さえ育んで、必死に生きている姿を知ると さて、幸せならばいいじゃないと思う。 だが、レイプは駄目だな。 それだけさ。 この詩を復讐として読むならば、 妹はレイプを受けた末に 精神病んじまったと読むことも可能でしょうね。 さて、この詩はレイプだったのかなー合意だったのかなー。わかんないなー。 俺の童貞を捨てたときのことを振り替える。あのとき、私はレイプでしたか。合意でしたかと己に聞いたとき。 レイプでもなければ、合意でもなかった気がしてしまうのはなぜだろう。 そんなたどたどしく、初々しいのが 初体験の魅力のひとつだと偏見に思っております。 あっはっは!! もちろんレイプはだめだ。 ポコチンは斬るべきだな。あっはは‼️ ( 推薦 芦野夕狩 「神の庭」 ~想像の導火線~)

2019-06-12

さて、言葉というものは非常に厄介だなーというのが正直な感想で、 ついつい効率的に、飲み屋にでもしけこんで、 「ねぇねぇ、あんなの笑い話さ。まさに酒のつまみ程度の話だから気にしないでおくれよ」といえたらいいのですが、 ここは居酒屋でもなければ、戦いのリングの上でもないので さてどんな言葉を使おうか ぽけーーっ(゜ρ゜)としております。 そうですなー。 例えば、無駄な批判に対しては厳格な盾のような前置きでしたが、 続く前置きの文章に 平然と無視する人々と 言葉を話そうとしてもうまく話せない人々にとって、その後の前置きは同じ槍を人々に構えてしまったのではないかと私は見つめていました。 盾は仕方ないな。俺もめんどくせーの嫌いだもん。だけど、槍は、槍は構える必要があったかな?とかるーく思っただけですが、それはつまり、私のこの冴えない文章も盾の前では黙るべき戯れことである。と結論づけることができるのです。 まためんどい誤解を受けるのも嫌だし、説明うまくねーし、だいたい文章力は哀愁亭さんのほうが上なんだから、公開処刑されている気分でこの文章を書いているのです。あっはっは‼️ そんな感じ、その後の哀愁亭さんの批評文の内容はちゃんと読んでここにかけるほど、対象作品と批評文が自分でよく見つめてないので書けることなんかありませーん。 という、大きなお世話バナシだったというわけでございましたが、一抹の疑問を残したままでは失礼かなーと思ってまた書きにきました(^_^ゞ (書物)

2019-06-11

たこすけ通信兵より あらゆる傷に対して 消毒とモルヒネを打ち、縫合する そんな詩をるるりらさんにみたきがします。自分の傷も他人の傷も喜ぶ人間ではないのでしょうね。 血で睡蓮の花を描くことは苦手としているわけです。 南雲少尉 発言を許されるなら その言い方ではるるりら衛生兵に向かって強襲部隊に入れといっているようなものですよ。犬っころみたいに死ぬのは見たくありませんね。 ただ、衛生兵にしてはまるで戦争好きのような態度が俺の鈴を鳴らしたけどね。すこし言い過ぎだな。 るーるー、 南雲さんは文学の途中にあると書いてある。 ただ、南雲さんに当てたドストレートような言葉だけで書く詩もたまにはいいかもね。 ただ、傷が開いた瞬時に縫合してしまうのは長年の性(サガ)というわけでして あっはっは‼️ (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-06

なかなかにソクラテスや小林秀雄の書物というのは(ソクラテスの場合はプラトンの覚書かな) 我々にとって脱出しにくい問いを その問題を至上とさせる魔力があるような気がいたします。 だけど、彼らが生きて書物をかいていた頃に打ち出した我々が脱出至難な問いをたずねる時 彼らが理路整然に言葉だけのちからに 頼ることはせず、目配せや、微笑み、身振り、手振り、そして口調によって 我々に残された問いに対して 一緒に悩む姿を私は想像することがあります。 いくらか質問していくうちに相手も自分もこんがらがってきて 「やれやれ、まったく君は詩人だねぇ。」 なんて呟くこともあるかもしれませんね。 好きになった映画や詩から その同じ作品から得た様々な感動を分かち合うことはやはりいいものですね。 文字の答えは同じにならないけど 得たモノは派生元は きっと似たり寄ったりだと信じております。 だから、あなたが喜んでくれたから きっと私はずっと嬉しかったのですよ。 ふふふ。正直、哀愁亭様の批評文を読んでいたから、 こんなに優しい感想をもらうとは思っていなかったので 少し、ギャップ萌えというものを実感しております。 あっはっは‼️ (書物)

2019-06-06

もし影絵でなく光源をみつめた人が影絵を見つめてる人々に、話す言葉があるとすれば… 今、文字を見たあとに目を閉じる 私はヘレン・ケラーになっている ヘレン・ケラーより有利な身体的健常を持ち合わせているはず だけど、我々のクオリアを何とかして同じものを共有していると信じたくなるし、反対に感じることすべてに他者に渡る共通了解性に疑いを持つのは当然だと揺れる。 本当は僕たちは味うことを 味うことに自信がないだけなんじゃないかと思う時がある。 そして触れることぐらいでしか信じられないという崖っぷちに私はいる。 ほとんどのひとがその崖にいるだろう。 けれど言葉を信じられなくなったとしても僕はそれを味わう舌を切らないだろう。 触れる、その手から伝うこと 見える、目から伝うこと 僕は古代の人々が信じなかった光源をみたんだ。ほんとだよ。 だから、言う。 正確には光源ではない。 ひとりひとりが身体をつつむ細胞膜のなかで好き勝手に酸欠になることに喜びや悲しみという名札をつけたあとに幸せをとりもどしている奇妙な姿だ。 この我々をつつむ細胞膜は基本的には多幸感へ育つ芽がある。だが、多幸感だけでこの世の生物は生きてゆくには幸運を必要とするだろう。マンボウは相当ラッキーだ。 原始時代より危機を感じる力が我々を生き延びさせ、知恵を覚える機能が発達したが、多幸感の芽を持つ我々の膜の感覚は双葉となり、様々に枝分かれしてゆくことにさせた。仲違いの数は生きれば生きるほど、様々な感情に枝分かれする。枝分かれした結果、僕らの感覚というものは、本当に個性的となっている。 僕らは感覚というシャボン玉のような細胞膜に身体をつつまれている。 誰ひとり信じてくれなくなっていい でも僕は見たんだ。 窓の外に飛び出したんだ。 どうもごらんのとおり 光源をみつめたせいか 狂った人間のような言葉しか出てきませんでした。 あっはっは‼️ 半分知的ギャグ 半分、作者様のみた「他者と自分の間にある崖」らしきもの、それをつかもうとする挑戦に魅力を感じ、 お察しのとおり、上手にまとめることはできませんが ぽややんと思うがままに書いてみました。 (書物)

2019-06-04

あー、大丈夫大丈夫‼️ 感想いってる自分も理解できているかあやふやだもん。あっはっは‼️ ただ、お経の「経」という字は「たていと」から来ているらしいといいます。 お経というとやれ宗教かと 神経質なかたもいらっしゃるので たとえヴぁ 「詩経」の「経」であったりもします。明日から使えるトリビアです。 では、一旦ここできるといたしましょう。不思議な繋がりがいつかまたあると信じて。ではではー‼️ (きるという時)

2019-06-04

原風景 人の心にある原初の風景という言葉が 頭のなかに浮かびました。 だいたいの人間が嫉妬というものを生理的に嫌い、隠者(世捨人)めいた性格になる。そこで一生を終えたり、嫉妬にたいしてどう付き合おうかという考えも、行動も、やせ我慢せずもに諦めてしまって「嫉妬ロードof人生」に染まる様子を見せる人も少なくない。少なくないってことは完全に悪いことじゃないかもしれませんがね。あっはっは‼️ 言い換えると、嫉妬のない人間は嘘くせえ。嫉妬を完全悪だと決めつけるのはどこぞの教祖様の訓戒的な言葉に見えて邪魔くさい。 生の感情を書くことで認めてやる。 切り捨ててやりたいけどそれは出来ない。ただ、一息区切る。までの過程。そんな風にこの苦しみの詩を見えました。 私の友達のベルたんと今、そんな話をしています。 嫉妬について 三木 清 さんという方が書いた古代の文章をベルたんが読みやすく編集してくれたのでご紹介させていただけたらと思います。  嫉妬について   もし私に人間〔が性善〕であることを疑わせるものがあるとしたら、それは人間の心における嫉妬の存在である。嫉妬こそベーコンがいったように悪魔に最もふさわしい属性である。なぜなら嫉妬は狡猾に、闇の中で、善いものを害することに向って働くのが一般であるから。  どのような情念でも、天真爛漫に現われる場合、つねに或る美しさをもっている。〔しかし〕嫉妬には天真爛漫ということがない。愛と嫉妬とは、種々の点で似たところがあるが、先ずこの一点で全く違っている。すなわち愛は純粋であり得る〔のに〕、嫉妬はつねに陰険である。 〔・・・〕ひとは自分〔で勝手に妄想し、それに対して〕嫉妬する。〔・・・〕 〔嫉妬には〕自分も彼のようになり得ると考えられることが必要である。〔・・しかし〕嫉妬は、嫉妬される者の位置に自分を高めようとすることなく、むしろ彼を自分の位置に低めようとするのが普通である。 嫉妬がより高いものを目差しているように見えるのは表面上のことである、それは本質的には平均的なものに向っているのである。この点、愛がその本性においてつねにより高いものに憧がれるのと異っている。 〔・・・〕嫉妬は他を個性として認めること、自分を個性として理解することを知らない。一般的なものに関してひとは嫉妬するのである。これに反して愛の対象となるのは一般的なものでなくて特殊的なもの、個性的なものである。  嫉妬とは〔・・〕平均化を求める傾向である。   〔・・・〕英雄は嫉妬的でない〔と言うが〕彼等においては功名心とか競争心〔がそれに代わる〕情念〔になっているからなのであろう。両者は同じだろうか?〕〔・・・〕功名心や競争心はしばしば嫉妬と間違えられる。しかし両者の差異は明瞭である。功名心や競争心は〔公共的な意識だが〕、嫉妬〔心〕は〔公共意識がなく、全て〕を私事と解して考える〔からだ。〕  嫉妬はつねに多忙である。嫉妬の如く多忙で、しかも不生産的な情念の存在を私は知らない。  もし無邪気な心というものを定義しようとするなら、嫉妬的でない心というのが何よりも適当であろう。  自信がないことから嫉妬が起るというのは正しい。〔・・・〕 嫉妬心をなくするために、自信を持てといわれる。だが自信は如何にして生ずるのであるか。自分で物を作ることによって〔である〕。 嫉妬からは何物も作られない。人間は物を作ることによって自己を作り、かくて個性になる。個性的な人間ほど嫉妬的でない。個性を離れて幸福が存在しないことはこの事実からも理解されるであろう。 ――――――――――――●〔引用終了〕 嫉妬という原風景に一筆書きくわえたあなたの作品に興味をもち、これも何かの出会いかなということで 厚かましく、暑苦しい文章でありますが私なりのご挨拶として感想を書かさせていただきました。 どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。 (あの子)

2019-06-04

なんとなく自分が面白いと思った理由がコメントをいただいて分かった気がします。 マルドロールの引用と 詩全体に流れる破壊へ向かう 自死へ向かうような素振りではあるが 蛙のしっぽの細胞が成長のために死んでゆくような「アポトーシス」を感じました。 そして、ピラミッドを形成したはずなのに、蛸の出現により、その円錐めいた触手でピラミッドの頂点から下に向かって張りつきながら滅ぼしてゆくイメージが重なってありました。 そうそう、タコといえば 僕の友達にるるりらさんというひとがいるのですが、タコについて教えてもらったことがあります。 それはタコは「目」の神様らしいですよ。 周囲360度近くみれる目は とても目が良いように感じますね 物事を多面的に見る意味を含んでいるかどうかはさておき 私の右脳に響いた感触を にゅるにゅるとのべさせてもらいました。 (海のポエジー)

2019-06-03

ピラミッドの頂点に君臨するのが蛸と書いてあるので不思議だなーって感じです。そこがこの詩の面白みなんだろうけど、まだ上手に消化できないまま書き出しております。 マルドロールの歌というのは 最初に今までの考え方をぶっ壊して 徐々に、言語能力を取り戻して行くみたいな解説があったのでそんなかんじなのかなと思いました。 ぽややんと辛口に てきとーにかかせてもらえれば 三角錐の水槽では 水の生き物にとっては不便だ 円錐の方がぐるぐるまわりやすいよなんてくだらないことを思いました。 地上に捕らわれた人間の考え方ではないかと同じタコとして思いました。 半分冗談で、半分、人間目線だなと思うところがあります。 蛸ならば、形は選ばないから 確かにピラミッド形でも気にしないだろう。 だが、蛸の吸盤は張りつくためにあるのに、吸い付くとかかれているところになにか疑問を感じるところがありました。 ありがとう、さようなら。 じゃ、食べられちゃったのかな。 そんな感じでふわふわ読んでおります。 お話をすすめてもらえたら この詩が好きになりそうなので 感想を書きましたー‼️ (海のポエジー)

2019-06-02

るるりらさまの実験を私がやってみたところ、視点が「と」と「つ」に集中されやすいのではないかが仮定でした 実際に「と」と「つ」に自分の視点が集中しやすいです、確かに光の筋道が通るようでした。 それはまるで私には 終わるまでに通ってきた道。 終わるとは常に始まり続けていたことが無くなる。道が進まなくなっただけ。とも思えます、 ですが、道筋というものはまたあらたに光を浴びたときに るるりらさまの言われたとおり 滑走路なるものかもしれません。 。 あと性性ってなんだろうと調べてみましたら、中国語だったことに ちょっとおしゃれな書き方をするなぁと頭が下がります。 (終り)

