作品投稿掲示板 - B-REVIEW

沙一


投稿作品数: 102
総コメント数: 1527
今月は9作品にコメントを付与しました。
プロフィール
記録
プロフィール:
詩・小説・絵などを創作 『写真詩集 opioid+』BOOTHにて販売中 小説『PARIAHS Shared World -NEKO THE IDOL-』amazonにて販売中 B-REVIEW第六期運営 INFJ

沙一の記録 ON_B-REVIEW・・・・

神がかった初コメント送信者

作品への初コメント数バッジ(くわしく)
獲得バッジ数

最早人間ではないレッサー(月毎)

月毎コメント数バッジ(くわしく)
獲得バッジ数
✖20 ✖20 ✖20

奇跡的B-Reviewer

総合コメント数バッジ(くわしく)
獲得バッジ数

投稿者

投稿作品数バッジ(くわしく)
獲得バッジ数

誘惑

2023-04-28

迷信

2023-04-12

ラピスラズリ

2022-11-07

星をなぞる

2022-10-05

コシャリ

2022-09-01

いいよ

2022-07-31

放浪する音楽

2022-05-18

100%

2022-05-11

未完成の日

2022-04-09

合鍵

2022-03-04

四菓撰

2022-02-24

射手座

2022-02-01

ゆびきる

2022-01-24

雨の痕

2021-11-21

夜光虫

2021-08-20

まいごの狐

2021-04-01

花迷宮

2021-03-22

夢の病

2021-03-19

マグノリア

2021-03-11

空谷の跫音

2020-12-11

夢十字

2020-11-22

雨想曲

2020-11-10

夜に迷う

2020-10-11

かへりませう

2020-09-09

禁忌の日

2020-08-16

風の死

2020-08-08

ディレイド

2020-07-07

夕暮

2020-06-18

いつのまにか

2020-06-12

化鳥のうた

2020-06-06

一人

2020-05-20

めかりどき

2020-05-05

遺失物同好会

2020-04-19

夜伽桜

2020-04-11

非在

2020-03-18

切創

2020-03-08

ホリデイ

2020-02-16

犬歯

2020-01-14

風車はまわる

2019-12-30

本能

2019-11-08

音のない町

2019-10-10

旅館

2019-10-06

水仙

2019-09-17

半分の羊

2019-09-08

メトロ

2019-07-05

極楽鳥

2019-06-11

古書店

2019-06-01

つくよみ

2019-05-07

ハルピュイア

2019-05-01

永遠

2019-04-07

花のころ

2019-04-01

汽車

2019-03-14

火球をみた夜

2019-03-01

ルシアン

2019-02-12

あまてらす

2019-01-08

ナイフ

2019-01-01

待ち合わせ II

2018-12-08

待ち合わせ

2018-12-07

ホテル春光

2018-11-08

女神

2018-11-01

探しもの

2018-10-14

ピアノ

2018-10-07

氷菓

2018-09-29

たそがれどき

2018-08-27

雨の停車場

2018-03-13

白檀

2018-03-05

夜の人

2018-02-17

真珠

2018-01-13

流星

2017-12-09

待合室

2017-11-25

地下鉄

2017-11-18

多彩なメタファーが観念の抽象性に陥るのではなく、しっかりと具象性を帯びていることにとても好感を覚えます。モノの実感とでもいえばいいでしょうか。 感受するよろこびとそれによるかなしみのあるために読解は野暮ったくなりそうではあるものの、上述の根拠として一例を示すと、平和や博愛の象徴ともいえるはずの花壇にペットボトルといういわばゴミを捨てたくなることに、そうしたくなるほどやけくそな心境が言明せずとも如実に表れているようです。しかし次には自ら思いとどまり、噴水という美しく安らかなところへ向かって行進していくという所作には潔く高らかな精神性を覚えます。 (強い人と私)

2023-09-17

白猫は「眠たそうな」ではなく「眠たい」そうなので、もしかしたら白猫は語り手の投影か、あるいは半ば同化しているんじゃないかという気がしました。 作品を俯瞰するストーリーテラーの視点から語られているのか、それとも白猫という主人公の視点から語られているのか、判然としない書き方は得てして器用とはいえないものの、好意的に捉えるなら曖昧な夢見心地を誘うともいえます。 (白猫)

2023-09-13

お返事をいただいて、ハッとしました。こちらこそ失礼でした。 同時に、まっすぐに言ってもらえたことに、体温を感じるようで嬉しかったです。 (「ナウム・ガボ」)

2023-09-11

/舜舜さんの作品を読んでいつも暗に感じていたのは、私の知らない世界で真に生きている方の文章だということです。もしかしたら文章表現ではなくてもそう感じるかもしれませんし、ここに書かれているあいまいな内容が真だという証明が私にできようはずもありません。ただ、私の知っているようで知らない東京の一面、そこで真剣に生き抜こうとしている私ではない誰かの息遣いが、文章に宿っているのを「感じる」としか表明しえないほどに感じています。 (「ナウム・ガボ」)

2023-09-10

まずは提案のご支持をありがとうございます。 違和を感じられたなら、私の運営再就任後で構いませんので、いずれご教示ください。遠縁になってもビーレビを愛するがゆえにいつも見守ってくださっている方からの批判を私は某運営のようには拒絶しません。笑 どうしても批判が苛烈に過ぎるところは後代のためにもお手柔らかにしていただきたいとは思いますが、この話題も本筋からは逸れるので保留にしておきますね。 (第8期運営方針)

2023-09-10

いかいか氏に関してこれだけ批判が寄せられているのですから、退任を求める声が上がってもおかしくはなく、現に上がっています。そもそもレッドカードを受けて出禁になったいかいか氏がユーザー側に釈明さえすることなく運営に就任したのは不当なわけですから、せめて実務から退くか、運営を続けるにしてもいつまでやるかという期限を定めなければ示しがつかないのではないでしょうか。責任とはそういうことではありませんか。 いかいか氏がいなければ運営業務が回らず後任がいないというなら、代わりに私が再び運営に参加します。 私は第六期運営においてメンバーが私と仁川路氏の二人だけだったにもかかわらず、事務作業の大半を担ってきました。現運営下で滞りがちな、運営からの公式発表や苦情対応や説明責任を果たすことは、運営就任後に私が積極的に請け負います。 私が再び運営に参加することに対する批判もあるかと思われ、それについてはいかいか氏ともおたがいさまです。ただ一つ確実に言えるのは、いかいか氏が運営にいたことによりビーレビから離れざるをえなくなった方々が、安心して再び参加してもらえるようになるということです。いかいか氏への不満のためにユーザーから要請されていた作品削除も不要になります。 私が再び運営に参加した際には以下のことを実施していきます。 ・7月度選考結果の発表 第六期運営の責任であるため退任前にやっておくべきだと主張していたにもかかわらず、性急な運営交代を迫られ却下されてしまった、作品投票システムによる全員参加型選考に基づいた7月度選考結果の発表をします。 また、第八期運営は独自の選考をしていく方針ですが、私は作品投票システムを残しておくべきだと主張します。選考制度が変わっても、結果発表に際して上位得票作品について付記するようにします。 ・ポエムファーストへのサポート 第八期運営により提言された、詩やその実作者を大切にしていこうとするポエムファーストの方針には私も感銘を受けています。よってポエムファーストを眼目とされている運営の方々には、選考や作品の拾い上げなどの活動に専念していただけるようにサポートしていきます。 また、第六期運営への反省から、以前よりも寛容に掲示板を見守ります。 ・フォーラムの解放 第六期運営においてフォーラムを閉鎖したのは私ですから、再び解放するための作業は難しくありません。 ポエムファーストの観点からいえば、フォーラムを解放することも視野に入れるべきかと思われます。 ただし、なりすましの問題を防ぐため、フォーラムにおける今後のコメント投稿はすべて匿名で行われるようにすることを提案します。また、匿名とはいえIPアドレスの一致からユーザーを特定できる場合があることをご留意ください。("身元がバレないことを前提とした匿名的なコミュニケーションは一切歓迎しない。"というガイドラインの一文に抵触するおそれもありますが、これは合評におけるマナーのことを指していると捉えられます。) 暴言や誹謗中傷、悪意あると認められる投稿は通告なく削除する場合があります。 その他、滞っている細かな事務作業を片付けていきます。端的にいうとB-REVIEWの碑の更新など。 参加時期はいかいか氏の退任後を希望します。これでいかいか氏はいつでも退任できますから、ご安心ください。 (第8期運営方針)

2023-09-09

私が在任していた第六期運営時代に、フォーラムにて以下の通告をしております。時系列順に記事へのリンクをご紹介しますので、まずは参考までにご覧ください。 2022年11月7日 フォーラムへのコメント制限案 https://www.breview.org/forum_blog/archives/2469 2022年12月9日 【重要】フォーラムへの投稿制限 https://www.breview.org/forum_blog/archives/2512 2023年2月15日 フォーラムの運用について https://www.breview.org/forum_blog/archives/2743 2023年3月19日 【重要】フォーラムの一般投稿閉鎖のお知らせ https://www.breview.org/forum_blog/archives/2877 (第8期運営方針)

2023-09-08

ようやく直にお返事をいただけたので、現運営側にとっていま必要なことを発言できたのだとほっとしました。 私がビーレビで最後に作品を投稿したのは今年4月28日のことで、他ユーザーさんの作品に感想をコメントしたのは今月2日のことです。もしそれで現運営が私を参加者として見做していないとしたら残念ではありますね。いますぐでなくて構いませんけど、現運営が参加者と認める基準を知りたいとは思いますし、ユーザーに対して"今現在掲示板で創作活動を行おうとしている"参加者かどうかという区別をし参加者でなければ運営に対して批判や発言権を認めないと差別をするなら、その基準について現運営は説明しなければならない責任があるとも思われます。 先の私のコメントも要は現運営のユーザーに対する差別意識への批判を含んでいます。"今現在掲示板で創作活動を行おうとしている"参加者でなければ運営に対する批判をはじめとした発言権を認めないかのような現運営の言説は、フラットかつオープンな場という観点からも到底受け入れ難い。 よって運営に対する参加者としての発言権をもし私に認めてもらえていないとしたら以下に何を述べようと現運営は聞き入れていただけないでしょうけど、あなたが問いかけてくれたので返答いたします。 まず、マナーガイドラインの是非については、私は現行のままで十分だと考えています。なぜかというと、時の運営によって解釈に幅があるなら小手先の変更に意義があるのか疑問です。また、ときにトラブルがありつつも現行のマナーガイドラインでビーレビが存続できていることも理由です。効用についても同様で、ビーレビが現在まで多くのユーザーにご利用いただきながら存続していることがなによりの証左ではないかと思っています。要するに現状ではマナーガイドラインを変更しなければならない理由が私には見出せません。だからといって今後もまったく変えてはならないとは思っていません。 私が主張したいのは、「運営からの通告」も「ユーザーからの承認」もなくガイドラインを変更しないでほしいということです。しかしどうやら現状は公式に変更も撤廃もされるわけではないということはあなたの主張を読んで理解しました。ただ、花緒氏が指摘しておられるように現運営が誤解を招く言動をしてきたことには私も同意見ですが、私は水掛け論をしたいわけではないので、こちらに誤解があった点をひとまず認めます。 しかしながら私が以前から批判してきた、レッドカード対象者を「運営からの通告」も「ユーザーからの承認」もなく運営に参加させていることについては、"原則として一度発行したカードが取り下げられることはない。"というマナーガイドラインの一部を反故にしているも同然ではないかという問題が解消されているわけではありません。当該人物が現運営に必要であるとあなたは仰っていますけど、その理由について具体的に説明されているわけでもないので、納得できるわけありません。あなたは当該人物に今後問題があるようなら自分自身を永久追放すると覚悟を決めておられるようですが、かつてレッドカード発行に至ったトラブルに巻き込まれた被害者の心情を鑑みても、それで本質的に解決する問題であるとは到底思えません。 (第8期運営方針)

2023-09-08

掲示板に上げられた運営への批判や疑問や苦情などへの対応を怠ることがなぜ「今現在掲示板で創作活動を行おうとしている方々」を最優先することになるのか、因果関係が不明なんですね。 運営への批判や疑問や苦情の多くをほったらかしておいたからこそ雪だるま式に騒動が大きくなってしまったのではないでしょうか。結果として「今現在掲示板で創作活動を行おうとしている方々」から煩がられているように見受けられますが、それで最優先しているといえるんですかね。 そもそも「今現在掲示板で創作活動を行おうとしている方々」などとユーザーを差別することはフラットな視座とはいえませんよね。 "運営者、投稿者間の垣根をできるだけ低く保ち、フラットかつ自由参加型の運営をしたい。"とガイドラインに記されているビーレビ理念の一端からも逸脱しているのではありませんか。その自覚がないから現運営への批判をなにかと言いがかりつけて封殺する傾向にあるのではないでしょうか。 運営や一部参加者を特権化する動きには反対します。 サイト管理のために権限を得るとしても運営はいわゆる「権力」などではなくて、むしろサイトに隷属し参加者のために働く役回りだと認識しています。そこを履き違えている方が現運営におられるのではないでしょうか。 (この国の政治にも言えることですけど、議員になることは民衆の公僕になるということで、偉くなったつもりになるのは勘違いなんですよね) (第8期運営方針)

2023-09-08

ほんとに、さまざまな角度から批判が止みませんね。私自身も現運営を猛烈に批判している一人ですが。無視を決め込んでいれば治まるというわけでもないでしょうに、運営が掲示板での対応を怠ってポエムファーストしていたからここまで騒がしくなってしまったんじゃないですかね。 新参者の方にとってはなんて煩い詩投稿サイトだと感じられるかと思われますが、ビーレビは初期のころからなにかとディスカッションが盛んだったんですよ。……とはいえここまで混沌としている状況は前代未聞ですけどね。 (第8期運営方針)

2023-09-07

私たちは決してビーレビが変化してはならないと言っているわけではないんですよ。ただその変化が「運営からの通告」も「ユーザー側からの承認」もなく行われたら、それはサイトやその参加者に対する暴力にひとしくありませんか。 ましてやレッドカードを発行されて出禁に至った方はトラブルを起こしたから処罰されたのであって、そのレッドカード対象者をユーザーの側から承認されることもなく無断で運営に加入させるなんて、当時トラブルに巻き込まれた被害者の心情にまったく配慮していませんよね。批判が巻き起こるのも道理です。 思い出してください、ビーレビに大きな変化がある場合、第六期運営時代までは必ず民意に問うていたはずです。 "ポエムファースト"といえば聞こえはいいですが、裏を返していえばユーザーのことを後回しにしている綺麗事に過ぎないのではないでしょうか。物事には優先順位がありますけど、現運営が就任してからまだ一月も経っていないあいだに起こった数々の批判や疑問に対する無視をはじめとした現運営の対応のずさんさから、ユーザーのことを優先していない運営であることは明白ではありませんか。 現運営に同調されている方々は一体どこに焦点を合わせているというのでしょう。幼稚な革命家気取りの自己陶酔から醒めて、事実として現運営のせいでビーレビでの創作活動を妨害されているユーザーや現運営に寄せられている批判と「真摯に」向き合っていただきたいものです。 (第8期運営方針)

2023-09-07

恋になぞらえて美化したいのでしょうけど、いま起きていることは、ビーレビに対する「同意なき性交」同然ですよ。ビーレビを愛するユーザーの方々に無断で、サイトの約束事が現運営により反故にされているわけですから。 だからこそ批判の声がこんなに上がっているのに、「新しい運営」という阿片窟に入り浸っていれば自分たちの理想を夢見ていられるせいで、悲鳴も耳に入らなくなってしまったのでしょうか。 あなたのような本来は良識あるはずの方が陶然となり自己批判を忘失している様は見るに堪えません。どうか目を醒ましてほしい。 (第8期運営方針)

2023-09-07

仁川路氏にそんなに辛い思いをさせるリスクがありながら現運営はなぜ協力を要請したのでしょうか。 仁川路氏のことを本当に思いやるなら、こんなやくざな運営に関わらせることなく、これまでの仕事を労い、そっとしておいてあげるべきだったのではありませんか。 頼み事をされたら断れない仁川路氏の献身的な性格を私はよく知っています。だからこそ退任後に都合のいい輩に利用されることのないようにするためにも、"次期以降の運営に関する一切の責任を負わない"という取り決めをしておいたんです。ところが私の懸念していた通りになってしまった。現運営は約束事を守れないのでしょうか。ほんとに責任感がありませんよね。 (第8期運営方針)

2023-09-07

※上記コメントは吸収氏に宛てています。 (答えられない質問たちのために_20230901)

2023-09-06

私も当初は現運営を批判するつもりはありませんでしたよ。 第六期運営は性急な運営交代を迫られて"次期以降の運営に関する一切の責任を負わない"ことを条件として退任しましたから、責任を負わない以上は発言する権利がないも同然だとさえ考えており、その意向は仁川路氏とも共有していました。 ところが、仁川路氏がこのグレーなサイトから円滑に足を洗えるように取り計らったにもかかわらず、第六期運営退任時の取り決めを勝手に破り、仁川路氏を再び運営に巻き込んだのはあなたたち第八期運営ではありませんか。 こちらこそ「ふざけんな」と言いたいですね。 とはいえ、すでに現運営から離れたあなたをこれ以上責めるつもりはありません。下手をしたら批判を浴びる運営の苦労はおたがいさまです。 私はいま現運営のことを猛烈に批判中ですが、必ずしも現運営に反対しているわけではなく、その運営方針には感銘を受けている面もあり、私の批判している点が改善されることさえあれば協調することもやぶさかではありません。 結果はどうあれ、運営に名乗りを上げていただきありがとうございました。 ビーレビから離れたら、社会で働いている身であることもおたがいさまではありませんか。ひとまず、お疲れ様です。 (答えられない質問たちのために_20230901)

2023-09-06

私が言いたかったことの核心を汲み取っていただき、まことにありがとうございます。 (森おじさん - Creative Writing)

2023-09-06

レッドカード対象者を運営に参加させていることについて、ゼンメツ氏がようやくそれなりの返答をしてくれましたが、裏を返せばそれは、私が先のコメントで疑問を呈さなければ現運営からはろくに説明もしていただけなかったということではないでしょうか。 このような対応を常識的な判断と考えておられるんですかね。 ビーレビユーザーに被害を与え、レッドカードを受けて出禁になったにもかかわらず、反省の色さえなく出戻りを繰り返してきた方について、ある一面を指して「真摯」だと運営の立場から云われることには非常に違和感を覚えます。それはたとえば、DVを受けながらも加害者から離れられない洗脳された被害者の言い分「(加害者は)暴力を振いますけど本当はいい人なんですよ」みたいに聞こえてしまうんですね。 仲間内で真摯かどうかは関係ないんです。重要なのはビーレビユーザーに対して真摯かどうかですよね。「真摯」を「公平」と言い換えてもいいかもしれません。 レッドカード対象者を運営の仲間として優遇し、当のレッドカード対象者から被害を受けたユーザーの方々については謝罪や説明責任を果たすどころかまったくの置き去りにしている。そんなんで公平な運営だといえるわけはないし、責任を果たそうとさえしない運営がその権限を行使することをはたして正当だといえるのでしょうか。 ましてや運営からの通告もユーザーからの承認も経ずにマナーガイドラインを反故にするなど言語道断です。 オブザーバーを含む現運営のメンバー全員には、現運営がいかに道理に反しているか、どうか目を醒ましていただきたい。 (第8期運営方針)

2023-09-06

かるべさんが築いてくれたビーレビの現行システムをさらに発展させてくれたふじりゅうさんにはいまでも感謝しております。 とくに作品投票システムはふじりゅうさんが実装していただき、これによるユーザー全員参加型の極めて民主的な選考制度が第六期運営時代までは続いていました。しかしいま、その全員参加型選考制度とそれを支える作品投票システムが、第八期現運営によって破壊されようとしています。このビーレビの現状について、一重にビーレビを愛するために時間と労力をかけてシステムを実装してくれたふじりゅうさんからしてみれば、元カノが暴行を受けているにひとしいといっても過言ではないであろうと、その痛切さは察するに余りあります。 (森おじさん - Creative Writing)

2023-09-05

本文を読み、正直、第八期運営の方針には感銘を受ける面もあります。 しかしなぜ第八期運営が始動した初めに、このように方針が明文化されなかったのでしょうか。いまこの時期になってようやく文章として運営方針が表明されたのは、これまでに複数の方々から数々の批判が発せられたからであって、そうした批判がなければ結局のところ現運営はダンマリを決め込んでいたんじゃないかと思わざるを得ません。 それにしても、"一人の荒らしが他すべての参加者の創作活動を著しく妨害されるのでしたら、なんらかの対処を行うことも仕方のない話だと考えております。"という方針にはまったくもって同感です。これに準ずるなら、まっ先に現運営メンバーであるいかいか氏について対処しなければならないのではないでしょうか。いかいか氏はかつてレッドカードを発行されながら、名前を変えて執念深く出戻りを繰り返し、挙げ句の果てはアカウント凍結に至っています。 参考:『アカウント凍結のお知らせ』( https://www.breview.org/forum_blog/archives/3112 ) 荒らし行為によって他者へ被害をもたらした方が、現運営下ではなぜビーレビでの活動どころか運営への参加も許されているのでしょうか。筋が通らなくありませんか。 また、レッドカード対象者が運営に加入していることによりビーレビでの創作活動から離れざるを得なくなってしまったことを現に表明されている方もいます。 参考:『今のB-REVIEWに思うこと』( https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=11557 ) 荒らし行為によりレッドカードを発行されて出禁およびアカウント凍結に至った方がビーレビでの活動どころか運営にまで参加していることについて、またそのことによりビーレビから離れざるを得なくなったつまりはビーレビ上での創作行為が妨害されてしまっている方がいる事実について、現運営はどのような"常識的判断"をされているというのか、甚だ疑問です。 (第8期運営方針)

2023-09-04

"靴の中に埃が溜まる"と気づくことのできる細やかな視点に詩を感じます。埃が溜まるほど永く履かれていていなかった靴、そのように放っておかれていた対象に目を向けておられることの優しさ。それは、世間からは相手にさえされていないのではないかと、自分自身の価値を見失ってしまっていることの投影なのではないかとさえ感じます。 自己の価値その基準を見失っているから、たとえば寒いのか暑いのかといった、世界そのものを感じるための基準も知らないかのようです。でも、知りたいと思えるのは、その先になにかあると直観的にわかるからで、まだ微かに希望や向上心も生きているのかもしれませんよね。 話は逸れるようですが、最近、部屋にゴミが置いてあったり、雑然としていたりすると、妙に落ち着くところもあることに気がついたんですね。私としては以前なら許し難かったはずなのに。なぜなのか自分なりに考えていたのですけど、ああ、それは自分だけがゴミじゃないんだって思えるからなんじゃないかと思い至りました。本作の"床に紙屑を落とす"ことにも、もしかしたらですけど、似たような心情を覚えます。 (知りたい)

2023-09-02

選考がブラックボックス化しているのではないか? という新たな懸念もありますね。 『2023年7月 選出作品総評』( https://www.breview.org/forum_blog/archives/3209 )に目を通しましたが、優良や佳作に選ばれた/選ばれなかった作品の具体的な根拠が一切明文化されていません。いたってシンプルに選考した結果が報告されているだけ。かろうじて当該記事執筆者(しかも署名は無し)の曖昧な主観がお情け程度に付記されているのみではありませんか。 (答えられない質問たちのために_20230901)

2023-09-02

"それとさ、君はボクのなりすましについて『知らない』と言える?" これについても『パスワードを変更しました』( https://www.breview.org/forum_blog/archives/2732 )のコメント欄で以下のように説明したはずなんですけどね。 "『ツイートを削除してください』( https://www.breview.org/forum_blog/archives/2718 )におけるatsuchan69氏を名乗る以下2件のコメントについてですが、現時点で解明されていることは、それぞれIPアドレスが異なり、かつIPアドレスが他に一致するコメントは投稿されていないということです。" そちらが「なりすましダー!」と主張されているのでそうなのかもしれませんけど、こちらとしては要するに「証拠を発見できなかった」ということに尽きるわけなんですね。 第六期運営としては出来る限りの対応をしましたし、そちらが納得していただけないだけのようなので、こちらから「水に流してちょ」とお願いするのはおかしな話です。なので無理して水に流していただかなくても結構ですよ。 まあ、仮に現運営に問い合わせたところで、第六期と同様の対応になると思われますけどね。あ、そもそも思考停止の無視しかできない現運営は対応さえしてくれない可能性が高そうですね。 あなたにはせめて、おまるを卒業して一人で水洗便所にチンコ…じゃなかったウンコして流せるようになっていただきたいものです。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-30

返事がなかったのはあなたのほうではありませんか。 IPアドレスを知っているからといって相手の個人情報を修得する権利があるとは限りません。 『私の名は、スタヴローギン! (2023年改訂版)』( https://www.breview.org/keijiban/?id=10799 )における一連のやりとりにて、第六期運営からatsuchan69氏に宛ててすでに以下のように回答しています。 - 下記リンク先のページより引用いたします。 "プロバイダの持つ接続情報の公開は個人情報保護の観点から警察・検察の捜査照会や裁判所の命令等を伴う場合など特殊なケースに限定されており、基本的に個人や企業の要求で公開されることはありません。" IPアドレスとは? 仕組みや確認方法、個人の特定について解説|ICT Digital Column 【公式】NTTPCコミュニケーションズ https://www.nttpc.co.jp/column/network/whats_ip.html 法律に関する知識を述べておられる方が個人情報保護についてご存知ないとは考えにくい。法律に抵触しない範囲で運営に出来ることがあるようでしたらご教示ください。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-30

仁川路氏へ "次期以降の運営に関する一切の責任を負わない"という第六期運営退任に際しての取り決めが破られていることは、当コメント欄にて私が先述した通りです。あなたが第八期運営へ協力することは不当です。 ましてや第八期運営のとあるメンバーは、他者に対し名誉毀損にあたる情報を晒すことをチラつかせるという脅迫を行い、その反省さえないようです。 あなたの良心にお尋ねします。 あなたは犯罪者が運営するサイトのシステムや犯罪者本人とあなたご自身が関わっていることについて、お父様や職場の上司や創作物のファンに胸を張って話すことができますか? 無理にお返事いただかなくて結構です。ただ、私からの問題提起に理があると思われるなら、行為で示していただきたく思います。すなわち、第八期運営オブザーバーから速やかに退任し、今後は運営に一切関わらないようにするべきではないでしょうか。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-27

先日、第八期運営のシステム担当かつその責任者であるいすき氏から個人的に連絡があり、仁川路氏を運営オブザーバーに引き入れて申し訳なかったと謝られました。 いすき氏は"次期以降の運営に関する一切の責任を負わない"という第六期運営退任に際しての取り決めをご理解いただいており、取り決めを破って仁川路氏に協力を仰いだことを不当だったと反省しているからこそ、私に謝られたのだと思います。 とはいえ謝られたからといって、取り決めを勝手に破られた私の憤りが収まっているわけではありません。どうケジメをつけていただけるというのでしょう。 Ceremony(いかいか)氏は、運営のシステム担当でもその責任者でもなければ、仁川路氏本人であるわけでもないのに、なぜ仁川路氏の意思をさも代弁するかのように振る舞えるのでしょうか。そのほうが疑問です。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-27

仁川路氏を速やかに運営オブザーバーから退任させてください。 私たち元第六期運営は次期以降の運営に関する一切の責任を負わないという取り決めですから、仁川路が第八期運営に協力することは不当です。 第八期運営メンバーが当コメント欄で行った、他者への名誉毀損にあたる情報を晒すことをチラつかせる行為は、明白な脅迫です。名誉毀損罪とは違い脅迫罪は非親告罪ですから、相手へ「害悪を告知」した時点で成立条件を満たします。(今回の場合は相手の「名声」に対する害悪) 仁川路氏を犯罪者が運営しているサイトに加担させるわけにはいきません。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-27

このたびは第六期運営としてお世話になりました。 強権的な役を演じていたがために、ときには批判を浴びることもありましたが、おかげさまで救われる思いがします。 退任に際してこのように詩を捧げていただいたことのある運営は、私たちの知る限り他にはおりません。 まことにありがとうございます。 運営の任を降りれば私たちはユーザーに過ぎず、ビーレビから離れれば人間として生活しています。 公平な立場から、今後も室町礼さまのご健勝をお祈り申し上げます。 仁川路 朱鳥/永扇と沙一より (みんないってしまったのかい)

2023-08-10

ときどきこういう覚醒剤じみた投稿したくなるんですかね…… このような扇動的な投稿に乗せられてしまったがために、誰かにカード発行されるようなしょうもないことにはなってほしくありません。 皆様、どうか節度を保ってくださいね。もし口論になるようだったら、議論を即時中止すること。お願いしますよ。 熱中症にはくれぐれもお気をつけください。 (くたばれビーレビュー その三)

2023-07-14

私のアジを要約すると、社会に憤り火炎瓶を投げるほどの気概がもしあるなら、ネットにおける一つのミクロな社会ともいうべきビーレビの成り行きを指くわえながら眺めているよりも、運営に参加し実際に行動してみませんか、というわけです。 アジってみた結果として、必ずしもシケているわけではない手応えを感じることもできました。 しかしこれ以上は作品に対する合評からかけ離れてしまうおそれがあるため、ここでは控えたいと思います。 (しけしけのしけしけのしけしけのぱれーど)

2023-05-29

もしも作者が不快に思われたなら、議論を即時中止しなければなりません。 作者を置き去りにして会話が進行している以上、作者の本意が明らかではないため、もしもの場合を想定し、配慮を欠かしてはならないと考えます。 (しけしけのしけしけのしけしけのぱれーど)

2023-05-29

「無責任な放言と等しい」は、たしかに言い過ぎでした。失礼いたしました。 作者を置き去りにして会話が進行していることが気がかりではあるものの、私のコメントを実直に受け止めていただき、感謝いたします。 (しけしけのしけしけのしけしけのぱれーど)

2023-05-29

アジであると断っておいたものの、真面目に捉えていただき、恐れ入ります。 私はすべての言葉に対し「あくまでも言葉」と言い放っているわけではないことを一つご理解いただきたいところです。こちらの詩における「火炎瓶」やそれを投げることは、現実に照らしていえば過激ではないでしょうか。でもそこに現実の行為が伴っていない、つまり「あくまでも言葉」あるいは比喩だから許容されているのであって、実際に「火炎瓶」を投げることをしたら、事件になり得ます。 私としては、詩に遣われる言葉は、その詩が真に迫っていればいるほど、「あくまでも言葉」であってほしくはないんですね。現実に行動の伴わない言葉は、無責任な放言と等しいのではないでしょうか。もちろん実際に火炎瓶を投げる行為を私は決して肯定しているわけではありません。どのような言葉を遣おうとも作者の自由であることも前提としてあります。 しかし、私からしたら放言に等しいような言葉にも、感化されるような方がいるとしたら、それは現実の行動を踏まえた上での感動なのか疑問です。実行性のない「あくまでも言葉」のみの強烈な刺激や、薄っぺらい比喩のイリュージョンに、騙されていやしないでしょうか。エンタメとして捉えるならそれもいいでしょうけどね。 刺激的な大言壮語よりは、地味だとしても有言実行を私は支持したい。 だから、言葉から受けた感化が本物であるなら、言葉で応答するだけではなく行動を起こしてほしいと願わずにはいられません。その行動が伴わないないなら、本当に感化されたとはいえないのではないでしょうか。 (しけしけのしけしけのしけしけのぱれーど)

2023-05-28

火炎瓶なんて持ってないでしょう。ましてやそれを投げるなんて。あくまでも言葉。詩の中でなら物騒なことも書けちゃう。それを読んだ刺激の足りてないおじさんたちがキャッキャする。へいわ。ローカルなコミュニティひとつ改革するために行動できないで、なにをどうするというのか。火炎瓶に感化されるなら、シケた言い訳してないで、運営やっちゃいなさいよ。 ……と、作者以外の不特定多数に向けたアジも入ってしまい、失礼しました。 普段のほばさんの作風に比べて、吹っ切れていますね。こちらも吹っ切れたコメントで応答することが相応しいように感じました。 (しけしけのしけしけのしけしけのぱれーど)

2023-05-24

菩薩からのような評もすでに寄せられていますし、私からはちょっと辛口で失礼します。 舞台が昼か夜か判然としないところが惜しい。「点滅する灯台の明かり」で、なんの脈絡もなく夜になっています。それまでは白昼の海辺がイメージされていたのに。いつのまにやらぼんやりとした霧の中で狐につままれたかのよう。 もしかしたら昼も夜も描きたかったのかもしれませんが、「明るさはいつも影を落とす」と言い切るほどであれば、本文はやはり明暗のコントラストをはっきりさせたほうが効果的ではないかと思われます。 「音韻を小瓶に入れて思い切り放り投げた」これを始めと終わりで二回やってしまうのは、言葉とはうらはらに、いまいち思い切りがよくありません。自信がなかったかのように感じられます。 同じ言葉でも、作品を読み終えれば前と後で感じ方が変わるようであれば物語性があっていいのですが、そのように心が動くこともなく、むしろ本文を額縁で固定しているかのような印象です。 全体的に、耳触りのよい言葉に引き寄せられて、その雰囲気に流されてしまってはいないでしょうか。いうなれば体幹が弱くて、ぶれてしまっているよう。文の体と書いて「文体」というそうですから。 (コバルトブルーの涙)

2023-05-19

鷹枕可さんの短歌はかねてより拝読していましたが、言及するのはこれが初になるかと思います。 元来、美意識を伺える懐古的な筆致の方でしたから、そこへ格調高い短歌の様式美を取り入れたことにより、まさしく鬼に金棒。 一抹の懸念があるとしたら、自己模倣に陥りかねないところではないでしょうか。どんなに甘美であっても、金太郎飴にはいづれ惓んでしまう惧れがあります。しかしながら「忘水」というのも好い言葉ですね。 (忘水)

2023-05-12

無季自由律とはいえ、俳句は俳句。つまりは俳句を本当に理解していないと、一行詩と俳句の違いさえ覚束ないもの。簡単そうだからといって自由律俳句をやる方と、俳句を心得ておられる方とのあいだには、超え難い壁があるように思います。 その観点からすると、〈洗濯物がたくさん、元気な家だ〉〈花壇の外のたんぽぽの元気なこと〉 〈ジムの両脇に焼肉店濛々と建つ〉これらの写生を垣間見ることのできる句がとくに良かったです。 (豆のうた)

2023-05-10

力業ですね。サンタクロースに関する一抹の虚構を乳化剤にして、主役級の国際問題・社会問題を、モチーフとしてケンカさせることなく作品に取り込んでいる。その力量に感服いたします。 (サンタクロース戦争)

2023-05-10

導入部で「白昼夢」「フィクショナル」と、いわば「これは幻想ですよ」と指示されてしまっているので、作品世界への読者の没入を阻害してしまっている感が否めません。 自らが幻想に惑溺していることを提示されるよりも、読者を共に幻想の中に連れていってほしかった。繊細な美しさを感じさせる、水彩画のような筆致だからこそ、なおさら惜しいところです。 (halation)

2023-05-09

正鵠を射た評に、瞠目いたしました。俳句への確かな審美眼が伺えるコメントをいただき、幸甚です。 (誘惑)

2023-05-05

気に入っていただけた句がありましたら幸いです。 香に限らず、感官に訴えてかけるものは、非言語的なメッセージになり得るのかもしれないと、いただいたコメントから思いました。 (誘惑)

2023-05-05

現行の運営は、すでに出来上がっているシステムを引き継いで保守管理しているに過ぎず、サイト創設やリニューアルに関わった方々の情熱には遠く及びません。私自身、運営参加のご挨拶( https://www.breview.org/forum_blog/archives/2046 )で述べた通り、大きなことを企図しているわけではなく、事務的なことを中心にサポートしていくことを目的としていました。 もし理念が曖昧か喪失したことによりビーレビが停滞したと謂われるなら、発起人である三浦さんや花緒さんと同等の理念を以って運営を継続することに、私としては限界を感じます。三浦さんや花緒さんの仰る「ビーレビの理念」に相応しい方がいるとしたら、現運営の任期満了後(2023年8月以降)、ぜひその方に次期運営を託したいと願います。 (大賞レースをみうらに任せてみないか?)

2023-05-03

澤あづささんも仰られているように、現行の全員参加型選考制度では、推薦文を書くことが対象作品に個人賞を贈ることにひとしい。 そこで、「◯月度みうら大賞(仮)」といった名目で推薦文を書いてもらえたら、それで事足りるようにも思われます。 話は逸れるようですが、ユーザーが意見を言い合うことのできるかつてのフォーラムに代わる場を、Twitterのコミュニティ機能を使ってビーレビ公式アカウントで作る案があります。 もし実装されたら、そのコミュニティ内で「◯月度みうら大賞(仮)」の選考に関する宣伝をされてもいいかもしれません。 (大賞レースをみうらに任せてみないか?)

2023-04-30

ダウナーというのは的を射たご感想で、個人的に、春はうららかな陽気の裏に、メランコリーもひそんでいる季節だと感じています。 (迷信)

2023-04-27

実感に即したコメントをありがとうございます。 好みの句がありましたようで幸いです。 (迷信)

2023-04-27

いえいえ。情景がありありと目に浮かぶと仰っていただき、嬉しかったです。ご感想ありがとうございました。 (迷信)

2023-04-12

単体ではそれほどでもない句でも、セレクション次第で映える、あるいはそのコンセプトに要請されることもありますね。 ビーレビに俳句を投稿することもなかなか愉しいです。 (迷信)

2023-04-12

俳句において自解が野暮であることは常識であります。ご容赦ください。 (迷信)

2023-04-12

信仰なき者に背信は不可能ですね、少なくともその自覚は。無神論が神の概念を認めなければ成り立たないように。 (迷信)

2023-04-12

ヒリヒリとしたトラックに乗っかる、ダークなボーカルによる英語のポエトリーリーディング、カッコイイ。  * ビーレビに愛着をもって参加していただきありがとうございます。 詩だけではなくロックも愛されている方のようで、個人的に嬉しかったですよ。 ビーレビは掲示板上で問題を起こしたわけでもない限り、去るのも戻ってくるのも自由ですから、気が向いたらいつでもまた参加してもらえたら幸いです。 (Dog's Pot-Hope / 独歩法)

2023-04-05

私は集中したいときや移動中は音楽を聴いていることが多いので、詩を書くときに特別に音楽を聴いているということはないですね。 しかしこの機会に、これまで貴音さんに話したことがなかったと思われるバンドをいくつか紹介します。 Death From Above 1979 - Romantic Rights https://youtu.be/6Wnl9PpnTXI ベースとドラム&ボーカルの二人編成で火を吹くようなロックンロールをやるバンド。 ちなみにMSTKRFTというテクノユニットもやっている。 The Kills - Cat Claw https://youtu.be/CAErOxuq2Do 初期はとくにゴリゴリのガレージロックでありながら艶っぽさもある。 ファーストアルバム『Keep On Your Mean Side』は必聴。 骨太なグルーヴを感じられる『Blood Pressure』も私は好き。 The Dead Weather - Treat Me Like Your Mother https://youtu.be/M7QSkI6My1g The Killsのボーカルが参加している、知る人ぞ知るバンド。 アルバム『Horehound』『Sea Of Cowards』が最高。 Gang Gang Dance - MindKilla https://youtu.be/2R7k1_kOqvk 前衛的かつ無国籍な音楽性で、曲ごとに好みは分かれそう。 アルバム『Saint Dymphna』『Eye Contact』がおすすめ。 暗黒大陸じゃがたら - でも・デモ・DEMO https://youtu.be/HORM2KcM6zo 伝説的なファンクバンド。とにかくぶっ飛んでいる。 アルバム『南蛮渡来』はぜひ一度聴いてみてほしい。 最後に、私はヒップホップをそこまで聴かないのですけど、この曲は一聴してヤバイと察しました。 Buddha Brand - 人間発電所 https://youtu.be/pxsx4027djE (【雑談的なもの】詩を書くときに音楽聴いてるなら教えて)

2023-03-30

香りは封を切られることを待っていた 風にさらわれないようにして届けられた 蓮の花の香りだと 電話で教えてくれた   二千年も泥のなかに眠っていても   蓮の種は花を咲かせるらしい 「幸せがひとつ増えますように」 夜の空に 木星をみつけたみたいに 白い紙に 言葉の種がまかれていた 封をあけたら 香りはうすれていくもの 夜があけたら 星はみえなくなるもの だけど 眠りからさめたら 花をながめていられる (B-REVIEW 3月のお題詩「手紙」)

2023-03-14

お世話になっております。運営の沙一です。 B-REVIEWのユーザーアカウントは、基本的には削除対応していません。 また、B-REVIEWのユーザーアカウントとGoogleアカウントは、一切関係ありません。 なお、作品コメント欄は主として合評を行うための場ですから、当該作品に関する感想や批評以外のコメントはご遠慮ください。 お問い合わせがありましたら、下記までご連絡お願いいたします。 E-Mail : breview.works@gmail.com Twitter : https://twitter.com/breviewofficial ※黒髪さんへ 合評とは無関係なコメントによるお目汚し、大変失礼いたしました。 (春に生まれたあるひとりの男の像)

2023-03-13

一週間の仕事を終え、身体を引き摺ってくるように帰宅し、ふと、こちらの詩を読ませていただいたら、労働の疲れが癒やされました。 本作を思い出すたびに、肩の力を抜くことができそうです。 (俺と仕事。)

2023-03-10

以前、褒め言葉として「読み手を躓かせられる」と評したことがありました。それ以来、言葉やイマジネーションが氾濫する作風に圧倒されるばかりで、なかなか読み込んでコメントするには至っていなかったのが実情です。 しかし今作は、それまでと比べてコンセプチュアルな脈を感じ、新鮮でした。泉鏡花の短編小説に似た読後感を覚えます。 (繭に成る。それが、だ)

2023-03-10

実生活から目を逸らし、卓上で知の世界に没入する。事象を通して訴えかけられてきます。 ちょうどいま読んでいたキルケゴールの『死に至る病』に、ピラミッドの建設のために人間が浪費される、という喩えがありました。 向上心はもちろん立派ですが、観念的な理想に突き進むあまり、目の前にあることが見えなくなってしまう、あるいは見て見ぬふりをしてしまう。しかし人生において真に大事にしなければならないものは、案外、ごく身近にあるように私は思います。それに気づくことも含めて人生の経験なのかもしれませんが。 核心に目を向けさせてくれる作品でした。 (キーワード志向)

2023-03-05

書き出しに心を掴まれました。いわゆるルミナスライン。 二連目の「まだ光りにあらわれたことのない/岸辺の砂と」に注目しました。ひらがなで「あらわれた」と書かれることで、「現れた」と「洗われた」の多義性を宿し、波に晒されない日の当たる乾いた表面の下にある砂の湿っぽさ(奥に秘めた感情と重なる)が実感されます。 「光り」と送り仮名にされていることもにくい。光という粒子よりも、その現象により重点を置かれているようで。 後半になるにつれ失速していく感も否めないのですけど、それでも最後の「石花」には、失速を帳消しにするだけの象徴的な力があります。石という無機物(死?)でありながら、有機的な花(生)をも含意しているような語。それが「積み残された」とあることから、賽の河原で石を積む水子も連想させられます。そう考えると、その前の連にある「祝祭からいちばん遠い部屋」は、仏間のことではないかと思い至りました。そしてこれは深読みかもしれないのですけど、三月二日午後は、桃の節句の手前にあたりますね……そこでハノンを弾く手を止める……これ以上、言外の悲しみを解体するように述べることは憚られます。 (ここまで読解してから本作を再読したとき、その言葉の奥深さををより強く感じましたが、自らの思考の流れを示すためにコメントは書き直さないことにしました。) (石花)

2023-03-03

詩を書こうとするよりも、詩を感じたことを書いているような気がしました。なぜなら、二連目に書かれている出来事に、私は詩よりも詩を感じるからです。話す方にはごくあたりまえのことであっても、それを聞いた方にとっては心を動かされるようなこともあり、そうした一つひとつのささやかなことも見のがさないところに詩のまなざしがあるように思います。 むしろ、「冬晴れの祝日の朝」や「まだ少し寒い冬の朝」といった場面の簡単な説明が、安易に情緒を底上げしようとするよけいな修飾にさえ感じられるほどでした。それら説明がなくても、本文に情景描写はされていますから。 「とくに変哲もなく、どこかで誰か微笑む。」これは実際に見たのではなく、心象風景として浮かんできたのではないかと思われました。そうしたビジョンが浮かんでくるほど、優しい心持ちだったのではないかと。 余談ですが、旧暦においては、まだまだ寒くても春らしい気候に向かっていっているときからすでに春なのだそうです。つまり春分を春らしい気候の頂点として、そこに向かい始めるころが立春というわけです。他の季節についても同様ですが。 (大根とツナ)

2023-02-23

タイトルからマチルダという人名が思い浮かんだのですけど、先頭にマがありませんね。つまりは、「マヌケ(マ抜け)」という含意があるのではないでしょうか。 (~チルダ~)

2023-02-23

哲学書を読める人は、必ずしもいろんなことを知っているから読めているわけではなく、知らないことに出会っても肯定も否定もせずに受け止めて読み進める能力を発揮している、という話を聞いたことがあります。 本作に出てくる「Bartsimal」も、存在しない単語であることが注釈によって明かされるわけですが、本文を読んでいてわかるのは、サービスを終了したブログからしか拾うことができなかった語であるということぐらい。失われた言葉は、それに初めて出会う者にとっては、まだ生まれていなかった言葉とほとんど同義でさえあるかもしれません。まだ意味の宿っていない言葉には、語感しかない。生まれたばかりの乳幼児が喋る喃語のように。 (Bartsimal)

2023-02-02

「どうして?」といった問いかけには、すでに答えが想定されていると思うんです。それがたとえ未知であっても、答えになり得るものがあるはずだと想定していなければ、問いそのものを発することもできないはずですから。 本文には答えしか書かれていないようですが、題名との対比には問いがあると感じました。それは問いかけられてはいないからこそ。 (あじさいについて)

2023-02-02

この作品が虚構であることは冒頭からして明らかなのですが、検索ログを基にAIがユーザーの嗜好を象ることには一抹のアクチュアリティを覚えます。 現実と電脳を越境する物語を予感させる、序章の趣きがありますね。 (ぱふ)

2023-02-02

光によって影ができるように、影があるのは光があるからですね。 幸せを書いた詩が幸せなだけとは限らず、逆もまた然りですが、気づかれにくいことではあります。 (ドキドキ文芸部しようよ)

2023-01-25

表面だけを読んでいてはわからないであろうと思いながら、しかし表面だけを読んでもなにかしら感じられるものがあるようにと、考えながら書いてはいます。感じとってもらえたことがあるのだと、伝えていただきありがとうございます。 (ドキドキ文芸部しようよ)

2023-01-24

言葉や意味に惑わされることなく、貴方だけは文体を味わった上でご感想を寄せていただいたようで、励みになります。ありがとうございます。 (ドキドキ文芸部しようよ)

2023-01-19

まいりましたね…… ごめんなさい、正直に言いますと、詩よりも相方さんに夢中です。 (ドキドキ文芸部しようよ)

2023-01-18

皆様、精緻な批評をありがとうございます。 やはり「ドキドキ文芸部」に注目されているようで、じつは同名のゲームがあり、比喩的にお借りしました。おそらくゲームをご存知なくてもインパクトが伝わるのではないかと思いましたが、まさしくそのようです。 本作の元ネタになったゲームの「ドキドキ文芸部」にも興味をもっていただけましたら幸いです。 (ドキドキ文芸部しようよ)

2023-01-18

私たちは戦争を体験していない。情報でしか知らない。だから相対的に、平和というものもほんとうは知らないのかもしれない。 実際に体験していない者にとってはどんな言説も観念でしかありませんから、戦争も平和も漠然としているような本作にこそ、私たちにとって等身大のリアリティがあるといえそうです。 余談ですが、私の祖父は戦時中、特攻隊に志願したそうです。ところがあまりに近視のため、却下されたとか。おかげで私は生まれてきているわけですが、祖父の気持ちもわからなくありませんし、私自身、そうした憧れのあることは否めません。 (あおい空)

2023-01-16

「売れ残りのクリスマスケーキにならなくて良かったね」って、いかにも皮肉そうに言われたらたしかにイラッとくるかもしれませんけど、これは比喩的なあてこすりで、つまり言われた方は誰かと一緒にクリスマスを過ごせたのだと捉えることができます。実際は幸せなんだけど、照れもあってよけいに怒りたくなったみたいな、ツンデレなのかもしれません。 (しないよ、私)

2023-01-15

「すごい」「やばい」と連呼しつつも、本文自体はとくにすごくもやばくもないところに、本作のアイロニーがあるように思えました。 (すごいやばい)

2023-01-14

私自身、本文の最後は悩みました。暗示的に謎めかしているばかりでは、わけのわからないひとりよがりな詩と捉えられかねませんし、可読性を高めれば、答えが書かれてあると捉えられかねない。その塩梅が難しいですね。 もともと幻想的なものが好きなので、事実か虚構かわからないように読んでもらえるのは、作者として望みどおりではあります。 (わたしたちはひとりではないから わたしたちはまちがえることができる)

2023-01-09

他者がいなれけば差異も認識されませんね。和することができたらそれに越したことはありませんし、たとえ差異を許容できないとしても、平衡を保っていられたら問題ないのだと思われます。 (わたしたちはひとりではないから わたしたちはまちがえることができる)

2023-01-08

心優しいコメントをありがとうございます。名古屋だとわかるとは、さすがですね。 (わたしたちはひとりではないから わたしたちはまちがえることができる)

2023-01-08

R&Bといえば情感がこもっていて私にはどれも有機的に聴こえるのですけど、だからこそ「今は無機質なR&Bを聴きたい」の形容は新鮮でした。ないものねだりのよう。 まさしく風邪をひいて寝込んでいるときに見たファビュラスな、それでいて孤独感を覚える夢のようですね。文章を繰り返すあたりにも、なかなか抜け出せない夢の中に迷い込んでしまった感があります。 (風邪夢)

2022-12-31

暴力への想像力を、ここまで突き詰めるのは、なかなか根気の要ることではないかと思われます。そしてそれを写実することも。 文体には、エスカレートしていくスピード感がありました。 (本物の幽霊)

2022-12-31

本文は彫琢できる余地がありそうですが、「取り残されたスポットライトを消しに行くために」という着眼点が好いですね。 サカナクションの曲『ルーキー』の歌詞を思い起こしました。 (思い返す)

2022-12-31

可愛らしい短歌ですね。 でも、単に可愛らしいだけではなく、暴力性も帯びている。その妙味に惹きつけられるのかもしれません。 (冬と喩)

2022-12-31

TMGEへの愛と情熱が伝わってくるレビュー。 ライブアルバムCASANOVA SAID "LIVE OR DIE" は本当に最高で、オリジナルアルバムが物足りなく感じてしまうほど、臨場感、躍動感、熱量が半端ない。 (THEE MICHELLE GUN ELEPHANT―CASANOVA SNAKE感想)

2022-12-05

中華料理屋の床がつるつるしていることや、杏仁豆腐が先に来たことなどなど、全編をとおして、きめ細やかな観察力と、絶妙な言語化に脱帽です。こうしたこと、日常的に感じとっていたとしても、なかなか文章や作品に落としこめないもの。 意味があるのかないのかはともかくとして、多くの人がそこまで意識していなかったり、見過ごしてしまいがちなことに焦点をあてる、そこに詩心を覚えます。 (ナンセンス)

2022-11-24

「音」を「観る」と書いて観音様。犬の吠え声から、永遠を見る、最終行からそのことを想い起こしました。空想上とされているものの、なぜかそれがかえって反語のように実感を帯びて語られる、懐いていた犬。それは一個の生命体であるものの、生命そのものは、もっと普遍的で、永遠といえるのかもしれません。一から全へ、日常から宇宙大へ、向けられているまなざし。 (ライチと花)

2022-11-22

漢字あるいはひらがなで書けばいいような言葉を、あえてカタカナで書く。たいてい、それは感覚的だったり、ファッションみたいにかっこつけたいのかな、と思わされます。 ところが本作の「アキサメゼンセン」は、幼いみいちゃんが、聞き慣れない言葉、意味が宿る以前の言葉を、語感だけを頼りに発話しようとしている様子が、本文で言明していないにもかかわらず文脈をとおして間接的に想像させられて、カタカナであることが活きています。 (金木犀とアキサメゼンセン)

2022-11-22

「ゆうた」は、関西弁の「言うた」に聞こえなくもありません。 言うた/言うてへん、の口論になり、ひたすらに「言うた!!」と詰問しているかのような。口論が平行線のままエスカレートし、そのうち怒りを通り越して笑いに転じてしまった、ひたすら笑うしかなくなってしまった、やがて笑い声を表すような「ハハハ」という文字列も意味を忘却し、たんなる波形模様のように見えてきて、遥かな海と同化してしまったみたいな、もはやどうでもいいとさえいえる、空漠とした余韻が残りました。 (ゆうた!!)

2022-11-22

一筆書きの五芒星はありがちですけど、一筆書きの六芒星はなかなかありませんよね。そう考えると、得難いもの、という含意もあるのかもしれません。 (星をなぞる)

2022-11-11

消費されてゆくもの。ツイッターのトレンド、タイムラインに流れていく投稿、海辺に漂着するプラスチックゴミ。もはやなにもない日と呼べる日さえなく、ラベルを貼られて流通している。 しかし「僕」は交換不可能であるはず。 「天皇誕生日ならまだいいかな」と思えるのは、それが経済社会に消費されない存在を対象とした記念日だからなのかもしれません。 (今日は僕の誕生日です)

2022-10-27

私の知る限り「円安」は、詩に用いられるには手垢のついていない、既成の叙情性を孕んではいない語です。にもかかわらずそこに「さようなら」されるだけで、なぜか叙情的にきこえてしまう。もしかしたら「さようなら」は、そのあとに続くのがどんな語であっても叙情的にさせてしまうのかもしれず、そう考えるなら、本作の表題はアイロニーも含まれているようにも読めました。 二連目の三角チョコパイにしても、そこに既成とはいえないような叙情性を見出していて、何気ない日常的な対象の写生が巧いです。 当然ながら円安は、ドルに対する市場価値の差異を表象しています。 本作の内容においても、円安、三角チョコパイ、フィッシュマンズ、それら差異あるものを連絡させる、その手つきには些か強引さも感じられますが、そこに詩情を生み出すための言葉のエコノミーがあるといえるのかもしれません。 (さようなら、円安)

2022-10-23

鉄、鉄骨、鉄工所……いたって無骨な中で、聴こえた、ピアノの優美さに、打たれました。好い耳をしていますね。 鉄のにおいから、血に連想が赴きがちなところを、「暴力そのものであることを悟っていた」とまで書かれていながら、安易には血を表されず、抑制が効いていることにも余白の詩情を覚えました。 ……これは些か飛躍する読みかもしれませんが、鉄のにおいから、ひそかに暗示される血、さらに血のつながりまでを思うと、最後の二行の情趣が深いです。 (直観)

2022-10-17

草木の補色が血という発想に瞠目しました。 愛撫するように、語と睦みあい、奥からもれてくるひみつを、肌で受けとめているような。 そぼ降る雨を彷彿とさせる文体も好いですし、シンプルながら趣きある表題も決まっています。 (秋の発音)

2022-10-17

無垢な感想をありがとうございます。 (星をなぞる)

2022-10-08

国と国もそうですが、人と人も、時間をかけて歩み寄っていくことで、関係を深めていけるものですね。 ところで、六芒星はユダヤのシンボルとは限らないそうですね。 (星をなぞる)

2022-10-08

というか、三浦さんの作品に感化されて自分もこういうの書いてみたいと思うこともあったり…… 魔法はある。 (星をなぞる)

2022-10-08

文体にそつがなくて、巧いです。自分ってどじなんだよなあ、という内容とはうらはらに。とくに改行のタイミングがいい味を出していますね。 ただでさえ高くなりがちな叙情性を、茶目っ気のあるどじがいい感じに緩和させているというか。むしろ、どじの叙情性をわきまえている、といえるのかもしれません。 (あたま)

2022-10-04

「椅子」というと〈静〉を連想させる表題ですが、本文からは〈動〉を強く感じさせられることにパラドックスを覚えました。三連目には静謐さがあるものの、あたかも抑えきれないかのように、マグカップの底では「無名の衝動が/ひとつまたひとつと/入水していく」。 「我々に/ふさわしい沈黙を!」という締めくくりは、沈黙とは相反する叫びを思わせます。 (椅子 (クヮン・アイ・ユウおよび河上類による合作))

2022-09-27

タイトルの「さよなら、はじめまして」に、禁煙推進ポスターに書かれていても違和感なさそうな、キャッチコピーの趣きを感じます。 ショートストーリーめいた肉付けされた本文に頻出する「サヨナラ」「ハジメマシテ」は、過剰といえばそうであるし、リフレインであるともいえて、後者であればやはりコマーシャルにはうってつけの効果があります。 しかし作品がコマーシャルにならないのは、オチといえばそうであるような、最終連のひっくり返しがあるからだと思われます。 「サヨナラ」を終わり、ひいては死の換喩であると捉えるなら、それをゴミ箱に投げる描写に、終わりや死に対する忌避や逃避も読み取れます。と同時に、いつかは燃え尽きて灰になる「煙草」を、いつかは必ず死を迎える人生の隠喩と捉えるなら、最終行の「そういや、煙草嫌いなんだよな」には、厭世が滲み出ているかのようです。 (さよなら、はじめまして)

2022-09-27

幾千の手、幾千の祈り……絵もそうですが、あらゆる衆生を救おうとする千手観音を彷彿とさせられます。背後に炎が燃えているのは、不動明王のようでもあり。 しかし本文にはキリスト教的なモチーフも散見されますね。 おそらく、それら既成の宗教について描いているわけではないように思われ、とはいえ意識していてもいなくても、根底で響き合うものが表れているのではないかと思いました。 特定の宗教や信仰に関わりなく、祈り、あるいは超感覚的なものを信じることは、人間の心に根源的に備わっている働きであるように私は感じるときがあります。   愛した木漏れ日は、法則は、   まるで肉体のようだった ここがとくに好きです。光や法則、つまりは質量をもたないはずのものが、質量をもつ肉体=実体に直喩される。詩的飛躍効果もあります。 愛、魂、祈り、等々、それらは観念的といえばそうであるけれど、本作において殺人だけは実体に強く干渉する行為かもしれない。   殺人者の栄光の手と、   祈りの手が点対称 観念と実体の相克、および観念から実体への指向をも読み取れるようであるといえば穿ち過ぎでしょうか。 (.673:試罪法)

2022-09-21

一読して、どう受けとめたらいいのかと困惑していたところ、コメント欄を開いて失礼ながらおもわず笑ってしまいました。黒髪さん、おいしいところをさらっていきましたね。 天然発言なようで、作品を読み返していたら、「言葉的に正しい性交渉」氏の話しぶりについて主に述べられていますが、仕事ぶりについては「完璧にこなしていた」「続けているらしい」と簡潔に述べられているのみで、作中の語り手が注目していたことの比重は明らかですが、黒髪さんは上辺の話しぶりよりも、その人の行動に注目したのではないかと察せられました。アルバイトとはいえ仕事を「完璧にこなし」「続けている」としたら、たしかに立派で正しいと思われます。「言葉的に正しい性交渉」氏について描写しているようで、じつのところ、語り手がどこに注目していたかという、その人物像の一端が浮き彫りになっている作品なのかもしれません。 また、そのことに気づかせくれた黒髪さんのコメントも、たいしたものです。 (言葉的に正しい性交渉)

2022-09-08

音楽と読書、そして内省。インドアな状況でありながら、「キャンプファイヤー」「サッカーボール」といったアウトドアな語が後半に出てきますね。  蹴り出されたボールは  世界のあらゆる凹凸にぶつかって  無数の残響が斜陽に溶ける 内向的なようでいて、意識はじつは、外へ向かっていくことを求めていたのだと、展開がドラマティックでした。 (匿名)

2022-09-07

言葉だけなら、なんとでもなってしまうものですからね。言葉だけなら。 (コシャリ)

2022-09-02

なにごとにも出会うタイミングがありますね。響くものがありましたら幸いです。ありがとうございます。 (コシャリ)

2022-09-02

私はすでに謝罪をし、要望にお応えして発言の根拠も示しました。にもかかわらずご理解いただけないようでしたら、おたがいの認識に齟齬があり、これ以上議論することは不毛かつ荒れることが予想されます。因ってマナーガイドライン&ルールの合評マナーに照らし、運営からの指示として、室町礼氏に議論の即時中止を求めます。 本指示に従っていただけない場合は、カード発行も検討されます。ご理解のほど、よろしくお願いいたします。 (自称詩人ですみません。)

2022-08-19

また、私は普段、社会人として働いています。仕事や私生活の都合によって返信が遅れる場合もありますので、ご了承ください。 (自称詩人ですみません。)

2022-08-18

私のコメントを不快に思われたようでしたら、お詫び申し上げます。大変失礼いたしました。 私が「利用」すると述べた対象は、「詩」ではなく、「詩人を名乗る」ことです。誤解なきようお願いいたします。 また、病理につながっていると断定した根拠を示していただきたいとのことですので、作品本文からの引用を含めて以下に説明いたします。  >自称詩人本人が気づいてないだけで、 >それはいまのところ変態や異常者の別名となっております。 (中略) >どうもわたしもそのおかしな人間の部類に入るらしくて、 >ときどきですが、自称詩人ではなく、ひょっとしたらおれ、じつは本物の詩人じゃないだろうか >と本気で思うことがあるのです。 作品本文にこう書かれており、「変態」も「異常者」も、精神的な病理に連関する語だと認識しています。本作において、詩人を自称することについて内省することが自らを「変態や異常者」だと認知することになるのであれば、すなわち病理につながると判断いたしました。 けっして罵倒する意図があって発言したわけではありません。 ご理解のほど、よろしくお願いいたします。 (自称詩人ですみません。)

2022-08-18

寺山修司が徹子の部屋に出演した回で、詩人というのは誰でも名乗れるし、無職の人だって詩人と名乗れば一応の肩書きになるから便利だ、という趣旨のことを語っていました。そこに卑屈さはなく、むしろ利用できるものは利用しようというような太々しさがある。 それに比べるとこちらの作品における語り手は、かなり生真面目であるとさえ感じられます。まあ、寺山修司の生きていたころとは時代が違いますし、一概に比較するようなことでもないでしょうけど。生真面目さがかえって病理につながるぐらいなら、少しぐらい太々しくなったっていいように思いますし、そのほうが生きやすくなりそうです。もちろん、何事も自分自身の責任で。 (自称詩人ですみません。)

2022-08-18

オチが読めてしまいました…… 反社会的なスリルをえがいている作品ではあるものの、序盤からすでに示されている〈反社会的な物語〉という予定調和に収まっていて、読み物としては裏切りがありません。その意味では、堅気な文章だとさえいえます。文体は小気味よく、読ませる力がありますね。 それに、物語の出来不出来や虚実を超えて、作者自身の人生に対する思想が宿っているようにも見受けられました。 これはまったくの余談ですが、小林秀雄がこんなことを語っていました。自伝やノンフィクションはたしかにおもしろいが、一度読んだらもう読みたいとは思わない。反対に、芸術としての文学作品は、また読みたくなる、と。 (Leap of faith あるいは)

2022-08-17

負けるが勝ち、というときもありますね。 (いいよ)

2022-08-02

そのピュアな心を忘れずにいてくださいね。 (いいよ)

2022-08-02

和をもって尊しとなす。 (いいよ)

2022-08-02

私の見えていなかった角度から分析していただいて、頭の下がる思いです。 私としては「永劫回帰」を、物理学よりは、ニーチェのいわゆる超人思想から引喩してきていて、繰り返しているかどうかという客観的な事実よりも繰り返したいという主観的な意志に重点を置いていました。 いずれにせよ、私は概念としてしか知らない永劫回帰を、身近なポエジーをえがいたこの二編を総合する表題に、比喩的に用いた次第です。感覚的にはあまりにも遠い永劫回帰を日常的に近い往復切符まで折り曲げてきたというよりは(その洞察には感服いたしますが)、むしろそれとは逆の方向性を心情としてはいだいていました。 詩人の常識的な感覚に寄り掛かりすぎているというご指摘もごもっともです。 作中に気に入っていただいた箇所がありまして幸いです。 (永劫回帰のための往復切符)

2022-07-31

そうですね、残されている時間がそれほど長くなかったとしても、まだ明るいのだし、やりたいことやっちゃっていいんじゃないでしょうか。 惑う星よりは、遊ぶ星でありたいですね。 (永劫回帰のための往復切符)

2022-07-31

 メイキングと言う名の馬が  公道を駆けて行くような幻を  私は見た 走馬灯を想起させる文として、新しさを覚えました。既出である三途の川も、イメージの連絡を円滑にしているようです。 (アマガエル)

2022-07-30

「曇ることのない悪意だった。」と言い切ってしまうところがカッコイイ。まあ実際は曇りの日もあるでしょうが、それはこうしたリリシズムのまえでは野暮というものでしょう。 ほかにもとにかく断言が利いている作品なのですけど、さいごだけ「と思う。」と弱気になってしまっているのが惜しい。そのまま突っ切ってほしかった。 多義性を含み、なおかつポップなタイトルも好印象です。 (イキチガイの空)

2022-07-27

人の顔をした蝶に羽化するかのような画像の、ビビッドな色彩と、雑味のある風合いは、テレビの放映休止時に映されるカラーバーを連想させられます。電子の社会で変態し、自由を得る、そのような象徴性を感受しました。 (バタフライ・エフェクト)

2022-07-25

髪が水草のような模様を描く様子や、屈折した光が肋骨に模様を描く様子を、見ているのは誰でしょうか。 悲しい、という感情を抱いているのは誰でしょうか。 客観的な描写と、主観的な口語が、交互に繰り返されていると見受けました。意図的かどうかは定かではありませんが、描写と口語が、なんとなく読み流しているだけでは判然としないほど曖昧に書かれていて、まさしく「然るべき目であなたを見ることが/できない」ようです。 (水犀)

2022-07-25

『鏡の国のアリス』に出てくる得体の知れない怪物「ジャバウォッキー」に「娑婆」+「walkin'」を掛け合わせたような、「シャバウォーキン」というネーミングにやられました。得体が知れなくて、お金もないけど、世渡り上手な、飄々としている自由人、そんな人物像を寓喩的に連想させられます。 シャバウォーキンに気を取られて、文章の内容がなかなか頭に入ってこない、よくよく読んでみても、内容があってないような文章。しかし、内容があってないような退屈な日々が描かれているので、主題と表現が一致しています。退屈なほどよく晴れた日の、爽やかな空虚感。 ……生きているのか死んでいるのかわからないような日々を過ごしている者からしたら、死んでしまえるシャバウォーキンには、微かな羨望さえ覚えるのかもしれない。とくに最後のほうの描写からそのようなことを感じ取りました。 (よく晴れた日のこと)

2022-07-13

七五調を、主張し過ぎずに、上手く取り入れていますね。 洗練さのなかにも伝統を感じさせる、上品なフレグランスのような文体。 (インフォメーション・アナトミー)

2022-07-12

高く伸びゆく鉄筋コンクリート製のきのこ、その形状のイメージから、男根信仰を連想しました。 経済的利益のために搾取や環境破壊も厭わないような、野蛮な男性的思考だけでは、いづれ行き詰まる、そう警鐘を鳴らすようなディストピア観。 しかし、ディストピアであっても、犠牲になったものに思いめぐらせ、罪を背負おうとする、作中話者の慈しみが、泥沼にあって清らに咲く蓮の花のように、希望をもたらしています。 人間を相対化して見ていることや、世界線が複数あることを知覚していることから、この作中話者は、人間を超越した存在、あるいはそれに類する思考の持ち主であるように見受けられました。 ……余談ですが、『甘味なきところに人は住まず』に描かれていたファルファクラテト市のマンションも、パラザフヤから出荷された鉄筋コンクリートで出来ているのかな、と想像しました。 (Amanita Fundamentum)

2022-07-11

ここの多くの投稿者さんのように、言葉でしか存在を知らない方も、一人ひとり肉体をもった実在であるはず。はじめに言葉があるのは、電子の社会における交際のパラドックスですね。 詩がミステリアスであるように、ミステリアスなものには詩を感じます。 (タロットにおける「THE LOVERS」と「THE DEVIL」の構図の相似について)

2022-06-30

なにかしら共鳴するものがありましたら幸いです。 ほめていただいて、素直にうれしいです。 ありがとうございます。 (タロットにおける「THE LOVERS」と「THE DEVIL」の構図の相似について)

2022-06-30

愛は、信じること、そう話してくれた方がいます。 感情は誰しもあって、だけど表面的な感情を超えた関係性こそほんものかもしれない、と思うきょうこのごろです。 (タロットにおける「THE LOVERS」と「THE DEVIL」の構図の相似について)

2022-06-27

いろいろ興味をもっていただきありがとうございます。 人間の心には両面性があって自然なのだと思います。 感情や欲望に囚われてしまえばそこにあるのは闇ですが、理性や意志の力で光をもたらすこともできるはずです。 (タロットにおける「THE LOVERS」と「THE DEVIL」の構図の相似について)

2022-06-24

言葉があるから、言葉にならないものがあることをわかるのかもしれません。 詩は、恋のようにミステリアス。 恋人とつきあうように、詩とつきあっていけたらいいですね。 (タロットにおける「THE LOVERS」と「THE DEVIL」の構図の相似について)

2022-06-23

うーん、いただいたコメントをそっくりそのまま三浦さんの弾き語りに置き換えてお返ししたくなりますね。 私は三浦さんのようには弾き語りできませんし、その努力をいつも尊敬しながら聴いています。 (放浪する音楽)

2022-06-02

ありがとうございます。 私は歌も楽器も得意ではなくて、絵のなかに音楽を託したくなる欲求があります。 (放浪する音楽)

2022-06-02

新境地をひらかれていますね。汚らわしさと共にある官能性を感受しました。 ドブンヌ、ヌッタリーヌ、ホノメンメリ……語感により意味を超えて訴えかけてくる、このように言語野未発達な幼児性と紙一重の言葉を遣うことは、分別のついてしまった大人(それは文体の堅実さから察せられます)にはちょっとした勇気がいるのではないでしょうか。そこに切り込み、童心に近いささやかな自由さを得ておられるようです。 (ドブンヌ)

2022-06-02

「印章」というのは斬新な視点ですね。 写実ではないし、抽象でもないので、記号的な面はあるかもしれません。 額に入れて飾られるよりは、身近に愛してもらえたらいいと、私自身も思います。 (放浪する音楽)

2022-05-22

興味をもっていただきありがとうございます。 私はもともと詩よりも絵が好きで、ちかごろ原点回帰したいと思っていたところでした。この作品は数年前に取り組んでいた創作の一環なのですけど、当時とは描きたい世界観が変わってきたので、この転機に公開と保存をしておきたくなったのが一番の動機です。 あとは、画像や映像の投稿が活発になったらいいな、という願いも込めました。 (放浪する音楽)

2022-05-20

B-REVIEWは詩や文章以外にも、絵や写真、音楽や映像などの投稿も認められています。ので、純粋に絵として愉しんでもらえたら私はそれでうれしいですよ。もっとも、他の方の作風を限定するつもりはありません。 それに、絵や音楽も、その根底では詩にも通じていると私は思いますし。 女の子の肌色については、じつは着想の元にヴィクトル・ユゴーの小説『ノートルダム・ド・パリ』がありまして……ロマン派文学の傑作です。 (放浪する音楽)

2022-05-20

もしもすべてをボキャブラリーに変換できたら、絵を描いたりする必要性はないのかもしれない、ということを、いただいたコメントから思いうかべました。ありがとうございます。 (放浪する音楽)

2022-05-19

正直にいって、騙されたと感じました。騙されなかった、という点で、騙されたと感じました。 「魂」や「神様」というのはきわめて正体不明で、それにしては私たちにやけに親近感のある表情をした、イリュージョンのような語であり、概念です。そのイリュージョン性が感じられない、つまりは懐疑を挟む余地のないほど神様がご自身のなかにあたりまえにいるのだと伝わってきます。そのように疑いようのない、善良で素朴な感情が表れている作品だと思いました。 (たとえばそこに手品道具があるのに手品を見せられなかったという意味で、私は騙されたように感じたのでした) (神様と君の思い出)

2022-05-19

不文律の禁忌がある、社会通念上やってはいけないであろうとされることがある、私たちはそうした観念をいだかされている、この作者は臆病ながらもそこを強引にこじ開けようとしている、言語において。 ……この詩に対して感想を書こうとする手つきに、軽い痛みが伴う、自分の素手が柔らかかったと気づかされる、(母国語という)自らの胸室を開けるだけの度胸を、自分はもちあわせていなかったと知る。 ……それがわかるのは、まともな筆致に近いからで、これが天性の飛躍ある詩であったら、私は逆光に眩まされながら天を見上げるしかなかったでしょう。  遅れたビートでこの心臓ドドンパする この詩からは、翼をもたない人間が地べたから必死に羽ばたこうとするような、やるせない痛みが伝わってきます。 (日向の悲観者)

2022-05-18

雨季のパスワード 暗号化は花盛り 蜜蜂のプロトコル 滴を指向する三角 0と1に囚われていては 観測できない量子もつれ 重ね合わせは 神秘の秘術 第三の目をひらけ リクエストを取得するために 無学な手つきでめくるページに 誤字、脱字、を降らせ 乱数を咲かせよう 格納される文字列は祝福か呪縛か 仮想的なるBeを水葬し 停滞した季節を更新せよ Becoming Season Waiting Session (B-REVIEW 4月のお題詩「B」)

2022-05-02

心に思っても、そのときは言えなかったことってあるものですよね。 (未完成の日)

2022-04-21

秘すれば花。 詩には、ほかの散文よりも、秘密の香りがあるような気がしています。 (未完成の日)

2022-04-12

今回は、ここまで。 ……いつか完成してみたい。 (未完成の日)

2022-04-11

人生に素敵なことがたくさんありますように。 (未完成の日)

2022-04-11

魔法はある(あった) 現実こそが夢のようなものなのかもしれませんね。 (未完成の日)

2022-04-11

かけがえのない思い出は、詩にしたくなりますね。 (未完成の日)

2022-04-11

幸せのおすそわけをできたようで、こちらこそうれしいです。 (未完成の日)

2022-04-11

ネット上だとクールな印象のする方で、無表情なのかな、というイメージを抱いていたら、意外なほどに笑顔を見せてくれて、そうしたギャップには萌えますね。 (未完成の日)

2022-04-11

えへへ。 (未完成の日)

2022-04-09

春とはいえ、なにかと不安定になりやすいですね。でも、だからこそ、時を経て花とめぐり会えることは尊いのかもしれません。 お読みいただきありがとうございます。 (みたことのないいろ)

2022-04-03

思うんです。詩のなかで、たとえたった一行でも良いと感じられる言葉があったら、そのために詩はあるのではないかと。 漢字にするかひらがなにするかも、いわば好みであるのかもしれません。 ご意見ご感想ありがとうございます。 (みたことのないいろ)

2022-04-02

ひらがなで「つみ」と書かれることで、「罪」は「積み」重なっていくのだという印象を受けました。作中ではそれが「つみ重なっていた」死体として具現化され、視覚的な実感も覚えます。   荒れた寝室は心を見せた、   でも手首はきれいなまま   やがて彼女は夢に向かう   毛布に抱っこされるそれを見て、 端的な描出でありながら、その光景を心理までありありと現前させられる、文章技巧の冴えを感じます。 ……きのうやあしたの自分が、同じであるという保証がないとしたら、逆をいえば、記憶に継続性のない、いわゆる前世や来世にも、同じ自分である可能性がないとはいえないかもしれない、ということを思いました。 輪廻転生の寓喩であるかのようで、仏教的な思索へと誘われます。 (つみのない国)

2022-04-01

いい線いってますね。 (原罪ミスティフィカシオン)

2022-03-18

お読みいただきありがとうございます。 私は自分自身のことを詩には具体的に書いていませんし、あまり書きたいとも思っていません。しかし今回、あいかわらず抽象的ではあるものの、わりと踏み込んだところがあり、そうしたものはやはり伝わることがあるのかもしれないなと、いただいたコメントを読んで思いました。実感のある詩を書くことにも取り組んでいきたいですね。 (原罪ミスティフィカシオン)

2022-03-17

なにかしら有益な作品になっていたらうれしく思います。ありがとうございます。 (合鍵)

2022-03-16

そういうのってなんかいいですよね。 (合鍵)

2022-03-16

構造を分析されていて良いです。 (合鍵)

2022-03-16

永遠ですね。火と水の和合することに、完全性をみているのかもしれません。 (射手座)

2022-03-13

根が小心者なので、つい謝ってしまいます。 (このような発言をしたあとにも謝りたいほどです) (四菓撰)

2022-03-13

真摯かどうかは、他者が判断することであると思っています。自ら言うことではなく。 また、私自身は一つひとつの発言にも心をこめているつもりですが、至らないことも当然あるかと思います。その際は、申し訳ありません。 (四菓撰)

2022-03-13

詩に、言葉に、真摯に取り組まれている方は、皆さん尊いですよ。 些細な発言一つにしても、自らの著作物であると考えていますから、心はこめているつもりですね。それを感じてもらえたとしたら、うれしいです。ありがとうございます。 (四菓撰)

2022-03-12

文体が女性的ですよね。 (四菓撰)

2022-03-12

こちらこそ、言葉って難しいですよね。そこに向き合おうとされていることが尊いです。 作品を気に入ってくださり、ありがとうございました。 (四菓撰)

2022-03-11

いえ、作品として楽しませてあげられなかったな、と自らの至らなさを恥じ入った次第です。 (四菓撰)

2022-03-11

実直な詩ですね。「オマケ」という語の含意しているものを考えたとき、胸をとんと叩くものがありました。 (がんばらなきゃ)

2022-03-11

萎えさせてしまってすみませんねえ…… (四菓撰)

2022-03-11

秘すれば花、といいますね。 (四菓撰)

