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つわぶき


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初コメント送信者の燈火

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作成日時 01:02:16 初月初日一番乗り。 なんとも浅ましい心情を自ら露呈する文字テロリスト。 これ以降こいつの作品はコメントスルーでお願いしたい。 (マリリンマンソンの歌)

2025-10-01

茨城県水戸市出身 静岡市在住経験あり 藤枝市清里スーパードラッグストア杏林堂2年勤務で新しい仕事を始めました 2019年8月 藤枝市清里スーパードラッグストア杏林堂2年勤務を退職しました 2021年8月 (クエスチョン)

2025-09-30

ずいぶんとコメント欄が過疎ってるな。 >唾を吐き捨てる様に、いろんな事、投稿してるだけだからさ。 そんなの程度の姿勢ならこれやるよ。つ□←チラ裏 (非モテ男子達の美学)

2025-09-30

二代目万太郎の詩は、言葉の選択においてしばしば鋭利さを狙いながら、実際には観念の散乱に終わっている。筆致は激情に満ちているように見えるが、その激情はしばしば自己肥大に依存しており、読者を共鳴へ導くよりも、むしろ遠ざけてしまう。 「公」を強調する姿勢は、自己を「公の場に晒している」と主張することで正当性を得ようとするが、その言葉自体が彼の内向的な自己保存の欲望を露呈しているに過ぎない。つまり、二代目万太郎が繰り返す「公」という概念は、社会性の構築ではなく、孤立を正当化する装飾的な盾になっている。 さらに、挑発的な物言いの裏に潜むのは思索の深まりではなく、論敵を立てること自体によって成立させる安易な構造である。詩とは世界と自己を結び直す営為であるはずだが、二代目万太郎の言葉はその結節点を作ることなく、敵対と分断を自己演出の舞台にしている。 詩人としての倫理とは、言葉をもって裂け目を縫合し、新たな視座を開くことにある。しかし、二代目万太郎の詩は裂け目を広げるだけで、閉じる意志を欠いている。そこには反抗はあっても希望はなく、言葉の持つ救済力を信じる気配は希薄だ。 結論として、二代目万太郎の詩は「反抗の演劇」にとどまっており、そこに真の「反抗の思想」は宿っていない。形式的な激情と観念の錯乱の間で揺れ動き、未だ詩としての重心を持ち得ていないと言わざるを得ない (世界はバカ、日本もバカ)

2025-09-15

いつもどおりの?マークの連発。 コメント欄でも同じく疑問形でしか言葉を閉じられない。 問いかけまくられてもそれはただの迷惑。 初月初日に現れなかったと思って安堵したがまたもやBにかのテロリスト再び。 CWSにでも移籍してくれ。あのサイトはBK機能があるのでクズ文読まされるのも一度だけだ。 (LITTLE BABY BLUES)

2025-09-14

→社会復帰→コンビニでチン出し→私は悪いことはしていない→精神病院強制収監→グループホームの無限ループ (ありがとう)

2025-09-14

こういうのを世間一般ではエコー・チェンバーと呼ぶのでしょうか。 (ことばの魔術師、参上!)

2025-09-02

小悪魔女子高生に謝罪の場は今何処にし! 魅惑の高校女教師に腸捻転喰らわしたる! 虚空の白衣の天使に懺悔の刻今日来たり! こんな言葉遊び、いくらでも思い付くわ! だからもうやめたいんだけどやめられん? (五行歌スレッド)

2025-09-01