2019-05-14

ふと「きる」の反対語はなんだろうと調べて参りました、 それは「つなぐ」という言葉でした。 きるとつなぐ どうもおもしろいと感じます。 おもしろいと思ったのはきる時は やや物質的に切っています。 知覚可能な世界を横切るように 同時にやや精神的に繋がりが、知覚不可能な結び付きの縦糸が始まっているように見えたのです。 (きるという時)

2019-05-14

君と、君とよぶ存在の間に 愛しい眼差しがあるが 理想と現実に耐えられないほどの崖があるように感じました。 理想と現実の違いはちょっとした事なのですが何故か重たいですよね。 「永遠の命はいらないけど 若さには固執する」 「頼りない腕に夢だけを抱いて 新しい命を繋がなくても 、繋げなくても私は私のままに」 なんとなく想像するかぎり 新しい行き先に向かうことに 恐れを抱いているのか 勇気を奮うためにあえて私は私のままにと宣言している姿が私には映りました。 (壊死する夕暮れ)

2019-05-14

「負けない事は強いことじゃない。負けない事は弱いことでもない。うまくいかったりいかなかったりを庭先で感じられるように、強くつよくありたいのだ。 ここじゃ見えない世界だって見えるようになりたいのだ。」 僕はこのことを自分の引き出しと呼んでいます。経験によって様々な事が考える。他人の引き出しを盗みとることだって時には辞さない。 なんのためかといえば たぶん、勝ち負けがあるということは 僕も同じで「遠い挑戦のために」 今も、今日も、負ける。 明日も負けるかもしれないが 強くつよくありたいと願います。 タイムリーな言葉 自分だけにあてた言葉であったら こんなにつよくなれないでしょう 見えぬ誰か、それは結局自分になるのか、本当に誰かのためになるかもしれません。 ただ、私のなかでは、この言葉がつよくなりました。 (無名)

2019-05-14

あ、ポコチンじゃなくて舌だった。さーせん。読み直してきます (神の庭)

2019-05-07

ひととおりよんで ゆがんだ「癒」 兄妹の密かな儀式というものが頭に浮かびました。 ただそれは心理学みたいに共依存なんて簡単で馬鹿馬鹿しい名札がつけられないためににそういう言葉を感想に当てました。 この兄妹の置かれているひずみのある環境でただしくいきろ!という冷徹さが僕にはないため この兄妹を許すとか認めるなんて言葉が使えないほど、かやのそとにいるというのがわかります。 さて、あまり文学的教養はありませんので僕、個人の引き出しで気ままにいうならば もし妹と結婚して 義理の弟として兄になにかいうならば 最初は(兄を)脅してぶっ潰そうかと思ったけど、妹は絶対復讐なんて思わないのでしょうね。兄妹にはそういう話はよくあるらしい。 ゆがんだ「癒」が、 密教的なの儀式の秩序が 時に不条理な環境を生き延びさせる 義理の弟からすれば、とてつもない環境。世界が違う。 そんなふうにかやのそとから けして、そのかやのなかに入らないようにする。義理の弟として思うのでしょう。 ただ、なぜ兄が自分のポコチン?金玉をちょんぎる奇行におよんだのか そこは想像が拡散してまとまりがつかないのでいつか誰かちょっとヒントくれるか、僕のぼやけた視界のピントを合わせてくれる感想があるともっと深く読める気がするので楽しみに誰かの感想を待ってます。 (神の庭)

2019-05-07

妻と歩いていたとき前から歩いてきた女子高生ふたりが 魔法少女まどかまぎかのお話してて すごく気になってアニメをみたらすごく面白かったのを覚えています。 僕は魔女が出てくる狂った世界が好きなのですが、妻いわく、よくできたSFアニメだなぁと珍しく感激しておりました。詩に共感出来る知識と記憶もないのですが この詩に盛り上がれるまどまぎファンの熱い想いを楽しみに待っていますね。 (Anonymous Black (coexisted ver.))

2019-05-06

線路のラインと アプリのラインと エスカレーターの列から 様々なラインをイメージして 最終的に行間を読む 言葉にされなかったものごとを読む そういうおしゃれな意味を込めて Lineなんだろうなぁと読んでいます。 僕たちは まだどこかに つづいている 仲間たちと離れ離れだけど 仲間のひとりひとりが駅(ターミナル)ならば、レール見えなくてもは繋がっているからね。 え、そんなこと文章にするなって? 行間を読んで人それぞれのことを思えばいいのでしょうね。 ごめんねー。おじさんだから思ったことをついくちにだしたくて,うふ。 (Line)

2019-05-06

誰かが死んだとき。 その死んだ人が自分のなかに生きるなんて言葉は映画の台詞で使いふるされてきたかもしれませんが、 この「体験」がなぜ廃れず、続いてきたのか ふと、昔かんがえたことがあります。 いや、嘘つきました。読んで今考えました。でもなかなかの自分を納得させる言葉なので続けます。 私のまわりも結構人が死にます。 そんなとき死を考えると 死のイメージは膨大で自分の手には収まることも いや、視界にもおさまりきらないほど大きく、重たくのし掛かってくる空みたいなもんでなかなか怖く、手強いですが 死んだ人の癖や言葉が映像と声で聞こえるとき 死が重たいとか膨大さ、恐怖を感じることは少なくなり、なんとなくつかみきれない死、恐怖もすくなくなります。突然だったけど、それはそれで良い別れかただったからかもしれませんがね。 今から書くことはものすごく分かりにくいですがなぜ死んだ人間がこころのなかにあると力が湧いてくるのかそれは謎でいいのかもしれませんが こんな風に思いました。 宇宙全体ほどのつかみきれない死が、誰かが死んだときに私の心で生き続ける死になって、 まるで自分の分まで死んでもらったかのように、死の大きさがコンパクトになった感じがあるのです。 まだつかむことも知りえることはないでしょうし、 コントロール出来ることも無理な死ですが コンパクトになった。 その体験は仕事では役にたちませんが生きる私にはずいぶん死によって活かされるときがあるのです。 いや、ほんと。 (わたしの龍)

2019-05-06

最近、不条理なものが多すぎて 不条理であることが不健康とおもえなくなり、不思議に思います。 不条理はよく使われますが 条理って言葉がなかなかに使われない、あれ、条理って言葉は昔からあんまり使われない。 じゃぁ、不条理って言葉はなにか特別なものを感じます。 まだなにかこの詩に出来そうですよね。そんなふうに不条理って言葉がささやいているように思えます。 (X_Y_Z)

2019-05-06

ふと神話を匂わすけど 神話のなかに、日常がふわりと入ってきて 単純に、 カユイって言葉って遊ぶ詩なのかなと思いました。 でも歴史がひっくり返るほどの 何かがあったんだね、そうか なんだろう。となんかいか読み返しましたが ついぞ、その答えにはたどり着きませんでしたが カユイって言葉はアトピーと一緒になって詩のなかで野菜と一緒に生きている感が好き。 (歴史?)

2019-05-06

きついという言葉がこの詩にはある意味ぴったりなのかもしれません。 憎悪だけで書くことによって、うっかり私の筆足らずで「中和」を忘れてしまった。 私の心のなかでは大人も子供も傷つける詩ではときには大人も子供も逆上させるだけにすぎません。虐待の叫びにたいして私が叫んだとしても、その叫びはおとなであれ、こどもであれ声が大きいほうが意味もなく強いだけです。 というのが今回の学んだことでやんした。 だから、自分の詩への返詩で 中和することが 私の宿題と相成りました。 石村さん 感想ありがとうございました。 読んでいただいたけど 肩を凝らせてしまったと思うので なるべくほぐす方向で詩を考えてみます。 (おとなのおもちゃ)

2019-03-11

しばらく虐待関連のニュースは続くでしょうね。 先ほど六歳の少年が三歳の少年を母親からの暴力から救うために、ネットに動画を投稿するニュースがあがりましたね。 そういえば惚れた男にだけ話す女の話のなかには親から仕打ちをうけた聞くのも話すのもはばかれる内容がいくつかありました。 女の話を聞いた末に抱くことによって 何もかわりはしないでしょうが バカな男は奇跡かなにか期待して 抱くこともあったと思います 恋人として友人としてときには 求められた末に父親がわりとして 彼女達のなかには身体が成長を拒んだかのごとく少女っぽい体つきなのが目に突き刺さった記憶があります。 今回の詩に出てきた少女は ひとりではなくて割りと人数が集まってできた少女でした。 彼女たちは今も実在し、生きています。 もう少し、上手に仕上げてあげたかったんだけど、仕方なし。下手ピッピー。 世間のニュースでちゃんと詩人の人たちも動いているからこの関連の詩はもう書かないと思います。 https://twitter.com/sechanco/status/1103812784322539520?s=19 三浦さん 読んでくれてありがとうございました。 追伸、私はまだまだ、親として未熟です。 自分が未熟だなぁって思うとき。 自分の親も未熟だったんだなと思うときがあります。 ですが、虐待をされたことしたつもりもありません。よ。 (おとなのおもちゃ)

2019-03-08

そーゆーことを含めて 雲にのって というタイトルが 国や考えや土地にしばられないものに つながって… なんといえばいいんだろう うん。楽しいよ、 この 雲にのって って詩がさ。 好きになった。 (雲に乗って)

2019-03-05

ふとしたときかつてのパートナー(恋人)に 「私といるより友達といるときのほうが楽しそうだよね。」 と言われたときに自分の心のなかで青年が生まれた。 その青年は饒舌でその場その場を適当な答えでやり過ごすけど、あとでひどく悩んで別の答えを探そうとする青年だった記憶がある。 それをまさかサミュとは呼べないが…。 悔しさまぎれに書かせてもらえればサミュの仕草にはいちいち詩がある。 、とでも詩のサイトらしく言えばいいのだろうか。 それは恋愛の母国で馴染めず、友好の国家にとまどいながら、次第に安堵をみせる姿は、乱暴な言い方だが、 どちらの国家にも外国人扱いされている。 このサミュの仕草は 我々にも普通に存在するが 気づいていながらも見落とされる、 忘れ去られてしまうという仕草に感じる。 それは私たちがファッションを選ぶ様にきらびやかな恋愛至上国家、もしくは友情という刻印(エンブレム)を命に変えても守り掲げる馬鹿げた国家に属する限り、つまり恋愛や友情の常識というものに疑いなく享受している限り、 気づいていながらも見えにくい、そしてすぐに忘れてしまいがちな仕草がサミュにある。 ずいぶん前、セックスしているとき うっかり、ものすごくうっかりそのときのパートナーに対して昔の別のパートナーの名前で呼んでしまって大変な目にあい、セックスどころではなくなり、パートナーとの関係が修復できず、 パートナーが「心が凍った。」としか言わなくなってしまった。 あわわ、俺は目の前に一人の詩人を誕生させてしまったとして落ち込んでいたところへ ある女が、ふいに私もそういう経験あるよと呟いた後で沈んでる私に続けた言葉は今でもハッキリ覚えている。 「まぁ、セックスしているときは頭バカんなってるからね。」 この言葉の持つ鋭い眼光と叡知は落ち込んでいる私にとっての雲だった。 そうだ。恋愛なんてのはうっかり勘違いして相手にときめき、セックスしてバカになることじゃないか。恋愛を至上に考えるだの、粘膜の擦りあいにすぎないセックスを異常に美しく考えたりしないでいいんだ。 だが、しかしそういうことが俺は大好きなんだ! さて、別にこれは私の破天荒自慢のためにこんなくだらない話を皆様にお披露目しているわけではなく、恋愛には混乱という要素が少なくとも誰にでも存在すると書きたかっただけなのだが、ご理解または共感いただけるだろうか。 混乱の末、不幸な場合には人間性すら破綻させる一面をもっているのが恋愛だ。 詩にもあるように破綻した人間を復活させるのも恋愛の役目は大きいと思う。 花音/Kanon-K様が今月投稿された詩のなかにもあるように、好きには毒が存在する。まさしくそのとおりだろう。 変わって平和を唱える友好の国との対比は面白い。 町中で友好の像を見たことがある人は多いと思うが、非常に感銘を受けにくい糞つまらない像だというのが私を含め、ひねくれた詩人ども、わが同胞の共通了解事項ではなかろうか。 私のごく個人的思想では友好の像など友情に対する過剰包装であり、友情の像を建てるなら、友情の像をぶち壊すのも友情である。 ましてや、まるで会社設立10周年を記念して、11周年を記念して、次は12周年を記念して……と次々銅像がたてられた世界は恋愛の国同様にイカれた世界だろう。 さて、話も別の話になってきたし、長くなってきたし、直感も鈍ってきたし ここらで終わりたいと思う。 ふたつの国ではさまれたサミュが外交官として、科学という国を越えて生きる道をみんなが愛してくれるところが嬉しく、射精をしないところに寂しさと矜持と、厚みがあるなぁと思いました。 (雲に乗って)

2019-03-05

修正します。 墓の主のために手向ける× 墓の主に備えてあった花は○ (惑星最後の日)

2019-03-05

ショートロードムービーのように 楽しみながら読んでいます。 今はもう閉館してないのですが、神奈川県横浜市にブリリア・ショートショートシアターという映画館がありました。 世界中で作られる短編作品をとりあつかっており僕はそこがお気に入りの場所だったのです。 ショートムービーは 実に短編詩集とよく似ていると思うのは私だけかもしれませんが 短編詩集を読んだあとの心に残った映像と映画で目にした映像を思い返すとき、 思い出せる、もしくは心に残った映像は実に短い。短いながらも確実に強く思い出に残っています。 それがなぜかは分かりませんが、 心に残り易いのがショートロードムービーや短編集の魅力のひとつなのかもしれません。 惑星最後の日 それを期待しながら死んでいった墓の主のために花を手向ける すぐにその花は惑星と終わりをともにする自分の手向けの花にでもあり、ふたりのための、ふたりが仲直りするための手向けの花とも想像を膨らまし過ぎかもしれませんがそんな風に見えるような気がしました。 (惑星最後の日)