2022-03-11

ひらがな、やわらかくていいですよね。気分もやさしくなります。お読みいただきありがとうございました。 (四菓撰)

2022-03-10

四句目の「春雨ぬ夢」(はるさめぬゆめ)は「春醒めぬ夢」と読むこともできて、なんとも色っぽいですね。 いくつかの句は、季語も含まれており、俳句としても通用すると思いました。が、やはりこれらの洒脱さや言葉遊びは、川柳としたほうがふさわしい趣きなのかもしれませんね。 (雨(川柳))

2022-03-10

ありふれているはずの時間が、とくべつに感じられるのは、なんだか不思議です。冬のあたたかな日に春を錯覚するちょうちょの気分かもしれません。 (四菓撰)

2022-03-10

あら、乙女心を感じてもらえて、うれしいですわ…… (四菓撰)

2022-03-10

そうですね、冬にもちょうちょはとんでいることがあって、でもそれをみかけることはわたしにとっては稀で、いきていることの健気さに、寒さもわすれるおもいがします。 体温のつたわってくるようなおもいでを話してくださり、ありがとうございます。 (四菓撰)

2022-03-10

冬が終わっても、素直に春を寿げないかのような、このご時世。 「退屈だから、」と嘯き、現実から気を紛らしたいかのように何気ない言葉の連想を始めるが、紛争地帯の名に行き当たり、愕然…… 示唆的な叙情性に富んでいる、素晴らしい詩です。 (わたしのための詩)

2022-03-09

たいせつに想う方とは、つらいことも、うれしいことも、一心同体で、共にわかちあっていきたいです。 (合鍵)

2022-03-09

多用せずしかし確かな読点が、この作品においては、こぼれた溜息、あるいは涙のようで、無言のもの哀しげなアクセントになって文章を濡らしているように感じられました。   動いてなどいなかった。   生きたことさえなかった。 ここでの句点は、言葉の意味と相まって、終止あるいはゼロや無を表象しているかのよう。   線香の衣を着せ   桃の根の国にかくまい 回向する(それは必ずしも死を弔うというだけではなく、広く想いをめぐらす)言葉として、美しく、慈悲深く響きます。 (隣人の話)

2022-03-05

いえいえ、再び読んでもらい、感想もいただいて、うれしいです。ありがとうございます。 (四菓撰)

2022-03-04

なんだろう、動画が削除されることでかえって味が出たというか、コンセプトが完成したような気がします。公開されていた動画内でも、アカウントの削除画面が印象的に使われていましたし、主題を実践されているようで、これはこれでコンテンポラリーアートの展示物めいた趣きがありますね。……まさかとは思いますが、これも計算の内だったんでしょうか。 (ネット依存してる私は死ね)

2022-03-03

ありふれていて、でも、とくべつなこと。……ちょっとした贈り物をするみたいに投稿した作品です。お読みいただきありがとうございました。 (四菓撰)

2022-02-27

あまいものがお口に合わなかったようでしたら、すみません。 (四菓撰)

2022-02-25

きめこまやかな感受性で読んでいただき、うれしいです。ありがとうございます。 (四菓撰)

2022-02-25

手づくりのシンプルな動画ながら、訴えかけてくる力強さがあります。 ただ、作中の車内で流れている音楽は著作権に関わることですので、それが気がかかりです。 (ネット依存してる私は死ね)

2022-02-22

甘味を恋愛感情と捉えるなら、「2型糖尿病」は依存症状の比喩として読めます。それ自体では詩と関わりなさそうな存在感であるはずの医学的かつ具象的な語に喩性を見出しているところが好いです。  (注射を免れた男性は、というと、) この匂わせも想像を刺激されますね……語り過ぎないことでむしろ語ることを憚られるかもしれないようなことさえ想起させられる説得力があります。   高層階からは   低血糖の雨が降っています 寓喩的で独創性のある作品ながら、始めから終わりまで主題の表現に筋が通っていて、佳品であると感じました。 個人的に、薄荷の香りのような、凛としていて切ない余韻が残ります。 (甘味なきところに人は住まず)

2022-02-20

タイトルではじめから「答え」を出してしまっていて惜しい。読み込むよろこびをあたえてくれないのだから。たとえば「おでん」というタイトルであれば(まあこれも安易といえばそうなのですが)象徴主義の詩としてわるくなかったと思います。 (仲間)

2022-02-04

大森靖子ではなくてもよかったのだと思う。自分にとって特別な感情を抱く相手との出逢いそのものが魔法なのだから。そうした魔法の対象である相手の比喩として「大森靖子」という固有名詞を用いていることに大胆な技巧があります。 書き出しがもったいないですね。わざわざ内輪に絡めなくたって、愉快な文章として自立させることも出来たはずです。 (魔法はある)

2022-02-03

お読みいただきありがとうございます。 恋愛は昔からあるのだから、主題としてもやや古臭くはないですか。でもレトロなものは好きですよう。 (射手座)

2022-02-02

お読みいただきありがとうございます。 文体ってだいじですよね、文の体ですものね。 (射手座)

2022-02-02

感じるままに読んでいただいてかまいませんよう。 (ゆびきる)

2022-01-25

おもしろいと感じたのは、「呟く」「ささやく」「歌う」「絶叫する」と、発声の仕方に基づいて言語系表現者の分類をされていて、必ずしも発声を伴わない筆記を主体とする小説家などもそこに含まれていること。つまり発声という喩を用いた分類であり、これは学術的である以上に詩的な作品といえるのではないでしょうか。 最終連は「賢い/賢くない」や「詩人」といった換喩を通して、表現者は優劣では区分できない、という主張をされているように思われました。 (詩人のオーダー(詩人であることの要件としての「賢さ」についての覚書として))

2022-01-25

「賞味期限切れのセーラー服に身を包み」(つい、いやらしい連想をしてしまいますが)このルミナスライン以降の詩の加速感が半端ないです。そうすることは「ずっと昔に失くしたものを探し続ける」(たとえばそれはまだ穢れのない純真さのことかもしれない)ことなのだと、しかもそれは「永遠に手に入ることはないのです、」ところが「手に入れてたまるか」と転調し、貴女は「あたしの あたしだけの天使なんだから」と露骨な独占欲を表している、天使という聖な喩を引きながら。俗っぽさと聖あるいは性の混淆があざやかな手つきで織られている後半の文に感服しました。 (祈り)

2022-01-22

近親相姦願望と、詩情に、似たものを感じられる気がして、なぜだろうかと考えてみたら、秘められたものに、あるいは見て見ぬふりをしていたものに、とまどいながらもこっそり光をあてて見ようとしているところが、似ているのかもしれないと思い至りました。個人的に、そのような思索を誘う作品です。おそらく、一つひとつの詩行を、妥協せずに綿密に練られているのではないかと思われます。 (そっけない自殺、エロ漫画日和)

2022-01-22

シバ神という語をぱっと見たとき、表題の「目覚めて」に宗教的な悟りのイメージが重なりました。 シバ神と中間子論、LHC(大型ハドロン衝突型加速器——その断面は曼荼羅のようだと常々感じています)のあるCERNには、ちょうどシバ神の像が置かれているそうです。 そうした連関から、ドイツ語には、『黄金の華の秘密』で心理学者ユングとの共著でも知られるリヒャルト・ヴィルヘルムを想起しました。ユングに東洋思想の影響をもたらしたといわれる。 東洋と西洋、科学と神秘思想、そんな別々の含意をもつ語が、絶妙に響き合っているというか、個人的な嗜好にぐっとくる連想を愉しませてもらいました。 (目覚めて)

2022-01-22

細かな点なのですけど、「??km」(速度を表したいなら本来であれば「??km/h」と表記するはずですからこれは脱字でしょうか)と書かれているあたり、数値といった具体的なことではなく、単に記号を書きたかったのではないかと思いました。そのように実感よりも言葉の記号性が先走っている文章であるように見受けられます。 (それやったら乳ボーロです。)

2022-01-21

マッチをめぐる懐古的な趣きのある散文に、文豪の作品からの引用を織り交ぜた構成が上品で、個人的に好みな味わいです。 (龍之介と修司がいる台所)

2022-01-18

知ってるかい、内陸にだって貝殻がないことはないんだぜ。それはなぜかって、そこが大昔は海だったからさ。だからどんな人にも、意外な過去の一つや二つだって、ないことはないのかもしれない。それらはきっと、展望台からは見えなくて、ふれあうことでしか知り得ない。 (無題)

2022-01-15

外来種の生物を川に流すこと(いけないことです)が、退屈な日常にこっそり異物をもたらそうとしているかのようで、作品をネットに公開することを「放流」と云ったりもしますが、日常的な文章とはいえない異物としての詩をこうした掲示板に投稿することに似ている気がする、というのは深読みし過ぎでしょうか。 それにしても、いつどこで聞いたのかは覚えていませんが、手品師は同じネタを人前で二度披露することはない、という話を思い出してしまいました。参考までに。 (ミシシッピアカミミガメを川に逃がすII)

2022-01-15

 めりりはがれ  きりりきしみ  みしし  っぴ ここが好きでした。ミシシッピアカミミガメの語感の愉快さに着目するそのセンスに賛辞を送りたいです。ただストーリーにはこじつけ感もあり、着目のおもしろさの域を越え出てはいないように感じられて惜しい。 (ミシシッピアカミミガメを川に逃がす)

2022-01-15

 ――それにしてもおかしな行事である     主役が不在だなんて この発見が好きです。 (葬式)

2022-01-15

餅は、熱で温められると膨らみますね。それが温かい気持ちと重なって、ほっこりとさせられる、的確な比喩だと感じられました。 ただ、餅の素朴さに比べ、一行目の宝石は安易な華美に走っていて、上出来な取り合わせだとは思えませんでした。餅の味つけにはやはり素朴な醤油や海苔なんかが合うように、なにかしらもっと調和するような比喩や表現がなかったものかと惜しまれます。 (眤月)

2022-01-15

七草の一つの呼び方の違いから、鬼にも仏にもなることができる、言い換えると悪にも善にもなることができるといえそうな、想像を深めていることが素敵です。 (小鬼たべらこ)

2022-01-12

ゲレンデレンデ、ベランダランダ、その語感に圧倒されました。ゲ、ベ、という一字で連を切るあたりもにくい。 ゲレンデ、スキーやスノーボードで滑り降りることでスリルある快感や解放感を得られるところ。そのゲレンデには行けずに、ささやかな開放感はあるけどわりと安全なベランダにいる。なにか、憧れはあるけど行動に移す勇気の足りない、もどかしさのようなものを感じました。 挑戦したいものごとがあると、今年こそは、と思うものですよね。とくにお正月は。 (ゲレンデの歌)

2022-01-12

なによりも点字ブロックと金木犀のアナロジーに心を掴まれました。黄系の色で粒々とした見た目の類似があるだけではなく、金木犀の花は見えないところに咲いていてもつよい芳香で存在がわかるもので、点字ブロックもまた目の見えない方にとって道をわかるための手がかりになり、まったく別のものであるはずの両者に内的なハーモニーを見出されていることに瞠目させられました。 (public poet)

2022-01-09

 毎日の料理や洗濯の境を穿って、その窪みを彼女たちの龕にし、それに熱烈な跪拝をする修道女へと変身する時がある—— こう書かれることがとても素敵だし、それこそ詩心を感じられます。 (Twitterによくいる下手くそな詩を書くおばさん)

2022-01-08

機械翻訳された文章のような語り口が印象的です。  貴方が心を許しているとき  体は語り始めます とても素敵ですね。表情や仕草、踊ったりふれあったりすることのほか、楽器を弾いたり絵を描いたりすることなどもまた、体で語ることに近いのかもしれないとも思いました。 (リズムの香り)

2022-01-07

そうですね、それが不思議だし楽しかったので、会話の内容を詩にしたくなりました。 (いわないでおこう)

2022-01-06

 何億年もかけて生まれたのだから 言われてみるとたしかにその通りで、ハッとさせられました。  生命の余剰は出会いの喜びであふれている 最後の一行も素晴らしいです。 この二つの詩行に主題が集約されているかのように感じられました。 (blue story)

2022-01-05

私はあなたの師匠というわけではないはずですけど、読んで同じ様な気持ちになりそうになったのなら(それがたとえ錯覚だとしても)幸いですね。 (いわないでおこう)

2022-01-05

カオスっぽく書かれているようでいて、むしろ端正に感じられるのは、主張の焦点が定まっているからかもしれません。ぶれていない心情吐露。率直にはっちゃけていて、好感をいだきました。 (わかりやすくカオス)

2022-01-03

なぜだか個人的に、苦ではなく、むしろ楽しい熱にうかされているのではないかという気がしてなりませんでした。そう明言されているわけではありませんし、ただ私の感じ方がそうだっただけかもしれません。しかし最後の「遠くのパーティーも終わったのに、熱はさがらず、夢も覚めない。」を読むとやはり、まんざらではなさそうな気がするんですよね。混沌としながらも盛り上がったパーティーの余熱が冷めやらないかのようで。 (高熱)

2022-01-03

パンチの効いた書き出しに抱腹絶倒しました。しかしその後はそれ以上のインパクトを与えられることはなかなかなく、竜頭蛇尾になってしまった感も否めません。それでも「空き缶見つけたら/蹴って歩こう」「家から追い出す詩を/ポストに出しに行く」といった箇所にはせつない印象がありました。詩誌に投稿することをがんばっておられる方なのかな、とも。 (朝)

2022-01-02

たとえ同じような意味合いだとしても「乾かない」ではなく「濡れっぱなしの」と言うことに湿っぽい叙情性がより感じられて、そうした遣う語へのこまやかな配慮が端的に表れている作品ではないかと思いました。 また、タイトルとの相互作用も決まっていますね。 (吐けてくる)

2022-01-02

文体は洗練されておらず堅めですけど、心象を引喩に仮託した叙情性がとても好いですよ。印象の力を意識して遣うことを覚えたように見受けられました。 (赤信号)

2022-01-02

書き出しから終わりまで徹頭徹尾、言葉としてもイメージとしても、読み手を躓かせられます。これは褒め言葉としてです。そこには文章に対するゴシック的な美意識を感じられ、読んでいると陶酔へと誘われる、詩でしか味わえないであろう快楽が、ここにあるのではないでしょうか。 (息災)

2022-01-02

お元気ですか? 以前に投稿された『通りゃんせ』の改稿版ではないかと見受けられました。私としては『通りゃんせ』のほうが好きです。ごく端的ですけど、作中のアクセントとして、「ハロー ハロー」のポップな和製英語よりは、「通りゃんせ」の土着的な響きに、より郷愁を覚えるからなのかもしれません。まあしかし、横書きという変更点もありますし、これはこれでバリエーションとしていいかもしれませんね。 (記憶の街)

2022-01-02

物語のように幻想的な世界観と、終盤の現実的なメッセージ性が、絶妙に融和していると思いました。それでいて散文的になり過ぎることはなく、詩でしか書けないであろう飛躍感のある筆致も好いです。 「生殖器」や「受精」といった大胆で性的な引喩も調和しているように感じられるのは、音楽がもともと官能的であるからなのかもしれません。 (音楽と共に生きた国)

2022-01-02

あえて二編を載せなくても、一編ごとに自立している作品ではないかと思います。ただ、この二編を併せて載せたことに、作者の思い入れがあるかもしれず、しかし読んだ限りでは、相互作用はそれほど感じられませんでした。 一編目の「ふゆ」が好いです。るび、主に漢字を読み易くするためにふるもの、そのように、人生の難しいことを易しくしたい、祈りのようなものを感じられます。それは厳しい寒さにふるえる手つきで。 (詩二編/2022.1.1)

2022-01-02

現実よりも夢を大切にしがちな、それでいて現実を求めていこうとするような意欲を感じました。ただそれだけではなく、とくに最後の「狂った夢に黒い薔薇をささげる人の/心を知る資格が欲しい」は、端的ながら迷路のように折れ曲がり重層化していく、複雑な読後感を覚えます。 (新しい時間)

2022-01-02

ああ、修羅はほんとはデクノボーになりたかったのかと、宮沢賢治の作品への個人的な発見がありました。そうした想い、現実と理想を、通勤電車と銀河鉄道といった具象的な引喩を通して、現代の社会生活に重ねている、素敵な作品だと思います。 (満点の星空)

2022-01-02

飾らない、素直な心が表れていると思うよ。 ただ、よくいえば普遍的だけど、わるくいえば独創性がない。作家の名を冠する必要性は無いのではないかとさえ感じられる文章。これはきょこちにしか書けない、みたいな作家性を、期待しちゃうな。それはきょこちに限ったわけではないし、自分への戒めでもある。 (泣く)

2022-01-02

魂、つなぐ縫い針、それに雨、ごてごてとした観念的イメージが強すぎると感じました。 (うた『たまつなぐぬひはり』)

2021-12-12

ひとは大人になるにつれておさなさを脱ぎすてていくものかもしれませんが、聞き分けのない感情がじぶんの内にあるのをみつけたとき、おさなさを脱ぎすてきれていないなと感じます。 二度目のコメントありがとうございました。 (雨の痕)

2021-12-12

キラキラポップな冒頭とはうらはらに、「山之口貘詩集」が出てくる大胆な展開に驚かされました。しかもしっかりとポップに取り込まれているし。 「私の鼻、今すっごく赤いんだろうな。」という言葉から、トナカイ、ひいてはクリスマスを連想させられ、12月を意味していると察せられるタイトルの「ディセンバー」とも通じ合っているようです。 締めも印象的でした。お家やおふとんといった安心できる内にこもりながらも、インターネットで外部とつながっていたいような気持ちを感じます。 (ディセンバー)

2021-12-12

どこか日常の世界とは離れた場所としての草原に来ていて、浮世離れした開放感を味わいながら、来週になったらまた回り出す日常のことを思い、気持ちを新しく切り替えようとしているような。個人的に、自然にふれると気分転換できることと照らし合わせて読めました。 (草原)

2021-12-08

いつも、意図して書こうというよりも、うまれてくることのほうが多いように思います。だけど作品として出すときは、それなりの意図も加わっているかもしれません。 好きだと仰っていただきうれしいです。ありがとうございます。 (雨の痕)

2021-12-08

雨にふられるのはつらいですけど、雨そのものはけっこう好きだったりします。とくに雨上がりは、感情まで洗いながされていったような気分になりますね。 (雨の痕)

2021-12-08

「うるるるる」に注目してくださってありがとうございます。朗読では、電話のベルの音に近づけて発声してみることが楽しかったりします。 (雨の痕)

2021-12-08

作中で「スヌヌくん」について語ることが難しいのと同様に、この作品も不可解で読み解き難く、作品そのものがスヌヌくんを体現しているようで、ある種の入れ子構造の中に読み手が引き込まれていくような感覚を覚えます。 世にも奇妙な物語の名作『ズンドコベロンチョ』を彷彿させられました。 (スヌヌくん)

2021-12-08

この作品での「死ぬ」は、実際に死ぬというよりも、なにかしら追い詰められたときに口に出される俗語のニュアンスが強いように感じられました。 家の鍵をなくしたとき、家庭がある場合と、一人暮らしとでは、その切迫感は大いに違うだろうなと思います。この場合は後者だと察せられるのですが、タイトルに寄りかかってしまっている感も否めません。逆に、タイトルが説明的になってさえいなければ、自由律俳句に近い一行として読めました。 (冷たい孤独)

2021-12-08

最果タヒのレプリカのようだと思いました。 (『煌めいて』)

2021-12-07

落とし物を見つめて、そこから、落とし物を見て見ぬふりをして通り過ぎていったであろう人たちのことを思いうかべる、その視座に新鮮なおどろきを覚えます。詩人のまなざしを感じずにはいられません。 (10月)

2021-12-04

一般に「詩」といわれる現代の口語自由詩は、俳句や短歌と違って明確な形式をもっているわけではないので、各人が自らの「詩」の在り方を探究しているといっても過言ではない状況です。なので書き方が作文や小説に近いからといって、一概に否定することもできないのですけど、それでもやはり、エッセイだったり小説などで間に合う表現であれば、そういった散文を書いたほうが正統ではないかと私は考えていて、ならば逆に、詩でしか出来ないはずの表現もあるはずなんですね。というわけで私にとっての「詩」は、誤謬をおそれずにごく端的にいうなら、小説などの他の文章表現では出来ないことをする、ということになります。 詩ならではの飛躍のある表現は、こちらのサイトに投稿されている他の方の作品からも感じられることがありますし、これからもいろいろな詩に触れていってほしいなと思います。 (アトピーと冬の雨上がり)

2021-12-04

私のコメントはもちろん私の個人的な意見ですから、それを活かすも活かさないも自由です。こちらの作品を「悪い」とも言っていません。つららさんなりに文章を工夫されていたことも、お返事を通して伝わってきました。ただ、私は「詩としては文章がよわい」と言ったんですね。単に「文章がよわい」と言ったのではなく、あくまで「詩としては」という条件の下でのことです。おそらく、私の意識している「詩」と、つららさんの意識されている「詩」は、同じものではない可能性があるので、これ以上は水掛け論になりかねません。 その上でお尋ねしてみたいのですが、つららさんにとって、「作文」や「小説」と「詩」の違いは何だとお考えでしょうか。ひいてはこちらの作品は、ほんとうに「詩」でなければならなかったのでしょうか。 ここからはあくまで私の見解ですけど、個人的にはこちらの作品は、たしかに文章表現に工夫はされているようですが、それは「作文」や「小説」の範疇での工夫であるように見受けられました。そして私が先のコメントで伝えかったのは、「作文」や「小説」とは異なるものである「詩」としての工夫をされてもいいのではないか、ということです。逆をいえば、「作文」や「小説」などと大差ない表現の文章作品であるなら、それは「作文」や「小説」などを書けばいいのであって、あえて「詩」を気取る必要はあるのか、疑問に思います。 (アトピーと冬の雨上がり)

2021-12-03

主題について直截に言明することを慎重に避けているように思えました。文章をよく読んでいけば、周縁からたどっていくように、中心に抜け落ちている(ように感じられる)主題が、ぼんやりと浮かび上がってくる。そうした表現への意欲は見受けられるものの、その手法があざといほどに感じられてしまいました。それは言葉の言い換えなどに短絡的な印象があるからかもしれません。たとえば「戸建て」という語にしても、換喩と言うにはあまりに近い、家庭と密接に関わる語です。にもかかわらず本文中ではその「家庭」あるいは「家族」という直接的な語が周到に避けられていると感じられてなりませんでした。巧いというよりも、単純にまわりくどい印象。まるで種のばればれな手品を見せられているかのようです。 (小さな戸建てのファンタジー)

2021-12-03

とくに冬に乾燥して辛い肌に、冷たくも雨上がりの潤い。何気ないけどちょっとした嬉しいことを、見逃さずに拾い上げた、その感受性が素敵です。ただ、詩としては文章がよわいと思いました。こういった主題は、へたしたら日常の出来事の説明に終始してしまいかねないので、深く掘り下げてみたり、あるいは広げてみたり、もっと工夫してもいいかもしれません。これだとタイトルのワンフレーズで内容をほとんど伝えてしまっているも同然なように思えます。 (アトピーと冬の雨上がり)

2021-12-03

内容は些か散漫であるものの、表現力を感じられる文章で、興味深く読ませてもらいました。 (ダイニング・キッチン)

2021-12-02

自我肥大を感じます。 (SUN)

2021-12-02

人間は銀歯にとっての宿主であり、当の人間は既に死体になって久しい、という発想に脱帽です。北風吹く、月夜の樹海に、死体と銀歯。凄然とした情景に、銀歯の金属質なイメージが映えていて、つめたい美しさを感じました。 死体が土に還ることは自然との婚礼であると思わせるような最終連も素敵です。 (銀歯)

2021-12-01

落差がおもしろかったです。 そしてぬくぬくとしたこたつで見ているのがポケモン実況というのも絶妙ですね。実際にゲームで遊ぶよりも、傍観しているほうがいいという消極性が表れているようで。だから全員殺してやると思ったあの日も、そう思っていただけで、実際に行動を起こしたいわけではなかったんじゃないかという気がします。 また、そうした自らの幼稚ともいえるネガティブな感情を、俯瞰しているからこそ、このようなユーモアに昇華することができたのだと思われます。 (全員殺してやると思ったあの日)

2021-12-01

ことばからイメージは湧きにくかったのですけど、新鮮な文体への意気込みのようなものを感じられて、興味深かったです。 (リソグラフ #1)

2021-11-30

書き留めていたいくつかの詩のようなものを、「雨」というキーワードを中心に構成しました。飛躍のある語は使っていませんが、分析をさそうようであればうれしく思います。ありがとうございます。 (雨の痕)

2021-11-29

とても好きと仰っていただき、ありがとうございます。 (雨の痕)

2021-11-29

わりと手癖で書いてしまっているようなところはありますが、静謐な余韻を感じていただけたならうれしいです。ありがとうございます。 (雨の痕)

2021-11-29

常識的には「ひろがっている」はずの夜空を「とじている」と言ってしまう大胆さに、一行目から心を掴まれます。夜空は空間であるから「かたち」なんてないはずなのに、「月のかたちを うたがうように」と、かたちあるもの=月を相対化することで、夜空のかたちという観念について説得力をもたせているように思えました。 かたちのあるポラリスや灯台といった個で光っているものと、さみしさというかたちのない孤独感をつなげる手つきも鮮やか。そしてそうした感情だけがたしかなものかもしれない、という発見もあります。 星座のかたちはそれ自体で存在しているというよりは、認識がつくりあげているもので、星座をなぞることでかたちを得ようとする(もちろん星座は触れられないものではあるのですけど)、かたちあるものへの希求は、不安定ではない安心感を求める気持ち、あるいは祈りにも似ているのかもしれません。 と、いろいろ読み解きましたけど、文体の流麗さも魅力ですね。 (夜空のかたち)

2021-11-28

「駅のホームの二重扉が有難くて」身近な具象を通して表れる心情を見逃さずに捉えているところが良かったです。 (どうにか見出して)

2021-11-25

「束の間の夢(戯)」と括弧でくくられているこの言葉が文章の目立った特徴だと思われるのですけど、束の間の夢がなぜ戯れであるのか、安易に括弧でくくるだけで済ませずに、その所以を明文化してほしかったです。これだけ語りに寄っている作品なので尚更。 (束の間の夢(戯))

2021-11-25

涙を流している鳥も、血を流している獣も、作者の主張に利用する為に借りてきた(あるいは作られた)ハリボテのイメージに過ぎないように思えてなりませんでした。 (何も考えられずに生きていられれば素敵だったね)

2021-11-25

感嘆、純粋、経験、感動、等々……お定まりの熟語を借りてくるのは簡単ですが、それら語の一つひとつに、ほんとうは一言では言い表せないような想いが詰まっていたのではないでしょうか。たとえば「感嘆」一つにしても、どれほど感嘆したのか、作品に書こうとしたからには、それはちょっとやそっとの感嘆なんかではないはずで、そうした一つひとつに、もっともっと掘り下げられる余地があるのではないかと考えるのですけど、いかがでしょう。 (俯瞰するということ)

2021-11-25

さくらんぼのもっている象徴性と、若くて甘酸っぱい秘密は、相性のいい取り合わせ。ちょっとベタですが。 さいごの一行のドライさが、想い出を想い出たらしめているようでした。 (さくらんぼの駄菓子)

2021-11-19

「羽化に失敗しました。」という書き出しに導かれるようにして、「サナトリウム」の語感から「サナギ」のイメージを滑らかに喚起させられる、秀逸です。 (私はサナトリウム)

2021-11-19

「明朝体のナイフ」て、すごい言葉ですね。一見すると文体は地味ですけど、端々に光る表現が見受けられます。作品をもっと読んでみたいと思いました。 (旅)

2021-11-18

実直な内省が、音韻に支えられることで、詩になっていると思いました。端正な詩型も好感度高いです。 (ポケットを彷徨う)

2021-11-18

小学生の妄想みたいだとおもいました。 (ロボット総理大臣)

2021-11-16

「クジラの胃の中で溶け始めたような、そんな朝だった。」おもしろい表現で、とても印象的な書き出しだと思いました。しかしクジラのモチーフが作品を通して活きているかといえば疑問です。掴みとしては突飛なイメージに過ぎるような。 後半の、藤の花の香りに対する感応は素晴らしいです。 (藤の花)

2021-11-16

遠くの、鳥の声、夕餉の明かり、星々の煌めき、それらが遠い記憶の、ぽっと灯った明かりのようなイメージに重なる、素朴な美しさ。 (小夜時雨)

2021-11-14

主観ばかりが勝ってしまうと、表現の拙さに自ら気づくことができません。自分自身の作品を客観視できるようになれたらいいですね。 (弾け飛ぶ)

2021-11-11

冒頭でエメラルドが出てきますが、なぜエメラルドなのか、必然性がわからない上に、その後の文章においても一切エメラルドについて触れられることはなく、イメージが活きていません。スターサイドという語も意味不明です。 作品全体を通しても、描かれているイメージに整合性が欠けているようでした。 「いくつもの沈黙という水分」この表現だけは良かったです。静かにながれる涙を思わせて。 その他の文章については、奥行きも深みもまったく無くて、借りてきた言葉をただなんとなく並べているようにしか感じられませんでした。 (弾け飛ぶ)

2021-11-11

「岩」と「風」が良かったです。どちらも、本文ではその対象を直接は描かずに、周縁から対象の存在感を際立たせている、趣きのある短詩だと思いました。 (#)

2021-11-10

まず「雨時計」という造語が素敵。さらにそれが街と相似形を為しているという発想がファンタスティック。とくに惹かれるのは、「雨にだけは覚えていてほしいと/そう言ったきみの顔を忘れようとした」など、意味は留保するとしても感性に訴えかけてくるような、光る詩行の連鎖。それでいて雨というモチーフの一貫性を保っていることに、コンセプチュアルな魅力を感じます。 (雨時計)

2021-11-07

このサイトに来られてるユーザーって、詩が好き、つまり文芸が好き、それならもちろん読書だってもとから好き、という方が多いように思うんですね。にもかかわらず、そこへきて読書の良さを語るのは、釈迦に説法じゃないかという気がするんです。この作品に対しての反応のなさも、そこに起因しているのではないか、なんて。なので個人的にはむしろ、「スポーツの秋も悪くは無い」とかいうテーマのほうが、ここに投稿される作品としては気を引かれたかもしれません。もちろん「読書の秋も悪くは無い」と主張されることもわるくはないのですけど、それなら読書とはあんまり関わりなさそうな方の集まるところで主張されるほうがより効果的だと思うんですよね。それを文芸投稿サイトで主張するのって、なんかおもしろみがないな、ってわけで。 (読書の秋も悪くは無い)

2021-11-07

耳鳴り、馬、リボン、などなど……目立つモチーフの整合性、あるいは必然性が、まったく感じられませんでした。それがおもしろく機能しているかといえば、個人的にはそうでもなくて。むー。 (なにも尊くもないから、跪きたい)

2021-11-07

気取った文体で書かれたぼやき以上でも以下でもないように思われました。 (ふりだし)

2021-11-07

ラムネの瓶を割らないと取り出すことができない、だからこそ欲しくなってしまうような、きれいなビー玉。その澄んだ鉱物質とは対照的に、生々しくスーパーの売り場に並べられていて安価で手に入る鶏の心臓。どちらも、破壊しないと手に入らないものとしてのアナロジーでありながら、そのコントラストには鬼気迫るものを感じます。 さりげなく惑星の軌道という壮大な事象へ目を向けていることも絶妙。 (心臓と軌道)

2021-11-07

「逃げるように、念仏が口からこぼれだす。」私はこの最終行はなかなか秀逸じゃないかと思いました。囲碁にまつわることを語っていたはずが、宗教的な語に至る。碁石の白黒は、お葬式を連想させもしますね。 (●○)

2021-11-07

初めの一行からして、鳥になったかのように空想的な視座から眺めているとわかります。ところが、いくら空想の翼を羽ばたかせようとも、「私は何色の鳥でしょうか。」自分自身の実像を見ることはできない、向き合うことはむずかしい、という哀しみを感じてなりませんでした。 (とある鳥の詩)

2021-11-06

本歌取りどころか、元ネタのバリエーションとしても不十分、というか蛇足的です。より過激にしたかったのなら、烏を仏に、朝寝を心中に、置き換えただけのほうがまだ潔かったかもしれません。 (扇歌)

2021-11-06

電波詩、というジャンルがもしあればそれにあてはまるような気がしています。自分自身の実生活とは遠い事象から抽出された情報を感受して、観念的に悲しんだり憤ったり、そうして書かなければあるいは書きたいという正体不明の使命感に駆られて、抽象的に書かれて発信されたかのように感じられて。 (偉大なる虹の辺獄)

2021-11-06

目蓋の裏で眩しいもの、とくに神経が昂って眠れない夜なんかそんな感じがする気がします。それを自然光ではなく、人工的な照明を引喩してくるあたりに説得力がありました。私たちの生活には人工物が溢れかえっている。 そこからくる締めの二行もパンチが効いていますね。 (死にたみ)

2021-11-06

この作風は、現実的な「科学」よりも、錬金術などの「擬似科学」のほうが似合っているように思います。なぜなら言葉が夢想に富んでいますから。そうした魔術めいたうさんくさい擬似科学に、私は惹かれます。 (科学)

2021-11-05

身体の要素をモチーフにした連作であることは肯けます。ただ、わりとわかりきっているようなことしか書かれていなくて、モチーフについての気取った説明文に終始してしまっているように思えました。モチーフからの飛躍や発見がもっと欲しかったです。 (身体三詩)

2021-11-05

「タイトル決めてない」というタイトルにしたわけが、ほんとにタイトル決めてないからだとしたら、なんとも投げやりだなあと感じてしまいます。作品本文を読んでみても、タイトルの投げやり感を活かせているとは到底思えませんでした。 もし、適当に書いて適当に投稿しただけなのだとしたら、些か残念です。そんなもんなら、SNSに上げるぐらいで事足りるじゃないか、と。 この作品に限らず、最近、そうしたいかにも適当な投稿が増えてきているように思えてなりません。 (タイトル決めてない)

2021-11-05

どなたもまだ言及されていませんが、これは検索サイトのバーに入力された文字列であると見受けられました。右端の×は、文字列を消去するボタンなわけで。ところがこうして作品として提出されると、その×もさまざまに捉えられそうで、おもしろいです。 (なるように しか ならない)

2021-11-03

ところで、いま企画していることがありまして、よろしければ獣偏さんにも作品を通してぜひ参加してもらえたら嬉しい限りです。詳細については、TwitterのDMなどでお伝えできたら望ましいです。よろしくお願いします。 (悲しい歌だけうたってくれ)

2021-10-27

「陸離」と「離陸」はまったく別の意味をもつ語なのですけど、作中に重力や引力という表現もあることから、もしかしたら「離陸」の意味で使用されているのではないかという気がしてしまいました。「陸離」という語のもつ枯淡な美が活かされていないように思われます。 (離陸する)

2021-10-26

迷子札ってなんでしょうね。迷子のレッテル、あるいは迷子であることの免罪符のようなものでしょうか。たとえばある種の障害者手帳のように。そう捉えるとなかなか示唆的な文章である気がしました。 (迷子札)

2021-10-26

「無重力の孤独を散歩する」っていいですね。孤独だとしても、重力つまりはしがらみに縛られている状態ではなく、自由だっていうことですから。語の凡庸さが目立つなかで、そこだけ気に入りました。 (ヨウジに恋した女の子の詩)

2021-10-26

墓標はないというわけではなく墓標の形はないとされていることにあたかも抽象的な墓標はあるかのようで示唆的でした。 金貨は実際のとくにこの国での生活においてつかわれている通貨ではないためそこに作品のフィクション性が託されているようで、しかしまったくのフィクションというよりはフィクションのフィルターを通してリアルなテーマを射抜いているように思われました。表題にもあるように、夜の本番の睡眠(ひいては死の喩とも捉えられる)ではなく、その仮象としての午睡のうちの夢想であるのかもしれません。 (午睡の夢)

2021-10-26

涙でも汗でも鼻水でもないなら消去法でうかんでくるものがありますね。色を描きがちなモチーフではないかと察せられるのですけど、悉く脱色されていることが新鮮でした。 一であり全でもある、自ら垂れてくるたった一滴に〈私〉をみる視座がいいと思います。 (私が垂れた)

2021-10-26

本来であれば「─(罫線)」や「—(ダッシュ)」をつかうであろう箇所で「ー(長音)」の記号をつかっていることに文体の安っぽさを感じてしまいました。ゴシック体ではその違いに気づきにくいのですけど、明朝体だとなかなか目立ちます。 (いのち短し、恋せよ男十女ら)

2021-10-19

本文中、「輝」の一字だけが漢字で、アクセントになっているように思いました。 (星空)

2021-10-15

テレポートの音楽だけが見所でした。他の言葉はあまりにも凡庸に過ぎるのに、そこだけ現代なんちゃらっぽくて摩訶不思議でした。 (おやすみ)

2021-10-15

公衆便所の壁の落書きみたいだなと思いました。 (さはうは。)

2021-10-15

いつも夢に出てくる無邪気でかしましい娼館、かあ。正直そっちのほうが、夜半過ぎの散歩なんかよりも余程気になって、それについてもっと書かれるべきではなかったかと思いました。 その突飛な二行目が、突飛なまま伏線回収もされずに、せっかくの強烈な印象が宙ぶらりんになってしまっています。 (夜明けまで)

2021-10-15

薔薇の棘にふれるのが私は何気に好きで、自らの指先の力加減で痛みを調節できる、天然の刺戟になんだか愛しさを覚えます。なので一連目を読んでいて共感したのですが、その指先の刺戟が、二連目では茨からスマホになっていて驚きを感じました。茨の棘と、スマホあるいはSNSなどで感じる痛さ、そのイメージの重なりがよかったし、連で書き分けていたことも効果的でした。 ただ、その後は言葉が頭に入ってきませんでした。見せ場はどこかを自覚して、蛇足的に書かずに切るべきところで切ったほうが、より研ぎ澄まされた作品になると思います。 (痛み)

2021-10-15

比喩らしい比喩は鳴りをひそめて、シンプルな口語体によって叙情性を醸すことに成功していると思いました。 (悲しい歌だけうたってくれ)

2021-10-15

なんら衒いのない口語体と叙情性に、癒されます。 (金木犀)

2021-10-15

信号機に象徴される交通ルール、つまりは社会秩序の一部を横目でみている、そのちょっとはずれた姿勢がいいなと思いました。 回答用紙にはもちろん正しい答えが期待されている、けど、たとえ正しい秩序からはずれているとしても、夢みる想像をしたっていい。 言葉少ないなかに、現実と夢想が繊細に交錯している、感受性の高さが表れていてとても好いです。 (リミット)

2021-10-12

さいごの一行までのあいだに割合に長い空白をあけることで、視覚的にも「溝」を表現していると思いました。 (溝)

2021-10-12

おもいっきりな俗っぽさと、スピリチュアルさが、不可分なく結びついていて、そのコントラストがなかなかおもしろいんじゃないかという気がしました。ところどころ豹変する文体も可笑しかったです。 (ニュー宗教おニューの)

2021-10-10

タイトルでもある「ビリー・アイリッシュのinstagram」が、今作の主題の比喩としてつかわれているのだと思います。その比喩はアクチュアルで、時が経てば風化し、やがて注釈なしでは無効化してしまう類のもの。だからこそ、今作の無常観と響きあっている気がしました。 とはいえ、文章内容は実際の「ビリー・アイリッシュのinstagram」の文脈からは飛躍している、というかほとんど別物であるため、「ビリー・アイリッシュのinstagram」が比喩として自己主張のために利用されている感も否めません。 (ビリー・アイリッシュのinstagram)

2021-10-10

ほばはん、どうしちゃったの? ていうぐらいに、いままでの作風を知っている自分からしたら、ぶっ飛んでいる作品でした。既成の枠をはみ出したい、というような情念を感じます。まあ、既成のもの(その換喩としての漫画雑誌やそこに連載されている人気作品と捉えることもできる)があるからこそ、そこからぶっ飛ぶこともできるのかもしれません。 (暇つぶしによる暇つぶし)

2021-10-10

書くことが好きなんだろうなと感じられるものの、文章にまとまりがなくて、誰かに読まれることは意識していないのではないかと思ってしまいます。 でも絵は素敵だなと感じます。おもちゃのロボットが、兵器よりも黄色い花を手にもっているみたいで、春っぽい淡い色彩も相まって、そこはかとなく平和への祈りめいたものを感じられました。 (ヒーローなき世界)

2021-10-09

単に韻を踏めばいいってわけでもなく、シュルレアリスティックな作風は好みではあるものの、この作品に一貫した美学があるかといえば疑問が残りました。もっと書きようがあるんじゃないか、と。それでも「マトリョーシカの幻か //北京街のペンギンが祈る」といった詩行には反復する音の良さを感じます。 (韻)

2021-10-08

品のある端正な文章。熟年を嘆くというよりは、むしろ優雅に感じられてくる、そこに詩の魔法があるように思いました。 (鳩の心を持て余し)

2021-10-05

インターチェンジを、車を運転しながらではなく、高架下付近から眺めているかのように感じられました。つまり高速道路を走っているのではなく、高速道路からは外れた者の、ブルース。 (インターチェンジ / interchange)

2021-10-05

書かずにはいられないという感じがしました。ところどころ魅力的な言葉はあるものの、書き散らされていて、魅力が活かされずに埋もれてしまっているような。その乱筆さに味わいがあるともいえるのかもしれませんが。 (眠れない夜)

2021-10-02

詩論を詩のように書いたというか、詩に対する意思の表明を感じられる作品でした。 (咲き直し)

2021-10-02

サンタクロースといえばクリスマス、クリスマスといえば冬至にその起源があるらしくて、東洋でいうところの一陽来復に近い感覚なのではないかと考えていました。ようは太陽への意識を、この作品からも感じられます。 (サンタクロース)

2021-10-02

 アイスを溶かすほどの主体と言う熱 尊大な哲学っぽさを感じさせながらもそれがごく身近でささやかなアイスを溶かすという出来事に収斂されていてなんだか可愛い詩行でした。 (主体)

2021-10-02

 ゆらゆら揺れて大変です 起き上がり小法師のように、揺れてもなかなか倒れないとしたら、それはそれで立派だなと思いますよ。  敏感なハートはガラス瓶 こういった喩えはありふれていて安直ですね。  ちょっとしたことにも気がつきます ほんとかなあ。自分自身のことほど案外、見えていなかったり気がつかなかったりするのではないでしょうか。 たとえば作品に関していえば、表現が安直だったり、独白に終始していたり、多感で鋭敏で繊細に編まれている文章だとはとても思えませんでした。 (私と多感で鋭敏で繊細な)

2021-10-02

そこはかとなく諦念を感じられる文章と写真が、調和しているように思いました。 それにしても鷹、俗世を高みから見晴らす高貴さへの憧憬が、表象されているかのようです。 (鷹)

2021-10-01

印象的な一行目。ところで錆びるのは金属、つまり夜に金属質なイメージを付加しているように思いました。 その金属質なイメージは、刃、斬る、といった語にも表れていますね。 水面、泪、という語には、錆の要因でもある水気を彷彿とさせられます。 また、黄金はとても錆びにくい金属なので、そこには普遍的な輝き、まるで夜とは対照的な陽の光を感じさせられるようでもありました。 一方、白い肌にはとても柔和な印象をいだきます。 そのように、硬質さと柔和さ、暗さと明るさが、コントラストをえがいているようかのようでした。 語のもつ印象やイメージに、もっと意識的になれたら、詩を編むこともうまくなっていくと思われます。 (白い肌)

2021-10-01

列車というシチュエーションのわりに、出刃包丁が出てくるのは突飛な印象がありました。もしや、小脇にかかえた雑誌にはさんで隠しもっていたとか? まさかね。 (列車の乗客と宿命)

2021-10-01

わりとベタな語をつかっていると自覚していたのですけど、新味のある表現だと仰っていただき、うれしいです。ありがとうございます。 (夜光虫)

2021-09-29

はじめまして。 機会があれば、コメントさせていただきますね。 想像しながら読んでいただき、ありがとうございました。 (夜光虫)

2021-09-27

部屋の、暮らしのなかに、木の恵みがたくさんあるという素朴な発見が、微笑ましい。逆をいえば、現代の生活には木の恵みではないものがありふれているということで、木の恵みがあたりまえだった昔の時代があったことを思うとちょっとせつなくなりますね。木の恵みに焦点をあてることで、かえって現代の生活感が、ほとんど描かれることなく浮き彫りにされている気がしました。 語りすぎないことで、むしろ訴えかけることに成功していると思われます。 (木)

2021-09-21

ピュアな童心を謳っているような文章のなか、「黒の、墨汁の、インクのなかみたいなコーヒーが」という詩行にビターな大人が表象されているようで、印象深かったです。 (わかったくせして)

2021-09-21

白夜、昼とも夜ともわからない状況と、海と空がまじりあう状況、ようするにものごとの境界があいまいになる感覚が、超現実的な光景をとおしてえがかれているように思います。 散文作品にしては、合間に空白が多くて、かえって読みにくく感じてしまいました。 (断絶とめぐり合い)

2021-09-19

たまに考えるのですけど、「心の」とさえ形容すれば、どんなものでも内省的な文脈に直ちに導くことができて、とても便利だし安易だと思うんですね。そうした便利な語に、安易に頼らない文章にこそ、レトリックの手腕が発揮されるように思うのですけど、いかがでしょうか。 (心の俘囚)

2021-09-19

西洋の神話をモチーフにしているわりに、閻魔様だけが東洋的で浮いていますね。それをたとえ狙ってやったにしても、作品の印象に大きな影響をあたえるほどの効果はないので、雑な不徹底さのほうが目立ってしまいました。 (煉獄)

2021-09-19

風を孕むカーテンに妊婦を連想するの、私も同じことを思ったことがあって共感しました。 ただ、せっかくのカーテンと妊婦のイメージが、そのあとの文章とあまり結びつかず、かといって対比の妙味を感じられるというほどでもないので、文章に用いるイメージの効果に、もっと意識的になっていいと思いました。 (断片、としか)

2021-09-19

風呂場やシャワーといった、狭くて水っぽいモチーフが、水槽で飼われるものとしての金魚とイメージ的に重なります。心が囚われているなかでも、どうにか泳ごうとする、悲痛さが感じられました。 ( building)

2021-09-19

滑らかかつ切れのいい文体で、テンポよく読みやすかったです。 再生産され続けるおとぎ話、そのポストモダン的な主題と、コピーペーストやインターネットなどといった現代的な語やイメージが共振しています。 そのなかで「ヒジャブ」という語に、いい意味で躓かされるというか、刺激的なアクセントになっていると思いました。 (おとぎ話は、いつ始まって、誰が書いて、誰が演じて、そしてなぜ終わらないのか)

2021-09-18

 死んだきつねよ けーけーと鳴け 意味や意図はわからない、というかそういうのがあるのかどうかもわからないけど、さいごの一行がおもしろくて、インパクトありました。 タイトルは呪文みたいですね。 (ダムラブダブ)

2021-09-16

内省的な独白で、どうしようもなく思えてくるのですけど、ここにこの文章を投稿されたということは、どうしようもなさをどうにか変えたくて、外へ一歩踏み出したことだと思うんです。なのでこれからも、さらに二歩、三歩と、進んでいけたらいいですね。 (裏表裏)

2021-09-14

他の方も注目されていますけど、思想性と幻想性が無理なく調和している、魅力的な文章だと思います。 (猿の化け物)

2021-09-14

なんだか痛覚に訴えかけてきて、それでいてラムネの爽やかなイメージ、その相反するかのような感覚が、脳にエラーを引き起こされるような読後感でした。 願わくば、「痛み」というそのまんまな語を安易につかわないで、痛覚に訴える表現を全うしてほしかった。きっと出来ます。 ……ことばの印象の力をつかうのが得意そうなので、現代短歌なんかやってみてもよさそうな気がしますよ。 (ラムネに痛みを想う)

2021-09-13

正直、何を云っているのかよくわからない文章なのですけど、ことばの印象のせいか、なんだか変態的かつ刺激的な予感のする読後感でした。 (あたしの口紅、挿れてあげたわ)

2021-09-13

言葉あそびめいた主張が前面に出すぎていて、何を云いたいのか曖昧になってしまっています。切実そうな訴えをしているようなのはわかるものの、言葉あそびが茶化してしまっているようで、主題と表現が噛み合っていない。軽快な言葉あそびが主なら、切実な叙情はいわば偽りにきこえてしまうし、もし叙情が主だとしたら、やたらな言葉あそびは叙情性をかえって削いでしまっている。 とはいえ、この作品から言葉あそびを取ったなら、残るものは譫言しかないようにも思います。 ようするに、何がしたいのかよくわからない文章でした。その意味では表題に帰結するといえるのかもしれませんが。 (何にもなれなかった僕へ)

2021-09-13

散文であるからこそ詩を感じられる、巧みな作品だと思いました。 たとえば冒頭にしても、「赤い歌」がなんなのかはわからないけど「しばらくぶりに〜歌ってください。」という文体から、切実さを伴った叙情が伝わってくる。散文をしっかりとした土台にしているからこそ、語の飛躍感を無理なく際立たせているといえます。 (.)

2021-09-12

めまぐるしく変わることばの展開が、スリリングかつユーモアあっておもしろいです。 それ自体では脈絡のないはずのことばが、並ぶことで独自の響きを生んでいることにも感嘆しました。 「「現代詩」タグを作品に表示しない/騎乗位、下手でごめんね。」とくにこのあたりには個人的に唸らされました。「現代詩」タグ=マウント=騎乗位、みたいに、なんの関連性のないはずのことばが、共鳴しあっているかのように連想されて。 「これは詩ではありません。」という語がところどころ挿入されているのが特徴的ですけど、(これは詩です。)と行間で喚いているのがきこえるような作品よりは、よほど現代詩してると思いましたよ。 (これは詩ではありません。)

2021-09-12

旧仮名遣ひは好みです。それなのに「時代はかはりましたから,」という一文を挿入してゐるあたり、皮肉を感じられるやうです。ただ、徹底するなら本文中の「っ」は「つ」と表記してほしかつたですね。 (旧弊)

2021-09-04

エロ短歌ですね。それ以上でも以下でもない。 (スーパーライク)

2021-09-04

人と人との関係性、あるいはそうした関係性のなかにいる自分、それらに渦を見出すのはいいとしても、そこからの飛躍や発展がないのが惜しいです。これでは単に、渦のようだ、という比喩で終始しまっていて、ほとんどそれについての語りを冗長に引き伸ばしただけのようなものです。 (渦巻く孤独)

2021-09-04

詩型への意識は垣間見えるものの、完璧にこだわっているわけではないのが惜しい。金子みすゞの作品などから学んでほしいです。 (偏頭痛)

2021-09-04

信頼することの本質について語ろうとしているのはわかるとしても、信頼することについて、主題にするほどの必然性はいったいなんなのか、それが語られていないので、信頼することへの説得力がすっぽり抜けてしまっています。 (信頼することの本質)

2021-09-04

ぬいぐるみの兎を吊るして戯れている娘、そのイメージはゴスロリっぽくていいとしても、「哀れ」「不憫」「苦悩」といった、目にみえないはずの内面性を形容する語が目立っていて、イメージそのものを愉しむことを阻害してしまっています。もしイメージを重視させるなら、気持ちや思いといった内面性に関する直接的な形容を、なるべく排したほうがうまくいきます。 (縫いぐるみの兎さん)

2021-09-04

ベローネム様式というものを知らなかったので、ネットで検索してみたら、ちょうどこの投稿作品が出てきたので、もしかしたら作者のオリジナルな概念なのだろうか、と思いました。だとしたら、「不完全な創世へ」という作中の言葉とも響きあう様式であるような気がします。人の祈る手の形を模した屋根の下、血反吐を模して祭壇。神が創造主なら、創造することは神になる行為かもしれない、なんてことを思いました。 (ベローネム様式の教会にて)

2021-09-02

魂の放浪性、みたいな超越的な叙情を感じられて、私は好みです。ただ、作品の実感としは、もっと肉付けされていてもいいと思いました。それをしたらもはや小説になってしまうかもしれませんが。 (ハルピンの女性の話)

2021-09-02

あれ、件って妖怪は生まれてから数日で死ぬんじゃなかったっけ? それにしても、タイトルにあるNo.16 ってなんなん? あと、最後のほうに「20200109…」て言ってるけど、「2020年1月9日」ならまだしも、口語体で数字の羅列は違和感あるし、この数字が日付だとしても作品投稿時点ではもはや過去の日付で、しかも調べたらとくになにか大きなことが起こったのかどうかもわからない日だから、予言らしさとしても実感がまったくない。ようするに、詰めがあまい。むしろツッコまれるのを待ってるんじゃないかと思ってしまうほどに。 (【百物語】No.16 件の末裔)

2021-09-02

ああ、書き出しがたったの「焦燥感」。この焦燥感を、「焦燥感」という既存の単語に安易に頼らずに描けてこそ詩であり詩人であるとは思わないでしょうか。 (この日彼女は解放された)

2021-09-02

天然水から「水」という一字を取ったとしても意味が通じてしまうし、「水」を活かしている箇所はといえば、「飲まれたね」という語ぐらい。これでは主題にするほどのメタファーとしては弱すぎます。 余談ですけど、天然水だって、度数の高い酒と割るにはちょうどいいです。 (天然水)

2021-09-02

内省的なのはいいとしても、答えまでちゃんと書かれているし、自分自身で完結してしまっている感があるんですね。だから作品として、メッセージでさえもない。つまり他者=読者を必要としていない。 作中で〈君〉を想定しているのであれば、その〈君〉は無口な人形なのでしょうか。人形ではないなら、考えもするし、なにかを言ったりもするはず。その、考えたり、言ったりするためにある余白を、作者みずからの答えで埋めてしまったら、なんにも返す余地がなくなってしまう。 (ある思い)

2021-09-02

猫はいいとしてそれが黒猫である必要はあったのかと思ったのですけど、最後まで読んで得心がいきました。漂白されるために、黒く塗られた猫たち。そのような詩情を醸し出すための演出の過剰性が目立ってしまいました。……とはいえ、そうした演出さえできない書き手もいるなかでは、むしろ巧いほうです。その巧さが、あざといほど目立ってしまっているだけですから、それを自然なようにできたら言うことなしです。 (白い夏)

2021-09-02

品があるとはいえないけど、邪ないやらしさはなくて、むしろ潔く素っ裸になって書いている印象を受けました。好きか嫌いかでいったらじつはあんまり好きな作風ではないのですけど、たぶんそれは人の裸をなかなか直視できないのと似たような理由なのかもしれません。しっかりと地に足をつけて立っているような言葉の強さを感じられました。 (海犬)

2021-09-02

  人は一人なんかじゃあない。 心霊的な話が、哲学的な命題をも孕んでいそうで、興味深かったです。 前書きは必要だったのだろうか、と考えたのですけど、これから語ることが実体験であることを強調するかのような前書きが、かえって怪談らしさを助長している面もあるなと思いました。 (【百物語】視る)

2021-09-02

 答案を白紙で出したことがありますか?  読み手をドキッとさせるような書き出しが良かったし、冒頭の連で一つの短詩としてもいいほどです。 後半の「僕らは本当の詩を書けているだろうか?」という一行は、この作品の想定読者を、詩を書かれている方に限定してしまっているようで惜しかったです。 (創造に背いて)

2021-08-26

文章に余分さがそれほどないので、素直なおどろきが、きれいに響いてきました。 空白をあけた訥々とした語り方も、切実さを増していて、よかったです。 (call)

2021-08-22

 自分の体を写真におさめてる。明日から突然同じ様には写れなくな  る気がして。 ……「な」と「る」のあいだで区切ったのは、ナルシストという語にも通じる「なる」という文字列(※なるみんていう君の愛称みたいだね)になることを避けたのだろうか、というのは深読みのし過ぎだろうか。まあ、他のところでは、「なる」という文字列もみかけるから、写真におさめるときにだけ意識がはたらいたのかもしらんけど。他に、  イケメン君の顔も、明るい部屋でしか役に立たなくてかわいそう ていう詩行も良くて、ほんと、ルミナスラインを作品に盛り込むの、上手くなたねー。 (かふ、ちょう、せい)

2021-08-22

こちらこそ、雨野さんの作品を読めることを楽しみにしています。 そう、ロマンチック、いくつになってもたとえ非常識に思われようとも、ロマンがなければ人生に退屈してしまいがちな私なので、詩もそんな感じのをつい好んで書いてしまいます。 白犬さんへの返信にも書きましたけど、想像力ある解釈があっていいですよ。 (夜光虫)

2021-08-22

白犬さんの意見を否定するわけではなくて、むしろ肯ける考え方だと思いますが、その上で私の考えもあるのでここに述べますね。 「知らない」ということがかえって、ある人にとっては実感であることもあるように思うんです。地動説が主流になったいまの世の中でさえ、私たちの体感としては、大地が回転しているという実感はなく、太陽についても昇る沈むという形容が常識。夜光虫という名詞にいたっても、生物学的には虫ではないはずのプランクトンが夜光「虫」と呼ばれていて、作品においてもし生物学的な事実を重視するなら、夜光虫という名詞さえふさわしくなく、学術的な名詞を用いるべきだと思います。ところが私自身は、この作品においては、生物学的な事実よりも、夜に光る虫というロマンあるイメージを優先しました。実際、この夜光虫のテーマから、プランクトンどころか蛾をイメージしていた方もいましたけど、そうした想像力を尊重したいなとも思います。 (夜光虫)

2021-08-22

こういうのは私もいくらでも書けるように思うんですよね。わざわざここに投稿するまでもなさそうな戯れのような詩。ただ、気心のしれた人たちのそろっている場で、即興で詩を披露しあうのが楽しいみたいな。そんな、夜の浜辺で焚火を囲みながら話したり歌ったりするように、夜な夜なSNSに集うさみしんぼたちの和気藹々とした雰囲気そのものが、夜光虫みたいで。そういう輪のなかにはいってみるのもなかなかいいもんですよ、ということを伝えてみたくなりました。 (夜光虫)

2021-08-20

これ以上ないほどていねいに読み解いていただきありがとうございます。 作者からつけ足すとしたら、この作品はツイキャスのきょこちの詩会で、「夜光虫」というお題で即興で書いたものでした。そこでの即興詩を、他の方もハッシュタグをつけてツイートされていたり、ビーレビにも先月、同名作品の投稿が複数ありましたね。 SNSのコンテクストに連なっていることを、作品に託したイメージから察していただいて、さすがだなあと感じました。 (夜光虫)

2021-08-20

この作品を読んで、交通ルールをやぶった姉のことがおもいうかぶ、その発想のほうがすごくて、たまげました。詩は、ありきたりな文章や表現を超えるという点で、まさしく交通ルールをやぶることに似ています。もちろん現実では危険な行為はいけませんけど、文学や創作のうえでは、既存のルールにとらわれない発想が大事になってきます。自然な詩心を感じられるコメントを、ありがとうございました。 (夜光虫)

2021-08-20

詩の文章力、といえばいいかな、そういう技術はまだまだ未熟なのですけど、やはり着眼点がすばらしく、初々しい詩心を覚えます。これで文章を洗練させていったら、花開くような気がしてなりません。これからもいろんな詩人の名作を読んでいって、才能を培ってもらいたいです。 (通知表)

2021-08-19

これはテキストよりもポエトリーリーディング向きかなあ、と感じました。テキストだけだともっと凝った表現がないと刺激がたりませんけど、ポエトリーリーディングだと、一つひとつの言葉を耳で味わいながら進んでいくので、韻をそろえながら、だんだんと言葉が切実になっていく、この作品とは相性が良さそうです。 (ステップ踏みましょう)

2021-08-19

賄賂でわたすのがアイス、ずいぶん甘くて安っぽい交渉だなと、さいごの一行で肩の力がぬけました。深刻そうにみえたって、なんにも深刻なわけじゃない。そんな夏空みたいなアオハルらしさを、自由と名づけたくなりますね。 (自由)

2021-08-19

こういうの、もう、歌えばいいじゃん、と思ってしまいますね。ポエトリーリーディングだっていい。表現の選択肢に恵まれているいまの世の中で、テキストだけにこだわる必要があるのか。ましてや音を意識するとしたらなおさらです。 (らり言葉 音響歌)

2021-08-19

同じような主題なら、「世界に一つだけの花」を超える気概で書いてほしかった。詩は、耳あたりの良い歌詞よりもさらに深い表現ができるはずなのに、この文章は、あの曲の歌詞にも及ばない。 (たんぽぽ)

2021-08-19

拍手の音が出ない、とくに大人数のなかで自分自身にはそう感じられることはあったとしても、拍手の音はたとえ小さくても出ているものですから、安心していいですよ。なにより拍手する気持ちが大事です。それはともかくとして、自らの拍手の音に着目する、繊細な感受性がすばらしいです。もしかしたら繊細すぎて生きづらさを覚えることもときにあるかもしれませんが、その感受性をたいせつにしていってほしいなと思いました。 (拍手の音が出ない)

2021-08-18

小さな心だなんて、誰がどう判断したんでしょうね。作中の〈僕〉を殺してしまうほどの心なのに、それはほんとに小さかったんでしょうかね。おそらくですけど、作中主体にとって、見えていなかった、あるいは見くびっていたものが、あったんじゃないですかね。詩に使命があるとしたら、そうしたなかなか見えないものに光をあてることだとも思うんです。私には、この作品からは、詩人のまなざしを感じることはできませんでした。 (臆病者のシ)

2021-08-18

作文かと思っちゃうぐらい衒いのない、素朴というよりも未熟さを覚える文体なのですけど、訴えていることには思春期らしいリアリティを感じられました。まるで高校生当時になりきって書かれているような。 (チョコレート狂詩曲)

2021-08-18

うーん、もしかしたらほんとは、小説を書きたかったんじゃ、ないかなあ。詩未満だし、小説未満。 (散策)

2021-08-18

はじめまして、というタイトルでありながら、最後の一文は、お別れのとき。出会いは別れを内包しているし、別れは出会いを内包している。正直、そこに鯨なんてどうでもいいとおもうんだよね。でも、人はときに、どうでもいいことに呑みこまれたり、そんな縁にまきこまれがち。きょこちという存在もある意味、私にとっては届かない空や海、あるいそこに生息しているらしい鯨のように、空想的。だからまあ、いちおう自己紹介っぽくはなっているんじゃ、ないかなあ。 (はじめまして)

2021-08-18

うーん、なんかキレがないぞう、と思わざるを得ない読後感だったのですけど、タイトルに立ち返ってみたら、ああ、なるほど、謝罪文に代えてそれっぽい詩で、それっぽい詩を書かれる方への協調性を示したんだなと、得心がいきました。 とはいえ、私もついそれっぽい詩を書いてしまいがちな一人ではあるのですけれどね。 (謝罪文 罵倒してごめんなさい)

2021-08-18

語り過ぎておらず、そのぶん密度が濃く速度感が高まっているところが、個人的に好みです。 目立つところでいえば、「もしそこに書かれた記事が嘘やデタラメだらけだったとしても、僕は出掛けなくては。」この冒頭のルミナスラインも良いし、二連目が「火葬場。」という不穏な体言で始まるのもアクセントになっていて良かったです。 最後はまあベタだとしても、その口当たりのよさが、それまでの刺激を中和しているようで、後腐れのない読後感をもたらしています。総じて均整のとれた作品ではないかと思いました。 (愛でしょう)

2021-08-14

他の方もその灯りのぬくもりに注目されているようですけど、灯りを宿すツララを「透明な胎内」と表現する視点に、雪や氷に鎖されているからこそ生命力あふれる春への期待をいや増さずにいられない、雪国の人の心情を垣間見る思いがしました。 (ツララ)

2021-08-14

他の方へのお返事に「ひねりのない文を連続させてしまったので少々退屈なものとなってしまいました。」とありますが、コメントでそんな指摘をされたわけでもないのに、自ら弁明しなくたっていいのにと思ってしまいました。しかし作者自身のこの発言に、私もまったくもって同感です。作者自身が退屈だと自覚している作品をなぜわざわざ投稿されたのでしょうね。 (ぼくと僕から君へ)

2021-08-11

タイトルの意図はどこにあるのだろう、と思いながら読みましたが、怪談の怖さが孤独の怖さにすり替わるさいごが秀逸でした。序破急が感じられます。 (怪談になれなかった文章)

2021-08-11

なぜ坂道に着目したのか、そのわけが作品を読んだかぎりでは不確かでした。説明的になる必要はまったくありませんが、坂道の風景が大事な要素になっている作品に思われたので、モチーフに説得力がほしかったです。 (坂道)

2021-08-11

文体からも漂う、静謐な空気感が良いですね。音楽家の幽霊や、フジロックにヘッドライナーで出演するミュージシャン、という音楽にまつわるモチーフを登場させながらも、それはいまここで実際に奏でられている音というよりも、読んでいると空想のなかで幽かに残響が鳴っているような、かえって静謐さが際立ってくる音の存在感であるように感じました。 (あまたの手があなたを洗っている(2021))

2021-08-10

明治大正からの流れ、そこからの対比としての令和の現代性を、ペットボトルのほかにもっとえがいていたらよかったなと思います。そうそうあるものでもないかもしれませんけど、たとえばスマホとか。このあたり、文章で直接説明せずに換喩的に表現することを試みることが意識としても重要である気がします。だってそうした時代的な対比の妙味がなければ、たんなるお墓参りで、なんらおもしろみはありませんから。実質的には散文であるのに改行しただけで詩を書いたつもりにはならないでほしいです。 (山すその朝日あたる墓地にて)

2021-08-08

夕立は、さっと降って、さっと上がるから、潔い情緒があるように思いますね。本作の文章も、できることなら夕立を模写するように、くどくどしくなく、さっと潔いものであってくれたらなあと思ってしまいました。モチーフはわりと好きです。 (文化的な夕立の模写をする)

2021-08-08

太陽は直視しないほうがいいし遠くにあるもの。でも大きな影響を私たちにあたえている。太陽について知りたいなら、太陽に直接ふれることはできないけど、私たちにあたえる影響から太陽のことを知ることができる。人についてもまた同じこと。 ……解説すればそういうことになるのだろうけど、それを本文で解説することなく、イメージとして連関させているところに、詩心が感じられます。 (離れながら近づいてみる)

2021-08-08

異常なる性とはどんなものか、歪なる愛情とはどんなものか、たとえばそれらを掘り下げるだけでも一遍の詩が書けそうなほどに深く複雑であろうはずなのに、観念的で安易な単語で一括りに纏めてしまっている。やたらと語を浪費するまえに、もっと丁寧にみつめるべき物事がきっとあるはずです。 (漂い続けるヒトよ)

2021-08-08

廣島(旧字体の広島=過去の広島)を架空の街と云ってしまうことに大胆さを感じました。もはや想像するしかないほどに、現在の実感からはかけ離れた過去の世界。それでも想いを馳せればかえってくる。ユーモラスなタイトルも、シリアスさを中和しているようでよかったです。 (覆水も お盆には かえりますか?)

2021-08-07

文章が、始めから終わりにかけて、ちょうど送球しているように感じられました。しなやかで美しく、とはいきませんが、内省にひたむきな心情が露れているかのようです。 (サードからファーストへの飛行)

2021-08-04

蝶は、糞からも養分を吸うそうですね。けっして花の蜜や水ばかり吸っているわけではない。しかし美化された理想をもとめたくなる気持ちもわかります。不都合なものを見ないことは、感覚をとざしてさなぎになることに近いのかもしれません。老いるということ、しみじみとしてしまいます。 (老いるということ)

2021-08-04

自分たちの生きているはずの地球が、あたかも地球儀という模型にしか感じられないかのような、離人感の印象。そうするとカタカタという音はもしかしたら、とおい、とおい、生活の雑音であったかもしれません。 汽笛の音が聞こえて、そのあとにセリフめいて、犬の鳴き声がかすかに、と被せているところが好きです。「幻の」と形容せずとも、よほど幻聴らしさが読み手に感じられて。 ((Silver Pale Blue Violet))

2021-08-03

改行しているのだから本来なら行の末に読点は不要ではあるのだけど、本作では読点が水滴のような効果をもたらしていると思いました。この視覚的な演出が本文の内容とよく合っています。 (海の砂漠)

2021-07-29

電脳空間とあやかし和風情緒のくみあわせが好いですね。主に散文であることも読みやすいし、挿入されている詩行を映えさせることにも成功しています。 (電脳空間のはないちもんめ)

2021-07-27

興味の尽きないりんくすくん。詩を、規定されることを、延々と避けていく。と、それさえも規定であるとして避けていく。量子力学の観察者効果のように、直視ではけっして正体を見ることができない。見ないことによってでしか、見ることができない、夢。 ( 夜)

2021-07-27

情熱の血がかよっていようと、石になろうと、自らの心しかないんだ、旅の道連れにしていけるのは。やわらかい文体で綴られる、硬派な一匹狼の背中をみて、姿勢を正される思いです。 (或る手紙)

2021-07-27

 紫陽花  梅雨  毒入りコーヒー  それと、傘を差した人影 花や雨と、毒や人影、並置された美と不穏さがたまりません。そしてその次にくる語、  「やっぱり、ミステリーは豪華じゃないと」 ヴェルベットの手ざわりのようになめらかに、クリティカルヒットしています。 後半は前半のイメージをくりかえしているようですけど、文体の粘度が増していて、まさしく「ねばつく」かのようです。 (ねばつく夜)

2021-07-27

朱鳥さんが短冊に願い事を書くとしたら、実際にこういうことを書きそうだなと感じました。この祈りのままに生まれ変わってきたのが、いま生きている自分たちであるかもしれない、という円環構造を、タイトルは示唆しているようです。であれば「遅れてきた七夕」という言葉もとても似合う。遅れてきた者、生まれ変わってきた者の、祈り。 (【2021遅れた七夕企画】現在、もしくは過去の星たちへ)

2021-07-27

メッセージの返信という体裁の作品。自らの恋愛感情に客観的になれずに自己陶酔に陥っているピュアな男性の心理が透けてみえる文章を、ありのままに提示されていて、頭がいたい。 (ありがとう。)

2021-07-27

やまない雨という言葉はありがちですけど、未完雨というタイトルの言葉にふしぎな魅力を覚えました。 雨のノイズにつつまれているときと、雨があがって静かになったときでは、話している声の響きも変わってきこえる。詩的な耳のよさを感じます。しかし文章そのものはシンプルに終始してしまっていて、モチーフを活かす刺激が足りませんでした。 (未完雨)

2021-07-27

いろんな魚のいる海中遊泳の景色と、魚雷や地雷、死体、といった不穏な響きのある語の取り合わせが涼しげ。珊瑚礁があったり、魚が舞うように泳いでいるけど、暗い戦争の残骸も眠っている海底。軍艦の上を這っている、ヒトデは星のかたちをしているので、勲章のように、海に戦没した軍人の魂かあるいは生まれ変わりのように感じられました。無常の世を海の底から儚んでいるのかもしれません。 (鉄分と海底)

2021-07-27

縦書きなのに、8の数字が半角だから横向きになってしまい、無限大を意味するメビウスの輪みたいに見えて、偶然かもしれないけど、示唆的でよかったです。 (即興 7/17)

2021-07-24

こちらこそ、胸がふるえるようなお返事をありがとうございます。 質問にお答えします。現在ビーレビでは、フォントのサイズや種類を変更することは出来ません。しかし変化し続けているサイトなので、将来的にどうなるかはまったくの未知です。 裏技としては、ここは画像投稿も可能なサイトですので、フォントやレイアウトなどを自由に変更できる文章入力ソフトでつくった作品を、画像として投稿する手段があります。実際に前例もありますよ。 文章の視覚的な表現に意欲的であることは素晴らしいですから、ぜひ追求していってほしいなと思います。 (言葉のない河原から)

2021-07-20

唸らされました……! MRIという現代の医療機器にみる、洞窟を深く潜っていくような神秘性。異世界の出入口は、クローゼットだったり、扉だったり、トンネルだったりなどの前例がありますけど、MRIを通じて意識が幻想のあるいは記憶の世界に没入していくのが斬新でした。しかも演出などというのではなく、詩の必然として現前している。そして勾玉の美しいイメージが、手術によって摘出されるもの(腫瘍であろうか)と重なり、不安と希望が、祈りとなって託されている。現代の医療と、原始社会への郷愁が、作品を重層的にしており、見事です。川のような視覚性をもたせるなどの文体の工夫も良かったです。 (言葉のない河原から)

2021-07-18

アルトーの作品でも知られているヘリオガバルス、戴冠せるアナーキストのことが脳裡をよぎるタイトルでありながら、日本のお祭を舞台にしているその落差に惹かれました。しかし和と洋や規模の違いはあるとはいえ、お祭をやってることはアルトーの作品でも同じかもしれません。そうしたイメージの重なりも好きです。 襦袢を着たきれいな少年が櫓に登っていく場面に、純粋ゆえに狂気じみている権力への意思を垣間見るようで、アンファン・テリブルの妖しい美が感じられました。そのあとの作中主体らしきぼくの初々しい絶望も、些か大袈裟ですけど、構図的にはカタルシスがあっていいですね。 (夏のヘリオガバルス)

2021-07-18

耽美的で好きです。しかし文章が予定調和の域を出ておらず、刺激が足りませんでした。もっと言葉に飛躍がほしいです。 (蝶になるきみのX)

2021-07-17

島国に建てられた、資本と産業の結晶といえる家電量販店。文明の恩恵を享受しながら、なんの疑念や不安もなく、まるで理想郷であるかのように人々が楽天的に暮らしている様子がえがかれています。しかしキリバス共和国は、ちょっと調べるとわかりますけど、海面上昇によっていずれ水没することが予想されている国。フィクションとはいえ、これは辛辣な寓話であるように読めました。 (ヤマダ電機キリバス店)

2021-07-17

列叙されている人物名が印象的でした。読者によっては、誰この人? と思いかねない人物名もあります。他の人物名ではいけなかったのか。作中話者にとってそれらの人物は、全世界の終末と釣り合う、と思っているのではないでしょうか。よほどそれらの人物もしくは作品が好きで、その死は世界の終わりとも比すべきである、と。しかしそれはその人の主観。終末だろうとなんだろうと、幸か不幸か判断するのも主観。〈君〉なる存在の重要性も主観。主観に溺れまくっているゆえに、客観的には極度のロマンチズムに映ります。なんだか世界が滅ぶまえに作中話者が自ら滅んでいってしまいそうなほど。その破滅的なロマンチズムが、人によってはカッコイイと感じられるのかもしれません。 (Doomsday clock)

2021-07-15

七夕企画だけあって、彦星である「牽牛」と重なるようです。ロマンスとはほど遠い内容ですが。 (【2021遅れた七夕企画】 牛運び)

2021-07-13

ぶたれた、われた、メガネが、真っ二つさ、後半の一言ずつ強調された脚韻が小気味良かったです。 (女の猫)

2021-07-12

三.が良かったです。独創性と実感の伴った叙情性があって。雨上がりの夜のひんやりした空気を吸ったときみたいに、胸の内が澄むような読後感です。 他は着眼点も文章も平凡でした。 (愛してる)

2021-07-11

一月に千円ずつ貯金して家を建てようとしたら、少なくとも千年かかってもおかしくない、もっとかかるかもしれない。それはともかく、千年王国という語が脳裡をよぎりました。それを意識して書かれたようには思えないのですけど、安心して暮らせる〈家〉を建てようという純粋な願いが、おのずから信仰心とも響きあうのかもしれません。 (王国)

2021-07-11

展開が変則的でアシッドなロックを聴いているような文体に、酩酊感を誘われる快楽があります。 云ってる意味内容はべつに重要ではない気がするんですね。扇動的な文面に、皆さん踊らされ過ぎです。主張の是非を検討したいが為に詩を読んだり書いたりしてるんでしょうか。詩ならではのことばの妙味を、もっと楽しんだらいいのにと思ってしまいます。 (まごころをこめて、君の詩を批評で人格攻撃するね♡)

2021-07-11

あ! コメント投稿してから気がつきました、タイトルの「子ども王と影」は、「こどもおおとかげ(こもどおおとかげ)」とかけていることに。 (子ども王と影)

2021-07-10

これは、罠の気配を感じてなりません。 みっつのこどもが書いた体裁の作品にみせかけて、ほんとうは、おとなの心情を書かれているのではないですか。 「へりぽくたー」など、いかにも幼児の発語を再現していながら、「サラマンダー」だけちゃんとしたカタカナ語であることに違和感を覚えさせられるのも、計算されたヒントなのでしょう。もしかして、という邪推が確信に変わったのは、最後のほうの漢字もまじえて語られているところでした。「口から火を噴くような、ほんとのこと」を言えないおとな社会人の心情を、文体もろとも寓話化した作品。邪悪ですね。笑 まさしく「こもどおおとかげ」が、「こども」に空目してしまいそうなかわいらしい名でありながら、じっさいは獰猛な世界最大のとかげであることと、この作品のコンセプトがうまく重なります。 (子ども王と影)

2021-07-10

はじめの二行でまず心を掴まれますね。渦紫陽花という語の華美でありながらいかにも混濁していそうな印象付け、のちのピンクとパープルのアイスクリームとのアナロジーも美しい。 蚊を殺すという些細で何気ない殺生行為が、幸福の最たる象徴でありそうなジューンブライドと対比されるのも見事です。 不思議の国のアリスのオマージュも、思春期の官能性と結びつくようで効いていますね。 内容に比してタイトルが地味なのは惜しいです。 暗鬱な梅雨も暗鬱なままで甘美に感じられてくるような詩。映画も音楽もそしてやはり詩も、現実に彩りをあたえてくれるものだと信じています。 (紫陽花)

2021-07-10

なんだか音読したら気持ちよさそうではあるものの、そもそもあまり音読したいと思えない語が多々あって、語感の気持ちよさと意味の気持ちわるさ、そのあいだにあるかもしれない言語野の性感帯を狙っているんじゃないかという気がしました。 (酩酊①)

2021-07-06

合間に挿入される「べし」という効果音なのか助動詞なのかよくわからないノイズに、文章を壊そうという工夫が垣間見えますが、そこにシニカルさ以上の効果があるとは思えませんでした。なめてんのか、て言いたくなりますね、ええ。同じようにシニカルさを狙うんなら、いつかの顔文字のほうがまだ可愛げがありました。もちろん自己模倣を勧めるわけではありませんけど。 (╹◡╹) (生きたいね)

2021-07-05

ATフィールド張っちゃってごめんね。君のTwitterたまに見てるよ。 (産声)

2021-07-03

survofさんのコメントが、文体の特徴を模倣することで作品を批評しているようでおもしろいです。 縮こまり、というものの、文章は全然縮こまっていなくて、むしろ冗長に過ぎるんですよね。その矛盾は狙っていたりするんでしょうか。 (縮こまり快楽)

2021-07-01

すごいです、ほんとに14歳が書いたみたいです。とくに短絡的な「あ」の連続。実際に14歳が書いた詩よりも14歳が書いた詩っぽさが表れてるんじゃないでしょうか。 (黒い(14歳))

2021-07-01

もしもですけど、1970年代辺りに書かれていたら注目されたんじゃないかなという気がします。往年のロックをカラオケで熱唱しているのを聴いたときみたいな読後感です。 (おれのじじつにわななけ)

2021-07-01

これはあくまで印象からなのですけど、鏡を見ること、つまり自分自身と向き合うことは、円環を閉じることなのだと直観しました。 (閉じて)

2021-07-01

表向き、エイクピアさんの作風に似てるなと思いました。 いくつか言葉遊びめいた箇所が、おれを見てくれよと言わんばかりに目立っていますけど、駄洒落にしてはおもしろくないし、効果的であると思えませんでした。集合写真の端っこでふざけている学生を見つけたときのような気持ちです。 (三千世界特急)

2021-07-01

「話したい、はなしたい、離れたい、放たれない」この頭韻の「はな」が「花」に通じていて、その前行の蕾に重なります。そして「はな」に濁音がつくと「バナナ」みたいになるなあと。ことばの語感に伴ってイメージがずれていくことに快感を覚えました。いま思いついた勝手な造語なのですけど、〈音喩〉とでも名づけたいほどです。 (バナナ観察)

2021-07-01

直接は書かれていませんけど、同性愛かなと思いました。明示されていない「どうせ結婚は無理」であることの理由もそこにあるんじゃないかと。 「決して消えない光がある」たしかに陳腐とも捉えられかねないほどありふれた表現ですけど、だからこそ、これを三行連続で使うこと、そこに大胆さを覚えました。こうした言葉は陳腐化を嫌って避けられがちではないでしょうか。その強調により、むしろ消えてしまう光の暗いかなしさが、背後に浮かびあがっています。……前作同様、言葉そのものはいたって平叙でも、その使い方に際立たせる工夫がありますね。 (ネットカフェ)

2021-07-01

読み始めは、これもよくあるイージーなポエムなのかなと思っていたけど、後半でいわゆる出会い系のプロフィールなんだとわかりました。 詩ではない、詩として書かれていない、スナップショットのように現代性の一端を切り取ってきた体裁の作品、しかしそこに詩への視線を感じます。文末に共通している「優しい人が好き」という語に、切ない叙情を覚えました。これは単にこの語に叙情があるのではなく、その際立たせ方が巧いです。 (優しい人が好き)

2021-06-29

なんの衒いもなく、おもしろい読み物でした。 正直、ちょっと扱いに困ってしまいますね。おもしろいことはおもしろいのですけど、これは作品として文章が洗練されていないし洗練させる気もないのだと察せられて、誉めるに誉められないし、かといって批判する気にもなれない。たとえば「さあ、おれを殴れ!」なんて無防備で来られたらかえって毒気を抜かれてしまうものです。 (通学路?)

2021-06-27

言葉の通じないであろう遠い異国にも時計はあってチクタクという音は同じく聞こえるはず、この視点と想像力に個性を感じてなりません。 なんでジャマイカ? と思ったりするものの、そんなことは気にならないぐらいポップな勢いがあって良いです。 「それは真夜中の眠れない夜にしか聞こえない //それは実在しないけどちゃんと聞こえる孤独のおと」ジャマイカの陽気なイメージとは打って変わり、ここで夜の静けさや孤独に意識を向けられるコントラストも鮮やか。 流暢な文体と、起承転結があって、音楽を一曲聴いたあとのような満足のいく読後感があります。 (真夜中のジャマイカ人)

2021-06-27

そうきましたか! (さよなら)

2021-06-27

初読からなにもひっかからずに、日をおいて読み返してみました。淡々と、淡々とした、描写。主題をなんの変哲もない日時に収斂させているところにも、投げ遣りな感さえ漂っています。これが精一杯なのだろうか、精一杯だとしたら…… そこまで思ったとき、とても切なくなりました。真に迫り過ぎてつらいほどです。 (6月1日 午後6時30分)

2021-06-27

不思議なんですね。いかにも思春期の子がノートに書き殴ったような文体でありながら、サイレント映画や蓄音機という旧い時代のモチーフをふつうに出してくる。それこそ魔法のようなハイテク機器が身の周りにある、令和のいまこのときにですよ。どういった感性で、旧い時代のものをみつめているのか気になるような、不思議な読後感です。 これがもし、アナクロニズムをテーマに大人が書いた作品だとしたら、それはそれでびっくりですけど、文体はどうみても思春期らしさがあります。 (学んだこと全部カシ)

2021-06-27

「羽がないから、あなたは鳥になりたかった鳥だった、」この詩行に限りませんが、さりげないのに叙情過ぎて、慄然としてしまうほどです。もちろん誉めています。 やわらかい口語体の文章でありながら、言葉の連関は先鋭的で、たとえるなら、爽やかな風に吹かれていたら鎌鼬に切られていたかのよう。叙情の切れ味が鋭いんですね。 ……あささんは作風がもう確立されているので、詩集を作ってもいい気がしています。いまの作風で、書けるところまで書いたら、いずれは、この作風と訣別するときも来るんじゃないかと思うんですね。というか、自己模倣に陥るのを防ぐには、必然的にそうならざるを得なくなってくるんじゃないかと。それならいま書けるときに、この作風で思いっきりやって、詩集に結実させてみるのもいいんじゃないでしょうか。一読者からの勝手な意見です。 (夢の鳥は、)

2021-06-26

作者自身に内容をこれはこれでいいのだと主張されたら、一読者からは何も言う筋合いはありません。「へー、そうなんだ、それでなにが楽しいのかな」と思うしかないでしょう。 ただ、あささんの作風を意識して書かれたのであれば、そこには根本的な違いがあると思うんですね。『花火』に関していえば、文章に論理的な脈絡がありません。それが飛躍感にもつながっているわけなんですが。つまり文章に、論理的に主張らしい主張がないんですね。もちろん読者が解釈することは出来ます。比べてこの『君は主人公になれなかった』は、作者からの返信内容からも明らかなように、確固たる主張があった。そこに読者が入り込める余地はあるでしょうか。上辺だけ真似ようとしてもうまくいきませんよ。作品として、他者への想像力の足りなさが、そのまま読者への想像力の欠如にもつながっていないでしょうか。 (君は主人公じゃなかった)

2021-06-25

「舞台はアメリカであろうか。」というエイクピアさんの見方がちょっとおもしろいなと思って。この作品、はじまりの村や勇者や魔王やら、いかにもファンタジーRPG風な言葉が出てくるものの、イカれたメンバーやパーティーやホームランやら、展開がまるでアメリカンだなあと。 テーマに関していえば、勝ち進んでいようと負けていようと、人は誰しも自分の人生の主人公であるわけで、それを「君は主人公じゃなかった」なんていう断定は、勝手な価値観の押しつけでしかないと思うんですよね。他者への想像力が足りないというか。開放的な広さがあるはずなのに、視野は狭い。まさしくアメリカとかの田舎のようです。 文体は小気味よくて読みやすかったです。ところでコメント欄で作者があささんの『花火』に言及されていますけど、それは思いもよりませんでした。なぜならこの作品の文章は誇張法を多用した散文の範疇に収まるもので、あささんのように飛躍感のあるルミナスラインは、今作には見出せないからです。 (君は主人公じゃなかった)

2021-06-25

ことばの飛躍感が足りませんでした。どの詩行も、「十五歳」の概念に収まってしまいます。それだけなら、十五歳の女の子の写真一枚あれば事足りるわけで。この作品の文章を〈良い〉と感じる方たちは、現代詩のおもしろさを知らないと云わざるを得ません。 (十五歳)

2021-06-24

 せめて海という句点をつけて  この街を去れ! なによりこの書き出しがかっこいいですね。タイトルもインパクトがあり、万有引力で有名なあのニュートンに対して言っていると察せられ、すでに死んでいる人物に対して死ねと言うのもよくよく考えたら変な話ですが、押し通されてしまう勢いを感じます。引力に抗いたいんですかね。後半はとくに、力任せにゴリ押しするばかりで万有引力の法則を超克できるのか疑問に思えてきますけど、勢い余って空回りしてそうなところがまた滑稽でした。 (死ね、ニュートン)

2021-06-21

たった二行の詩ですが、作中話者と「あなた」との間に距離があることが伝わってきます。地理的に隔たっているからこそ、あなたのところの天気が気になるのでしょうし。また、そっと教えての「そっと」という言い方がいいなあと思いました。天気のこと、それだけのこと、聞けばいいと思いますけど、聞くに聞けないような心の機微があって、それに「そっと」教えてくれる密な関係性への希求も感じられ、地理的だけではなく心の距離感もえがかれているようです。  こちらでは雨がざーざー降っています  あなたの天気をそっと教えて こうして、ほんのちょっとアレンジするだけで短歌になりますね。 (あめ)

2021-06-20

ありふれた主題であるものの、ひらがなや余白の塩梅が好みです。内容や意味以上に、さらさらとした文体に魅力を感じました。 (なみ)

2021-06-20

夕陽は、その日の角度や空模様によって、あるいはそのときの気分によって、たしかに毎日違って見える。でも、そういった日常の些細な違いに意識を向ける人がどれほどいるだろう。そこに気づかされる一行目が、良かったです。 (ソイラテ)

2021-06-19

  夜を四角く切り取る窓 明るい部屋の中から暗い窓を見ているようにも読めるし、その反対に、暗い外から家の明るい窓を見ているようにも読めるなと思いました。その両面性がよかったです。 他は、ごめんなさい、あまり感じ入るものがありませんでした。 「自由律俳句」と題するのはわかりやすいですけど、この安直な表題に頼らずに、願わくば作品本文のみで読者に自由律俳句だと感受させられるほどの気概を示してほしかったです。 (自由律俳句)

2021-06-16

「いまの時期の午後四時」の「いまの時期」って、投稿年月日から察することもできそうですけど、この作品を読むときによって変わるんじゃないかと思うんですね。でも作品内に季節感を特定する語は一つも無く(しいていうならストロベリーでしょうが、香りなら年中出回っていますし)、季節というより人生における「いまの時期」と捉えることもできそうで、むしろ重要なのは「午後四時」なのかもしれません。昼でも夜でもない時間、夢と現実の区別が曖昧になっている心地、進んでいるわけでも退がっているわけでもないし、始まるわけでも終わるわけでもないような、そんな宙ぶらりんでアンニュイな雰囲気がわるくありません。 (いまの時期の午後四時)

2021-06-15

直喩の交換可能性に、弱い電気のように刺戟され、心地よい痺れを覚えました。夢とうつつの境界をふらりと越えるような、ひらがなをうまく使いこなしている文体も、あざとさを感じてしまうぐらいに好みです。 (なにかあるようでなにもない)

2021-06-13

ぺたんこのところがよくわからなかったのですけど、お見舞いの帰り道とタイトルにあることから、不安や寂しさでぺたんこになった心を思いうかべました。なるほど、田園風景から思いついたんですね。ぺたんこな風景と、お見舞いの帰り道の心象が重なるようです。そこに忽然と在った神社。お参りして、お祈りしたくなるような、心にさわさわと立つ風を思い起こさせます。 考えて置かれたことばというより、直観に導かれてきたことばなのだろうなと感じられ、押しつけがましくない、爽やかな余韻をもたらしているように思いました。 (お見舞いの帰り道)

2021-06-12

ツイッターにでもつぶやいてればよくね? と思ってしまいますね。 (恋は盲目)

2021-06-11

さいごの「朝を歩いた」がポイントなのかなという気がします。朝なんだけど、月見というと夜を連想させる、つまり心ここにあらずといった感が、淡々とした所作や文体とも相まって、無骨な生き様を思わせられます。背中で語っている作風ですね。 (月見うどん)

2021-06-11

よわよわとつよつよ、詩にこんなことばがでてくるのは意想外で楽しいですね。でもツイッターなんかだとわりとふつうにありそうなことば遣いで、そういうのを詩に輸入してくるのはおもしろそうな可能性を感じます。 どしゃ降りの雨のなか、ずぶ濡れになって立ちつくし、自問自答しながら叫ぶ、そんなアオハルっぽい映像が思いうかびました。だからやっぱり、ザーザーがふさわしいんじゃないかと。 幸せにもいろいろありますけど、後の文脈から察するに、それはこどもを作ることと結びついた幸せなのかもしれません。もしかして、ザーのあとにはじつは、書かれていない二文字があるのかしらん。言えない、おぢさんからは言えない。 (産声)

2021-06-09

架空少女辞典、まるで澁澤龍彦の著書にありそうなネーミングが好いですね。 (クロッキー 1(美味しいお菓子のつくりかた))

2021-06-09

喩に依りかかりすぎずに、ことばの飛躍感があり、すばらしいです。詩をよむことの醍醐味がここにあります。一連目がとくに好きです。 (六月の猫)

2021-06-08

本文にある「誰も彼もが天国へゆきたいらしい」がもしタイトルだったら(まあ、そらそうやろ)となるであろうところ、あえてなのか「誰も彼もが天国へゆくらしい」とあるので(え、そうかな)と疑義を喚起させられ、読ませる一助になっている気がしました。ほんのちょっとしたことですけど、巧妙な技ではないかと。 んで読み始めてみると、なんでか知らないけど荒ぶっているなあという印象。始終、荒ぶっている感情ばかりが伝わってきて、なぜ荒ぶっているかが見えてこないので、どうしてなのかな、と作者の頭のなかの思考を想像してみたくなる、そういう読み方を誘発するのではないかと思います。 文体の工夫は感じられて、過渡期かなと思うものの、読んでいてそれなりに楽しかったです。 (誰も彼もが天国へゆくらしい)

2021-06-08

もちろんいい意味で、遊んでるなあと思いますね。たとえば川になにか投げてみる、石でもいい、花束でもいい、コインでもいい、指輪でもいい、誰が見てるかも見てないかもしれない、そのとき散文的な日常とは異なる空気感がうまれる、そこに詩がある気がする。 (死骸の歌)

2021-06-08

これは作者自身によるコメントも含めて一つの作品ではないかと思いますね。たんなる自慢か、と言いたくなるほど惚気た色恋模様とはうらはらに、思わず姿勢を正さずにはいられないほど爽やかな志を謳ったコメント欄の短詩。その落差が、単体ではべつにおもしろみのない両者のカラーを引き立て合っているようです。 (梅雨の晴れ間)

2021-06-07

お眠りよ、と声をかける書き出しからして、優しい心を感じてやみません。一体どんな夢をみているだろうね、と、目を閉じる人たちや街に、そして目を閉じれぬ人にも、思いを馳せる。その主体もまた、もちろん寝なければならないのですが、寝れないでいるのかもしれません。 他者がいて、他者を思いやる、優しいまなざしを感じられる、素敵な詩です。 余談ですが、ここには自分のことばかり書いてる詩がほんとにありふれているなと、あらためて感じます。「君」だったり「あなた」だったり、一見すると他者がいるような詩も、それは作中話者に関係している他者であって、本質的には「自分」のことです。 この詩には、作中話者とまったく関係のない他者がいて、しかもその他者への思いやりがある、そこに光るものを感じました。 (夏の夜、眠り)

2021-06-07

まさしく懐中にしのばせたナイフのように、ふとしたはずみに光る、ぎらりとした叙情が好いです。 (アニムス)

2021-06-06

ひらがなとカタカナのなか、「詩」だけが漢字で、アクセントになっていますね。あーだこーだ言葉を連ねるよりもよっぽど、文体そのものをつかって体あたりされている、潔さを感じました。 わたしは詩だ、それはなぜか、「すべてにまけてしまったので/なにものこっていないので」と言いきる大胆さも好いです。うちひしがれた、芯からでた、ことばの強さがあります。 (わたしは詩だ)

2021-06-03

東京オリンピックの年に結婚をしたおばあさんが、おじいさんといっしょに東京オリンピックを見るのが最期の夢だった。そのおじいさんはもう亡くなっているのですけど、もういちど東京オリンピックを見ることが、結婚の思い出をふりかえることにつながるのでしょう。それを心に留めながら次の行を読んだとき、不覚にも琴線にふれました。  会いたかった人に会いに行くの 思い出にふれるとき、人は、会いたかった人に心のなかで会えるのかもしれません。 いまこのご時世さえも、未来には一つの思い出となっていることでしょう。会いたい、そう想う人がいる、想ってくれる人がいる、なんて幸せなことだろうと感じます。 街で見かける人たちも、誰しも想いを抱えながら生きているのかもしれませんね。 (ワクチン)

2021-06-03

やはり習作の感が否めません。韻を踏んで、ラップのような表現を試みているのはわかるのですが、形式に呑まれてしまっていて、肝心の詩の言葉は全く自分のものにできていないように思います。ぎこちなくて、まだスーツを着こなせていない新社会人をみているかのよう。しかし言葉から新鮮さを感じられないという点では、新社会人にもおとるかもしれません。 (C)

2021-06-01

ありがとうございます。生気にみちた春のまばゆい光のなかで、むしろ涅槃への憧憬を感じていたのかもしれません。 (花酔メランコリア)

2021-05-31

そうだね、下ネタ一辺倒で、お行儀いいね。下ネタそのものはもちろんお行儀いいモチーフではないんだけど、構成がね、悪戯心を全く感じない。生真面目なほどに、徹頭徹尾下ネタ。ひねくれてない。むしろ端正。作者さんはもしかしたら良い人なんじゃないだろうか。 (決斗!人造人間シジーン)

2021-05-31

お読みいただき、感じたことから言葉が生まれてきたのであれば光栄です。ありがとうございます。 (花酔メランコリア)

2021-05-31

なないろさんのいつもの生活に根ざした作風を知っているせいか、ここでの作るは、料理を作っているように思えてなりませんでした。毎日果てしなく。料理を作るということは、他者に食べさせてあげることもできるのであって、時に見返りを求めることもないその利他的な所作は、狭い利己心からの解放も味わえるのだろうなと思います。もちろん料理に限りませんが。作ることができるから自由、あるいは自由だから作ることができる。なにかを作ることはたしかに、自由であることの証左なのかもしれません。 (つくる)

2021-05-30

  5/27  5/28   5/29 日々、前に歩いていく、日付そのものがまさしく歩いているような視覚表現が斬新でした。 (Firefoxから、)

2021-05-27

 生まれていないものを ことばでは あらわせない  まだ 名付けてられていないなら 君は、神に近い ここで、すごく感動しました。 (桃太郎の神殿)

2021-05-26

 遮断機に似た祈りで  泣いたことはない このルミナスラインがすごいなと感じます。警報のように扇情的で、自閉的に関係を遮断するような、祈り。そうした自己憐憫への、ドライな視線。 安易に叙情に走るのではなく、三連目はむしろ叙情を煙に巻くような文章の展開が、おもしろいです。この文体にもドライな態度が表れているようで。 再びの「遮断機に似た祈りで」と「大王が座っていた」に改行で間を空けてあり、それがツボなのですけど、これは読むなら間を空けずに読んでみても文脈が通るかのよう。イヤホンという遮断機あるいはATフィールドで自らの世界にこもる一人ぼっちの大王が思いうかびました。孤独な全能感。 (はい)

2021-05-25

悩みが一個もないってことは、表向きは威勢よくみえるかもしれないけど、人間としての中身は空っぽなんだ、ということをコンセプチュアルに表現されているのではないかと思いました。 (俺は人生において悩みが一個もねえんだ)

2021-05-25

「あはれ」と「をかし」がうまく調和している、ここでは新鮮な作風で、その試みを評価したいです。 (あゝ薄毛)

2021-05-25

もちろんいまこのご時世なので、マスクといえば誰しも感染予防が思いうかぶわけですが、もし、そうした現在性を考慮せずに読んでみるとしたらどうでしょう。 マスク、顔を覆い隠すもの、仮面。ファッションのように気軽に、ペルソナを演じ分ける社会を思わされました。おそらくそのような意図はなく、無邪気に書かれたのではないかと察せられるものの、だからこそ、幼い子供が無意識にこの世の真実を突く発言をしたときのような、意想外の驚きを読んでいて感じてしまいました。 (マスク)

2021-05-25

ゆで卵ということは、ゆでた人がいるはず。つまり人為が介入しており、もはや自然なうまれたままの状態ではない。にもかかわらず、無垢な実存であるとされている。手のひらで弾むほどなら、半熟どころではなく熟しきっているはず。 でも、ゆで卵の表面の、まっしろで、つるつるぷるぷるな質感は、無垢を思わせますね。先述したことと合わせて鑑みても、すでに無垢ではなくなった話者が無垢への憧憬を綴っているように思えました。 (ゆで卵)

2021-05-25

港、言わずもがな、船が発着するところ。船をつかって、海を渡り人や荷が往き来する。その港が、「あなた」にある。人間において港にあたるであろう器官は、どこだろう。濡れる、雨の予感がする。個人的に、官能的に読めました。 (傘の中で飼育する)

2021-05-23

「ギターの音」という語がくどいぐらい出てきて、微かに聞こえたわりには主張し過ぎかな、と思う反面、それだけギターの音が頭から離れないでいたり、語をくりかえして音楽的な効果をもたせようとしているようにも感じられました。そのギターの音がラブソングかもしれないという示唆も好いし、「ジュースを買いに戻ってみたり/少しだけ明日の休みに甘くなる」このルミナスラインも効いています。 文章を削ぎ落とし研ぎ澄ませる余地がありありなので、そこはがんばってほしいと思います。 (ラブソングかもしれない)

2021-05-23

私の知っている水上さんの洗練された作風とは違って驚きました。副題に習作とあることから、詩を書き始めたころの作品か、あるいは意図して近代詩の古臭い文体を模倣しようとしているのかなと考えます。東京の片隅にあるレトロな喫茶店にふと足を踏み入れてしまったかのような。 過去を見据えたときそこに描かれていた軌跡、未来を見据えたときいまここに描かれつつある軌跡、先へ進む限り、生きることは習作を重ねることかもしれない。習作という副題が、「軌跡」という語と奇跡的に共鳴しているようにさえ感じられます。文体、内容、題名、すべてが軌跡のもとに合一している、目立たないようでいて、表現の妙を覚えます。 (習作「軌跡」)

2021-05-23

  口紅を知らない頃のいきものじゃ   いられないから 照明であかるいはずなのに暗闇より深い真夜中の部屋で、一人きり過ごしている孤独感と、この色っぽいルミナスラインが対照的で、そこに一つの椿の花が落ちているかのようでした。いかなるときもロマンスを忘れなさそうな生き様を感じます。 (真夜中にわらう)

2021-05-20

一見すると童謡みたいに可愛らしいのですが、「めだまがみてる/こちらをみてる」と不気味さを孕んでおり、それを踏まえると「たんたんたんぽぽ/おいしいな」には無垢な狂気さえ覚えます。 (たんぽぽ)

2021-05-20

思春期らしい上がったり下がったりの情緒を、語るのではなく端的な語だけで表していて、その刹那性に、共鳴させられるものを覚えました。 (泣くために、花々をちぎること。)

2021-05-15

そうですね、過去作品に比べたら、詩のかたちが整った感があります。赤裸々な哀愁もいいと思います。 (せんべいぶとん)

2021-05-15

風にゆれる、カーテンとスカート、似ていると感じることがあります。もちろん作中にはスカートという語はないのですけど、誘っている風なところに、私は魅惑的なスカートを連想しました。 (カーテン)

2021-05-15

意図されていない読みで失礼にあたるかもしれないのですが、前半は官能的な行為の後と重なりました。心地よかった春の終わりは惜しい気分にもなりますけど、暑さの厳しい夏が始まっても、嬉しかった思い出が生きる励みになるなあと感じます。 (はじまりの世界へ)

2021-05-11

初めは画像投稿かと思いましたが、ルビの機能を使って書かれてるんですね、これ。文章表現としてルビをうまく活かしていますし、なにかしら壁を破ろうとするような意欲が感じられました。 (she ))))>< ಠ Ɛ⁍̴̆ ❕)

2021-05-11

瑞々しい散文詩。「水の気持ちを想像するのは、猫になるより少しだけむずかしくて、」といったルミナスラインがいくつもあります。 描かれている感情が幼いといえばそうかもしれないのですけど、おわりに「だから、今日も世界中のみんなが「またね」ときれいな声を出すのだろう。」と、普遍性に結びつける手つきが鮮やか。安易に形容することをおそれずに一言でいうなら、とにかく「エモい」詩です。 (花火)

2021-05-08

霧のなかに白馬がたたずんでいるような、輪郭がつかめずに朦朧としているけど、息遣いがつたわってくる、すてきな詩です。   名前のない獣が吐く白い息。   清潔になりたいと願った。 この書き出しにとくに心をつかまれました。 獣にとっては名前はないのがあたりまえで、名前は人がつけるもの、だから名前のない獣は、誰かの観念にまだ穢されていないのかもしれない。穢れない、純粋さへの希求を感じます。 (フリーズ)

2021-05-07

こういう主観の押しつけがましい人いるいる〜という共感性のある寓喩と、さいごの静かなカタルシスが魅力の作品だと思いました。 ただ作品内で答えが描かれてしまっていて、そこで完結しており、それ以上、読みがひろがっていかない感はあります。 (アリクイがクマに言った)

2021-05-07

幼いこどもらしい呼びかけからはじまって、自らの幼少期をふりかえるように、それらがみんな奇跡なのだと、大事な奇跡なのだと、流麗な文体で、撫でるように真に迫っていくところが感動的です。   じゃんけんの途中で逃げたよ私たち ここでとくに胸がふるえました。 実感のある換喩が巧いし、なにより、考えるより先にことばが生まれているような手つきを覚えます。 (ROAST)

2021-05-07

自分が好きなものにも嫌いなものにも視線を向け、それぞれ精一杯生きていると思う、そのまなざしが健気で、素直な文体とも調和しており、好感をいだきました。 (弐匹の詩)

2021-05-06

ぶつかることに主眼を置いて読みました。 道路上で車と人がぶつかったら死にもつながる不味い事故ですが、カステラとプリンがぶつかったら美味しいお菓子が生まれるのだなあと。その対照的でありながらもぶつかるという共通項を見出せるモチーフが作品内でさらにぶつかることで、強引なほどにビビッドなコントラストをえがいているように思われます。 (カステラプリン)

2021-05-06

もし、下手だと自覚するなら、どこが下手なのかということも自覚していて然りだと思うんですね。ただ漠然と、自分は下手だから、と宣うとしたら、それは卑下にしか過ぎなのではないかと。 だけど自分の作品を客観的に批評するって、なかなか難しいです。でも他者の作品についてなら、なにが下手で、なにが上手いのか、自らの審美眼を以って批評してみることはできるはず。ここビーレビでコメントする意義もじつはそこにあると思うんです。自らが判断基準をもたなければ、なにが下手でなにが上手いのか、わかるわけない。他者の作品に批評やコメントすることが苦手な方は、往々にして自らの作品についても、どこが下手でどこか上手なのか、見究められない方が多いように見受けられます。逆をいえば、その審美眼を磨くためにも、他者の作品についてどんどん批評やコメントしていけばいいし、ビーレビはそれが出来る場です。他者の作品に向き合うことで、自らの作品についても客観的に向き合う力がついてくるのではないでしょうか。 ……詩がわからない、詩の上手い下手がわからない、そういう方は他にもいますから。 詩が好きなら、ただ好きでおわらせておくのは、もったいない気がします。それって、好きな人がいるのに、片想いのまま、なにも行動できずにいるようなものじゃないですか。どうしたら、好きな詩と、もっと仲良くできるだろう、考えてみるのもいいかもしれませんよ。 詩が好きだけど、詩がわからない、そんな悶々としているすべての方へおくります。 (天気予報)

2021-05-06

いたい「痛い」「居たい」「遺体」 したい「為たい」「死体」 他にもあるかもしれませんが、言葉あそびをふしにあわせてうたう、ふしあわせのうた、そんな詩体がたのしいなとおもいました。 (ふしあわせのうた)

2021-05-04

真率に訴えかけてくる叙情があります。主題はシンプルだけど、肺と雷撃といった、不穏ながら躍動感あって力強いイメージの取り合わせ、それと歌うような文体に、心の声の震えや響きが宿っているように思われました。 (肺と雷撃)

2021-05-02

雨に、宇宙が気化し蒸発するというイメージが美しいです。 とりのこされることを奇跡的だとおもう感性も、素敵。ほんとうは、孤独になれることさえ、奇跡的なのかもしれない。 ゆっくりとした呼吸をしようと、さみしくとも、ていねいに生きていこうとすることに、好感をいだきました。 こわれかけの弦楽器を爪で弾けば、光にさらわれる、このイメージも美しく、たんに叙述するのではなく、より魅せるように、文体にも工夫がうかがえます。空白の多用やことばのレイアウトも、透きとおって虚ろな主題をえがく一助になっていると思われます。 水を湛えた砂漠、この撞着的な表現に最も象徴されている、孤独感のうちにある豊かさのようなものを感じられる詩でした (雨に)

2021-05-01

文体が無骨なことをわるく言うつもりはなくて、その無骨さはたぶん、作者からおのずから滲み出ているものではないかという気がします。ただそれが、糸切り鋏という、手芸のなよやかさを連想させるモチーフと響きあっていないようで、あまり説得力がなかったんですね。先のコメントでも書きましたけど、どちらかといえばやはり、鉄線を断ち切るニッパーのような男らしい印象を文体から感じました。なので糸切り鋏が、実感から乖離して浮いてしまっているような。 作品のコンセプトを把握してより明確に表現しなければならないのではないのかなと思います。 (糸切り鋏)

2021-04-30

おそらくですけど、福まるさんにとっての思い出は、義務教育あたりまでなんだろうなと察せられて、憐れみを覚えます。それを最も端的に象徴しているのが「あれから四半世紀早く働けるようになりたい」という一行ではないでしょうか。ほんとは自立しなければならないはずなのに、社会に出て働くことさえままならない、だからこそ懐かしむのは、過去のよかったころの自分、それも義務教育あたりの思い出。 そんな福まるさんも、福島や原発とか、日本を憂うこともあるんですかね。はっきり言って、日本を憂うぐらいなら、すこしでも社会に出て一個の歯車としてでも働くほうが、よっぽどお国の為になると思うんですけどね。まじで、こんな投稿掲示板にうつつをぬかしてる場合じゃなくて。もしも社会不適合者の捌け口に思われてるんだとしたら残念です。 (覚えているだろうか?)

2021-04-29

糸切り鋏なんていかにもなよやかな手芸のモチーフよりも、鉄線を切れるガテン系のニッパーのほうが似合っている文体だなと思いました。 どうしてこんなに文体が無骨なのかなと思うんですけど、その一端に、文章をひらがなにひらくことを知らない、わからない、ていうのがあるんじゃないかという気がするんですね。 逆に、ひらがなを多用する詩人さんに聞いたことがあるのですけど、その方は、漢字をあんまり知らなくて、書けないのだと仰っていました。 電子端末に言葉を入力し漢字変換されること、それがもはやあたりまえでそこになんら違和感を覚えることもない、そんな作者像が思いうかびました。つまりは言葉そのものへの意識が足りていないんじゃないかと、言葉そのものをスマホ入力と同じように便利なツールとしか捉えていないんじゃないかと、その無頓着さが無骨さにつながっているんじゃないか、という気がしたわけです。 試しに、たまには詩を手書きしてみるのもいいんじゃないでしょうか。言葉への向き合い方に、もしかしたらなんらかの気づきがあるかもしれませんよ。 (糸切り鋏)

2021-04-29

気に入ってくださり、ありがとうございます。 ところで俳句は一句二句と数え、一首二首と数えるのは短歌ですよう。 (花酔メランコリア)

2021-04-29

タイトルはそのまま読んでもいいですけど、豆ぐらいの大きさの福の日、と読むこともできるなと思いました。そんなささやかな幸せをみつけた日は、うれしくて思わず駆けだしたくなりますね。 (豆大福の日)

2021-04-29

東京の片隅でいつか食べたものが、自らを過去へと引き戻す思い出のトリガーになる、それどころか心まで若いころに戻って、また夢を追ったりだれかを愛してしまうかもしれない、その想像力の飛躍がとても好いです。それと併せて、あのころからだいぶ遠いところに来てしまったという郷愁が、しんみりと叙情的。 この企画のなかではいちばん好き、というより企画を抜きにしても好い詩だと感じられたはずです。 (セロリカレーとナン【企画「食べる」】)

2021-04-29

「偸む」と「愉しむ」って字が似ていますね。 罪のない背徳感を覚えて春。 音にも注目してくださってうれしいです。ありがとうございます。 (花酔メランコリア)

2021-04-27

批評を否定するつもりは全くないのですけど、一番閲覧数が多い作品を検索する点からして、なによりもまず注目度という見栄を気にしている感が否めませんでした。詩について興味を示す基準はそこなのか、と。 (『ちんちん!!(ちんちん!!)』という作品について。)

2021-04-25

意味を込めても、気持ちを込めても、その詩を投稿したりする行為にはたしてどんな意味があるのだろうか。 逆に、 意味はない、意味を破壊する、というダダイズムの詩や活動には、その当時の時代背景やアートの歴史を鑑みれば意味があったようにも思うんだ。 意味がどうとか、気持ちがどうとかを話したいわけじゃなくて、ただ単に、イメージが支離滅裂だと感じたのよ。レストラン、海、宇宙、砂漠、とか、それ自体では統一性がなく、全体的に混沌としている。カオティック。にもかかわらず、そこに水とかのコンセプチュアルな共通項を見出した楽子さんの洞察を、おれはすごいと思ったのね。 そしてやっぱり、作者さんはそういう自覚ないと宣う。 自らが直感で書いた詩を、誰かに気に入られた、なぜ、気に入られたのか、そこを考えなかったら、それ以上の進歩は難しいんじゃないかと思うんだよね。 正直、他の人が調子のるかどうかも、いまは関係ないことなんだ。ここでは作者さんに対してコメントしてるんだから。 私のしたコメントについて、作者さんにとって無意味にはならない読解をされることを期待する。 (ウォチョカー・ウォチョカー)

2021-04-25

ほんとに、後半では、文章そのものが幽体離脱しているかのような。濫発しないほうがいい、濫発したら飽きられてしまいそうな構成ですけど、本作では、死後の解放とも読みとれそうな内容と調和しているように思われました。 (貉)

2021-04-25

「水」というキーワードで読んでいくとたしかにつながる、楽子さんの読みはたいしたものです。しかし、作者がそれを自覚して書いていたかは疑問ですが。 レストラン、海、宇宙、砂漠、一連ごとに場面が変わるかのようで、いってしまうと支離滅裂なのですが、「別の世界線が生まれて そこが変わっていくんだと思う」という作中のフレーズを鑑みると、それも妙に納得させられてしまいました。 あと、おそらく四行で一連にしていると思われ、そうしたところに構成の工夫も垣間見えます。 直感で書くことを否定はしませんが、読者からの「読み」に頼ってしまったら、そこまでではないかという危惧もあります。どこまでコンセプトを意識して書くか、そこを掴めないで、理性に耳を貸さずに直感のままに書き続けるなら、そうした詩書きにありがちなことなのですけど、突然書けなくなることだって起こり得ます。 なにをいいたいのかというと、楽子さんの読みは貴重で、ほめられたからって調子にのるんじゃなく、ただそればかりじゃなくて、ちゃんと参考にしていったほうがいいと思うんだよね。 (ウォチョカー・ウォチョカー)

2021-04-25

「彼や彼女らを美術品にした」でパンチが効いてますね。そのあとも少年少女らの明るい奔放さを感じられる詩行が続くものの、「胸像の夢」や「窓際の胸像」という語にあらわれるそこはかとない暗さが引っかかります。どうも、躍動的な少年少女らとは対照的に、不自由なものが窓際から憧憬を以って外を眺めているようで、それはまさしく放課後の美術室に教材として置かれている胸像からの視線なのではないでしょうか。 はじめの 「彼や彼女らを美術品にした」で、美術的なモチーフを扱われていることで、胸像さえも違和感なく詩のなかの少年少女らのあいだに溶けこんでいるように思います。石膏の白さが、無垢な胸つまりは童心とも重なり。明と暗、動と静が、対照的でありながらも、極端にならずに融和している、見事な詩です。 読めば読むほど、さりげないイマジネーションと技巧の上手さに畏れいります。これはすごい。 (窓際の胸像)

2021-04-25

宗教は薬物みたいなもので、薬物は宗教みたいなものかもしれない。そういう退廃的な着眼点は好きだったりします。だけどたぶん、そればかりではない、というのが最後の「鳴り止まないのは蘇生のリズム」から感じられる気がしました。生きようとすること、そのものは、宗教とも薬物とも関係なさそうです。 (人はそれぞれ各々の宗教を持っている。それが常識という言葉で表されているのかもしれない。)

2021-04-21

日常生活のなかで、理由もわからずに不安や恐怖に駆られることはあるような気がします。あるいは理由が判然としないからこそ、よけいに不安だし恐怖になるのかもしれません。そうした心境をそのまま表しているという点では成功しているといえそうです。 しかし、判然としない不安や恐怖などを、そのままにしておくことは、はたして詩人らしい態度だといえるのでしょうか。不安であれ、恐怖であれ、なかなか言葉にならないような感覚を、言葉によって照射することこそ詩ではないかなと感じます。抽象的に、恐怖という語に安易に収めずに、そこへもっと切り込んでほしいと思わざるを得ません。 (何だろう)

2021-04-21

仮病じゃないのに仮病みたいになっちまった詩人、この表現はアイロニーが効いてて好きです。syrup 16gというバンドの曲『vampire's store』の歌詞に「病名は無いが 患者」というフレーズがあり、それに通じるものを感じました。 しかし、そもそも「詩人」という語そのものが世間では揶揄として遣われるときもあることを鑑みれば、ニセモノもなにもあったもんじゃなく、こういった作風は地域通貨みたいに、詩の愛好家にしか流通できないんじゃないないかと思えてきます。ようするに内輪ネタですね。 (おい、お前ら、ニセモノ詩人たちよ)

2021-04-21

舞台が日本であろうことを地名によって強調されていながら、欧米風な人名しか出てこなくて、それらはスクリーンの登場人物だと察せられ、作中主体の現実と虚構の人物にたいする理想や憧憬が、コントラストを以てえがかれているように感じました。現実と理想のギャップはどうあれ、虚構であり憧れでもあるウィルヘルムと、青春という波乱を共闘したい、そんな熱くて男くさい愛を覚えます。 (いつの日かボリウッド)

2021-04-21

言いたくなる気持ちはわからなくもありませんが、文句を言うよりも、じっさいに詩で体現してほしいなと思わずにいられません。 (お前らのことだよ 詩の詐欺師め)

2021-04-21

氷像って暖かな季節になったらとけてしまうじゃないですか。失われて、もう戻らないものについてのデッサンは、思い出と比喩的に重なります。雪や氷のイメージから、故郷は雪国でもあるのかなと思いました。 十二月には極月や果ての月といった異名があり、年の終わりを思わされますが、その一つ前の十一月には、世界の終わりの一つ前に生まれたかのような印象をいだきました。 ペンギンは、海を泳げるけど空は飛べない鳥。「月とすっぽん」ということわざもありますけど、理想と現実が遠く隔たっているような、その鬱屈が、ペンギン=現実のコンプレックスを焼くという行為に主体を駆り立てたのではないかと読めました。 (月とペンギン)

2021-04-20

公衆電話でスマホをいじるのは、すごい矛盾だと思うんですね、電話をかけたいならスマホでもできるわけですから。だけどシチュエーションから察するに、雨宿りのつもりで電話ボックスに入っていたのかもしれませんね。タイトルのとおりに2001年を舞台にしているとしたらケータイのほうがふさわしい気もしますが。 冒頭で「窓の外では」と書かれているので、作中主体は屋内にいるはずなのに、後半では顔に落ちた水滴や草の匂いなどを実感しているところにも、矛盾を覚えます。しかもはじめは朝方だったはずなのに、いつのまにか午後5時になってるし。 それらから察するに、やはり倒錯的な作品だと思うんです。まるで酔ったときのリンクスさんの、ずれていく会話みたいな。句読点の遣い方も、るるさんも指摘しているように、酔ったときのリンクスさんの訥々とした喋り方を彷彿とさせられました。 それにしても、すみっこに抽象的な画像を載せるセンスは、なかなかいいですよ。 (2001年。)

2021-04-19

テキストだけだと、たいしたことないなというのが正直な印象なのですけど、リーディングを聴いてみると、不思議と、ちょっといい叙情が感じらたんですね。 「おそらくここは/いてはいけないところ」というのも、満開の桜の下で誰しも感じるであろう浮世離れした美しさを言い得ているような気がします。明るさの裏にある対照的な暗い美、その転調が、リーディングでは唐突さが増してより鮮明に表れたのではないかという気がします。 「彼女」というのも、テキストではかなり曖昧な印象ですが、リーディングを聴いていると、それは桜の精であり、満開になって眠りからいよいよ覚めんとしているところではないかと感じられたんです。しかし、テキストを読み返してみるとそんなことはなく、ずっと眠りっぱなしなんですね。 声による表現の魅せどころと、テキストの魅せどころ、その効果の相違について、探究の余地があるのではないかと、勝手ながら思わされました。 (満開の桜の下で)

2021-04-19

陰毛みたいなタイトルですね。内容もだいたいそんな感じですから合ってるんじゃないでしょうか。 (⌇)

2021-04-19

おもしろいです。洗濯竿に干されているのはふつうは服であるはずなのに、それをおんなだといってしまう。女性なのに女装するというレトリックをたまにみかけることがあるのですけど、女性を女性らしくみせているのはじつは女性向けの服なのかもしれず、女性向けの服は換喩どころかおんなそのものなのではないか、と思わされました。 ことばを加えながらくりかえし並んでいるフレーズも、洗濯竿にかけられた服、いや、おんなたちがはたはたとはためていてるみたいです。 (洗濯竿に干された女)

2021-04-17

おまえ、たまにちょっとおもしろいこというよね。 (花迷宮)

2021-04-17

性癖にささる詩を書けたならうれしいかぎりです。 (花迷宮)

2021-04-17

さいご、「おかえり」といってくれる人がいるんだなと、きっと家族であるのだろうけど、「あらゆる花無視するような/枯れる草木だけが私の背景にあるのです」というフレーズを鑑みれば、それは作中話者の扶養人であるのかなと思いました。家庭をもちながらにして、日常の倦怠感から抜け出せる刺激的な恋を欲してしまう、という物語性があるように感じられたのですけど、そうした物語性をもし重視するとしたらショートショートでもいいわけですし、詩としての魅力は薄いのではないかなと感じました。 (くれこい)

2021-04-15

この作者さんは民俗学的なモチーフが好みなんじゃないかなあと、たとえ&さんの名が伏せられていたとしても、文章からそうした匂いを感じられたであろうと思われます。裏を返せば、詩の力というよりも、モチーフそのものの力、柳田國男に代表される民俗学的なイメージによる引力のほうが勝っていて、それに頼ってしまっている作品ではないかと見受けられました。私自身、そういったイメージは好きではあるんですけどね。 (玉抜かれてcorpse)

2021-04-15

個人的な印象ではありますけど、嫉妬につながる黒い感情が裏に見え隠れするようで、短さのうちに凄みを感じました。 (笑むとき)

2021-04-12

  わたし はだし かえりみち この一行が韻を踏んでて好きです。ゆるふわラップ、みたいな。 音韻への意識は感じられるものの、それが散漫で、わるくいえば適当に書かれている印象はあります。しかしよくいえば、そのほうが春の不安定な天気や雨風に散る桜の花の乱れるようす、それらを漠然とながめる主体の淡いこころが、自然と文体に露われているようにも思えます。 (はる)

2021-04-12

すごくピュアな作風ですね。季節のうつろいに、多感な心のうつろいが重なっているようです。春が来て、冬が行った、と淡白にいって、書かれているのは春の実感ばかりで、あんなに寒かったはずの冬のことはもうきれいさっぱり忘れてしまったかのよう。そうして早くも、夏はまだかな、と宣う、興味や関心が新しいものにころころと変わっていく、若いこころがなんの飾り気もなく露われているように感じました。 (春のおとずれ)

2021-04-12

「まんま」はママのことかなと思いましたけど、そのまえに「さいはて」とくると、ことばの妙で、あわさって卑猥な語感にもきこえてきますね。そこに悪戯心がありそうな。 間接照明の下で布をかぶると、胎内回帰した心地にひたれそうです。最果ての、孤独で、現実をわすれて、まんま=ママをおもいだす、さみしさとぬくもりがまじりあったようなものを感じました。 (「最果てまんま」)

2021-04-12

じっさいに酔いながら書かれたのか、あるいはのちに推敲もあったのではないか、それはともかく、日常ではかくしている想いを、酔ったいきおいでぶちまけているような迫真さは感じられました。 といいつつ、私もここにこうしてコメントしているときは、酒のはいってることがおおいです。 (酔いながら徒然と)

2021-04-09

つきのうさぎ、じっさいにいるわけではないけど、古い時代に月を愛でるひとたちが空想していたもの。近現代における科学の台頭以前の、無垢な幻想への郷愁を思いました。 葬儀って、物質的に死んだときに行われると思うんですね。だから葬儀をしたからといって、ひとのこころからも死んでしまうわけではない。だけどこの作品では、こころのなかでも死んでしまいそうだから、葬儀の準備をしなくてはならないという。 あくまで私の解釈ですが、もし、死んだ幻想への郷愁が葬儀に向かわせるとしたら、その葬儀そのものも幻想であるように思えてなりません。 個人的な話になりますけど、私は泉鏡花が好きで、その作品を読むたびに、古きよきこの国のひとたちの精神性、つまり私たちのふるさとが、こころにまざまざと蘇る思いがします。 だからこそでしょうか、こころのなかでも死んでしまいそうだから葬儀の準備をするなど、あまりに短絡的ではないかと感じたのでした。 こころのふるさとは、それを想うひとがいるかぎり失われることはないはずで、そしてこころにふるさとを蘇らせることは、それを意思するひとがいるかぎりきっと出来るはずです。 (ふるさと)

2021-04-08

わるくないのですけど、詩というよりも、情景の説明のほうが勝ってしまっているように思いました。描く情景が叙情的だから詩なのか、書く文章が叙情的だから詩なのか、考えさせられます。もちろんどちらも備わっていれば良い叙情詩になるであろうという気はしますが。先にも述べたように、この作品では前者、つまり情景のほうばかり叙情的で、それを描いている文章のほうは淡々と説明的になってしまっているように見受けられました。もっと文章を研ぎ澄ませることができるのではないかと感じます。 (peace dead land)

2021-04-08

生物ではないことの条件を代謝しないからと言い切ってしまうなどの大胆なレトリックが好きです。改行せずに書いたほうが散文詩としての勢いや速度感をより強く感じられたかもしれません。最果タヒを彷彿とさせられます。 (SDGs)

2021-04-07

生きていればいつかかならず死ぬわけで、逆をいえば、いつか死ぬからこそいま生きているのだといえますね。私は心臓の鼓動を聞くといとしくなります。 (心臓)

2021-04-06

改行しただけの作文を書いている方はほかにもいますね。しかし、他者がどうかは関係ないのではないでしょうか。他者や先人に同調し、それらへ批評精神をもたないことを残念に思います。 質問にお答えしますが、詩について詩を書いていることを述べるというよりも、戯言を戯言だと自覚している、つまりは自ら書いたものを俯瞰し、それを作中に書いている点で私は「メタ」といいました。これは私個人の主観的な見解ですから、「メタ」の語義についてさらに詳しく知りたければ、いうまでもなく自ら調べることをおすすめします。 (憧れ)

2021-04-04

まさしく静電気のように、ためこんでいた感情がふとしたときにパチっとはじけるようだと思いました。 生活に追われて、ゆっくり萎れていった花、その感性に水をやり蘇らせるものは詩であったり趣味であったりするはずで、ここにこうした作品を投稿されたなにげない想いまでつたわってくるかのようです。 (明日から)

2021-04-04

「こんな戯言を綴っているとき、」というメタな発言が作中にもありますけど、戯言と自覚していながら、このような改行しただけの作文を投稿された意図を不思議に思います。 (憧れ)

2021-04-04

小さすぎても、大きすぎても、自分にとって不釣合いなことをするのは難しい。それが本をめくる小人や巨人といえばファンタジーですが、実生活でも不釣合いなことにでくわす場面はあるもので、この作品の共感性もそこにあると思われます。本だけではなく、たとえば人生の一ページをめくることに逡巡している、と読むこともできそうです。 喩の幻想性と実感の絶妙なあんばい、見事です。 一つ難点を挙げるなら、「身縊れない」という聞き慣れない、難しげな言葉をつかう必要があったのかなと思いました。平易で親しみやすく書かれている作品なのに、ここだけ読者を突き放してしまっているような。これがアクセントになっているかといえばそうでもなくて、魚の小骨がひっかかるような読後感をもたらしています。 (ねね)

2021-04-04

何度も読み返したくなるなんて、作者冥利に尽きるご感想をありがとうございます。迷宮をたどるように、くりかえし読んでもらえたらうれしいです。 (花迷宮)

2021-04-01

日常の出来事が内省へと向かわせる、そうした素朴なモチーフに私は好感を覚えます。 始終気になったのは、なぜ松本へ向かっていたのかということ。さまざま理由や経緯があったであろうはずなのに、大事な文脈を省いてしまっていて、詩どころか散文としても描写を欠いているように思われます。 作中にせっかく固有名詞を用いるのであれば、なぜ松本へ向かう必要があったのか、あるいはなかったのか、そのへんの説得力がもっとほしかったです。 (ルート19号の幻想)

2021-04-01

そうなんですね、それとも、うつなんですかね。 ただの洒落です、ごめんなさい。 (夢の病)

2021-04-01

あら、どうもありがとう。 わたしもベンジーやチバユウスケさんが好きです。 (夢の病)

2021-03-30

淡々とした散文的な日常のなか、主体の境遇と水槽で飼われている熱帯魚のイメージが重なる、ここに詩心を感じました。文章から多感さもつたわってきて、好い散文作品です。 (熱帯魚)

2021-03-23

ああ、なるほどなあ、学校の教室を欠席して、さぼってのどかな海辺の町を原付で走ってるイメージかあ。不良の春うらら。わずかな言葉にこれだけ含意できてるの、すごいじゃん。 (欠席)

2021-03-22

「もえろ」とひらがなでやさしく書かれると、燃えるより萌えるを思いうかべます。この詩も、燃えて焼き尽くす炎よりは、萌え出る生命力のほうをつよく感じました。そういえば太陽も、燃え盛っていると同時に、地球上の生命を育む光源でありますね。死と生、破壊と創造の力はやはり表裏一体であるのだということを、燃えろとも萌えろとも読める「もえろ」は表象しているのかもしれません。 (もえろ)

2021-03-22

ルミナスライン一行で勝負しかけてきたなー。でもタイトルも効果的だ。相乗効果で、人魚姫みたいなものが思いうかんだよ。ほんらい自分らしく生きているべき世界(たとえば海)において欠席しているってことは、どこか(たとえば陸)でさぼっているってことかもしれない。だけど不慣れな環境ではうまく進めない、だから速度が制限されてしまうのではないか。 問題なのは、7という数がどこからでてきたかや。時速7kmて、自動車ならすんごく遅いけど、徒歩ならまあまあ早いほうやぞ。 (欠席)

2021-03-21

これはすごいです。 なぜ 詩を書き始めたのか、そんなここにいる詩人ワナビーたちを入れ食いで釣るような書き出しから始めて、ほんとに自分はヒトなのかという懐疑にズレていく、その手際があまりに鮮やかで見入りました。まるで上等な手品に魅せられたかのような気分です。 文体も手練れていて、詩の主題とはうらはらに、とても素人とは思えません。お名前はともかく、蒸発なんてしないでぜひこれからも投稿してほしいです。 (何者)

2021-03-21

具象的なイメージがうかぶのに、同時に、読みを限定させない、ふところの深さを覚えます。抱擁力のある詩といえばいいでしょうか。たとえていうなら海辺などの開放感のある場所で優しく頼りになる兄のようなひとが腕をひろげているみたいな。 文体も洗練されていて、センスのよさを感じます。 ごく個人的な感想ですけど、先日シンエヴァを観たせいか、紅海という語そのものの印象からエヴァの紅く染まった世界を連想しました。「笑う練習をしていました」というのも綾波レイっぽいなと思ったり。 (紅海/海紅)

2021-03-21

福まる曰く、アンモナイトって髪型のことでしょうか? は、なに言ってんだこいつ、と思ってたけど、酔って冴えてるおれにはわかったぞ、たぶん頭のつむじのことなんだよ。それってちょっとだけかわいくないかな、だって本人にはふつうは見えないところを見ちゃうんだからね、うずうず(渦々)。 どうでもいいけどレインコートってエモいよね。 下町の黙示録、豆腐屋のラッパが鳴ってラッパーは韻を踏んで、豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまう機会を逸して、矢島美容室の店先ではトリコロールがうずうず(渦々)回っている、のでした。女装だってなかなかかわいいこともあるもんね。 でもね、時計が逆回転するみたいに、なにかをやり直そうとするかのようなさいごの左巻きには、ちょっとしたせつなさみたいなものを感じたよ。 (渦巻くよ、矢嶋さん)

2021-03-21

あえてひらがなにひらいているところのあることが、個人的に好みな文体。ひらくことが、詩としてとがっていることに通じる、その自覚ゆえのこの題名だとしたら、ちょっとあざといかなと思うけど、まさかね、わたしの考えすぎかもしれません。 だけど、もっと文章を凝縮させて、読むときに速度感をもたせられたんじゃないかなという気もします。   まだ、喪服なんて着なくてもよくてひざこぞうには血がでて。 ここでとくに胸がふるえました。なぜかと考えるのも野暮ったい気もするけど、こどものころには自覚できなかったであろう、おとなになってからこそわかるノスタルジアの実感があって、響いたのではないかと思われます。 (ひらいて、とがって)

2021-03-20

以前、『秋の爆心地』という詩が投稿されたことがありました。春と秋のちがいはあれど、破壊的なモチーフで季節の盛りを表現しているところが共通していると思いました。しかし、それ以上でも以下でもなく、よくいえばシンプルだけど、わるくいえばただ単調な作品です。 (色彩のダイナマイト)

2021-03-20

写実的でしかも可笑しいのに、ぬいぐるみのようなものがあらわれる場面だけが空想的でしかも深刻な印象があります。このあたりだけイマジナリーな思考の領域に潜っている様子がえがかれているような。そのあと、さいごには収入とメタボの現実に向きあうわけですが。なぜかな、と考えてみましたけど、空想性を挿入したからこそ、さいごに現実と向きあう場面に落差のある可笑しみがうまれているように思いました。作品の魅せどころをわきまえて、それを効果的に活かす構成になっていると思われます。 (けばいぬいぐるみのようなもの)

2021-03-20

  あの人はどうせオルゴールの中の人になるのだ この一行が詩心を感じられて好きです。 そのほかは、いってしまえば散文ですから、改行してそれっぽくせずとも句読点を用いたふつうの文章として書いてもよかったかもしれません。 魅せどころを自覚して、詩を詩として際立たせる工夫がもっとあればいいなと思います。 (時の旅人)

2021-03-20

ご自身の状況にあてはめて読んでくださりありがとうございます。 (夢の病)

2021-03-19

いいえ、けっして不快な思いをしていたわけではありません。なのでむしろ謝られるほうが不快にさえ感じます。繰り返しになりますが、この場で望まれているのは合評です。合評するには根拠を明示しなければなりません。ゆえにこの掲示板上で根拠を明示されずに簡易なコメントを連投されていることを不可解に感じていたんですね。 なるべく誹謗中傷しはないこととその詩の良いところを探していくという思いはわかりました。しかしその理念は、登場人物は天使か何かという質問をする根拠のなんの説明にもなっていないように思われます。そうした疑問をいだいた根拠こそをじつは作者としては知りたかったのですが、感覚で出てきたのだという返答はいただきました。それならそれでいいとしても、結局のところ、理性的に考えてコメントされていたというよりは、感覚的にコメントされていたということなのでしょうか。もちろん感覚的にコメントしていただくこともありがたく思うのですけれど、それは考えて書いているという先の発言とは矛盾しているのではないかと思われ、やはり一抹の不可解さがのこります。 (マグノリア)

2021-03-18

ちょっとことばがきつかったなー、と反省していました。こちらこそ、返信をありがとうございます。 詩の解釈は読者の自由でいいと思うんですね。ゆえに登場人物が天使かどうかは詩の出来には直接関係ないと思われるのですが、それをあえて問いかけるからにはなにかしら根拠があったはずで、その根拠を明示されずに質問されてもてきとーな質問に思えてしまいます。作者としてもどちらかといえばそうした疑問をいだいた根拠を知りたいし、そのほうがおたがいのみならずここを閲覧しているすべてのユーザーにとっても創作の参考になる意見の交換が期待できるのではないでしょうか。 また、考えているとだけ言われても、いったいなにを考えているのかまったく伝わってきません。さきほども質問の根拠が明示されていないとわたしは言いましたが、そのように説明を省いてしまうこともてきとーなコメントに捉えられてしまう原因ではないかと考えられます。 この掲示板はSNSではなく作品を合評しあう場です。説明不足なコメントは誤解されるおそれがあり賢明とはいえません。それでも考えあってのことだというのであれば、その指針とされている理念を伺ってみたいものです。 (マグノリア)

2021-03-18

天使だとおもえば、天使でもかまわないんじゃないでしょうか。作者は堕天使かもしれませんけど。おまえ、てきとーなコメントばっかりしてんじゃねーぞ。 (マグノリア)

2021-03-17

木蓮の花が咲いているのをみかけるとわたしは、燭台の灯りを思いうかべてほっこりします。なにかをつつみこんでいるようなふくらみに、母性的なぬくもりも覚えます。語感だけでなく、まぼろしに聖母の似姿を観るような思いがしたのでした。 まどろみの心地よさを感じてもらえて、うれしいです。コメントありがとうございます。 (マグノリア)

2021-03-17

わたしもマグノリアに惹かれるあまりに、この詩をしたためました。コメントありがとうございます。 (マグノリア)

2021-03-17

云いたいことを語らずにぐっとこらえていると察せられます。そう気づいたのは「無事で良かったとよく言われる/赤の他人からよく言われる」のあたりでした。直接語らずとも、たとえ語りたがらずとも、語られて然るべきものがそこにある、その示唆が詩に膨らみをもたせ、読みを豊かにしていると思われます。 雀が二羽、なぜ二羽なのか、そこに説得力がほしかったと惜しまれますが、春風に飛び立とうとしていることに過去に囚われることからの訣別の意思が示されているようで、印象的でした。 (青春を許さずに)

2021-03-15

温かさをしりたくて、かえって冷たく痛いものに自らふれようとする、透きとおるようにピュアで、毀れてしまいそうに繊細な、まさしく薄氷のような詩。琴線にふれました。 (薄氷)

2021-03-15

ひねくれたような比喩が好みです。もちろん誉めています。卑屈な叙情性とうまく響き合っています。 (インテグラルが死ぬ前に)

2021-03-13

この世からのお別れのときを思いました。安らかに眠れるようにと願う祈りの声は、心地よい音楽のように聞こえるのかな、そうだといいなと思います。 (音楽がなっている)

2021-03-13

主張なんですよね、ほんとに。福まるさんにとって詩とは主張なのでしょうか、ただ文章を改行しただけの主張と詩は名称が違うだけで同じものなのでしょうか、気になります。 (命の価値)

2021-03-10

ほんとに、ペーパームーンみたいに薄っぺらい作風で、それはかずやさんに限ったわけではありませんけど、その薄っぺらさを自覚している本作は、潔く突き抜けていて、好感をいだきました。ペーパームーンだって、当事者の意識次第でほんものになってしまう、そう、恋は盲目、詩も盲目、しかしそうした盲目性を自覚できたなら、慧眼を開いているともいえそうです。 (ふらい・みー・とぅ・ざ・むーん)

2021-03-10

  玲瓏としたガラスの幻肢痛 イメージも音も綺麗な一行だなと感じました。玲瓏のr音のながれるような優美さのあとに、ガラスおよび幻肢痛のあたまのg音がぐっと効いています。 ところで幻肢痛という語には断たれた足が、冬という語には冷たい風が、すでに含意されていますから、まえの行は思い切って省いて、どうせならこの一行だけで勝負したらかっこよかったであろうと思われます。 (冬)

2021-03-09

音楽のアルバムと、思い出の写真のアルバムを、かけているわけですね。 それにしても、最近はCDプレイヤーで音楽を聴くことが私はすっかりなくなってしまいました。ましてや現代は音声や動画でさえもスマホで気軽に記録できるわけですから、些か時代錯誤な内容である気がしなくもありません。 しかし、たとえばこの内容の10年後、20年後が、これを投稿されているいまこのときだと考えれば、味わいは増すように思われ、もしそうだとしたらですけど、それを示唆するなにかしらの工夫があったらいいですね。 (アルバム)

2021-03-08

快速列車は停まらない駅があるから快速なわけで、この作中主体にも、人生を急いでしまい、停まらなかった(停まれなかった)ものごとがあるのではないかと思いました。階段を踏みはずしながら大人になった、そのために、大人になりきれていない子供のままの自分自身が、内から囁きかけているかのよう。人生を急ぐあまり、無視され抑圧されてきた幼い感情が、救いをもとめて訴えかけてきている。その声に耳を傾ければ、葛藤が生じ、子供の感情と大人の理性、結果はどちらかが死なざるを得なくなってしまうのかもしれません。そうした内省と、日常的に電車を利用している場面が重なっているところに、本作の読みどころがあるように思います。 (快速列車、終着綺麗往き)

2021-03-08

ひらがなと漢字のあんばいが、好みです。 平行線、いと電話、いと別れ、といったことばで関係性をあらわしているのもいいなと思います。   指ごとちょん切って、おいた この一行は空想的ではあるものの、ほんとにそうしかねないような切迫した情念はたしかに感じられて、詩を引き締める刺激的なアクセントになっています。 (糸わかれ)

2021-03-07

トイレットペーパーの話がおもしろすぎて、そのあとの話が霞んでしまい、読んでも頭にはいらなかった。散文作品として単体で投稿してもよさそうだし、オムニバスにするなら、どこで盛り上げるか、もっと構成を考えてもいいと思う。 (日付の無い日記)

2021-03-06

「羊皮紙はうたわず/アンモナイトは語らず」であってもなんら不都合はないと思われるのですが、あえて「の脳/の瞳」としているところに、過度の修飾性を感じてしまいました。主題がシンプルなだけに、文章をへたに飾らないほうが似合うと思います。 (博物館)

2021-03-06

ABさんの詩に見覚えのあることばがいくつもありますね。過去作を再構成されているようで、「何度も、何度でも」というキャッチフレーズと響き合っています。 (口だけじゃんと言われても、何度も)

2021-03-06

薬売りの胡散臭さがたまらない。怪しくて、不思議、しかし奇跡的なことなどはなにも起こらない、そのバランスが作品を堅実なものしていると思われます。文体にも艶があって好きです。おもしろい掌編を、ありがとうございました。 (薬売り)

2021-03-05

さいごの一枚が私は好きです。まず色合いが好い。階段の踊り場に、二体のトルソーと、二言のさようなら、象徴的で、この一枚でも充分に詩的だと思いました。 (〈安閑夜話〉 さようなら胃袋)

2021-03-05

自らがそこに存在しているだけで他に損失をあたえているかもしれないという比喩的な内省。たった二行の短さに主題が際立っています。 冗長に語り過ぎている作品がここではよく見受けられるので、他の投稿者さんもこうした切れのよさをぜひ見習ってほしいと思ってしまいました。 (背徳)

2021-03-02

最後の註釈で作中の父が養父であったことが明かされるわけですが、前作の『パジャマを買いに』を読むと、実父はすでに他界しているようで、直接語られてはいないけど作品の裏側にある個人的な物語が透けてみえるかのようでした。註釈がなかったとしても叙情的な作品であることに変わりありませんが、父が養父であることを、註釈による説明なしに伝えるなんらかの工夫があればさらによかったであろうと思われます。 タイトルが本文にはまったく登場しない『雪割草』であることも、象徴性を伴った叙情を感じられてよかったです。 (雪割草)

2021-03-02

主題は凡庸な感情吐露で修辞も月並みだと思いましたが、   いつだってどこかを向くように体はできている   どこも向かないということはありえない この着眼点はなかなかよかったです。身体感覚に根ざした比喩に好感をいだきました。しかしこうした体の向きといったイメージをもっと活かせるように文脈を考えることもできたであろうと思われます。 (線は縦に引くべきだった)

2021-03-02

ダダのレプリカのようなこの詩の次に投稿されたのが、『はるのひ』というふわふわした牧歌的な詩であることに、落差があって、おもしろみを感じました。次はどのような作品を投稿されるでしょう。 (ダダダダダダダダダダダダダダダダダダイズム)

2021-03-02

一行目のルミナスラインがいいね。個の体と遥かな大地のイメージが重なっていて。 二行目もいいんだけど、イヤホンからなにかを抜き出すというよりイヤホンそのものが差したり抜いたりするものという感覚が身についているから、すこし違和感が先に立ってしまった。 四行目は綺麗だけどちょっとくっさいな。 ところでイベサってなあに? イベントサークルの略? (圏望)

2021-02-26

なつかしい雰囲気の和風ファンタジー。話者が連毎に変化しているのか、主体の存在や物語がはっきりせずに朦朧としていて、よくいえばそれが幻想性を増しているように思います。わるくいえば、文章としては完成されておらず、プロットに留まっているよう。それでもこまめな句点と体言止めの多用が、速度感のあるリズムをつくっているように思いました。 (宿場町の夏)

2021-02-25

「足が散る」には、千鳥足のように覚束なくなった足どりを思いました。「浮かぶ葉」にもどこか不安定な印象があります。「横断歩道」の規則正しさが、上述の浮遊感とコントラストをえがいているようです。「粒子性を失った光」あふれんばかりの眩しい光を表すレトリックの凝ったタイトル。春らしい語は認められないにもかかわらず、うかれてしまいそうな春の陽光が感じられました。 (粒子性を失った光)

2021-02-25

スノッブについて考察していることそのものがスノビズム的で、いわば入れ子構造になっている。作者がそれを自覚しているかどうかはわかりませんが。 (スノッブについての考察)

2021-02-23

実存ってなんでしょうか? と問い返したくなりました。実存とはなんなのか、人生という語がそうであるように、この一語を掘り下げていくだけでも詩が一つ書けてしまうであろうはずなのに、便利に言葉を遣っている感が否めません。 さらに、敬体と常体が混在していて、混乱させられます。詩以前に、文章力を疑ってしまいました。あえて文体を崩しているというよりも、基本が疎かであるように見受けられます。 (祈り)

2021-02-22

本作、音韻を意識して書かれていることが窺えます。四連目まで脚韻のパターンを揃えていて、文体としても四季を演出していますね。主題はいつもの宵月さんらしいなと思いつつ、書き方が洗練されてきていて、うれしくなりました。 (四季とアナタ)

2021-02-21

具体的な日付を記したタイトル、いまはまだ新しいこの日付が、ゆくゆくは懐かしい過去へと変わっていくのでしょうね。子供との思い出がそうであるように。アルバムのなかの一枚の写真のような詩だと思いました。 (令和3年2月20日土曜日)

2021-02-21

春夏秋冬にまつわる定型的な出来事をなぞっただけで、なんにも独創性がなく、まるで小学校低学年生の作文です。 (春夏秋冬)

2021-02-18

坂道で振り返ることと人生を振り返ることが重なっていて、そこで見える景色はどちらもきれいな絵になっている、あたらしい季節への変わり目、梅の香りの爽やかさと、まだ肌寒い風に、せつない余韻がのこります。 (梅林)

2021-02-18

私の初読の印象は、なんて気障なんだろう、でしたが、コメント欄を読んでいたら、親子愛だと気づかされました。てっきり、恋人同士かと・・・。 人の心臓は胸のまんなかの左寄りにあるらしいですけど、左に腕枕させるのも、きみに心をひらいているってことなのかな、なんて思いました。 (左腕)

2021-02-17

私は疑問形で終わってよかったと思いました。この詩は他者を想定しています。自らの命に釣り合うほどのものがあなたにはあるか、という問いかけ。それはバイク乗りに限らずとも、仕事や生活に追われて日々なんとなく過ぎていってしまいがちな、ロマンをなくして生きている人々への問いかけでもあるかのようです。ここで気づいたのですが、「バイク」という語が一言もつかわれていないにもかかわらず説得力があり、作品に対するきめ細やかさが感じられました。命と共に天秤にかけるもの、その重たさは、それまでの叙述があったからこそ響いたのだと思われます。 もし羽田さんの云われるような「自分はこの道を突き抜ける」というモチーフで終わったとしたら、結局は問いかけも虚しく、他者を置き去りにして走り去る主体の自己陶酔に終始してしまったであろうと考えられ、そうした独りよがりで周りの見えてない自己陶酔ポエムは腐るほどあるなかで、この詩における他者への想像力には好感をいだきました。 (鉄馬乗り)

2021-02-17

もしかしたら、穴秋一さんの『ヒロコです。』のオマージュかなと思いました。 https://www.breview.org/keijiban/?id=2834 (少女の悩み)

2021-02-17

空・空・空 これらは無機質な記号の羅列。ピクセルのようなそれらのなかで、有機的な一文が主張する。記号に埋もれまいとするかのように。 前半と後半の対比。昼と夜のイメージほか、「言おう」は積極的で「見えない」は消極的。おおげさにいえば希望と絶望、かな。両面性。 詩型はシンメトリーを意識していることが伺える。が、すこし崩れている。人間の顔が完璧に左右対称ではないように。 タイトルにある無名は、有名の対義語、世間に広くその名が知られてはいないものという意に解しました。 それにしても、自ら無名と宣言するとしたら、それって自意識の裏返しなのでは、と思うわけです。 顔のなかでもとくに唇や瞳といったコミュニケーションをはかるための器官に注目していることもそうで、そこまで考えたらなるみんの志向していそうなものがうっすらと見えてきて、ふれるのはセンシティブな気がするから、ここらでやめておくね。 (無名の詩)

2021-02-17

メッセージ性が強い作品でありながら肩に力を入れることなく読めるのは、リリカルな文体のおかげでしょうか。技巧に衒いがなく、好感がもてました。 (とはいえ。)

2021-02-16

ごく個人的な(と思われる)日常の体験を、神々しい伝説と重ねている、その華やかな飛躍が良いといえますし、逆をいえば美化し過ぎているともいえます。どう捉えるかは読者次第ですけど、私の感じ方は後者に近かったです。 (蝶を食むユディト)

2021-02-15

幽霊船の匂いに、とても惹かれました。どんな匂いだろう。潮風に、幽霊船という死を思わせる匂いを嗅ぎながらも、浜辺でアサリという生きものを漁る。ときに生命を奪う危険もあるけど、たくさんの生命を育んでいる、海。生と死の揺籃を、無邪気に謳っている光景が印象的でした。 (ピーティクル・パーティクル)

2021-02-15

デタラメを書いるようでそうとも言い切れないバランスを感じます。気づいたところでいえば、 誘われるの?誘うの?自他の境界が曖昧になる感覚。 誘の音読みとYouが重なる。 ぐあす床、ナナ、鬼鬼ババ、脚韻を踏んでいて小気味良い。 3連に共通して顕れている「演技して」という語。 倒れる、あるいはもっと直接に、死因や最期といった果てることへの予感。鬼鬼ババに含意されている老い。 それらと同時に、子供服、プリーーーツスカート、もえぎ色、といった語に含意されている初々しさ。 紅い筆の、襞のあるスカートにもつながる、そこはかとない性的なメタファー。 3回待って、なにを待てというのか明らかにされていませんが、3連読んでそこにうかぶ心象を待てということではないかと斟酌。 輾転反側、小難しい語をあえてタイトルにした意図に疑問をいだいたものの、寝返りという語にはない、体のみならず心の向きもころころ変わるような含意がそこにあるかのよう。 「演技して」がキーワードになっていることはほぼ間違いないと察せられます。子供服も、スカートも、衣服として装うものですね。老いか、若さを、装うのか。終わりの予感か、初々しさか。二項対立に結びつけるのは安直な気もしますけど、最終行の碁石にも注目すれば、やはり黒か白かといった両面性を連想させられます。誘うの?誘われるの?You are my・・・?自他の境界が曖昧になると先述しましたが、碁石を考慮すると、対局している図もうかんできます。盤上で、白と黒、相反するものが入り乱れていく、まるで本作にも、ことばのエントロピー増大を感じられるようでした。 安易に読み取れない内容である以上、読者の読み方が試されている作品だといえそうです。 (輾転反側させられ)

2021-02-15

  フィラデルフィアの夜に針金が、消えました。 この一行を目にしたとき、このシリーズの特色である=武器にしている針金が消えて、いったいどう戦うんだろうと期待させられました。 しかし結局は針金の洪水が起こるわけですが。 お約束の針金が出てこなければ、フィラデルフィアの夜シリーズはフィラデルフィアの夜たり得ないのだろうか、などと考えてしまいました。 (フィラデルフィアの夜に XXI)

2021-02-11

散文でありながら詩が感じられるのは、空き地においてあった鍋に注目することそのものが詩人らしい視点だからではないかと思いました。 目立った修辞はなく、詩らしい修辞を避けて詩を書くというのはなかなか難しくて、この作品ではいかに自然な書きぶりで詩を書くかということに挑戦し、そして成功しているように思います。 (鍋とペンペン草)

2021-02-11

文体が洗練されていて、また古語へのさりげない素養からも、そんじょそこらの素人ではないだろうなと一見して察せられます。ほんとは神妙に書こうとすれば書けるのに、この作品ではあえて語感とか言葉遊びを重視しているんじゃないかとも。 それでも「見つめ合うことはできない、/私も斜視なの。」という一文には、ガツンとした詩心を感じました。締めるところは締めている、そうしたところにも手練れたバランス感覚を覚えます。 (カシカシ ナイト カシマシィ)

2021-02-10

くう、作品本文よりも先にプロフィールの文を目にしてしまったがために、始めの一行である「さあ右手を回せ」が、バイクのスロットルであることにすぐ気づいてしまいました。こうした、直接的ではないにしろそれに関連するもので表現する修辞のことを「換喩」といいます。プロフィールに詩の基本は知らないと書かれておられますが、知らずしらずのうちに詩的な修辞を駆使しているわけですな。してみるとタイトルの「咆哮」も、いかにもバイクの爆音がきこえてくるかのようです。と、バイク乗りの素直な実感が表れている本作ですけど、その書き振りはちゃんと喩のポイントを押さえているので、バイクに限らずいろんなものごとについて取材された詩を他にも読んでみたいなと思いました。 (咆哮)

2021-02-10

たとえばYOASOBI『夜に駆ける』のミュージックビデオは最後にタイトルが出てきて印象的ですけど、この『エナドリの詩』においても最後の一行がタイトルであることに同様の効果があるように思いました。 逆をいえば、テキストである詩が、ミュージックビデオの感覚に侵食されているということでもあるのかもしれません。 (エナドリの詩)

2021-02-10

なんかね、現実的でありながら現実とは離れているからこそSFって楽しめた気がするんですけど、いまは現実こそがSFにあるような監視社会のディストピアに向かっている気がしてならなくて、ステレオさんの本作にえがかれている主題もなかなか素直に笑えない=楽しめないんですね。だからこそ創りものの小説などではなく真にせまった詩として発表する価値があるように思うのですけど、同時にこうしたプラスティックなディストピア作品が消費されるなら世の中はなんて楽天的なのだろうと、郷愁さえ覚えてしまいます。 (SWEET SUICIDE)

2021-02-10

休日の緩んだ思考のように散漫で、そこに日曜日昼下がりの気怠い気分が感じられるようです。 花のようにきれいなきみ、これは、「花のようにきれいなきみ」という直喩ではなく、表現の手垢にまみれた安直さ、ひいては変わり映えのしない日常生活の隠喩であるように捉えられました。「地球は全体的に、均質です。」という発語にも読み取れる、平坦であることへの倦怠感。しかし「五線譜の一番下の音を愛しています。」と言っているように、底にある普遍的なもの、つまりは平穏な日常こそを愛しているのかもしれません。そうした日常がそのままでいるように冷凍しようとすることに、とくにいまは変化のある世の中ですから、保守的な心情が露われているように思いました。 ここで「それが現実を侵食しているのです。」という初めの一行に戻ると、明示されてはいない、あるいは明示することができないのか、曖昧なものとしての「それ」に日常が脅威に晒されていることが伝わってきます。 (Sunday)

2021-02-07

先日、川辺を散策していたら、私の気配に気づかれたのか、つがいの水鳥が二羽、飛び立ってしまいました。そう、水鳥が慌てて飛び立つのは、人の気配を感じたとき。 この作品では、春の気配に降参してしまう草木や川がえがかれているのですが、実際のところそこには、草木や川に自らの感覚を重ねて観察している主体の存在があるのだろうと察せられました。だからこそ人の気配を感じて水鳥は飛び立ったのでしょう。うららかな日に散策をしている主体の牧歌的な心境が感じられました。 (立春の日に)