2019-03-05

あ、やっべー。 塩対応のくだりは冗談めかしたつもりで ある文章を、みうらさんをからかうつもりでの意味の文章をくっつけてまろみをつけてたつもりだったんですが スマホの電池切れで一度、文章を書き直した結果。その文章が抜けてました。 抜けたことによって、ちょっと厳しめの釘をさした感じとして読むひとに受け取られることをおそれているので あやまりにきました。 ごめんなさい。 責めるつもりは毛頭ありやせん。 今さら、その文章をくっつけても 余計読むひとにとってわからなくなってしまうので、ここらでひっこみます。 すみませんでした。 (隔てる)

2019-03-05

詩をなんどかパチクリ読んでおります。 感想トップバッターみうらさんのこの詩に対して自然に読み取る方向は最初は私も同じでしたが、どうも作者様の塩対応をみる限り、同じ轍を進む勇気もないので方向転換してみます。 私は自然ではなく 孤独の発生というところについて 詩を想います いつ孤独を覚えたのだろう。 ただ孤独を知るようになるのは物心ついてからだろう。 覚えたところはどこだろう。 詩を読んでなんとなくぽややんと考える。 それは間違いなく母胎から隔てたときにこそ孤独をおぼえるだろう。 ただ、生まれたばかりの赤子の知覚はおぼつかない。孤独をどうやって覚えたのか。それは、あえて書くなら「魂」が先行して、そのあとを追うように赤子の知覚と身体がついてくるのだろう。 純度の高い孤独とそれとは正反対のもの。 生まれた直後の赤子には孤独とそれを包む反対のものが嵐のように吹き荒んでいるのかもしれません。 孤独が存在を示しつつ それを包む、遮る反対のもの 生命の誕生はやはり壮大です。 さて、こんなことを書いても孤独に近づくことはできませんね。 詩からもだんだんと離れているようなのでおしゃべりはこれまですね。 最後に僭越ながらもアメリカの詩人の言葉をご紹介させていただければとおもい。指を置きます。 孤独について立ち上がって語るとき 孤独は生き物のように逃げてゆくが、 ひとたび語るのをやめたとき 僕らは孤独で出来た椅子に座っているのだ。 (隔てる)

2019-03-05

ふふふ。 ミラクルワールドではユタの仕事はキラキラしてる感じがしますね。 そうそう、ゆたのたんとんのベースとなった言葉ですが、【ゆたのたゆたに】の意味はゆらゆらと漂うという意味ですが 僕はここでたゆたにをたんとんにして 語感に「きざみ」の味付けをしたことで 仲程様のミラクルワールドへ出発するための汽笛になったことが嬉しいですね。 ゆたのたんとん 風にあぶみをつけて ゆたのたんとん 馬車道をはしりだす 弧を描く草笛を追いかけて 透明な郵便馬車は リズムよく ユタノタントンタントントン ユタという職業をみて 私もミラクルワールド展開してみましたよ‼️負けませんよぉ‼️どんとこい‼️ (なんのこっちゃ。あっはっは‼️) このとおり 「ゆたのたんとん」という言葉は 汎用性が高いので、仲程さまが使いたくなったらどうぞご利用ください。 特許はありませんから、使用料はありません。バーで出てくるカクテルの名前と同じで、最初にオリジナルのカクテルを作ったバーマンの名は残らんけど、名前や言葉が残ったら楽しそうですよね。 そしてそんな風に素直に 「ヘンテコ‼️変なの‼️」とあどけなく笑っていただけた様な感想をいただけたことに感謝でっす‼️ (天文潮Ⅳ)

2019-03-01

こんちわ‼️ お読みいただきあざーす‼️ いりあひのはまべ の歴史的かな遣い。 特に意味があるのかといえば、 あまり意味はありません。 おいおいマジかよと思いでしょうが ほんとほんと。あっはっは‼️ ただ説明させてもらえれば 文字で読めば 【いりあひ】 意味は夕暮れとか日が沈むごろ かっこいい言い方では黄昏時 とゆー意味です。 文字で読めば 夕暮れの浜辺という意味で解釈できます ふつーですね。 けどこれを声で読んだ時 そして誰かに読み聞かせるとき 読む人は「いりあひのはまべ」と読んだはずが 聞いた人は「入江の浜辺」と勘違いしたらそれはそれで面白いなぁと思いました。 だから歴史的かな遣いにしたのは 「いりあい」だと母音が強く勘違いさせづらい 「いりあひ」にした方が「ひ」を声を弱く読む傾向にある。たぶん。 そしてそれを聞いたひとが「入江」と勘違いする人が多くなるんじゃないかなと ちょっぴりおふざけしております。 ね。あんまり意味ないでしょ? ふふふー。 タイトルのⅣですが シリーズものといえばシリーズものです。 それは同じタイトルで何回か書いています。ただ、タイトルになかなかに内容が近づけないという悩みがあり 自分が成長したかもなって時に記念してこのタイトルで詩を書いてます。 だいたい4回目。だからⅣなのです。 最初に書いたのはもっと幼い感じですが 今回はなるべく静物画のようで 動画っちっくになれたらなと矛盾してますけどほんとのことですー。 ふふふー。 ゆたのたんとん ってちょっと可愛いでしょ(*≧з≦) (天文潮Ⅳ)

2019-02-28

自分がこの詩を読んで ふと頭によぎることがありました。 答えを熱烈に求めている訳ではありませんが、死のスケッチのなかで、なぜ肛門を言葉に選んだのだろうということでした。 普通の人は肛門という言葉を聞けば抵抗があるでしょう。そこをあえて使う理由。もしかしたらなびかの経験の裏付けがあったのだろうかと想像したりもしています。 肛門ときいて こんな話を読んだのを思い出しました。 体が不自由になり、手足が動かなくなった人がいた。最初は口で会話もできたが、口も動かなくなり、まばたきで話をする。まばたきすら出来なくなったらどうするか。 それは最後は肛門の筋肉の伸縮をつかっての合図という話です。 肛門には排泄をする機能以外の他に肛門を使った意思伝達という機能を知ったとき、私の肛門にたいするざっくばらんに汚いというイメージが少し変わりました。 もちろん、その話は体が不自由ながらも 生きている人間の最後の筋力の話であって、死人の最後の筋力が肛門かどうかは別の話です。 そられと同じというわけではないでしょうが湯灌をされているなきがらの詩の前で生きている人間の常識だけでとらえてはダメだろうなと想像しています。 つまり死人と生きている人間は別物なので生きている人間の常識で死人の清められた、それは純潔ともいえる肛門を、汚いなぁと感じるのはナンセンスなんでしょうね。 さて、しかし脳ミソパープリンのわたしにはこの詩を感想という文字に置き換えることは不可能だなという確信もありますのでここらで退散いたしますが 詩を読むなかで 死んだ人間にも意識が残されており それは雨のように降ったり だんだん、死後硬直を匂わすかのように雪へ変わる。 意識は無意識を具現化するがごとくをつかめるようにかわっている 生きている頃は、追いかければ消えて行く無意識が死んで行くことによって 不思議なことに生きている頃より 意識というものが純度を増している そういう雰囲気を感じました。 そしてその雰囲気がどうにも、 たぶん死んだらこうなのかもなと 不思議と納得もしているのです。 飛躍的に解釈しておりますが なにぶん、生きている人間の解釈なものですからどうぞお平らにお願い致します。ありがとうございました。 (湯灌)

2019-02-28

※うさぎがおどる 波が荒れていること ※星糞 黒曜石 ※ゆたのたんとん ゆたのたゆたに、をベースにした造語 もしくはスタッカートスラーをイメージ (天文潮Ⅳ)

2019-02-21

詩にはあんま関係ないけれど 存在を証明できてよかった。 そんなつまらないことと 言われることですが そう、私は思いました。 ただ、叔母の証明できなかった場合の 今後、想像できるゆくすえは あまりに割りきれぬ寂しさの 世の中なのだよ。 第三者はなにもできない。 別れもおはぎをもってくるきともできなくなる。 さびしく、ぼたもち食う度に思い出すのだよ。と想像し 騒々しい自由の女神に ほほえみます。 (よしっ。いや、ちょっと マテ。 *)

2018-11-17

はじめまして 鈴木海飛ともうします。 Breview内の企画で弓庭夜話(10月24日水曜日 21時より)にこちらの作品を推薦するべくご挨拶にまいりました。どうぞ ご了承ください。 不躾でございますが詳細につきましては、ここは批評と感想を書く場なので控えさせていただき フォーラムを参照していただければと存じます。 作者様の来訪は我々メンバーとしても歓迎いたします。 見学も随時募集してますので ご都合の良いときにお声かけください。 それでは失礼いたします。 (さよならの角度)

2018-10-21

こんにちは。 あづさのところで紅茶猫さんの詩を読んでから紅茶猫さんのことがずっと気になっておりました。 若干、緊張気味で文章を進めていきます。でも感想なんで短いっす。 虹のふもとを目指しても届かないように 死ぬことなんてあんまり気にしていない主人公です。 一方、蛙は主人公の旅路を追ってきたわけです。 主人公の旅路には主人公を取り巻く記憶があったでしょう。 蛙は記憶にあわせて自分のからだの色を都度、変えたかもしれません。 さながら虹のように。 蛙は過去から現在の主人公を追うもの 主人公は現在から歩みをすすめるもの この二つが帰結するものは 「死」か「天国」または「奇跡」なんて言葉が似合うかもしれません。 そして虹は光の屈折率により多彩な色を私たちに目にみせます。 蝋燭の明かりにだって虹はある。 蝋燭だって見えてるそばから明かりがあるかぎりなくなっちゃう。 そんな風なことを詩から思い描くと 詩の文章において「蛙」の置かれた場所は1ヶ所。詩の真ん中あたりおいてある。 これがいいなといもいました。 ちょうど生まれたときから今という 現在の人生の半分位かに置かれた蛙は主人公を追いかける存在という感じがして Ex.30歳(主人公)蛙(15歳くらい) 現実的にしっくりくる存在感があるのです。わぁ、てきとーですいませーん。 (虹)

2018-10-15

全滅ってさー。 詩ではどーゆー意味か分からなかったけど Wipe out って意味で読むとなんか広がりを持ちました。 全滅させる 汚名をそそぐ おけらになる。すっからかん。 この意味はちょいと意訳すると つまり、歴史の闇に葬りさってやる そういう意味として、皆様の感想を交えてこの詩をよんだときにたちのぼるものが地味なようで、実はギラギラとこちらをうかがっているようでした。 (0. my world.)

2018-10-15

俺もボルカさんに賛成ー。 大賞は1位と2位はあっていい。 あとはノミネート作品でいいじゃんって感じ。 例えば、空手とか柔道ならさ。 仮の話だけど、試合前に審判(選評者)から黒帯に認定された選手(投稿者)が試合にでてね。 試合終わったあとの表彰式で大会主催者(運営)にこうやって言われるのよ。 「おめぇは、人気も実力もないから茶帯(優良)に降格な。 すまんな。ルールだからよ。 まぁ、どうせ来月の試合が始まれば皆白帯スタートだからよ。 あんまり気にすんなよ。」 いやいや、誰だって気にするでしょ。 なんで、審判のジャッジを開催者がくつがえすのよ。あっはっは。 こういう書き方誤解を招くといやだから言うけど、 俺も現行のルールでも構わないよ。 そういうゲームだと思って好きで参加してるもん。 ルールだから俺は負けたときに諦めることはできるよ。 けして恥をかいたなんて思わない。 そして誰かを大賞に推すときも自分の好きを通す。 票がとれそうという理由で作品を選ぶなんて絶対やらない。いや、やれない。 聞こえのよい選評を書くためにわざわざ、100作品以上読まない。好きな理由を書く。 ハナシを元に戻すと、悔しいのは1位になれなかっただけで充分。 降格なんてトドメは要らないじゃないかな。コメント数を活性化させる方法は別にあると思うの。その答えは知らないけど。 そんなに選手も審判も痛めつけなくてもいいんじゃないかなぁ。 月がかわれば皆白帯なんだしさ。 (《ビーレビへの意見とそれへの議論を書くスペース》)

2018-10-06

黙っていよう。運命に任せよう。 それが礼儀だなと思っていたけど 違ったなぁ。 「Tender」 どうぞ、 よろしくお願いします‼ (決戦投票のお知らせ(2018年8月B-REVIEW杯) )

2018-09-30

彼女との思い出が、 氷に写った写真のようで 氷に刻まれた手紙のようで けれど、その思い出に触れるとき、 けして冷たいばかりではない「きめ」が私には情緒ぶかい詩だなぁと 読んでおります。 (氷菓)

2018-09-29

xが7つあるから、 よしゃ、これを7つの大罪のそれぞれのテーマとしてよんだろと思いつつ。 あれ、そんなこと言ってないかもな。 でも、言ってるようにも見える。 繋がってるようで、ぶつ切れるのは、相対性がこの詩にあるからだろうか そんな私の頭のなかをぐるぐる日本語と、英語のカットインが狭い脳みその中をひしめき合っております。 気になる詩ではありますが、要読解護者である私は他のヒトの読み方を参考にまた読み返してみたいと思います。 (call me xxxxxxx)

2018-09-25

死ぬ気でやってみろと誰かに言われても、自分が誰かに言っても胸に空洞が空いたようにスルリと抜ける感じがあります。それは奇妙で空疎な感覚です。死が分からないから、という単純な理由だけではないのかもしれません。 ただ殺す気でやってみろ。と己に言われると、実に説得力がある。 そうだ。殺す気なら分かる。 こんなことを書くとヤバイ奴だと思われるかもしれませんが、経験に学ぶことばかり繰り返してきた私にとっては、何かがピタリと来る。殺意を抱かずに生きてこれたなんて言うつもりはない。 そういう風に、(そういう風にってのもどんな風にって話ですが)殺意と一定の距離を置きながら読むと、この詩は空疎には感じられない。 想像なのに生々しい表現への技術力がある。と思いました。 (殺させてくれたのに)