2021-02-06

いかにも文学少女って感じですね。タイトルが梶井基次郎『檸檬』をオマージュしていることはすぐわかります。 おまじない、なんのおまじないだろう。自分が自分らしくあるためのおまじない。ほんとうは、ほんとうの自分なんてない(と自分は思っている)のに、自分らしくあろうとするための、真摯な嘘。 たどっていけば迷宮のような、嘘と真実が交錯するこの現実を、レモン爆弾なら異化作用によって爆発させることができる。 鬱屈した文学少女の心情が露わになっているようで、好ましく感じたものの、どうしても梶井基次郎の『檸檬』を前提にして読まれる作品であり、それ以上でも以下でもないところが惜しいです。 塞ぎ込んでいるばかりじゃなくて、檸檬さえも爆破させるような起爆力を、せっかく自由にできる詩なんだから、みせてくれてもよかったなと思わずにいられませんでした。 (レモンひとつぶんの爆薬)

2021-02-03

さるすべりは花の期間が長くて、初夏から秋まで花を咲かせます。だからこそ「百日紅」と云われる。なのでこの作品の儚げな主題とは、印象がちぐはぐかなあ。 (「18歳、杪夏」)

2021-02-02

まるでJ-POPの歌詞ですね。あれは音楽と共に耳に入れるからこそ、安直な言葉も聴き心地良いのであって、歌詞そのものに文学性があるかといえば疑問に思うこともあります。 もし表現される意欲があるなら、この歌詞をいっそ唄ってみてはいかがでしょうか? 表現者の唄声によっては、安易な歌詞にもきっとオリジナルな輝きがうまれるのではないかと思われます。 (Imissyou)

2021-02-01

ここにはガチで詩に詳しい方もおられるので、おそらく私だけではないはずですが、どうしても三好達治の『雪』を連想せずにいられませんでした。   太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。   次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。 この『雪』は、とても短いですが、短いゆえに読者にさまざま想像させる余地があります。語られていることよりも、直接は語られていないことにこそ、詩情が宿っている。 宵月さんの今回の詩も、まだまだ凝縮できたはず。それに『1987 トランジスタ ラジオ』を書かれた宵月さんなら、直接は語らないところに詩情をこめることも、きっと出来るであろうと思われます。 (雪と決意 (そしてコイゴコロ))

2021-02-01

これまた凝った作品ですねえ。「ぬくい」に掛けて「い」を抜いてるわけですね。い抜き前と後の詩もそれ自体で読めるものに仕上がっていますが、単体で読ませるにはやはり弱さがあります。アイデア勝負といったところでしょうか。それでも虫食いの古文書みたいな謎めいた魅力が本作にはあります。 (ぬくい)

2021-02-01

  雪のように舞うほこりも   光という触媒に対して   光る宝石なんだと ここがとくにすばらしい。なにげないものにも輝きを見出す、これこそ詩人のまなざしです。 全体的に隠喩が目立ちますけど、そこには確かに意が乗っていて、祈り(意乗り)が感じられました。   春野菜のスープを振る舞った。 暴力が罷り通ってしまいがちな世の中ですが、ここにはとてもすてきな、無条件ないつくしみを覚えます。 (メランコリックの真夜中。2時半。)

2021-02-01

蚊がいることから、季節は夏なのだろうなと思いました。夏は日が落ちて月が出るのは遅く、夜に出歩くのも心地いいですね。山河というと田舎を思わせますが、宮殿には華やかさを感じます。夜道の暗さとは対照的に、月光でも電灯でもないという光の明るみ。川の波紋や小雨の湿り気。極めつけは、唇が主語になっていると思う、という詩行の色っぽさ。 これらから想起されたのは、田舎の夏の夜道を恋する人と連れ立って歩いている様子でした。道は暗いけど、恋には華やかさがあって、微かな明かりに心なしか濡れているように見える唇、情熱のこもった息遣いまでも伝わってくるかのようで、とてもロマンチックに感じました。 (唇)

2021-01-31

いつも思うのは、死にたいということは、生きたいということの裏返しなのだということ。うまく生きたいけど、それができないから、いっそのこと死んでしまいたくなる。 もし、いつ死んでもかまわないと思うなら、かえって、いま死ななくたっていいわけで。 死にこだわるってことは、それとおなじぐらい生にこだわってるってことなんですな。 だって、ほんとに生きる意味がないなら、死ぬ意味だってないじゃないですか。 自ら死ぬことに意味があるのは、それとおんなじぐらい、生きざまに意味がある人だけ。たとえば三島由紀夫みたいに。 生きる意味がないようなら、死ぬ意味だってない。それならせめて、死ぬ意味が見出せるまで、生きるべきだと思いますがね。   彼女についたいくつかの嘘   その愛は本物か   偽物では無いと思う。 おそらく、愛が偽物ではないことを証明したくて、死のうとしたことが察せられます。つまり、先にも述べたように、作中主体にとってはほかに生きる意味はないほどに、恋人がたいせつな存在だったということ。 大正浪漫じゃありませんけど、恋に生きて恋に死のうと思える、その純粋さが、羨ましくさえ思えますわ。でも、   愛してどうする。 こんなことばが出てしまうあたり、だれかを愛することに懐疑的になってしまったのでしょうね。それがほんとうの気持ちでしょうか。まあ、あくまで作品をとおしてでしかわかりませんけど、愛する意味も生きる意味もないというなら、やはり死ぬ意味だってないわけで、そのうえで死のうだなんて、そら、あまちゃんの独り言にしかきこえませんわな。 (生きる意味 本当の気持ち)

2021-01-27

いやあ、みなさんもコメントしているように、素朴ないい詩だなあと思いますし、いまさらありきたりな賞賛コメントをしてもおもしろくはないと思うので、一点、引っかかるところを述べるなら、クロソイド曲線というタイトル、これだけは作者が自分のものにできていないような、いわゆる付け焼き刃の感が否めません。語感としてはかっこよくきこえるかもしれませんけど、はてしてこの耳慣れない借りてきたかのような一語で便利に要約できてしまう詩なのでしょうか。それに比べたら素顔さんによる本作の批評文のタイトル『人にやさしい曲線』のほうがまだそれなりのオリジナリティを感じられました。せめて、このクロソイド曲線がなんたるかを、検索を前提とせずに読者にも感じられるように詩の本文に織り込むことができたなら、さらによかったであろうと思われます。 (クロソイド曲線)

2021-01-27

社会でもまれていると、十代のころにいだいていた夢や楽しいことも、色褪せて感じられてくる、その気持ちわかります。 でも、このまま生活に埋もれてしまいたくはなくて、だからこそ眠っていたクリエイティビティが疼いて、詩を書かせるのかもしれないなとも思います。 天井に開いたドアからこぼれてくる光、それは暗に、自分がほんとにやりたいことがあることを啓示しているように感じられました。 仕事ではなくても趣味としてクリエイティビティを活かすこともできるはずで、光の差すほうに向かっていけたらいいなと思わずにいられません。 (天井にドア)

2021-01-26

ロウソクって、古風ですよね。照明としてはまずつかわれなくなったし、現代ならアロマキャンドルのほうがありふれていて、それなら女の部屋にあっても違和感ない。だけどよりによって僕は、ロウソクだったとしたらと妄想する。ほかでもなく、ロウソクを連想させるシチュエーションがあったのではないかと考えました。たとえば、お仏壇とか・・・ んん、この作品の女はもしかしたら未亡人なのでは? その女の寂しさに寄り添いたい、それでロウソクになって女の部屋で光っていたい、という願望がうまれたのかもしれないなと。そんな想像をしたら官能性がさらに増したように思いました。もちろんロウソクに男性器のメタファーもみていたことはいうまでもありません。 お葬式のように、死を身近に感じたとき、人は生存本能によって性欲が高まるらしいです。ちなみに私は、喪服を着た女性に色っぽさを感じます。笑 (女)

2021-01-26

平易なことばで素朴に書かれているようでいて、謎かけのようなことばや、「枯れた花の墓を掘る」といった華やかな詩行も利いていて、その塩梅がいいなと思いました。 ひとりぼっちを知っているのは、ひとりではないときを知っていたからだと思うんですね。かつてはだれかと一緒にいたのに、あるいは一緒にいることもできたはずなのに、いまはいないから、ひとりぼっちであることをつよく感じる。   墓守りの歌をうたい   まだ遊びたりないから その一緒に遊んでいたであろうだれかはもうこの世にはいないことが、墓守りに示唆されているのではないかと読めました。 (ひとりぼっちの、歌)

2021-01-24

作品冒頭については、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」という川端康成『雪国』の書き出しをオマージュしていたんじゃないかな。あの国境を「こっきょう」と読むのか「くにざかい」と読むのか、定かではないらしいです。 越後国など、昔は地域を表す単位として「国」が用いられていましたから、「国境」という語だけで舞台は日本ではないと判断するのは早計ではないでしょうか。 ちなみに個人的には、この「国境」には、この世とあの世の境も含意されているのではないかと読めました。 以上、気になった点を一つ指摘しましたけど、丁寧に読み解かれていて良い選評だなと思いましたよ。 (人にやさしい曲線)

2021-01-23

んん、Emptyがいっぱい詰まっていますね。空っぽだ、空っぽだ、といいつつも、空っぽなことでいっぱいいっぱいになっているみたいで、それがこの作品の狙いなのかなと思いました。 (Empty)

2021-01-22

  サヨナラもまた人生だ あの有名な詩行のパロディがくりかえし出てきて、そんなに主張するのはなぜだろうかと思ったとき、ああ、サヨナラできるのはサヨナラできるほどの相手がいるときだけですね。孤独な人にはサヨナラできる相手もいない。なんて哀しいのだろうと思いました。 (ひとりぽっち。心と体。)

2021-01-20

瑞々しい官能性が素敵です。とめどなく詩であることを感じさせられる文体も魅力的。   (伝染病っておそろしい)   秘密がみんな知れてしまう 伝染病というとつい新型コロナウイルスを思いうかべてしまうこのご時世ですけど、ここでの伝染病は秘密との関係で噂話の隠喩だとわかります。けっしてアクチュアルになり過ぎてはいないと思いますね。それでもアクチュアリティにリンクさせているようにも読める書き方が、やはり巧いと感じます。 (蜜柑日和)

2021-01-20

看板観て入ったら看板に描かれていたものが出てこない映画みたい、というのはおもしろい例えで、なるほどなあと思いました。ガジェットをもっと作品内容に関連させれば、さらにコンセプチュアルな構成になったことでしょう。 自分だったらどう書くだろう。 呼びにきた母の声に、マリア像を。 祖父の面影に、老猿のレプリカを。 倉庫のなかの小宇宙に、曼荼羅を。 たとえばそのようにイメージをさりげなく投影させる工夫があったら、ガジェットが飾りではなく作品の世界観を表すシミュラクルとして活きてきたのではないかと考えました。 (祖父の痕跡)

2021-01-20

小説のような散文だけど、これはたしかに詩的だなと感じます。なぜか。ここに書かれていることから、むしろ書かれていないことへの想像力を惹起させ、そこにこそ本質的な情感があるであろうと思われるからです。 放課後に突然降り出す雨のように、ほんとはいつ溢れてしまいかねないウエットな感情をかかえていながらも、からっと晴れた青空の屋上にいるときのままに、最後までドライな文体で書き切っている、それがとてもカッコイイなと思いました。 (1987 トランジスタ ラジオ)

2021-01-20

  住宅街にも墓がある 生活のなかにもたしかに死の予感があるという実感の換喩、この一行だけでもじゅうぶんに詩的です。 急に、ふかい空をみてしまうことも、あの宇宙の底のしれなさを想うとき、深淵を覗くかのような虚無感におそわれることがやはりあるように思います。それは死を想うことにも通じているのかもしれません。 そんななか、うしろから父親の声がきこえる。私はこの父親から、なんだかもっと大きな父性そのもの、つまりは神さまのように見守ってくれている存在を思いうかべました。そういえば日曜日といえば、安息日ですね。まいごとは、迷える子羊のことでもあるようで、ここには神さまとの心の邂逅がえがかれているように思えました。 (まいご)

2021-01-19

物語る前に物語が閉じられてしまい〜と、帆場はんがコメントされていますが、私はむしろ反対の見解をもっています。物語ってしまったら、途端に陳腐になってしまうと思うんですね、これは。帆場はんも指摘されている、冒頭のディープなガジェットによる和洋折衷な混沌とした印象が、この作品の肝であるのではないかと。おそらく、わからなくていいし、わからないままであるからこそ、作中の主体あるいは祖父と共に深淵を覗いてしまったかのような奇怪な読後感を味わわされるのでしょう。   イーハトーヴを後にし   銀河列車にも乗らず という詩行がありますが、ここにもいわゆる物語を周到に避けていることが示唆されているのではないかと読み取れます。 (祖父の痕跡)

2021-01-19

50光年が実際にどれぐらいなのかよく知らない。真空も、宇宙も、情報として知っているつもりになっているけど、ほんとはよく知らない。電磁波だって目に見えるわけじゃないし触れるわけでもない。そういえば愛もそうかもしれない。そんな直接には見えないし触れもしないようなたくさんの概念によって組み立てられた作品。でもそもそも言葉だってほとんど概念。なんだかちょっとさみしいことに気がついて、人肌のぬくもりが恋しくなりました。 (50光年の伝書鳩)

2021-01-16

読み応えのある散文詩、というよりは生き様でした。ここにえがかれている人物像が事実かフィクションかは知りませんしそんなことはあまり関係ないように思い、しかしリアリティを感じられたことは確かです。 一日を人生に喩えるなら、お日様が天頂から下り始める十三時は、まだまだ働き盛りとはいえ人生の下り坂を意識し始める年齢ではないでしょうか。このお昼の時間帯に人生観を重ねる構成も見事です。 (逡巡とした)

2021-01-16

この詩ですごいなと感じたのは一連目。夕ぐれって空に同時に一つしかない現象だと常識的に思っていたのに、この詩では、そこにいて、あそこにいて/あちらにもこちらにもいる夕ぐれ、と分散している。今日という日に、いいことがあった人もいれば、よくないことがあった人もいる、一日のおわりに人それぞれに違った夕ぐれがあってあたりまえなんだと、ハッと気づかされました。また、もうすこし読み込んでみるなら、いわゆる黄昏れている人があちらにもこちらにもいるのだと捉えることもできます。 なんにしても一連目に強い詩想が感じられて、あとの文章はすべてその余韻であるかのようでした。 (日暮れに口をあけている)

2021-01-15

コンプレックスさえも武器にしてるんです ——Mr.Children『フラジャイル』(作詞:桜井和寿) 上の歌詞をなんだか思い浮かべました。 (セックスしたことないよ)

2021-01-14

しあわせにころされる、この謎めいた言葉から私が感じたのは、不幸であることこそをアイデンティティーにしてしまった人物像でした。幸せになってしまった瞬間、不幸であった自分自身の存在意義が失われてしまう、つまりは殺されるに等しい。 たとえば成人式といったハレの日を迎えたなら、どんなに自分自身を不幸だと感じていたとしても病んでいたとしても、やはり高揚してくる幸福感があるのではないかなと思います。そうした倒錯した感情が、さいごの(アタシドウシチャッタノカシラ)という言葉にも表れているように感じられました。 (大福入水)

2021-01-11

待ってさえいれば勝手に信号が変わるものだと思っていたのに、自ら行動しなければ変わらないと知った。たった一つのボタンを押すという行為でも、自発的に動くことの重要さについて焦点をあてて書いたら、シンプルだけど強く訴えかけてくる叙情詩になったのではないかと思います。しかしそうはならずに、勿体ぶった文体で書かれているところに、斜に構えた個性が表れているようにも感じました。 常時幹線青方式という語はたしかに目を引くののですが、どうも知ったかぶりである感が否めません。本文にもこの名称が登場しますが、常時幹線青方式のなんたるかについて、この語の便利さに頼らずに表現できたなら、さらによかったであろうと思われます。 (常時幹線青方式信号機)

2021-01-11

換喩の遣い方が巧いと感じました。片付いていない洗濯物やコーヒーカップに、疎かになっている生活が窺えます。 ──お前の祈りは酔っぱらいの寝言とそう変わらないよ。これらがタイトル通りに洗濯物やコーヒーカップに語らせているとしたら、喋らないはずのモノに空想的に喋らせている、モノをみつめる主体の存在が浮かびあがってきます。モノをとおして鏡のなかの自分自身をみつめるように、自分語りに依らずに感傷的な人物像が描けていると思いました。 メデュウサのように、という直喩、ここだけ大袈裟に神話的になってしまっているのが惜しかったです。洗濯物、コーヒーカップ、そうした生活感あるイメージを主にしている作品ですから、せめて現実生活と神話をリンクさせる伏線があれば肯けますが、雰囲気を崩してしまうような違和感がありました。 (洗濯物曰く、コーヒーカップ曰く)

2021-01-11

いわゆる大作と言葉を垂れながすことの違いはなんだろうかと考えてしまいました。 「直喩」という語が頻出していることから、詩論めいたことを語っているのかと始めは思いましたが、これは「直喩」という語そのものがなにかしらの比喩になっているのではないかという気がしました。ではなんの比喩か。安易には喩えることのできないもの、つまり直喩できないもの、それを訴えたくて、ここまでの垂れながしとも捉えられかねない長文があったのではないかと思い至りました。 銃声といえば一瞬ですが、引き金をひくまでには葛藤や逡巡もあるかと思います。さいごの二行による断定をもし銃声と捉えるなら、発砲に至るまでの葛藤や逡巡こそが、それまでの長文に表れているのではないかとも読めました。 (銃声)

2021-01-10

匿名投稿でありながらタイトルに著者名らしきお名前が含まれているのが、もしミスでなければ、注目すべき点なのかなと思います。つまりは一人の人物の独白のたしかな手応えを感じられます。 おなかが痛んだ真夜中も、などなどの換喩を通して、おいてきぼりのなんたるかを直接語らずとも訴えかけてくる迫真の詩だと思いました。 (おいてきぼり 井上橙子)

2021-01-09

ちょっとばかりエッジがたりない。笑えるというより、最終行を読んで、ああなるほど、上手いわあ、と感心させられてしまうほうのユーモア。読者に考えさせたら負けですよお。 寝正月から目覚められましたか? まだ寝惚けていやしませんか?笑 (はじめに光があった)

2021-01-09

深いわあ、いや、深いわあ。暇というか心に余裕がなければ、だれかを愛したりこうして詩を書いたり読んだりすることもできませんね。愛すべき暇に感謝。 (〈妻に〉)

2021-01-09

「淡雪」といえば春の季語。春なのに降る雪、すぐに消えてしまうとはいえ、いや消えてしまうからこそ、そこには存在証明があるのではないかと思いました。 (淡雪)

2021-01-09

男性には欲望の対象になりがちなおっぱいも、女性にとっては幼い生命を育むための器官。釣りみたいな諧謔味のあるタイトルから読み進めて、母性の温もりに思いめぐらせる深さが、この詩の魅力であるように思いました。 あえてオンナと書いているところも、ドライな視点を感じられて、カッコイイなと感じます。 (おっぱいがいっぱい)

2021-01-09

はじめに「下手くそが書く」と自ら断っていることにいやらしさを覚えます。下手くそかどうかは読者が判断することじゃないですか。そんな予防線を張らなくたって、大胆に詩を打ち出していけばいいと思ってしまいますね。読み手を意識することの重要性が云われたりもしますけど、これは悪い意味で読み手を意識し過ぎて腰が低くなっているんじゃないかという気がしました。戦うまえから負けている。と、思わせておいて、卑屈な心をもった読み手に対しては受け入れやすくなる下地をつくっているともいえます。あざといのかも。 リフレインされる「外はどうせ雪が積もっているのだろう」の「どうせ」という語に、卑屈な諦めが最も色濃く表れているように感じました。さいごに補遺をもってくるあたりも言い訳がましい。 と、なんだか酷評みたいになってしまったのですけど、そうした卑屈さをつつみ隠さないところに、むしろ裸で体当たりされるような印象を受けました。まあ、他者に裸を見せられるっていうことは、それだけやましいことがない証左だともいえるわけですけどね。 たとえ繕っているにしろ、いないにしろ、わたしがこの作品から感じた印象は以上のようなものです。 (下手くそが書くバラッド)

2021-01-04

詩のことばは自由であることを思いださせてくれる、どこまでもひろがる青空の下であそんでいるようなこの作品がわたしは好きです。 (ぽえ)

2021-01-04

/舜舜さんは比喩をあまり遣わない作風だと思っていて、安易に比喩が遣われがちなことへの反骨精神を感じて好ましく思っていますが、今作の中心にはめずらしく比喩がありますね。愛のない恋愛、愛のないセックス、愛のない交流、そのような冷たくて空っぽな物事の比喩としての冷蔵庫。しかしなによりも、冷蔵庫に空洞を意識するところに、都市生活者の孤独が滲んでいるように思いました。食材はあんまり入ってなくて、缶入りのアルコール飲料ばかり冷やされているような冷蔵庫が思いうかびます。 それにしても、終わりの二行はかっこいい。 (「LIKE A 冷蔵庫」)

2021-01-02

明日の〜という二連四連は後半の文章でわかりやすく主題が語られることを考えれば要らなかったと思うし、逆にこの二連四連があれば、「でもそれは/今のうちだけ」以降の修辞をふんだんに用いた状況説明的な文章は要らないんじゃないかと思いました。 (腹いっぱい)

2021-01-02

渋谷のスクランブル交差点を行き交う人々の意識を受信して書かれたかのよう。トーキョーアレルギーといいますし、そこには街ゆく人の意識が心に直接ながれこんでくる(と思っている)繊細な感受性をもった主体を思いうかべました。 分裂症的な文章、ところどころ空白をもたせていますが、このいったん理性をとりもどしてふりかえるような余裕をもたせなければ、より衝迫感があっただろうなと感じます。 (トーキョーアレルギー)

2021-01-02

情景描写がアンビバレントなのは意図的でしょうか。手袋をはめて息が白くなりそうなほどに寒い夜なのに、アイスクリームが地べたに落ちていることも蟻や蛾が活発であることにも不自然さを覚えます。始めは月が出ていたが終わりには雨が見えている。それら光景も「盲目の場所で」は反故にしてしまっているかのようです。つまりは写実ではなく、冷静と情熱、喜びと悲しみ、相反する感情が顕れた心象風景であるように思いました。 (「My Religion」stereotype2085さんとの共作)

2021-01-02

初めの一行には心を掴まれました。健脚であれば難なく道路を渡れる歩道橋がないとしたら、黄信号にとまどい、赤信号に待たされることもあるでしょう。誰しも人生において、悩み、立ち止まることがあるように。 しかしそれ以降の文章はキレのある詩情がなく、散文をただ改行しただけであるようにさえ感じるほど、だれてしまっています。 初めのあの詩行を書く感性があれば、その張りつめた弦でもって作品全体にわたり玲瓏な詩情を奏でることができたはずだと思えてなりません。 最後の一行は締まっていますが、その心情に至る経緯を、それまでが散文的なのにもかかわらずすっ飛ばしてしまっていて、強いけど唐突な印象しか残らず、惜しかったです。 (記憶)

2020-12-28

なんといっても楽曲の雰囲気が好いですね。煙ったい、気だるげな、恍惚感。そこにかさなる、意味がわかるようなわからないような唄声が、さらに酩酊を誘います。 (B♭→D)

2020-12-26

初めて出逢う言葉を、意味を知らずに語感のままに感じられることがなにげに羨ましい。初恋みたいなものじゃないですか。 でも読んでもまったくなにも解らないじゃさみしいですから、さいごは主題が伝わりやすくしましたね。 詩を書くことは、言葉と淫することだと思っていて、その快感を伝えることができたならなによりです。 (空谷の跫音)

2020-12-26

「私は健康です」と主張する機会が人生のなかでどれくらいあるだろう。直接は言わなくても、健康診断の提示が求められる面接のときとか。そうした場面以外で「私は健康です」と言い張ることに、かえって病的なものを感じてしまうのは気のせいでしょうか。もしかしたら病んでいるのではないかと疑われている人こそが「私は健康です」と主張するのではないかと。 なので、あからさまに病んでいることを主張している前半よりも、「私は健康です」と宣う後半にこそ私は病みを感じてしまったのでした。 「健康」と「病気」は相対的であり、病気が発覚しまたそれを公言できることはいたって健全な状況だと思われるのですが、病んでいながらあるいは病みを隠して「健康です」と言い張ること、これはなかなか病的な状況ではないかと思うんです。 そんな、はたしてほんとうは健全なのか病的なのか、禅問答じみた迷宮へと読解を誘われるような気がしてなりませんでした。森のなかに生えていた一見すると可愛いらしいキノコが食用か毒なのかわからないみたいに。 (私は健康です)

2020-12-25

作中に「無意味な言葉の組み合わせ」という言葉が出てきますが、この言葉そのものは意味が伝わるしけっして無意味な言葉の組み合わせではないなと思いました。予防線のために書かれた言葉なのでしょうが、これによって作品に「無意味」という意味をもたせてしまっているようで。ほんとの無意味って、なかなか難しいです。 (ピュー、パガン、タウングー、コンバウン)

2020-12-24

言葉あそびのような詩だなあ、なぜ和音をあえて「わをん」と読ませるのだろう、などと思いながら作品を眺めていたら、あいうえお〜順になっている詩だと気づきました。「わをん」でしっかり締めているわけですね。言葉あそびとはいえ、叙情性もしっかりあり、洗練されていてなかなか巧いと思いました。 (┣和音┳わをん┫)

2020-12-24

  風の噂だが、ピーちゃんが死んだという。小室さんは今度はハムスターを飼うそうだ。 安く取り引きされる小動物の命。それは本作の登場人物、社会の底辺で生きて死ぬ人間の縮図でもあるのかもしれません。 (鳴けない文鳥のためのピエタ)

2020-12-24

社会風刺であるように私には読めたのですが、いまいち肉薄していないように感じられました。自らの生活感とは乖離した報道や情報を受信して、頭の中でだけ憤っているような。 しかし、動物のように本能的には生きられない人物が、本能のままに生きている人間がいることを知ってルサンチマンを覚えているというふうに読むなら、社会的にさえない人生を送る残念な人物の心の声として肉薄しているように思えました。 (あんた猫なのかい)

2020-12-24

ポエムの娘いうてただのメンヘラやないですか。というツッコミはおいといて、メンヘラをポエムの娘と言い切ることに詩らしい修辞があると思いました。 (poem girls)

2020-12-22

まだ物心もつくかつかないかという幼児に、たとえばヒヨドリとスズメの区別がつくだろうかと思うんですね。幼児の思考の流れを文章にしたにしてはあまりに端正で、『3才のボク』というタイトルによる誘導がなかったとしたら、これは大人の思考の流れと読んでも違和感ないほどです。しいていうなら、幼児の視点に想像力をめぐらせて書いた大人の文章。それで、私が良いなと感じた点は実はそのあたりにあって、これは大人の自分が自然のうちに母性をもとめているように読めたんです。それは、作中にはもちろん明言されていませんが、すなおになって聖母にあまえてみるようなきもち。むしろ明言されていないからこそ、みえない神性が詩に宿っているようにさえ感じられました。 自然をみつめるこまやかな視線に、とてもやさしいものを感じます。絶望を経験したことがあるからこそ、なにげない自然にも慈しみを覚える、そんな体験が私にはあって、だからこそなおさら本作には大人のきもちが書かれているように読めたのかもしれません。 (3才のボク)

2020-12-21

360という数から私は360度の方位を連想させられます。The という定冠詞もあたえられていますし、地球をまるっと見渡すように。大河とビル群、つまりは換喩としての自然と文明。この対極的な最低限のイメージによって地球の様相を詩のなかで示すことができているようで、広大な世界をミニマルな構成要素で表す、数学に近い詩作法ではないかと思います。 自然と人工、もしくは地球と人間が、対立するのではなく和合することへの理想や憧憬が感じられました。 (The 360)

2020-12-21

仄暗い系男子女子への興味が尽きないのだろうなあと感じました。きらきら。 それにしても作中詩は蛇足でした。これによって作者自身も詩を書く「わたしたち」のうちの一人であることが露呈してしまっているじゃありませんか。残念ながら。 仄暗い系が書く詩のびみょーなクオリティを再現しているようでいてその実びみょーな詩しか書けず照れ隠しのために前半の強烈な散文で欺いているんじゃないかとさえ思ってしまいました。ぺこり。 (残念ながら はっぴー)

2020-12-18

セルフツッコミしてる詩なんて初めて読んだ、しかもルビをつかって。 詩にツッコミをいれてるのか、それともツッコミのために詩があるのか、わからなくなってくるけど、いずれにせよ、これは詩とツッコミを合わせて一つの作品なのでしょう。やったもん勝ち。 (LAST SENCE┣┳(終わってんなお前の詩)┫)

2020-12-14

文体が手練れてきたなあという印象。 いままではイメージが散漫になりがちな作品がわりとあったけど、今作は筋が一つ通っていますね。 ふつうは、好きだから覚えていそうなところを、覚えてるから好きだよ、この言葉にだんだん接近してつながるのが好かったです。 (捨てる-Dole-大蛇)

2020-12-14

会っているのに離れている心もあれば、離れていても想っている心もあるなと感じます。 ちがう星に行く、という表現に、死んでほかの世界に生まれ変わることをはじめは思いうかべていたのですけど、おなじ時代にいるのに生きている世界がちがうんだなと感じることも現実にはありますね。でもそれも、太陽系のなかをまわる星のように、離れてはいてもやはりおなじ宇宙に生きていて、みえない引力に影響されあっているのかもしれません。 夜中に家のちかくのコンビニで待たれたり、一日に何度もかけた電話など、非常識だけど人間味のあるエピソードが、実感あっていいなと思いました。 (ちがう星)

2020-12-13

携帯電話と共に連絡先を紛失してしまったが為に離れてしまった関係、それはせつないですね。ご自身の体験と重ねて読んでくださり、作者冥利に尽きます。ありがとうございます。 (空谷の跫音)

2020-12-13

詩を書くことも、投稿することも、ポエトリーリーディングすることも、ふだんは仕事や学業などの生活をしている日常の自分から解放されるクリエイティブな活動です。 しかし、突き詰めていうなら、詩誌や詩投稿サイトに詩を投稿する行為って、ほんとはあんまり詩的なことではないんじゃないかと思うんですね。文法の常識、つまりは既存の定型にとらわれないことがいわゆる現代自由詩なのであれば。これが詩とは関係ない場所、たとえば街角かなんかで詩を朗読してたら、誰も振り向かなかったとしても、日常という定型をぶちやぶる詩的な行為であるように思うんです。過激な例でいえば、墓の上で踊るとか、実際にやったらただ不謹慎で迷惑なだけですけど、ふつうは表現の自由が認められている文芸などの創作では、おおげさかもしれませんが、それこそ墓の上で踊ってしまうぐらいの覚悟が必要なのではないでしょうか。はい、自分のことはすっかり棚に上げて語っています。 してみると、てんま鱗子さんによる噺のような動画の投稿や、それに対するみうらさんと麗しい女性の会話による批評動画は、定型をぶちやぶろうとする行為であり、ありきたりなポエトリーリーディングよりもよっぽど詩的なことをされているのではないかと思います。 (表現すると「云う」ことは下手な表現であるという宣言である)

2020-12-13

ありがとうございます。 十字の縦にあたる連は、作中の人魚が歌っている詩でした。また、上下にちょっとしたイメージの対照性をひそませてあったんですね。完璧なシンメトリーではないので、気づきにくいかもしれませんが。 タイトルは夏目漱石『夢十夜』のもじりです。 (夢十字)

2020-12-12

ありがとうございます。 ryinxさんは感覚的な方なのだろうなと感じていて、それはわるいことではないのですけど、叙情を感じられたなら、その原因はなんなのか、分析してみるのもおもしろいかもしれませんよ。そうしてみたら、作者と読者、おたがいにとって発見があるかもしれません。 (夢十字)

2020-12-12

わかります、みうらさんの云いたいことは、よくわからないようでいて、なんとなくわかります。 あえて作者から言及するなら、#現代詩 のタグをはずしたことが本作のミソだと思っています。これはもはや手紙です。 コメントの続きについてはいずれ、機会があれば某所で語り合いましょうか。笑 (空谷の跫音)

2020-12-12

君が言葉を話せたら── それがなぜ叶わないことなのだろう。唖であるからなのか、二次元の存在だからか、あるいはすでにこの世にいないからなのか。いずれにしても、いまは交流することのできない相手をつよく慕う気持ちが感じられました。 (叶わないこと)

2020-12-12

白馬岳の星空のエピソードに引き込まれてつい忘れてしまいましたけど、読み返すとこれは、出勤前の空に月をみつけたあとの回想だったんですね。現在と、夢のような思い出、そこに遠近法的な効果が生じ、読者を作品へ引き込む一助になっているのではないかと感じられました。 余談ですが私もLed Zeppelinが好きです。 (Konstellation)

2020-12-10

母なる海とよくいわれますが、「海」という字には「母」が含まれているようにみえますね。海を意味するラテン語「mare」にも、母=ママ(mama)と通じる響きがあるように感じられなくもありません。占星術的な観点からは、海王星は無意識の領域を象徴するといわれます。そのように、地下へ降りること、臍の緒のように音楽と結ばれること、それらには集合無意識的な胎内回帰願望が根底にあったのだと思います。 雨やどりについてもその宿りは孕みを含意していたのかもしれませんし、先の返信コメントで共通項と示したのはそのことです。 と、節操もなく蘊蓄をたれながしてしまいましたが、詩を「読める」方が減ってしまったことを半ば諦めかけていたところに、知識よりも直観で今作に肉薄してくださって、感激しました。どうもありがとうございます。 (雨想曲)

2020-12-10

たいせつに想っているひとが、とつぜん音信不通になってしまう。SNSではよくあること。そのたびに、交流できなくなることと、死は、かぎりなく近いように思えてきます。相手は画面のむこうにしかいなくても、そこに生まれる気持ちはほんもののはずで、夢とうつつの境界があいまいになっていくかのような。ましてや物心ついたころからあたりまえにネットと接している世代は、ネット上の交流もリアルの延長だという感覚が実感としてあるのかなと思います。 もちろん作中にはどこにもSNSのことは書かれていないのですが、それがかえって、ネットとリアルの境界があいまいである、デジタルネイティブの感性を如実に顕しているように思えてなりませんでした。 (ぢんせぃ)

2020-12-09

宗教的な語をほとんど用いずに宗教的なモチーフをえがいている作品の好例に思えました。惜しいのは「人類創世」でしょうか。たしかにこう書いたほうがわかりやすいですけど、現在一般的な西暦がキリスト教起源であることを考えれば、「2000年」という語だけでも十分察せられます。タイトルの一語も連想しやすかったです。 (┣科┳とが┫)

2020-12-09

定時になり通用口から連れ立って外に出た職場の同僚たち、みたいな場面を想像しました。また明日、ね、と最後にもういちど心のなかで反芻するような一行に、哀愁を覚えます。   「月にはウサギがいるんだよ、知らないの?」   「輪郭がぼやけちゃうなぁ、こどもの頃ははっきり見えたのに」 ここがいちばん好きでした。こどもの頃にはあたりまえだったことが、おとなになってからあたりまえではなくなってしまった、示唆的だと思います。 (帰り道)

2020-12-09

こうした硬質なシュルレアリスムをやるのはいいのですけど、主体の生臭さがぬぐいきれていない。〜幸せそうだったね、などなど、文体の端々から感情の生温かさが匂ってきそうで、自動筆記のように主体を排したクールさとはほど遠く感じます。人間的で素朴な詩でもなく、機械的でクールな詩でもなく、どっちつかずの中途半端な作風である感が否めません。その中途半端な感触こそがこの作品の持ち味であるともいえそうですが。 (波の花)

2020-12-07

「セックス」と書いて「ポエム」と読む、これが云いたくてこの詩を書いたんじゃないかと思ってしまうぐらいのインパクト。でもそれって、いつものみうらさんのキャラで云っても違和感ないし、仮面をつけて踊りたいにしても「三浦果実」そのものが仮面であるともいえそうで、わざわざ女性になりきる必然性はあったんだろうか、などと考えていたら、「胸」と書いて「言語能力」と言ったり、セックス=ポエムに走る極端な女性像を介して真人間を嗤うみうらさんの嘲笑がどこからともなくきこえてきた気がしました。 (覚えられなかったこと)

2020-12-05

薄幸の三日月に〜、鏡面の酔狂へ、などなどから言葉へのフェティシズムのようなものをくすぐられます。 シュルレアリスティックですが、ナンセンスに横着するのではなく、一定の美意識に依って詩が編まれていると感じられます。 (「聞こえてくるものの正体」)

2020-12-04

瀧口修造などのモダニズム詩を彷彿とさせる語のセレクトが好みです。 バロックの原義は「歪んだ真珠」であることを、タイトルの「端正な型崩れ」から連想しました。 (「端正な型崩れ」)

2020-12-04

文字がダンスを踊っている輪のなかに読点や句点が加わっていく発想がおもしろいなと感じました。 これは贅沢な望みかもしれませんが、ダンスの輪のなかに句読点や改行が加わっていくごとに、そのつど文体にも句読点や改行が加わっていくという詩形であれば、作品の内容を体現していてさらにおもしろかっただろうなと思います。 (言葉の輪のダンス)

2020-12-03

詩というよりは思いの丈をただ書き殴っただけの文章をここの掲示板に投稿するのは本人の自由ですが、そうした行為それ自体さえエゴに塗れているように思えてしまいます。本人がそれを自覚している上でやっているならパフォーマンスと捉えることもできなくはないのですが。「壁に落書きするな!」といった注意書きがかえって壁の美観を損なっている、そのことに無自覚である人が自己主張している様は、エゴ以外のなにもものでもないのではないかとさえ思ってしまいます。少なくともここの掲示板はストリートにおけるグラフィティのような作品の投稿も認められている場ですし、一ユーザーである私自身もたんなる注意書きよりは創意溢れる作品のほうを楽しみにしていますね。もっともこれは私自身のエゴですが。 (結局みんなエゴばかり)

2020-12-03

イエロー・サブマリン、陽気な曲ではあるけど、潜水艦のように沈んで浮いてをくりかえす人生や心の、不安定さを予感しているかのような書き出し。 「休日」という語はどこにも出てこないのに、休日らしさを覚えます。ビートルズや映画を鑑賞することや、日だまりで何かまるいものを食べたいといった、余暇なくしてはできないであろうこともそうなのですけど、たとえば朝から涙を流してはもったいないなと思うのは、せっかく楽しめるはずの休日を台無しにしたくないという健気さがあらわれているかのよう。とはいえ、時間を気にせず感傷的になることができるのも、余暇あってこそなのかもしれません。そう考えると、孤独感に浸ることも、ちょっとした優雅な時間にさえ感じられてきます。それは音楽や映画、そしてこうした詩といった文芸作品によって、日常が昇華させられているからでもあるように思います。 (白日夢)

2020-12-02

ほんに、反則ではないかと感じてしまうぐらいに強烈なインパクトあるタイトル。罪を象徴する「強盗」と、法や秩序を象徴するはずの「帝国」という語の落差。しかし、蒙古にしろ、ローマにしろ、帝国主義は本質的には他国に対して強盗じみているといえそうです。世界の歴史の暗部をたった一語で抉り出していそうな、それがこのタイトルの違和感あるようでいて不自然ではない印象の理由かもしれません。 とはいえ、ふつうに読めば世界史というよりは夢でみた光景を文章化したシュルレアリスムであるように思います。強盗帝国にはミャーミャー鳴く猫が多いですか、物騒なわりには可愛いものが好きな国民性なのかもしれませんね。 (強盗帝国)

2020-12-02

やわらかな手つきで、ことばの固定観念を脱構築されていくような感覚が、妙に快かったです。 タイトルは、空白による区切りで韻律を韜晦させていそうですが、これは短歌であるように私には思えました。 (コロナ禍で 生まれて一度も顔を合わせない孫に 木のおもちゃを送る)

2020-11-28

Mか、って思うほど云ってることはあまちゃんなのだけど、  あなたの眉のとがったところから ってのは換喩的な表現でちょっとだけいいなと感じました。 (あなたのきびしさを私にください)

2020-11-26

「シアン」に「思案」を掛けているのかなとふと思いました。 (シアン)

2020-11-26

『雪国』というタイトルにはどうしても川端康成の小説を連想してしまう古風な響きがあるのですが、この作品には新鮮な感性が表れています。 雪国、まっさらで純粋な世界をそこに夢みているのかもしれません。以前に『HATEな(ハテナ)』でコメントしたように、今作にも"ちいさな冒険"が感じられました。  知らない街の知らない美容院で知らない人と話をして  もう二度と来ることのない場所に大切にしていたなにか置きざりにしていこう エモい、という新語で安易に括るのは好きではないのだけど、思わずそうした感想をいだいてしまうほど瑞々しい。冷たく澄んだ北風が、琴線にふれるよう。 (雪国)

2020-11-25

自然体なようでいて、洗練されている、光る文章表現が散見されていて、惹かれました。  潰れたてのピュアな恋が6個入ってたんだ。 なんてステキな詩行だと感じます。 (tabacco)

2020-11-25

この十一月は日記にまつわる投稿作品が目立つ。田中宏輔さんの『詩の日めくり』シリーズをはじめ、yasu.naさんの『日記序』、穴秋一さんの『珍Qの修行日記』。それらは日記という体裁をとっていながらも、書かれているのは散文的な詩なのだと思う。 一方でこの『日記にでも書いておけ』は、たんなるエッセイのよう。しかしこの自己批判的なタイトルは、裏をかえせば詩を想定している。ビーレビは詩の投稿しか認められないというわけではなく、あらゆる文芸作品の投稿が許容されており、もちろんエッセイや日記の投稿があってもいい。ところが『日記にでも書いておけ』という言葉が批判的にきこえるとしたら、それは暗にここは詩を投稿する場だという固定観念があるからではないだろうか。「タイトル通り」「まさに日記」というコメントも見受けられるが、そのような読みはタイトルに誘導されているのであって、もしこれが『日記にでも書いておけ』というアイロニカルなタイトルではなかったとしたらどのような読みがなされていただろう。固定観念という色眼鏡をはずして作品と向き合うべきではないか。個人的には……うん、きっと、それでもただの日記だなと思ったはずだ。 ……つまりは批評すべき点は本文よりもタイトルにこそあるように思う。 (日記にでも書いておけ)

2020-11-25

わざわざお手数おかけしてまで訂正版を投稿していただき、かたじけない。 回文でありながらシュルレアリスティックな詩としても機能している稀な作品で、おもしろい試みだと思いました。 ((ルビ訂正版)旅行記、あるいは回文  )

2020-11-24

ふりがなを《》でくくってあることがせっかくの回文を読みにくくしてしまっています。るびをふる機能もあるので、ぜひ活用してほしかったなと思わずにいられません。内容は楽しかったです。 さらにぜいたくを云うなら、タイトルまで回文にしてもおもしろかったかもしれません。 (旅行記、あるいは回文 )

2020-11-24

加齢に伴なうくさぐさのことを自覚しここまで赤裸々に綴られていることに脱帽しました。 「薔薇よ…」で始まる詩はいたって華美ですが、先の加齢にまつわる文章が、美と醜のコントラストを際立たせることに成功していると思われます。 (微睡む薔薇)

2020-11-24

ナンセンスという語は、くだらないというような意味合いで遣われがちですけど、本来は人間には知覚不可能なものごとを指した語。そうした知覚不可能な、形而上の事柄について、本作品で云いたいであろうことはわかりますが、これでは詩というよりただの説明文に過ぎません。 そもそもカントやウィトゲンシュタインなど、偉大な先人の著作とその優れた和訳が汎く流通しているにも関わらず、そのエッセンスだけを僅かに抽出してこのような説明文に起こす必然性はあるでしょうか。 しかし、もしカントもウィトゲンシュタインも未読であるとしたら、失礼でした。そうだとしたらおそらく、作者なりに思索を深めたうえでのこの投稿作品なのでしょう。ただ、たとえそうだったとしても、詩というより説明文に過ぎないという感想に変わりはありません。 (実体のない)

2020-11-22

ありがとうございます。自分としてもタイトルが印象に残っていて、初期に書いた詩なのですが、推敲してここに載せました。 (べっこうあめの光)

2020-11-21

秋冬の西日にはあまいノスタルジアを感じます。 (べっこうあめの光)

2020-11-21

朗読では「ぼく(ら)」が聞き所で、どうするんだろうかと思っていましたが、絶妙に表現されていました。 文面の悲壮感とはうらはらに、開き直ったような明るさを感じる朗読です。 (ごめんねぼくらもう死ぬ)

2020-11-21

なぜだか二人の人物というよりは、一人の人物が内面にかかえているアンビバレントな感情やそれによる葛藤に思えました。一つの磁石にはN極とS極という対極がそなわっているように。 あるいは別人同士であったとしても、運命共同体のように、どんなに反発しても離れることはできない関係、恋人や友人よりも家族やそれに近い関係が思い浮かびます。 (エマルジョン)

2020-11-19

痛みをもたらしたはずの爪痕を甘いと感じてしまうことに、倒錯があるのかもしれません。 もしも無に穴をあけることができたなら、それはもはや無ではなくて実体をもった有だったといえるのかもしれません。それを無意味というなら、意味のあることなどそもそもどこにもないような、虚無感。 幻視した祭壇には、無意識裡の祈りがあったのかもしれません。 月あかりに照らされた廃墟のように、そこに人がいないにもかかわらず、爪痕、祭壇、人の気配が宿っているような詩。 (1015)

2020-11-18

繊細な審美眼をもって鑑賞していただき、嬉しく思います。ありがとうございます。 (べっこうあめの光)

2020-11-17

キラキラすることに憧れをいだいているように察せられるのですが、キラキラすることになぜ惹かれるのか、考えてみたことはあるでしょうか。たとえばそうした考察をしてみることからも、可能性が広がっていくように思います。 しかし帰りながら「お腹が空いた」ぐらいしか思わないのであれば、いつまで経ってもキラキラすることはできなさそうです。そもそも、ただ生きていればそのうちキラキラするのかな、という発想自体が受け身ですから、どうやったらキラキラになるのかと、考えて行動を起こしていていけるようにならなければ、到底キラキラにはなれないでしょう。 と、自己啓発じみたコメントになってしまいましたが、この作品にあらわれているあたかも子供のようなピュアな感覚は、それ自体でもキラキラしていると私は思いますよ。 (あとどれだけ)

2020-11-17

ヘンリー・ダーガーといえば、生前は見向きもされなかったものの、死後に作品群が発見され、アウトサイダー・アートとして評価された作家。孤独に暮らしながら、独自の世界を死ぬまで抱え続けていたのでしょう。仮に情報化社会に生きていたとしたら彼もネットで作品を公開していたりしたかもしれません。 とはいえ私にとって本作は、ヘンリー・ダーガーの生き様に同調しながらも、彼のようには独自の世界を抱えてうずくまることをつらぬけず、この場にこのような作品を漏らしてしまっているという、情けないていたらくをみせつけられているように感じてなりませんでした。そこに人間くさい弱さがあらわれていて、同情してしまいそうになるのですけどね。 (球体佐々木君)

2020-11-16

そよかぜの力によって少女の色香がひきだされ、そよかぜは人知れず片想い、しかし皮肉にも魅力的になることで少女はほかの少年と恋におちてしまう。 風といえばあちらこちらを吹いているので、一つのものに執着することはありえなさそうですけど、そよかぜの悲しみはわだかまって雲となり、涙の雨をふらせるのかなと思いました。 可愛らしい寓意にみちた本作は、童謡や絵本などのほうがふさわしい題材ですね。文章をただそれっぽく改行して、あえて自由詩の体裁をとる必然性も長所もないと思われます。 (そよかぜと少女)

2020-11-15

明るい朝のうらには、暗い夜があったのでしょう。よく生きているひとのうらには、うまく生きられないじぶんがいるのでしょう。 外をみつめることが、内をみつめることにつながっている詩だと思いました。 (明るい朝の歌)

2020-11-14

きのうときょうの差異に想いを馳せるとき、雨が降っていたか降っていなかったかという天候のちがいでしか判断できないほどに曖昧になってしまった、生きていることの不確かさ。それはあたかもメランコリーに陥っていることにさえ気づいていない不感症のよう。 幽閉された高窓から眺めているかのように小さな空の画像も相まって、無機質な生活に囚われている心を想いました。 (きのうにさらさら)

2020-11-14

「ぽえむくん」なる詩の権化を登場させそして殺そうとするこの作品は、詩および詩を書くことの自己批評でありながら、詩的、あまりにも詩的な散文です。故にぽえむくんにさよならするどころか、夢物語に辟易していた作中主体をかえって夢物語=本作にとじこめているかのようにさえ思えました。しかし同時に、この作品そのものが、ポストぽえむくん、つまりはあたらしい詩として提示されているようでもあります。 (さよなら、ぽえむくん)

2020-11-14

言葉というのはとても豊かだと思います。詩を書く上で、一つひとつの言葉の滋味をたいせつにしていきたいです。 (雨想曲)

2020-11-13

雨にまつわる詩が二篇あり、主題にも共通項があったので、連作にしてみました。『雨想曲』という造語をつかってみたかったのも理由の一つです。それによってこの連作詩をうすい膜でつつむことができたかなと思います。 (雨想曲)

2020-11-11

うるりひとさんはそこがツボだったわけですね。なにかしら気を引くものがあってよかったです。 (雨想曲)

2020-11-11

 とても手にはおえない女  時々だらしがない女 これらの箇所で〈人〉ではなく〈女〉という人称に変わるのが意味深長です。あたかもそこでは人であるよりも女として意識しているかのような。 この作品が「女の人」という一行から始まるように、まず女性としての魅力があったのだと察せられます。しかし終わりの一行は「あなたは私の好きな人」とあるので、女性としてよりも人として好きになったということなのかもしれません。 作中に書かれていることだけでは、なぜ主体が相手を好きなのかはわかりませんが、主体の好きな相手がいかに人間くさいかということを観念的に列挙して示した作品であるように思われます。 しかし私がいちばん人間くさいなと感じたのは、先述のように主体からみた相手の人称が〈人〉ではなく〈女〉になる箇所でした。 (4回目のあなた)

2020-11-11

喪服を着る機会はそう多くはないはずで、二度しか着ていないとはいえ人生における大事なお別れ、つまりは決別があったのだと察せられます。 しかし、分割払いがあと一回残っていることを気にしているあたり、ここで決別するのはもしかしたらこの喪服そのものなのかもしれません。たとえば体型が合わなくなったなどの理由で。 哀しみとユーモアの二重の決別がこの二行のうちにえがかれていると思われました。 (決別)

2020-11-11

詩を投稿する媒体として、詩誌とこうしたサイトの最大の違いは、双方向的に有意義な語らいができるかどうかだと思っています。なので作品そのものだけではなく、そのコメント欄の魅力にも言及されたこの批評文の試みを、私は高く評価したいです。 (作品の世界へ導く「あの頃の私」)

2020-11-08

どの短歌も意味が伝わってくるよりも先に「好い」と思えて、そのなかで「クソッタレ!」を連呼しているのだけは「好い」とは思えず、しかしこのものすごいやけくそ感は印象的で、締めに至るまえのいいアクセントになっていました。海のイメージを基底にして、コンセプチュアルにまとまっている連歌作品。 (崩壊した海で生きよ)

2020-11-07

語られていることよりも語られていないことのほうが多く、関係性や状況およびそこに至るまでの経緯を想像させられる、あるいは想像するまでもなくこのワンフレーズを読んだだけでもびびっと伝わってくる。タイトルとのシナジーも秀逸。 詩というよりは描写の切り取りといった印象。あえて三行に分ける必然性は感じられず、いっそのこと一行にしてしまったほうがインパクトは強まったかと思われます。 (あうぃーろあいいろあえ)

2020-11-07

イカサマとカミサマで言葉あそびするポップな退廃が好いです。詩を読む、それだけで、なぜか共犯じみた感覚を覚えてしまう。覗いてはならないという道徳観の隙間から覗き見しているかのような。 いかにも退屈に殺されそうだと云わんばかりなところがボードレールを想い起こさせたので、ここに引用しておきます。  こ奴、名は「倦怠(アンニュイ)」! ──がらにもなく目もとうるませ、  水煙管吸いながら、断頭台を夢みてる。  読者よ、君は知っている、この厄介な悪魔奴を、  ──偽善の読者よ、──同類よ、──わが兄弟よ! (ボードレール『悪の華』より) (夢見る害獣)

2020-11-05

島の夕暮れや星空そして夜明けは優しくてと、くりかえしくりかえし云われることで、かえって島のほかには優しいことなどないと、強調されてうかびあがってくるかのようでした。せちがらい社会だからこそ、ひとは楽園を夢みるのかもしれません。 (島)

2020-11-04

主題は君の泳ぐ目でもなくエビフライの尾でもなく、二首の短歌をここに投稿することであると思われました。題名の「短歌 二首」と、短歌の構成を意識させる本文の区切り。これらが作品の内容以上に前面に出てしまっており、作品内へいざなわれるにあたり読者の興を削いでしまっています。 (短歌 二首)

2020-11-04

あいうえお順に連が構成されているのが特徴的。ひらがなの一字が連に冠せられているわけですけど、そのあとに台詞が続くことも多くて、吃音的にも読めます。 この力の入った構成が吉とでるか凶とでるか。 個人的な感想としては、あいうえお順の構成に意識がとられてしまって、ほんとにひらがな全文字やるのかと、そのほうが気になって読み進めていました。わをん、まで辿り着いたときには、労作であることに感嘆したほど。しかし深刻なことが書かれているとは察せられるものの、どうも内容が入ってこなかった。本文のシリアスな情緒性を、あいうえお順の構成がパロディにしてしまっている感があります。その矛盾による異化作用が興だともいえます。 (僕と誰かの狂詩曲(ラプソディー))

2020-11-04

夫婦喧嘩した気晴らしに競馬場にいったら家から追い出した夫が騎手としてレースに挑んでいた、展開からして飛ぶように疾走していますね。その勢いのまま馬も詩もゴールし、読んでいるほうは呆気にとられるしかないのですが、諧謔味をともなった爽快感があります。 もしかしたらミライ〜やゲンザイ〜なんていう名の競走馬も出場していかもしれませんし、競馬場にきたんだからなにかしらの馬に賭けていてもおかしくありません。しかし作中主体がみつめていたのはほかでもなく、カコニイミナドナイ(過去に意味などない)という馬と夫であった騎手。しかも「着順は知らない」というほどその駆ける姿だけをみつめていた。さらりとしていながら示唆的な余韻があとをひきます。 (着順は知らない)

2020-11-01

じつは私はトンボ印の色鉛筆を愛用していて、なんだか親近感を覚えました。そのトンボ印の鉛筆にさよならするのは大人になったからでしょうか、それとも時代が進み鉛筆というアナログな筆記具あるいは画材によらなくてもデジタルによる筆記や作画が一般的になったからではないかと、さいごの文から思いました。だって大人でありながらトンボ印の色鉛筆つまりアナログで描くことが好きな私のような者だっているのだから。でもそれ以上に「トンボ」という語に含意されたつかのまの季節を羽ばたくいきもののイメージが、童心の夢あるいはその儚さを表していると思われます。親指と人差指と中指でていねいにつかむように、童心らしい夢や想像力にさよならせずに、むしろたいせつにしたいなと思えてくる作品でした。 (さよなら鉛筆、トンボ印のちびた秋)

2020-10-28

だれもツッコまないからあえていうね。タイトルの8月36515日について、おれも夏休みを連想させられる8月が100年間ってことなのかとはじめは推測したよ。だけど4年毎の閏年を換算すると、通常は36525日なんよね。厳密性を欠いていることから、もしかしたら自分の思い過ごしじゃないかと思って、恥をかきたくないからあえて言明しなかったのさ。「神は細部に宿る」という有名な言葉もある。雰囲気だけでどんな読者も騙せると思うなよー。でもその着眼点はなかなかおもしろいと思ってる。 (8月36515日)

2020-10-28

改稿前の『きざし』と比較しながら読みました。私はどちらかというと改稿後のほうが好きです。 「緑のラグ」が「草原」に変わったのが先ず目について、これは隠喩以上に、より季節感を表していることに成功していると思われます。春夏にもっともかがやく「草原」や「シャツ」が、「根雪」になる冬のふかさ。 大きく変化したのは三連目からですね。雪の白さとは対照的なアネモネの色鮮やかさや存在感、あるいはその喪失が、改稿前とくらべてより強調されていてよかったです。しかし、改稿前にあった「口紅」や「蕾」といった重層的で耽美なイメージも捨てるには惜しいところです。 さいごの「ほんとうの芽吹きが渦巻いている。」に、タイトルの『きざし』とつながる春の予感がするようでいて、その直前の「ずっとおよばない恒星の面で、」という詩行から、それはどこか遠くをながめている視座であるように感じられました。 (きざし ver.2020)

2020-10-25

さいごに語られる一文が効果的ですね。  いつの日かの夜に誘う声がまた、誰かの耳に届くかもしれません。 この作品の世界を越境して、私たち読者のいる世界にも未知からの呼び声がどこからともなく響いてくるかのようです。 (フィラデルフィアの夜に XⅧ)

2020-10-25

タイトルからしてああこれは意味不明な現代詩だと察せられる。さいごまで読んでもみても、やっぱりわけわからない。ただ洋風と和風のイメージが混淆していたりする言葉選びがおもしろいし、さいごまで読めばきっとなにかあるんじゃないかと思わせられたのは、本文だけではなく百均さんのネームバリューも大きかった。でもやっぱりわけわからない、読後にたいしてなにものこらない、いってしまえば虚無。現代の虚無にスウィングしてるような作品。それはそれでいいのですけど、現代詩の〈外〉に訴求力をもっているかというと疑問で、いわば内向的な現代詩だと思われます。そのいわゆる現代詩の〈内〉にこもることを"逃げ"だとするなら、ライ麦の「逃げて楽しいですか?」という発言のニュアンスも読める気がしました。 (カルフォルニア・スウィング/河童肉付きぺりかん船便)

2020-10-24

どこまでも「人」に敏感であり焦点があてられている詩。でも、「人」がなんであるのか、そもそも自分自身を含めてもよくわかっていないんじゃないかという気がして、だからこそ「人」という概念を掴みたいようなかくれた願望がこの『人さらい』という詩を書かせたんじゃないかと思えました。不可解でありながら不可避でもあるものをみつめようとする視座が感じられます。 (人さらい)

2020-10-24

タイトルについて、私の場合は、その作品を象徴する一言をつけていることがよくあります。とはいえ、作品の内容をなぞるだけではおもしろくないので、タイトルと本文の相乗効果で作品にさらに広がりがうまれることを理想としています。 宵月さんのこの作品でいえば、『よせてはかえす』なんてタイトルはいかがでしょうか。いったりきたりする内省的感覚と、砂浜のイメージが、この一言で重なるような気がします。 (無題)

2020-10-23

いたって平叙な文章でありながら人肌の詩情が感じられて、沁みます。 (ネジ締めたろか)

2020-10-22

これは私も引用が勝っていると判断せざるを得ません。そもそも〈引用〉には、主従関係を明らかにすることと、必然性がなければならないという著作権法上の条件があります。 主従関係について、この作品の本文と引用の文章量に大差はなく、作品本文と引用のどちらが主なのか、主従関係が曖昧になってしまっています。 必然性について、最後の一文によってこの作品の主題は差別問題だと察せられますが、このメッセージ性の強い主題を表現するために、はたしてこの引用は必要だったのでしょうか。本作品とは別の主題である引用元の文章がなくても、犬や差別問題について表現することになんら不足はないはずだと思わずにいられません。 おそらく引用がなかったとしても、一つの可読性の高い詩として通っていたことでしょう。 (People playing with dogs)

2020-10-22

確かなものと不確かなものとのあいだで揺れる、シーソーのような表現がいいですね。形ではないけど感じられるもの、風の匂いも空の色もそう、それらをしっかり感じ取っていきたいという情緒がつたわってきます。 青と白とあとちょっとベージュかな、そんなコーディネートした服装みたいな統一感があって爽やかな詩だと思いました。タイトルを野暮な無題とせずになにかしら工夫があれば、それはきっといいアクセサリーになったことでしょう。 (無題)

2020-10-22

大半を占めているシュルレアリスムについての概略、わかりやすくまとまっていますが、しかし、いってしまえばこれは誰でも書ける文章。ましてやネット上なのだからwikipediaなどへのリンクを貼ればそれで事足りるとさえいえる。肝心の批評は最後にあって、批評への導入として関連することの概説を述べることも大事ですが、重大なのは、上述のシュルレアリスムについての概略を作品批評に結びつけるための接続がうまくいっていない、というより接続がされていないこと。シュルレアリスムの観点から作品批評したかったであろう意図は察せられるものの、これではまったく別のことを書いた文章が並んでいるだけです。それが非常にもったいなくて、このような「批評の批評」をせずにいられませんでした。 (現実を超えて回り続ける)

2020-10-20

すずしい秋の夜更に散策していたら自ずから泛かんできた文章で、意図的に途中から文体を変えたわけではありませんでした。前半の文体をさいごまで保つのもたしかにありですね。なぜ変わったんだろうと、コメントをいただいてから考えていたのですが、「息のつづくかぎりどこまでもゆくつもりです」ここで意識の転換があったのだと気づきました。前半はふらふらとしていますが、後半では確信をいだいており、それが文体にも顕れていたのでしょう。自らの作品と向き合う機会をいただけました。ありがとうございます。 (夜に迷う)

2020-10-19

コンテンポラリーアートに近い作品だと思われる。コンセプトありきでそれが解せないと、ただ感じるままに鑑賞するしかないような。 着想元らしい詩を未読であることも惜しまれる。こうした作品はちょっとした解説が付されるといいかもしれない。 始まりに(左)終わりに(右)とあるから、これは読み進める方向を指示しているかのようで、つまり終わりまで読んだらこんどは反対方向に再読させる仕組みなのだろうか。 二項対立のあいだを延々といったりきたりする観念を表しているともいえそう。左に右にスクロールをくりかえしていると、催眠的な振り子の動きにもみえてくる。 (構成-長田弘「あらゆる詠嘆は意味がない」から)

2020-10-19

眠りから目覚めたときに胸に穴が空いたような悲しい虚無感を覚えることが私にもあって、それはたいてい愛を喪ったと感じているときであったりします。そこに共感するとともに、自分自身を真摯にみつめる繊細な感覚に好感をいだきました。  悲しい  という感覚だけが  身体中にへばりついている このくりかえしが目立つのですが、とくに三連目から四連目に移行するときに表現が重複してしまっているので、削ることもできたかと思います。 リフレインをくりかえして厚みをもたせる手法もあることにはありますけど、シンプルな言葉であればあるほど、くりかえすことによってかえって陳腐化してしまうこともあり、なかなか難しいですね。ふだんからよく泣く人よりも、ほとんど泣かないはずの人が泣いている姿によほど悲しいことがあったんだと察せられるように、悲しみの表現も濫用せずにここぞというところだけに留めておいたほうが説得力が増すのではないでしょうか。 (無題)

2020-10-16

言葉の響きは、たいせつにしていきたいですね。気に入ってもらえてうれしいです。ありがとうございます。 (文月のわすれもの)

2020-10-16

嘘を愛するというぐらいだから、窮地に立たされてやむにやまれずつく嘘ではなく、皆の反応をおもしろがるような嘘なのかもしれません。SNSにしたって、ハンドルネームを用いたり、リアルとはちがう人柄を演じたりすることもよくあることで、いってしまえば嘘になるでしょうけど、おもしろがってやるものですね。詩だって、修辞や比喩にかならずしも嘘がないとはいえないのではないでしょうか。嘘だったとしても、きえてなくなると寂しさを覚えるようなこともあります。ましてその嘘に恋していたとしたらなおさら。 (文月のわすれもの)

2020-10-15

これはまた大作を投下されましたね。ビートニクな言葉の集大成のようでありながら、それは同時に、グラフィティで埋められた行き止まりの壁のようにもみえます。はたしてこの巨大な言葉の壁を越えてさらにビートニクを加速させることができるだろうか、古いロックンロールに合わせて踊りつづけるようにノスタルジックな再生産をくりかえすことになってしまわないだろうか、そのような危惧さえいだいてしまったのが正直なところです。 タイトルに冠した「令和」が、閉店の目立つようになった商店街の派手なアーチ看板のように寂しい。 (令和BeaTnik(ーNaked Lunchーmix))

2020-10-13

自分自身を客観視できていないことを「痛い」と定義するとしたら、自ら「痛い日記書いてます」と表明してしまえることは、自分自身と向き合えているのであんまり痛くない。むしろ痛いことを自虐的な笑いに変換しようとする姿勢に、健気さを覚えてしまうほど。 本文はかっちりと堅そうな散文詩にみえるけど、赤裸々な日記風の構成や、そこはかとなくバニラアイスクリームのにおいがしてきそうなイマジネーションのあまやかさがあって、読みやすい。一言でいえば、かわいい作品。 (痛い日記書いてます...彼氏募集中です!よろしくおねがいします!)

2020-10-13

この「もう一度あなたとセックスしたい」というフレーズは、某作品の「別れた妻にとてもよく似ている」には敵いませんが、それに類するほど情報量が濃いように思いました。 なぜ、「あなたと」なのだろう。というのも、「もう一度あなたとセックスしたい」以外の本文では、オーガズムの快楽について語ってはいるものの、その相手が特定的な「あなた」である必然性は見受けられないからです。つまり性の快感を「もう一度」味わいたいのなら「あなたと」ではなくても「もう一度セックスしたい」といえばいいだけではないかと。にもかかわらずそれが「あなたと」なのは、作中主体にとってセックスできる状況が限定されてしまっているからではないかと考えられます。たとえば結婚していて夫である「あなた」のほかに社会通念上セックスできる相手はいないのにセックスレスに陥っているか、それとも結婚しているがゆえに夫ではない昔の恋人である「あなた」ともう一度セックスしたいと望んでいるのか、あるいはセックスする相手が誰もいない状況下でかつての恋人を偲んでいるのか。いずれにせよ、冒頭で述べたように、情報量の濃いフレーズだなと感じます。 (もう一度あなたとセックスしたい)

2020-10-12

丁寧な抒情と評していただき光栄です。はじまりもおわりもなく、生も死も越えて羽ばたいていける境界を夢みていたように思います。 (夜に迷う)

2020-10-12

一陣の秋風を吹かせることができたなら幸甚でございます。 (夜に迷う)

2020-10-12

うーん、これは痛い。「通告書」というより「痛告書」です。自作自演的作品で悦に入るのは、ロマンチストではなくナルシストを証明しているのではないでしょうか。この痛さもエンタメとしてひっくるめて読むならおもしろい。ただ、"痛い"ことについて作者がどれほど意識的であるのかは疑問です。 とはいえ、私自身が"痛い"とおもわれる詩を書いていないと言えるわけではありませんし、この作品は自分自身を客観的にみれずに悦に入ることへの批判的な鏡像だと捉えることもできそうです。 (20201005通告書 (徒然なるままの妄想白書))

2020-10-12

ありがとうございます。短歌の詩型が、イメージをすっと入りこませる一助になっているのかもしれません。 (文月のわすれもの)

2020-10-12

やれやれ、しょうがないなあ、一票。 (8月36515日)

2020-10-10

乗物を性欲のメタファーと捉えるのはフロイト的ですが、この作品の場合、自転車というところが青春期までも包含しているかのようです。薄膜からはもうこれ以上わざわざ言明するひつようもなさそうなのであえて省略します。笑 (自転車に乗って)

2020-10-10

「ただひとつの空という造語をめざして」とは、秀逸ですね。人間によって造られる世界平和という観念を思わせます。現実には、人種や文化の差異による対立は鮮明になってきていますが。 無関心であることも、back space キーを押すことも、心理的な防衛本能ともいえそうで、辛い現実をみつめることなく暢気そうに生きている人がいてもしかたないんじゃないかと思うこともあります。ましてやどんなに猛威をふるうとしても自然現象や病原体を責めることはできないわけで。そんな誰に何を訴えることもできないけどやむにやまれぬ気持ち、それが作者にこの詩を書かせているのではないかという気がしました。 「きょうは晴れだったよ」という最後の一文が、無力感を表しているようで、なんとも侘しい。 (ふる ゆき の やまい)

2020-10-10

東京という大都市ほどの大きな穴が自らの体にあいてしまったという誇張法で表現された虚無感の妙味。 で、なんで東京なんや、大阪じゃあかんのか。 東京あるいはTOKYO、もしくはもっと遠くのニューヨークなどは、作者にとっては想像の内にしか存在しない大都市なのではないかという気がする。だからこそこのような詩の空想性と相性がよく、作者にとって身近な大阪ではおそらく現実感が先行してしまうのではないだろうか。 (8月36515日)

2020-10-10

「語る/語らない」といった表記に、複数の可能性が重ね合わせの状態にある量子力学的な連想をさせられました。 ブルトンの小説に出てくる「ナジャ」を思わせる、ふしぎな魅力を湛えた少女のイメージ。それが最終連では、どこか地母神を思わせる、普遍的な霊性にまでひろがっていくような印象です。 個としては失われたようにみえることがあっても、総体としては失われるわけではない、生命あふれるこの地球の母性を感じさせられるようでした。 (ワンス・ア・ディ)

2020-10-10

浄土の光景のようだなと感じました。微睡や、いつしか遠くなる心音は死を思わせ、睡蓮といったモチーフからも仏教的な薫りがします。最終連も涅槃へ至るかのよう。 ふしぎなのは「雑音」というタイトルで、私なりに解釈してみるならこれは、浄土を前にしてあらわになった自らの煩悩が雑音にきこえたのではないかという気がしました。 (雑音)

2020-10-09

家でセキセイインコを飼っていたころ、鳥籠から部屋に放してやると、手のとどかない高いところにとまって壁紙をぼろぼろと啄んだりしていたことを思い出しました。 小鳥が本のページごと言葉を啄む、そのイメージはなかなかおもしろいなと感じたのですが、詩としては文章が散文じみていて刺戟がたりなく、もっと鮮烈にえがくこともできたんじゃないかという気がしてなりません。 (読書する小鳥)

2020-10-08

投票が反映されていなかったみたいだから、もう一回するね。陰ながら応援しているよ。 ( ´∀`)b (ポラリス)

2020-10-08

中段の光景は、陽光に照らされていることに何故だろうと疑問をいだいたというよりも、いのちであったものがゴミ集積場に捨てられていたという事実そのものに疑問をいだいていたのではないかと察せられました。換喩的な言葉のずれが、説明的ではなく直観に訴えかける力を宿しているようです。 人生は短いものの、たった数回パイを焼いただけで必ず終わるほど大袈裟ではないように思えるのですが、主体は頑なにそうであると信じている、そこに生死を深刻にみつめる心情があらわれていると感じられます。 オーブンの熱では歓喜や悲哀はすこしも減らない、にもかかわらずパイを焼くのは、お菓子のパイが、あるいはパイをつくることそのものが、作中主体はきっと好きなのだという気がして、いのちの短さを考えると、そうした自らの好きなことをできるだけたくさんして生きていたいものだなと思わずにいられません。 (生きるためにパイを焼く)

2020-10-08

テーブルが生活の換喩であるなら、それに色を塗るもしくは塗り替えることはささやかな日常の更新を意図しているようで、素朴なあたらしさへの期待と行動に踏み出そうとするちょっとした大胆さ、そうした新鮮さをもとめる気分がグリーンという色にもあらわれているようです。 ストーブ、熱さのなかで《焼失》したであろうもののささやき。 冷蔵庫、冷たさのなかで《保存》されているであろうものの叫び。 失われたものと、失われずにいるものの、声にならないような声を聞き、そして、主体は誰に語りかけているのだろう。 前世よりも深い穴を掘るということが、墓を連想させながら、過去を越える結果を生涯に残そうとするかのような意欲を感じさせ、それらが先述の日常の更新とも重なるような気がしました。 (ミトコンドリア)

2020-10-08

いかにも幸せそうにしている私をこの子は見つけたと語っているけど、この言い回しは「私」がじつは幸せだというわけではないように思えたんですね。「この子」が「私」にとっての過去、「私」が「この子」にとっての未来を表していると捉えるなら、きっと幸せなはずだという未来のビジョンを信じられたから過去の自分は生きながらえることができたと読めるし、同時にそのビジョンが未来の本人からするとけっして幸せといえるものではないということをそこはかとなく表しているような気がしてなりませんでした。 いつもながらせいろんさんの作品は、短くて読み飛ばしてしまいそうになるけど複雑な心情がひめられていると感じます。 (未来の川岸)

2020-10-04

日常がつまらないからといってつまらない日常をただ報告するのは芸がないと思いませんか。日常がつまらないからこそどうにかちょっとでもおもしろくなれるように詩作したりそのほか創作活動してみたくなるのではないでしょうか。それがたとえ現実からの逃避や飛躍だとしても詩はそうした表現が許される文芸ですし、つまらない日常をただ報告されてもこちらもつまらないだけですから、つまらない日常からの帰結としての想像力に富んだ詩こそを私はぜひ読みたいのだと思わずにいられませんでした。 (つまらない日常)

2020-10-04

たとえば青と赤という相反する色であればどちらがテーゼでどちらがアンチテーゼにせよそのジンテーゼはまざりあった紫色がふさわしいように思い、ともするとこの「青色のジンテーゼ」の青色は比喩的たとえば地球と宇宙のあいだにある青空のことではないかという気がしました。  親しい友人のいない博士が  時に二本の坂道に渡した鉄橋を見て  心を慰めたりすることは  ますますその身体を地表から遠ざけただろうと思う  (彼は射殺される土星の子供たちが自分自身であることを恐れていた) この文が好きで、なぜ鉄橋を見て慰められるかというとそれが二つの地を結ぶ強固な構造物であり、親友のいない博士はその結ばれた関係性に憧憬を感じていたからではないかと思いました。 ギリシアのペンフレンドのように、遠く離れている対象への思慕。博士がロケットになることを期待していたのも、地球と宇宙という離れた距離を結ぶことに憧れているからではないでしょうか。 土星の子供たちとは、土星の環を形成している粒子群のことだろうかと思いました。ひいてはそのような社会的に微小な存在、16平米のアパートでありきたりになった憂鬱と同居しているイメージとも重なります。射殺や落下傘には、そうした人の命の脆さを見ているかのような。 気になったのが「M博士」という呼称。名前はあるけどイニシャルで呼んでいるとするならこの作品であえてそうする意図は不明瞭ですが、名前はあったけどもはや一つのアルファベットいわゆる一般的な記号と化しているのだと考えるなら、先述の土星の子供たちつまりは数ある微小な存在のうちの一つであることともつながる気がします。 (M博士)

2020-10-04

ところで『牢屋の虎』へのコメントがもう出来なくなってしまったので、ついでにここに記させていただきます。 戦争をおもわせる描写がおおいこともあって、「少女」と「慰め」という字がならんでいると、従軍慰安婦を連想させられました。 「海に散華」からは特攻を彷彿とさせられます。 慰安婦も特攻隊も、自らの身を犠牲にするという姿勢が共通しており、「虎」という字も頻出しているので、私はこの詩から「捨身飼虎」のイメージが思い浮かびました。 (嘘の石)

2020-10-04

 いともやすやすと夜光虫を  とらえたと思ったら  父だった このはじめの三行が幻想的で素敵です。まるで故人である父がちいさな虫に化身して帰ってきていたようではありませんか。それが夜光虫であることにも、魂のような淡い光りを感じさせられます。 そのあとの展開はわりと日常的、とばかりはいえないのですが、友達にお茶を飲ませたり花水木が紅葉していたり、牧歌的。 そんななかで「戦争が歌っているのだ」という一文が、一見平和な日常にも悲壮な影を忍ばせているかのようです。  声を出せない主婦が  私に手話で挑んできた 声という伝達手段を失っても手話でなにかを伝えようとする相手、それはたとえば戦時の社会の記録のように、すでに現世からは隔絶されていて声の届かない過去の人がそれでも現代人に無言でなにかを訴えかけてくることにも似ているような気がしました。それが冒頭の、故人がものいわぬ虫になって帰ってきたかのような印象とも重なります。  嘘の石が一つぐらいあってもいいと思った 幻想は、いってしまえば虚構であり嘘だといえるのかもしれない。でもそんな嘘=幻想がたまにはあってもいいと思う心境にさせる出来事があったのだと察せられる最終行。夜光虫をとらえたと思ったら父だった幻想がそうであるように。不思議とやさしい気持ちになりました。 (嘘の石)

2020-10-04

熱が冷めゆくとき想いは結露し涙となっておちるのだと、内にこもった情熱が瑞々しくつたわってくる詩。 過去の余熱をいとしくおもいながら、未来を冷徹にみつめようとしている、大人になるにはなっても不安のぬぐえない心境が感じられます。 一連目のニゲラの花の方位磁針が、最終連のリピートでは北極星にかわっている、イメージの重ね合わせも耽美的で好き。 ところで元気にしてるかい? 君の詩が読めると兄さんはうれしいよ。 (ポラリス)

2020-10-03

「殺」という強めな語をつかえば否が応でも殺伐とした印象をあたえられることをおもうと悪手というか表現としてちょっとずるいような気がします。しかしこの作品の魅力はべつにある感じがして、「殺」といったネガティブな語が陰影を、「雪」などのそれだけで美しい語が明るい発色をしている、言葉による絵画的な作品であるように見受けられました。 (違語)

2020-10-02

目を引いたのはセーラムライトという語、セーラームーンみたいで綺麗な語感だなと感じつつ、このような語をまったく不自然にならずに扱える詩書きさんもめずらしいのではないかと思いました。その一点が光っています。 それと「こちらは土砂降りです。 ゲリラ豪雨に注意して下さい。台風が迫ってます。」と「ですがデマも流れてるので注意して下さい。」のリフレインは、ざっと読んでも気づくほどに目立っていて、しかもそれが緊急情報的なはずなのに矛盾するかのような内容で、ギターロックでいえばマイナーコードをノイジーにかき鳴らしているかのような印象を受けました。 (覚めても醒めない雨)

2020-09-29

明け方まで夜通しゲームをしていた経験が私にもあるので、そのころを思い出しながら読ませてもらいました。 昼夜逆転した破滅的な生活、そんななかで差してくる朝の眩しい光や清々しい空気感とは対照的な虚無感、このままじゃいけないと思いつつもなかなか自分を変えられずに悶々とする堕地獄にいるかのような心境が、散文を通してひりひりと伝わってきます。 読んでいて気がついたのは、作中主体が自分自身の内側へ向ける視線。それは精神的な意味合いだけではなく。たとえば寝不足で重たくなった身体の感覚に、老廃物がドロドロと循環しているという思考が働くのは、医療系の知識をもっている方か健康志向の強い方じゃなければなかなか思い至らないのではないでしょうか。ほかにも尿の色に注目していたり、縮こまった筋肉を揉み解したり。「朝からインスタントラーメン」とジャンクフードを「朝から」食べることをわざわざ書いたりするのも、自らの身体に入れるもの即ち自らの健康に意識的である証左だと思うんですね。どんなに破滅的な生活を送っていても、自分自身をたいせつにする意識は深層で働いていたのだと感じます。善い意味での自己愛があればこそ、堕地獄のような状況からも脱却できるのではないかと思いました。 (外れた社会から)

2020-09-29

あ、ほんとだ!花鳥風月そろってますね。発見していただいてうれしいです。ありがとうございます。 (文月のわすれもの)

2020-09-29

「神は死んだ」という言葉はよく知られていますが、その出典元にあたるニーチェの著作『悦ばしき知識』の、狂気の人間が白昼に提灯をつけながら市場へ馳けてくるときの、これから不穏なことが起こりそうな都市の片隅の雰囲気をえがいたような作品に感じられました。 締めが些か性急に感じられます。意思と表象の世界はニーチェも影響を受けたショーペンハウアーの主著のタイトルですが、この強い印象をもたらす言葉が効果的につかわれているかというと疑問で、衒学趣味を匂わせるに留まってしまっている感も否めません。意思と表象としての世界について、表層的な言葉だけではなく、もしくはつかわずに、独自の見解を示してくれたらなと思いました。 (hhhhhhhhh)

2020-09-28

「マッチングアプリ」で始まるから、現代的な名詞をふんだんに用いたよくあるTHE現代ネット詩って感じの作品なのかなという予感がよぎったけど、そうでもなくて、読後感としてはとても真摯だなと。自分自身の気持ちを正直に見つめているところ、見つめすぎてこわれてしまうんじゃないかとさえ思わせる繊細さが、最果タヒさんにも通じるものを感じました。 「恋も性も愛ももういらなくなった」「結局、ひとは抱き合ったところで独りだもんね」、諦念とも解脱とも受け取れそうなそうした発想に、さとり世代というか、いまもっとも先進的な精神性が表れているように思います。ゆえに、物質主義社会とは相容れないこともあり、葛藤もある。 「HATEなハテナ」はこの詩のタイトルにもなっているフレーズだけど、この詩の魅力はそうした社会を映していることよりも、「あした、電車に乗って、知らない駅で降りて、そこで死に場所探して」という、ちいさな冒険にある気がしました。それが空想のうちであったとしても。「ただここにはとどまっていたくないよ」詩を書くこともまた、そのようなちいさな冒険のひとつだといえるのかもしれません。 混濁しているいまのこの世のなかで、放たれた一条の純粋な光線のような作品。 (HATEな(ハテナ))

2020-09-27

やあ。片想いの相手にはほかに想い人がいるのを知りながら、その相手をなるべく引き留めておきたいという気持ちが、婉曲的なのにわかりやすいほどわかるし、このまわりくどさがアメリカ文学を思わせ、作者のバックボーンが如実に表れていてほほえましい。 (待合室)

2020-09-24

わかるわー、いや、わかるわー。けっしてふざけてこのような感想を書いているわけではなく、しみじみと心から湧き上がってきた読後感であります。「布団の中は有限の宇宙が広がっているみたいだ。」なんて、ふだん思ってはいても社会人として言明することが憚れるようなことをずばり言ってもらったような心境です。 さいごの一文に句点がないのもにくい。終わらずに続いていく今朝、みたいな。 (ANOTHER MORNING)

2020-09-23

いわゆるインナーチャイルドのことを書かれているのだと思いました。もう忘れた、あるいは癒えたはずの過去が、ふと影をあらわすことが、私にもあります。その影のことだけではなく、現在は家事をしている日常の描写が、この作品を真に迫るものにしていると思われます。 (影が泣く)

2020-09-23

あまりに抽象に堕してしまっている気がします。俳句の基本の一つに写生がありますが、そのような俳句の精神をこの作品からは残念ながら感取できず、これでは自由律俳句というよりたんなる一行詩といっても差し支えないのではないでしょうか。私がお堅いのかもしれませんが。 (自由律俳句 202009-1)

2020-09-23

言葉を簡便に遣い過ぎてしまっているきらいがあります。たとえば生活の匂いの色にしても、カレーライスの匂いだったり洗剤の色だったりさまざまありますが、「生活」という味気ない言葉で一括りにしてしまうのは、せっかく詩を書いているのにもったいない。生活などを実感させてくれる多彩な言葉があるわけですから、それらを意識して拾ってくることでも、作品はより味わい深くなっていくはずです。  詩世界の幻が眼前に浮かび、 作者自身は詩世界の幻を視たのかもしれませんが、それがどんな光景なのか、読者にはまったくわからない。その詩世界の幻を、斯様な便利な言葉に頼らず、まさしく詩において現出させてほしかったと思わずにいられません。 (野原叙情)

2020-09-23

大理石の手触りにも似たひややかな読後感。 静謐な蛹、やがて羽化する、煩わしい声、変声期の少年のそれのような。 なぜかナルキッソスが思い浮かびます。つまり水鏡越しに、麗しい少年のころの自分自身を幻視しているかのよう。ひとおもいにやってくれ、という一言には、現実と幻想の落差をなきものにしたい衝動めいたものを感じます。 全体的に動きがなく、静けさが支配的、それがこの最終行で鋭利なナイフを差し出されるかのようでした。 (少年)

2020-09-21

言いたいことや伝えたいことをはっきり表現してしまっている詩もよく見受けられるなかで、この作品は、伝えたいことを言明しそうなところで寸止めしているような、そもそも伝えたいことはもしかしたらそれほどなかったりするかもしれませんが、だいじなことを言明しそうでしない、象徴的に示唆するにとどめているような印象はたしかにあって、それが作品の朗らかさを損なうことなく愉しい読後感をあたえてくれていると共に、あいまいなままにしている健気さというか、さっと吹いては去っていく爽やかな秋の風みたいな、すこしせつなくてあまやかなものを感じています。ものごとをはっきりさせてしまうことはかならずしもだいじではないのかもしれませんし、ふんわりとやわらかなものにつつまれるような、心地よい作品だと思いました。 (きりんのかそう)

2020-09-21

どなたも言及されていないのであえて云いますけど、これは二首の現代短歌ではないかと、文体のリズムから察せられました。 じつは、あまりに生々しくて好きにはなれない作品なのですが、これほど五感を刺戟する言葉をあつかえるのは、すごいと認めざるを得ません。 (不在)

2020-09-20

「塩分の血中濃度が下がっていく感覚」て、なかなか咄嗟には出てこないような形容ですが、医療系の知識ある方でしょうか、この一行が特徴的で目を引きますが、そのほかの表現については凡庸に過ぎないと思わざるを得ませんでした。また、だからこそこの一行が目立っているともいえます。 (まず、きれいな夏の花だったんだ)

2020-09-19

はじめまして。おそらくですけど、詩を書いてまだ日の浅い方ではないかと思いました。詩的、といった固定観念にはまりきった言葉しか作品に遣われておらず、かっちりと額に収めたような作風も相俟って、初々しげな緊張が感じられました。そこから出たくないんだともしも云われたらそれまでですが、このサイトには詩の固定観念を打ち破ろうとするような作品や、あるいは伝統的な言葉遣いや詩情をたいせつにする作品まで、幅広く投稿されていますから、感性や世界観を拡げるために渉猟してみるのもいいかと思います。きっと、詩に対する視野が啓かれるでしょうし、さらなる高みへと挑まれることを期待しています。 (鈍色の空)

2020-09-19

「脱」がキーになっているかのようで、脱衣所をはじめとして、ベルトの金具ばかのふりではずしてあげたり、知恵の輪というかハノイの輪を組み替える動作だったり、ここでふと脱構築がおもいうかぶ。脱色された色としての白のイメージ、白文、白いおなか、まっさらなものへの希求のような。さいごの、生まれた街へのささやかな厭悪、育ちはここから決めるという、先天的な環境から自由意志を以て脱していこうとするかのような表明。あるいは詩による脱構築。 詩を書こうとすると、どうしても言葉に気取りや飾り、それを修辞ともいうが、そうしたものが表れてくる。平易で素朴な言葉をつかおうとしても、それがかえって詩の修辞になっているようなことさえある。そもそも「詩」を「書こう」とすることそのものがある種の気取りなのかもしれない。そうしたことを否定したいわけではなく。 なにが云いたいのかというと、この作品における語彙は、とても真摯だということ。修辞がないわけではないのだけど、詩を詩らしく書こうとする気取りや飾り気がなく、あるいは詩を詩らしくない言葉や平易な言葉で書こうとする逆張りとしての気取りや飾り気もなく、作者自身にとってごく身近であたりまえの語彙によってまじめに自然体で書かれているのだと感じられる。たとえば漢文、ハリー・ポッター、高校球児くん、ハノイの輪、そうした作中のあらゆる語彙から作者像が帰納されてくる。それは「はてなようせい」という名や画像からそのキャラが演繹されるような仕方とは逆に。 ややもするとエキセントリックにみえるのは、エキセントリックであることがこの作者にとって自然体だからではないだろうか。 (はてなようせい)

2020-09-19

るるさんへ 詩的な感想をありがとうございます。 現実よりも想像の女性が、いちばん美しく感じられたりするかもしれませんね。「花妖」という言葉もあるように、花は美女のまぼろしをみせるのかもしれません。 (風の死)

2020-09-18

peace.pot.microdot さんへ 俳句は、ミニマムな詩行に奥深い世界をこめることのできる芸術ですね。一句ごとに独立してもいますが、こうして五句を編んだ甲斐がありました。ありがとうございます。 (風の死)

2020-09-18

この四行にきりとられている憂鬱な寝起きの状況は、私にも覚えがある気がします。そのタイトルが「今なら何でもないと思える朝のこと」で、かつての憂鬱をいまは脱したのか、それともそれがもはやあたりまえになってしまったのか、などと思わされますがここにこうして投稿されたということは、過去の憂鬱にけじめをつけられる心境であるのかなと察せられました。 (今なら何でもないと思える朝のこと)

2020-09-16

小説などにおけるエピグラフのようだなと思いました。次の頁から壮大な物語が始まっていきそうな。きわめて要約されている文章であり、これのみを以ては批評されるに値しないであろうというか、とてもえがききれないような物語ないし世界がこの文章の外によこたわっている気配がしてなりません。それはもしかしたら、人の一生あるいはうつし世そのものであるかもしれません。 (悟道)

2020-09-16

画像をうめつくす白い文字群のなかから、黒くうかびあがる「刺」という字。可視化されにくい心の痛みが伝わってくるかのようです。 (目覚めた┣月夜乃海花┳文字描き┫)

2020-09-13

無垢と官能が相反することなく、善悪の知識の実を食べるまえのイブのような、楽園らしさを感じました。ところで、実を食べたあと自分たちが裸でいることに恥ずかしさを覚えたアダムとイブは、いちじくの葉で腰を覆ったそうです。おもしろい符合ですね。 いいまつがいの「いちにく」は、ちにく(血肉)のような、なまなましさのある語感で、いちじくの実のイメージに似合っている気もしました。 (いちにく)

2020-09-13

 部屋に入った深夜、床にすわりこむ  あたらしい夜を探して路地をゆく 私はこの二つが好き。なぜかというと、こういう行動をしてしまう心境が、直接語られていなくても想像できて、それが余韻を残しているから。  月光に冴える、バルコニーの空き瓶 これは個人的には可もなく不可もなく。いい感じの雰囲気に酔わせてもらえるよう、でも、広がりがちょっと足りないかな。しいて云うなら、酒瓶を空けるまで呑んだ、その自らの所作を冷然とみつめているような。 全体的に真夜中にひとりでいるような雰囲気だから、最初と最後の対になってるみたいな二つは、ないほうがコンセプチュアルにまとまっていたかなと思いました。「嘘をつく」というとあたかも「君」と対峙しているようで、ひとりの真夜中感が薄れてしまうというか。たとえば「嘘をついた」といえば、その「君」とのことを酔いながら思い出しているような印象を受けたかもしれません。 (嘘つく、啄木鳥)

2020-09-12

田中修子さん 私も「狼の祭」および「豺獣を祭る」という季語を知ったときに同様の衝撃を受けました。狼が獣を屠り、それを祭るという。生命の残酷さと豊饒さが、凄惨なほどに朱い秋の夕焼けと重なりました。 こちらこそ素敵なコメントをどうもありがとうございます。 (かへりませう)

2020-09-12

せいろんさん そうですね、電話はどこにもつながっていなかったのかもしれませんし、つながっていてもそこに会話はなかったのかもしれません。だけどつながろうとすることに、一肌恋しさがあらわれているような、いまは亡き人もおなじように想うでしょうか。 (かへりませう)

2020-09-12

くおんさん ありがとうございます。その、うまく言えない感じ、わかります。たとえば一句目から「鬼の子の〜」と始まるわけですが、こどもの遊ぶ声だけきこえてそれが鬼の子だなんてわからない、でも鬼の子も遊んでいそうな、そのほうがよさそうな、そんな秋の夕暮れ。 (かへりませう)

2020-09-11

初読から感性に訴えかけてきた、好きな作品です。しかしなにが好いのか、うまく言葉にならない。そこで、とくにぐっときた詩行をきりとってみることから始めました。  獣だったころがもうあんなに遠く  もっとつよく 太古の魚に変化する前に  やわらかに、お別れの船のリボンのように  美しい結晶 それぞれに名があった女たちも  町人は待ち人で、永遠に到着を待っていて  あとには蜂蜜の空っぽの瓶がころがっている 離別、変化、喪失、虚無、といったイメージが抽象的にうかびあがってきました。それらは私にも経験あるもので、だからこそぐっときたのかもしれませんが、それよりもむしろ、安易な単語に帰すことはできない、耽美的な詩行にこそ惹かれたようです。 このような拙い感想では限定することのできない、そうすることが惜しいとさえ思える、夢幻の広がりがこの作品からは感じられます。 (獅子の町)

2020-09-10

ゆうおじさんは、本業か副業かわかりませんが、いわゆる「屑屋」だったのでしょう。屑屋は、江戸時代から循環型社会を支えていたエコロジカルな職業で、とくに専門技能は要らないことから、他の職には就けないような社会的底辺にある人たちにとっての受け皿にもなっていたようです。近現代において資源の再利用はますます重要な課題になり、リサイクル業も一般的になりましたが、その陰でかつての屑屋は廃れていきました。 それにしても、ゆうおじさんのマージナルな異質性や不可解性を異界と結びつけて読み解かれている原口さんの初めのコメントに、私は感銘を受けました。「詩」や「歌」も、現実の散文的な言葉とは異質な、異界あるいは幻想界に属する言葉といえるのではないでしょうか。吉本隆明も『詩魂の起源』という文章で、詩の発生と魂の発見を結びつけて考察しています。異質性や不可解性にこそ詩が宿るのではないか、ということを私は考えており、そうそう答えが出るものではありませんが、断定されないからこそ、そこに詩のイデアが在るのではないかとさえ思えます。つまりは、ゆうおじさんの存在そのもの、その異質性や不可解性こそが詩であり、主体であるそのころの少年もいまだ未知なる詩を無意識裡に感じとっていたのではないでしょうか。それが時をこえて言葉による詩として発現されるのは、種が撒かれればいずれは花が咲くこともあるように、必然性を宿していたといえるのかもしれません。そして、詩そのものであるゆうおじさんは、いまでも夜=無意識の世界を歩いているのでしょう。 詩の発生の根源的なものが、この作品にえがかれていることに秘められているかのようです。そしてそのことを引き出したのはやはり原口さんのコメントであり、作品とコメントが相まって詩の解釈が深まった好例を示しているといえます。 (夜を歩く)

2020-09-07

「蝉はもうじき全部死んでしまうだろう」というフレーズを強引にくりかえす。自らの死の予感を蝉に投影していると捉えることもできますが、この場合、あたかも死ぬのは蝉ばかりで、自分自身は死なないとでも思っているかのように聞こえます。ほんとうは人間だっていずれ死ぬ。そのことから目を背けるようにこの作中主体は「自分は」ではなく「蝉は〜」とうわ言のようにくりかえし、窮乏している事実から逃避するように「星は昨日と同じように美しく/明日も変わらず美しいことを予感させる」と観念的な美に酔っているのではないでしょうか。そこにエレジーを感じます。 (蝉はもうじき全部死んでしまうだろう)

2020-09-06

東山魁夷の絵画を連想させられます。そうでなくとも、絵画といった芸術作品から感化されて詩を書かれたとしたら、その所作には好感をいだきます。絵画に自己を投影し、魂をとりもどしたいと思うことにも。  荒れ狂う嵐の中、行き着く島のように。 この詩行で終わっていたほうが、ぐっと良かったかと思われます。そのあとの後半は、言ってしまえば作者の独白のようなものですから、あえて語らないままでいるほうが、まさしく絵画のように、作品に読者の自己を投影させる余地をもたせることができたのではないでしょうか。 (彷徨う白馬)

2020-09-04

30歳という年齢にあたかも人生の下り坂のような感慨をいだいている。ここからは下り坂しかないと思えるほどの人生の絶頂を20代で経験したことがほんとうにあるのか、なければ人生はいつまでも上り続けるしかないではありませんか。30歳という概念に伴う先入観につき従うことにはつまらない人生においても自らクリエイティブしようとする詩的な意気込みを全く感じられませんし、この作品も詩というよりは独白の域を出ていないように思われます。くそつまんねー既成概念や先入観に囚われず、自らの人生に、詩に、もっとクリエイティブに挑んでほしいと思わずにいられません。 (僕は30歳。)

2020-09-04

正仮名遣いで書くなら「あじさい」は「あぢさゐ」のほうが味わいがありますがそれだと読めない方もいたかもしれませんね。 夏、しかも猛暑だと題名にありながら、作中には外套を着た人が現れる。もしレインコートなら雨合羽のほうがふさわしい表記でしょうし。夏なのに冬の外套を着たまま、あるいは古風な装いのまま、というところに、すでにこの世ならざる人の気配を感じました。その姿はにわか雨と共に消え去っても印象に残り、記憶の彼方から声が聞こえてくるかのような。 (雨(猛暑))

2020-09-04

冒頭でいわゆるエントロピー増大について語っていたり、溜息というごくささやかなそれでいてプシュケーを連想させるそれが惑星の運行という宇宙大の現象に飛躍したり、万有引力の法則を恋愛に重ね合わせたり、ひも理論など、科学的なモチーフを連ねたにもかかわらず、最終行の手前で「宇宙のことはわからないけど」と宣う。ここにカタルシスがあるというか、どんな高邁な理論よりも「君」の「笑顔」こそが「平和」でありそれこそが至高なんだと、ここまでくると惚気を極限まで対照的に表現したすごい作品ではないかと思ってしまいました。 (アストロ・クワトレイン)

2020-09-03

始終動詞の連続。しかし動詞があるということは、その動作を行った主体が居るわけで、主体について直接にはなにも語らずに、動詞のみを用いて主体の存在とその心情を浮かび上がらせている、実験的な作品であると見受けられました。 (Adagio Danza)

2020-09-03

詩において改行の必然性が問われることがあるのですが、この詩は反対に、散文の必然性が問われていると思われます。ぱっと目は散文風でありながら、なんと、始終七五調で書かれているではありませんか。詩としてのイメージの飛躍もあるのですが、それがこの散文風な字面だと、かえって読みにくくさえ感じられてしまいます。おそらく改行詩として公開されていたら、印象もかなり違っていたのではないでしょうか。注目されていないことがもったいないのですが、実験的なことをされている作品だと思います。 (爛れた大地の片隅で)

2020-09-03

作中にたびたび現れる「15℃」は、15歳という年齢を暗示しているかのような、それでなくてもそうした青春のころをえがいている作品だと感じられました。 二行目で「懐かしのあの日」と安易にノスタルジーを指示されてしまうのは、これは無いほうがずっと奥ゆかしかったのではないかと思います。情景描写からも十分にノスタルジーに浸れる作品ですから。「マーガレットの手首支えさせて」や、「巨石がやってきて」など、随所の繊細でありながら大胆な修辞が見事です。 (築山へ去りし君)

2020-09-03

グーグルマップに代表される仮想現実世界に自らの理想を投影していることが、「アナログ世界の虚無」を対置させることで効果的に表現されていますね。 バーチャルないわば世界の縮図を見つめているつもりが、じつは現実世界を見つめ返されている、という転倒は幻想文学の香りがする魅力的なテーマです。  幸せと辛いのたった一画が  掌のしわの上で 現実での出来事がじつはすべてお釈迦様の掌の上でしかなかったという、有名な西遊記の教訓をこのフレーズから想起させられました。 と、作品にこめられているテーマには惹かれるものがありましたが、他の方も仰られているように平易で説明的だったので、テーマはいいとしても文章そのものからも魅了されるような奥深さがほしいと思いました。 (グーグルマップ)

2020-09-03

パリコレ創刊号さんへ そうですね、いくつかの句は、夏の盛んな光や熱とは対照的な、不気味なほどひっそりと静まりかえった建造物の暗さや冷ややかさを詠んでいました。 (風の死)

2020-09-01

一発芸的な投稿をされている脳筋インテリジェンス氏は題名とたった一行という作風ですが、これは同じく一発芸じみていながらその対極であるといえそうな過剰ぶり。 パフォーマンスのような作品であることはあきらかで、賛否はあるでしょうがそれについてあえて言明する必要があるのかと思ってしまうほど、このような一笑に付されてもおかしくない安易で大雑把な作品に、8月投稿作において現段階で圧倒的最多数のコメントが寄せられていることに驚きを覚えます。心をこめて書かれた詩は他にもたくさん投稿されているであろうに、コメントが少ないあるいは全くつかない作品もあるなかで、目立つ投稿をしたらこんなにも反応が集まるものなのかと。もちろんコメントが集まることがすべてではありませんし、感想を書きやすい作品と書きにくい作品はあるでしょうが、なんだかなあと、ちょっとしたやるせなさがあります。このままでいいのか、ビーレビユーザー諸氏。 かなり辛辣な意見になってしまいましたが、作品にコメントがつかないときの気持ちについて、作者氏も投稿される身ですから同感してもらえるであろうと思いました。もしかしたら、このコメントの盛況ぶりに作者氏も戸惑っていはしないでしょうか。ご自身にとっても他にもっと反応が寄せられてしかるべき自信作が過去にあったかもしれませんし。 (好き好き 大好き 愛してる)

2020-09-01

沙羅双樹や祇園精舎といった古風で高尚な和のモチーフと、パチンコという現代的で俗っぽい描写の対照が好いですね。 soy sauce に、私は血を連想しました。赤黒い液体にまみれて咲く沙羅双樹の花の白さ、業に染まらない清らかさのようなものを感じます。 文章もソリッドにキまっていますね。 (沙羅双樹in the soy sauce)

2020-08-29

渋谷を訪れる機会は少ないのですが、大都会のめくるめくような煌びやかさや賑やかさは、わたしにとっては不思議の国に迷い込んだみたいな気分にさせられます。 現代の寂しさを感じてもらえたようで、感謝です。 (アリスイントーキョー)

2020-08-27

巧く書けているとか書けていないとか、そうした批評を一切受けつけないであろう作品。作品と云うことさえ僭越ではないかと思われるほど。というのも、ここに顕れているのは、剥き出しの生き様そのもの。真に迫るエクリチュールを受けて、心は震えるしかない。 (『ふたたび殺戮の時代』のためのスケッチIII)

2020-08-27

このような不気味な作品をしっかりと読んでいただき、まことにありがとうございます。 恐怖感と、切なさや悲しみ、鬼気迫る雰囲気と、綺麗さ。さまざま感じ取ってもらえて、作者冥利に尽きます。 (禁忌の日)

2020-08-25

固有名詞の使い方について考えさせられます。というのも、「東急田園都市線溝の口」という固有名詞を省いて「駅の改札」から書き出したとしても、作品の主題は充分に読み取ることができるからです。しかしこの「東急田園都市線溝の口」がなければ、凡百の詩とこの詩を隔てる特異性がなくなってしまうのではないかと思われるほど、強力な印象を受けました。 スピッツの曲『さわって、変わって』の歌い出しは「天神駅の改札口で君のよれた笑顔」というものですが、これもやはり「天神駅」が臨場感を付与していると思われます。どこか通じるものを感じました。 (みとれる)

2020-08-24

最後の句は雰囲気を重視して締めてしまった感がありますね。日の照りつける白昼から、かなかなの鳴き声が聞こえる夕方まで、作中に時間の推移を感じさせてみたかったことが大きかったです。炎天下を歩いて、境内にたどりついたら、すでに夕方になっていた、というような。  蝉の鳴く墓地に一人の影も無し これは最後の句と同じ主題(というか原型になった句)で、こちらのほうが生と死の対照が際立っていますが、白昼の印象が強くて、作品を通しての時間の推移や物語性については平坦になってしまう気がしました。そのあたりの感覚は、読まれる方の好みにも依るかもしれません。 音楽作品にたとえるなら、単体で聴くには地味な曲も、アルバムに収められることでコンセプトと響きあい、絶妙な味わいが出ることがありますね。そこのところをもっと巧くできるように探求していきたいです。 (風の死)

2020-08-24

ごく平凡な、パパの日曜日、それが壮大で絢爛豪華な歴史世界へ妄想の深みにおちていく、その落差がおもしろいじゃありませんか。しかし最後には家族を慮ってちゃんと現実に戻ってくるとは、良識あるパパの鑑ですね。そこにはしがない現実からせめて妄想へ逃避したいパパの哀愁が滲み出ているかのようです。 (パパの日曜日)

2020-08-23

怖いのは、幽霊よりも、指を失くしてしまうほどの状況に思いを馳せたとき。ただそれだけではなく、人情味を感じられる描写が哀しみを誘います。 ところどころ壊れた文章は、壊れてしまった感情が表れているかのよう。 (「レイバン割る幽霊女」)

2020-08-23

冒頭、向かいの歩道という隔てられた遠景から、最も近景である自ら手を振るその指先へと、視点の移動が鮮やかだと感じました。 みんなが公園の砂場に沈む、ごく身近で安全であるはずのところに沈んでしまう、これは考えてみれば恐ろしいことで、しかも現実にいま起きていることではないかと思います。 ウェーブは、かならずしも水の波ではなく、電波であったりするかもしれませんが、距離についてかつてないほど意識的にならざるを得ないこの時代に、電波を介して伝わるなにかが乾いた心を潤すこともあるでしょうか。 (距離とウェーブ)

2020-08-23

雨の情景のなか、濡れた石ころが、そっと何かに語りかけている、少なくとも作中主体にはそう感じられた、その心情の繊細さが伝わってきます。 ただ、詩としては散文に近いようですね。改行しなくても文章の意図するところは伝わってくるでしょうし、もしかしたらそのほうが読みやすいかもしれません。本作の大半を占める雨の情景描写も、詩よりは小説向きな表現であるように思いました。 (Untitled)

2020-08-23

歌詞に近いのではないでしょうか。文末のほとんどを母音(u)でそろえていて、音韻を感じさせます。 ソーダの香水、といった表現には瑞々しさが表れているよう。 最後、花火を背後に、どうにもできない、「今」を抜け出す。タイトルの「花火は遠くに」という示唆的な語とも響きあい、青春の夏の夜を惜しむかのような印象を受けました。 (花火は遠くに)

2020-08-23

 あの遠雷に帽子をかぶせたい 遠雷と帽子という組み合わせがおもしろくて、この一行が詩を牽引していると思います。 遠雷、遠くから音だけを響かせてくる、ふれることのできないもの。帽子をかぶるのはふつうは人ですから、それを遠雷にかぶせることであたかも擬人化されるような、現象だったものが存在に変わるかのようです。 それは、遠く離れていて音沙汰を聞くことぐらいしかできない相手、別れてしまった人はもちろんですが、たとえばSNSでしか交流したことのない相手の人物像を、具象的に知りたいと想う気持ちにも似ているように感じられました。 その人と人の距離を想うとき、遠雷の響きが実感を伴って聞こえてきます。 (半径五メートルでしか生きられない)

2020-08-23

帆場さんへ 日傘の下のうすら笑みからは、白皙の美女が想起されて、それが白百合とかさなるのかもしれませんね。 ひとの気配があるようでいない、いないようでいそうな、夏のまぼろし。 (風の死)

2020-08-22

ryinx さんへ 云ってしまえば既視感があるということ、それは批判的な文脈で語られることが多いように見受けられるのですが、普遍性に基づいていると肯定的に捉えることもできるように思います。 そもそも俳句という形式そのものが伝統的ですからね。定型詩を再生産しているに過ぎないのかもしれませんが、同時に、俳句の感性は喪われてほしくないなと感じます。 なんとなくそう感じる、では済まさずに、なぜそう感じるのか、意識を研ぎ澄ませていきたいものです。 (風の死)

2020-08-19

前作『一定再見』と関連性のありそうな内容の作品ですね。 その前作のコメント欄で語っておられた「ぜひ月のない夜に紹興酒でも飲みながら、煙草でも燻らせながら、この詩を読んでみてください。」という発言がうまいなあと感じ入りました。都市の繁栄とその無常観、それが酒と煙草という刹那的な快楽と響き合います。  香しい港 という語には地名の「香港」を忍ばせているようで。 なにか云いたいことをぐっとこらえていて、でもおさえきれずに云ってしまっている、しかし核心までは云っていない、そんな楼閣の周りを廻っているかのような印象。と同時に、アクチュアリティーも感じられます。 (請你保重)

2020-08-19

 絶望はいつも東から  シルクハットを被って現れる 東といえば陽の昇る方角であり希望のほうが似合いそうですがそこからいつも現れるのは絶望だという、また、シルクハットといえば西洋の装いですがそれが東方から現れる、そうした倒錯的な印象をこの書き出しの二行から受けました。 死体の過去はまだ生きている体のはずで、そこに向かって飛び立つハゲワシ。目には見えないはずの、真昼の星。それらも倒錯を感じさせる表現。 君の背を見るのは、その君が主体のことを見てはいないということであり、そこに哀しみを覚えます。ピンクの像(性的な象徴でしょうか)が女の子を拐うようには、君を出し抜くことができない=追い越せないという無力感もまた。鬼ごっこの、なかなか摑まえられない鬼、解決させられない問題。 ここで先の倒錯に思いめぐらせたとき、それらはあるいは逆転、つまりはやり直しを望んでいたことの顕れなのかもしれません。もちろん、君との関係の。 (鬼ごっこ)

2020-08-19

私はとても痛々しく感じました。タイトルの「手首」から察するに、これは自傷のことを書いているんじゃないかと。利き手が右手なら、刃物で自ら傷つけるのは左手首で。 また、傷つけ傷つけられている両手を、それら身体の主である自分自身の意識からあたかも切り離すように擬人化させて俯瞰している主体の心境に思いめぐらせたとき、哀しさを覚えました。 (手首)

2020-08-19

見上げようにも見上げてはいけない、それを見上げることは、超感覚的な真理ともいうべきイデアを見つめようとすることに通じているかのよう。眩しい蛍光灯が、プラトンにおける洞窟の光源とのアナロジーを感じさせます。 人あるいは命は、音のようなものかもしれないと、私自身も考えたことがあります。楽器を奏でれば生まれる音、ひとときその存在を響かせ、いつかは消え入る音。宇宙的視野から人の命の短さについて思いを馳せてみればこそ。 と、深遠なテーマを扱っているように私には読めて、それを一つの作品として花咲かせることこそ詩ではないでしょうか。なので最後の一行で卑屈になる必要なんかまったくなくて、詩を書くことに自信をもっていいと思いました。 (わたしの無機的介錯)

2020-08-19

奥村うみさんへ かなかなの句はまさしく、「人おらず」というけどこの句を詠んでいるのは何者なのだろう、と主体の存在が曖昧に、あるいは情景と同化してしまったかのような。そこに自分もいるかのように感じてもらえて嬉しいです。 日傘をさすのはもちろん夏の日差しを避けるためで、その下のうすら笑みに、暑さと涼やかさを対比させていました。これがもし日傘ではなく雨傘だったらたしかに、うすら笑みから受ける印象も異なっていたかと思われます。 夏は光が眩しい反面、影の暗さも際立ち、そこに日常と隣り合わせの〈あなたの知らない世界〉が感じられるのかもしれませんね。 (風の死)

2020-08-15

入間ちかa.k.a.なぞみんさんへ 喧しい蝉の鳴き声にも表れている夏の儚くも旺盛な生命と、人のいない寂寞とした境内との対照性を詠んだ句、注目してくださりありがとうございます。 (風の死)

2020-08-15

羽田恭さんへ 私もネット上に書き込まれているような怖い話や不思議な体験が好きで、「洒落怖」とかよく見ていました。得体が知れないからこそ、興味を惹かれるのでしょうか。 詩も、意味は理解できないけど惹かれるということがありますね。怪談と詩は似ているところがあるのかもしれません。 (風の死)

2020-08-13

天使という宗教的あるいは超越的存在を、観測という科学的な見地から捕捉するような題名ですね。 作中の子供が神様の夢を見ることを、どうして知り得たのだろう。そこで先の題名に通じるものを感じました。 体言止めや、改行を工夫されていて、読んでいて独特なリズムがあります。ともがらと亡骸(なきがら)で韻が踏めますが、そこには韻以上の共通項がありそうな気もしました。 天への旅立ちを予感させつつ、悲壮感よりは幻想的な美しさに彩られた作品であると思います。 (八月の沖で、天使が観測されたわけ)

2020-08-11

蝉を詠った詩かなとも思いました。もちろん、生きとし生けるものすべてに通じる主題ではあるのですが、夏の早朝という描写からはとくに蝉を思わせます。 しっかし、朝の早朝っていうのはあきらかな重複表現で、これ、わざとやってるのかそうじゃないのか、わかりかねるようなところがこの作者さんの個性じゃないでしょうか。 (そういうことだぜ)

2020-08-11

世界は美しくないからせめて美しいうたをうたいたい、永遠なんてどこにもないからせめて永遠を願いたい、そんな人間らしさが迫ってくる作品でした。 世界が美しくないことを、永遠なんてないことを、直視できるとしたら、それはもはや人間を超えてしまった感覚の持主かもしれず、そのほうが現実離れしているといえるのかもしれません。 なので、迷いながらも、悶えながらも、人間らしさにあふれている、この作品に私は好感をいだきました。 (溺れたいたいいたいいたいってうたうたいはうたう、うたうたいは生きる)

2020-08-11

 胸に空いた穴を埋めてしまって という一行からはじまるのですが、はたしてこのような一行で済ませられるほどの胸の穴だったのでしょうか。この作品で語られている胸の穴を埋めたあとよりも、その胸の穴を埋めていったことのほうにより深刻な物語があったのではないでしょうか。 でも、すっかり埋めてしまったあとなので、もう淡白にしか思い出せないのかもしれませんが。 (私の追憶)

2020-08-11

 彼女はいつも耳飾りをしておらず、 という書き出し、あたかも耳飾りをしていることがふつうであるかのようで、そんなことはないはずだと思われるのですが、そうした常識の転倒をそれがあたりまえであるかのようにさりげなく読ませる手法はおもしろいなと感じています。 ちょっとありえないような役名や、リモートドラマといういまの時代になってから普及したはずの概念から、これはフィクションだと判りました。そうしたささやかな表現でフィクション性を表すのが効いていて、そうでもしなければややもするとこの記述は事実なのではないかと信じたくなってしまうほどの筆致は見事です。 作中の架空の作品の題名「夜すがら」が印象的でした。公開を断念してから再び日の目を見るまでの暗い期間を象徴しているかのようではありませんか。そして最後の「不安なとき、優しく抱きしめてくれました。」という台詞がまた響き合っていて、この作品のそうしたところから私は詩を感じます。 (ガラ、シャ)

2020-08-11

獣偏さんへ 原子爆弾という捉え方が鮮やかで、はっとさせられました。夏の俳句の死体が並んでいる、という感想も言い得て妙です。 俳句と怪談の情緒的な親和性を常々感じていて。風の死、あるいは風死すとは、風がまったく吹かなくて蒸し暑く感じられる様子を表した夏の季語です。そうした、じとっと脂汗をかくような、不気味な夏を切り取ってみました。 私も夏という季節には、眩しく旺盛な生命力と対照的に、死や亡んだものの影も濃くうかびあがる気がしています。 (風の死)

2020-08-09

ときに侮蔑しつつも、どこかにくめない。言語的に意思疎通の難しい、生まれ育った文化も違うであろう相手と、どうにかこうにかうまくやっていこうとする様子が伝わってきました。それは前作「中央公園より」にも通底している気がします。 (「C」)

2020-08-08

題名と本文の落差にあくどさを覚えつつも、気になって読んでしまった私はおそらく負けなのでしょう。題名のうんこ!!にうんこ!!と反復するようにるびを振っているところもあくどい、やだなあ。 同じ世界に居るはずなのにみんな違うものを見ている。——私の読後感はそのような印象。 冒頭での意思疎通の齟齬にはじまり、集合場所を勘違いする主人公や、黒川さんを見ているのに佐川さんは主人公を見ていたり、聞こえているのか聞こえていないのか会話が噛み合わない終盤、など。 「彼女の魅力がわかってんのは確実に僕一人なんだって確信したね。」この発言も他の人と主人公の感覚の差異を強調しているように捉えられました。 /舜舜さんが最近の「中央公園より」や「C」といった作品で、意思疎通のうまくいかない関係においてそれでも理解し合おうとすることを表現しているなら、この作品の主題はそれらの対極にあって、本来なら意思疎通ができるはずの関係における齟齬や差異について表現しているのではないでしょうか。 おそらく発電所のことであろう施設を「電気工場」と発言したり、高速道路に電流が走っていたり、この現実世界とは似ているけど違う、近未来かあるいはパラレルワールドでの話を読んでいるかのような心地。 さりげなく佐川さんが土を食べるのは、異常にみえて現実にやる人もいないわけではないようですが。 最後、黒川さんが飛ぶのは、不可思議で突飛でありながら、とても爽やかな余韻を醸し出していました。 かさかきとは瘡掻きでしょうか、甘酸っぱい青春にむず痒さを覚える作者の心情が伝わってくるかのようです。 題名と本文の差異、作中での認識や感覚の差異、作中世界と現実世界との差異、その他にも、この作品を読んだ者の感想の差異についても知りたいですね。 (直列つなぎ-┣うんこ!!┳うんこ!!┫-奥さんに会いに行くの変だよ。)

2020-08-08

あの人の分まで生きようとする最終連から、もったいないとは、夭折してしまった方へ向けた想いであるように感じられました。それが羨望なのは、現実に幻滅した者の心情が吐露されているようであり、また、夭折した有名人の人生が悉く美化されてしまうことに通じているようでもあります。まるでつかめないのは、その方がすでに実体をなくしているからでもあるのではないかと。 ところが、聖徳太子の十七条憲法の言葉を引用されていることから、これは職場を先に辞めてしまった方を想っているようにも読めました。 二連目の、夕焼けはオレンジ色〜のくだりは、さまざまなものごとにあてはめられる汎用性の高い比喩ですね。たとえば、結婚したといえば幸せの代名詞のようですが、幸せといえば必ずしも結婚することではないように。 この作品においては、言葉そのものの印象のほうがぐっと合っているのではないかと思います。夕焼けの斜陽と、フレッシュなオレンジ、そこに老いと若さの対称性が含意されているようにも感じられるのは気のせいでしょうか。 (もったいない)

2020-08-06

 「キリスト教の国が、日本のキリスト教徒を殺し、日本の教会を焼いた」 とあり、その出来事が話者の感情に強く訴えているのだと察せられますが、私からは些か疑問を感じてしまいます。相手がキリスト教徒でなければ殺してもいいのか、教会でなければ焼いてもいいのか。作者がどこまで意識的かどうかはわからないのですが、キリスト教と他を差別しているように受け取れてしまいます。キリスト教の国でもそうでなくても戦争は戦争だし、相手がキリスト教徒でもそうでなくても殺しは殺しだし、そこが教会でもそうでなくても破壊は破壊だし、キリスト教だからといって特別視しなくても、その行いになんら違いはないのではないでしょうか。故に、日本を爆撃した国がキリスト教国だったからといって、それがキリスト教の信仰に懐疑的になったり否定したりすることとは関係ないのではないかと私は考えます。 キリスト教でも虹は希望の象徴とされていますが、虹に実体はなく、遥か空に眺められるだけで、手に触れることさえできないもの。それでも人は、そうした実感し得ない形而上的なもの(=神)を潜在的な対象にして道徳観を拵えてきたのではないでしょうか。 なのでこの作品における「にじいろは、ただ綺麗なだけ」という言葉は、キリスト教、ひいては既存宗教へのアンチテーゼと捉えることができます。 と、小難しい長文になってしまって申し訳ないのですが、私がこの作品から最も感じたのは、素直さです。素直だからこそ、神を信じもすれば、懐疑的にもなる。矛盾が蔓延っているこの世界で、他でもなく、自らの感性や思考に素直でいること、そこになによりも生き様を感じられます。 (にじいろ、もぐもぐ)

2020-08-04

愚かな恋だった、そう思うに至ったのはなぜなのか、具体的にしろ抽象的にしろ、読者にもその愚かさがどんなものなのか感じられるように表現してほしかったなと思います。 もしかしたら、愚かな恋に心当たりのある人が読めば、「愚かな恋だった」という題目を聞くだけでその人なりの愚かな恋を思い浮かべたりするかもしれませんが、それは想像の余地を残すというよりは、たんに読者の想像力に頼りきった「あまえ」ではないでしょうか。 きっと、この作品を書いた作者には深い想いがあって、それはほんとうは、上辺の言葉だけで済ませられるほど安易な感情ではないはずです。もうすこし深く、自分の心の奥から、容易には言い表し難い、自分だけの言葉を掬い上げてきてほしいなと思わずにいられません。なかなか、たいへんですけどね。 (あの日から)

2020-08-03

16号、私にとってわりと身近な国道です。たいていの国道も同じようなものかもしれませんが、歩道に人はほとんど通らず、車の騒音にのまれて、歌を唄っても誰にも聞こえやしない。にもかかわらず歌いたくなるのは、歌う声を自分自身の耳で聞くことで、自らの存在を確かめたくなるからであるような気がしています。そうでもしなければ、世界から見放されてしまいそうなほどの孤独感。 この詩も、なにかを主張するというわけではなく、孤独者の日常の一コマごとを8ミリフィルムで撮影した前衛映画みたいな風合いで、ここに投稿して誰が読んでも読まなくてもいい、国道沿いでひとり歌を唄いたくなる心境に近いものがあったのではないかと思いました。 (暇な時にでも読めよ)

2020-08-03

ホウキといえば、それに乗って魔法使いが空を飛ぶとか。きわめて日常的な道具でありながら、これほど空想性を含意しているものもめずらしいのではないでしょうか。そのように本作も、日常と空想がかさなっているように感じられました。 (連れて)

2020-08-03

白と赤が印象的な作品。たとえば精液の白と膣の赤、その結びから新たな生命が生まれる。終点であり始点でもある、秘められた場所。 ——そのように読み解いたのですが、情景からは清々しい自然の気が感じられて、詩に万物照応(コレスポンダンス)を覚えました。 (終始点)

2020-08-03

さまざまな言葉を含ませていそうな題名がおもしろいですね。 無限or夢幻+幻覚+革命+迷路+論者よ ここまで読み取れました。 この掴みどころのない題名と、迷走した議論が交わされているかのような作品本文は、よく合っている気がします。断片的なフレーズも、なかなか示唆に富んでいると思いました。 (むげんかくめいろんじゃよ)

2020-08-03

 (こわくない、こわくない。   眠るのは明日までだ。) この二行が印象的でした。眠ることへの不安が、死へのおそれのアナロジーであるかのよう。そこに、永遠に近い時間を眠っているであろう化石のイメージが重なります。 一方、夜の闇にはトマトが匂い、その鮮烈さは生命を象徴しているようで、眠り=死へのおそれとの対照性を感じました。 (貝化石)

2020-07-30

 お読みいただきありがとうございます。  天の川に隔てられた彦星と織姫をイメージした視覚詩なのですが、安易だったでしょうか(笑)  かずやさんはおそらく可読性の高いシンプルな詩を好まれるのではないかと思います。これは視覚詩のアイデアありきで書いた詩でしたから、この詩形以外で投稿することはありえませんでした。  Re: の表記についてはあまり気が進まなかったのですけど、ここから先は相手からの返信であることを、レイアウトに障らない範囲で明示する必要性に迫られました。こうでもしなければ詩中主体が切り替わったことが曖昧になり、読み手が混乱してしまいかねませんから。  最後は短歌に読めましたか? 五七五のはずなのですけど、うーん、おかしいなー。 (眠れない夜をこえて)

2020-07-30

 お読みいただきありがとうございます。  七夕をモチーフにした視覚詩で、どのような感想をもらえるか未知でしたが、美しさを感じていただけたようで嬉しいです。清涼と熱、いい得て妙ですね。天の川の清涼感と、恋の詩の熱が伝わったとしたら本望です。ちなみに最後の詩形は短冊をイメージしていました。 (眠れない夜をこえて)

2020-07-30

最後に顕れる墓、それもただの墓ではなく、我が家の墓、そこから家系の重みが一身にのしかかってくるかのような、霊圧めいたものを覚えました。夏、呼ばれる。お盆らしい雰囲気が漂っていますね。 (夏、呼ばれる)

2020-07-28

まごころを感じられるメッセージへのお返事を考えているときは楽しいものですね。それで文章が長くなって、返信が遅くなってしまったり。あるいは、こころをこめて書いたメッセージの返信を待っているときのふわふわした気持ち。そうした〈遅れる〉ことの豊かさに、想いを馳せていました。 (ディレイド)

2020-07-27

この詩は、演劇動画を観たあとに読んでこそ味わいが増すように思います。生徒(おたまじゃくし)に対する先生(カエル)の目線で語られているのだと感じられて。 演劇動画は、画面が分割してあり、中心的に話していないときの役者の表情も愉しく、何回も観たくなる魅力がありました。 (カエルの誤ち)

2020-07-27

 そういえばさくらんぼを食べそびれたまま、夏が来ちゃうね。 この最後の言葉のためにそれまでの文章が書かれたといっても過言ではないくらい、叙情的かつ象徴的に極まっていますね。 (ぼーっとしたよとつぶやいたけど、今もそうしているよ)

2020-07-26

洒落たジャケットなど比喩だと思われる言葉が散見されて、そうした修辞を纏っているこの文章そのものは、裸になりきれているのだろうかという疑問をいだきました(ちょっといじわるかもしれません、すみません)。 とはいえ、(比喩ではない)裸の肉体でさえも形而上のイデアの表れであるのかもしれず、ここで語られているように絶対的な存在はやはり人間の五感では認識できないのかもしれません。 逆に、洒落たジャケットがあるからそれを着るための裸体があり(衣服がなければ裸という概念さえないはず)、お洒落を好む個人の嗜好性(形而上の観念)が顕になるともいえそうです。 余談ですが、哲学(philosophy) はまさしく知(sophia)を愛する(philo)ことですね。小林康夫さんという哲学者が仰っていたのですが、philosophy は logy とつかないから「学」ではない、だから本当は「哲学」と言っちゃいけない、ということでした。私はこの見解が好きです。 (愛―知、非―知)

2020-07-26

山頭火もいいですが、尾崎放哉もおすすめですよ。 自由律俳句は、端的に云えば、そこに直接語られてはいないイメージの広がりがあるかどうかが決め手ではないかと私は考えていて、その点でいえば〈正直になれない街を歩く〉に、反抗期の少年のささやかな不良性みたいなものを感じて好ましく思いました。 (お酒に溺れれば、山頭火になれるのなら。)

2020-07-26

よびなさんが仰ってる「格闘ゲーム」という感想には脱帽で、吠えたり燃えたり右左右とやったり、ほんとに格闘ゲームだな、と。 しかし私はこの作品から、孤独感を覚えました。それはかならずしも(ALONE-ALONE)とひとりほえているからではなくて、それこそ画面のなかの格闘ゲームに没頭しているかのような、孤独な遊びを感じたからです。変な詩だと思われるかもしれない、まともに読まれないかもしれない、にもかかわらずここにこうした奇天烈な作品を投稿したのは、読んだ人のなにかしらの反応を冷笑的だとしても期待して、ひいてはなんらかのコミュニケーションを暗に期待していたからではないか、そこに作者の孤独感がひねくれたかたちで露出しているように思えたのでした。それは『あいさつ-アイドル-ビーレビュー』にも通じるのですが。詩の愉快犯、とでもいえばいいでしょうか。 といっても衒学的な作者のことなので、私の読み解けていないところはあるかもしれませんけどね。笑 この感覚は鈴木志郎康のプアプア詩に似てるかも、と思ってちょっと読み返してみたら、違った。プアプア詩は過激で奇天烈ではあるけど、そのエネルギーはひたすら〈生命〉に突進している。安易に比べるわけにもいかないけど、なるみんのこの作品はエネルギーの方向性が散漫としているように感じられる。やはり冷笑的な遊びだからなんかなあ。 (【史上最長】-全裸パークに行ってみたwww)

2020-07-22

なるほど、土偶をテーマに書かれた詩なのですね。土偶は、特定の人物をモデルにしたというよりは、女性性そのもの、母性、あるいは地母神としての大地を象徴的に具現化した像ではないかと私は考えていました。そうした祭祀的な面も深く掘り下げてもらえたらよりおもしろかったかもしれないと思いますが、遥かな時を越えて現代に見いだされた土偶はその虚ろな目でなにを見るのか、興味深いことではありますね。 (偶像)

2020-07-20

刺激的な朝とはどんな状況だろう、刺激的な夜ならなんとなく思い浮かびますが、考えてみれば刺激的な朝というシチュエーションはなかなかないような気がして、それこそ感性を刺激されるフレーズでした。 自我のルオー化も、いいですね。自意識にアーティスティックな特別感をいだくようで。もしかしたらここは、ルオーでなくてもピカソでもマチスでもゴッホでも通用するのかもしれませんが、ルオーだからこそ絶妙な存在感が醸し出されている気がします。 背が伸びていくことは比喩的に、自我の増長だと捉えることもできますね。 ジョー、欧米人には珍しくないであろう名、ありふれていて、だからこそ透明だといえて、たとえばネットで検索をかけても「ジョー」という名だけでは目当てのジョーを捕獲することは難しいのではないでしょうか。ルオーがもはや特別な名であったこととは対照的で、ジョーという名は模糊としています。 特異である刺激的な朝の訪れをはじめとして、自らの特別感を意識する自我、それらとは裏腹に、無意識下では平凡こそを求めていたのかもしれない、そのように読み解いてみました。 (朝)

2020-07-20

三連目までがとくに、確かな詩情に胸を撃たれる思いです。 いつもの鳥のやさしい音が今日は誰かの世界が終わったかのように聞こえたり、現実逃避の類型は人の形をしていたり、みんなで鳥になってしりとりをしたら言葉が人にはわからないから永遠があるよ、といった発想の飛躍は詩以外のなにものでもないと感じられます。繊細な感受性をもっておられますね。 (酩酊)

2020-07-19

冒頭はなにか神経を昂らせる状況かな、次はなんらかの飛躍を志向するような場面、そして最終行の「あなたは好きです。」 告白かあ、と腑に落ちたところでタイトルに帰ると、「あの」は戸惑いながらも勇気を振り絞るときに出た声なのだと察せられました。 断片的な抽象が、最後に象を結ぶ好例ではないかと思います。 (あの)

2020-07-19

冒頭は三行に分けるよりも、断言的なこれは一行で言い切ってしまったほうがかっこよく極まっていたと思われます。 「し」は死あるいは詩でしょうか。いままで信じて疑わなかったものが揺らぐとき、たとえば死は怖ろしくて忌むべきものだという刷り込みが、ほんとうはそうではないかもしれない、それは花火のように打ち上げられるものなのかもしれない、といった思春期の少年らしい懐疑がよく表れている作品だと思いました。 (不信と夏)

2020-07-19

 やわらかな朝6時に イタイ イタイ 私が 無数に結ばれた私が もう1度カタチを宿す 夜=無意識下に溺れていた状態から、朝、まだ混濁しつつも徐々に現実の意識をとりもどしていく、あらためて自らを象っていく。他人、家族、社会、仕事、無数の関係性に繋がれ、知らずしらず生かされている、自分という存在をおもいだしていく。その、朝の明るみと共におとずれる、やわらかな痛み、覚醒。 (cut dead and more)

2020-07-19

とても短いながら、直截的には書かれていない、そこしれない感情の深さをひしと感じさせられました。 (ごめんね。)

2020-07-14

らびっとさんへ ちょっとした異界感を味わってもらえたらいいなと思っていました。引き込まれたと仰ってくれて、うれしいです。ありがとうございます。 (夕暮)

2020-07-14

あささんへ 感性が近いとしたら、とてもうれしいですね。ありがとうございます。 樹皮に手をあてると、なんとなく、樹のなかをながれる水の脈もつたわってくるような感じがして、それが自分のなかをながれる血の脈とかさなるようで、樹も人もおなじように生きているんだな、という感慨がわいてきます。それで、気持ちもかなさったのかもしれません。 (夕暮)

2020-07-14

そこまでわるい詩だとは思いませんでしたね。オルフェウス、あるいはイザナギとイザナミの、黄泉の国から帰還する神話をご存知でしょうか。愛する者を冥界から連れ戻そうとする際、けっして姿を見てはいけないという約束にもかかわらず振り返ってしまい、願いを叶えることはできなかったというもの。意識的か無意識かはわかりませんが、御作には神話の変奏を読み取れて、日の出に背を向けることに後ろめたさや衝動を覚えたのもそのことが関連しているのではないかと思わされました。ただ、始終明るさがあるのが、神話とは異なるところでしょうか。日の出、人生の新しい始まりを、〈君〉は見つめていたのかもしれません。 (日の出に背を向け)

2020-07-12

 言葉には果てがあるのが寂しくてぼくは小鳥が咥えしハモニカ 不覚にも、ここで感極まってしまいました。言葉には果て、たしかにあります。それは言葉がとどかなかったとき、言葉をつくしても心情を理解されなかったとき。 そんなときは、ほんとうに、奏でるしかないです、ささやかで、きれいな音色に想いを託して。 (雨粒)

2020-07-12

文章から、直観に訴えかけてくる微電流のようなもの感じていました。なにかあるぞ、と。これこそ、現代詩を読み解く醍醐味であるかもしれません。 雨雲を思うさま吹き飛ばして、というのは天候魔法によってなのかもしれませんが、比喩的に、暗鬱を晴らして、と願っているようにも読めます。これはまあ詩の書き出しとしてはわかりやすい。 二連目でゲームの世界に転生するわけですけど、「祝詞」なんですね、現実から去ってファンタジー世界へ転生することにたいして。ここに、現代人の病理を垣間見る思いがしました。 ゲームの世界観をもった言葉を詩に導入するのは目立つので、どうしてもそれに注目が集まりがちでしょうけど、その派手な表現に気をとられてしまっては、そこに顕れている心の闇深さを見落としてしまいかねません。というか、あたりまえになりすぎていて気づけないとも言えましょうか、仮想世界に没入することが。  「貴方たちがついてこようとしないからだ、よ。」 ついてこようとしないのは、「体」でもあるのかもしれません。  的になれよ。あたしの。  ((的にしてよ。貴女の。 ふつうに読めば攻撃魔法(他の魔法はすでにバイバイしちゃってるので)をかける標的のことと捉えられますけど、そこに情念を読み取れてしまいました。相互、なんですね。的になれよと言いながら、的にしてよと懇願する。それに「交わらぬ世界にいつまでも夢を見た、〜」というくだりが効果的でした。現実で叶わぬなら、せめて仮想世界の交流で、《経験値》(なんの経験値とはあえていいませんが)を積みたいと想うことに、きわめて現代性を覚えます。 (Cleanser)

2020-07-12

「歌」という字をながめていました。そこには「口」が二つ、「人」もいますね。歌は、人によって、口々につたわっていくものなのかもしれないな、と思いました。それがはじめは、ごく個人的な、だれかに捧げる恋歌だったとしても、愛をうたった和歌が千年以上もつたわるように。あるいは織女と牽牛という、ある恋人同士の物語が万人へ伝播し、そこに自らをかさねて、七夕に想いをめぐらすように。 (歌)

2020-07-12

泳ぎ上手でもなければそこまで辿り着けそうもない、沖合の澪標、だからこそ、いまは憶い出すことはあっても辿り着くことは難しくなった、郷愁とかさなるのかもしれません。 短詩が得意そうな書き手さん、  かつての私が揺れていて で終わっていても、シンプルでよかったかと思います。 (郷愁)

2020-07-12

黒髪が象徴的な作品ですが、純白の制服、色香に目覚める十代後半の夏、つまりは刹那の純真が含意されているのかもしれません。 文章表現への実直な意思が感じられました。 (夏の制服、純白の黒髪。)

2020-07-12

新しい詩作の境地を開かれましたね。もともとが歌であったせいか、たしかにリズミカルな印象です。しかし形式に合わせて書くと、音韻は整えやすいかもしれませんが、そこに詩としての言葉の必然性が問われることがあります。つまり音韻の調節のために余計な言葉を費やして冗長になっていたり、表現が凝っておらず安易になっていたり、など。ところが千才森さんのこの三作品は、無駄な言葉を感じさせられませんでした。平叙な言い回しはあるものの、それが余剰かといえばそうではなくて、限られた文章量で物語をスムースに読んでいけるように、うまく練られていると思いました。 『×× (ペケペケ)』がとくに好きですね。感情をかさねることができました。なぜだろう、作中のどこにも「雨」はえがかれていないはずなのに、しとしとふる雨がにあう詩だと思いました。それは登場人物の泣いていた感情のせいかもしれませんが。  帰れない 魚のようだと もしかしたら鳥でもよかったのに、ここで魚とされたことが効いたのかもしれません。雨がふりこめて、まるで水中のなかにいるかのようになってしまった情景を連想できたのかな。 雨の夜の街、レインコートに身をつつんだ者、それは人ではないあやかしが、慕っている人に逢いにいきたくて、人の世界にまぎれるためにした変装、みたいな想像をしてみました。 (リズム合わせ歌(100パーセント書き換えた替え歌) 3作品)

2020-07-12

みやびさんへ 面白かったと言ってもらえて、癒される思いです。なにかしら愉しんでもらえたなら、それで嬉しいです。ありがとうございます。 (夕暮)

2020-07-11

千才森さんへ 実験作にみえましたか。じつは、『いつのまにか』は2017年10月に、『夕暮』は2018年7月に書いた、過去作なんです。なのでどちらかといえば、これらの作品を投稿することのほうにより実験があったのだと思います。『いつのまにか』は詩にあまり詳しくない方にも親しんでもらえるように、『夕暮』は、千才森さんも「見る目、視点の置き方は凄く好き」と仰ってくれましたが、まさしく千才森さん受けを狙っていました。笑 独特な改行は、文末をより強く印象づけるための方法でした。くどく感じられたかもしれませんが、私としてはむしろ、文体を統一したかったですね。 「曖昧になる刻」というテーマしか汲み取ってもらえなかったようで惜しいのですが、この作品に私が秘めていたのは他にも、ともだちが減ってしまった(と、そのころ感じていた)想いだったんですね。それが、夕暮の神社にいたとき、わっと湧いてきて、この詩になったのでした。 (夕暮)

2020-07-10

光る比喩や表現が鏤められていて、とても良いなと感じました。自殺を考えることを健全な精神を持っていると言い切ってしまう感性も好みです。 ただ、文章に詰めの甘さが見受けられるのは惜しいです。一例として、8月が夏なのは一般的にあたりまえですから、これは表現の重複を削れますね。 断章的な作風ですけど、いつかまとまった小説も読んでみたいと思わされました。 (ピンクアディダス Pt.2)

2020-07-08

この作品の興いところは、骨折(と思われる)により受診する〈現実〉の場面をサンドイッチするように、〈幻想〉(だと私は直観しました)としての僧堂の場面がえがかれている構成だと思います。 村上春樹の長編小説『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』も、現実と幻想世界を交互に、アナロジーを含みながら話が進んでいく構成ですが、それに近い発想を感じました。 (#LIVES)

2020-07-08

生活のなかに顕れる四十億年前の海、現実のなかの幻想が、書き方として巧いなと感じました。 題名にもなっている『卓上の海』という主題は、作品半ばですでに書き切ってしまっている感があります。後半はその余剰、言い換えると間延びした宴のようなあそびがあるような。詩としてはこの半分ほどの内容でもソリッドに主題を訴えることはできるでしょうが、どこか物語的な後半の盛り上がりが、この作品の興さなのかもしれません。 最終行は、行動に飛躍感がありますね。ちょっと突飛な気はするけど、それがこの作品をピリッと締めているようにも感じられます。 (卓上の海)

2020-07-08

「雲は遠くから見るもんさ」この一言がなかなか秀逸な効果を出していると感じました。わたあめのようにふかふかしていそうな雲に、童心のころは誰しも夢見ることはあったでしょうが、雲のなかに入ってみれば霧とおなじで実体が掴めない、遠くから見ているときだけそこに理想を投影することができる。この作品における《君》も、まさしくそのように主人公の理想の投影であり、美しいけど実体を掴むことのできない、ふたしかな夢のような存在なのではないかと思いました。  まるでヴェルタースオリジナルのコマーシャルのような つまりは、フィクションの郷愁のように。  最後一個だけになった  サクマ式ドロップスの缶のように  カランと楽しげになるのです。 甘いけど、そこはかとなく虚ろな響きも感じられる、夢見のような作品でした。 (拝啓、イタズラ好きの君へ)

2020-07-07

すみません、最初のほうにも「雷鳴の」とあったことに気づきました。この言葉は思い切って削っていたほうが、詩としての奥深さが増していたと思われます。 (頭上に潜む革命の手)

2020-07-06

どの詩行からも、あるいは題名からも、泛かび上がる《雷》の鮮烈なイメージ、轟いていますね。惜しむらくは、最後のほうで「雷鳴の」と顕してしまったこと。この一言がなければ、「雷」という語を一切用いずに雷を表現した詩として、完璧だった。 (頭上に潜む革命の手)

2020-07-06

帆場さんへ こちらこそ、熱くなって言い過ぎてしまったようです。しかし、おたがいの美学について突き詰めて議論できたことは、有意義な経験になった気がします。というより、こうした経験から意義を汲み取っていこうとすることが大事なのかもしれませんね。ありがとうございました。 (化鳥のうた)

2020-07-06

的盧さんへ 古風なものがわりと好きなので、そうした感覚が伝わったのかなと思います。感想をありがとうございます。 (化鳥のうた)

2020-07-06

タイトルの「だだ!」はダダイズムを意識しているでしょうか。だだ!、っと想いを書き殴った作品に読めなくもありません。「希望あるいは生きがい」さえも虚無的に消費される現代社会そのものにダダイズムを観じてしまうことは、なんら不自然ではないと思います。どうせいずれは死ぬのなら、熱く生きたい、という内奥の想いを感じずにはいられませんでした。 (だだ!)

2020-07-05

帆場さんの仰る「美」は真実が伴っているのであり、いわゆる「綺麗」は真実が伴っていない上辺だけの飾りだということが解りました。明瞭に語っていただき、ありがとうございます。 そのうえで、作品の「真実」は作者にしか知り得ないものでしょう。なので読者の感じたままがその読者にとっての作品の「真実」であるともいえるわけで、帆場さんがこの詩から虚飾の「綺麗」さしか感じられなかったとしてもそれが主観的な「真実」であり、それを否定することはできません。 ただ、自らの知り得ないことにたいして真実ではなく虚飾でしかないと切り捨てるのは、横柄な判断であるといえなくはないでしょうか。 つまり共感できなかった、あるいは感情移入できなかった、理解できなかった、だから真実はないし、虚飾でしかない、そうした独断のもとにしか作品を鑑賞できないとしたら、想像力や感性の貧しさを覚えて淋しい気持ちなります。 (化鳥のうた)

2020-07-05

普段ならこのように作者様へ質疑をなげかけることはほとんどないのですが、ここのところ想うことがあり、不躾であると自覚しながらも質問させていただきました。有意義なレスポンスを、まことにありがとうございます。御作の読み方の幅が広がりました。 (2020年-詩人追放)

2020-07-03

エイクピアさんへ 直ぐには意味を捉えられない詩語、そこに疑問を覚えながら読まれることはとても自然なことだと思います。それらにこめた想いがないわけではありませんが、興味をいだいていろいろ思っていただけたなら、それだけでもうれしいです。ありがとうございます。 (化鳥のうた)

2020-07-03

きこりがなぜ、明るい日中ではなく、まだ日の昇らない夜にわざわざ木を伐らなければならないのでしょうか。 木を伐り倒すのを俟たずに、明るさに身を任せたくて走りだしていく、つまりその場を離れてしまっては、一本の木を伐り倒す目標も達成されていないのではないでしょうか。 そのうえで、この世界なぎ倒すからね、と云われても説得力が足りないのではないでしょうか。 これらはイメージの破綻を詩に活かしているというよりは、単純にイメージの連関がうまくいっていないように見受けられてしまいました。 ただ、象徴性に託したであろう作者の希望のようなものは伝わってきます。 (きこり)

2020-07-02

宮沢賢治の『手紙』が念頭になければ正しく読めないとしたら、それは読み手を考えている作品といえるのでしょうか。そもそも作品は読み手を考えなければいけないのでしょうか。深く読み解かなくても、あるいは読み解きが作者の思惑とは異なっていたとしても、その文章表現に惹かれた方もおられるでしょうし、そうした表現を読み手が思い思いに愉しむだけでは不足でしょうか。 以上、この場に資する文学的に価値ある応答を期待して、質疑を述べさせていただきました。 (2020年-詩人追放)

2020-07-02

帆場さんの「綺麗な細工ではあると思うのですが、それから伝わる美や実感がなかった」という発言には些か違和感を覚えたのですが、そう仰られるからには、「綺麗」と「美」は異なるものだという観念をもっていらっしゃるのでしょう。「感傷を美麗字句で飾ってしまったように感じます」とも仰っていますが、この発言に含まれている「美麗」もおそらく帆場さんの仰る「美」とは異なるものなのでしょうね。しかしそうした観念の差異を客観的に明確化されない限りは、どんな批評も主観的な意見に留まってしまうのではないかと思われます。 『ハルピュイア』について興味をもっていただき、感謝しています。あの作品は詩友との連詩によって書かれたもので、それこそ詩語の「綺麗」さや「美」を主眼にしており、そこに感傷的な想いをこめていなかったわけではありませんが、言葉の意味よりもシュルレアリスティックな連想を愉しんでいました。そうした観点からすれば、『ハルピュイア』も『化鳥のうた』も、真意が解らなくても耽美的な言葉やイメージを愉しんでもらえたらいいという、同系統の詩であるといえます。もちろん愉しんでもらえなかったとしたら、感性や価値観が異なるのでしょうし、それはそれで仕方ないのでしょう。 (化鳥のうた)

2020-07-02

〈言葉〉としての買春や青春といった語への素朴な疑問、この着眼点にまず惹かれました。詩や文章を書く人ならとくに、〈言葉〉そのものに繊細な感覚をいだいて然りだと思われます。しかしそうした言語の考察のみで終わるわけではなく、「じゃあ、年老いた春は何色だと思う」といった、たとえばまだ年齢的に経験していない晩年の恋などに思いを馳せるかのような人生への想像力が、この作品をより味わい深くしています。 そして終盤の、偉人の死後に手紙や日記が本におさめられて値段が決めて売られることについて、私たちが後世に残したいと思うものを存続させることへ賛同する意思表示としてお金を支払うという考え方には好感をいだきました。寺山修司は「死んだ人はみんなことばになるのだ」と云ったそうです。もちろん亡き本人がどう思っているかは知る由もありませんが、〈ことば〉や作品として死後も存在することができたら、とくにクリエイターは冥利につきるのではないかと思われます。すくなくとも自分だったらうれしいです。 その、人の存在証明という深遠な主題へ、講義への出席といったわりと身近なモチーフから展開されていくことに、この作品の醍醐味があるのではないでしょうか。思想というと小難しいですけど、それを編み上げるやわらかで読みやすい文体には、手練れた力量を感じます。 (しゅっせき)

2020-06-30

 病室のカーテンを開けたら、  ちゃんと雨がふっていた 外界のあたりまえの自然現象を、あたりまえには感じない、主体の鎖された心境と感受性の高さが伝わってきて、平叙でありながら沁みる文章です。 感情を顕すことが鈍くなってしまえば、放恣な感情にまかせて泣いているような雨には、自らの心象を代弁してくれているような感慨を覚えることもあるかもしれない、などとも思いました。 (以上でも、以下でもない)

2020-06-30

宮沢賢治の『アメニモマケズ』は、作品というよりはメモ書きだったそうで、賢治は法華経に傾倒していたこともあり、そのアメニモマケズのメモ書きには「南無妙法蓮華経」とも書かれていたそうです。宗教性もありますし、教科書など一般の目にふれるときは削除されていたのではないかと察せられます。「ナムサダルマプフンダリカサスートラ」は、南無妙法蓮華経のサンスクリット語の音訳ですね。 賢治の有名な『アメニモマケズ』だって、もとはメモ書きなんだから、詩を書こうとしなくたって詩は生まれるんだと、それなら詩人なんて肩書きはやめちまえ、と、いわゆる〈詩人〉を揶揄しているように感じられてしまいました。 冒頭は、下駄箱から靴が盗られていたというような、いじめを受けている小学生を思い浮かべました。そこで『アメニモマケズ』の精神とも重なる思いがしますが、豚が人間を食う、主体の鬱屈した心理から表出したかのような夢が不気味で、一筋縄ではいかない読後感。 感情移入するというよりは、宮沢賢治に関する衒学的な要素のほうが強く感じられましたが、夢想的な描写と骨太な筆致には、引き込まれるものがあります。 (2020年-詩人追放)

2020-06-29

ABさんへ まさしく、異界へ入り、そこから出る、というような意味合いで、始めとまったく同じ詩行を終わりに反復していました。行きはよいよい帰りは〜ではありませんけど、同じ踏切を渡ることにも、始めと終わりで感じ方が異なっていたとしたら、本望です。 (夕暮)

2020-06-27

あんさんへ ほんとに、タイトルをもっと創意工夫できたらいいなと思っていたのですけど、いじってもかえって安っぽくなってしまうようで、それに『夕暮』という語にはもともと深い含意性がありますから、これはこれで合っているのかもしれないと落着しました。 (夕暮)

2020-06-27

横山はもさんへ その二行は、ものの境界が曖昧になる感とあやかし感をより醸し出したくて思いついたのでした。それが功を奏したようで、幸いです。 (夕暮)

2020-06-27

ありがとねー。 (めかりどき)

2020-06-27

人の気持ちもわかろうとしないで、なんて言う人自身も人の気持ちをわかろうとしていなかったり、そもそも気持ちをわかってほしいのかどうなのか、そんな人たちばかりが集まっている中央公園という場、そこにはソーシャル以前の根本的なディスタンスがあるように思います。けど、わかるとかわからないとか、そんなのべつにいいから、集まったもん同士で笑いあおうぜ、なんていうハッピーなメッセージがこめられているように感じられました。それはなにも、中央公園のことに限ったわけじゃあなく。 (「中央公園より」)

2020-06-27

帆場さんへ はじめに断っておきたいのですが、泉鏡花『化鳥』の感想としての詩ではありません。大変失礼にあたるかもしれないのですけど、あくまでお借りしたに過ぎず。それでもこの詩を機に、泉鏡花の作品を読み返していただけたなら、とても嬉しいです。詩に書くことで、化鳥に興味をもってくれる方がいたらいいな、とも思っていましたから。 ではなぜ化鳥にこだわっていたのかというと、(ほんとうは胸に秘めておきたく、語ればすべて明かしてしまうようで気は引けますが、ここまで強く追求されてしまえば致し方ないでしょう)これは以前、『ハルピュイア』という詩を共作した方を偲んで書いた詩だからでした。ハルピュイア、鳥と人のあわさったような幻想的な存在、それは共作であることをも象徴しているようで、なおかつ慕っている羽の生えた女性というモチーフが泉鏡花の化鳥とかさなったわけです。といってもこれらは詩に託したごく個人的な想いですから、読まれる方には関係ないといっても過言ではなく、感情が動かされなかったとしても仕方のないことで、ただ音信不通になってしまった詩友に届いてくれたらと、まさしく折鶴に祈りを託すような想いで投稿した次第です。 また、感情を動かされることだけが詩の良し悪しを量る基準だとは思っておりません。千才森さんへのお返事とも重複しますが、真意は解らずとも、そこになにかしらの美を感じてもらえたら、この詩はそれでいいと思っていました。 参考までに。 『ハルピュイア』( https://www.breview.org/keijiban/?id=3338 ) (化鳥のうた)

2020-06-26

「忙」しいという字は「心」を「亡」くすという成り立ちだといわれますが、仕事と生活に追われて心を亡くしてしまいそうな日々の合間に美容室でかけたパーマ、ささやかな変化、ささやかなお洒落、その髪が乱れたときに気づいた、自分にもたいせつにしているものがあったのだという感情、髪は女の命ともいわれますけど、心をまったく亡くしていたわけではなかったのだと知ってちょっとうれしくなった、そうした心の機微がつよく印象に残る、すてきな詩です。 (わたしの髪は生きているのかもしれない)

2020-06-26

千才森さんへ 正直な感想をありがとうございます。 これらの言葉に関する色や味をほとんど持っていない、というのはさもありなんと思います。なぜならタイトルにもなっている『化鳥』は、泉鏡花の作品からお借りしていて、おそらく作品を知らない方からしたら、なんのことかわからないはずなんですね。他にも、アメジストが砕けた夢をみたことがある方なんてほとんどいないんじゃないかと。だから、これらのイメージに共感できる方は少ないはずです。 『音のない町』は、誰しもいつかどこかでみたことのありそうな景色、雨のちいさな町をえがいていましたから、まず共感しやすくて、作品の世界に入りやすかったのだと思います。 このまえも千才森さんに話しましたけど、真意が解らなくても感じられるものがあるのが私にとっての詩の一つの理想で、綺麗な印象を受けてくれたなら、それだけでも嬉しいです。 * 言葉遣いは難しくないけど、読み解こうとしたら難解な詩。解説がなければ読めない作品は優れているとはいえないと批判もあるでしょうが、絵画を鑑賞したとき解説を読んでその奥深さを識るように、詩を読み解く愉しさもあると思うので、本作についても少し語ってみたいと思います。 千才森さんの気になっていた最後について。 ありあけの月は、朝日が昇ってもまだ空にある月のことで、本来なら出会うことのないもの同士の逢瀬をその光景に託していました。 金星は、明けの明星ともいわれ、これはのちに悪魔に堕ちた大天使ルシフェルの異名でもあり、先のありあけの月とあわせて、麗しい関係性のなかにもある過失=汚点といったものを表現していました。 化鳥は、泉鏡花の同名の小説に出てくる羽の生えた美しい女性で、主人公の男の子は幼いときに命を助けられてからその幻想的な女性のことを忘れられず、いつかまた逢いたいと願っていました。幻の女性像、といった意味合いでしょうか。えがいてはきえるのは、裏をかえせば、きえてはえがくともいえるわけで、人は恋にやぶれてもまた何度でも恋をしてしまうものなのかもしれません。 とまあ、いろいろ詰め込んであるわけなのですけど、初読でイメージに興味をもってもらえなければ伝わるものも伝わらないのは、惜しいことでもありますね。 詩は、実際に読む時間は短いかもしれませんが、読み解こうとしたら、ある短編小説かそれ以上に時間がかかることもありそうです。その時間を好ましく愉しいと感じらるかどうか、あるいは読者にそう感じさせてあげられるかどうかが肝心なのかもしれないな、と思いました。 (化鳥のうた)

2020-06-24

古ノ蓮さん、ご返信ありがとうございます。 私は空想を否定していたわけではなくて、実感が伴っていないことを批評したんですね。どんなフィクション作品でも、鑑賞していてそこに実感がなければ、空々しく感じられはしないでしょうか。むしろ空想だからこそ、そこに説得力をもたせるために、実感のある描写が重要ではないかとさえ思います。それにどちらかといえば私も空想が好きだったりします。 小説の原石を生む、とてもステキだなと感じます。これからも作品を愉しみにしていますね。 (チューベローズ)

2020-06-21

このお話の発想は好きです。その上で、獏と再会できた起因や経緯を、明示的には語らないとしてもせめて想像をひろげてくれるような示唆がほしかったですね。 四コマ漫画、というには起承転結が薄いですが、本文を要約したみたいで味わいのある、こうした吹き出し付きのコマ割り画像の投稿は史上初ではないかと思われます。 (僕の獏、獏の僕)

2020-06-21

詩が読まれないことへの問題提起を内容にした作品が話題になっているいまこのときに、なんとも挑戦的なタイトル(おそるおそる、足を踏み入れてみる) で、読み始めてみると、なぜかゲーム配信の話で、くらりと幻惑されます(しまった! 千才の森のトラップにかかった!) ひょんなことから始まる、みんなでポエムつつきのコーナー(てごわいやつが姿をあらわしたぞ) まさかの缶コーヒーの欠伸へのツッコミ(笑) 森っち、いや、千才森さんの『裏庭に居ます』は、緑陰の風情を感じられるので、きれいな声で朗読されたら、たしかに癒されそうです。ヒーリング音楽とも相性がよさそう(魔法によりステータスねむり状態へ・・・ 千才の森の攻略失敗!) この作品と題材がちょっと似ている花緒さんのあの作品は、内容もコメント欄もなかなか辛辣だったので、今度は読者を愉しませたい、という千才森さんの明るい気持ちが感じられましたよ。詩の問題を小難しく考えるよりも、考えてもいいのかもしれませんが、どちらかといえばおもしろがることがこの作品には相応しいのかなと思って、私も愉しみながらコメントしてみました。笑 花緒さんの作品からの文脈で捉えることはできますけど、別物として愉しんでくれる方が多ければいいなと思います(千才の森をいつか攻略できるように、ここでコンティニューボタンを押す) (詩を知らない人になるべく批判されないよう強制的に読ませて考えさせ一緒に楽しむ1つの答え。金を積んで依頼する編。)

2020-06-21

暗殺術に手を出した幼女がどうみてもフィクションで、他の二人は実際にいないこともないかもしれませんが、醜い世の中とはいっても、ここにえがかれているのは現実というより空想なのではないでしょうか。実感を伴わない、たんなる観念の遊戯に留まってしまっている作品だと思います。前作がよかったのは、象徴性に実感が宿っていたからでした。 (チューベローズ)

2020-06-20

歯のある膣をもつといわれる伝説上の存在、この作品にえがかれているそれはイソギンチャクを思わせる。たとえばモンスター図鑑に挿絵と共に載っていたら映えそうな、ヴァギナ・デンタータについて書かれた詩。はたして、書かれていることは、ほんとうにそれだけだろうか? 感じたのは、虚無。破滅的に貪り喰うそのさまは、自由に愉悦的であるといわれても、まるでなんら感情を伴っていないかのように淡々としている。 ことの間 ずっと深海のことを考えている 喜びも悲しみも、罪悪感さえもないかのように。あるのは、屠った跡に、引いていく血の赤。この作品の無気味なニヒリズムは、欲望に衝き動かされる人間の暗部を照射しているかのようです。 (ヴァギナ・デンタータ)

2020-06-19

天使のコーヒーは、飲み干したらそこでおわりかもしれない、永遠の雨なら、相手といつまでもこのカフェにいられるかもしれない、なんてことを思いました。しかし、雨はいつかあがってしまうように、ほんとうは永遠に一緒にいることなどできないのだとわかっていて、だからこそいまこのとき雨のコーヒーに、こころのなかの永遠の天使に、悲しい願いを託したくなったのではないでしょうか。お洒落な作品ですね。 (angel coffee? eternal rain?)