2018-09-24

なかなか返信にたどりつけなかったことをお許しください。 そして、ご推薦ありがとうございます。 作品に関して私から言えることは わぉ、スッゴい読んでもらって嬉しく感じてますと、低脳児まるだしなので恥ずかしい。 メタ構造が意識していないのでそういう視点もあるんだよなぁと勉強になりました。 そして、選評を読んで、 そうそう、こういうことがかきたかったんだよなぁ、うわー!やられた!というのが本音です。 ただ、今回、さまざまな詩を読んで やっとなかたつさんの感想に答えをだすことができました。 選評を読んで、なんだ。なかたつさんの影をなぞっただけだな俺の選評はとも感じております。ふふふ。 おみそれしました。 (選評:8月投稿作品)

2018-09-19

三浦END果実 様 レビューってなんだろな。っと思うことがあります。私のレビューのやり方は文学界ではたぶん、反則技に近いものかもしれませんが、作者と私と読者という関係を考えたとき。 なにが正解なのかちっぽけな私では分かるはずもありません。だから、私が好きなやり方をわかってもらうようにやるのが、たまたま、このような形になりました。 私は今。音楽のレビューは結構いい加減なものもあるし、私のこれぐらいオッケーでしょとうそぶいております。 面白いと思っていただいたなら 久しぶりに文字を3000文字以上書いた私が報われます。ありがとうございます。 (フル8月投稿作品 選評)

2018-09-19

帆場 蔵人 様 慣れない選評とはいえ、 初歩的なミスがひとつ見つかりました。 リンクが私のなんらかな原因でリンクの文字を削り、機能しておらず、作品にたどる事ができなくなっていたので、Bレビュー運営に修正を依頼いたしました。 カイトはつんぼだけではなく、めくらかよ。 いや、蝶のりんぷんに魅せられたのさと笑ってもらえればと思います。 そして、運営からの対応として リンクの修正及び、タイトルは「蝶に溺れ」じゃなくて、「標本に溺れ」だろと訂正をいただきました。 現在、どちらもあるべき形にもどっております。 カイトはめくらでつんぼで、蝶に溺れるカナヅチだとあきれてくださいな。 そして、蛾は反則技。 それをやられたら、まじか、真実はほど遠いな。あっはは! (フル8月投稿作品 選評)

2018-09-19

さっぱり訳のわからないことを今から書きます。 サンドリーヌ・ヴェッセ監督 「マルタ マルタ」 映画のタイトル友達に調べてもらいました。 ついでに最後のシーンがよくわからなかったけど、友達がヒントを教えてくれました。戯曲や絵画になっている「オフィーリア」だそうです。 私は見たのが、二十三歳かそこらだったので、この映画の宣伝文句「究極の癒し」がどうにも必要としていなかったらしく癒されることなく映画を見終わりました。ただ、謎は心に残ってました。 そして、この詩をよんで、「マルタ マルタ」「未必の故意」「オフィーリア」が繋がったのです。10年ぶりぐらいに癒しに触れた気がいたしました。 これは、文字で理解してもらおうとしてもなかなかにできないことなんです。 ヴェッセの映画に癒しの力があるように、この詩にもたしかな力がある。 ね、訳がわからないでしょ? だから、地球さんを誉めてのばします。 調子にのるのも才能です。 日に500人、新たな悲しみに嘆くなら 日に1000人 地( (未必の故意)

2018-09-18

友達に言われて修正に参りました 感想のなかにある漫画は 街角diaryではございません。 海街diary  です。 大変失礼しました。 (未必の故意)

2018-09-15

詩における ふたつの例えはTender につづく ぴったりとした単語を命中させたいのだけど 見つけづらい。 はがゆい姿にも思えた。ただ、それだけはないのでしょう。 言葉通りにとらえることができているなら 軸のない身体は 問いに対して答える 己の人生に対して応える 言い淀むことなんてしない そんなはつらつとは真逆の人間性のことだろう。 …ただ、それだけではない。 ふれにしてもTenderという単語は不思議だ パーツを組み立てて、完成品によって意味が変わる接着剤の様な言葉だから tender 【1他動】 ~を優しく扱う 【1形】 〔物・肉などが〕柔らかい◆【反】tough 〔年齢が〕若い 感動しやすい、感じやすい、敏感な 優しい、思いやりのある、親切な、情け深い 心配する、気を使う、気遣う 取り扱いが難しい、扱いにくい、面倒な 圧痛のある、触ると痛い 【2自動】 入札する、応札する 【2他動】 〔辞表などを〕提出する 〔礼・わびなどの言葉を〕述べる 〔配送物を〕委託する 《法律》〔弁済金を〕提供する ~を弁償[弁済]する 【2名】 提出、提供、申し込み、申し出 提供物、通貨、貨幣◆【参考】legal tender◆支払いに提供するもの。 《商業》入札 弁償金、賠償金、弁済金 【3名】 世話する人、看護人、〔子どもの〕おもり、番人、監督、整備[保守]会社 連絡船、補給船、補給艦、本船と岸の間を行き来する小型の舟 蒸気機関車の後ろの燃料石炭や水を積んでいる車両、炭水車 他にも、英語の例文をみてみる。 1a〈肉など〉柔らかい (⇔tough). a tender steak 柔らかいステーキ. b〈色・光・音調など〉柔らかな,弱い. the tender green of new leaves 若葉のほのかな緑色. 2a壊れやすい,かよわい,虚弱な,きゃしゃな. a tender constitution 虚弱な体質. b(寒暑に)傷みやすい. tender plants 傷みやすい苗木. 3触ると痛い; 感じやすい,敏感な. tender skin 敏感な肌. 4(他人に対して)思いやりがあって優しい; あわれみ深い,愛する. a tender heart 優しい心. 5限定用法の形容詞 若い,未熟な. a child of tender years=a child at a tender age [of tender age] 幼い[世慣れない]子. 6〈問題など〉微妙な,扱いにくい,難しい. a tender subject 微妙な問題. 面白いのは、看護人と監督という意味があることに注目したい、いや、そこに私とこの詩をつなぎとめるものがあった。 それは私が管理監督者であること。そしてその側面から業務を遂行する上で、tenderという意味から離れることがある。 けして、柔らかくはないだろう。時に問題のある労働者を「配置変更」という方法を迫られるものがある。 船と船をつなぐ小船は血管のように働き、私は小船の作業管理のような業務もする。 ときに別の小船の船長が時間にずぼらだったり、届けなければならない荷物を海に捨てたりするが、言い訳と文句は一人前のような人間を見る。 そういう人間は場合によっては船から降ろさざるをえない。 昼休みの休憩中は船長たちは信用をバンス( 前借という意味。古い船乗り用語 例、船で稼いだ給料、全部スッちまった。バンスしてくれる?だからもう一回船乗るわ。)して文句を「肴」として、笑いあったり、ときに親身に悩んだりもする。 そうだ、かつて自分もそうであったのだから。 だが、問題を起こした人間に対して、過失の具合によっては容赦はできない。tenderのままではいられない。 しかし相手は人間だ。代わりはいくらでもいるなんてよくできた世界じゃない。それは私の世界じゃない。 問題を起こした人間の過失は、場合によっては私にもありえた。それでも決断を選択しろと声はやまない。 tenderになりきれない自分やtenderを捨てきれない 二つの道に言いよどむ。 tenderという意味で同じ働く人間で、監督ではなく、看護人に思いを寄せる。 近頃あの世界では事件があった。大量殺人者が世間を騒がせた。驚くのは殺人者の言葉に堂々と同調するものもいる。 もちろん反対するものもいる、道がある時代には答えは誰かが見つけてくれた。それに従えばよかった。 確かに、産まれてまもなく欠陥が見つかったら殺していた時代もあった。 今は道も価値も多様化するなかで答えはどこにあるのかわからない。 だが、いずれ生きすぎて、生きすぎて欠陥がでる。いつか私にも出るだろう。 そのとき、他人には俺を殺してくれなんて頼めないから、俺も自然に頼むだろう。 いつか年老いてベッドで動けなくなった俺、その俺を見る看護人の目を想像する。 モノとモノをつないできた俺にも色々あったけど、ヒトとヒトをつなぐお前にもいろいろあるんだよな。 お前もきっと、言いよどむものがあるんだろ。違うのかな。まぁいいさ。 …なぁ、俺とお前は全然違うよな。 でもおんなじtender同士、お前を見てて、辞書にいい例文があったぜ。俺のおしめをかえながら聞いてくれよ。 Like the town in which he lived most of his life, he was tough but tender. (Tender)

2018-09-15

街角diary という漫画を読んだときに 自死について深く掘り下げられた感覚がこの詩にもありました。 漫画では懇意にしていた顧客が突然自殺することを苦悩するある男について描かれていたのですが 男に声をかけるその言葉が今は細かくは思い出せませんが、 自死は論理的なものでなく、男に要因があるわけでもなく 雷に打たれたかのように、突然くるといったもの。 運命だとか、その人の普段の善行といったものでなく ただ、突然にくる。 私たちが意気揚々とすごしていたのに、突然わけもわからなくなって悲しくなるように とでも書けばいいのでしょうか、いい言葉が見つかりませんね。 最後のガタンが 次の行動にむかうようにとらえることも、 次の行動に抵抗するように立ち上がるようにも見えますね。 どちらで受け取っても、それは不思議なことに力を得た「癒し」もしくは「施し」になるのかもしれません。 (次はフランス映画をつかっていえば。あたまよくみえるもんね、。そういおう。きっとばれやしないべ。フランス映画最近みてないからぜんぜんわかんないもん。昔見た映画も忘れてる。あれ、あの人誰だっけな。作品名も忘れちまった。まぁ、いいか、そのまま書いちまえ) レオス・カラックスの監督の作品にかつて撮影助手か、色彩担当に携わるだったよーな人が監督となりある作品を作り上げました。 その人は女性監督で、えー、女性監督で。えー。立派な人です。そのぉ、すごい、すばらしい人です。 作品には母と娘と夫がでてきて、大層な事件が起きまして、ほんとすごい事件です。 それについて描いた作品なのですが、その目線がですね。これまたすごい。 あ、もう、こんな時間。すみません。そろそろ、自分の仕事に戻らなきゃいけないみたいです。 …とりあえず、映画のタイトルを思い出したら、また感想を書きにきます。 (未必の故意)

2018-09-15

さて、感想を笑い倒したところで、ほんの少しお笑い反省会をひらいてみようと思います。 ただよけいなことを言って無駄に嫌われたくないし、身分不相応な、かすかな願いを無視するウッカリ教師、もしくは老害と花緒さまによばれないようにやりたいと願う。私のこのかすかな願いを受け入れてくれることを望む。 かすかな願い、それは見えないものを見る力。 それを見るためにはラブが必要。 問題なのはカイトも三郎もラブをもってないということだ。 さっきから頭をかいている私を想像できるだろう。 カイトは笑ってるだけで本当に何にも考えてないのかと叩かれるのはしょうがない。 だが、わたしのなかの三郎は、とどまることを知らない。 だんだんと胸の中の声が大きくなるのが三郎だ。 三郎 「カイト、おまえは笑ってるだけで本当はなんにも考えられないのだろう。」 「ほれ、おまえは笑ってるだけで場を流そうとしてる処世術を使おうとしている。」 「カイト、おまえは汚い大人だ、笑うだけで場を流すなんて子供でもできる。」 「子供でもできるなら、それならおまえは清い子供だ。うんこちんちんと聞くだけでゲロ吐きながら笑う子供だ。」 「そうだ、もはやおまえは笑うだけでいい。そうやって死ぬまで笑うがいい。」 「カイト貴様なにを笑ってるんだ。なにがおかしいか分からないまま笑ってるのか。」 「ほれ、なら笑うがいい。分からないことを笑うのは低脳の証左だ。」 「おまえが笑えば地球が回る。間抜けな猫にとんぼは捕まらない。」 「カイト本当にまだ笑っているのか!?クレイジー、お前のような奴を待っていた。」 うるせぇなぁ!!三郎!!(笑) と、私の胸の中にすみついた三郎にお帰りいただくべく 反省会を書いていきたいと思います。 「コント・シナリオ文学教室」と題名を見れば 寄席ものだとイメージして客がよってくる。 だが、不幸か幸運かここは詩の掲示板だった。 笑わせるのが目的だとしたら、『場』が冷えているほうだった。 冷えた場を暖めるのが、噺家の前口上やテレビでは見ない前座を必要とする。 しかし、あくまでも文学的表現にこだわった作品だとしたら僕は机を叩いて抗議する。 カイト「ずるいぞ!そんなの分かるはずもないじゃないか!」 ハナ緒「いえ、文学とお笑いどちらにとってもらってもかまいません。」 カイト「馬鹿いうな!そんなニヒルなお笑い芸人ウケると思ってんのか!?俺と一緒に天下とるっていったじゃないか!!」 ハナ緒「俺はお笑い芸人じゃねぇ!!」 これはまさしく低脳の証左だといえよう。 だが、ほかの方の感想で、私と同じく笑った人に  澤 あづさ 氏がいる。 この人はなぜ笑ったのか一緒に見てみよう。ヒントがあるはずだ。 『 「星の王子さまのキツネって、一皮剥いたらこのシナリオ文学教室の三郎なんだよなー」などと勝手なことを考えつつ感慨深く拝見しました。ネット詩で三郎のに酷似した洗脳を受けた経験もあり、爆笑した経緯もあっての推薦です。が、そのような「主観」的な話は~~』 …ちょっと、なにいってんのか。わからないです。(サンドウィッチマン風) さて、澤氏を怒らせないためにも、実はこの文章で注目した文章がある。 ネット詩で三郎のに酷似した洗脳を受けた経験もあり、爆笑した経緯もあっての推薦です。 ここだ。 これは前に辛かったことがあるが、今はもう乗り越えている。 そして、今はもう、お笑い話だ。と読める。 そこで笑ったんだよ。と そういう澤氏の笑いと、私、カイトは別に物書きでもなんでもないので狂おしいまでの三郎の怒りながら泣きながら叩いているような滑稽な姿に笑った。 もちろん、わたしものりこえたらしきお笑いがあった。乗り越えていないものもあった。 笑えなかった人はたぶん君が想像したとおり笑うことが自分に嘘つくようで笑えなかったかもしれない。エンターテイメントの掲示板としてならもっとうけただろうになともおもう。 そこから文学的思考で答えをだすのは「コント」というイメージを払拭しない限り、「笑え」と言われてるようでなかなかに難しい気もする。 文学的表現に多様かつ深い読みを引き出せるようにと反省があるのを見たから別に問わない。× 文学的表現に多様かつ深い読みを引き出せるように私、カイトは反省できない○ だから、自分でもやってみるしかない。 この作品にインスパイアを受けて るるりら氏の作品  「冷奴と申します」に返信として書いてみました。 おなじ、お笑いを目指すものとしてよかったら感想がいただけたらと思う× では、またこういうチャレンジ作品楽しみにしています。○ (コント:シナリオ文学教室)