2020-06-18

過去をふりかえるとき、現在の境遇と比べて過去の思い出が善ければ善いほど、現在の悲しみも深くなる、それを病と名づけているのだと読むことができました。「善い」というのは、道徳的に優れていることですから、この作中主体は現在は悪に手を染めてしまったのだと解釈できます。その道徳的な負い目を感じられている限り、人間性は失われてはいないといえるのでしょうね。 ところで、ボードレールの詩集『悪の華』の原題『Les Fleurs du mal』は、訳すなら『病める花』としたほうがニュアンスとしては正しい、という見解を読んだことがあります。そこに御作との対照性を感じたのは、偶然でしょうか。 (病の花)

2020-06-18

ピンクフロイドの『狂気』のようにどこまでも広がる青い空、 個人的に、この表現が好きです。かのアルバムアートワークにはなじみがありますが、はてしない青空にどこか狂おしさを覚えるようなときもたしかにあって。 ただ、全体的に、だらだらと語ってしまっていて、冗長の感が否めません。それが単調に繰り返される日常の倦怠感を表しているともいえますし、だからこそ先の表現が光っているともいえるかもしれませんが、詩としてはやはり、もっと研ぎ澄まされたクオリティが欲しいところです。 (蒼鉛色の街)

2020-06-17

フランス文学を読んでいると目にすることのあるサンチーム、たしか通貨の単位ですね。小説などにえがかれているパリでの生活のような、優雅な人生を夢見ていたけれど、現実はそうはいかなかったのかもしれないなと感じられました。 四色の意思表示は、喜怒哀楽の感情でしょうか。 書物と人生をかさねている主題が、わかりやすくきれいにまとまっている作品だと思います。 (サンチームっていくら)

2020-06-17

お誕生日おめでとう。 あらためて気づかされましたけど、同じ月日でもその年ごとに曜日は変わるんですね。本作も、幼いころから今までの誕生日のことを日記調に書かれているのかなと感じました。幻覚的なのに生々しいところが、おもしろい。あえてちょっと変わった角度からこの作品を捉えてみるなら、月曜日から日曜日まで、つまり毎日が新しい自分の誕生日であり得るのだ、と云っているようにも思えました。夢うつつさんに、syrup 16g の名曲『Reborn』を贈りたいです。 (うちで踊ろう)

2020-06-16

タイトルが伏線になっていて、マスクが素顔を覆うように主人公も本心を明かさず、海につきあおうとするところがにくい。最終行で、浮かれる俺は一人だけ潮の香を嗅ぐ、と新しい恋愛を期待している様子が伝わってくる。片想いという意見もありますが、海に誘いかけてきたのは相手の女性ですから、もしかしたら相手にもその気があるのでは、と思ってしまいますね。都会に降る雨はそれほど澄んではいないかもしれないけど、人間らしさがあるようで、そこに心情が重ね合わされているような印象の深さもありました。奥ゆかしさのある作品です。 (マスクの中で溺れている)

2020-06-15

この作品を詩にしている決め手は、最終連にあると思います。写実だけで終わるのではなく、そこに生き様が表れている。有為転変の世の中にあっては、行雲流水のこころでいるほうが理に適っているのかもしれません。爽やかな沢の風が吹いてくるようです。 おそらく、この詩投稿サイトに対しても、愛着はあっても執着はしない、という姿勢で作者は向き合っているのではないでしょうか。 (緑の石橋)

2020-06-14

とてもドラマチックな朗読でした。文章以上に、発せられる声の抑揚から、物語性を強く感じられます。 (ママンへ(音声版))

2020-06-14

冒頭の、餅と幣の白いアナロジーが幻想的ですね。 迅奈良とは、何者なのだろう。おっちゃんで、毒の棘があり、神憑り、人と妖怪のあいだのような存在なのだろうかと思わされました。描写が少ないのは、それが登場人物たちにとってあまりに身近な存在だからわざわざ語るまでもないのかもしれないとも考えましたが、本作の核になっている存在ですから迅奈良についてもっと知りたかったです。しかし、こんなに情報量が少ないにもかかわらず、この存在感の大きさはなんなのでしょう。これはこれで、曖昧な描写から読者に好きに想像してもらうのもいいのかもしれません。 (迅奈良と幣 (じんなら と ぬさ))

2020-06-14

帆場さんへ 最近はわりと難解な詩をよく書いていた気がするので、あえて思いっきりわかりやすい詩を投稿してみました。 狙いとしては、詩にそれほど詳しくない方や、詩をあまり読んだことのない方に愉しんでもらえるように、でした。なので、帆場さんから一番にコメントをいただいたのは、ちょっと意外です。 ご指摘の最終連は、たしかに作者自ら結論づけてしまっていますね。ただ、本作の主眼はわかりやすさに徹することでしたから、最終連は正直な落とし所ではあります。メッセージ性の高さからいえば、詩よりも恋文に近いかもしれません。 はじめから読者に解釈を託すつもりなら、本心をきわめて韜晦させている『きのうとあしたのおどり場で』や『化鳥のうた』のような詩を書いていたことでしょう。 ところで、本作は匿名で投稿するつもりだったのですが、うっかりしていました。なにげに気恥ずかしいです。笑 (いつのまにか)

2020-06-12

自然の光景のなかに仏性を観じるその心に好感をいだきました。 短い詩であるからこそ、対比が際立っているといえます。 (夜明け)

2020-06-10

ABさんへ ご自身にかさねて読んでいただけたようで、ありがとうございます。孤独感を共有できたら、それはここにえがかれている顔を合わせることも言葉を交わすこともない一人たちの内の一人であったからかもしれません、なんて。 (一人)

2020-06-10

「加勢する」という言葉は不適切だったと反省しています。申し訳ありません。 たしかに夢うつつさんの語調は些か粗暴ですが、私はけっしてその態度について味方したわけではなく、発言の要旨である映像に関する意見には共感するところがあり、しかし言動の粗暴さによって意見がうまく伝わらないことが惜しく、夢うつつさんの意を汲んであげたいと思ったからでした。 軽率かつ言葉足らずであったことをお詫びします。失礼致しました。 ((動画投稿)Maximum_Fucking_Poets #1)

2020-06-10

随筆だけど詩情が宿っていて、好きなんですね。詩心があれば、たとえ散文を書いても、そこに詩が感じられる。逆をいえば、詩から逃れられていない。そのことを否定するわけではなく、詩に囚われているからこそ詩人なのではないかとさえ思います。ただ、作風を随筆に変えただけで、詩ではないものを書いたつもりになるぐらいなら、どんな作風でも詩になり得ると主張するほうがかえって潔いのではないかと思いました。 (雨の色(随筆))

2020-06-10

夢うつつさんに加勢するようですけど、画面上に流れてくるコメントが映像を低俗にしてしまっていて、それは意図的な演出だとわかるのですが、やはり女優さんの真摯な演技のみで映像作品としたほうが潔かったのではないかと思います。 夢うつつさんの意を汲むと、女優さんの演技に感心したからこそ、その他の演出が粗雑で余計なものに感じられてしまって、もったいない! ということではないでしょうか。 ((動画投稿)Maximum_Fucking_Poets #1)

2020-06-10

入間ちかa.k.a.なぞみん さん ありがとうございます。何気ない日常の一コマを書いて楽しませられる、と過去に評されたこともありました。そのときの作品も載せておきますね。 『旅館』( https://www.breview.org/keijiban/?id=4196 ) (一人)

2020-06-09

訂正 ×『未明』 ⚪︎『未定』 失礼致しました。 (【たわごと】リンゴ)

2020-06-09

追伸 YouTubeの動画をいくつか視聴させていただきました。すばらしいクリエイティブセンスですね。とくに『嘘』や『未明』といった直近の作品は、詩そのものの叙情性もビビッドに伝わってきます。VTuber詩人、ついに現る。 (【たわごと】リンゴ)

2020-06-09

動画の、朗読をしていくごとに詩の言葉が消えていく、あるいは歪んでいく、という演出が斬新でした。よくある朗読動画では、読み上げる言葉が表示されていきますから。バックをノイズめいた音にしていることもそうですが、映像的なセンスが目立ちます。正直なところ詩の内容についてはまったく頭に入ってきませんでしたが、骸骨を装った人物と、りんご、黒と白と赤、これら象徴性を視覚的に突きつけられるのは、直観にダイレクトに訴えかけてくるように思えます。ただ、モチーフとしては手垢がつきすぎてしまっているとはいえますね。 (【たわごと】リンゴ)

2020-06-09

この動画が詩界隈への挑発にもかかわらず、個人的にはまったく嫌味に感じませんでした。女優さんの朗読されている詩は、なにをかくそう、花緒さん作の『うしのはんすうし』ではありませんか。花緒さん自ら身を削ってこの動画作品を創った、それは詩への愛以外のなにものでもないでしょう。また、花緒さんの詩だということを知らずとも、この女優さんの誠実な演技には見とれてしまいますね。なかたつさんも指摘されておられますが、この動画の嘲笑は演技であり、それはスマホ片手に真剣に詩を朗読する姿からも感じられます。ほんとうに詩を侮辱したいなら、こんなにまじめに朗読なんてしないはずですから。そして本文の最後、みうらさんの『imagine』へのオマージュは決定的でした。私は本作を、みうらさんのとき同様に反語として受け取ります。詩人よ、詩に興味ない人の心を動かすほど優れた詩を書いてみせろよ、と。 ((動画投稿)Maximum_Fucking_Poets #1)

2020-06-09

一首目が、花より団子って感じで好いですね。この短歌は、始めではなく終わりにもってきたほうが、よりおもしろかったかもしれませんよ。あおはるな恋愛をえがいた連作の最後に、それとみせかけて食欲でしめる、おあとがよろしくなりそうです。 (《短歌》透きとおる笑顔のままで悲しみが瞳をこぼれる美しい人)

2020-06-07

これ、匿名にした意味あるのかなあ、なんて思いながら読んでいたら、それさえも作品のネタにしていたとは。笑 目を引くのは、視覚詩。最初と最後で、春と冬、恋の始まりと別れ、という対照性がありますね。行を縦に読んでいくこともできるし、外周を読んでいくこともできる。角で語頭と語末がかさなる、言葉遊びがしりとりのよう。上から始まり、二手に分かれて、下でまた結びつく、という構成も示唆的でした。 他にも読み方があるかも。ぱっと見て、直感的に目についた文字が、いまのあなたの心境を表しています、みたいな心理テストも出来そう。笑 麻雀には詳しくないのですけど、調べたら一筒は、一輪の花の模様なんですね。視覚詩はもしかしたら、一筒の模様をイメージしてるのかなと思いました。ともすると、この作品群はそれぞれ牌をイメージしていて、全体として役になっているのかな、とか。なるほど、だから手の内の役満を隠していた、ということですねっ。 いつかどこかで云っていた気がする、妖怪のたくさん出てくる物語も読めて、内容てんこ盛りでお腹いっぱいです。笑 (隠し隠して持ってきたのは、誰しも1度は書く視覚詩で)

2020-06-06

千才森さんへ 詩にはなりきらないけど、思い浮かんだ、詩の断片。書き留めていたそれらを、主題に沿ってコラージュさせたのが本作で、一連ごとに独立した詩としても読めるようにしてあります。なので、時間や場所も、それぞれの連で異なっています。 四行詩は、短詩としてちょうどいいまとまり感があるのかもしれません。起承転結、東西南北、四字熟語、四拍子など、四という偶数には安定感がありますね。 先のコメントでは秘すれば花と云いましたけど、千才森さんにはさまざまな詩を読解する手がかりになるように、語ってみたいと思います。 まず、千才森さんが気づいてくれた、ペアとして存在しているもの、ふたご座や合鍵などにはまさしく、そうした象徴性を託していました。でも、いまは一つきりであること、それが本作の基調になっています。 もう一つの主題は、暗さから明るさへ、でした。きのう=過去から、あした=未来へと。だから、冒頭はうんと暗く(というか不気味)にしてあります。笑  二連目の沫雪は、春先のすぐとける雪のことで、すれちがったひとが外套のしたに菫をひめていたのは、まだ寒いけど暖かな春の予感がそこに香ったからですね、これらは隠喩として。 千才森さんが気に入ってくれた三連目は、本作の〈転〉に位置するでしょうか。地下通路という暗い空間で、明るい季節の到来を実感させる初蝶と出逢う。枕詞は、ある語句のまえにつける修辞で、和歌の始めにもよくみられますね。そうした始まりを予感させる言葉として、ここではつかっていました。おもいだすというのは、その始まりがまったく新しいというよりは再びという感覚だからですね、季節のように。 四連目は、一連目とは対照的な明るい雰囲気です。ななくさ、無病息災や幸運を願うものを数えたのは、そのようなものを期待していたような。春泥は春の暖かい泥ですが、悶々とした想いを泥をこねる様子に喩えました。おどり場といえば階段の上下のあいだですけど、踊りのような陽気な印象もあるような。だけどまだ、きのうとあしたのあいだであり、あしたのことについては余情を出すに留めていますね。読み終えたあとに、慣性として、春風のようなものを届けられたらいいなと思っていました。 ところで、本作と同じ形式で過去に書いた詩を紹介しますね。幻想的な物語風の作品なので、千才森さんなら気に入ってくれるかもしれないな、と思いました。 『ボクラハミンナ』( https://www.breview.org/keijiban/?id=3790 ) 長くなってしまいましたが、作品ともども読んでいただいてありがとうございます。 (きのうとあしたのおどり場で)

2020-06-06

いつも着ていた長袖の上着は薄手のタンクトップに変わった。 この一行だけからも、暑くなってきたことが察せられます。すると、そのまえの一行、 最近とても暑い。 は意味が重複するので要らないといえますね。不要な言葉を見極めて削っていくと、表現に奥深さが増していきます。 春から夏へのうつろいと、感情の機微をかさねた、繊細な作品だと思いました。示唆的なタイトルも好いです。 (蝉の声は、まだしない)

2020-06-05

藤 一紀さんへ この詩はたしかにエロティックにも読めるように書いていましたけど、そのシニフィエはまあ、秘すれば花ということにしておきましょう。言葉を感覚的に愉しんでもらえたら、それでうれしいです。ありがとうございます。 (きのうとあしたのおどり場で)

2020-06-04

ウトイさんへ もっと飛躍や裏切りがあれば刺激的になったかもしれませんが、うつらうつらと眠気をさそわれる心境を詠ったような詩なので、これはこれで単調でいいのかもしれないなと作者としては思っています。 感想をありがとうございます。 (めかりどき)

2020-06-04

藤 一紀さんへ 音の気持ちよさのうちに言葉からゆらゆらした像みたいなものが立ち上がってくる、まどろんでぼんやりしている時の意識と無意識が混ざり合ったような、との感想は、この詩の雰囲気を明晰に言語化してもらえたようで、うれしいです。 季語「めかりどき」についても興味をもっていただき、ありがとうございます。 (めかりどき)

2020-06-04

このタイトルは、ダブルミーニングではないでしょうか。 ほどよい(適度な)加減にさよならをするのか、 ほどよい加減の(関係)にさよならをするのか。 そのどちらでもあるでしょうし、後者として本作を読むとより味わい深いです。ご飯をごちそうになっただけで帰るだけの夜ではなく、もっと濃密な夜を過ごしたい、ほどよい関係にさよならをしてもっと関係を進展させたいという気持ちが、別れ際の文章に滲み出ているかのようです。 (ほどよい加減にさよならを)

2020-06-03

大昔に海賊船が沈んだあたりには、ロマンが眠っているのでしょう。町という現実から一人離れ、暗い海、そこは隠してきた童心の眠る潜在意識の在処と捉えられそうです。 サカナやサメやクラゲと、お父さんが並置されてるのが、おもろいなあ。 こっそり発光するなんて、健気。気づかれないように、ね。 (私だけがいない町)

2020-06-03

体言止めの多用とその隙間に滑らかな用言、それは向き合った恐怖に硬直しながらも合間に息をする、焦燥した鼓動や呼吸の生温かさが伝わってくるかのような文体です。 (恐怖)

2020-06-02

裏庭からおかえりなさい。笑 フロントガラスにくっついた小さな虫から、空や海への視点の飛躍が壮大ですね。その空と海をつなぐものとしての雨の子という連想も素敵です。海、空、あるいはUFOの来た宇宙、もしくは未来、そうした高遠な世界への憧憬が、夢と象徴的に結びついているのかもしれません。 ウインカーに急かされて 舵を大きく切らされた ぐっとくる詩行は本作にいくつかあるのですけど、この二行がとくに印象的でした。ウインカーって、自主的に作動させるものじゃありませんか。その自らの振る舞いに促されて進路を変える、直観的にこうしたいと思ったことに理性的にはどうかなと不安がよぎっても、もう合図しちゃったから行くしかないじゃないかと、とまどっていた一歩を踏み出すような機微が表れていて、共感すると共に細やかな視点が詩的だなと感じました。 UFO(未確認飛行物体)という、未来的で未知なるロマン。その比喩を「こんな大人になるんじゃねーぞ」と、ちょっとひねくれた台詞で伏線回収しているのもよかったです。詩情を掴んでいて、千才森さんは作品の投稿を重ねるごとに着実に現代詩が上手くなっているように思います。 あと、私もたまにやりますが、四行ごとに連を分けているのも、四拍子の曲みたいで安定した読みやすさがあるなと感じました。 追申:六月の選考委員、がんばってくださいね! (『-UFO- 地上の星屑観測船』)

2020-06-01

エイクピアさんらしい固有名詞がまったく登場しないことが、かえって新鮮でした。 (羊と私)

2020-05-31

「絶対に暴力だけは振るってはいけないグループ」に寓喩めいた虚構(フィクション)性が感じられて、それがこの作品のおもしろさをあらかじめ保証し、読み手の興味を引く一文になっているのだと思います。四連で反復する文体とそこでの言葉の変化は、唄を彷彿とさせられます。 虚構性を感じたのは、絶対に暴力だけは振るってはいけないことは、社会通念上は当然だと考えられるからです。少なくとも表向きは。むしろ「限定的に暴力を振るってもいいグループ」があったら、そのほうが特異で、現実には格闘技業界などがそれにあたるでしょうか。とはいえ、ネット上では言葉の暴力が横行しており、本作もその文脈で読めることは承知しています。 人間同士の暴力に限らず、動植物や環境への暴力も考慮に入れると、読み方の幅が広がりそうです。武田地球さんが示唆に富むと仰っているのも、胸奥に万物への慈しみがあるからではないかと思いました。 余談ですが、この花緒さんの作品にぼんやりした賞賛ばかりが続いていくのも、なんだかものたりないような気がしています。もっと議論が巻き起こってもよさそうですが、センシティブな内容を扱っているので、読者も慎重にならざるを得ないのかもしれません。 (GROUP Bの暴力)

2020-05-30

一首目は、衝動的な希死念慮と、即席で安っぽいカップラーメンが、絶妙に響きあっていますね。ただ、希死念慮とタナトスがほぼ同じ意味合いで用いられており、重複していると感じられました。 二首目は、雰囲気だけが先行してしまっているような。具体性に乏しいところが、幻影らしいともいえます。 三首目は、なにかしら精神性を蔑ろにされたのだということが伝わってきます。朽ち腐れているというのが、もうすでに肉体として亡んでいるかのよう。 通底して、心や霊といった、実態は不可視であるけど現象している存在を題材にしているのではないかと思いました。 (と幻影(短歌))

2020-05-24

主題としては、不快だとは思わなかったですね。家父長制みたいな、日本の旧い「家」の生活様式がうすれているのは、よくもわるくも事実ですから。 この作品があまり愉快ではないのは、むしろ風刺の安易な仕方にあると思いました。対象が日本であっても地球であってもそれは変わらず、その名前は というあからさまな直喩が幼稚に感じられてしまいます。安直だからこそ風刺としてのわかりやすさや、インパクトはあるともいえますが。たとえるなら、こどもっぽい悪ふざけを目にして、その浅はかさに辟易してしまうような。もし、詩として風刺をキメるなら、もっと奥深い表現ができたのではないかと思います。憚らずに理想をいえば、風刺を抜きにしても鑑賞に堪える文章であってこそ、詩や文芸の真骨頂ではないでしょうか。 ただ、これを投稿された理由は風刺というよりは作風の問題点を探しあてることに本意があるようですから、たくさんの批評を集めることができたら成功だといえそうですね。 あと、気に入ったのは、大きく太い梁を通した家だった という表現。本州の中央部に連なる山脈は「日本の屋根」とも形容されるほどで、そのイメージが太い梁にもかさなり、主題にするならやはり地球などではなく日本が最適だったのだと感じます。 (現代の)

2020-05-24

Um Fantasma さんへ 投稿するにあたり時世のことはまったく意識していませんでした。もとは二年ほどまえに書いた作品でしたし。でも、いまの社会状況に照らしてみると、なるほど、大胆な主題に感じられるかもしれません。 孤独のグルメ感は、たしかにありますね。グルメポエム、そんなジャンルがあってもおもしろそうです。 (一人)

2020-05-22

追河さんへ 深夜のラーメン屋で、カウンターに横並びに座り、一様に背を丸めている、一人たち。見ず知らずで、その場で交流することもない、それでいて目的を同じにしている。孤立した一人同士でありながらそこに同一性を覚えてしまう感覚は、本文ですでにえがいてありますから、追川さんの詩的だと仰る二行による強調は、たしかになくてもよかったかもしれません。ただ、その二行が本作のアクセントになっていることもまた事実ですね。つぶさに批評していただき、ありがとうございます。 個人的には、散文に詩を見出せないとは、逆をいえば改行さえしていればどんな言葉でも詩になり得るのか、という疑問はありますね。むしろ、散文詩は散文だと言い切ってしまうとしたら、そこになんら疑問をいだかないことに対して危険を覚えます。詩だと主張すれば詩だと信じられてしまうこともまた然り。 (一人)

2020-05-22

速いこと、つまりは効率的なことが、ほんとうにいいことなのか、と考えさせられるようでした。 速いものが過ぎ去っていく国道のかたわらで、自由な海鳥を観察する、朽ちそうな階段という状況で・・・ 現代社会のシステムに、心の隅でなにかしら疑問を抱いているような人物像がうかんできます。深く読めば読むほど、胸に迫ってくるものがありますね。 さらりと読めてしまうけど、たしかな叙情が詰められている。とくに終盤、詩としての情報量が増して、たくさんの砂を詰めた袋で殴られたかのような読後感でした。もう海の生き物ではなくなってしまった、冒頭にも通じる社会での生きづらさ、そのはるか遠くからやってきた自分だけに限ったわけではない命題に、それでも責任をもって答えようとしている、なんて健気なんだろうか。 (速さについて)

2020-05-21

内容としては精神の不安定さが読み取れるのですが、四行ごとに連を分けているこの几帳面な作風からは、むしろ自覚的なものが感じられました。また、自己分析的な主体の態度からも。内実の不安定感と、表向きには形式の安定感、そこにアンビバレントな性質が表象されているかのようです。 (キリエ)

2020-05-20

とても実験的で、おもしろい、詩情の提示だなと感じていました。その辺はもうすでに多くのコメントが寄せられていて、あえていま語る意義はなさそうなので省きますね。 惜しむらくは、COVID-19 であったところの字誤り。これが喉につっかえた小骨のようです。前向きに捉えるなら、それがフィクション性を体現しているともいえますが。たった一文字程度、そこに正統性があるのであれば、訂正を許可してくれてもいいんじゃないかと思いますね、この作品に限らず。ねえ、運営様、読んでいましたら、この機会に考慮していただけないでしょうか。 (ジェームス物理化学/14章-感情論)

2020-05-20

ごめんなさい、どうしてCrazyなのかと考えてしまうほど、本文を読むかぎりでは狂気の片鱗さえない、優雅な内容の作品です。しかし、頭文字をそろえるように軽やかに、さりげなくCrazyと名づけてしまえるところに、長閑さが際立っているようにも感じました。西洋式庭園のあるお屋敷でのんびり目覚めた春の朝、みたいな印象です。 (Crazy chou cream)

2020-05-20

杜 琴乃 さんへ 世にも奇妙な物語のようだと思われたことがとても意外でした。自身の孤独感を表出させたのが本作で、なんら妄想を起こさせるような意図はなく、実体験をもとにして書いていましたから。とはいえ、杜琴乃さんが感じられた不気味さのように、こちらが主題にしたわけではなくても、なにかしら幻想性を誘う読後感をあたえていたとしたら、幻想文学好きの作者としてはうれしい感想です。主題としていた孤独感が伝わらなかったのは、力量不足かもしれませんが。ありがとうございます。 (一人)

2020-05-20

題名からして惹かれますね。この背徳的な魅力ある題名を、安易に本文には登場させずに、宗教的モチーフを通して連関させているのが巧いです。堕天使的ともいえましょうか、誰しも思春期に心当たりあるであろう親への反抗心と、キリスト教の世界観は、相性がいいですね。目覚めていく人間の自我に、焦点をあてた作品だと思います。 (ユダのように)

2020-05-20

最後の一行は、宮沢賢治の詩『春と修羅』の おれはひとりの修羅なのだ という言葉を彷彿とさせられました。 (たび人)

2020-05-18

ガソリンといった昔からある燃料ではなく、次世代の動力で走る、詩、を待望しているのかもしれない。しかしまだ新月、時が満ちていくのはこれから、だろうか。 (都市の新月)

2020-05-18

世界や物語を一から叙述するのではなく、場面を断片的に提示することで、読み手の想像により作品の世界観が組み立てられていくような作風ですね。 ほのめかしというか、想像を誘う書き方がなかなか巧いなと思いました。たとえば、二千年以上前から走り続ける伝令(これにはどこか宗教的な伝道者を彷彿とさせられるのですが)の、話がちがうじゃないか! という期待を裏切られたかのような一言にも、ずっとまえから約束されていたなにかがあったのだろうと推察されます。また、すでに二千年を超えているから悪魔のような姿に見えるのなら、過去には美麗とまでかはわからないけどそれなりに立派な容姿をしていたのではないか、とか。 古代文明的な供犠と、近代的な都会の光景が、融和しているような世界観。ところが現代でも多くの人は食肉にされる動物の命をいただいて生きていて、それが作中の ぼくたち、 新しい一日を得る/それから多くの一日を失う という言葉に通じているようにも思います。 (四つの散文詩のためのエスキスとそこからこぼれ落ちた一篇の詩)

2020-05-17

ねこのお腹は温かい、ね この初めの行の音に惹かれました。まず感覚的にいいなと思ったのですが、音を分析してみると、 neko no onaka wa atatakai ne いくつか共通の音を繰り返しつつ、母音と子音の組み合わせをちょっとづつ変化させている。 n - k - o - a といった音が、ゆるやかにグラデーションしているのがわかります。さいごに ne の音にもどってくるのもにくい。 春を殴った肩 やわやわとした春と、殴ったという暴力的な語の組み合わせが、いいですね。 これは論理的にではなく、感覚的に味わう作品ではないでしょうか。 (モノクロの虹)

2020-05-16

俳句じゃねえYO! でも二連目はなかなか好き。英文とその訳文(というよりは再構築)があわさって詩情がたちのぼっている、とても個性的な作風。一連目はそのやり方が弱いよ。 (アメリカの俳句)

2020-05-13

ABさん ありがとうございます。題名にもなっている詩行などを気に入ってくれたなら、それで本望です。書き留めていた詩のかけらを一作に編集したのが本作ですから。 (きのうとあしたのおどり場で)

2020-05-12

石村さん ありがとうございます。詩は、書く人によってさまざまな信念や詩論がありますけど、言葉やイメージに萌えるような詩があってもいいんじゃないかと思っています。 (きのうとあしたのおどり場で)

2020-05-11

ふじりゅうさんへ 力の入った解釈をありがとうございます。作者としては、考えるよりは感じて、なんかいいよね、と愉しんでもらえたそれでいいなあと思っていました。とはいえ、作品を読み解く愉しみもありますし、さまざまな解釈を寄せていただくことは嬉しく、興味深く拝読しております。 熱量には熱量でお応えしたいところですが、これは作者のフェティッシュをつめこんだような詩で、そのいくつかを開陳すると、はなだいろは、はな(花)とはだ(肌)があわさったみたいでいろっぽいなと感じていたり、水没した線路や雑草に覆われた廃線はジブリっぽくて気に入っていました。風邪薬や睡眠薬のメランコリックな印象も好きです(作者自身は風邪をひいても眠れなくても、薬はのまないのですが)。一連目と二連目は、たしかに語の対照性を意識していました。めかりどきには、目借時のほかに、妻狩時という表記もあるそうで、花のような色香につい誘われてしまう季節柄もあらわしているのかもしれませんね。 (めかりどき)

2020-05-10

小林素顔さんへ 廃墟が自然に浸食されていくような雰囲気には惹かれますね。薬にも、どこか退廃的な印象が付随しているのかもしれません。眠りと死のアナロジーにも、なるほどと思いました。本作の基底はデカダンスであることを、素顔さんのコメントによって照射されたようです。ありがとうございます。 (めかりどき)

2020-05-10

これは文章というより音楽ですね、それもせきららな情感をともなった。タイトルからも印象づけられる言葉が主調となっているのですが、ながれとともに言葉がずれていくことで、妙なる音階を生んでいる。たとえば静かな港のような時間感覚がいつまでも出航できない朝という船であったり、手を繋いだ夏と犬のリードの跡の類推をみせたり、偽者だとばれる夢が彫刻科の生徒の課題作品つまりは偽物であったり、など、換喩的にずれていくことへの詩情の愉悦があり、そこに旋律がきこえてきます。春夏秋冬を一巡しておわる曲、傑作です。 (食べ物と死ぬ人)

2020-05-10

日常にあるものをふと違う視点でとらえてみる感覚は好きですね。そこでのぞき見た暗闇は、現実とは異なる深淵につながっていたのかもしれない。 文体がおとなしいので、出すところは出して引くところは引くように緩急をもたせていたら、さらに説得力が増していたように思います。最後に歯磨きをもってこれた発想力なら、あとすこし踏み込んでいたら、たとえば白昼の明るさとその死角の暗さを際立たせるようなコントラストを、文体にも凝らすことができたのではないでしょうか。 (遺構の見せる夢)

2020-05-10

母親のことをフランス語風にママンと呼ぶ方が日本語圏にどれくらいいるだろう。気障っぽい修辞のようであるし、それが真正面から向き合うことへの照れ隠しのようでもあり、あるいは母親とはべつの母性的存在、カトリック的な聖母や、地母神としてのガイアへの呼びかけなのかもしれない。 余談ですが、アスタリスクが宵の明星のようにみえました。 (ママンへ)

2020-05-08

副題の〈詩ではなく、批評でもない、ただの言葉〉が、ひっかかっていました。なぜなら、誰にあてるわけでもないツイートのようなただの言葉であることは、読めばわかるのですから。しかし、あえてこの副題をつけたことに、固定観念へのアイロニーがあるように思います。こういう前置きでもしなければ、ここに投稿した文章は、どいつもこいつも詩としてみるんだろう、とでもいうような。 これはこういうものだからみなさんこうしましょう、とメディアが云えばそれを鵜呑みにしてしまうような、安易な固定観念への批判意識が本作にはあらわれているのではないでしょうか。思えば本文も、のっけからして反骨精神のかたまりですね。 (某月某日 ー 詩ではなく、批評でもない、ただの言葉)

2020-05-08

ボイジャー2号でなくてもよかったのかもしれない、他でもよかったのかもしれない、初恋の対象に必然性があったと信じられる人が、どれだけいるだろう。 しかし、特定の名前を出すことで、そのあとの名前のないわたしのミステリアスな存在感をきわだたせていると思いました。あるいは、相手に名前を認知されることさえない恋だったのかもしれません。 (秘密)

2020-05-07

寓話風な作品で、秘密の初恋をうちあけていると読むことはできますが、名前のないわたしの存在が秘密めいているようにも感じます。たとえばロケットが離ればなれになった恋人なら、名前のないわたしは、それを支えた発射台であるかもしれない、などと想像しました。 (秘密)

2020-05-07

アウトサイダーという語感から清涼飲料水のサイダーが想い浮かび、それが風薫る白昼、青空、行雲流水、蒼い粒、といった爽やかな初夏の風情あるいは悩ましい青春らしさと絶妙に響きあっているようで、好ましく感じられました。 (目下の関心事)

2020-05-06

青いミモザと聞いて思い浮かんだのは、奇跡の代名詞といえる青いバラ。ところが青いバラはすでに実現してしまいましたから、青いミモザにはより夢想的な印象を受けました。それは本作の幻想的な世界観を表象しているようでもあり、作中の出逢いがいかに奇跡的かをあらわしているようでもあります。 他者の作品を引き合いに出すのは恐縮なのですが、カオティクルさんの作品『それでも街は廻っている』の一行目〈夜になる頃に、猫が暗い方へと歩き出した。〉に帆場さんが「物語が動き出した」とコメントされていて興味を覚え、本作『青いミモザ』の最後〈これからは猫たちの時間/僕らはもう眠らなきゃ〉にも未知の物語が動き出すような趣きがあり、作品の終わりと始まりという対照性、また両者とも〈猫〉がキーになっていることについてもシンクロを感じて、興味深かったです。 (青いミモザ)

2020-05-06

あんさんへ そうですね、薬と自然のくみあわせ、そこに魅惑を覚えました。線路といった人工物と自然との混淆にも。甘美な幻想性を感じてくれたなら、うれしいです。ありがとうございます。 (めかりどき)

2020-05-06

帆場さんへ ていねいな読み解きをありがとうございます。晩春にうつらうつらと睡たくなっていたときに、幻視するみたいにして、この詩がうかんできました。 ゆめうつつの白昼の迷路を、つつじの花の色香に導かれてゆきたいものです。いや、さらに迷いこんでしまうかも。 (めかりどき)

2020-05-06

《三千世界の鴉を殺し、主と朝寝がしてみたい》 高杉晋作が詠ったという恋の都々逸を、タイトルから彷彿とさせられました。しかし本作では鴉が鳴いているところをみると、逢瀬の夜は明けてしまった、かつての恋をしみじみと懐かしんでいる様子が感じられます。 (さまざまな世界で鴉が鳴いている)

2020-05-06

蜂、馬、ワーズワース、鯉、登場するものがどんどん賑やかになっていくのですが、最後には、はじめの因であった蜂の羽音さえも消えてしまう、一作のなかに興隆と衰退が表されていると思いました。 (庭の馬)

2020-05-05

内容以前に、散文作品として欠陥があるように思います。 はじめ、俯瞰的に語られていることから、三人称の文章かと思いました。ところが三行目で〈私〉という一人称があらわれる。いったい、〈私〉がその場にいなかったはずの情景や台詞を、あたかも目撃したままに述べている本作の語り手は、何者なのだろう。視点を混乱させられ、それが読み手の感情移入を阻んでいるように思われます。 (それでも街は廻っている)

2020-05-05

この手のお話はすごく既視感がありますね。奇跡体験アンビリバボーにありそうな。でも私も既視感ありありのお話を投稿したことがあるので、人のことは言えません。 この『心中電話』と『心配停止』の両方を読むことで、なにか相乗効果があるのではないかと期待していました。たとえば『心中停止』はドナー提供された方が主人公ですが、『心配停止』はドナーを提供した方が主人公で、ちょうど鏡うつしになっていたらおもしろそうだな、と。あるいは『心配停止』で主人公をのっとった方が、じつは『心中電話』の主人公で、電話の相手はのっとられるまえの方だった、とかだったら意外性あるなあ、と。これらはあくまで私の妄想でしたが、そのどちらでもなく、両作ともドナーを提供された方が主人公で、せっかく二作投稿したのに、たんなるアレンジとしてはよわいかなと感じてしまいました。これなら、一作に絞ったほうがインパクトあったかもしれません。辛口でごめんね。やっぱ、二作品を活用するなら、サブリナヘブンとサブリナノーヘブンぐらいのコントラストがあった方がいいよね。 (心中電話)

2020-05-05

たとえば夜の海辺で空をみあげたら、誰にあてるわけでもなく光りを放つ星がいくつも、そのような作品だと思いました。 シラブルを遵守しつつも言葉づかいが有機的で、どの短歌もいきいきと生命力を感じさせます。声にだして詠うと愉しそうです。 (夜よ、波よ、きいてくれ(あっ、短歌です)。)

2020-05-05

手のひら、占いの観点からしたら、そこには生命線や運命線などがあり、人生の縮図がえがかれているといっても過言ではないのかもしれません。その手のひらをプラネタリウムや水族館にしたかった、自らの人生をなにかしらのエンタテイメントにしたかった、というように読めました。だからこそ、楽器を奏でるための弦なのでしょうか。 《生命線ひそかに変へむためにわが抽出しにある 一本の釘》 これは寺山修司の短歌で、安易に比べるものでもないかもしれませんが、やはり優美な印象の弦では、手相=人生を変えるには衝迫感が足りないと感じられてしまいました。ただ、骨折したクレヨンなど、よわよわしさが表れていているような言葉もあり、これが作者にとって正直な表現だったのだろうとも思います。 鉄腕アトムは悪い心を持たないらしい だから欠陥品だと作者は言う おそらく、いままでは社会通念に従って善良な市民として生きてきたであろう作中主体の人柄が推察されました。悪、といわないまでも、常識や社会通念を打破してこれからなにかしでかすかのような、たとえばそれがアートかもしれませんし、そうした意気込みが、このしずかな文の奥底にひめられているような気がしてなりません。 (手相アート)

2020-05-05

ブサイクの ブにアクセント これではアキマヘン よろしいデスガナ 前作『カフカフカフカ』で、ひそかに笑わせてもらったのですが、今作の、 ブズネス、 とだけ答えて にも同じように笑ってしまいました。それまでのどこか不穏な様子が一転されて、たまらない。このあと、たたみかけるようにして終わり、その余情にも好感をいだきました。国際都市の片隅の、けむったい雰囲気が表れている小品だと思います。 (In a corner of this world)

2020-05-03

一行目は削ったほうがよかったと思いますね。魅力的なタイトルの伏線が、冒頭でいきなり明かされてしまうのはもったいない。本作半ばまで読んで伏線回収されるほうが、感慨深かったと思われます。 話はちょっと逸れるようですが、スペイン語に「cielo」という言葉があって、「空」の意味と「天国」の意味があります。私はこの言葉から、清澄な空の色を感じています。 本作の青信号からも、その往き先が天国であるかのような印象を、不思議と受けました。友人はあの世に旅立ったけど、主人公はこの世に踵を返したと読むこともできそうですね。 (信号が青になったら渡る歩行者のように)

2020-05-03

葉を揺らす風は青臭く、などの初夏を思わせる描写と、雪に散り、という相反するような言葉があって、この詩に遍満しているアンビバレントな感情がそこにも表れているよう。端正な文体のなかに、繊細で複雑な気持ちを、ぎゅっと詰めていると感じます。花は自重に垂れ下がり、この一行がとくに好き。 それにしても、生きていて安心した。投稿ありがとう。 ( ´∀`) (ブルーロータス)

2020-05-03

ちいさくまるい ただの俺 けっきょく これにもどる 卑下しているようでいて、じつのところ安堵しているような、そんな読後感をいだきました。 この現代社会、〈自分〉の現実感がわからない(離人症)、あるいは複数の〈自分〉が自己のなかにある(解離性同一症)、などのように〈自分〉という存在のふたしかさを覚える方もいるなかで、本作の主体は確固たる〈自分〉を意識しているように思えます。どんなに卑屈になっているとしても。そこから、感傷的なようでいてむしろ自信を感じられて、楽天的な気を放っている作品であるように思いました。音楽にまつわるモチーフも、作品に軽妙さを加味しているのかもしれません。 (ダ・カーポ)

2020-05-01

お返事ありがとうございます。 私がこの作品を良い詩だと感じたのは、簡潔に云えば、耽美的なイメージが個人的に好みで、それでいて心の奥から響いてくるような内省的な叙情を感じたからです。ところが二連目で時世が顔を出していることが、全体の美しい調和を壊しているように感じられました。たとえるなら、クラシック音楽を鑑賞しているときに世間の雑音が聞こえてきたかのようです。異化効果と捉えることもできるかもしれませんが、それにしても時世を直截に取り入れた言葉だったので、安直さの方が際立って感じられてしまいました。いっそ二連目は削ってしまって、時世については匂わせる程度に留めておいた方が、深みのある作品になったのではないかと考えます。 (ようせい)

2020-04-30

短詩としてはあまりにシンプルで、行間を多めに空けていることも印象の薄さに与していると思われるのですけど、追憶という主題が前作『廃校舎』と共通しており、合わせて読むと共鳴するものを感じました。判断するには時期早々かもしれませんが、なにかしら喪ったものへの憧憬が作者を衝き動かしているのではないかという気がします。 (海 (思い出))

2020-04-29

個人的に、二連目はなくてもよかったと思います。時世にからめなくても、十分に良い詩ですから。ようせい、私は妖精を思い浮かべていましたが、他者から要請されるものとしての、着せられる衣装、名前、つまりレッテル、それらを脱ぎ捨てたとき、主体性の輝きを取り戻せる、そうした素の美しさへの憧憬を感じられました。匿名投稿であることも、本作の主題と響きあっていますね。 (ようせい)

2020-04-29

めぐる月の位相の変化から、長いあいだ待っているという印象をあたえられますね。その、ちょうど三日月にあたるであろうところがグラスとかさなっていて、君を待っている時間そのものが神酒と化し、恍惚にさせているのではないかと感じられました。よほど、君を慕っているのかもしれません。 神秘的かつ幻想的、美しい色合いと、味のある風合い、とてもすてきです。 (飲み込んでも 飲み込んでも)

2020-04-29

中じさんへ 指でなぞる、という描写があったでしょうか。もしかして、二行目に海岸線をなぞるとありますけど、これを指でなぞると感じられたのでしょうか。なんだか不思議です。 (はっかといちご)

2020-04-28

おぼろ月や、我という一人称など、古めかしい雰囲気の三連目から、四連目の青い画面、これは液晶画面のように感じられて、昔と今が共存しているような印象を受けました。たとえばスマホに届いたメッセージなどの真意が気になって、それを暗号文になぞらえたのではないかな、と。blink は、本文を読めば心の瞬きだとわかるのですけど、降り積もった花びらが朽ちてしまう前に〜という冒頭から無常観を覚えて、そうした刹那的な瞬きでもあるように思いました。おそらくですけど、古風な感性をもっている方で、こうした表現はおのずからあらわれてきたのではないかなと感じます。 (blink)

2020-04-27

身近な人の死は、不思議です。この作品の筆者にとっては祖母だったのでしょうが、私は十代半ばに父を亡くして、あまり実感が湧かないことにとまどっていました。長期の出張をしていたこともある父なので、出張していてそのうち帰ってくるんじゃないかというような。たまに夢に現れることもあります。生前となんら変わらない、父のいる日常。夢をみているあいだは、亡くなったという意識はなく、いつも覚めてからおかしいなと思います。 おそらくですけど、その人の死を実感させるためにも、葬儀はあるのかもしれません。その最たる例として、〈殯〉をご存知でしょうか。亡くなったあと、肉体が腐敗し、白骨していくまでを見届け、死を確認するという古代の儀式です。皇室はしきたりとして、その殯をおこなっていたそうです。 そこまでしなければならないほど、死という概念は、本来はあいまいなものなのかもしれません。なので、無礼者とはいっていますが、この作中主体の気持ちもわからなくはありませんでした。 常識からなんと思われるかはわからないけど、自らの感じたことや思ったことを作品にする、そこに正直さを感じます。 (無礼者)

2020-04-27

眠い人さんへ 本文がなるべく正中にくるように空白行で調節していて、スマホではそれらしく見えるのですけど、パソコンで見るとそうなってはおらず、これは誤算でした。やはり、句を挿入した画像を上げるべきだったなと思います。 奈良時代は桜よりも梅の方が人気で、花といえば桜といわれるようになったのは、平安時代からだそうです。 千年前から愛でられている桜を、この春の一夜にも愛でている、千夜一夜という語にその想いをこめました。 鑑賞していただき、ありがとうございます。 (夜伽桜)

2020-04-23

D51という古風な乗り物で楽園に向かう、その発想には惹かれるものがあるのですが、読んでもいまいち感情移入しづらかったです。なぜだろうかと考えながら読み返したら、おそらく、小説的な内容と詩の言葉が、けんかしあっているのではないかと感じました。物語のながれと詩としての凝った表現が主張しあっているので、優先するものを決めて、それにどちらかを添わせるように書いた方が、うまくいっていたのではないかと思います。 あと本作に関しては、画像も相乗効果を為していないように思うんですね。サムネイルの時点から、希望を象徴するかのような清廉な花が目に入ってきて、本文のはじまりの重苦しさが削がれてしまっている感があり、ひいてはその後の展開への落差もうすれてしまっている気がします。 余談ですが、私も『汽車』という作品をかつて投稿したことがあり、ちょっとした親近感を覚えました。私の方は、仏教的ですけどね。 (楽園行きD51-F857)

2020-04-22

これはもうタイトルからして考えたもの勝ちという気がしますね。かつて知り合いに熱烈なファンがいて、その影響でバンプを再発見したことがあります。そこで思ったのは、離れていくのは、浅くしか聴いていなかったからなのかもしれません。 バンプに限ったわけではありませんが、少年期にはまっていたものを成長するにつれ遠ざけたくなる、その心理がえがかれていると共に、題材がバンプだからこそ、大人になると失ってしまいがちな純粋な気持ちを喚び起こさせるような本作の語りかけが、活きているのではないでしょうか。 (BUMP OF CHICKENを嫌いになる日)

2020-04-22

白川さんへ 今作は詩というより小説を意識して、わかりやすさを重視しました。読んで感じてもらえるものがあったら、うれしいです。ありがとうございます。 (遺失物同好会)

2020-04-22

赤という色に対する、根源的な畏れのようなものを喚び起こされる作品だと思いました。 おにごっこを連想させるのか、「鬼」という語が、どこにも書かれていないのに、脳裡にうかんできます。 今はやっぱり 第一志望 ここで受験勉強のことがわかり、それは赤シートをはずして解答をちらりと確認してしまったかのよう。この二行によって、それまでの得体のしれない和製ホラーじみた雰囲気から、ほんとはそんなものじゃないんだと、ほっと安心させてくれたように感じられますし、逆をいえば作品を安易にさせてしまっている感もあります。 (赤隠し)

2020-04-19

私も木のスプーンが好きです。味わいもやさしくなるみたいですよね。 みおとしてしまいがちな、ささやかな感受性の発露を、このように一つの詩に仕上げているところに、とてもすてきなものを感じます。 (台所)

2020-04-18

「春」を外しても文章は一見成り立つけど文体のリズムは壊れる、という受け止めは、あまりにストレートですよ。それはごくあたりまえのことで、それこそ私の発言の主旨からは的はずれになってしまいます。 私が伝えたかったのは、「春」という言葉をつかわなくても、菜の花やその他もろもろの言葉で、すでに春が上手く表現されていますから、あえて「春」と書かなくてもよかった、むしろ「春」と指示することが、この詩に安直さをあたえてしまっているのではないかということです。 逆をいえば、本作において「春」という語は、文体のリズムの帳尻合わせのために用いられていたということになるのでしょうか。おそらくその限りではないでしょうけれど、もしリズムのために「春」という語を用いていたとしたら、それは私には言葉の浪費に思えてしまうんですね。とはいえ、筆者と私とでは詩作の方法が異なりますから、理解し合えなくてもなんら問題ではないのですけど、私のような見解もあるのだと参考程度にしてもらえたら幸いです。 (春という、春の詩)

2020-04-18

「世界は一枚岩ではない」の『一枚岩』も比喩なんだよね。それを自覚して書いていたら、この一行はダブルミーニングかな。 眠い人さんは、小難しいことを云おうとするよりも、音韻の悦楽にまかせて詩を書いてみたらいいんじゃないかなと思っています。 (安易な詩)

2020-04-18

わざわざ「溝の円盤」と言い換えた題名にしたにもかかわらず、一行目でいきなり「レコード」が出てきてしまうのは非常にもったいない。この一行はおもいきって削除してしまった方が、詩としての深みは増します。「同じところに針をもどして」という一行だけでも、それがレコードを含意していることは伝わるのですから。 (溝の円盤)

2020-04-17

「春」という語がどこまでほんとうに必要なのか、考えさせられますね。試しに、題名は忘れたことにして、「春」という文字をすべて消して本作を読んでみても、春を謳っていることは十全に感じられるんですね。くりかえしになりますが、「春」という語がどこまでほんとうに必要だったのか、考えさせられる作品です。 (春という、春の詩)

2020-04-17

最終行までの文章は情景描写だけで、それ自体では詩と言い難いけど、最終行によって詩がうまれるまでをえがいた比喩なのだろうかと思わされる。でもね、 その星は小さな詩になりました 読みたいのは、その小さな詩なんですよ。 (履歴)

2020-04-17

あ、迂闊でした。たしかに作品本文は「」で囲ってありますね。あたかも本人の言ではないかのように。してみるとこれも一つのフィクションだったりするのかもしれませんが、B-REVIEW とそのまま実際のサイト名を出しているあたり、大胆で気に入ったのでした。 (はやくワクチンをください。)

2020-04-15

なんらフィクションをまじえずにビーレビ現運営者がこれを投稿されたことがなにより痛快です。しかし、匿名投稿でも、怪文書みたいでおもしろかったかもしれません。 私としては、いま、詩を書くことそのものが、効率化を重視する現代社会に対する、自らの立ち位置の表明になっているのではないかと思いますね。 (はやくワクチンをください。)

2020-04-15

トキメートルさ! ナゾメートルだ! この強引さに、笑ってしまいました。なにが算数やねん、って思うのですが、それがまた可笑しくて。勢いある文章と相まって、ユーモアが効いている作品だと思います。 (恋の算数)

2020-04-12

小林素顔さんへ まさしく仰るとおりです。私の手ぬるさが、顕れてしまいましたね。句を入れた画像もありますが、画像と句、それぞれ別に鑑賞してほしいという欲が出てしまったようです。指摘していただき、ありがとうございます。 (夜伽桜)

2020-04-12

きりん、ひらがなで書くとかわいいですけど、霊獣の「麒麟」も連想しました。為政者が仁のある政治をおこなうとき、現れるという、麒麟。そうしたものを待望する気持ちが、いまのご時世、無意識裡にあったりするかもしれない、などと思いました。 草原もすぐに閉じるでしょうね この最終行には、ロックダウンを彷彿とさせられます。 (きりん)

2020-04-11

カオティクルさんへ じつはね、雪の結晶のところ、SHERBETSの『水』を意識してたんだよ。感想ありがとね。 (はっかといちご)

2020-04-10

本作における「空」を空想的なもの、「こっち」を現実的なものと捉えて、話しを進めますね。詩を書くからといって、感傷的な空想に限らず、もっと現実を見据えるべきだ、というメッセージを受け取りました。あるいは、現実に生きるべきである、と。これらに、私も頷かされました。大胆な言い回しには、リリシズムを感じます。 しかし、「空なんか見てんじゃないよ」と命令形で否定することで、かえって「空」の大きさが強調されていると思われました。強く拒絶するほどに、その対象は相対的に、大きく、魅力的であることを、暗に認めていることになりますね。つまり「空」を否定しているようで、かえって神聖化しているのではないかと。そこにある種の窮屈さのようなものを感じてしまいました。むしろ、「空」を眺めるなんてたいしたことじゃない、と思えてこそ、太く生きられそうです。 (空なんか見てんじゃないよ)

2020-04-10

一見して、ちょっとかわいい詩だなという印象。しかし、スラッシュの遣い方や、中盤で文章を細切れにしているあたり、油断ならないなと思わされました。さいごの、鬼恩は、ちょっと陳腐かな。 (おにおん)

2020-04-09

わるくはない、けど、よいというほどでもない。気合いを入れた服装でおでかけするよりも、気取らない格好で近くを散歩するような。と、ここまで書いて気づいた。ありきたりな日常、それがいまは、遠のきつつあるのだと。行方の知れない世相を反映しているかのような、不穏さを含んだ、しずかな叙情を覚えました。 (行方のない散歩)

2020-04-07

千才森さん、みっけ! ユニークなタイトルを見たときから、そうかなあ、とは思っていました。かくれんぼが得意な、千才森さんですから。笑 缶コーヒーからも、らしさを感じましたね。 しかし、決め手はやはり、絵をわくわくして待っているというお返事でした。ここでそんなこと話したら、ばれてしまうじゃないかと。そういうところが、お茶目だなと感じます。笑 おかげで励みになりました。ありがとうございます。 タイトル、短い文章、写真、といった語ること少ないもろもろの要素から、作者とほとんど同じ想像を読者にさせるのは、むしろ大したことなんじゃないかと思いますよ。これは応用が利くのではないかな、と思います。詩もやはり、言葉を配置しながら、それらの関係性によって、イメージの星座をえがくようなところがあるかもしれません。 (裏庭に居ます)

2020-04-06

*本作を鑑賞してくれた方へ* この絵は千才森万葉さんの小説『ウサギと機械の少年』から着想を得て描きました。原作は、以下の作品内に抜粋されて載っています。興味ありましたら、ぜひご覧になってください。 『視野狭窄者のかくれんぼ』 ( https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=5052 ) (時計仕掛けのこころにふれる)

2020-04-04

千のなかに一があり 一のなかに千がある 千才の森に遊び 一つの果を味わい 一つの因からは 千の花が咲く 万葉の時代から 詠まれてきたもの 千の時を越えて 一つのめぐりあわせ こちらこそ、絵にこめた想いをすべて感じ取ってもらえて、胸が熱くなりました。原作と、この絵には、ほんとに、奇跡みたいな感応があったのだと。 機械の少年ロコは、ウサギの女の子イーシャが造ったと思っていたんですね。理由はなんだろう、発明家としての好奇心からか、手下として働かせるためか、それともウサギといえばさみしがりやですから、友達がほしかったのかな、とか。それで、自分の都合のいいように造ったはずの機械の少年に、かえって感情移入してしまった。惚れさせようとしていた相手に、こちらが惚れてしまった、みたいな。 ロコは、イーシャの分身のような存在かもしれない、という解釈のもとに、二人の色合いを対照的にしました。 ロコの、青い眼と、緑の服。 イーシャの、緑の眼と、青い服。 二人で一つの関係、そうしたものに憧れます。 千才森さんのいうように、この絵から物語を想像してもらうのもいいかもしれません。でも、原作も知ってもらいたい。なので、原作が載っている『視野狭窄者のかくれんぼ』を紹介したいなと思います。 絵や、断章や、そこから想像される読者だけの物語、それらは並行世界が無数に展開されていくようです。しかし、そのすべての土台になっている世界、『ウサギと機械の少年』の完成版も、いつか読みたいですね。 自分一人では、描くことのなかった絵。千才森さんの発想からの賜物でした。至福の体験を、ありがとうございます。 (時計仕掛けのこころにふれる)

2020-04-04

愉快なんです。だけど最後、ひじょうに悲しくなってしまったんです。それは、作者の意図したことであるかわからないのですが。 シマウマは、白黒で、それが喪を連想させます。その縞がふえるとは、つまり・・・ 白い骨の夜が近づいただけ 暖かなお祝いとは、葬儀のことなのではないでしょうか。だけど童話のように、賑やかで楽しい雰囲気、それがかえって、余韻を深くさせられました。こころをうたれる作品です。 (暖かなお祝い)

2020-04-03

白川さんへ どきどきさせてしまって、もうしわけないです。彼は、時計仕掛けのこころをもった、機械の少年なんです。デザインするにあたり、ピノキオはたしかに意識しました。この絵は、千才森万葉さんという方の小説のある場面から着想を得て描きました。原作もぜひ紹介したいのですが、千才森さんからの感想をまだいただいていないため、こちらから勝手に喧伝したりすることは控えています。しかし、絵から物語を想像してくれたことは、とてもうれしいです。ありがとうございます。 (時計仕掛けのこころにふれる)

2020-04-03

獣偏さんの、素直な感想に、こちらこそ癒される想いです。ありがとうございます。 (時計仕掛けのこころにふれる)

2020-04-02

tOiLeT さん おひさしぶりです。なつかしいですね。 一枚絵は、二月に『ホリデイ』という作品も投稿しています。もともとは絵も好きなのでした。 ポエジーは、たしかに詩に限ったものではありませんね。言葉と言葉、イメージとイメージ、などの関係性に詩情が宿るなら、人と人のあいだにも詩情があるのではないか、と考えています。本作に関していえば、千才森万葉さんという方の小説に着想を得ており、そうした交流や関係性にも、ポエジーを感じています。 (時計仕掛けのこころにふれる)

2020-04-01

湯煙さんへ 壁にかけられた図に気づいていただき、ありがとうございます。あれは、設計図みたいなものです。 (時計仕掛けのこころにふれる)

2020-04-01

これは、短歌集ですね。余白を多く設けているのは、それのみで独立している一首ごとに、深く味わえるようにという配慮であると思います。にもかかわらず、作品をとおしてまとまりが感じられるのは、やさしく繊細な感受性が底流にあるからではないでしょうか。とてもすてきな作品です。 (はずしわすれた風鈴が鳴る)

2020-04-01

文体がかっこいい。表題に明晰とあるわりには、語られている対象について曖昧模糊としているのですが、文章そのものにポエジーが宿っていて、痺れます。 アスファルトにおちていた匿名の液晶画面に映る断片的なエクリチュールの高輝度。 (明晰な断片による実験)

2020-04-01

これはすごい! 短めですが、このアニメーション一つに、どれほどの創意工夫と労力が注ぎ込まれていることでしょうか。こうだたけみさんならではの、言葉遊びめいた音韻と、漫画的センスを、活かしきっていますね。 坂口安吾との時空を超えた邂逅も、魅力的でした。般若の面にみる妖しさも、興を添えています。また、朗読ならではの巧みな表現を存分に感じられました。 新たな挑戦でありながら、ビーレビとしてもこの作品は一つの快挙であると思います。 (こっちにおいで)

2020-03-31

本作における月は、天体というより暦であるように感じられました。それ自体では定かではない語の、多義性を活かしているのではないでしょうか。 遠い風習、月を暦と捉えて、本文からは時間的に遠いことを思わされましたが、距離的に遠いこともなかなかすてきれず、やはり夢見心地な世界へつれていかれるような印象がありました。 芝生をかむ、草を噛むといえば大麻をやることの隠語が思い浮かびます。夢の端くれが見える、のちの展開にも通じていくような。耳をすまして、目をとじて。 芝生 - grass -glass - グラス - われもの - 破裂 という連想もしてみました。コップン、という音と、コップ(グラス)の類似も見いだせますが、これらは見当外れかもしれません。 芝生と、糸のような雪、これも形象的にどこか似ていて、芝生は下から、雪は上から、という方向性の対照を感じました。また、雪や氷、つまり冷たいものは、やはり薬物の隠語としても一般的で、こじつけるつもりはないのですけど、夢みるように時空を超越した自然との一体感、そこに往年のヒッピーカルチャーめいたものを想いました。 (遠い風習)

2020-03-30

ささらさんへ はじめまして。 情感あふれる感想を、ありがとうございます。本作の叙情について、うまく解説してもらえたようで、うれしいです。 雪は、舞うように降ってきますね。雪の結晶の行も、安定しているよりは、舞う感覚を味わえてもらえたらいいなと思い、くるくると視線を動かしてしまうように配置してありました。 (はっかといちご)

2020-03-29

やはり詩を書く者として、日本語の美しさや情緒は、たいせつにしてあたりまえであると思います。私の作品を読んで、学んだつもりになってほしくはありませんね。興味を増してもらえたなら、幸甚です。 (非在)

2020-03-28

写真の、かさなって交差している竹の棒が、なにかを表象しているかのようですね。竹、まっすぐに伸びた、二つの線がまじわる、みたいな。 ちょっと寂れた感じがあるけど、人のまわりの深緑は瑞々しい。「緑陰」という言葉がよく似合う、枯淡の風情があります。 裏庭に居ます、とても印象的なタイトル。広い庭のあるお屋敷を訪ねたら、玄関先に置き手紙がしてあった。裏庭へまわると、どこか浮世離れしているような屋敷の主人が、庭仕事のあいまに缶コーヒーでほっと一息いれながら、石の置物に語りかけていた、そんな想像をしてみました。 (裏庭に居ます)

2020-03-28

裸の羊からしてそうなのですが、とてもエロティックな連想をさせられる詩でした。こうしたシュルレアリスティックで耽美的な作風は、好みです。 (羊皮紙の夢)

2020-03-28

なゆた創さんへ 生命力あふれる花と、かくり世の気配、この対照は狙ったところがありますね。それは菜の花の句に顕著であると思います。 クリティカルヒットをあたえられる句、詠みたいですね。 (非在)

2020-03-28

帆場さんの熱意が、私は好きです。選考掲示板の勢いも、拍車をかけているのかもしれません。 テキストから逸れたことを語るのは些か抵抗があるのですが、私はフォローしているなゆたさんのツイートを日々見ていて、あのワニの漫画に対する想い入れの深さを感じていたんですね。時勢に影響されているとか、他の誰かがやるだろうなどといった打算めいたことはほんとうは関係なく、作者にとって感動したことや、想い入れのあるものは、詩にしてあたりまえであると考えます。それに理念よりも情熱にしたがって書かれた詩のほうが、私は好きです。また、作者のことは別としても、書かざるを得なかった、なにかしら表現に衝き動かしているであろうものを、この詩からは感じられました。 (メメント・モリ2020)

2020-03-27

本作に対して私は、帆場さんとは真逆の発想で、タイムラインに流されてしまうからこそ、作品に昇華する意義があったと思うんですね。数年後、この詩をよみかえしたら、どのような深い感慨があるだろう。そこに、2020年春の此性(ヘクシアティ)を感じたわけです。 追伸 ツイッターで、なゆたさん自身による本作の解説を読み、よく作り込まれているなとあらためて実感しました。 (メメント・モリ2020)

2020-03-27

エイクピアさんへ 一年ほど前に『唯識デカダンス』という、四季の俳句を集めた作品を投稿したとき、まりもさんからコメントをいただいて、一つの季節感で統一したほうがいいのだろうかと考えさせられました。あのときエイクピアさんからは、現代詩かと思ったという感想をいただいたことを、覚えています。 たんなる俳句の寄せ集めではなく、コンセプチュアルな作品に仕上げることは、これからも試していきたいなと思っています。 (非在)

2020-03-27

トビラさんへ 五句を選んだのは、縦書き表示にしたとき、横にスクロールせず、一画面に収まるからでもありました。小品として、愛でられるように。 物語性は、本質ではありませんね。あくまでそうした読み方もしてもらえたという結果。だからこそ、千才森さんからの感想は愉しいと思いました。 沈丁花、菜の花、お香、これらの香りをどれも似ていると感じられたことは、意外でした。私からしたら、それぞれの香りは、まったく違うものですから。しかし似ていると感じられたのは、非在という主題に沿っているからなのかもしれません。 オリジナリティについての見解もありますが、俳句の基本は写生にありますからね。その点、造語を編み出したりなど、ありのままの現実というよりは空想に近い作品を書かれるトビラさんとは、本作の方向性は異なっているのかもしれません。もちろん、空想性を否定しているわけではなく、差異を述べているだけであって、空想することは私も好きではあります。 (非在)

2020-03-27

構成が、わかりやすいですね。 作中主体の、未来への漠とした心配が感じられました。しかし、じつは本人が心配するほど深刻な状況ではないのでしょうね。どれをとっても、そのままでもうまくいきそうな気配が漂っています。なのに不安になってしまっているところに、この作品の本質があるのかもしれませんね。とくに三連目は、空に太陽が輝いているにもかかわらず、明日は晴れだろかと心配している。はじめは読んでいて違和感を覚えた表現なのですが、これも病的なまでの心配性の表現だとすると、しっくりくる気がしました。 (春)

2020-03-26

アンドロギュノス(両性具有)にもかかわらず、首だけしかない、つまり性器が存在しないという妙味。それはあたかも、実態を伴わないのに概念だけがそこに在るかのよう(首だけというのも、さらに暗示的です) これは、のちのアリストテレスにも関連していきますね。いわゆる形而上学的なもの。 あくまで一つの解釈ですけど、首=概念と捉えるなら、首だけが不気味に提示されている作中の状況は、目には見えないウイルスによって混沌としているいまの世相を反映しているかのように思いました。作中主体には、その見えないものを掴んで、駆け出したい衝動があったのかもしれません。ただ、十六歳の僕に似ているなど、なにかしらよりナイーブなものが秘められているようにも感じられます。 全体的に仄暗い水気を帯びた、梅雨時の不穏さが表れている詩だと思いました。 (六月)

2020-03-25

いまのところ肯定的なコメントが続いているので、私からはあえて、批判させていただこうかと思います。  詩人が表現をすれば、それは詩です。 たとえそうだとしても、自ら云うことではない。私は詩人です、と宣うことの空々しさよ。 そもそも作者は本作において、肯定や賛同を欲していたのだろうか。一石を投じることによって巻き起こる波乱こそを期待していたのではないか。これを単純に喜んで受け入れるようなやつらは、腑抜けだ。プライドはないのか。拳には拳で、作品には作品で、応えようじゃないか。 (imagine)

2020-03-25

桜散る交差点にて鰐偲ぶ 2020にみる此性。タイムラインに更新されたもののあはれ。死期 - 四季、永劫回帰する春、の、スナップ写真。 (メメント・モリ2020)

2020-03-25

地球さんの詩としては、文章にキレがない。しかし、語られていることは、とてもよくわかります。ウイルスも、愛も、あるいは神や、魂も、目には見えないけど、私たちの生はそれらに影響されている。ちいさなエッセイとして、上質であると感じます。 金子みすゞの詩「星とたんぽぽ」の一節を想い起こしました。 見えぬけれどもあるんだよ、 見えぬものでもあるんだよ。 (愛とウイルス)

2020-03-24

そうですね、やはり、かくれんぼの句が決定打になり、本作の主題が明確化しました。春の宵みたいな、心地よさは、私としてもあります。ありがとうございます。 (非在)

2020-03-24

妄想と、現実、二つの世界がえがかれていますね。 ベッドに固定されている 終盤のこの一言だけで、精神病棟に入院していることが察せられる、換喩として機能しています。題名にある脱糞からギャグを連想する方も多いのかもしれませんが、ここまで読むと、それがシリアスな印象に転じます。 精神錯乱状態であるなら、この高村菜穂は、患者による妄想の産物であるかもしれない。患者自身、実際は高校生ではないどころか、性別さえ違うかもしれない。そこに、いい意味で、うすら寒さを覚えました。ただ、そうなると、ベッドに固定されているのが高村菜穂であると明示されるのは、惜しかったように思います。想像の余地があたえられても、よかったかもしれません。 とりあえず心理学部に入ればいいかなと考えている 気づきにくいのですが、この文章も、精神科的な暗示を読者にあたえているようで、巧妙だと思いました。 (菜穂は激しく脱糞した)

2020-03-24

関係性の、おだやかさを感じますね。 たとえば、犬を散歩させる人。対象ABが、線でつながれている。その方向性が正反対であったりなど緊張していれば、線もぴんっと張り詰めて直線になりますけど、ゆるやかに曲線であるのは、その関係性がおだやかであるからではないでしょうか。無機質でありながら、やさしさを感じられる一行詩でした。 (無題)

2020-03-24

春の香を たどりてゆけば 千才森 夢に咲く花 妹のいたずら かくれんぼの句は、まさしく、千才森さんの作品、もっといえば隠恋慕から着想を得ました。笑 在るようで無く、無いようで在るのは、恋心も同じかもしれませんね。 かくれんぼは、みつからなくても、たのしいかも。そのほうが、いつまでも戯れていられますから。春の夜は、心地いいし。 五つの句を、一連の幻想的な物語のように解釈してくれたことも、うれしかったです。さすが、千才森さんの想像力。 春雨、万物にあまねく降りそそぐ慈雨は、仏の慈悲心の譬えにもなっている、と、いつかの千才森さんの作品でそんな話しをしたこともありましたね。 作品から影響を受けるといえば、もうひとつ、千才森さんのある作品からインスピレーションを受けて、絵を描きました。来月、ここに投稿したいなと思っています。まことに勝手ではありますけど、楽しみにしてもらえたら、うれしいです。 (非在)

2020-03-23

白川さんへ 俳句をちょこちょこ詠んでいて、うかびあがってきた共通項をもとに、五句を選びました。なので本作は、主題のほうがあとになります。 在るようで無いもの、無いようで在るもの、その代表的なものは死後の世界であるかもしれませんが、それに限らず。 深く観じとっていただき、たいへん嬉しく思います。ありがとうございます。 (非在)

2020-03-22

ミリウェイズさんへ 夢か現かさだかではないような雰囲気が好きなこともあり、うすぼんやりとした情景を感じてもらえたなら、うれしいです。ありがとうございます。 (はっかといちご)

2020-03-21

ABさんへ かくれんぼの句は、本作でいちばんたいせつにしていたところです。良いと感じてもらえて、よかったです。ありがとうございます。 (非在)

2020-03-18

ABさんへ 雪の結晶は、六花といわれるように、基本的には六角形だと思うんですね。この結晶は、作者としてはおまけ要素だったのですけど、本文以上に気に入ってもらえて、それはそれでうれしいです。ありがとうございます。 (はっかといちご)

2020-03-18

おもしろかったです。天使がなぜ主人公のまえにあらわれたのかとか、こまかい事情なんかは本題ではなく、重要なのはおそらく、幸運はとつぜんに舞い降りてくることもある、という示唆だと思うんですね。そのとき人は、変化をおそれて躊躇し、幸運をみすみす見逃してしまうこともあるでしょうが、前向きであれば、幸運を掴むこともできる。人生にたいせつなのは、ノリ、なのかもしれないな、と思わされました。 それに、ノリのいい気分でいられるなら、たばこやお酒といった嗜好品も、案外わるくないんじゃないかなと思います。まあ、健康を損なわない程度に。 (ショートホープ)

2020-03-18

ゆいさんへ 気に入ってもらえて、うれしいです。ありがとうございます。 水仙の香り、私も好きです。下品な意味ではなく、官能をしげきするような詩を書きたいな、とは思っていました。 (はっかといちご)

2020-03-18

白川さんへ 静けさや、寂しさは、私の底流にあり、程度はあれ、どの作品にも滲み出ているのかもしれません。 少し時を経たフィルムのよう、とは、うれしい感想ですね。どちらかというと、解像度の高いものよりは、そうしたくすんだ風合いに、私は惹かれます。 コメントありがとうございます。 (はっかといちご)

2020-03-18

「ポンズを一滴垂らすと美味しいの」 それが幸せになろうとする人間の台詞でしょ? やはり、ここが沁みますね。ポンズ、それ自体ではしょっぱいもの、でも、ちょっとだけ垂らせば、料理がとても美味しくなる。人生もそのように、ちょっとしたしょっぱさが、味わい深くさせるのかもしれません。 惜しむらくは、ポンズに合う料理かなにかの描写をくわえていたら、さらによかったのではないかと思います。夜廻りから、ポンズは、とうとつに出てきた感が否めませんから。 (夜廻り)

2020-03-18

想像のふくらむ、すてきな詩です。そして、ひとつひとつの詩語がさりげないようでいて、うまく磨かれていて、うつくしいです。 補聴器、まわりの音をよく聴くため、まわりをよく理解するためにあるもの、それをなくしたがために、やさしかったせかいに背を向けられた、いままでまわりと同調するためにがんばってきたことが報われなくなったかのような、かなしみが、伝わってきます。 わざと呼吸をずらしながら わたしたち会話をする ここにも、いたたまれない、かなしさがあります。正直に話していては、けっしてわかりえない他者と、どうにかコミュニケーションをはかろうとする、健気さのよう。 もしかしたら、この詩の主体は、みずからのほんとうの出自(=故郷)を、人間たちの社会ではないどこか(その象徴としての海かもしれない)、ということを感じているのではないでしょうか。その、現世にたいする異邦の感覚こそ、人魚性であるような。 わたしのなまえは水溶性だと知った とてもうつくしく、琴線にふれる、よい詩です。 (人魚性)

2020-03-17

全体的に、浮ついている印象。宗教的恍惚感にまかせて書き走ったような、あるいは熱病におかされて神経が昂っているような、その意味では、「感閃」といった感染症を彷彿とさせる造語は、はまっているかもしれません。 (ここからは些か否定的な見解になってしまうことをお許しください。) 先日トビラさんが、石村さんの批評文に触発されて「物を書く」ことに取り組まれた姿をみて、がんばっているなと関心したのですが、今作ではまったく逆で、物を書くどころか、空想に走っているように見受けられました。それは先程述べた、浮ついている印象にも通じてきます。(その点、『苺シロップ』は、物を書くことをまだ意識されていたように思いました。) 発晶、冠治、などなど、病気にまつわる言葉をもじって綺麗にしたような造語が目立ち、一見すると愉しいようにうつるのですが、これもどこか、現実から遊離しているように読めてしまいました。つまり、現実の言葉を、空想的に作り変えてしまっているのではないかと。 あと、男女の二項対立を指摘した獣偏さんの視点は鋭く、私は好感をもちましたが、対立という語に誤解を招かれたようで、それ以上議論が発展しなかった憾みはありますね。二項対立というのは、二元論のことであり、いわゆる諍いをあらわす「対立」のことではありませんから。 (サヴァンな)

2020-03-16

個人的な思い出なのですが、夢の島と聞いてもなんのことかわからない方がいて、ごみの埋立地だったことを教えたら、笑っていました。 瑞々しい筆致でえがかれた、楽園のような情景。かつてはごみ処理場だった土地に公園や植物園が整備された「夢の島」の沿革を思うと、実際においてもファンタジックだなと感じます。その「夢の島」という語の多義性を、うまく詩に表現された、佳作であると思います。 「埖」という漢字があり、(ごみ)と読み意味もそのとおりなのですが、私はこの字を美しいと感じています。どこか、本作にも通じるものがあるように思いました。 (夢の島)

2020-03-15

ひいらぎさんへ 詩において、うつくしさをたいせつにしていますし、これからも、たいせつにしていきたいと想っています。とてもうれしい感想を、ありがとうございます。 (切創)

2020-03-14

冥王星でもらった首飾り 忘れ去って あの羽虫が十回羽ばたくまで 映画を見ていようと思う このあたりが秀逸で、眩暈するかのようでした。宇宙大から、羽虫の十回の羽ばたきという極小まで、時空のイメージがめまぐるしくて。 冥王星、ハデス、そこには死が表象されているともいえそうです。一方、羽虫というごく小さないきものの羽ばたき、宇宙からみた生の短さが表れているような。人生はまた、映画のようなものかもしれません。 ただ、その後の文章は、いささか凡庸であることが、惜しかったです。 (あす)

2020-03-14

シンプルな作品で、好感をもちました。林檎といえば、禁断の実、つまり性的なものを連想させ、比喩としてはいささか安直ではあるのですが、ゆっくりと林檎をむくようにおたがいを知っていき、恋心があらわになったら、あとはかじるだけ、みたいな展開が、なかなかいいなあと思いました。 (恋の林檎)

2020-03-14

ふじりゅうさんのコメントによって著者から引き出された論述に刺激されて、かつ本作についてまだ語り足りていないところがあると思っていたこともあり、またまた失礼しますね。 千才森さんは、詩については、わりと短い作風が得意ではないですか。で、詩単体では投稿作品としてはよわいものも、こうして大きな作品のなかに挿入することによって、発表の機会を得ている。これは、自分自身の長所も短所も弁えている上での、その長所を活した賢い発想だなと、本作を読んで感じたのでした。過去にもオムニバス形式はありましたけど、主となる文章の合間に、千才森さんの言を借りれば〈挿絵〉のように表現されたことは、なかなか斬新でした。(匿名のはずなのにちゃっかり名前を出しちゃうところも含めて。笑) あと、本作のなかで私が最も気に入っている、『ウサギと機械の少年』。クライマックス的な場面だけを断章的に挿入しているのですが、だからこそ、その前後にあるであろう物語に、想像が膨らむんですね。その在り方は、詩の方法にも通じているように思います。ちょっと難しい言い方をすれば、この断章は、物語における〈提喩〉として機能しているのでしょう。 最後に、本作はただ読ませるだけではなく、読者に〈体験させる〉という工夫があったこともよかったです。(いわずもがな、それは、本編最後の設問のことであるのですが。笑) まさしく本作は、千々の草花が咲き乱るるといふ、千才森の一つの作品化であると思います。また、そこにはこれからの創意工夫の可能性をも、存分に含んでいると思いました。果実のなかに、種が含まれているように。 個人賞のなかのさらなる個人賞に推したい、といえば変な言い方ですが、私から千才森さんへ、たのしかったで賞を、ここに授与したいと思います。では、これからも愉しみにしていますね。 (視野狭窄者のかくれんぼ)