2018-09-10

あくまでも返信ということでの笑いなので、 多数向けの笑いではないでしょうね。 それでも、るるりら様に笑っていただけたなら 書いたまた私も幸せです。 ただ、噺家のように上手に表現できればといいのですかなかなか難しい。 二点ほど反省するなら・・・ 一点目は 「とうふはくえんのか」とは 豆腐はくえないのか… という私の嘆きです それを店主が くえるのか? と質問されて勘違いするおかしさを書きたかったのですが なかなかにもったいないことをしたと悔やんでおります。まぁ、いいかともおもいますが。 あたたかいものはあたたかいうちに つめたいものはつめたいうちに みずのこころでっせ …みずのこころ これは、私にとっての分かっている常識なのに、 時と場合によってすぐに忘れるという いまいち分かっていないことをとうふのおんなに諭していただいた姿でもあります。 それは、煮え切らないやつをみるとすぐにちょっかい出したり 無理にでもどうにかする、せっかちさ。 もちろん、あたたかいものはあたたかいうちに つめたいものはつめたいうちにおいしくいただくのが一番よいでしょう。 しかし、あたたかいものでもないつめたいものでもない 人肌の豆腐もおんなじ、もとはみずのなかで生きてる豆腐なのよ。 乱暴にあつかうと食べる前においしさだって壊れてしまう。 冷奴を食べたいのは分かるけどあなたにとうふを壊す価値があるのかしら、 もしかして、本当に食べたいのはまーぼー豆腐? そういうふうに言い含めたような笑い そんなふうに、くすりと笑ってもらって、はっと気づいた瞬間です。 二点目は遊女と芸子の違いに気づかないままに書き出してしまったことです。 この二つは時代によってかなり意味合いが変わってくるし 遊女と芸子のなかにあるしきたりを破れば、判別はつかなくなってしまうとてもややこしいものです。 ですが、そのへんはあんまりそしゃくしなくていい、あなたの詩のなかにある豆腐としての愛嬌をいかしてうやむやにするべきだったなとも思います。 で、最終的にはそんなふうに豆腐が私の体にとけこんで みずのこころを余計な言葉を使わずに諭されたようなるるりらさまの詩でありました。 ごちそうさまでした!!! (冷や奴と申します)

2018-09-10

いや、ほんとうにごめんなさい。 消したい。死にたい。 ([])

2018-09-08

最後はペルソナ4のパロディであって、 他の感想を軽んじたつもりはまったくありません。 もし、不快に思われた方がいたら 本当に調子のってすみませんでした。 あやまってすめばいいのですが。 今後もっと慎重に気を付けます。 ([])

2018-09-08

聞くと聴くの違いについて説明しようとしても、ぼんやりすることがある。 それをなくすために言葉の意味を明確にすれば、もともと耳を使って音を感じるということひとつであったものを二つに分けざるをえない。 二つに分ければ分かりやすくはなるが意味を限定的にする。 限定的にするということは機能に対して制限することだ。 少しわかりづらくなってなってしまったかもしれない。 とりあえず、まず聞くと聴くの意味を確認してみよう。ネットでよさそうなのを見つけてきた。 「聞く」は、音や声を耳に感じ認める意、「聴く」は、聞こえるものの内容を理解しようと思って進んできく意である。 なんとなく文字で見て理解することは可能だ。 それではひとりで詩を読む(きく)ときのために、もう一度、現場レベルで確認しよう。 【聞く】は当たり前の意味しかないが、【聴く】は何か含まれている意があるのが分かるだろうか。 それは難しいことではない。【聴く】には【たずねる】という意味が含まれている。 念のため、【たずねる】の意味を確認してみよう。 たず‐ねる たづねる 【尋ねる・訊ねる・訪ねる】 《下一他》 1. たどって捜し求める。 2. 人や何かのある場所を目指して、そこに行く。目指す所に行って目指すものを見る、または聞く。 以上、【聞く】と【聴く】についての理解は整ったとして次に進む。 今度は『みみ』を使って、聞くと聴くふたつに分かれてしまったものをひとつにしよう。 みみを使って音を感じるだけだ。 別段、難しいことはしない。ただそれを説明するには一度、我々の視覚を奪う必要がある。 答えは単純だ。目をつぶればいい。できたかい?できたよね。 目をつぶったまま、今、この文章を読んでいる君の部屋でする音を感じてさがそう。 ほら、あるはずだ。すませてみよう。何かきこえたかい? エアコンの風の音を感じた人もいるし、家の内外からきこえる声や音のする方向に耳がかたむいただろう。 こんな単純なことにこれ以上言及しようもない。 さて、いよいよ本題だ。 今度こそ『耳』をつかう。 そのために海にもぐる。海から戻ってきたときあなたはこの詩をきくことができる。 必ずそうなる。 あなたにとってむずかしくはない。 ものすごく簡単だ。 まだ目をつぶったままでいい。 まずは、両手にもっている貝を耳にあて、波の音をきく練習だ。 まずは呼吸をふかぁく、すってはく 、読んでるだけでなく実際にやってみよう。 はくたびに、 体が重たくなってくる。 ふかぁく、すってはくたびに、 体が重たくなってくる 研ぎ澄まされてくるだろう。 だんだんと景色がやってくる。 だんだんとおくから海が戻ってくる。 風だ、海の潮を含んだ風だ あなたの鼻を海が通り抜ける。 もう足元は砂浜だ。 もし貝から波の音がきこえたなら、 それが君たちの偉大な先輩 ジャン・コクトーの詩だ。 俺は詩人じゃないし、ただの船長だからよく知らないけどね。 まぁ、貝にかぎらず、波の音がきこえた人なら誰でも僕の船、潜水探査機『海常詩譚2号』に乗船してほしい。 あそこの港から桟橋で乗り込める。船の梯子が滑りやすいから気をつけてくれ。 安全第一が現場のモットーだ。 じゃぁ、出発。潜水開始。   〇0。〇0。〇0。〇0。   〇0。〇0。〇0。 〇0。0。〇0。 〇0。〇0。 。〇0。〇0。〇0。 〇0。〇0 〇0。 0 。 。 . ここが光が届かない海の底。深い、深いね。 なにもみえない。そうだろう 見えないから、目なんていらないんだ。 詩の中に出てくる潜水艦や僕の探査艇と同じで耳だけでいい。ソナーだ。 だから、ここでは、すがたかたちなんてみんなぶっきらぼう、音だけが個性的でしょ? あ、低い音が聞こえる。キミタチさいわいがいいね。 さがしてさがして。 あれが鯨の声だ。 鯨の音が近づいてくる。 こっちによってきたようだ。 どうやら、私たちの船を仲間と勘違いしたらしい。 それにしても鯨の声は、声というより電磁波の音に近いね。 宇宙のどこかからやってきたみたいだ。 ほかにも色んなおとがするときもあるけど、 そろそろもどらなきゃ。 え、もうおしまいだって? 長くいる必要はないさ。 鯨の声は聞いたでしょ。 声の双子である音も聞いた。 エコーっていえばいいのかな。 ウェーブっていえばいいのかな。 本当は聴覚の海は声と音なんて分かれてないからね。 僕が聴覚の海でできることといったらたずねることばかりだ。 今日はナイショでこうやって口で話してるだけだよ。 実際、君の耳に口なんてついてないだろ? それに、どこからきて、どこへいくのかなんてこたえは 僕はもっていない。さわったこともない。すばやいし、つかまえられない。 それがあるのはしってる、ただ、あるのがすきなだけ。 もしそれができる人なら素粒子のこえすら聞くことができる人だ。 僕はその人に比べたらつんぼだよ。 ごめんね。これ以上はできることがないんだ。 じゃぁ、浮上するね。 あぁ、でも、言い忘れてた。 もうすぐ到着だけど最後におみやげ渡しておくね。 目をつぶっていても光は感知できるからね。 だから、ほらまぶたに閉じられているから、なめらかでまぶしくない光でしょ。 そんなこんなで到着。 もう目を開けていいよ。 この詩のはじまりにもどってきたんだ。 これは雑音からはじまって聴覚の海にダイブする詩だったようなきがするよ。 すごくすごく気持ちがいいね。大好きな詩だね。 この詩はジャン・コクトーも驚いているし、堀口大学もジャンコクトーが書いた詩がこれだったら 翻訳よりもフランス語でおのおの楽しめ。といわざるを得ない。 じゃぁ、これでおわり。 THE END …え?何。まだ終わってないって、ふふふ。 終わりですってば。しつこいな。ほら帰って帰って。 終   ………へぇ、まだいたんだ。 お客さんだって、ちりにかくれたまま この詩をたのしんだままでいるほうがいいんじゃないですか? わたしがしたように、見たいものを見ていればいい。 それで詩を楽しむことが何がいけないんです。 いいですかこの先は、この詩をこわすことにもなりかねない。 だが、ちいさき願いを掬い取ることもできるかもしれない。 しかし、読まないほうが身のためかもしれません。 それでもよむんですか?ないかもしれない真実のために じゃぁ、いつまでも船長カイトはやめだ。 最後の謎、題名について触れておこう。 三つ考えた。 ① この詩ははじめて読んだときに音楽の授業を思い出した。 教室に流れるすばらしい音楽を目をつぶってきいたあとで先生が今聞いた音楽の内容と題名を自分で書いて書きなさい、というものだ。 それは八月のるるりら選のなかでこの詩について言及があったように、 「この詩には 寄せては返す 波のようなものがある。」 また、参考にるるりら氏の詩 『ラ・ラ・裸族』では 「たふたふ と生き物のようなものがある。」 そのように感じることができる詩なのは間違いない。 たとえば音楽の曲の歴史にあるように、ショパンの「幻想即興曲」はショパンが名づけたわけではない。 友人のユリアン・フォンタナが名づけた。 もともとの原題は 即興曲第4番 嬰ハ短調 遺作 作品66 だ。 この題名からは幻想即興曲に比べると叙情のかけらも親しみももてない。 これは私の想像だがせめて、作者から親しみをこめて読んでもらった人に題名をつけてもらいたいという願いとも感じる。 私はこの詩をなづけるとしたら 「海のソコラテス」 としてなづける。 問答・たずねつづける 海の底を照らす としての意味をもって。 さてここで問題。無知の知として有名な哲学者を 「底照らす」を十回、口で言ってから次の四つから五秒以内に答えなさい。 ① ソクテラス ② ソコラテス ③ ソクラテス ④ ソコテラス 正解は最後に。 ② 端的にいこう 題無しだからよくてあって題をつけて台無しするな。 これがもしそうなら、作者はオオカミのような根性だ。 なかなかにちかづきがたいが、魅力的だ。 ながめたときのことを思い出せば②はないだろうと思う。 ③  ビーレビューの題名で投稿の特徴の可能性として ○の部分を空きスペースとして想像して欲しい。 a.[○] b.[○○] c.[○○○]  なにがいいたいかというと これらを投稿しようとするとa.b.cはすべて投稿後はすべて同じフォルムで反映される可能性だ。 どういう意味か目で見たほうがはやい。 すなわち []  a.b.cはこの形でしか表示されないという言うもの。 a.[○]であるなら わたしはこの詩を象形したとして「耳」をイメージする。 b.cならば想像つかない しかし、a.b.cどれなのかは答えは作者しかしらない。 もしくは①という題名は読者のためにもっとスペースを空けていたかもしれない。 それいじょうはもはや分からないので、読者の想像におまかせする。 答えはどれであっても、内容がわたしの妄想だとしても この詩がわたしの脳の使ってない場所にひびいたのはまちがいない。 重ね重ねすきになっちゃう詩だ 真 END ([])

2018-09-08

先日、るるりら氏の選評を読み、自分の胸のなかで肯定でき、信用がおけるやり方で感想を書いてみたいと思いました。 それは自己満足や多少の不躾になることは否めません。例えるなら店のガラス越しで見ていたサックスをどうしても手に取りたくて、財布にお金もなく、手に取ったところで吹きかたも運指もしらないまま店に飛び込んだ少年の行為かもしれません。店主はじろりとこちらをみるでしょう。 真面目に返信していただけた姿もめぐりますが、どうか寛大に、右肩様が失笑する程度におさめていただけるとあいたすかります。 さすれば、私は照れ笑いも隠さずに まぁ、そうだよねぇ。 と返せる気がしてつづけます。 せめて 感想のなかでは 右肩様の左肩にもたれながら 蝉の脳が何%を使って空を飛び、この世を生きているかは皆目検討つきませんが 人の脳は数%としか使っていないと世に発表されて久しいです。 使ってるときでたった数%! たったそれしか使ってないのか。 もしもそれが工場の生産稼働率なら寝ているのと同じじゃないか。 それでいて脳には電源off時間が必要なのか。 本当に寝ているときは返事もしない。 ただの屍のようじゃないか。 じゃ、使えるけど使ってない場所はなにやってるんだ。 どこに隠れているんだ。 かたわらで一連目を聞いている。 嗅覚と 視覚が 、ヌルリ わたしの脳みそには 直接気体が入ったようにナニカが膨らむ これだよ。 …あぁ、これね。 二連目につながったときから わたしは脳がしぼんでいってしまうことに気づかない。 さらに詩を続ける横で いつのまにか、わたしはもう精臭が嗅げる程度までになっている。 それに気づいたかのように 最後に景色をみせてくれた それだ。 見えないよ。 それだ。 しぼんだ脳は変わらない。 確かなそれは思いでになって、 ふと、わたしの意識にかすめたあと どこかに隠れてしまった。 駄文失礼しました。 (立ってから座っていた自分を振り返る)