2020-03-14

宇宙服を着て、船外の無重力空間を遊泳している、命綱がたった一本つながれていて、そこには、吊るされた人とのアナロジーを覚えます。虚無、涯しない孤独。 二度目の夜はいっそう暗い場所に繋がっている 不気味なほどの説得力を帯びている言葉。状況のみならず、精神的にも、闇のなかにおいつめられているような。 その死因を 誰か一人でも 厳格な優しさで記してあげられたなら 難解で、グロテスクですが、琴線にふれる、優れた詩です。 (宇宙飛行士の解剖)

2020-03-13

三連目以降の文末は、母音uでそろえてあって、小気味よいですね。サリンジャーの小説のある場面みたいな、風変わりなユーモアがあって、冗長気味だけどそれがかえって心地よい、軽妙洒脱な作品だと思いました。 (トマトの缶詰めについての詩)

2020-03-13

帆場さんへ 視線が外を向いているのは、千才森さんも想像をめぐらせてくれましたが、そこに誰かが訪れたからなのかもしれませんね。彼の視線の先にいるのは、待っていた方か、それとも、この作品を鑑賞している方だったりするかもしれません。客になったつもりで鑑賞してみるのも、たのしそうですよ。 お茶が脱俗世を表しているというのは、好ましいです。それは茶室文化にも通じていますね。 (ホリデイ)

2020-03-11

湯煙さんへ 本作から、ゆったりした時間を感じてもらえたなら、うれしいです。ありがとうございます。 (ホリデイ)

2020-03-11

沙一はじつは猫だった、ばれたかっ! というのは冗談ですけど、たしかに休日はカフェで読書していることが好きです。自画像として似ているかどうかは、もしもお逢いすることがあったら、ぜひ確認してもらいたいですね。笑 題名は、いい案が思いつかなかったんです。絵で語っているのだから、よけいな言葉はいらない、という意識もあるのかもしれません。むしろ、言葉で補うなら、それは絵としては不完全ではないかとも考えたり。とはいえ、自由な題名で相乗効果をねらえたら、それに越したことはないのですが。その点、千才森さんは、ユニークな題名をつけるのがうまいなと思います。 絵に心地よさを感じてもらえて、うれしいです。いろんな想像もしていただいて、ありがとうございます。 本の内容について言及してくれたので、お話しすると、じつは、本の表紙には、魚のほかに、魚を抽象化した〈イクトゥス〉というものも描かれており、これはキリスト教を象徴する記号なんですね。なので、読んでいるのはキリスト教に関する本か、あるいは記号論に関する本ではないかなと、作者としては推測しています。どちらにせよ、かわいい表紙とはうらはらに、難しそうな本ではありますが。でも、ブックカバーもいいですね。もしあったら、ほしい。 洞窟のなかという状況には、ゲームが好きな千才森らしい発想で、吹き出してしまいました。笑 私もRPGや、ローグライクゲームといわれるダンジョン探索型ゲームが好きで、夢中になっていたことがありました。ダンジョンのなかに、お店だったり、意想外なキャラがあらわれたりすることもありますね。 ところで、私はほんとうは、詩よりも絵のほうが趣味としての経験が長いです。でも、ストーリーを考えるのはあまり得意ではなくて。 千才森さんのこのまえの作品に抜粋されていた『ウサギと機械の少年』に惹かれていて、絵を描いてみたいなあと思いましたよ。 (ホリデイ)

2020-03-11

はじめまして。 難解ではあるのですが、修辞をとおして繊細さが伝わってくる、卓越したセンスを感じます。おそらく、現代詩がなにか、直観的にわかっているのではないかと思います。 あえて分析するのはもったいなくも思うのですが、端的に書くなら、本来、道路を誰しも安全に渡るためにあるはずの横断歩道、そこにさえも理想的と見做すような、社会からの疎外感、あるいは世俗に染まりきれない高潔さを、ひしと感じました。 (理想的な横断歩道の渡り方)

2020-03-09

るるさんへ 春はつかのまで、だからこそ甘美なのかもしれませんね。感想をありがとうございます。 るるさんのご要望にお応えして、平らなテキストをここに載せますね。   雪の結晶は   水にとけて   天にのぼり   時がくれば   再び地上に   降るのです じつは、この文章がさきにあり、結晶化はあとから思いついたのでした。 (はっかといちご)

2020-03-09

シュールなお話で、これはなにを云いたいのだろうかと思いながら読み進めていたのですが、終盤、骨身に沁みるような叙情に、目頭が熱くなりました。落差が、やばいです。 もう数十年も前の話なのに まるで新品の思い出のように おまえを産んでよかった、と言う 抗いながらも結局は、うねうねと、蛇行するような人生だったのかもしれません、このお話の主人公は。 (ヘビと戦う)

2020-03-08

骸骨スフィア、二字熟語とカタカナ語の組み合わせが好きで、私もたまにそんな風なタイトルをつけたりします。 千才森さんがかねてから志向されていた、小説と詩のあわいのような作品ですね。表現から、シェイクスピアっぽい雰囲気も感じました。口語体で、場面転換もないことから、本文を台本と捉えて、演劇にも向いているかもしれませんよ。昏い舞台のまんなかに、白い骸骨をまえにして、白いドレスの女性が、プラトニックな愛を高らかにうたう光景が、なんだか想像できます。 じつは、私はミイラの詩を書いたことがあります。私の作は、前半と後半で主題がずれるのですが、とくに前半が千才森さんの作品とも響きあうところがあるかもしれないなと思いました。僭越ながら、この場をお借りして紹介させていただきますね。 『ミイラ』 三百年前の少女のミイラに考古学者は欲情した 少女はもはや微笑むことも言葉を発することもない しかしそれがよかった 彼女は理想化され聖化されていった ——過ぎ去ったものはみな美しい 考古学者が少女のミイラと破滅的な情事に耽っているころ 詩人もまたミイラについて夢想していた 彼は修辞によるミイラ作りに専念する 甘酸っぱい魂の記憶 死後、時を経ても再生を夢みて (骸骨スフィア)

2020-03-08

口語体の文を、スラッシュあるいは読点で歪に区切っていく、そこに、自傷めいた痛々しさを覚えました。 あちらこちらで津波が起きているから ハッとさせられる言葉でした。津波という大きな災害、しかし、当人にとってはそれと同等ともいえる悲惨なことが、いつもどこかでだれかに起きているのだと。 処女のままこどもうませてください 処女懐胎といえば聖母マリアで、高潔でありたいという願いを読むこともできるのですが、特別な存在(あるいは偶像)になりたいという承認欲求のようにも感じられました。すると、事前にあった安直や凡庸という語とも、つじつまが合います。 鬱積した心情が、洪水のように、おしよせてくるのを感じる作品です。 (閉塞に慣れすぎて)

2020-03-07

石村さんへ 過分な評価をいただき、恐縮であるとともに光栄です。まことにありがとうございます。 (はっかといちご)

2020-03-07

渡辺さんへ 本作は気恥ずかしさもちょっとあり、匿名投稿は都合がよかったですね。 作者名の先入観があったら、あえて指摘なされなかったかもしれない、渡辺さんからのコメントを、うれしく思っています。 雪の結晶を模したテキストについては、ほぼ狙い通りの反応で、おもしろいと感じていただき、ありがとうございます。 (はっかといちご)

2020-03-07

トビラさんへ この詩の物語はフィクションですが、この詩を書いたときの心情はたしかなものでした。そうした情念が伝わったのかなと思います。心にしみたとのご感想、ありがとうございます。 (はっかといちご)

2020-03-07

リフレインが印象的なのですが、〈小指のない約束〉これはなかなか詩的で、この一語だけでも情感を表せるところに、詩というもののよさがあります。つまり、不確かさも、不透明さも、かなしみも、〈小指のない約束〉という言葉に含意されているので、あえてそれらを語ると、詩としては間延びしてしまいます。ただ、リフレインによる文の音楽的な効果は見込めるかもしれませんが。 (ひぐれて)

2020-03-06

千才森さんからお返事をもらってからフォーラムを見てみたら、私の『ホリデイ』にも句を詠んでくれていたんですね。なんだか、千才森さんの休日観が表れているようで、微笑ましかったです。お化粧して遊びに出かける日もあるでしょうが、そういうのを脱いで、ひとり書架に籠るのが、純なホリデイの過ごし方かもしれないな、と。絵にあたらしい解釈をあたえてもらえたようです。ありがとうございます。 (視野狭窄者のかくれんぼ)

2020-03-04

この作品にはたくさんの海のいきものが登場しますが、どれもあえて漢字で書かれているのが好いです。この工夫がなかったら、たいしておもしろくなかったかもしれません。竜宮城で海の幸が舞い踊っているように、本作ではさまざまなイメージを含んだ漢字が舞い踊っていますね。とくに抹香鯨を気に入っています。この作中世界の浮世離れした雰囲気が、〈抹香〉という字からも漂っているようで。文字へのフェティシズムみたいなものをくすぐられるようでした。 (海底二万海里奇譚)

2020-03-03

おひさしぶりです。ネタが尽きたみたいなことを以前に作中で語っていたので、もう来ないのかなと、ちょっと諦め気分でいたところに、意想外な仕方での再登場をありがとうございます。(しかもすごい文章量) 匿名制を利用しながらも、作中に著者名を織り込んでいるあたり、あらためて愉快な方だなと感じてしまいました。笑 以前からコメント欄などで感じていたことなのですが、思考の流れをこうして文章化するのが、千才森さんは得意そうだし、上手いなと思います。 小説はトランクで、詩はファッション、というくだりも、もしかしたら賛否はあるかもしれませんが、なるほどなあと私は思いました。 断章的に挿入された小説の一節もすてきで、本文を読んでみたいと思わされましたよ。 作中に本物の千才森さんが一人きり居る、という最終問題。考えたのですが、それはこの設問そのものに居るんじゃないかなと思いました。というのは、本作のどれも千才森さんの文章にしか感じられませんでしたし、『さみしんぼ』というのも、なんとなく千才森さんらしく感じられて。 とはいえ論理的には、この設問が偽であるなら、そもそも作中に一人きりという千才森さんも偽であるだろうし、設問が真なら、そこに一人きりの千才森さんはすでに顕れてしまっていると思ったからです。もしそうではないとしたら、本作の外、つまりコメント欄などで、この難問は出題するべきだったと思うんですね。しかし、設問自体も本文に組み込まれていますから。 『視野狭窄者のかくれんぼ』(隠恋慕?)という題名も、詩語として興味を惹かれて、とてもよかったです。 (視野狭窄者のかくれんぼ)

2020-03-01

春の夜って、静かなんですよね。たぶん、暖房器具の音も消えるし、秋のような虫の音も無いからなんじゃないかなと思います。 そんな静かな夜を識る感覚が、詩的だなと感じます。 どちらかといえば動脈の律動の方が感じられそうなのですが、静脈という語には、静かな、受け身のようなものも表象されているのではないかなと思いました。 (静脈)

2020-03-01

風を感じたければ、窓を開ければいいものを、割ってしまうところが、いいですね。いや、いいのかはわかりませんが。それだけ鬱積した激しい感情が伝わってきます。せめて詩のなかでは、開放感を求めてもわるくないな、と思いました。 本当に大人なのか、と省みながらも、ガラス窓に映った自分の顔が活きいきしていた、という落としどころも、スムースでよかったです。 (窓の外風吹く)

2020-03-01

このサイトにいまこのときに投稿されたことにより、映えている作品ですね。しかし、たとえ他所で公開されたとしても、本作の寓話的なおもしろさは損なわれないであろうと思いました。 (John Does Jane Does Town)

2020-02-29

ぼくはひとりで春になろうとした この最後の一行がうまれるまでに、さみしさや、かなしみが、おそらくたくさんあったのだろうと、想わずにいられませんでした。 (ある春)

2020-02-29

アールヌーボーの夜、とてもすてきじゃありませんか。春先の夜の、いきいきとした雰囲気が、顕れているようで。 36℃のとなり、人肌の換喩として、これもいいなと思いました。 本来なら広い砂漠を旅するはずのラクダに乗って、公園、あるいは砂場でしょうか、狭い世界を散歩する感覚もおもしろいなと。 首の折れた椿姫、椿はまさに、花弁が散るのではなく花ごと落ちて、そこに女性らしい哀しさを託すのはわりと見受けられる表現ですが、そのあと、くもりガラスには写らない、というのがなかなか秀逸だなと思いました。落椿の悲哀も、不鮮明な視界には、その姿が視えないのだろうと。しかし、だからこそ、羽目を外して夢を見ることもできるのかもしれません。 そのように情念をミスティフィカシオンしつつもファンタジーに興じた作品であるように感じました。 (偽善者)

2020-02-29

ステレオさんへ 単語そのものが詩的、これはよい指摘です。(駄洒落ではなく) ただ、かならずしも勢いや派手さがあればいいというわけではありませんね。水平線に日が沈むように、消え入るように感じてもらえたとしたら、表現としては正しく伝わったかと思います。 回教徒という語を気に入っていただいて、ありがとうございます。これは旋回舞踊で有名なスーフィー(イスラム神秘主義者)を意識していました。くるくる舞う姿が、回教徒の「回」の字と響きあっているように思えて。終わりと始まり、生生流転、そこにこの詩の主題があります。 (空と海の涯、水と砂の際)

2020-02-28

なにかを語るよりも、象徴的に対象を用いる手法は、私は好みです。しかし最後の一行だけは、ストレートでわかりやすいのですが、安直に締めてしまった感が否めません。やみとこころ、それを巧く表象する言葉が、他にもあったのではないかな、と。 一般的には蝶は昼行性、蛾は夜行性とされていますが、そうとも限らず、同じ鱗翅目であり、蝶と蛾を区別しない言語圏もあるそうですね。とはいっても、タイトルが蝶であり、本文に書かれているのは蛾であることには、興味をひかれました。 (   蝶)

2020-02-27

親指といえば男性器の隠喩としてわりとベターで、タイトルにあるキスという官能的な語と併せ、観音菩薩の聖性と対比されており、一行の言葉と画像で詩的効果を発揮することに成功していると思いました。 ところで、私のこうした読解は新鮮味に欠けている上に俗っぽいですが、るるさんの一句とそれに対する鈴木夜道さんのお返事は、素晴らしいです。 (観音菩薩にキスしたら)

2020-02-27

S_Ujiie さんへ 儚くて、耽美的、そのようなモチーフに、私は惹かれるようです。コメントありがとうございます。 (空と海の涯、水と砂の際)

2020-02-25

みうらさんへ 西海岸を舞台にしたビート・ジェネレーションの文学作品の一節みたいな文章をありがとうございます。 (空と海の涯、水と砂の際)

2020-02-25

短い詩行に、強いコントラストが描かれているね。 はてしなく広大なウユニ塩湖と、ごく小さな吸い殻。聖なる天使と、俗なタバコ(これにはヴァン・ヘイレンのアルバム「1984」のアートワークを想起した) 二行目だけでも成り立っている気がするが、そこに一行目が加わることで、さらに化学反応が起きている。 世俗的な都市、東京から、浮世離れした、神秘的なウユニ塩湖へ。ガソリンという現実的なエネルギーで、幻想的世界へ。 (TOKYO)

2020-02-24

季語をタイトルに用いた一行詩ということもあり、俳句に近い印象を受けました。読点より前は五七五になっていますし。 「余寒」という語は、「予感」と掛けているのだろうかと思いました。どうせなら、春を予感したいものですね。そう考えると、この詩における死は、冬の断末魔の叫びが、凍みる風になっていたと解釈することもできそうです。 (余寒)

2020-02-21

本文には直接書かれていませんが、この詩に至るまでにあったであろう、社会生活の疲労が、作品に滲み出ているかのようでした。つかれていたからこそ、入浴剤に森の香りを求めたり、お湯に浸かってほーと息がもれたりしたんだろうな、と。夢想的な森に、癒される思いです。 正解も知らないけど、といったフレーズが、漠とした気持ちを表すアクセントになっているようにも感じられました。 (forest)

2020-02-21

メンヘラクレスさんへ mupic というアプリについて初めて知りました。試してみましたが、自分の描いた絵がこのように音楽に変換されるのは、感慨深いものがあります。教えていただいて、ありがとうございました。 (ホリデイ)

2020-02-21

なゆた創さんへ 詩とはなにか。 この場に非言語的な作品を投稿することには、まさしくそのような〈問い〉が内在しているのでしょうね。 とはいいつつも、難しいことはおいといて、しんぷるに絵を愉しんでもらえたら、それでいいなと思っていました。 微笑ましく愛すべき絵、そのように仰っていただいて、描いてよかったなと思います。とてもうれしい感想を、ありがとうございます。 (ホリデイ)

2020-02-19

ABさんへ ここに画像や動画を投稿することの特色は、それら非言語的な作品も、詩人の視点によって鑑賞や批評がされることではないかと思います。もし、本作によって、詩心に刺激をあたえることができたとしたら、うれしいかぎりです。 (ホリデイ)

2020-02-19

羽田恭さんへ ますむらひろしさんの、銀河鉄道の夜のアニメ、おもしろそうですね。観てみたいなと感じます。 (ホリデイ)

2020-02-19

黒羽 黎斗 さんへ これは詩ではなく絵ですね。このサイトには、言葉による詩だけではなく、絵や写真や音楽や動画といった、多種多様な作品があつまってくれたらいいなと思っています。 (ホリデイ)

2020-02-18

天野しえらさんへ 好きだと仰ってくれて、うれしいです。ありがとうございます。 路地裏の店の主人という発想も、とてもすてきですね。休業日に、一人でくつろいでいるのかも。 猫って、透徹したまなざしで、思慮深そうにしていることがありますよね。表情を気に入ってもらえて、よかったです。 (ホリデイ)

2020-02-18

楽子さんへ かわいいと感じていただいて、素直にうれしいです。ありがとうございます。 たしかに、「犬歯」の雰囲気と似ていたりしますね。 猫の擬人化は、かわいいし描きやすいのですけど、ちょっとあざといかもしれませんね。笑 たもつさんへのお返事にも書きましたが、この絵からいろいろ想像をめぐらせていただいて、うれしいかぎりです。 家にいるとリラックスするというより怠ける、この気持ちはよくわかります。笑 私も、カフェにいるときの方が読書に集中できます。でも、絵を描くときは、一人きりの世界に没入できる、自分の部屋がいちばんです。 (ホリデイ)

2020-02-17

たもつさんへ とくに難しいことを考えず、ふと思い浮かんだイメージを表現してみたくなり、感覚的にえがいた、気まぐれならくがきです。なので、キャラクターや背景などの設定も考えていませんし、感じるままにいろいろ想像していただいて、とてもうれしく思っています。 もともとはタイトルもありませんでしたが、コーヒーを飲みながら読書するのは私の好きな休日の過ごし方でもあり、他に気の利いたアイデアもないので、投稿するにあたりこのタイトルにしました。 たもつさんの仰られる、絵の鑑賞の仕方がわからないというのが新鮮でした。人それぞれ、自由に感じればいいような。それでも、たもつさんはしっかり鑑賞されていると思いましたよ。 たもつさんのような方の目にふれていただいて、感想までもらえて、詩や文章が大半であるこの場に本作を投稿した意義もありました。ありがとうございます。 (ホリデイ)

2020-02-16

心に兆すものを、修辞が覆うというよりは、言葉にし難くも言葉にしようと努めて表現された作品であるように感じました。 石が囀るのもいい これは、静寂を表現した極致ではないかと思います。 ないものはない というトートロジーをうたうカナリアの声も、遺影として顕れる、どうしようもなく孤独感がつたわってくると共に、耽美さも覚えました。 仄暗いトーンでえがかれた絵画的な詩、らんらんといった擬態語のかわいさが、かえって狂気に近い要素を醸し出しているようでもありました。 (影鳴く湖)

2020-02-14

ariel さん そうですね、抑えていた情念を、詩の最後にのぞかせてしまったみたいなところは、あるかもしれませんね。 余韻をのこせたようで、うれしいです。ありがとうございます。 (犬歯)

2020-02-13

軽快なパンクロックを聴いているみたいな。飾らない、裸の言葉で、骨太なメッセージが伝わってきます。メッセージを通り越した、大言壮語ぶりには笑ってしまいますが、元気をもらえることは確かです。ツイッターで人気のTestosterone 氏を彷彿とさせられました。 (人生万歳)

2020-02-12

カオティクルさん 私はカフェに居る時間が好きですが、お酒は家で呑む方が好きです。眠たくなってもいつでも寝られるし。カオティクルさんはお酒に強そうなので、いつか共に飽きるまで呑んでみたいなと思っています。笑 自分自身の感情や欲求にふりまわされているときは、とてもじゃないけどそれらを愛しくなんて感じないなと思います。そうした強い感情や欲求から離れて久しいとき、ふと、ふりかえってみたら、懐かしいような恋しいような気持ちが私にはありました。 カオティクルさんはもしかしたら、みずからの感情に正直でいるまっ最中なのかもしれないなと、今月投稿された作品からも感じます。私は、感情や欲求に素直な人は好きですよ。 (犬歯)

2020-02-11

私はこの詩を眺めていて、眼裏に椿の花が泛かびました。雪を背景にして、ぽつりぽつりと咲く、あるいは落ちている、椿の花。おそらく、二枚か三枚かの舌や、赤い頬っぺたから、イメージされたのかもしれません。それはもしかしたら作者の本意ではないかもしれませんが、読むことよりも、印象を観じることが似合う作品ではないかと思いました。 (鏡(回折格子、格子))

2020-02-11

文章から情念そのもののようなチョコレイトのあまったるい風味が濃厚に漂ってきて、胸やけしそうなところに、さわやかな梅の香りがふんわりと風にのってきて、感覚をたのしく刺激されました。 西洋的かつ現代風なチョコと、東洋的かつ古風な梅、このミスマッチがおもしろいなと思います。 (バレンタインが氾濫してる)

2020-02-11

ミリウェイズさん 句をありがとうございます。 詩のエッセンスを一句に抽出しようとする試みでもあるかのようで、それは提喩に近いようにも感じられました。 (空と海の涯、水と砂の際)

2020-02-10

るるさん、つつみさん それぞれ句をありがとうございます。 本作を読んでうまれた句であると思うのですが、むしろこれらの句から、どんな内容の作品なのだろうかと想像を膨らませてみる方がおもしろいかもしれないなと感じました。序文としてふさわしいような。 かるたにする案もあるようですし、札には句だけではく対象作品本文も読める工夫があればいいなと思います。 (空と海の涯、水と砂の際)

2020-02-06

リップには女性らしい化粧っ気が、ライターには不良っぽい嗜好性が、それぞれたった一語にもかかわらず、換喩として表現されています。 もとからいらないものが失くなっても、なんとも思いませんよね。失くしたもののことが意識されるのは、その対象の重要性が高いからともいえそうで、ランキングの順位がそのまま、本人にとっての重要度と比例しているのかもしれない、などと考えました。 なによりランキングとして構成されているところに、その人の茶目っ気が表れていると感じます。 (よく失くす物)

2020-02-03

ネットに墓を観じる感性そのものが、新しいと感じます。envy.com という、作中では404であると語られるウェブページのアドレスを、墓の象徴としてタイトルに据えるセンスも好いです。 世界一大きいピラミッドを積み上げたという〈私〉は、いったい何者なのか、そこに謎が残りました。それは超越的な存在なのか、はたまた主体の自我肥大によるものなのか。 〈続けていいですか〉というフレーズには、ゲームのコンティニューを確認するメッセージを連想しました。 全てが情緒からデータへと転生してゆく、ここに情報化社会の叙情性がありますね。しかし、データでしか知り得なかったものを情緒にて再発見する、といった感覚の方がむしろ近いように私は思うのですが、もしかしたらその〈情緒〉さえも、まだなんとなくデータでしかわからなかったりするのかもしれないなと考えさせられました。 もはやデジタルがあたりまえである感性に、これからの詩情の可能性を感じます。 (envy.com)

2020-02-01

パントゥーンという形式、初めて知り、調べてしまいました。反復に音楽性があって、興いと感じます。たしかに試したくなる気持ちもわかります。本作は脚韻をそろえていることも、リズムを生み出すことに成功していると思いました。 西、陽の沈む方角、一日が終わる処、そこに私たちは古来より、あの世を思い浮かべていたのかもしれません。船出、という象徴的なモチーフも合わせて、今世からの旅立ちを意識している作品であるように感じられました。 (船出)

2020-02-01

「この街」という書き出しから、街にいるのだと感じられるのですが、三連目では回想になっており、この転換は意図的でしょうか。もし、全体をとおして回想なら、「その街」という書き出しがふさわしかったはずです。細かくてすみません。 新緑街、きっと瑞々しい朝の光につつまれているのでしょうね。無垢な少年期を感じさせます。労働者に夕方=人生の斜陽を見出すという比喩も、わかりやすいです。もっと新緑街の光景を見てみたかったです。また、黄昏しかない街や、夜しかない街も、あるのかなと思いました。 夢うつつさんが切れ味の鋭い批評をされていますが、たしかにもっと煮詰めることができそうで、作品本位というよりは、作者本位である投稿のように感じられてしまいました。もっと愛情を注いで作品を創ることができたのではないかと思います。 (新緑街)

2020-02-01

内容はともかく、文章が淡々としていて、いまいちハードコアにノリきれていない印象です。冒頭の〈私〉も、甘さを加味しているような。提言よりも先に〈私〉が出てきても、〈私〉がどんな人物か知らされなければ、そこに説得力は増さない。もちろん、カオティクルさんの人柄はある程度知っていますけど、それを頼りにして読ませるのはやはり甘いかなあという気もします。BABY NEAPOLITANS のときの、誰だか知らないけど拡声機をつかって気炎を吐いている人がいる、みたいな勢いが欲しかったなと個人的に思いました。しかし、あのころとは気持ちの変化もあったりするでしょうか。 (スーパー政策)

2020-01-30

よくよく考えると、それほど奇妙ではないと私には思えました。池の端に立つことで、水面に映った自分の姿を見たと解釈するなら。ナルキッソスであれば他者を見つけたところが、本作では自分自身を認識しており、そこに対照性があるようにも思いました。たった一行の表現に、想像の余地をもたせてあり、不思議さを醸し出すことに成功しているのではないかと思います。 (池)

2020-01-30

水上 耀さんへ ご明察のとおり、エーテルは、もともとの神秘的な意味合いで用いていました。未知なる可能性を感じられているときにこそ、ロマンはあるものかもしれません。 情景を心地よいと感じてもらえて、うれしいです。水上さんの感受性がよく表れている感想を、ありがとうございました。 (夜をめぐる断章)

2020-01-28

三文字さんへ 和洋折衷感はわりと好きで、ときどきそのような表現をしたくなります。コメントありがとうございます。 (夜をめぐる断章)

2020-01-27

ミリウェイズさんへ 詩ですから、もちろん言葉選びには気を遣いますし、それが愉しくもあります。コメントありがとうございます。 (夜をめぐる断章)

2020-01-27

つつみさん 背徳感を色で表すなら黒かグレーという共感覚に、なるほどと感じました。功利心による背徳なら、そうかもしれないなと思いつつ、それが恋慕といった情念による背徳なら、むしろ原色の鮮やかさがあるのではないかと考えました。しかし、その色は油彩のようであって、宝石のように澄んではいないかもしれませんね。 フェルメールの青については、まさしくおっしゃる通りで、顔料にラピスラズリを用いていたことから着想を得ました。 本作は、書き留めていたいくつかの詩の断片に、〈夜〉という共通項を見出して、一作に編集しました。作中にカメレオンという語も出てきますが、さまざまな色彩を放つ本作を審美眼をもって鑑賞していただけたようで、うれしいです。ありがとうございます。 (夜をめぐる断章)

2020-01-26

この詩におけるベテルギウスは、ベテルギウスそのものではないように感じられます。実際は、爆発の予兆はありますが、まだ爆発していない、つまりまだ死んではいないのですが、この詩ではすでに起きたことのように語られている。壮大な天体現象への想像力が、作者の感受性によって、身近なものごとの終わり=死と結びついているのではないかと感じられました。それは作者自身にとっては自然な感覚なのであろうということも、この作品のもつ不思議な説得力が、おのずから証しているようです。 (死んだベテルギウス)

2020-01-24

ミリウェイズさん コメントありがとうございます。 犬歯、この作品の核心ですからね。しかし、この箇所だけで詩にしても、うまくはいかなかったんじゃないかという気がしています。 (犬歯)

2020-01-21

らびっとさん コメントありがとうございます。 らびっとさんの作風も、きわめてシンプルですね。詩に、書かれた言葉以上の表象作用をもたせられたら、深みが増すように思います。 (犬歯)

2020-01-21

なゆた創さん 寄稿されたコーヒーの記事、興味深く拝読させていただきました。コーヒーを愛する方ならではの、詩心のあるコメントをありがとうございます。 飲み干せなかった情念が、詩の底に澱となっていたのかもしれません。 デミタスカップ、その白磁は、犬歯の白とも響き合っているのではないかと、なゆたさんからコメントをいただいてからあらためて思いました。 もともとは、シンプルな詩を好んでよく書いていました。こうした作風の方が、私は得意なようです。 (犬歯)

2020-01-21

楽子さん 解釈の広さを感じていただき、ありがとうございます。個人的に、楽子さんは〈喩〉に対する感度が高いように感じています。明言しなくても、なにかしら感取してもらえたなら、うれしいです。 (犬歯)

2020-01-20

素朴な詩も、書かれるんですね。山火事のことをえがかれているのだと感じました。せつなくも、やさしい、寓話のようです。 (カンガルー森のうた)

2020-01-19

たしかに淡々とした文章なのですが、そこに作中主体の鬱屈した内面が顕れているようで、本作においては寂寥感を醸し出すことに成功しているのではないかと思いました。 (むこうやま)

2020-01-19

蛾兆ボルカさんへ ああ、空白も行数に含めていたと知って、納得しました。 そうですね、ソネットなどはたしかに空白は行数に含めないので、そのことが私は念頭にあったのかもしれません。ですが、観点の違いを、おもしろいなと思いました。お返事ありがとうございました。 (ルビー・ダイアナのための28行の詩)

2020-01-19

28行の詩というには行数が足りないように見受けられて、明かされていない詩行があるのかもしれない、あるいはルビー・ダイアナそのものが詩的存在であって、心臓の止まってしまった彼女の年齢が28だったのかもしれない、などといろいろ想像を掻き立てられました。一編の美しいショート・フィルムのようでした。 (ルビー・ダイアナのための28行の詩)

2020-01-18

都会的な叙情があって、好みな作品です。多様な人がいながらも感じる孤独のような、あるいは自分が全体の一部になる安心感のような。 (ある夜のパケット)

2020-01-18

「カタカナ」と書いてしまった時点で、カタカナを忘れてなんかいないと思うんですね。ちょっといじわるな解釈かもしれませんが。「かたかな」としていたら、また違った印象があったかもしれません。 (なし)

2020-01-18

初めて素直になれる恋を見つけていた 私と君の 一度きりの絶望の中 一連目のこの三行は、不要ではないかと思いました。同様のことが最後にも語られています。映像的に感じられる作品なのですが、一連目の終わりで既に恋愛の叙情に限定されるのは惜しい。そのロマンチシズムは、最後の数行だけでも効果的だったと思います。 (遠吠えは汽笛を掻き消すほどに)

2020-01-18

「君」や「僕」がどんな人なのか、読者は知らない。推測されるのは、「君」が寝た後も起きているのが「僕」だということと、「僕」が好きな「君」は「僕」を苦しませるということ。読者を置き去りにしたまま、ひとりよがりに言葉を綴られていても、読者は感情移入できない。あたかも時計の針が、見られていようがいまいが、刻々と時を刻み続けているかのよう。 (時を刻む詩)

2020-01-18

前半はいかにも詩であるような行分けなのですが、後半は「突然、」以降、句読点をふつうに用いた散文に切り替わっていて、それは空想から覚めたことを文体でも表現しているようで、うまい構成だなと思いました。 余談ですが、本作を読み終えて、安部公房『壁』第二部の締めの言葉を思い起こしました。 《もう詩人ではなくなったのですから、腹がすくのが当然なのでした。》 (まどろみと死体ごっこ)

2020-01-17

peace.pot.microdot さん コクトーに限らず、ボードレールなど、あのころのフランスの詩人を好んで読んでいたこともあり、おのずから影響を受けている面はあるかと思います。コメントありがとうございます。 (犬歯)

2020-01-16

真清水るるさん るるさんらしい、天真爛漫なコメントをありがとうございます。人も動物なのだと感じられると、ちょっとたのしいですね。 (犬歯)

2020-01-15

黒髪さん 文体に、自分なりの方法をとりいれてあるので、それが効いたのかなと感じます。何度も読んでいただけて、うれしいです。ありがとうございます。 (犬歯)

2020-01-15

一と二はわかりやすいのですが、三からは混迷していますね。こうだたけみさんの腕なら、もっと練れたんじゃないかなという気がします。 「しのごの」は「四の五の」という表記で合っているみたいですよ。各連の先頭は、ひらがなやカタカナをまじえずに漢数字でどうにか統一してほしかったなと思います。「急騰」以降は難ありかも。でも、「自由に」は好きです。 (今年こそ)

2020-01-15

大井美弥子さん 共感していただき、ありがとうございます。 〈換喩〉という表現をしているのですが、新鮮に感じてもらえてよかったです。 (犬歯)

2020-01-15

はじめまして。 詩を書く動機は人それぞれですが、言葉でなにかを表現したいという気持ちは共通しているのではないでしょうか。私は、磁界の中心さんのこの作品を読んでみて、とても視覚的だと感じました。おそらく、この幻想的な光景を、最も表現したかったのではないかと思いました(違っていたらごめんなさい)。絵に描いてもよかっただろうし、写真に撮ることもできたかもしれない。ではなぜ、〈詩〉という表現手段を選んだのか。なかには、イメージを表現したいけど絵が描けないからなどの理由で、詩に書く方もいるかもしれませんが。せっかく詩を書くなら、詩ならではの表現をしたくありませんか? といっても右も左もわからないのかもしれませんし、技術的なことは話し始めたらきりがないのでやめておきますが、幸いこのサイトにはたくさんの詩が投稿されているので、まずはいろんな作品を読んでみて、良いなと感じることがあったら、なぜ良いのかを自分なりに分析したり、感想をコメントしてみるのはいかがでしょうか。とくにコメント欄は詩に関する情報を交わしていることもあるので、そこから興味をもったことや知らないこと、あるいは詩人について調べていくのもおすすめです。きっと、詩に対する理解も深まっていくはずですよ。 (愛を君に)

2020-01-14

作風の進歩がめざましいなと感じます。贅肉がおちて、よりスタイリッシュになったような。 た、た、たいよう といった吃音的な表現や、音楽的な反復など、吉増剛造さんを彷彿とさせられ、こうしたテクニックをいつどこで仕入れてきたんだろうかと思わされました。でも、むしろ天然だったりするかもしれませんね。 朗読してみるのもよさそうですよ。 (暴力は白く微睡む)

2020-01-13

美意識を感じられる構成が、いいなと思いました。もちろん、それが詩のすべてではありませんが。筋の通った、丁寧な作風に、好感をいだきました。 古い時代の詩集や小説を読むと、自分が体験したことのない風物にも、懐かしさみたいなものを感じたりしますね。 (無い過去。)

2020-01-12

これはなかなか高度な作品だと思いました。可笑しみのあるパロディを基調としながら、ひとひらの叙情性を含ませ、それでいて、クローンや人工知能といった、人間らしさを置き去りにして進歩していきかねない科学技術への警鐘とも読み取れそうです。楽しくも深みがある作品です。 (増えろワカメ)

2020-01-11

詩情を掴みきれていない印象です。抽象的という意見も聞かれますが、具象あってこその抽象であると思い、総じてなんとなく詩らしく書かれたもののように見受けられました。それは必ずしもいけないというわけではなく、ただ、直観に留まっているようで、もっと深く掘り下げていけたんじゃないかという気がします。また、統一感に欠けており、かといって語やイメージの意外性が功を奏しているかというと疑問で、やはり煮えきらない読後感があります。 (あい)

2020-01-11

ツイッターでこの詩の前段階を拝見したときから、「地下鉄」という語には深い含意があるように感じていました。なにか記憶の地下の暗闇を、通っているもののような。今作で「ご先祖様の〜」という輪郭をあたえられたのはよいのですが、ツイートのときの方が、語のイメージへより深く潜ることを誘われていた気がします。 それはさておき、視覚と聴覚あるいは嗅覚が不可分に結びついていることが印象的でした。例を示せば、 白くながれてゆく砂のような明けがたの音 半蔵門線の“紫”に流れる弦楽の音色 聴くことや視ることが渾然一体になっている、イマジネーションの感覚、それが自然に顕れている作品ではないかなと思います。 (始発)

2020-01-10

草は枯れ 花は散る という聖書の言葉が、日本的な無常観にも通じているようで、その次の行に日本人とイギリス人の名前が並置されていることもより印象深くしていると感じました。 ひらいた小説のとある一ページを思わせる、断片的な作風、それが魅力でもありますが、文体の洒落ている方ですから、いつか物語としてまとまった作品を読んでみたい気もします。 (meow.meow)

2020-01-10

実話かそうでないかは、読者からするとあまり重要ではなく、冒頭の一行はなくてもよかったかもしれないと思いました。ただ、文章からとても正直さを感じる作品で、よい話を聞かせてもらったな、という気持ちです。 (運命の輪を回せ)

2020-01-10

詩人にありがちなよこしまな下心なく、自分らしく気ままに、楽しんで書いておられるなと感じました。後半に詩行をくりかえすあたり、歌詞っぽいとも思います。 「ファウスト」のワルプルギスの夜の場面に、こんな歌が挿入されていそうな、妖怪が出てくるけど賑やかで楽しい、みたいな作品ですね。 (カロンに口づけ)

2020-01-10

蕪城一花さん うっとりしていただけたとは、うれしい感想をありがとうございます。 (夜をめぐる断章)

2020-01-10

たのしい作品なのですが、じつは、一連目から躓かされていました。なぜ、よりによって「ムカデの足」なのだろうかと。それがずっと気にかかっていたのですが、ムカデ、百足、百本あるといわれる足の一つ、無数の可能性のうちの一つ、数多のパラレルワールドみたいなものを、始めから予感させられていたのかもしれない、という解釈に至りました。 図書館は、日常的でありながら、書物のなかのファンタジーにも続いているかのような場所だなと思います。 ぜんぶで31あるので、一か月間の日記という風にも読める気がしました。 私も、稲垣足穂の「一千一秒物語」みたいだなと感じていました。ただ、稲垣足穂の場合は(著作を読み込んでいくとわかるのですが)、一見するとナンセンスでも、どの作品も氏の美学や見識に基づいており、これほど芯の通った作家もめずらしいのではないかと思わされるほどです。 もしかしたら、奇想天外なこの作品にも、たもつさんのバックボーンみたいなものが表現されていたりするかもしれないと、ふと思いました。 (図書館物語)

2020-01-07

おひさしぶりです。 円熟味というか、おちついた印象を受けます。ミニマルな詩行。全体的にひかえめなトーンですが、太いベース音のような、たしかな叙情が響いてくる作品でした。とくに最後の二行が秀逸です。 (dick)

2020-01-06

恋札の歌には、なるほど、あやかしの仕掛けがあったんですね。あ、そういえば、寝月姫〈ねつき〉は逆さから読むと〈きつね〉ですね! こまかいところにも言葉遊びを仕込んでいるあたり、千才森さんらしくておもしろいです。 走馬燈の映像と共に変化していく場面は、とても印象的でした。夢の中の夢のような。唐突に、現代の会社での場面になるところも、意外性がありますね。 『白い迷い家/黒い家。』でも感じましたが、こういった幻想的な映像の変化が、千才森さんは上手いのではないかなと思います。 主人公を「貴方」と呼ぶ、俯瞰した語り手の存在が、ミステリアスにこの物語を牽引していると思います。終章を読んで、語り手はもしかしたら、夢を見ていた社長の傍にいた人物ではないかと思いました。このあと、さらに現代版の展開も予感させられますね。 独自解釈のいろは歌が、物語の基底になっていたことも、良い構成だと思いました。いろは歌が、この物語の縮図でもあるかのようです。 深山幽谷の気を宿した、千才森ワールド、愉しませていただきました。耽美的かつ妖しげな世界観、とても好きです。 (いろは峠と恋札めくり(後編) ~詩飾り小説の欠片~)

2020-01-05

実は、私は泉鏡花の作品がとても好きで、このような作品を千才森さんが投稿してくれたことに、感に堪えないところがあります。旅の途中、迷い込んだ館で、妖しくも美しい女と出逢う、まさしく泉鏡花そのものじゃありませんか。さすがに泉鏡花の美文には比べることはできませんが、それは時代性もありますし致し方ないことで、むしろ読み易い千才森さんの文体に私は好感をもっています。それよりも、一夜の相手を、札に書かれた歌とその返歌によって決めるというアイデアは、泉鏡花にも匹敵する、いや、古今の幻想文学作家も感心しそうなほどの艶やかさがあります。 ちなみに、もし私だったら、「玉響を鳴き納めしは 晩夏の蜩 草雄虫 仕舞えぬ恋に縋りて過ごす 夏の終わりの長きこと」を選ぶかなあ、と思いました。笑 ちゃんとした短歌の形式であったらな、と惜しいところでもあります。 建物内に描かれた森羅万象の画は、ミクロコスモスのようでもありますね。平面を映す物こそ立体、という謎かけのような言葉には、どことなく女陰と陰茎を連想させられ、陰陽和合の思想も表しているのかもしれません。奥の襖に描かれた鳥居も、女陰を象徴しているように思いました。女の子の胸元のお守り袋の、限界まで熟させた果実の香りも、それとなく性的な印象を匂わせていたり。そのあとの展開も、とても官能的で、酔わせてもらえました。 今作はたしかに長いですが、それでも文庫に収録されていたらすぐに読み終えてしまえる量で、こうしたサイトと本では、読書の印象は違ってくるものなのかもしれませんね。 では、後編の感想は、また後ほど。 (いろは峠と恋札めくり(前編) ~詩飾り小説の欠片~)

2020-01-05

千才森さんへ あくまで現実の範囲のなかで妖怪といった幻想をえがくこのシリーズも、今作で最後になります。どう落着させるかいろいろ考えましたが、東北地方ということもあり、この世でありながらあの世の光景がひろがる恐山は、ラストを飾るにはこの上なくふさわしい舞台であると思いました。 個人的に、恐山といえば寺山修司で、氏の作品中の台詞が今作と響きあうようにも感じ、勝手ながら引用させていただきました。ちなみに冒頭に引用をもってきた例は、去年の私の投稿作品に「古書店」と「つくよみ」があります。どちらも、短歌の引用になります。私の作品にも引用は賛否両論ありましたが、他者の言霊をそのままもってくるというのは、コラボレーションするみたいで、新鮮な感覚を覚えます。 試行錯誤は、しましたね。それまで千才森さんからもらった意見も取り入れつつ。輪廻と風車、気に入ってもらえてよかったです。今回はスピリチュアルな内容の文章が多いですが、最後ぐらいはちょっと思想的になってもいいかな、と思いました。仏教的なモチーフは、たしかに自分らしいです。鬼婆から鬼子母神(鬼神であったが自らの産んだ子を喪ったことをきっかけに仏に帰依した、子供と仏教の守護神)も表現しようかと思いましたが、お地蔵さんとの兼ね合いで焦点がぼやけてしまいそうなので、諦めました。 円環構造とまではいきませんが、「女優」という言葉をとおして、はじまりの『旅館』に出てきた女の子とのささやかな共通点をもたせてあります。 このシリーズはここでおしまいですが、主人公の旅はこれからもありそうな、終わりだけど静的ではなく、まさしく風車がまわるように、動的なラストにすることができたかなと思います。 実は、私自身は東北地方を旅行したことはなく、機会があればこのシリーズの舞台をめぐって旅してみたいなとも思いました。そうしたら、風景写真を撮って、旅行記みたいに作品に挿入したいですね。フィクションからはじまったリアルな旅も、おもしろいかもしれません。笑 千才森さんの『かぐや姫壱夜』は、古い時代のようでいて未来のSFであるような、判然としないところにおもしろみがあると思うのですが、千才森さんがもらった寸評からすると、小説ということであれば世界観などを仔細に表現し、読者への説得力をもたせる必要があるのかもしれませんね。詩は、反対に、いかに読者の想像力を刺激するかが大事になってきそうです。 小説と詩、どちらも文芸でありながら、方向性は大きく違いますね。だからこそ、その境を往き来することは、楽しいのかも。ちょうど、現実と幻想のはざまのように。 お返事が長くなってしまいましたが、それだけ思い入れのあるシリーズでした。書いていて楽しかったです。きっかけをあたえくれた千才森さんに、あらためて感謝します。ありがとうございます。 (風車はまわる)

2020-01-04

今作は、ステレオさんに通底しているディストピア感を、最もソリッドに表現した作品ではないでしょうか。いままであった近未来SF映画的な煌びやかさはなく、モノクロ映画のような印象で、こんな悪夢を、いつか自分も観たことあるような気さえします。 タイトルにある「9090年」には、『変身』における主人公の名「ザムザ」が著者「カフカ」の言い替えであるという説にも似た、今年「2020年」を横滑り=パラレルさせたかのような印象を受けました。 (9090年のハッピネス)

2020-01-01

西洋において、現代詩が興るまえの「詩」の成立条件は、法則にしたがって音韻を揃えることにあったと思われます。実際、今作の原文を読んでみても、英文のリズムには楽しさを覚えますし、この語感をそのまま日本語に訳すことは、とうてい無理があります。西洋の詩を、日本語らしいリズム、つまり七五調などに置き換えて訳した方もおられますが。今作の訳詩は、意訳となっています。かつて西洋の詩の条件であった音韻が失われたこの文章に、はたして詩情を感じることはできるでしょうか? もし、この訳詩を「詩」であると思って疑わない方がおられたら、いまいちど「詩」とはなにか、思索してみることを私は勧めます。現代詩とはなにか、古い英語詩と比較して考えるきっかけになるという点で、この訳詩の試みを私は評価したいです。 (騎士よ調子を Cavalier Tunes)

2020-01-01

あけましておめでとう。 これは、中学生の女の子が投稿したことを知っているか知らないかで、印象が違ってきそうですね。もちろん言葉からも、情緒不安定な若者だということは察せられるのですが。私としては、夢うつつさんの年頃をなんとなく知っているので、うぶな切実さにも、くすっと笑ってしまいました。ごめんなさいね。達成できたうちの一つ〈何言われても変顔で返す〉は、想像してみても、とてもチャーミングだなと感じます。笑 あと、画像か本文かのどちらか一つだけだった方が、よりインパクトがあったように思います。 (2019 今年やりたいこと)

2020-01-01

これは、せつない詩ですね。 直喩ではなく、隠喩のみを用いており、しかしけっして難解ではなく、そこに潔さを覚えました。 (血液から生え出す植物、青。)

2019-12-31

大作は来月〜という発言に油断させられていたところに、これは不意打ちでした。笑 年忘れ、どころか、なにもかも忘れてしまいそうな酩酊感。美しいイメージと、おどけたフレーズが、ないまぜになっている、詩の坩堝。構成は「部屋に仕掛けた定点カメラ」を踏襲していますね。会社勤務の一日、だけど頭の中は妄想でいっぱい、みたいな作品でしょうか。笑 混沌としていても、下品にはならないところに、千才森さんの感性が表れているように思います。 (年末は楽しく飲みたいねって事で、楽しさ10万馬力!)

2019-12-31

仲程さん、改め、AB(脂喰坊主)さん 耳なし芳一、気づいておられましたか。 このシリーズ、現実(現代)を舞台にしながらの妖怪っぽさがコンセプトになっていることもあり、その妙味を演出したくて、あえてタイトルを「ティアドロップ」にしたところもあります。ですが、アンバランスに受け取れることもあったかもしれません。もうちょっと、わかりやすい「耳なし芳一」感があった方がよかったでしょうか。しかし、演奏会場がたとえば「墓地」とかだったら、あからさまかなあと思ったり。現実と幻想との、ギリギリの攻防、難しいですが、それがまた書いていておもしろかったりもしました。ご意見をありがとうございます。 (ティアドロップ)

2019-12-29

いづこにあるや千才森 いろとりどりの花ばなが 千々に咲きみだるるといふ いづこにあるや千才森 夢のまにまに見ゆるかな 詩とコメントをありがとうございます。 ちょっとテンションが高いけど平常運転、そう言ってしまえる千才森さんのノリが、私は好きです。笑 援護射撃でもしたいところですが、戦場はどこかわかりませんし、せめてここに味方がいるということを覚えておいてもらえたらなと思います。 「行燈」に古風なイメージがあること、ああ、中程さんの指摘も、いまになってよくわかりました。たしかに、現代としては違和感がありますね。 ところで、今作には妖怪らしいものが出てこない、とは思わなかったでしょうか? 種明かしすると、「ゆれるポニーテール」を書いたころから舞台が東北地方であることが確定したので、そこから盲目の三味線弾きが思い浮かび、さらに「耳なし芳一」を連想し、それを現代風なギタリストにアレンジしたことが今作の底流にあります。そのことが念頭にあったせいか、作者としては「行燈」という古風な語も自然に出てきたのかもしれません。ただ、それをうまく印象づけられなかったことは、やはり失敗でしたね。 ベースになる作品、であるということは私も薄々感じていて、長文作品を書くことに慣れていない私は、手短に済ませてしまうところがあるように思います。書いていて、まどろっこしく感じてしまうんですね。なので、長文を書ける方を尊敬していますし、どういった意識で書いているのか、という興味もあります。 千才森さんの新作はかなりの大作になりそうだということ、これは期待も大きいですね。とても楽しみです。 (ティアドロップ)

2019-12-29

それぞれの連において、文章の因果関係を示す理由のようなものが、すっぽり抜け落ちている。その明示されていない「なにか」は、おそらく作者にしかわからないであろう感覚で、直接語っても他者に伝わるとはかぎらない。そうして表現された、因果の不明な言葉をつないでいる「なにか」に想いを馳せるとき、わからないけど、たしかに感じられるものがある。そこに、詩がある、と観じました。 (待降節)

2019-12-28

高い感受性を窺えます。それは過敏なほどで、現実に生きづらさを覚えることもありはしないでしょうか。  生命線は解けてイヤフォンの紐と絡まって大変不快です(人生、ワイヤレス・イヤフォンを素直にねだれません)。  居心地の良いおかあさんのお腹の中に(そいつはベッドの脇にあるコンセントに、だらしなく繋がったまま眠っていることです)。 こうした詩行に、イメージの横断的な発想あるいは思考が顕れていて、秀れていると感じます。 素材を切り出してきたままのような文章で、その無為な乱雑さがいいのですが、一つの方向性をもった作品に仕上げることができたら、さらに良いと思います。とはいえ、たゆたう意識の流れをえがいたような今作を、タイトルはうまく表象していると思いました。 (1KHzの正弦波)

2019-12-25

頻出する「殺」という語が強いのですが、「毛布」や「モウのアイスクリーム」といった語がやさしくふんわりしていて、その差異が絶妙だなあと感じました。 朗読も聞かせていただきました。大胆かつ優美なピアノが、この詩と合っていて、文章だけとはまた違った趣があって良いですね。 余談ですが、ウォン・カーウァイの映画つながりで、タイトルは「恋する惑星」をもじったのかなと思いました。 (恋する生き物)

2019-12-18

古典的な象徴主義の香りがして、私は好ましく感じます。新しさがないといえば、そうかもしれませんが。 自分自身と自然とを一体にとらえた感覚は、すてきです。ボードレールの万物照応を思わせます。 (倦怠)

2019-12-17

仲程さん 行燈が気になるとのことで、これは、微笑みのぼんやりした印象を醸し出したかったんですね。また、行燈は夜道を照らす灯りでもありますから、誘うイメージの妖しさも含めて。 会話が主の前半と、演奏が主の後半では、雰囲気の変化はありますね。「本能」にしても、作中に舞台の転換があると、あまり受けがよくないのでしょうか。もしこれが演劇であれば、間をおいて、背景を整えるひつようがありそうなところですね。掌編でこれをやると、読者の意識がついていけないのかも。「旅館」や「見つめかえす瞳」などは、舞台が一貫しているので、コンセプチュアルな散文詩としてもスムースに読めるのかもしれない、と考えました。千才森さんの意見も聞いてみたい・・・ (ティアドロップ)

2019-12-17

この雨という小さな海がどこから落ちてきたのかを私は知らない この夜という巨大な影がどこから落ちてきたのかを私は知らない これら詩行がこんなに胸に響くのはなぜだろう、と考えさせられた。大小のイメージからなる比喩、それよりも強い説得力をもたらしているのは、文体そのものの持つリリシズムの力だと思う。灰青色の濡れながら最後まで駆けていくような文章、表現から、痛切なものが伝わってきました。 (知らない、でも知っている)

2019-12-17

peace.pot.microdot さん 涙をながすとき、そのひとの瞳は最も澄んでいるかもしれませんね。コメントありがとうございます。 (ティアドロップ)

2019-12-17

私は無季自由律俳句を、恐ろしく感じています。俳句の形式をすべて取り払っても、尚そこに残る、俳句の精神。私自身もつくってみようとしたことはありますが、形式という衣服を剥がされて裸になった俳句の姿をまえにして、慄きました。一見すると気軽に取り組めそうなのですが、俳句を極めた者でないと、真の無季自由律俳句はつくれないのではないかとさえ思います。 俳句の一つの特質として、自らは語らず、風物に情緒を託す、ということが挙げられます。貴音さんの今作では、情緒が怪談に置き換えられるわけですが、ホラーとは別に怪談には恐怖感だけではなく日本らしい情緒が含まれていると私は考えていて、俳句とも相性がよいのではないかと感じました。 また、今作は構成がおもしろいです。無季自由律俳句が主なのか、試合が主なのか、はたまた怪談が主なのか、どれをとってもおもしろい作品であることはまちがいありません。この試合が事実かフィクションなのかはわかりませんが、タイトルにある「電脳仮試合」という語には、仮想的なイメージが含まれているようにも思います。 余談になりますが、怪談を題材にしていることもあり、この試合にも一抹の怪談風味があれば、それがたとえ冗談だとしても、さらによかったかもしれないなと感じました。たとえばベタですが、居ないはずのもう一人の審査員ないし閲覧者の存在を匂わせたり、とか、どうでしょうね。笑 (詩をリードファイター、自由律電脳仮試合)

2019-12-14

タイトルがオシャレですね。 砂 時 記憶 遅れ 内容的にはわりとありふれたイメージで、タイトルの言葉の範疇に収まってしまっている印象です。 ただ、砂浜を散策したあと家に帰ると、そういえば床に砂がちらばっていることがあるなあ、と思い、この着眼点はなかなかいいなあと感じました。なくしたはずの記憶のかけらを、ふと、みつけてしまったみたいに。 (スナトキオクレ)

2019-12-14

「幻」というタイトルがくせものです。本作に描写されている光景が幻なのか、それともこの光景からなんらかの幻を体験したのか、いずれにしても、本文には幻を思わせる要素がまったくありません。タイトルの「幻」という一語に頼らずに、文章だけで幻を表現できたら、もっとよい作品になれたと思います。 (幻)

2019-12-11

構成にわかりやすさがありますね。主題といい文章といい、萩原朔太郎の詩のような、古風さを覚えました。タイトルはいっそのこと「望遠と煙管」にしてもよかったかもしれません。遠くを望むことがそのまま、くゆらすような内省に通じている作品だと思いました。 (望遠とパイプ管)

2019-12-11

生を、もしたった一文字で表すとしたら、それは「あ」になるのではないかと思わされました。 あ、阿、A、初めの音。 死を表す対義語があるとしたら、 ん、吽、Ω、あるいは無音でしょうか。 生きているかぎり、音を放っている。星でさえも、光を放っている。そう思えば、世界には無数の「あ」があふれている。とても繊細な感覚で書かれた作品だと思いました。 また、そうした考察はべつにしても、この詩をまえにしては、素直にならざるをえない、やさしい言葉の力があるように思います。 (あ、)

2019-12-09

なゆた創さん ユークリッド、という語感が好きで、いつかどこかでとりいれてみたいと思っていました。笑 ロードムービーの雰囲気は、意識していたところがあります。 描写を評価していただき、ありがとうございます。 (ゆれるポニーテール)

2019-12-09

まさしく即興で思い浮かんだままに綴ったような文章で、作品としてはまとまりに欠けていますが、それでも読ませてくれるのは詩的な感性に裏打ちされているからでしょうか。 最終連が秀逸で、文章本来の意味を超えて官能性がたちのぼってくるようにさえ思いました。「八女」「やわらかに開く」「俺を濾過して私になり」などといった語が、イメージを孕んでいるのかもしれません。 (詩と信仰と読点についての即興詩)

2019-12-08

各連の冒頭に掲げられた断言的な一言が印象的で、これは台詞が主であるために舞台となる場所や時間帯などを直截に指示する戯曲の手法を彷彿とさせられました。ところが詩においては、「季節は冬」「時は夜」などといったことをいかに明示することなく表現されるかが一つの醍醐味であるように私は考えます。本作においても、試しに各連の冒頭の一言を消して読んだとしても、本文から夜などの場面を察することは出来、またその方がより深く情緒を感じられるようにさえ思います。そうした意味では、本作の形式は詩への挑戦ともいえそうですが、それが成功しているかどうかは一抹の疑問があります。 (実在の声)

2019-12-07

脳をマッサージされるような詩だと感じました。それというのも、アンモナイトからうずくまるもの、娘、ダンゴ虫、月、猫、などなど、めまぐるしく変転するイメージに意識を向けさせられてゆき、2では、あいまに灼熱の昼をはさんで深夜の雨という、相反する大自然のスケールまで意識は拡大され、そのあとふたたびアンモナイトに戻ってくるわけですが、そのころには脳はすっかり痺れてしまい、のびてしまったアンモナイトについての話をぼんやりした意識でしか聞いていられないような心地のところに、こんどは弛緩のイメージがおとずれる。いままで、ぎゅっぎゅっとうずくまるものに向けられて緊張しきっていた意識が、ゆっくりと弛緩していく開放感。凝りがほぐされていくかのようでした。 (うずくまるもの)

2019-12-05

昨今、ピエール瀧や沢尻エリカが捕まって、それ自体はどうでもよくありませんが、それによる彼らの作品や活動への影響なんて、正直どうでもいいじゃないかと思うんです。アーティストの人間性がたとえどうあろうと、作品とは関係ないじゃないか、と。 そこで、昭和におけるサブカルのヒーロー、寺山修司が要請されるのだと感じます。時代のつまらなさを打ち破ってくれるエネルギーを、言い換えると寺山修司的なものを、みうらさんは欲しているのではないかと、今作を読んで思ったわけです。記念館への旅路は、比喩的に人生の旅路として、生涯のうちにおもしろいものを目撃するか体験したいという願望が顕れているのではないかと。 ただ、みうらさんの過去作にもたまにある、特定の人物名を作品に用いる手法はおもしろいと思っているのですが、作中に多用するのはよくない気がします。用いるなら効果的なアクセントとして、一名でもいいように思います。 (どうでもいい沢尻エリカと寺山修司記念館までの旅路)

2019-12-05

先月二作品が実直な作風だったこともあり、今作のおどけっぷりに、さすがだなと感じてしまいました。笑 バランス感覚というか、いろいろな面を見せてくれるのがおもしろい。 で、まえにもこんなことがあったような気がするなと思って、なにげなく千才森さんの過去作を読み返してみたら、『畦の散歩歌3編 (潮風のおまけ付き)』に、まさしく『大根独り舞台』があったではありませんか。既視感の正体はこれか。内容的にはほぼ同じですが、今回の改訂版の方が一部の言葉や文章のレイアウトがより洗練されていると感じます。 他の方の例もありましたが、ここではオムニバスよりも単発の方が、視点が分散されずに読まれやすくなるのかなと思いました。私は『部屋に仕掛けた定点カメラ』のような混沌とした作風も楽しくて好きですけどね。 (秘伝の口上レシピ『大根の誰うま煮』)

2019-12-05

「俺もやるからマジックを」 これは、手品と筆記具とのダブルミーニングではないでしょうか。えがいた星を、あとで消す、のちのイメージとこの語の妖しさが響きあっているように思います。 ナナニーゼロは、初読はなんだかよくわかりませんでしたが、720=ナツヲ、ああそういうことかと。 ナツヲの夏と、オリオンの冬、大失敗どころか、相反する二人の関係性が表象されているようです。 コメント欄での作者のエピソードが本作に魅力を加味しているように思いますが、作品自体としても、直截的には語られていなかった想いのひめやかさが、磁力になっていたのではないかと感じました。 (「オリオンの消滅」)

2019-12-05

秋の詩情というよりは、秋そのものが詩情なのかもしれません。 美しさを言葉に表現したとたん、胸にいだいていた感動とは異なってしまう、そんな逆説が表れているような。 それなら言葉にするよりは、風や空に祈っていたい気持ちになりますね。けど、だれかに伝えたいような気持ちで。 (秋の詩情)

2019-12-04

最後の一行に、 誰にも邪魔されたくない とありますが、この作中話者についてはその優秀ぶりが前半で語られていたこともあり、いったいなにが邪魔になるというのだろうかと思いました。そう考えると、 私が一番 私が先頭だ という言葉は、むしろなにかに急き立てられているようにも感じられます。 いちばん気になったのは、どういった動機で書かれたのだろうか、ということでした。それというのも、この作品に見出せるような主張を、せいろんさんの(この場での)人柄からは感じられず、もしかしたら隠れた一面だったりするのかもしれませんが、フィクションにしてもどちらにせよ、迫真性が足りないと思いました。作品だけが、ぽっと浮いているような感じです。 (自由について)

2019-12-04

そして一度死んだ者はこの世から存在の座標ピントがずれ続けるのだと今になって思い知ります。 そう思い知った理由はなんだろうかと、作中では語られてはいないけどたしかに存在するであろうそれこそ、不可視的で幽霊じみているように感じられました。 私(たち)は、不可逆的な死者として肉体的生を送り続ける といった言葉から、寺山修司の詩「懐かしのわが家」の一節を想起しました。 ぼくは不完全な死体として生まれ 何十年かかって 完全な死体となるのである (秋桜)

2019-12-04

夢 花 死 神 ガラス etc... それらあたりまえのように美しい言葉に頼り過ぎてはいませんか。主題も観念的に終始しているように思います。耽美的な嗜好性はわかるものの、表現にもっと工夫や独創性が欲しいです。 (死が二人を分つ頃)

2019-12-04

人生経験豊かなみうらさんが語ってくれると妙に説得力があるというか、自分もあらためて気づいたのですが、このポニーテールの女性はどちらかといえば不良的で、そのような彼女の語る立派なお屋敷(これはもとより幸福の比喩でもあるのですが)は、たしかにこの人物像だからこそ語り得た感触があったと思います。ありがとうございます。 (ゆれるポニーテール)

2019-12-02

みんなが美しいと思うものを僕は憎み どうしてこんなにも冬の夕方は美しいのだろうか 一般的に美しいとされるものを僕は憎むなら、この二行は、冬の夕方には憎いものがあふれているように読めます。日曜日の夕方、華やいでいる、クリスマス前の冬の街、たとえばそんな光景は、孤独者にとっては辛いものがあるかもしれません。 気障な表現や文章はこの作者さんらしいなと感じ、それがなにげに好きだったりします。 (sunday nightに想うこと)

2019-12-02

トンネルの中心を境に、向こう側にいけるのだった もう後部座席に女たちの気配は失せている こうしたなにげない詩行に、象徴性を見出せます。滑らかな文体であり、それは注視しないと読み過ごしてしまいそうなほどです。 積み上げてきた時間や生き様と、限られている残りの人生への視線が、そつない文章におのずと滲み出ていると感じられる作品でした。 あの草は私だ、あちらの草の塊も私〜 という連は、やはり圧巻です。 (県境)

2019-12-02

yamabito さん 文章の運びを気に入っていただき、ありがとうございます。 (ゆれるポニーテール)

2019-12-02

せいろんさん 作中に奔放な女性を登場させたり、この場にこうした散文の連作を投稿していることなど、どこか冗談めいたことのように感じています。ふざけているというよりも、本気になって遊んでいるという感覚でしょうか。 自分自身も愉しんで書いており、夢中になって読んでいただけたとのことで、たいへんうれしく思います。ありがとうございます。 (ゆれるポニーテール)

2019-12-02

二連目の断片的な詩情がとくに良いですね。 建売住宅のどれかから漏れるアラーム。 チャリ通いのおばちゃんが開ける町工場のシャッター。 ブロワーの扱いがめっきり上達した清掃員の肩の位置。 高層マンション飛び出して走るハイヒールの細い足。 こうした視点は、社会で働きくたびれつつある大人ならではだと思うんです。私自身もそんな一人なわけですが。職種は違えど、町で見かけたあの人はがんばっているな、と見ず知らずの人の働く姿に共感したり励まされたりする。そして、 全品百円自販機のあやしげな缶ジュース。 には、こんな時代に生きる社会人へのささやかなやさしさが滲み出ているようで、そうした見過ごされがちなものに詩を見つけられる視点は、すてきだと思います。 始めと終わりの連の出だしは、ちょうど対照的になっていますね。 文章からそこはかとなく、一人暮らしであることを思わせられます。都市生活者の孤独が、かえりたい-帰りたい-還りたい-孵りたい という声にならない声のような言葉のくりかえしにも顕れていると感じました。 掬われた夏。には、「携帯海月」での多義的な言葉を思い起こされました。 (Goldfish scooping)

2019-11-29

リーディング、聴かせてもらいました。これは、ポエトリーラップともいえそうですね。実直で、優しさも感じられる声。メロディに添うように歌われることで、詩が胸に響いてきます。文章はストレートですが、月のモチーフが、優美さを加味していると思いました。 (太陰暦2019(ポエトリーリーディング))

2019-11-27

千才森さんへ 散文と詩の書き方の違い、なるほどなあと感心しました。とても参考になります。 いつ・どこで・どんな人か、などは、私が省いてしまいがちなものですね。散文を書くとき、それら背景の描写を野暮ったく感じてしまうところが、詩書き、というか私の性分なのかもしれません。 「見つめかえす瞳」に関しては、なぜ情景描写を書けたのかというと、読者を作品に惹き込ませることは意識しておらず、場所自体に象徴性があったからでした。今作を書いているときは、雪女みたいな女性と出逢う場所に意義を見いだせず、どこでもいいんじゃないかと感じて、艶がないなと思ってばっさり省いてしまいました。街中なのか、フードコートみたいなところなのか、どちらにせよ、日常的な場所を描くことに魅力がなかったんですね。そういった点もつきつめて描写していけば、たしかにもっとよい作品になれたかもしれません。 文章による描写に厚みをもたせるか、そうでなければいっそ、短い文章に訴求力をもたせる詩的な書き方もあったわけですね。小説にも散文詩にもなりきれていない、ということがわかって、蒙を啓かれた思いです。ありがとうございます。 いままで自分の書いてきたもののほとんどは、内からふつふつと沸いてくるものを作品にしていたんですね。だけど今作に関してはどちらかといえば、連作のコンセプトが先にあり、そこから書いたお話。上辺だけ、という千才森さんの印象は、まさにそこにあるんじゃないかと思いました。 最後に、とても真摯に批評していただき、あらためて感謝です。あと三作ほどで終わらせるつもりなので、しばしおつきあいいただけたらと思います。 (本能)

2019-11-27

千才森さんへ 辛口なコメント・・・なかなか興味あります。書いた本人には見えていないこともあるかもしれず、千才森さんの目線で作品を読んでもらえたら、うれしいです。楽しみにしていますね。 思えば、詩のような小説は、千才森さんがここでの初投稿作から試みていたことですね。 私の方は逆に、小説を書こうとしても、おのずと散文詩のようになってしまうのかもしれません。 (少女独白~詩飾り小説の欠片~)

2019-11-26

先のコメントに、世界がこうなってしまったわけを明かされていないと書いてしまいましたが、読み返したら、昔、神様が世界を見放した〜とあったことに気づきました。すみません。神話的なので、もしかしたら真実の歴史があったんじゃないかと感じられたのかもしれません。 (少女独白~詩飾り小説の欠片~)

2019-11-25

水は、永遠の旅人。この発想は、とてもすてきです。実際、水は地球を循環しているわけですけど、私たちの生命を構成する成分でもあり、血液などの体液には脈々と受け継がれていく遺伝子が宿っている、その意味で、空間だけではなく時間も旅しているといえそうですね。 シャワーは官能性を帯びたイメージですが、水滴や陽射しをとおして、自然の神秘性そのものとの感応を思いました。 巨大植物に侵食された廃墟の町は、放射能汚染による立ち入り禁止区域も連想させられます。世界の終わりのような風景だけど、透明な貝殻の天井のある家や、初夏の描写もあり、寂寥感と共に開放的な明るさが感じられて、不思議。ファンタジックな映像が喚起されます。 片方しか見つからなかったスリッパには象徴性を感じて、彼はほんとうに帰ってくるのだろうか、とも思いました。でも、彼の帰りを信じて待つことが、主人公にとってほんとうの闘いなのかもしれないと思ったり。 どちらかといえば小説といえそうですが、詩的な表現も十分に感じられる作品でした。 世界がこうなってしまったわけを明かされていないことや、主人公の期待で本作を締められていることなどから、語られてはいないけどたしかに存在するであろう前後の物語についても、想像が膨らみます。 (少女独白~詩飾り小説の欠片~)

2019-11-24

彼女の名前は榎宮マキ、19歳。 こうした説明は、もし自分が書くとしたら、最初ではなく、パソコンのファイルをクリックすると〜以降にもってきますね。その方が、いたたまれない女とはなんなのか、読者の好奇心をひっぱりつつ、冒頭の檄文を読ませられると思いますから。ただ、 それは学生証から判明した。 という言葉からもわかるとおり、捜査の伏線をもたせたかったとの意図は伝わってきます。しかしこの場合、伏線はなかった方が、後半の展開の意外性が増したのではないかとも考えられます。 それはそれとして、感傷的なコメントを見かけるものの、ふじりゅうさんの以前の作品「ぽえとーく」を知っている身としては、今作はまたちがった味わいがあり、にやにやさせられてしまいました。 惜しむらくは、作中であろうと、暴言を吐く荒らしに対してはレッドカードが発行されるべきであったと思うのですが、いかがでしょうか。そうしたら、メタ的要素がより高まった気がします。 (いたたまれない女)

2019-11-24

真に意味のないものを書くことって難しいですね。空洞にだって意味がある。ある種の楽器は、空洞=hollowがあってこそ、音色を響かせることができる。 本作は、言葉遊びを連ねることで、逆に空洞を顕現させることに成功しているように思います。 (ほろー(むおん、おん、)

2019-11-24

たしかに、君の声は小さい。詩を通して声を発してみても、いまのままでは聞いてくれる人も少ないし、他の多くの作品に圧し流されてしまう。でも、誰かに聞いてもらいたいから、ここで声を発するんだろう。創意工夫で、もっと大きな声を発することだってできる。君の大きな声が聞こえてくる詩を期待しています。 (よいしらず)

2019-11-24

比喩におけるデジタルとアナログの混交が、崩れたバランスを表象しているようで、興味を覚えました。 404 ページが見つかりませんでした。 (デジタル。 秒針だけが止まっている (アナログ。 b81c40みたいな血 (血液の色を、デジタルのカラーコードで表現。 こういった手法で、もっとビビッドに展開してもよかったんじゃないかと思います。というか、そうした作品を読んでみたい。切実な印象はありますが、いまのままではまだおとなしいですから。 (404)

2019-11-24

千才森さん かゆいところに手が届くみたいに、うまく解説してくれて、なんだか心地いいです。ありがとうございます。 このまえの「旅館」に、千才森さんから、シリーズ物にしてもおもしろいかもしれないというコメントをもらってから、いろいろ想いめぐらせていたらアイデアがうかんできて、座敷童ときたら次は河童だろう、という個人的な確信のもとに、愉しみながら続編を書くことができました。なので、千才森さんにもぜひ読んでもらいたいと思っていましたよ。好評をいただけて、うれしいかぎりです。 シリーズのコンセプトは、妖怪みたいな人に出会うことと、不思議な要素は入れずに現実に収めること、ですね。次作の「本能」では雪女をモチーフにしているのですが、直接言明しているわけではないので、それが可読性=伝わりやすさの低下につながってしまったのかなあ、と反省しています。いちおう、雪のイメージはところどころに織り込んであるのですが。いっそのこと、女性の容姿を見て「雪女みたいだ」ぐらいのことを、主人公に言わせておけばよかったかな、と。 「かもしれない」という、想像力による怖さは、現実かそれ以上に強かったりしますね。逆をいえば、歓びもまた、同じですね。次作の「雪女」では、今作とは対照的に、想像力による歓びを描いてみました。 現実と幻想のあわい、かねてから私の好むテーマであったので、シリーズとして書くことができて、歓びでしかありません。着想をあたえてくれた千才森さんに、あらためて感謝です。 (見つめかえす瞳)

2019-11-23

千才森さん、今月はまだ来ないのかなあ、と待っていました。その分、力の入った作品を投稿してくれて、うれしく感じています。 本文は堅めですが、タイトルの対照的なポップさがいい感じですね。(ついつい冬眠してしまった昼、これが私にはどうしても、お昼寝してしまったようにしか感じられないです。笑) なかなかの文章量であり、場面の変化や挿入詩がありながら、秋を中心にした内省的な叙情性が一貫していて、心地よく読み進めていくことができました。『コスモス観覧車』が好きです。 ちょっと個人的な話に逸れますが、どこで耳にしたのか、あるいは読んだのか、「夜は必ず来る」という言葉が印象的で、頭から離れずにいました。夜は必ず明けるという言葉はよく聞きますけど、逆をいえば、夜は必ず訪れるんだなあと、新鮮な感覚でした。それとほぼ同じ意味の、「冬は必ずやってくるものだから。」という言葉を本作にみつけて、シンクロニシティを感じました。逆説的に、春を期待させる言葉ですね。これは、本作の主題であるようにも思えます。 最後の箱買い。には、千才森さんらしい茶目っ気が顕れていますね。これはたぶん、かなり抑えていたんじゃないでしょうか。笑 (缶コーヒーを取りに戻ったら、ついつい冬眠してしまった昼の話。)

2019-11-21

つちふまずや、靴底の下、ふだんは視えないものとして、そこから天国が想起される。この発想には、感嘆させられました。その天国=楽園(ハワイアンズとも響きあっていますね)のイメージは、今作に通底しているようでもあり。 タイトルにあるとおり、はじめは詩のコラージュにも感じられたのですが、注意深く読んでいくと、それぞれの小節が、淡くうかびあがる一つのモチーフに収斂していくように感じられました。解釈は、あえて言明しないでおきますね。一連目のセリフは、はじめは謎めいていましたが、読み返すと、すてきな伏線になっているようでした。せつなくも、淡く美しい絵画を鑑賞させていただいた心地です。 (20th Sampling Syndrome)

2019-11-21

昼間に食べた豚骨ラーメンの吐息も巻き上げて、あおぞら、あおぞら。 俗世間の匂いが、澄んだ虚空にすいこまれていく、これはほんとに、すばらしいね。詩人を気取ったような文章ではないのに、たしかな詩情がある。おまじないみたいな「あおぞら」のリフレインは、なかなか強引だけど、かわいい。 (ふざけた世界に飛び込め!)