2018-09-06

笑いのツボにはいったのはなんでだろう。 三郎という知性も品性も 彼の弱点も思想も とことん暴力に詰め込まれている。 それがおかしくて おかしくて そーゆーひとって 現実で離れて見ると すっごいおもしろいんだけど それがうかんだのかなぁ。 https://youtu.be/NIb1jhdAJwE 繰り返しは大阪のコテコテの 繰り返しにも見えて なんだろなぉ あー、笑い疲れた。 まぁ、いっかー。 文学の話なんかしなくたって 学ぶなら勝手にまなびだすもんね。 あっはっは。 (コント:シナリオ文学教室)

2018-09-05

自分が盛大な誤読をしてる感は否まないですが、 一点、修整します。 標本の海に囲まれているから 標本溺れというタイトルはテキトーすぎました。 わたしはこどもの目線に同調や共鳴する蝶の夢として読んだので 父さんは酒に溺れるように 女に溺れるように 標本に溺れていた という こどもの述懐のほうが わたしの感想にぴったりなのです。 では、夜にまたー。 (標本に溺れ)

2018-09-05

労働歌というタイトルに 重たいイメージがあった。 労働にも重たさがある。 それをどうにか柔らかく方向にしたいというのが私の目的だったので。 まりも様がいっていただいたようにユーモラスやひょうきん、 もっといえば、 口ばっかり、お調子者としての街灯を、文には、そこまでダイレクトな表現はしていませんが、 それを意識していたので なんか伝わった感があって とても嬉しいです。 昔、私は労働することに嫌気がさして 労働することになんか救いが欲しく感じました。 メビウスリングという詩も投稿できるサイトで「労働歌」というテーマで作品を募りました。 やはり労働することはおもたいのでしょうね。救いの詩はすくない。 あたりまえといえばあたりまえなんですよね。 わたしや私達に注目していただいたことはわたしにとっては幸いです。 個と群れ。 なんで群れるの?と疑問をおくこともあります。 たぶん、群れるから群れてるだけ なんか人間が考え出すような 論理的な説明はいくらでも当てはめられそうですが 本当に群れてるから群れてるだけ 自然にそう思って、行動してるだけ。 へたすりゃ、「群れたい」とも思っていないのかも。 ふりかえれば ひとりじゃ、たちんぼじゃなんにもできないのはよく知ってる。 でも、それでもなにかできないだろうか 労働を強いられている訳じゃない やらされてるわけではないんだ やりてえからやってる このまま途切れたら灯りは消える いままでも繋がっていたけど つながりつづけるって熱が どうしようなく個を動かし、群れをつくるのかもしれません。 (我が労働歌)

2018-09-05

stereotype2085様 街灯をめぐる孤独について 触れていたいただいたことに安心しました。 孤独と言えば 詩を書くときも孤独でしょうね。 それが楽しいところもあるのでしょうけど ただ、詩のサイトを運営することも 孤独だったんだろうなぁ と、書いているときに思いました。 書いたきっかけも偶然というかなんというか この日、書いた時がちょっと私には特別な日だったのでして、して。 なんとか聞きたい番組の放送時間までに書くという焦りがありました。 焦って、わたしにとっては大切な1文を書き忘れてしまったのですが、 でも、明るい祈りの方向へ導きたかったので それでよかったのかもしれません。 全体に影をおとす 1文のインパクトの強い文だったので 無くて正解だったのかも と、おもいますが、 次に推敲したときには その1文をいれて、 完成させてみようと思います。 (我が労働歌)

2018-09-05

杜 琴乃様 街灯やランナー立ち位置や祈りに注目していただいたことはとても嬉しいです。やっほい! 今、思い付いたんですが 目をつぶって やさしくうたうことって なんだか祈りの姿にもみえるなぁって おもいました。書いてるときは意識してなかったんですけどね(汗) 指を繋ぐためには、 けど街灯に指はありません。 でも、街路樹が雨にうたれて 芽をのばすように 街灯も、どこかで 芽や指やのばしてるかのように 杜様がいっていただいたように 流す電流はすべてやさしいものになればいい。 わたしも、そういわれて、 本当に、そう、思いました。 うん、本当です。 (我が労働歌)

2018-09-05

すいませんでした。 #のところはメモの消し忘れです。 私のTwitterでのメモを見ながら書いていたのです。 (標本に溺れ)

2018-09-04

皆様のコメントにあるとおり、 私も そのうち、父さんと呼ぶこの子は誰だろうと思いました。 私は愛を確かめるような表現や 男性を男よばわりする登場人物を すぐに女を想像する癖があるのかもしれません。 (これはこれであってたんだな。) 葛藤はこの子は「父さん」と呼んでいる。愛人か妻なら「夫」と呼ぶから 少なくともこの父の子であってるはず… でも、自分はすぐ勘違いする重度の要読解護者だし、進行ステージは国からお金をもらいたいレベルだ。 自信がなくなって怖くなって皆様のコメントのなかに私と同じように、子供ととらえている人がいたので安心してコメントを続けます。 でも、こどもじゃないのかもしれない。 こんな風に読んでみました。 一連目をはじめる前に こどもの好きな遊びに人形遊びがある。 テレビのヒーロー戦隊の人形をテレビで演じてたように同じポーズをとらせたりして遊ぶ。子供にはお気に入りのポーズだってある。 ~~~~~~~~~~ 父さんの標本は動きやしない。死んでるのにちゃんとお墓にいれてもあげない。 そんなの楽しくないのに、父さんは標本に囲まれている部屋にいることに僕より興味を持っている。僕より標本を優先する。つまらない標本なのに、なぜ?分からない。 標本で僕が人形で遊ぶように遊んでる父の姿は、この子の怒りを増幅させるでしょう。こどもは自分より大切されている神聖な蝶の標本を憎む。父への怒りは、父の大切にしている標本を台無しにしてやろうとも思う。 こどもらしいっといったらこどもらしい行為。体の大きい親には手を出しても敵わないから、親の大切な物を壊して溜飲をさげる。 唖然となった父さんをみて へへーんだ。ざまぁーみろぃ それでも、父さんは振り向いてくれない 三連目の情景は美しい。 蝶達の共振が音を消し去り はじめて登場する「わたし」 この「わたし」は愛を語らない。 むしろ、蝶が自由にちからいっぱい羽ばたく姿に想いを寄せていないだろうか。 なぜだろう? あの男、この男、その男の謎は… あれ、あーーー!!!! チキショー!!(小梅太夫 風) 今気づいた。 やられたー。 あっはっはー! 最終連は種明かしだ。 「蝶たちは片手間に夢を見る」 一連、二連、三連 全部、標本にされているそれぞれ別の蝶夢だったんだなぁ。 だから、こどものくせに やけにおとなびた精神をみせる 愛を注ぐ とか 男を愛す という表現をつかってたんだぁ! 標本の海に囲まれた親子 蝶がいつもみてる親子の様子から それぞれ思い浮かんだ夢を 好き勝手に蝶をみている くぅーーーーーー、 はっー!! おもしろかったーーー!!! 埋葬もせずに #ぽややん備忘録 #夜話のためのメモ 半固定の間接 お気に入りのポーズ 必要以上に生まれた怒りの持続のためには自分にも嘘をつくストーリーをつくる けれど健全な、こどもからしたら 神聖なものをとりあげる 溜飲をさげる 共振による無音 収束静寂 ゆえに 音が響く 胡蝶の夢 (標本に溺れ)

2018-09-04

ことばのもつ まやかしをすりぬけるように ロゴスのもつ両手で さえぎらないように 真のちからをさがす旅をつづける人を 思い浮かべました。 とても好きになっちゃう詩でした。 (約束)

2018-09-03

「ほんとうに、それでいいのか」 という声を 小さな背中にみとれたまま 読みすすめてしまったので 最初、父の声で再生されてしまったようです。これは父とは違うようです。 ただ、この声は誰?よりも この声はどんな声色だろうということに筆がとまりました。味わい深い。 この声は、 たぶん しめっていないだろう。 言い方の語気も強くないだろう。 だって警鐘の様ではない、 身の内に響くは鈴なのだから 水中の中では息をとめるか、空気がもつまで 迷いの霧、不安な世界でみえた (水面のきらめき)、光が私をいざなう おどろおどろしい世界で 疑いもせずに光に安易に触れようとする主人公とそれを制する主人公の声。(主人公じゃないかもしれない) まるでその声は 息継ぎによって、このおどろおどろしい世界から一瞬だけ途切れた主人公を狙ったようにも見える。 息継ぎという言葉のもつ感触(苦しさや解放、胸のあたりにできる閉塞感) と 息継ぎという一連の動作(息を吐く。吸う、息をとめる)がマッチするように 台詞がおいてあり、 閉塞感は 身の内の鈴をより響かせている。 なんか詩が魔法めいてるようにも思えました。 (息を継ぐ ※)

2018-09-02

返詩 失われた心の模様 額縁に収まったモノクロ写真の鼓動 水紋や砂紋をつくるだろう それは風の通ったあと 愛は死なないと誰かがいった 夢と同じで氷漬けにされているとも 時は、時はとまっていたのだろうか いや、君をよみがえらせる隊道 地下経路を掘っていた坑道 そこへだんだんと溶けていった だんだんと染み込んでいった あふれだす、あふれだす 氷漬けされた蛹の夢は溶け 君の羽を風が通り抜ける 濡れた肌が乾いてゆく 心地よいまま空 ぬけ殻を忘れる 黒髪さんの詩を読んでいて 失われた心の回復模様に 様々な機微があるように読みました。 なかなかに素直なままにいきること 素直というエネルギィがもつ快活さと危険性 それら含めて好きなんだよと言い切れるほがらかさに 失われた心は ゆっくりと また心にもどったのであろうなぁと わたしはぽややんとしております (長い間失くしていた心)

2018-08-10

巨大隕石を目の前にしたとき 思うことは もしかしたら、ダニも人間も同じかもしれない。 隕石みたらダニも人間も同じみたいなもので 命からみたら 人間もダニも同じかもしれません。 なんだか、禅問答みたいですが 詩を読んで、もしくは読み聞かされたとき 最終連 命とは‥ を聞き終わったあと。 もしくは読み終わったあとに ぽっかりとした鍵穴が空く 穴を埋めようとするのは まさしく、人間でしょうね。 (「雨の日の一日」)

2018-08-08

前者の僕の客観的事実を構成する72のイデアと推古した後者の虚無のの代償を読んだ印象をそのままに書かさせていただければ、 作者の求める言葉の無限の能力や虚実に対する信念は後者が、詩のなかにある言葉の積極性により表れているのではないかと思います。 前者は、哲学、特にニヒリズムに対する知己があればより読者は作者の世界に親しみをもてるでしょう。 と主張する私は虚無の哲学に関する知己も皆無ですw 後半の虚無を表すための「君」が作者に対する態度の連は 冗談めいているものの、虚無の現実味を良く表していますね。こういった表現は私は好きなのですが 虚無の代償の方が、より完成度が高いと感じました。 たぶんそれは 虚無たいして絶望や諦めではなく 積極的に、価値を作り出してゆく 作者の真摯な姿がより深く彫られているからでしょうか。 (僕の客観的事実を構成する七十二のイデア)

2018-08-08

月2回までの投稿ルールを守れなかった作品とう言うのが一番残念。 ドンマイっすね。 金色の嘘、 マッサージチェアの誘惑というフレーズに誘惑されて読み進めてゆく。 残された人生の時間を自分の意思で終わらす、もしくは操ることができたらという嘆き それは 人生が角砂糖のように~ 一連のフレーズとなり 印象に残り、響きやすい 無邪気な少年が階段を駆けあがる 疲れた足音は若い頃になんて聞こえないだろう。 今日さえよければいいのだから。 輝く夢にこどもは駆けあがるだろう。 しかし、その先に見たものは 死(机の花瓶)だ。 自分の死とは、究極の明日だと私はここで解釈しておく。 そのまこと恐ろしい存在に 保健室にこどもは逃げる。 未來(明日)を支配する術(すべ)は占い。その曖昧な答えにこどもは将来を惑わされている様にも見える。 今日さえよければいいから 明日を懸念する大人になる 否応でも生きねばならぬ。 一気にのみほせればいいが、 やっぱり死は恐ろしい。 明日を望む。 疲れた足音とともに 嘆きは階段に響くだろう 嘆きはコントロール不能の究極の明日恐れ、自分でコントロールができればいいのになと唄になる 唄にすると、不思議と主人公の疲れた足音が軽くなる気が私にはしました。 (人生一飲み)

2018-08-08

即興のバランスがいいなぁと羨ましくおもいます。 夏生様の詩に似せて うたいつづけたらと 返詩してみようとおもいます。 返詩 恐怖は 時を刻むことをやめ 氷のなかで 生きること決めた 親しみは 硝子のダイナマイトとなって 命をかけて微笑んだ あったかいコーヒーが 心地よい香りの産着で 生まれたばかりの苦味を 綺麗にくるんでいた。 溶けきらない砂糖の結晶は キラキラとパチパチと 呼吸しているようだった。 (即興)

2018-05-10

はさみ様 私の稚拙な詩を丁寧に読見込んでいただいたことにお礼を申し上げるとともに、私の言葉足らずの詩にエクスキューズさせていただければと思い、書きはじめております。 詩からは想像できませんが、せっかくなのでこんな祈りの姿を見せたくなってしまいました。 山頂を目指す。 大きな木をチェンソーで切ります。 大きな木は山頂を目指す私の障害であり、伐採は夢や希望を実現するための行動になります。 伐採された木には夢や希望を実現するための行った実績が宿っています。 それだけ大きな木なら良い薪にもなるでしょう。 しかし、切られたばかりの木というのは水分を多く含み 、燃えにくく、煙ばかりでてとても薪には使えません。 薪として使うには乾燥する時間が必要なのです。 夢や希望の実績が生活や仕事をこなす上では生木のままでは役に立たない。 薪は乾燥しきったころにこそ薪としての真価を発揮します。 たぶん山の中腹の小屋に私はいるでしょう。もう山頂は諦めてるのかもしれません。あるいは山頂以外にもっと好きなものを、大切にしたいものを見つけた のかもしれません。 そのとき薪は未練となって乾燥しているころでしょう。 新しい時代が美しく燃えるとき かつて頂上を目指した私の未練が看板とともに良い薪になって燃える。 私のかつての夢は燃えてなくなるけど 新時代の技術を、若さの炎が、もっとよりよく強くゆらめくならば それってなんかすがすがしいと思いませんか。 うふふ。 (次の日と次の人のために)

2018-05-09

夏生さまへ この詩を書くにあたってモデルとなる方がいます。 その方が今、ご存命かどうかもしりませんし、そもそも名前すらも覚えておりませんが、その人の態度や姿勢というものに感動を覚えたことはよく覚えています。端的にもうしますと 仕事でその方の住まいにお邪魔したのですが、 その方の書類や本棚、家財、装飾品、土地や身なりを察するに、バリバリのビズネスマンを定年して、今は、若者の社会復帰に従事しておられるようでした。 私の仕事がおわると労いの言葉をかけていただき、若干二十歳そこらの若造だった私に正面から深々とお辞儀をして礼をいただきました。 その礼をのべる言葉といっても 「ありがとうございました。」といった変わりない言葉なのに 、今まで聞いてきた「ありがとうございます。」とは全然違うのです。 どう違うかといえば難しいのですが、 それは年齢や性別、職業などによって態度を変えない、まごころからの言葉とお辞儀だったのだと今ではそう思います。 長年、培ってきた「不動の礼」というものなのでしょうか。 なんにせよ。私はその礼の動作に感激感服しました。 なんとなくすこしでもその方が知りたくなって帰り際に質問してみたのです。 「どうしてそのようなご職業に今就いているのですか?」 (あなたのキャリアならもっと楽に儲かる仕事がおありでしょうに。) その方は程よく優しい声ですぐに私の目に答えてくれました。 「私は昭和生まれですからね。昭和生まれはつぎのひとのために行動するのがモットーなのです。」 (若いの。俺は若いうちから今まで銭っ子は稼ぐに稼いだよ。だからもう次は若い人のためにできることをできるうちにやるんだよ。) そう、憧れるカッコいい爺様だったのです。 (次の日と次の人のために)

2018-05-09

るるりらさまへ おはようございます。 創造的な生き方かぁー。 うーん。なんだろう。 特に創造的な生き方はしたつもりはなかったからかなー。 さて、あなたは旅路が葉脈であればいいといいますが、 なんとなく、私から見れば大樹に見えなくもないと思います。 もちろん、あなたはそんなことないよと笑えばいい。 今回の作品が好きになってくれたのならとあのころの海にはなかった私の星座とあなたの星座は確実にあったと嬉しく思います。るーるーのあの詩をよく思い出すよ。 ほら、今回は鳥ともにとんだよ。 上から見たら、あっちにこっちにと、ずいぶん遠回りしてる。 真ん中の道を通ればよかったのだろうけど、それをできなくてよかった。 それにあの頃に比べたら、なんだかいっぱい持っていた大工道具の言葉たちをたくさん無くしてしまった気がしますが、手元に残った言葉たちが信用がおきやすい言葉なので、使いやすい気がするのです。まぁ、本を読まないから年々馬鹿になってめんどくさがってるだけかもしれませんが。 経験と勘は判断を固くしてしまうから気を付けたいものですね。 あら、否定の話だったわね。 フフフ。るーるー。それじゃぁ、直感で話すわね。 もしよかったらここではなく、どこかでひとつのことをお話しましょう。 否定となるとアンニュイな話題だし、どんなアンニュイかといえば、読んだ人が自身を否定されたように置き換えて読んでしまうリスクをおかしたくないだけね。 今、現代詩フォーラムに 丘さんという人の 「ながれぼしのうた」 という作品が投稿されているの。それについて話すことが 多分、私からのあなたに対するわりかしよい答えがあるのですがいかが? よかったら現代詩フォーラムにて、感想スレでお逢いしましょう。 (次の日と次の人のために)

2018-05-09

仲程様へ 過去作品とあわせてお読みくださりありがとうございます。 過去とはすこし変わって、以前は他者へおくる言葉から 、今回のはこれが俺のやり方さ。もちろん文句はきくよ。笑いながらね。という風に変わっていきました。 過去に書いた作品が誰かに何か物事を説くほど偉くなったのかよ。出世したなカイトさんよと よく見知った私自身に自分の作品を思い出す度にディスられていたから嫌だったのかもしれません。ね。 原口様のふたたびを読んできました。 自分の直感より第三の目のほうが曇っていないでしょうから、きっと通じるところがあるのでしょ う。 原口様の作品に捧ぐ言葉がうちの台所事情が乏しいので持ち合わせがありません。が ぽややんと浮かんだことを書かせていただければ、過去から未来へ紡ぐエネルギィをピントを合わせるように原口様は社会批評に目を向けておられる。 私は私自身の過去から将来へ紡ぐ生活態度を角度を狭めた展望なのかもしれません。 確かに通じるものがあるかもしれません。 元は同じものだったけど 選択した言葉と現在が違っただけなのかも知れませんね。 どちらに何を残すか難しい問題ですが でも、ほら、ひらがなにすれば つぎのひとつぎのひと のために どちらに何かを残してもおなじことなのかもしれません。ふふふ。 もちろん何を残しても、燃えてしまうかもしれません。 燃やされる時は 新時代の技術の美しさによって、私の埃を被った功績や技術などいらない時代が来たのだ。と納得できますし 新しい技術以外に設備、管理方法、道具など色々なものがあるでしょうが、そこにあるのが私より若いエネルギィがあることが何故かなによりも嬉しく感じるのです。 不思議なことに。 さらに燃えるときは、より一層新技術の美しさを輝かせる燃料のようになった気分になれるから、 かもしれません。 (次の日と次の人のために)

2018-05-09

本拙作品は現代詩フォーラム 企画スレ 蝶とシャボン玉より テーマ「祝言」に寄せ、私の過去作をを書き直したものです。 ーーーーーーーーー 三浦 果実様 確かに未開の地を切り開くものは、朽ちた看板より、実利あるものでしょうね。 ただ鍬で掘ったものなぞ、すぐに雨で流されてしまう。多少の形を残すかもしれませんが、雑で間に合わせで作ったものは、 そのときは本人は一生懸命作ったかもしれませんが、新しい時代によってできた技術と知識と道具や設備に敵うこともなく、立ち向かうだけで結構若い人に迷惑かけてしれません。 たとえば私の仕事における技術が時代遅れで必要とされなくなる時がすぐに来るでしょう。 身体も勇気も衰えてくる。その時には、口うるさいだけで役に立たない親父になるでしょう。 そんなときに、せめて心持ちは三浦さんが好きになってくれた心の持ちようでありたいと思うのですよ。 ある科学者の好きな言葉があります。 ファラデーというのですが電気科学の分野で非常に貢献しました。特に基礎分野の研究に力を注ぎました。彼は基礎を応用して金をかせぐことに力をむけることもできたはずですがしなかった。そういう研究に興味がなかったのでしょう。 彼の言葉にこうあります。 「余は基礎を残そう。」 かっこいいよねー。 (次の日と次の人のために)

2018-05-09

中国語で読むとこれは 転 連 仙 が韻をふんでいて 朗読すると、まさに唄い流れる詩になうのでしょうね。 中国語ができないから、そういう面から味わうことができないのが残念です。 もとい漢文のテストは勘と気分でかうかうと鳴く水鳥のようにテキトーに博打で天命を知るひとりだったのでこの文章から察することを感想にしてみます。 あっはは。不本意だと言われるかもしれませんが、最後の2行を現代翻訳していただけると、うれしいです。謎なのです。 ばばばっと、ぽややんっとチョッカンで感想を書くので、言葉の扱いが乱暴ですがご容赦ください。一筆書なもので。 隠者ってのは、時代によって姿を形を変えてどこにでもいる。 最近じゃ、名前を捨てて影で社会批判するのが隠者の流行りらしい。 だが、この絵に表れてきた隠者は健やかに隠居しているようです。 これ無為自然ってやつだな。中学のときならいました。 すこし酔狂だ。 机も自然のなかに設置してまで詩を書こうとしている。よほど無為自然がすきなんだ。 友達が来たら一緒に酒を飲んで、仙をもとめるいるのが面白い。 真面目にガリガリじゃなくて、 青空のしたで、友達と酒を飲みながら、おのずとたちのぼる仙を願い(考えを手放さないという意味での)隠居し、先人の才能溢れ、賢れた詩を愛す。 ちょとのんべんダラダラ感がある。 最後がちっともわかりやせん。お得意の直感だのみだと。 叙情詩てきな感じなのかなぁ。 絵に染み入る棋の音の影 みたいな。 すこやかで、朗らかで のんべんだらりのじい様だけど、厳格主義めいたけーがく儒教をならうより、冗談のひとつを飛ばしてくるじい様に漢文の話が聞いたい、というのは多分昔の人もおんなじことを考えたと思います。 (求仙)

2018-05-09

おお、なんだかメスゴジラが街をなぎ倒してゆく。 すがすがしさをカンジマス。ヴィヴィトきたね。 さて、私はインスタントポエムを量産しながら、やぁ、おめぇは糞だなといっててめぇのウンコをぶつけたり、ぶつけ返されたりする人間元代表選手としてこの詩を読みました。いやぁ、なかなかふてぇやろうだなとというのが第一の感想です。好意的な意味なので、貴方の感想に現れる素直で率直で寛大な気持ちで好意的に解釈していただけると助かります。 第2の感想といえば、 狂人、狂者、クレイジーズに使い分けてみたら便利ですよとトリビアのご紹介にまいりました。 狂人は病院で治療を必要とされたり、一生懸命、一生懸命間違った常識や行動を行い、何回も同じことをくりかえすひと。 クレイジーズは、一見普通に見えるけど、話も通じるように感じるけど、感情の起伏がすっげぇはげしくて、現実の選択が極論を選び勝ちで、他人と共有することが非常に難しい人とも言えます。まぁ、テキトーデス。 私のてきとーな解釈です。あっはっは。 さて、狂者ですね。 これは、昔の中国の言葉の意味をそのままに受けとめた方がワクワクする。 意味は、理想を掲げるもちょっと力が足りなかったり、時代の先取の精神をもっている人というような意味です。 真面目で今日の常識を疑わない人、諦めてる人からからすれば、新しい常識を打ち立てようと奔走する人は狂っているように見えるのは仕方のないことですからめ。 そして、狂者とともに歩いていきたい、もしくは3歩下がってついて行きたいというのが 元代表選手の気持ちです。けっこうそういう人は多いでしょうね。 詩人の世界は確かにせまい。詩人の世界は狂人、狂者、クレイジーズのオンパレードだから、石を投げたらそいつらにあたる。試しに石を投げてみたら、地球一周して、自分の後頭部に当たりました。 詩人の世界はせまい。 絵師の世界の方がまだ精練されている場面があるような話も聞きます。ね。 まっ、そんなことをいってもしょうがんない。 そうそう、感想が褒められているか、けなされてるのか分からないとかいてありましたね。 私から見る限り、 これからも物事の見る目を養い、つまりピントを合わせつづけてくださいね。ってことだと思いましたね。別に珍しくとも難しいことを言ってるわけじゃありません。ふふふ。 ピントを合わせるのが、批評する上でも詩を書く上でも一番強い能力だと思います。 昔の中国の言葉で中庸というのですが、 今日ここまでまた会う日まで (BABY NEAPOLITANS 3)

2018-05-08

読むと謎の緊張感がある。 それはロケットでむかってもむかってもたどり着かない惑星。 たどり着いたと思ったら、星の反対側に抜けてしまい、何が起きたのかはわからないけど 確かな結果がある。 土星を理解するには多分、火星より難しい。時間がかかる。 そんな詩のように見えました。 弦をはげしくピチカァトした結果か、強く早弾きをしすぎたからなのか 弦はどこかへ消えてしまった。 作者の願望がそこにあるのではないかと思った。 それはつまり、 規則正しく行った結果の 強烈な破壊だ。 正当防衛ならぬ正当破壊。 コーヒーを凍らすほどの。 そんなものがぽややんと浮かびましたが、さて もうちょっと、ミステリアスを飛び越しすぎていたから、謎は謎の緊張感のままでいいから、 手を伸ばしてくれたら、多分、土星をみんなすきになるとおもいました (流星群)

2018-05-08

ブルースはわりかし身近なことをわりかし簡単なリズムで歌う。 ぽややんと再読しています。 人間の理想を見いだせない、もしくは見いだしている奴はどこかうそぶいている様で滑稽で無力なのが嫌というゆうほどわかっている。 だから俺はとびきり明るいファンクのようには 歌えない。宣言することもない。 多様化する価値観の時代に信じられることは なんだかすくなってきやがった。 Hey。ブルーズマン。 いい歌だね。ふくざつなリズムは使わずに ビールのボトルネックに身近な虹を見つけたとき 等身大の自分のお歌をうたう。 アイロニーへと溶けてゆくシニカルな笑顔。 だってしょうがんないだろう。 絶体絶命さ。 身近な美しさは猫ならば 俺は一匹のネズミなのさ。 窮鼠猫を笑う。 絶対絶命さ。 猫を噛む奴はたくさんいる。たくさん知ってる。 俺はそいつらのことを笑わない。 俺だってそいつらと同じさ。命をなげうっていく。もちろんシニカルな笑顔でね。それが俺のやり方だと言わんばかりに。 噛みつく奴がのたまう言葉もシニカルな笑顔の俺が吐く言葉も文章にすると瓜二つ。遺伝子が違うのにさ。 Hey ブルーズマン お前の歌があまりにも魂を奮わせる。 アイロニーは淫乱だ。 俺の油をすいとってゆく。かさついていく。 そして、空っぽへ 飲めば飲むほど喉が乾く。 アイロニーは危険なアルコォル。 胸に沁みついたシミはこんな酒じゃ抜けないってのに。 所詮、人間はこの沁みに 飲むことでしか、立ち向かうことができないのだろうか。 しかし、何故だろう。 このブルーズマンがうつむいたときはとことんうつむいてる。 けれど、等身大で前を向いて歌うとき、とことん強烈に胸に響く。 無力な言葉なはずなのにどんな嵐がやって来てもたじろぎもせずにそこにある。 Hey ブルーズマン。 随分、ちりばめられてるのは陰惨な道だが、 立ち向かう言葉には 陰惨をゼロに、覆すほど力強さが湧いている。 まず、そこの魅力に素直に俺以外の誰かに気づいてほしい。 読むなら厳格主義を捨て、最後の方は、皮肉の極み 、の可笑しさを見つけてほしい。 そしていろんなところに極端なほどの渾身の魂がこめられていると私は思う。絶望がたくさん。それと同じくらい希望。どちらもシニカルな笑顔でうたっている。 価値観が多様化する時代だけど、この作品がもっといろんな人に読まれることを望む。 (is this crap?)