2019-11-19

自動筆記、もしくはそれに近い方法で書かれたのではないかと思いました。シュルレアリスムの自動筆記の特徴として作者の否定がありますが、今作も、作者を媒介して無意識の海から汲み出されたイメージ群であるように感じられました。 (ザクロ祭り)

2019-11-19

若いなあ、という第一印象。意味は、いろいろ韜晦させている気がするのですが、技巧性が前面に顕れていて、それ自体で読ませてくれる魅力のある文章だと思います。個人的には、官能性を覚えました。 いましか書けないかもしれない詩、キラキラしていて、いいなあと感じました。 (有罪無音)

2019-11-18

マザーファッカー。 この一言が効いていますね。これが、若者の書くような、混沌とした勢いのある詩であったら、こんなに活きてはこなかったはずです。老いの叙情をしずかに語られているからこそ、でしょうか。新しい朝に向かって、中指を立てる老年、パンクですね。 この一言のせいで、そのあとの感興がうすれてしまうかといえばそうではなく、対照的に、後半のしんみりとした詩情が際立っています。 十一月の土曜の朝、というシチュエーション=此性も、詩の主題を象徴しているようです。 (土曜の朝、雨。)

2019-11-17

おもしろさのなかにも、かなしみがあり、よい作品だと思いました。個人的に、 孫兵衛の孫は孫兵衛の顔らしい という行で終わっても、すっきりとしてよかったのではないかと思います。ここが、今作のいちばんの盛り上がりではないでしょうか。そのあとの後半は、上りきった山を下りていくように、哀愁が支配的な雰囲気になり、前半とはまた違った良さがあるとは思います。 (孫兵衛の顔)

2019-11-16

「下妻物語」の、ロリータファッションに身を包んだ少女を連想した。メルヘンだって、極めれば立派な美学だと思う。ときには変わることも大事かもしれないけど、誰になにを言われようとも自分の感性を信じていけたら、かっこいい。 (うた)

2019-11-16

まさかと思うような語を詩に用いられるセンスには、あいかわらず脱帽させられます。 クウガ、どこか超人的な象徴のように感じられます。飛ぶ者=飛躍することがもはや普通である状況。登記簿といえば、実物を文字等の情報に置き換える、いわゆるコード化ですが、詩作もまた、現実や想像を言葉に置き換えるある種のコード化なのかもしれません。そしてそれは、散文のように長引いたり、冗長ではなく。 まさかと思うような飛躍した出来事も起きている散文的な現実や社会に対し、詩作で応えようとされているのかもしれないと思いました。そう考えると、こうした作風そのものが、複雑かつ難解になってゆくこの世界への、一つの応答のようにも思えてきます。 (クウガは普通)

2019-11-15

生一本な詩情に、快い読後感を覚えました。大吟醸がしみわたるような。シンプルに、直観に訴えかけてくる作品だと思います。 ただ個人的には、着陸ではなく離陸の方がよかったのではないかとも感じました。文明は、さらに高度に進歩していますし、堕ちてくるかもしれない危険性も孕んでいますから。 それが私の空を のうのうと飛んでる 〈私の〉という一語が含まれているのがよかったです。現実の空だけではなく、憧れや想像の空も飛んでいるようで。そうすると、着陸でも正解であるように思えてきました。現実では着陸している飛行機が、想像の空を飛んでいると、読むこともできそうです。 (飛行機(テイク1))

2019-11-12

あ、全文ひらがなと書いてしまいましたが、「思」という漢字が一文字含まれていると、読み返して気づきました。総じて、作品に〈ほつれ〉がみられる。これは、意図的なのかもしれないとさえ思いました。 (トマトとにんじん)

2019-11-10

わたしがきらいなとまとをきみがすきで きみがきらいなにんじんをわたしがすきなように この二行の「とまと」と「にんじん」は、反対にしてほしかったな。「とまと」は乳房を「にんじん」は陰茎を連想させますから、女性だと思われる「わたし」は「とまと」がきらいで「にんじん」を好きだとしたら、同性愛の隠喩としてはあべこべになってしまいます。それとも、露骨になりすぎないように避けたのでしょうか。 あと、全文ひらがなであるのに、タイトルのトマトだけカタカナであるところが惜しいです。そこもひらがなにするか、あるいは「トマト」「ニンジン」とカタカナにして際立たせてほしかったなと思います。 (トマトとにんじん)

2019-11-10

昨日の自分にはもう会うことができず、昨日と今日の自分が同じであると保証するものはなく、漠とした連続性を感じているだけで、その意味では一日いちにちが新しい自分の誕生日といえそうです。意図的だとは思えないのですが、最後の「早くねよう」という一言には、新しい朝=自分を迎えたい願望が表れているように思えてなりませんでした。 シンプルだけど、よくわからない作品だなあと、読み過ごしてしまうこともできるのですけど、そこをあえて解釈してみました。 (誕生日おめでとう)

2019-11-09

詩に表現したいと思ったであろう衝動的なものは、とても伝わってきます。だけど、冗長に語り過ぎている。ところどころ、グッとくるフレーズ(ルミナスライン)もあるのですが、焦点がぼやけってしまっていて、活かしきれていない。おそらく、書きたいという気持ちが優っているのではないかと感じられて、言葉をプラスしていくよりも、余計なものを省くマイナスの発想が鍵になっていくように思われます。 書くときに〈彫琢〉ということを意識すると、もっと良い作品に仕上げられたと感じざるを得ません。 (夢見る蕾の夜)

2019-11-09

見過ごしてしまいがちな、なんでもない日常の一コマから叙情を引き出している作風は、なかなか好きです。詩人らしい視点だと思います。 (郵便受け)

2019-11-08

ころねさん 曖昧なものにこそ、あやかしのあやかしたる魅力があるのかなと思います。少年なのか河童なのか。見つめかえすものは妖怪かそれとも自分自身か。 不気味さのなかにも、ハートフルなものを感じてくれたようで、よかったです。ありがとうございます。 (見つめかえす瞳)

2019-11-05

st さん メルヘンが好きなんですね。本作は、妖怪や不思議な伝説といったものを題材にした、掌編小説風の連作です。先月投稿した「旅館」( https://www.breview.org/keijiban/?id=4196 )という作品がきっかけでした。この作風でしばらく書いていこうと思っているので、愉しみにしてもらえたら幸いです。コメントありがとうございます。 (見つめかえす瞳)

2019-11-05

たとえ背徳的だろうと、そこに好奇心や興味を誘う道があるかぎり、人は、探索せずにいられないのだろうか。ちょうどGoogle Mapのストリートビューが、ありとあらゆる道を探索するように。自分は辿らない道も、他の誰かは辿ることがあるだろうし、自分だって歩むべきではない道に足を踏み入れてしまう可能性がないわけではない。——そのようなことを思いました。 素直に言うには野暮ったくて気後れするのですが、ビートジェネレーション風の文体を、かっこいいと認めざるを得ません。 (Google map)

2019-11-04

改行の仕方に、次々と移り変わってゆく、車窓からの眺めを彷彿とさせられました。イメージしやすく、読みやすい文章なのですが、魚男に、いい意味で躓かせてくれますね。そういえば、走っている車に乗っていると、窓から一瞬、変なものを見てしまうことがあるなあと思いました。 墓参りへ向かうであろう道中がそのまま、夫婦人生の縮図のようにも感じられる作品でした。 (墓参り)

2019-11-03

読みやすさと比喩の塩梅がちょうどよかったです。軽妙な魅力のある作品だと思いました。 (地球でできた友達)

2019-11-03

「深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ」ニーチェのこの言葉は、最終連を書くとき念頭にありました。書き過ぎることを避けて、省きましたが。誰かしら、連想してくれる方がいるかなあ、と思っていたら、エイクピアさん、さすがです! 芥川龍之介や、カポーティなど、深淵を覗いた作家は、深淵に魅入られてしまうのでしょうか。本作の主人公は、そのような運命を辿らなければいいのですが。 (見つめかえす瞳)

2019-11-02

ちょうど、三日月がきれいだなあと感じていました。 オレンジの薄紙、染み込んでいく濃紺、一筆の月、あたかも手紙に見立てているようで、なにかしら伝えたい想いを、夕焼けから夜へとうつりかわる空へ投影しているのだろうかと思いました。細める目、背ける背、頼りなさげな蛍光灯、といった語からは、そこはかとなく気後れする様子も感じられて。 (細める目)

2019-11-01

電子マネーが流行っている今日このごろにおいて、硬貨の質感に着目して書かれた本作は、変化する時代にとりのこされてしまいそうなものへ向けた、詩心あるまなざしを感じるようです。子供心のような可愛いらしさや、手を繋ぐ仲などは、電子化されていく社会でも失われてほしくはないものですね。 黒髪さんも注目されてますが、ニッケルとコッパー、こうした語には化学からの視点があり、どこか宮沢賢治風にも感じられました。 (小銭のことば)

2019-11-01

これは、よい詩ですね。関西弁によってこそ、本作の愛(かな)しみあふれるユーモアが活きていると思いました。 (さがしもの)

2019-11-01

一作のうちに多数の「死」を無機質に提示されるより、たった一人の「死」を表現した詩の方が、はるかに重みがあると思うのですが、その示唆にこそ、私は本作のメッセージ性を読み取りました。 それにしても、神話によるとイザナミは「1日に1000人の人間を殺そう」と、イザナギは「それなら私は1日に1500人の子を産もう」と云ったそうですが、「死」でこうした作品が創れるなら、「産」でも同様の作品が創れそうです。出生人口が減っているといわれる昨今では、「産」も切実な問題ではないでしょうか。 (数え唄)

2019-11-01

文体こそいつも通りですけど、展開に意外性のないところが、せいろんさんらしくないなあ。本作は、先に云ってしまった結論の域から出ていませんから。これは、四つの連の順番をまったく逆にした方がまだ、可能性を閉ざされることなく読める気がしました。タイトルもたとえば、地味ですけど「あなたにできること」などであれば、本作を読んだときの得体の知れない恐怖感を活かせたのではないかと思いました。 (あなたが怖い)

2019-11-01

巧みな文章構成には感嘆させられます。とくに改行されるとき、そこに衣摺れの音を聴く思いがしました。ただ、 静か。 といった直截的な語は、無くてもよかったのではないかと思います。レースのカーテンが光りにたゆたっている静けさは、作品内にみちあふれていますから。 (ソナチネ)

2019-10-28

服(福)は、大きすぎても、小さすぎても、着られない。身の丈にあってこその、幸福。・・・というようなことを考えたことがあります。 それはさておき、本作は読みやすく、主題が伝わりやすい文章でした。ただ、不幸や幸せが、観念的に上滑りしている感もありました。たとえば、そこに読み手にとっての不幸や幸せを代入するとしたら、小説風な描写がかえって障碍になってしまっていると感じます。せっかく小説風な書き方をされているのですから、それを活かして、登場人物たちにとってなにが不幸で、なにが幸せか、読み手にも実感をもたせられる描写があったら、さらによかったのではないかと思いました。 (おそろいの不幸)

2019-10-28

落花生と沈丁花。落、沈、といった下降を連想させる語が、おたがいの共通項でしょうか。雨がメランコリーをさらに助長させている気もしますが、そんな低調な雰囲気も、どことなく愉しんでさえいるような印象を受けました。 (こちら落花生、沈丁花におくる)

2019-10-25

こんにちは。 前作のコメント欄で海外に行かれると語られていたこともあり、異国の芸術的な光景や音楽に触発されたと感じられるこの詩を、楽しい気持ちで読ませてもらいました。 いちばん気になったのは、 私は街並みの親、本の中の息子です という詩行。 本などでしか知らない仮象的な風景を子に、実際に五感で体験しながら歩いた異国の街並みを親に、喩えたんじゃないかと思えました。あるいは象徴的に、本場の音楽を親、そうした本物への憧れを子、というように捉えることもできそうです。 (カラーソング)

2019-10-24

初潮を題材にしているところが、文月悠光さんの「金魚」を彷彿とさせられました。あの詩を初めて呼んだときの、くらくらするような印象は忘れ難いです。やはり、隠喩などによる奥ゆかしさは、詩の表現の醍醐味であるように思います。比較して語るのもどうかと思うのですが、先例がすばらしかったこともあり、今作は表現が直截的だと感じざるを得ませんでした。とはいえ、前作で隠喩を巧みに用いられていた方なので、今作は可読性を意識して書かれたのではないかとも思います。 (赤)

2019-10-23

なんといっても、終盤のカタルシスがいいですね。いきなり悪態をつく主人公と、ポップコーンを食べる閻魔。それまでの真摯な語りを、いい意味でぶち壊してくれる展開です。そして急転直下で迎えたラストは、どうやら現世に帰れたものの、そこはかとなく憂いも帯びているようです。帰れたのは、一人だけだったのだろうか、と。 凍えるような雨は、悲しみの涙を連想させられ、雨から守るための傘には思いやりを感じます。しかし「慈雨」という言葉があるように、草木に遍く降りそそぐ雨は、仏の慈悲心にも譬えられることがありますね。焼けた家は、大乗仏教で説かれる「火宅」の譬えを彷彿とさせられたり。などなど、仏教的なモチーフをさらに膨らませることもできそうだと思いました。 ともあれ、あの世の入口の光景など、愉しみながら書かれていたんじゃないかなと感じられました。 (道理)

2019-10-21

始めと終わりの連には、静寂を感じます。柱時計の音だけが、際立って聴こえるからでしょうか。おおきなのっぽの古時計——という歌がありましたね。柱時計にはどこか、老年を思わせるものがあります。夜という語もあいまって。 それらの連のあいだに構成されている、向日葵については、昼の時間=若さを連想させられ、古時計と対照的なイメージが泛びます。夜=老いのなかで、だれにも言えない、青春期の秘密の思い出を夢見ている、そのような詩に、私には読めました。 交換し合う 二匹の生き物は、 長針と短針でもあるような。なにも語らず、秘めた思い出をかかえたまま、ただ時をくりかえし重ねて、臨終まで過ごそうとしているのかもしれませんね。密告、とはいかなくても、夜の闇のなかで、甘やかな記憶だけが囁くのでしょうか。あくまで個人的な読みですが。 (密告)

2019-10-19

千才森さん 返詩をありがとうございます。長屋で百物語を聞いているみたいですね。恐怖と興味がいりまじったものは、わくわくします。 「ピアノ」( https://www.breview.org/keijiban/?id=2407 )という自作へのコメントのお返事にも書いたことがあるのですけど、まるっきりファンタジーというよりも、現実のなかに一抹の幻想性を感じられることが好きだったりします。夢と現のあわいが曖昧になる感じ。 よく、明るい作品もあったらいいのにと思うので、くさくなるのは承知の上で、前向きなお話を投稿してみました。 シリーズ物という発想はなかったです。それもおもしろそうですね。すこしまえに「家守綺譚」という幻想小説を紹介してもらって読んだのですが、短いお話の続き物ということで、思い出しました。なんとなく千才森さんも好きそう・・・ いつもコメントしてくれて感謝です。 妖怪がよく出てくるという千才森さんの小説も、読んでみたいですね。 (旅館)

2019-10-14

千才森さん 現実とはちょっとずれた感じの町——音がない、まったくなかったわけではないのでしょうが、雨に塗り込まれてしまっていたり、ものの動く気配がなかったりして、よけいにそう感じられたのかもしれません。五感をすべて使ってこそ現実だと感じられるという、千才森さんの見解に、私も共感しました。 千才森さんの「部屋に仕掛けた定点カメラ」にコメントしたみたいに、本作の場合は〈無声映画は遮断された〉という語によって、この詩の夢幻的な世界から脱け出せたのかなと思います。 いろいろなことを想ってもらえたり、雰囲気を好きだと仰ってくれて、感謝です。いいなと感じたものを、これからも作品にしていきたいなと思いました。ありがとうございます。 (音のない町)

2019-10-14

afterglow さん 知らない町を訪れたとき、夢の中に迷い込んだみたいに感じることがあるように思います。 繰り返して読みたいと仰っていただき、ありがとうございます。 (音のない町)

2019-10-14

前作は浮遊感を覚えましたが、今作は影を曳いている印象を受けました。青春のころを日盛りに譬えるなら、その太陽に灼かれている、心の陰影に焦点があてられていると感じます。甘酸っぱいオレンジは、太陽のアナロジーであるとともに若さも連想させられ、そうした象徴性が中心になって文章を牽引していると思いました。 友人関係やその疎外を、タピオカやチョコレートといった甘ったるいものの比喩を通して表現しているところも、わかりやすいです。 作品単体でも独立して愉しめる気はしますが、続編ということで前作と比べて読んでみると、ミルクとオレンジ、それぞれの味わいに深みが増すようです。 (思春期、すべてオレンジ)

2019-10-13

宝塚橋乃さん 比喩を読みとっていただき、ありがとうございます。 (音のない町)

2019-10-12

つむぎさん 言葉による絵画——とてもうれしい感想を、ありがとうございます。 一見すると静止しているものにも過去と未来は在るはずで、暗裏に動きがあると示しているのかもしれません。たとえば植木鉢には、そこに種を植えた過去と、花が咲く未来が。投函された手紙には、それを書いた過去と、届けられて読まれる未来が、内在されていますね。歩きながら詩を思いえがいていたことも、場面の変化につながっていたかもしれません。 (音のない町)

2019-10-12

この詩にえがかれている、自分は体験したことがないはずの思い出にも、読んでいてふしぎなノスタルジーを覚えました。夕焼けに魔法をかけられたみたい。 (夕焼けのコメットさん)

2019-10-12

さくら色の暴風にふきとばされそうな感覚を味わいました。いままでになかったような、ほのかに明るくて、やわらかくて強い、あたらしい詩。 不穏な詩句は目についても、希望をうたう、それはいまの世を生きていく、心の在り方そのもののようです。 仏像のやわ肌を幻視して〜 というフレーズには個人的に、スリランカの観音菩薩坐像を連想しました。生老病死を楽天的に悟っていそうな姿が、今作のイメージと響きあうようです。 (常しえのゆめの降るさと)

2019-10-12

鈴木歯車さん 時が止まっているかのような、ちいさな町の風景のなかにいると、えもいわれぬ情感に苛まれます。 詩は、ある種の記憶装置ではないかと思うことがあります。作者の見た光景とまったく同じであるはずはありませんが、抽象化された言葉を通して読者に情景を想起してもらえるのは、うれしいかぎりです。 コメントありがとうございます。 (音のない町)

2019-10-10

仲程さん 詩の心はどこにあるか、思索が止むことはありませんが、本作ではそれぞれの連に喩を託しているので、意味はわからずとも感じるものがあってくれたらうれしいです。 ちいさな町を訪れた梅雨の日、歩きながら心象をかさねていたら、この詩がうまれました。 (音のない町)

2019-10-10

仲程さん その一行、じつは気にしていたところだったんですね。展開が些か突飛ではないかと。いちおう、不思議なものへの興味をにおわせていましたが。だけど、突飛さがかえって功を奏していたなら、よかったです。情景を気に入っていただき、ありがとうございます。 (旅館)

2019-10-06

現代の都会的な叙情を主題としながら、電飾や携帯といった言い回しはやや古めかしく、「嗚呼」という表記にいたってはロマンティシズムさえ覚えました。むしろ大正時代の詩人の感性を彷彿とさせて、なにをかくそう、私自身もそうした懐古的なものが好きだったりします。ちかごろ、往年の文豪をモチーフにしたスマホゲームが若い人たちに流行っていたりして、古風さを醸し出すことが、かえって当世風だったりするかもしれない、などと思わされました。 (tokyo)

2019-10-06

わりと連想しやすい隠喩を凝らした詩であると、私には読めました。女性らしい心情を、官能的かつ上品に詠まれている印象です。 (turbidity dome ~憧夢~)

2019-10-05

今作の最大の魅力は、タイトルと内容の関係性にあると思う。両者を分離して、単体を先入観なしに読んだなら、タイトルからこの内容を、この内容からタイトルを、容易には想像つかない。しかし両者が組み合わされたとき、通底するイメージが響きあう、そこに詩情が宿っていると思う。 (手取り15万)

2019-10-05

ふじりゅうさんへ 長所や欠点よりも、かるべさんの作品との対照的な読み方に気がついて、その感興をコメントに書いたんですね。 文章や構成は、読み手の個人的な好みによって評価が分かれると思いますから、問題点を問われても、私の主観的な見解にしかならない。私の意見をあてにされるよりは、作者の独創性を伸ばしていってもらいたい、というのが私の心情です。文章力や表現力についても、中途半端にアドバイスを聞くよりは、地道にたくさんの作家の小説を読んでいくことが、なによりも滋養を得られる方法だと考えています。 単純な感想としては、フィクション性あふれる固有名詞の使い方や、直情的な言い回しなどから、ふじりゅうさんらしさが表れている文章だと思いました。終盤に詩を二編載せている構成も、好ましく感じられました。内容としても、心当たりがある自分としては、おもしろおかしく読ませていただきました。こうしたギャグ路線をベースにしながら、詩論や芸術論を与太話的に開陳していく作品も、愉しいかもしれませんね。 (ぽえとーく)

2019-10-04

ずいぶんと投げやりな終わり方なのですが、そうまでしないと、この作品からは(作者でさえも)脱け出せなかったんじゃないかと思いました。漏れたハクチウムによって酩酊したかのような文章、愉しませてもらいました。 (部屋に仕掛けた定点カメラ)

2019-10-04

うーん、あくまで個人的な見解なのですが、こうして見てみると、詩投稿サイトを作品に登場させるなら、まったく架空の名称をでっちあげるよりは、かるべさんの「B-REViEWは終わった」の方が潔いと感じられました。こうした作品をこの場に投稿する以上、アイロニカルに読まれることは不可避ですから。かるべさんの作品は、内輪向けであるなど賛否両論ありましたが、表面上がビーレビのパロディであっただけに、かえってその先へ普遍性を探る試みを誘う向きがあったように思います。一方、ふじりゅうさんの今作は、架空のサイト名や思わせぶりな文章が暗示するものはなにかという読みを誘い、その行き着くところは、実在する詩投稿サイトにあった出来事のパロディではないかという、かるべさんの作品とはちょうど反対方向へ向かう読ませ方だなと感じたのでした。こうした比較は、かるべさんの作品単体では思いもよらなかったことで、今作に誘発されて意外な発想がうまれたことに(そしてそれをコメントに記させるだけの熱量を感じていることに)、自分自身ちょっとおどろいています。 (また、花緒さんの「ネット詩人の墓」に関して言えば、固有名詞を用いなかったことが功を奏していたと思います) (ぽえとーく)

2019-10-04

Um Fantasma さん 思い切ったこと、そうですね、なにかしら新しい風を吹かせてみたいという意図はありました。せっかくの批評文投稿機能を活用して。 対象作品に興味をもって読んでいただき、ありがとうございます。 (祈りとしての詩—— 下弦物語)

2019-10-02

ふじりゅうさん 膨大な量の投稿作品があるビーレビで、おすすめの作品を紹介するために批評文を書くことも無益ではないように思いました。著者プロフィールには批評文の枠があり、その作者がどういった作品に興味を示すのか知ることもできますし。 コメントありがとうございます。 (祈りとしての詩—— 下弦物語)

2019-10-02

こうだたけみさん 90度横にすると・・・ あっ、そういう仕組みがあったんですね。まさしく、目を皿のようにして拝見させていただきました。よく作り込まれていて、おどろきです。 (┣びそあターャジス┳スジャータあそび┫)

2019-10-02

花を殺すものを季節と呼ぼう 花の咲くことで季節のうつろいを感じることは多いですが、その逆の発想をこうして表現されるのは、新鮮に思えました。 九月の終わりである必然性はあるのだろうかと考えて、個人的な事情があるのかもしれないとも思いましたが、鮮血のような彼岸花が咲きはじめ、お墓参りもするこの時期は、今作に合っている気がしました。 (九月の終わりを生きる)

2019-10-01

強過ぎる光の中にいることは、暗闇の中にいることと同義だといえる。盲いてしまうのだから。 きみに焦点が当たっているようですが、舞台照明に照らされている役者などを私は思い浮かべました。舞台上で役を演じる人にも、繊細な素顔があったりするだろうな、と。 (逆光に向かい立つきみは)

2019-10-01

もう、無邪気な言葉遊び全開で、圧倒されました。眺めても読んでも味わえる、言葉のお魚をいただきました。 一つだけ、「皿」の一字は「目」の方がふさわしかったんじゃないかと思いました。でも、こだわりがあったのかもしれませんし。 とにもかくにも、ごちそうさまです。 (┣びそあターャジス┳スジャータあそび┫)

2019-10-01

十五夜の月、金貨、井戸のまるい穴に、アナロジーを覚えます。 そして次作の「夢想」は、今作の変奏のようですね。金貨が和同開珎に、子がキッドに、置き換えられているように思えました。 田に突き刺さった十字架の苦しみは、案山子を連想させるのですが、キリストとの類似性も見出されます。もしかしたら、元型があるのかもしれません。 逸見さんは謎ですが、「逸(いつ)」も「見(み)」ているお天道さまのような存在に、助けをもとめたのだろうかと想像しました。 「夢想」と共に、耽美的な印象で、それでいて和洋折衷感もあり、泉鏡花っぽさが思い浮かぶ二作品でした。こうしたイメージは好物です。 (逸見さんに電話)

2019-10-01

夏野ほたるさん 率直な感想をありがとうございます。 ライトノベルと呼ばれる作品群を私は読んだことがありませんが、言われていることはわかる気がします。会話文を格式高いように直した方がいいんじゃないかと友人からも言われましたが、私はこのままがよかったんですね、友人の素の雰囲気が感じられて。今となっては、自分の文章に直さなくてよかったと思っています。 ありふれた展開や言葉なのかもしれませんが、共作できたことは、私にとってはありふれた経験ではありませんでした。ここに、一つの思い出として。 (半分の羊)

2019-09-29

夜11時、明日になる直前といった時間ですね。不安と期待が入り混じったような詩だと感じられました。 冒頭の電子機器類など、無機質な小道具による雰囲気作りが、ステレオさんは巧いように思います。私が初めてステレオさんの作品にコメントしたのは、たしか「白い固定電話」でした。stereotypeという名の印象もあるのかもしれませんが、それまでの自分は、ステレオさんにクールな人物像を抱いていました。ところが実際は、人間味のある、深い感情を持っている方だなと感じます。そのような、道具立てによる無機質な印象と、相反するような人間らしい感情は、どの作品にも共通して表れているステレオさんらしさではないかと、今作を読んで思い至りました。 (ラブソング)

2019-09-29

こんにちは。 問も解もなさけないままがいい この一行が好きです。自分の気持ちに嘘をつかない詩を書いていきたいと思いました。  ※詩のすべてが、注釈である 詩は、自分という存在の注釈と言えるかもしれませんね。 自らに吹いてくる風が、明日や過去に向かっていくという視座が爽やかです。いまこのときを感じ、書き留められたものに、ふれさせていただいたような気持ちです。 (Note:)

2019-09-24

感性に依って書かれた文章だという印象を受けました。他の方も仰られているように、読むのに理屈はいらないと思えます。ハッとさせられるフレーズがいくつもありました。 物語の筋を追えば、救急車で運ばれた主人公が、あの世への扉を開いたところ、死神か、もしくは天使から、かえって愚痴をこぼされた、というあらましでしょうか。 始まりは唐突で、最後は家に返してよという懇願に対し、到底不可能と思える指図を返されて終了。作品を通して、どこにも着地しない、浮遊感を覚えました。まさしく、重力がミルクに漬けられてしまったような。それは作中の言を借りれば〈世紀末より深刻〉な、終わりを見失った世界を、私たちも漂っているのだと、自覚させられるようでした。 (重力をミルクに漬けて)

2019-09-23

私はこの作品から「輪廻」を思い浮かべました。標準的な言葉に置き換えるなら、それは「回転」でしょうか。 産まれること、交わること、産むこと、そしてくりかえされる命。 唇や舌という表現は、生殖器を思わせます。 (回転)

2019-09-21

共存し得ないかと思われる矛盾する物事の和解。中盤の言葉の羅列にも、その比喩の連鎖が見受けられます。矛盾さえも内包して、この世界は成り立っているのかもしれない。 最後の一言がとくに印象的でした。 求めてはいけない全ては隠されている 隠されていたり、禁じられているからこそ、よけいに求めたくなるのは、人の心理なのでしょうね。ふと、詩の魅惑の一端もそこにあるような気がしました。 (夜中に、突然)

2019-09-20

トモダチ アクセサリー ワタシ 一連目のこれらの単語が、韻を踏んでいますね。 二連目にいたっては、ラップそのものだなと思いました。それ以降も、小気味いいです。 カタカナの字面から受けとれる無機的な印象も相まって、ラップの抑揚のない口調が脳内再生されるようでした。 学校生活でのやるせない気持ちを、言葉にのせているのが伝わってきました。そういった繊細な気持ちや感受性は、詩を書くことの根源的な動機たり得ると感じます。 (舞台「ガッコウ」)

2019-09-19

前作同様、方言で書かれていることによるインパクトが強いですね。ただ、この種の刺激を、今後も倦きさせることなく継続して読み手にあたえてくれるだろうかと、危惧を抱いてしまったのも正直なところです。それでも、方言は楽しい。 ところで実は、私にとって関西弁による詩の衝撃は、今回が初めてではありませんでした。参考までに、 〈 雪 〉 https://www.breview.org/keijiban/?id=1258 (おすわり)

2019-09-19

夢のあわいに泛ぶような、雰囲気のよい作品世界に、ふらりと訪れてみたくなりました。 もしかしたら、モノカキたちが集まるネット上などのコミュニティは、作者にとってこのような心象風景として見えているんじゃないかと思いました。 海、そこからインスピレーションが湧いてくる潜在意識としての〈海〉のそばのホテルなら、モノカキたちが訪れるにはもってこいの場ですね。 「月見ヶ浜海浜ホテル」と銘打ちながら、作中では「月はなかった」ところも、味な演出だと感じました。月を、モノカキたちの憧れや理想の象徴と解釈することもできそうです。 (月見ヶ浜海浜ホテル)

2019-09-19

みうらさん 世の中は矛盾や葛藤を起こさせることがいっぱいで、それらとまじめに向き合っていたら、アンビバレントに引き裂かれてしまいそうです。もし、迷いも悩みもないとしたら、それは見て見ぬふりをしているか、一方しか見ていないかのどちらかではないでしょうか。迷いながら、悩みながら生きていることが、自然な在り方のようにさえ思えます。 出来のよしあしは関係なく、いまこのときにこの詩を公開することに、自分にとっての意義がありました。そうでなければ、一生お蔵入りにしたと思います。そうするのも、わるくはありませんでしたが。 (水仙)

2019-09-19

みうらさん あてもなく二人で出発して、イマジネーションという地図を頼りに、歩調を合わせて進む。詩友との共作は、まさしく言葉の旅でした。 作中人物たちが逢瀬をかさねる〈森〉は、共作における友人との深い場所も表象していたのかもしれません。後日談(エピローグ)である8の舞台はその〈森〉から離れてしまっていますが、みうらさんの受けた印象はそうした表象に起因しているのではないかと思いました。 お読みいただき、ありがとうございます。 (半分の羊)

2019-09-11

さまざまなイメージを喚起させてくれる言葉遣いが、好みです。 二行分の間を空けて前後に連を分けており、前半は絶望を、後半は結ばれる希望を、謳っているように読めました。その転換点が空白なので、読み手として想像して埋めてみるのもいいのですけど、なにかしら示唆をあたえてほしかったなとも思います。 (flux)

2019-09-10

ビーレビは現代詩投稿サイトという名目ですが、実態はあらゆる文芸作品を歓迎しているので、都々逸も全然ありですよ。私の知る限り、都々逸の投稿は初めて見ました。 俳句や短歌の形式は一見すると似ていますが、異なっているのは音の数だけではなく、俳句には俳句の、短歌には短歌の、〈心〉があるように思います。都々逸については詳しく知らないのですけど、江戸っ子たちが酔った勢いで歌っているようなイメージが自分にはあります。浮世の感傷を笑いとばすような、あっけらかんとした洒落っ気が、都々逸の魅力なのかなと感じました。 都々逸という古風な表現形式に対し、現代を代表する照明であるLEDを引き合いに出しているところが、おもしろいですね。 私も、暗い詩ばかりではなく、明るい気持ちを詩に託したいと思うことがあります。でも、明るいものをただ「明るい」と云うことは詩ではないように思ったり。 都々逸は、そこはかとなく感傷的な影が潜んでいるからこそ、音韻の調子良さが際立って感じられるのかもしれませんね。思えば昭和の歌謡曲なども、歌詞自体はそれほど明るくなく、むしろ暗くても、聴き流してしまえる気楽さがあるのは、メロディやリズムのおかげなのかもしれません。 (『Little Eggs Dodo it’s 飛べぬのろまの 歌うたい』)

2019-09-09

千才森さん 好みの作風だと仰っていただき、感性に通じるところがあるようで、うれしいです。 まず、お訊きしてくださったことのお返事として、本作を詩友と共に創り上げていったことは、とてもおもしろく、思い出深い体験でした。 きっかけは連詩でした。友人と二人で交互に詩行を連想してゆき、冒頭の詩が出来上がったところで、物語にしようというアイデアを友人からもらいました。タイトルも、物語の大筋も、友人の発想に寄るもので、私はそれに細かなアイデアを足していったり、各話の小タイトルを考えたりしました。文章は二人で交互に書いていきましたが、友人の希望に沿って書いたところも多いです。どの文章をどちらが書いたか説明するのは、複雑なので省きます。当人同士からしてみると、文章の雰囲気の違いはよくわかるのですが、友人の持ち味を減じたくなかったので、あとから文体を編集することはしませんでした。にもかかわらず、継ぎ接ぎ感が見えないと仰っていただけてよかったです。 好みの表現もいくつかあったようで、ありがとうございます。私自身、友人の生み出す詩行にはいつも、感じ入るものが大いにあります。そもそも、スランプだった友人に、なにかしら創作の機会を取り戻せられないだろうかと思い、連詩や共作を始めたのでした。こうして本作へのコメントのお返事を書いていると、友人との思い出を辿るようです。 最後になりますが、主に小説を書かれている方からのご批評、とても興味深く読ませていただきました。ありがとうございます。 (半分の羊)

2019-09-09

作中の合間に、茶化すように挿入される顔文字。文字通り、顔のシニフィアン。ところが、タイトルもまさしくこの顔文字である。してみると、気取った詩行の方ではなく、顔文字=茶化しこそ今作における主体性の表現ではないか。そうだ。あらゆるエクリチュールとは冗長性なのだ。 ・・・とまあ、上記は現代思想かぶれの気取ったコメントですが、感じたままに述べさせていただくなら、 さまざまなセンチメンタルに対し、風に吹かれるように爽やかに(すこしシニカルに)微笑んでいるところが、みうらさんらしくて、好感をもちました。 ((╹◡╹))

2019-09-09

*本作は詩友との共作です* (半分の羊)

2019-09-08

タイトルの語感がとてもステキですね。文体や主題の瑞々しさにも惹かれました。 内容は小説の一場面のようで、この作品の前後に、語られてはいないけどたしかに存在している物語=人生の気配を感じられるようでした。ちょうど、始まりと終わりは見えないけど、その間の美しい一瞬を夜空に走らせる、流れ星のように。(あるいは、作中の銀河鉄道=新幹線のように) 初々しいころの出来事もいつしか思い出になってしまう、といったことを、そこはかとなく予感させる、きめ細かい文章も巧いと感じました。今この時も、しずかに過去になり、閉じられてゆく、そうしたせつなさは、一行目の〈閉、だけが自動のドア〉にも象徴されていたのではないかと思います。 (ツキヨノ・ヒライサー)

2019-09-07

0と1といえば二進法が想起されますが、作中の〈貴方〉はもしかしたらデジタルの存在、あるいは画面越しにしかまだ知らない存在なのではないかと思いました。生のぬくもりへの希求を感じます。 (0と1にも満たない君との距離は余りに遠い)

2019-09-06

世間の色事や痴話など、どうでもいいという泰然とした姿勢が、最終行の昼寝に表れている気がします。俗界の喧騒から浮世離れした静謐に収斂するような、清々しさを覚えました。 (昼寝)

2019-09-01

「かいだん」と、タイトルをひらがなにしたあたり、「怪談」とかけているのではないかと、前の連を読んで思いました。 最終行の「階段」は、上りなのか下りなのか明示されていなくて、行き先の不透明感や不穏さが表れている気がします。 一見すると、前後の連に脈絡はないように思うのですが、読み込んでいくと、そこにいくつかのアナロジーが見い出されます。 空蝉と、脱衣。 攪拌と、メレンゲ。 自由をもとめて歩き出す真夜中と、階段を行かねばならないのだ、という意思。 仄暗いあかるさの描写も相まって、つかれた現状況から脱け出したいというような、もどかしい切実さを感じる作品でした。 (かいだん)

2019-09-01

神話、歴史、宇宙、といった深遠なモチーフと、カロリーメイトなどの身近な固有名詞との対比が、詩に高低差をもたらしていて、話者のミゼラブルな心境を際立たせていると感じられました。東京の下町が、宇宙の片隅であるかのようです。 余談ですが、二連目の〈四季〉を〈死期〉と読み替えても、主題と違和感なさそうに思われました。 (生ぬるい生活)

2019-08-24

キャッチャーなタイトルとはうらはらに、思想的にも情景的にも、深淵までつれていってくれました。 (アンパン・マン)

2019-08-24

あ!これにはやられました。待ち受け画面をそのまま背景にしていることと、詩のあとの〈もう一度試してください〉が「諦めないで」と云っているようで、絶妙に効いています。なんだか、励まされました。 (携帯海月)

2019-08-22

はじめ、思わぬ誤読から読み進めたのですが、スターをとったマリオの状態、つまり昨今聞かれるようになった「無敵の人」を思いました。外部との交流がない生活は、それ自体、一つの充実身体ともいえそうで。「天人五衰」という語を彷彿としました。 ところがスターは、メディアにおけるスターのことでしたね。テレビの向こうの華やかな君と、暗い部屋の中の私、この光と影は、同一人物の二面性を投射しているように感じられました。スターの君という光が消えたことで、部屋の私の影も消えざるを得なくなったのではないでしょうか。 (スターの君と部屋の私)

2019-08-17

藤 一紀 さん ああ、朦朧とは、そういうことだったんですね。たしかに、ゆらゆらとした幻想的な雰囲気を想わせる表現が多いですね。そのなかで、鬼灯が鮮明な存在感をもっているとのこと。まことに興味深い解釈を、ありがとうございます。 鬼灯はもちろん、花の〈ほおずき〉のことで(隠喩を含ませてはいますが)、「鬼灯」という語の妖しく幻想的な印象に、やられちまっていました。 (鬼灯フアンタスマゴリア)

2019-08-16

藤 一紀 さん そうですね、云いたいことをあえて朦朧と表現していることもあり、夢とも幻ともつかないというのは、そのとおりだと思います。 コメントありがとうございます。 (鬼灯フアンタスマゴリア)

2019-08-16

蛾兆ボルカさん ご批評賜り、光栄です。 背景写真は、明かすと夢がなくなってしまうかもしれませんが、雨上がりの路面に街の光が乱反射した夜の駅前ロータリーでした。長時間露光であることと、エフェクトをかけたことで、幻想的にみえますが 笑 ただ、ロータリーが走馬灯のイメージとかさなったり、タクシーのテールライトが緋鯉のようにもみえて、詩とシンクロしているように思いました。仰るとおり、写真の右から左へ、夕焼けから宵の空へのうつりかわりのようにもみえますね。 「短夜」であったことに気づくのは夜が明けてからのことですので、その季語をとりいれた一句を末尾にしたためたことから、宵から夜をとおして明け方までのながれであるのかなと思っています。ですので、ボルカさんに感じていただいた時間の印象は、すべて含まれているように思われます。 単なる和風ではつまらなく感じたので、「フアンタスマゴリア」という語をアクセントとして用いました。不安(ふあん)という語もしのばせて。個人的に、和モダンな詩になったかと思います。 イメージを深く感じとっていただき、まことにありがとうございます。 (鬼灯フアンタスマゴリア)

2019-08-15

タカンタさん 詩の紹介をありがとうございます。擬古文が、時代劇風な内容と合っていますね。 夏草や兵どもが夢の跡 読後、芭蕉の句を想起しました。 (鬼灯フアンタスマゴリア)

2019-08-15

月隠緯檻 さん 素直な感想をありがとうございます。 言葉遣いがやや難しいこともあり、万人受けはしないだろうと思っていましたが、感動していただけてうれしいです。 (鬼灯フアンタスマゴリア)

2019-08-15

直截的なタイトルからして強過ぎるほどの印象で、文章からも衝迫感を覚えるのですが、表現において、主題性の奥深さよりも、映像的な面が勝るように感じました。映画にたとえるなら、SFアクションエンタテインメントでしょうか。 戦争で死んだ友という主題の共通性から、鮎川信夫さんの詩「死んだ男」を想起させられました。一概には比較できませんが。鮎川信夫さんの表現は、表面はきわめて静かに、しかし内奥に激しい慟哭がこもっていると感じます。参考までに、その一部を紹介させていただきます。 空にむかって眼をあげ きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横わったのだ。 「さよなら。太陽も海も信ずるに足りない」 Mよ、地下に眠るMよ、 きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。 (鮎川信夫「死んだ男」より) ※ところで、公式ツイキャスの件ですが、すみませんが見送らせてください。お誘いをいただいたことは、光栄に思っています。ありがとうございます。 (君が死んだのは果たして本当に君のせいなのか)

2019-08-12

二連目に、 体はぶくぶく太るし顔はニキビだらけだし 痩せててガリガリでみっともないし という矛盾しているフレーズをみつけてしまったのですが、主人公の倒錯的な様子が巧く表現されているなぁと感じました。 最後、いつのまにか舞台に上がっていて、これは演劇だったんだと思わせてくれるのですが、自撮りなどの承認欲求を満たす行為がネットを通じて安易に社会という観衆に晒され、ごく一般人でも(アイロニカルな意味で)役者になってしまいかねない、昨今の世相を象徴しているかのようでした。 (詩人が語る言葉は、すべて詩でなければならない)

2019-08-09

スミカゼイツカさん お返事をありがとうございます。 おそらく、まだお若い方なのだろうと察します。詩を書く為に何か特別なことをしなければいけないなんてことはありませんが、これからいろいろな人生経験を積んでいくなかで、詩にも自ずと滲み出てくるものがあるように思います。空想的な表現も私は好きなのですが、経験の豊かさはきっと、作品に深みをあたえてくれるはずです。とはいえ、自らの感じるまま想うままに、これからも書いていってほしいと願っています。 (不可逆)

2019-08-08

随所に光るフレーズがあり、洗練されたイメージを観じられました。ただ、牢獄のなかや、火刑に処されるときなど、現実感が乏しく、全体的にも観念に走り過ぎているところが、もったいなく感じます。思想を表現することはいいのですが、もっと経験に裏打ちされた文章を読みたいと思いました。 溺死体は誰のものか 好みの詩行です。死して自然の所有に還るとしたら、生きることは自らの存在する権利を自然から窃盗すること、だと云えばものものしいですが、自らの命はやはり借り物であるのかもしれません。 生きているのか 死んでいるのか わからない 時が流れていることはわかる これは、自然な感覚だと思いました。生も死も、おおきな一つの流れの、ありうべき二つの面ではないかと自分は考えます。 (不可逆)

2019-08-06

まず、タイトルがとても詩的ですね。淡水と海水がまじわるところ、陸と海の境界、それはこの世とあの世がもっともちかづく八月、お盆を思わせます。 作中には三種類のいきものの名が登場しますが、それぞれ印象的でした。 ミナミトビハゼ 魚でありながら、陸にも生息するいきもの。その越境性は、あの人は元気かね という言葉と相まって、現世へと帰ってくる魂を表象しているかのよう。 オオヤドカリ 仮の宿といえば、儚いこの世を表す語でもあり、ヤドカリはまさしく、その象徴性を背負っているようないきものですね。 ハクセンシオマネキ 360° つまり、あの世のひとも、この世のひとも、めんそーれ と、あかるく招いているような感じがしました。 (八月の汽水域)

2019-08-05

回 回  齒 びっくりして、まさしく目を回している表情ですね。歯の旧字体の「齒」も、ほんとに上下そろったむきだしの歯にみえます。おもしろい。 前作のコメント欄で、釈迦とお米についてお話しされていましたが、そういえば白米のことを舎利(仏の遺骨の意)と呼びますね。命を養うお米に、死を連想させる名がつけられていて不思議に思いましたが、私たちは他の生命を糧にしていることを考えれば、ありがたみを忘れないようにとの願いも込められているのかもしれません。 表裏一体の、死と生。それは今作の端々からも感じられました。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-05

徒手空拳で闘っているかのような印象。技巧的に凝ったレトリックはほとんど用いずに、Blue、青、ぶるぅ、の読み替えを中心に、腰を据えて、ことばの拳をひたむきに繰り出しているように感じられました。 (Blue、青、ぶるぅ、ぶるぅ ぶるるるるる……という呪縛と解放)

2019-08-05

静かな視界さま ありがとうございます。 本作は、物語詩のかけらと称して書き留めていたものに、通底するテーマをみつけて、一つの作品としてまとめました。 叙情性を現代詩らしく、喩に託すことができたかなと思います。 (ボクラハミンナ)

2019-08-03

思えば、詩を書くこと、創作をすることも、私にとっては秘密の通り道のようであったかもしれません。けっして秘密というわけでもないのですけど、周りからかんたんには理解されにくい自分だけの愉しみは、やはりヒミツの香りが漂っている気がします。この詩にふれて、そんなことを思いました。 (秘密の通り道)

2019-08-03

インディアン「イシ」も、ナポレオンも、マリー・アントワネットも、すでに亡き人物ですが、いまなお残像として都市のかたすみに顕れるとしたら、影響をあたえる存在として生き続けているのかもしれない。すでに終わった星の光が、地上に届くように。 この作品自体が、もっと大きな物語の「残響」のようで、文章の奥に広がっている世界を感じさせるようでした。映画の予告編から、本編への想像力を掻き立てられるように。 (「残響」。)

2019-08-02

不思議の都のアリス、そのワンシーン。六本木の夜の香りが、漂ってきそうな作品でした。 (midnight blue)

2019-08-02

稀覯さま はじめまして。写真からなにかを感じていただけたようで、うれしく思います。ありがとうございます。 (メトロ)

2019-08-01

「田」の上に「雨」と書いて「雷」ですね。 稲妻の伝承、私も興味深いです。 作中の合間にはさまれている呪符のような文字の羅列ですが、 回回 田田 雷にびっくりして、まんまるくした目と、むきだしになった歯のように、私には見えました。 (ぬくい)

2019-07-31

藤 一紀さん こんにちは。 地下鉄の構内って、乾燥していて埃っぽく、冷たくて喉を潤すもの(たとえばアイスクリームとか)が欲しくなったりするのですが、その感覚は疲弊感にも近いかもしれませんね。 あ、〈ハイヒールのリズム〉と〈ニヒリズム〉、韻を踏める語でしたね。気づきませんでした。 〈カフェ/地下鉄/待合室〉二音づつ音数が増していくところには、特有のリズムを意識しました。 藤 一紀さんは、詩的な〈耳〉とでもいうような感覚が鋭い気がします。 コメントありがとうございます。 (メトロ)

2019-07-21

千才森さん 各連ごとに読み解いていただき、ありがとうございます。 自分としてはわりとわかりやすい、逆にいえばひろがりのない詩だと思っていたので、いろいろ想像してもらえてよかったです。 紙に印字されたデータのように、私たちの存在も登録されてしまう社会ですね。そう思うのは、ものさみしいですが。 都会的な気取りは、内面的弱さを隠すファッションなのかもしれません。 アイスクリームって、ミルクからつくられますよね。どこか、そのようなあまえたい気持ちが、最終行に表れていたのかなと自分で思います。書いていたときは、無意識でしたが。 気にしてしまえば、常識で成り立っている世間に戻りにくくなる。おそらく、そのような日常の隙を見つめるのが、詩を書く者の視点なのかと思います。 (メトロ)

2019-07-21

まさしく情景が脳裡に浮かぶような、すてきな作品ですね。文体が素朴で、それが良いともいえますが、個人的にはもうすこし洗練さがほしいと感じました。全体的に同じようなトーンですから、キラリと光る詩行があれば、もっと読み手を惹きつけるのではないかと思います。 (カフェ)

2019-07-20

タカンタさま なるほど、日本語に溶け込んでいれば横文字ではないとは、まったく主観に依る認識でありますね。 拙作「古書店」において、「ミクロコスモス」「シミュラークル」は日常的な言葉ではないと自覚しつつも、特異な雰囲気をもたせるため半ば実験的に用いました。とくに「シミュラークル」については、拙作をきっかけに初めてこの概念を知ったという方もおられて、語の使用には満足しております。 ところで、「古書店」について意見を述べたいのであれば、当該作品にコメントしていただけると助かります。 詩という概念は世界的なものでしょうが、それぞれの言語にはそれぞれの詩があり、他言語に翻訳された詩が原文と正しく同じ作品であるとは思えません。ましてや、翻訳には多大な労が要ることでしょう。にもかかわらず、私の詩が翻訳される心配をされるなど、思ってもみませんでした。そこまで気にかけていただき、まことにありがとうございます。 (海を見たくなるのは)

2019-07-20

タカンタさま 私の発想が通俗的なことは自覚しており、それは拙作を読めばおおよそ自明のことであるかと思われます。その上で、方向性を気に入っていただけたことには感謝いたします。 横文字の使用は好ましくないとのことですが、タカンタさまの作品「カフェ」に見受けられる、「カフェ」「ベール」といった言葉は、横文字ではないという認識でよろしいでしょうか。それとも、好ましくはないと自覚しながらも使用されたということでしょうか。 私としては、外来語と外国語は別物だと考えております。つまり、表記からして海外の言語で書かないことには、正しく外国語とはいえず、反対に、カタカナで書かれた横文字は、外国語由来といえども我が国独自に通用する言葉だと捉えております。横文字は、伝統的な見地からすれば生粋の日本語とはいえないかもしれませんが、我が国でのみ通用する言葉として、やはり日本語の内に有って然るべきだと私は考えます。 (海を見たくなるのは)

2019-07-19

仲程さん なにか根源的なものが、海にはあるのかなぁ、と感じたりします。それとも人間自身が、なにかに根源を求めたがるのかも、とか。 コメントありがとうございます。 (海を見たくなるのは)

2019-07-19

大好きな彼が、二行目からはしかめっ面という呼称になっていて、苦笑い。笑 「つまんねー奴」なんて相手のことを言う本人が、もっともつまらない人間だったりしますね。 一文字のトが、私には蝶番のように見えました。言われた一言で、作中主体のためらう気持ちにも決心がついたのか、最後の一行は安堵しているように感じられました。 私はいつもスマホから眺めているのですが、横向きにするとパソコン画面に近くなるので、作品の構成がよくわかりました。 横書きだからこそうまくいってる表現だと思います。両者が向かい合っている様子が視覚的にも伝わってきますし、さきほども述べたように、トが転回の役割をしていて、印象的でした。 詩がどんなものかあいまいだとしても、たいがいの詩人でさえ、はっきりとは答えられない難題で、だからこそ詩を探究しているともいえるわけで、千才森さんには自らの感性を信じて書いていってほしいなと思います。 それに、作品を読ませてもらえることは、私たちにとってもうれしいですから。 (詰めさせたがる彼)

2019-07-17

ふじりゅうさん 最近、自分でこの作品を思い返していて、一つには、オイディプス的な三角形の構図と、その超越を書こうとしていたんじゃないかと考えています。 まぁ、小難しい話は置いておくとして、現実と幻想のあわいを愉しんでもらえたらうれしいです。少年は空に帰ったのかもしれません。 (海を見たくなるのは)

2019-07-16

青春とBluetoothには、共通の色を表す語が含まれていますね。二つの言葉がこのように結びつくことに、意外性を覚えました。 最終連は感傷的に巧くおちついていますけど、個人的には二連目で終わった方が好みです。 (人間Bluetooth)

2019-07-16

雨粒と雨粒が、ランダムにくっついて落ちていく様子は、どこか人と人の出逢いのようで。それを眺めている作中話者の視線には、哀愁を感じさせられます。 今まで何人てるてるぼうず殺したかな、 わたし。 とてもすてきな詩行です。 願い、喪い、それでも人は願わずにはいられないのでしょうね。 (雨粒)

2019-07-13

冒頭から、とても惹きこまれる表現ですね。 廃墟と思しき描写から、(幻想の)彼女との会話への、シームレスな移行は見事です。 随所に詩的な表現も織り込まれていて、私はとても好きな作風です。 (白い迷い家/黒い夢。 (詩のように書いた小説のそれっぽい詩?))

2019-07-13

興味をもっていただき、ありがとうございます。 プロフィールに、Instagram のアカウントへのリンクを設けました。よろしければご覧ください。 (メトロ)

2019-07-08

ありはらさま 写真は、自分が撮ったものです。借り物があまり好きではなくて、ここに限らず、公開している写真はすべてそうです。 誉めていただき、誠に光栄であるとともに恐縮です。ありがとうございます。 (メトロ)

2019-07-08

エミリー・ディキンソンとの、心の中での対話でしょうか。 文章が途切れてしまったのは残念ですが、ポジティブに捉えるなら、かえって強い余情を喚起させているように思いました。もちろん、全文を読みたい気持ちはありますが。 言葉にできない言葉をどうやったら言葉にできるのかという、かんたんには答えられない問いを、作中人物の難解な語りでこれから解説されるであろうところ、スパッと切り捨てられていて、問いのまま読者に提示されており、偶然とはいえ、これはこれで成功ではないかとさえ思えます。 切断されることによって、それが流れていたことを認識させる、と云えばドゥルーズ=ガタリ的でしょうか。 終わらない問いに、慣性の働きが加わり、読者までエネルギーが伝達されてくるようです。 (エミリーの眼の中でわたしは眠る)

2019-07-08

抜歯についての小説なのかなと、ぼんやり読んでいたら、最後、なるほどなー、と感じ入りました。せつない余韻が、良いですね。 文章がちょっと冗長のような気もするのですが、読んでいて苦にならないのは、可笑しみのある、くだけた口調のおかげかなと思いました。 (抜歯)

2019-07-08

仲程さん 気に入ってもらえた詩行があって、よかったです。ありがとうございます。 (メトロ)

2019-07-06

ステレオさん 絶賛していただいて、恐縮です。 本作は約五年前に書いた詩です。過去の自分の詩を整理していて、なつかしく思うと共に、ちょうど詩の雰囲気に合う写真も撮れたので、併せて投稿してみました。 自分の詩風は変遷していますが、わりと初期の方が、より詩情に敏感であったかもしれません。たまには、自らの原点をふりかえってみるのもいいですね。 (メトロ)

2019-07-06

エイクピアさんの詩としては、かなり読み解き易い作品ではないでしょうか。というより、読みを誘うと云った方が正しいかもしれませんが。 今作のおやかたさまには、ジャイアン的な某超大国を連想せずにいられませんでした。 隠喩が謎解きで終わらないのは、語彙力に裏打ちされたエイクピアさんならではのユーモアがあり、読者を愉しませてくれる為ではないかと思いました。 (おやかたさま)

2019-07-02

エイクピアさま 拙作から何かを汲み取ろうとしていただき、感激の至りです。 私からあれこれ語ることは控えて、感じていただけるままにお任せしたくなりました。 ただ、今作を書いたときは、一抹の幻想性を楽しんでいたように思います。 海や空の、もっと向こうにふれてみたいような気もします。 (海を見たくなるのは)

2019-07-02

いつものような、きわどい表現は、今作には一切ありませんね。それで、清澄な印象を受けました。 厳しい道のりを越えたあとの、優しさ、そのようなものを感じます。 (悲しみも苦しみも寂しさも克服した男。)

2019-07-01

主題が美しく、まとまっていますね。個人的な好みに依るのかもしれませんが、空白でゆとりをもたせるよりは、文体をぎゅっと縮小していた方が、小品としての瀟洒な雰囲気が増していたように思います。 (石畳の道)

2019-06-30

まさかとは思いますが、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのアルバム「ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート」を模したタイトルではないかと、ロック好きな自分としては思いました(見当違いでしたらすみません) 共通項を見出すとしたら、気怠げなパンク、といったところでしょうか。 「命を削った言葉をぶつけてください」 というコメントに対する、シニカルかつ等身大の姿勢には、パンクに通じるものを感じます。 (ブラックジョーク/ホワイトノイズ)

2019-06-20

興味深い内容で、読み易く、おもしろかったです。 先日、書店で、ボルヘスの「詩という仕事について」という本をみかけました。詩については答えを出すのではなく、謎を提示することしかできないという、著者の謙虚な姿勢に惹かれたのですが、survofさんの本批評もどこか通じるようです。 答えを書くことができたら(あるいは、言葉で直截に意思疎通できたら)、詩ではなくてもいいかもしれない。詩そのものが、終わることのない問いかけかもしれない。そのようなことを考えました。 私のこのコメントもナンセンスかもしれませんが、語り得ないことについては、やはり語ることができず、示すことしかできないのかもしれません。 (ネット詩の読解の不可能性についてのディレッタント・カット)

2019-06-17

渡辺さんとほぼ同じ感想を抱きました。 追記するなら、ここに描かれている光景は個人的な(一般人には稀な)体験かもしれませんが、それを普遍性のある絵画のように、私たちに魅せてくれることに感銘を受けました。 (上富)

2019-06-16

帆場蔵人さん いまでこそ動物園に行けばライオンに会えますが、千年前の人にとって、獅子は想像するしかない動物だったんでしょうね。FF8を思い出したりもします。笑 極楽鳥に想いを馳せていただき、ありがとうございます。〈わたしの〉という言葉をのがさずにいてくれたことを、うれしく思います。 (極楽鳥)

2019-06-11

ステレオさん 名前や言葉でしか知らない対象って、想像が膨らみますよね。三島由紀夫「金閣寺」の冒頭みたいに。 三連目は、あざとい表現かもしれませんが、実際に新宿三丁目駅の階段を降りながら、この詩を思い浮かべていたのでした。 コメントありがとうございました。 (極楽鳥)

2019-06-11

とても感動的なラストでした。長いからといって、最後まで読まれずに埋もれてしまうのはもったいない作品です。しかし、発掘して読み、得られた感動は、宝物みたいに感じられたりするかもしれません。 戯曲なのかと思いきや、小説的な描写も多くありますね。亡霊があらわれて語り合うあたり、シェイクスピアを彷彿としました。 タイトルや内容にはミステリー感がありますが、どちらかといえばファンタジーでしょうか。象徴的な表現も美しく、詩的です。 後半がコメント欄なのはどうしてだろうかと、気になりました。 (少年と音楽一家の奇妙で大規模な殺人)

2019-06-11

痛切に胸に迫ってきました。私は医師ほどハードな仕事をしているわけではありませんが、今作に表現されている、仕事を第一義に考えざるを得ない生活のなかで感じる孤独や焦燥に、共感を覚えずにいられませんでした。 私は詩を書くようになってから、社会生活とは別に、もう一つの価値観で、もう一つの人生を生きられるようになった気がしています。 常識という、一元的な価値観だけで生きるには、この社会はあまりに辛い。 (痛い体)

2019-06-09

tOiLeT さん いつもコメントをありがとうございます。 舞台は、言ってしまえば、なんの変哲もない古書店なのでしょうけど、話者の主観(妄想?)が、世界観をひろげているのだと思います。 作家は虚構で真実を語る——含蓄のある言葉ですね。 虚構から真実を読み取ろうとするのもまた、人間なのかもしれません。 (古書店)

2019-06-09

「雑草という名の草はない」という有名な言葉のパロディも織り込まれていて、含蓄のある様子をみせながら、実は品切れをごまかそうとしていただけという。 腹を抱えて笑うほどの作品ではありませんが、ほのぼのとしていて、私は好きです。だれも傷つけない。 (少年とマガジン)

2019-06-06

舞浜さん コメントありがとうございます。 最後の外に出る二行は、仄暗く涼しい店内と、まばゆい初夏の陽気の、コントラストをもたせました。また、シミュラークルな世界から、現実世界への、帰還の意味でもあります。 ちょうど一年前に書いた本作は、興味本位で古書店を訪れたときの体験と感想を基にしました。 店内にながれているクラシックを具体的に表現するのは、よいアイデアですね。音楽家や曲によって、作中の雰囲気も変わってきそうです。 もとは短歌の引用はありませんでしたが、コラボレーションしてみるのも新鮮に感じました。そこは、読者の好みによるかもしれません。 (古書店)

2019-06-03

些細なことです。気になさらないでください。 というか、言われるまで自分も気づきませんでした。笑 (古書店)

2019-06-02

仲程さん 誉めていただき、光栄です。 また、言葉に興味をもって調べてくださり、ありがとうございます。 (古書店)

2019-06-02

意地とイージーに、音の類似を感じますね。 六差路は、六道への入口のような。 砂糖を好む蟻が塩で苛められたことも、業(カルマ)として回帰されるのかも。 蚊というささやかな命を殺生しようとするも、能わず、煙たさに厭気がさしたり。 珍しい?というよりエイクピアさんの提示される語彙の新鮮な表現に、作中の博士ではありませんが、山の裏を探るような解釈を試みてみました。イージーな行為になっていなければいいのですが。 (イージー)

2019-06-01

エイクピアさん 寺山修司さんの短歌は、今作の投稿を考えていたときにふと思い浮かび、どこか響きあうものを感じたので、勝手ながら引用させていただきました。 この詩は本屋のあるじとの友情を目指したものではない との視点は示唆に富むと感じました。店主は、謂わば、シミュラークルな世界の絶対者ということになるでしょうか。 一般的には聞きなれないであろう用語をとりいれた一行ですが、今作をリアルにしているという評をいただき、まことに光栄です。 仮想を重ねるほどにリアリティを増すとしたら、アイロニカルではありますが、実相なのかもしれません。 (古書店)

2019-06-01

なんと表現したらわからないようなものごとを、どうにか表現しようとするとき、詩がうまれるのかもしれませんね。 たとえば比喩だって、そのままでは表現し得ないものごとを、どうにか表現しようとする一つの方法なのかもしれない。 ついあべこべになってしまいがちですが、詩の芸術性は後のことで、先にあるはずの詩の本源的な要素について、今作は述べられているのではないでしょうか。それこそ、〈なんと表現したらわからないようなものごとを、どうにか表現しようとする〉不器用な手つきで。 (批評文 わたしの龍を読んで)

2019-05-31

ふじりゅうさん 現代自由詩の始まりにあったであろう、短歌や俳句といった古い詩形式への反抗心のようなものが私にはなく、古きよきものは進んで取り入れていきたいと思っています。単に、古風なものが好きでもあるのですけどね。 コメントありがとうございます。 (つくよみ)

2019-05-28

セックスしてしまえば今日は僕の勝ちなのだ。 この一言が、それまでの散文をすべて、詩情に結実させると感じられました。 (負けて勝つ、)

2019-05-27

はじめ、「海のポエジー」とは、砂糖水の対義語としての〈海水〉のポエジーかと思いました。つまり、甘いよりも辛い詩情。 でも、母なる海と呼ばれるように、海水はたくさんの生き物を育みますね。そんな多様性への礼賛を感じなくもありません。然し、そこは弱肉強食の世界。三角がヒエラルキーを意味することも容易に読み取れます。そうした野生の世界を作者は本当に是としているのか、それともマルドロールの歌からの引用のように、単にルサンチマンの発露であるのか、ちょっと気になりました。 最後、人間なんて放っておけという、そのようなシニカルな姿勢は、前作「トビウオ」にも通底していると思いました。(そういえば、海や魚というモチーフもですね) ただ、海の生き物を捕食しているのは実は人間でもあり、放っておけというのは、海の生き物が現実から目を逸らしたいが為でもあるのではないかと感じられました。(深読みし過ぎでしょうか) そんなわけで、この三角に作られた海に、私は「狭さ」を覚え、それが(私的な解釈ですが)〈辛い詩情〉に結実しているようにも思います。 (海のポエジー)

2019-05-27

あらかじめ十四行と定め、友人と一行ずつ言葉を出し合い、未知の状態から、一つのイメージや物語が輪郭を帯びていく様を愉しんでいました。 その過程にもこの詩の本質が宿っている気がしたので、あとから大きな改変などはしていません。和洋折衷感はたしかにありますね。 褒めていただいた箇所は友人の書いてくれた行なので、とても悦んでいると思います。 ありがとうございます(^ ^) (ハルピュイア)

2019-05-16

哀愁亭さん はい、最後は私なりの返歌です。 紀友則の和歌は相手の審美眼を讃えているそうですが、私の方は比喩的に相手の魅力を詠っていますね。 古きよき文化に、多くのひとが親しみをもてる時代になったらいいなと思います。 ありがとうございます。 (つくよみ)

2019-05-10

tOiLeT さん 気に入っていただき、ありがとうございます。 今作は三月に書きましたが、新元号が令和になり、シンクロニシティを感じています。 想いを言葉にして伝えたくなるのは、今も昔もおなじですね。でも、言葉をかわしていないとき、もしかしたらより深く、好きなひとを想っているものかもしれませんね。 (つくよみ)

2019-05-09

百合の花や香りには、私はよい印象しかもっていなくて、今作も馥郁とした香りが漂ってきそうでした。だからこそ心理描写にコントラストを感じられ、「百合なんて、嫌いだ」の一言にはインパクトがありました。 ひとは香りとともに過去を記憶しやすいものですね。 (百合)

2019-05-08

初化粧、艶やかな言葉ですね。 作中話者は女の子かなと思いました。 私は化粧をしたことはありませんが、洒落っ気のあることを初めてしたときの気持ちは、共通しているように思います。初めての恋、初めてのお酒、初めて読んだり書いたりした詩、など。そうした初々しい感性を、思い出させてくれるような読後感でした。 (初化粧)

2019-05-08

この物語では、出逢ったひとが偶然、主人公と同じく詩を趣味にしている方でしたけど、自分はリアルではなかなか、人前で詩が好きだなんて言えません。趣味の話題になっても、読書が好きなど、あたりさわりのない会話でやりすごしてしまう。ましてや詩人とのつながりなど、ふつうに生活していたらできようはずもなく。 だからこそビーレビのような詩のコミュニティがあることを嬉しく感じていますし、気の合う詩友と出逢えた悦びは大きいです。 終わったと言いながらも、詩の投稿サイトがしっかりと作中のコミュニケーションツールになっているあたり、巧いと思いました。 〈B-REViEW〉と、小文字の i にしてあるところも、にくいですね。笑 (B-REViEWは終わった)

2019-05-04

ネット詩とは何ぞや。言葉とは何ぞや。画面上のそれは、0と1とで構成される電気信号。あたかも肉体や物質が、素粒子に還元されるように。そこに意味やイメージを見出すのは、私たちの観念に過ぎない。悦びも哀しみも甘美なる、詩の戯れを、いざ共に。 (ネット詩人 宣誓)

2019-05-02

せいろんさん コメントをありがとうございます。 難しいというか、大和言葉だったり、俳句の季語だったり、古風な言葉は好きですね。連詩してくださった友人も、そのようです。 でも堅苦しいのはあまり好まないので、ひらがなや、やわらかいもので、ゆとりをもたせたくなります。 私は詩人の吉増剛造さんを尊敬しているのですが、氏は日本語のことを、怪物のような言語だと仰っていました。漢字、ひらがな、カタカナ、などが渾然一体となっている様は、たしかに怪物じみているかもしれませんね。また、このような言語を自在に扱えることに、悦びも感じます。 タイトルも気に入っていただき、ありがとうございます。考えてくれた友人にも感謝です。 タイトルは、その作品を象徴していて、一言でもピンとくるものをよくつけています。いつもそのかぎりではありませんが。 (ハルピュイア)

2019-05-02

ラフな話し言葉で書かれた、可読性に優れた作品ですね。それが良さだとは思うのですが。個人的には、ダダやシュルレアリスムを色濃く感じさせられる作品も読んでみたいと思いました。 (トビウオ)

2019-05-02

ゲーテの「至福の憧れ」という詩をご存知でしょうか?イスラム神秘主義から着想を得た、光=神への志向を主題とする作品です。まさしく「蛾でありたい」から彷彿とさせられました。 (イスラム教もキリスト教も、同じ神への信仰から派生したことを、念のために付記しておきます) (前に書いた暗い詩)

2019-05-02

tOiLeT さま 本作は、一行ずつの連詩によって創られました。私が書いたのは偶数行です。 「ハルピュイア」は、作中話者をイメージして友人がつけてくれたタイトルで、私も気に入っています。人と鳥、異なるものの混じり合いは、本作そのものを象徴しているようで。 幻想的なイメージやストーリーを感じていただけたら幸いです。ありがとうございます。 (ハルピュイア)

2019-05-01

モアイが出てくるあたり、渋谷かなと思いました。あれはモヤイですけど。どことなく、ハロウィンのときのような乱痴気騒ぎの喧騒を感じたり。そこへ、場を治めるために僧侶が説教に現れたら、シュールですね。阪神打線=猛虎も恐れない僧侶は、たしかに頼もしいです。 (僧)

2019-05-01

エイクピアさま はい、意図的です。 ものを〈落とす〉ことは、〈音す〉ことに通じているのだなと、常々思っていました。 〈訪れ〉が〈音づれ〉と通じていたり。 日本語の音韻の共通性は、奥深いですよね。 細かなところに注目してくださり、嬉しいです。ありがとうございます。 (ハルピュイア)

2019-05-01

竜野欠伸さま お読みいただきありがとうございます。 作中の句は、引用というよりも本作の心なので、散文と分けるのではなく、まんなかに包みこむように置きたいと思いました。 (永遠)

2019-04-27

tOiLeT さま お読みいただきありがとうございます。 詩って、どこにあるのでしょうね。作品に宿ることもあるでしょうし、詩情を感じられる心そのものにあるのかもしれませんし。そんな問いを投げかけることができていたら、幸いです。 ところで私は、デュシャンの「泉」にも詩心を感じます。 (永遠)

2019-04-27

peace.pot.microdot さま お読みいただきありがとうございます。 桜の写真がなぜ消えてしまったのか、だれかに壁から取り外されてしまったといえば現実的ですが、そんな事象にもさまざま思いめぐらせるのが詩心なのかもしれませんね。 (永遠)

2019-04-27

都会的な言葉選びと、小洒落た文体。内容はありふれたストーリーかもしれませんが、その魅せ方がクールです。素朴にも奇抜にも偏らない洗練された作風は、この掲示板で光っているように感じられました。 (トリスタンツァラに敬意を込めて)

2019-04-26

ヴィクトル・ユゴーや、T.S.エリオットの文芸作品へのオマージュが織り込まれていますね。今作を書かせたほどの強い思い入れが、おそらく作者にはあるのだと感じられました。 (ノートルダム大聖堂への葬送歌)

2019-04-16

傷を保護し癒すための包帯という隠喩が絶妙です。包帯を脱いだあとの自分は空っぽ、あるいは透明人間だったのでしょうか。いずれにせよ、他者に認識されない存在。たとえば感傷的な詩が、包帯になってくれることもある。だけど誰だってほんとうは、ありのままの自分を認めてもらいたい。 私は今作から、切実な痛みを感じずにいられませんでした。 (わたしがミイラ男だったころ)

2019-04-15

自分の知るかぎり、いままでのゼンメツさんにはなかった改行の仕方だと、一見して思いました。 読んでいて気恥ずかしくなるほど赤裸々な描写力は、さすがだと感じます。 (トワイライトアテンダント)

2019-04-13

ふじりゅうさん 美しいと感じていただいて、ありがとうございます。  とわゆえに写真の桜は散りたがる 今作は、この句のために書いたといっても過言ではありません。詠んでくれた友人には、とても感謝しています。 (永遠)

2019-04-13

詩としては技巧めいたところがまったくなく、シンプルに可読性に優れていて、直截的に伝わってくるメッセージ性を感じました。 読み終えたら、表題の「あなたへ」という一言が沁みました。 (あなたへ)

2019-04-12

哀愁亭さま 美と永遠の関係性について、深く考える契機になれたなら光栄です。ありがとうございます。 (永遠)

2019-04-12

寡黙さのうちに生き様をもの語っている、かっこいい写真だと思っていました。作品本文のハードボイルドさと、よく合っていると感じます。 (Home)

2019-04-10

拓馬さま 今作の掌編小説は、友人が詠んでくれたこの一句からインスピレーションを受けて書き上げました。 とわゆえに、という響きは、ほんとうに美しいですよね。 コメントありがとうございます。 (永遠)

2019-04-09

斉藤木馬さま まっすぐなご感想をいただき、こちらこそ、心を動かされました。ありがとうございます。 (永遠)

2019-04-08

南雲 安晴 さま 桜みたいに潔く終わり過ぎたでしょうか。説明的な作品を厭う、私の性格が表れているのかもしれません。 コメントありがとうございます。 (永遠)

2019-04-08

世界世紀さん まことにうれしい感想を、ありがとうございます。 ソメイヨシノの花弁に合わせて、五句選びました。 当初は「さくら」という題名で、最後は散る一句もあったのですけど、改編して散る要素がなくなり、「花のころ」の方がふさわしいかなと思いました。 せめて作品のなかでは、永遠の桜を咲かせられたでしょうか。 (花のころ)

2019-04-04

色と空、生と死、俗と聖、それら二項対立的な概念の統合=婚姻が、taishi ohira さんの作品のテーマである、とは感じます。 私たちは、仮面=マーヤーの面紗に覆われている。 (仮面の下の倒錯)

2019-04-02

taishi ohira さま 数字のもつ神秘的な意味に詳しいのでしょうか。春に関係するという数字があってよかったです。 コメントありがとうございます。 (花のころ)

2019-04-01

すみません。読み返して、作中話者にとっては、日常こそおそろしいものであったのだと思いました。さかあがりの、非日常への跳躍に成功した快感と、ネガティブをポジティブに反転させたいという、健気な願いを感じました。 (そらおそろしい)

2019-04-01

なまくびのあたりが、秀逸です。今作の核をなしていると思います。 平和な日常も、ぐりんと逆さまにみたら、そこには残酷な光景がある(あった)のかもしれません。そらおそろしい。 (そらおそろしい)

2019-04-01

生は何かを叶えるもの というのは、思い込みであるかもしれません。この世は、自我がみせる幻想に過ぎないのではないかと。 それはそれとして、今作での幻想は、私には少年時代の憧憬の比喩として捉えられて、好ましく感じながら読ませていただきました。 (幻想離れ)

2019-04-01

るるりらさま おはようございます。 作品を気に入ってくださる方がいることは、私にとっても喜びです。ありがとうございます。 新宿の街角でたまさか二胡の音色を聴いたのは、秋の日だったように思います。しかし、私のなかでは、まさしく春の音色でした。また、二という数も、好ましく感じたのでした。 (花のころ)

2019-04-01

文章の悉くが過去形でありながら、最終行だけが・・・気づいた瞬間、打ちのめされるような叙情性を覚えました。過去形にはならない、思い出。 (スペランカーとアイツ)

2019-03-25

かるべさんへ 画像表示を大きくしてくださり、ありがとうございます(^ ^) (葉緑素)

2019-03-25

はじめ、廃駅という舞台設定もあり、人間のいない世界でアンドロイドが絵を描いているのかと思いましたがそれは気のせいで、現代的なモチーフを用いた修辞に斬新さを覚えました。 前半は夏らしい描写を感じられたのですが、後半はクリスマスイブを実感させる描写がもっと欲しいように思いました。 最後に添えられた写真や、スタンドバイミーなどの言葉もあり、夏のイメージが支配的な作品ですね。 求められた意見については、たとえば自作に入ったポイントがあとから減るのは、あまりいい気持ちはしません。 あと、投稿画像が小さくて、テキスト作品に添えることはできてもメインにはなれないように感じます。もっと大きく表示されるか、拡大機能があればいいなと思いました。 (葉緑素)

2019-03-23

あれは 泣いとったんかの までの冒頭が、胸に迫ってきました。グリコキャラメルのやりとりに、笑ったらいいのやら哀しんだらいいのやら、複雑な気持ちになりました(甘さと苦さがまじりあったキャラメルみたいに)。 詩としては、そこでもう完成でいいんじゃないかと思うほどです。それ以降は、ドラマ性が前面に出てしまったようで。それでも、 うまれつき ふたごの人間だけが ふたごじゃ 思う考えは 気のせいかもしれんぞ からのくだりには、胸を打たれました。 方言で書かれていることもまた、情感を醸し出していると思います。 (グリコのおまけ)

2019-03-18

帆場蔵人さん ただ乗り合わせた人たちが集まり話すうちに、そこの人から表情のある人にかわる—— ここの掲示板も、そうかもしれませんね。笑 詩は沈黙のなかにある—— 今作は掌編小説のつもりでしたが、もし詩を感じてもらえたら、それは、語り過ぎないところにあるのかもしれないと、帆場さんのコメントから思いました。 ありがとうございます。 (汽車)

2019-03-15

ふじりゅうさん とても丁寧に読んでいただいて、また、素直な感想をありがとうございます。 自分が書くものには、鉄道に関するモチーフがよくある気がしています。地下鉄、停車場、汽車・・・その象徴性も自覚している上で。 名作「銀河鉄道の夜」には遠く及びませんが、近づきたいような気持ちもあります。 ラストの風景は、大乗仏典を元にしました。 (汽車)

2019-03-14

みうらさん ボードレールはダンディズムの詩人でもあることに、ときどき思いめぐらせます。いわゆる、大人のかっこつけ。その背後に、隠しきれずに滲んでいる、生きるかなしさのようなもの。それがひとびとを惹きつけるのかもしれません。 現実の辛さを(自らに)欺く術としてのファッションは、頽廃的ですが、人間くさい哀愁も覚えます。 言葉の機微をよく捉えて作品を読んでくださり、うれしく思います。ただ、まあ、 発光—発酵—薄幸、っていう語呂合わせでもあるんですよねぇ。 (火球をみた夜)

2019-03-12

和洋折衷、ファンタジーとコンピュータ、宗教と科学、混沌としたサブカル感が溢れている作品だと思いました。 たとえるなら、ビートルズ「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・ バンド」のアルバムアートワークみたいな色合いを、詩から感じられました。 ☆印で目立たせた短歌も、ポップでいいと思います。 (ブルー 天橋立にて)

2019-03-02

私は今作を、ステレオさんらしいSFの世界観として読みました。流星群は、隕石かミサイルの襲来する光景のように感じられて。さくらにも、私たちの好む象徴性がありますね。 (別れの流星群)

2019-03-02

友達が居なくて というより、 友達甲斐無くて なのかなあ、と思いました。 後者だと、文にも整合性があるように思います。 二重性のある表現は、おもしろいですよね。 (二人よりひとり)

2019-03-01

ダンスに助っ人呼びたくなった すっきりとした語感のよい一行だと感じました。 午後の紅茶は、私は無糖が好きですが、その味わいにも似た、爽やかな作品だと思いました。 (午後の紅茶)

2019-03-01

わりと写実的な文章、だからこそでしょうか、「雲に乗る」というファンタジックかつ象徴性のあるモチーフが際立っていて、不思議な読後感がありました。 浮世離れした特技を持つ彼は、まさしく天使のようにピュアな存在だと感じられました。 (雲に乗って)

2019-02-28

Sunano Radio さんの、名前のイメージがこの作品には表れていますね。 初投稿作の「白い部屋の秒針」にも通じる、閉塞感のある空間できりきりと締めつけられていくような印象を受けました。 ◯と●、心と体、二項対立的でシュールな作品世界は、アート系の短編映画を観ているようでもありました。 (底)

2019-02-21

〈声〉に対する繊細な感受性が伝わってくる作品でした。 私は去年、ウエノポエトリカンジャム6で谷川俊太郎さんなどの朗読を初めて聞き、こころが震える思いをしました。誰しもが耳を澄ましている静謐な場で、力のある声をとおして聞く詩は、その詩を知らなくても、作品の世界に深く誘われてゆく心地がしました。谷川さんの声は、円熟した優しさと穏やかさが滲み出ていて、すばらしかったです。 その記憶と、fiorinaさんの今作が、私のなかで響き合ったようです。 (声)

2019-02-21