2018-04-22

(こりゃぁ、すげぇな。) 感覚だけの感想を書いて行きまする。 分析や批評は他のかたにまかせよう。 自分の直感だけが私に残された、この詩に対する言葉をのこす術になってしまったからです。 しばらく自分が歌わずに、この詩を眺めてるだけでいい。もしくは口ずさもう。たくさんかいてくれたからどれかひとつくらい暗記したい。 きっと、何処かの章をすきになれば、だんだんとほかの章も好きになるはずだよ。と誰かに伝えてみよう。 まずは序章を味方につけるように読むべきなんだろう。 空っぽに なんだか、身体のどこかに円柱が突き刺さっていた。 それを抜いたあと、身体には大きな穴があいてしまう。 しかし、この詩がその穴を健やかに埋めてもらった。 きっと、私以外の誰かもそうなる。 (is this crap?)

2018-04-19

https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=337606filter=catfrom=menu_c.php 冗長になってしまいましたが、 チンチンつながりで返詩をおいてゆきます。 では!またどこかでー! (悪魔と校長先生)

2018-04-18

チンチンをいじくる詩があると聞いてやってきました。 社会派の方はチンチンと校長と聞けば、一万人以上の売春を行った業の深い事件を思い出しますかも知れません。 民衆派の人は自分のポコチンをディナーショーの具材にして、客に食させて、そのあとにポコチン料理のレシピをクックパッドに載せるといったビックリ人間のことを思い出すかも知れませんね。 この詩はチンチンを擦れと言い残し、拳銃自殺を図る校長の詩 3つの事件はどれが現実でどれが詩なのかと、人を惑わせますね。 私が思い浮かべたことは チンチンを拳銃というイメージで繋げ、脳天を吹き飛ばすことで、薄暗いところで射精を暗喩させるといった僕たち死ぬまで中学生には楽しい詩でした。 思い出したことは若かりしころに 「ジャズの極意を教えてやる。 それはな。 ちンコ、まンコ ちんこ、まンコ いいか。 『ンコ』にアクセントを置くんだ。」 と教えてくれたサックス吹きの大好きな友達のことも 重要な 自己満足を与する 機能の欠落 年上の、 立場が上の人間が、 悪魔にとりつかれて 脳天を吹き飛ばす チンコを吹き飛ばしてはいない。 もし朗読するならどこにアクセントをおくべきなのかなと今読みながら探しています。 チンチンにアクセントをおくとすると、悪魔はどうやって姿を現すのだろうか。 拳銃自殺のときはやっぱり、静かに、力強く歌うのかな。と想像を巡らせております。 最近、ポエトリーリーディングのイベントに産まれて初めて遊びに行ってきました。 詩をうたうのは、聞くのは楽しいですね。 だからかも。 投げ「槍」にみえても やはり言葉が強いから 突き刺さる詩。 楽しいので、後で 返詩させてくださいね。 (悪魔と校長先生)

2018-04-17

言葉と生き方のくだりについて褒めていただいたので、セブンイレブンでコサックダンスしながら、返信をしております。かなり手ぶれが酷いので上手に返信できなかったらごめんなさい。 そこを修正した理由は それは距離をちかづけて描きたくなかったのです。 私は船乗りですが、 相手は蝶になって空にむかう。 ふたたび、出逢うことは難しいかもしれません。 けれど、お互いに言い残した言葉や生き方がふたりに備われば、 私は空に星を見つけるでしょう。 空にいる相手も浜辺や海に似たような星をみつけるかもしれません。 そして、それは同じ景色を見つめてることに、隣にいなくても私たちを通わせることができるような気がしているのです。 意味がよくわからないと思うかもしれませんが、 それがわたしのような割りきり方とやり方なんですね。 そして、るるりら氏の返詩をよんで 私はとても楽しくて、 たぶん、ここ最近女の気持ちになっております。 すきあらば、インディアンのようにおたけびをあげ、羽飾りのついた帽子をかぶり、翼を広げるように、多少、自分を大きく伸ばす様に、ばさばさ飛ぶ練習をしております。 ちぢこまってちゃ、空は飛べないでしょうからね。 貴方に返詩をしてからというもの なにか飛び出したい気持ちがぐるぐるしております。私は薪に火をくべ、そのまわりをぐるぐるまわりながら、今、また詩を考えております。 でも、それは詩じゃないのかもしれません。別の表現方法かもしれない。 それがなにか今はわからないですが、 るるりら氏からいただいた返詩は炎となって私にともり、私はそこでぐるぐるまわっています。 それにしても、貴方は本当に最高だ。 あの私が書いたテキトーな返詩をほんとうに上手に着地させてしまうのだから、 まるで、私が1つの詩を読めば、相手の気持ちを10分かるようなにんげんとして書かれたのは、ちょっとやりすぎだよ。と苦笑しております。 そんなスゴい人間だったら、わざわざ自分のことを破落戸とはなのらないでしょう。 でも、そんな風にできたらなぁと思いますが、 るるりら氏の返信のように上手にできたらと願、今日はここまで、また会う日まで。 (飛ぶ)

2018-03-17

ぽややんと、読んでいます。最初は別れた後の話かなと読んだのですが どうも、符丁があわない。 喧嘩の夢をのなかで。 別れた夢をみた。 (別れちゃいない) コーヒーの香りがくにゃんとさせたのは、意固地なものでしょうか。 せきとめていたのでしょうね。 顔をだしてしまったら もうとめられないよねー。 きっと、訳もなくハグしたね。 もちろん、別れた後の話としても解釈が通せると思います。 どちらにせよ。 たぶん、この登場人物の人は夢も過去もひっくるめて 、きっと、様々な事件がふたりの間にあったであろうけど、 くにゃんと、 「悪い夢じゃなかったわ。」と つぶやいてくれる気がいたしました。 そして、コーヒーを飲みながらbgmはイッツオンリーペパームーンでいこう。どう? あはは。なんてね。 ひとりじゃ、朝日も味気なく寂しくて たとえ恋がリアリストに錯覚だと言われようとも ふたりなら曇りの日でもぬくもりに変えることができるのが事実です。 現在であれ、過去であれ 1+1=1と有名な数式。貴方と私がひとつになればよいとこたえるロマンチストは 未来永劫1+1=2と答えるリアリストがふたりにとって未来にいようとも、些細なことになるでしょうね。。 (喧嘩の夢)

2018-03-15

社町 迅 さんへ お読みいただきありがとうございます。 なんだかんだで、 ぽんやり投稿してしまいました。 将来の夢はうつくしいロマンチストなので、一歩づつ進めてるといただいたコメントから自信を得ました。あっはは! ただ、立派なロマンチストになるには、高い身長と整った目鼻立ちと甘い香りに包まれる言葉を持たないといけません。 ゆえに牛乳飲みながら返信していることをどうかお許しください。 のこりあとはふたつは、たぶん大丈夫だとおもいます! (航海日誌)

2018-03-14

さて、どっちに返信を しようか迷いました。 ちょうど、るるりら氏に返信にするか、投稿にするかと迷ったように。 迷いのなかで選んだ答を辱しめないには、きっと一秒でも速い返信が正解なのだろうけど、 返詩を返信でかえすのかい?と口許を手で隠されるのはシャクだ。自分のやり方にはありゃしねぇ。 返詩を騙詩としたくもないので、悩む。悩むのも返詩のひとつとして淑女の皆様には笑っていただきたい。 詩にたいしてなにかかこうとすると テキスト至上主義について考える。 私の憧れの読み方だけど 、なかなかにできない。それは絶対的に知識を必要とするだろう。一番恐れるのは私の様に「礼」が足らない人間が知識を得て流暢に話す様になることだ。憧れるけど、恐怖だな。それは、それっぽく、そして、誰かを操ることにも繋がるのがいらつくし、こんなに丁寧に説明してるのに、なんで分からねぇだとイライラする未熟者の螺旋を登りたくないのかもしれない。 私はこれまでどおりテキストに作者の名前があるじゃないかと、卑怯な読み方をする。 君の名前があると安心する。間違っていたらいつものように諌めてくれる友だから。くだんの主義には反するけどそれはそんなに悪いことでもないような気がするよ。あっはは! 真実と錯覚の対岸へ まずは膝までつかります さて、ひとつ。深呼吸。 ぽややんと。 ランデブー 鳥糞として落ちる 喰われた自分が何者かわからぬまま 隣のお前もでんでろりん 小虫か、木の実か、石ころか こしとられてゆくよ とけのこった私達の部分 なんてもう要らないよねと残ったお前の左手が私の右手と こちらにむかってふってる 白い鳥糞としておちる。 おたけびをあげながら興奮 それぐらいしか覚えていないが (気持ちいいね。) Bgmはチークトゥチーク それぐらいは覚えていたっていいじゃないか 朝日すらお前(私)の一部に沁みてる 私もお前も、らしさなんてすべてうちすてていた なんというめるふぇんか いつのまにかハミング 落下地点にうれうことなく頬を、よせる。 (飛ぶ)

2018-03-10

やほー! 返詩ありがとー! 名前が投稿できなかったから、ゲームアカウントでツイッターログインしたよ。 現Fで推敲してからのせればいいものをこっちで即興。むこうで推敲という今考えてみれば可笑しい順番でござる。 じゃぁ、せっかくだからぽややーんと返詩するね。ふふふ。 浜辺の松明は 水平線の漁火と 符合するとき 理が零となり ただ、ゆらめく 漁火だけでは 海に消え 松明だけでは 砂にかえる 炎だけで 感応する ことが 美しい という枠組み すら、燃やしてゆけ こっちにきてごらん よくみてごらん 宇宙に独り ただの方程式 最果て(コタエ)は膨張するが 心臓は林檎のように 鮮度がおちてゆくだけ 松明は 目を凝らさなくていい優しさが ゆらめいているのだ (航海日誌)

2018-03-09

ある有名な方がのたまうには、死体の面白さとは、完成していることにある。死体はじたばたしない。 生きているときはつまらない、じたばたするもんだ。 なぁんて言葉を読んだことがあります。 この言葉が意図する深いことはおいといて、 額面どおりにうけとれば、 なるほど、確かにそういうものかもしれないと頷く方もいれば、 うるせぇ、糞爺! そりゃ、あんたの生き方だぜ。と爺どもの棺に蹴りをくれてやる方もいらっしゃるでしょう。 わたしは多分後者のほうです。無教養で、若さが 蒸発しきっていないからかもしれません。 だからかもしれませんが、割かしこの詩をpopミュージックを聞くように読んでいます。 それは、夜、闇など 陰の魅力を味わうよう読んでいます。 テイスト心地よいです。 陰の雰囲気の完成度も高いなぁと言葉選びのセンス良さをながめております。 蛇足で申し訳ありませんが私の好みを好き勝手に押し付けて書かせていただきますと 気になったのは 最後の おいとまします。 と書かれたあとの あとの3連です。 私は ここに作者の迷いを感じました。(テキトーでサーセン) 若い女なら身体にある程度執着をもつなら当然だ。 生き方にも死に方にも理想をもつ。 誰でもそうだ。 しかし、ここまで、めちゃくちゃに生きて死んだのなら 過去の自分の死すらも執着しない。 きたねぇ花火でもいい。 とんでもなく恐ろしく力強い言葉を使っても それはそれでギャップがでて魅力を感じます。 おいとまします。 と書かれたあとの 魂のリズムが もはや、この世に恨みはありませんと同じリズム。だからでしょうかね。なんか、ひっかかるのですが、これはこれでいいもんだよ。と誰かに言われれば納得する自分もいます。 是非とも他の方の感想も読んでみたいです。 (或る女の剖検)

2018-03-02

返詩 さよならするものがおおすぎるゆえ 少し安心したりする ひとつのくぎりをつけるために 殻へと、種へと戻る君 ヘンテコな名前やIPアドレスのない世界で 君はイルカになるといい。 群をなして海つきすすむ 根っこのように伸ばした様々な約束なんざ 今は引っ込めるといい ざぶんざぶんと せびれに陽を感じてほしい 気泡がお腹の下をくすぐってる 記憶しておくといい それからたまにはまた泥臭い話を聞かせておくれ。 あと君は大空にむかって咆哮するべきだな 海にむかうときは 夜明けの時がいい 日が沈むときは家に帰れ 詩人の友達は少ないが 俺はイルカの友達と猫の友達がおおいんだ。 イルカになった君は きっと泳ぐのがうまくなる (さよなら、インターネット)

2018-02-15